昭和亜空間戦争
2015 AUG 7 8:08:01 am by 西 牟呂雄
朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク。
先の昭和大帝の捨身の「終戦詔書」のあまりにも有名な出だしである。録音は800字超、5分近い長いもので、一般には『堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス』の部分が各種報道・映画等に挿入される事が多い。
原案は内閣書記官長迫水久常。漢学者川田瑞穂が起草し安岡正篤が加筆したとされる。安岡正篤はその時点で大東亜省顧問だったか。しかし何をしたかについては殆ど記録はなく、本人も語っていない。
さて、戦争に関する諸問題についてはここでは置く。実はヤマトの亜空間においては、敗戦後に霊界戦争が勃発していたことを知る者はいない。
片や大江戸総鎮守でありながら怨霊界の帝王、平将門。果敢に挑戦したのは何度怨念比べで跳ね返されても蘇る、大塔宮護良親王。両者とも首が胴から切り離された異形の怨霊である。両者は神田と鎌倉という至近距離にいながらも互いに潰し切れず、長年対峙し続けていたのだ。ところがヤマトの実空間である『日本』が建国以来の敗戦により占領されるという未曽有の事態に陥り、そのため亜空間の方にも大きな歪みが生じてしまった。そして再び雌雄を決することとなったのだ。しかもその亜空間の歪みにより、実空間との距離が嘗てないほどに接近したため、人間に怨霊が憑依するという特殊な霊界戦争になったのである。
厚木に降り立ったのはGHQ総司令官ダグラス・マッカーサー元帥。元来権威好き威張りたがりの彼は初めの一歩をどう演出するかで頭が一杯だった。コーン・パイプもゆっくりしたタラップの降り方も占領軍という立場を最大限誇示するため、エラソーに見えるようにしようと考えたのだ。
しかし彼は実力でフィリピンから追っ払われ『I shall return』と悔し紛れの捨て台詞で逃げ出した屈辱に未だに悩まされていた。南方島嶼部の激烈な戦闘も、圧倒的不利な状況下での日本軍の凄まじい抵抗の報告が上がっていた。その本土に降り立つのだ。どのようなゲリラ攻撃が仕掛けられるのか、内心では恐怖感で一杯だった。
その心のスキを護良親王は見逃さなかった。事もあろうに横田に降り立った直後、すかさず憑依し大塔宮マッカーサーとなったのだ。
しかしこれは戦略的には間違っていたのだが、目の付け所は良かった。
平将門は当然大塔宮の動きを察知した。しかしこちらは旧軍人や政治家といった関係には目もくれず、何とその時点では民間人に過ぎなかった白洲次郎という人物に憑依して白洲将門と成りおおせていた。白洲次郎は戦中の隠遁生活からようやく復活したばかりだったが、ハッタリの強い悪魔的なキャラである。後にエッセイストとして健筆を振るった妻正子の奔放な言動にも振り回されていた。それが敗戦の大混乱の中、英国時代の付き合いから宰相吉田茂に『手を貸してくれ。』と口説かれて精神のバランスがおかしくなった。そこを将門に狙われた。
しかしこのタイミングでは両者の実空間の力の差はデカすぎる。とうてい将門には勝機はないものと思われたが、さにあらず。実は東京裁判があることを予見したために一民間人に憑依したのだ。
そもそも怨霊のパワーは人間界には向いてはいない。目の前の敵よりもより強い怨念・恨みのパワー・ビームを浴びせることが本義であって、人間界の地位とは関係がない。
更に大塔宮マッカーサーは大きな失敗を犯す。昭和大帝に会ってしまったのだ。
現在の皇室は北朝系、大塔宮は南朝嫡流。一応学問上は南朝正統とされているが相手は霊性において怨霊などものともしない大帝である。ここでパワーを相当失った。
後に憑依が解けて書いた回想も自身の記憶は全て飛んでしまった為、口だけの礼賛に過ぎない。
大塔宮はその破壊衝動を隠しつついかにも善人面をしながら まず帝国陸・海軍を解体。 思想、信仰、集会及び言論の自由を確保するといい、治安維持法を廃止、特高警察も廃止、政治犯を即時釈放する。更に政治の民主化、政教分離、財閥解体、農地解放と矢継ぎ早に指示を飛ばす。
一方将門は占領下にも拘らず終戦連絡中央事務局次長、経済安定本部次長として政権中枢に君臨し、虎視眈々と相手の動きを伺っていた。
つづく
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新撰組外伝 公家装束 Ⅱ
2015 JUL 26 8:08:04 am by 西 牟呂雄
夜半、島原に通じる道を影が落ちるほどの明るさで月が照らしていた。
一人の公家が早足で歩いていたが、人気のない辻で歩みを止めて後ろを振り返った。しばらく虚空を見つめていたが、体を反転させて両手をダラリと下げた。
「何用や、壬生狼やな。」
すると漆黒の闇の木陰から男がスッと出てきた。
「姉小路様。夜道は危のう御座いますよ。」
「沖田であろう。」
「良くご存知で。何のための夜道歩きで御座いますか。」
「ほほほほ。寝付ぬ故。」
「お遊びも過ぎますとお怪我ではすまなくなりますよ。」
「抜くが良い。来やれ、天然理心流の技の冴えを見せよ。」
と言い捨てると、白柄の太刀を鞘から抜き払った。
「これはこれは・・。」
総司もすらりと抜き正眼に構えた。
しばらく睨み合うと、姉小路の剣先がツツッと下がっていく。下段脇構えである。そのままスウッと前に進もうとした刹那、総司は太刀を立て八相に構え直した。姉小路の動きは止まる。両者の動きは竹刀剣道では使わない人切り剣術なのだ。
総司が『ハッ』と気合を発して切り掛かる、無論様子見である。姉小路はくるりと体をかわし、独楽のように一回転した。見たことも無い動きだ。
瞬時に姉小路が同じ下段脇構えから『イヤァーッ』と突きかける。総司は後ろに跳んで伸び切った剣先を見切る。
「臆するか。沖田総司。」
「フムッ!」
疾風の速さで小手を払うように剣先を振るったが、姉小路はまた独楽の回転で身をかわす。
両者は剣を合わせない。もし誰かが見ていたならば、月下の元、白刃が青白い光を放ちながら空を切り二人の男が舞っているようにしか見えなかっただろう。
姉小路は再び下段脇構えに入った。しばらく沈黙が続く。
「おじゃれ。沖田。」
誘っているのである。総司は黙って上段に振りかぶり、怪鳥の雄叫びを上げて切り込んだ。
「キィェーイ。」
姉小路はこれを受けずに身を縮めると、下から猪突の突きを出す。
「シャアアァ。」
これを辛くもかわすと総司は銃を構えたようにし、太刀の刃を外側に向けた独特の型で必殺三段突きを放った。
「ヤッヤッヤァー。」
飛燕の動きに総司は勢い余って前にのめり、二人の体が交錯した。姉小路のきらびやかに装飾された刀がガシャッと音を立てて落ちる。ついに一度も刃を合わせることなく勝負は決した。総司は懐中の紙で血を拭きパチリと鞘に戻して向き合った。
「姉小路様、お命に関わりはなけれど今後は剣を使うことはかないますまい。」
「壬生狼。鮮やか也。」
鮮血に利き腕が染まっている。
「剣はいずこで。」
「鞍馬山。」
「すると姉小路様はカラス天狗ですか。」
「ホホホ。」
「本当のお名前は聞かずにおきます。もう辻斬りはお止めください。」
総司はそれだけ言うと振り返りもせずに帰っていった。
余談であるが、翌日島原大門の前にカラスの死骸が落ちており、人々はこれを凶兆として恐れたと言う。
明治の高官、太政大臣贈正一位大勲位の岩倉具視は人前で決して肌を見せなかったと言う。
公家にしては度胸が据わっており、征韓論の時も圧倒的迫力の西郷隆盛に一歩も引かず対峙した。また、赤坂仮皇居前で不平士族の武市熊吉(高知県士族)に襲撃された際に、独楽のように身をかわして助かったことも史実である。
立憲問題時もゴネて辞表を提出したり病気と称して出仕を拒否したり、とやりたい放題だった。
その岩倉が肌を見せないのは右上腕部の肉が大きくえぐれていたからだ、という噂が当時囁かれたが、真実の程は伝わっていない。
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新撰組外伝 公家装束 Ⅰ
2015 JUL 25 6:06:25 am by 西 牟呂雄
「副長。又隊士がやられました。」
怒気を含んだ斎藤一が報告に来た。それを聞いた土方は『ケッ。』と舌打ちしながら立ち上がった。
「何番隊の野郎だ。」
「一番隊隊士。椎野剛之助です。」
「総司ー!何やってんだ。行くぞ。」
「あーハイハイ。」
「バカヤロー。ハイは一回でいい。」
「はーい。」
「縮めろ!」
「さ、行きましょう。椎野さんも気の毒に。」
土方にこんな口がきけるのは隊内でただ一人、沖田総司だけであった。黄昏時が過ぎた紫紺の空に月が輝いていた。場所は島原の先、屯所からは少し下った所との報告だった。
肩をいからせて進む土方の後ろを沖田・斎藤と監察の山崎進が付いていく。人通りは少ないというか誰ともすれ違わなかった。
壬生を下って島原まで当時は畑もあるような場所で、一同は提灯を持っていた。
「総司。椎野は何だ。女狂いか。」
「狂っちゃいませんがそこはそれ、誰だって行くでしょ。」
「お前は配下の隊士には好き勝手させてんのか。」
「やだなぁ。夕べはウチは非番ですよ。非番の時にどこにいるかはわからないでしょ。」
「・・・・。」
向こうから紫の公家装束の男が足元を男衆に照らさせながらスッと歩いてくる。この男、物凄く早足で提灯で足元を照らす者は小走りに走っていて、風のように一行とすれ違った。
土方は一瞥をくれた。真っ白に塗り眉を落とす公家化粧をグロテスクな物だとこの男は忌み嫌っていた。この若い公家は広い額、大きく切れ長の目、引き締まった口に紅をさし、いかつい顔だった。
「ごっさん(公家のこと)。御公家様。待たれよ。新撰組だ。」
「あい。」
「こんな時間にお一人か。その先で人が切られた。物騒ですよ。」
「おそろしき長(なが)刀(がたな)。壬生狼(みぶろ)か。」
「お名前は。」
「ホホッ。姉小路(あねのこうじ)綾麿。」
月に照らされた青い顔がうっすらとほほ笑むと踵を返して去って行った。
「なんだありゃ。薄気味悪りい。」
「歳さん。あいつ血の臭いがする。」
「血だぁ。」
「以前に人を切ったことがありますよ。ねぇ斎藤さん。」
「うむ。それに公家にしちゃやけに腰を落とした歩き方。剣を使うでしょう。」
「あんな女みたいなのがか。」
「土方さんは人切りばかり見てて遊郭にも足を運ばないからアノ手の殺気は分かんないんでしょう。」
「ウルセー!」
椎野の死体は綺麗なもので、胸の一突きで絶命していた。
「何流なんだ、この太刀筋は。」
「椎野の剣は刃こぼれしていますね。一か所だけですけど。これ陰流、いや新陰流じゃないかな。」
「だから一人でウロウロするなと言ったんだ。しょうがねぇ。」
「近藤さん。近頃隊士が切られる。この二月(ふたつき)で三人もやられた。」
「歳、たるんでるんじゃねえか。気組みが足らない奴に一人歩きさせるな。下手人は長州野郎か。」
「それが良く分からん。十津川だとか土佐だとか噂はあるんだが、さっぱり見えねえ。」
「切られるのは新撰組だけか。」
「そうなんだよ。佐々木さんの見廻組にも会津藩にもやられた奴はいねえ。」
「腕の立つやつに夜回りでもさせるべぇ。」
「沖田、永倉、斉藤あたりだな。」
「歳、お前もだ。」
「当たり前だよ。」
「おい、総司。何をゴロゴロしてるんだ。夜回りはいいのか。」
「歳さん、今晩は永倉さんが行きましたよ。」
「バカヤロー!副長と言え!」
「だけど毎晩行ってもしょうがないでしょう。いつも出るわけじゃないし。」
「だから毎晩行けと言ってるんだろうが。」
「副長。気が付いたんですけどね。切られるのはいつも一人。それも決まって晴れた戌の日の晩ですよ。」
「本当か。早く言え!」
「今気が付いたんですよ。」
「次の戌の日はいつだ。」
「あしたです。」
「よし。明晩一番隊を連れて巡察に出るぞ。」
「副長。ダメダメ。あいつは一人じゃないと出ませんよ。」
「アイツって誰だ。お前知ってんのか。」
「見当はつきますよ。あの若い公家、姉小路と言った。」
「バカ。見当違いも甚だしい。あんなのに新撰組が切られる訳がねぇ。」
「副長も都(みやこ)にうといな。ああいう筋の人達はねえ、そりゃ大体がナヨナヨして子供ができなかったり病気がちだったりしてますけど、血筋が絶えちゃマズいって本能が働いて何代かに一人くらい獣みたいなのが出るんですよ。」
「ゴタク並べてるんじゃねぇ。屋敷は調べたのか。御用改めで踏み込もう。」
「すぐそれだ。何の詮議だって踏み込むんですか。それに土方さんや近藤さんの剛剣じゃまともに立ち合わないでしょうね。」
「オレが敗けるとでも言うのか。」
「そうじゃないですよ。土方さんだったら向こうは抜かない。まさか公家さん相手にいきなり切り掛かるわけにもいかないでしょう。僕に任せておいて下さいよ。」
「勝手にしろ!」
つづく
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本能寺の変 以後
2015 JUN 28 14:14:27 pm by 西 牟呂雄
前回まで 本能寺の変 以前
毛利の前線をヒタ押しに押して膠着した羽柴軍の帷幄に一人の間諜が密かにやって来た。
「官兵衛殿にお目通りを。符牒は『藤の花落ちた』と。」
守りを固めていた雑兵はすぐさま馬廻りに伝え、侍大将に伝える。すると間髪を入れず黒田勢のいる所に召しだされた。間諜は密書を持っていた。
黒田官兵衛孝高は人を払って目を通すと息子の長政と後に黒田八虎と呼ばれるようになる井上之房、栗山利安、黒田一成、黒田利高、黒田利則、黒田直之、後藤基次、母里友信を招き入れた。この時すでに竹中半兵衛は亡い。
官兵衛は一同に無言で花押を見せた。それはまごうことなく明智光秀のものだった。
「やはり。」
「シッ。」
全員に目配せをすると夜を待った。
備中高松城、名将清水宗治は容易に落ちなず謀略にも応じない。ジリジリしているのはむしろ秀吉の方で、門前村から蛙ヶ鼻までの東南約4キロメートルにわたる堅固な長堤を造り、足守川の水を堰きとめ水攻めを始めたところだった。
ところが突如羽柴軍の官兵衛から安国寺恵瓊を通じ和睦の提案がなされた。
毛利は訝った。が、官兵衛の低姿勢に理由も良く分からないまま双方痛み分けで和睦し、堰きを放置したまま羽柴軍は撤退した。俗に言う『中国大返し』である。妙な事に千成瓢箪の馬印は見られなかった。
同じ頃、堺にいた徳川家康は『光秀謀反。信長討たれる』の報に接し、決死の伊賀越えを決断。急ぎ出立した。供廻は酒井忠次、本多忠勝、井伊直政、榊原康政の徳川四天王に服部半蔵以下の僅かの手勢である。
四條畷を抜け宇治田原、近江国甲賀を経由し伊賀の険しい加太峠を喘ぎながら通過しようとした時。
突如天地も裂けるような轟音とともに多数の火縄が発射された。家康と服部半蔵の二人を残して共廻りの者達は一発で頭部を打ち砕かれ即死した。
硝煙が流れていくと、抜刀して構える家康主従を火縄を構えた人数が囲んでいる。忍び装束だった。一同の銃は長い銃身の先に銃剣を装着している見たことも無い武装である。
「曲者!何奴じゃ。」
一人の男が前に進むとくぐもった声で答える。
「鉄砲名人、筧十蔵と根来三十三人衆。故あって御覚悟召されよ。」
家康はもはやこれまでと悟り腹を切ることにした。
「いずれの手のものか。真田か明智か。」
「冥途の土産に聞かせよう。黒田の旗下。」
「ムッそれは・・。筑前守の調略か。」
「さにあらず。羽柴殿も既にこの世にあらず。」
中国大返しで驚くべき機動力を発揮し羽柴軍が上京した.二条新御所(後の二条城)で明智光秀と対面したのは黒田官兵衛・長政親子と黒田八虎。光秀の左右には長曾我部・斎藤・明智左馬之助といった諸将が控える。官兵衛が口を開いた。
「まずはおめでとうございます。」
「恐れ入ります。官兵衛殿も首尾よく。」
「夜半に急をつげ、秀吉様と二人きりになった折に。」
「石田三成はいかに。」
「母里太兵衛の槍の錆と。」
「さすがは官兵衛殿。これで戦はもう終いじゃ。」
「あいや待たれよ。まだ織田の諸将がおりまする。」
「兵を握っているのは柴田殿か。」
「御明察。前田、丹羽はあえて弓は弾きますまい。滝川は手数無し。信雄(のぶかつ・次男)殿、三七信孝(のぶたか・三男)殿はお味方ならざれば捻り潰すのみ。かねての申し合わせにもう一芝居、すべて任されよ。」
「かたじけない。皆の者、再び戦支度じゃ。出陣じゃ。」
明智軍が慌ただしく北上して行くと、奇怪なことに今度は高々と千成瓢箪の馬印が翻っている。町方では『羽柴筑前が明智と手を結んだ。』と噂した。だが馬上の羽柴秀吉は無論影武者だったのだ。
明智勢が去った後の京では、御所の各門に黒装束に長鉄砲を持ちしかもその銃先に銃剣をを装着している異様な風袋の大軍勢が守りを固めているのである。黒田勢なのは明らかだが、どの兵も町方とは一言もことばを交わさないのだ。
と同時に約100家族と言われる藤原四家の流れを汲む堂上公家が次々に粛清されていく。京の街には『信長公の祟り』という噂が流れた。何者かの手の者が町に潜み、或いは商人に化けて触れ回っていたからだ。
ところが、明智軍は主君仇討の怒りをみなぎらせた柴田勝家と近江国伊香郡賤ヶ岳で激突し激戦の末たったの一日で敗れてしまう。信長の妹、お市の方は勝家に嫁しているのだ。
しかしながら迎え撃つ柴田軍は大将自ら猛烈な突撃を繰り返し、柴田勝家は討ち死にする。敗走する明智光秀と羽柴秀吉もこの戦で討ち死にと伝えられた。
全国にこれらの話が広がる最中、何と黒田父子と八虎は姿を消してしまった。天に消えたか地に潜ったか。御所にも二条城にもその姿は無い。実は討ち死にしたはずの光秀・秀吉であるが首も発見されない。
奇妙な平和が流れた。戦乱が無くなってしまったのだ。羽柴も徳川も明智も柴田もいなくなり黒田は消えた。足利幕府も京都にない。それどころか官位の授けられた公家もいない。この世から権力が無くなってしまったのだ。
前田・毛利・島津・伊達・上杉・北条といった大大名は唯一の権威である帝への上奏を嘆願しようとするのだが、帝へ上奏しようにも誰も御所に入ることもできない。第一上奏に至る手続きさえ知る者がいないのだ。それでいて御所の周りの守りは元黒田勢の黒装束部隊が固めている。やっと辿り着いた柴田残党が勢いを駆って京入りしようとし、猛烈な一斉射撃の前に全滅していた。
半年を経た頃に突如正親町天皇の勅令が出た。南光坊天海なる怪僧が現れ各大名に発令されたのだ。
「天下布武あまねく至れり。これを以って戦慎み、武装解くべし。もののふこぞりて朕がもとに参れ。金銀とらす。」
御首が伝えられた「大八島 みな同朋(はらから)と 思う世に など波風は うみを越えなん」
ここに戦国時代は終わりを告げたようであった。
各戦国大名は武装解除され、日本は天皇の下に国軍を擁する平和な歴史を歩むこととなる。天皇の信頼が厚い南光坊天海の正体は、第五皇子の誠仁親王とも黒田長政とも噂されたが一切は不明のままだった。
翌年。巨大なガレオン船サン・ファン・バウティスタ号が帆をはらませて太平洋を行く。イエズス会のヴァリニャーノ神父が囁いた。
「わがエスパニアのアメリカ領(メキシコ)の北にある広大なる無主の地こそ切り取り次第。雨少なく乾いた地。蛮族群れなすも御一同なればたやすき事。」
かたわらの官兵衛は満足そうに頷き、後ろに控える黒田八虎は鬨の声を上げた。
もう一艘、こちらはフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロが案内を務めて南に進む。官兵衛と計らい戦国の世を終わらせた明智光秀とその一統はこの後、高砂・呂宋を根拠地とした一大倭寇船団を率いることになる。
海洋大国日本の夜明けであり、その後の歴史は読者の良く知るところである。
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変節・寝返り列伝 日本史編
2015 JUN 16 23:23:32 pm by 西 牟呂雄
この世は欺瞞に満ちている。世間は嘘つきばかりでオレオレ詐欺が減った話は聞いたことがない。そのくせ裏切り者には世論は厳しい。そこからして既に怪しいと思わなければならない。我々はなんという難しい時代を生きているのだろう。
と思ったが、歴史を振り返ると昔から『それはないだろう。』という寝返りには事欠かない。本当ですよ。
まずは源頼朝。この人は偉大な行政官だったが戦争はあまり強くなくスタートからコケてばかり。平家をコテンコテンにやったのは従兄弟の木曽義仲や弟の義経だった。その義経が京の怪物、後白河法皇にチヤホヤされているのが気に入らない。義経の方も『これは兄貴が怒るだろうな。』くらい配慮すりゃいいものを、頭が悪いというか考えないというか。
結局頼朝は武功のあった弟を追放し、ついでに対抗勢力の奥州藤原も攻め滅ぼしてしまった。判官びいきという言葉の元になったくらいだから当時からも恨みは買ったことだろう。まさかの裏切りである。
時代が下って太平記の登場人物達。魔人後醍醐天皇を中心に足利尊氏・直義兄弟や高師直(これにも師泰というタチの悪い弟がいる)バサラ大名佐々木道誉といった奇人・怪人の濃いキャラが目白押し。彼らが自分の都合だけで嘘を塗り固め離合集散する様子は凄まじい。佐々木道誉に至っては、一体何がやりたかったのかさっぱりわからない。大河ドラマが何度か作品化したが、あまりのメチャクチャぶりにストーリー立てが難しくて、あまり数字が取れなかったらしい。評価は何とも言えないが、後醍醐天皇からすれば足利尊氏は大変な裏切り者だろう。要するに全員自分のことしか考えない人々の織り成すタケシの極道映画みたいなもん。楠正成だけマジメ。
そして戦国時代ともなれば下剋上。日本中で親子兄弟が争い主君殺しも横行する。寝返り・裏切り当たり前。武田信玄は父親追放、織田信長は弟や叔父達を皆殺し、上杉謙信は兄をやり、徳川家康は(信長に言われて)長男殺し。どいつもこいつも似たようなところ。
北条早雲・陶晴賢・斉藤道三みんなそう。司馬遼太郎氏の作品で皆ヒーローになったのだが。
しかし際立って見事な裏切り者を一人挙げるとすれば松永久秀ではないか。親分筋の三好一族に取り入り、その後離反してその合戦の際に東大寺を焼き、しまいには将軍足利義輝を殺し(ただ直接手を下したのは息子の久道)織田信長にヘイコラしてからも仇敵三好党と組んで反乱して負ける。なぜか死罪にもされず石山本願寺攻めに加わっていたが、これも離脱して信長に叛旗を翻えして最後爆死。それも茶器『平ぐも』を道連れにするために、だ。
寝返りもこうしょっちゅうでは目まぐるしくて良く分からない。何かに導かれるように裏切り続けるとは悪魔に魅入られたか。最後に死ぬときに西の空にほうき星が怪しく現れたというが、ハレー彗星でも来たのだろうか。
ところで、三好一統は剣豪将軍足利義輝を葬り去る前にも京都から追放したりして、エリアとしては畿内だけだろうがそれなりの政権を樹立していたのではなかろうか。時の正親町天皇にも接近したりして擬似幕府体制だったかもしれない、と仮説を立てている(僕が)。
外せないのは明智光秀。寝返り業界のスーパースターだが、あまりにも有名なので論評しない。
同じく関が原をぶち壊しにした小早川秀秋。一体何を吹き込まれていたのだろうか。一人だけじゃない。この時は他にも脇坂安治、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保。これらも小早川とともに一斉に寝返っている。
面白いが、この日本での戦国時代に対応して西欧でルネッサンス運動が起こっている。西欧ではキリスト教の宗教的権威の低下、日本では足利幕府の世俗的権威の喪失が、時期的にもそう違わずに起きたことを比較研究したのが故会田雄次氏の考察だったと記憶する。
その後の平和な江戸期になって、朱子学も採用され葉隠れ的な武士道というものが醸成されたのだが、それ以前の武士だろうが公家だろうが果たして寝返りがそんな悪徳だとはゼーンゼン思わなかったかもしれない。その代わり祟りや怨霊におびえただろうが。
ファンが多いので取り上げると怒られてしまうかもしれないが、維新の原動力となった薩摩藩も変節はしている。八月十八日の政変では会津藩と同盟し長州を追っ払った。孝明天皇の信任厚い会津中将松平容保と島津斉彬公の公武合体体制だった時点では、尊王攘夷一辺倒の長州とは一線を引いてむしろ対立。しかし、藩主が替わり藩論はグチャグチャに迷走してしまい西郷は遠島だ。尊皇攘夷自体は当の幕府だって口走る当時の常識だが、勝海舟の怪しげな動きや連動する坂本龍馬の斡旋により、遂に会津藩に一言の申し入れもなく薩長同盟が結ばれる。気の毒に対薩摩藩のリエゾン・オフィサーだった会津藩士秋月悌次郎は表舞台から消える。
この人は後年第五高等学校で漢文の教官をやっていた。
鹿児島で驚いたのだが、地元では薩英戦争はイギリス艦隊を追っ払った薩摩の勝ちなのだそうだ。いっそこうでなければ革命なんかできないということだろうか。
そしてその革命もしまいに気に入らなくなってちゃぶ台返しの西南戦争である。
その流れでいくと名前を挙げざるを得ないのが徳川慶喜。幕府歩兵隊を中心に会津藩・桑名藩・新撰組と1万5千人の兵力を持ちながら、しょっぱなにコケると1/3でしかない官軍にビビッて夜中に船で江戸に逃げだす。寝返りとは言えないかもしれないが、おかげで二本松・会津・長岡・米沢と散々な目に会ったのだからタチが悪い。大参謀西郷隆盛が勝海舟に丸め込まれて振り上げた拳の持って行き先が無くなったものだから、恭順しようが降伏しようがとにかく戦争に持ってかざるを得なかった。
話は変わって例の大戦の引き金になった3国同盟をやるのやらないのと議論がなされた時。海軍内部で検討された歴史的事例研究で国際条約を一方的に破った事例をカウントしてみると、1位がドイツで2位はロシア(旧ソ連含む)だったそうである、どうやって数えたか知らないが。もっともドイツに統一される前は神聖ローマ帝国内にナントカ公国が乱立していたから数字的に多くなったのかも知れない。そのドイツがソ連に雪崩れ込み、ソ連は原爆が落とされてから日本に・・・。
こうなってはスケールが大き過ぎて裏切りというか寝返りというか。北方領土は返して欲しい。
もう少し現代では小沢一郎かな。懐刀と言われた側近が、ある日突然連絡できなくなり携帯にも出なくなる。しばらくすると『もうアレはダメ。』とか言っているという噂が聞こえてきてパァ。すると突然思いも寄らない所と手を組んで現れ、そっちで初めだけ『一兵卒になって云々。』と言う。
創生会・新進党・自由党・合同した民主党・未来の党・生活の党、もう順番が分からない、今じゃ『山本太郎となかまたち』寝返りにもならなくなった。
S氏!古い友人である。
今から半世紀前のこと。都内某所でかわいらしい小学生がモノポリーに興じていた。何れにせよ基本サイコロの目が大きく左右するのだが、某小学校のルールは違った。談合が始まるのだ。
得点の高いボードウォークを制したものが圧倒的に有利。そこでボードウォークを握った者にスリ寄るかそれ以外の者でスクラムを組むか、ガキは必死に戦略を練った。しかも恐怖のカード『ボードウォークへ行け』があるので読みが難しい。次々と脱落する中で不死身のS氏はしぶとくも生き残る。そして詰めの段階で恐怖の『寝返り』が出るのだ。普通の小学生なら大ゲンカなのだがS氏は平然と『公文書がない。』と言い放った。不思議なものでその場にいたバカ小学生達は、その後『公文書』なるものを作ることに熱中した。
やはり寝返られるのは楽しくはない!
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平成亜空間戦争 Ⅱ
2015 APR 29 7:07:29 am by 西 牟呂雄
前回のいきさつ 平成亜空間戦争
ついにヤマト亜空間の関ヶ原が始まろうとしている。煉獄界の怨念パワーが全体的に落ちて来たのだ。これは地上の『ニッポン』と言われているエリアの平和が長く続き過ぎて、亜空間入りする怨霊が減ってきていることによるものらしい。ニホンジン全体が地球温暖化に合わせて『いい人』だらけになり、又長寿化によって昔であれば恨みつらみで悶死したような人が痴呆によって桃源郷に遊ぶような気持ちのまま亡くなるようになったからとも考えられる。
亜空間の怨霊は憎しみのマイナス・パワーを発揮、敵を飲み込むことによってのみ成立しているところがあって、上述の理由により歯ごたえのあるニュー・カマーが来ないと亜空間自体が密度が薄くなってしまうのだ。怨念は怨念を、憎しみは憎しみを呼ばなければならない。
ヤマト亜空間のカントウを支配していた平将門はついにキレた。
「おのれ不甲斐ないニホンジン共め。長い間地縛霊として君臨しているワシを何だと思っている!こうなったら亜空間革命を起こし一人でヤマトを治めて見せてやる。大塔宮!ここへ!」
この怨霊は首と胴が離れているため、喋る首を、首のない胴体が脇に抱えたり両の手で高く差し上げながら怒鳴り散らした。
大塔宮とは鎌倉で幽閉の後、皇族には珍しく斬首された護良親王のことで、将門と同じく首と胴は別々だ。将門との怨念比べに負けて以来副官となっていた。皇族なので敬語は使わない。
「あいや将門。退屈至極。して怨敵は。」
「知れたこと。キョウトで長年えばりちらしている宮の父君。帝の後醍醐天皇。あの異形の怨霊の霊気を吸い込んでくれる。」
「良き哉、良き哉。進んで戦おう。北の守り安んじ給え。」
「アテルイのことか。よし、エゾチのシャクシャインを使って釘づけにする。先ずは宮より怨霊ビーム送られよ。」
「ホホホホ。」
宮は腰を上げ、宝刀を掴むやいなや裂迫の気迫と共にキョウトに向けて投げ放った。
史上最強の怨霊後醍醐天皇もまた無聊を囲っていた。元々滅多に喋らない。声を出すと口から火炎を吐いてしまい、その度に回りのチンピラ怨霊が焼かれて天国に行ってしまうからだ。
天皇はフッと気配を感じ東を向いて立ち上がり異様な気配を発揮し始めると、突然『シャアアアア』と炎を吹き出した。そのエネルギーに押されたのか、キョウトに向かってくる飛翔体が発火し勢いを弱めて落下し後醍醐天皇の足元にドスーンと突き刺さった。それを見た途端にみるみる怒気をはらむと、何と目から炎が上がっているではないか。側近の石田三成を下がらせて大音声を放った。
「かの宝剣は朕が皇子、大塔宮の愛刀。何をかいわんや。」
天皇の口からは大火炎が舞い上がった。
たちまち中国皇帝のようないでたちに変身すると金剛杵(ヴァージラ、密教の武具)を掴み注意深く振り返り側近達がいるかどうか見た。少し離れて石川五右衛門と石田三成がいるのを確認するや、遥か虚空に向けて飛翔しはじめた。ゴーッと風を起こしながらである。余程の怒りなのか火炎を吹き続けているので軌跡が飛行機雲のようにたなびいていた。続いて石川五右衛門が姿を消した。
地上界で関が原と言われる上空を飛翔していた後醍醐天皇は、突如強い霊力によりスピードが落ちるのを感じた。強力バリアーの結界が張られているのだ。亜空間には引力がないため地上に降り立つようにはならないが、移動を止めて霊力の発せられている東側を見据えた。
すると、二つの怨霊が見据えているではないか。両方ともクビが無く、恐ろしいことに両手で自分の首を捧げ持っていた。後醍醐天皇ははばからずに向かって右側の怨霊に言い放った。
「朕が皇子なる大塔宮よ。なにゆえ朕に逆らう。朕改めてひんがしを治めんと欲す。」
宮の首は通る笑い声を上げた。
「ホーホッホッホ。仕えたるは帝(みかど)に非ず。桓武天皇五世の孫、平(へい)新皇なり。」
「シャーアー!」
後醍醐天皇が口から大火炎を吐いた。火はまるで龍が飛ぶように行き、大塔宮を包み込みそうになったが、その刹那。大きなモーションで手にしていた首を天高く投げ上げた。首は正面の後醍醐天皇を見据えつつ高空に上がった後急降下し、後醍醐天皇の吐いている火炎をらせん状に回転しながら迫る、大火炎が消えた。
親子が対峙しているすぐ近くでは平将門がいかなる妖術を使ったのか、大釜を出現させると満々とたたえたお湯が沸騰している。
「五右衛門。前の時は油茹でだったが今度は熱湯にて煮しめてくれる。もっと苦しいぞ!フハハハハハ。」
ひび割れたような声だが良く通る、五右衛門は怯んだ。
しかしニヤリと笑うと自らザンブと飛び込んでみせ、前世にて一緒に茹で殺された子供を両の手で高く差し上げ言い放った。
「平新皇!今のワシには溶けた鋼鉄でも茹で殺すことはできまいぞ。」
一方後醍醐天皇は宮の首が周りをブンブン飛び回る中、右手にヴァージラを握り締めると大きく飛翔し頭の無い宮の首の付け根に振り下ろした。ところがいつの間にか宝剣を手にしていた宮はこれをガッと受け止めて払った。
すると後醍醐天皇は見る々々巨大化し、尚且つその姿は骸骨となっていくのだ。雷声がとどろいた。
「真言密教立川流の奥義! 朕がまことの姿髑髏本尊なるぞ。」
真言密教立川流とは奇怪な教義のセックス礼賛教団で、後醍醐天皇は怪僧文観和尚よりその奥義を授けられた。
将門は巨大骸骨化した後醍醐天皇を見上げて不適に笑うとドーンという音を立てて同じように巨大化し、まず足元の五右衛門を釜ごと蹴飛ばした。
「帝!もうそろそろ天界で安んじられよ。とは言え極楽往生はその異形では到底望めぬ。閻魔大王にでも頼まれるべし。」
巨大骸骨と化した後もヴァージラを握り締め将門と対峙する。
と、その時。一瞬轟音とも雷鳴ともつかない大音響とともに南から光線が指し込んだ。
凄まじい怨念ビームであった。髑髏本尊も巨大将門も元の姿に戻り、五右衛門を茹でていた大釜も消えた。
「帝も平新皇も各々収められよ。」
九州大宰府にいるはずの菅原道真公の声が聞こえる。150年振りの怨念の大爆発であった。
亜空間は最初から歪んでいるので、長距離になると怨霊ビームは曲線を描くことが可能だったため、大宰府から孤を描いて関ヶ原の南から攻撃できた。
しかも後醍醐天皇陵は吉野にあって北を向いているため、南への防御は弱かったのだ。
亜空間の戦いはマイナスエネルギーのぶつけ合いなので、地上界に猛烈な低気圧や地震を引き起こし、災害を起こす。菅原道真は見かねて終結に動いたのだ。
加えてキョウトで留守を守っていた石田三成が裏切ったという情報が入り、一方のカントウではオレオレ詐欺に引っかかって悶死した怨霊が大量に亜空間に参入していた。長くフランチャイズを空けると、勝手にトーナメントが始まり勝ち残った怨霊が強大化してしまう。仕方なく両方とも関ヶ原から陣を引ざるを得なかった。
しかし、怨霊が人間界の心配するのだろうか。
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国松公 異聞 求厭(ぐえん)上人
2015 JAN 27 19:19:11 pm by 西 牟呂雄
延宝(えんぽう 1680年頃)の江戸、五月晴れの日であった。
芝増上寺の高僧、求厭上人に尋ね人が来た。門前の警護に当たる寺侍は一目で分かる武士の貫禄に気圧され、まだ幼い子供の高貴な凛々しさにも目を見張った。二人は「樹下(じゅげ)秀忠とその息子藤丸」と名乗った。
奥の庫裏に通され,しばらく待つと僧衣の求厭上人がやってきて樹下秀忠と対面する。求厭はその顔をみて『ホッ。』とかすかに驚いた、瓜二つの面立ちなのである。年は少し上の大柄な老武士だった。派手さは微塵もない。
「樹下殿と申されるか。」
「いかにも。」
互いに見つめ合い静寂の時が流れた。
沈黙の内に室内にも関わらずどこからとも無く霧状の雰囲気が漂い始めて、求厭上人は視界が悪くなるような錯覚を覚えた。そして樹下親子の背後に黒い何か影のような物が浮かび上がりそれが段々と人の形を成していく。既に悟入十分の求厭と雖もさすがに驚いた。二人は忍び装束だった。
「御上人。これなるは大阪で討ち死にした真田幸村の遺臣の猿飛佐助に霧隠才蔵。共に二代目ではあるが。」
「何と!」
「お主の隠し姓を存じておる。ワシが誰か分かるか。」
「ムッ。そのお顔立ち。」
「ワシの樹下とはすなわち『きのした』。」
「まっ・・・・。まさか!兄上でおられまするか!国松様でおられるのですか!」
あたりを憚ってか小声で言ったつもりだが裏返っていた。求厭は白昼に妖怪変化を見たような表情で我に返り居住まいを正し、頭を畳にこすりつけるように挨拶し直した。
「初めて逢うた気がしない。互いに苦労した。真田十勇士も残るはこの二代目が二人のみとなり、浪々の身であった。」
「ご身分をお隠しなされての今日まで・・・。世が世であれば天下人の兄上が。」
「お互いに。しかしその苦労もこれまでじゃ。ようやく長年の恨みを晴らし」
「あいや、お声が大きい!本山は徳川家の菩提寺。」
求厭上人が声を励ましてを制すると、秀忠は『フフフ。』と笑った。
霧隠才蔵がスッと立ち上がり庫裏の障子を開けると冷気とともに濃い霧がたちこめていた。
「一山全て霧の中でござる。霧隠れの術の内、忍法『霧幕(むばく)』。」
「しかし人に聞かれては。」
今度は佐助が呟く。
「我等以外、当寺の境内の時を止めてござる。不動金縛りの術の内、忍法『猿止(えんし)』。動く者あらず、鳥も虫もまた飛ばず。」
「求厭よ。先日、慶安の変(*筆者注 軍学者由比正雪が槍術家丸橋忠也等と起こそうとした幕府転覆計画、発覚して阻止された)の際、由井正雪を操ったのはこの者達。」
「あれは・・・兄上の・・・兄上は幕府転覆を・・・・。」
「さにあらず、謀りごとはこれからなり。その折りにこの佐助と才蔵は徳川頼宣公と見知り合い、江戸紀州藩邸には出入り自由となっている。」
(*筆者注 慶安の変には紀州家徳川頼宜がバックにいたと疑われ、10年江戸に留め置かれ紀州入りできなかったのは事実だが真偽不明)
「身分を偽ってでしょうか。」
「佐助。」
「御上人。我等は何人(びと)にでも替われまする。」
「江戸藩邸には現藩主徳川光貞公の庶子、四男新之助殿あり。只今疱瘡を病んでおられるそうな。」
「・・・・。」
「わが子藤丸とその新之助殿は年回りもさしてたがわず。」
「そっ・・それは。しかし庶子の四男の行く末とて・・・」
「その新之助殿が徳川将軍になるのだ。」
「まさか!」
もはや求厭は蒼白となっていた。そこからは才蔵がささやいた。
「我等が授かりし秘術を使い、成就の暁には我等は果てまする。」
「のう、救厭。我等は大阪より下りし折りには初めは女中衆と真田十勇士のうち七人と共に落ちた。真田十勇士の内、幸村様と最後を共にすることを許されたのは青海入道・穴山小助・海野六郎の三人のみ。由利鎌之介は宮本武蔵と立ち会って敗れ、根津甚八は力尽きた。更に残党狩り服部半蔵の伊賀十三人衆を引き受けて伊佐入道を失った。」
「残り四人。」
「浪々の末に落ち着いた山郷では暫く百姓とも交われぬ。夜な夜な褥を共にした女中頭白梅があろうことか懐妊。」
「それは和子なるや、姫なるや。」
「おの子なり。致し方なく望月六郎と筧十蔵に女中を二人つけて九州に逃した。鹿児島に落ちてただ今は日田に落ち着きやはり樹下を名乗っておる。残った女中と先代の佐助・才蔵が子をもうけたのがこの二人。二人は『不動金縛りの術』『霧隠の術』を徹底的に仕込まれ今日に至っておる。ひたすら豊臣の再興を願って耐えた。儂が無聊にまかせて近隣の百姓娘を夜伽に参らせたところ、この藤丸が生まれた。これこそ天の時と心得し。」
「しっしかし、藤丸様が将軍に御成り遊ばした後は。」
「徳川御三家なら心配いらん。御三家に替わる藤丸の血筋が連枝として残る。従三位なる御三卿なり。以後幕府は豊臣の血筋のみと成りおおせる。フッフッフッフッフ。」
つられて佐助も才蔵も不気味な笑いを漏らしていた。
「フフフフフフ。」「フッフッッフッフ。」
聞きながら求厭上人は気を失った。
「御上人様。お茶で御座います。」
「ホッ。」
庫裡の障子が開け放たれたままなので、小坊主がお茶を三つ持って来たが入りかねて、声を掛けた。明るい陽光が入っていた室内には上人一人が放心していた。
「上人様、お客人はいずこに。」
「アッいや、・・・・既にお帰りか・・・・。いすれにせよお茶はもう良い。」
おしまい
求厭上人は実在の名僧で増上寺の後山城国伏見に至り、同地で没した。臨終の際に廻りの者に、姓は豊臣であり秀頼の次男だと告白した記録が残っている。
樹下家は日田に実在し、吉宗も秀吉の末裔という噂を聞きつけ樹下民部と会見している。その後大江戸総鎮守、日枝神社の宮司となる血統が残っている。
徳川新之助とは後の徳川吉宗である。御三卿は清水・田安・一橋で、吉宗以降将軍職はほとんどが紀州系と一橋家(養子は含むが)から出ている。
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国松公 異聞 宮本武蔵
2015 JAN 25 14:14:04 pm by 西 牟呂雄
少年に女五人、心細げな逃避行が続く。由利鎌之介・筧十蔵と名乗った二人は街道筋では姿を消していたが、山中での道案内にはどこからとも無く陽炎のように現れ、一度は野盗を退け、更には徳川の追手と思しき落ち武者狩りの侍を撃退していた。
怪しげな者が舌なめずりをするように威嚇をすると、ダーン、という鉄砲音がして先頭の一人の頭が砕ける。驚く間に忍び装束の男がスッと現れもう一発撃つ。二人目の首が吹っ飛ぶ。
「鉄砲名人、筧十蔵。」
の声が聞こえた。賊が怯む内に煙が晴れると(火縄は物凄い硝煙が出る、たった二発でだ。)分銅を回す姿が現れ、一閃で三人目の者の顔面を砕く。素早く引き寄せまた以前より大きく分銅を回しながら言う。
「鎖鎌、由利鎌之介。」
その時点で野伏り共は逃げ散った。
一行が深編み笠を被った野武士と何事も無くすれ違った。その男、全く興味を示さず先を急いで行った。街道が大きく曲がり互いの姿が見えなくなった時、野武士にどこからともなく声が掛かった。
「あいや新免殿。いや、作州浪人宮本武蔵と見た。」
野武士は気配を察知してじっと踏みとどまった。
木陰から忍び装束の男がボウッと浮かび上がった。
「宍戸梅軒を倒し兵法日本一とは片腹痛い。梅軒は未だに名人に至らず。遺恨は無いが尋常に勝負いざ!」
言うが早いか鎖分銅を回し出した。武蔵は自然体のまま振り返る。いきなり『ハァッ』の気合もろとも武蔵の頭部を狙った。が、一瞬の見切りでかわしたが深編み笠は裂け飛んだ。同時にスラリと大刀を構えた。
鎌之介は素早く分銅を手繰り寄せると先ほどより鎖を長めに持ち替え又回す。にらみ合いが続く。
武蔵がスッと上段に構えようと剣先をそらせた刹那、横殴りのように分銅が飛んできた。武蔵は反射的に刀を払ってこれを受けた。ガッと火の出るような音で分銅が刀に絡みつく。鎌之介が渾身の力で引き寄せようとしたが、武蔵も超人的な金剛力でビクともしない。鎌之介は左手の鎌を握りしめ直した。
「梅軒の鎖鎌と違う。何者だ。」
「真田の遺臣。十勇士の七、由利鎌之介。」
「いかにも!」
言うが早いか武蔵は鎖を巻き付けたままで突進し大刀を突きかけた。
鎌之介は両の手に鎖をたぐり受けようとする。武蔵は体当たりの勢いで搦め手(右手)片手面のように躍りかかって刀をあずけ、鎌之介が辛くも体を捻りながら二人が交差したかに見えた。かすかにドンッと音がしたがしばらく二人とも動きが止まり、何かの手応えが見て取れたが。
ドサッと倒れたのは由利鎌之介だった。荒い息がまだある。武蔵の左手には小刀があり、鎌之助の胸に深々と突き立てられていた。
「由利鎌之介破れたり。死にあたって二天一流の極意を知らしむ。我が利き腕は弓手(ゆんで、左手の意)なり。」
大津港に国松・女五人、武者装束二人、巨漢の僧形一人、忍び装束三人が揃った。男達は片膝座りに右の拳を地面に突き立て頭を下げている。初めて見る顔が二人。その内小柄な武者装束が語った。
「拙者は真田の遺臣、十勇士の一、猿飛佐助。国松様にはお初のお目通りでござる。既に十勇士の三・三好兄弟の兄、清海入道、五・穴山小助、九・海野六郎どもは大阪城を枕に討ち死にいたし、お目通り叶いませなんだ。又、由利鎌之介は途中兵法者との果し合いで亡き者になり申しましてござる。ここにもう一人。」
「十勇士の八、根津甚八にござる。」
「これよりはこの甚八の手引きにて近江を水行して落ちて頂きまする。我等は先に廻り、徳川から逃れられる隠里を探索いたしまする。」
国松が久しぶりに口を開いた。
「佐助。豊臣再興は成るのか。」
「我らが命に代えましても。」
一行を乗せ帆を張った丸子船が風を受けて滑るように湖上を進む。古来より水上は徴税対象ではなく無主の独立エリアとされた。この当時は江戸期の海上廻船はまだなかったため、淡海(琵琶湖)は越の国から京阪地区の物流の要であった。いわゆる湖賊のはびこる所以である。織豊時代となり湖上の管理に力が入れられたものの、幾つもある隠し浦から出没する略奪者は後を絶たない。
この時も櫓漕ぎの船が一団、丸子船を目指して寄せて来るのが見て取れた。根津甚八は遠目にその船団を認めて呟いた。
「堅田(かただ)衆か。」
堅田の湖賊船団だった。
女中頭の白梅は不安そうに聞いた。
「根津様。見れば15~6艘は寄せてまいります。」
甚八は舵を取る手を止め、帆を緩めて風に這わせて船を漂わせた。船団の船足は速い。火矢を放つのであろう、赤い炎のような光がチラチラした。そして暫く九字を切ると刀を抜き『御免!』と言うやいなや湖水の飛び込んだ。水音がして波紋が広がった。
しばらくは何事も起こらず、寄せ手ての歓声が次第ワァワァと聞こえるまでになった。
と、その時音も無く湖面が裂け次々と堅田の船団が吸い込まれて行くではないか。
「あれっ!」「あぁ!」
女中達が慄く。一瞬の出来事だった。後には静けさが残るのみである。不思議なことにあれだけの後にウネリひとつ起こらないのであった。
風の音のみになった時、ザバと水中から人影が飛び出し船の舳先にフワリと立つ。
「水遁の術の内、忍法『呑龍』。」
こう告げると何事も無かったように再び帆を張って舵を固定した。
船は滑るようにスーッと進みだした。しかし甚八は国松や白梅の呼びかけには何故か返事もせず、行く末の一点を凝視したままであった。
やがて北岸の塩津浜に近づくと、霧が立ち込めだした。女中の一人が漏らした。
「もしや、霧隠殿がおいでになるのやも。」
果たして霧の中に浜が見えると、人形に黒い影が舳先に現れた。才蔵が立っていた。
素早く懐中から縄をだして舫うと、砂に乗り上げる前に反転させ、浜に向けて降板を渡した。
「御一行、船から下りられませ。」
国松の手を引きながら才蔵が浜に降り立つと、白梅以下女中達も裾を濡らしながらついてきた。一人甚八は微動だにしない。才蔵が先に案内しようとするのをさすがに見咎めた白梅が聞いた。
「霧隠殿、根津様が未だ・・・。」
才蔵は振り返り、
「甚八は既に果てております。『呑龍の術』を使ったのでしょうや。一世一代の秘術でござる。水に没するのは甚八が本望。一同ご案じ召されるな。」
と言いつつ丸木船を大力で押し戻した。船はユラユラと霧の湖面に消えていった。一行も霧の中に消えて行く。
つづく
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国松公異聞 大阪落城
2015 JAN 24 10:10:02 am by 西 牟呂雄
大阪夏の陣総攻めの前夜、秘かに本丸から数人の人影が城を落ちていった。徳川軍の誰もが殺気立っており、丸裸にした大阪城の残る支城に狙いをつけているスキをついて、ゆっくりと声も出さずに城外にまでたどり着くと、武者が葛籠(つづら)のような大荷物を肩から降ろし小声で諭した。侍の名は田中六郎左衛門、蓋を払うと小柄な少年が出てきた。影が七つ、気配を消して寄り添うに進んでいることに気付いた者はいない。
更に、行く手に居た多少の雑兵が声を出す間もなく屠られていた。
『若様、拙者はこれまで。若君のお顔は敵方の誰にも知られておりませぬ。時を待つこと幾星霜、必ずや天下に亡き秀頼公のお恨みを晴らさざるべからず。拙者はこれより若君の身代わりを連れ京に姿を消しまする。後のことは全て『闇』が手筈を整えて御座ります。暫くの後、若様と称する者と拙者が京にて晒されること相成りましょう、御覚悟あるべし。では、これにて御免。』
少年のくっきりした目鼻立ちが強い意志を感じさせた。田中六郎左衛門が去った後は若狭京極家から遣わされてきていた女中衆が四人、心細げに佇むだけであった。誰も行き先を知らず、さりとて足は進まず立ち尽くしていた。徳川の武者達の歓声が遠くで聞こえる。女中の一人は思わず声を立てそうになったその時、漆黒の闇に濃い霧が立ち込めだした。
「若君、お女中、声のする方に進まれよ。」
男の声がした。柔らかく澄んだ高い声だった。女たちは小声をあげて怯んだ。声は続ける。
「さっ若君。進まなければ道は開けず。留まる事死ぬるに近し。徳川の追手も来ますれば。」
少年がおもむろに振り返って命じた。物事がやっとわかるか、というか細い声ではあった。
「導かれるしかあるまい。六郎左衛門はもう消えた。」
一行は足元を確かめつつソロソロと進んだ。霧は一行を包むようにその濃さを増していく。
もう何時歩いたことだろう。何やら山道に迷い込んだように周りに笹を踏み分けるような場所まで至った。せせらぎも聞こえて来た。すると心持ち霧が晴れていく。漆黒の闇の夜目にうっすらと人影のような凝ったシルエットが見えてきて、一同ハッとして立ち止まった。例の声が聞こえてきた。
「若君、お女中。拙者は真田家中、十勇士の二、霧隠才蔵でござる。ここまでご案内申し付かりました。」
表情までは分からなかったが、総髪の痩身の侍が足元の霧の上に浮いているように立っていた。
「あそこに粗末な小屋がしつらえてござる。ご一同暫くのお休みをされましょうぞ。お女中、憚りあれど帯を解きなるべく若君をお体でお包みなされませ、夜霧は体に障りますゆえ。ささっ。」
一行は促されるままに粗末な野良小屋に導かれると、なかには干し藁が敷き詰められているだけのあばら家であった。女中たちは多少恥らったが、筆頭格の白梅が思い切りよく帯を緩め襦袢姿になり、着物を敷いて『若君これへ。』と促すと少年の衣服も解いていった。他の女中衆も帯を解きだして、少年を抱きかかえるようにしている白梅の周りに身を寄せた。疲れきった一行はすぐに眠りについた。
しかし互いにその身が触れ合い纏う襦袢が乱れだすと、母の肌が恋しい少年は白梅の体をさぐり、女中達も深い官能の夢に落ちていく。いつしか汗ばむほどの熱気があばら家に漂っていく。すると屋上にあって廻りに気を配りつつ九字を切っていた先ほどの霧隠才蔵は満足そうに呟いた。
「霧隠れの術の内、忍法『霧艶(むえん)』。」
朝が明けてきた。少年がまず目覚め、半裸の白梅以下女中衆の寝乱れた姿に目を丸くした。同時に気配を感じたか白梅が『ハッ』と瞼を開け、他の女中衆も起きて身だしなみを整えた。戸を開けて外をそっと伺うと『きゃあ』と思わず声が出た。見上げるような大男が金剛杖を地に突き立てて仁王立ちしており、傍らに忍び装束の者が控えていた。
「お女中、声を立てられるな。拙僧は真田が遺臣、十勇士の四、伊佐入道と申す。」
低く通る声だった。
「それがしは同じく十勇士の六、望月六郎と申しまする。」
こちらはくぐもった声。
「もし、昨晩の霧隠様は。」
白梅が聞く間に一同が這い出すように出てきた。
「才蔵は既に次の地へと飛びましてござる。それより若君、とうとう今朝から大阪総攻めが始まりました。一刻も早く摂津を抜けなければお命が危のうごじゃります。野伏せり野盗のはびこる前にご出立願います。まずは、僅かながらの握り飯と清水を。」
と、一行をあばら家の前の沢を少し登った平地まで連れて行った。
毛氈をしいて食いだしてすぐ,ざわめきが近づいてきた。握り飯を取り落とし腰を上げた女たちを制し伊佐入道が立ち上がって傍らに目配せする。追手が迫ったようだった。少年と女中衆はひたすら伏せた。
望月六郎が『ご免』と女中衆の小袖を掴むやトットットとあばら家に向かう。何と遠目には泣き声と共に女があばら家に逃げ込んでいるように見えるのだ。
『そりゃ、女があそこに逃げ込んだぞぃ。』『身に着けたお宝は切り取り次第』『はぎとりゃ中身もいただきじゃ』下卑た歓声とともに武具をガチャガチャさせながらあばら家に殺到した、その数2~30人もいたろうか。
ダーンと轟音がした。続けてもう二回。その後バチバチバチとの破裂音。
その後すぐに火の手が上がった。女達は『ヒーッ』と声を出すが大音響にかき消される。寄せ手の野盗と思われる集団は吹っ飛び、火を浴び、炎に包まれ焼けただれた。
人型の炎の塊が歩いてくる。女達は更に悲鳴を上げたが、その塊が右手を一閃すると火が消え、望月六郎の姿があった。
「火遁の術の内、忍法『火龍』。」
そのまま進んできた。
今度は後の藪から鎧宛の音をさせながら雑兵風情が数名忍び寄る、恐らく先ほどの大爆発音を聞きつけたのであろう。抜き身の刀を持ちガサガサと降りてくる。『あやしげな、ぬし等、豊臣の残党かァ。』等と喚き立てる。
伊佐入道はギョロ目をむいて振り返ると、物も言わずに手にした金剛杖を一閃した。女子供ならば両の手でも掴みきれない鉄(かね)を打った業物を軽々と音もさせずに振りぬくと、ボクッと小さな音がして先頭の者の首が見事にもげて飛んで行った。足軽共、何が起こったのか『エッ』という感じで首が飛んでいくほうを見た。更に一歩踏み出し『喝!』の音声とともに金剛杖を突きたてる。すると今度はゴウッ!と音を立てて地が裂けた。雑兵共が地中に飲み込まれ、再び轟音とともに地割れは閉じる。
「土遁の術の内、忍法『地割』。」
振り返り伊佐入道は告げた。
「御一同、先を急がれよ。あれなる者がご案内つかまつる。」
金剛杖の指す先、初め黒い影が漂い次第に忍び装束の男が二人音も無く姿を現した。
「真田の遺臣、十勇士の八、由利鎌之介。」
「同じく十勇士の十、筧十蔵。」
一行は辛くも京の町をかわし、大津までやってきた。そして京にて落ち延びてきた豊臣国松と田中六郎左衛門がさらし首になったという話しを聞いた。
本物の豊臣秀頼の子供国松こそ、一行が若君と呼ぶこの少年なのだった。
つづく
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フ(ホ)ァン・チン 名前考 黄金
2014 MAY 25 11:11:24 am by 西 牟呂雄
黄金を中国語で読むとファン・チン、大和言葉ではコガネ、満州語ではアイ・シン。清のラスト・エンペラー愛新覚羅溥儀(アイシン・ギョオロ・プーイー)のアイシンですね、黄金を名前にして当て字をしたようです。司馬遼太郎氏の考察によると、この黄金の筋目が南下して半島での金(キム)姓の多さになったかも知れない、となるそうですが。あのあたりは女真族や契丹族が、古くは渤海国・遼といった国を建てて、その後にその名も金が建国されていますね。日本にも金姓はあってコンと読ませます。東北に多く、今東光・日出海の今兄弟の家もかつては金だったはずで、いつ頃からか今になりました。二人は津軽出身です。義経伝説の金売り吉次の流れでしょうか。或いは遠い昔の環日本海経済圏のなごりでしょうか、東北に渡ってきたのかも知れません。その後この勢力は勢い余って『刀伊の入寇』として壱岐・対馬になだれ込んだこともあります。
ずばり黄金さんという人もいて、こちらは岡山の苗字のようです。想像ですが、小金沢、小金井さんあたりも元をたどれば黄金沢、黄金井さんだったのではないでしょうか。
中国本土では金姓は少ないが、台湾出身の金美麗(チン・メイリン)さん、彼女は本省人ですが地元の高砂系ではないと思われるので、福建省くらいから先祖が来たのかも知れません。
又、黄姓も中国・韓国ともにポピュラーな苗字なのでズバリ『黄金』というフルネームの人もいないとも限らない。
欧米ではどうかと思っていたら、女子フィギア・スケートのアメリカ代表にグレーシー・ゴールド選手がいます。どうもゴールドさんという人は少なからず居るようで、ゴールドナントカという一連の苗字はユダヤ系と言われていますが、なかなか魅力的な名前ですね。イエローゴールドさんという人がいるかどうかは寡聞にして知りません。
フアースト・ネームの方では何と言っても『金太郎』坂田公時(金時とも)。そのものですね。源頼光の四天王として大江山の酒呑童子や土蜘蛛退治に活躍しています。この金太郎という語感は格別で、銀太郎という人もいるのでしょうが、やはり銀次郎になるのが不思議と自然です。息子が金平(キンピラ!)となっていますが江戸期の創作です。
話しは逸れますが、四天王は他に剛力の渡辺綱、碓井貞光、卜部季武と続くのですが、一方の酒呑童子にもちゃんと四天王がいて、熊童子、虎熊童子、星熊童子そして金熊童子。ちゃんと金が入ってます。
続いて「金さん」遠山景本。こちらは彫り物奉行でお馴染み、金四郎さんです。
しかし、衝撃的だったのは百歳の双子キンさんギンさんでしたね。どことなくホンワカした二人はCMに出てブレイクした人気者でしたが、私はこの二人が男だったらどんな名前になっただろうかと考えました。金男・銀男とかいった名前をつけられたらイジメにあったかな、弟は鉄男だったろうな、等と下らないことを考えたものです。
名前考つづく
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