謎の人物
2016 JUL 2 18:18:47 pm by 西 牟呂雄
ご存知、聖徳一家の画像でこの太子の尊顔が旧一万円札になったから、我々昭和オヤジには大変馴染みがある。
太子を中心に向かって右が長男の山背大兄王だとは知られていたが、左は一体誰なのか。太子の他の息子だろうとは思っていたが偶然(研究者はとっくに知っていたろうが)分かった。殖栗皇子(えぐり の みこ)という太子の弟だそうだ。弟と長男の立像とは知らなかった。
弟は腹違いも含めて4人、息子は8人まで数えてみたがまだいるかもしれない。嫡男はともかく一人の弟がなぜ選ばれているのか分からない。やっと名前は突き止めたが何かをした人でもなさそうだ。ひょっとして全部うそじゃないかな。
函館フランス外人部隊、というものは無いが、幕府の歩兵である伝習隊を指導したのはフランス陸軍である。その士官・下士官で幕府がギブアップした後、函館まで行ったグループがある。義に感じたものと見られ、全員一旦フランス軍を辞めている(給料が高かったのかもしれないが)。全部で5人。中央でソッポを向いている人がリーダー格のブリュネ大尉、後に復帰してフランス陸軍参謀総長になった人物だ。
函館軍は彼らの指導もあって号令なんかも「バタリオーン(大隊)アルト(進め)」とやっていた。
その隣にいる日本人は函館政権の幹部のはずだが榎本武揚でも大鳥圭介でも、ましてや土方歳三でもない。これもネットでしつこく探したら分かった。松平太郎という幹部である。
松平というから、将軍の筋の妾の子かと思ったら幕府ができる遥か前に三河で分家した家系で只の幕臣だった。有能な人だったらしいが明治期に外務省に出仕シウラジオストックに行く。かに地で商売を始めたがうまくいかなかった。武家の商法というヤツの典型でその後は不遇だったとか。![MIKASAPAINTING[1]](https://sonarmc.com/wordpress/site36/files/2016/04/MIKASAPAINTING1.jpg)
あまりにも有名な日本海海戦時の三笠艦上の絵。東郷司令長官は皆さんご存知かと思う。
ところが、この絵に書き込まれている人物は全員どこの誰だか分かっているのだそうだ。例えば秋山参謀は右から三人目であることが分かっている。
この中に一人、私の良く知っている人物の遠縁がいるらしいのだがそれがどれなのか分からない。
今度会って確認することにしよう。
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熊谷直実顛末 Ⅲ
2016 MAY 5 19:19:28 pm by 西 牟呂雄
それからと言うもの御上人様の行くところには必ずワシがお供をし、身の回りから何から全てお世話した。叡山系の悪僧兵あたりが邪魔をすることもあったから、そんな時はワシが一睨みで追い返した。
ワシには難しいお経を読めとかいうご指導は無駄だと思われたか、ひたすら『南無阿弥陀仏』を唱えよと仰るだけだ。だから御上人に話しかけられたりすると、その一言一句を聞き洩らさずにおくのだ。もっともほとんどが分からないことばかりだがな。
御上人様は色々な所から是非話を聞かせて欲しいと呼ばれることも多い。ついていくとワシらは上には上がれない、上がり框に正座させられている。襖を閉められてしまうと御上人の講話は聞こえてこない。招いた方は有難がってなるべく色々な事を訊ねたり御上人をもてなそうとしたりするので自然と時間が掛かる。
そういうことが重なったのである日ワシはつい大声を出した。
「あ~あ、こんな所に座らされては有難い御上人様のお話が耳に入らんわい。『南無阿弥陀仏』は堂上公家が唱えようがワシのような地下人が唱えようが御利益は同じじゃと言うに。」
周りは青くなっておったし帰り道さすがに御上人様も機嫌が悪かった。
それから少し考えた。ワシなぞはお側にいても物議を醸すばかりだから、どうしたらもっとお役に立てるかを。それで思いついたのが教えを少しでも広められるように”寺”をいろんなところに建てて、学識深い高弟に座してもらうことだ。
暫く夢中になって建立三昧に明け暮れたが、考えてみればワシの故郷をすっかり忘れておった。ひとつ真の寺で近在の百姓共にも『南無阿弥陀仏』の唱え方でも教えてやるかという気になった。
旅立つときはこれからの事に胸が高ぶっていたが、途端にお師匠様との別れがつらくなり、ワシとしたことが何やら悲しかった。その思いは行くに連れて深くなるばかりでどうにもならん。気が付いてみれば御上人のおわす方角は東下りのワシにとっては西、西方浄土に当たるではないか。そこでワシは馬に置いた鞍を後ろ向きに据え直し、後ろ向きに馬に乗りながらひたすら『南無阿弥陀仏』を唱え続けながら帰った。
さて、熊谷に戻ってからはもはや所領も何もない。庵を結び念仏三昧に暮らした。しかし百姓に念仏を教えても有難がるばかりで一向に上品(じょうほん)になるとも思えん。やはり御上人のように人に諭すなんぞワシの柄でもないのだな。それはまあ致し方あるまい。
それじゃいっそのこと上品上生し、仏と成った暁にはあたりの者共救い弔いたい、と考え出した途端にまたあの西行坊主を思い出した。詠んだ歌通りに入寂してみせたとのこと、笑止の限り。それならばワシは念仏のお力を借りて、ちゃんと事前に人々に知らしめてから見事に往生してみせよう。
秋風も吹き出したし、頃合も良し。翌年の二月八日に極楽浄土に生まれると大書して高札を立てた。
おかげですっかり気も晴れて、日々の念仏にも力がこもったものだ。
それが、だ。八日を過ぎても十五日を過ぎても全然往生せん。返ってピンピンしてくるのはどういう訳か。ワシの念仏精進がまだ足らんと言うのか。ええい、クソ。
イヤ、待てよ。ここで破れかぶれになれば元の木阿弥。ここは一つ久しぶりに御上人様にお伺いを立ててみるか。思いのたけを訴える長い手紙を書いてみた。なんでワシは思うように成仏できないのか、と。
御上人の返事には只六文字『南無阿弥陀仏』と書かれていたのみであったわい。
そういえばズーッと悩まされていた敦盛公の幻影を見なくなっていた。
史実では再び高札を立て、翌年の秋に往生したと言われている。その年にはかねてから対立関係にあった延暦寺の僧兵が『専修念仏』の停止を迫って蜂起し、日和見後鳥羽上皇により念仏停止が発せられた。法然は讃岐国に、弟子の親鸞は越後国に流された。法力房 蓮生 健在であれば一暴れもしたであろうか。真に天の差配と言うべきか。それにしても忙しい男であった。
おしまい
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熊谷直実顛末 Ⅱ
2016 MAY 3 10:10:14 am by 西 牟呂雄
不貞腐れているうちに今度は足元で所領争いが起こってしまった。
昔から反りの合わない久下直光との間では、久下郷と熊谷郷の境界について長いことモメており、いっそ直光めを一揉みに捻り潰そうかと思った。しかし御家人間の争い事は御法度で、とうとう鎌倉殿の評定を仰ぐ破目になってしまったのだ。
これにはあの梶原景時の奴が裏で糸を引いていたに違いない。あいつは普段から鎌倉殿にあることないこと吹き込んでいて、御曹司の足を引っ張ったのも景時だという噂もある。
鎌倉殿の御前に呼び立てられたが、直光はかねてから武勇はからきしのくせにベラベラ捲し立ておった。殿はいちいち頷いたりしてはワシの方に例の陰険な目付きで『直実はどうか。』などと言うではないか。
「熊谷郷はともかく大昔から我が郎党の支配していることは明らかで・・・・。」
じつは夕べもあの敦盛公の顔が一晩中チラついて眠れなんだ。
言葉でやり取りするのが苦手なワシは終いにバカバカしくなって、腹がたってきた。おまけに梶原景時がこちらを見てせせら笑っているのがわかって爆発した。
「この上は何を申し上げても無駄なこと」
立ち上がってその場で髻を切り落として席を蹴ってやった。鎌倉殿が呆気に取られていたが、無礼もクソもあったもんじゃない。
カーッとなって屋敷には帰らず所領にも行かずに馬を飛ばした。するとまたあの敦盛公の顔が浮かんできてしまい、ワシはもう坊主にでもならねば救われないとまで思いつめた。気が付けば京の都に来ていた。
仏門に入るからには最も高名な方に弟子入りしなければ気が済まぬ。その気になって聞き回ってみると坊主はどいつもコイツも自分の宗派の自慢話ばかりしているようで嘘くさい。そもそも坊主共が喋り捲る言葉の意味すら分からんのに、南都六宗だの天台がどうの真言がこうのと言われても区別もつかんのだ。
しかし都をウロウロしているうちに変わり者の坊さんの噂が入った。面倒な修行や学識と関係なく、ただ『南無阿弥陀仏』とだけ唱えよと触れ回っていて、都で下々の輩に評判だと言う。何しろ敦盛公の顔がチラついてうんざりしている上に頭を丸めて武士でもなくなった身だ。藁をもすがる気で会いに行く事にした。ほうねん、という名前だ。
するとさすがに流行っている様で、門前には待ち人が大勢いる。別に弟子入りに来た訳でもないような老若男女が念仏を唱えながら人だかりしておった。ところがワシの異様な風体に驚いたらしく、その人塊がよける様に割れた。剃髪してはみたものの僧衣なぞ持ち合わせないから首から下は武者風のまま、帯刀までしていたから呆気に取られたようだ。案内を請うとその坊主も腰を抜かしてしまい、次の間に通されたのだが、何時まで立っても目通りかなわん。
そこでまた例の敦盛公の幻影が出た。ワシはひたすら念仏を唱えては見たものの消えない。
一体いつまで待たせるのだ。
このままでは地獄に落ちてしまう、エエィ、クソッ。
こうなったら腕の一本でも切り落としてやると刀に手をかけたところ、坊主が『ヒーッ』と声を上げて大騒ぎになり、やっと御上人に取り次いでくれた。恐らくワシの目は眉間の縦皺も荒々しく真っ赤な光を放っていただろう。
ところがその法然上人は息一つ乱れておられず、僅かに笑みさえたたえておられた。
『御上人様ー。それがし、日本一の剛の者などと呼ばわっては戦に明け暮れる事幾十年。』
言上もクソもワシも何を言っているのか分からなくなるほどに逆上しておったが、その穏やかな尊顔を拝しているうちに静まってきた。そして最後にこう聞いた。
『ワシのような者にも後生はありや。』
法然上人はポツリとお答えになった。
「罪の軽重をいはず、ただ念仏だにも申せば往生するなり、別の様なし」
すると何と不覚にもポロリと涙がこぼれ、それ収まらず次々に湧き上がってきてしまい、とうとう赤子のように大声でわあわあと泣き喚いていた。
つづく
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熊谷直実顛末
2016 MAY 1 0:00:23 am by 西 牟呂雄
御曹司(源義経)の独断と先走りには困ったもんだ。ワシ等関東で散々鎌倉殿(源頼朝)の優柔不断にはイライラさせられたが弟君はまるで逆だ。戦のことはワシ等に任せておけばいいものを、いつでも先頭に立って突き進んでしまう。そもそも戦の作法を御存知ないからしょうがない。戦というものは名乗りを上げて身元を明らかにした上で一騎打ちとなるのが上等。それが何だ、大将が物も言わずにただ突っ込んで後からズラズラ家来共が付いていき手当たり次第に蹴散らしていく。しばらく陸奥の国にいたと言うから戦のやり方も学ばなかったのだろう。大体一番首を取る武士の名誉を何だと思っているのか。自分は御曹司だから恩賞に興味がないのか。
あの一の谷の時もまさかのスキをついて勝手に駆け下りてしまったので、いやワシも焦ったの何の。大慌てで転げ落ちそうになりながらとにかく先頭に出たものだ。ところが平家は慌てふためいて逃げだすばかり。とにかく大将首を上げなければと大声を出した。『日本一の剛の者なり!』とな。すると平家にも物をわきまえたと見える公達がいて、向かってきた。無我夢中で討ち取ってしまったが、あの気高さも感じさせる若き武者と戦ったのも、奇襲なんぞという胸糞悪い振る舞いに及んだ御曹司の策略のせいだ。古式に則ってさえいればあの若武者を亡き者にしなくても、いくらでも名の有る武将とやれたものを。と思っていたところ、その首こそあの敦盛公だった。
聞けば我が息子を同い年とは。眠りかけた時にふとあの化粧首が目に浮かんだりすればとても寝られたものじゃない、誰にも言えないがな。
おまけにいつも側についている化け物のような大入道の弁慶も生意気でかなわん。奴は薙刀を振り回して暴れるのでじゃま でしょうがない。生臭坊主のくせに偉そうにするのも気に入らん。御曹司の家来衆はどいつもこいつも出自の怪しげなのばかりで、あれでは武士とは到底言えないような輩だ。
何だかんだで屋島や壇ノ浦では大してやる気も出ず、さっさと帰ってきてしまった。
御曹司は壇ノ浦では逃げ惑って船を渡り歩いたくせに、いつのまにか八艘飛びの大活躍だったことになっていてワシは益々興醒めしたもんだ。腰越で留め置かれたのはいい様だと少しは溜飲が下がったがな。
ところが一方で御曹司はその後も都の法皇様(後白河法皇)に入れあげすぎて勘気を被り、平泉まで逃げたところを討ち取られてしまう。兄弟なのに鎌倉殿の陰険さに辟易させられた。
ところが鎌倉殿は鎌倉殿でワシ等を散々こきつかって平家を滅ぼしたと言うのに、恩賞のケチなことケチなこと。これでは全くの骨折り損だわい。
そのくせ、最近益々偉くなってしまって立ち居振る舞いをわざわざ都人のように改めておられるから、ワシなぞやりづらいのなんの。公家やら坊主やらが頻繁にやって来るのも気に入らぬ。おまけに和歌なんぞを嗜むなどと言い出して、冗談じゃない。
先日やけに目つきの鋭い大柄の法師が招かれていたが、ありゃ何物だ。僧行を纏ってはいたがスキのない身のこなし、周囲の気配の読み方、一瞬帝の刺客かと思ったくらいだ。暫く滞在して鎌倉殿の所に呼ばれていくのだが何の話をしているのか。
ワシもいっそのこと出家でもしてやろうかと思っていたのでちょっとは興味を持った。ところが西行とかいう旅ばかりしているインチキ坊主で元々は武士ではないか。しかも流鏑馬の名人という。
鎌倉殿がわざわざ弓馬のことについて訪ねたところ、一切忘れたなどと人を食った返事をしてシレッとして見せたそうだ。
おまけに高名な歌詠みだと聞いて益々癪に障った。人が戦に明け暮れている頃に和歌三昧とはふざけている。伊勢神宮で詠んだとかいうあれは何だ。
『何事のおわしますをば知らねども かたじけなさに涙こぼるる』
こんなものワシでも詠める。ただかたじけない、が歌になるとは知らなんだ。
更にムカついたのは鎌倉殿がいたく気に入っていた銀で造った猫の置物を気前良く与えたという。ワシ等にはケチ臭いことばかり言うくせに漂泊の坊主風情にくれてやるとは。
しかも西行法師はそれを持たずに奥州に旅立って行ったのだ。どうやら通りすがりのガキにやってしまったらしい。その噂を聞いて一層大嫌いになった。
数年後、その西行法師が死んだ。風の便りに聞いたところ大層その死に方が評判になったそうだ。
『願はくは花のもとにて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月の頃』
と詠んでいた通り本当に桜の季節にお釈迦様の命日の1日後、二月十六日に入寂したという。どうせ偶然だろうが気障な真似をするわい。
つづく
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戦国奇譚 風雲小田原攻め
2016 MAR 10 18:18:16 pm by 西 牟呂雄
信長亡き後その後継者の座をかっさらい天下を取ったと号令を掛けたものの、秀吉にはまだ厄介な相手が大勢いた。最大のライバル徳川を辛うじて臣従させ、遠国島津を力攻めで抑え込み、次に片付けなければならないのが関東だった。
武田の騎馬隊を通さず、戦国無敗の上杉謙信を押止め、秀吉の召喚を頑として撥ね付けるは小田原。何としても早いうちに北条は潰しておかねばその先には伊達もいる。更にここで天下人としての号令をかけられなければこの下克上の世の中、面従腹背の輩がどう動くか分からない。秀吉は踏み絵を踏ませるがごとく大動員を図った。
小田原は箱根を背負った天下の要害、大軍での山越えは利あらず。東山道を進軍した部隊に、上杉景勝、直江兼続、真田信繁といった歴戦の諸将が北関東から攻め下り、猛烈な抵抗に合いながらも鉢形城・岩槻城と抜いていった。
ところが石田三成が指揮を執っての忍城(おしじょう)攻めから戦いの様相が一変する。
三成は羽柴軍得意の水攻めとばかりに利根川から石田堤を築くが、攻め切れず膠着状態に陥る。
家康は某夜、秘かに一人の男を呼び寄せた。とは言っても呼ばわったのは大声だった。
「いずこにありや。」
「服部半蔵、御前に。」
声はしているが姿はない。
「近う。」
「はっ。」
「のう、近頃の戦、はかばかしくあらず。」
「仰せの通り。」
「石田殿の軍略もまずかろう。半蔵、伊賀13人衆を連れ忍城を見て参れ。」
「御意。」
人影は初めから終わりまで見えないままだった。
半蔵と伊賀衆は長大な堤に立って見渡すと、忍城はまるで水に浮いているように見えた。
「お頭、そこに!」
指した20間(35~36m)程先の闇の中、うごめく影が見て取れた。半蔵が目配せすると5人の伊賀者が音も無く動き出す。するとその影も気配を察したように立ち上がり脱兎の如く走り出した。影は三人だった。
「何物だ!逃げる所をみると北条の忍びか。」
たちまち取り囲んで半蔵が低い声で言った。伊賀衆は既に抜刀していた。
影の者は背中を合わせるように対峙していたが、突如懐に手を入れ投げ放った。ブーンという飛翔音とともに飛んで来る物を各々が身を翻らせてかわす中、半蔵は背中に背負った忍び刀を抜きざまに叩き落す。足元に転がった物を一瞥してつぶやいた。
「十字手裏剣。風魔か!」
その刹那、後方の堤でドーンッ!という大爆発音がして闇夜に更に墨を流したような黒煙が上がった。伊賀衆が振り向くと同時に堤の一角に亀裂が入り、一条の土砂が流れ落ち出したのが見て取れた。
「いかん。退け!」
伊賀衆は一斉に半蔵について駆け出したが、3人の賊はそのまま佇んでいた。
ゴーッと地鳴りのような音とともに堤が決壊していく。あたりはすぐに水浸しになり、濁流は石田軍の陣を襲った。不意を突かれた軍勢は指揮命令が乱れ、我先に逃げ出す者で陣営はごった返し数百人が流されて溺死する有様に陥った。
かろうじて欅の大木によじ登ってしのいだ伊賀衆の視界に、一艘の筏が流れるように過ぎていく。人影が四人、こちらの方を見ていた。3人は先程の賊のようで、他に一人。その七尺を越える一際デカい巨体の男が不適に笑った。両眼が裂けるように大きく、かつ遠目にも真っ赤な異相をしている。次の瞬間弓を引き絞って射掛けてきた。矢はうなりを上げて弧を描きドスッと半蔵達が連なっていた巨木に突き刺さった、矢文が結んである。一番近くの枝に足を懸けて蝙蝠のようにぶら下がっていた者が素早く文を取るとクルリと体を変えて半蔵に手渡した。
ー風魔忍法龍神ー
「あの化け物が風魔の小太郎か。」
半蔵がつぶやいた。同時にはっきりとした声で断を下した。
「次の戦が危ない。我等はこれより八王子に向かう。百足!蜘蛛!おぬし等はその旨を急ぎ殿に伝えよ。」
二人、欅の大枝を背丈ほどに払い腹に縛り付けると濁流に飛び込んで姿を消した。伊賀流独特の水遁の術である。
(この欅は『天神社の大ケヤキ』として行田市佐間の水城公園に現存している。)
八王子城は上杉景勝・前田利家・真田昌幸の1万5千人が包囲していた。城内にこもるのはわずかの将兵の他、領内の農民・婦女子を主とするたったの3千人に過ぎない。
上杉景勝は踏み潰せとばかり力攻めをしたが、城内からの矢玉は雨のように降ってくる。守りは堅く前哨戦では多くの犠牲者を出した。しかもその緒戦の夜、何者かが忍び込み兵糧米に油をかけて放火した。当面は近隣の糧秣を調達しなければ攻撃ができなくなった。
某夜、上杉景勝と前田利家は真田昌幸を交えて合議していた。
「籠城している横地監物は覚悟を決めて徹底抗戦の腹ですな。場内に内通する者も全くおらず。」
大将格の上杉景勝が重い口を開いた。兵站を担当している前田利家も応じた。
「北条氏照は既に小田原に行って戻らないのだが、城中は全員討ち死にを覚悟しておる。先日の兵糧を焼かれてその後八方手を尽くしておるものの、このあたりは元々米の作付けは少なく思うに任せぬ。太閤殿下は既に沼津に参られたゆえ、早急にこの城を落さねば。」
「ご両所、ご案じ召されるな。明日にでも我が指揮下に元武田の黒鍬者(土木工兵隊)の一隊が参じまする。これらは山城の攻撃には慣れてもおりますゆえ、我が精鋭とともに此度は搦め手より一気に攻め上って見せまする。」
「おう、真田殿がそう申されるは心強い。」
と前田利家が応じた途端に『ワァー』と騒ぎが起きた。何事かと皆身構えた。
「申上げます。不審な者共、突如陣中に現れ武者500騎の繋ぎ馬の綱を切って火を放ちました。」
「何と!見張りは何をしておったのだ!」
「それが地の中から湧いて出たごとく。」
「たわけー!」
前田利家が旧主信長の口癖を叫び立ち上がって出て行く、上杉景勝・真田昌幸も続いた。
滝山口から現在の青梅街道沿いに一群の騎馬隊が駆けて行く。不思議なことに人が騎乗しているのは先頭を行く10人程、後は馬だけが百頭程もいるだろうか。夜道のため全力疾走ではないが蹄の音をガラガラと立て進んでいた。相模の方を目指し淺川を渡ったとき、大音声で裂帛の気合がかかった。
「喝(カァーッ)!」
馬は一部前足を高く上げて嘶き、主を乗せていない後方の多くは怯えて隊列を崩した。最後尾の一群は元の道へ戻ろうとし、制御できなくなった。
「何奴。」
一番前の巨人が呼ばわった。割金のようなドラ声が闇に発せられると同時に懐から十字手裏剣を掴みだして虚空に投げ放った。ガッと音がして手裏剣が落ちると、そこには忍び装束の男と僧侶が立っていた。
「風魔小太郎。又まみえたな。」
「伊賀の半蔵、溺れ死なずにノコノコ現れたか。そのクソ坊主は天海か。」
「いかにも南光坊である。わざわざ引導を渡しに参った。可可。」
「伊賀者、臆したか。役にも立たない念仏乞食まで連れてきおって。」
風魔衆は全員馬を捨て、小太郎を中心に三角形の隊列を組み抜刀した。小太郎のそれは2m近くもある斧の様な剛剣であった。
その時、淺川上流方面でドーッンという爆発音が聞こえた。風魔が龍神の術を使ったのか。
天海が合掌しながら奇怪な文言を唱えだした。
「阿毘羅吽欠蘇婆訶(あびらうんけんそわか)阿毘羅吽欠蘇婆訶・・・・」
風魔はその声を聞くと同時に刀の切っ先を高く上げた独特の構えで隊形を組んだまま無言で半蔵と天海に向かって突進した。小太郎の目が真っ赤になっていた。近づくに連れ『ウーッ』という獣のような声を上げて進んで来るのだ。それは流れを増しだした川の唸り声のようでもあった。
半蔵はとんぼを切って姿を消す、後に残り『阿毘羅吽欠蘇婆訶』を唱える天海に向かって小太郎の剛剣と数本の刀が同時に振り下ろされた。が、全て空を切り、小太郎の剣は川原の砂利を砕いた。
「ヌッ、これはオボロ影か。」
突如稲妻が二度三度不気味な閃光を放ち、直後に雷音とともに豪雨が降り注いだ。
既に足元の水嵩が上がって風摩の足元を濡らしている。上流からの筏を待っていたのだ。
そしてその筏が流れに乗って姿を現したが、その大筏に乗っているのは服部半蔵と天海なのであった。
「しまった!」
「龍神の術、敗れたり。」「阿毘羅吽欠蘇婆訶。阿毘羅吽欠蘇婆訶。」
大筏の周りには伊賀13人衆が水遁の術を使いながら押し寄せてきた。
風魔の衆は呪文に当たったのか、次々に気を失い流れに飲まれていく。一人小太郎のみ仁王立ちになって水流にあがらっていたが、大太刀を担ぐと超人的な力で大筏に進む。彼我の距離が5間程に近づくと、いかなる術を使ったか『クワァーーーーッ!』と怪鳥の叫びと共に小太郎が飛翔した。
伊賀衆は頭上を飛び越えようとする異形の巨体に思い切り手裏剣を撃ちこんだ。ドスッドスッと手ごたえがあったと見え反対側の水面にバシャーッと水音を立てて落ちた、そして瞬く間に流れに飲まれていった。
「阿毘羅吽欠蘇婆訶。阿毘羅吽欠蘇婆訶。」
「天海僧正。仕留めましてござる。」
「喝ー!水音が軽すぎる。あれは変わり身、半蔵、追え。」
半蔵と伊賀衆は小太郎の本体を求めて抜き手を切って闇に消えていった。
この戦いの一部始終を全て見ていた者が二人いる。九度山にいる真田信繁配下の忍び、猿飛佐助と霧隠才蔵である。二人はいずれ戦う徳川の忍者の実力を見極めるため、あえて加勢もせずに一部始終を見ていたのだった。
服部半蔵から忍城の苦戦を聞いた徳川家康は、ゲリラ戦では風魔小太郎に歯が立たないと考え、急遽南光坊天海を派遣してこれを全滅させた。小田原はその後陥落する。しかし小太郎は全身に傷を負い、右腕を失いながらも生き残っていた。その後徳川の関東転封時に風魔一統は盗賊集団として復活し大暴れするが、それは又別の話。家康が征夷大将軍になった年に江戸で捕まり処刑された。
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幕末の八郎
2015 DEC 17 6:06:24 am by 西 牟呂雄
越前福井藩は幕末四賢侯の一人と謳われてた松平春嶽公が最後の藩主だ。この人は御三卿田安家の八男で越前松平家に養子に入った。幕閣でもあったし徳川慶喜とは従兄弟に当たり、立場上公武合体派だった。激動の時代故に毀誉褒貶はあるものの、まあ会津みたいにやられることもなく維新後も大蔵卿などを歴任する。
その春嶽公の元で福井藩の財政改革を見事に仕切り、維新後も金融財政政策に関わった由利公正という逸材がいる。五箇条の御誓文の原文作成に参画している。坂本龍馬の船中八策が元になったと言われているが、由利公正は龍馬と大変に親しかった。
ところで由利公正は維新後の名乗りで、以前は三岡八郎だった。”八郎”だから藩主と同じ八男坊かと思ったら何と長男だった。
同じようなケースが幕末の剣豪伊庭八郎。御徒町の剣術道場「練武館」を営む心形刀流宗家伊庭家の嫡男として生まれたが”八郎”である。大変なイケメンだったようで、腕の方も『伊庭の小天狗』の異名を取ったほどの使い手、さぞモテたことだろう。
この”小天狗”という言い方は同時代の士学館(鏡新明智流。桃井春蔵)にいた上田馬之助という(プロレスラーじゃない)剣豪も『桃井の小天狗』と言われていたようで、どうも大変な称号らしい。他にご存じ北辰一刀流の玄武館にも千葉周作の次男、栄次郎が『千葉の小天狗』と言われた。もう一つ練兵館(神道無念流。斎藤弥九郎。ここで桂小五郎が塾頭をしていた)を加えて江戸の三大道場、あるいは練武館を入れて四大道場と言う。
さて、心形刀流の得意手は『突き』。八郎もこの両手を一杯に張り出した飛燕の突きの名人だった。ところが幕府軍遊撃隊として戦闘中に左手首を斬られる。その後函館の榎本軍に合流する船中で、このままでは骨が飛び出してしまうと医者に言われ自ら肘から先を切断、以後隻腕となる。両手を使っての突きはできなくなるが、函館遊撃隊隊長として奮戦するも被弾。最期はモルヒネを飲んで自殺した。
末広がりで縁起がいいのか、自ら進んで八郎に改名した人もいる。新撰組を作った男、庄内藩士清河八郎だ。剣は北辰一刀流免許皆伝、学問は江戸昌平黌に学ぶ秀才、将に文武両道の一種の怪人である。尊皇攘夷の志士として虎尾の会を結成するが、メンバーが凄い。旗本直参山岡鉄太郎、薩摩藩士益満休之助等15名。この益満は後に江戸を混乱に陥れるために市中を引っ掻き回し、皮肉なことにこれの鎮圧に当たったのが江戸の新撰組、即ち庄内藩預かりの新徴組だった。新徴組が勢い込んで薩摩藩邸を焼討した時に捕まった危険人物。後に西郷率いる東征軍が江戸に迫った時に、山岡鉄舟が下交渉に西郷を訪ねた時に連れて行った。
清河は京都まで浪士を連れて行った後、突然『将軍警護でなく尊王攘夷の先鋒のためだ』と宣言し近藤一派と袂を分かち、江戸に帰ったところを暗殺される。残ったのが新撰組だ。
話は変わるが、さる忘年会の席で僕の目の前にサイトウゲンジさんなる人物が座った。私の古い友人で、若い頃は大変なイケメン。今でも白髪鮮やかな貫禄充分のオッサンである。実は物凄い秀才だったことも確認されている上に性格も穏やか。私のマヌケな酒にも文句一つ言うことなく付き合ってくれる貴重な友人と言えよう。山形は庄内の出身で最上川下りの話を聞いた。
何故その話になるかと言うと、清河八郎が改名する前の名前は『斎藤元司』と言うのだ。実家は庄内地方の造酒屋で大金持ち。目の前のサイトウゲンジさんも何やら物腰はやんごとない。そして遂に白状した。
「その斎藤はウチの隣だ。」
要するに清河八郎の親戚というか末裔というかその筋の人なのだ。
酒癖の悪い私はうっかり口が滑って北辰一刀流でバッサリやられてはかなわないと深く反省した。往時茫々、世が世ならば一刀両断にされていただろう。
他に彰義隊の副頭取の天野八郎というのがいる。旗本を自称しているが実際はあやしい。群馬県のあたりの名主の次男坊なのだが町火消の養子になって江戸に来る頃離縁、その時旗本に化けたのではないか。直新陰流の剣術を学んでいた。
ちなみに彰義隊の頭取は渋沢成一郎といって大実業家渋沢栄一の従兄弟である。
黒門の戦闘になった時に後ろに誰もついて来ず「徳川氏の柔、ここに極まれり」と嘆いた事になっているが、この点筆者は少々疑っている。負けて市中に潜伏していたところを捕縛されて獄死。
どうもあんまり縁起がいい名前とは言えないかもしれない。
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昭和亜空間戦争 Ⅱ
2015 AUG 8 22:22:18 pm by 西 牟呂雄
大塔宮マッカーサーと白洲将門の霊界戦争の火蓋が切って落とされた。
大量に開放された共民党員は普通選挙を通じて市民権を得ると、将門は秘かにこれを支援して怨念を撒き散らす。慌てた大塔宮はG2の下部にキャノン機関を設置し妨害工作に出る。将門は新興の愚連隊を使ってそれを又妨害する。
終戦連絡中央事務局の参与としてオックスフォード仕込みの英語で米軍人を煙に巻き、頑強に主張し続け嫌がらせを徹底する。「従順ならざる唯一の日本人」と呼ばれてニヤリとして見せた。
日本国憲法について、両者の対立は頂点に達する。民政局長のコートニー・ホイットニー准将をオチョクリ倒してついに大塔宮を激怒させるに至り無理矢理翻訳させられるが、将門はチャランポランに翻訳して涼しい顔だ。今日まで論争の的となる悪文の数々はいい加減に翻訳したためである。
ただ、調子に乗って返還された広畑製鉄所の売却に暗躍して富士製鉄社長の永野重雄と取っ組み合いになったのはマズかった。人間界ではやはり腕力がものをいうため、柔道で鍛え抜いた永野に引きずり倒されコテンパンにやられた。
組合を結成させたのはいいが世情が不安定になりマズくなってくると、大塔宮は一転してゼネストを中止させ緊縮財政のために大量解雇を実施させる。
すると将門は禁じ手ともいえる行動に出て、ついに下山事件を起こす。この時は電力分割のドサクサに関わって北東電力の会長に化け、民間人に戻っていた。
大塔宮はすぐさま三鷹事件・松川事件を起こして対抗する。
しかし世の中は次第に安定してきて、再び実空間と亜空間の乖離が始まっていた。
突如朝鮮戦争が勃発した。北朝鮮が民族の統一を掲げて雪崩れ込んできたのだ。あっと言う間に連合軍(国連軍)は半島から叩き出されそうになる。大塔宮マッカーサーは慌てた。
現地では連戦連敗、指揮命令も満足に伝わらない。破れかぶれになって仁川上陸作戦を発動すると共に韓国にいた旧帝国陸軍経験者を招集させた。指揮官は大陸の英雄、金錫源大佐。総合指揮官がマッカーサーだと聞くとさも愉快そうにうそぶいた。
「日本軍を破った男が日本軍を指揮するのか。よろしい。日本軍が味方にまわればどれほど頼もしいか、存分にみせつけてやりましょう。」
更に大量の人民解放軍にビビッて原爆使用を申し出た時点でマッカーサーは解任される。
羽田から帰国するフライトの直前。未だ大塔宮であるマッカーサーは最期の霊力を振り絞って怨念を振りまき、日朝新聞のコラムに『マッカーサー元帥。ありがとう。』と書かせた。
飛行機が飛び立つとダグラス・マッカーサーは長い眠りから覚めたような錯覚にとらわれ、ふと一体自分はどこで何をしていたのか、と思った。側近が『元帥閣下。議会での演説の草稿はいかがされますか。』と聞いた時、口をついて出たのが以下の言葉である。
「Old soldiers never die; they just fade away. 」
これがそのまま使われたのだった。
大塔宮は離陸した途端に亜空間に去った。
一方、白洲次郎も北東電力会長を辞した。只見川の水利権を超法規的措置という荒業で東京電力からむしりとるような大暴れは影をひそめ、大沢商会会長や軽井沢ゴルフ倶楽部理事長等を務めた。
将門もまた亜空間に戻り、白洲次郎に戻ったのだった。
今回も決着がつかず現在も尚、亜空間での戦いは続いている
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昭和亜空間戦争
2015 AUG 7 8:08:01 am by 西 牟呂雄
朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク。
先の昭和大帝の捨身の「終戦詔書」のあまりにも有名な出だしである。録音は800字超、5分近い長いもので、一般には『堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス』の部分が各種報道・映画等に挿入される事が多い。
原案は内閣書記官長迫水久常。漢学者川田瑞穂が起草し安岡正篤が加筆したとされる。安岡正篤はその時点で大東亜省顧問だったか。しかし何をしたかについては殆ど記録はなく、本人も語っていない。
さて、戦争に関する諸問題についてはここでは置く。実はヤマトの亜空間においては、敗戦後に霊界戦争が勃発していたことを知る者はいない。
片や大江戸総鎮守でありながら怨霊界の帝王、平将門。果敢に挑戦したのは何度怨念比べで跳ね返されても蘇る、大塔宮護良親王。両者とも首が胴から切り離された異形の怨霊である。両者は神田と鎌倉という至近距離にいながらも互いに潰し切れず、長年対峙し続けていたのだ。ところがヤマトの実空間である『日本』が建国以来の敗戦により占領されるという未曽有の事態に陥り、そのため亜空間の方にも大きな歪みが生じてしまった。そして再び雌雄を決することとなったのだ。しかもその亜空間の歪みにより、実空間との距離が嘗てないほどに接近したため、人間に怨霊が憑依するという特殊な霊界戦争になったのである。
厚木に降り立ったのはGHQ総司令官ダグラス・マッカーサー元帥。元来権威好き威張りたがりの彼は初めの一歩をどう演出するかで頭が一杯だった。コーン・パイプもゆっくりしたタラップの降り方も占領軍という立場を最大限誇示するため、エラソーに見えるようにしようと考えたのだ。
しかし彼は実力でフィリピンから追っ払われ『I shall return』と悔し紛れの捨て台詞で逃げ出した屈辱に未だに悩まされていた。南方島嶼部の激烈な戦闘も、圧倒的不利な状況下での日本軍の凄まじい抵抗の報告が上がっていた。その本土に降り立つのだ。どのようなゲリラ攻撃が仕掛けられるのか、内心では恐怖感で一杯だった。
その心のスキを護良親王は見逃さなかった。事もあろうに横田に降り立った直後、すかさず憑依し大塔宮マッカーサーとなったのだ。
しかしこれは戦略的には間違っていたのだが、目の付け所は良かった。
平将門は当然大塔宮の動きを察知した。しかしこちらは旧軍人や政治家といった関係には目もくれず、何とその時点では民間人に過ぎなかった白洲次郎という人物に憑依して白洲将門と成りおおせていた。白洲次郎は戦中の隠遁生活からようやく復活したばかりだったが、ハッタリの強い悪魔的なキャラである。後にエッセイストとして健筆を振るった妻正子の奔放な言動にも振り回されていた。それが敗戦の大混乱の中、英国時代の付き合いから宰相吉田茂に『手を貸してくれ。』と口説かれて精神のバランスがおかしくなった。そこを将門に狙われた。
しかしこのタイミングでは両者の実空間の力の差はデカすぎる。とうてい将門には勝機はないものと思われたが、さにあらず。実は東京裁判があることを予見したために一民間人に憑依したのだ。
そもそも怨霊のパワーは人間界には向いてはいない。目の前の敵よりもより強い怨念・恨みのパワー・ビームを浴びせることが本義であって、人間界の地位とは関係がない。
更に大塔宮マッカーサーは大きな失敗を犯す。昭和大帝に会ってしまったのだ。
現在の皇室は北朝系、大塔宮は南朝嫡流。一応学問上は南朝正統とされているが相手は霊性において怨霊などものともしない大帝である。ここでパワーを相当失った。
後に憑依が解けて書いた回想も自身の記憶は全て飛んでしまった為、口だけの礼賛に過ぎない。
大塔宮はその破壊衝動を隠しつついかにも善人面をしながら まず帝国陸・海軍を解体。 思想、信仰、集会及び言論の自由を確保するといい、治安維持法を廃止、特高警察も廃止、政治犯を即時釈放する。更に政治の民主化、政教分離、財閥解体、農地解放と矢継ぎ早に指示を飛ばす。
一方将門は占領下にも拘らず終戦連絡中央事務局次長、経済安定本部次長として政権中枢に君臨し、虎視眈々と相手の動きを伺っていた。
つづく
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新撰組外伝 公家装束 Ⅱ
2015 JUL 26 8:08:04 am by 西 牟呂雄
夜半、島原に通じる道を影が落ちるほどの明るさで月が照らしていた。
一人の公家が早足で歩いていたが、人気のない辻で歩みを止めて後ろを振り返った。しばらく虚空を見つめていたが、体を反転させて両手をダラリと下げた。
「何用や、壬生狼やな。」
すると漆黒の闇の木陰から男がスッと出てきた。
「姉小路様。夜道は危のう御座いますよ。」
「沖田であろう。」
「良くご存知で。何のための夜道歩きで御座いますか。」
「ほほほほ。寝付ぬ故。」
「お遊びも過ぎますとお怪我ではすまなくなりますよ。」
「抜くが良い。来やれ、天然理心流の技の冴えを見せよ。」
と言い捨てると、白柄の太刀を鞘から抜き払った。
「これはこれは・・。」
総司もすらりと抜き正眼に構えた。
しばらく睨み合うと、姉小路の剣先がツツッと下がっていく。下段脇構えである。そのままスウッと前に進もうとした刹那、総司は太刀を立て八相に構え直した。姉小路の動きは止まる。両者の動きは竹刀剣道では使わない人切り剣術なのだ。
総司が『ハッ』と気合を発して切り掛かる、無論様子見である。姉小路はくるりと体をかわし、独楽のように一回転した。見たことも無い動きだ。
瞬時に姉小路が同じ下段脇構えから『イヤァーッ』と突きかける。総司は後ろに跳んで伸び切った剣先を見切る。
「臆するか。沖田総司。」
「フムッ!」
疾風の速さで小手を払うように剣先を振るったが、姉小路はまた独楽の回転で身をかわす。
両者は剣を合わせない。もし誰かが見ていたならば、月下の元、白刃が青白い光を放ちながら空を切り二人の男が舞っているようにしか見えなかっただろう。
姉小路は再び下段脇構えに入った。しばらく沈黙が続く。
「おじゃれ。沖田。」
誘っているのである。総司は黙って上段に振りかぶり、怪鳥の雄叫びを上げて切り込んだ。
「キィェーイ。」
姉小路はこれを受けずに身を縮めると、下から猪突の突きを出す。
「シャアアァ。」
これを辛くもかわすと総司は銃を構えたようにし、太刀の刃を外側に向けた独特の型で必殺三段突きを放った。
「ヤッヤッヤァー。」
飛燕の動きに総司は勢い余って前にのめり、二人の体が交錯した。姉小路のきらびやかに装飾された刀がガシャッと音を立てて落ちる。ついに一度も刃を合わせることなく勝負は決した。総司は懐中の紙で血を拭きパチリと鞘に戻して向き合った。
「姉小路様、お命に関わりはなけれど今後は剣を使うことはかないますまい。」
「壬生狼。鮮やか也。」
鮮血に利き腕が染まっている。
「剣はいずこで。」
「鞍馬山。」
「すると姉小路様はカラス天狗ですか。」
「ホホホ。」
「本当のお名前は聞かずにおきます。もう辻斬りはお止めください。」
総司はそれだけ言うと振り返りもせずに帰っていった。
余談であるが、翌日島原大門の前にカラスの死骸が落ちており、人々はこれを凶兆として恐れたと言う。
明治の高官、太政大臣贈正一位大勲位の岩倉具視は人前で決して肌を見せなかったと言う。
公家にしては度胸が据わっており、征韓論の時も圧倒的迫力の西郷隆盛に一歩も引かず対峙した。また、赤坂仮皇居前で不平士族の武市熊吉(高知県士族)に襲撃された際に、独楽のように身をかわして助かったことも史実である。
立憲問題時もゴネて辞表を提出したり病気と称して出仕を拒否したり、とやりたい放題だった。
その岩倉が肌を見せないのは右上腕部の肉が大きくえぐれていたからだ、という噂が当時囁かれたが、真実の程は伝わっていない。
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新撰組外伝 公家装束 Ⅰ
2015 JUL 25 6:06:25 am by 西 牟呂雄
「副長。又隊士がやられました。」
怒気を含んだ斎藤一が報告に来た。それを聞いた土方は『ケッ。』と舌打ちしながら立ち上がった。
「何番隊の野郎だ。」
「一番隊隊士。椎野剛之助です。」
「総司ー!何やってんだ。行くぞ。」
「あーハイハイ。」
「バカヤロー。ハイは一回でいい。」
「はーい。」
「縮めろ!」
「さ、行きましょう。椎野さんも気の毒に。」
土方にこんな口がきけるのは隊内でただ一人、沖田総司だけであった。黄昏時が過ぎた紫紺の空に月が輝いていた。場所は島原の先、屯所からは少し下った所との報告だった。
肩をいからせて進む土方の後ろを沖田・斎藤と監察の山崎進が付いていく。人通りは少ないというか誰ともすれ違わなかった。
壬生を下って島原まで当時は畑もあるような場所で、一同は提灯を持っていた。
「総司。椎野は何だ。女狂いか。」
「狂っちゃいませんがそこはそれ、誰だって行くでしょ。」
「お前は配下の隊士には好き勝手させてんのか。」
「やだなぁ。夕べはウチは非番ですよ。非番の時にどこにいるかはわからないでしょ。」
「・・・・。」
向こうから紫の公家装束の男が足元を男衆に照らさせながらスッと歩いてくる。この男、物凄く早足で提灯で足元を照らす者は小走りに走っていて、風のように一行とすれ違った。
土方は一瞥をくれた。真っ白に塗り眉を落とす公家化粧をグロテスクな物だとこの男は忌み嫌っていた。この若い公家は広い額、大きく切れ長の目、引き締まった口に紅をさし、いかつい顔だった。
「ごっさん(公家のこと)。御公家様。待たれよ。新撰組だ。」
「あい。」
「こんな時間にお一人か。その先で人が切られた。物騒ですよ。」
「おそろしき長(なが)刀(がたな)。壬生狼(みぶろ)か。」
「お名前は。」
「ホホッ。姉小路(あねのこうじ)綾麿。」
月に照らされた青い顔がうっすらとほほ笑むと踵を返して去って行った。
「なんだありゃ。薄気味悪りい。」
「歳さん。あいつ血の臭いがする。」
「血だぁ。」
「以前に人を切ったことがありますよ。ねぇ斎藤さん。」
「うむ。それに公家にしちゃやけに腰を落とした歩き方。剣を使うでしょう。」
「あんな女みたいなのがか。」
「土方さんは人切りばかり見てて遊郭にも足を運ばないからアノ手の殺気は分かんないんでしょう。」
「ウルセー!」
椎野の死体は綺麗なもので、胸の一突きで絶命していた。
「何流なんだ、この太刀筋は。」
「椎野の剣は刃こぼれしていますね。一か所だけですけど。これ陰流、いや新陰流じゃないかな。」
「だから一人でウロウロするなと言ったんだ。しょうがねぇ。」
「近藤さん。近頃隊士が切られる。この二月(ふたつき)で三人もやられた。」
「歳、たるんでるんじゃねえか。気組みが足らない奴に一人歩きさせるな。下手人は長州野郎か。」
「それが良く分からん。十津川だとか土佐だとか噂はあるんだが、さっぱり見えねえ。」
「切られるのは新撰組だけか。」
「そうなんだよ。佐々木さんの見廻組にも会津藩にもやられた奴はいねえ。」
「腕の立つやつに夜回りでもさせるべぇ。」
「沖田、永倉、斉藤あたりだな。」
「歳、お前もだ。」
「当たり前だよ。」
「おい、総司。何をゴロゴロしてるんだ。夜回りはいいのか。」
「歳さん、今晩は永倉さんが行きましたよ。」
「バカヤロー!副長と言え!」
「だけど毎晩行ってもしょうがないでしょう。いつも出るわけじゃないし。」
「だから毎晩行けと言ってるんだろうが。」
「副長。気が付いたんですけどね。切られるのはいつも一人。それも決まって晴れた戌の日の晩ですよ。」
「本当か。早く言え!」
「今気が付いたんですよ。」
「次の戌の日はいつだ。」
「あしたです。」
「よし。明晩一番隊を連れて巡察に出るぞ。」
「副長。ダメダメ。あいつは一人じゃないと出ませんよ。」
「アイツって誰だ。お前知ってんのか。」
「見当はつきますよ。あの若い公家、姉小路と言った。」
「バカ。見当違いも甚だしい。あんなのに新撰組が切られる訳がねぇ。」
「副長も都(みやこ)にうといな。ああいう筋の人達はねえ、そりゃ大体がナヨナヨして子供ができなかったり病気がちだったりしてますけど、血筋が絶えちゃマズいって本能が働いて何代かに一人くらい獣みたいなのが出るんですよ。」
「ゴタク並べてるんじゃねぇ。屋敷は調べたのか。御用改めで踏み込もう。」
「すぐそれだ。何の詮議だって踏み込むんですか。それに土方さんや近藤さんの剛剣じゃまともに立ち合わないでしょうね。」
「オレが敗けるとでも言うのか。」
「そうじゃないですよ。土方さんだったら向こうは抜かない。まさか公家さん相手にいきなり切り掛かるわけにもいかないでしょう。僕に任せておいて下さいよ。」
「勝手にしろ!」
つづく
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