Sonar Members Club No.36

月別: 2016年12月

突然変異的血脈

2016 DEC 13 4:04:05 am by 西 牟呂雄

夢野久作(大正十年)

夢野久作(大正十年)

 怪奇小説『ドグラ・マグラ』を読んだことはお有りだろうか。
 夢野久作が戦前に書いた、実に読後感の悪い小説である。九州帝国大学の精神病科に入院している記憶喪失の男が殺人事件のカギを握っている、という気味の悪いモノで、独白の文体も古く大変に読みづらい。是非、読まないことを勧める。
 ただ、こういう小説を書くような人間の頭脳は常人の及ぶ所ではないだろうと作家には興味があった。
 一方で僕は右翼の思想史を研究しているが、この作家が右翼の巨魁、あの杉山茂丸の息子だということをある本で知った。
 杉山は一代の怪人。帰農した福岡藩士の息子だが、上京して山岡鉄舟の門人となる。その後伊藤博文の暗殺を企てるが失敗して全国を逃げ回った後、頭山満と福岡に帰り例の玄洋社を作った。いわゆる自由民権運動から大アジア主義の理想に燃えて香港・台湾・満洲と縦横無尽に暴れ回り、陸軍・政界・財界に人脈を広げて黒幕となる。
 この人の事跡だけでブログどころか本何冊にもなってしまう。
面白いことに珍しい出会いをして喜ぶ風があったようだ。良書『行雲流水』石山喜八郎の生涯 にこういう記述がある。
『喜八郎は一瞬その場に立ちすくんだ。先方は刺客でも来たのかと思ったらしかった。だがすぐに丸腰なのに気づいてホッとしたようだった。すると奥のソファーに寝ころんでいた人物が「お前達座れ」と声をかけた。それが杉山茂丸だった。・・(中略)・・。こんなことまで初対面に近い若造にしゃべっていいのかと喜八郎は思った。噂のとおりおもしろい人物だった。』
この喜八郎という人も奇人だが、当時は一介の書生である。
 
 誠に不思議な親子というべきだが、この血脈には続きがある。その夢野久作の息子に杉山龍丸というのが出る。陸軍士官学校を卒業し先の大戦に従軍した軍人で兵科は航空。
 兵員輸送船『扶桑丸』でフィリピンに向かう途中で米潜水艦の攻撃を受け漂流。運よく救助されマニラには着いたものの、その後は内地勤務を経てボルネオに赴任した。そこで胸部貫通の重症を負い生死の境目を彷徨って終戦を迎える。とこれだけでも大変な人生なのだがそこで終わらない。
 戦後ふとしたきっかけでインド人と知り合い(それからも色々あって)インドを訪問した際に見たパンジャブ地方の貧困と荒廃に衝撃を受ける。
 その後3万坪とも4万坪ともいわれた祖父の残した農園を売り払い、私財を投げ打って基金を作りインドのユーカリ植樹事業に一生を捧げる。まるで祖父の大アジア主義が乗り移ったかのようだ。国際環境会議の出席の旅費が無く友人に借りたというエピソードも残っている。
 現在パンジャブ地方からパキスタンに至るまでの道路のユーカリ並木とその周辺の耕地は杉山の功績で、インドでは『グリーン・ファーザー』と敬われているそうだ。龍丸が家庭も何も顧みなかったので、息子さんは苦学され学校の先生をされている。

 しかしこのテの特殊なDNAがこの血脈に流れていて、それぞれの代で思想家になったり作家になったり篤志家になったりするのだろう。ウチじゃなくてよかった。

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」 

激しい雨が降る

2016 DEC 11 9:09:57 am by 西 牟呂雄

 ボブ・デイランはやっぱり来なかった。
 それはそれで構わない、代わりにパティ・スミスが『 激しい雨が降る(ジョーン・バエズ版) 』を歌い、アメリカ大使がメッセージを代読した。ディランのライヴもあるのだが、このジョーン・バエズの声が好きなので悪しからず。終わりの方でディランの物真似をしているように聞こえるのがツウには堪えられない。
 この歌は60年代初頭、折しものキューバ危機に触発されたものとされる。アノ当時には成人していなかったが、本当に核戦争が始まってしまうかも知れない、といった緊迫感をバック・グラウンドに書かれた。
 で、例によってパクリの歌詞を付けてみた。クリックしてバエズの美しいソプラノと一緒にお楽しみ下さい。

  Oh, where have you been, my blue-eyed son?
  (どこにいる わたしの息子)
  Oh, where have you been, my darling young one?
  (どこにいる 愛しい人)
  I’ve stumbled on the side of twelve misty mountains,
  (霧の山の 中で さまよい)
  I’ve walked and I’ve crawled on six crooked highways,
  (曲がりくねった 道を 渡り)
  I’ve been out in front of a dozen dead oceans,
  (死の海 に佇んだ)
  I’ve been ten thousand miles in the mouth of a graveyard,
  (遠くの お墓の 入口まで)
  And it’s a hard, and it’s a hard, it’s a hard, and it’s a hard,
  ( 強い       強い      強い      強い)
  And it’s a hard rain’s a-gonna fall.
  ( 強い  強い   雨の中を)

 まだまだ2番から長いのでやめた。
 確かバングラディッシュ・コンサートでも歌ったと記憶する。
 アルバムではA面の最後、Don’t think twice, It’s all right の前の曲で、初めて聞いたときはそんなに印象に残らなかった。
 ところで代わりをパティ・スミスに頼んだというところがミソで、女流詩人ということになっているが、もう70近いパンク・ロッカーである。美人だが男のような風貌、その後に続くアナーキーなパンク野郎共の先駆けになった人。
 出てくるほうも出てくる方だが、ここまでやるとディランという人は一種の皮肉屋とかスネ者の気配がしなくもない。

 「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

人類小型化計画

2016 DEC 10 2:02:47 am by 西 牟呂雄

 2020年で低炭素社会を実現し水素社会への移行を実現した人類は、残る人口問題に本格的に取り組み始めた。しかも極秘に、である。
 音頭を取ったのは二期目に入ったトランプ大統領が、ローマ法王、日本国天皇陛下に呼びかけて話し合った『地球延命プロジェクト』だった。人口問題は優れて食糧問題でもあり、地球規模で喫緊の課題となっていたのだ。
 既にロボット技術と人工知能の急速な発展で、一部を除いて戦争の危機はない。未だにテロだ紛争だとやっているのは中東の一部だが、もはやアメリカもロシアも匙を投げ勝手にしろ状態、調停も仲裁もしなくなってしまった。

 コトが事だけに国連などで討議してはそれぞれのエゴ丸出しで大事になってしまう。そこで各国の秘密機関から選ばれた者が検討することになったらしい。まさか中絶を奨励するわけにもいかない。倫理的にも難しい問題を内包しており極秘のプロジェクトが発足したようだ。
 誰が、どこで、何を検討しているのかは誰も分からないが、プロジェクトが発足したことは一部マスコミに漏れ、ネットで騒がれた。しかしいつの間にか忘れ去られ2025年になった。

 世界の人々はおかしなキャンペーンを目にするようになる。
『恐竜は大きくなり過ぎて滅んだ』『放っておくと人類は恐竜化する』『小さいことはビューティフル』
 同時にペットの世界で不思議な事が報告される。大型ペットが育たなくなったのだ、というより大きくならない。大型犬の子犬が親のサイズになる前に成長が止まってしまうのだ。

 2030年、衝撃的な統計数字が明らかになった。思春期の子供の身長が5cm縮んだ。それも直近のデータほど急激で、このペースで行くと5年後の人類の平均身長は50cm以上縮みそうだった。

 2035年、ある一人のバイオ科学者と称する者がSNSを通じたある告発がネットに流出して大変な騒ぎになった。女性の筆致だった。

『私にはもう耐えられません。何年も悩み苦しみ悩み、自ら命を絶とうとさえしました。このままでは人類は間違った方向に進んでしまいます。そしてもう引き返せない所まで来てしまいました。
 ある日、私の研究内容に興味を示したある人がスポンサーに名乗りをあげました。ペットの小型化を模索している、遺伝子レベルでできるようになれば例えば絶滅が危惧される像のような動物も小型化させて救うことができる、という触れ込みでした。
 その人はSMCのニシムロ社長と名乗ったのです。ローマ法王庁やアメリカ大統領、果ては皇室とも繋がっているという、今から考えれば胡散臭い人だったのです。
 その頃私の研究は動物が内分泌するホルモンを遺伝子レヴェルでコントロールできるのではないか、というところまで来ていました。そこで成長促進ホルモンをある程度抑える遺伝子の配列を試してみたところ、マウスでは良好な実験結果が得られたのです。
 ニシムロ社長はその結果を持って突然別の事を口走りました。
 現在の食糧危機を乗り越えるには個体×重量がもっとも大きい人類を小型化しなければならない。その生存適正サイズは現在の1/3だ、と。
 私の研究がそれとどういう関係があるのか、その時は分からずに研究結果を彼に伝えてしまったのです。彼は直ぐに姿を消し、以後音信不通となりました。
 すると2025年頃から大型ペットが大きく育たなくなったのです。私は直ぐにピンときました。おそらくどこかの製薬会社に持ち込んだ彼が暗躍していたに違いありません。その後結果が出たので今度は人類に・・・。
 初めて気が付きました。SMCとは『スモール・マン・コミットメント』の事だったのです。
 彼が今どこで何をしているのか全くわかりません。彼は嘯くでしょう。「人類を存続させる為にはこれしかない」と。
 神の節理に反する事を恐ろしいことに平気でやる人間なのです。
 そのようなことで人類の存続を図るとするようなことは許されません。そんなことをするなら滅びた方がマシだとさえ考えます。
 どうかあの悪魔を見つけ出し、彼の陰謀を阻止して下さい。』

 とんでもない者がいたもんである

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

安倍総理 真珠湾へ

2016 DEC 8 6:06:32 am by 西 牟呂雄

 壮挙である。
 言いたいことは双方山のようにあるだろうが、謝罪ではなく互いの犠牲者を悼むのはいいことではないか。 この演説を聞け で総理は既に「これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶべきでしょう。熾烈に戦い合った敵は、心の紐帯が結ぶ友になりました。」とアメリカ国民に語りかけている。
 訪れて双方の英霊を慰めて頂きたい。
 おそらく右からも左からも様々な意見が飛び交うことだろうが、外交家安倍総理は臆することなく堂々とすればいい。
 そしてアメリカさんにも『あんまり日本をナメてるとよろしくない』と時々思ってもらうのも悪くはないと考える。
 誤解を生みたくないので念のため書き加えるが、日本はあのような戦争を仕掛ける事は二度とない。

 しかし当時の世相一般は末期のヒステリックな『鬼畜米英』的なノリではなかったようだ(軍部は別)。山本七平さんは臨時ニュースを聞いた家族から「戦争が始まった」と聞いて思わず『えっ、どことどこが?』と聞き返したことを書いている。臨時ニュースとは現在のNHKラジオで朝7時に流した「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、十二月八日午前六時発表。帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」のことである。

 ところで真珠湾で思い出した、特殊潜航艇について。
 鉛蓄電池を動力とし、イ号潜水艦の甲板から水中発進する必死必殺の小型潜水艦の攻撃隊だ。甲標的と言われる。しかし当時の蓄電能力では魚雷発射後に母艦まで戻ることはほぼ不可能で、後の人間魚雷『回天』の原型となった兵器だった。
 真珠湾攻撃の際には単冠湾(ひとかっぷわん)から出撃した機動部隊とは別に、呉から5隻の艦隊でオアフ島沖まで侵攻し、12月8日には湾内に突入している。
戦艦ウェストバージニアと戦艦オクラホマへの雷撃が行われており、このうちオクラホマはこの攻撃で転覆したとされている。勿論全員戦死のはずだったが羅針儀が故障したまま出撃し座礁したり駆逐艦の砲撃を受け、自爆しようと脱出後漂流した酒巻少尉は捕虜第一号となってしまった。他の九人は軍神として祭られたが、捕虜となった酒巻少尉とそのご家族は大変な葛藤があったことだろう。
 作家の豊田穣とは海軍兵学校同期であるが、豊田もまた捕虜になりウィスコンシン州のマッコイ収容所で酒巻と再会している。
 この甲標的は犠牲を伴いつつオーストラリアのシドニー港、マダガスカル島のディエゴ・スアレス港、更にガダルカナルでも投入された。戦死者の冥福を祈るばかりである。

 尚、蛇足ではあるが山崎豊子さんの絶筆となった『約束の海』は前出の酒巻少尉がモデルと思しき人物のご子息が自衛隊潜水艦に勤務し「なだしお」の事故の渦中に巻き込まれる、という構想だった。
山崎豊子さんの取材力

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

『リーマン・ショック直前並み』雑感

この演説を聞け

喜寿庵紳士録 ヒョッコリ先生

2016 DEC 6 13:13:50 pm by 西 牟呂雄

 喜寿庵の側には桂川が流れていて、ちょっとした渓谷の風景が楽しめる。ザーザーと流れる川瀬の音は絶えることはなく、はじめて来た人は雨音と間違えるくらいだ。
 とある日、渓谷の方に歩いていった。川にはつり橋が架かっている。
 半世紀前の伊勢湾台風が上陸した時。大増水した桂川で当時の橋が流されてしまい、その後に鉄骨ワイヤー製のつり橋になった。極めて不確かだが、橋が無くなったのを見に祖母と二人で傘をさして見つめていた記憶がある。何故か白黒の映像のような記憶だ。
 そのつり橋から(見飽きた風景ではあるが)川面を覗いていると人が歩いて来たのが分かって顔を上げた。目が合う、どうも見たような顔だな、と思ったら
「よう、元気かい」
と声をかけられた。ウーン、名前は出てこない。
「ええ、まぁ」
と返事した。年は少し上だろうか、オレより背の高い痩せた品のいいオッサンで髪は薄い。するとそのオッサンは何故か僕と一緒に欄干から川面を覗くではないか。話しかけられたら面倒だと思った。
 ところが2~3分くらい何も言わずに一緒に見ているだけ。おもむろに、
「だけど亡くなった奥様は大変に品のある人だったね。」
などと言い出した。奥様?死んだお袋のこと?
「僕は茶器のことで時々相談されたけどとにかく大した人だった。お一人で暮らしておられたがいつもキチッとした方だったな。」
 えっ、お袋はお茶なんかやらなかったぞ。一体何の話だろう。『はぁ~、その節はお世話になりました』等と相槌を打って歩き出そうとすると、オッサンはヒョコヒョコ一緒に来てしまった。
坂を上りきったところに喜寿庵はある。
「それじゃ、また」
と言って帰ろうとすると向こうも
「じゃあね」
と振り返りもせずに行ってしまった。

 落ち葉を掃きながらハタと気が付いた。『奥様』というのは僕の母親のことではなく、40年近く前に逝った祖母のことなんだ!確かにここで一人で暮らしていてお茶を熱心にやっていた。するとあのオッサンはその頃はまだ若造で婆ちゃんのパシリでもさせられていたのじゃないだろうか。
そうだとすればその頃の僕を覚えていて懐かしがったのかも知れない。
するとオッサンは僕より10才くらい上だ、随分若く見えるな、ふーん。

お茶室から見た喜寿庵の庭

お茶室から見た喜寿庵の庭

 その後、不思議な事に菩提寺に花を供えに行ったらこのオッサンにまた会った。この人の家のお墓がどこかは知らない、こっちが上がって行くと(本堂の裏の高くなったところに我が墓所はある)『やあやあやあ』と言いながらスタスタ降りて来た。
「誰かの命日かい」
「いや、そうじゃないんですがたまには花でも供えようと」
「いや感心感心」
という会話をしたらヒョコヒョコ行ってしまった。今更『お名前は』ときけなかったので、その後姿を見てこの人をヒョッコリ先生と名付けたものだった。

 北富士総合大学の学生がやって来てくれて鍋料理を造った。この辺りは10月後半にはもう暖房を入れる。11月末で珍しく雪まで降った(東京でも)。
 話をしていて驚いたが彼らはボブ・デイランを知らない。うっすらと名前が分かるくらいだと言う。聞いたことはほとんど無いそうだ。
 既に『伝説』になってしまっているようで、今年も日本に来てやってたことは誰もわかんなかった。もっとも、今の20代は志賀直哉も芥川龍之介も三島由紀夫も読まないらしいので、おじさんは寂しいやら情けないやら。既に書いたが彼等、北富士総合大学の学生はは殆どが真面目で良く勉強する学生にもかかわらずだ。
 するとチャイムが鳴ったので遅れた学生さんが来たのかと思いきや、ヒョッコリ先生が『ヤアヤアヤア』と言って入って来た。何なんだこの人。ところが学生たちはヒョッコリ先生と顔見知りのようでもっとビックリした。
 そして彼はビールではなく図々しくも『日本酒がいいな~』などとほざき、冷酒をグイグイ飲みだした。
 ヒョッコリ先生は頭は薄くなっているが話し方は元気はいい、良く喋る人だった。おまけに恐ろしく博識だ。ボブ・ディランのことも知っていた。
「本名ロバート・ジマーマンだね。ユダヤ系だけど途中でクリスチャンに改宗してるんだよ」
へぇー。
 学生さん達は純情で真面目。僕の拙い国際経験を目を輝かせて真に受けている。するとヒョッコリ先生は相槌を打ったり『それはね』と言いながら歴史的解説を加えたりする。話は大統領選挙のことになった。
「要するにアメリカという国はね」
 などと言いながら面白い事を言った。
「ナマのアメ公を定点観測してみりゃ分かりやすいよ。半分以上の奴等は時間も守らないしロクに勉強なんかりゃしない。その手の連中がエラソーなヒラリーが大嫌いで大挙して投票しちゃった結果がトランプ大統領だってこと。アメリカはこれからモメ続けるよ」
「先生はアメリカに行ってたんですか」
「いや、行ったのは観光だけ。でも戦後来てた進駐軍の兵隊の中にゃ足し算引き算だってアブネーのがウジャウジャいたのさ。今だって下院議員っているだろ、あいつ等の半分はパスポート持った事ないんだよ」
 この人は進駐軍を見たことがあるんかいな。

 名調子と酒に酔っ払って名前を聞くのを忘れた。一体何という人なんだろう。うっかり僕まで『先生』などと呼んでしまった。

「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

喜寿庵紳士録 ピッコロ君

喜寿庵紳士録 ヒョッコリ先生 Ⅳ

喜寿庵紳士録 ヒョッコリ先生Ⅱ

花盛りの喜寿庵 八月の花

ドリー・ファンク・ジュニアが出たぁ

2016 DEC 3 17:17:17 pm by 西 牟呂雄

 全国二千万のプロレスファンの皆様。お待たせいたしました。
 先般、与党議員が採決を引き伸ばしてばかりの野党を『田舎のプロレス』呼ばわりして一部のファンを怒らせましたが、言い得て妙ではないですか。国際プロレスが地方巡業の小都市でやった試合を見たことがありましたが、某政党の”引き延ばし”レヴェルの試合でしたよ。それもまたプロレスなんです。
 そのプロレスのプロレスたる試合をBSで偶然見てしまいました。
 何とォ!あのグレート・テキサン・ドリーファンク・ジュニアが帰ってきましたー!って嘘じゃありません。
 先日の全日本プロレスに本当に出て来たのです。御年75歳、さすがに痩せていて長袖TシャツにGパンを着てのリング・イン。「スピニング・トーホールド」が流れると、現役時代を知らないはずの若いファンが往年の『ドリー、ドリー、』の大コールです。一人当たりの運動量が少なくなるように配慮した8人タッグですが、他にもチャボ・ゲレロが67歳、ザ・グレート・カブキ68歳という豪華版。
 さすがにオジイチャンの動きになっていて、エルボー・スマッシュもスカスカ。カブキのアッパー・ブロウも手加減気味(あれが精一杯か)。そして喜ばしいことに“伝家の宝刀”スピニング・トーホールドを掛けてきた西村を首固めで押さえ込みワン・ツー・スリーの大団円でした。

めでたしめでたし

めでたしめでたし

 ところがこの後もっと驚くメイン・エヴェントがありました。2人合わせて120歳の大仁田厚(59歳)渕正信(62歳)コンビが現役アジア・タッグ・チャンピォンの青木・佐藤チームに挑戦しました。
 大仁田が有刺鉄線電流爆破バットをいきなりスイッチ・オンするとサイレンが鳴る演出、いい間の取り方です。
 場外乱闘に持ち込み、机上パイルドライバーにカブキまがいの赤い毒霧。キメは渕のバックドロップ怒涛の7連発。おい嘘だろ時計の針が戻ったぜ、とばかりに伝統のアジアタッグの第100代王者になりました。
 このタイトルの初代チャンピォンはキング・コング&タイガー・ジョキンダーで、力道山・豊登が3代目という由緒あるベルトであります。
 さすがにやりすぎ感がありましたが、めでたしめでたし。昭和プロレス万歳!

 だけどこれから どう防衛戦をプロデュースするんだろう

10.21横浜文化体育館

スポーツを科学の目で見る (プロレスその1)

スポーツを科学の目で見る (プロレスその2)

心に残るプロレスの名言 全日本編

リングネーム・中継の傑作

訃報 ダスティー・ローデス アメリカン・ドリーム

心優しい主夫 スタン・ハンセン

昭和プロレスの残像 (祝 馳浩文科大臣)

ジミー・スヌーカの訃報


「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」 

中村芝翫 息子3人との「連獅子」

2016 DEC 1 21:21:18 pm by 西 牟呂雄

 芝翫・橋之助・福之助・歌之助と親子四人の同時襲名披露。

「誠に大きな大きな名跡でございますが、先祖の名を汚さぬようなお一層芸道に精進いたします。ご贔屓ご後援のほど、ひとえにお願い申し上げ奉りまする~」

四匹の獅子

四匹の獅子

 となるとこりゃー見ねえ訳にゃー行くめーよ。
 おまけにオマイさん、四人揃っての連獅子たぁー滅多にあるもんじゃねぇ。
 それでイソイソと幕見に行きました。幕見は四階席直行ですからお土産を買いに行ったりお弁当を食べたりできませんがね。
 『祝勢揃壽連獅子(せいぞろいことぶきれんじし)』
 成駒屋ぁ!
 いやモウあでやかなの何のって、そりゃ凄いモンでした。

 三男の歌之助なんてまだ中学生でしょう。オジサンはハラハラしながら見ました。
 アァッその立ち居地では近すぎて毛振りで当たっちまう。もっとしならせて振らないと首が持たねぇ。
 オイオイ、最後長男の橋之助遅れ気味・・・・。

 終わったところで席を立ったら三田寛子さんが甲斐甲斐しくご贔屓筋に挨拶をして回っていたが、アノ人あんまり変わらねーなー。

九月花形歌舞伎

九月大歌舞伎 千穐楽

猿之助四十八撰


「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」

 

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

ライフLife Documentary_banner
加地卓
金巻芳俊