Sonar Members Club No.36

カテゴリー: 遠い光景

今年のプライベート十大ニュース

2017 DEC 27 19:19:49 pm by 西 牟呂雄

 年末に某所で温泉に浸かりながら、この1年を振り返ってみた。

1.まだスノボができた
 今年が最期かな、と毎年思いつつチョロっと滑った。体力の衰えが一番分かる。一日券を買っても滑る本数が年々少なくなり、遂に回数券(10回綴り)に変えた。そしてそれが余るようになってしまった。今年は5回分を捨てた。
 だが、だんだん意地でやってる感が強くなって”楽しんで”いる気がしなくなったのも事実。ゲレンデに僕より高齢のボーダーはまずいない。スキーヤーでもいないだろう。
 これで骨でも折った日には大バカだと言われること請け合いだ。来年どうしよう。

2.身内に災難多し
 周期的に厄災が襲ってきた。内容は膝十字靭帯断裂、原因不明の腰痛、そして身内の不幸と一年を通じてトラブルに見舞われた。こういう年もあるのか。
 そしてこのペースで行くとヤバいのでゲン直し。
 くよくよ悩みながら、どうしようもなく絶望的な状況でも、実はやさしい本当にいい人にでもなってみるか。切り抜けるぞ。

3.ヨット航海・旅には出られず
 上記事情により東京を離れられなかった。
 おかげでヨットはただの日向ぼっこに。バーベキュー会場に。そしてついに宴会場になってしまった。
 待てよ、海で泳いだかな・・・、一度入り江に飛び込んだ、良かった。
ライフ・ワークの中京地区古戦場巡りも結局行けず。
 喜寿庵で温泉の回数券を使うだけ。鍋焼きうどんがおいしかったけど。

4.ゴルフ成仏する
 1回1テーマ。今年は『寄せ』だった。
 トップするのが恐くて7番の転がしをやってみたが上達せず、結局サンド。ウェッジで落ち着いた。落ち着きはしたがスコアは全然変わらない。
 考えてみれば筋力・気力共に衰えているのだから、テクニック的には上達したことになるのではないかと思い直した。
 そしてゴルフの時に唱える念仏を考えた。
『まーがりたまえー、ころがりたまえー、ほりーたまえー、うちすぎたまえー』

5.数年ぶりの再会続く
 不思議な事に海外での空港で久しぶりに知り合い(日本人)とバッタリ。
 それもモスクワとシンガポール・チャンギーで。それぞれ3年振りと5年振りくらいだった。
 ところが僕らしいというか、どちらもあんなに仲良しだったのに再会の約束はしなかった。懐かしくはあるが今更会って話す事もないと思った。
 いや話してもいいのだが、僕が何をしてきて今何をやっているか、そしてその状況がどうなのかを説明するのが非常に面倒なのだ。
 来年連絡してみようかな。

6.大谷投手エンジェルス!おめでとう
 ファイターズは結局泣かず飛ばずで5位。原因ははっきりしているが、A級戦犯の一人、中田翔は涼しい顔で残留。増井・大野とそれなりの選手がFAで去っていった。
 そして大谷は長年の夢の実現のために海を越える。名前がいいよエンジェルス。来年は見に行きたい。アメリカってもう5年以上行ってなかった。
 ところでファイターズはどうなるんだ。栗山監督にまた秘策を授けなければ来年もロッテと最下位争いをする破目になる。嗚呼、ホークスは遠くなるばかり。

7.ギター復活の機運
 SMC中島さんのライヴを聞いて久しぶりにギターを握ってみた。
 弦を張り替えてジャーンとストロークしたところ、指がふやけ切っていてコードを押さえると痛いの何の。
 これでは最もギターが操れた高校時代のレヴェルに戻るのに1年はかかるだろう。
 これではどうにもならん、と安いウクレレを買った。これだって奥が深い。
 むかしアルト・サックスを衝動買いしてロクに練習もしないで売り飛ばしたなぁ。

8.インプラントで禁煙させられる
 2年ほど世話になっている女先生にインプラントを勧められ決心した。
 ところがそれからそのセンセイの禁煙攻撃が凄い。『タバコを止めなかったのでインプラントにうまく骨が形成されなくて歯が抜けた』とかいう話を散々聞かされ、終いには『何十万も払って結局無駄になった』と脅されて、ついに『しばらく止めます』と言ってしまった。
 するとその後行くたびに『あっ、まだ吸ってますね』と何故かバレて怒りを買うのでしょうがなく4日程止めた。タバコ吸ったくらいでくっつかない骨なんて・・・。

9.ゴールド免許を取った途端に
 一旦停止の所を走り抜けて新人の研修みたいななりたての女ポリスに掴まる。コノヤロウ・バカヤロウ!
 続いて直ぐにスピード違反で掴まる。
 それにしても生まれて初めてゴールドに辿り着いたこの僕の、血と汗と涙を何だと思っているんだ。

10.収穫順調
 ジャガイモは一年分、ピーマン・ナスはそれなり、大根は貧弱を数でカヴァー、何故か栗は採れない(台風であらかた落ちてしまった)。
 殆んどを自分で消費したので採算は取れっこない。
 しかし現在私がやっている唯一の生産活動なので止めるわけにもいかずつづけるとしよう。
 冬の寒いのに来年の春の収穫を狙って秘かにニンニクを植えている。

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モノを失くすという事

2017 NOV 28 21:21:17 pm by 西 牟呂雄

 僕はうっかり屋なのでしょっちゅう物を失くしていた。従って最近はできるだけ物を持たないようにしている。
 過去ヤバかったのは携帯・現金・カード等。
 酔っ払って無一文になった時の恐怖感、マニラのさる場所にパスポートごと置き忘れた時の絶望感も記憶に刻み込まれている。使っている手帳をどこかにやった時は身を引き裂かれたような気がして、全く同じデザインを見つけるのに一日中本屋・文房具屋を駆け回った。
 最近は年のせいかもはや心霊現象としか言いようのない事態になっている。これもおそろしい。
 喜寿庵の農作業に使っていた鉄の錆びた鋏が手許から忽然と消えたのには驚いた。さっきまで持っていて、失くすといけないと思って手許に引き寄せたにもかかわらず無くなった。無論必死に探したが、無い。無い物は無い。
 この鋏は切れ味はダメだったが手にした時の重量感が調度よく、長年愛用していたので寂しくてしょうがない。ネイチャー・ファームに行くと気になってアチコチ探すのだがない。新しく買ってもあの味わいは戻らないに決まっている。
 以前同じように可愛がっていたシャベルが消えたが、いつの間にか手許に現れて神に深く感謝した。
 もっと怖いのは(酔っ払ってはいたが)帰って来たら錨のマークの入っていたセーターを着てなかったこともある(ジャンパーは羽織っていた。タクシーで脱ぎ捨てたとでもいうのだろうか)。その直後にお気に入りのグレーのマフラーが突然消えて久しい。
 子供の頃は定規とか手袋を失くすと、その物が必死に僕を呼んでいるような気がして悲しかった。確か泣いたこともあった気がする。
 モノが消えるだけではない。
 記憶そのものが無くなっていることも多いのだろう。それはそれでいいのだが、こんなことを書き出したらマズい記憶が蘇ると困るので止める。そして失くしてしまった物自体は、自分から捨てた訳ではないからどこかで何かの役に立っているだろうと信じることにした。

 去年は親友を失ったし最近も親族を送った。この先自分だってどうなるか分からない。喜寿庵を整理し始めたら明治・大正の写真がワンサカ出てきて、かろうじて二代前までは顔が分かったが正体不明の人が殆んど。それらを見ているうちに、この人達のようにスンナリと忘れられたい衝動に駆られた。面倒なことをサッサと済ませてボケ老人になりたい(人の迷惑にはなるだろうが)と言ったら飛躍しすぎかな。
 何しろリチャード・ギアとジュリア・ロバーツの名前が出てこなくて、検索したら分かるだろうが自分の脳がちゃんと思い出すという行為ができるか試そうとしたら半日苦しんだ。 

 子供は色々と失くしておとなになり、オッサンは失くしたことも忘れて消えたりして。

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立ち止まってみた

人は変わる どう変わる

病室にて

2017 NOV 20 19:19:01 pm by 西 牟呂雄

ある人が入院し見舞いに訊ねた。その人は、静かに療養中だった。熱があるらしく私に気づくと『オゥ。良く来たな』と眠りから覚めた、笑顔である。
状況は深刻で一人では寝返りも打てず、痛みが走る。
『全く情けないよ』
僕は返事もできなかった。
お医者様は原因を突き止めて対策を打つと力強く仰るのだが、この年齢で外科的な手術などは本人は拒否するだろう。
するとどうなる。

外は雨が降っていた。思えば世話になったもんだが、今こうして共通に過ごしている時間の密度は私と違い過ぎる。この人ははるかに年上なのだ。
残りの人生の時間を分母とすれば、今流れている一秒一秒ですら何十倍もの密度になるはずだ。しかしただ治療に専念するしかないのである。
ポツリポツリと語るテレビから流れる時事問題、世界情勢、経済環境、何よりも我が国に起こっている様々な事柄、思うことは多いようだ。
しかし不自由な入院生活の不安や不満の方が深刻かつ重大な問題だと察する。
昔語りで、あの頃は楽しかったなぁ、と懐かしむこともない。
この人の事跡を考えれば楽しかったことは沢山あったのは想像に難くない。
元来が明るい人である。そして悲しい思いやつらい事は、逆に笑い飛ばしてしまうところがあった。

別の日には強い夏の西日の方に向いてジーッと見ている時に入室した。
『眩しくてね。こうしていると目が焼けるようだ』
と言う。目が合ってギクッとした、真っ赤なのだ。
もっと聞いておかなければならないことがあるはずだが、思い浮かばないままに淡々と会話が進む。やりのこした事はないのか、頼みたいことはないのか、聞いて欲しい事はないのか。
幸い原因はほぼ確定し治療も進んだ。しかし元の生活パターンに戻るには辛いリハビリをしなければいけない。
僕だったらその苦しさに耐える時間と残された時間を天秤にかけて、より楽な方を選択するだろう。常に前向きに取り組んでいるのに頭が下がった。
携帯は持ち込み可なので、色々な電話は入っているようだった。

暫くしてまた訪ねた。
すると超人的な気力を以ってリハビリ体操をしていた。
我慢強い。『一丁やってみるか』と声を出して自分からやっていた。
やはり体調が少し良くなってきているのだろうか、気概が伝わってきた。
8月になると終戦についての報道が増える。
「年に一度だけ思い出しゃいいってもんじゃない」
と言った。戦中派世代なのだ。
私のやや右ッパネの言動にも同意することは少ない。むしろ最近はこうも言った。
「安倍はやや危ないな」

すると入院三ヶ月を過ぎたあたりからみるみる回復し、歩行訓練をするまでに至る。途端に看護師さんの目を盗んでは禁止されているようなこともボチボチやるようになった。ヒョコヒョコとコルセットを付けずに歩いたり、の類である。要するに退屈しているらしい。
話し相手にでもなるかと訪ねると既に来客がいた。旧知の人のようだが何やら飲み会の調整をしているので仰天した。
また、別の機会にはナントカ会の名誉会長まで引き受けたようなのだ。
要するに退院するつもりでその先を見据えている。僕は振り返って自分を恥じた。先日はうんざりするような問題が公私に渡って持ち上がり、飛行機の中で前途を悲観して一瞬『これがこのまま墜ちてくれてもいい』とさえ思ったのだ。僕はまだまだだと思い知らされた。

リハビリに苦労しつつ
「もっと良くなってやる」
と不敵に笑った。そうか、僕も・・・・。

8月15日終戦に因んでのある話

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立ち止まってみた

おじさんだって前向きに生きる 

人は変わる どう変わる

我が友 中村順一君との会話

2017 OCT 9 14:14:20 pm by 西 牟呂雄

 彼の一周忌を迎えてしまう。往時茫々思いは様々、到底一言で括ることなどできない。
 彼と僕は共に真の保守主義者を任じていた。
 ところが細かい所になると各所にズレが生じていつもモメた。
 例えば靖国神社。彼は強烈な分祀論者で、例のA級戦犯合祀に憤慨していた。それに対し僕は、それでは東京裁判史観マル飲みになる、いずれにせよアメ公に犯罪者にされたに過ぎないから合祀は合理的である、と主張した。
 勿論先の戦争には大反対で、そこに至るまでを主導した東条英機に批判的だったから気持ちは分かるが、合祀以降昭和天皇は参拝しなくなった、などと痛い所を突いてきた。
 そして2・26だの一人一殺などというテロルを嫌った(当たり前だが)。
 ところがこれが『右翼』本流となると、正確には政治家=権力に対峙する反体制派で、決して現エスタビリッシュメントに迎合するものではない。その視点から言えば安倍政権も反米右翼からは攻撃される。
 そもそも合理的な理論というよりは昔から気質の問題で、今日でもそうは進化していないから日本が右傾化しているなどと言われると違和感を感じる。
 ガキの頃の我々は単純な愛国者程度の気持ちだった。
 ところがその時代の世相は大変で、憲法改正などと口走ると頭の切れる左翼が寄ってたかって僕達を苛めた。
 今から考えれば彼は数少ない、しかし油断のならない同志だったと言える。

 型を崩す事はなかった、というよりいやがった。具体的に言えば恥ずかしい話だが、僕は高校~大学と背中まで髪を伸ばしたり、ガリガリ・パーマのアフロになったり、テカテカ・リーゼントになって見せたが、その都度あからさまに不快な顔をした。『あいつは何であんな変な格好をするのか』と言っていたらしい。
 彼の家に遊びに行った後会うと
『オヤジがお前の狂った頭を見て「かわいいもんだ。旧制高校にはもっと凄いのがいた」と言ってたぞ』
と聞かされたことがある。 
 僕が愛好するボブ・ディランやローリング・ストーンズには見向きもしない。印象に残っているのは『若いモンの愛好する下らん音楽が流行って困ったもんだ』などと嫌がらせを言うのが常だった。
 はたして彼はカラオケなんかはやったのだろうか。僕は行った事はない。

 僕達はあまりにも長く付き合った。
 都会っ子でシャイな所も共通していた。第三者に僕を紹介するのに『幼馴染で親友なんです』という時は実にイヤそうだった。
 興が乗ると話を盛りまくり、10倍・100倍・10乗・100乗と吹くものだから、聞いている人は終いには何のことだか分からなくなってしまう有様だ。
 話をするのに国会答弁形式で掛け合うのもいつものこと。挙手をして『委員長』と言うと相手がありもしない役職名で指名する。『中村特別国家公安官』とか『西室枢密顧問官』と言った具合だ。すると指名された方が『ただ今の答弁には全く信ぴょう性がありません。そもそも』という具合にデタラメを喋りまくる。途中で言いよどむと相手がヤジを飛ばすという凝りようだった。
 バカバカしいことに誰も聞く人がいないのにやっていた。最後にやったのは指宿温泉の二人部屋でお銚子をバンバン空けながらと記憶する。人が見たらアブナいオッサンと間違えられたことだろう。

 不思議と彼が知り合いに僕を紹介することは多かったが逆はない。僕の仲間が彼とウマが合わなかったかと言えばそんなことはないはずだ。多分彼の放射するエネルギーが強すぎて『引力』の方が勝っていたのではないか。そういえば僕の他には右翼もいなかった。
 
 旅が好きだった。
 その趣味はロンドン駐在時に存分に発揮されたことは彼のブログに詳しい。
 僕が九州在住時にも何度かやって来たが、旅の終わりはいつも『それじゃまた近々』と握手して彼が東京にもどって行った。
 彼を見送ると自宅(単身赴任用マンションだったが)に帰るのだが、旅先ではぐれて置いて行かれた様な気がした。

 残された 人をこそ嗤え その愚かさを
    旅の終わりは  ないことと知れ

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我が友 中村順一君からのメール

我が友 中村順一君からのメール

2017 FEB 6 18:18:14 pm by 西 牟呂雄

宛)哈爾浜特務機関長
発)空母赤城航空参謀
 直チニ援軍ヲ送ル所デアルガ、友軍ノ劣勢ハ如何トモシガタシ。
 前線ヨリ至急戻り新京ノ陸軍病院ニ入院サレタシ。幸運ヲ祈ル。

 これは故人が友人である弁護士に送ったメールだ。その先生が体調を崩し、入院・手術となった際に送った。哈爾浜(ハルピン)特務機関長は弁護士先生、空母赤城航空参謀は本人のことである。

宛)大本営戦争指導課長
発)空母赤城航空参謀
 哈爾浜特務機関長ハ腹部ニ受ケタ敵弾ノ摘出ニ成功シ養生中。
 新京陸軍病院ニテ、秘密作戦会議ヲ行フニツキ明後日同行請フ。

 こちらは手術がうまくいった弁護士先生の見舞いに僕を誘ったメールで大本営戦争指導課長が僕のこと。我々はメールの際にこのような自称の役職をつくり文章に勿体をつけて遊んだ。文中の『新京』は東京の中野を指す暗号のつもりだ。自分たちの階級は相談の結果『大佐』とし、他の友達は勝手に『少佐』とか『中尉』にして呼称していた。
 実はこの遊びに弁護士先生も熱中して、初めは明野教導飛行師団長を名乗った。ところが何かのきっかけで(何だったかは忘れた)我々が適当にハルピンに左遷したことになったのだった。
 ある時、やはり共通の友人を『中尉』呼ばわりしていたのが、メールを転送した際にバレて、その氏は『お前等が大佐で何でオレが中尉なんだ』と本気で怒り出した。慌てて彼を急遽民間人『南満州鉄道調査部長』に任命してやった。ところが氏はそれも気に入らず関東軍総参謀長を自称するものの、我々はスパイ扱いして無視を決め込んだ。

 ところで弁護士先生の見舞いにはチャンと行った。
 その頃NHKで「坂の上の雲」を放映していて、故人はこれをビデオにとって熱心に科白を覚えだした。この辺は記憶力抜群の彼らしいところで、なぜか高橋英樹がやった児玉源太郎になりきって喜んでいた。しょうがないので僕は旅順を攻略した旭川第七師団長の大迫中将の役柄で付き合ってやったものだ。
『大迫、北海道の兵は強いそうじゃのう』
『閣下、強うございました。じゃっどん一万人の兵が千人にないもした(大迫は薩摩人)』
 よせばいいのに弁護士先生の病室で二人して熱中していたこのネタをエンエンとやって病人を怒らせてしまった。

 昨今ではハッキングだか何だか知らないが、大統領候補でさえメールは読まれてしまう。こういうメールをやり取りしていたのは随分と前だが、その時点でも co.jp のアドレスはチェックされているという噂はあった。
 すると、どこかで誰かが我々の事を謎の秘密結社と誤解するのじゃないかと期待して盛り上がり、暗号をたくさん作った。例えばシンガポールは昭南島(戦前の表記)にしてみたり南樺太や満州の地名を吉祥寺や田園調布に置き換えてみたのだが、いつもの事でお互いにエスカレートして終いにはどこだか分からなくなって止めた。
 まぁたとえ誰かがヒマに任せてハッキングしても頭のおかしいオヤジと思われるのが関の山だろう。思えばいいオッサンがバカみたいなことに夢中になったものだ。我々も分別盛りだったにもかかわらず、である。

 付け加えておくが、故人は保守派だが叔父上が二人戦死し父上もまた激戦のガダルカナルまで行った海軍一家のせいか戦争反対の論客だった。靖国A級戦犯分祠論者でもあり、並みの右翼キッド上がりの筆者と違って靖国神社には行かない。 
 ちなみに既に書いたかも知れないが、僕の父親が海軍の同期会代表となって『世が世であれば連合艦隊司令長官だ』と浮かれていた話をすると『実戦に行きもしないで(オヤジは卒業前に原爆投下され終戦)連合艦隊司令長官とは許し難い!絶対に認めるわけにいかん』と激怒していた。
 日韓併合・満州建国すべて間違った政策であり、脱亜入欧・海防強化を訴え続けたが、今日の世界情勢を鑑みて誠に慧眼だったと思う。
 第一次世界大戦から100年を過ぎたので、何故戦争に至ったのか、当時の世相について二人で研究してこのブログに残した。彼の「第一次世界大戦を考える」と僕が書いた「第一次世界大戦を考える オマケ」並びに「100年前の同時多発戦争」である。

 ところで僕の小倉時代に「国境視察」と称して故人がやって来たのが 小倉記 梅雨国境編 と 小倉記 年末鹿児島編であるが、この時のメールはこうだった。
宛)小倉第十四聨隊長
発)空母瑞鶴参謀
 戦局益々悪化ノ様相ニ至急国境視察ノ要有リト認ム。
 小官モ参加ス。貴官トノ機密作戦会議ヲ秘カニ設営サレタシ。
 尚、当日ハ完全武装ニテ極秘ニ行動サレヨ。

 まったく・・・。我々は50歳を越えた頃だった。

小倉記 梅雨国境編

小倉記 年末鹿児島編

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漫画ばかり読んでいた

2017 JAN 28 23:23:29 pm by 西 牟呂雄

 今から40年近く前、クソ忙しいペイペイの頃だった。コキ使われておまけに酒ばかり飲んでいたが、その泥酔と二日酔いの狭間で何をしていたかというと恥ずかしいことに漫画ばかり読んでいた。
 マンガ〇〇ー・漫画〇ラ〇・〇〇〇コミック・オリジナル・スペリオール・モーニ〇グ・リイド〇〇ッ〇、たまに少年〇〇〇〇以下3冊とキリがない。少なくとも毎朝何かを買って読みながら通勤した。
 ある日、業界新聞のコラムを読んでいた同僚の女性が顔を上げてジッと僕を見る。何かをコクられるんじゃないだろうかと身構えると、軽蔑に満ちた表情で言うのだ。
「ニシムロさんのことじゃないんですか、このコラム」
 渡された新聞を読むと大体以下のことが書いてあった。『毎朝通勤の始発の電車で良く見かける青年が座る(これは中野駅の東西線の折り返し始発と思われる)。物をわきまえたようにスーツを着こなす若いサラリーマンだが(当時は若かった)手に必ず漫画本を持っていて(ギョッ)読みふけっている。隣に座った時にその内容を目にすると、実にナンセンスでびっくりした(バイオレンス&ギャンブルが中心だったはずだけど)。子供が読むようなバカバカしい物をいい年をした青年が読みふけっているのは見るに耐えない』
 要するにオトナがこれでは将来の日本が心配だ、と言いたいのだ。そりゃそうでしょう。今でも印象に残っている作品はそれは凄いものだったから。
 だが今日では漫画どころか当時の僕よりもイイ年のオッサンがスマホ片手にゲームばかりやっている。これは進化したのか退化したと言うべきなのか。
 ところでその愛読していた漫画が記憶の彼方に飛んでしまう前にチョット思い出しておきたいと思う。
 大雑把に言ってバイオレンス系とギャンブル系を並べてみると。

バイオレンス系

『人間凶器』
 梶原一騎原作のカラテ物。例によって大山倍達がモデルの大元烈山なる名人が率いる空心会の若き空手家、美影義人が主人公。美影は空手の才能はあるのだが、どうしようもなく卑劣で女好き。自分のことしか考えていない最低の男だ。どうも若い頃に梶原一騎の姿が投影されているようで、時代背景も昭和の30~40年代に設定してあったと思う。
 ストーリーはメチャクチャで美影はアメリカに行った後メキシコにまで逃げ出す。挙句の果てにプロレスのリングに上がり、かのミル・マスカラスと対決までしてみせる。面白かったなぁ。

『野望の王国』
 後に「美味しんぼ」でメジャーになった雁谷哲の実にグロテスクな話。暴力団の妾の子である東大生が自分の野望のために次々と人を、兄までも裏切っていく。
 敵は警察官僚・敵対ヤクザ・政治家・フィクサー・宗教教団と強大な力を持っているバケモノばかりが手を代え品を代え出てくる。身長3mの大男や剣山の上で寝る怪物が、製鉄所を爆破したり自衛隊の一部を動員したり。絵もまた不気味で薄気味悪かった。
 主人公はこれでもかこれでもかと危機に陥り次々と人が死ぬ。脇役も怪しげなのばかりで名前がまた強烈。赤寺・銅魔(間だったかな)・大神楽とか。
 どうオチをつけるのかハラハラしながら読んでいたが、主人公がドンになって東大を卒業するところで終わり。多少肩すかしだった。

『まるごし刑事』
 現在も警察OBとして作家活動をしている北芝健の刑事物。まさか実体験ではないだろうが刑事(デカ)がステゴロで暴れまわる一話完結のバイオレンス・アクション。原作者自身も現在は道場主なので臨場感満載。特に相手がヤクザの場合の隠語の使い方がホンモノっぽかった。
 いくら何でもこうはいかないだろう的な話だったが、愛読していた時に作者が警察OBだとは知らなかった。
 出てくる女性の絵が太目だったところがミョーに色っぽい。
 ところで原作者の経歴には疑問が出ていることも申し添えておく。警察学校時代は正義感の強い人だったのは事実らしい。

ギャンブル系

『麻雀新撰組』
 一話完結の麻雀漫画で、かの阿佐田哲也が主催し麻雀雑誌にコラムを載せた麻雀新撰組をベースに劇画作家の小池一夫が書いた。オリジナルの小説からのネタもあるにはあるが実際は全く別の作品である。
 阿佐田哲也を思わせる局長と一見堅気風オヤジに学生っぽい若手のトリオで、大勝負をしたりイカサマを見破ったりする。
 タグのつけ方が秀逸だった。覚えているのは「賭博船血風録」とか「牌帰る」「麻雀未亡人クラブ」だったかな。
 こういうのを読むと自分が強くなったような錯覚を起こし、実際に卓を囲んでは負けていたものだった。

『パチンカー人別帳』
 「釘師サブやん」や「包丁人味平」の原作者でパチンコメーカー西陣に勤務経験のある牛次郎の原作。流れのパチプロが秘打を引っ提げて全国を巡る一話完結型の漫画。
 内容は大体女性がイザコザに巻き込まれているところに出くわしてその女性を助け、何故かパチンコで勝負になるという荒唐無稽なストーリー。
 その主人公の名前と繰り出す秘打が(もちろんあり得ない技だったが)何といったか記憶にない。たしか巻枝?だったか、技の方は「ナントカ走り」とか「カントカ落し」だったか。

 他に少年誌系があって、これは・・・・イヤ、やめておこう。

 こんなものばかり読んでいれば人間はこんなになってしまうのですぞ、お若い方々。

『職業としての小説家』 読後感

酷な出題


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日本の仮面は楽し

2017 JAN 21 11:11:35 am by 西 牟呂雄

 「ゆけ!ゆけ!タイガー。タイガーマスク」言わずと知れたプロレス漫画の傑作、その後アニメにもなり遂に実際にリングに上がったタイガーマスクの主題歌をご記憶か。その影響は大きく孤児院にランドセルを寄付し続けた篤志家がタイガーの本名、伊達直人を名乗った事もあった。最近素顔を現し、初代タイガーの主催するリングでそのヴェールを脱いだが、僕よりも若い好青年だった。

 プロレスはともかく、仮面にはえもいわれぬ魅力がある。日本では能に代表される洗練された仮面文化があり、ひいては歌舞伎の隈取のように今で言うペインティングまで残されている。いうなればコスプレの走りのような気がして楽しい。
 おかめ・ひょっとこ等ポピュラーな物の他にも邪気を祓う意味で鬼の仮面を付けた者が退散させられる伝承芸も沢山あり、『鬼やらい』『追儺(ついな)』が知られている。これらは大陸から来た風習のようで論語にも記述がある。論語と言えば二千年前になってしまうが、日本に土着して長い年月を経ると日本的というか多少ユーモラスなものに変わって行った。

なまはげ

「お~~!ウォ~~!わり~こはいねが~」
「お~~!なぐごはいね~が~」
 秋田男鹿のなまはげである。
 独特の低い声で子供を追い立てる。

 これをやったことのある人に話を聞いたことがある。
 大体2人で組んで行くと、子供を追いまわすとすぐ家の主人が正装正座で『なまはげ様、この子等も去年は随分わりかったですが、最近はずいぶんよくなりまして、ササッこちらへ』と言って酒と肴を進めてくれる。そしてガッと一杯呑みながら『そ~が~、いいごになっだか~』と一口ご馳走になってまた
「お~~!ウォ~~!」
「お~~!」
 と言いながら次の家に向かう、一日やるとベロンベロンに酔っ払うそうだ。
 最近は少子化・高齢化でお年寄り夫婦だけの家が多いが、そういう家にも”なまはげ”は訊ねて行って『ジイサマはわりーごとしてねがー』とやっているそうだ。これは微笑ましい。第一ウジャウジャと長居しないのが年寄り向きだ。

 こういう無形異文化風習は東北の一部が有名だが、他にはないかと探すとたくさんあった。

トシドン

トシドン

 
 全部紹介できないので、なまはげのように『大晦日に来る』『子供にからむ』で絞り込むと鹿児島の島嶼部である下甑島(甑島列島)のトシドンというのがそうだ。鹿児島では人のことを”〇◎ドン”と呼ぶから”歳ドン”かなと思われる。
 やはり家々を訪ねては今年の悪さをあげつらって、こちらはご馳走になるのではなくお餅をこどもの背中に乗せてあげる。
 この仮面は紙、衣装はシュロの木の皮で毎年製作しては燃やしてしまうのだとか。伝承によればトシドンは神様で大晦日の夜に首切れ馬に乗ってやって来るという。ちょっと恐いが雰囲気は南方系の感じが漂っている。
 人口減により存続が危ぶまれているらしいが、神聖な行事のため観光化をためらっている。ナンならボランティアでやりに行きたいくらいだ。

ラダックのチャム

ラダックのチャム

 双方やっていることは似ているがルーツに関しては違うかもしれない。
 これはインド北部、中国との国境に近いラダックという所のお祭。
 宗教行事だが場所柄チベット仏教で、寺の僧侶が仮面を付けて踊るチャムである。
 印象的にはここから大陸を経て”なまはげ”系の仮面となって伝播したという想像が掻き立てられる。

ドゴン族の仮面

ドゴン族の仮面

 一方『トシドン』は南方系ではないかと当たりをつけて検索すると東南アジアにかけて至る所にあって、とうとうアフリカの西側に到達してしまった。
 マリ共和国の断崖に穴居するドゴン族の仮面舞踏である。
 いくら何でもここから伝播したとは考えられないが、トシドンとの類似が感じられてカワイイ。
 ただしこの舞踏は戦いのための踊りのようだ。

 これがヨーロッパになるとカーニバル用の仮面もあるにはあるが、一般的には『マスク』の趣で、ハッカー集団アノニマスのお面なんかは気持ち悪い。”鉄仮面”なんかも暗い印象であり、”仮面舞踏会”となると何やら淫靡な感じで好きになれない。
 どなたかもっと明るい仮面を御存知の方にご教示いただけないか。

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にっ似ている

酷な出題

2016 DEC 27 0:00:22 am by 西 牟呂雄

 遥かな記憶の中に残っている疑問がある。
 小学校の3年だったと思うが大変熱心な先生(特に名を秘す)が担任でおられて、当然のことながら僕は嫌われていた。
 それはどうでもいいのだが、ご自身で問題を作っては時々抜き打ちテストをやる。
 不思議なもんで、そのうちの一問が今も記憶にある。

問題 疲れたときにどうすれば回復するか次の中から選びなさい
   寝る お風呂に入る 水を飲む ごはんを食べる

 これは今から考えてもひどい、というかどうでもいい問題ではないだろうか。
 先生による正解は『お風呂に入る』で僕は正解だったのだが、例えば山の中で疲れたらどうやってお風呂に入れるのか、と憤慨した連中がいた。特に『寝る』と回答した一団は「眠るのはどこでも寝ることができるが、お風呂には入れるわけじゃない」と食って掛かっていた。
 これは実は理科の授業で、人間の動脈・静脈の話から先生が一生懸命考えた設問だったのだろう。血流が良くなると・・・といった流れだったかと思う。
 それにしても『設問』としては苦しい。

 同じように国語の問題で、長々と例文があってその次に漢字を書け、それからラインの引っ張ってあるところで『この時の主人公の気持ちを20字以内で書け』とか『次の中から選べ』といったパターンがあった。
 大概はあまりにもトンチンカンな選択肢だったが、時々『へぇ、これもありだな』といったのが混じっていて悩んだ。今更どうでもいいのだがこういう設問は変な迷いを生じさせて子供の性格を歪めるのではないだろうか。僕なんかはこの手でバツを喰ってはヒネくれた。
 その『これもあり』のストーリーを考えて面白がっていたらテストが終わらなかった(つまり時間切れ)ことがあった。これは六年生だったと記憶する。

 時代は少し進み生涯忘れられない恥ずかしい思い出がある、これは高校に行ってから。
 ある科目で全く勉強をしていないことについて論述せよ、との問題が出た。
 僕は初めから白紙で出そうと考えていた。
 しかしあまりにヒマなので『問題はさておき』と書き出したらスラスラとお筆先のように現状の不満やら将来の不安が湧いて出て、答案用紙一杯にドーデモいい駄文を書き連ねた。先生が採点が面倒になって20点くらいは取れるかと思っていたら、大きくバツがつけられて0点。これなら白紙で出せばよかったと後悔したが実にバカなことをした。これは問題がどうのこうのではなく、受ける側の僕の問題だが。
 ところが、後日分かったのだが別のクラスにもっと凄いツワモノがいた。秀才なのだがある時、今で言うプッツンして全科目白紙で出したのだ。本当の話だ、しかも女性である。
 さすがに学校は普段の真摯な態度と以前の得点の高さに留年はさせなかったが、大問題となったそうな。僕なら一発落第なのだがケロッと進級していた。この話はつい最近本人から聞いた。

 みなさん、真面目にやりましょうね。

おじさんが集って話す事

漫画ばかり読んでいた


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本年振り返り10大ニュース事件 (オレ・プライベート編)

2016 DEC 21 21:21:42 pm by 西 牟呂雄

 今年もあと10日あまり。振り返ればオレの身辺も色々あった。無理矢理10余りを拾ってみると。

1.スノボーがキツい
 いやはやついに足に来たか。毎年技量維持のため4~5回はゲレンデに通っていたのだが、今年はたったの2回で行く気がなくなった。
 しかし今更スキーに戻るにも靴も板もない。正確には30年前の固くて長い板はあるがどうしたものだろうか。ずいぶん前にボロボロのスキー靴が割れ散って恥をかいたことを思い出す  ゲレンデに砕けたスキー靴 。
 ゲレンデのゾンビ扱いされるのもいやだし・・・。
 滑った直後、38~9度の熱が続き本当に寝込んだ。ウチの男系は代々胸・気管支が弱い。大袈裟な咳に悩まされた。これ、寝れなくなるのだ。ここでも歳を実感した。
 還暦を過ぎてから年に一度、高熱を出すようになったなあ。

お地象さん

お地象さん

2.インドに行った
 今年は春先と秋口に二度行ってきた。だいぶこの国の理解が深まる。大東亜共栄圏ではないが安倍ー蔡(台湾)-ドゥテルテ(フィリピン)ーチャクラロンコン(タイ)-モディ(インド)のグレート・アジアン・カーヴ同盟は我が生涯の夢であるが、十分可能である事を確信できた。

3.ゴルフ上手くならず
 アプローチで前が開けている時に、7番アイアンで転がす技を研いた。
 それがですねぇ、スコアには全く反映されない。腕がピッチング・ウェッジのフンワリ感を忘れられなくて結果がショートしてしまうのだ。
 シャンクもしないのに上手くならん。

神津島

神津島

4.神津島まで航海
 通称ダイアモンド・アイランド行きの片レグだったが、夜間帆走で航海した。特に明け方、水平線上に朝日が顔を出した瞬間が見られたのは至福の時。
 伊豆七島の最西端に当たる神津島は黒潮がモロに当たる関係で海は誠に美しい。
 台風が北上してきて逃げ出すように(僕は飛行機で)帰ってきたので、みんなはもう一度やると言っているが。 

5.収穫に成功
 前回は惨憺たるものだったが、今年は違う。ジャガイモなんか1年分採れた。
 細いながらも大根も合格。茄子・ピーマン・育てた訳ではないが栗、と一人前の農業家になったような気がしている。
 問題は胡瓜で、丁寧に藁を敷き詰めてセッセと水をやったにもかかわらずヒネたのが二本採れただけ。
 来年は余計な物は造らずに大増産するぞ。

6.ファイターズ日本一(特例としてプライベート編とする)
 夏前には宿敵ホークスにマジックが出かけてマイッたが、そこから15連勝が始まった。思えば中島(仮想)オーナー率いるホークスとの熾烈な戦いだった。
 何といっても大谷のリアル二刀流は本当にすごい。ビックリしたのは起用法に問題ありともされる”1番ピッチャー”で出てきての先頭打者ホームランだ。
 日本シリーズのカープも大谷の影に怯えて負けた感がある。
 まっ、メジャーに行くのは既定路線なんで来年又ユメを見させてくれ。

7.親友を失う
 何本もブログを書いて冥福を祈った。こいつは堪えました。
 書かずには彼の死をなかなか信じられない気がして綴ったものである。
 実は今年は近しい親族が何人も亡くなった。その昔通っていたピアノ・バーのオーナーも死んでしまった。
 今の心境は、逝ってしまった人々は現世からやっと解放されたのではないか、といった気持ちだ。
 そういう年回りになったんだ。 
 酔っ払っているうちにフワーッと天国に行くのがいいなぁ。今年は一度チャンスがあったが・・。

犬山城天守閣

犬山城天守閣

8.フラリと旅に出た
 春に国宝犬山城。小牧・長久手の戦いの際に秀吉が入城したとも伝わるが、天守閣は当時の物ではない。
 戦国エリアとしてこの辺りで残っているのは長篠合戦跡と関が原。来年の目標にしよう。
 秋に奈良に。印象としては奈良はまだまだ埋もれている観光名所(つまり誰も来ない)がある。
 車を走らせていて最も印象に残ったのは『相撲発祥の地』という看板だった。どうやら野見宿禰と当麻蹴速が垂仁天皇の前で戦った場所らしいのだが、是非行ってみたい。
 平城京の跡も電車で目に入ったが辿り着けなかった。旅は最低一週間は必要だ。

9.ゴールド免許
 今年、免許の書き換えで生まれて初めてゴールド免許を手にした。
 恥ずかしながら今までは必ず減点が消えずに、常に1時間講習を聞かされていた。
 一度なんかは60日免停を喰って2時間講習まで見させられた(今は無くなったようだが)。ご存じない方が多いと思うが、その内容は凄まじい。悲惨な事故現場から外科手術の光景(本物!)まで撮ってあって気分が悪くなること間違いなし。その時は講習を受ける方も歴戦のツワモノばかりで、一目で族だとわかるオニーチャンが大半。僕は浮いていた。 

10.恒例の九州遠征
 一年間戦い続けたホークスの(影の)中島オーナーとエールの交換に。
 来季の戦力分析では、やはりダントツでホークスだということで一致した。
従って我がファイターズの秘策としては、投手起用で工藤監督と達川ヘッド・コーチが仲違いするように、某略を巡らすことにする。果たしてフォースは効くだろうか。
 水炊きはおいしい!

 来年はいい年になる予感

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我が友 中村順一君を思う

2016 NOV 19 14:14:21 pm by 西 牟呂雄

 アッいう間に命日が来てしまった。
 僕の事務所から彼が最後に執務していたビルが見える。屋上までタバコを吸いに行くと思わずそっちを見てしまう。調度こちら側に面した一画がそうだったはずだ、一度遊びに行ったことがある。思えば出会いの時とお別れの寸前は声を掛ければ届くような距離にいた訳だ。
 そして恐ろしいことに途中もズッと近くで仕事をする可能性も実はあった。

 別々の学校に進学していたが付き合いは性懲りも無く続き、やがて就職の時期を迎える。彼はそれまでの言動から役所とか金融に進むだろうと思っていた。こちらはとてもそんなガラじゃない、銀行なんかとんでもないと初めから視野に無かった。
 しかし長年のチンピラ暮らしも就職ともなれば心機一転のチャンスだ。今度こそ真面目にやるんだ、と張り切った僕は後に奉職することになる固いメーカーを秘かに志望したのだった。
 何度も面接され、志望動機や仕事に対する考え方を必死に訴えたりして幹部面接に辿り着いた。
 オフィス内の広い部屋に志望の学生達が集められ、緊張しながら順番を待つ。随分優秀そうな学生達だなと些かゲンナリしたものの、同じ学年だろうと気を整えていたところに一人の学生がやや遅れて入ってきた。こいついい度胸してるな、と顔を見ると何と驚いたことに奴ではないか!『オッ』『・・・暫くだな』と目礼してみたものの落ち着かなくなった。
 確か僕の方が早く終わり奴を捕まえた。アノ時期集中的に会社訪問をする学生が真新しいリクルート・スーツでウロウロするのは大手町界隈の風物で、特に永代通りは別名『基幹産業通り』と言われていた。東京海上火災の訪問解禁日の前夜に徹夜の学生が並んだ頃の話だ。次の会社に行く方向が同じだったので二人で並んで歩いて話した。
「お前金融志望だったんじゃないのか。なんで来たんだ」
「ン?勧めてくれる先輩がいてね」
僕の心は瞬間、まさかコイツと同僚になるのじゃないだろうなと千々に乱れた。
「オイ。本気で来るんじゃないだろうな。俺はここを志望してるんだぞ」
「まァ縁があったらそうなるかも知れん」
ここで僕が致命的なミスを犯す。思わず言ってしまった。
「お願いです。止めて下さい」
すると奴はこちらの動揺を見透かしたかのように余裕の表情を浮かべ、少し顎を上げて目を合わせてきた。
「何しろ基幹産業だからのぅ」
「イヤッ、役所か金融の方がお似合いです。〇省でも△銀でも偉くなるでしょう。イヨッ次官!頭取!」
 勝負は一瞬にして決まった。絶対にしてはいけないこと、即ち奴にへり下ってしまい、うっかり丁寧語まで使った。
 考えてみればそれまでの十数年の腐れ縁が今後何十年も続くのは奴にしてもイヤに決まっているから、初めの時点では五分だったはずである。にも拘らず初動のミスで奴の方が優位に立ってしまったが後の祭。上から目線の奴に、
「コチラからそっちの領分には出て行きませんから。お願いですからコッチに来ないで下さい。」
 と必死に訴えたのだった。しかし奴は懇願する僕をせせら笑ってこう言い放った。
「風通しのいい素晴らしい会社だと思うがね」
 思わせぶりないやがらせを言った後、別れて次の訪問先に行ったのだった。

 結局奴は金融に行き同僚になることは無くなったので胸をなでおろしたが、もしそうなっていたらどうだったろうと想像を巡らす。
 奴のことだから本社の企画部門の幹部にでもなって戦略を巡らせたことだろう。そして僕はその実戦部隊に回り、最前線に飛び出していたのじゃないだろうか(実際そういう道を進んだ)。
 そうなった場合の会話を想像してみた。どっちが誰かは容易にわかるだろう。
「オイ、全く予算を達成できてないじゃないか。重大な問題である」
「ムチャ言うな。現場はこれが手一杯なんだ」
「しかしこの事業の立ち上がりの遅れは全体の経営計画の足を著しく引っ張ることになる」
「ウルサイ。その経営計画とやらはお前がテキトーに積み上げたもんだろう」
「テキトーじゃない。口を慎め。未達ともなれば戦略の見直しを求められることになるであろう」
「それじゃもっとマシな応援をよこせと言った時に何で賛成しなかった」
「応援派遣は人事の問題。コストも上がり収益も圧迫する」
「じゃお前が来てやってみせろ」
「そこを上手く何とかするのがお前の仕事である」
「これ以上は絶対に無理だ。」
「では死ね」
「よーし、お前の非を社長に訴えてその場で腹を切ってやる」
「バカ!ジンデン(二人の間では『死ね』を指す符丁)。面倒な事しないで一人で死ね。骨は拾ってやるから靖国で待っていろ」
「冗談じゃねえ、一人では死なん。お前も道連れにしてやる」

本当にこういう会話をしたような気になってしまった。
これからもあいつとはこうして対話を続けることになるだろう。

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