狂言 『樋の酒』
2024 OCT 26 9:09:28 am by 西 牟呂雄
『樋の酒』とかいて『ひのさけ』と読む。
留守を預かる太郎冠者(万作さん)と次郎冠者(萬斎さん)がこっそり酒をのんでしまうお話です。狂言は大衆芸能だから、酔っぱらってバカをやる物がたくさんあって身につまされるますね。棒縛(ぼうしばり)とか脱殻(ぬけから)ですね。
さて、すっかり酔っぱらって謡うは舞うはでしまいには『ハッハッハッハ』と笑い転げているところに主人が帰ってきます。もちろん怒り狂って????りつけるも『お許されませお許されませ』と逃げ回り、舞台からきえていきます。
御年93才の万作さん、立ち上がるところ、舞うところはいまだに矍鑠とされていて見事なもの。さすがに日頃の修練の賜物でありましょう。しかしながらどうにも鍛えようもないものがあって、私が言うのもなんですがそれは『声』、すなわち喉なんですなぁ。萬斎さんがまことに通る発声なので尚更目立つ。
ところで狂言の鳴きについて今回も面白い話がありました。
『靭猿』では子役が着ぐるみで猿を演じますよ。猿は『キャー・キャー』と鳴くそうです、成程ね。
カラスとスズメが並んで留まっているのをいるのを見た主が太郎冠者に言いました。
『あの2羽の鳥は親子であろう』
すると太郎冠者は、
『違いまする。片方はカラスと申し、片方はスズメと申します』
『そんなはずはない。あのさえずりを聞いてみよ』
「コーカー・コーカー」「チチッ・チチ」
『それ、親が「子か・子か」と尋ねれば「父・父」と応じておるではないか』
他に、犬は『ビョウ・ビョウ』
猫は『ネウ・ネウ』
そこで僕も狂言語を作ってみた。
ライオン『げーう』
ゴジラ『えあーん』
ウルトラマン『どわっけ』
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狂言『昆布売』並びに 能『巴』
2023 OCT 22 0:00:00 am by 西 牟呂雄
野村萬斎という人はどれ程の才能の持ち主なのか、ちょっと計り知れないところがある。今年の薪能では『昆布売』を万作さんとのコンビでやった。
侍役が萬斎さんで昆布売が万作さんだったのだが、出てくるところからオーラが出ていた。
つくづく思うのだが、この人と團十郎とではオーラの種類が違っている。どちらも華があり、伝統に裏打ちされ磨かれた芸があり、舞台に出ると強烈なオーラを発する。十才違いのこの二人、いずれも人間国宝になっていくだろう。
ただ、際立った違いは團十郎は単に歌舞伎の天才、萬斎はマルチな才能ということになるのではないか。
團十郎が歌舞伎以外の例えばテレビに出ると、それが時代劇であっても大して面白くならない。以前の大河ドラマで信長役だった。大いに期待してそれなりに良かったのだがイマイチ感が残った。何故か。それはテレビは役者の意思にかかわらずアップにしたりカットするからだ。團十郎の芸は全身を使って所作する舞台が基本で、またそれしかできないのだ。稽古嫌いで知られ酒癖も悪い團十郎は画像に残る演技はできない。成田屋の十八番芸、邪を祓うという『睨み』なぞ、画面でアップされたら面白くもなんともない一発芸だ。
そこへいくと萬斎は現代劇に出ても味のある演技ができるので、テレビ・映画でも重宝されている。おまけにこの人は芸大を卒業し、東大の非常勤講師をやったこともある教養人だ。
密かに温めている企画がある。わがまま放題に育ったヤクザの二代目VSそいつを執拗に追い詰めるキャリア刑事の映画を、深作欣二や北野タケシがやるようなノン・ストップ・ロング・カットで撮ってみたい。どっちがどっちかはお分かりだろう。やはり歌舞伎は大衆の、能・狂言は武士の芸ということか。
さて、御父上の万作さん、御年93才。この度文化勲章おめでとうございます。『まず美しくないとダメ。次に面白さが必要。そして最後に笑いがある』とは至言。矍鑠とされていて姿勢もいい。ただ、どうしても声にでますな。
能の方は『修羅物』といって武将の霊が出てくる話だが、その中でも唯一女の霊の『巴』。美貌・怪力で木曽義仲の愛妾、巴御前のことだ。
台詞の中に『なにものがおわしまするかしらねどもかたじけなさになみだこぼるる』とあって、ハッとした。これ、西行ではないか。一瞬、西行法師が能のセリフをパクッたのかと混乱したが、能の成立は室町時代で西行のいた鎌倉時代の遥か後である。帰って調べたら『古の歌人が謡った「なにものが~」のように』と挿入された台詞だった。あー安心した。
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イザイの無伴奏ソナタ3番『バラード』
2023 JUN 1 6:06:21 am by 西 牟呂雄
先日、都内某所で小さなチャリティー・コンサートがあった。
友人のブルーグラス・バンドが出演し、見事な演奏を楽しませてくれたのだ。
そこまでは、単に楽しいだけだったが、真打にすごいのが出てきて圧倒された。バイオリニストの深山尚久。そして選んだ曲が提題の『バラード』だった。
彼はご承知の通りプロであるから、腕が違いすぎて一緒に演奏できる人となるとノー・ギャラでは無理なので独奏となる。それで選んだのがイザイとはねぇ。
『物悲しい』と『哀愁』の中間の美しいメロディーが奏でられて、その旋律を耳で追っているうちに途中からアレッ、となった。この曲、難しすぎる。深山氏は超絶技術で見事に弾きこなしているのだが、聞いているこっちは堪ったもんじゃない。何が堪らないのかわからないが、そう思い始めたら楽しめなくなり、終いには怖くなった。
僕は高尚なクラシック論とは無縁なので、この曲の解釈はプロに譲る。
だがウジューヌ・イザイという人は、非常に情熱的かつ感情豊かな天才なのだろうが、一方で極めて厳格なところがあり、怒りを爆発させることもあったのではないか。曲を書いているうちに『オレはこんなに簡単にできるのに弟子の誰一人弾きこなす奴いない』と怒り出して、ますます難しい旋律を書き込んだ。
そう、僕はあの美しい流れの中にフト、作者の内なる怒りの炎がチラつき、恐怖感を感じたのかもしれない。
というシロートの感想などどうでもよくて、深山氏の演奏はそれはそれは素晴らしいものだった。
打って変わってマニアックなプレイヤーも登壇。余程のツウしか知らないだろうが、シカゴを中心に活動するブルース・ギターの名手、牧野元昭がインストゥルメンタルでスィング。この人はブルース・ハープ(10穴ハーモニカ)の天才シュガー・ブルーと組んでワールド・ツアーを回っている。
こちらも客層を意識しての(家族連れの高齢者が多い)ジャズ・ナンバーをベースと二人で演奏した。
そしてあろうことか、クラシック+ブルース+ブルーグラスのコラボが実現してしまい、冒頭の友人が(彼はフィドルもやる)深山・牧野両氏とともにステージに上がる。
スタンダードの名曲『ティー・フォー・トゥー』を演奏した。この曲に落ち着くまでにいかにモメたかを想像するとそれだけで笑える。あれだけジャンルが遠い3人がまじめに相談をしたとはね。
まあ、なんとも豊潤で密度の濃い午後を楽しんだ(いささかムチャ振りの感アリ)。
フィナーレは小学生が登壇してカワイイ声の大合唱、カワイイ。
で、そろそろネタバラシをすると、この3人、某小学校の同級生なんですな。ジャンジャン!
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岩灯火 十選
2023 MAY 10 21:21:34 pm by 西 牟呂雄
市井の俳人、岩灯火の句集が手に入った。三百あまりの秀作を、ヨットのデッキや農作業の合間に一句一句嘗めるように楽しんだ。
岩灯火氏は、長年基幹産業に従事し数々の事業を展開した人で、その足跡は全国に及び、また個人的にも多くの旅をした方である。作品にはその任地や旅先を思わせる句がちりばめられていた。
さて、俳句という芸術はその表現の短さから、作者或いは評者にとってそれぞれ独自の視点から解釈できる。即ち、作者の思いとは別の味わい方をされることも大いにあり、そこがまた面白い訳だ。
アンドレ・マルローは『日本人は永遠を一瞬に閉じ込めることができる唯一の民族だ』と言った。
解釈は人によるだろうが、巡る季節の一瞬を切り取る。或いは思い詰めて思索の果てに何かに目を留め、なんだこんなことだったのか、とフト気づく。子規は病魔との苦しい戦いの中で自然を写生し、生きる糧とした。そういうものではなかろうか。俳句は思想ではない。
筆者は岩灯火氏を存じ上げている。冷静沈着でありながら時に果敢に決断を下した。氏の日常が今日においてもそうしたものであることは疑いのない所で、いくつもの秀作を吟じた時に何に思いを巡らせていたのか想像するのも味わい深い。その視点から、十句を選んでみた。
しかし全編から選び出すという作業は困難を極めた。かなりの集中力を要しかつ時間もかかる。一つ選んでは、待てよ、と読み返すのは相当なエネルギーを使う。
ほんの思い付きで始めてみたが、二度とできない、しかしながら至福の時間ではあった。
声尽きし ところが墓所や 秋の蝉
お盆の墓参であろう。御尊父 或るいはご先祖の墓参りに汗をかきながら坂を登る。見えてきた時に、故人の姿が蘇り『どうも、お久しぶりです』と感慨にとらわれると、先程までやかましかった蝉の声が一瞬遠くなった。
窓越しの 冬日をつかむ 赤子かな
お孫さんをあやしていると、つくづく自分の子供の頃を思い出す。そしてこの子のこれからに思いを馳せざるをえない。すると冬の低い日光に移される柔らかい影を一生懸命に掴もうとしている姿が目に入る。何を考えているのか、自分にはこの頃の記憶はない。やれやれ・・・。
長閑さに 進まぬ読書 ときしずか
氏は著書もある文章家であり、主に純文学を好む大変な読書家でもある。
長編小説を読んでいるうちに物語が緩慢なために多少飽きる。作品とは無関係なことを考え出して関心はそっちに向かう。
風がページをめくる。
日に焼けた 簾朽ちゆく 和菓子店
散歩の途中に偶然見かけた流行らない和菓子屋。以前は気にも留めなかったが最近通るたびに目につく。変わらない風景は郷愁をさそうが、こうも落ちこぼれていると、かえって地上げに合うのじゃないか、御主人のヤル気がないのか、跡取り息子がサボってしょうもないのか。
そもそも客がいるのも見ていないし、それどころか店の人も見たことがない。
まぁ、大きなお世話なんだろうけれど。
沈む日に 紅葉の生気 よみがえる
紅葉は広葉樹の冬籠り前の最期の輝き。だが周囲はもう寒い。
この葉ももうすぐ1枚残らず落ちて寒さに備えるのか。さて、自分は何を備えるかな。
するとそこに雲の切れ間からまぶしい夕日が差してきた。振り返るとやや赤みの施された紅葉の何と輝かしいことか。時間はまだあるのだ。
薬尽きて 旅も終わりや 温め酒
おそらくは海外旅行ではないか。常備薬を日数分準備して旅立つ。名所・旧跡を訪ねながら様々な感慨に耽り、句集の中にはいくつかの作品がある。
その旅も終わりに近づいたことを表現したのだろう。同時に旅が予定通り終わることを感じさせる。そして次の旅に備えるのである。
一丁の 湯豆腐で足る 夕餉あり
家人が外出したため一人で夕飯を食べる。氏に料理の能力はない。だが、その場合にも楽しみ方は心得ており、豆腐一丁を手に入れてネギを刻み生姜を添え火にかけて待つ。
傍らにはどうしても酒がなければ。とっておきの冷酒を含んで、さてそろそろか。
湯豆腐の芯が適度に熱いのは、さて上げてから30秒後か1分後か、真剣に考えながら箸をつける。
春の雪 『へ』の字『へ』の字を 屋根に積む
温暖化とはいえ、春の雪はそう珍しくもない。少し積もるが解けるのも早い。
今日は晴れたので用事を済ませに家を出ると、はや屋根から滴る水音が聞こえる。見上げてみれば近在の家屋の瓦屋根に積もった雪は朝日に照らされて解け始めている。ポタッポタッ。
汝と我の 思い出も煮る 寄鍋屋
氏は大変に広範な人脈を持っていて、その誰もが驚くほどの人物なことに驚かされる。知己の末席に私が連なっているのは秘かな自慢ですらある。
その中のどなたかと鍋を囲んだのであろう。
さて、日本経済の行く末を憂うるウラ話か、政権中枢のコボレ話か。はたまた互いの秘かな悩みを打ち明け合ったのか。
人気なき 道の自販機 桜散る
人混みを嫌って桜の終わりを楽しもうと車を出した。『たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし』とばかりに車を飛ばす。のどが渇いてお茶を買いに自販機の前に停まった。
なんだ、わざわざ人混みの中に行かなくても、人っ子一人いない道端にも同じように見事な桜が舞い散っているじゃないか。
番外
淡き骨 拾えば軽し 差す冬日
十句を選んだが、ほかにも捨てがたい名作がある。
すべてを所望の読者がいれば、作者の了解を得てお届けするにやぶさかでない。
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市川左團次さんの訃報
2023 APR 17 22:22:36 pm by 西 牟呂雄
粋な佇まいに歯切れのいい台詞回し、悪役の時は憎々しく善玉の時は明るく、自在にこなす名優で僕は大ファンだった。
声の通りがいい。『賢賀に暮らせ』『問われて名乗るもおこがましいが』といった名調子がこの人から発せられたのを今でも覚えている。シビれましたねぇ。
敵役が得意で『御所五郎蔵』の土右衛門や『助六』の髭の意休など、舌なめずりをするように見た。
暁星出身なのだが、本人も言っているが在学中は典型的なチンピラだった。ケンカをしたかは分からないが酒・女はやったでしょう。モテたんでしょうね。実は三代目左團次の息子となっているが実の父親は違っていて、複雑な育ちだったのが影響したのかもしれない。
大変なユーモリストで襲名披露公演での口上は名物だった。僕が聞いたのは雀右衛門の襲名披露だったが『その昔はサングラスをかけてバイクを乗り回しておりました』と笑いを取り『お祝い申し上げまする次第にござりまする』と締めた。ヤンヤヤンヤ。
更に、高麗屋三代襲名披露興行の口上で『暁星学園の後輩である新・白鸚(九代目松本幸四郎)は、勉学に励み級長や副級長等を勤めその勤勉さに私はとても及びませぬ。わたくしは、高校生になりますと、踊りや長唄の稽古は脇に置きましてキャバレー・クラブに通うお稽古に専念しておりました次第でござりまする』とやったのも見た。はて、なんで役者は暁星が好きなのかな、あそこは第一外国語がフランス語だが・・・。香川照之(市川中車)もそうだ。
大河ドラマ『風林火山』で上杉憲政を演じてドはまりだったのも懐かしい。名優が逝ってしまった。そういえばしばらく歌舞伎を見ていない。チョイと幕見にでも行くか。
高島屋ぁ!
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武蔵野市民文化会館のベートーベン ピアノ・ソナタ
2023 FEB 23 0:00:12 am by 西 牟呂雄
第31番変イ長調 作品110。第23番 作品57『熱情』。第17番 作品31-2『テンペスト』。第8番 作品13『悲愴』というリサイタルでした。
演奏するのはイリヤ・ラシュコフスキー、ロシア人です。例によっての業界掟破りの〇千円。ロシア人ということでフラリと聞きに行きましたが、この人のことは良く知りません。1984年シベリアのイルクーツク生まれで、まあ油の乗り切った年齢でしょうか。時にやさしく、時に激しくピアノを自在に操って観客を酔わせます。
プログラムを見ると11歳でイタリア・マルサラの国際コンクールで優勝、その後浜松国際でも優勝するなど天才ですね。
素人の私の音楽評論などどうでもいいですがテクニックが凄過ぎて、マシンガンのようになるところはついていけない、おなじみのメロディーでホッと一息といった感じでした。
ただ、入りは悪かった。ロシア人だから??
イルクーツクとはほとんどモンゴルとの国境でバイカル湖のほとり、ド田舎と思ったらシベリアのパリとも言われるとは本当かな。モロにシベリアで、多くの囚人の流刑地でもあり、抑留された日本人もここでこき使われました。
東洋との接点でもあったため1753年には日本語学校ができて、漂流した日本人が教鞭を執ったようです。
さて、ここからはクラシック通の方々はご存じの話ですから、特にSMCの皆さんは読まないようにお願いします。私が面白がって検索した内容ですので。
ベートーベンはピアノ・ソナタにタイトルを付けたのは『告別』と『悲愴』だけで、他は死後付けられたり伝聞だったり。特に『テンペスト』は、秘書が『これはどういった作品でしょうか』と尋ねたところ、急に怒り出したベートーベンが『シェークスピアのテンペストを読め』と怒鳴り散らしたからだ、となっています。
ところがこの秘書シンドラーはとんだ食わせ者で、ベートーベンが亡くなった後自分の売名行為のためにあることないこと嘘っ八を言いふらしました。
極め付けは、難聴になったベートーベンが筆談に使っていたノートをごっそりとガメてしまい、勝手に書き込んだり破棄したりして、自分勝手なベートーベンの伝記を捏造した、とされています。挙句の果てにそのノートを売り払ってひと稼ぎ。まぁベートーベンの作品の素晴らしさが損なわれるわけではありませんがね。
と、ここまで綴ってきて暫し不安な気持ちに。僕はブログで思いつきや嘘八百を書いていて、万が一(僕がアルツハルマゲドンに陥った後に僕の伝記を書こうと(それはありえないが)このブログを誰かが読んだりしたら・・・。まあ、あきれ返って書くのは止めるでしょう、めでたしめでたし。
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武蔵野市民文化会館の『魔笛』
2022 NOV 9 0:00:41 am by 西 牟呂雄
例によっての破壊価格+友の会割引で、本日ハンガリー国立歌劇場のオペラ『魔笛』を観てきた。この”観てきた”という表現に異を唱える方々も多かろうが、私程度の聞き手の認識はオペラ=西洋歌舞伎といった所なのでお許しを。
生『魔笛』は30年ぶりだろう。当該SMC板上で既に無類の聞き巧者である東 大兄の綿密な考証が投稿されているので、今更私が付け加えることは無い。西洋歌舞伎なる所以は筋書きはどうでもいい程度のオハナシを美しい音楽で飾るのを『観る』ところが醍醐味だからである。
さて、そのステージは素晴らしかった。
しかも最前列だったので、オーケストラのメンバーがヒマな時に何をしているかよく見えた。
6日に東京文化会館でやっているので、今日はどうやらパミーナ・夜の女王・パパゲーナ・パパゲーノはセカンドの人だったようだが、美しいモーツァルト節に酔い痴れた。夜の女王のアリアもいい。
そして休憩の時に外で一服したら、皆既月食がドス赤い色!モーツァルトと皆既月食だったとは・・・。
因みに終わった時にはきれいな満月となっていた。
ところで、ご案内の通り魔笛はモーツァルトの没年に発表された。この天才の死因はこれまた諸説あって面白いが、ともかくこの名作を残してから急激におかしくなって死に至る。
まるでサーカスの見世物のようにオヤジに引きずり回されてヨーロッパ中を回った少年時代から、常に金に困った日常、性的放埓、怪しげな病気、フリーメイソン、ひょっとしてハシッシ。この天才にして頭が狂う要素満載の生涯だった。
フト思ったのだが、カネの為に依頼された魔笛の、夜の女王の国とザラストロの国で善悪が逆転するというストーリーに曲を付けていく過程で、狂言回しのパパゲーノの姿が自分に被り、ニヤニヤしながらか不貞腐れたかは分からないが、あのやたらと明るい鳥刺しの歌やパ・パ・パ・パのメロディーが浮かんだのではないのかな。いや、シロートの感想ですのでスルーして下さい。
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狂言の鳴き(佐渡狐) 能の所作(安達ケ原)
2022 OCT 16 0:00:43 am by 西 牟呂雄
野村万作・萬斎・裕基と三代が揃って演じる佐渡狐。裕基はまだ23歳の若さで、どのような味が出るのか楽しみに見たが、いやなかなか。脂の乗り切った萬斎さんと人間国宝万作さんに挟まれてアッパレ。なかなかの声の通りだった。
それにしても座っている姿勢からスッと立ち上がれる万作さんの精進にも目を見張った。九十翁ですぞ。
話は佐渡の百姓と越後の百姓が 佐渡に狐がいるにないのと言い合いになる話(実際にいないらしい))で、いないくせに『居る』と言い張る佐渡の百姓に越後の百姓がいいががりをつける。
まず初めの台詞がいい。『今年も年貢が都に納められる。めでたいことだめでたいことだ』つとに述べているが、当時の納税感覚はこんなものだろう。今日の史観でとらえられるようなものではないはずだ、余談だが。
それはさておき、越後の百姓は次々と質問を浴びせる。「狐のなり格好を知っているか」「目はどのようじゃ」「口は何とじゃ」「耳は」「尾は」「毛色は」このあたりの面白味は実際に見ていただかなくては。
そして最後の『鳴き声は』に対して『ツキホシヒー』と言ってバレてしまう。
さて 『ツキホシヒー』とは面妖な、いったい何の鳴き声か、というと狂言ではウグイス!当時の人達にはホーホケキョではなくそう聞こえていたそうな。さらに凝ったことに漢字で『月星日』となっている。
因みに、犬は『びょうびょう』カラスは『こかあこかあ』と鳴く。日本語の豊かさに恐れ入る。
お次の能は提題の『安達ケ原』。黒塚と言われる鬼婆の話。舞うのは観世淳夫、若干30歳で九世観世銕之丞さんの長男である。
筆者の鑑賞法は『狂言は笑う』『能は観る』だ。
鬼婆が本性を現す前に糸車を回しながら、わが身の不幸を嘆く仕草を演ずるのだが、謡が流れてもセリフはない。観世淳夫は所作だけで見事に演じた。自分の解釈はこうである、という主張が全身からオーラのように発せられていた。
西村さんのブログに『自分の考えを持つことありき。人前で自分の意見も言えない奴に音楽なんかできるか』という下りがあったが蓋し名言で、観世淳夫の考えが能舞台で陽炎のように沸き上がっていた。アートに至る道は同じと言わざるを得ない。
その後鬼婆と山伏の法力が闘うわけだが、この一進一退も間合いだけで同時に動きピタリと止まる。演者の修練がものを言うところだ。どれほどの気迫が燃焼していることだろう。
能は演者が緑・黄・赤・白・紫の揚幕をくぐればそれで終わり。謡方、楽器奏者が一人づつ立ち上がって袖に消えて行き誰もいなくなると拍手が起きる、アンコールもカーテン・コールもなし。これもまた幽玄なるかな。
野村裕基にせよ観世淳夫にしてもこの業界、若い世代の台頭著しく、頼もしい限りである。
ところで来月は『魔笛』を見に行く、
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初々しい染五郎さん
2022 JUL 1 0:00:29 am by 西 牟呂雄
高麗屋三代揃っての襲名により晴れて市川染五郎(8代目)となり、今年の大河ドラマで朝日将軍木曽義仲の嫡男、清水冠者義高を演じて話題となった。
さてさていかなる舞台だろうか。何しろコロナのおかげできっかり2年ぶりの歌舞伎座である。思えばずいぶんのご無沙汰なんだが、我ら前期高齢者は4回目のワクチン摂取も始まるし、いい加減下火にもなったし、染五郎さんが演じるならエーイ行っちまえ、となりました。
その染五郎さん、大変なイケメンでこりゃ遊びもお盛んだろうと期待していたら、今年通っていた青学の高等部を中退したとか、いいですね~。あたしゃ役者が悪さしようが何しようが一向に構わない。この業界の先輩たちの行儀の悪さはハンパないから『芸に精進するため』なんて小理屈はいらない。舞台に出て遊び倒してたら学校の勉強どころじゃねえ、で充分。
着いてみると佇まいは歌舞伎座なのだが、満席にならないように空いている(売り出されなかった)席が二席ごとに設けられ、場内には『大向(舞台に オトワヤ!とか掛ける合いの手)禁止』などと書かれ、お弁当を食べる吉兆は閉まり、3階の喫煙所も使用禁止。まだコロナ前には戻っていないことを実感させられた。
それでも髪をセットしたハッとする程の奇麗どころが粋な和服を着こなしていたり、それなりの華やかさはあり、やっぱりお江戸はこうでなくちゃいけねーや。
出し物は徳川家康の長男ながら信長により切腹させられる『信康』です。
出てきた出てきた、妖気を漂わせながらの登場は待ってましたぁ。
役者にしては今風の小顔で背も高い。キビキビとした動きに十分な間。
そしてこの家系の難である声が、まだ若いのでくぐもらないところ、いいですねぇ。高麗屋ぁ、っと大向こうはいけませんでした。
さて、お家のために謀反の嫌疑をかけられて親子の情を断ち切って切腹して果てるのですが、史実はどうかというとよくわからない。
家康はこの信康や秀吉に養子にやったりした次男の秀康にどうも冷たい。この若いころにできた子供には徳川を名乗らせていない。信康は通称岡崎信康の後、死して松平信康。秀康にいたっては羽柴三河守秀康の次は結城秀康、のちに越前松平となる有様。信康は若くして死んだので資料が少ないが、勇猛果敢な武者振りとも伝わるし、秀康も天下無双の槍の使い手で将軍候補にも挙がった。戦国時代の親子の情は今日では測りがたいのである。
ところで歌舞伎見物の醍醐味に、新たな贔屓の役者を掘り出すことがある。今回はいましたねぇ、いいのが(まるで女衒の台詞だが)。女形で信康の正室徳姫をやった高砂屋中村莟玉(かんぎょく)さん。
どうです、玉三郎さんや雀右衛門さんもきれいですけどこの人、今風なところが一味違う。
染五郎さんもそうですが、この頃の役者さんは小顔なので見た目がこぎれい(ただ舞台ではデカい顔の方が化粧映えする場合も)なんですな。
一般家庭の出身ですが、お母さまが歌舞伎好きで子供のころから見ていたそうだ。この辺、筆者と似ている。
ある時、新橋演舞場のロビーで「切られ与三郎」の真似をしていたところを花柳福邑に声をかけられ、中村梅玉を紹介され見習いとして楽屋に通いだす。筋がよかったのでしょう、その後梅玉と養子縁組した。
筆者も至る所で歌舞伎の口上の物真似をしているが(玉三郎の真似なんか結構受ける)、トンとそういった機会に恵まれたことは、ない。何故だ。
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久しぶりの萬斎さん
2021 NOV 1 8:08:03 am by 西 牟呂雄
緊急事態が解かれてたらボツボツとイベントが復活してきた。
ということで野村万作・萬斎 父子がやる狂言 「貰聟(もらいむこ)」。
これはですな、身につまされるお話でして。酔っ払ったオッサンが口論の末にカミサンをおっぽり出したはいいけれど、酔いが醒めてみると・・・といったイヤハヤ困った話であります。
この出だしの萬斎さんの酔っ払いぶりはお見事!ただしあんなに酔っぱらっても家にたどり着くとは見上げたものだ、と思った。僕は道端で寝たことがあります。一番凄い時は顔面を打って血まみれになった時点で息子に連絡し、電柱の住所を言って一度死んだ。この続きは大変面白いのだが、あまりの顛末に別の機会に譲ります。
で、狂言の方はターバンを巻いているようなのが女房役で、結末はネタバレになるのでここには記さないでおきますね。
さて、続いてお能が舞われますが出し物は『葵上(あおいのうえ)』。
源氏物語から取られた物語で、光源氏に捨てられた六条御息所が生霊になって正妻である葵上に取り憑くという恐ろしい話。
能舞台にオレンジ色の小袖が敷かれて、それが取り付かれた葵上という設定なのがミソです。舞うのは観世流の観世喜正さんですぞ。
そして、生霊が成仏するときに行者が唱える十三佛眞言(じゅうさんぶつしんごん)のおどろおどろしい響き。これ、思い当たる人は暗記でもして修羅場に備えるといいですよ。
のうまくさんまんだばさらだ
せんだまかろしやな
そわたやうんたらうんたらたかんまん
恐ろしや恐ろしや・・・。
オリンピックの切羽詰まりようは見ていて気の毒になるくらいだった。萬斎さんの辞任の裏に何があったのか。7人の演出チームの意思疎通が十分でなかった、とのみ語ったが何かの力が働いたと思えて仕方がない。次々に暴かれる過去のマズい事象をチクッて歩いたのは誰なんだ。オリンピックを成功させたくない何者かがいたに決まっている。その闇とは。
無論責任は事務局に全てあるというものの、電通がついていながら何故抑えられなかったのか不思議でならない。
開会式は良かったと言えば良かったのだが、イマイチ感が残った。萬斎さんの演出見たかったなぁ。
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