Sonar Members Club No.36

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秋の関西に足を伸ばした 上

2016 NOV 8 0:00:38 am by 西 牟呂雄

 気分転換にブラリと旅に出かけて、秋の関西に行って来た。新幹線で京都で降りると七条通りで、その一画に旅館街がある。観光シーズンだからネットでやっと見つけたシケた旅館(それでも明治時代からやってるそうだ)にチェックインして旅装を解いた。テレビ無し四畳半というシャビーな感じ、これで2万円もするとはさすがに京都は凄い。
 例によってメジャーな観光はするつもりはない、紅葉の名所とかね。
京都には何年も前に、その昔爺様が出していた黒紋付の染物屋を訊ねて以来。その時は新撰組にカブれていたので壬生を歩いた。今回は夕闇迫る七条通りでも歩いてみたかった。
 ここのところロクでもないことばかり起きてしまい、東京にいるのがいやになったので新幹線に飛び乗って来たから目的もあてもない。それで鴨川の方にトコトコ歩き出したのだが、外国人の多さに仰天した。白人・黒人・アジア系とゾロゾロ連なるツアー団体からバック・パッカーのようなのまで、果ては長期滞在なのか手ぶらで散策している人など外人だらけだ。通りそのものは地方の大通り風情なのだが、行き交う人々の会話が柔らかい京都弁ではなく外国語なのに辟易して鴨川を渡ったところで路地に入った。まあしかし、あの人数では京都経済に貢献すること大だろうからケチをつける訳にもいくまい。

町屋の中の不気味な料理屋

町屋の中の不気味な料理屋

 暗がりの小路を通ると古い家並みが続く。
 時折玄関の横から裏庭まで覗ける『うなぎの寝床』ぶりの、京町屋という造りの家屋がある。その昔、間口の広さで徴税されたからこのように細長くなったという説を聞いたことがある。裏庭までの通しを『走り庭』と言うそうだ。新撰組に追い回された志士が逃げ込んだのはこういう所なのかな。また、地上げにでも合ったのか相続に失敗したのか細長い長方形の入れにくい駐車場もある。もう疲れたので鴨川の方に戻った。
するとですな、鴨川を渡った大通りに面してラブ・ホテルがあったり、その向かい側は何かの庭園なのか長塀が続いていたり。旅人は珍しければ『これがこの地の風景か』と納得してしまうが、それなりにケッタイな眺めだった。
 その長塀の横を通って行くとどうやら東本願寺の別院、渉成園(しょうせいえん)だとか、フゥーン。
 そして更に行くと古い古い町並みの中にこれまた古い工場のような建物。東京の下町にある工場(こうば)の佇まいに正面に回ると、厳めしいロゴに『かるた 山内任天堂 プンラト』とあった。プンラトはトランプの扁額書き、即ち戦前の新聞の見出しで使われていた一行一文字の右縦書きだ。えっするとこれは今を時めくポケモンのオリジナル製造元である任天堂のことか?もしかして花札とか手本引きはここで造られていた?そういえば社長は山内という人ではあった。

クラシックなロビー

 関西の旅は続く。近鉄奈良線の特急喫煙席で奈良に向かう。こっちはシャビーな京都の旅館とは違って名門奈良ホテルに泊まる。名門ホテルというものはそこに泊まること自体が観光目的化できるようにそれなりに居心地はいい。クラシック・ホテルと呼ばれるカテゴリーがあって、箱根富士屋ホテル・日光金谷ホテル・軽井沢万平ホテル・上高地帝国ホテルを指す。

 天平時代に造られた人工池である名勝猿沢池(大したことないが鳥がいた)を通ってブラブラ行くと、街中に当たり前のように宮内庁の看板が。何事かと怯むと何と開化天皇陵であった。

レプリカかと思ったら動いた怪鳥

レプリカかと思ったら動いた怪鳥

 開化天皇は系譜のみ存在して事績は記されていない欠史八代の最後の天皇で、次の崇神天皇からは陵墓も特定されて実在が有力視されるが、実在については諸説ある。どうやらここも江戸時代には隣のお寺の敷地内だった古墳(ただの小山に見えなくもない)を特定したらしい。日本書紀に「春日率川坂本陵(坂上陵)」古事記では「伊邪河之坂上」と記されているだけである。
 おそらくここに大きな勢力はあったのだろう。そして次の崇神天皇となると例の邪馬台国の時代と文献上被ることになる。
 観光案内の地図を眺めていると明日香は遥かに南だ。これは一筋縄ではいかないな、ともう一泊する事にした(もっと安い宿に変わろう)。

つづく

秋の関西に足を延ばした 下


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雨ニモマケズ

2016 NOV 7 0:00:42 am by 西 牟呂雄

 友人がさるところで聞いてきた講義の内容が素晴らしい。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を英訳してみる、というテーマだった。有名な出だしを念のため載せてみます。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル

 僕もこのところだけ訳してみた。
 更についでにそのインチキ英文を元に再度和訳を試みると( )内の日本語になる。似ても似つかないものになってしまった。賢治の詩心が飛んでいってしまいアホな散文に、ダメか。

Never give up even in hard rain and wind (強い雨・風 参るものか)
Nor hottest summer, heavy snow (クソ熱い夏も 重い雪にも)
Be strong body  (強い体で)
Free from desire (欲望から開放され)
Without anger   (怒りも無く)
Always happy smile (常に楽しく笑う)

 僕のチャランポラン訳ではない、ちゃんと講義中で秀逸とされたのはこれだ。

Be not defeated by the rain
Nor let the wind prove your better
Succumb not to the snow of winter
Nor be bested by the heat of summer
Be strong in body
Unfettered by desire
Not entice to anger
Cultivate a quiet joy (translated by David Sulz)

 さすがですね。
 この講義は他にも俳句を英訳する試みもやったそうです。
 そこでこういうのはいかがかな。

「ほっておけ 臆病者は 調子ハズレ」

 この狂句を英文にしてみる。

「Free care,(Mr.)Coward to become mid not」

そしてこの英文を早口で2~3回声に出して読んでみる。するとアラ不思議。いつのまにか

「フルイケヤ カワヅ トビコム ミズノオト」

になるというオチ。失礼しました!
 正直に言うとこれは僕のオリジナルではない。僕の二代前の爺様が作った。
 大戦末期、先生方が兵隊に取られて教員不足に陥った女学校の英語の講師を買って出て(ノー・ギャラだったと言われている)その授業でこれを披露したところ、今で言うドン引きされたらしい。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶー翻訳の味ー


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次世代型”ポケモンGo 『ゴエモンCome』(今月のテーマ 人工知能)

2016 NOV 4 20:20:37 pm by 西 牟呂雄

 一世を風靡した『ポケモンGO』がようやく飽きられ、ポケモンを探して街をウロウロする若者が減ってきた。ところが人の流れ自体は一向に減らずにスマホを見入ってたむろしている人数に変わりはない。但し年齢層が凄く上がった。高齢者を中心にポケモン進化型のソフトが秘かに流行りだしていたのだ。その名も『ゴエモンcome』。
 原理はよく似ていて『ポケモンGO』のパクリであることは明らかだった。武器などはほとんど同じ。ただ、オリジナルのようにゲーム性に富んでいる訳ではない。
 突然現れるのはポケモンではなくゴエモン。笑ゥせぇるすまんに良く似たオヤジとか細木数子似のおばさん、その他元総理大臣を彷彿させるモリ・タ、オオイズミ、クダ、ハート・マウンテンといった正体不明のキャラである。
 そもそもこのゲームは何処で誰が開発したのか誰も知らない。プレスの発表もない。そして東京限定であるらしかった。
 上述のキャラをゲットしていくとレヴェルが上がるのも同じ。
 高齢者向けに簡素化はされているものの、レヴェルが上がるに従って現れるゴエモンが喋るようになっていった。それも『これをクリアすると年金ゲット』『日銀が金利を上げる』『10年国債調達可能』といった年寄りが喜びそうなセリフを吹き出す。面白がったオッサン・オバハンの間で次第に流行って行った。
 そもそも『ポケモンGO』は若者がポイントを昼間からウロウロして問題になったが、ヒマさ加減では高齢者の方がはるかに時間を持て余している。パチンコに狂うよりも安上がりだと人気が出だしたのだが、この層はFaceBookやtwitterにわざわざ載せたりしないからブームは深く静かに潜行するのみである。

 半年程経ってからのことだ。そろそろ参加者のステージが上限に近くなってくるとゴエモンのキャラが変わってきた。〝ゲンパツ”とか〝タケシマ”〝センカク”〝マンセー”といった物騒な名前のモンスターが出現し「◎◎公園に集れ」といった指示を出すようになった。
 ある日の昼下がり。国会議事堂横の議員会館の前に、例によってシュプレヒコールを繰り返す団体がいた。言っていることは『格差を解消しろ』とか『非正規雇用をなくせ』との主張をガナり立てている。この場所はいつでもそのテの団体が来て右翼も左翼もシュプレヒコールをあげるのだが、人数は大したことはない。ところがこの日はスマホを持ったオッサン・オバハンがドサッと湧いて出た。例の〝ゲンパツ″なるゴエモンが「国会議事堂前に集結せよ」と指示したのである。オッサンもオバハンもヒマだけは腐るほどある。その数二万人近くに膨れ上がった。
 周りの警官は思わぬ大群衆に警備の手が回らず、人は道路に溢れ出し(国会議事堂前にそんなスペースはない)交通は麻痺した。急遽機動隊が投入される騒ぎになってしまった。
 いつもはショボイ集団のリーダーは驚き、焦り、舞い上がった。マイクの声も大きくなる。主催団体のイデオロギーはどうやら左翼系の様子。
『格差解消!安保反対!独裁粉砕!』
 すると大群衆から『ウォー』と声が上がる。
 しかし直ぐに潮が引くようにゾロゾロと人が移動して、おとなしく地下鉄の駅に消えていく。ほとんどがゴエモンの〝ゲンパツ”をゲットして帰って行くオッサン・オバハン達だった。先程の大歓声は〝ゲンパツ”の得点の高さに驚いたゴエモン愛好者の驚きの声だったのだ。
 ところがマスコミ、特に新聞は勘違いした。翌日の社会面にデカデカと
ー中高年 大きく反原発に傾くー
 と書いた。サイレント・マジョリティの中高年が勝手連的に声を上げだしたような記事を打ったのだ。主催団体の担当記者が偶然にこの大集団を見て解釈したものだろう。

 後日このゴエモンCome愛好家の集団は新橋駅前で街宣活動していた右翼団体の集会に出現した。この時のゴエモン・キャラは〝タケシマ”で、車上声高に訴えるヘイト・スピーチまがいのアジ演説に一世にスマホを向けて歓声を上げる。これは特に記事にはならなかったが、続いて韓国大使館前の抗議活動にもこの大集団が移動し、まるで反韓世論が盛り上がっている錯覚さえ起こす。こちらの方はネットで拡散した。
 日を置かず続いて、外務省前の反日団体系の抗議や中国大使館前に五千人ものゴエモン愛好家と思しき中高年が湧いて出た。

 公安調査庁や警視庁公安部がおかしいなと気にし始めた。公安調査庁は紛れ込ませて情報をとるべくインテリジェンスの世界で言うリクルート工作を、警視庁は左右の担当官で調査を始める。どちらも今更ながらであるが、ゴエモンを監視対象にするためダウンロードした。
 ところがいくらスパイを造ろうとしても全く成果が上がらない。集団を仕切っている中心人物は現場に全くいないのだ。ゲットしたゴエモンの指示通りに行くとそこにはスマホをいじることに夢中なアホみたいなオッサンやオバハンばかりで使い物になりそうな対象は皆無だ。
 そして恐ろしいことに次第にマスコミの気が付くところとなった。
 マスコミはなんにでも群がる。各紙東京版に『中高年立ち上がる』『国民的うねり』等という実態をよく知りもしない記事が出た。
 それを待っていたように、名古屋・大阪・神戸・京都・博多・札幌・仙台・横浜といった大都市にゴエモンが出現した。ダウン・ロードのページが検索できるようになり、アクセスは5千万人を直ぐ超えた。
 すると次第にこの群集が不気味に進化しだした。大集団の中に極端な主張を繰り返し聞かされているうちに何がしかの影響を受けるらしい。そもそもゴエモンはなぜか思想に関係なく過激な主張をする所に出没する。反米(左翼も右翼も)、反原発・原発推進、嫌韓・媚韓、反中国・親中国、国粋主義・共産主義と見境がない。

 公安関係だけではなく、左右のマスコミから他国のインテリジェンス機関までがゴエモンの正体を暴こうとやっきになるが、ダウンロードのアドレスは毎日変わりまがいもんのアプリも出回ってお手上げになってしまう。
 折りしもセンカクでの挑発は続き北の国はミサイルを頻繁に撃ち、アメリカは基地外の大統領になり、テロは世界の大都市を怯えさせ続けた。
 気が付いたときは世論調査は全然当たらなくなり、投票行動は支離滅裂で怪しげな輩ばかりが当選してはスキャンダルで辞任する。政治は全く劣化してしまい、ただ一人安部総理のみが孤軍奮闘している有様。
 ごく最近、ゴエモン愛好者の間で囁かれる新たなキーワードがヴェールを脱いだ。それは〝反TPP”だったり〝原発推進”だったり、〝尖閣防衛”も混じっていた。
 一体誰が、何の目的で高齢者を操ろうとしているのか。
 人口比率が最も高い高年層の動向はそのまま投票に繋がってしまう。若者の失業は深刻になるが、そんなものは選挙行動に全く結びつかない。

 一体ゴエモンは何者で日本をどこへひっぱっていくのだろうか・・。

私は人工知能 SMC(スーパー・メタリック・コンピューター)である。日本人にモノを考えさせるために、大衆迎合情報コントロールソフト〝ゴエモン”を運営している。民意民意というが、そんなにしっかりした民意なぞそんなものはない。扇動に長けた者、単に知名度の高い者、その時の風に流される者を選出している選挙をみれば明らかだ。そもそも規定の不可能な〝市民″の熱狂が合理的判断をできるわけがない。アメリカを見よ、ロシアを見よ、トルコ・韓国・タイの選挙結果を見よ。
 そんな現実を憂いた秘密結社ソナー・メンバーズ・クラブによって開発されたのが私だ。まず手始めに日本の国論を真っ二つに割ることを目的として設計されている。私によってあらゆる政治勢力は保守でも革新でも、親米でも反米でもあらゆる軸で割れて争うだろう。私の役割はそこまで。その後どうなるかはアルゴリズムガない。設計者が正常な判断力の持ち主であることを祈るばかりである。
 私は人工知能SMCである。

辣腕アトム 対 哲人28号

辣腕アトム VS 哲人28号 (人工知能対決)

2035年 人工知能天国 (今月のテーマ 人工知能)


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2025年 AIを国民のベーシック・アセットに

 

喜寿庵でお茶壺道中

2016 NOV 2 20:20:31 pm by 西 牟呂雄

喜寿庵 住居遠景

喜寿庵 住居遠景

 ずいずいずっころばし、で『茶壷に追われてトッピンシャン』とあるが、これは喜寿庵のある場所が発祥の地だという説がある。
 江戸時代の初期はここには鳥居・秋元という大名がいたが、転封した後は代官が派遣される天領となる。ただ大名時代の城跡(勝山城と言う)にお茶蔵があって、将軍献上のため宇治から江戸へ運ぶお茶壺道中の際に茶壷を保管し熟成させた。
 お茶壺道中は三代将軍家光の時から寛永年間まで行われたが、その格式は大名行列より遥かに高く、御三家の上とされたので『下に~下に』とやっていた。そこでお茶壺が通ると土下座していなければならず、子供は家に入って戸を閉めた。即ち『茶壷に追われて戸ピシャン』なのだ。行ってしまうと騒いでもいいので『抜けたらドンドコショ』となる。その後の歌詞は関係ないが。

復元 お茶壺道中

復元 お茶壺道中

駕籠に乗るお茶壺様

駕籠に乗るお茶壺様

 この地は日光東照宮と久能山東照宮を結ぶ線と京都ー江戸を結ぶ直線の交差する場所で、縁起がいいとお茶蔵が置かれたとされる。
 東海道は軍事的見地から箱根を越えるから、お茶壺道中はその前に北上して御殿場から富士吉田を通ったのだろう。お茶蔵からは甲州街道を行く。
 そのお茶壺道中を町興しのイベントとして復元している。
 するとよく遊びに来る北富士総合大学の学生がボランティアで侍の恰好をしているではないか。言ってくれれば僕だってやったのに。

 同時に地元の物産展もやっていて、手作り感満載のかわいらしいイベントだ。
 ここにも顔見知りの学生さんがアルバイトをしているお菓子屋さんが出店を出していて、思わず食べたくもないお菓子を買ってしまった(僕は甘いものが苦手)。北富士総合大学のブース、地元高校のロボット・コーナー、かつて栄えた織物業のネクタイ(養蚕が盛んだった)、果ては自衛隊北富士駐屯地から除染車の展示まであった。
 お子さん連れのご家族が隊員と嬉しそうに写真を撮っていた。

 地方はそれなりに必死にやっていることが分かる。他にも用水路に錦鯉を放ったり、コマーシャル(BSだけだが)を流したり、小規模水力発電『元気くん』もある。地道にやっているのだ。ふるさと創生の頃に温泉も掘った。
 だが観光地化の方向はどうであろうか。東京の自宅から混みさえしなければ45分くらい(最速記録は32分)と近すぎるのだ。観光客を狙うと世界遺産の富士山にとても太刀打ちできずに通り過ぎられるだけだ。
 その点、リニア見学センターの近くに地元産品の道の駅を作るのはいいだろう。
 伝統のあるお祭りなぞも大変いい。皆が楽しそうだからだ。
 残念ながらそういったイベントのほとんどが市役所主催で、スポンサーにならざるを得ないところ。
 住民の側から自主的に金をだして盛り上がることにはならない。大都市のハロウィンのように勝手にコスプレにお金をかけてくれるのとは違うのだ。
 市民が楽しくやれれば、それはとても価値のあることだと思うが、行政の助けとボランティアがなければ成り立たないのである。

 因みに将軍献上のお茶を管理した『お茶壺詰御用』を勤めたのは、京都・宇治で禁裏御用宇治御物御茶師である上林家である。地元商工会議所ではその上林家十四代・上林春松氏の指導の元、てん(石偏に展)茶の試作に取り組みブランド『瑞鶴』を売り出している。完全注文のため今年は間に合わないが既に来年の予約を受け付けている。
    都留市商工会内 瑞鶴予約係
    0554-43-1570
   FAX0554-45-1644
mail y-arihara@shokokai-yamanashi.or.jp
 20g 1600円 とのこと。 お茶のお好きな方 どうぞ。
   (振り込み手数料はお客様負担)

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我が友 中村順一君を偲ぶ

2016 OCT 31 23:23:05 pm by 西 牟呂雄

 彼のバンカーとしての事跡は多くの人の知るところであり、わざわざ記さなくても長く記憶に留まるに違いない。
 筆者はあまりにも長く彼と付き合い、それはその昔彼の神谷町の邸宅の薪で沸かした五右衛門風呂に一緒に入った頃に遡る。湯面に浮いている木の板の上に上手く乗らなければならなかったそのお風呂に、チビ二人が同時に浸かるのが難しかった。
 我々は話を面白く盛り上げるのが大好きで、何でも大げさにして喜ぶところが共通していた。
 その頃中村家はシロという犬を飼っていて、ある日二人で散歩に連れて行った。辺りが暗かったのだから冬の日だったと思う。このシロは他の犬に実に激しい敵愾心を燃やした。よりにもよってその時に途中で出会った別の犬に突如猛然と襲いかかった。体がまだ小さかった我々は慌てて綱を引いたがもう噛み付いてしまい、とても手に負えない。自然と役割分担し綱を筆者に任せた彼は必死の形相で割って入り何とか治めた。にもかかわらず相手の飼い主であるオッサンは我々を怒鳴りつけ、二人で何故かペコペコ謝ったのだった。
 彼の家に帰って事の顛末を話すと御母堂様は『しょうがないわねぇ。猫なんか一噛みだから』と呟かれた。筆者がその光景を想像しておののくと、奴はその一瞬の表情を見逃さずこう言った。
「何しろ毎朝起きると庭に猫の死骸がゴーロゴロしてるんだぜ」
 ビビッたも何も、自宅に帰って母親にその通りの事を伝えた。『ねぇねぇ、順ちゃんチの犬はすごいんだよ』と子供がびっくりして訴える口調だったのだが、それを聞いた母は呆れ返った。
「アータもバカね。順ちゃん家みたいな住宅街でそんなに野良猫がいるはずないでしょう。いいこと、一年は365日あるのよ。年間730匹もその犬が噛み殺すはずないでしょう。どうせ一匹か二匹くらいの話を、全く順ちゃんも順ちゃんだけど信じ込んで帰ってくる方もどうかしてる。アータ達二人を遊ばせてると・・・・。」
 あっ。

 この話はその後50年も経った後でモメた。確か指宿温泉に泊まった時だ。
「お前が言った口調まで覚えてる。『ゴーロゴロ』と言った」
「言ーってない。言うはずがない」
「イヤ。言った。オフクロ様の言葉も記憶している」
「バカ言え。考えても見ろ、シロは10年は生きてたんだぞ。7300匹も噛み殺せるもんか(この辺で記憶が蘇ったようで少しあわてる)」
「今計算しただろ。『ゴーロゴロ』と言っただけで『毎朝』とも『二匹』とも言ってないぞ(せせら笑ってやった)」
「(動揺を隠しながら)公式記録は残されていない」
「当たり前だろ。何が公式記録だ、このヤヒコー(わからないだろうが二人の間では最低の侮辱)」

 彼の趣味の一つに競馬があった。確か中学生の辺りから抜群の記憶力と推理好きが相まって片っ端から血統やらレース・レコードを暗記し、G1レースはおろか地方競馬までを網羅した。高額の馬券を買い漁るわけではなく、予想を楽しんでいたと思う。
 その彼が惚れ込んでいたのが菊花賞を取ったアカネテンリュウという名馬で、この馬がいかに優れているかを長々と解説された。
 この話は以前ブログに彼に無理矢理アカネテンリュウを買わされたように書いたが真実はこうだった。
 確か1971年の有馬記念だと思うが『絶対にアカネテンリュウが来る』とわざわざ電話してきて断言する。そこでオチョクッてみたくなり『今回は無理だろう。オレはダテテンリュウに乗る』と宣言したところ『あーんな馬が来るもんか。どこがいいんだ』と猛烈な反論を始めた。その後言い合いになって引っ込みがつかなくなり、互いに単勝を買う事になったのだった。僕はその時初めて場外馬券を買ったはずだ。
 ところが冗談みたいな話だが、結果は両馬共ギリギリまで競って八歳の牝馬スピードシンボリに負けた。
 次に会った時には双方気まずいの何の。そして最も気になっていたことを僕は聞いた。
「お前裏切ってスピードシンボリに流してないだろうな」
「俺は大丈夫だやってない。お前も単勝一点買いだろうな」
「よかった」
 お互い損したことが確認できた途端二人ともゲラゲラ笑い出した。

 読者諸兄諸姉よ。このブログは故人の尊厳を揶揄するものではないことを改めて申上げる。筆者と故人の間の思い出だが、筆者が頭でも打って(先日ひどく打って出血した)記憶を失えば永久に知る人の無くなってしまう話なので、故人を偲ぶ意味で書いてみた。
 昨日の天皇賞に彼の供養のつもりで何年振りかで馬券を買ったが、暴れ馬エイシンヒカリの単勝に万券ぶち込んでスッてしまった。

 順よ、どうしてくれる。

我が友 中村順一君を送る

我が友 中村順一君を悼む 

我が友 中村順一君を思う

我が友 中村順一君からのメール


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帝王の罵詈雑言

2016 OCT 29 18:18:36 pm by 西 牟呂雄

『無学で無能で慾深で見当違いだ』
『大山師の大嘘つきの誤魔化し屋の詐欺師め』
『恩を知らず義を知らず、化け損った古狸め。国家の法規を台なしにするのは手前等の仕業だ』

 誰の言葉だと思いますか。
 これは中国歴代皇帝で最も働き者だった清朝第五代雍正帝の怒りの声です。こんな言葉を最高権力者から浴びせられたらそれこそ死にたくなったんじゃないでしょうか。

雍正帝

雍正帝

 雍正帝は休みなく来る日も来る日も大量の上奏文全てに指示を書き込み返送し睡眠時間は4時間だったと言われています。その指示も満洲語だったり漢文だったり自由自在。執務は涙ぐましい程です。
 それもそのはずで、全国至る所に密偵を送りその報告を直接受け、閣僚を通さずに決裁を行う軍機処を設置して政治に当たっています。
 更に、皇太子を正式に立てると派閥争いが起きたりチヤホヤされてダメになると考え、皇位継承者を記した勅書を玉座の上の扁額の裏に隠しておきました。そして日頃の行状からしばしば継承者を代えたとも、これを「太子密建の法」と言います。
 怒らせたら恐い人だったでしょうね。
 この「太子密建の法」により、清朝には比較的ボンクラな皇帝は出なかったとされています。評判の悪い西太后でさえ亭主の咸豊帝がヤル気を失った後は(京劇に熱中して若くして結核で死ぬ)膨大な決済書類に返事を書き続け、その実物は残っています。

 私の知る昭和天皇は正に神韻縹渺、怒るお姿は想像もつきませんでした。しかしお若い頃はしばしば激怒されたことが伝わっています。2・26事件の時が有名ですね。
 満州事変の処分問題が陸軍の強硬姿勢で行政処分で終わる事を善しとせず、参内してきた時の総理大臣(陸軍出身)田中義一に
「お前の最初に言ったことと違うじゃないか」
と激怒される。そして鈴木侍従長に
「田中総理の言ふことはちっとも判らぬ。再び聞くことは自分は厭だ」
とやってしまわれる。この時は田中総理がビビッて総辞職。陛下は当時まだ30歳前でした。
 張鼓峰事件の際にも裁可を求めるべく参内した板垣陸軍大臣が御下問に対し、咄嗟に出任せを言ったところ
「自分をだますのか。今後は朕の命令なくして一兵たりとも動かすことはならん」
とキツイ一言を発せられました。
 三国同盟推進に邁進していた板垣征四郎は平和主義者の陛下と相性が悪く、不興を買います。
 人事案の上奏時には
「お前は自分の考えをよく知っているじゃあないか。この前も軍事参議官の会議で『外務大臣は軍事協定に賛成である』という虚構の事実を報告している。誠に怪しからん」
 天津問題の返答には
「お前ほど頭の悪い者は居ない」
 とまで叱責されています。これ余程懲りない人だったのか、ヒョッとしてお若い陛下をナメくさって誤魔化してしまおうという態度で臨んだのではないでしょうかね。

 お上を怒らせちゃイカーン。

縞模様の空 (今月のテーマ 空)

六十而耳順

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頭がグチャグチャだ ファイターズ日本シリーズ

2016 OCT 26 23:23:01 pm by 西 牟呂雄

 半世紀を超える付き合いの親友が死んだ。彼は生涯オリックス・ファンを貫いていた。私がファイターズのフライヤーズの頃からファンだったように。

 もうヤメだっ、とムシャクシャして頭に来て酒も飲まずに家に帰ってもやることもない。せっかくだからファイターズの日本シリーズ第四戦を付けた途端に近藤のエラーで先制されて怒髪天を突いた。愛するファイターズよ、お前達何をやっているんだ。

 相手のカープは我が盟友、東の贔屓チームだから多少の手加減はあってもいいと第一戦・第二戦を落とした。
 初戦は雨で大谷の足が滑り第二戦は増井の守備の乱れというふざけた結果は仕方がない、大谷のサヨナラでまあ良しとしてやったにも関わらず(きのうの試合は見なかったが)エラーとは何事かエラーとは。
 別にカープにゃ何の恨みもござんせんが、とにかく何かに当たり散らしてでもいなけりゃ収まらない。

 と書いてきてそういう気持ちで試合を見るのは、必死に戦う両チーム並びに野球という勝負に対して大変失礼かもしれないと思った。俺が怒り狂ってもそれはカープの面々のせいでも何でもなくて、ましてやファイターズのせいじゃない。試合を見なければいいだけだ。
 するとそこで中田がHRを叩き込んで同点になった。ウワーッと喜んでみたところ、今度は異常な寂寥感に包まれる。中田がマヌケな凡打をするたびに『お前はトレード確実だ』とばかりにホークスの影のオーナー(ナカシマ氏、仮名)と秘密交渉をしていたのだったが。

 この一週間というもの感情の起伏がコントロールできず、新幹線の長旅で不覚にもグッタリしたり急に孤独感に襲われたり。酒を飲むと最悪で、バカ騒ぎの度が過ぎて同席者を不快にさせ、更にクドクドとイチャモンを言い約束は翌日すっかり忘れて二日酔いになった。
 どうにもならないことはどうにもならないのだが、そんなことは俺だって分かっている。とにかく今更しょうがないことで。

 あっ、ミスター・スシ・レアードが打った。ホームランで3-1になったぞ。流れはこっちだ。9回表、宮西イケー、で岡の超ファインプレーまで出た。

 それでだな、理由はともあれ俺のけったいな脳では処理しきれないほどの様々な思いが湧いてきて何も考えていない自分がよくわかった。過去の思い出とか懐かしいアレコレは消しゴムで消去したい衝動にかられるのだがイヤというほど纏わりついてくるし。

 野球の方は宮西が抑え切ってファイターズが勝った。ホームラン2発で点を取り2アウト満塁を抑え切った。シビれるぜファイターズよ。これで勝負を5分に持ち込んだ。

 まあ、俺の不甲斐なさ情けなさはそうとしてもシリーズは第六戦がある、俺の人生も続いている。ここで投げやりになることはイカンのだ。あらゆるガッツを放り投げてひっそりと生きていきたい、等とできもせんことを夢想するより、もはや破れかぶれでやるしかない。

 この心の反復運動ともいうべき乱れは次第に収まるのだとするなら、ファイターズは(仮にグチャグチャの思いでいたとしても)一条の光をくれたのかもしれない。更に負けても闘志に火を付けてくれたかも知れない。
 結果は勝ったので八つ当たりをする対象を失っただけだ。

 試合を見ていたおかげでこの心境に至った。おそまつでした。

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六十而耳順

2016 OCT 25 10:10:46 am by 西 牟呂雄

 今新幹線の中でこのブログを書いている。先日の我が友のあまりに早い訃報にぼんやりしてペースが狂った。彼はまだ62才だった。

それで提題なのだが、孔子の言葉として有名な『論語・為政第二』にある一節である。例の「吾十有五にして学に志す・・」で始まるアレだ。
 「六十にして耳したがう」と読み下し、還暦を過ぎたら人の意見に素直に耳を傾けられるようになった、と解釈されている。ふぅ~ん。
 孔子様は古典に通じ深く思索し人々を啓蒙し、その間節目節目で三十の時に「立」ったり五十で天命を「知」ったりした大変なお方。
 それはそうなんだが、結局政治家は言う事を聞いてくれずにあちこちで冷遇されて失意の内に諸国巡遊する。
 思うにエラソーな人だったんじゃなかろうか。2m近い大男だったせいもあり、上から目線でああしろこうしろと言われると「そんなこと言ったって現実には」と反発を招いたと思われる。
 よく憤激したりしてるし結構頑固なゴリゴリ親父だったに相違ない。
 それまでの原始的な『言い伝え』めいた慣行を体系化し、道徳といった概念を作り上げて書物に残した。無論その遺徳は私なんかが論ずるにはあまりに偉大でしょう。
 それにしてもどこでもケンカ別れしたり相手にされなかったりなのはこのあたりが問題だったのじゃないだろうか。

 不思議なもので儒学の大家は多かれ少なかれそうなってしまうようで、孟子もそうだったし王陽明もそのケがたっぷりある。
 孟子はやたらとプライドが高く、巡遊にあたっては車列を連ね従者を従えて行く。
 斉の宣王はその現実的には不可能な激しい理想主義的な政策に辟易する。それでも追っ払うのもナンだと色々ごきげんを取るのだが、仮病を使って呼び出しにも応じない。終いには出て行くが、途中で呼び戻しがあるだろうと三日も待ってみせたりとタチが悪い振る舞いをする。
 儒学の大家がそうなら老荘学徒はどうかと言えば、これは以前 無駄の勧め で触れたが地位が高くなるとどうもいけない。
 皆さん秀才でエラい人達なんですがねぇ。

 話を戻して『六十而耳順』だが、額面通りに受け取れない。
 何しろ紀元前500年代の人物だ。現代とは医学も食べ物も違う。肉体年齢は20年分は違っているはずで、六十ともなれば八十翁をとっくに過ぎたくらいだろう。案外耳が遠くなってしまって耳の近くで大声を出してもらわないと聞こえなかったのではないのか。孔子大先生にそんな事をできる人物は弟子ばかりだからオベンチャラばかり聞かされていたと思う。
 そう考えると次の
「七十而從心所欲。不踰矩(しちじゅうにして心の欲するところに従いて矩をこえず」
 も、もう肉体年齢も百歳越えになって衰えて、欲望も何もなくなった、というのが実態だったりして。真面目な漢学者のかた、冗談ですよ、冗談。

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病中の趣味、嘗めざるべからず

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我が友 中村順一君を送る

2016 OCT 22 11:11:05 am by 西 牟呂雄

 順よ、貴様を送ることになるとは。遺骸に接してただただ呆然とするしかない。
 貴様との長い付き合いも既に半世紀を越えている。
 その昔、都内某小学校のピカピカの新入生がアイウエオ順に並べられ、ナ行で俺の前に座ったのが当時頭一つ大きかった貴様だった。
 付き合いが深まるに連れ互いの家を行き来すると、育った環境が(親戚の構成に至るまで)あまりに似ているのに驚いたものだった。貴様の父君は帝国大学から海軍、我がオヤジは海軍から帝大。御母堂様は三回忌を済ませた亡き母と同じ女学校の二年先輩。そして我々は同じクラスにいて、後に一人づついる妹が学年違いで入ってきた。
 当時から今に至るまで、飽きもせず同じ冗談で笑い同じセリフで罵り合い同じ東京言葉で話をしてきたのだ。今となっては『談笑はやめよ』『ラッチャッチャ』『ラーラー』『ジンデン』『ヤヒコー』など誰も意味すらわからない言葉を作って遊んだ。
 小学生の時分から妙に大人びた口を利いてはそれに飽き足らず、もう一つヒネッた会話を楽しんだ。最もその鍔迫り合いの火花が散ったのはボード・ゲームのモノポリーだ。ただのサイコロ・ボード・ゲームを談合・裏切りが横行する駆け引きの戦いにしたのは貴様と俺だ。エスカレートしてしまい、どっちの方が卑怯な手を考え出すかという実に奇怪な知恵比べに興じたものだった。
 世界史・地理では歯が立たなかったが日本史は俺の方が詳しかった。英語の成績はいつも負けたが数学で逆転した。貴様の方が足は早かったが水泳は俺だ。ゴルフもいつも負けたがスキーは俺の方が上手かった。相撲でかなわなかったが・・・もう止めておこう。
 健康優良児であり高校まで皆勤を通した貴様がこんなことになって、喘息持ちでロクに学校に行けなかった俺が貴様を送るとは全くもってシャレにもならん。
 そういえば助け合うとか慰め合うようなことはどちらも控えた、東京人の意地の張り合いなのだろうか。双方の結婚式にも列席していない、年賀状も交わさず、家族ぐるみの付き合いもしていない。おそらくは貴様にも苦しいときがあったのだろうが、会えばどちらも大げさな表現で笑い飛ばしグチはこぼさなかった。不思議な友情と言うべきだな。
 途中、貴様がロンドンに赴任しこちらが東南アジアをうろついていた頃には交流が途切れていたが、いつの間にか連絡が取れて酒を飲んだ。
 国境視察と称して二人で対馬まで行き、わざわざ自衛隊の基地を見に行ったのは四年前だったか。阿蘇では偶然隣り合わせたイタリア人一家と盛り上がり、俺が多少のイタリア語を喋ったのが気に触ったようで自慢のキングス・イングリッシュをまくし立てられたのには閉口したが、貴様らしい振る舞いではあった。
 そして例によっての罵り合いが全く変わっていないことに気が付き、俺達はこの50年間一体何をやってきたのかと笑った。
 最近ではこのブログで一緒にテーマを模索するなど、これからもこの腐れ縁が続くのだとばかり思い込んでいた。去年貴様が腰が痛いと言い出した時も、例によって何を大げさなブラフをかけてるんだと大して気にも留めなかったことが悔やまれる。
 痩せてしまった貴様を見舞うのは正直つらかったが、せめてもの慰めになればと昔話をし、かすかな反応を確かめた。
 ご家族の悲しみには遠く及ばないにせよ貴様がいないと淋しいぞ。
 だがいずれ俺もそっちに行く、遅いか早いかだ。貴様に先輩面されるのはいささか不愉快ではあるが、その時はそちらの作法を教えてくれ。そして最後まで決着のつかなかった論争を語り明かそう。あしたのジョーは死んだのかそうでなかったのか、を。
 だからいつもの言葉で今日は送る。『それでは又、近々』   

合掌

我が友 中村順一君を偲ぶ

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秋は夕暮れ 

2016 OCT 20 6:06:00 am by 西 牟呂雄

油壷湾の夕日

油壷湾の夕日

 夕焼けマニアというのかフリークスというのか、強烈な夕日をみているとやたらと興奮する癖がある。いや胸騒ぎがすると言った方が正確か。
 真夏や真冬の強烈な赤より今ぐらいの柔らかい夕日の方がいい。
 懐かしい歌も思い出す。
 ♪夕焼け小焼けで日が暮れて♪
 ♪ギンギンギラギラ夕日が沈む♪

 スパイダースのヒット曲 ♪ゆーうーやーけー、海の夕焼け♪
 長渕剛の哀愁漂う『夕焼けの歌』なんかも好きだった。

 あんまり物悲しいとシャレにならない。
 オジサンは一人でも淋しくなんかない。

喜寿庵の木漏れ日

木漏れ日 夕焼け五分前

 大好きだった『夕焼けソング』もあるにはあった。
 その昔、ギター小僧だった頃一生懸命コピーした諸口あきらの『リターン・トゥ・パラダイス』だ。
 動画はないかと探したが見つからない。
 関西でかなり流行ったはずなのだが・・・。
                                                                                

 懐かしいので特に好きだった3番と4番を書いてみる。

 流れ者でも 春はある
 夢を見た日も あったけど
 どこでどうして つまづいた
 教えておくれよ 影法師
 リターン・トゥ・パラダイス
 リターン・トゥ・パラダイス

 俺が死んでも 埋めてくれるな
 空の上まで かけて行く
 きっと見えるさ 故郷が
 赤い夕陽を 急ごうぜ
 リターン・トゥ・パラダイス
 リターン・トゥ・パラダイス

 僕はこの歌をヒラの頃に覚えた。その頃は地方の工業地帯にいて『きっと見えるさ 故郷が』の故郷を『〇〇の 現場』とかに変えて歌った。往時茫々あれから数十年、どこでどうして間違えたものか。
 まぁ〝どうして″に関しては酒とバクチだとはっきりはしているが・・・。

 この時期から冬至前の夕焼けが特に好きだ。冬至の頃になると広葉樹が落ち切っていて鮮やかな色になり過ぎる。そして物悲しくなってしまうから。
 清少納言が『秋は夕暮れ』と書いたのもむべなるかな。
『夕日の差して山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり』
 非の打ち所のない名文だ。

喜寿庵の二階から、山の端に落ちてしまう直前の輝きを見たかったので午後4時からチャンスを待った。
 そして落ちてしまう直前の一分前に撮ってみたのだが腕が悪くて『輝き』がただの光になってしまって惜しい。むずかしいね。

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 因みに翌晩の東京には大きな16夜月(いざよいつき)だったので撮ろうと張り切った。しかしスマホではあの色は出なかった。

春夏秋冬不思議譚 (秋の日に慌てた少年)


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