Sonar Members Club No.36

月別: 2015年8月

夏本番 昭和は遠くなりにけり

2015 AUG 11 6:06:56 am by 西 牟呂雄

大声で 泣き出したくなる 帰り際
    かくも多くの 人といるのに

 先日コンクリートに括り付けられた女性の遺体があがった小網代湾にアンカーを打って小さなビーチを見ていた。 狭い砂浜が二つ。多くの家族連れの海水浴客がいて、はしゃぎ声が聞こえて来る。ユラユラ揺られながら見ていると、どうしたことか。
 人っ子一人いない、冬枯れの砂浜を幻視した。
 ついさっきまで仲間と喋ったり海に飛び込んだりしていたが。不可思議な心象風景だった。

 8月の航海のために船のメンテナンスをする。共同作業でロープを編み込んだり、エンジンオイルを替えたりした。物凄い熱さで日に焼かれ、全身ずぶぬれのように汗をかいた。すると上がって来たヨットから一人の女性がフラフラになって下りて来た途端に歩けなくなり、その船のクルーが駆け寄って日陰に寝かせているではないか。行くとガタガタ震えて『寒い』と言っている。熱中症だ。こんな若い人がやられてしまうのにビビッてオジサンはビールではなく塩を口にした。悲しいね。

 帰りの電車で眠い目をふと開けると横浜の手前で、突然この辺りに住んでいた人を思い出した。

 そして横浜で乗り換えた時の横浜駅の猛烈な雑踏に足が止まる。『ワー!』と叫び出したい衝動を抑えるためだ。オジサンが遊んで暮らすための最重要ポイントとして今年から鍛えている『孤独耐性』が途切れかけたか。立ち止まっているのは僕一人。これはいかん。
 トボトボという感じで広いコンコースを歩いていたら独り言を喋っているではないか。ついに気がおかしくなる日が迫ったかと怖くなり、エーチャンの歌を口ずさもうとハミングしたのは『苦い涙』。失恋モノで更に落ち込んだ。『お願いだ。この電話を。切らずにいてくれ。』何だってこんな歌を思い出す、と少し怒る。

 先月は週イチのペースで極親しいメンバーと偶然のタイミングで会合が重なり、旧交を温めたがそれぞれまだ活躍している。仕事で大変に忙しい(ひどい目に合っている)後輩、体調の悪い(腰痛)奴、大病をして手術した奴、相変わらず飄々としたマイペースの先輩、概してみんな楽しそうに思えた。それもそうで、ドン底の状態になっていれば人になど会いたくもないだろうから。

わずかばかり

わずかばかり

草むしる 手を休めつつ 問いかける
  日は熱くないか 色夏野菜  

 喜寿庵の夏野菜、我がナスとピーマンはそろそろ収穫期が終わる。返す返すもスタート時の手入れの悪さでキュウリを全滅させたことが悔やまれる。来年の課題だ。
 それにしてもこの歩留りは悪すぎる。ジャガイモはたくさん採れたのに。やはり無農薬には限界があるのかペイ・ラインは遥かに遠い。飛び地の開拓計画は全て白紙に戻った。

 畑の横に栗の木が立っていて、栗の実が毎年落ちるのだが、拾って剥いて見ると全部虫に食われている。今年は落ちるところを狙ってやる。
 立秋。暑いには暑く汗まみれにはなるが空の色は変わった。
 午後3時の影が長い。
 
 吉祥寺駅を下りたところで、再び大群衆に囲まれた。信号待ちの人数がハンパないのだ。
 一瞬全員がこちらの私を見ているように見えた。携帯で撮っている人もいる。
 私の回りで犯罪でも起こったのかと見廻すが何も無い。これも幻視か。

 長いこと全力疾走などしていない。一念発起してジョギングをすれば、井の頭公園でもっとも足の遅いランナーだった。つまり誰にも追いつけないどころか、ほぼ全てのランナーに抜かれた。しかもセッセと走りながら『空挺・落下傘(クーテー・ラッカーサンと発音)』とか『万朶の桜か襟の色(歩兵の本領)』等と掛け声をかけているではないか。インパール撤退作戦かとギョッとして止めた。この前からロクな歌を思い出さない。

 そうか、これが還暦というものなのか。

 分かれば早い、これからは幻視と共に生きていくことにしよう。それもいいか。

透き通る桜の開花

行く春や 昭和は遠くに なりにけり

行く春や 昭和は遠く なりにけり Ⅱ

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昭和亜空間戦争 Ⅱ

2015 AUG 8 22:22:18 pm by 西 牟呂雄

 大塔宮マッカーサーと白洲将門の霊界戦争の火蓋が切って落とされた。
 大量に開放された共民党員は普通選挙を通じて市民権を得ると、将門は秘かにこれを支援して怨念を撒き散らす。慌てた大塔宮はG2の下部にキャノン機関を設置し妨害工作に出る。将門は新興の愚連隊を使ってそれを又妨害する。
 終戦連絡中央事務局の参与としてオックスフォード仕込みの英語で米軍人を煙に巻き、頑強に主張し続け嫌がらせを徹底する。「従順ならざる唯一の日本人」と呼ばれてニヤリとして見せた。

 日本国憲法について、両者の対立は頂点に達する。民政局長のコートニー・ホイットニー准将をオチョクリ倒してついに大塔宮を激怒させるに至り無理矢理翻訳させられるが、将門はチャランポランに翻訳して涼しい顔だ。今日まで論争の的となる悪文の数々はいい加減に翻訳したためである。
 ただ、調子に乗って返還された広畑製鉄所の売却に暗躍して富士製鉄社長の永野重雄と取っ組み合いになったのはマズかった。人間界ではやはり腕力がものをいうため、柔道で鍛え抜いた永野に引きずり倒されコテンパンにやられた。

下山総裁の遺体回収

下山総裁の遺体回収

 組合を結成させたのはいいが世情が不安定になりマズくなってくると、大塔宮は一転してゼネストを中止させ緊縮財政のために大量解雇を実施させる。
 すると将門は禁じ手ともいえる行動に出て、ついに下山事件を起こす。この時は電力分割のドサクサに関わって北東電力の会長に化け、民間人に戻っていた。
 大塔宮はすぐさま三鷹事件・松川事件を起こして対抗する。
 
 しかし世の中は次第に安定してきて、再び実空間と亜空間の乖離が始まっていた。

 突如朝鮮戦争が勃発した。北朝鮮が民族の統一を掲げて雪崩れ込んできたのだ。あっと言う間に連合軍(国連軍)は半島から叩き出されそうになる。大塔宮マッカーサーは慌てた。
 現地では連戦連敗、指揮命令も満足に伝わらない。破れかぶれになって仁川上陸作戦を発動すると共に韓国にいた旧帝国陸軍経験者を招集させた。指揮官は大陸の英雄、金錫源大佐。総合指揮官がマッカーサーだと聞くとさも愉快そうにうそぶいた。
「日本軍を破った男が日本軍を指揮するのか。よろしい。日本軍が味方にまわればどれほど頼もしいか、存分にみせつけてやりましょう。」
 更に大量の人民解放軍にビビッて原爆使用を申し出た時点でマッカーサーは解任される。

元帥の議会演説

元帥の議会演説

 羽田から帰国するフライトの直前。未だ大塔宮であるマッカーサーは最期の霊力を振り絞って怨念を振りまき、日朝新聞のコラムに『マッカーサー元帥。ありがとう。』と書かせた。
 飛行機が飛び立つとダグラス・マッカーサーは長い眠りから覚めたような錯覚にとらわれ、ふと一体自分はどこで何をしていたのか、と思った。側近が『元帥閣下。議会での演説の草稿はいかがされますか。』と聞いた時、口をついて出たのが以下の言葉である。
「Old soldiers never die; they just fade away. 」
 これがそのまま使われたのだった。
 大塔宮は離陸した途端に亜空間に去った。

  一方、白洲次郎も北東電力会長を辞した。只見川の水利権を超法規的措置という荒業で東京電力からむしりとるような大暴れは影をひそめ、大沢商会会長や軽井沢ゴルフ倶楽部理事長等を務めた。
 将門もまた亜空間に戻り、白洲次郎に戻ったのだった。

 今回も決着がつかず現在も尚、亜空間での戦いは続いている

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昭和亜空間戦争

昭和亜空間戦争

2015 AUG 7 8:08:01 am by 西 牟呂雄

 朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク。
 先の昭和大帝の捨身の「終戦詔書」のあまりにも有名な出だしである。録音は800字超、5分近い長いもので、一般には『堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス』の部分が各種報道・映画等に挿入される事が多い。
 原案は内閣書記官長迫水久常。漢学者川田瑞穂が起草し安岡正篤が加筆したとされる。安岡正篤はその時点で大東亜省顧問だったか。しかし何をしたかについては殆ど記録はなく、本人も語っていない。

 さて、戦争に関する諸問題についてはここでは置く。実はヤマトの亜空間においては、敗戦後に霊界戦争が勃発していたことを知る者はいない。
 片や大江戸総鎮守でありながら怨霊界の帝王、平将門。果敢に挑戦したのは何度怨念比べで跳ね返されても蘇る、大塔宮護良親王。両者とも首が胴から切り離された異形の怨霊である。両者は神田と鎌倉という至近距離にいながらも互いに潰し切れず、長年対峙し続けていたのだ。ところがヤマトの実空間である『日本』が建国以来の敗戦により占領されるという未曽有の事態に陥り、そのため亜空間の方にも大きな歪みが生じてしまった。そして再び雌雄を決することとなったのだ。しかもその亜空間の歪みにより、実空間との距離が嘗てないほどに接近したため、人間に怨霊が憑依するという特殊な霊界戦争になったのである。

憑依されたマッカーサー

憑依されたマッカーサー

 厚木に降り立ったのはGHQ総司令官ダグラス・マッカーサー元帥。元来権威好き威張りたがりの彼は初めの一歩をどう演出するかで頭が一杯だった。コーン・パイプもゆっくりしたタラップの降り方も占領軍という立場を最大限誇示するため、エラソーに見えるようにしようと考えたのだ。
 しかし彼は実力でフィリピンから追っ払われ『I shall return』と悔し紛れの捨て台詞で逃げ出した屈辱に未だに悩まされていた。南方島嶼部の激烈な戦闘も、圧倒的不利な状況下での日本軍の凄まじい抵抗の報告が上がっていた。その本土に降り立つのだ。どのようなゲリラ攻撃が仕掛けられるのか、内心では恐怖感で一杯だった。
 その心のスキを護良親王は見逃さなかった。事もあろうに横田に降り立った直後、すかさず憑依し大塔宮マッカーサーとなったのだ。
 しかしこれは戦略的には間違っていたのだが、目の付け所は良かった。

 平将門は当然大塔宮の動きを察知した。しかしこちらは旧軍人や政治家といった関係には目もくれず、何とその時点では民間人に過ぎなかった白洲次郎という人物に憑依して白洲将門と成りおおせていた。白洲次郎は戦中の隠遁生活からようやく復活したばかりだったが、ハッタリの強い悪魔的なキャラである。後にエッセイストとして健筆を振るった妻正子の奔放な言動にも振り回されていた。それが敗戦の大混乱の中、英国時代の付き合いから宰相吉田茂に『手を貸してくれ。』と口説かれて精神のバランスがおかしくなった。そこを将門に狙われた。

頭の後ろに将門の影

頭の後ろに将門の影

 しかしこのタイミングでは両者の実空間の力の差はデカすぎる。とうてい将門には勝機はないものと思われたが、さにあらず。実は東京裁判があることを予見したために一民間人に憑依したのだ。
 そもそも怨霊のパワーは人間界には向いてはいない。目の前の敵よりもより強い怨念・恨みのパワー・ビームを浴びせることが本義であって、人間界の地位とは関係がない。

 更に大塔宮マッカーサーは大きな失敗を犯す。昭和大帝に会ってしまったのだ。
 現在の皇室は北朝系、大塔宮は南朝嫡流。一応学問上は南朝正統とされているが相手は霊性において怨霊などものともしない大帝である。ここでパワーを相当失った。
 後に憑依が解けて書いた回想も自身の記憶は全て飛んでしまった為、口だけの礼賛に過ぎない。
 
 大塔宮はその破壊衝動を隠しつついかにも善人面をしながら まず帝国陸・海軍を解体。 思想、信仰、集会及び言論の自由を確保するといい、治安維持法を廃止、特高警察も廃止、政治犯を即時釈放する。更に政治の民主化、政教分離、財閥解体、農地解放と矢継ぎ早に指示を飛ばす。
 一方将門は占領下にも拘らず終戦連絡中央事務局次長、経済安定本部次長として政権中枢に君臨し、虎視眈々と相手の動きを伺っていた。

つづく

昭和亜空間戦争 Ⅱ

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方言の生きの良さ

2015 AUG 5 3:03:47 am by 西 牟呂雄

 オン・デマンドで『仁義なき戦い』と『極道の妻たち』を全編見てしまった。
 共に完成度の高いシナリオで、既に評論し尽されているから作品について私が付け加えることなどない。
 感心するのは別に広島出身でも関西出身でもない俳優さん達が、鮮やかに地言葉を使いこなす演技力である。特に成田三樹夫。yjimageCADUK5LM
 この人は山形の酒田出身なので基本山形弁なのだろうが、広島も関西も自由自在だった。大体悪役が多いのだがコミカルな演技もできる手練れの役者、確か東大に入学して翌年に退学したと聞いた。
 声がいい。アレ舞台用の発生練習でもやっているんじゃないだろうか、ドスの効いた声だ。
 それで『何かゆうとるがのぅ。ワシラおさまらんのじゃぁ。』みたいな台詞、オサマランノ、と段々声が上がっていくところがオォ見事な広島弁じゃけん。
 あの独特のヘアスタイルはヅラなのか。
 そして小林旭御大。『オドレら神戸のモンゆーたらのゥ、猫の子一匹通さんけん。よお覚えとってクレィ。』ここは、コウベノモン、のところをフラットに言うのがミソのようだ。受けの梅宮辰夫が達者な関西弁で切り返すので、図らずも大阪と広島の言葉の違いが良く分かった。
 これ、解説しなければならないが東京人には色々ある関西弁が大体同じに聞こえてしまうのだ。
 殺すことを『とる(漢字では 殺る)』というのもこの映画で覚えた。
 
 yjimageCA08F5IEそこへ行くと岩下志麻の関西弁はいただけませんな。一応『誰々はん。』と人の事を呼ぶのだが、ありゃ東京の人のモノマネにしか聞こえない。
 私にも大阪と京都に親戚がいてたまに会うとコツを教えてもらうのだが、調子に乗ってペラペラやってみると『何か変やな。』と言われてしまう。
 若山富三郎・勝新太郎兄弟は東京出身だが、『極道シリーズ』や『悪名シリーズ』で見事な河内言葉を演じていた。やっぱり達人は違う。

 小倉時代は九州弁に馴染んだつもりだったが、武田鉄也の喋りとビミョーに違う。地元の連中は県内の遠賀川を境に言葉が違うと解説してくれた。動詞の語尾に『ッチ』『ッチャ』をつけるのが気に入って『早くやれッチ。』とか『行くッチャ。』とやっていた。これ粋でしたね。
 しかし一度盛り場でケンカしているのを見かけたときの迫力はさすがだった。ちなみに小倉ではヤクザはケンカなんかしない、いきなりもっと凄いことになる。
「何バ、きさーん。〇〇〇ドー!」
「しぇらしか(と言ったと思う、意味不明)!こん〇〇〇が。」
 〇〇〇のところは実はもっと長い単語だが、とても人目に触れる文章には残せない。

 亡くなった僕の母親は女学生時代に山形県の鶴岡に疎開したことがあって、本人曰く完璧な鶴岡弁が喋れるというのが自慢だった。器用な人だったからそうかもしれず、実際に『オメゴシャクッテナントカカントカ』と勢い良くやりだすと何を言っているのか分からなかった。
 それがある時オヤジと鶴岡に旅行に行き、自信満々ダーッと喋ってみせるとこれが全然通じなかったらしい。旅館の若い仲居さんが気の毒がって『あたしのお婆さんならわかるかも。』と助けてくれたそうだ。あれは一体何語を喋ったのだろう、とオヤジが不思議がっていた。方言も磨り減ったのだろうか。

破軍星旗

破軍星旗

 鶴岡と言えばお江戸の昔は精強を以って知られた酒井家の庄内藩だ。戊辰の役では勿論佐幕の奥羽列藩同盟。押し寄せる薩摩藩・奇兵隊といった新政府軍に対峙したのは青地に北斗七星を逆さに配した「破軍星旗」を掲げる約千人の庄内二番大隊、指揮するのは酒井玄蕃(通称鬼玄蕃)。一歩も引かずに巧みなゲリラ戦術を駆使し、個別戦闘では二十数回戦って全勝。味方にはほとんど犠牲者を出さなかった。
 結局孤立無援になって降伏(会津よりも後に)するが、一矢報いた。
 
 まさかオフクロ様、その頃の鶴岡弁を喋ったんじゃないだろうな。

追悼架空対談 高倉健×菅原文太

言葉づかい


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言葉づかい

2015 AUG 3 5:05:57 am by 西 牟呂雄

 先日ラーメンを食べようと思って近所のなじみの店に行きました。カウンター席の隣にあらかた食べ終えた若い女性二人組がおしゃべりをしていて、聞くとはなく会話が耳に入ったのです。これが凄い。凄すぎる。
「でよー、頭にきたから言ってやったんだけどよ。ざけんじゃねぇ、バーローってよ。」
「マジかよ。ヤバくね。」
「な訳ねーだろー。」
 といった感じで延々と続くのです。思わず聴きほれる程でしたね。
 僕も言葉は荒い方ですので、チンピラ時代にサテンで喋っていたのを近くで聞いたオトナは同じような衝撃を受けたでしょうか。僕らは『マジか』は使っていませんでしたね。
 そして誰かの悪口が延々と続きました。

 川端康成が若い頃に書いた少女小説があって、その台詞がこれまた究極の山の手言葉でびっくりしたことがあります。『よくって。わたくしは』とか『いいこと。これは』といった記述に本当かいなと思ったもんです。ですが当時の(大正期)山の手の人口は今とは比較にならないほど少なく、良家の子女は実際に使っていた可能性は高い。
 冒頭の会話とは別の人種の趣があります。

 子供の頃自分を『オイラ』というのが流行ってました。タケシが使う下町のノリですね。どういう訳か母親がこの言い方を嫌ってしつこく矯正されました。
 秋葉原は今や『アキバ』としてオタク文化の整地、AKBの本拠地ですが、その昔はヤッチャバ即ち神田市場があってガラが悪かった。その言葉使いをどうやらいやがったのではないか、と今では思いますが当時はそれこそ知ったこっちゃねーや、ベラボーめ。

 一時は芸能人が使うサカサマ言葉を使いこなすのに苦労しました。これはこれで歴史があるようで、最近宍戸錠の書いた物を見ると石原裕次郎をチャンユー(裕ちゃんの逆)裕次郎はサンジョー(錠さんの逆)と呼び合っています。
 促音とか撥音が入ると難しくなって、例えば『ラッパ』とか『コップ』はどういうのか。どうやら『パツラ』と『プーコ』が正解らしい、等と議論を重ねました。更に上級になると子音ひとつや母音一つの『火』とか『胃』はどう活用させるのか。これらは『イーヒー』と『イーイ』と言うべきだと結論が出されました。
 大のオトナになってからもこのテーマは良く話題に上がっては盛り上がったもんです。
 ある日、飛び切りのバカが嬉しそうに寄ってきて言いました。
「ニシムロさん。凄いこと考えたんですけど。」
「何だよ。」
「例の業界語の活用法で『オレは病気になった。』って言えますか。」
「そりゃー『レーオーはキービョーになった。』だな。」
「そうでしょ。ところがですね。ジャングル大帝の主人公のレオ。『レオが奇病になった。』ならどうなりますか。」
「・・・・、オレは・・・・病気に・・・なった。」
「ウーン、ちょっと業界っぽくないですよ。そこは『オーレーはビョーキーになった。』とやらないとダメでしょうね。」
「・・・・。」
 ちなみにこの活用を考え出した者は今東南アジアで立派な社長になっています。

 そうやって日本語を乱しておいて偉そうなことは言えないのですが、子供の頃のそれなりの躾とサラリーマン生活のお陰で、尊敬語・謙譲語の敬語は何とかこなします。
 その僕がなんじゃこいつ、と思わざるを得なかったのは鳩山由紀夫元総理でしたね。
「国民のみなさん方にもぜひ新しい政治を興すために、しっかりとがんばっていただいて、汗を流していただいて税金をお支払いをいただき・・。」
 ここの『お支払いいただき』って変でしょう。「払っていただき」で十分。
「小沢先生にはどうか検察とお戦い下さい。」
 これも、なんでも『お』をつけりゃいいってもんじゃない、「戦って下さい。」です。

 で、冒頭の話に戻りますが。その物凄い言葉遣いのお姉ちゃん達、どんなご面相なのかどうしても見たくなるのは人情というもの。こっちも食べ終わってしまい、内心「席を立って動いてくれないかな。そうすれば顔が見えるのに。」とソワソワしました。しかしお喋りは止まらない。しょうがなくてレジでお金を払い忘れ物を取りに戻るフリをして『チョットすいません。』とやったら何と!今風のかわいらしい二十歳くらいのお嬢さん達でした。嗚呼!

方言の生きの良さ


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2030年 認知症で自由になる

2015 AUG 1 8:08:09 am by 西 牟呂雄

 お医者様が仰った。
「ニシムロさん。あなた軽い認知症です。」
 オレは内心ふざけるな!と思ったが一応メモに書いておいた。最近物忘れは確かにひどい。一応書いておく癖をつけないと。
 毎日未だに仕事が忙しい。いろんな人が訪ねて来るのでいちいち相談に乗ってあげている。未だにオレを頼ってばかりの人に囲まれて困ったもんだ。
 昨日も知らない人が訪ねて来て昔はどうでしたか等と聞くので、関東軍の将校で硫黄島でアメリカ海兵隊をやっつけた話をしてあげたら喜んで帰って行った。
 そういえば何か頭のおかしそうな若い女性が『お父さん』等と呼ぶので、どうもお金を借りに来たのだと直ぐに見破って『僕は結婚したこともない。しかもゲイだったからお父さんと呼ばれる筋合いはない。』とよく叱っておいた。
 ところで最近周りの人の頭が随分悪くなったような気がする。何回丁寧に教えて言っても『さっき聞きました。』とか『もう5回めですよ。』とか言って自分が忘れていることの言い訳する奴ばかりだ。
 古い友達に安倍晋三君という総理大臣をやったのがいるが、彼の相談に乗ってやった秘密の話をしてしてやっても誰も驚かない。皆知らないのだ。TPPも安保法制も本当は僕がレーガンや中曽根に根回ししてやったことを。
 待てよ、結婚したことも無い、と言ったが何故か時々家族がいたような気がする。あのちょっちゅうイチャモンを言っていたのはカミさんという人だったかも知れない。たまに訪ねてくる胡散臭い男も自分は息子だと言うのだがあれは何かの勧誘に違いない。

 一番困るのは僕の身の回りの物をかたっぱしから誰かが盗ってしまうことだ。眼鏡とかは特にどこかに隠されてしまって必要な時に手許にない。お金もだいぶやられたみたいだが、幾ら持っているのかさっぱりわからないから誰にも訴えることができない。警察を呼ぼうとも思ったが、証言してくれる人も廻りには居そうもないのであきらめた。

 今日は随分気分がいいので、久しぶりに部屋から出てみた。部屋にばかりいると結局テレビばかり見てしまうので体にも悪いだろう。しかしやたらといる医者は、オレの体のどこが悪いかは誰も教えてくれないのだ。
 テレビはテレビでいつもアクション映画や旅の番組を見ても全部知っていることばかりなので面白くない。体を支える変なボディ・スーツを着させられているので思ったほど早くは行けないのだがズルズルと庭に出てみた。yjimageCAP86K3S

 すると見上げた、と言ってもちょっと首を上に向ける程度の高さのブロック塀の上に猫が昼寝をしているじゃないか。そのまま見ていると気配を感じたのかめんどくさそうに目を開けた。首輪も何も付いていないところを見るとノラの地域猫なのか。こちらの老人用ボディ・スーツが珍しいのかまるで静止物を見るように眺めている。
「認知症なんだって。」
 何だ。誰が喋っているんだ。不自由な首を回しても普段ギャアギャア言ってくる奴等はいない。猫はこちらを見たままだ。脅かしてやろうか、と口を開いたら、
「にゃ~。」
 というマヌケな声が出た・・・。
 次の瞬間、オレの視線が突然その猫の目になってしまって、塀の上からオレを見下ろしているではないか。元のオレはぼんやりとオレを見上げているではないか。そして『猫のくせに偉そうにしないでコッチに来い。』等とそれこそエラソーに言っている。

オレ

介護スーツを着せられたオレ

 すると、二人の若いお姉さんが『ホラ、もうどこにいるのかわかんなくなっちゃって。』と言いながら元のオレのところにやって来るではないか。『敷地から出たらダメっていつも言ってるじゃないですか。』等と言われて『ニャー、ニャァ。』と答えている。オレはいつもあんな訳の分からない受け答えをしているのか。これは本当に医者の言うとおり認知症だったんだな。
 どうやらオレの意識は猫の体を借りているらしい。しかしこのサイズでいると認知症の脳でもコンパクトに正常には判断ができるらしい。何しろ喋らなくて済むのだから楽なもんだ。説明責任も無い。元のオレがあれこれ怒られながらあっちに行くのを見てムックリと起きてみた。何と軽やかなんだ。いままで介護スーツを着させられていた時のモタモタ感に比べれば空を飛ぶほどの感覚である。
 そのまま塀の端っこまで行って高さに少し躊躇したが、思い切って飛び降りて見るとヒラリと地上に立てるではないか。
 人間なんざ不自由なもんだ。オレはこの猫のまま人生を安らかに全うしよう。いや猫生か。
 認知症は感情が希薄になると言われていて、確かにオレも面白くも楽しくもなくなっていたようだが、この猫の体を借りて喜怒哀楽までが蘇ったようだ。
 なにしろこのサイズと身軽さだ。人間の視線では分からない、狭い所も何のその。都心の無機質な摩天楼群の中ならいざ知らず、住宅街のこの辺は言ってみればスカスカの抜け道だらけでどこへでも行ける。どこかのウチの飼い猫のフリでもしてメシにありつこうか。ともかくオレは自由になったのだ。

「ニシムロさん!何が『ニャー。』ですか。猫のふりなんかしちゃって。」
「ほんのさっきまでこんなじゃなかったのよ。相変わらず嘘ばかり言ってたけど。」
「ミャー。」
「何。今度は甘えたフリして。」
「騙されちゃダメよ。この前は犬になってたんだから。」
「困るわねぇ。認知症になっても変なこと考えつくってどういう人格なのかしら。」
「だからこういう人格なのよ。ご家族も持て余してたんだから。」
「どうせなら兎とか鳴かない動物にでもなってくれればいいのに。」

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矛盾を矛盾と感じるのは常識という感情

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