Sonar Members Club No.36

月別: 2017年2月

ブログスペースを借りました 初めまして

2017 FEB 11 10:10:58 am by 西 牟呂雄

 私は西室さんの許しを得て匿名でブログ・スペースを借りて書き込んでいます。
 SMCの会員に入ることを勧められたのですが、実名・顔出しが原則だと聞いて遠慮しました。というのも私のことに気が付いた人が出て来ると困ったことになりかねないので、SMCに迷惑がかかるリスクを避けたのです。
 理由はすべて私の奇妙な精神疾患のせいなのです。
 今では『性同一性障害』とか『多重人格』が病理的に研究されるようになりましたが、以前は社会的に排除されていました。しかも私の疾患はもっとひどいのです。なかなか人に言えなくて苦しんでいたのですが、偶然このブログを読みました。

2030年 認知症で自由になる

 私は驚き、そしてこれを書いた西室さんに連絡をとりました。実は私の疾患とは動物、それも犬とか猫になりきってしまうのです。
 別に裸になって四つん這いでウロつくことではありませんが、二足歩行ができなくなってしまいます。そして通常の高さの視線に耐えられず、地べたの高さになりたがります。最も楽なのは寝転がる事ですが、屋内では落ち着かないのです。表情はなくなり、更に困ったことに喋れなくなるのです。口に出せるのは擬音だけで「みゃあ」とか「きゃん」となってしまいます。発作が収まるまでジッとしていなければなりません。誰かに話しかけられたりすると大変な事になるので人の目に付くところにはいられません。一度私が具合が悪くなったのではと気を使ってくれた若い女性に変態か痴漢にまちがえられました。以前覗き目的で側溝に潜り込んだ人が逮捕されたこともありましたね。
 意識は人間のままです。発作の間の記憶も残ります。人の話し声も分かりますし色んなことを考えることも普段通りです。試しに簡単な二桁の暗算をしてみましたが大丈夫でした。
 ただやたらと五感が冴えて来ます。特に研ぎ澄まされるのは私に敵意を持っているか愛情を持って接するのかのカンです。人間はまず愛情を持って接してくれません。うずくまって薄気味悪い男に愛情を持つ人はいません。すると私に寄って来るのは犬と猫ばかりなのです。そして犬はほとんどが繋がれていますから、せっかく興味を持ってくれてもリードを持っている人が怪訝そうに引っ張っていってしまう。したがって公園のベンチや多摩川の河川敷に寝そべっている私の側でジッと私を見たり隣で昼寝をしたりするのは猫ばかりです。猫はよほど人間に慣れていないとある距離を持って近づきません。飼い猫はこちらが動かないでいると少し寄って来てこちらを見たりします。中には30分以上目を合わせているのもいて、そうしていると孤独な自分が癒されたような機がしてきます。

 この症状をメールで西室さんに訴えたところ『一種の運動障害シンドロームじゃないか』といい、医者に行く事を勧められました。
 絶対にイヤです。
 以前一度精神科医に飛び込みで行ったところ、医者の私をバカにしたような態度と、何か新しい病名がつけられるか、あるいはどんな薬を処方できるかといったことにしか興味のないような不真面目な態度に我慢できませんでした。
 人前には出られない私の窮状を見かねて、西室さんは富士山の麓にある山荘にいても構わないと言ってくれたのです。好きなだけ猫でも犬でもなっていればいい、ただしご家族が一緒の時はマズい、と言うありがたい話でした。
 ですから必死に別の避難場所を確保しました。一日中寝そべっていて誰からも不審に思われない場所、なかなかありません。一番手っ取り早いのはキャンプ場です。何もしないでテントの中にいればいいのですから。私は車の運転ができないのでバスを使って移動できる所を見つけました。もう一つ、夜に絶対人が来ないのはお寺です。これで何とかなると思い西室さんのいうダーチャ(山荘のことのようです)に引っ越しました。
 以前は猿が現れた事もある、とのことですが最近は見かけないそうです。そして猫が時々来るとも言っていました。
 もう一つ。私の見聞きしていることを正直にブログに書くように勧められました。この障害が何か精神的な疾患であれば書くことで治療になるかもしれないそうです。更にこのブログを読んで親切なお医者様が何かの処方をしてくれるかもしれない、とも。

 ここまで書いたら物凄く疲れました。もう止めますが、今後とも宜しくお願いします。
 

2030年 認知症で自由になる

ブログスペースを借りました Ⅱ  

ブログ・スペースを借りました Ⅳ


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米・露はどう対応するのか

2017 FEB 9 9:09:53 am by 西 牟呂雄

 トランプ大統領になって先が見えない予測不能になると、私のような保守派は歴史に立ち返って考える。百年前はどんなだったか。
 1917年は二つの世界史的動きがあった。一つはロシア革命。もう一つはアメリカが第一次世界大戦にシブシブ参戦した。ロシアはグシャグシャな混乱期となりアメリカはヨーロッパに関与を始めた。
 目下の状況はこの反対に見える。ロシアはプーチンの元にクリミアを併合してドネツク(東ウクライナ)で戦闘、アメリカのトランプ大統領は内向きに舵を切る。しかし実は少し前にはその逆で、足元の東ヨーロッパの国々がEU入りしNATOがロシアの足元にまで範囲を拡げ、その勢いを後押ししたのはアメリカ(オバマ大統領は積極的でないにせよ)であった。
 アメリカが中東に手を焼いてイランと妥協までしたが、ロシアはシリアに露骨に介入する。
 世界を左右する両国の関係は100年間振り子のように(サイクルとは言えないが)綱引き状態にある。冷戦は終結したものの、この力関係は相変わらず国際社会に強い緊張を強いている。
 情報機関がリークする大統領に拘わるスキャンダルめいた話はさておき、この振り子理論で言えば米露関係は安定に向かうと睨んでいる。ひとつのヒントに気が付いた。
 トランプ大統領は就任前にキッシンジャーと会っている。
 キッシンジャー人脈が復活した。これはロックフェラー人脈でもある。
 指名された国務長官はテイラーソン。言うまでもなくエクソン・モービルのCEOであり同社はロックフェラー直系。
 クリミア併合による制裁で金融と並んでロシアが堪えているのは石油掘削の最先端技術が対象になっていることだ。北極海に近いエリアの石油は中東のモノと違って油層が硬く、既存の技術では掘れない。その技術を握っているのはアメリカのメジャーなのだ。
 一方ティラーソンはサハリンⅠプロジェクト依頼ロシアと関わった親露派として知られる。制裁解除はロシアにもエクソン・モービルにも共通のウィンーウィンなのだろう。
 制裁解除には何かのきっかけと条件があるだろう。
 筆者はクリミア、もしくは戦闘の散発する東ウクライナの非武装緩衝地域化だと考えている。クリミアは手遅れかも知れないが、ドネツクあたりならウクライナも飲める妥協点ではないだろうか。それさえクリアすれば米露は対ISで十分協同活動し得るだろう。
 もう一つ。来年はロシアでも大統領選挙が行われる。勿論プーチン再選は磐石だろうが、節目になることは間違いない。
 
 ところでトランプと会談後、キッシンジャーは中国を訪問する。何故か。
 キッシンジャーと共和党は親中だが、ティラーソンは知られた対中国強硬派だ。しかも同様の発言をするマイケル・フリンと先日来日し尖閣が安保条約適用範囲であることを表明した”狂犬”マティース国防長官といった布陣である。マティースは「明のビヘイビァを研究している」と言ったそうだ。
 筆者はキッシンジャー訪中を、エクソン・モービル(ロックフェラー)繋がりでティラーソンを国務大臣にせざるを得ない旨、中国に伝えるためだったと見立てている。案外「トランプは本気だから浮かれるな」と釘を刺しに行ったかもしれない。中国はトランプ大統領の当選を選挙期間中の『TPP脱退』『駐日米軍撤退』発言に期待していたフシがあったからだ。おまけにヒラリーでは『人権問題』を取り上げるだろうが、トランプだったらその点心配なかろう、と。
 或いはキッシンジャーは「トランプには良く言い含めておいたからな」と言ったかもしれないが。

 この米・露接近はプーチンの追い風となり、領土交渉を言いつのる安倍総理に対してプーチンがそっぽを向くのでは、という論調が主流のようだ。筆者はそうは思えない。
 最近ロシア関係者で頻繁に話題に上るのが、上記制裁解除の結果採掘・精製可能となるシベリア・オイルの北極海ルートの輸出に関して、プーチン大統領が並々ならぬ熱意を示しているからだ。北極海ーオホーツク海ー日本海ルートはロシアの核心的戦略の気配がする。その際に千島列島の安全確保は極めて重要だ。タンカー回送ともなればアラスカからも近い。
 双方受け入れ可能な『共同管理』、例えば主権はフィンランドだが自治権を持ち言語・教育・生活様式はスウェーデンとしたオーランド諸島方式、といった方法の本で『共同経済活動』をするやり方はある。無論安保条約は適用されない。
 ちなみにこの裁定案は国際連盟の提案で採用されたが、発案者は日本人新渡戸稲造だった。

 そういえば北方領土とクリミアには奇妙な歴史的偶然が重なる。
 クリミア戦争は1854年から始まるが極東でも戦われた。英仏連合艦隊がカムチャツカ半島のロシア守備隊を攻撃しているのだ。そしてその戦いの隙をついてプチャーチン提督は下田で択捉島が日本領土という文言を含む和親条約を結んでいる。
 また、先の大戦の戦後処理のために連合国が会談して(あの不愉快極まりない)北方領土に禍根を70年ものこしたその場所は、クリミア半島のヤルタであった。

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我が友 中村順一君からのメール

2017 FEB 6 18:18:14 pm by 西 牟呂雄

宛)哈爾浜特務機関長
発)空母赤城航空参謀
 直チニ援軍ヲ送ル所デアルガ、友軍ノ劣勢ハ如何トモシガタシ。
 前線ヨリ至急戻り新京ノ陸軍病院ニ入院サレタシ。幸運ヲ祈ル。

 これは故人が友人である弁護士に送ったメールだ。その先生が体調を崩し、入院・手術となった際に送った。哈爾浜(ハルピン)特務機関長は弁護士先生、空母赤城航空参謀は本人のことである。

宛)大本営戦争指導課長
発)空母赤城航空参謀
 哈爾浜特務機関長ハ腹部ニ受ケタ敵弾ノ摘出ニ成功シ養生中。
 新京陸軍病院ニテ、秘密作戦会議ヲ行フニツキ明後日同行請フ。

 こちらは手術がうまくいった弁護士先生の見舞いに僕を誘ったメールで大本営戦争指導課長が僕のこと。我々はメールの際にこのような自称の役職をつくり文章に勿体をつけて遊んだ。文中の『新京』は東京の中野を指す暗号のつもりだ。自分たちの階級は相談の結果『大佐』とし、他の友達は勝手に『少佐』とか『中尉』にして呼称していた。
 実はこの遊びに弁護士先生も熱中して、初めは明野教導飛行師団長を名乗った。ところが何かのきっかけで(何だったかは忘れた)我々が適当にハルピンに左遷したことになったのだった。
 ある時、やはり共通の友人を『中尉』呼ばわりしていたのが、メールを転送した際にバレて、その氏は『お前等が大佐で何でオレが中尉なんだ』と本気で怒り出した。慌てて彼を急遽民間人『南満州鉄道調査部長』に任命してやった。ところが氏はそれも気に入らず関東軍総参謀長を自称するものの、我々はスパイ扱いして無視を決め込んだ。

 ところで弁護士先生の見舞いにはチャンと行った。
 その頃NHKで「坂の上の雲」を放映していて、故人はこれをビデオにとって熱心に科白を覚えだした。この辺は記憶力抜群の彼らしいところで、なぜか高橋英樹がやった児玉源太郎になりきって喜んでいた。しょうがないので僕は旅順を攻略した旭川第七師団長の大迫中将の役柄で付き合ってやったものだ。
『大迫、北海道の兵は強いそうじゃのう』
『閣下、強うございました。じゃっどん一万人の兵が千人にないもした(大迫は薩摩人)』
 よせばいいのに弁護士先生の病室で二人して熱中していたこのネタをエンエンとやって病人を怒らせてしまった。

 昨今ではハッキングだか何だか知らないが、大統領候補でさえメールは読まれてしまう。こういうメールをやり取りしていたのは随分と前だが、その時点でも co.jp のアドレスはチェックされているという噂はあった。
 すると、どこかで誰かが我々の事を謎の秘密結社と誤解するのじゃないかと期待して盛り上がり、暗号をたくさん作った。例えばシンガポールは昭南島(戦前の表記)にしてみたり南樺太や満州の地名を吉祥寺や田園調布に置き換えてみたのだが、いつもの事でお互いにエスカレートして終いにはどこだか分からなくなって止めた。
 まぁたとえ誰かがヒマに任せてハッキングしても頭のおかしいオヤジと思われるのが関の山だろう。思えばいいオッサンがバカみたいなことに夢中になったものだ。我々も分別盛りだったにもかかわらず、である。

 付け加えておくが、故人は保守派だが叔父上が二人戦死し父上もまた激戦のガダルカナルまで行った海軍一家のせいか戦争反対の論客だった。靖国A級戦犯分祠論者でもあり、並みの右翼キッド上がりの筆者と違って靖国神社には行かない。 
 ちなみに既に書いたかも知れないが、僕の父親が海軍の同期会代表となって『世が世であれば連合艦隊司令長官だ』と浮かれていた話をすると『実戦に行きもしないで(オヤジは卒業前に原爆投下され終戦)連合艦隊司令長官とは許し難い!絶対に認めるわけにいかん』と激怒していた。
 日韓併合・満州建国すべて間違った政策であり、脱亜入欧・海防強化を訴え続けたが、今日の世界情勢を鑑みて誠に慧眼だったと思う。
 第一次世界大戦から100年を過ぎたので、何故戦争に至ったのか、当時の世相について二人で研究してこのブログに残した。彼の「第一次世界大戦を考える」と僕が書いた「第一次世界大戦を考える オマケ」並びに「100年前の同時多発戦争」である。

 ところで僕の小倉時代に「国境視察」と称して故人がやって来たのが 小倉記 梅雨国境編 と 小倉記 年末鹿児島編であるが、この時のメールはこうだった。
宛)小倉第十四聨隊長
発)空母瑞鶴参謀
 戦局益々悪化ノ様相ニ至急国境視察ノ要有リト認ム。
 小官モ参加ス。貴官トノ機密作戦会議ヲ秘カニ設営サレタシ。
 尚、当日ハ完全武装ニテ極秘ニ行動サレヨ。

 まったく・・・。我々は50歳を越えた頃だった。

小倉記 梅雨国境編

小倉記 年末鹿児島編

我が友 中村順一君を送る

我が友 中村順一君を偲ぶ

我が友 中村順一君を悼む 

我が友 中村順一君を思う


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カラオケも楽し (今月のテーマ 空)

2017 FEB 4 13:13:47 pm by 西 牟呂雄

 皆さんはカラオケをやりますか。実は私も時々楽しんでいます。レパートリーは還暦相応に忌野清志朗とかをやるのですが、まぁその時の仲間によりますね。気の置けない連中と行くととっておきの『ブルー・ハーツ』をやることもあります。
 特に名を秘す秘密結社の会合では軍歌の大合唱にもなります。そこで人気を二分するのは『月月火水木金金』と『歩兵の唄』。二派に分かれているのですが、それぞれ愛好者が立ち上がり肩を組んで絶唱しています(バカです)。

 その昔、宝塚のOGがやっている店が銀座にあって、そこではソノ手のバカオヤジが大昔の寮歌や軍歌を歌っていました。当時はカラオケがまだ普及してなかったので、袴姿の音大の女学生が大勢アルバイトで並んでいます。そして太鼓のリズムだけで正確なコーラスをつけてくれ、音痴のオヤジがマイクの前でドラ声で歌える仕組みでした。そこで歌われていたのは驚くべきマニアックな「北支派遣ナントカ聯隊の歌」とか「〇〇陸軍経理学校校歌」のような聞いたこともない歌です。それを初見で歌うために音大生がいたのでした。
 その店は9時頃になるとママがスポット・ライトを浴びて『おぉ青春 輝ける宝塚』とか銘打ったショー形式のステージが行われ、それはそれは恐ろしいものでありました。
 大体が旧制高校と陸軍の歌が多く、それに対して海軍系は今でも残っている新橋の海軍バーに屯していたようです(ここはまだあります)。

 カラオケのない頃は「先生」と呼ばれるギター弾きのアンチャンがファルセットで拍子を取る店が多く、リズム・マシーンとギターコードだけで歌っていたのですね。あんなの僕でもやれるな、といつも思っていました。
 赤坂にソノ手の店があって、何とそのオーナーは大阪で昔売れていたトリオ・コイサンズとかいう、かしまし娘みたいなお笑い姉妹の末の妹でした。そこはピアノの伴奏で、例によって夜中までドンチャン騒ぎをした挙句、明け方酔っ払って五輪真弓の歌を弾き語りしたら受けたんですな、これが。そして帰り際にママから『あんたオモロいねぇ、夜の12時過ぎてからでいいからウチでやってくれへん』と言われたのです。さすがにやりませんでしたけど。

 しかし一般にステージ受けするタイプの曲はカラオケでは盛り上がらないとされていて、即ちエーチャンとかユーミンがそうです。
 ところが先日ある会合ではユーミンを絶叫していました。
 航空会社のパイロット・整備技術者・地上勤務のオヤジ達で、何故かお目当てのスッチーはいなかった(グランド・パーサーなるおばさんはいました)不思議な宴会でした。パイロットのヨット屋が誘ってくれたのでノコノコついていったのです(決してスッチー目当てではない)。するとオヤジ(僕を入れて五人)とオバサン(一人)でカラオケルームに行き、まず初めは普通に始まったのですが。暫くすると突如カラオケ・タブーのユーミンを入れました。かの『ひこうき雲』でビックリ。そしてあのサビ「そらにーあこがれてー」の所は全員の大合唱です。中には感極まって立ち上がって力を入れる人も。彼らの職業を知らない人が見たら気が狂ったオッサン・オバハンに思われてドン引きされることは間違いないでしょう。空とそこに飛ぶ事が好きなんでしょうねぇ。

 ところで僕の必殺のレパートリーをこっそり教えます。それはあの「明日のジョー」の劇中アニソン『力石徹のテーマ』。これをやると燃えますね。
 ちなみにカラオケには歌手名の「ヒデ夕樹」で出ますが、演奏していたのはソウルフル・ブラッズというR&B系のホーンセクション・バンドです。今でいう東京スカパラ・オーケストラみたいなゴキゲンなバンドで、一部に熱狂的なファンが付いてました(僕も)。

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マイナー・ソング・メモリー

アコースティックの響き


 

海軍名パイロットの系譜 (今月のテーマ 空)

2017 FEB 1 23:23:44 pm by 西 牟呂雄

 安倍総理が真珠湾で名前を出した飯田房太中佐(戦死後二階級特進。戦死時は大尉)のことを調べてみた。『The Brave respect the brave』がいたく心に残ったからだ。
 映画「トラトラトラ」で被弾した零戦が帰投を諦め米軍格納庫に自爆攻撃をするシーンはこの飯田大尉がモデルとも言われている。
 海軍兵学校62期で巡洋艦に任官した直後に飛行学生としてパイロットの道を進む。
 奇しくもゼロ戦のデビューとなった中国戦線で重慶・成都の空戦を経験した生粋のゼロ・ファイターである。そして真珠湾に行く。

飯田大尉を埋葬する米軍

飯田大尉を埋葬する米軍

 安倍総理のスピーチにあった通り、攻撃中に燃料タンクを撃たれ僚機に手信号で自爆の意思を伝えると引き返す。
 飯田大尉の突撃を目撃した米兵によれば実際には格納庫ではなかったが、最後までフル・スロットルのスピードで機銃を撃ち続けての激突だった。 
 ためらいのない戦意旺盛な突撃に米軍は戦死した米軍人とともに丁重に埋葬したのだ。
 飯田大尉が中国初戦の成果に浮かれる中、漏らした言葉が残っている。
『重慶に60キロ爆弾一発落とすには、爆弾の製造費、運搬費、飛行機の燃料、機体の消耗、搭乗員の給与、消耗など諸経費を計算すると約千円かかる。相手は飛行場の爆弾の穴を埋めるのに苦力(クーリー)の労賃は五十銭ですむ。実に二千対一の消耗戦なのだ。こんな戦争を続けていたら、日本は今に大変なことになる』
 こういう合理的な考えの人だったので、実は真珠湾攻撃の前日に敗戦を示唆し自爆を仄めかしたという説がある。燃料タンクに被弾したというのも全て伝聞であり、激突の際にも発煙はなかったので覚悟の自爆だというのだ。

 同じくゼロ戦のパイロットで、戦後は警察装備の開発を手掛ける会社を経営していた志賀淑雄という方がいた。安田講堂騒乱の際に屋上から投げられる投石の雨に機動隊が苦戦している時、徹夜で食パン型の安全坑道を作って寄付したことが佐々淳之の本に出ている。
 この人の言によれば、初期のゼロ戦の成果に報道が過熱し『エース』とか『撃墜王』と持て囃す事に対し、海軍では編隊共同空戦を旨とし「海軍戦闘機隊にエースはいない」という方針を決定していたそうだ。この辺はベスト・セラー『大空のサムライ』を発表しエースと言われた坂井三郎氏と微妙に肌合いが違う。
 その志賀氏(旧姓四元)は飯田大尉と同郷かつ兵学校同期で、開戦直前に一緒に帰郷した際の会話を覚えていた。この時志賀氏は長女が生まれたばかりだった。その会話は
『早く結婚して子供をつくれよ』
『うん、じゃ、この子をもらうよ。貴様の娘なら美人だろ』
『そうか、じゃあ20年待たなきゃいかんぞ』
 その時期になんと悲しくも明るい会話であることか。つくづくやるべき戦争ではなかった。
 余談であるがこの二人の海兵62期というクラスは実にワイルドだったことで有名だ。因みに伏見宮・朝香宮と二人の皇族がいたが、直接鍛えられた65期によれば『宮様が先頭に立ってオレ達を殴って鍛えた』らしい。海兵は最上級生の一号生徒が新入生である三号生徒を指導するため、獰猛な(即ち殴ってばかりの)クラスは3年ごとに現れると言われている。
 志賀氏は下級生から『青鬼』と呼ばれていた。『青鬼』がいるのなら『赤鬼』はどうかというと、これがいた。やはりゼロ戦乗りになった周防元成氏だ。
 志賀氏の言に習って『エース』を並べるつもりは毛頭ないが、この周防氏の操縦技術は図抜けており、戦中を戦い抜いて敗戦後は航空自衛隊に所属した際にその技能の高さに米人教官が舌を巻いた。

 このような名パイロット(エースではないとして)の系譜に連なるのが、初めはゼロ戦、敗戦時は紫電改、航空自衛隊でF86FからF104まで飛び続けた山田良一氏である。海兵71期だから先程の順番で行くとワイルド・クラスを卒業。源田実率いる第三四三海軍航空隊に所属していた。
 ブルー・インパルスの初代飛行長で、我々以上の年代なら忘れない東京オリンピックの開会式で鮮やかに五色のオリンピック・マークを大空に描いた際、地上指揮官だった人だ。あの田母神閣下の先輩にあたる航空幕僚長も務めた。
 もう一人戦後のパイロットを紹介したい。アクロバット飛行の名手、通称ロック岩崎。自衛隊入隊後F86F、F104,F15を乗りこなして民間のエア・ショー・パイロットとなったが、惜しくも2005年に事故死した。
 この人は日米合同の模擬空中戦で旧式F104に乗り最新鋭F15を、後にF15で同じくその後継機F16を「撃墜」し、その業界ウォッチャーの間では有名だった。
 真珠湾から国土防衛まで戦い抜くと生存率2割を切るという極限状況を、卓抜したテクニックと強靭な精神プラス・アルファで生き抜いた人々の後輩が平和な時代に事故死する。
 戦場での悲劇は、特攻は言うに及ばず全ての英霊に等しく無惨なものだ。

 しかしいつの時代でも空に生きるものは命がけなのだと思う。

 トムさんより富永さんの写真が送られましたので載せました。(2月7日)

前列が富永少尉

前列が富永少尉

隼は征く 雲の果て 

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