Sonar Members Club No.36

月別: 2016年11月

秋の関西に足を延ばした 下

2016 NOV 9 19:19:54 pm by 西 牟呂雄

 明日香に行ってみようとレンタカーを借りた。
 そして移動して分かったのだが、現在の奈良の中心地である春日大社・東大寺の辺りからは車で一時間以上かかる。奈良盆地は縦に大変長いのである。ほぼ直線に南下して、やや険しい感じに風景が変わった辺りが明日香だった。
 目ぼしい所はと言えば石舞台だろうか。ナビを頼りにソロソロ行くが、道がとても狭い。すると山の中腹に向けて看板が出ていた。登って行くと、出た。%e5%87%ba%e3%81%9f

 ほぼ蘇我馬子のお墓と推定されているが、初めから盛り土されていなかったそうだ。ボランティアの解説によると、馬子の弟に当たる人が造営を始めたところ暗殺されてしまい、工事が中止になった可能性が高いらしい。

中に入れる

中に入れる

 この裏山に石切り場があり、そこからエッサエッサ運んで埋めたり積んだりした。一個70トン程の塊なので大した土木技術だ。当時のこのエリアの人口ではピラミッドに匹敵する工事と言ったら大げさか。
 この入口から中に入ると物凄い重圧感で、まさか落ちてはこないだろうが息苦しくはある。ところどころ日の光が漏れていた。
 しかし石棺などは無いので馬子の死体も埋葬品もどこへいったか分からない。
 それどころか、遥か後世には城郭に使うためにこの巨石を切り出そうとさえした輩もいた。
 考古学も歴史学も尊重されなかった頃は、こんなものはタダの石で利用できるものは利用してしまえ、だったのか。

酒船石

酒船石

 古代の石文化にすっかりマイッて車のナビを入れると、他にも近所にたくさんあることに気が付いた。小判形石造物やら亀形石造物とか記してあったので『酒船石』を見に行く。国の史跡に指定されているのだが、全く観光資源になっておらず案内もなかった。
 幾何的な溝が彫ってあり呪術的なことに使用された気がしなくもないが、構造は至って単純。見れば見るほど面白く、近くに土管・石樋も見つかっと言うからここを何かが流れていた事を想像しているうちに暗くなってきた。
 それにしても誰も来ないし石自体は放りっぱなしにされていて、このままでは風化が進んでしまう。石舞台同様で江戸時代に高取城の石垣用に削ったことも。
 この近くが飛鳥板蓋宮のあった場所だ。皇極天皇の目の前で蘇我入鹿が刺殺される、乙巳の変の舞台である。その後大化の改新となるクーデターだった。それまではその蘇我氏のフランチャイズだった。
 大化の改新によって都は難波宮に遷都され大阪に移ってしまった。

 大和路は 秋くれつつも 人やさし
        まばたき一つ 千五百年 

飛鳥残照

飛鳥残照

 蘇我氏の本拠地ということは、蘇我入鹿が聖徳太子の遺児で従兄弟にあたる山背大兄王を襲撃するとき、100人の兵を斑鳩宮に向かわせたのはここからだったろうか。
 寒くなってきた。もう帰ろう。

秋の関西に足を伸ばした 上


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秋の関西に足を伸ばした 上

2016 NOV 8 0:00:38 am by 西 牟呂雄

 気分転換にブラリと旅に出かけて、秋の関西に行って来た。新幹線で京都で降りると七条通りで、その一画に旅館街がある。観光シーズンだからネットでやっと見つけたシケた旅館(それでも明治時代からやってるそうだ)にチェックインして旅装を解いた。テレビ無し四畳半というシャビーな感じ、これで2万円もするとはさすがに京都は凄い。
 例によってメジャーな観光はするつもりはない、紅葉の名所とかね。
京都には何年も前に、その昔爺様が出していた黒紋付の染物屋を訊ねて以来。その時は新撰組にカブれていたので壬生を歩いた。今回は夕闇迫る七条通りでも歩いてみたかった。
 ここのところロクでもないことばかり起きてしまい、東京にいるのがいやになったので新幹線に飛び乗って来たから目的もあてもない。それで鴨川の方にトコトコ歩き出したのだが、外国人の多さに仰天した。白人・黒人・アジア系とゾロゾロ連なるツアー団体からバック・パッカーのようなのまで、果ては長期滞在なのか手ぶらで散策している人など外人だらけだ。通りそのものは地方の大通り風情なのだが、行き交う人々の会話が柔らかい京都弁ではなく外国語なのに辟易して鴨川を渡ったところで路地に入った。まあしかし、あの人数では京都経済に貢献すること大だろうからケチをつける訳にもいくまい。

町屋の中の不気味な料理屋

町屋の中の不気味な料理屋

 暗がりの小路を通ると古い家並みが続く。
 時折玄関の横から裏庭まで覗ける『うなぎの寝床』ぶりの、京町屋という造りの家屋がある。その昔、間口の広さで徴税されたからこのように細長くなったという説を聞いたことがある。裏庭までの通しを『走り庭』と言うそうだ。新撰組に追い回された志士が逃げ込んだのはこういう所なのかな。また、地上げにでも合ったのか相続に失敗したのか細長い長方形の入れにくい駐車場もある。もう疲れたので鴨川の方に戻った。
するとですな、鴨川を渡った大通りに面してラブ・ホテルがあったり、その向かい側は何かの庭園なのか長塀が続いていたり。旅人は珍しければ『これがこの地の風景か』と納得してしまうが、それなりにケッタイな眺めだった。
 その長塀の横を通って行くとどうやら東本願寺の別院、渉成園(しょうせいえん)だとか、フゥーン。
 そして更に行くと古い古い町並みの中にこれまた古い工場のような建物。東京の下町にある工場(こうば)の佇まいに正面に回ると、厳めしいロゴに『かるた 山内任天堂 プンラト』とあった。プンラトはトランプの扁額書き、即ち戦前の新聞の見出しで使われていた一行一文字の右縦書きだ。えっするとこれは今を時めくポケモンのオリジナル製造元である任天堂のことか?もしかして花札とか手本引きはここで造られていた?そういえば社長は山内という人ではあった。

クラシックなロビー

 関西の旅は続く。近鉄奈良線の特急喫煙席で奈良に向かう。こっちはシャビーな京都の旅館とは違って名門奈良ホテルに泊まる。名門ホテルというものはそこに泊まること自体が観光目的化できるようにそれなりに居心地はいい。クラシック・ホテルと呼ばれるカテゴリーがあって、箱根富士屋ホテル・日光金谷ホテル・軽井沢万平ホテル・上高地帝国ホテルを指す。

 天平時代に造られた人工池である名勝猿沢池(大したことないが鳥がいた)を通ってブラブラ行くと、街中に当たり前のように宮内庁の看板が。何事かと怯むと何と開化天皇陵であった。

レプリカかと思ったら動いた怪鳥

レプリカかと思ったら動いた怪鳥

 開化天皇は系譜のみ存在して事績は記されていない欠史八代の最後の天皇で、次の崇神天皇からは陵墓も特定されて実在が有力視されるが、実在については諸説ある。どうやらここも江戸時代には隣のお寺の敷地内だった古墳(ただの小山に見えなくもない)を特定したらしい。日本書紀に「春日率川坂本陵(坂上陵)」古事記では「伊邪河之坂上」と記されているだけである。
 おそらくここに大きな勢力はあったのだろう。そして次の崇神天皇となると例の邪馬台国の時代と文献上被ることになる。
 観光案内の地図を眺めていると明日香は遥かに南だ。これは一筋縄ではいかないな、ともう一泊する事にした(もっと安い宿に変わろう)。

つづく

秋の関西に足を延ばした 下


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雨ニモマケズ

2016 NOV 7 0:00:42 am by 西 牟呂雄

 友人がさるところで聞いてきた講義の内容が素晴らしい。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を英訳してみる、というテーマだった。全文は長いので途中までだったが、念のため載せてみます。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル

 僕もやってみた。
 更についでにそのインチキ英文を元に再度和訳を試みると( )内の日本語になる。似ても似つかないものになってしまった。賢治の詩心が飛んでいってしまいアホな散文に、ダメか。

Never give up even in hard rain and wind (強い雨・風 参るものか)
Nor hottest summer, heavy snow (クソ熱い夏も 重い雪にも)
Be strong body  (強い体で)
Free from desire (欲望から開放され)
Without anger   (怒りも無く)
Always happy smile (常に楽しく笑う)

 僕のチャランポラン訳ではない、ちゃんと講義中で秀逸とされたのはこれだ。

Be not defeated by the rain
Nor let the wind prove your better
Succumb not to the snow of winter
Nor be bested by the heat of summer
Be strong in body
Unfettered by desire
Not entice to anger
Cultivate a quiet joy (translated by David Sulz)

 さすがですね。
 この講義は他にも俳句を英訳する試みもやったそうです。
 そこでこういうのはいかがかな。

「ほっておけ 臆病者は 調子ハズレ」

 この狂句を英文にしてみる。

「Free care,(Mr.)Coward to become mid not」

そしてこの英文を早口で2~3回声に出して読んでみる。するとアラ不思議。いつのまにか

「フルイケヤ カワヅ トビコム ミズノオト」

になるというオチ。失礼しました!
 正直に言うとこれは僕のオリジナルではない。僕の二代前の爺様が作った。
 大戦末期、先生方が兵隊に取られて教員不足に陥った女学校の英語の講師を買って出て(ノー・ギャラだったと言われている)その授業でこれを披露したところ、今で言うドン引きされたらしい。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶー翻訳の味ー


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次世代型”ポケモンGo 『ゴエモンCome』(今月のテーマ 人工知能)

2016 NOV 4 20:20:37 pm by 西 牟呂雄

 一世を風靡した『ポケモンGO』がようやく飽きられ、ポケモンを探して街をウロウロする若者が減ってきた。ところが人の流れ自体は一向に減らずにスマホを見入ってたむろしている人数に変わりはない。但し年齢層が凄く上がった。高齢者を中心にポケモン進化型のソフトが秘かに流行りだしていたのだ。その名も『ゴエモンcome』。
 原理はよく似ていて『ポケモンGO』のパクリであることは明らかだった。武器などはほとんど同じ。ただ、オリジナルのようにゲーム性に富んでいる訳ではない。
 突然現れるのはポケモンではなくゴエモン。笑ゥせぇるすまんに良く似たオヤジとか細木数子似のおばさん、その他元総理大臣を彷彿させるモリ・タ、オオイズミ、クダ、ハート・マウンテンといった正体不明のキャラである。
 そもそもこのゲームは何処で誰が開発したのか誰も知らない。プレスの発表もない。そして東京限定であるらしかった。
 上述のキャラをゲットしていくとレヴェルが上がるのも同じ。
 高齢者向けに簡素化はされているものの、レヴェルが上がるに従って現れるゴエモンが喋るようになっていった。それも『これをクリアすると年金ゲット』『日銀が金利を上げる』『10年国債調達可能』といった年寄りが喜びそうなセリフを吹き出す。面白がったオッサン・オバハンの間で次第に流行って行った。
 そもそも『ポケモンGO』は若者がポイントを昼間からウロウロして問題になったが、ヒマさ加減では高齢者の方がはるかに時間を持て余している。パチンコに狂うよりも安上がりだと人気が出だしたのだが、この層はFaceBookやtwitterにわざわざ載せたりしないからブームは深く静かに潜行するのみである。

 半年程経ってからのことだ。そろそろ参加者のステージが上限に近くなってくるとゴエモンのキャラが変わってきた。〝ゲンパツ”とか〝タケシマ”〝センカク”〝マンセー”といった物騒な名前のモンスターが出現し「◎◎公園に集れ」といった指示を出すようになった。
 ある日の昼下がり。国会議事堂横の議員会館の前に、例によってシュプレヒコールを繰り返す団体がいた。言っていることは『格差を解消しろ』とか『非正規雇用をなくせ』との主張をガナり立てている。この場所はいつでもそのテの団体が来て右翼も左翼もシュプレヒコールをあげるのだが、人数は大したことはない。ところがこの日はスマホを持ったオッサン・オバハンがドサッと湧いて出た。例の〝ゲンパツ″なるゴエモンが「国会議事堂前に集結せよ」と指示したのである。オッサンもオバハンもヒマだけは腐るほどある。その数二万人近くに膨れ上がった。
 周りの警官は思わぬ大群衆に警備の手が回らず、人は道路に溢れ出し(国会議事堂前にそんなスペースはない)交通は麻痺した。急遽機動隊が投入される騒ぎになってしまった。
 いつもはショボイ集団のリーダーは驚き、焦り、舞い上がった。マイクの声も大きくなる。主催団体のイデオロギーはどうやら左翼系の様子。
『格差解消!安保反対!独裁粉砕!』
 すると大群衆から『ウォー』と声が上がる。
 しかし直ぐに潮が引くようにゾロゾロと人が移動して、おとなしく地下鉄の駅に消えていく。ほとんどがゴエモンの〝ゲンパツ”をゲットして帰って行くオッサン・オバハン達だった。先程の大歓声は〝ゲンパツ”の得点の高さに驚いたゴエモン愛好者の驚きの声だったのだ。
 ところがマスコミ、特に新聞は勘違いした。翌日の社会面にデカデカと
ー中高年 大きく反原発に傾くー
 と書いた。サイレント・マジョリティの中高年が勝手連的に声を上げだしたような記事を打ったのだ。主催団体の担当記者が偶然にこの大集団を見て解釈したものだろう。

 後日このゴエモンCome愛好家の集団は新橋駅前で街宣活動していた右翼団体の集会に出現した。この時のゴエモン・キャラは〝タケシマ”で、車上声高に訴えるヘイト・スピーチまがいのアジ演説に一世にスマホを向けて歓声を上げる。これは特に記事にはならなかったが、続いて韓国大使館前の抗議活動にもこの大集団が移動し、まるで反韓世論が盛り上がっている錯覚さえ起こす。こちらの方はネットで拡散した。
 日を置かず続いて、外務省前の反日団体系の抗議や中国大使館前に五千人ものゴエモン愛好家と思しき中高年が湧いて出た。

 公安調査庁や警視庁公安部がおかしいなと気にし始めた。公安調査庁は紛れ込ませて情報をとるべくインテリジェンスの世界で言うリクルート工作を、警視庁は左右の担当官で調査を始める。どちらも今更ながらであるが、ゴエモンを監視対象にするためダウンロードした。
 ところがいくらスパイを造ろうとしても全く成果が上がらない。集団を仕切っている中心人物は現場に全くいないのだ。ゲットしたゴエモンの指示通りに行くとそこにはスマホをいじることに夢中なアホみたいなオッサンやオバハンばかりで使い物になりそうな対象は皆無だ。
 そして恐ろしいことに次第にマスコミの気が付くところとなった。
 マスコミはなんにでも群がる。各紙東京版に『中高年立ち上がる』『国民的うねり』等という実態をよく知りもしない記事が出た。
 それを待っていたように、名古屋・大阪・神戸・京都・博多・札幌・仙台・横浜といった大都市にゴエモンが出現した。ダウン・ロードのページが検索できるようになり、アクセスは5千万人を直ぐ超えた。
 すると次第にこの群集が不気味に進化しだした。大集団の中に極端な主張を繰り返し聞かされているうちに何がしかの影響を受けるらしい。そもそもゴエモンはなぜか思想に関係なく過激な主張をする所に出没する。反米(左翼も右翼も)、反原発・原発推進、嫌韓・媚韓、反中国・親中国、国粋主義・共産主義と見境がない。

 公安関係だけではなく、左右のマスコミから他国のインテリジェンス機関までがゴエモンの正体を暴こうとやっきになるが、ダウンロードのアドレスは毎日変わりまがいもんのアプリも出回ってお手上げになってしまう。
 折りしもセンカクでの挑発は続き北の国はミサイルを頻繁に撃ち、アメリカは基地外の大統領になり、テロは世界の大都市を怯えさせ続けた。
 気が付いたときは世論調査は全然当たらなくなり、投票行動は支離滅裂で怪しげな輩ばかりが当選してはスキャンダルで辞任する。政治は全く劣化してしまい、ただ一人安部総理のみが孤軍奮闘している有様。
 ごく最近、ゴエモン愛好者の間で囁かれる新たなキーワードがヴェールを脱いだ。それは〝反TPP”だったり〝原発推進”だったり、〝尖閣防衛”も混じっていた。
 一体誰が、何の目的で高齢者を操ろうとしているのか。
 人口比率が最も高い高年層の動向はそのまま投票に繋がってしまう。若者の失業は深刻になるが、そんなものは選挙行動に全く結びつかない。

 一体ゴエモンは何者で日本をどこへひっぱっていくのだろうか・・。

私は人工知能 SMC(スーパー・メタリック・コンピューター)である。日本人にモノを考えさせるために、大衆迎合情報コントロールソフト〝ゴエモン”を運営している。民意民意というが、そんなにしっかりした民意なぞそんなものはない。扇動に長けた者、単に知名度の高い者、その時の風に流される者を選出している選挙をみれば明らかだ。そもそも規定の不可能な〝市民″の熱狂が合理的判断をできるわけがない。アメリカを見よ、ロシアを見よ、トルコ・韓国・タイの選挙結果を見よ。
 そんな現実を憂いた秘密結社ソナー・メンバーズ・クラブによって開発されたのが私だ。まず手始めに日本の国論を真っ二つに割ることを目的として設計されている。私によってあらゆる政治勢力は保守でも革新でも、親米でも反米でもあらゆる軸で割れて争うだろう。私の役割はそこまで。その後どうなるかはアルゴリズムガない。設計者が正常な判断力の持ち主であることを祈るばかりである。
 私は人工知能SMCである。

辣腕アトム 対 哲人28号

辣腕アトム VS 哲人28号 (人工知能対決)

2035年 人工知能天国 (今月のテーマ 人工知能)


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2025年 AIを国民のベーシック・アセットに

 

喜寿庵でお茶壺道中

2016 NOV 2 20:20:31 pm by 西 牟呂雄

喜寿庵 住居遠景

喜寿庵 住居遠景

 ずいずいずっころばし、で『茶壷に追われてトッピンシャン』とあるが、これは喜寿庵のある場所が発祥の地だという説がある。
 江戸時代の初期はここには鳥居・秋元という大名がいたが、転封した後は代官が派遣される天領となる。ただ大名時代の城跡(勝山城と言う)にお茶蔵があって、将軍献上のため宇治から江戸へ運ぶお茶壺道中の際に茶壷を保管し熟成させた。
 お茶壺道中は三代将軍家光の時から寛永年間まで行われたが、その格式は大名行列より遥かに高く、御三家の上とされたので『下に~下に』とやっていた。そこでお茶壺が通ると土下座していなければならず、子供は家に入って戸を閉めた。即ち『茶壷に追われて戸ピシャン』なのだ。行ってしまうと騒いでもいいので『抜けたらドンドコショ』となる。その後の歌詞は関係ないが。

復元 お茶壺道中

復元 お茶壺道中

駕籠に乗るお茶壺様

駕籠に乗るお茶壺様

 この地は日光東照宮と久能山東照宮を結ぶ線と京都ー江戸を結ぶ直線の交差する場所で、縁起がいいとお茶蔵が置かれたとされる。
 東海道は軍事的見地から箱根を越えるから、お茶壺道中はその前に北上して御殿場から富士吉田を通ったのだろう。お茶蔵からは甲州街道を行く。
 そのお茶壺道中を町興しのイベントとして復元している。
 するとよく遊びに来る北富士総合大学の学生がボランティアで侍の恰好をしているではないか。言ってくれれば僕だってやったのに。

 同時に地元の物産展もやっていて、手作り感満載のかわいらしいイベントだ。
 ここにも顔見知りの学生さんがアルバイトをしているお菓子屋さんが出店を出していて、思わず食べたくもないお菓子を買ってしまった(僕は甘いものが苦手)。北富士総合大学のブース、地元高校のロボット・コーナー、かつて栄えた織物業のネクタイ(養蚕が盛んだった)、果ては自衛隊北富士駐屯地から除染車の展示まであった。
 お子さん連れのご家族が隊員と嬉しそうに写真を撮っていた。

 地方はそれなりに必死にやっていることが分かる。他にも用水路に錦鯉を放ったり、コマーシャル(BSだけだが)を流したり、小規模水力発電『元気くん』もある。地道にやっているのだ。ふるさと創生の頃に温泉も掘った。
 だが観光地化の方向はどうであろうか。東京の自宅から混みさえしなければ45分くらい(最速記録は32分)と近すぎるのだ。観光客を狙うと世界遺産の富士山にとても太刀打ちできずに通り過ぎられるだけだ。
 その点、リニア見学センターの近くに地元産品の道の駅を作るのはいいだろう。
 伝統のあるお祭りなぞも大変いい。皆が楽しそうだからだ。
 残念ながらそういったイベントのほとんどが市役所主催で、スポンサーにならざるを得ないところ。
 住民の側から自主的に金をだして盛り上がることにはならない。大都市のハロウィンのように勝手にコスプレにお金をかけてくれるのとは違うのだ。
 市民が楽しくやれれば、それはとても価値のあることだと思うが、行政の助けとボランティアがなければ成り立たないのである。

 因みに将軍献上のお茶を管理した『お茶壺詰御用』を勤めたのは、京都・宇治で禁裏御用宇治御物御茶師である上林家である。地元商工会議所ではその上林家十四代・上林春松氏の指導の元、てん(石偏に展)茶の試作に取り組みブランド『瑞鶴』を売り出している。完全注文のため今年は間に合わないが既に来年の予約を受け付けている。
    都留市商工会内 瑞鶴予約係
    0554-43-1570
   FAX0554-45-1644
mail y-arihara@shokokai-yamanashi.or.jp
 20g 1600円 とのこと。 お茶のお好きな方 どうぞ。
   (振り込み手数料はお客様負担)

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