Sonar Members Club No.36

カテゴリー: 製造現場血風録

日本人の働き方考

2017 JAN 7 13:13:44 pm by 西室 建

 
若い女性の傷ましい自殺が様々に取りざたされている。
 慢性的な長時間勤務と心無いパワハラで悩みぬいた末の事だという。彼女は母子家庭で育ち、母親に楽をさせてやりたいという意識を強く持っていたらしい。
 既に処分を受けたであろう彼女の上司に思いを馳せてみると、色々な感慨が浮かんでくる。『昔は当たり前だった』『オレ達の頃はこんなもんじゃなかった』『この程度で音をあげられたら使い物にならん』おそらくこれくらいのノリでやっていたに違いない。
234201

 一方で、このグラフはその日本の労働生産性を時間当たりで比較しているが、先進7か国中最下位なのだ。
 僕はメーカー育ちなので、日本の現場の生産性がそんなに悪いはずがないことを肌で知っている。
 しかしブラック企業のようなコキ使われ方が問題にされても全体の生産性は少しも上がらない。順位は2005年からズーッと同じなのだ。誰かが余程サボるのか、そんなはずはない。
 ある企業の取締役会を見てビックリしたことがある。それなりの企業だ。
 さる案件を審議していたのだが、誰も本当はヤル気がないのがすぐ分かった。ところが、ハッキリと『これは弊社の社風に合わない』とか言う人はいない。するとどうなるか。エライ人が資料の細部について信じられないほどの細かい所にイチャモンをつけ、アーデモないコーデモないと延々とやり続ける。結論を先延ばしにしようとするのだ。
 しかもその企業は多角化が進んでいて、それぞれの取締役は当該案件については素人同然のように見えた。従ってイチャモンたるや『もっと勉強して来い』的な内容ばかり、ハッキリ言って時間の無駄がダラダラと続いて案件は先送りされた。
 その会社で最も給料の高い人間が集って5時間も幼稚な議論に明け暮れたのである。人数×時間の生産性はゼロ。
 こういう会議が生産性低下の元凶なのだと確信した。

 一方でルネサンス研究家の故会田雄次氏の論考に、日本人の意思決定構造は基本が農村の寄り合いのように長老を中心にグダグダと全員が意見を述べ互いの顔色を伺う、と分析したものがある。更にはっきり『ここ一番の集中力はアングロサクソンにかなわない』と書かれていた。
 これについてはハワイ沖の日米合同演習に参加した海上自衛隊の幹部が面白いことを述べている。
「普段は時間に遅れるは操艦はピタッと決まらないはでデレデレしているようにみえますが(アメリカ海軍と演習を)やってみると強いんですねえ、これが」
 アメリカ海軍は全員アングロ・サクソンでもないが、こういう集中力はやはり違うようだ。
 それに対して会田氏は、我々日本人は24時間とは言わないもののダラダラと仕事のことを考えては集団で切り盛りして(当時は)高度経済成長を支え欧米に比肩する経済力を培った、と言う論調だった。

 すると、前述のダラダラ取締役会は日本の古式に則った正しい進め方なのか。それが断じて違うのだ。
 一度で決めなくても持ち帰り、それぞれが『困ったな』『困ったな』と言いながらダラダラ毎日工夫をするのが古来の方式。会議の風景は責任回避のために発言をしている風情だ。それがその社において最も見識のある(はずの)人々がロクでもない意見をチョロチョロ出しては『この案件には反対だった』のアリバイ作りに興じているのが情けない、ということだ。

 思うに集中力こそないものの、考えに考えてコンセンサスを作るのは悪くはない。全体が一糸乱れず目標に進む基本でもある。
 だが、失われた20年の期間を通じて更に今も尚、生産性の順位が上がらないのは、即ち投下資本が付加価値を生み出すまでの効率の悪さが更に劣化し負け組を再生産し続けるからではないか。

 無論日本人にも並外れた集中力を持った人はいる。その能力と組織を切り盛りするリーダーシップはなんの関係も無いことは明白であり、能力は評価されるべきだが間違えてはいけない。仕事の割付を見誤るから冒頭の女性のような悲劇が起こる。優れて管理の問題でもあるのだ。
 この悲劇は時間の関数によって起こったものではなかろう。浴びせられたあまりにも心無い言葉の幾つか(おそらく『女子力がない』『おまえの残業は無駄』等の罵声)が堪えた。更に丁寧に指導をした形跡が感じられない。あの会社は異常な残業時間もそうだがやたらと会議をすることで有名であり、尚且つクライアントの打ち合わせに大人数を繰り出してくる事もつとに知られている(給料も高いが)。

 そんなにエラソーにしないでみんなでコツコツやれば・・・

 断っておくが僕がコツコツやるタイプではないことは申し添えておきます。

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フィリピン侵攻作戦 下 

2014 AUG 27 12:12:55 pm by 西室 建

 マニラから南に下った所のバタンガス州、美しい湖のある所にご他聞に漏れずゴチャゴチャした町があり、ここの工業団地に工場を建てることにした。検討に費やした物凄い密度の会議で、最期に僕はキレた。
「採算についてはもうこれ以上は分析できません。しかしたとえ嵐に遭遇してもどこまでも海原を行ける航海の可能性を選びます。」
言った時には加山雄三の『海・その愛』が頭の中でガンガン鳴っていて自分の言葉に酔った(バカだったなあ)。
 エリアの契約、現地法人手続き、派遣人員人選、顧客説明、現地オペレーターのトレーニングと事務処理が続く。フィリピンから第一陣の研修生が日本にやってきた。全員初めての海外である。見るもの聞くもの珍しく、学習意欲の高い子達だ。日本のコンビニが楽しいらしく、仕出しのお弁当はすぐに飽きて自分達でオニギリ、から揚げ、、サンドイッチを買って喜んでいた。僕達がレクリエーションでやっていたバーベキューやキャンプには大はしゃぎで参加し『フィリピンに帰って工場でやってみたい』。そして休日には『ディズニーランド』と『アキハバラ』に行って見たいと言う。現地でも有名なブランドらしい。これは操業してから来た第3次研修グループまで皆同じだった。
 一方でフィリピンの方でも、工場建設を進める。レンタル工場の中に設備を搬入する。ガード・マンを手配する。現地の有力者とコネをつける。
 この際注意しなければならないのは、日本人の現地コンサルには相当ヤバいのがいるのでご用心。ある人間に相談したら、それから『傭兵を紹介する』とか『レストランに出資しないか』とか、更にはあからさまに『女を調達してやろう』などと言い出す。その辺りで切ったが。

 さて、準備が遅れつつも何とかスタートしてからは、この工場は驚異的に伸びた。数名の女の子のオペレーターと少数のスタッフに日本人二人。思えばかわいらしい南の前線基地のスタートだったので、僕達はここを『ラバウル』とコードネームで呼んだ。1年もすると品種も増やし、オペレータも倍々のペースで集まり、すっかり定着した。
 ところがやっぱりこの国、気を抜くわけにはいかないのだ。ある日同じ工業団地の敷地内にフィリピン空軍の練習機が落ちた。火災等の二次災害はなかったが心胆を寒からしめられた。プロペラのヘナチョコ機ではあったが。
 近隣の繁華街で怪しげな日本人が射殺される。
 ビビッた僕達はガード・マンにショット・ガンを持たせた。  
 
 ここはカトリックの国だからクリスマスが近づくと、どうやって楽しむかが職場の話題の中心になる。普段は福利厚生などにはコストをかけていないので、各スタッフは大はしゃぎで出し物を提案する。カラオケ大会に至ってはそれぞれ代表を選抜し、点数を付けて競う。派手な振りのダンスの練習も始まる。本番は近くのゴルフ場のレストランを借り切って、プロのバンドまで入ったドンチャン騒ぎだった。僕としてはタダでフィリピン・パブで遊んでいるような気がして楽しんだが・・・。
 自作の衣装を派手に着飾ったミスコン、各職場の代表によるプロはだしのカラオケ。バンドが始まる頃には全員立ち上がって踊り狂う。何故か僕は『カーネル(大佐)』と呼ばれていて、会場のアチコチから声が掛かりツーショットに収まったり握手をしたりして・・・・。通常一般のフィリピン人というのは我々程にはガブ飲みすることはない。しかし僕は悪しき日本人の酔っ払い丸出しになり、アッと気が付いたときはステージの上に立っているではないか。このバンド、見たところ若いメンバーなのに70年代の曲ばかりをやっている。特徴のあるギター・イントロにつられてマイクを握っていた(この間打ち合わせもナシ)。僕は普段は人前ではしゃぎまわったりは断じてしていない(と思う)が、この時は酒が十分に廻ってしまった。曲はワイルド・チェリーの『Play that’s Funky Music』だということは直ぐに分かった。
「Once I was a Boogie singer
Playing such a Rock’Roll band」
とやってしまい、社員のフィリピーノ・フィリピーナには大ウケした。
 が、このときの写メが後日さるところで公開されてしまい『あいつは工場を造ったと言っていたが、本当はマニラでクラブでもやってるんじゃないのか。』と少なからず問題になったと聞く。

 その日の帰り、焼けたコンクリートが涼しくなったようで、後から後からバカでかいフィリピンのガマガエルが這い出して来ていた。

フィリピン侵攻作戦 上 

僕の地球放浪記 Ⅰ

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僕の中国事始め

ヴェトナムに行ってきた

フィリピン侵攻作戦 上 

2014 AUG 22 10:10:22 am by 西室 建

 フィリピンには実際良く行った。一般の人のイメージはどんなものだろうか。せいぜいフィリピン・パブのかわいいお姉ちゃん程度か。ベニグノ・アキノ氏の暗殺やコラソン・アキノ大統領の熱狂的選挙もご存じない若い人も大勢いることだろう。
 勃興する東南アジアのスマートな国とも見えなくも無い。実際国民の大部分がカソリック教徒で英語も良く通じる。しかしそれには統計上現れない数千の諸島にいる多くのイスラム教徒は勘定に入っていないのではないだろうか。タガログ語には独自の文字はなく、ローマ字式の表記だ。統計は相当怪しいし、それどころか経済は慢性的に破綻している。まともな組織は陸軍くらいだが、これが又しょっちゅうクーデター騒ぎを起こす。治安レベルは最低に近く、犯罪組織も多い。マニラで一晩に何人が死んでいるか誰も分からない化も知れない。マカティ(中央ビジネス街)でもホールド・アップはある。いささか旧聞に属するが三井物産の若王子支店長の誘拐もあった。一応の銃規制はあるが、アメリカ式でその辺のガード・マンも携行しているのが不気味だ。僕もトレーニング・センターで何回か撃ったが、気軽さが返って怖い。一度セヴ島の空港のマニラ行き荷物検査で赤ちゃんを抱いたかわいらしいお母さんがハンドバックからゴトッという感じでピストルと携帯許可証を出した時は異様な光景にビビッたものだった。 
 日本人もしばしば殺される。殆どがヤバい人で、恐らくフィリピン姉ちゃんを日本に手引きしている自称『芸能ブローカー』が金でモメてやられる。
 アロヨ大統領の時にも首都のマカティーでやはりクーデター騒ぎが起きたが、軽く鎮圧された後に兵士達に与えられた罰が『腕立て伏せ30回』というユルさ。しかもマカオに在住していた日本人が殆ど気付かなかった程度の小競り合いというチンケさだった。
 東南アジアで勢いに乗った国の首都に、未だスラムが形成されているのはここぐらいじゃないだろうか。僕がウロチョロしていた頃は台北やクアラルンプールにもあったのだが今はもう無い
 一度APECの首脳会議をやっているときに滞在していたことがあるが、唯でさえ慢性的渋滞で困るのに、体裁のために(仕方ないが)メインストリートの片側を封鎖して首脳専用にした。するとやはり無理があって、普段30分の移動に3時間かかって都市機能が麻痺していた。余談だがこの時ある所にパスポートを忘れ、往復6時間もかかって死ぬ思いをした。

 ピナツボ火山が大爆発してタルラック地方が大被害を受けた後にその辺りを車で通ったことがある。この地は殆どが前述のアキノ家の私有地で、景色はいかにもコロニアルな農業地帯だった。驚くべきことにルソン島は十数家族によって私有されていて、スペイン時代の荘園制が残ったまま米西戦争勝者のアメリカに取って代わらる。スペイン人がいなくなった後は荘園管理者の華僑系が多くを支配する構造になってしまった。コラソン・アキノはコフアンコ財閥の娘だが、一目で中華系であることが分かる風貌だ。今は息子が大統領。
 街外れのタルラック川の恐ろしい光景は圧巻というか何といか、火山灰がドッと押し流されて橋は全て陥落し、月面のような無機質の砂漠と成り果てていた。ところが運転手はドンドン進んで行く。そして『物乞い』とでも言うべき被災民(かどうか分からないが。中には赤ん坊を抱いた子供までいた)が道案内をしていて、運転手やつられて僕までコインを投げてやる。すると幾筋にも分かれた浅瀬の通れるところに案内され、どの車もジャバジャバと川を渡ってしまった。その時はまるで戦場にいるような恐怖感、車の窓のすぐそこを川が流れているのだ。
 先日の地震・津波やしょっちゅう来る台風で、20世紀には世界で最も天災を受けた国らしい。日本も凄いから心から同情することができる。そういえば阪神大震災の時にマニラにいてリアルタイムで事情を知らなかったが、現地の報道が『センター・オブ・ジャパンが被害を受けた』と言うものだから、てっきり東京がやられたのかと思った。

 以前は懐かしいYS11がまだ飛んでいたこともあった。フィリピン国内線だが。リベットをたくさん打ってモンロー・ウォークのように飛行する名機だ。座席に『灰皿』と漢字で書いてあるままだったが『No Smoking』等とアナウンスをしていた。これでマニラから北に飛ぶこと1時間半(車で6時間)バギオという標高1,500m弱の高原都市があり、真夏にはマニラの政府がまるごと引っ越してくる避暑地だ。ここに大ユーザーの工場があったのでしばしば訪れていた。
 悲しい歴史だが、山下兵団が最期にギブアップとなった所で知られる。松の木がたくさんあって涼しげな街だった。フィリピン国軍の士官学校もここにある。一度行って見たが最期の激戦を物語る米軍兵士が大勢埋葬されて、小さく白い木の十字架がズラっと並んでいた。日本軍のものは、ない。
 巷間言われている山下財宝はこの辺で一部発見されたとも言う。しかし発見者が全部懐に入れてしまったので表沙汰にはならないんだとか。更にはかつての独裁者マルコス大統領がガメたという噂まである。
 米軍が避暑地に使っていたこともありキャンプ・ジョンヘイといった名前がついたリゾートがありゴルフ場も整備されていた。例のピナツボ火山の影響でクラーク空軍基地やスービック海軍基地がコスト高により閉鎖され、民間経営なっていたが、アメリカン・スタイルの快適なホテルで良くそこに泊まった。因みに米軍が縮小するに従って中国との領有権問題が顕著になったことは記憶しておいていいだろう。
 そしてここの言葉はマニラのタガログ語ではなくてイロカノ語。方言と言えばそうなんだろうが、マニラの人が道を尋ねて通じなかったことがある。そいつに言わせると日本語と英語くらい違うと言うのだが。

 一方南フィリピンは恐ろしく数が多い島嶼で構成されていて、ミンダナオあたりからモロ族といったイスラム独立派が蟠踞しておりテロが絶えない。アメリカも基地は縮小しつつ、しかし放っておく訳にも行かないので、軍事顧問団と称した部隊を派遣している。現在は衰退したようだがアブサヤフという過激派がいて、あのビン・ラディンから資金を受け取っていた。例の自爆テロの犯人が実行前にアブサヤフに潜伏していた、という話もあるにはあったが地元の連中は『相手にされるはずがない。』と何故か断言していたが。
 大体あんなに散らばっている島を全部管理して税金をちゃんと取っているとは思えなかった。

 ところで、旅の者は一週間くらいでメチャクチャ日本の味が恋しくなる。当時のインター・ナショナル・エアポートはニノイ・アキノ空港と言って今のよりも小振りだった。帰国のときにそこのレストランで『ラーメン』というメニューを見て(カタカナで書いてあった)思わず食べたのだが、その味は世界一マズかった(今は違う)。多くの旅人がガックリ来ていたものだった。  
 
 マニラ湾に面した繁華街の猥雑さと危険度には腰が引けたが、男も女も明るい気楽な奴等で僕は好きだった。そして熱い風に当たって血が上ったのか、勢いで工場建設を決定してしまった。今から四半世紀近く前の話だ。

この項つづく

僕の地球放浪記 Ⅰ

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ヴェトナムに行ってきた

製造現場血風録 (開発の蹉跌)

2013 DEC 1 14:14:57 pm by 西室 建

一般の汎用材料でも常に材料開発は求められ、又開発部門がそれに答えられなければ他社に取って代わられる。特に先端分野というのは最先端の開発成功者が利益を上げると、ドッと新規参入者,又は同業者がマーケット・インしてきて、いかに特許で守ろうとしても中々独占的にはならない。ここがソフトと大きく違うところでどのメーカーも一発当てたら後は安泰とは行かず、力を抜くことはできない。開発し続ける、ゴールのないマラソンといった例えがある。しかしながら不況下では直ぐに収益に直結しない上、製造部門ほどリストラ効果が現れにくいことから、経営からは開発費の削減を求められやすい。辛いところで踏ん張り所でもある。その際いつも論争になるのは交わることの無い神学論争で、曰く「革新的なイノベーションは普段からの基礎研究の延長線上にある。」「いや、効率は上げられる。対人数比での特許件数はココはこれくらい、アソコはこれくらい。だからもっと顧客のニーズに近い開発をしろ。」「企業は大学院ではないのだから明確な商品設計がない研究など意味がない。」

なにどっちもどっちなのだ。基礎研究・材料開発に携わる者の本音は殆どがズーッとこの開発ぬるま湯に浸かっていたいだけだし、イチャモンを言う方も特許件数・論文提出数くらいしか数値化できる物が無く、良い悪いの判断基準なんか分るはずが無い。特許だってあること無いことズラズラ書いているが、一目で価値がわかるはずがない。分っているのは本人だけで、それも世界で初めてとか力説している割には自分でも大したことないと思っていたりする、口には出さないが。特許件数にしたところで、知る限りでは一つ特許が通ってしまえば枝葉末節をいじるだけで10~20くらいは連続して出すことも可能だ。ドクター中松の特許件数を見よ。

しかし開発研究者もダメなのになると本当に使い物にならない。タイトルは工学博士やら理学博士で名詞にも刷ってあるくせに、こいつバカじゃないかと目を見張るようなオタンコナスがいる。一体何のために一生懸命論文を書いてドクターになったのかさっぱり分からない。おまけにそういう輩は実験そのものが下手で証明ができない。話がくどい、言い訳が長い、要は口先だけだから、私でも代わりが勤まると思った。この実験が下手なのは如何に優秀だろうと致命的で、直らない。要はセンスの問題と言ってしまえば身も蓋も無いのだが、たまに良い結果が出ても再現しなかったりする。金と時間の無駄としか思えない。だが、このタイプは人のせいにするのも巧みで、役にも立たない実験を色々理屈をつけては延々と忙しがりつつやりたがる。病気ですな。一生懸命やっているフリなんかも見事なものだ。

一方、開発ターゲットのスケジュール化も実に難しい。ソフト開発なんかはその点このペースで行けばいつまでにこのくらいやれる、と計画し易いそうだがハード、特に素材に関しては時間軸との兼ね合いは実に難しい。添加元素を選ぶ段階から製造プロセスに至るまで年単位の時間が掛かることも珍しくない。その間に実用化の壁が大きく立ちはだかるのだ。即ち、実験段階の結果から単純に想定するには、量産段階との設備・エネルギー・歩留、といった数字そのものが大きく違う。ビーカー実験でのグラム単位のデータを、いきなり100トンの設備に反映しようとしても、外部要因が多すぎてそう簡単には行かないのが普通だ。

このあたりが企業研究・開発の頭の痛いところだが、面白い話もある。優秀とされた研究者の極端な例を二人、強烈に覚えている。一人はハガネの大家で会社に所属している期間に取った特許の個人記録を持っていたのだが、大変面白い人だった。ところが取得した特許はそのほとんどが焼き直しの手を使ったもので、今日役に立っているものはない。本人の興味が沸いたテーマにのめり込むあまり、いちいち「この特許も成立する、あの数字も特許になる。」とばかりにジャカスカ書いているうちにどんどん商品から遠ざかり、役に立たない特許の数だけが増えていくのだった。会社としては評価に困るのだが、何しろ物凄い特許件数だから無碍にはできない。

もう一人は経営者にもなった人で、これも実に面白い人物。ただ、我々は陰で「奇形天才」と呼んでいたが。この人は若い頃にあることを思いついて、電子レンジで実験でして一定の結論を得たらしい。画期的な精錬工程の技術なのだが当時は注目を浴びず、会社からは無視されたので頭に来て個人の資格で特許を取って見せた。時は流れて、今日その技術は実用化していて関連特許も幾つも出ている。ところが基本特許についてはその人の特許が先行しており、それも20年を経過したため既に公開されている。私なんかは浅ましいくも何やらもったいないと思うのだが、奇形天才は「もう公開されたから誰も基本部分の特許が書けないんだ。」とのたまってクックックと嗤う。どうもこの辺、私には何が可笑しいのかサッパリ分からなかったが、本人は次のことで頭が一杯なのだろう。尚、この人は酒乱だった。私と二人がギトギトに酔っ払うと周りがドンビキというかトバッチリが来ないよう遠巻きになっていくのだ。ナニ両方とも翌日はすっかり忘れているのだから始末が悪い。恐ろしいことに、受験勉強を苦労してやった形跡が全く感じられず(ただ本人は筆者に向かって『お前よりはやっていた』とムキになっていたが。これも不思議な罵りあいだったが。)あの膨大な知識がいつ身に付いたか未だに分からない。

もっとひどい例もあって・・・、いや、まだ現役で偉くなっているのでこれ位でやめておこう。

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製造現場血風録ー火災勃発

製造現場血風録ー補給・兵站

製造現場血風録ー全力疾走

製造現場血風録ー復興

製造現場血風録ー復興

2013 NOV 1 10:10:44 am by 西室 建

7月13日(月)火災発生から3週間が過ぎたところで、嬉しい報告が入った。現地クリーン・ルーム内で暴露試験をした結果、設備自体は生きていることが確認できた。純水装置の加水洗浄も完了。今までは日本から全て製品で出荷していたが、途中仕上げの半製品で現地に送り、後工程の操業ができることになった。日本サイドは第一・第二工場ともまがりなりにもフル・シフトの稼働となり、何とかギリギリの綱渡りができたことになる。僕は通常機能が回復したと見て、緊急対策本部は解散し、元の指揮命令系統に戻すことに決めた。だが急ブレーキをかけてはスピンしてしまう。現地緊急派遣の連中が戻るタイミングで徐々に役割を消していった。そして原隊復帰する直属幕僚だった部下にはこう言い添えた。

「こういう仕事は見事に立ち上げれば立ち上げるだけ『何だ、大したことなかったのか。』と言われるのが常だ。そういう時は、はいはい左様で、と言って涼しい顔をしてるもんだぞ。」

そうは言ってもやることは山ほどある。損害の確定、原因と対策、新規設備の導入、数え上げればキリがない。だがこれらは業務を分担し、粛々とこなせば良いことで、今どうするのかという切った張ったではない。言うならば戦国乱世から抜け出して秩序ある藩幕体制になったようなものだ。僕の役割は終わった。

しかし振り返ってみれば反省することしきり。まず、指示・重要報告は必ず相対にて確認する必要があること。CCをやたらと付けて発信者は十分に連絡を果たしたつもりだろうが、緊急時に毎日100件200件とメールが飛び交っているときは、念のためにこの人にもとやるのは返って集団無責任体制を助長することになる。或いは保身のため、とも思えるようなCCメールも多く、僕はそんなもんは見るハナから削除した。まぁ善意を持って発信するのだろうが、レスポンスが欲しい相手には必ず確認を取らなければ危機の際に情報が埋もれる。なにしろ物凄い量なのだから。ところで今から考えてみるとやたらにCCを付けるるタイプと、「オレは聞いてない。」と開き直るタイプには一定の相関があるようだ。

また、周りが殺気立っているにも関わらずどこ吹く風の輩も居た。暫くしてから気がついたのだが、メチャクチャになっている間は目に入らなかったのである。「自分には権限がない。」「まだ情報が上がって来ない。」そして「聞いてない。」、このタイプこそ危機の状況下最も無用者で扱いに困った。実際は優秀なヤツ等なのだが。この問題の救いがたいことは教えてどうなるものでもないことだ。本人の人間性のいい悪いの話でもない。普段は役に立つのだから評価がどうこうとも言えない。あくまで例外的危機状況なのだから、そういった人材は無視しておくに限る。

総括するつもりではないが、事故は幾つかの不幸によって必然的に起こり、高いモラルと不断の粘りによって回復する。今回は一丸となって責任感を共有し対応に当たった実感が残った。特に直属幕僚だったK課長、H係長、H嬢、A嬢の驚異的ガンバリには感謝するばかり、君たちは素晴らしかった。又、現在も尚闘病中のH君の回復も祈って止まない。

後日、目処が付いた報告をヘッド・クオーターに報告に行った際、ダイレクターはこう言った。                                              「どうなることかと思ったが、大したことなくてすんだな。」                  僕は思わずニヤリとして答えた。                               「はい。お陰様で。」

 

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製造現場血風録ー全力疾走

2013 OCT 30 9:09:05 am by 西室 建

 7月6日(月)から、少なくとも日本サイドは第一第二工場ともフル・シフトになり、臨時派遣も配置についた。現場が底力を出し始めるのだ。この段階では各部署が自律的に立ち上がり出すので、対策本部の当初の指示に手戻りがみられるようになる。これは仕方のないことで、出来るだけ細かく調整してやらなければならない。その際にはどこにでも必ず「だからオレは最初から反対だった。」という輩が出てくる、本当にだ。こっちは毎日毎日荒っぽい決めごとを捌いているのだからしょうがない。このグチとも何ともいえないセリフがいかに当事者のモラルを下げるか、僕は経験則的に知っていたので、命令変更の際には「いいか、後になって自分は初めから反対だった、とは決して言うな。」とドスを効かせた。そういう僕自身、連日のドタバタに頭に血が上り、第二工場との往復の際アラーム・ランプにも気付かずにガス欠になり、高速道路で1時間も立ち往生、JAFを呼ぶ大騒ぎを引き起こしてしまった。

 一方で四半期が終わったための実務が追いかけてくる。やれ決算だ、下期の見通しだ、三カ年計画の作成準備だ、しかし戦力になる事務方の手足はみんな海外に投入して出払っている。挙句の果てに以前から決まっていたシンガポールの顧客の監査が二日かかる。数字の整合性は大きな声では言えないが殆どサイコロで決めたに等しい割り切りでしのいだが、普段から摺り合せていたため幹部間で大きなすれ違いが無かったのは日頃の鍛錬の賜物か。シンガポール顧客は中国語使い(中国系日本人と中国系マレー人)二人に対応させギリギリの最低点で監査をパスした。

 火災保険請求のため、保険証券と大家(工業団地の賃貸物件だった)との賃貸契約の長文の英語が送られて来て、一瞬気が遠くなった。こんなもん読んでるヒマはない。アウト・ソーシングのつもりで、工業団地に一枚噛んでいる日本商社を訪問し、①保険請求は単独でやるべきか、②場合によっては現状復帰はタッグマッチでやった方がいいか、の2点に絞って協議することとした。工業団地は現地財閥が実質のオーナーで(勿論華僑)それに対してタッグ・マッチに引きずり込む作戦だ。結果は自社による保険請求をし、誠意を持って現状復帰させる、となった。

 復旧工事の施工のため、ヘッド・クオーターの現地代表ゼネコン部門が人を出してくれる目処がついた、と事務方から連絡が入る。危機管理に必要だと説明し、いやがるヘッドクオーターに社外取締役として入って貰っていたことがここで生きた。今度は工場が復帰するまでブラブラしている現地従業員をどうするか。オペレーターは日本に連れてきて研修させれば一石二鳥ではないか。こっちは一時的にせよ大幅な人手不足なのだ。ナニ?パスポートを持ってないだと?会社でまとめて取らせて送り込んで来い!

 人間関係は悪くなっていないか、疲れが出てないか。品質は落ちていないか。客先に不安を与えていないか。考えたってしょうがないことが次々に頭に浮かぶ。イライラする時は現場に入り込んで物の流れに目を凝らした。余計な雑談などすると人を怒鳴り飛ばしてしまいそうからだ。会社の大ピンチ、とみんなが僕の一挙手一投足を見ているのだ。火災勃発から三週間目はまさに全力疾走で過ぎた。週末には密かに自宅でムチャ酒を飲んだ。ずっと飲まなかったのだ。車で通勤していたので帰りに飲めないし、元々普段から肝臓が悲鳴を上げていたので、翌日午前中を棒に振りかねない。不思議なことに毎日がドタバタしている割に二日酔いにならないので体調がいい、という珍現象を味わった。

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製造現場血風録ー復興

製造現場血風録 (開発の蹉跌)

製造現場血風録ー補給・兵站

2013 OCT 27 13:13:04 pm by 西室 建

6月25日。緊急対策打ち合わせで、増産のための材料手配、四半期末の決算対策のための資金移動停止、現地で暫く使用見込みのない副資材の日本返送等、を例によって即決。ツベコベ言う奴もいるには居たが無視していたのでいつしか僕と生産計画担当部署は『緊急対策本部』と呼び習わされていた。そう言えば僕は営業・企画専門だから事業部長というものになったことがない。一度なってみたいなー、と思ったことがあったが緊急対策本部長とはシャレにならない。

この時点で新規出荷明細は膨大な出荷リストとリストラによる製造能力不足で、土日に強制出勤させてもとても捌ききれる代物ではなく到底無理なことは分っていた。しかし昨日送られて来た現場写真を良く見ると、出荷前の梱包はススもついておらず水も被っていない。こいつを出荷できればなー、と会議をやるのだが誰も結論が出せない。いい加減にアタマに来て                                       「ハラを括って出荷しろ。本部長命令だ-!」                         とやったところ、品質保証部長が                                「それでは私が行って見て見ましょう。」                                    と申し出て納めてくれた。早く言えよ早く。ついでに損害補償・保険請求・復旧手配・現地からの応援(日本での増産対応の人手)、といった事務方要員に、この4月に移動してきたばかりの担当者もつけて第二陣として明日派遣することとした。

26日(金)の朝方、台北のホテルから出張中の営業担当取締役から電話が入った。ユーザー間では既に火災の噂が駆け巡っており行く先々で『ウチの材料は大丈夫なんだろうな。』と聞かれている、とのこと。各社ナーバスになっており、一社にばかり傾斜供給すると直ぐにバレて大騒ぎになりそうなのだそうだ。急遽予定を変更して来週前半まで台湾に滞在し納期調整をするので出荷状況を知らせて欲しい、と懇願される。そんなもんこっちだって分からんものをどうしろと言うのか、と言いたいのを飲み込んで土日の進展を待て、と指示。

出勤してみると、今度は現場から『土曜はギリギリでシフトが組めたが日曜は人が集まらない。』との悲鳴が上がる。うっかりしていて第二工場では全従業員に訴えたが第一工場ではスタッフにしか伝えてない。急遽昼休みに集めて現地の写真を見せ、この際社長を引っ張り出して従業員にお願いする。

更に困ったことに来週初め、中国の合弁会社で薫事会があり現地要人及び海外工場の幹部が集まる。代わりを立てるかどうか迷いに迷ったが、すでに客先にまで火災の噂が回っていること、共同出資者に不安を与え兼ねないこと、第一僕自身が慌てふためいていると周りに感じさせたくないこと、等から一泊二日でトンボ帰りすることにした。週の頭が留守になるが致し方ない。この頃には各人各部署が自分の仕事を守るために(国内向けの出荷は続いている)情報が錯綜して、今までの現地とのホット・ライン一本では混乱を起こしかねなくなり、本日からは現地の日本人も5人となるので、日本語の通話のみは一元管理を解除した。夕方になって到着した品証チームから『既に梱包された製品は出荷可能』という喉から手が出るほど欲しかったデータが届いた。これで一週間は寿命が延びたことになる。

これは関係ない話であるが、中国では同じ敷地にグループの別の事業体も進出しておりヘッド・クオーターから監査チームが同時期に現地入りしていた。本稿の趣旨ではないので詳細は控えるが、発注上の不備が指摘されてしまい対応のテンヤワンヤに僕まで巻き込まれてしまった。後日現法の社長のクビが飛んだ。帰りのフライトで殊勝にも「オレが行くとみんなトラブルのか」と我が身の不徳を反省したりもした。

大陸の薫事会をサッサと済ませて帰国し、月が変った7月になると現場は混乱の極みとなっていった。特に検査、梱包といった下工程がネックとなってブツが滞留していた。おまけに先週現地から日本へ返送させた副資材が未整理で、又日本仕様と微妙に違うため一度洗浄をかけなければならない物が含まれていた。それでは、と人員を急遽配置したところで、一体何がどこにあるのか分らない状態に陥った。これは一種の人災で対策本部員となっている幕僚の一人を交代勤務に投入せざるを得ない事態だった。ギリギリ納期が繋がっていた一週間が過ぎたが、全く展望が開けない。

土曜も日曜もないのだが、幹部はどちらかに出ることにして(現場には個別に代休を取らせた。労基所及び組合対策)4日’の土曜日に出てみると恐れていたことが起こってしまった。副資材洗浄で残業が続いた担当者が緊急入院し、翌週月曜に即手術、人工透析することになってしまったのだ。元々持病があった上に黙々とやるタイプだったらしく、聞くところによれば朝の3時4時まで工場に居残ったそうだ。前日要員投入を決めた矢先だったが一手遅かったか、と臍を噛む思いがした。翌週に人事部長と工場長を呼び、事情を聞いたのだがロクに事態を把握しておらず、カッと来て怒鳴りつけてしまった。

「一体何を管理しているんだ!」

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製造現場血風録ー火災勃発

製造現場血風録ー全力疾走

製造現場血風録ー復興

製造現場血風録 (開発の蹉跌)

製造現場血風録ー火災勃発

2013 OCT 24 11:11:36 am by 西室 建

2008年にリーマンショックを起こし、翌年はどん底の稼働水準でどのメーカーものたうち回っていた。ここまで世界中ダメならば何をやってもどうにもならず、いっそ何も考えない方がいいくらいなのだが、組織というものはどうしてももがきたがる。一番いいのは「この際だからいつもは手つかずの××でもやろう。」という指導者だが、往々にして「このままでは潰れる。何とか売りを伸ばせないか、何かないか。」と提案を求めるのが普通のボンクラ経営者だ。無論できるリストラはやれるだけ「この際だから・・・・。」でやるのは当たり前だが。僕はそういう時は何もしないで、普段目の届かないような現場の隅をかたずけたりしていた。

朝から海外の電話が多かった。やれ、今日の出荷は保留になった、だのナントカが間に合わない、等々。東南アジアに2カ所ほど分工場を運営していて、英語・中国語が日常的に飛び交う状態なのだが、その日は何かが違っていた。そして現地から一本の電話が入った。某国の現場の炉が発火して夜勤明けに火災が発生、消防が出動して1時間以上消火、何とか消し止めたものの現場は封鎖されて中には入れない状態で被害全体は把握不能・・・・。

至急幹部を集めたのだが呆然としている。思いつくままにボードに項目だけを書き出させて『納期・バックアップ能力・製造移管・人員応援・損害・保険・・・・』といった縦軸が羅列される。横軸には『シェア低下・信用喪失・棚卸し』と続くがその右側の対策の欄までは埋まらない。僕自身が企画し、手塩に掛けて育ててきたこの工場の将来に暗澹たる思いが沸き上がってきた。

「直ぐに現地に行ける奴はいないか、今からだ。」

思わず口をついた。が、顔を上げる奴はいない。我慢比べだ、全体の気迫が迫ってくるまで指名するわけにはいかない。普段おとなしい設備部長がそーっと目を上げてくる。そうこなくては。

「わたしが、行ってきますか?」

するとその隣に座っていた製造部長も「私もいきます。」と言う。お前の方はどうでもいいんだが、猫よりは役に立つか。早速手配した。さすがに夕方のフライトは取れず、香港経由も検討したが結果翌朝一番となった。

とにかく現地の状況を逐一確認しなければ、僕の独断で現法社長の携帯との間に情報を一本化し、1時間おきに連絡させることに指示。他から頼まれたり聞かれたりしても回答することをやめさせた。幸い犠牲者、怪我人はいないらしく、最悪に事態はまぬがれたようだが、全体把握は遅々として進まない。「中には入れるようになったが電気がつかず、何がどうなってるのか分らない。」「明け方のクルーは消防のインタヴューを受けていて原因は分らない。」「クリーン・ルームには入れない。消防の水が溜まっていてプールみたいだ。」「油の臭いがひどい。」入る連絡はこちらの不安をかきたてるものばかり。

ここで解説だが、日本では工場火災などが起こると警察の現場検証等で操業などできっこないが、某国では警察が調べるのは故意かどうかだけで、事件性がなければ無罪放免であとは消防の原因調査があるだけ。それもいいかげんなものらしい。

出荷明細を、某国の本日分のデータを取り込んで明細を打ち出させてみると、この不況下にして東南アジアの大ユーザー(某国含め3カ国)向けのデリバリーが目白押しで、国内第一・第二工場をフル稼働させても絶対に間に合わないことがはっきりした。この大ユーザーは我々のシェアが高く、このままでは製造ラインがストップする。間の悪いことに営業担当取締役は台湾に出張していて一週間は帰ってこない。その大ユーザー(米系)には正直に火災を起こして一週間程度は納期が混乱する、と伝える決心をした。しかし一週間後の納期といっても殆ど無茶なものであり、今後の増産対策はこれからだ。結果は今日中には出ない。なにしろ人減らしをしたばかりなのだ。

夕方になって今回の事故報告の第一報が文書になった。ここはさるメーカーの新規材料部門が独立した分社で、普段は放って置かれているが何かあるとヘッド・クォーターが箸の上げ下げまで口を突っ込んでくる。まずは知らせなければならない。6月23日のことだった。

翌24日(水)は久しぶりに朝から現場のミーティングに出た。いずれにせよ現場には相当の負荷がかかるため是非自分の言葉で協力を願いたかったからだ。定例報告のあと一気にまくしたてた。

「知っての通りアジア拠点で火災をおこして被害は甚大だ。復旧は見当もつかない。この第一工場よりも生産規模が大きい現場がダウンしたんだ。ムチャは分っている。だがここでユーザーのラインを止めたら現地は潰れる。みんなで助けてやってくれ。」

車で1時間ほど離れた第二工場にも直接駆けつけ、こちらは昼食後全員を食堂に集めて同じことを吠えた。たった3月前に長年勤めていたパートタイマーにお引き取り願い操業シフトを落とし、更には海外生産シフトを進めた矢先である。人が足りないの大合唱だ。第二工場の空きスペースを転用・運転再開をその場で決めた。恥をしのんでの派遣・応援要請もついでに決めた。3ヶ月予測も原則論も何もない。

第一工場に戻るとやっと被災現場に入れた現地スタッフから生々しい写真が送られてきた。天井は焼け落ち、炉の設置場所は真っ黒焦げ、屋上の梁は高熱で波打っている。フゥーッとため息が出た。

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