Sonar Members Club No.36

カテゴリー: 古典

劇団俳小の「子供の時間」

2015 MAR 24 19:19:18 pm by 西 牟呂雄

 早野さんが出演した「子供の時間」を観劇してきました。リリアン・ヘルマンの原作で、オードリ・ヘップバーンの映画「噂の二人」にもなった作品です。
 病的な嘘つきの少女が他の生徒を支配して人間関係をメチャクチャにした挙句、女性の先生二人がレズビアン関係だとの噂を撒き散らし、一人を自殺にもう一人を婚約破棄に追い込んでいく。昨今もありそうなテーマのお芝居でした。
 見所は自殺してしまう女性は苦しんでいるうちに自分はそういった恋愛感情を持っていたのではないか、と思い詰めていく所でした。まるで冤罪の被害者が自白に至るような緊張したやりとりが続くのです、これ結構怖い。閉鎖された小社会のヒステリーが極限を越えてしまう。
 早野さんはちょっと小意地の悪い自殺してしまう先生のおばの役で(ご本人はやさしい方です、念の為)さすがに華がありました。黒テント出身の新井さんという方も凄い存在感。
 私は見ていて婚約破棄に追い込まれる女性の相手であるジョーという役が気の毒で気の毒で。

 ところでこの原作はスコットランドで実際に起きた裁判沙汰がベースとなっています。古い翻訳を元に台本ができているらしく、途中からは台詞の原稿の英文を想定しながら見ていました。後で一緒に観劇していた東 兄も全く同じ作業を頭の中でやっていたそうで笑えました。
 ふと思ったのですがせっかく現代に上演するのだから台詞廻しも今風に変えるとか、思い切って全部ネイティヴ京都弁でやるとかいったことはできないものでしょうか。冒険かもしれませんが、もともとメアリーとかジョーいった名前を使ってやっていることですし、女学生の狭い凝縮された環境にいる小道具として方言を使えないかアイデアを練っています。
 
 話はかわりますが、舞台業界の関係者のような私の隣りに座ったオヤジ、「腰が痛いので座布団寄越せ。」と偉そうに言っていたくせに始まった途端にいびきをかいて御就寝とはいい度胸だよな。どっかのOBか知らんが演劇鑑賞は殆どできなかっただろう、寝に来るんじゃねぇ!
 早野さんが楽屋から出てくる前から私・東兄・阿曽さん・ハリーさんで飲んだのですがテーマが重いだけに厳しい批評が飛んでいました(酒も飛んでいました)。あの女学生が使う「~~~しちまった。」という言葉が印象に残ったのですが、あれは翻訳の際に残った言い回しで舞台が想定している女子寄宿舎はもっと丁寧に喋ったはずでしょう。上述のように上品な京都弁を使ってみたいところです。

 そのあたりで焼酎2本を空け、東兄と私の言動がおかしくなり、経済予想の激論から歌舞伎の物真似にまでなって、観劇の夜は更けていくのでした。早野さんきれいでしたよ。

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坂東三津五郎丈を偲ぶ

2015 FEB 27 12:12:57 pm by 西 牟呂雄

 

 大変な踊りの名手。二回程見たことがありますが、実に鮮やかで華があった人でした。この人の踊りは良く腰が座っていてシルエットが美しい。そして顎のしゃくり方が巧みでしたね。屋号は大和屋で玉三郎さんと同じです。
 三津五郎さんは現代劇に出ても上手いのですが、舞台ではカメラずれしたところが全く無い役者さん。基本がしっかりした安定感を感じさせました。
 ご冥福をお祈りします。

 膵臓ガンだったそうですが、これ切りにくいガンなんですよ。僕は25歳の時に急性膵臓炎というのをやっていて、40日くらい入院してます。物凄い痛みで入院した時はうずくまってました。自分では胃痙攣でも始まったのかと思っていましたが、お医者様も暫く原因が分からなかったらしく循環内科に入れられています。その内病名が決まった(決めるというか分かった)のですが、問診の時に『ストレスの溜まる仕事でして』とか『毎日遅くまで残業して土日も出ている』と訴える僕をせせら笑って「君、酒の飲みすぎだよ。ノ・ミ・ス・ギ!」と冷たく言われました。
 膵臓から分泌されるスイ液は胃液よりも強い強酸なので、障害が出て逆流すると膵臓が溶けてしまいます。その際に激痛が走るらしい。従って消化活動を起こさせない為に食事は一切ダメ、管を付けられて胃液も汲み上げます。胃液は1日1リットルくらい出ていました。人間サイホンにされたようで、恐ろしく辛気臭い思いをしました。そして正確に1日1kgづつ体重が落ちて日に日に体が小さくなるのが分かりました。
 痛みが引いた後に最初に聞いたのが『先生。いつから酒が飲めますか。』だったのですが、この時のお医者様の表情は、こんなバカは見たことない、といった滅多に見られない顔でしたね。

 三津五郎さんは先に亡くなった勘三郎さんと年も近いので、二人で歌舞伎を盛り上げようとしていました。
 関係ないですが、勘三郎さんが暁星中学校の時に九段中学に通っていたキャスターの安藤優子にラヴレターを渡したのは知る人ぞ知るエピソードです。

 ー合掌ー

九月花形歌舞伎

九月大歌舞伎 千穐楽

猿之助四十八撰


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荒事の華麗な芸 市川海老蔵五役相勤申し候

2014 DEC 19 21:21:25 pm by 西 牟呂雄

 師走の歌舞伎座は雷神不動北山櫻(なるかみふどうきたやまざくら)であります。
 今年の忠臣蔵は播磨屋・音羽屋・成駒屋さん達たちが関西に行ったようで、お江戸はナシ。
 始まりのときに腹話術で使うカラクリ人形が『エッヘン、演じまするは市川海老蔵』などとやってみせて客席を笑わせます。

「よっこらさ。シャ!うんこらさ。よっこらさ。シャ!うんこらさ。」
 成田屋・海老蔵さんの見得が決まる。すかさず声が掛かり万来の拍手。見事なものでした。二幕目に演った『毛抜き』のシーンです。成田屋歌舞伎十八番の演目、いわゆる荒事(あらごと)で下ネタだらけの出し物。お小姓に迫り女に擦り寄りどちらにも振られ、そのたびに『いや、面目次第も御座りマーせーヌー。』と頭を下げる。私生活もそんなもんだろう、遊びは芸のこやしですなと想像を掻き立てられます。
 寄り道しますが、この場で髪の毛が逆立つ奇病になる息女、錦の前をやるのは成駒屋からはただ一人参加の中村児太郎。僕が玉三郎に次ぐ女形だと贔屓にしていた人で、見た目も綺麗だが『いやじゃ、いやじゃ、いやじゃわいな~』とか『アイナァ』という声がいいんです。

 今回のウリは、海老蔵さんの一人5役で”早変わり”も2回程あり、花道での”梯子乗り”あり(初めて見ました)最後の大詰めの大立ち回りの後、不動明王になっての”宙乗り”あり(これも新歌舞伎座では初めて見た)。
 そして大和屋・坂東玉三郎さんが花道を出てきた時は、席が東 42という一番遠くからだったので失礼にも一瞬『美川健一みたい』と思いましたが、舞台に進むとさすがに艶っぽい。海老蔵さんの鳴神上人を酔わせて口説き落とすところがギョッとするほど壷に嵌まってこれまた結構。鳴神上人は下戸の設定で無理矢理飲まされ泥酔し、還俗し夫婦になると口走る。

「お師匠様。還俗されたらお名前は(本気かどうか確かめている)。」
「ぬぅ、そーれーはー(ツイ口走っただけなので考えてない)。」
「してそのお名前は(畳掛ける)。」
「ぬぅ。」「さぁ。」「ぬぅ。」「さぁ。」
「いーちーかーわー、えーびーぞーおー(破れかぶれで本名を言う)。」
やんやの大喝采でした。
 おまけに酔っぱらっている演技など、酒乱伝説もあるくらいだから上手いのなんの。僕が泥酔したらあれぐらいかな、いやまだ修行が足りない。もっと飲まなきゃ。
 
 それから大詰め『朱雀門王子最後の場』。素晴らしい見得を見ていて気が付いたが、歌舞伎は客席から見るもの。何が言いたいかというと、あの見得の見事さは映像には合わないように思います。映画でもテレビでも”切り取った”画面になってしまい、見る人は監督或いはデイレクターの視線でしか観賞できない訳ですね。おまけにアップで撮ったりパンしたりする演出をされると舞台とは印象が違いすぎる。新劇でも早野さんが出演したハムレット を見たときにも感じたことです。
 例えば今回も活躍した萬屋・中村獅童さん。この人もいいんだけど(実はファン)映画やテレビに出すぎるから科白の時に相手を見過ぎる。そこは半分向けて客席の虚空を睨むところでしょう。映像と舞台は別物です。

 そして最後に不動明王が制多迦(せいたか)童子と矜羯羅(こんがら)童子を従え降臨して”宙乗り”になります。ですが新橋演舞場ではないので上るだけ。そこに紙吹雪を降らせますが、あれはあんまり意味が無いような。クリスマスの演出のつもりなんですかね。
 面白かった。

九月花形歌舞伎

九月大歌舞伎 千穐楽

猿之助四十八撰


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吉例顔見世大歌舞伎(平成二十六年霜月)

2014 NOV 30 16:16:19 pm by 西 牟呂雄

『寿式三番叟』ことぶきしきさんばそう、と読みます。元々は人形浄瑠璃の演目だったのを歌舞伎に移した踊りですね。今回は高麗屋市川染五郎さんと音羽屋尾上松緑さんが見事に舞います。口上で三つの神社の名前が出るのですが、住吉大社・春日大社・伊勢神宮なんですね、これが。出雲贔屓の私としては、さもありなん、そうだろうな、といった所でしょうか。この鮮やかな踊りで『黒』の着物があんなに明るい印象だとは思いませんでしたね、新たな発見です。古典はこういうことがあって止められない。周りの衣装がキンキラの中にあって一際鮮やかな黒の美しいこと。そして早い動き、歌舞伎の舞は飛び上がって『バンッ』と踏む所が華ですな。
 
 しかし次の出し物『井伊大老』ははっきり言って面白くなかった。井伊大老が日本の行く末を案じて懊悩しながら桜田門外で討たれる話なんですが、科白が説教臭くてかなわない。別に歴史の勉強なんかしに来た訳でもないのに見栄もなければ外連もないなんて。あれでやっているのが播磨屋中村吉右衛門さんでなきゃ見られた物じゃない。作を見たらやはり戦後の本だった。こんなのは大河ドラマでやってくれよ。唯一良かったのは吉右衛門さんが言った「彦根に帰りたいなぁ。』の『ぁ。』ぐらいですかね。これやっぱり『ぁ』なんですよ。芸が光るところです。
 
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 それでやっと高麗屋松本幸四郎さんの『熊谷戦記』になります。こちらは人情噺になっていてそれはそれで面白いのですが、源義経に音羽屋・尾上菊五郎さんと御贔屓の高島屋・市川左團次さんが石屋に化けている平宗清になって出てきます。左團次さんの重厚な脇が締まって芝居が進みます。この人SMが趣味だそうで、テレビでも公言しています。こういうところ頭一つ抜けてますね。
 最後に熊谷直実は僧形に身を固めて仏門入りするのですが(これは本当の史実)いかにも苦悩し身悶える演技を花道で続けます。この終わり方、幕を引いて花道の所でだけ演じて見せていました。しょうがないから三味線の人が一人出てきて立って合わせる。熊谷陣屋は見たことがなかったのですが、いつからこんな演出をしているのでしょう。

 ところでオヤジの意見で何だが、若いカブキファンの方に言っておきたい。こういった芝居を見にくるのに上着くらい羽織りなさい。着物の正装で見える綺麗どころも大勢いるのにGパンはないだろう。そういうのは日常でやってくれ。芝居見物はみんなが楽しみにしている『ハレ』の空間で『ケ』ではないんだよ。え?『ハレ』と『ケ』がどう違うかって?もういいや。僕もオッサンになったんだな。

九月大歌舞伎 千穐楽

猿之助四十八撰


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外連(ケレン)の華 猿之助歌舞伎

2014 NOV 8 12:12:28 pm by 西 牟呂雄

 澤瀉屋(市川猿翁一門)見るのは先代猿之助の『ヤマトタケル』以来だから随分と久しぶり。別に歌舞伎座ばかりではなく、新橋演舞場もいいんですよ。私は正統も何も歌舞伎は面白けりゃいい、という方でイザとなったらどこかの田舎芝居でも構わない。
 前に見た時『ヤマトタケル』のときの最後に飛んでいく宙乗りの衣装が少々気持ち悪かった、と思い出してみると何と20年振りかな。
 今回(10月)は『市川猿之助奮闘連続公演』と銘打った四代目猿之助を初めて見ました。出し物は三代猿之助四十八撰の獨道中五十三驛(ひとりたびごじゅうさんつぎ)、もちろん猿翁さんの演出です。
 これは原作が四世鶴屋南北で、この人は『化政の江戸』と言われた文化文政時代の爛熟期にメチャクチャな筋立ての通し狂言を書きまくった人だ。以前から言っているが歌舞伎の筋立てなんか荒唐無稽なものに加えて、早変わり有り、宙乗り有り、本水有り(舞台で実際の水を滝にして流す)のスペクタクルだ。仇討と宝物の奪い合いをからめながら五十三次を逆に京都から江戸までやってくる。結局何がどうなったのか良く分からないのだが、狂言回しみたいに弥次さん喜多さんも出てくれば、白波五人男の日本駄右衛門(実は別人)と弁天小僧まで出てきて物凄く早い。なにしろ四幕五十三場もあるのだからやる方だって大忙しの代物だ。
 途中の台詞なんかは現代口語で掛け合うから面白いの何の。
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 それで四代目さん、この人女形もやっていただけあって変わり身の女姿がいいですね。この化け猫の衣装の凄いこと、十二単です。これぞケレン。これで宙乗りをやったのですからそれは見ものでした。

 この人、今月(11月)には明治座の花形歌舞伎で従兄弟の市川中車と通し狂言をやるのですが、市川中車ってあの香川照之さんですよ。そういえば萬屋の中村錦之助・隼人親子も出てました。獅童の従兄弟だったかな。
 澤瀉屋の芸風は大道具も演出も常に大胆に進化する。これ猿翁さんが昭和の頃から盛んにやっていたのですが、基本を押さえているところが一時の流行物とは違って飽きられない。『革命』とは優れて進化と捉えらがちですが、恐ろしいことに『革命』の語感にはどうしても破壊衝動があり、しばしば「古いもんは何でも壊しゃいい。」となってしまう。後に残るのは得てして理想とはズレた荒涼とした物となりがちだ。
 一方では伝統墨守のガチガチでは、時代とともに当初の感動は薄れていくものではないか。保守は保守で鍛えに鍛えて行かなければ先に光明は見えない。これ、SMCでのクラシック談義で繰り返し東 兄が指摘している所に通じます。そして新たな解釈を加えながら生まれ変わることのできる『いいもの』だけが生き残る。

 と大げさな話になりましたが、画像の化け猫だけでも見る価値ありますよ。

 荒事の華麗な芸

九月花形歌舞伎

九月大歌舞伎 千穐楽

猿之助四十八撰


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船弁慶

2014 OCT 3 20:20:03 pm by 西 牟呂雄

IMG_0003 能の船弁慶を見て来ました。吉祥寺の月窓寺でやる薪能で、野村万作・萬斎の親子が演るのでチョイと行ったのです。撮り方が腕が悪く、人だまみたいですが幽玄が味わえますでしょうか。実際には照明が投光されてもう少し明るいのですが。薪能は地元振興のためもう30年も続いている名物イベントです。
 船弁慶は歌舞伎の演目にもありますが、お能はやはり武家の芸事、歌舞伎は町の芝居といったところでしょうか。三味線なんか入りませんからね。
 先ずは狂言で『柑子』と言って太郎冠者が当時貴重品だった日本固有のミカンを食べてしまうお話で、まぁコミカルで笑えます。私、表情豊かな万作さんの顔が海老一染ノ助・染太郎のお兄さん、亡くなった染太郎に似ているなー、と思いましたね。
  

静御前

 それで船弁慶になるのですが、義経役は大抵子方(子供)がやることになってます。あくまで脇役なんで大島伊織君という恐らくこの業界のお子さんでしょうが、まだ小学校未満じゃないでしょうか。出だしから一生懸命スリ足をして「判官みやこおちー。」と声を張り上げます。烏帽子姿がカワイイ。オペラ・グラスで見ると、やはりお子さんですから目がよく動いていました。
 ワキの弁慶が口上を述べます。初めに書いたように武家の芸事なので科白の終いに『~~~~候。』とつけますが、~~~ソウロ、と切って述べます。”ロ”のところを一段と低く止める。
 主役である前シテの静御前が舞いを舞います。塩津哲生(てつお)さんという喜多流の方が演じていました。この流派の特徴なんでしょうか、泣いていることを表現するために頭と足を小刻みに震わせるのです。初めて見ました。あれも”技”ですからアル中の酒が切れた時だってああはいかないでしょうね。そしてこの静御前をやった人が次に後ジテの平知盛になってまた出てきます。しかしお仕舞は手を開き気味にグルっと廻るだけですから、トーシロの私にはあんまり面白くない、正直。
 ここで狂言になり一行が船で出立します。その船頭役が萬斎さんです。この人舞台栄えしますね。一転にわかに掻き曇り船が波に揉まれるところになると艪漕ぎの動きが早くなり『なみがなみがなみがなみが』と科白を早回しするのが見所。
 そして平知盛の亡霊が薙刀をかざして襲い掛かってきます。能は全てスリ足ですが、この時だけ初めに踏み足になります。

義経と渡り合う 平知盛

 
 受けて立つ義経は「そーのーとーきーよーしーつーねーすーこーしーもーさーわーがーずー。」と立合うのですが、相手は亡霊ですから切れません。結局弁慶の法力で怨霊は退散します。お能は女の役以外にも亡霊・老人など、成人男子以外は面を付けます。この知盛がしているのは真角(しんかく)という面と冠り物(かぶりもの)の黒頭(くろがしら)です。歌舞伎の連獅子よりも後ろは短く角も生えています。あの格好をしてみたい!能は趣味でやる人もいますからどこかの装束屋さんで売っているかも。しかしそんな物買ったら買ったで大騒ぎになりそうで・・・。

 作者は観世信光、世阿弥の甥の子供です。多くの作品を残していて、お能としては世阿弥のモノよりショーアップされた観世流の元を作った人ですね。
 この〇阿弥と称する人々は踊念仏の一遍上人が始めた時宗(じしゅう)の一派です。観世家からは阿弥がとれていますが、宗旨替えをしたのでしょうか。それとも今でも時宗を信仰しているのか、誰かご存知の方いらっしゃいますか。ついでに冠り物を貸してくれる所をご存知の人も宜しく。

月窓寺 薪能

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九月大歌舞伎 千穐楽

2014 SEP 28 16:16:00 pm by 西 牟呂雄

千穐楽を見てきました。これ「穐」の字が正式なんですな。
 まず「絵本太閤記」です。播磨屋・中村吉右衛門さん相変わらずの安定感、高麗屋・市川染五郎さん力をつけています。ですがこの芝居、私はいつも女形の『泣き』の声に注目してしまうんですねぇ、これが。今回は『光秀』の母・妻・嫁と三人女形が出ますが、そのうちの嫁をやる播磨屋・中村米吉が抜群に良かった。他の二人もうまいんですが、米吉は(字に書くと難しいが)『ォォォオオオオおおおおおオオオオォォォ』とただでさえ高い声を一旦更に上げていき低く戻る。まるでサイレンが高くなってから低くなるようで絶品の泣きだったですね。

毛振り

毛振り

 

 そして「連獅子」の舞。松嶋屋・片岡仁左衛門・千之助のお爺さんと孫の競演です。仁左衛門さんは確か去年から肩を悪くして今年にやっと復帰したのじゃなかったでしょうか。コミカルな坊主道中では浄土僧の方をやった萬屋・中村錦之助という人、面白いです。
 その後、紅白の獅子が出てきます。今回は花道のすぐ横の席でしたが、14歳の(多分)千之助の凛々しいこと。体がまだ小さいのがご愛嬌だが鮮やかな身のこなしで楽しみです。最期の毛振りは振りの大きさといい間の取り方といい、仁左衛門さんのお疲れ気味な所をカバーしたわけではないでしょうが見事の一言。

 最期に待ってました男伊達、御所の五郎蔵「曽我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)」でした。設定は京なので「御所」の「五郎蔵」だが科白は全くの江戸回し。僕はこれを十年前に先ほどの舞台の白獅子、仁左衛門さんがまだ片岡孝夫だった頃、坂東玉三郎とのコンビで見て以来です。五郎蔵・染五郎、対する星影土右衛門・音羽屋・尾上松緑の掛け合いは双方譲らず見ごたえ十分。あの科白は江戸弁の駄洒落のオンパレードでいつか全部暗記したいと思っています。
 花道近くでいいのは足捌きが良く見えることですが、染五郎さん日本舞踊の家元ですから腰が座っていました(当たり前か)。それはいいけど今日はちょっと軽かったんじゃないですか・・・。そう言えば千穐楽にしては入りが少し・・。
 傾城、逢州役の市川高麗蔵は梨園の血筋ではなく、松本幸四郎の弟子から高麗屋入りした人ですが綺麗でした。花魁道中を真近で見ましたがあの飾りはスゲー艶やかで、また後姿がいいのです。

 しかし僕は一度でいいからあの獅子の毛を被ってみたい。ザ・グレート・カブキというプロレスラーが時々被っていたからどこかで手に入るのだろうが良く分かりません。幕末に官軍が被った「熊毛頭」というのがありますが、後ろが短か過ぎてダメ。貸してくれ、と頼んでもだめかな。
 それと最後に、本日の『声掛け』フライングが多かった。

荒事の華麗な芸

九月花形歌舞伎

猿之助四十八撰


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ハムレット観劇 

2014 MAR 10 0:00:20 am by 西 牟呂雄

昨日は劇団東演の公演『ハムレット』をSMCの仲間で見てきました。場所がまた演劇のメッカ、下北沢の本田劇場なのが郷愁を感じます。30年前には下北で遊ぶときは「シバイ」を見に行く、などと符丁を言ったものですが、街は以前のゴチャゴチャ感が少しおさまったようです。SMCメンバーの早野さんがハムレットの母親ガートルート役で出演していたので、四人で見てきました。前回の公演は地震のときでしたので、皆さん思い入れが強いのでしょう。ロシアからまた同じ演出家が来日して、俳優さんも二名出演されました。色を添えて「とうきょー」「だいじょぶ」くらいのせりふを入れて楽しませてくれました。ロシア語は分からないなりに異国の隠し味になっています。

これが、実に斬新な演出であって、従来の通しに比べると3時間ほどで済む様にまとめられテンポが速い。役者さんたちの動きも走るし回るし、奥行きを充分に使ったダイナミックな手法で、音楽も効果的。そして要所要所に役つくりのツボになる台詞があり、それをどうこなすかが鑑賞者の醍醐味なのですが、今回は2箇所に注目しました。一つは恋人を追い払うためにしつこく「尼寺に行け、尼寺に。」と繰り返すところ。これは主役の演技が引き締まっていてまず、Aランク。もう一つが、凄惨な殺し合いのクライマックスに向かうときに呟くあの「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ。」と坪内逍遥が訳したセリフ。これ原本では「To be ? or not to be ?. That is the question.」ですが、今回は「これから行こうか、帰ろうか。」とサラリと語らせます。映画でイギリスの名優サー・ローレンス・オリビエがやったハムレットは、城壁から夜の闇に向かって呟くアレです。ずいぶん粋な翻訳だと関心しました。驚くべきことに、隣のSMCのオッサン二人は、この部分のツボがまるで分かっておらず、猫に小判状態なのは情けない。それどころか、どんな筋かを阿曽さんに解説まで聞いていた。

しかしあれだけ走るのだから、早野さんお疲れ様でした。7月までのロング・ランですからお体ご自愛ください。帰りに皆で話したのですが、重臣のポローニャは本来イジラレ・キャラのはずなので、そこでもう少し嗤いを取った方が効果が出るような気がします。これから九州方面ですな。

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吉例顔見世大歌舞伎 仮名手本忠臣蔵

2013 NOV 14 13:13:59 pm by 西 牟呂雄

 さて年末が近くなると、第九の合唱と共に日本人になじみの深い忠臣蔵が掛かるので、夜の部(五段目・六段目・七段目・十一段目)を見てきた。五段目六段目は音羽屋・菊五郎の独壇場といったいつもの感じ。ここで不破数右衛門の役で出てくる、高島屋・市川左團次という人がいるが、実は私、その人の隠れファンだ。ときどきテレビの時代劇にも出たりする器用な人で、卑劣極まりない女好きの権力者とか金亡者の悪代官とかをやらせると天下一品の芸達者。歌舞伎の舞台では何よりも声がいい、声が。見得の際に良く通って惚れぼれする。

 七段目(祗園一力茶屋)からは、播磨屋・吉右衛門の技が光りまくる。この人上手いですからねぇ。赤星由良之助が遊び呆ける大好きな場面で、時節柄の話題を取り込むいかにも歌舞伎っぽい場面が入る。今回は「見立て」遊びの所に若田さんのロケット打ち上げの話だった。『まずはアチキが見立てましょう。お腰を、ここに見せまして、紙を、ここに乗せまして、浅草名物カミナリオコシ。』とチャラチャラ演じた後にやって見せた。一遍でいいからこういう遊びがしてみたい(酔っ払ってそこら辺でやっているが、大勢の花魁の前で、だ)。前に韓流ドラマが流行った頃、冬のソナタのバリエーションをやっていたこともあった。こういうところが大衆芸術たる所以の面目躍如。

 そう言えば40年前の下町の者にとって、相撲や歌舞伎は気軽に見に行くものだった。僕の小さい頃に歌舞伎が芸術だと考えていた大人というのはいなかったのではないだろうか。確かに土俵際砂被りや枡席、歌舞伎の桟敷席や一階の席は高い。だが国技館も上の方とか歌舞伎座の3階なんかは当日行っても買えるもので、今現在においても歌舞伎座二階B席(後方)で2500円だったか。一幕だけ見る当日売りの幕見はもっと安いのでは。ただしすぐ売り切れるから一か八かになるが。国技館だっての2階奥が2000円(当日券)とかそれくらいのはずで、要するにそこら辺の近所の人が行くような娯楽なのだ。だから相撲も歌舞伎も「見物」と言っていた。今でも歌舞伎座だろうが明治座だろうが新橋演舞場でもそういう所に屯しているのは声掛けがうまい。歌舞伎の声掛けについては以前タイミングのことを書いた。見得を切ったときに間髪を入れずに屋号を呼ぶ。「音羽屋」とか「成駒屋」とか言うのだが、そのまま呼んではいけない。アクセントを極端に前にかけて短く、「音羽屋」ならば「ットワヤ!」と聞こえる感じが粋とされる。相撲の方はかけ声なんかはないが、昔は印象的な声援があった。荒勢という相撲取りがいて、こいつのファンなのだろう、いつ行っても同一人物と思われる声援が飛んだ。呼び出しが例によって何を言っているのかわからないような節回しで「こなた荒勢、荒勢」と言った途端甲高い女性の声で、「あーらーせーー!」と一回だけ声を張り上げておしまい。もう一つ覚えているのは北天佑(字が合っているのかわからない)の熱烈な贔屓で、恐らく粋筋の女性だった。呼び出しの段階から仕切りの間、ずーっと「ほくてんゆー、ほくてんゆー、がんばれがんばれほくてんゆー!」と叫び続ける。自然と皆の視線が集まるが何のその、視線の先にはキリッと着物を着こなした美人が正座して座っていた。負けでもすれば涙目になっていたのをが印象的だった。こういうのは土俵脇の一つの芸みたいなもので名物化して楽しまれていた。

 そして十一段目、討ち入りになるのだが、まぁ中身はご案内の通り。赤星力の役で、先日亡くなった富十郎の一子、天王寺屋・中村鷹之資が出ていた。確か富十郎69才の時の子供だ。今14~15才位か、オモテはなかなかの若武者なのだが、チョットデブ過ぎる。あれじゃあまるで桃太郎。キミ、少しダイエットしなさいダイエット。

荒事の華麗な芸 

九月花形歌舞伎

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九月花形歌舞伎

2013 SEP 18 12:12:48 pm by 西 牟呂雄

 陰陽師、を見てきた。染五郎・海老蔵・愛之助・松録それに勘九郎・七之助と人気どころが出ていて、評判もよろしい。そして新歌舞伎座。昔を懐かしむ人も多かろうが、私はなかなか古きを尊んでいると感じた。舞台は奥行きも幅も少し拡がったようで、その分書き割り、照明、音響に新機軸を取り入れ、伝統芸能が時代に沿った進化をとげつつあるのを頼もしくも思った。スモークが使われ、舞台に火炎の上がる仕組みも取り入れられた。

 陰陽師は夢枕獏の原作で、例の安倍晴明が平将門の怨霊と戦うのが軸になっている。歌舞伎のあらすじなんぞ、どれも荒唐無稽な話だからこれはどうでもよろしい。その将門を海老蔵がやっていた。この人は私も予て六本木界隈での酒癖の悪さは聞いているが、芸はホンモノ。華があって決めるところはキメるんですな。ただこの家系は声に難があって、特にくぐもる台詞はイケナイ。もっと張り上げたり見得を切っていればいいものを、とは感じた。しかし、台詞回しは新作らしく現代口語で分るし、宙乗り、大百足、さらに蘆屋道満まで出てくるテンコ盛り、楽しめることは楽しめるのだが。こう言っちゃなんだが大百足の振り付けなんかもう少し手の揃えを稽古しないと学芸会の一歩手前になってしまわないか。

 伝統歌舞伎の味わいに江戸言葉が染みこんでいる。よく分らない人達にはイアホンのサービスもついていて、今でも口をついて出る台詞もいくつもある。それが現代歌舞伎の泣き所なのだが、一発決めるキメ台詞に欠ける。下手にやると宝塚みたいになってしまう恐れ有り。脚本が苦労して中身を造ろうとしているのは分るのだが『ひとは何のためにこの世に出づるのか。』『おまえはオレの本当の友か。』といった言葉を現代語でしゃべられると、映画じゃあるまいしたかが歌舞伎だろうが、といった気分になる。作家の浅田次郎氏がどこかに書いていたが、歌舞伎の台詞は別に上品でも何でもなく、下町の言葉。私は浅田氏の生家の近く、神田淡路町の生まれなのでほぼ分る。歌舞伎は本来大衆芸能なのだ。

 それであるが故に、磨かれた芸や言い回しが光るもののみ後に残っていくのではないだろうか。そして鑑賞する側にもそれなりの研鑽とまでは言わないが、作法がある。見得の時に大向うから掛かるかけ声なんかはその典型だ。タイミングを外したり、屋号を間違えてしまえばその場はドン引きとなる。東 大兄が連載中の「ベートーベン聞き込み千本ノック」が読者を得ているのはそこだ。しかしながら、伝統芸も冒頭に書いたように仕掛け・小道具を含め変らなければならぬ事は自明の理。陰陽師は実験的舞台として高く評価される。それにしても海老蔵さん、あなたテレビは止した方がいいと思うんだけど・・・。

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