顔真卿 一歩500円の狂騒
2019 FEB 21 6:06:35 am by 西 牟呂雄
言わずと知れた「書」の大家である。
その中でも有名な「祭姪文稿」が台北の故宮博物院から上野の国立博物館に貸し出されて展示されている。
台北の故宮は実に小振りな造りで宝物の展示が間に合わず、『書』とか『壺』とかのテーマに分けて公開している。未だに人目に触れていないものがワンサカあって、全部が日の目をみるのに何十年もかかるという話を聞いたことがある(しょっちゅう台湾に行っていた四半世紀前)。蒋介石の国民党軍兵士はロクに食い物も持たず、宝物を背負わされて上陸してきたというのだから凄い。中には散逸したお宝もあっただろう。
顔真卿は唐の玄宗皇帝の頃、科挙の進士にパスした大秀才。
更に安禄山の反乱の際にはこれに激しく抵抗する根性の持ち主で、祭姪文稿はそのときに捕らえられ惨殺された親族の顔季明への弔辞の草稿である。
歴代皇帝が愛でた名書として名高い。
大変頑固な人だったようで、例によって讒言されたり宦官に足を引っ張られもした。
私は不思議な事に子供の頃近所の薬屋のおかみさんがやっていた習字教室に通っていて、『小犬』と書いた作品がローカルな書道展で金賞を取ったこともある。どうでもいいことだが。
ところが鉛筆の持ち方が変で自分でもいやになるほどの悪筆になり、従って『書』に惹かれることもないが、ちょっと見て来ようかと思って止めた。
物凄い混みようなのだ。入場までに2時間、さらにお目当ての祭姪文稿の前で1時間待ちと聞いた。
しかし書道が趣味の知り合いは気合を入れて行った。そしてその人が言うには、このメチャクチャな混みようは観光バスを仕立ててツアーで来場する中国人の大集団によるもので、前も後ろも中国人だったようだ。春節も過ぎたというのに。
そして大陸の方では「中国人でも見られないものをなぜ日本で展示するのか」「民族の気骨がないのか? 日本人に貸し出すなんてけしからん」と大炎上しているとか。
ハテ、焚書坑儒の本場で文革でも古いものを叩き壊してきた中国人が何を今更。そもそも文化大革命以後『書』が味わえる中国人はいないのではないか。ツベコベ言いながら大挙してやってくるのはどういう了見だ。
そしてその見に行った人は散々並んだ後、祭姪文稿の前では三歩進む間だけ観賞して、人ごみに押し出された、入場料1500円払って一歩が500円換算だったというオチでした。
今週24日(日)までです。一歩500円を見逃すな!
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話芸の間 Ⅱ
2018 OCT 20 6:06:55 am by 西 牟呂雄
肺がんの手術を成功させた圓楽さんの高座を聞きに、きょうは大トリです。
枕はやっぱりそのネタで『いや歌丸さんの百箇日がおとといでして、丁度その日に退院です。最初にお医者様に宣告されたときは、あ~歌さんが呼んでやがるな、と思いました』でした。
内視鏡で7つほど穴を開けた手術だったそうですが、喉をやられたわけではないので声はちゃんと出ていました。
散々笑わせてくれて、出し物は人情物の”一文笛”。元々は上方のネタで米朝さんが復活させたのですが、お江戸が東京になった頃のスリの話しに仕上がってさすがです。
ところで、聞いたのは某公会堂でしたが、こういうところでやる時は何をやるのかは楽屋で客のノリを窺いながらネタを絞り込んでいき、高座に上がる時にヨシッこれで行こうと決めます。ですからプログラムには名前しか案内がありません。そして終わって帰り際に演目が張り出されるのですね。
小遊三さんには多少の御縁がありますので楽屋に御挨拶を。この日は中を取ったのでまだ1時間くらい時間があるから私服の師匠に果物をお届けに上がりました。師匠は『おっどうも。旦那によろしく』とニコニコ握手してくれます。
で、こちらの枕でも歌丸さんの話が出ましたが、現在の大喜利の司会者は春風亭昇太さん以外初代の立川談志・前田武彦・三波伸介・三遊亭圓楽(先代)・桂歌丸と皆さん鬼籍に入られて。小遊三さん、ここで『次は誰かってーと、お分かりでしょ』どうやら暗に木久扇さんのことを指して言っていました。なぜかここでドッと受けます。
小遊三さんは『金明竹(きんめいちく)』をやりました。終わりの方の関西弁がわかりづらく何べん聞いても分からないという仕掛けのお話。結局意味を間違えてしまうのですが、聞いている僕も分かりません。それもそのはずで、入門したての落語家が口を鍛える意味であの有名な『寿限無』の次に『金明竹』を教わることになっているのです。早速検索すると以下の台詞でしたね。
「わては、中橋の加賀屋佐吉方から使いに参じまして、先度、仲買の弥市が取り次ぎました、道具七品(ななしな)のうち、祐乗(ゆうじょ)・光乗(こうじょ)・宗乗(そうじょ)三作の三所物(みところもん)。ならび、備前長船の則光。四分一ごしらえ、横谷宗珉の小柄付きの脇差……柄前(つかまえ)な、旦那さんはタガヤサンや、と言うとりましたが、埋もれ木やそうで、木ィが違うとりましたさかい、ちゃんとお断り申し上げます。次はのんこの茶碗。黄檗山金明竹、遠州宗甫の銘がございます寸胴の花活け。織部の香合。『古池や蛙飛びこむ水の音』言います風羅坊正筆の掛物。沢庵・木庵・隠元禅師貼り混ぜの小屏風……この屏風なァ、わての旦那の檀那寺が兵庫におまして、兵庫の坊(ぼん)さんのえろう好みます屏風じゃによって、『表具にやって兵庫の坊主の屏風にいたします』と、こないお言づけを願いとう申します」
分かりますか? 途中に金明竹が出てきますが、観賞用に栽培される竹の一種です。
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狂言 蝸牛(かぎゅう)
2018 OCT 14 21:21:05 pm by 西 牟呂雄
『かぎゅう』という演目ですが、『かたつむり』と読めましたか。内耳にある器官のラセン状器官を蝸牛管(かぎゅうかん)と言いますがカタツムリの殻に似ているからですな。
野村万作・万斎親子競演の狂言を堪能してきました。
かたつむりを知らない太郎冠者が山伏をかたつむりかと思ってドタバタするという話です。
太郎冠者は万作さんが、山伏を万斎さんが演じます。万作さん、狂言に3人いる人間国宝の一人です。
万斎さんは東京オリンピックの開・閉会式の演出を統括するので物凄く忙しいそうです。伝統的な日本の『美』を現代的にアレンジし、壮大なスペクタクルを見せてくれると思うと二年後が今から楽しみですね。
しかしこの方はやっぱり華があります。山伏を”かたつむり”だと信じ込んだ太郎冠者が主から怒られて、再び山伏の元にやってくると、これをおちょくり倒して謳い出します。
雨も 風も 吹かぬに
出ざ 釜 打ち割ろう
太郎冠者がつられて唱和すると
でんでん む~しむし でんでん む~しむし
と踊って見せます。角も出します。ホラ貝も見せて”かたつむり”だと説明します。この可笑しさは文字化不能ですので動画がありますから検索して下さい。いやもう達者な事達者な事。
ところでこの『でんでん』は『出ん出ん』です。昔から殻に篭ったかたつむりに子供が『出て来い出て来い』とやって遊んだのでしょうね。
『出ざ 釜 打ち割ろう』これはどんな意味が込められているのかわかりません。どなたかご教示いただけませんでしょうか。
えー、続いてのお能は「恋重荷(こいのおもに)」というお話です。
解説によれば美しい姫に懸想してストーカーになったオッサンがパワハラで死んでしまい、亡霊になって出てくるというのですがねぇ・・・。
途中で爆睡してしまいまして、すみません。太鼓と鼓を聞いている内に。
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『流れ』は記憶する 方丈記逆バージョン
2018 JUN 10 21:21:33 pm by 西 牟呂雄
鴨長明は方丈記でこう喝破した。
『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず』
水が流れて行く様を見て当時流行した仏教的無常観を筆致した名文だ。
流れない物からすれば全て過去に行ってしまい一人取り残される寂しさを感じさせてくれる。
例えば山の渓流をジッと見ていると、護岸をコンクリートで固められた都心の川の流れとは違い川岸では水が巻き逆流したり、湧きあがるようにうねったりしている。ある日それを覗いているうちに発想が逆転した。
川の流れの方が流れることによって学習し、流れに潤っている生きとし生けるものは施しを受けているに過ぎないと。
流れの方で大地の形から自然の造形を記憶しているのではないか。
流れが止まる湖沼でも浸透し蘇る。大海に行きついても止まらない。
潮は流れている。静かでやさしい凪の海でさえヒタヒタと流れていることは海で暮らしたことのある者は皆知っている。
風も同じだろう。山や谷の地形を記憶しながら吹いて行き、止まり、又方角を変える。
つまり”流れそのもの”がこの地上から天空からその様子を俯瞰して、さらにそれを記憶しているのではないか。
このノリで方丈記を現代の言葉に書き直してみたらどんな具合だろうとやってみた。
我等は流れとどまることはない
後ろに残されていく者たちよ、再び会える日はあるか
大地を巡り大海をうねり、再び流れて戻りはしても
万物はみな変わらないが 営む者はみな違う
着飾った人 美しい人
今そこにある瀟洒な造りも
或いは朽ち或いは焼け落ちる
我等は記憶する
ここからはじまり、ここに戻りまた去る
どこからでもやってきて、どこまでも行く
我等はまた還る
さらば 再びまみえることはないにせよ
人も花も、無常を嘆くことなかれ
ただ咲きただ生きよ
怖れず 待たず 争わず
我等が再び戻ることを信じ
<どうも
邪念が湧いてきて文章にならない。そして分かった。
時の流れもそうだったのだ。>
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宝生会館にて
2018 MAR 9 0:00:37 am by 西 牟呂雄
お誘い頂き宝生会館の船弁慶を観にいきました。自身宝生流の「謡」をやる方が面白い企画だと声を掛けて下さったのです。
プログラムを見ると、鼎談に雅楽があり船弁慶の後にお仕舞までの盛りだくさんで驚いた。
そうそう、公演は「夜能」と題が付いていて、やのう、と読みます。
初めに白百合女子大学准教授の司会で邦楽奏者と能楽師が鼎談で分かりやすい解説をしてくれました。
「鼓のリズムに身を任せるように。あのリズムの基本は心拍数と同じです」
「これでお終い、というオシマイは語源が『お仕舞(おしまい)』です。今で言うアンコールのことで、能が終わった後に地謡の一部を舞ったからです」
知らなかった。
ありがたい事に雅楽も解説付きでやってくれたましたが、実は誘ってくれた方と行きがけに蕎麦屋に行き、日本酒をカポカポ飲んで来たのでこの時間に眠気が集中して襲い掛かって来て・・・。ビールで公演中にトイレに行きたくなるのを避けるための熱燗でしたが、やはりというか飲み過ぎまして。
ウトッとしかかるのを堪えて篳篥(ひちりき)、笙(しょう)、箏(そうー13弦の琴)、琵琶、を聞きます。
こうしてみると弦楽器も管楽器も打楽器も一式揃っていてるので、愚考するにもう少し弦楽器の音色が柔らかければ和音を形成するオーケストラになったのではないでしょか。
13弦の箏と琵琶を聞くと、音色という意味ではイマイチの感があり、奏者の先生の解説も『琵琶はパーカッションなんです』でした。
すると声をかけてくださった方が『鴨長明は琵琶の名人だったそうだが、あの程度の旋律に上手い下手があるのかな』と呟かれた。きっと下手が奏でるともっと穢い音がするのでしょう。
さてお待ちかねの『船弁慶』、僕は四年前に一度観ています。
この能は子方のやりてがいなくて上演回数が少ないのです。
この時は船頭役に野村萬斎さんが出ました、凄いオーラなんですね、これ。
ただ静御前の出方とか子方の台詞回しが微妙に違う。
気になって調べるとその時のシテは喜多流の人がやっていました。これは今回の宝生流との違いなのでしょうか。詳しい人、是非ご教授頂きたい。
そして最期にお仕舞があってメデタシメデタシ。
丁度酔いも醒めました。
これ、鑑賞の作法としては邪道でしょうねぇ。面白かった。
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イヨッ!高麗屋三代同時襲名
2018 JAN 21 11:11:08 am by 西 牟呂雄
まずは重鎮の山城屋・扇雀。そこから向かって右に述べて行き、一番はじっこに弟の吉衛門。今度は左側から「よろしく御願い申上げまする~」とやっていよいよ襲名口上。
左から金太郎改め染五郎、真ん中染五郎改め幸四郎、右に幸四郎改め白鸚の晴姿。
白鸚って二代目なんですね。
新染五郎はまだ12歳とのことで声変わり中のようなのはご愛嬌。高麗屋にしては細面で将来が楽しみです。この後勧進帳で義経を演るのですが、女形もイケそう。
さて口上はそれぞれの役者の持ち味が醍醐味ですが、何と言っても以前からご贔屓の高島屋・市川左團次。この人は面白いアドリヴを必ず入れるのですが今回もやってくれました。
「二代目白鸚さんは、私の暁星学園の後輩でして、こちらが不良をやっていた頃には常に級長か副級長をやっておられた秀才でした」
確かにこの人のチンピラ振りは有名でロクな高校生じゃなかったことは確認されてますが、当意即妙の鮮やかなモノでした。
ところで初めて知ったのですが、高麗屋の屋号を早口で言うと『こりゃいいや』になるんですな。
演目は『双蝶々曲輪日記』と『勧進帳』。
『双蝶々曲輪日記』は色んな人のを見てますが、今回の与五郎(アホボン)と放駒長吉を替わりでやった愛之助がピッタリ嵌りました。この人関西ですから浪速モノのイントネーションがいい。
『勧進帳』では新幸四郎の弁慶が見事に跳び六方。
あと一週間ですよ!もう見られませんよ!
ところで国立劇場では音羽屋・菊五郎一門が『小栗判官』をやってますが、こっちは空いてるみたいですぞ。
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十二月大歌舞伎 玉三郎艶(あで)やかなり
2017 DEC 14 19:19:08 pm by 西 牟呂雄
いやはや、舞台を見て思わずアッと声を上げそうになりました。
以前から玉三郎さんが京劇も熱心に研究していることは知ってはいましたが『楊貴妃』を見るのは初めてです。
本当に才能のあるひとですなぁ、この人。
この演目は能にもありますが、歌舞伎は夢枕獏の原作です。
筋なんかどうでもいい、とにかく艶やか(あでやか、つややかではありません。念の為)。
一幕ものの「踊り」で振り付けは梅津貴あき(永ヘンに日)ですが、おそらく玉三郎自身の考えも入っているはずです。
唄がありますが演奏は三味線ではなく、何と琴に胡弓。
ところがですな、申し訳ないが相手の方士は澤瀉屋・市川中車、即ち香川照之。この踊りがマズい。
この人、父親の猿之助が離婚して25歳で芸能界入りするまで会っていないとか。多分小さい時から芸事を仕込まれてないかもしれません。俳優としてはイイ味出しているのだから何もよりによって澤瀉屋に。おかげで右團次さんが弾き飛ばされてしまいました。
一幕だけの『幕見』(千円!)ですから気付かなかったのですが、今月は昼夜の二部制ではなく三部になっていてその内3幕に中車が出ています。二部の一幕目に落語『らくだ』の酔っ払い、三部は『瞼の母』で番場の忠太郎、そして『楊貴妃』の方士。
それで『瞼の母』のおっかさん役が玉三郎、やりすぎでしょう!
昼間は他に松緑や愛之助。まさか回転を良くするために三部にしたんじゃないでしょうね。
それでですね、周りの自称ツウの中の通しで観た連中が声をひそめて言うのです。
「あの『瞼の母』、大和屋(玉三郎のこと)は思いっきり手ぇ抜いてやがる」
そりゃ地味目のおっかさん役じゃ華はないけど・・・。あの方は手抜きはしません、天才ですから。
その代わり下手なことすると恐いんだそうですよ。下っ端なんか、申し訳ありませんでした、と楽屋に誤りに行くんだそうです。すると・・・。
『あたしはいいけど・・・・。マズいお芝居を見せられたお客様はどうなる』
コワーイ。中車は無事だったのか・・・・。
それはともかく『楊貴妃』はお勧めです。まだ間に合うしここだけの話し、空いてますよ。夜の部最終幕、たったの千円!
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あかあかや 華厳
2017 NOV 13 19:19:47 pm by 西 牟呂雄
あかあかや あかあかあかや あかあかや
あかあかあかや あかあかや月
一瞬、真っ赤な月でも幻視した狂人の歌と思った人、違います。
この『あか』はレッド=赤ではなく『明るい』の『あか』。
華厳宗中興の祖、明恵(みょうえ)上人の作です。
京都栂尾(とがのお)にある高山寺で教学研究や厳しい修行中に詠んだのかも知れません。それにしても、そこら辺の子供が初めて詠んだような無邪気さというか楽しさというか。
座禅修行で考えに考え抜いてまだ悩み経典を読み込んでフッと見上げると輝くような満月が目に飛び込んで来る。えもいわれぬ充実感に満たされて、さてもう少し研究してみようか、こんな心境が想像できます。
華厳教学はこの世の森羅万象がことごとくバタフライ効果のように作用しあっているが、修行によってそれが妨げあわず共存することのできる境地に至る、と教え(るのかな?私なんかに分かるわけない)数ある仏の中で盧舎那仏をひたすら信仰する。
この『作用しあっている』は僕の造語というか、まぁテキトーに考えた概念だが、素粒子論でいう粒子と反粒子が衝突によって消滅し2mc²のエネルギーを放出、それがまた粒子・反粒子を生成し・・・といった感覚のことでしょう。
すると絶対善である盧舎那仏とはブラック・ホールのことで・・、うっもういいや。
明恵上人は紀州の生まれで、高雄山神護寺で華厳五教章を始めた。東大寺(盧舎那仏の大仏ですね)で戒律を、仁和寺で真言密教を極め、栄西から禅まで学んだ。途中紀州で隠遁修行したりインド行きを企てたりしする、大変な学僧なのです。修行中に激情にかられて右耳を切り落とした、という話があったと記憶しますが出典を思い出せません。もしかしたら別の人かもしれないですね。
そういう偉人が冒頭のような無邪気な歌を詠むのは微笑ましいを通り越して結構鬼気迫る。
どうも明るい月の光に何かを刺激される感性の人らしく”月”を詠んだ歌を多く残した。代表的なのをもう一首。
くまもなく すめる心の かかやけば
我が光とや 月おもふらむ
僕も影が出来るほどの月の光を浴びるのが好きで、夜中に喜寿庵の庭に出てしばらくボーッとしている事が。特に泥酔して見上げているとこのまま宙に浮くような気がします。一度そのままひっくりかえって頭を打ち、翌日畳に血溜まりができるほど出血したことがあったっけ(酔い過ぎて翌日までケガに気が付かなかった)。
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月窓寺 薪能
2017 OCT 17 7:07:29 am by 西 牟呂雄
かれこれ二年振りですか、地元の薪能を見ました。
狂言の『六地蔵』とお能の『橋弁慶』です。
『六地蔵』は田舎から地蔵を作ってもらおうと都にやってきたおじさんを詐欺師が騙そうとするお話で、その詐欺師(すっぱ)を野村万作さんがやります。
三人のオッサンが地蔵に化けるのですが、依頼は六地蔵ですので一人二役をしなければならず、おかめみたいな面を付けてジタバタしてみせます。言ってみれば元祖ドリフのようなお話を人間国宝の万作さんがやるのですね。
以前に比べると万作さんの声が枯れたような。
『橋弁慶』の弁慶をその万作さんの弟で、やはり人間国宝の四郎さんがやりました。野村家は和泉流ですが、四郎さんは能の観世流を継いでいます。
この話は”京の五条の橋”で弁慶が牛若丸に負けて家来になるところです。おとぎ話では弁慶が刀狩をしていて、千本まであと一本となった時に牛若と出会うのですが、能では逆に牛若が千人切りをしていることになっています。どっちでもいいですけど。
そして弦師(つるし)が出ます。間に狂言が入るのです。
牛若に切られかけた男が逃げて来てコミカルなドタバタ劇をするのですが、それを萬斎さんがやりました。
この人は華があるし立ち姿が美しい。
声もいいです。
能の弁慶物は子方が出ます。牛若・義経の役は中学生未満の子供さんが勤めるのですが、やはり後継者難だそうで、上演される回数が少ないと言われています。谷本悠太郎君という子が一生懸命やっていて微笑ましい。どうも小学校高学年のようで、少し声変わり気味なのがかわいそう、でも間違えずにできましたよ。
この子は確か観世流の谷本健吾さんの息子さんじゃないですか、応援してます。
以前みた『船弁慶』を見たときの大島伊織君なんかもう青年になってしまったでしょうか。
一応照明も準備されていますが、灯は5つ立てられた薪。
漆黒の闇にチラチラと揺れる炎が影を織り成します。
そこに切り裂くような笛の音と鼓の乾いた音。
アッ雨が顔に当たった。
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映画 『花戦さ』
2017 JUN 18 15:15:30 pm by 西 牟呂雄
信長・秀吉・利休そして池坊専好。キャストは順に中井貴一・市川猿之助・佐藤浩一そしてご贔屓の野村萬斎ときてはこれ、見ざるを得ませんね。さるお見舞いの合間にチョイと行ってきました。
秀吉の狂気、利休との友情、意を決して秀吉に挑む専好。
「いやしくも池坊を名乗るなら、花の力で世を正そうぞ」
手練れの芸達者がズラリと並んでさぞや。それがですねぇ、どうも脚本がメメしいんですよこれ。
萬斎さんの坊主頭が似合わないんですな。
初めに出てきたアップが何ともマヌケ面に見えて笑えたし、人の顔と名前が覚えられないというコミカルさを狙ったキャラの設定がチョット。
それでもこの一見ボケ芸がクライマックスで生きる、という演出なのでしょう。
冒頭の信長に松を活けるところ、中井貴一はさすがでした。
「見事なり!池坊」
信長の登場はこのシーンだけでしたがかっこいい。そしてあの役者だったらどうやったろう、などと思いを巡らすのも一興です。まず考えたのは勿論成田屋の海老蔵。
そしてクライマックスは豊臣秀吉VS池坊専好。歌舞伎VS狂言の芸の打ち合いといった趣です。そこは見てのお楽しみ。
ところで池坊は聖徳太子建立の京都六角堂のお坊さんです。
如意輪観世音菩薩をご本尊にしています。
作中で萬斎さんがしばしばお経を読むのですが、これが聞いた事もないお経なのです。
いったい何経なのでしょうか。
検索してみるとどうやら『光明真言』のようです。
「オン アモ キャーベー ロシャノウ マカボダラ マニハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」と言っているのだとか。
サンスクリットではと表記して、不空なる御方よ 毘盧遮那仏(大日如来)よ、偉大なる印を有する御方よ 宝珠よ 蓮華よ、光明を 放ち給え という意味のようです。
猿之助ファン、萬斎ファン、並びに生け花関係者にはお勧めですが、某映画館はガラガラでしたね。
ところで池坊はこの映画にいくらスポンサードしたのでしょうか・・。
戦国三部作を貼っておきます。
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