Sonar Members Club No.36

カテゴリー: 古典

成り切る

2025 OCT 1 20:20:47 pm by 西 牟呂雄

 トランプ政権下の米国で、プロレスが存在感を増している。トランプ氏は長年にわたる格闘技の支援者で、ファンとトランプ氏の支持層は重なる部分がある。「今日、我々は偉大な友人を亡くした」。7月24日、伝説のプロレスラーだったハルク・ホーガン氏の死去を受け、トランプ氏はSNSに追悼の言葉を載せ、ホワイトハウスでプロレスをやるとか。
 賛否両論あろうが、アメリカン・プロレスの醍醐味は架空のキャラクターを演じる超人的な肉体の躍動と、バカバカしいほどの単純なストーリーだ。誰も真実なんぞ求めない。
 トランプ大統領自身も嘗てはリングサイドに陣取って代理髪切りマッチをやった。そう、プロレスに参加してトランプに成り切ったわけだ。

 ここで私自身はどういう人間か、と言えばどうであろう。ブログの読者の印象通りと言って差し支えないのだが、実際にはもう少しマトモである。即ち筆が滑っているとも、実生活ではマトモを演じているとも言える。
 それでは演じる必要はなぜ生じるのか。それで演じなかったらどうなるのか。言うまでもなく他人の目を意識して、それなりに社会性を保とうとするからだ。ではもし演じなければメチャクチャなことが起きるのか。他人の目がなければありもしない『本当の自分』が露出するのか。
 例えば山荘の喜寿庵にいるときはほぼ一人だ。誰も見ていない。しからばそこで奇怪な振る舞いに及ぶかといえばそんなことはない(と思う)。どんなみっともないことをしてもかまわないのにしない。すると私は自分の自由意志ではなく、人智(じんち)を超えた宇宙の法則にでも操られているのだろうか。

 最近、犬童一心監督が狂言の野村万作さんを撮った「六つの顔」というドキュメンタリーを見た。人間国宝の万作さんは御年94才。3歳で『靱猿』の子猿役をやったので芸歴90年。その子供の頃から現在までを、映像と本人のインタビューで構成されている。
 「演じる」という意味では能・狂言は数百年の伝統を受け継ぎ今に継承された芸能であるから、自由意志もクソもなく、恐らくは我を捨てて型を身につけなければ始まらない。解釈はその後から付け加わるのだろう。
 最後に「川上」という演目をカメラが追う。
 盲目の男が、願いを叶えてくれるという「川上」の地蔵に参詣し、その甲斐あって視力を得る。 しかし、男の夢に現れた地蔵は視力と引き換えに「妻と離別せよ」という過酷なお告げを残した。という狂言にしてはストーリー性のあるモノで、視力か尽くしてくれた妻かの選択を迫られる。そこに萬斎さんが妻の役で出てくる、といったお膳立てだ。「川上」とは奈良吉野にある川上村のこと。
 昨年薪能で観たときはお声が小さくなったような気がしたが、そんなことはなかった。枯れたいい声なのだ。そして選択を迫られ苦しむのは演じているのではなく、人間万作その物である。
 万作さんにとって『狂言』は野村家に生まれた偶然のきっかけであり、一方『狂言』を擬人化すれば万作さんは手段に過ぎない。磨かれた芸は既に人格とか個性を超えている。万作さんは狂言を演じながら狂言の目指すところにたどり着いたのだろう。

 人間ここまでくれば上品(じょうほん)である。だとすれば、今の若い人が時々被れる『自分探しの旅』の何と無駄なことか。自分を演じ続ければいいだけの話ではないか。
 さて、私の場合は・・・。

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どすこい観戦記 7日目

2025 SEP 21 6:06:02 am by 西 牟呂雄

 何も身にまとわずぶつかり合う巨大な肉塊、ほとばしる汗、荒い息遣い、そして様式美。
 やはりテレビ観戦と実際に見るのでは大違い、相撲は格闘技の原点に近い。私はプロレスを深く愛する者だが、土俵とマットは違う、純粋ストリート・ファイトとなると勝つのは相撲なのかもしれない。 
 初日、両横綱と大関が勝ち順調に始まった9月場所、国技館を訪れた。
 本日まで横綱豊昇龍が全勝と絶好調。東の横綱大の里と大関琴桜が1敗、前頭以下の1敗には若元春・降の勝・宇良・美ノ海・正代・友風と充実している。
 個人的には翔猿と竜電が(名前が刺さるから)贔屓である。この二人は番付が下がると猛烈にがんばり、上がってくると負け倒す。まさか敵わないからチンタラやるのではないだろうが、幕内から落ちそうで落ちないところが実に巧みなのだ。

三田の雄姿

 午後3時に入ると十両の取組の最中で、さっそくビールで乾杯しながら観戦。
 おォ!琴栄峰という力士は伸びた足が天井に向くような四股を踏んで見せた、と思ったら負け。十両全勝の三田はまだ髷が結えないのに見事に横っ飛びして叩き込みで勝ち。全勝である。
 ここで中入り、幕内土俵入り、横綱土俵入りとなる。トイレに行って一服。

 ところで三田の叩き込みは見事だったのだがこの決まり手、負けた方のマヌケ感が気の毒で見ちゃいられない。土俵下から見ていると、時間一杯で仕切りの瞬間には力士の顔面が赤らんで汗が光る。それが1秒で身をかわされて土俵に這い蹲ることになるのだからねぇ。今日は贔屓の翔猿が輝に、クセ者宇良が一山本相手にやって見せた。
 もう一人の贔屓である竜電は佐田の海と物凄い力比べの末に土俵際で上手投げを決めた。藤の川という力士は掛け投げという珍しい技で狼雅を下す。巨漢、熱海冨士は40才の星である玉鷲を激闘の末に寄り切り。
 さあ、大関・横綱だ、やっぱり風格が違う。豊昇龍なんか、鎌倉の金剛力士像にそっくりの迫力。こっちはビールが日本酒になって既にベロベロ。

 さて、会場には結構有名人がいて、ものまねタレントのアントキの猪木が赤いマフラーで見ていたし、僕の目の前には上地雄輔がいた。横浜高校で松坂とバッテリーを組んだあの上地である。

和服美人

 そしてマズイことに向こう正面の升席だったのでテレビに映ってしまい、バカな仲間から次々にラインが入った。『ビール飲み過ぎだ』『今映ってるから変顔しろ』『取り組みが始まるから早く戻ってこい』終いには画面を送り付けてきて『斜め右に和服の美人が二人いるから電話番号を聞け』と始まって相撲に集中できなかった。探してみたらおそらく粋筋の美人がいた。
 琴桜は負けて2敗。賜杯は豊昇龍か大の里か、はたまた伏兵の降の勝・宇良か、琴桜の巻き返しか、あと一週間激闘が続く。

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慟哭のリア 俳優座

2024 NOV 10 0:00:58 am by 西 牟呂雄

 言わずと知れたシェークスピアの名作『リア王』の舞台を見てきました。
 それが一捻りした脚本で、舞台を明治の筑豊炭鉱に置き換えて、女主人と3人の息子の物語に仕立てました。この手は以前にもあって、黒澤明が戦国時代の話に焼き直した映画がありましたが、さて筑豊を舞台にするとどうなるのか興味の湧くところです。
 筆者は北九州に赴任したことがあり、住んだことはありませんが筑豊と呼ばれる田川・飯塚といった旧産炭地にはよく出かけていました。一言で言って激ヤバのエリアであることを肌で感じたものです(人はいいのですがね)。そんな雰囲気を脚本に込められるものかどうか、楽しみに観劇しました。
 リア王の筋立ては周知のストーリーで、それを台本・演出の東憲司さんがいかなる味付けをするか。無論悲劇なのだが、例えばどこに『笑い』を入れるのか、どこから急展開させるのか、が見物です。

岩崎加根子さん

 ところで、リアを演ずるのは岩崎加根子さん御年92才!劇団俳優座養成所の第1期生の舞台歴70年という大ベテラン。そういえば俳優座劇場が今年創立70年ですから、劇場と共に歩まれたことになります。劇場は老朽化に伴い来年閉鎖されますから、将にフィナーレを飾るにふさわしい。
 主人公は亡き夫の後を継ぎ荒々しい環境で炭鉱を経営した女性。片脚に障害のある長男、放蕩息子で粗暴な次男、東京で被れたマルクス・ボーイの三男、というお膳立てには唸らされました。

 さて幕が開くと、なるほど重厚なテーマだけあって硬派な演出、息をつかせぬ展開で、笑いも挟まずセンチメンタルな泣きも入らず、ものすごいテンポで一気呵成にフィナーレまで観客を引っ張っていきました。岩崎加根子さんは背筋も伸びて声も通る。凄い貫録で炭鉱の女主人が滲み出る熱演です。
 そして脚本は元々の本筋を一度バラして組み立てなおすように展開していきます。両眼を失うグロスター伯爵は忠実な下僕である与平に、グロスター伯の私生児エドマンドは何と女主人の亭主が妾に産ませた善治として狂言回しとなり、尚且つ3人の息子を反目させる。
 息子達は年の若い順に死んでいき、善治も最期は死ぬ。その死に囲まれた女主人の慟哭。この『慟哭』がクゼ者で、大声を上げて泣き喚くことはせず、岩崎さんの表情で、うーむ。お見事!
 
 ところで、僕は前述の勤務した経緯からあのあたりの炭鉱弁はネイティヴで使えますが、役者さん達は見事にこなしました。単なる九州弁でないところがミソで、同じ福岡でもタモリや武田鉄矢が喋る博多弁とビミョーに違うのです。遠賀川をはさんで西と東ですね。でもって、東側の言葉の方が荒い、キ・タ・ナ・イのですな。おまけに落盤事故のエピソードがあるなど臨場感満載。感心してパンフレットを読むと演出の東憲司さんは福岡県出身とのこと、ははあ成程ねぇ。

渡辺聡さん

 読者諸兄諸姉に観劇を勧めたいところですが昨日が千穐楽、又の機会になるのは残念。善治役の渡辺聡さんという男優さん、上手いですよ。この人イチオシです。

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狂言 『樋の酒』

2024 OCT 26 9:09:28 am by 西 牟呂雄

  『樋の酒』とかいて『ひのさけ』と読む。
 留守を預かる太郎冠者(万作さん)と次郎冠者(萬斎さん)がこっそり酒をのんでしまうお話です。狂言は大衆芸能だから、酔っぱらってバカをやる物がたくさんあって身につまされるますね。棒縛(ぼうしばり)とか脱殻(ぬけから)ですね。
 さて、すっかり酔っぱらって謡うは舞うはでしまいには『ハッハッハッハ』と笑い転げているところに主人が帰ってきます。もちろん怒り狂って叱りつけるも『お許されませお許されませ』と逃げ回り、舞台からきえていきます。
 御年93才の万作さん、立ち上がるところ、舞うところはいまだに矍鑠とされていて見事なもの。さすがに日頃の修練の賜物でありましょう。しかしながらどうにも鍛えようもないものがあって、私が言うのもなんですがそれは『声』、すなわち喉なんですなぁ。萬斎さんがまことに通る発声なので尚更目立つ。

子猿の着ぐるみ

 ところで狂言の鳴きについて今回も面白い話がありました。
 『靭猿』では子役が着ぐるみで猿を演じますよ。猿は『キャー・キャー』と鳴くそうです、成程ね。 

 カラスとスズメが並んで留まっているのをいるのを見た主が太郎冠者に言いました。
『あの2羽の鳥は親子であろう』
 すると太郎冠者は、
『違いまする。片方はカラスと申し、片方はスズメと申します』
『そんなはずはない。あのさえずりを聞いてみよ』
「コーカー・コーカー」「チチッ・チチ」
『それ、親が「子か・子か」と尋ねれば「父・父」と応じておるではないか』

狐もあります

 他に、犬は『ビョウ・ビョウ』
 猫は『ネウ・ネウ』
 そこで僕も狂言語を作ってみた。
 
 ライオン『げーう』
 ゴジラ『えあーん』
 ウルトラマン『どわっけ』

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狂言『昆布売』並びに 能『巴』 

2023 OCT 22 0:00:00 am by 西 牟呂雄

 野村萬斎という人はどれ程の才能の持ち主なのか、ちょっと計り知れないところがある。今年の薪能では『昆布売』を万作さんとのコンビでやった。

 侍役が萬斎さんで昆布売が万作さんだったのだが、出てくるところからオーラが出ていた。
 つくづく思うのだが、この人と團十郎とではオーラの種類が違っている。どちらも華があり、伝統に裏打ちされ磨かれた芸があり、舞台に出ると強烈なオーラを発する。十才違いのこの二人、いずれも人間国宝になっていくだろう。
 ただ、際立った違いは團十郎は単に歌舞伎の天才、萬斎はマルチな才能ということになるのではないか。
 團十郎が歌舞伎以外の例えばテレビに出ると、それが時代劇であっても大して面白くならない。以前の大河ドラマで信長役だった。大いに期待してそれなりに良かったのだがイマイチ感が残った。何故か。それはテレビは役者の意思にかかわらずアップにしたりカットするからだ。團十郎の芸は全身を使って所作する舞台が基本で、またそれしかできないのだ。稽古嫌いで知られ酒癖も悪い團十郎は画像に残る演技はできない。成田屋の十八番芸、邪を祓うという『睨み』なぞ、画面でアップされたら面白くもなんともない一発芸だ。

 そこへいくと萬斎は現代劇に出ても味のある演技ができるので、テレビ・映画でも重宝されている。おまけにこの人は芸大を卒業し、東大の非常勤講師をやったこともある教養人だ。
 密かに温めている企画がある。わがまま放題に育ったヤクザの二代目VSそいつを執拗に追い詰めるキャリア刑事の映画を、深作欣二や北野タケシがやるようなノン・ストップ・ロング・カットで撮ってみたい。どっちがどっちかはお分かりだろう。やはり歌舞伎は大衆の、能・狂言は武士の芸ということか。

 さて、御父上の万作さん、御年93才。この度文化勲章おめでとうございます。『まず美しくないとダメ。次に面白さが必要。そして最後に笑いがある』とは至言。矍鑠とされていて姿勢もいい。ただ、どうしても声にでますな。

 能の方は『修羅物』といって武将の霊が出てくる話だが、その中でも唯一女の霊の『巴』。美貌・怪力で木曽義仲の愛妾、巴御前のことだ。
 台詞の中に『なにものがおわしまするかしらねどもかたじけなさになみだこぼるる』とあって、ハッとした。これ、西行ではないか。一瞬、西行法師が能のセリフをパクッたのかと混乱したが、能の成立は室町時代で西行のいた鎌倉時代の遥か後である。帰って調べたら『古の歌人が謡った「なにものが~」のように』と挿入された台詞だった。あー安心した。

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イザイの無伴奏ソナタ3番『バラード』

2023 JUN 1 6:06:21 am by 西 牟呂雄

 先日、都内某所で小さなチャリティー・コンサートがあった。
 友人のブルーグラス・バンドが出演し、見事な演奏を楽しませてくれたのだ。
 そこまでは、単に楽しいだけだったが、真打にすごいのが出てきて圧倒された。バイオリニストの深山尚久。そして選んだ曲が提題の『バラード』だった。
 彼はご承知の通りプロであるから、腕が違いすぎて一緒に演奏できる人となるとノー・ギャラでは無理なので独奏となる。それで選んだのがイザイとはねぇ。
 『物悲しい』と『哀愁』の中間の美しいメロディーが奏でられて、その旋律を耳で追っているうちに途中からアレッ、となった。この曲、難しすぎる。深山氏は超絶技術で見事に弾きこなしているのだが、聞いているこっちは堪ったもんじゃない。何が堪らないのかわからないが、そう思い始めたら楽しめなくなり、終いには怖くなった。
 僕は高尚なクラシック論とは無縁なので、この曲の解釈はプロに譲る。
 だがウジューヌ・イザイという人は、非常に情熱的かつ感情豊かな天才なのだろうが、一方で極めて厳格なところがあり、怒りを爆発させることもあったのではないか。曲を書いているうちに『オレはこんなに簡単にできるのに弟子の誰一人弾きこなす奴いない』と怒り出して、ますます難しい旋律を書き込んだ。
 そう、僕はあの美しい流れの中にフト、作者の内なる怒りの炎がチラつき、恐怖感を感じたのかもしれない。
 というシロートの感想などどうでもよくて、深山氏の演奏はそれはそれは素晴らしいものだった。

 打って変わってマニアックなプレイヤーも登壇。余程のツウしか知らないだろうが、シカゴを中心に活動するブルース・ギターの名手、牧野元昭がインストゥルメンタルでスィング。この人はブルース・ハープ(10穴ハーモニカ)の天才シュガー・ブルーと組んでワールド・ツアーを回っている。
 こちらも客層を意識しての(家族連れの高齢者が多い)ジャズ・ナンバーをベースと二人で演奏した。
 そしてあろうことか、クラシック+ブルース+ブルーグラスのコラボが実現してしまい、冒頭の友人が(彼はフィドルもやる)深山・牧野両氏とともにステージに上がる。
 スタンダードの名曲『ティー・フォー・トゥー』を演奏した。この曲に落ち着くまでにいかにモメたかを想像するとそれだけで笑える。あれだけジャンルが遠い3人がまじめに相談をしたとはね。
 まあ、なんとも豊潤で密度の濃い午後を楽しんだ(いささかムチャ振りの感アリ)。
 フィナーレは小学生が登壇してカワイイ声の大合唱、カワイイ。
 で、そろそろネタバラシをすると、この3人、某小学校の同級生なんですな。ジャンジャン!

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岩灯火 十選

2023 MAY 10 21:21:34 pm by 西 牟呂雄

 市井の俳人、岩灯火の句集が手に入った。三百あまりの秀作を、ヨットのデッキや農作業の合間に一句一句嘗めるように楽しんだ。
 岩灯火氏は、長年基幹産業に従事し数々の事業を展開した人で、その足跡は全国に及び、また個人的にも多くの旅をした方である。作品にはその任地や旅先を思わせる句がちりばめられていた。

 さて、俳句という芸術はその表現の短さから、作者或いは評者にとってそれぞれ独自の視点から解釈できる。即ち、作者の思いとは別の味わい方をされることも大いにあり、そこがまた面白い訳だ。
 アンドレ・マルローは『日本人は永遠を一瞬に閉じ込めることができる唯一の民族だ』と言った。
 解釈は人によるだろうが、巡る季節の一瞬を切り取る。或いは思い詰めて思索の果てに何かに目を留め、なんだこんなことだったのか、とフト気づく。子規は病魔との苦しい戦いの中で自然を写生し、生きる糧とした。そういうものではなかろうか。俳句は思想ではない。
 筆者は岩灯火氏を存じ上げている。冷静沈着でありながら時に果敢に決断を下した。氏の日常が今日においてもそうしたものであることは疑いのない所で、いくつもの秀作を吟じた時に何に思いを巡らせていたのか想像するのも味わい深い。その視点から、十句を選んでみた。
 しかし全編から選び出すという作業は困難を極めた。かなりの集中力を要しかつ時間もかかる。一つ選んでは、待てよ、と読み返すのは相当なエネルギーを使う。
 ほんの思い付きで始めてみたが、二度とできない、しかしながら至福の時間ではあった。

声尽きし ところが墓所や 秋の蝉
  お盆の墓参であろう。御尊父 或るいはご先祖の墓参りに汗をかきながら坂を登る。見えてきた時に、故人の姿が蘇り『どうも、お久しぶりです』と感慨にとらわれると、先程までやかましかった蝉の声が一瞬遠くなった。

窓越しの 冬日をつかむ 赤子かな
  お孫さんをあやしていると、つくづく自分の子供の頃を思い出す。そしてこの子のこれからに思いを馳せざるをえない。すると冬の低い日光に移される柔らかい影を一生懸命に掴もうとしている姿が目に入る。何を考えているのか、自分にはこの頃の記憶はない。やれやれ・・・。

長閑さに 進まぬ読書 ときしずか
  氏は著書もある文章家であり、主に純文学を好む大変な読書家でもある。
  長編小説を読んでいるうちに物語が緩慢なために多少飽きる。作品とは無関係なことを考え出して関心はそっちに向かう。
  風がページをめくる。

日に焼けた 簾朽ちゆく 和菓子店
  散歩の途中に偶然見かけた流行らない和菓子屋。以前は気にも留めなかったが最近通るたびに目につく。変わらない風景は郷愁をさそうが、こうも落ちこぼれていると、かえって地上げに合うのじゃないか、御主人のヤル気がないのか、跡取り息子がサボってしょうもないのか。
 そもそも客がいるのも見ていないし、それどころか店の人も見たことがない。
 まぁ、大きなお世話なんだろうけれど。

沈む日に 紅葉の生気 よみがえる
  紅葉は広葉樹の冬籠り前の最期の輝き。だが周囲はもう寒い。
  この葉ももうすぐ1枚残らず落ちて寒さに備えるのか。さて、自分は何を備えるかな。
  するとそこに雲の切れ間からまぶしい夕日が差してきた。振り返るとやや赤みの施された紅葉の何と輝かしいことか。時間はまだあるのだ。

薬尽きて 旅も終わりや 温め酒
  おそらくは海外旅行ではないか。常備薬を日数分準備して旅立つ。名所・旧跡を訪ねながら様々な感慨に耽り、句集の中にはいくつかの作品がある。
  その旅も終わりに近づいたことを表現したのだろう。同時に旅が予定通り終わることを感じさせる。そして次の旅に備えるのである。

一丁の 湯豆腐で足る 夕餉あり
  家人が外出したため一人で夕飯を食べる。氏に料理の能力はない。だが、その場合にも楽しみ方は心得ており、豆腐一丁を手に入れてネギを刻み生姜を添え火にかけて待つ。
  傍らにはどうしても酒がなければ。とっておきの冷酒を含んで、さてそろそろか。
  湯豆腐の芯が適度に熱いのは、さて上げてから30秒後か1分後か、真剣に考えながら箸をつける。

春の雪 『へ』の字『へ』の字を 屋根に積む
  温暖化とはいえ、春の雪はそう珍しくもない。少し積もるが解けるのも早い。
  今日は晴れたので用事を済ませに家を出ると、はや屋根から滴る水音が聞こえる。見上げてみれば近在の家屋の瓦屋根に積もった雪は朝日に照らされて解け始めている。ポタッポタッ。

汝と我の 思い出も煮る 寄鍋屋 
  氏は大変に広範な人脈を持っていて、その誰もが驚くほどの人物なことに驚かされる。知己の末席に私が連なっているのは秘かな自慢ですらある。
  その中のどなたかと鍋を囲んだのであろう。
  さて、日本経済の行く末を憂うるウラ話か、政権中枢のコボレ話か。はたまた互いの秘かな悩みを打ち明け合ったのか。

人気なき 道の自販機 桜散る
  人混みを嫌って桜の終わりを楽しもうと車を出した。『たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし』とばかりに車を飛ばす。のどが渇いてお茶を買いに自販機の前に停まった。
  なんだ、わざわざ人混みの中に行かなくても、人っ子一人いない道端にも同じように見事な桜が舞い散っているじゃないか。

番外
淡き骨 拾えば軽し 差す冬日

 十句を選んだが、ほかにも捨てがたい名作がある。
 すべてを所望の読者がいれば、作者の了解を得てお届けするにやぶさかでない。

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市川左團次さんの訃報

2023 APR 17 22:22:36 pm by 西 牟呂雄

 粋な佇まいに歯切れのいい台詞回し、悪役の時は憎々しく善玉の時は明るく、自在にこなす名優で僕は大ファンだった。

髭の意休

 声の通りがいい。『賢賀に暮らせ』『問われて名乗るもおこがましいが』といった名調子がこの人から発せられたのを今でも覚えている。シビれましたねぇ。
 敵役が得意で『御所五郎蔵』の土右衛門や『助六』の髭の意休など、舌なめずりをするように見た。
 暁星出身なのだが、本人も言っているが在学中は典型的なチンピラだった。ケンカをしたかは分からないが酒・女はやったでしょう。モテたんでしょうね。実は三代目左團次の息子となっているが実の父親は違っていて、複雑な育ちだったのが影響したのかもしれない。

 大変なユーモリストで襲名披露公演での口上は名物だった。僕が聞いたのは雀右衛門の襲名披露だったが『その昔はサングラスをかけてバイクを乗り回しておりました』と笑いを取り『お祝い申し上げまする次第にござりまする』と締めた。ヤンヤヤンヤ。
 更に、高麗屋三代襲名披露興行の口上で『暁星学園の後輩である新・白鸚(九代目松本幸四郎)は、勉学に励み級長や副級長等を勤めその勤勉さに私はとても及びませぬ。わたくしは、高校生になりますと、踊りや長唄の稽古は脇に置きましてキャバレー・クラブに通うお稽古に専念しておりました次第でござりまする』とやったのも見た。はて、なんで役者は暁星が好きなのかな、あそこは第一外国語がフランス語だが・・・。香川照之(市川中車)もそうだ。

 大河ドラマ『風林火山』で上杉憲政を演じてドはまりだったのも懐かしい。名優が逝ってしまった。そういえばしばらく歌舞伎を見ていない。チョイと幕見にでも行くか。
 高島屋ぁ!

イヨッ!高麗屋三代同時襲名

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武蔵野市民文化会館のベートーベン ピアノ・ソナタ

2023 FEB 23 0:00:12 am by 西 牟呂雄

 第31番変イ長調 作品110。第23番 作品57『熱情』。第17番 作品31-2『テンペスト』。第8番 作品13『悲愴』というリサイタルでした。
 演奏するのはイリヤ・ラシュコフスキー、ロシア人です。例によっての業界掟破りの〇千円。ロシア人ということでフラリと聞きに行きましたが、この人のことは良く知りません。1984年シベリアのイルクーツク生まれで、まあ油の乗り切った年齢でしょうか。時にやさしく、時に激しくピアノを自在に操って観客を酔わせます。
 プログラムを見ると11歳でイタリア・マルサラの国際コンクールで優勝、その後浜松国際でも優勝するなど天才ですね。
 素人の私の音楽評論などどうでもいいですがテクニックが凄過ぎて、マシンガンのようになるところはついていけない、おなじみのメロディーでホッと一息といった感じでした。
 ただ、入りは悪かった。ロシア人だから??
 イルクーツクとはほとんどモンゴルとの国境でバイカル湖のほとり、ド田舎と思ったらシベリアのパリとも言われるとは本当かな。モロにシベリアで、多くの囚人の流刑地でもあり、抑留された日本人もここでこき使われました。
 東洋との接点でもあったため1753年には日本語学校ができて、漂流した日本人が教鞭を執ったようです。

 さて、ここからはクラシック通の方々はご存じの話ですから、特にSMCの皆さんは読まないようにお願いします。私が面白がって検索した内容ですので。
 ベートーベンはピアノ・ソナタにタイトルを付けたのは『告別』と『悲愴』だけで、他は死後付けられたり伝聞だったり。特に『テンペスト』は、秘書が『これはどういった作品でしょうか』と尋ねたところ、急に怒り出したベートーベンが『シェークスピアのテンペストを読め』と怒鳴り散らしたからだ、となっています。
 ところがこの秘書シンドラーはとんだ食わせ者で、ベートーベンが亡くなった後自分の売名行為のためにあることないこと嘘っ八を言いふらしました。
 極め付けは、難聴になったベートーベンが筆談に使っていたノートをごっそりとガメてしまい、勝手に書き込んだり破棄したりして、自分勝手なベートーベンの伝記を捏造した、とされています。挙句の果てにそのノートを売り払ってひと稼ぎ。まぁベートーベンの作品の素晴らしさが損なわれるわけではありませんがね。

 と、ここまで綴ってきて暫し不安な気持ちに。僕はブログで思いつきや嘘八百を書いていて、万が一(僕がアルツハルマゲドンに陥った後に僕の伝記を書こうと(それはありえないが)このブログを誰かが読んだりしたら・・・。まあ、あきれ返って書くのは止めるでしょう、めでたしめでたし。

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武蔵野市民文化会館の『魔笛』

武蔵野市民文化会館の『魔笛』

2022 NOV 9 0:00:41 am by 西 牟呂雄

 例によっての破壊価格+友の会割引で、本日ハンガリー国立歌劇場のオペラ『魔笛』を観てきた。この”観てきた”という表現に異を唱える方々も多かろうが、私程度の聞き手の認識はオペラ=西洋歌舞伎といった所なのでお許しを。
 生『魔笛』は30年ぶりだろう。当該SMC板上で既に無類の聞き巧者である東 大兄の綿密な考証が投稿されているので、今更私が付け加えることは無い。西洋歌舞伎なる所以は筋書きはどうでもいい程度のオハナシを美しい音楽で飾るのを『観る』ところが醍醐味だからである。

開演前にコッソリ

 さて、そのステージは素晴らしかった。
 しかも最前列だったので、オーケストラのメンバーがヒマな時に何をしているかよく見えた。
 6日に東京文化会館でやっているので、今日はどうやらパミーナ・夜の女王・パパゲーナ・パパゲーノはセカンドの人だったようだが、美しいモーツァルト節に酔い痴れた。夜の女王のアリアもいい。
 そして休憩の時に外で一服したら、皆既月食がドス赤い色!モーツァルトと皆既月食だったとは・・・。
 因みに終わった時にはきれいな満月となっていた。

 ところで、ご案内の通り魔笛はモーツァルトの没年に発表された。この天才の死因はこれまた諸説あって面白いが、ともかくこの名作を残してから急激におかしくなって死に至る。
 まるでサーカスの見世物のようにオヤジに引きずり回されてヨーロッパ中を回った少年時代から、常に金に困った日常、性的放埓、怪しげな病気、フリーメイソン、ひょっとしてハシッシ。この天才にして頭が狂う要素満載の生涯だった。
 フト思ったのだが、カネの為に依頼された魔笛の、夜の女王の国とザラストロの国で善悪が逆転するというストーリーに曲を付けていく過程で、狂言回しのパパゲーノの姿が自分に被り、ニヤニヤしながらか不貞腐れたかは分からないが、あのやたらと明るい鳥刺しの歌やパ・パ・パ・パのメロディーが浮かんだのではないのかな。いや、シロートの感想ですのでスルーして下さい。

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