亡き友 中村順一君へのレクエム
2022 OCT 23 7:07:40 am by 西 牟呂雄
どうにもならないことがある。
それでも納得とか合点がいかない。あいつが死んで7回忌にもなるのにオレが生きている。
順番が違うだろう、えっ。ふざけやがって。
オレ達はあの時代にはマイナーだった保守派だった。だが微妙にズレていて、あいつは保守本流でオレは反体制無頼派を気取った、分かり易く言えばチンピラのことだが。周りは頭の切れる左派ばかり。それが何故か『力を合わせて』という感じにはならず、罵りあってばかりいた。
ヒマに任せて何時間も電話で話したこともあった。何を話したか全く記憶にないのは、恐らく意味のない会話だったに違いないが、何時間も話し続けられたのは謎としか言いようがない。そのころ互いに彼女がいなかったことは事実だ。
九州に単身赴任していた時に訪ねてきてくれた。今更だが、正直うれしかった。
『マイレージが期限切れになりそうなので使わにゃならんのだ』
『国境の防衛状況を視察する』
『特攻の英霊を慰めに行きたいから付き合え』
いちいち奴がひねり出して恩着せがましく言い放った旅の理由である。こう言いながらも1年に3回も会いに来てくれた。知り合いもいないオレを励ましに来たのは分かっていた。
病魔に臥せった奴を見舞いに駆け付けた時、すでに奴は会話もままならなかった。
『オレが来たからにはもう大丈夫だぞ』
と振り絞るように声をかけた。そして以前からモメていたある絵を拡大印刷した紙を見せた。
『この絵を覚えているか。確かめたくて持ってきた。お前が言っていた親戚とはこの絵のどいつだ』
と迫った。実はその絵に関して数年来論争し決着がついていなかった。まぁ、例によって奴の一方的主張にオレがイチャモンをつけただけだが。
しかしすでに奴の記憶から消えていたようだ。あの記憶力の化け物が。
それから奴を見舞うのはつらかった。とても一人では耐え難いのでもう一人を誘い、帰りにはいつもガブ飲みして帰った。
ともあれそれからまる6年経ち、オレは癌にもコロナにもなったものの相変わらず酒を飲み煙草を吸い、余裕のある生活とは無縁の暮らしを続けている。奴との約束通りだったらとっくに仕事なんか辞めて、一緒に旅に出ては罵り合い、時局を論じて悲憤慷慨していただろうに。奴が死んでしまったおかげでこの年になってもついつい仕事をしては抜き差しならないことになり、ヤボ用に漬かってしまう。こういうのをオレたちは『ダサい』と言っていたではないか。それもこれも奴のいないせいだとすれば合点がいく。これでは体力のあるうちに遊べないではないか。
これは最後まで現役だった奴のオレに対するいやがらせではないのか。オレにだけ人生の果実を味合わせてたまるか、ということなんだろう。
だとすれば奴の望みは達成された。奴のいないこの世に残されたオレの人生の果実は既に寂しいものに成り下がっているからだ。この先、たいして長くはないだろうが、生きれば生きるだけ、面白くもないことばかりが降りかかってくる。それは優れて戦いそのものとも言えよう。すると奴はその戦いに勝利して逝ってしまったとなるのではないか。クソいまいましい。
遅いか早いかで、いずれオレもあっちに行き、奴と邂逅するだろう。
それはまるで目が覚めたような感覚に違いない。あの世は時間も空間も無いのだから、オレ達の年も関係ない。そうでなければジジイになったオレがまだ若々しい壮年の奴と出会うことになり、あっちに行ってまで不快な気分になる。そんなことはあってはならない。
遠い昔に奴のウチに『オトマリ』に行った際、奴の実家は戦災に会わなかった山の手で、驚くべきことに薪で沸かす五右衛門風呂だった。二人で浮いている板の上に乗る段階でモメ、どっちが長く入っていられるかで勝負がつかず(オレが反則をした)、終いには潜りっこまでやった。その時のお湯から頭を出した時の互いのマヌケ面。
あの世に行って初めに奴と会うときは、必ず互いにその時のマヌケ面をしていることだろう。お湯から頭を出した瞬間のようにポッカリと目が覚めすはずだ。
待ってろよ、順。
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狂言の鳴き(佐渡狐) 能の所作(安達ケ原)
2022 OCT 16 0:00:43 am by 西 牟呂雄
野村万作・萬斎・裕基と三代が揃って演じる佐渡狐。裕基はまだ23歳の若さで、どのような味が出るのか楽しみに見たが、いやなかなか。脂の乗り切った萬斎さんと人間国宝万作さんに挟まれてアッパレ。なかなかの声の通りだった。
それにしても座っている姿勢からスッと立ち上がれる万作さんの精進にも目を見張った。九十翁ですぞ。
話は佐渡の百姓と越後の百姓が 佐渡に狐がいるにないのと言い合いになる話(実際にいないらしい))で、いないくせに『居る』と言い張る佐渡の百姓に越後の百姓がいいががりをつける。
まず初めの台詞がいい。『今年も年貢が都に納められる。めでたいことだめでたいことだ』つとに述べているが、当時の納税感覚はこんなものだろう。今日の史観でとらえられるようなものではないはずだ、余談だが。
それはさておき、越後の百姓は次々と質問を浴びせる。「狐のなり格好を知っているか」「目はどのようじゃ」「口は何とじゃ」「耳は」「尾は」「毛色は」このあたりの面白味は実際に見ていただかなくては。
そして最後の『鳴き声は』に対して『ツキホシヒー』と言ってバレてしまう。
さて 『ツキホシヒー』とは面妖な、いったい何の鳴き声か、というと狂言ではウグイス!当時の人達にはホーホケキョではなくそう聞こえていたそうな。さらに凝ったことに漢字で『月星日』となっている。
因みに、犬は『びょうびょう』カラスは『こかあこかあ』と鳴く。日本語の豊かさに恐れ入る。
お次の能は提題の『安達ケ原』。黒塚と言われる鬼婆の話。舞うのは観世淳夫、若干30歳で九世観世銕之丞さんの長男である。
筆者の鑑賞法は『狂言は笑う』『能は観る』だ。
鬼婆が本性を現す前に糸車を回しながら、わが身の不幸を嘆く仕草を演ずるのだが、謡が流れてもセリフはない。観世淳夫は所作だけで見事に演じた。自分の解釈はこうである、という主張が全身からオーラのように発せられていた。
西村さんのブログに『自分の考えを持つことありき。人前で自分の意見も言えない奴に音楽なんかできるか』という下りがあったが蓋し名言で、観世淳夫の考えが能舞台で陽炎のように沸き上がっていた。アートに至る道は同じと言わざるを得ない。
その後鬼婆と山伏の法力が闘うわけだが、この一進一退も間合いだけで同時に動きピタリと止まる。演者の修練がものを言うところだ。どれほどの気迫が燃焼していることだろう。
能は演者が緑・黄・赤・白・紫の揚幕をくぐればそれで終わり。謡方、楽器奏者が一人づつ立ち上がって袖に消えて行き誰もいなくなると拍手が起きる、アンコールもカーテン・コールもなし。これもまた幽玄なるかな。
野村裕基にせよ観世淳夫にしてもこの業界、若い世代の台頭著しく、頼もしい限りである。
ところで来月は『魔笛』を見に行く、
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過剰な陶酔 アントニオ猪木
2022 OCT 9 11:11:42 am by 西 牟呂雄
ジャイアント馬場が逝って四半世紀。常にその対立軸として語られたアントニオ猪木が鬼籍に入った。。
読者の方々はご存じだが、筆者は馬場派を公言していたこともあり、訃報に接してもどうにも筆を執る気になれなかったが、昭和がまた一つ遠のいた感は否めない。
無類の勝負感。相手の技を全て受けきるスタミナ。技のキレ味。オリジナリティ。どれをとっても比類ないレスラーであったことは筆者も異論はない。延髄蹴りはアメリカでも『ENZUIGIRI』である。
そして最期に至るまでの道のりは苦難の連続でもあった。良く知られるようにブラジルでの貧しい生活。修行時代の力道山の度を越したシゴキ。東京プロレスの失敗。怪しげな投資。いずれも世間知らずの大男が騙されるパターンに過ぎない。
いや、むしろ自分から悪手を求めて突っ込んでいったようにさえ見える。そこには過剰な挑発、ほとばしる自己陶酔に取り憑かれた男がいた。
例のモハメド・アリとの1戦を見てみよう。アリが冗談半分で言った『オレに挑戦する東洋人はいないか』に即座に反応する。それまで黒人とばかり戦っていたアリの悪ふざけだった。
すると、こともあろうに新日の営業部長だった新間寿がアリの記者会見場に乗り込んで、直接挑戦状を突き付けて煽りまくる。怪しげな人脈と軽薄なマスコミが一斉に群がって大騒ぎになった。代表的な人物が伝説の呼び屋と言われた康芳夫である。
高額のマネーに目が眩んだか冗談のつもりか、エキビジョン・マッチだと思い込んだアリはろくにトレーニングもしないで来日するが、猪木サイドの本気度に仰天し、キャンセルをチラつかせて様々にルールを弄った。やれ掴むな、投げるな。後に引けなくなった猪木は全て飲んでアレしかないアリ・キック一本鎗で戦う。気の毒に凡戦扱いされたが、筆者の目には膝にキックが決まった時のアリの引きつった表情がはっきりと見えた。
アリの周りにはボディ・ガードを自称する親日の経費で来日したマフィアのような連中がセコンドをウロウロし、猪木サイドのレスラーと火花を散らす。実際にはかなり危なかったに違いない。そして採点によるドローというプロレス的な引き分けは胡散臭いものだった。アリはグローブの中のバンテージに細工していて、カスっただけで猪木のこめかみが腫れあがったと噂された。そして康芳夫はピンクのガウンでリングに上がって来た。
アリのパンチは当たらず、我々ツウは猪木の圧勝だと語り合った。当たり前の話だが、相手のルールでやればボクシングも空手も柔道も最強だ。ルールがなければプロレスこそ最強なのは自明の理。ストリート・マッチだったらば相撲だ。多少解説すれば、何でもありのバーリトゥードの場合は常に組技・関節技が勝つし、プロレスともなれば他の競技と違って反則での一発負けにはならない。かつて猪木がセミ・ファイナルで使われていた頃。ジャイアント・チョップに対抗してアントニオ・ストレートなる決め技を駆使していたが、拳でブン殴るだけだ。初めから反則なのである。
クドクドと述べたが、要は話題にはなったがやらなくてもよかった大イベントだった。
この辺りから、ならなくてもいい参議院議員、行かなくてもいい北朝鮮(イラクではそれなりの効果はあったものの)、しなくてもいい投資、といった無理を重ね、世間は喝采と冷笑を送った。しかし、筆者は面白く思い(内緒だがスポーツ平和党に投票もし)ながらも『哀れな』という一抹の感傷を覚えずにはいられなかった。最後には病身を晒し、そうまでして追わなければならない自分というものが、何と空しいことかと言ってしまえば言い過ぎか。
猪木は55才で引退したが、馬場は還暦をすぎてもリングに上がり、全く自分から仕掛けないという境地に至った。もし、あれだけのレスラーとしての能力と名声がなければ、こういうタイプは犯罪者になったかもしれない。同様なことはアリにも言えるだろう。ただし両者ともリングを降りればやさしい人だったと聞く。
好漢安らかに眠れ。よく戦った。
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喜寿庵の異変 Ⅳ
2022 OCT 1 0:00:27 am by 西 牟呂雄
彼岸なら 寂しくもなし 一人酒
お彼岸という事で喜寿庵に一人でいるのだが、雨ばかりでいささか参った。台風で小枝や木の葉が落ちて汚らしい。たまに日が差し込む間にセカセカと枝を掃き、落ち葉はファームに入れたり焚火にしたり。
この写真のように芝生が陰に入るように太陽が傾くと、蒸し暑かったり汗ばんだりしても、やれやれ季節が廻ったな、となる。
と、このコントラストを撮った時に庭石をみてギョッとした。
初めはついにヒビが入ったのかと思ったが、ごらんのとおりウネウネとキャタピラが這い回ったような不気味な幾何学模様が浮き上がっている。
良く見ると細かいターンを繰り返しながら進んだようなのだが、一体何かは想像できない。
昆虫?いや、もっと俊敏に動きそうだ。この感じはもっとスピードは遅い。
この夏には大蛇が出たが、あのサイズにしてはカーブが小さい。
台風や雨の時に新種のカタツムリとかナメクジが這って行ったのか。一頭がこんなにあちこちうろつくのか。大群だったらさぞ気持ち悪い光景だったろうに。
試しに爪で引っ搔いてみたが落ちない。
待てよ、何にせよこのマークを付けたのが生物だとしたら、それはこのあたりにまだいるかもしれない。薄気味悪くなってその場を離れた。
夜中にこの石に腰かけて星を見る癖があるのだが、そのなにがしかが夜行性かも知れないと思うと怖くてもうやめだ。
どなたか心当たりのあるかたはご教示いただきだい。
誰も御存じなければNHKの『ダーウィンが来た』にでも聞いてみようか。
、
振り返ると、今度は未確認浮遊物体が浮いているではないか。
遠近感が分からなかったので空に浮いているように見えたが、近寄ると欅の枝から下がっているのだった。一瞬、以前大発生したケムラーを思い出してゾッとしたが、これはただのミノムシだ。フーッ。
そして、今年の収穫も最後だとファームに足を向ければなんじゃこれは。グリーン・ハートのブランドを(勝手に)付けていた自慢のピーマンに、真っ赤に変色したモノが混じってるではないか。
まさか地球温暖化が突然変異を促進したのか、ただでさえ色弱の私の色覚がさらに悪化したのか。写メを送って確認したところやはり御覧の通りの赤ピーマンである。ピーマンをほったらかすと赤くなるなんて聞いたことがない。トウガラシじゃあるまいし。
ともあれ、初秋を迎えてススキも背が伸びた。
先日、オヤジの弟にあたる叔父が亡くなりしめやかに葬儀が行われた。90才、まあ大往生ではある。機械工学を専攻したエンジニアだったが、某社で長く社長を務めた。そしていつ身に着けたのかは知らないが英語・スペイン語に堪能で、一人で海外に出張していた。バスケの選手で大学・実業団で活躍したことになっている。もっとも当時は競技人口も少なかったし、日本のバスケのレベルも低かったからどの程度の活躍だったかはわからない(無論本人はレギュラーだったと言い張っていたが、これは後に実業団にはスポ薦で採用されたのではないかとの別の疑惑を呼んだ)。
万事、エラソーな人で、我々甥・姪(子供達も含めると10人)はそのキャラを慕っていた。晩年、体調を崩した際に従兄弟の一人が『酒の席で叔父さんがふんぞり返ってないとどうもノリが悪くて困ります』と口を滑らすと、『何を言っとる、バカ者!』と一喝されていたことを思い出して、思わず淋しく笑った。
オヤジは四人兄弟の長男だが、8才下の末の弟を5年前に亡くし、4才下の弟を送ったことになる。我が一族は、どうしようもない悲しみに対しては、開き直って笑い飛ばしてしまうような気質がある。生前、4人揃った時にはオヤジが『いいか、逝くのは年の順だぞ。お前達間違うなよ』といい、兄弟も『是非そうしよう』と応じていた。にもかかわらず逆になってしまい、さすがに笑い飛ばすどころではなくなった。もう一人いる叔母に頑張っていただくしか無かろう。
この日はしたたかに酔った、一人で。
さらにとどめの一撃という感じで、渓谷に下っていく坂道で車がガードレールを突き破る転落事故が起きた。腰の骨を折る重傷で、ドクター・ヘリで運ばれたが、亡くなった。時刻は朝の10時。
何時も通る落ちようのないカーブでの出来事だ。静かな渓谷に車が落ちる・・・。さすがにまぁ、温暖化による異変ではないだろうが、
こんな静かな所で次々と起こる厄災。もしかして・・・。
一人でいて、アルツハルマゲドンが進むのは恐いなぁ。
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日本の良き時代
2022 SEP 24 22:22:29 pm by 西 牟呂雄
多少の反乱・一揆の類を除けば人々が平和に暮らし文化の華が咲く。一見お花畑的な理想郷といえなくもない時代が日本史には二度あった。平安時代と江戸時代だ(異論はあろうが)。身分制度だのイチャモンのツッコミ所は満載とはいえ、当時の庶民はお気楽な暮らしを立てていたことだろう。士農工商と言うが、工と商は主に都市部にしかいないのだから身分云々はお武家様に対して形だけヘーコラしていれば良く、よほどの豪商以外は全く税金など払わずに済んでいた。この気質は明治以後の下町に残り、戦後でもしばらくはサラリーマンのことを『月給取り』と言っていた。あれは『月々決まった額を貰って税金を払っている人』という意味だったと記憶する。実際に聞いたことはないが『税金なんざ払ってたまるかよ』といった気質が蔓延していたのである。
お江戸の時代まで、もっぱら税金を納めていたのは農民ということになるのだが、お花畑時代以外に政治的に混乱していた、例えば戦国時代(室町時代)の民・百姓は大変な目にあっていたかというと、それはそうでもないらしい。平安時代末期700万人が鎌倉時代を経て室町幕府成立時には800万を超え順調に増えていっている(国土交通省資料)。
やんごとなく平安貴族がセッセと式典を暗唱したり占いに凝ったり文学の花を咲かせていた傍らで、傭兵として犬のように使われていた源平の輩が地方で(平家は都で)バカバカしいから勝手にやらせてもらうぜ、とばかりに幕府なる行政機関を立ち上げる。
鎌倉幕府は陰湿な内部粛清を繰り返しながら、承久の乱でブン取った後鳥羽上皇の広大な荘園を分けたあたりがピークで元寇によって求心力を失う。
その混乱の中、農民は生活が向上し人口を増やしているのだ。ついでに言えばこの時代に、それまで貴族のものだった仏教が民衆に開放され。これが日本社会の横糸となっていく。もう一つ。大量の宋銭が流入し、それなりの経済活動が活発になる。
時代は鎌倉から室町と幕府が変わり、その成り立ちについて『権門体制論』や『東国立国論』といった論争が成されているが、農民を中心とした一般日本人の生活水準は上がった。税金としての年貢を納める以外にも、支配者の元に様々な『役』といった形で職業での奉公が提供されるようになっていく。領主の方でもそういったものを確保するために領内を『守る』即ち領国経営のために『クニ』を防衛するようになっていくのである。
民衆に蓄えられたエネルギーは海外に向けて(元寇のお返しではないだろうが)倭寇として押し出し、国内では鎌倉仏教の浸透による一向一揆といった体裁をとったと思われる。倭寇は武装貿易船団であり、一向一揆は内部エネルギーの自浄的発散と筆者は考えている。弾圧され沈静化したのだが、これは江戸期に至って統治が洗練されたからだ。天災・冷害等でコメの値上がりに対して江戸期に発生した一揆は基本は武装したものではなく。直訴や逃散といった作法があり、その後全藩一揆・惣百姓一揆・強訴といった大規模な蜂起が起きるが、打ちこわしと言っても家屋を壊すなどはあったが放火・略奪・殺傷といった武力衝突にはなっていない(例外はあるが)。
中世研究の網野善彦は、税金を納める定住民(ほとんどが百姓)に対し、非定住のを漂泊の民を研究し実態に迫った。筆者はこれらの人々が『自由』であるといった記述には違和感がある。それらの漂泊の民が束縛を受けない独立した集団として捉えるのではなく、実は極貧スレスレの生活だがそういった輩も『食える』豊かな社会になった際の内部エネルギーの自浄的発散(上記、一向一揆の際に記述した)だと見ている。
更に話を進める。江戸期に至って人口・生産がさらに上がると、統治する側の武士は完全にサラリーマンとなり、百姓は多量に入った銭が国産化されると益々資本主義的になり、言ってみれば中小企業者的に躍動する。年貢は個人にかかるのではなく村落にかかるので共同体が形成され、域内ではその百姓が造り酒屋や鍛冶屋、機織りを手掛け自足するのだが、驚くことにその付加価値は(裏作も含め)無税なのだ。小作・貧農が増加するのは明治になってカネによる納税を施行したために小百姓が土地を手放して転落したことによる。更に江戸期の百姓は移動の自由もあったのだ。
外圧がきっかけとはいえ、ある種のブルジョワ革命とも言いうる明治維新に際して活躍した人材は官軍・爆軍とも百姓上りが大活躍している。これも歴史の流れから言って先程来使っている内部エネルギーの自浄的発散とこじつけることも可能だろう。
お上の税金を逃れた付加価値が民衆にエネルギーを蓄積させ、その自浄的発散により構造改革が起こるという仮説は、この『失われた〇十年』という、主に平成全般に渡る停滞期に、消費税が段階的に10%に増税された時期とほぼ一致することに触発されて思いついた。
結果的に正しかったかどうかを別にして、安保闘争といった大衆運動が起こり得たのが高度経済成長期であったことも妙に平仄が合う。
それでは今日の停滞しているとされる我が国の社会には、筆者の言う内部エネルギーの自浄的発散の芽はないのか。なぜ発露されないのか。或いはエネルギーそのものが蓄積されていないのか。
それは我々高齢者がふやけているからに他ならない。このゾーンが既得権益にしがみついて社会全体のエネルギーを雲散霧消させているのだ。思い当たるだろう、ジジイの自慢話ほど退屈なものはない。おまけにやたら神学論争が好きで自説に拘る。試しに国会議事堂前に行ってみれば『防衛費増額反対』『自衛隊違憲』『○○退陣』といったシュプレヒコールをする老人たちがいつもいる。老人達がヒマにまかせてやる社会活動もまた、大きなマイナスの社会コストだ。
さっさと引っ込んで若い人たちに好き勝手やってもらい、遊んで暮らしていればいい。
そしてジャンジャンくたばればコストは下がる。
その時点で減税をやれば、瞬く間に日本は復活する。移民なんか必要ない。
さて、筆者のような保守派は急激な改革は好まない。昔は良かった、などと言うのが嫌いなのである。それよりももっと嫌うのが外圧だ。大陸・半島からの外圧など断固跳ね返さねばならない。するとなぜか冒頭述べたお花畑時代、遣唐使をやめていた平安期と鎖国していた江戸期の下層階級に生まれたかった、などと夢想するのである。さぞ気楽な人生を必死に生きたことろう。
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小幡篤次郎と語学
2022 SEP 17 20:20:15 pm by 西 牟呂雄
提題の小幡篤次郎に関しては、慶應義塾関係者以外にはあまり知られていないのではないだろうか。福沢と同じ中津藩の出身で年齢は7~8才年下。小幡家は福沢よりも高い家老格の上士であり、幼い頃から四書五経を納め藩校・進脩館(しんしゅうかん) で教頭にまでなった。
その後22才で福沢の強い勧めにより上京し、福沢の英学塾で学ぶと、瞬く間にこれを習熟しここでも塾頭となるなど、とにかく抜群の秀才だった。
同じく俊英だった弟・甚三郎とともに江戸幕府の教育機関である開成所で英学教授も務めたが、この兄弟の語学力と教え方は大変な評判を呼んだらしい。
小幡は福沢の懐刀というか右腕といった存在で、初期の塾長ともなっている。もっともこの当時は現在の大学総長的な塾長ではなく、学生長のような立場ではあった。
そして現代でも名著とされるトクヴィルの『アメリカのデモクラシー』やジョン・スチュアート・ミルの『自由論』の翻訳を成し、言論人としての福沢を支えている。福沢は官軍と彰義隊の上野戦争の最中に、フランシス・ウェーランドの『経済学原論』の講義を続けていたことで知られるが、ウェーランドの原書を購入し福沢に渡したのも小幡だった。何よりも、あの『学問ノススメ』の初版本は小幡と福沢の共著である。
しかし、22才という年齢から(それまでも蘭学とは接点はあったであろうが)英語を習熟して2~3年の内に大著を翻訳し、開成所での講義をするレベルに達する語学教育とはいかなるものなのか、筆者は自身の語学力を顧みて唖然とするばかりだ。
実態は良くわかっていないが、当時の慶應での講義も体系立ってなされたものではないようだ。即ち、アルファベットの読み書きなどすっ飛ばしていきなり原書の講読に入るようなスタイルで、現在の英語教育というよりは、各藩校や学塾で行われていたような漢文の素読に近いものらしい。無論外国人の教師がいたわけではなく、発音などは各人各様のようなメチャクチャだったろう。
ここからは筆者の推測であるが、基礎として漢文の素読を叩き込まれた当時のインテリは、レ点をつけて読むように自然体で文法を理解し、単語については漢語あるいは漢字の持つ意味を置き換えるようにして読み下したのではないだろうか。これを繰り返しているうちに自らの血肉にしてしまった。例えば小幡はRoyaltyを『尊王』としている。
さすれば、国際的に通じる人材育成のために、教えることができる人間もロクにいない小学校での英語教育なぞ全くの無意味。やれ『ゆとり』だ『イノベーション』だ『個性』だ、といじくりまわして明治人にはるかに及ばない無教養を量産してどうなるというのだ。
日本にいて日本の文化を育まなければ日本人にもなれはしない。まさか英語の下手なアメリカ人を造ろうとでも言うのか。
ここで話がグッとくだけるが、先日仲間と例によって騒いだのであるが、席上誰が一番語学のセンスがあるかの話になった。帰国子女上がりが3人もいて他も海外に赴任した経験があるため英語は除いて、第二外国語及び赴任地の言葉がどの程度なのかを比べて遊んだ。はじめは『こんにちわ』あたりからのスタートだったが、伝言ゲームを始めたあたりからめちゃくちゃになった。お店のママからお題を出してもらってカウンターを右から左にやったところ、使う方も聞く方も小声でやっていられなくなり、それこそボディ・ランゲージやジェスチャーの様相を呈し、『ニワトリが金のタマゴを生んだ』が『金のブタがフライドチキンを食べた』となる有様。その間に使用された言語はロシア語・フランス語・ドイツ語・北京語・広東語・韓国語に及んだ。酒も入っていたし、さぞ異様な集団に見えたことだろう。
で、結論としては、会話に限って言えばセンスも才能も関係ない。執念と反復の根性があれば何とかなる。だから子供のうちは国語の読解力と文章力を磨けばよい、というどうでもいいオチでした。
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生きすぎたるや二十三 八幡引けは取らるまい
2022 SEP 11 0:00:26 am by 西 牟呂雄
天下分け目の関ヶ原で東軍が勝利した後、大阪の陣までの間は、全国で大地震が起こり世の中は騒然としていた。慶長年間の江戸では、家康の天下普請で町中が埃を巻き上げている中で、ひときわ派手な拵えで闊歩する人足元締がいた。
異装の男伊達を看板に徒党を組んでは暴れまわる傾奇者(かぶきもの)。大鳥逸平、通り名を大鳥居の一兵衛と言った。するとそれに従うバカ共も大風嵐之助、天狗魔右衛門、風吹藪右衛門と調子に乗った名乗りを上げている。
武州下原の刀工に打たせた三尺八寸の厳物造太刀(いかものつくりのたち)には、その銘に「廿五まで生き過ぎたりや一兵衛」と刻んだ。いかにもヒマを持て余した都市の仇花の刹那的な心情が滲み出ている。25年の人生は長生きのし過ぎということか。せっかく手に入れた平和が退屈なのだろう。約半世紀後に現れる六方組と呼ばれる旗本奴の先駆けである。
最もこの時代の死生観は現代の我々とは違っていて当然だ。ましてやついちょっと前まで戦乱が続いていたのだ。平和な時代の今よりも命は遥かに軽い。となれば破れかぶれの潔さが分からんでもない。
大鳥逸平、もともとは幕臣本田信勝の草履取りだった。身持ちが悪く逃げ出したのちはなぜか佐渡の金山奉行かの大久保長安の元、大久保信濃の小者になりおおせたが長続きしない。弓・鉄砲・槍と武芸百般に通じる器用さも持ち合わせていた。まぁ喧嘩には強い。
江戸に出てきて人足元締めを稼業にするころには、今で言うチーマーとか族、半グレの頭として300人を超す配下を束ねていた。
ある時、旗本柴山正次が家僕を成敗した。するとこの奉公人の一味が柴山を切り殺すという事件を起こした。実際の下手人を詮議したところ、裏で糸を引いていたのは大鳥居一兵衛と知れた。ところが当の一兵衛は行方をくらまして見つからない。一計を案じた町奉行・内藤平左衛門は武蔵国多摩郡の高幡不動の春の縁日に合わせて相撲の興行を開く。すると相撲自慢の一兵衛は間抜けにも姿を現し、大捕り物の末に捕縛された。
当時のこと故、厳しい拷問を受けたが口を割らず、本多正信・土屋重成といった大物までが駆り出されたが、自白しないまま一党300人まとめて処刑される。享年25才。銘に彫り込んだ年齢で果てて見せた。
ところで、この『生きすぎたるや』という言い回しは当時の流行り言葉だったようである。
慶長九年、太閤秀吉没後の七回忌に執り行われた豊国臨時大祭礼の喧騒を描いた屏風が名古屋の徳川美術館に所蔵されている。その中に、ヨタ者同士が抜刀して対峙する喧嘩の場面がある。このもろ肌脱ぎの大兵の朱鞘には、金文字で『生きすぎたるや二十三 八幡引けは取らるまい』と書かれている。
先行きの見えない不安。どうにもならない焦燥感。目的も見えずすることもない。ただ人の集まるところでは弾けるように異装に凝っては男伊達を競って暴れる。
この破れかぶれ感、筆者も思い当たらないでもない。しかしながら齢古希に近づかんとする前期高齢者となってみれば、これ等の振る舞いはおろかの極みでありで、何が23だ25だ、どうせならお前達もう5年バカを続けてもいいんじゃないか、と言ってやりたい。
チンピラというのは目標も何もないから、喧嘩沙汰でもなければ退屈でヒマを持て余す。そのうちに相手にされなくなって気が付くともういけない。
まっ今でもそういう輩の種は尽きませんがね。そこから余程才能があればバサラ者になって・・・、もういいや。筆者も危ないところだった。
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ビブラフォンの誘惑
2022 SEP 4 8:08:22 am by 西 牟呂雄
まずはこれ、一部のファンに熱狂的に支持されている演奏をお聞きください。
ジャズ・ビブラフォンの第一人者、大井貴司の迫力ある『ルパン三世のテーマ』です。
僕は30年近く前に、この人の演奏にシビレまくり、主に六本木の某所で行われていたライヴに良く通っていて大の仲良しだった。
オリジナルのアルバムを何枚か出していて、好きな曲に勝手に英語の詩を付けていやがられたりした。そうそう、山中湖のジャズ・フェスティバルに一緒に行って喜寿庵でドンチャン騒ぎをしたこともあったなぁ。
切れ味のいいアドリブと強烈なリズム。スタンダードを演奏しても独自の解釈を加えるセンス。そしてジャズ屋らしい実にバランスを欠いたキャラ。全てが魅力的だった。
その後すっかりご無沙汰だったのだが、偶然ライブを見つけて聞きに行って来た。
さすがに最初に声をかけた時はギョッとした表情になり「チョット待って、嘘だろー!」と驚きの声を上げた。お互い昔の悪夢が頭を過り、30年間の来し方を話したりした。
そして、当時良く組んでいたパーカッショニストの消息に話題が至った。かの人は数年前に亡くなったのだが、脳梗塞だったとか事故だったとか噂が流れていたのだ。聞いてみると『やっぱクスリじゃないの』といういかにもな返事にあきれ返った。
メンバーは他にピアノ・ウッドベース・ドラムで、その演奏は素晴らしかった。みんな上手いが、僕は特にベースの指さばきに感心した。いい音だし、ソロの時のやり過ぎ感が最高。
お弟子さんが参加しての、動画に載せた『ルパン三世のテーマ』のダブル・ビブラフォンには息を呑む迫力だった。大井さんのプレイもキレッキレでした。
ところで、このライブ。実は毎月第三金曜日にやってます。お客さんはツウばかりなので落ち着くし楽しいステージです。来月はオリジナルをやってくれ、とお願いしたので皆さんもどうぞ。
立ち見が出るときもあるので、予約した方が無難です。何か食べてから行くのがいいでしょう。
西荻北口からすぐの『ココパーム』
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https://www.livecocopalm.net/
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ヒョッコリ先生闘病記
2022 AUG 31 23:23:57 pm by 西 牟呂雄
あのヒョッコリ先生がついにコロナに罹った。ごく親しい人で初めての患者だ。
何だか咳が出るな、と気になったので抗原キットを使ってみると陰性。そこで近くでやっていたモニタリング検査でPCRを受ける。
これ、スマホで登録して結果をメールする、という触れ込みだが、後期高齢アナログおじさんの先生は何回やってもうまくいかない。周りにはアルバイトか職員か知らないが人はいっぱいいたらしいが、誰も教えられないと怒っていた。せっかくやりにきたのだから、もう少し熟達したインストラクターを並べておけ、と。
この時点で全く陰性を疑っていなかったそうだ。2週間前に4回目を打ったばかりだからだ。
すると、結果は「陽性の疑い」なのだった、なんじゃそりゃ。どうやら陽性っぽいが発熱外来で医師の判断無しでは何とも言えないらしい。入院したりホテル住まいをしなければとビビッて私に電話してきた。目下の状況では医師の診察後陽性が確定してから保健所が判断するようだ。
で、取り合えず家庭内別居体制を組んで籠城することになった。そうなるとヒマなものだからしょっちゅう覚えたてのラインが来るようになってしまった。
私は同居しているはずのレイモンド君(推定2才)にうつしていないか気が気じゃなかったが、幸いご両親と夏休みの旅行に行っているそうなのでホッと胸をなでおろした。いや、そうも言ってられない、先生だって推定90才以上だった。
そして翌日の朝一番で指定された発熱外来に行ったのだが、結局問診し、PCR検査の検体を取り、熱が出ていないと確認すると、以下のやり取りとなったようだ。
『咳止めでも出しておきましょうか』
『あっあの、コロナの特効薬は処方してもらえないんですか』
『ああ、あれね。重症化した人だけなんですよ』
『すると・・・私はどうなるのでしょう』
『うん、ほとんどの人はそのまま熱が引いて直ります』
『・・・・ワシは後期高齢者なんだけど』
夜、連絡が入ったが、何もしてもらえなかったので頭にきた先生は普段通りビールをあおりまくっていた。この日新規感染者は20万人を超えていたが、その中には先生は入っていない。ということは陽性の疑いのある人も含めると少なくとも10万人くらいはあやしいのではないかと恐ろしくなった。
翌日、診療を受けたお医者様が自ら電話をしてきたそうだ。
『えーと、結果なんですけど陽性でした』
『あー、そうですか。でも何ともありません』
『それはよかった。こちらから保健所に報告しておきますから電話が来ます』
『それで、今更何をすればいいんですか』
『なにもしなくていいですよ。撒き散らさなければいいということです』
『・・・・』
この電話の2日後に保健所から連絡があったとか。熱がないと伝えてオシマイ。
お役所というところは官公労が強いので、一般的に人員は厚めにいるのだが、なるべく働かないという風土病があるため、危機の際は決まって大混乱に陥る、今がそうだ。それに対して怒っても仕方がない。こういう場合はなるべくこの人たちに仕事が行かないように考えた方がコトはスムースに行く、というのが私の持論だ。ここに及んで全数把握なんか必要ない。増減傾向が分かればいい。
薬も処方してもらっていない、熱はない、言いつけ通り部屋から出ていない。毎晩ビールをガブ飲みしている。こんな患者はわざわざ管理する必要はないのではないか。第一治療してもらえないのだから2類も5類もクソもない。厚生省の事務方は前例を変えるのがいやなんだろうが、柔軟に考えて負荷を減らしなさい。マスゴミも煽るのは止めなさい。ところで先生は一人で食事はどうしているのだろう。出前でも取っているのか。
そして恐れていた事が。
『あのねえ、両親と旅行に行っていたレイモンド君が帰ってくるんだけどサ』
『はぁ』
『親はその足でまたロンドンに行くわけだ』
『そうなんですか』
『そこでだ、ワシが10日間の療養期間が過ぎるまで1日だけなんだけど』
『・・・・』
『キミならあの子もなついていて安心なんだけどね』
いやもクソもない。一体このウチはどうなっているのか。仕方なく東京で1日レイモンド君を預かり、翌日先生の所に送って行くことになってしまった。まあ、僕も夏休みをとってるし、喜寿庵にも行くし・・・。
過日、レイモンド君を伴って拙宅に来たご両親は平身低頭しながら大変ご丁寧な挨拶と高価なお土産と着替え一式を置いてロンドンに旅立っていった。
僕は、せっかくだから一緒に遊ぼうとベランダに自慢のプールを準備した。
このブールに浸かりながら本を読んだりすると、熱い日差しの時なんかは実の気持ちが良く、時々楽しんでいた。蒸し暑い夜に星を見ながら寝そべっているとそのまま寝てしまいそうに、チョットしたリゾート気分になれる。いくつになっても夏休みは楽しいな。
レイモンド君は全然水を怖がらない。半日シャボン玉やおもちゃで遊びまくって疲れて寝てくれた。
結局、何事もなく10日間を過ごした先生にレイモンド君を送って行くと、嬉しそうに喜寿庵に迎えに来てこう言った。
『わはは、これでワシは無敵の抗体保持者になった。キミも4回目を早く打ちなさい。町外れにジビエ料理の店を見つけたからワシの快気祝いをやろう』
実はレイモンド君はプールに浸かりすぎてお腹の具合が悪くなったのだが、そのことは言わなかった。
僕の夏休みも終ったな。
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喜寿庵の異変 Ⅲ
2022 AUG 20 9:09:33 am by 西 牟呂雄
暑い。渓谷沿いの喜寿庵も暑い。
長年愛でていた楓の銘木『滝山』も枯れた。とても寂しいがこれはもはや天変地異の前触れではないのか。
すると、だ。この庭先に何と鹿が姿を現した。
峻険な崖を登って来たのだろう。一瞬、何がいるのかわからず、スマホを手にすることもできなかった。
以前、やはり桂川を超えて猿の一家が出没したことがあって、姿は可愛かったが近くによると野生の闘争心丸出しで、エア・ガンで武装した。鹿はどうか。
どうも大型犬くらいの大きさだから小鹿なのだろう。
こちらは室内にいたので、悠々と芝生の上を歩きだした。思わず立ち上がった所で人の気配に気が付いたらしい。
ものすごいジャンプ力で、庭の奥の笹山を飛び越えてしまった。
その先はネイチャー・ファームで、更に富士急行の線路だ。
飛び出して後を追った。
しかしファームにも表門にももう姿はない。時間にして1分にも満たない白昼夢のような展開だった。
後に近所の知り合いに確認したが、この鹿は前日に渓谷の対岸で目撃されていたようだが、この百年来鹿がこちら側に渡って崖を登った、などという話は聞いたことがないという。
それにしてもすごい運動能力で、源平合戦の鵯越の逆落としは事実だったに違いないと思った。鹿が下りられるなら馬も下りられる、と言って本当に崖を駆け下った、と。
余談であるが、最近の研究では鵯越を駆け下りたのは義経ではなく、多田行綱という源氏の武将だったらしい。
それはともかく、あのバンビは無事に山に帰れたのだろうかと心配になった。
もし、奈良公園の鹿のように街中をトコトコ歩いたりしたら、いくら田舎とは言え警察沙汰くらいにはなったろうに。
そういえば、喜寿庵の謎の飛び地で草刈りをしていた時、通りがかったおっちゃんに『ここは鹿が出たらしいよ』と言われたことがあった。
その時は、熊じゃなきゃいいや、と思っただけだが、庭先でピョンピョンされるといささか大自然の驚異といった恐怖感めいた驚きを感じる。
で、話が変わるがこの厄介な土地は登記上は農地で申請してあるらしく、ほったらかしにすると『耕作放棄地』と見なされて役所から通知が来る。従って所定の手続きにより農業用への賃貸申し入れをするのだが、その際、所有者がちゃんと管理しているかどうかチェックされる。おかげで僕が一人でセッセと草刈りをしているのだが、これが途轍もなく面倒な作業なのだ。
普段姿を見せない僕がやっていると、通りがかりのお百姓さんが『なんだこいつ』という感じで話しかけてくるようになった。
中に一人、異様におせっかいなジジイがいて『この刈り方じゃだめだ』とか『この刃では笹が切れない』とかイチャモンをつけてくる。うるさいから適当に相槌を打っていると、だんだんエラソーな口をきき出した。要するにイナカのジジイでなんにでも口を突っ込んで威圧したいタイプなんだろう。見ているとたまに近くで農作業をしている人にも威張り散らしている様子が伺えた。
そして(半分くらい何を言ってるかわからなかったが)昔ここでビニールハウス)をやったこともあるようなことを言い出した。おもしろくなってきたぞ。試しに一度『それがどうした』とガンをくれてやったら途端に口ごもってしまった。今度来たら『じゃあおっちゃんがやってみな』くらいのドスをきかせてみようか。楽しみだ。
今年のジャガイモとダイコンが虫にやられて大不作だったことを書いたが、その後もファームの不調は続いている。ナスは大きくならないし、ピーマンは半分が枯れた。キュウリはそこそこなのだが、ニンジンに至っては何じゃこりゃ。とても収穫とも言えないレベルで実に情けない限りである。
虫のせいかこのバカみたいな暑さのせいか。前稿の『異変』で大切にしていた楓の無残な姿を載せたが、喜寿庵全体で樹勢が弱まっているのではないか。
とすればそこに寝起きしている私の体にいいわけがない。
そもそも年明けのお参りで『半凶』を引いたことを思い出した!
あの小鹿のバンビはその異変に警鐘を鳴らす神の使いだったら・・・。酒やめようかな。
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