Sonar Members Club No.36

カテゴリー: 古典

武蔵野市民文化会館の『魔笛』

2022 NOV 9 0:00:41 am by 西 牟呂雄

 例によっての破壊価格+友の会割引で、本日ハンガリー国立歌劇場のオペラ『魔笛』を観てきた。この”観てきた”という表現に異を唱える方々も多かろうが、私程度の聞き手の認識はオペラ=西洋歌舞伎といった所なのでお許しを。
 生『魔笛』は30年ぶりだろう。当該SMC板上で既に無類の聞き巧者である東 大兄の綿密な考証が投稿されているので、今更私が付け加えることは無い。西洋歌舞伎なる所以は筋書きはどうでもいい程度のオハナシを美しい音楽で飾るのを『観る』ところが醍醐味だからである。

開演前にコッソリ

 さて、そのステージは素晴らしかった。
 しかも最前列だったので、オーケストラのメンバーがヒマな時に何をしているかよく見えた。
 6日に東京文化会館でやっているので、今日はどうやらパミーナ・夜の女王・パパゲーナ・パパゲーノはセカンドの人だったようだが、美しいモーツァルト節に酔い痴れた。夜の女王のアリアもいい。
 そして休憩の時に外で一服したら、皆既月食がドス赤い色!モーツァルトと皆既月食だったとは・・・。
 因みに終わった時にはきれいな満月となっていた。

 ところで、ご案内の通り魔笛はモーツァルトの没年に発表された。この天才の死因はこれまた諸説あって面白いが、ともかくこの名作を残してから急激におかしくなって死に至る。
 まるでサーカスの見世物のようにオヤジに引きずり回されてヨーロッパ中を回った少年時代から、常に金に困った日常、性的放埓、怪しげな病気、フリーメイソン、ひょっとしてハシッシ。この天才にして頭が狂う要素満載の生涯だった。
 フト思ったのだが、カネの為に依頼された魔笛の、夜の女王の国とザラストロの国で善悪が逆転するというストーリーに曲を付けていく過程で、狂言回しのパパゲーノの姿が自分に被り、ニヤニヤしながらか不貞腐れたかは分からないが、あのやたらと明るい鳥刺しの歌やパ・パ・パ・パのメロディーが浮かんだのではないのかな。いや、シロートの感想ですのでスルーして下さい。

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狂言の鳴き(佐渡狐) 能の所作(安達ケ原)

2022 OCT 16 0:00:43 am by 西 牟呂雄

 野村万作・萬斎・裕基と三代が揃って演じる佐渡狐。裕基はまだ23歳の若さで、どのような味が出るのか楽しみに見たが、いやなかなか。脂の乗り切った萬斎さんと人間国宝万作さんに挟まれてアッパレ。なかなかの声の通りだった。

 それにしても座っている姿勢からスッと立ち上がれる万作さんの精進にも目を見張った。九十翁ですぞ。
 話は佐渡の百姓と越後の百姓が 佐渡に狐がいるにないのと言い合いになる話(実際にいないらしい))で、いないくせに『居る』と言い張る佐渡の百姓に越後の百姓がいいががりをつける。
 まず初めの台詞がいい。『今年も年貢が都に納められる。めでたいことだめでたいことだ』つとに述べているが、当時の納税感覚はこんなものだろう。今日の史観でとらえられるようなものではないはずだ、余談だが。
 それはさておき、越後の百姓は次々と質問を浴びせる。「狐のなり格好を知っているか」「目はどのようじゃ」「口は何とじゃ」「耳は」「尾は」「毛色は」このあたりの面白味は実際に見ていただかなくては。
 そして最後の『鳴き声は』に対して『ツキホシヒー』と言ってバレてしまう。
 さて 『ツキホシヒー』とは面妖な、いったい何の鳴き声か、というと狂言ではウグイス!当時の人達にはホーホケキョではなくそう聞こえていたそうな。さらに凝ったことに漢字で『月星日』となっている。
 因みに、犬は『びょうびょう』カラスは『こかあこかあ』と鳴く。日本語の豊かさに恐れ入る。

 お次の能は提題の『安達ケ原』。黒塚と言われる鬼婆の話。舞うのは観世淳夫、若干30歳で九世観世銕之丞さんの長男である。

 筆者の鑑賞法は『狂言は笑う』『能は観る』だ。
 鬼婆が本性を現す前に糸車を回しながら、わが身の不幸を嘆く仕草を演ずるのだが、謡が流れてもセリフはない。観世淳夫は所作だけで見事に演じた。自分の解釈はこうである、という主張が全身からオーラのように発せられていた。
 西村さんのブログに『自分の考えを持つことありき。人前で自分の意見も言えない奴に音楽なんかできるか』という下りがあったが蓋し名言で、観世淳夫の考えが能舞台で陽炎のように沸き上がっていた。アートに至る道は同じと言わざるを得ない。

 その後鬼婆と山伏の法力が闘うわけだが、この一進一退も間合いだけで同時に動きピタリと止まる。演者の修練がものを言うところだ。どれほどの気迫が燃焼していることだろう。
 能は演者が緑・黄・赤・白・紫の揚幕をくぐればそれで終わり。謡方、楽器奏者が一人づつ立ち上がって袖に消えて行き誰もいなくなると拍手が起きる、アンコールもカーテン・コールもなし。これもまた幽玄なるかな。

 野村裕基にせよ観世淳夫にしてもこの業界、若い世代の台頭著しく、頼もしい限りである。

 ところで来月は『魔笛』を見に行く、

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初々しい染五郎さん

2022 JUL 1 0:00:29 am by 西 牟呂雄

 高麗屋三代揃っての襲名により晴れて市川染五郎(8代目)となり、今年の大河ドラマで朝日将軍木曽義仲の嫡男、清水冠者義高を演じて話題となった。
 さてさていかなる舞台だろうか。何しろコロナのおかげできっかり2年ぶりの歌舞伎座である。思えばずいぶんのご無沙汰なんだが、我ら前期高齢者は4回目のワクチン摂取も始まるし、いい加減下火にもなったし、染五郎さんが演じるならエーイ行っちまえ、となりました。
 その染五郎さん、大変なイケメンでこりゃ遊びもお盛んだろうと期待していたら、今年通っていた青学の高等部を中退したとか、いいですね~。あたしゃ役者が悪さしようが何しようが一向に構わない。この業界の先輩たちの行儀の悪さはハンパないから『芸に精進するため』なんて小理屈はいらない。舞台に出て遊び倒してたら学校の勉強どころじゃねえ、で充分。
 着いてみると佇まいは歌舞伎座なのだが、満席にならないように空いている(売り出されなかった)席が二席ごとに設けられ、場内には『大向(舞台に オトワヤ!とか掛ける合いの手)禁止』などと書かれ、お弁当を食べる吉兆は閉まり、3階の喫煙所も使用禁止。まだコロナ前には戻っていないことを実感させられた。
 それでも髪をセットしたハッとする程の奇麗どころが粋な和服を着こなしていたり、それなりの華やかさはあり、やっぱりお江戸はこうでなくちゃいけねーや。

 出し物は徳川家康の長男ながら信長により切腹させられる『信康』です。
 出てきた出てきた、妖気を漂わせながらの登場は待ってましたぁ。
 役者にしては今風の小顔で背も高い。キビキビとした動きに十分な間。
 そしてこの家系の難である声が、まだ若いのでくぐもらないところ、いいですねぇ。高麗屋ぁ、っと大向こうはいけませんでした。
 さて、お家のために謀反の嫌疑をかけられて親子の情を断ち切って切腹して果てるのですが、史実はどうかというとよくわからない。
 家康はこの信康や秀吉に養子にやったりした次男の秀康にどうも冷たい。この若いころにできた子供には徳川を名乗らせていない。信康は通称岡崎信康の後、死して松平信康。秀康にいたっては羽柴三河守秀康の次は結城秀康、のちに越前松平となる有様。信康は若くして死んだので資料が少ないが、勇猛果敢な武者振りとも伝わるし、秀康も天下無双の槍の使い手で将軍候補にも挙がった。戦国時代の親子の情は今日では測りがたいのである。

名槍物語

 ところで歌舞伎見物の醍醐味に、新たな贔屓の役者を掘り出すことがある。今回はいましたねぇ、いいのが(まるで女衒の台詞だが)。女形で信康の正室徳姫をやった高砂屋中村莟玉(かんぎょく)さん。
 どうです、玉三郎さんや雀右衛門さんもきれいですけどこの人、今風なところが一味違う。
 染五郎さんもそうですが、この頃の役者さんは小顔なので見た目がこぎれい(ただ舞台ではデカい顔の方が化粧映えする場合も)なんですな。
 
 一般家庭の出身ですが、お母さまが歌舞伎好きで子供のころから見ていたそうだ。この辺、筆者と似ている。
 ある時、新橋演舞場のロビーで「切られ与三郎」の真似をしていたところを花柳福邑に声をかけられ、中村梅玉を紹介され見習いとして楽屋に通いだす。筋がよかったのでしょう、その後梅玉と養子縁組した。
 筆者も至る所で歌舞伎の口上の物真似をしているが(玉三郎の真似なんか結構受ける)、トンとそういった機会に恵まれたことは、ない。何故だ。

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久しぶりの萬斎さん

2021 NOV 1 8:08:03 am by 西 牟呂雄

 緊急事態が解かれてたらボツボツとイベントが復活してきた。
 ということで野村万作・萬斎 父子がやる狂言 「貰聟(もらいむこ)」。
 これはですな、身につまされるお話でして。酔っ払ったオッサンが口論の末にカミサンをおっぽり出したはいいけれど、酔いが醒めてみると・・・といったイヤハヤ困った話であります。

 この出だしの萬斎さんの酔っ払いぶりはお見事!ただしあんなに酔っぱらっても家にたどり着くとは見上げたものだ、と思った。僕は道端で寝たことがあります。一番凄い時は顔面を打って血まみれになった時点で息子に連絡し、電柱の住所を言って一度死んだ。この続きは大変面白いのだが、あまりの顛末に別の機会に譲ります。
 で、狂言の方はターバンを巻いているようなのが女房役で、結末はネタバレになるのでここには記さないでおきますね。

恐い!

 さて、続いてお能が舞われますが出し物は『葵上(あおいのうえ)』。
 源氏物語から取られた物語で、光源氏に捨てられた六条御息所が生霊になって正妻である葵上に取り憑くという恐ろしい話。
 能舞台にオレンジ色の小袖が敷かれて、それが取り付かれた葵上という設定なのがミソです。舞うのは観世流の観世喜正さんですぞ。
 そして、生霊が成仏するときに行者が唱える十三佛眞言(じゅうさんぶつしんごん)のおどろおどろしい響き。これ、思い当たる人は暗記でもして修羅場に備えるといいですよ。

 のうまくさんまんだばさらだ
 せんだまかろしやな
 そわたやうんたらうんたらたかんまん

 恐ろしや恐ろしや・・・。

 オリンピックの切羽詰まりようは見ていて気の毒になるくらいだった。萬斎さんの辞任の裏に何があったのか。7人の演出チームの意思疎通が十分でなかった、とのみ語ったが何かの力が働いたと思えて仕方がない。次々に暴かれる過去のマズい事象をチクッて歩いたのは誰なんだ。オリンピックを成功させたくない何者かがいたに決まっている。その闇とは。
 無論責任は事務局に全てあるというものの、電通がついていながら何故抑えられなかったのか不思議でならない。
 開会式は良かったと言えば良かったのだが、イマイチ感が残った。萬斎さんの演出見たかったなぁ。

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狂言『萩大名』 から 歌舞伎『め組の喧嘩』

2019 OCT 11 20:20:06 pm by 西 牟呂雄

 狂言を見てきた。地元の薪能なのでブラリと。
 シテ 野村万作、アド 野村萬斎、太郎冠者 飯田豪、の萩大名。
 小物で頭の悪い大名(この場合単なる供連れの田舎侍といった風情)が国に帰るにあたって清水寺に参詣し、茶屋で萩見物をする。茶屋の亭主が萩の花にちなんだ和歌を所望するというので、心得のない大名は太郎冠者に教わるが、すこぶる覚えが悪い。
 太郎冠者は
七重八重九重(ななえ、やえ、ここのえ)とこそ思ひしに十重咲き出ずる萩の花かな
 と詠んでシテの大名に特訓を施すが、ダメなのでサインを考えます。
 扇子の骨を7本・8本・9本とカンニングさせ「萩の花かな」では一計を案じて脛を見せる(当時はスネハギと言った)。

しちほん、はっぽん

 しかしトロイ大名は扇子の骨を見せられるとうっかり『ななほん・はっぽん』と言ってしまう。『十重咲きいづる』に至っては『パラリ』。
 ドン引きした太郎冠者がフテ腐れて帰ってしまう。
 さあ困った。何とか残された大名は、下の句が出なくて慌てる。亭主は、ちゃんと締めなきゃ帰さんぞ、とせまる。
 そして、おおそうじゃ、と口に出したのは「太郎冠者の向こうずね! 」

 今気がついたが、字面で読んでもちっとも面白くない。特に歌舞伎・狂言は舞台を見なけりゃ伝わらない。やはりクラシック音楽でもガシャガシャ・ロックでも実際に見たり聞いたりしないとダメなんだな。
 先日、歌舞伎座の団菊祭で上演された『め組の喧嘩』をEテレで見た。言わずもがなだが正しくは、神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ)だ。大ファンの市川左團次が相撲の四ツ車大八を演じて、め組辰五郎を菊五郎がやる豪華版だった。
 しかしテレビ中継はやたらと顔をアップにするのが、いけねぇいけねぇ。別にそれが芸を貶めるわけではないが、舞台を見慣れると表情を大写しにされるのはどうも味がない。

 ちなみに、この舞台で七代目尾上丑之助が初舞台を踏んだ。その寺嶋和史君は菊五郎と中村吉衛門の初孫だ。そして演目の絵本牛若丸では鬼次郎役の音羽屋と鬼一法眼役の播磨屋に弁慶役の菊之助の三代四人でお披露目をした、いや華がある華がある。5才の丑之助が「やあ、ちょこざいな、牛若丸の手並みを見よ」などと見栄を切るのは、やはりナマで見たかった。どうもこの子、顔は播磨屋系だけど。

 で、狂言に戻って、舞台から通る万作さんの声が若返った!去年は随分と小さかったのが今年はいい。こういうことも実際に観る醍醐味だろう。

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顔真卿 一歩500円の狂騒

2019 FEB 21 6:06:35 am by 西 牟呂雄

 言わずと知れた「書」の大家である。
 その中でも有名な「祭姪文稿」が台北の故宮博物院から上野の国立博物館に貸し出されて展示されている。
 台北の故宮は実に小振りな造りで宝物の展示が間に合わず、『書』とか『壺』とかのテーマに分けて公開している。未だに人目に触れていないものがワンサカあって、全部が日の目をみるのに何十年もかかるという話を聞いたことがある(しょっちゅう台湾に行っていた四半世紀前)。蒋介石の国民党軍兵士はロクに食い物も持たず、宝物を背負わされて上陸してきたというのだから凄い。中には散逸したお宝もあっただろう。

祭姪文稿

 顔真卿は唐の玄宗皇帝の頃、科挙の進士にパスした大秀才。
 更に安禄山の反乱の際にはこれに激しく抵抗する根性の持ち主で、祭姪文稿はそのときに捕らえられ惨殺された親族の顔季明への弔辞の草稿である。
 歴代皇帝が愛でた名書として名高い。
 大変頑固な人だったようで、例によって讒言されたり宦官に足を引っ張られもした。

 私は不思議な事に子供の頃近所の薬屋のおかみさんがやっていた習字教室に通っていて、『小犬』と書いた作品がローカルな書道展で金賞を取ったこともある。どうでもいいことだが。
 ところが鉛筆の持ち方が変で自分でもいやになるほどの悪筆になり、従って『書』に惹かれることもないが、ちょっと見て来ようかと思って止めた。
 物凄い混みようなのだ。入場までに2時間、さらにお目当ての祭姪文稿の前で1時間待ちと聞いた。
 しかし書道が趣味の知り合いは気合を入れて行った。そしてその人が言うには、このメチャクチャな混みようは観光バスを仕立ててツアーで来場する中国人の大集団によるもので、前も後ろも中国人だったようだ。春節も過ぎたというのに。
 そして大陸の方では「中国人でも見られないものをなぜ日本で展示するのか」「民族の気骨がないのか? 日本人に貸し出すなんてけしからん」と大炎上しているとか。
 ハテ、焚書坑儒の本場で文革でも古いものを叩き壊してきた中国人が何を今更。そもそも文化大革命以後『書』が味わえる中国人はいないのではないか。ツベコベ言いながら大挙してやってくるのはどういう了見だ。
 そしてその見に行った人は散々並んだ後、祭姪文稿の前では三歩進む間だけ観賞して、人ごみに押し出された、入場料1500円払って一歩が500円換算だったというオチでした。

 今週24日(日)までです。一歩500円を見逃すな!

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話芸の間 Ⅱ

2018 OCT 20 6:06:55 am by 西 牟呂雄

 肺がんの手術を成功させた圓楽さんの高座を聞きに、きょうは大トリです。
 枕はやっぱりそのネタで『いや歌丸さんの百箇日がおとといでして、丁度その日に退院です。最初にお医者様に宣告されたときは、あ~歌さんが呼んでやがるな、と思いました』でした。
 内視鏡で7つほど穴を開けた手術だったそうですが、喉をやられたわけではないので声はちゃんと出ていました。
 散々笑わせてくれて、出し物は人情物の”一文笛”。元々は上方のネタで米朝さんが復活させたのですが、お江戸が東京になった頃のスリの話しに仕上がってさすがです。

演目です

 ところで、聞いたのは某公会堂でしたが、こういうところでやる時は何をやるのかは楽屋で客のノリを窺いながらネタを絞り込んでいき、高座に上がる時にヨシッこれで行こうと決めます。ですからプログラムには名前しか案内がありません。そして終わって帰り際に演目が張り出されるのですね。

 小遊三さんには多少の御縁がありますので楽屋に御挨拶を。この日は中を取ったのでまだ1時間くらい時間があるから私服の師匠に果物をお届けに上がりました。師匠は『おっどうも。旦那によろしく』とニコニコ握手してくれます。
 で、こちらの枕でも歌丸さんの話が出ましたが、現在の大喜利の司会者は春風亭昇太さん以外初代の立川談志・前田武彦・三波伸介・三遊亭圓楽(先代)・桂歌丸と皆さん鬼籍に入られて。小遊三さん、ここで『次は誰かってーと、お分かりでしょ』どうやら暗に木久扇さんのことを指して言っていました。なぜかここでドッと受けます。
 小遊三さんは『金明竹(きんめいちく)』をやりました。終わりの方の関西弁がわかりづらく何べん聞いても分からないという仕掛けのお話。結局意味を間違えてしまうのですが、聞いている僕も分かりません。それもそのはずで、入門したての落語家が口を鍛える意味であの有名な『寿限無』の次に『金明竹』を教わることになっているのです。早速検索すると以下の台詞でしたね。
「わては、中橋の加賀屋佐吉方から使いに参じまして、先度、仲買の弥市が取り次ぎました、道具七品(ななしな)のうち、祐乗(ゆうじょ)・光乗(こうじょ)・宗乗(そうじょ)三作の三所物(みところもん)。ならび、備前長船の則光。四分一ごしらえ、横谷宗珉の小柄付きの脇差……柄前(つかまえ)な、旦那さんはタガヤサンや、と言うとりましたが、埋もれ木やそうで、木ィが違うとりましたさかい、ちゃんとお断り申し上げます。次はのんこの茶碗。黄檗山金明竹、遠州宗甫の銘がございます寸胴の花活け。織部の香合。『古池や蛙飛びこむ水の音』言います風羅坊正筆の掛物。沢庵・木庵・隠元禅師貼り混ぜの小屏風……この屏風なァ、わての旦那の檀那寺が兵庫におまして、兵庫の坊(ぼん)さんのえろう好みます屏風じゃによって、『表具にやって兵庫の坊主の屏風にいたします』と、こないお言づけを願いとう申します」
 分かりますか? 途中に金明竹が出てきますが、観賞用に栽培される竹の一種です。
 

話芸の間 圓楽と小遊三

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狂言 蝸牛(かぎゅう) 

2018 OCT 14 21:21:05 pm by 西 牟呂雄

 『かぎゅう』という演目ですが、『かたつむり』と読めましたか。内耳にある器官のラセン状器官を蝸牛管(かぎゅうかん)と言いますがカタツムリの殻に似ているからですな。
 野村万作・万斎親子競演の狂言を堪能してきました。
 かたつむりを知らない太郎冠者が山伏をかたつむりかと思ってドタバタするという話です。
 太郎冠者は万作さんが、山伏を万斎さんが演じます。万作さん、狂言に3人いる人間国宝の一人です。
 万斎さんは東京オリンピックの開・閉会式の演出を統括するので物凄く忙しいそうです。伝統的な日本の『美』を現代的にアレンジし、宋代なスペクタクルを見せてくれると思うと二年後が今から楽しみですね。
 しかしこの方はやっぱり華があります。山伏を”かたつむり”だと信じ込んだ太郎冠者が主から怒られて、再び山伏の元にやってくると、これをおちょくり倒して謳い出します。

山伏姿

雨も 風も 吹かぬに
出ざ 釜 打ち割ろう

 太郎冠者がつられて唱和すると

でんでん む~しむし でんでん む~しむし

 と踊って見せます。角も出します。ホラ貝も見せて”かたつむり”だと説明します。この可笑しさは文字化不能ですので動画がありますから検索して下さい。いやもう達者な事達者な事。
 ところでこの『でんでん』は『出ん出ん』です。昔から殻に篭ったかたつむりに子供が『出て来い出て来い』とやって遊んだのでしょうね。
 『出ざ 釜 打ち割ろう』これはどんな意味が込められているのかわかりません。どなたかご教示いただけませんでしょうか。

 えー、続いてのお能は「恋重荷(こいのおもに)」というお話です。
 解説によれば美しい姫に懸想してストーカーになったオッサンがパワハラで死んでしまい、亡霊になって出てくるというのですがねぇ・・・。
 途中で爆睡してしまいまして、すみません。太鼓と鼓を聞いている内に。

宝生会館にて

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『流れ』は記憶する 方丈記逆バージョン

2018 JUN 10 21:21:33 pm by 西 牟呂雄

 鴨長明は方丈記でこう喝破した。
『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず』
 水が流れて行く様を見て当時流行した仏教的無常観を筆致した名文だ。
 流れない物からすれば全て過去に行ってしまい一人取り残される寂しさを感じさせてくれる。
 
 例えば山の渓流をジッと見ていると、護岸をコンクリートで固められた都心の川の流れとは違い川岸では水が巻き逆流したり、湧きあがるようにうねったりしている。ある日それを覗いているうちに発想が逆転した。
 川の流れの方が流れることによって学習し、流れに潤っている生きとし生けるものは施しを受けているに過ぎないと。
 流れの方で大地の形から自然の造形を記憶しているのではないか。

 流れが止まる湖沼でも浸透し蘇る。大海に行きついても止まらない。
 潮は流れている。静かでやさしい凪の海でさえヒタヒタと流れていることは海で暮らしたことのある者は皆知っている。
 風も同じだろう。山や谷の地形を記憶しながら吹いて行き、止まり、又方角を変える。
 つまり”流れそのもの”がこの地上から天空からその様子を俯瞰して、さらにそれを記憶しているのではないか。
 このノリで方丈記を現代の言葉に書き直してみたらどんな具合だろうとやってみた。

クリックして下さい

 我等は流れとどまることはない
 後ろに残されていく者たちよ、再び会える日はあるか

 大地を巡り大海をうねり、再び流れて戻りはしても
 万物はみな変わらないが 営む者はみな違う
 着飾った人 美しい人
 今そこにある瀟洒な造りも
 或いは朽ち或いは焼け落ちる

 我等は記憶する
 ここからはじまり、ここに戻りまた去る
 どこからでもやってきて、どこまでも行く
 我等はまた還る
 さらば 再びまみえることはないにせよ 

 人も花も、無常を嘆くことなかれ
 ただ咲きただ生きよ
 怖れず 待たず 争わず 
 我等が再び戻ることを信じ

 <どうも
 邪念が湧いてきて文章にならない。そして分かった。
 時の流れもそうだったのだ。>

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宝生会館にて

2018 MAR 9 0:00:37 am by 西 牟呂雄

 お誘い頂き宝生会館の船弁慶を観にいきました。自身宝生流の「謡」をやる方が面白い企画だと声を掛けて下さったのです。
 プログラムを見ると、鼎談に雅楽があり船弁慶の後にお仕舞までの盛りだくさんで驚いた。
 そうそう、公演は「夜能」と題が付いていて、やのう、と読みます。
 初めに白百合女子大学准教授の司会で邦楽奏者と能楽師が鼎談で分かりやすい解説をしてくれました。
「鼓のリズムに身を任せるように。あのリズムの基本は心拍数と同じです」
「これでお終い、というオシマイは語源が『お仕舞(おしまい)』です。今で言うアンコールのことで、能が終わった後に地謡の一部を舞ったからです」
 知らなかった。
 ありがたい事に雅楽も解説付きでやってくれたましたが、実は誘ってくれた方と行きがけに蕎麦屋に行き、日本酒をカポカポ飲んで来たのでこの時間に眠気が集中して襲い掛かって来て・・・。ビールで公演中にトイレに行きたくなるのを避けるための熱燗でしたが、やはりというか飲み過ぎまして。
 ウトッとしかかるのを堪えて篳篥(ひちりき)、笙(しょう)、箏(そうー13弦の琴)、琵琶、を聞きます。
 こうしてみると弦楽器も管楽器も打楽器も一式揃っていてるので、愚考するにもう少し弦楽器の音色が柔らかければ和音を形成するオーケストラになったのではないでしょか。
 13弦の箏と琵琶を聞くと、音色という意味ではイマイチの感があり、奏者の先生の解説も『琵琶はパーカッションなんです』でした。
 すると声をかけてくださった方が『鴨長明は琵琶の名人だったそうだが、あの程度の旋律に上手い下手があるのかな』と呟かれた。きっと下手が奏でるともっと穢い音がするのでしょう。

 さてお待ちかねの『船弁慶』、僕は四年前に一度観ています。
 この能は子方のやりてがいなくて上演回数が少ないのです。

船弁慶


 この時は船頭役に野村萬斎さんが出ました、凄いオーラなんですね、これ。
 ただ静御前の出方とか子方の台詞回しが微妙に違う。
 気になって調べるとその時のシテは喜多流の人がやっていました。これは今回の宝生流との違いなのでしょうか。詳しい人、是非ご教授頂きたい。
 そして最期にお仕舞があってメデタシメデタシ。
 丁度酔いも醒めました。
 これ、鑑賞の作法としては邪道でしょうねぇ。面白かった。

世阿弥  秘するが花 Confidentiality should be The Flower

世阿弥 初心忘るべからず Don’t forget your failure


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