Sonar Members Club No.36

月別: 2015年2月

Black Magic Woman ブラック・マジック・ウーマン 歌詞取り

2015 FEB 11 18:18:43 pm by 西 牟呂雄

 妖しいキ-ボードが単調なメロディーを始める。すると身をくねらすようなギターの響き。独特の粘りつくようなビヴラートにパーカッションが絡むと投げやりなヴォーカル。サンタナだ。
 両開きの横尾忠則のイラストに衝撃を受けた。キリストと観音様が左右に書いてあったあれだ。
 今でもライヴは人気があってよくアップされているが、久しぶりに聞いて見ると本歌取りをやってみたくなる。イントロ思い出して欲しい☆

Got a black magic woman   
だって ブラック 企業だ
Got a black magic woman   
だって ブラック 企業だ
I’ve got a black magic woman   
足掻いて ブラック 企業に
Got me so blind I can’t see      
知らずに    入った~
that she’s a black magic woman
誰も   ブラック企業と   
She’s trying to make a devil out of me   
知らせて     くれなんだ

Don’t turn your back on me, baby
♪どんだけ    働いたら (♪は八分休符のつもり 出ないもんで悪しからず)  
Don’t turn your back on me, baby   
♪どんだけ    働いたら
Yes, don’t turn your back on me, baby   
いや    どうやったって
Stop messing ‘round with your tricks   
暮らしは   良くならぬ
Don’t turn your back on me, baby   
♪どんなに  バカみたとて
You just might pick up my magic sticks   
夢みて  生きたいよ

(間奏)

Got your spell on me, baby
ごっつう 滑って しまった    
Got your spell on me, baby 
ごっつう 滑って しまった  
Yes, you got your spell on me, baby   
イェ ごっつう 滑って しまった
Turning my heart into stone
たまに   反省    して   
I need you so bad – magic woman
なに  そのうち    マジ  やる
I can’t leave you alone 
♪キメてー    やる  

 アルバムだとこの後ジプシー・クイーンの際どいインスツルメンタルが続いて、フェイドアウトする。すると遥か遠くからキーボードがリズムを刻む。アレですよあれ。ぼくは『サラ金を借りた男の歌』と名付けたい。

Oye como va mi ritmo  
追い込めば  逃げーる
Bueno pa gosar mulata
元金は     もらった
Oye como va mi ritmo  
追い込めば  逃げーる
Bueno pa gosar mulata
元金は     もらった
 (ここからラップになる 1音全て八分音符で)
稼ぎも無いのに飲み歩くだから
知らないうちにカネ借りたみたい
返せるはずなどハナから無いから
金利は払うがあと踏み倒し 

(間奏)

噂に聞いてたサラ金取立て
向こうも商売こっちはお客だ
借りるはヨイヨイ返すは地獄
それでも毎日飲み歩くだから

追い込めば  逃げーる
Bueno pa gosar mulata
元金は     もらった
Oye como va mi ritmo  
追い込めば  逃げーる
Bueno pa gosar mulata
元金は     もらった

 キリがないからもう止めます。ただホンモノ聞きながらやってると病み付きになりますよ。

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死闘(ヴァーチャル)十番勝負 そのⅡ(1から5)

2015 FEB 10 20:20:09 pm by 西 牟呂雄

其の一 天然理心流VS薬丸自顕流
 この薬丸自顕流は同じ薩摩のお家流の示現流と混同されるが元々のルーツは違う。薬丸家の野太刀の方が古くからあったのだが、示現流創始者の達人東郷重位に薬丸兼陳が入門し高弟になったのでややこしい。型は示現流より更に少なく、立木を猛烈な勢いで撃つ。何しろ『地軸の底まで叩き切れ』とやるのだから凄い。西南戦争時の薩軍の切り込みを受けた官軍に、自分の刀の鍔が頭にめり込んでいた死体が多くあったそうだ。受け切れなかったのだ。
 一方の天然理心流もスマートじゃないところはドッコイドッコイである。物凄く太い木刀を振り回す田舎剣法で、強いことは強い。例の新撰組が京都で毎日のように人を切り殺していた。
 ただ、新撰組が暴れまわっていたころはスポンサーの会津と薩摩は対長州で同盟関係にあり、直接刀を交えることはない。具体的には薩摩藩出身の富山弥平衛が新撰組に入隊し伊東甲子太郎と共に離脱した。伊東は結局惨殺され、その遺体引き取りに現れた際に油小路で切り結んだケースだろうか。いくつかの小説に取り上げられているが、新撰組は初めから多数で囲んでズタズタに切る得意の戦法に出たのでどっちが強いか分からない。
 それでは一対一の真剣勝負はどうだったろう。例えば天才沖田総司対人切り半次郎こと桐野利秋。司馬遼太郎の説では近藤勇は『一太刀目は辛くも外せ。』と言ったそうだ。
 半次郎は『チェストー!』の気合と共に物凄い勢いで切り込んで来る。総司は飛燕の動きで後ろに跳んだ。勢いは凄いが、半次郎は並外れた達人であるからつんのめることにはならず、直ぐにトンボの構えに戻り『チェスッチェスッチェスッ』と三太刀!総司は今度は左に跳びしばし正眼に構えた。半次郎の息が上がるのを待っているのだが、魔人のような気迫をみなぎらせているばかりでビクともしない。どうやら総司は太刀を受けるつもりは無いらしい、一分程にらみ合った。
 総司は銃を構えるような天然理心流の『突き』の構えに変えた。刀の刃が外側に向けられる独特の型だ。ただならぬ殺気を見て取った半次郎は必殺の打ち込みを掛けた。同時に総司の三段突きが出た。
☆半次郎が一瞬早く総司の太刀筋を見切り肉を切らせて骨を絶つが重傷。薬丸自顕流の勝ち。

其の二 大相撲VS極真カラテ
 その昔K-1の選手がテレビで当時横綱だった貴乃花と一緒に出たとき。アナウンサーが『横綱、K-1と相撲はどっちが強いと思いますか。』というアホな質問に対し『いやー、K-1でしょう。』とテレビ的に答えていたが、顔は不敵に笑っていた。
 異種格闘技の場合、ルールでいつもモメてバーリトゥードのような転がっての勝負になってしまうから面白くない(失礼)。そこでこの組み合わせではダウンしたら20カウントのノックアウト、クリンチOK(要するに組討あり)投げもあり、グローブなし、というルールでデスマッチをやったらどうなるか、を考えた。
 ゴングが鳴った後、相撲は仕切りの体制で相手が出てくるのを見据えている。極真は間合いを取りながら力士の顔面に蹴りをぶち込むべく周りをステップする。が、力士も手を着けたまま向きを変える。一瞬の間合いを見てフェイントを掛けた後前蹴りが飛ぶが、力士は額でこれを受ける。頭をぶつける頭突きの稽古で鍛えているので首ががっしりして痛みもショックも少ないのだ。しかも仕切り状態だから頭が低い。そこで必殺のローキックを出したところ、丸太のような腕で払われる。次の瞬間、力士が怒涛の立ち上がりでぶちかましにきて双手突きで突進した。相撲の前へ向かうスピードは速い。極真はかろうじて横に回りやりすごした後、電光石火の回し蹴りをみぞおちに叩き込む。しかし全然効かない。もう一発の右回し蹴りが頭部に炸裂すると同時に張り手を喰らって極真ダウン。ところがカウントを聞く前に跳ね起きる。相撲は再び仕切りの構えに入った。
 今度は間合いを取らずに相撲が突進する。顔面に正拳突きを受けるが力士は怯まずガシッと組み付き締め上げた、サバ折りだ。腹に乗せられた格好でもがき苦しむが、極真は両手で力士の耳を打った。中立一本拳だった。よろめく力士は二丁投げのように極真を叩きつけて再びダウンを取る。カウント15まで行ったが立ち上がる。力士はまたも仕切りの格好からカチ上げに当たろうとした刹那、必殺の飛び膝蹴りがマトモに入る。力士は顔面大出血し戦意喪失。
☆勝負は極真の勝ちだったが膝半月板損傷で選手生命は絶たれた。一方力士は次の場所の土俵に上がった。

其の三 USアーミーVSフランス外人部隊
 アメリカ海兵隊は確かに精鋭部隊で鍛え抜かれている。南方で日本軍と死闘を繰り広げたのは主に彼等だ。海軍も史上(水上か?)最強と言っていいだろう(大日本帝国海軍を除いて、と言いたいが)。ところが陸軍となると具体的なイメージが涌かない。鮮やかに思い出されるのは西部劇の騎兵隊か。しかしカスター中佐の第七騎兵隊はスー族(人数が違いすぎるが)の斧・弓矢の接近戦に全滅したり、こう言っては何だが朝鮮戦争やヴェトナムでの陸戦は個別戦闘において芳しくない。イラクの時も圧倒的な火力で叩きに叩いた時点でイラク軍が戦意を喪失してギブアップ。アフガンでもタリバンを制圧することはできなかった。もっともアフガンの民の(多少人種によろうが)残虐性と戦闘意欲はつとに知られる。何しろソ連軍を事実上撃退し、その後も軍閥が割拠する形で自国民同士殺しあって今日に至っている。
 レジョン・エトランゼ(外人部隊)はフランスの植民地防衛がその主務で、現在でもアブダビ・ギアナ・ジブティ・コモロ等に派遣されている。歴史は古く伝統的に猛烈に走らせる訓練をするが、その本義は『突撃』である。弾丸が雨霰と飛び来る中をバタバタ倒れつつも銃剣突撃を繰り返す。いつの戦闘か忘れたが、部隊の全滅を報告にきた伝令が全身に銃創を負っており、指揮官が『貴様は大丈夫か。』と聞くと『閣下、私は既に死んでいます。』と言って倒れたという伝説があったくらいだ。
 砂漠で双方一個連隊が対峙して作戦行動に出た場合、次のような展開があるであろう。
 互いに確認するや米軍から重迫撃砲が発射される。着弾地点に轟音と共に砂塵が次々に上がる。外人部隊は連隊ごと即座に後退して散開した。後方にも陣地を築いていたのだ。重迫撃砲は鳴りやまず長く連続して撃ってきていた。
 外人部隊の指揮官は左右に一個小隊を展開させる手に出た。無論米軍もおなじことを考えるが、ここで外人部隊側の迫撃砲が一斉に撃ち出された。ただどうやら米軍の迂回を阻止するためか部隊両翼に着弾を集中させた。
 そうしている内に1時間が経つと迂回小隊同士の交戦が始まったようだ。米軍の自動小銃と外人部隊の軽量突撃銃が火を吹いた。膠着した戦闘がまだまだ続く、日が暮れかかってきた。各迂回小隊の報告より右翼が手薄と見抜いた外人部隊指揮官(日本人)は1個大隊を幾つかに分けて右翼方面に展開させるとともに左翼の残存小隊に後進を命じた。
 太陽が落ちかけた頃に、ついに外人部隊の肉弾突撃が始まった。右翼方面から米軍の後ろに回りこむような動きを見せつつ、第一線が突撃して直ぐ伏せると後ろから匍匐前進してきた後列が鬨の声を挙げて更に前進する。米軍はジワリと圧迫されだした。一方外人部隊の損傷も激しい。しかし彼我の距離が1キロぐらいになると侵攻のスピードが上がる。戦場において、いくら自動化されていても、歩兵が3分以上引き金を引き続けることは無理で、双方の打ち合いにも必ず波が生ずる。外人部隊の大隊長(サモア人)は一瞬のスキを見逃さなかった。バズーカを連続して撃ちこませると号令した。
「着剣!突-撃-!!」
驚くなかれ正面連隊もロケット砲を発射させて全軍が突進してきた。味方を撃つ可能性もあるが、玉石砕く捨身の戦法に出たのだ。無論バタバタ倒れるがじきに米軍が後退を始めた。
☆拠点制圧は外人部隊の突撃により勝ち。しかしその後後方より飛来したアパッチの猛烈な火力で全滅。
 
其の四 酒乱VSハラスメント
 酒乱と言っても色んな種類があって泣き上戸なんかは放っておけばいいから、ここで登場してもらうのはネチネチ絡むカラミ酒だ。この手の酒乱には話の終わりがない。酔っ払いは飽きることもないから始末が悪い。
 一方のナントカハラスメントもしつこさはいい勝負。思うにパワハラを露骨にやる人はセクハラもマタハラも何でもござれではないか。つまり嫌な奴だ。
 この対戦の最も凄い組み合わせは部下の酒乱の女性がハラスメント・オヤジと親睦を兼ねて飲みに行く想定である。時間が過ぎて酒乱が進む。
「キミ、そんなに飲むからオトコに恵まれないんじゃないかね。」
「フフフ、上等よ。いつでも誰とでもが日常ですから。」
「エッ・・。何てコトを。子供生めなくなっても知らないぞ。」
「あたしの家系は多産系でいくらでもコイです。ホホホ。」
「しかしね。もういい年だろう。」
「サセ頃シ頃、時を構わず、ってご存知?」
「そういうことばかり言ってると今度の査定は考えざるを得ないな。」
「こうして飲んでることを知っている人はいないのよ。会社のロッカーに女性の下着が入っている、ってブラック・メールが投げこまれてから慌てて開けたら何が出てくるかしら。鍵なんかいくらでも・・。」
「そう言えばシリアに支店を出す決定がなされたが、独身・高齢・性別問わずと人事が言っていた。」
「望む所です。あんなところなら本当に勤務してるかどうか確かめようもないでしょうね。普段は会社の経費でパリにでもいようかしら。」
「ああ言えばこう言うって性格ブスとか言われるんじゃないかな。」
「あいにく顔のほうがブスです。ブスってらくですよ~。」
「・・・・もういいや。早く辞めたらどうかね。」
「あたしの方が若いし。アッ部長ももう4年ですね。次のポストないんですか。」
「うるさい!もう帰る。」
「テメー!帰れると思ってんのか。さっきからあたしの胸見てるけどなによ。」
「調子に乗るな!見るほどの胸か!」
☆酒乱の勝ち

其の五 中国人VSインド人
 言い換えるとマレー地区で常に激突する華僑対印僑。どちらも機関銃のように喋り倒す所は良く似ているが、どうも住み分けているようには見える。逆に世界中にある中華街をインドの街中では見たことがない。まぁデカすぎて気が付かないだけか。一方の中国では稀にインド人ビジネス・マンはいるのだが、これまたどういうことかあまり群れていない。
 インド人はしかめ面をしていきなり『値引きはどれ位できるんだ。』とやる。味も素っ気もなくニコリともしない。おまけにビジネスの前面に出てくるような奴はネチッこいし暗算がメチャクチャ早い。大体〇割の、といった交渉は通じない(通じるのは日本だけだったりして)。
 方や華僑は『私に任せておけば全部OK。コミッションは最低でもこれだけ。』と図々しいこと夥しい。彼らの一期一会は『もう二度と会わないんだからむしれるだけふんだくる』という意味に違いない。
☆中国人がバイヤーの時は高いの何のと大騒ぎしてネゴろうとするが、同じくらい『あれもこれも値段が上がっていてどうしてもこの価格だ』と頑として譲らずに膠着状態に陥る。一旦は物別れになるが、翌日全く動じないインド人に痺れを切らした中国人が少し譲歩する。モノともせずに席を立とうとするインド人を見て歩み寄り、インド人の勝ち。
☆インド人がバイヤーだったら、もっと安く、どれ位安く、と畳み掛ける交渉をニタニタ聞いていた中国人がしょうがないですね、と引き下がる。ところが中国人の裏切り者が『本当はコレぐらいまでできるはずだ。私を通してくれれば』とこっそり連絡を入れ成約になる。元々は物凄いボッタクリ価格なので中国人の勝ち。

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オリンピックへの道 (死闘10番勝負 その1から5)

死闘(ヴァーチャル)十番勝負 そのⅡ(6から10)

   

第一次世界大戦を考える オマケⅢ 

2015 FEB 9 21:21:07 pm by 西 牟呂雄

 実は日本は第一次世界大戦中は大戦景気に沸いたものの、その後は不況と共に孤立していく。経済のリセッションは循環的に起こり得るのだが、国際社会の荒波に飲み込まれてしまった感がある。一言で言えばアメリカの巨大化と中国の大混乱に挟まれて身動き取れなくなった。これは実に示唆に富んでいるのではないだろうか。100年後の今日も似たようなことになっている。
 この間何が変わったのかを見ようとすると失敗する、何が変わらなかったを見るべきだ、という仮説を立ててみた。そう考えて今後の日本の方向をゲーム理論でよくやる利得表を作って計算してみると➀江戸システムとでも言うのか武装・鎖国 ➁核武装後グローバル展開 の二つが均衡した。どちらも現実味はないがこの結果は、今後大陸・半島には絶対深入りせずにアメリカの顔を立てつつ利用する、と解釈できないか。
 それにしても『今』から歴史を見るのは限りなく空しい。この百年でそんなに人間がバカになったり利口になったりするはずがないではないか。先ほどの仮説はただの例え話として、日本の常識ってものが有ると考えるのだが。
 昨今日本の右傾かをどうこう心配する旧革新がいるが、よそのクニに戦争しに行くなんてことは絶対に無い。半島・大陸はそういい立てるのが国是だから放っておけばいいが、日本の国会議員が声を上げて心配して見せるのはいかがな見識か。
 
 往時茫々・閑話休題。100年前の戦争が終わった1918年には立憲政友会の原内閣ができた。政党内閣がその頃に始まったのだ。夏には米騒動があって鈴木商店が焼き討ちに合っている。大正7年である。
 又、この年の10月に武者小路実篤が宮崎県の外界から遮断されているような場所に新しき村を造っている。この思想的背景は複雑でとても書ききれないが『階級闘争の無い社会』で自活することを考えたとされている。375px-Atarashiki-Mura_in_1919[1]
 今の若い人は武者小路実篤を読むのだろうか。中学の時に読書感想文を書けという、確か夏休みの宿題で『友情』を読まされた。同級生の女の子が大変立派な文章を書き驚いたことを覚えている。僕ときたら、あまりの退屈さに『金持ちのインテリというものは恋愛くらいしかすることが無いんだろう』と思っただけだったが、まさかそう書く訳にいかず。石膏のマスクを叩きつけるシーンについてマヌケな考察をしただけだった。だが短編は好きでよく読んだ。
 あの新しき村は金持ちがヒッピーごっこをやるみたいなものと思ったら失礼か。
 ところが、その活動は今日まで続いているようである。埼玉県の山奥で十数人が農業をやっているそうなのだが、一度訪ねてみたい。百年経った新しき村が古い村とどう違うのだろう。

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架空ライヴ 矢沢永吉 VS 謎の大物

2015 FEB 7 8:08:11 am by 西 牟呂雄

 武道館のステージにレーザーライトが交錯する。先ほどからドラムとベースの大音量がエイト・ビートを刻んでいる。客は既に『エーチャン!エーチャン』のコールに酔いしれている。いつものヤ・ザ・ワのオープニングだ。客席にはオッサンもネーチャンもタオルを持って今か今かともうタテ乗りになっていた。無論エーチャンのステージにはいつも来る白いスーツにリーゼントのオヤジの一団もいる。
 パッとライトが消える。
ルイジアナ(バーン!)テネシー(バーン!)」
 いつもはアンコールに使われるトラベリング・バスだ。
 ライトアップされたエーチャンは帽子を目深に被っていて何故かステージ後方に向かって歌う。両脇には抜群のプロポーションの外人コーラスの女性がやはりバックを向いている。この曲は上記(バーン)のところで一斉にタオルを投げるのが作法とされていて、客席はそのたびに沸騰したようになる。
 ステージのエーチャンは2番まで歌い、いつものホーン・セクションとの掛け合いになってバックのコーラス・ガールとともにくるりと客席に向いた。帽子はまだ被ったままだ。
 この頃になるといつものエーチャンより声が野太いのが客席が気が付き出した。だがノリは止まらない。突然音楽と照明が消える。間が空くと以前にも増して『エーチャン!エーチャン』のコールが大きくなってきた。
「ワン・トゥ・ワントゥスリ!(ダッダッダッ)  その日暮らしが どんなものなのか」
照明が上がるとエーチャンがハンド・マイクを握っている。その隣に帽子を投げ捨てたさっきまでのエーチャンが顔をハッキリ見せた。なんと和田アキコではないか。
 客は大騒ぎになった。アッコは白いスーツにシャツの胸を大きく開けて黒いブラジャーがチラチラ見えている。大音量の中トラベリング・バスが終わる。
 ネクストが直ぐ始まるが新しいアレンジで一体何の曲かわからない。エーチャンがホワイト・マイクの前で歌いだした。
「あのころは(ハァ!)ふたりとも(ハァ!)」
この”ハァ!”はアッコ御大と観客である。斬新なアレンジの『古い日記』だった。武道館は興奮の坩堝と化す。
 二曲終わったところで二人はガッチリとハグした後にエーチャンがマイクを持った。
「あのよー。みんな驚いたろ。ミスター武道館ヤザワも色々新機軸考えたわけよ!それで芸能界の大物に声掛けてみたけど、みーんなビビッて返事もない。オレも参って天国に行ったユーヤさんに相談したらこう言うんだ。『おい、ヤザワ。どうせやるんなら一番オッカナイのオレがヨロシクで口説いてやるけど逃げるなよ』ツーわけよ。オレもオトコだ後にゃー引けねーベィベェ。みんな!紹介するぜ。日本一のソウル・シンガー。アーッコー!ワーダー!
 ウォー!という客席の歓声と同時にフル・ホーンが鳴りだした。『アイラヴユーOK』だ。アッコの声が良く似合う。
 その後和田アキ子がバックヤードに姿が消え、エーチャンのバラードとなる。
 次に現れたときは真紅のイヴニング・ドレスだった。客席が少し収まるのを待って語りだした。
「サンキュー!みんなアリガトウ。アタシの長年の夢だったんだよ、エーチャンのステージに上がるのが。ユーヤさんからの天の声をもらって初めてエーチャンと会った時は正直あがっちゃってさ。アタシがあがるってみんな笑うけどホント。それで何歌うんですかってモウ敬語よ。そしたらエーチャンが(モノマネで)『全部決めてやるよ』って言ってくれたの。」
スローなベース・ランニングが始まる。『ドック・オブ・ザ・ウェイ』を情感タップリと歌い上げた。
 拍手が起こった、武道館のロックでは珍しい。
 再び大音量のR&Bが始まる。ツウならば直ぐ分かるサム&デイヴの『ホールド・オン・アイム・カミング』だ。エーチャンが出てくる。二人のデュエットは息もピッタリ合っていた。
 次にエーチャンの新曲に変わると和田アキ子は姿を消した。
 
フィナーレになるとエーチャンが再び喋った。
「アッコにゃ悪いんだけど、随分あるヒット曲は一曲しか使わなかった。だけどヤザワからアッコと皆にビッグなプレゼントを用意したぜ。まだ誰も聞いてない書下ろしの新曲!『ア・ビッグ・ガール・フロム・オーサカ』よろしくゥ。ロックンロール!」
 今度はギター・イントロで入る。アッコが勢いよく飛び出してきたが、皮の上下のパンク・スタイルにまたも胸元を開けて、しかも顔には隈取のような化粧で登場!ロックンロールで乗りまくる。同じような格好の女性ダンサーを5人従えていた。

 アンコールを呼ぶ観客のコールは『エーチャン、アッコ、エーチャン、アッコ』になっていった。

架空ライヴ 矢沢永吉 VS 謎の大物 Ⅱ


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第一次世界大戦を考える オマケⅡ

2015 FEB 5 19:19:15 pm by 西 牟呂雄

 アンザックをご存知か。激戦地から遠く離れたオーストラリア・ニュージーランドの両国が当時の宗主国の英国軍を応援する為に編成された合同軍である。この部隊はオスマントルコとのガリポリの激戦に投入されるが結果はコテンコテンに負ける。
 しかし独立戦争等を経験していない南半球の英語圏はこのアンザックに特別な思いを馳せている。つまり誇りを持っているのだ。歴史的には1901年に事実上の独立はしたものの、スタートは流罪植民地だったので(当初の英国移民の7割程度)なかなか『国民』という概念が醸成されなかった。今でもオーストラリア英語はロンドンのコクニィ言葉(マイ・フェア・レディのヘップバーンが喋るやつ)に近い。
 そこへ大戦争が始まったので英国から応援要請が来た。張り切ったか嫌々だったかは知らないが急遽部隊を編成して遠くまで行ったのである。今日でもガリポリの激戦は語り継がれていて、アンザック・ディは国民の数少ない祝日となっている。
 ところが、大戦時点の海上防衛及びこの兵員の中東への輸送に日本海軍が関わりがあることはあまり知られていない。当時はオーストラリアの海軍力は弱く、一方ドイツ東洋艦隊が青島にあり、仏領パペーテの砲撃等で南太平洋をおびやかしていた。それを追っ払ったのが日本海軍である。東洋艦隊はその後チリ沖で英国艦隊を破るなどチョロチョロして全滅するが、開戦時点ではオーストラリアの潜在的脅威にはなっていたのだ。
 当時まだ日英同盟があり、こういうのが同盟の誼とでも言うのだろうか、オーストラリアでは次の大戦までの間は対日感情が非常に良かったのだ。ただ白豪主義は続けていたが。
 吉田俊雄という人がおられた。この方は明治生まれの海軍兵学校59期卒業。兵学校卒業の遠洋航海で1930年頃(還暦の我々の父母が生まれた頃か)シドニーに入港して大歓迎を受けている。折りしもアンザック・ディに当たった日の新聞報道を和訳されているので引用しておく。
「日本人は義侠心に富んでいる。友情のためには、尊い命までも賭けて戦う。われわれアンザックを、海路はるばるガリポリまで安全に護送してくれたのは日本である。敵国であるドイツ軍艦の出現に、遠くこの地にまで駆けつけてきて、われわれに安眠をとらせてくれたのも、日本の軍艦であった。その日本の練習艦隊=平和の使節が、いま、わが豪州を訪れている。かれらを歓迎するのは、われらの義務というより、むしろ権利である。」
ひっくり返るような賛辞である。また、町を歩いていて老紳士から
「Oh my old fellow! I’m ANZAC(アンザアクと発音する)。」
と肩を叩かれた思い出も記している。

 この話は麗しいのだが、ついでに昨今議論される集団的自衛権もじっくり噛み締めたい。となりの部隊が攻撃されて知らん顔をしたらば大変なことに。自国防御の集団的自衛権はあるに決まってるが、さてヨソの領土まで行ってしまうと・・・。

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贋作は楽し

2015 FEB 3 22:22:00 pm by 西 牟呂雄

 「なんでも鑑定団」を時々楽しんでいる。『先祖伝来のナニナニ』とかいうモノが真っ赤な贋物だったりすると気の毒やらおかしいやら。納屋の奥で埃にまみれていたものならともかく、床の間にかざり300年くらい代々崇めていたりしていたらエラいことだ。その間だれもニセと気付かなかったのだから。
 故会田雄二氏の著作にあったかと記憶するが、江戸の中期になると殿様も小名クラスは貧乏で何かにつけて『これを遣わす。』とお下げ渡しの時にロクな物が無く、仕方なしに『これはかの〇〇のモノで我が家祖の●●様が神君家康公より賜りし逸品である。家宝に致せ。』『ハハーッ。有り難き幸せ。』とやり、その殆どが贋物だったそうだ。鑑定団でガックリくるのはその類が多いのだろう。
 喜寿庵にその手の怪しげなのがガサガサあって、昔泥棒が入って掛け軸を五本くらい盗まれたそうだが、当時健在だった祖母が言い放った言葉が残っている。
「あんなの全部パパ(爺様のこと)がいい顔して掴まされたのに決まってる。骨董屋に持ち込んだところで返って恥をかくに違いないよ。くたびれもうけだね。」
 僕は書画骨董はサッパリだから人の事なんか言えないのだが、そんなもんを並べてニタニタしていた爺様の気持ちが分からんでもない。セッセと何かを愛でる気持ちがカワイイと言うか尊いと言うか。
 
 以前から本人も明らかにしているが東 兄と僕はひどい色弱だからゴッホだろうがセザンヌだろうが健常者とは違った色彩の『絵』を見ていることになる。すなわち人が僕の目を通してみればニセにならないか、ちょっと違うか。
 更に話が飛ぶ。神社の伝承なんかを色々見て歩くと、神話はそりゃ有り得ない話に決まっているが、何代もかけて営々と伝えた人文があったことは後にいろいろと合理的に解釈できる。多少の無理筋も許容して八百万システムにドップリ浸かって柏手を打つたびに神聖な気分になる僕達の気持ちを、例えば二千年の論争によって鍛えられ洗練されてきたキリスト教の牧師さんが『あれはニセだ。』と言いバカにするのもナンでしょう。仏教にしたところでオリジナルな釈迦の教えはほとんど無神論に近い。お釈迦様は解脱しろって言っただけ。
 一神教のカミ様だって神秘体験を体験できた天才が創り上げたニセの概念かも知れない(マジメな宗教家の方、怒らないで下さい、インチキもあるっていう話)。

 モナリザの模写が出てきて真贋論争になったこともある(アイスワールのモナリザ事件)。僕は真実は知らないが、出て来た方が品格やら芸術性でルーブルの物を上回らなかったからアウトになったのだろう。美的レベルがいい線をいっていたら面白い論争が続いていたのではないか。
 それではアートを写した写真媒体は全て贋物か、そうじゃないな。
 佐村河内守(最近サムラカワチノカミと言うそうだが)も嘘っ八を言い触らして稼いだのはサギ犯罪もいいところである。しかし片棒を担いだ新垣さんの作品は結構イケてるらしいから地道にやって多少売れればこれは即ホンモノの仲間入り。良ければね。

 翻訳本によって欧米の文物を楽しむことができるが、原典の語感なんぞはそれが読めるようにならなくちゃ分からないかもしれない。新約聖書なんか印象的な言葉、例えば『山上の垂訓』とかヨハネの福音書の『はじめにロゴスがあった。』なんか覚えているが、実際の語感はヘブライ語とかラテン語で読まなければ伝わらないのか。そういえば『出エジプト記』に出てくる”locust”はバッタと訳してはならず『イナゴ』としなければ正式ではない、とさる翻訳の権威が言っていた。欽定聖書の時からそうしないとダメらしい、そういうもんか。ホンモノも難しい。

 それで何が言いたいかというと、僕は贋物が大好きなのだ(腕時計はホンモノですよ、念のため)。カテゴリー本歌取り をやっていて気が付いたのだが、本物の目を盗んで秘かにろくでもないモノに変えてしまうことに妙に熱中する気質があるようだ。焼き物をやったこともないし絵も描けないが、本歌取りとか或いは当該ブログは実は高名な作家のハルキ・ムラカミが変名を使って書いている、という噂が流れないかな。シェイクスピアが本当は哲学者フランシス・ベーコンだオックスフォード伯爵だ、という説もあるんだから。
 
 どっちにしたって鏡に映ったウィスキィは飲めないもんね。

贋作は楽し Ⅱ

贋作は楽し Ⅲ


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第一次世界大戦を考える オマケ 

2015 FEB 1 13:13:33 pm by 西 牟呂雄

 オスマン帝国が参戦しなかったらどうだったのだろう。中東の強国だったトルコも大戦に負けてすっかりいけない。ここである仮説を考えたのだが、例えばスペインのフランコ将軍のように大戦が始まっても宣戦布告せずに知らん顔を決め込むことをしたらどうだったのだろうか。無論歴史にIFはないのだが、本テーマである100年前の教訓をどう今日の日本に生かすか、という意味である。

 オスマン帝国はクリミア戦争に巻き込まれたあたりからケチがついた。なにしろ首都の直ぐ近くでドンパチやられたので堪らない。この戦争は最後どっちが勝ったのか良く分からないのだが、産業革命を経験した英・仏にトルコが『舐められた』形跡がある。続いて露土戦争で大負けして益々ヤバくなる。その後必死に改革をするのだが、どうも国家というものはある分岐点を越えると激しい内戦でもやって生まれ変われないとダメになる『タイミング』があるようだ。それは周りの国との比較優位の差が限界を超えるポイントがあると考えられる。青年トルコ革命による立憲化までやり大戦前年にクーデターまでやったのだが、いかんせん少し遅かったか。もう少し早ければ国力を蓄えられたかもしれない。又、地理的にヨーロッパに近く大国ロシアも控えている。『スラヴ民族の救済』これ、プーチン大統領が言ったのではなく1800年代末のスローガンだ。今のウクライナで親露派が言っていることと同じだ。そしてクリミア半島。100年前まで居住していたタタール系はその後の強制移住で今や少数だ。

 さてあっという間に世界中を巻き込んだ戦争の当初、トルコは親獨的中立だった。しかしドイツにそそのかされたのか露土戦争のお返しなのか、10月末にクリミアを砲撃する。将に火蓋を切った感じだ。それから1915年内まで押しつ押されつで膠着しながら、ダーダネル海峡・ガリポリの戦いと良く踏み止まる。
 筆者の考えではせめてこのあたりで単独講和するべきだった。しかしこの後、映画にもなったアラビアのロレンスの大活躍が始まる。狡猾な英国の侵略なのだが。
 オックスフォード大学を出たロレンスは中東で考古学調査をしていたところを、かの地の軍用地図の作成のため英陸軍にスカウトされる。それが現ヨルダン王家に繋がるハーシム家の知遇を得て、いつのまにか反オスマン帝国の現地アラブ人の親玉になり、鉄道爆破や奇襲攻撃で中東の秩序をズタズタにしていく。いや、連合国から言えば帝国の足をすくうのだ。
 これがヨーロッパ史観になると、オスマン帝国の圧制から解放するためにゲリラ活動をしたことになり、今ではその役割をアメリカがやっていることになる。アメリカっぽく専ら空爆だが、イラクの時もスタート時に猛烈に爆撃した後地上軍による制圧だった。
 ロレンス本人の意思は、もしかすれば本当にアラブ人の解放を願っての命がけの活動だったやもしれないが、戦後の英国の悪意すら感じる分割・統治を見れば、国家としての手前勝手を感じざるを得ない。
 かくしてオスマン帝国数百年の平和(そりゃ色々あったでしょうが)は雲散霧消してしまう。

 歴史は繰り返しちゃいかん、より洗練されなければ。それにしてもISISだけは頂けないが。

 それで初めから宣戦布告もしないでオーストリアも見捨て知らん振りを決め込んでいたらどうなったかと言えば、結果はあまり変わらなかったのではないかと考えざるを得ない。
 1918年段階で休戦協定を結んでいたが、2年後のセーヴル条約によって分割され広大な支配地は失われた。やはりヨーロッパ列強の世界分割の風に抗し切れなかった。それでもギリシャに組み込まれた領土を巡って戦争を仕掛ける根性を見せ、革命政権による1923年のローザンヌ条約で現在の国境が決まる。
 そしてトルコ以南の政治的不安定要素は100年後の今日に至るのである。大戦時の同盟を仮に袖にしていた場合でも後の激動の100年に耐えるだけの体力はなかったろう。インペリアリズムとは支配エリアの警備に莫大な金がかかりそのコストに耐えられなくなるとガタが来る。ローマ・オスマン・大英帝国・ソヴィエトが今日時点で往時の姿を留めていない所以である。
 するとそろそろ大国間関係等と言い出だしたアノ国も・・・・。

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