Sonar Members Club No.36

カテゴリー: 遠い光景

我が友 中村順一君からのメール

2017 FEB 6 18:18:14 pm by 西 牟呂雄

宛)哈爾浜特務機関長
発)空母赤城航空参謀
 直チニ援軍ヲ送ル所デアルガ、友軍ノ劣勢ハ如何トモシガタシ。
 前線ヨリ至急戻り新京ノ陸軍病院ニ入院サレタシ。幸運ヲ祈ル。

 これは故人が友人である弁護士に送ったメールだ。その先生が体調を崩し、入院・手術となった際に送った。哈爾浜(ハルピン)特務機関長は弁護士先生、空母赤城航空参謀は本人のことである。

宛)大本営戦争指導課長
発)空母赤城航空参謀
 哈爾浜特務機関長ハ腹部ニ受ケタ敵弾ノ摘出ニ成功シ養生中。
 新京陸軍病院ニテ、秘密作戦会議ヲ行フニツキ明後日同行請フ。

 こちらは手術がうまくいった弁護士先生の見舞いに僕を誘ったメールで大本営戦争指導課長が僕のこと。我々はメールの際にこのような自称の役職をつくり文章に勿体をつけて遊んだ。文中の『新京』は東京の中野を指す暗号のつもりだ。自分たちの階級は相談の結果『大佐』とし、他の友達は勝手に『少佐』とか『中尉』にして呼称していた。
 実はこの遊びに弁護士先生も熱中して、初めは明野教導飛行師団長を名乗った。ところが何かのきっかけで(何だったかは忘れた)我々が適当にハルピンに左遷したことになったのだった。
 ある時、やはり共通の友人を『中尉』呼ばわりしていたのが、メールを転送した際にバレて、その氏は『お前等が大佐で何でオレが中尉なんだ』と本気で怒り出した。慌てて彼を急遽民間人『南満州鉄道調査部長』に任命してやった。ところが氏はそれも気に入らず関東軍総参謀長を自称するものの、我々はスパイ扱いして無視を決め込んだ。

 ところで弁護士先生の見舞いにはチャンと行った。
 その頃NHKで「坂の上の雲」を放映していて、故人はこれをビデオにとって熱心に科白を覚えだした。この辺は記憶力抜群の彼らしいところで、なぜか高橋英樹がやった児玉源太郎になりきって喜んでいた。しょうがないので僕は旅順を攻略した旭川第七師団長の大迫中将の役柄で付き合ってやったものだ。
『大迫、北海道の兵は強いそうじゃのう』
『閣下、強うございました。じゃっどん一万人の兵が千人にないもした(大迫は薩摩人)』
 よせばいいのに弁護士先生の病室で二人して熱中していたこのネタをエンエンとやって病人を怒らせてしまった。

 昨今ではハッキングだか何だか知らないが、大統領候補でさえメールは読まれてしまう。こういうメールをやり取りしていたのは随分と前だが、その時点でも co.jp のアドレスはチェックされているという噂はあった。
 すると、どこかで誰かが我々の事を謎の秘密結社と誤解するのじゃないかと期待して盛り上がり、暗号をたくさん作った。例えばシンガポールは昭南島(戦前の表記)にしてみたり南樺太や満州の地名を吉祥寺や田園調布に置き換えてみたのだが、いつもの事でお互いにエスカレートして終いにはどこだか分からなくなって止めた。
 まぁたとえ誰かがヒマに任せてハッキングしても頭のおかしいオヤジと思われるのが関の山だろう。思えばいいオッサンがバカみたいなことに夢中になったものだ。我々も分別盛りだったにもかかわらず、である。

 付け加えておくが、故人は保守派だが叔父上が二人戦死し父上もまた激戦のガダルカナルまで行った海軍一家のせいか戦争反対の論客だった。靖国A級戦犯分祠論者でもあり、並みの右翼キッド上がりの筆者と違って靖国神社には行かない。 
 ちなみに既に書いたかも知れないが、僕の父親が海軍の同期会代表となって『世が世であれば連合艦隊司令長官だ』と浮かれていた話をすると『実戦に行きもしないで(オヤジは卒業前に原爆投下され終戦)連合艦隊司令長官とは許し難い!絶対に認めるわけにいかん』と激怒していた。
 日韓併合・満州建国すべて間違った政策であり、脱亜入欧・海防強化を訴え続けたが、今日の世界情勢を鑑みて誠に慧眼だったと思う。
 第一次世界大戦から100年を過ぎたので、何故戦争に至ったのか、当時の世相について二人で研究してこのブログに残した。彼の「第一次世界大戦を考える」と僕が書いた「第一次世界大戦を考える オマケ」並びに「100年前の同時多発戦争」である。

 ところで僕の小倉時代に「国境視察」と称して故人がやって来たのが 小倉記 梅雨国境編 と 小倉記 年末鹿児島編であるが、この時のメールはこうだった。
宛)小倉第十四聨隊長
発)空母瑞鶴参謀
 戦局益々悪化ノ様相ニ至急国境視察ノ要有リト認ム。
 小官モ参加ス。貴官トノ機密作戦会議ヲ秘カニ設営サレタシ。
 尚、当日ハ完全武装ニテ極秘ニ行動サレヨ。

 まったく・・・。我々は50歳を越えた頃だった。

小倉記 梅雨国境編

小倉記 年末鹿児島編

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漫画ばかり読んでいた

2017 JAN 28 23:23:29 pm by 西 牟呂雄

 今から40年近く前、クソ忙しいペイペイの頃だった。コキ使われておまけに酒ばかり飲んでいたが、その泥酔と二日酔いの狭間で何をしていたかというと恥ずかしいことに漫画ばかり読んでいた。
 マンガ〇〇ー・漫画〇ラ〇・〇〇〇コミック・オリジナル・スペリオール・モーニ〇グ・リイド〇〇ッ〇、たまに少年〇〇〇〇以下3冊とキリがない。少なくとも毎朝何かを買って読みながら通勤した。
 ある日、業界新聞のコラムを読んでいた同僚の女性が顔を上げてジッと僕を見る。何かをコクられるんじゃないだろうかと身構えると、軽蔑に満ちた表情で言うのだ。
「ニシムロさんのことじゃないんですか、このコラム」
 渡された新聞を読むと大体以下のことが書いてあった。『毎朝通勤の始発の電車で良く見かける青年が座る(これは中野駅の東西線の折り返し始発と思われる)。物をわきまえたようにスーツを着こなす若いサラリーマンだが(当時は若かった)手に必ず漫画本を持っていて(ギョッ)読みふけっている。隣に座った時にその内容を目にすると、実にナンセンスでびっくりした(バイオレンス&ギャンブルが中心だったはずだけど)。子供が読むようなバカバカしい物をいい年をした青年が読みふけっているのは見るに耐えない』
 要するにオトナがこれでは将来の日本が心配だ、と言いたいのだ。そりゃそうでしょう。今でも印象に残っている作品はそれは凄いものだったから。
 だが今日では漫画どころか当時の僕よりもイイ年のオッサンがスマホ片手にゲームばかりやっている。これは進化したのか退化したと言うべきなのか。
 ところでその愛読していた漫画が記憶の彼方に飛んでしまう前にチョット思い出しておきたいと思う。
 大雑把に言ってバイオレンス系とギャンブル系を並べてみると。

バイオレンス系

『人間凶器』
 梶原一騎原作のカラテ物。例によって大山倍達がモデルの大元烈山なる名人が率いる空心会の若き空手家、美影義人が主人公。美影は空手の才能はあるのだが、どうしようもなく卑劣で女好き。自分のことしか考えていない最低の男だ。どうも若い頃に梶原一騎の姿が投影されているようで、時代背景も昭和の30~40年代に設定してあったと思う。
 ストーリーはメチャクチャで美影はアメリカに行った後メキシコにまで逃げ出す。挙句の果てにプロレスのリングに上がり、かのミル・マスカラスと対決までしてみせる。面白かったなぁ。

『野望の王国』
 後に「美味しんぼ」でメジャーになった雁谷哲の実にグロテスクな話。暴力団の妾の子である東大生が自分の野望のために次々と人を、兄までも裏切っていく。
 敵は警察官僚・敵対ヤクザ・政治家・フィクサー・宗教教団と強大な力を持っているバケモノばかりが手を代え品を代え出てくる。身長3mの大男や剣山の上で寝る怪物が、製鉄所を爆破したり自衛隊の一部を動員したり。絵もまた不気味で薄気味悪かった。
 主人公はこれでもかこれでもかと危機に陥り次々と人が死ぬ。脇役も怪しげなのばかりで名前がまた強烈。赤寺・銅魔(間だったかな)・大神楽とか。
 どうオチをつけるのかハラハラしながら読んでいたが、主人公がドンになって東大を卒業するところで終わり。多少肩すかしだった。

『まるごし刑事』
 現在も警察OBとして作家活動をしている北芝健の刑事物。まさか実体験ではないだろうが刑事(デカ)がステゴロで暴れまわる一話完結のバイオレンス・アクション。原作者自身も現在は道場主なので臨場感満載。特に相手がヤクザの場合の隠語の使い方がホンモノっぽかった。
 いくら何でもこうはいかないだろう的な話だったが、愛読していた時に作者が警察OBだとは知らなかった。
 出てくる女性の絵が太目だったところがミョーに色っぽい。
 ところで原作者の経歴には疑問が出ていることも申し添えておく。警察学校時代は正義感の強い人だったのは事実らしい。

ギャンブル系

『麻雀新撰組』
 一話完結の麻雀漫画で、かの阿佐田哲也が主催し麻雀雑誌にコラムを載せた麻雀新撰組をベースに劇画作家の小池一夫が書いた。オリジナルの小説からのネタもあるにはあるが実際は全く別の作品である。
 阿佐田哲也を思わせる局長と一見堅気風オヤジに学生っぽい若手のトリオで、大勝負をしたりイカサマを見破ったりする。
 タグのつけ方が秀逸だった。覚えているのは「賭博船血風録」とか「牌帰る」「麻雀未亡人クラブ」だったかな。
 こういうのを読むと自分が強くなったような錯覚を起こし、実際に卓を囲んでは負けていたものだった。

『パチンカー人別帳』
 「釘師サブやん」や「包丁人味平」の原作者でパチンコメーカー西陣に勤務経験のある牛次郎の原作。流れのパチプロが秘打を引っ提げて全国を巡る一話完結型の漫画。
 内容は大体女性がイザコザに巻き込まれているところに出くわしてその女性を助け、何故かパチンコで勝負になるという荒唐無稽なストーリー。
 その主人公の名前と繰り出す秘打が(もちろんあり得ない技だったが)何といったか記憶にない。たしか巻枝?だったか、技の方は「ナントカ走り」とか「カントカ落し」だったか。

 他に少年誌系があって、これは・・・・イヤ、やめておこう。

 こんなものばかり読んでいれば人間はこんなになってしまうのですぞ、お若い方々。

『職業としての小説家』 読後感

酷な出題


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日本の仮面は楽し

2017 JAN 21 11:11:35 am by 西 牟呂雄

 「ゆけ!ゆけ!タイガー。タイガーマスク」言わずと知れたプロレス漫画の傑作、その後アニメにもなり遂に実際にリングに上がったタイガーマスクの主題歌をご記憶か。その影響は大きく孤児院にランドセルを寄付し続けた篤志家がタイガーの本名、伊達直人を名乗った事もあった。最近素顔を現し、初代タイガーの主催するリングでそのヴェールを脱いだが、僕よりも若い好青年だった。

 プロレスはともかく、仮面にはえもいわれぬ魅力がある。日本では能に代表される洗練された仮面文化があり、ひいては歌舞伎の隈取のように今で言うペインティングまで残されている。いうなればコスプレの走りのような気がして楽しい。
 おかめ・ひょっとこ等ポピュラーな物の他にも邪気を祓う意味で鬼の仮面を付けた者が退散させられる伝承芸も沢山あり、『鬼やらい』『追儺(ついな)』が知られている。これらは大陸から来た風習のようで論語にも記述がある。論語と言えば二千年前になってしまうが、日本に土着して長い年月を経ると日本的というか多少ユーモラスなものに変わって行った。

なまはげ

「お~~!ウォ~~!わり~こはいねが~」
「お~~!なぐごはいね~が~」
 秋田男鹿のなまはげである。
 独特の低い声で子供を追い立てる。

 これをやったことのある人に話を聞いたことがある。
 大体2人で組んで行くと、子供を追いまわすとすぐ家の主人が正装正座で『なまはげ様、この子等も去年は随分わりかったですが、最近はずいぶんよくなりまして、ササッこちらへ』と言って酒と肴を進めてくれる。そしてガッと一杯呑みながら『そ~が~、いいごになっだか~』と一口ご馳走になってまた
「お~~!ウォ~~!」
「お~~!」
 と言いながら次の家に向かう、一日やるとベロンベロンに酔っ払うそうだ。
 最近は少子化・高齢化でお年寄り夫婦だけの家が多いが、そういう家にも”なまはげ”は訊ねて行って『ジイサマはわりーごとしてねがー』とやっているそうだ。これは微笑ましい。第一ウジャウジャと長居しないのが年寄り向きだ。

 こういう無形異文化風習は東北の一部が有名だが、他にはないかと探すとたくさんあった。

トシドン

トシドン

 
 全部紹介できないので、なまはげのように『大晦日に来る』『子供にからむ』で絞り込むと鹿児島の島嶼部である下甑島(甑島列島)のトシドンというのがそうだ。鹿児島では人のことを”〇◎ドン”と呼ぶから”歳ドン”かなと思われる。
 やはり家々を訪ねては今年の悪さをあげつらって、こちらはご馳走になるのではなくお餅をこどもの背中に乗せてあげる。
 この仮面は紙、衣装はシュロの木の皮で毎年製作しては燃やしてしまうのだとか。伝承によればトシドンは神様で大晦日の夜に首切れ馬に乗ってやって来るという。ちょっと恐いが雰囲気は南方系の感じが漂っている。
 人口減により存続が危ぶまれているらしいが、神聖な行事のため観光化をためらっている。ナンならボランティアでやりに行きたいくらいだ。

ラダックのチャム

ラダックのチャム

 双方やっていることは似ているがルーツに関しては違うかもしれない。
 これはインド北部、中国との国境に近いラダックという所のお祭。
 宗教行事だが場所柄チベット仏教で、寺の僧侶が仮面を付けて踊るチャムである。
 印象的にはここから大陸を経て”なまはげ”系の仮面となって伝播したという想像が掻き立てられる。

ドゴン族の仮面

ドゴン族の仮面

 一方『トシドン』は南方系ではないかと当たりをつけて検索すると東南アジアにかけて至る所にあって、とうとうアフリカの西側に到達してしまった。
 マリ共和国の断崖に穴居するドゴン族の仮面舞踏である。
 いくら何でもここから伝播したとは考えられないが、トシドンとの類似が感じられてカワイイ。
 ただしこの舞踏は戦いのための踊りのようだ。

 これがヨーロッパになるとカーニバル用の仮面もあるにはあるが、一般的には『マスク』の趣で、ハッカー集団アノニマスのお面なんかは気持ち悪い。”鉄仮面”なんかも暗い印象であり、”仮面舞踏会”となると何やら淫靡な感じで好きになれない。
 どなたかもっと明るい仮面を御存知の方にご教示いただけないか。

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にっ似ている

酷な出題

2016 DEC 27 0:00:22 am by 西 牟呂雄

 遥かな記憶の中に残っている疑問がある。
 小学校の3年だったと思うが大変熱心な先生(特に名を秘す)が担任でおられて、当然のことながら僕は嫌われていた。
 それはどうでもいいのだが、ご自身で問題を作っては時々抜き打ちテストをやる。
 不思議なもんで、そのうちの一問が今も記憶にある。

問題 疲れたときにどうすれば回復するか次の中から選びなさい
   寝る お風呂に入る 水を飲む ごはんを食べる

 これは今から考えてもひどい、というかどうでもいい問題ではないだろうか。
 先生による正解は『お風呂に入る』で僕は正解だったのだが、例えば山の中で疲れたらどうやってお風呂に入れるのか、と憤慨した連中がいた。特に『寝る』と回答した一団は「眠るのはどこでも寝ることができるが、お風呂には入れるわけじゃない」と食って掛かっていた。
 これは実は理科の授業で、人間の動脈・静脈の話から先生が一生懸命考えた設問だったのだろう。血流が良くなると・・・といった流れだったかと思う。
 それにしても『設問』としては苦しい。

 同じように国語の問題で、長々と例文があってその次に漢字を書け、それからラインの引っ張ってあるところで『この時の主人公の気持ちを20字以内で書け』とか『次の中から選べ』といったパターンがあった。
 大概はあまりにもトンチンカンな選択肢だったが、時々『へぇ、これもありだな』といったのが混じっていて悩んだ。今更どうでもいいのだがこういう設問は変な迷いを生じさせて子供の性格を歪めるのではないだろうか。僕なんかはこの手でバツを喰ってはヒネくれた。
 その『これもあり』のストーリーを考えて面白がっていたらテストが終わらなかった(つまり時間切れ)ことがあった。これは六年生だったと記憶する。

 時代は少し進み生涯忘れられない恥ずかしい思い出がある、これは高校に行ってから。
 ある科目で全く勉強をしていないことについて論述せよ、との問題が出た。
 僕は初めから白紙で出そうと考えていた。
 しかしあまりにヒマなので『問題はさておき』と書き出したらスラスラとお筆先のように現状の不満やら将来の不安が湧いて出て、答案用紙一杯にドーデモいい駄文を書き連ねた。先生が採点が面倒になって20点くらいは取れるかと思っていたら、大きくバツがつけられて0点。これなら白紙で出せばよかったと後悔したが実にバカなことをした。これは問題がどうのこうのではなく、受ける側の僕の問題だが。
 ところが、後日分かったのだが別のクラスにもっと凄いツワモノがいた。秀才なのだがある時、今で言うプッツンして全科目白紙で出したのだ。本当の話だ、しかも女性である。
 さすがに学校は普段の真摯な態度と以前の得点の高さに留年はさせなかったが、大問題となったそうな。僕なら一発落第なのだがケロッと進級していた。この話はつい最近本人から聞いた。

 みなさん、真面目にやりましょうね。

おじさんが集って話す事

漫画ばかり読んでいた


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本年振り返り10大ニュース事件 (オレ・プライベート編)

2016 DEC 21 21:21:42 pm by 西 牟呂雄

 今年もあと10日あまり。振り返ればオレの身辺も色々あった。無理矢理10余りを拾ってみると。

1.スノボーがキツい
 いやはやついに足に来たか。毎年技量維持のため4~5回はゲレンデに通っていたのだが、今年はたったの2回で行く気がなくなった。
 しかし今更スキーに戻るにも靴も板もない。正確には30年前の固くて長い板はあるがどうしたものだろうか。ずいぶん前にボロボロのスキー靴が割れ散って恥をかいたことを思い出す  ゲレンデに砕けたスキー靴 。
 ゲレンデのゾンビ扱いされるのもいやだし・・・。
 滑った直後、38~9度の熱が続き本当に寝込んだ。ウチの男系は代々胸・気管支が弱い。大袈裟な咳に悩まされた。これ、寝れなくなるのだ。ここでも歳を実感した。
 還暦を過ぎてから年に一度、高熱を出すようになったなあ。

お地象さん

お地象さん

2.インドに行った
 今年は春先と秋口に二度行ってきた。だいぶこの国の理解が深まる。大東亜共栄圏ではないが安倍ー蔡(台湾)-ドゥテルテ(フィリピン)ーチャクラロンコン(タイ)-モディ(インド)のグレート・アジアン・カーヴ同盟は我が生涯の夢であるが、十分可能である事を確信できた。

3.ゴルフ上手くならず
 アプローチで前が開けている時に、7番アイアンで転がす技を研いた。
 それがですねぇ、スコアには全く反映されない。腕がピッチング・ウェッジのフンワリ感を忘れられなくて結果がショートしてしまうのだ。
 シャンクもしないのに上手くならん。

神津島

神津島

4.神津島まで航海
 通称ダイアモンド・アイランド行きの片レグだったが、夜間帆走で航海した。特に明け方、水平線上に朝日が顔を出した瞬間が見られたのは至福の時。
 伊豆七島の最西端に当たる神津島は黒潮がモロに当たる関係で海は誠に美しい。
 台風が北上してきて逃げ出すように(僕は飛行機で)帰ってきたので、みんなはもう一度やると言っているが。 

5.収穫に成功
 前回は惨憺たるものだったが、今年は違う。ジャガイモなんか1年分採れた。
 細いながらも大根も合格。茄子・ピーマン・育てた訳ではないが栗、と一人前の農業家になったような気がしている。
 問題は胡瓜で、丁寧に藁を敷き詰めてセッセと水をやったにもかかわらずヒネたのが二本採れただけ。
 来年は余計な物は造らずに大増産するぞ。

6.ファイターズ日本一(特例としてプライベート編とする)
 夏前には宿敵ホークスにマジックが出かけてマイッたが、そこから15連勝が始まった。思えば中島(仮想)オーナー率いるホークスとの熾烈な戦いだった。
 何といっても大谷のリアル二刀流は本当にすごい。ビックリしたのは起用法に問題ありともされる”1番ピッチャー”で出てきての先頭打者ホームランだ。
 日本シリーズのカープも大谷の影に怯えて負けた感がある。
 まっ、メジャーに行くのは既定路線なんで来年又ユメを見させてくれ。

7.親友を失う
 何本もブログを書いて冥福を祈った。こいつは堪えました。
 書かずには彼の死をなかなか信じられない気がして綴ったものである。
 実は今年は近しい親族が何人も亡くなった。その昔通っていたピアノ・バーのオーナーも死んでしまった。
 今の心境は、逝ってしまった人々は現世からやっと解放されたのではないか、といった気持ちだ。
 そういう年回りになったんだ。 
 酔っ払っているうちにフワーッと天国に行くのがいいなぁ。今年は一度チャンスがあったが・・。

犬山城天守閣

犬山城天守閣

8.フラリと旅に出た
 春に国宝犬山城。小牧・長久手の戦いの際に秀吉が入城したとも伝わるが、天守閣は当時の物ではない。
 戦国エリアとしてこの辺りで残っているのは長篠合戦跡と関が原。来年の目標にしよう。
 秋に奈良に。印象としては奈良はまだまだ埋もれている観光名所(つまり誰も来ない)がある。
 車を走らせていて最も印象に残ったのは『相撲発祥の地』という看板だった。どうやら野見宿禰と当麻蹴速が垂仁天皇の前で戦った場所らしいのだが、是非行ってみたい。
 平城京の跡も電車で目に入ったが辿り着けなかった。旅は最低一週間は必要だ。

9.ゴールド免許
 今年、免許の書き換えで生まれて初めてゴールド免許を手にした。
 恥ずかしながら今までは必ず減点が消えずに、常に1時間講習を聞かされていた。
 一度なんかは60日免停を喰って2時間講習まで見させられた(今は無くなったようだが)。ご存じない方が多いと思うが、その内容は凄まじい。悲惨な事故現場から外科手術の光景(本物!)まで撮ってあって気分が悪くなること間違いなし。その時は講習を受ける方も歴戦のツワモノばかりで、一目で族だとわかるオニーチャンが大半。僕は浮いていた。 

10.恒例の九州遠征
 一年間戦い続けたホークスの(影の)中島オーナーとエールの交換に。
 来季の戦力分析では、やはりダントツでホークスだということで一致した。
従って我がファイターズの秘策としては、投手起用で工藤監督と達川ヘッド・コーチが仲違いするように、某略を巡らすことにする。果たしてフォースは効くだろうか。
 水炊きはおいしい!

 来年はいい年になる予感

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我が友 中村順一君を思う

2016 NOV 19 14:14:21 pm by 西 牟呂雄

 アッいう間に命日が来てしまった。
 僕の事務所から彼が最後に執務していたビルが見える。屋上までタバコを吸いに行くと思わずそっちを見てしまう。調度こちら側に面した一画がそうだったはずだ、一度遊びに行ったことがある。思えば出会いの時とお別れの寸前は声を掛ければ届くような距離にいた訳だ。
 そして恐ろしいことに途中もズッと近くで仕事をする可能性も実はあった。

 別々の学校に進学していたが付き合いは性懲りも無く続き、やがて就職の時期を迎える。彼はそれまでの言動から役所とか金融に進むだろうと思っていた。こちらはとてもそんなガラじゃない、銀行なんかとんでもないと初めから視野に無かった。
 しかし長年のチンピラ暮らしも就職ともなれば心機一転のチャンスだ。今度こそ真面目にやるんだ、と張り切った僕は後に奉職することになる固いメーカーを秘かに志望したのだった。
 何度も面接され、志望動機や仕事に対する考え方を必死に訴えたりして幹部面接に辿り着いた。
 オフィス内の広い部屋に志望の学生達が集められ、緊張しながら順番を待つ。随分優秀そうな学生達だなと些かゲンナリしたものの、同じ学年だろうと気を整えていたところに一人の学生がやや遅れて入ってきた。こいついい度胸してるな、と顔を見ると何と驚いたことに奴ではないか!『オッ』『・・・暫くだな』と目礼してみたものの落ち着かなくなった。
 確か僕の方が早く終わり奴を捕まえた。アノ時期集中的に会社訪問をする学生が真新しいリクルート・スーツでウロウロするのは大手町界隈の風物で、特に永代通りは別名『基幹産業通り』と言われていた。東京海上火災の訪問解禁日の前夜に徹夜の学生が並んだ頃の話だ。次の会社に行く方向が同じだったので二人で並んで歩いて話した。
「お前金融志望だったんじゃないのか。なんで来たんだ」
「ン?勧めてくれる先輩がいてね」
僕の心は瞬間、まさかコイツと同僚になるのじゃないだろうなと千々に乱れた。
「オイ。本気で来るんじゃないだろうな。俺はここを志望してるんだぞ」
「まァ縁があったらそうなるかも知れん」
ここで僕が致命的なミスを犯す。思わず言ってしまった。
「お願いです。止めて下さい」
すると奴はこちらの動揺を見透かしたかのように余裕の表情を浮かべ、少し顎を上げて目を合わせてきた。
「何しろ基幹産業だからのぅ」
「イヤッ、役所か金融の方がお似合いです。〇省でも△銀でも偉くなるでしょう。イヨッ次官!頭取!」
 勝負は一瞬にして決まった。絶対にしてはいけないこと、即ち奴にへり下ってしまい、うっかり丁寧語まで使った。
 考えてみればそれまでの十数年の腐れ縁が今後何十年も続くのは奴にしてもイヤに決まっているから、初めの時点では五分だったはずである。にも拘らず初動のミスで奴の方が優位に立ってしまったが後の祭。上から目線の奴に、
「コチラからそっちの領分には出て行きませんから。お願いですからコッチに来ないで下さい。」
 と必死に訴えたのだった。しかし奴は懇願する僕をせせら笑ってこう言い放った。
「風通しのいい素晴らしい会社だと思うがね」
 思わせぶりないやがらせを言った後、別れて次の訪問先に行ったのだった。

 結局奴は金融に行き同僚になることは無くなったので胸をなでおろしたが、もしそうなっていたらどうだったろうと想像を巡らす。
 奴のことだから本社の企画部門の幹部にでもなって戦略を巡らせたことだろう。そして僕はその実戦部隊に回り、最前線に飛び出していたのじゃないだろうか(実際そういう道を進んだ)。
 そうなった場合の会話を想像してみた。どっちが誰かは容易にわかるだろう。
「オイ、全く予算を達成できてないじゃないか。重大な問題である」
「ムチャ言うな。現場はこれが手一杯なんだ」
「しかしこの事業の立ち上がりの遅れは全体の経営計画の足を著しく引っ張ることになる」
「ウルサイ。その経営計画とやらはお前がテキトーに積み上げたもんだろう」
「テキトーじゃない。口を慎め。未達ともなれば戦略の見直しを求められることになるであろう」
「それじゃもっとマシな応援をよこせと言った時に何で賛成しなかった」
「応援派遣は人事の問題。コストも上がり収益も圧迫する」
「じゃお前が来てやってみせろ」
「そこを上手く何とかするのがお前の仕事である」
「これ以上は絶対に無理だ。」
「では死ね」
「よーし、お前の非を社長に訴えてその場で腹を切ってやる」
「バカ!ジンデン(二人の間では『死ね』を指す符丁)。面倒な事しないで一人で死ね。骨は拾ってやるから靖国で待っていろ」
「冗談じゃねえ、一人では死なん。お前も道連れにしてやる」

本当にこういう会話をしたような気になってしまった。
これからもあいつとはこうして対話を続けることになるだろう。

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2016 NOV 12 1:01:49 am by 西 牟呂雄

 ゴルフを最後にやったのは五年程前、僕と同じ様な幼馴染のS氏と三人で廻った。
 彼はゴルフが好きで、凝り性だったから練習も熱心だったのではないか。非常に真摯に取り組んでいたのでその時は握らなかったと記憶する。即ち彼はパーを取り損なうと大げさに悔しがりS氏や僕はワン・パットが入ってボギーになると大喜びするといった具合にそもそも腕が違い過ぎた。賑やかにプレーしたものだった。
 スタートして午前中は暫く淡々と(ギャーギャー言いながらの意味)進んだ。ところが上がりの2ホールで突如彼がミスった。寄せをダフったり3パットをしてしまった。文句タラタラである。
 因みにそのゴルフ場は彼のコースでそれなりの所だったから、僕達の罵り合いにキャディーさんが呆れ返ってしまい『こいつらは幼馴染で行儀が悪くてすいません』等と言い訳していた。
 車じゃなかったので昼飯時はガバガバ飲んでヤッコラサという感じでバック・ナインに臨んだ。
 すると13番で僕にしては上出来の2オン1パットのバーディーを出した。『バーディ~、バーディ~』とはしゃぐ僕を二人は苦々しく見ている。
 そして次のホールで僕の後に気合入りまくりの表情で打った彼の渾身のショットはグーンと一直線に右の林の中に消えて行った。
『クソー!』
 と吠えた後、憤怒の形相凄まじくキャディーさんと林に向かう彼。
 ここは小学校以来の(我々の間の)暗黙のルールに則って彼の止めを刺すように、僕もS氏も口々に嫌がらせを言った。
『ありゃ行ったってありっこない』『探すのに時間がかかるだろうから先に行ってるぞ。ごゆっくり』
 そのルールとは『水に落ちた犬は叩け』である。
 僕等が2打目を打ってグリーン近くにいると、何打で出したのか知らないがフェアウエイに彼が出て来た。残りは180ヤード位あっただろうか。こっちは足を引っ張るつもりで『オーイ、早く打て』などと声をかけると、彼はそれを聞いてアイアンをウッドに変えた。そしてスィング一閃、目の覚めるようなナイス・ショットを繰り出した。ボールは高く上がった後我々の間を跳ねてオンしたのだ。いやビックリした。
 そして厄災はすぐに僕等に跳ね返った。僕が寄せようとしてシャンクしS氏に当たった上にバンカーに落ちた。『水に落ちた犬は叩け』S氏は途端に寝返り今度は二人で僕のバンカー・ショットの足を引っ張ろうとするのだ。勿論一発で出・・・なかった。
 S氏はその鮮やかな裏切りぶりに、故人をして『あれは一種の天才だ』と言わせしめた逸材である。まぁ小学生のやることなので今から考えれば微笑ましいと言えなくもないが、某小学校では教室で校庭で放課後で様々な合従連合がなされており、故人も僕もS氏も来る日も来る日もどう行動するかに思案をめぐらせていた。
 そして追い詰められたりした時の奥の手として『寝返り』が横行していたのだった。
 不思議な事にその『寝返り』を喰らった時点では当然怒るのだが、暫くすると一種の知的戦略の一環として『さすがだな』等と賞賛された。無論筆者もその手はよく使った。

 プレイが終わったらいつもの仲良しになって、ゴルフ場の最寄駅でガバガバ飲んで帰った。着いた時に店はまだ開いていなかったが、オバサンに粘り倒して交渉し、我々にビールの喜びをもたらしてくれたのは故人である。

 ついこの間の光景だったのだが。

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2016 OCT 31 23:23:05 pm by 西 牟呂雄

 彼のバンカーとしての事跡は多くの人の知るところであり、わざわざ記さなくても長く記憶に留まるに違いない。
 筆者はあまりにも長く彼と付き合い、それはその昔彼の神谷町の邸宅の薪で沸かした五右衛門風呂に一緒に入った頃に遡る。湯面に浮いている木の板の上に上手く乗らなければならなかったそのお風呂に、チビ二人が同時に浸かるのが難しかった。
 我々は話を面白く盛り上げるのが大好きで、何でも大げさにして喜ぶところが共通していた。
 その頃中村家はシロという犬を飼っていて、ある日二人で散歩に連れて行った。辺りが暗かったのだから冬の日だったと思う。このシロは他の犬に実に激しい敵愾心を燃やした。よりにもよってその時に途中で出会った別の犬に突如猛然と襲いかかった。体がまだ小さかった我々は慌てて綱を引いたがもう噛み付いてしまい、とても手に負えない。自然と役割分担し綱を筆者に任せた彼は必死の形相で割って入り何とか治めた。にもかかわらず相手の飼い主であるオッサンは我々を怒鳴りつけ、二人で何故かペコペコ謝ったのだった。
 彼の家に帰って事の顛末を話すと御母堂様は『しょうがないわねぇ。猫なんか一噛みだから』と呟かれた。筆者がその光景を想像しておののくと、奴はその一瞬の表情を見逃さずこう言った。
「何しろ毎朝起きると庭に猫の死骸がゴーロゴロしてるんだぜ」
 ビビッたも何も、自宅に帰って母親にその通りの事を伝えた。『ねぇねぇ、順ちゃんチの犬はすごいんだよ』と子供がびっくりして訴える口調だったのだが、それを聞いた母は呆れ返った。
「アータもバカね。順ちゃん家みたいな住宅街でそんなに野良猫がいるはずないでしょう。いいこと、一年は365日あるのよ。年間730匹もその犬が噛み殺すはずないでしょう。どうせ一匹か二匹くらいの話を、全く順ちゃんも順ちゃんだけど信じ込んで帰ってくる方もどうかしてる。アータ達二人を遊ばせてると・・・・。」
 あっ。

 この話はその後50年も経った後でモメた。確か指宿温泉に泊まった時だ。
「お前が言った口調まで覚えてる。『ゴーロゴロ』と言った」
「言ーってない。言うはずがない」
「イヤ。言った。オフクロ様の言葉も記憶している」
「バカ言え。考えても見ろ、シロは10年は生きてたんだぞ。7300匹も噛み殺せるもんか(この辺で記憶が蘇ったようで少しあわてる)」
「今計算しただろ。『ゴーロゴロ』と言っただけで『毎朝』とも『二匹』とも言ってないぞ(せせら笑ってやった)」
「(動揺を隠しながら)公式記録は残されていない」
「当たり前だろ。何が公式記録だ、このヤヒコー(わからないだろうが二人の間では最低の侮辱)」

 彼の趣味の一つに競馬があった。確か中学生の辺りから抜群の記憶力と推理好きが相まって片っ端から血統やらレース・レコードを暗記し、G1レースはおろか地方競馬までを網羅した。高額の馬券を買い漁るわけではなく、予想を楽しんでいたと思う。
 その彼が惚れ込んでいたのが菊花賞を取ったアカネテンリュウという名馬で、この馬がいかに優れているかを長々と解説された。
 この話は以前ブログに彼に無理矢理アカネテンリュウを買わされたように書いたが真実はこうだった。
 確か1971年の有馬記念だと思うが『絶対にアカネテンリュウが来る』とわざわざ電話してきて断言する。そこでオチョクッてみたくなり『今回は無理だろう。オレはダテテンリュウに乗る』と宣言したところ『あーんな馬が来るもんか。どこがいいんだ』と猛烈な反論を始めた。その後言い合いになって引っ込みがつかなくなり、互いに単勝を買う事になったのだった。僕はその時初めて場外馬券を買ったはずだ。
 ところが冗談みたいな話だが、結果は両馬共ギリギリまで競って八歳の牝馬スピードシンボリに負けた。
 次に会った時には双方気まずいの何の。そして最も気になっていたことを僕は聞いた。
「お前裏切ってスピードシンボリに流してないだろうな」
「俺は大丈夫だやってない。お前も単勝一点買いだろうな」
「よかった」
 お互い損したことが確認できた途端二人ともゲラゲラ笑い出した。

 読者諸兄諸姉よ。このブログは故人の尊厳を揶揄するものではないことを改めて申上げる。筆者と故人の間の思い出だが、筆者が頭でも打って(先日ひどく打って出血した)記憶を失えば永久に知る人の無くなってしまう話なので、故人を偲ぶ意味で書いてみた。
 昨日の天皇賞に彼の供養のつもりで何年振りかで馬券を買ったが、暴れ馬エイシンヒカリの単勝に万券ぶち込んでスッてしまった。

 順よ、どうしてくれる。

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2016 OCT 22 11:11:05 am by 西 牟呂雄

 順よ、貴様を送ることになるとは。遺骸に接してただただ呆然とするしかない。
 貴様との長い付き合いも既に半世紀を越えている。
 その昔、都内某小学校のピカピカの新入生がアイウエオ順に並べられ、ナ行で俺の前に座ったのが当時頭一つ大きかった貴様だった。
 付き合いが深まるに連れ互いの家を行き来すると、育った環境が(親戚の構成に至るまで)あまりに似ているのに驚いたものだった。貴様の父君は帝国大学から海軍、我がオヤジは海軍から帝大。御母堂様は三回忌を済ませた亡き母と同じ女学校の二年先輩。そして我々は同じクラスにいて、後に一人づついる妹が学年違いで入ってきた。
 当時から今に至るまで、飽きもせず同じ冗談で笑い同じセリフで罵り合い同じ東京言葉で話をしてきたのだ。今となっては『談笑はやめよ』『ラッチャッチャ』『ラーラー』『ジンデン』『ヤヒコー』など誰も意味すらわからない言葉を作って遊んだ。
 小学生の時分から妙に大人びた口を利いてはそれに飽き足らず、もう一つヒネッた会話を楽しんだ。最もその鍔迫り合いの火花が散ったのはボード・ゲームのモノポリーだ。ただのサイコロ・ボード・ゲームを談合・裏切りが横行する駆け引きの戦いにしたのは貴様と俺だ。エスカレートしてしまい、どっちの方が卑怯な手を考え出すかという実に奇怪な知恵比べに興じたものだった。
 世界史・地理では歯が立たなかったが日本史は俺の方が詳しかった。英語の成績はいつも負けたが数学で逆転した。貴様の方が足は早かったが水泳は俺だ。ゴルフもいつも負けたがスキーは俺の方が上手かった。相撲でかなわなかったが・・・もう止めておこう。
 健康優良児であり高校まで皆勤を通した貴様がこんなことになって、喘息持ちでロクに学校に行けなかった俺が貴様を送るとは全くもってシャレにもならん。
 そういえば助け合うとか慰め合うようなことはどちらも控えた、東京人の意地の張り合いなのだろうか。双方の結婚式にも列席していない、年賀状も交わさず、家族ぐるみの付き合いもしていない。おそらくは貴様にも苦しいときがあったのだろうが、会えばどちらも大げさな表現で笑い飛ばしグチはこぼさなかった。不思議な友情と言うべきだな。
 途中、貴様がロンドンに赴任しこちらが東南アジアをうろついていた頃には交流が途切れていたが、いつの間にか連絡が取れて酒を飲んだ。
 国境視察と称して二人で対馬まで行き、わざわざ自衛隊の基地を見に行ったのは四年前だったか。阿蘇では偶然隣り合わせたイタリア人一家と盛り上がり、俺が多少のイタリア語を喋ったのが気に触ったようで自慢のキングス・イングリッシュをまくし立てられたのには閉口したが、貴様らしい振る舞いではあった。
 そして例によっての罵り合いが全く変わっていないことに気が付き、俺達はこの50年間一体何をやってきたのかと笑った。
 最近ではこのブログで一緒にテーマを模索するなど、これからもこの腐れ縁が続くのだとばかり思い込んでいた。去年貴様が腰が痛いと言い出した時も、例によって何を大げさなブラフをかけてるんだと大して気にも留めなかったことが悔やまれる。
 痩せてしまった貴様を見舞うのは正直つらかったが、せめてもの慰めになればと昔話をし、かすかな反応を確かめた。
 ご家族の悲しみには遠く及ばないにせよ貴様がいないと淋しいぞ。
 だがいずれ俺もそっちに行く、遅いか早いかだ。貴様に先輩面されるのはいささか不愉快ではあるが、その時はそちらの作法を教えてくれ。そして最後まで決着のつかなかった論争を語り明かそう。あしたのジョーは死んだのかそうでなかったのか、を。
 だからいつもの言葉で今日は送る。『それでは又、近々』   

合掌

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あれらはどこに行ったのだろう CM編

2016 JUL 24 15:15:36 pm by 西 牟呂雄

 エースがインタヴューを受けている(設定はベテランの元速球派ピッチャー。演ずるは原田芳雄)。セリフがいいぜ。
「客は試合を見に来てるんじゃないんだ。オレを見に来てるんだな。伝説の男、原田を」
 このシリーズは続編も撮られていて、メッタ打ちを喰って交代を告げられた原田が怒りの形相も凄まじくロッカー・ルームに行く。そこへ監督(本物の故稲尾氏)がキツイ一言。
「そろそろ変化球も覚えろよ」
 当時は良くパロって言っていた。
「顧客は会社からモノ買ってるんじゃないんだ。オレから買ってるんだよ。伝説の営業マン、ニシムロから」
 誰もまともに聞いてくれなかったが。
 これはキリンビールが出したシャウトというビールのCMで、近所の酒屋からこればかりケースで買っていたがヒットに至らず無くなってしまった。味?フツーのビールでしたね。

 ♪気儘な姿で ごめんなさい 空から突然 ごめんなさい♪
 この歌を覚えている人は相当なマニアです。グンゼのパンストのコマーシャルだ。美貌のモデル、松尾ジーナがミニ・スカートでブランコに乗り空中散歩をするコンセプトに、いやもう悩殺されましたネ。この〝ごめんなさい″のところは『ゴーッメン・ナ・サ・イ』と舌足らずに歌っていたのが印象的だった。
 その後、当時(星野一義が出て来る前)日本一速いと言われグランド・チャンピォン・レースを連覇していた高原敬武と結婚する。レーサーとモデルのカップルに軽薄な僕達はあこがれたものだった。高原敬武の実家はお金持ちの材木問屋で、友達の家の近くだった。そこに遊びに行った時に偶然赤ちゃんを抱いてあやしている松尾ジーナを見たことがある。モデルの割には意外と小さい人だったのを覚えている、無論とびきりの美人でハッとした。 

シスコーン

シスコーン

 「エンヤカヤカヤカヤ!エンヤカヤカヤカヤ!」
 元気な掛け声でネイティヴ・アメリカンと思しき男の子と女の子が出て来るアニメ。
 このリズムは今でも耳に残っていて懐かしいのだが、一体何のコマーシャルだったのかは全く覚えていなかった。改めて検索してみると『シスコーン』というただのコーン・フレーク。このアニメ・キャラが可愛らしくて好きだった。
 当時は海外の情報も少なく、ネイティヴ・アメリカンは未だにこんな格好をしているのかとも思った。
 そうそう『インド人もびっくり』なんていうのもひどいステレオ・タイプであんな格好はシーク教徒しかしない。

 そう言えば『ハッパフミフミ』の大橋巨泉さんが亡くなった。11PMの頃からお馴染みだった。コマーシャルではないがラジオで楽しんでいた。そう、プレイ・ボーイクラブですね。TBSの深夜放送の前にやってたアレ。
 多才な人だった。でもこの人眼鏡を取ると野村克也さんにそっくりだ。

 しかし一般に大ヒットしすぎたコマーシャルは商品名が一致しないことが多い。大昔はやったエリマキ・トカゲが走る画像が何のCMだったか覚えている人はいるだろうか。筆者は無論思い出せない。
 それ程ヒットしたとも思えないが長ーいこと同じパターンでやり続けて商品名をスリ込ものに成功した事例はこれだ。「カステラ一番電話は二番、三時のおやつは文明堂」御存知、文明堂豆劇場と称して猫だか熊だかの操り人形がラインダンスを踊るアレだ。僕の少年期からいい年になるまでズーッとやっていた。
 
 しかしこの「電話は二番」とは何を言っているのか謎だ。

あれ等はどこに行ったのだろう

あれらはどこに行ったのだろう Ⅲ


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