Sonar Members Club No.36

カテゴリー: 古典

猿之助四十八撰

2017 APR 19 21:21:25 pm by 西 牟呂雄

 楽しみの「熊谷陣屋」を吉右衛門・幸四郎ブラザーズと猿之助がやると聞いてイソイソと歌舞伎座に行き、プログラムを買って席でパラパラめくってアッと驚いた。熊谷陣屋は昼の部で、僕は間違えて夜の部に来たのだった。マヌケ。
 帰るわけにもいかず、自分に腹を立てながら芝居を鑑賞。
 何度も見ている『傾城反魂香』が始まる。吃音の絵師が執念を込めて医師の手水鉢に自画像を描くと、その絵が表に抜けて現れ本願成就するという近松の浄瑠璃である。この絵が抜けると「か、か、抜けた~」と科白が入るところが見所だ。
 ところでこの芝居「どもり」だの「かたわ」だのといった、現在使いづらい言葉が頻繁に出てくる。ポリティカル・コレクトネスもクソもあったもんじゃない。
 これ、その昔の日本人はやたらと弱者を蔑んだかといえばそうではなかろう。今日の我々が想像するのは難しいが、浄瑠璃・歌舞伎が流行った江戸時代は身分制度はあったものの、それなりに障碍者も大らかに生きていたと思うのだ(無論厳しいものだったが)。盲人の保護などは検校制度としてかなりしっかりしたシステムなのが知られている。
 そう言えば歌舞伎の舞台で煙管にタバコを詰めてはバカバカ吸い、酒を飲んでは暴れまくる出し物も多い。世間様はこういうのまで規制しろとは言わないでくださいよ。 

所化

 さて澤瀉屋の猿之助が狂言師を演ずる『奴道成寺』では華麗な踊りが披露される。もっとも歌舞伎座ですから宙乗りはやらないが。
「聞いたか聞いたか」「聞いたぞ聞いたぞ」「聞いたか聞いたか」「聞いたぞ聞いたぞ」
 と所化(しょけ・修行中の坊主。必ず小坊主が一人)がゾロゾロ花道を出て来る。こ奴らは花見に来ては酒を飲んで浮かれるという半人前。そこに白拍子に化けた猿之助が現れる。
 華やかな舞台でおかめ・ひょっとこ・御大尽の面を早変わりし、廓の遊女・幇間・客を演じ分けます。
 そして花四天(はなよてん・歌舞伎に出て来る赤い鉢巻きに襷の捕り手)が出て来ると大鐘が下がってきてそれによじ登る。「娘道成寺」ならば安珍・清姫がやるシーンだ。
 ところでこの猿之助が演ずる狂言師は「左近」という名前だが、尾上右近という役者が所化の一人で出ている。もう一人二代目市川右近というのもまだ子供だがいて、これは澤瀉屋の猿之助一座なのだ。それもそのはずで右近君のお父さんの初代右近は、現在高島屋の市川右團次を名乗っているが三代目猿之助(現猿翁)の一番弟子だった。澤瀉屋も四代目になって、香川照之が市川中車を名乗ったりで居場所を失ったのではないかとされた。
 プログラムを見るとその市川右團次は昼の部で出てますな。
 関係ないけど僕は高島屋の市川左團次の大ファンだから二人で同じ舞台に立って市川左右團次(そうだんじ)と名乗りを上げるのもありか・・・いや、ない。

 この『傾城反魂香』と『奴道成寺』はいずれも提題の猿之助四十八撰の演目で、三代目猿之助が撰した澤瀉屋・市川猿之助家のお家芸。通し狂言を復活させたり得意のスーパー歌舞伎から取っている。化け猫モノの『獨道中五十三驛』(ひとりたび ごじゅうさんつぎ)なんかがそうだ。

外連(ケレン)の華 猿之助歌舞伎

 先代猿之助は自分の作品以外では江戸後期の作家鶴屋南北(四代目)の演目が好きなようで『ひどく惚れ申し候』と記している。
 日本橋生まれの遊び人だった鶴屋南北は、奇怪なストーリーと毒のある風刺をごちゃ混ぜにして笑いを取る一種の天才だが、どうもホラ吹きも相当だったと推察する。
『オイラぁ字が書けないし本を読むのが嫌いだ』と周囲に言いふらしていた。嘘である、当て字ばかり書いていたが。

 まだ間に合いますよ。

九月花形歌舞伎

九月大歌舞伎 千穐楽


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三月大歌舞伎

2017 APR 3 20:20:07 pm by 西 牟呂雄

 大河ドラマで海老蔵さんが信長をやると知ったら居ても立ってもいられやしねえ。
 行っちまいました、歌舞伎座に。夜の部の”助六”を見たかったんだけど、大入り満員で全然席が無い!仕方なく昼の部で成田屋が出る『どんつく』の幕見を覗いた。

ひょうきんな『どんつく』

 三月大歌舞伎は故十代目坂東三津五郎さんの三回忌追善公演で、この『どんつく』を長男の二代目坂東巳之助さんが踊る。
 亀戸天神で芸を見せる遊び人達を見物する話ですが、”どんつく”は調子乗りで田舎者の荷持ちという設定。見物人は『大工』『若旦那』『町娘』『太鼓持』『田舎侍』『白酒売』に『大神楽の親方』と『太鼓打ち』といった連中だ。この役どころイキだなあ。
 ところが脇がすごいんですな、これ。大工は音羽屋の菊五郎さんで、若旦那が海老蔵さん。
「どんつくどんつくどんつくどんつく、どどんがどどん」 
 故三津五郎さんは本当に踊りの名手で、業界用語で”腰が座る”というが頭の位置が全然動かない(踊りの最中に上下に)。実は三津五郎さんは短足で元々ぶれない体型だったというのが私の見立てなんだが、息子の巳之助さんは今時のプロポーション。もっと修行しないとダメだよキミィ。
 しかし菊五郎さんの存在感は図抜けているね。歯切れのいい江戸弁がはまって実に聞き応えがある。チョイ役なのに全く手を抜かないところがさすがに当代きっての名優振りだ。
 一方で海老蔵さんは若旦那で出て来るがはあんまり似合わない。役柄からナヨナヨした感じで演ずるのだが、海老蔵っぽくねえや。やっぱりこの人、派手な役柄で大見得を切って欲しい。そして化粧のせいか少しやつれて見えるが。やはり心労とかあるのか心配になった。夜の部の助六はおそらく大見え切っていることだろう。
 この舞台3月に見たのだが、容量オーバーで暫く投稿できず今頃になってしまい皆さんにお勧めできないのが申し訳ない、もう終わってしまった。 

堪えられない 市川海老蔵

坂東三津五郎丈を偲ぶ

九月花形歌舞伎

九月大歌舞伎 千穐楽

猿之助四十八撰


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源実朝の嘆き

2017 MAR 7 0:00:43 am by 西 牟呂雄

 この将軍は何かと気になる。
 文学への思慕、立場の煩わしさ、身内の裏切り、家族の不幸、そして暗殺、と決して恵まれなかった28年の生涯は儚い。
 それでも僕は幾つかの挿話にこの若い将軍の少年のような感性と、同時に何やらアヤしげな運命を強く感じる。
 こういう逸話がある。
 子供の頃から夢でお告げ受けたと寺社に参詣したり、夜に怪しげな女性や光を目たと招魂祭を催している。
 ある夜、不思議な夢を見る。夢中に高僧が現れ、汝は宋の霊山医王山の長老であった、と。時を経て将軍となった実朝に、来日した宋人・陳和卿が面会すると涙を流しながら三度拝みこう言った。「あなたはかつて宋朝医王山の長老。時に我その門弟に列す」。
 自分の見た誰も知らない夢の内容を言われ、コロリと信じ込む。それだけではない。医王山を訪ねようと本気になり、陳和卿に船を造れと言い出した。
 実際に建造された船は浮かばずそのまま朽ちた。陳和卿は焼損した東大寺大仏の鋳造と大仏殿の再建に来日した実在の人物だが、徳の高い僧でもなく造船技術も何もなかった食わせ者だったのではないだろうか。おだてられて目の前で泣いて見せる外人に、フトそう言えばとその気になるタイプだったかもしれない(サイコ・パス型の人に多いとされる)。
 しかし可愛げがあるではないか。

 あるいは旱魃に苦しむ中降雨を祈り法華経を唱え続けると、その二日後に雨が降る(これも事実)。
 また、長雨で洪水に見舞われればこう詠いあげる。
時により 過ぐれば民の 嘆きなり 八大龍王 雨やめたまへ
 この『八大龍王 雨やめたまへ』のリズム感とダイナミックさはどうだ。
 水神は龍の姿をして現れ様々な呼称があるが、実朝には「はちだいりゅうおう」の語感以外に使う言葉はなかったはずだ。
 そもそも都に比べ著しく文化程度の低い鎌倉で、和歌が味わえる者など周りにはいないのが気の毒である。
 藤原定家に自らが詠んだ和歌三十首の添削を頼むなど、いじらしくさえある。
この天才振りは賀茂真淵や正岡子規が評価していなければ少年将軍のお遊びとして誰にも顧みられなかったかもしれない。
 趣味が昂じて『金槐和歌集』を編纂するが、坂東武士の冷ややかな視線を感じたはずだ。

 次から次から起こる煩わしいナントカ合戦だのカントカの乱、おびただしい政務に疲れたときは鎌倉の海をながめてはさぞ嘆いたことだろう。

 辞世とされる歌は
 出でいなば 主なき宿と 成ぬとも 軒端の梅よ 春をわするな
 但し、辞世として詠んだのではなく、先に作ったものの結果として辞世だとされた、という説に後世の偽作説もある。

沖の小島に波のよる見ゆ 

あやしうこそ物狂ほしけれ 

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あかあかや 華厳

中村芝翫 息子3人との「連獅子」

2016 DEC 1 21:21:18 pm by 西 牟呂雄

 芝翫・橋之助・福之助・歌之助と親子四人の同時襲名披露。

「誠に大きな大きな名跡でございますが、先祖の名を汚さぬようなお一層芸道に精進いたします。ご贔屓ご後援のほど、ひとえにお願い申し上げ奉りまする~」

四匹の獅子

四匹の獅子

 となるとこりゃー見ねえ訳にゃー行くめーよ。
 おまけにオマイさん、四人揃っての連獅子たぁー滅多にあるもんじゃねぇ。
 それでイソイソと幕見に行きました。幕見は四階席直行ですからお土産を買いに行ったりお弁当を食べたりできませんがね。
 『祝勢揃壽連獅子(せいぞろいことぶきれんじし)』
 成駒屋ぁ!
 いやモウあでやかなの何のって、そりゃ凄いモンでした。

 三男の歌之助なんてまだ中学生でしょう。オジサンはハラハラしながら見ました。
 アァッその立ち居地では近すぎて毛振りで当たっちまう。もっとしならせて振らないと首が持たねぇ。
 オイオイ、最後長男の橋之助遅れ気味・・・・。

 終わったところで席を立ったら三田寛子さんが甲斐甲斐しくご贔屓筋に挨拶をして回っていたが、アノ人あんまり変わらねーなー。

九月花形歌舞伎

九月大歌舞伎 千穐楽

猿之助四十八撰


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忠臣蔵 全部見るぞ

2016 NOV 24 4:04:50 am by 西 牟呂雄

 国立劇場は十月から月替わりで年末までに仮名手本忠臣蔵をやってます。私は一念発起して三か月かけてこれを全部見ることにしました。国立劇場ですから一日に一興業しかしません。十月は四段目の 扇ヶ谷塩冶館花献上の場・判官切腹の場・表門城明渡しの場まで。そして何とあの悪役・高師直をご贔屓の高島屋市川左團次さんがやりました。どんなに憎たらしいかワクワクもんです。
 10月の大星由良之助を大名跡高麗屋松本幸四郎さん、11月は吉右衛門さん。月替わりで七段目までやって師走に討ち入りです。
 三ケ月に渡って全段を通しでやるのは久しぶりとのことで、中には何年もやっていないモノが復活していると聞きました。
 さて、早速いそいそと塩冶判官が高師直にいじめ抜かれて刃傷に及び切腹になるところまで見ると、

播磨屋 中村米吉

播磨屋 中村米吉

 ありましたね、掘り出し物が。塩冶判官の家老加古川本蔵の娘役をやる播磨屋の中村米吉さん。ご覧の通りの美貌です。この人の娘役は殺気のような色気と純情な部分が一体化されて何ともいえない妖しさが出てます。玉三郎クラスの実力者になっていくでしょう。
 一方高島屋の左團次さんは松の間の刃傷の場面で『こいつまだ怒らないか。じゃこれではどうだ。ありゃ、まだか』とイジりにイジって上手い!
 ところで四段目の『判官切腹』は別名『通さん場』と言って途中席を立つことは控えなければならないのですが、いいおばさんが出て行ったのは頂けませんな。
 もう一つ、切腹の際に駆け込んで来た大星に向かって判官が「遅かりし由良之助ー」と言って息絶えると人口に膾炙されているが、歌舞伎にその台詞はありません。切腹に当たって何度か「由良之助は・・・まだか」とか細く聞くと大星力也が「未だ参上仕りませぬ」と答えるだけなのです。長く親しまれている演目なので観客の思いが架空のシーンに託された都市伝説ですね。同じく時世を読む所もありません、現代劇中の創作です。

 さてさて11月には私の大好きな 祇園一力茶屋の場 まで。何度も演じている播磨屋中村吉右衛門が酔っ払うシーンですね。「手の鳴る方へ、手の鳴る方へ」と芸子たちに囃し立てられて「とらまよ、とらまよ」と目隠しをした由良之助がヨロヨロと・・・。こういうのやってみたいなぁ。
 前から不思議でしたが「手の↑鳴る方へ」と関西風に言うのです。他の京の都の廓話でも江戸弁の啖呵を切ってますがねぇ。
 ここではいつも『見立て』の遊びで時節の話題を取り入れてウケを取りますが、今回は渋谷のハロウィンの話でした。さすが歌舞伎!
 そして遊女おかるになって出て来るのが先日襲名したばかりの雀右衛門さんでした。この人『情けない』顔が似合うんですけど。
 坂東亀三郎が面白かった。

 さて、来月は討ち入りに。

九月花形歌舞伎

九月大歌舞伎 千穐楽

猿之助四十八撰


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追加 中村 児太郎%e3%81%93%e3%81%9f%e3%82%8d%e3%81%86

堪えられない 市川海老蔵

2016 NOV 10 21:21:48 pm by 西 牟呂雄

 テレビはファイターズとCSの映画、動物ドキュメンタリーばかり見ています。後は大河ドラマですね。
 反町隆史のファンですが『相棒』が面白くなくてドラマはトンとご無沙汰でしたが、先般ネットで気になる番組を見つけたので録画したところこれが。
 チープな脚本に下手な殺陣、不必要な見得と大袈裟なワキ。もとより歌舞伎は画面で見るもんじゃありませんし、ましてや歌舞伎役者が演ずる時代劇はどれもこれも『遠山の金さん』とか『水戸黄門』に毛が生えた程度と高を括っていたところ・・。yjimage5

 ハマったんですな、市川海老蔵の『石川五右衛門』。金曜八時テレビ東京の番組です。いや成田屋が上手いのは知ってますが、下手に現代の芝居をしないで歌舞伎のノリが出てるのがいい、今はCGも自由自在に使えます。
 加えて豊臣秀吉=善玉、石川五右衛門=悪玉、という構図を一味変えて秀吉=独裁者、側近の石田三成=悪玉、五右衛門=善玉という設定です。
 伊賀の忍びだった設定が効いていて配下に怪しげな奇術師紛いのケッタイな人物を従え、痛快無比の大活躍に一発でのめり込みましたね。
 元々この人の家系は声が若干低めで舞台では少し不満が残るのですが、テレビではドンピシャのツボにはいってます。
 『金銀財宝盗んでも、悪党外道は許さねぇ。天下御免の大泥棒、石川の五右衛門一家の見参でぇ』イヨッ成田屋!(いくらなんでもこんな江戸言葉を京・大阪で喋っている訳はないが)
 この10月からの半年クールで放送は撮り終えているそうですが、第二回からは魅力的な敵役が出演しています。石田三成の配下として五右衛門をつけ突け狙う榊基次。塚原卜伝の『新當流』一の太刀を操る凄腕浪人。yjimage6

 一度絡んだシーンで諸肌脱いだ時にその肉体の充実ぶりに目を見張りました。あまりのムキムキにこんな役者いたのかいな、もしや・・・。と番組終わりのテロップを見たら、なんとプロレスの棚橋弘至の名が。
 そう、新日本出身IWGPヘビー級チャンピォンの棚橋だったのです。
 両手を広げて『愛してまーす』と叫ぶナルシスト・キャラ、必殺のハイ・フライ・フローやドラゴン・スクリューの使い手タ・ナ・ハ・シが、試合の合間を縫って出演していました。

 この人は立命館大学法学部に一般入試で合格し卒業もしてます。学生プロレスをやる傍ら新日本の入門テストを受け続け、三度目に合格したツワモノ。ですが現場監督の長州力が学生プロレス嫌いだったのでズッと隠していたそうです。
 その昔女性に背中を刺され1リットル以上出血して意識不明に陥ったことも。
 アメリカのWWEは完全ショーマン・スタイルで、試合前のマイク・パフォーマンスなんかで客を沸かせるのがスターの条件の一つですから『テメー、コノヤロー、ブッコロシテヤル』だけではダメ。高い演技性が求められるため映画で主演を張る人もいます。ザ・ロックやジョン・シナ、最近ではスティーヴ・オースチンといったアクション・スターです。
 棚橋も人気が出てそういうオファーが増えたら面白い。
 
 そうそう、友情出演でしょうか片岡愛之助がチョイ役で出てイイアジ出してました。すると他にも獅童とか七之助とか出ては来ないでしょうか。

 とにもかくにも一度、御覧そうらえ~
 (これで視聴率が3.7%ってのはどうなんでしょう?)

ついに海老蔵 織田信長になる

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六十而耳順

2016 OCT 25 10:10:46 am by 西 牟呂雄

 今新幹線の中でこのブログを書いている。先日の我が友のあまりに早い訃報にぼんやりしてペースが狂った。彼はまだ62才だった。

それで提題なのだが、孔子の言葉として有名な『論語・為政第二』にある一節である。例の「吾十有五にして学に志す・・」で始まるアレだ。
 「六十にして耳したがう」と読み下し、還暦を過ぎたら人の意見に素直に耳を傾けられるようになった、と解釈されている。ふぅ~ん。
 孔子様は古典に通じ深く思索し人々を啓蒙し、その間節目節目で三十の時に「立」ったり五十で天命を「知」ったりした大変なお方。
 それはそうなんだが、結局政治家は言う事を聞いてくれずにあちこちで冷遇されて失意の内に諸国巡遊する。
 思うにエラソーな人だったんじゃなかろうか。2m近い大男だったせいもあり、上から目線でああしろこうしろと言われると「そんなこと言ったって現実には」と反発を招いたと思われる。
 よく憤激したりしてるし結構頑固なゴリゴリ親父だったに相違ない。
 それまでの原始的な『言い伝え』めいた慣行を体系化し、道徳といった概念を作り上げて書物に残した。無論その遺徳は私なんかが論ずるにはあまりに偉大でしょう。
 それにしてもどこでもケンカ別れしたり相手にされなかったりなのはこのあたりが問題だったのじゃないだろうか。

 不思議なもので儒学の大家は多かれ少なかれそうなってしまうようで、孟子もそうだったし王陽明もそのケがたっぷりある。
 孟子はやたらとプライドが高く、巡遊にあたっては車列を連ね従者を従えて行く。
 斉の宣王はその現実的には不可能な激しい理想主義的な政策に辟易する。それでも追っ払うのもナンだと色々ごきげんを取るのだが、仮病を使って呼び出しにも応じない。終いには出て行くが、途中で呼び戻しがあるだろうと三日も待ってみせたりとタチが悪い振る舞いをする。
 儒学の大家がそうなら老荘学徒はどうかと言えば、これは以前 無駄の勧め で触れたが地位が高くなるとどうもいけない。
 皆さん秀才でエラい人達なんですがねぇ。

 話を戻して『六十而耳順』だが、額面通りに受け取れない。
 何しろ紀元前500年代の人物だ。現代とは医学も食べ物も違う。肉体年齢は20年分は違っているはずで、六十ともなれば八十翁をとっくに過ぎたくらいだろう。案外耳が遠くなってしまって耳の近くで大声を出してもらわないと聞こえなかったのではないのか。孔子大先生にそんな事をできる人物は弟子ばかりだからオベンチャラばかり聞かされていたと思う。
 そう考えると次の
「七十而從心所欲。不踰矩(しちじゅうにして心の欲するところに従いて矩をこえず」
 も、もう肉体年齢も百歳越えになって衰えて、欲望も何もなくなった、というのが実態だったりして。真面目な漢学者のかた、冗談ですよ、冗談。

元二の安西に使いするを送る

病中の趣味、嘗めざるべからず

帝王の罵詈雑言

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團菊祭五月大歌舞伎

2016 MAY 22 21:21:48 pm by 西 牟呂雄

抱っこされてます

抱っこされてます

 

 いやはや物凄い顔ぶれです。居ても立っても居られずに行ってきました。夜の部です。
 勢獅子音羽花籠。なんてったって音羽屋(菊五郎)さんと播磨屋(吉右衛門)さんの孫、和史ちゃんのお目見えですから華やかです。初日に転んで泣いちゃったとの噂を聞いてましたが、今日は抱っこされながら泣かずに頑張りました。
 菊五郎さん、胃潰瘍で大喀血をしたそうですが元気に勤めておられました。この人のお酒の量ハンパないですからね、気をつけてくださいよ。
 場所は我が産土神の神田明神。成田屋(海老蔵)さんも鳶の頭で出てます。
 このお芝居の楽しみはズバリ獅子舞、面白いんですよ。
 それに私の贔屓、高島屋左團次が世話役で出て来たのがうれしかった。この人が子役だった頃は新橋演舞場の裏手の築地川で釣りができたそうですから超ベテラン。
 團菊祭は何と明治の市川團十郎(九世)と尾上菊五郎(五世】を顕彰するために昭和11年から今年で八十年という催しであります。二人は能狂言や黙阿弥狂言を素材として古典歌舞伎を磨き上げ、今日にまで至る現代歌舞伎の礎を築き上げた名優なんですな。
 河竹黙阿弥の得意の白波者(盗賊話)で『三人吉三』が次の演目でした。女装の盗賊お嬢吉三(菊之助)・御家人崩れのお坊吉三(海老蔵、ピッタリ)・悪徳坊主上がりの和尚吉三(ギョロ目の松緑)が百両を巡って七五調のセリフで沸かせます。上手いなぁ、海老蔵。この人が出て来るだけで万座が固唾を飲んでいるのが分かります。yjimageKQENJ076

 最後が安珍・清姫の悲恋物語『男女(めおと)道成寺』にまたまた菊之助・海老蔵コンビが舞います。
 これは最後に蛇身に変身することになるのですが、どう代わるかは見てのお楽しみ。しかしその艶やかなことといったら!そもそもこれは踊りがウリでズラリと並んだ小坊主が入れ代わり立ち代わり。

 昼の部では楼門五三桐(さんもんごさんのきり)で『絶景哉、絶景哉』の石川五右衛門を吉右衛門さんがやっていますよ。

九月花形歌舞伎

九月大歌舞伎 千穐楽

猿之助四十八撰


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萌え出づる春になりにけるかも

2016 APR 1 0:00:58 am by 西 牟呂雄

 石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも

 なんという若々しさでしょう。
 万葉集にある、天智天皇第七皇子の志貴皇子(しきのみこ)の歌です。万葉人というご先祖様は当時の人口の少なさを考えても極めて均質な社会だったのでしょう。

 石走る 垂水の水の はしきやし 君に恋ふらく 我が心から

 これも万葉集ですが、こちらは読み人知らずです。”石走る”は枕詞なんですね。
 
 雪消えて 水若し
 花萌えて 人笑う
 雲流れ  山霞む
 桜散り  春至る

 これは私が考えた双五音四行詩。流行りそうもないけど楽しんでいます(ナイショ)。

 ところで私は、つい最近まで冒頭の作者は式子内親王だと思い込んでいました。改めて万葉集だった事に気が付いた次第で500年もズレてました。しかも記憶にあるところで、この歌をネタに式子内親王のことを天才だと言い触らしたことも幾星霜、オー恥ずかしい。この万葉振りと「玉の緒よ 絶えなば絶えね」の新古今では作風がまるで違うのにどうしたことでしょうか。

 山深み春とも知らぬ松の戸にたえだえかかる雪の玉水

 これも新古今和歌集にある式子内親王の作品ですが、いちいち”シンコキン”の音が聞こえそうです。これをシンコペーションと言い・・・ません。

 山寒く 風寒し
 空青く 雪光る
 緑無く 音淋し
 融雪の 滴落つ

 ところでこの内親王は実は色々と大変な人です。
 御所にいるころは藤原定家が足繁く伺候していて、その頃に鮮やかな本歌取りの腕を磨いたのでしょう。色恋の歌が多いのも二人は恋人同士だったのではないかな。一説には定家が好意を寄せるも、歌はうまいがブサイクだったので振られたとも。
 その後なぜか誰かを呪詛をしたとの疑いをかけられ、退去し出家してしまいます。この出家の際に浄土宗開祖の法然が関わったとも言われる何やら謎めいた女性なのです。法然が高貴な尼さんに手紙を送ったことは事実で、実は内親王は法然上人を慕っていたのではないかという珍説も出されています。

 法然上人は大変な秀才の上に気迫のこもった人。自然、身の回りに個性的な人物が集っているという趣で、これはまた別の機会に紹介したくなります。

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沖の小島に波のよる見ゆ 

あかあかや 華厳

五代目中村雀右衛門襲名披露 口上

2016 MAR 25 0:00:26 am by 西 牟呂雄

 京屋の芝雀さんが雀右衛門を襲名されたので見に行った。
「幾久しく、宜しくお願い申上げたてまする~~~」
 ズラリと裃をつけた大名跡が、それぞれ申し立てる口上はさすがに圧巻。口火を切るのは坂田藤十郎、控えが片岡仁左衛門に高麗屋幸四郎、両脇右奥が音羽屋菊五郎と左奥が播磨屋吉右衛門とは見応え十分だった。

 演目の一幕目は『双蝶々曲輪日記角力場(ふたつちょうちょうくるわにっきすもうば)』という大阪の勧進相撲が舞台だ。これちゃんと関西の言葉でやるのがいいですな。『若旦那』と言うのが『わ』から段々低くしていき『わかだな』という独特の呼びかけになる。実は初めて見た。
 そしてこの芝居は鷹揚なアホボンのと素人角力取りの二役を成駒屋・中村橋之助が早変わりで演ずるところが見所。yjimage[1]

 次がいよいよ雀右衛門がやる『金閣寺』の雪姫、時代は大阪の陣の頃の話だ。時姫・雪姫・八重垣姫の「三姫」は歌舞伎の姫役のうち至難とされる。
 このあでやかさはぜひ実際に舞台で見なければ伝わらない。
 色気・凄味という意味では玉三郎に方が妖艶だが、この気品はこの人の味だろう。

 女形は肉体的にも結構大変で、膝頭を合わせるように内股にして少し折ってチョコチョコと歩く。やってみると分かるが厳しい修行が必要なのだ。

鼠が齧って

 この芝居、他にも太刀をかざすと滝に(本水ではない)龍の姿が現れたり、雪姫が散り乱れる桜の花びらを爪先で鼠の絵に書くと本当の鼠が出て来て(雪舟の孫娘という設定)縛られている縄を食いちぎるとか、歌舞伎っぽいネタが満載。

 今回は西ー16という花道の出の直ぐ横の席だった。一番後ろの所だから座席と同じ高さに花道があって、横を役者が通っていく。いやもう衣装の華やかな事。

 まだ見られますよ。是非御覧有れ!

九月花形歌舞伎

九月大歌舞伎 千穐楽

猿之助四十八撰


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