Sonar Members Club No.36

月別: 2014年3月

インド高原までやってきた Ⅱ

2014 MAR 31 21:21:45 pm by 西 牟呂雄

 ホテル前の広場に住み着いている犬の親子は、朝7時にエサを求めてか棲家から出て来たが、本日はもう一匹、あれは父親なのか加わって運動会をしていた。僕が食事をして部屋に戻ると6匹になっていて、何かを咥えて走る奴を追いかけるというルールらしい。

 そしてついにドイツ人が来たと連絡が入った。本当に0泊3日でドイツからやって来た。確か僕より2歳くらい下のはずだが、驚くべきエネルギーである。チェックアウトをしていると、隣で白人が「日本人か?」と聞いてきた。そうだ、と答えるとロビーに腰掛けてやたらとインドの悪口を言い出した。一ヶ月いるがこの国は時間は守らない、直ぐに値引きの話ばかりする、責任感の無い奴ばかりだ、と余程の目に会った様子だ。もう一人来て挨拶して分かったがフランス人だ。
 別れ際に「オヴァー(ル)、ボン・ボヤージュ。」と言ってやると、久しぶりに聞いたフランス語がうれしかったのか、満面の笑みで、日本語では何と言うか聞いてきたので「サヨナラ、ヨイタビヲ。」と教えた。インドにきてドイツ人に会う日にフランス人と会話する、グローバル化とはこういうことなのか。
 やれやれと待ち合わせ場所に向かうが、渋滞・渋滞・ヒト・ヒト・ヒト、牛・牛・犬・山羊まで、そして砂塵舞い上がる乾いた大地。この暑い中に目出しのブラック・チャドルを纏うムスリム、全く溶け込んでいてそれなりに平和ではある。どれぐらい乾いているかというと、着いた途端に裏手の塀の向こうのユーカリの木が燃え出した。煙が黒っぽく、自然発火の火事のようだ。従業員も慌ててはいなくて、ヘラヘラとバケツに水を汲んで歩いて行く。しばらくそこにいたが、どうも日常茶万事のようだった。
 ドイツ人は××mannというユダヤ系の名前だが、風貌は全くゲルマン化していてハゲている。初めから喋りっぱなしに喋るので、途中で切らないとこちらが意見を伝えることもできない。現地のインド人(こちらのパートナーのインド人とは別)は一言も喋らない。”フィロソフィー”という単語を会話にしきりに入れるのはジャーマンの面目躍如か。
 このインド人は工学系の大学院を出たインテリで、いくつもの会社を経営している金持ちであるが、典型的な二代目でオヤジが一発当てて成り上がった一家のようだ。もっともここインドでは圧倒的に貧困層が多く、チョっとでも当てるといきなり庶民・大衆から隔絶したステータスにあがってしまう。資本主義発達の過程ではありがちなことだ。付け加えると最大の民主主義国家で目下総選挙の直前である。それが又発展途上っぽくてメチャクチャな買収合戦の真っ最中。実弾はおろか着る物・食べ物・バイク・車・までが飛び交っているそうだ。そういった部分をいささか差し引かなければならないが、ここだけの話、かの二代目氏、どうも胡散臭い。
 それはともかくこの時点で僕の最大の問題は、本日のフライトがキャンセル待ちのままだったことだ。本当のところ一人旅なら何とでもなるのだが、日本の営業時間ギリギリにメールが入って目出度し目出度し。こんなもんだ、度胸を据えなきゃアジアじゃ勤まらない。
 話し合いは持ち越しも含めて、次のステップまで継続、食事の席に移動した。この時、インド人のエゲツなさが明らかになる。即ち日本に来たときにギンザに行った、と盛んに強調するのだが、よく聞くと大した所には案内せずにキャバクラに連れて行ってそこを銀座と吹き込んだらしい。色んな国のガールズがベタベタしてくれたと自慢していたが、その嬉しそうな顔は品格のカケラもなかった。
 そして別れ際に驚くべき事を言った「この前、あなたにそっくりなブラジル人が来て、あなたと同じような話をして帰った。」僕は引きつった。「それはケネス・ニシームか。」「オウ、知っているのか。」分からない方は拙ブログ『春夏秋冬不思議譚ー月曜日の夜 ーもう一人いた』をご参照ください。もちろんバックレたが。

インド人とドイツ人

インド高原までやってきた

インド高原 協奏曲 Ⅳ


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インド高原までやってきた

2014 MAR 28 4:04:30 am by 西 牟呂雄

疲れ果てたノラ

疲れ果てたノラ

 

 今週はインドにいます。インドのほぼ中央のIT産業が盛んなデカン高原の真ん中にです。着いてチェックイン、コーヒーを沸かそうとした途端にブレーカーが落ちて、暗黒の部屋で途方に暮れました。何やら悪い予感がします。翌日合流するはずのドイツ人の予定が狂い、一日余計に滞在する羽目になりました。そのドイツ人は一日遅れて来るので申し訳ないと詫びつつ、来たその日に又何処かへ飛ぶと言うのです。ドイツから日帰り、0泊3日でもするつもりでしょうか。
 ホテルのWi-Hiは部屋で何とか拾えましたが、頼りにしていたガラケーのIモードは何故かシンガポールまでは繋がりましたが、インドではダメ。ネットワークが多すぎて自動ローミングがダメだったようです。

そしてホテルで待ち合わせたインド人は待てど暮らせど現れない。今回は一人ですが、こういう時に誰かが一緒だとああでもないこうでもないと煩いだけで危機管理の役には立たないのが常です。こういう時は悠々としているに限る。電話が入り『渋滞がひどい。こんな渋滞はインドでも初めてだ。』と全く想定の範囲内の言い訳に思わず苦笑い、結局5時間後にホテルに来ることとして良しとしました。
 ホテルの周りを少し歩くと、怪しげな野犬が昼寝をしていたり走っていたりしてビビりますね。こいつら野生の犬なのだろうか。今は乾季ですからカラカラに乾燥していて、36度でも日陰に入ると快適です。その分風が吹くと土埃が舞ってしまう。恐ろしくヒマそうなオッチャン達が固まって笑っていたので覗くと、何と側溝にウジャウジャとドブネズミがいて、這い出してきた奴に石を投げて遊んでいるのです。2014032716070000

 

 ネズミはウロチョロしてゴミの山(本当に紙屑や残飯のゴミ)に逃げ込もうとしますが、オッチャン達は細い棒で突いたりして追い出しては小石を投げる。気が付くとインド人以外は私だけでみんながジロジロ見るのです。そして遠巻きに見ていたのにいつの間にか彼らの輪の最前線に押し出され、ギョッとして『OK、OK。』等と言いながら逃げ出しました。これ、志賀直哉の名作”城崎にて”の情景ですね。文豪の筆致は、石を投げられ必死に泳ぐネズミと、療養中で生きている自分(というインテリ)を対比した深い洞察を書き込んでいますが、私はといえばインドのドブネズミに生まれ変わるのだけは御免だ、という凡庸な感想を持っただけ、それくらい惨めな姿なのです。

 いささか憂鬱な思いでホテルに帰り窓から外を見ると、何かの建設予定地なのでしょう、目の前に掘り起こされ整地され、乾燥のせいでひび割れた野原で子供がクリケットの練習をしている。そしてその子供たちが帰ってしまうと、何と広っぱの真ん中で、たぶん親子と思われる犬が二匹どこからともなく現れ遊び出しました。彼らの感覚ではウチの庭といった趣で、腹を出して転げ回り、飛びついて逃げてみたり。親の方は飽きたのか、しばらくするとソッポを向くのですが子犬は鳥を追いかけては帰ってきてじゃれつき、転がり、キリがない。この鳥、黒い羽を広げると真ん中に白い染め抜きのような短い筋が、ちょうどゼロ戦の日の丸のように入っている、日本では見たことのない鳥でした。
 そのうち親の方がトコトコ歩いてよそに行くのを、子犬は途中まで追いかけたのに勝手に別の方向に走っていきます。バカ、そっちじゃない、しかし互いが見えないくらい離れてしまいました。ハラハラしていると子犬の方は広場の隅の盛土のヒビ割れに行き、そこに空いている穴に入ってしいました。
 そして暫くすると遠くの方から親犬がトコトコ走ってきて、やはりそこに行くのです。どうやら奴らはそこを棲家にしていて、広場が庭のようでした(ただイヌ科が穴居するものでしょうか)。さっきのは「もう遅いから早く家に行ってろ。」くらいの話の様で、心配して損しました。
 工事が始まるまでの短い間ですが、数千平米の庭を持つウチを独占しているのです。ネズミはいやだけど、あの子犬は楽しそうだなぁ、と思ってしまい・・・・ウッ情けない。

 遅れてきたインド人と打ち合わせし、話が弾みました。テレビのチャンネルが数百もあるのは(ホテルのCATV)広大なインドに数百の言語と数百の宗教があるからだそうです。自分は5年の修行(セミナー程度かも)の後ラマ教のお坊さんの資格を取った、長男は東京で暮らしていてオリンピックの時はタダで大勢が泊まりに行くこと・・・。さて、あす本当にドイツ人はくるのでしょうか。ルフトハンザのストライキと言っていたが実に怪しい。私はフライトのスケジュールを変更したところ、物凄い混みようで予定の二日後しか取れません。キャンセル待ちを掛けているのですが、音沙汰なし。ちゃんと帰れるのか少々慌て出しました。

つづく

インド人とドイツ人

インド高原協奏曲Ⅲ

インド高原 協奏曲 Ⅳ

小倉記 再会編


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実験ショート小説 アルツハルマゲドン(オレは誰なんだ!)

2014 MAR 24 17:17:37 pm by 西 牟呂雄

暑い、胸のあたりに汗の粒ができて流れ出すのがわかる。しかしここは何処なのか。気がついたら砂漠の中を歩いているではないか。そしてどうやら一人ではない、何人かが後から同じように歩いてくるのがわかった。うしろの人影を見やると、何と野戦服を着て突撃銃を持っているではないか。「コントゥレ・ヴー・ムッシュゥ。」フランス語だ。よくわからないが、戦うといっているのじゃないか。鋭い目でオレを見ている。オレはというと、と気がつくとアッと驚いたことにこっちも野戦服に銃を装備している。それは知る限りではフランス外人部隊のものだった。そしてオレは先頭に立って砂漠の中をただ歩き続けているこの小隊の指揮官なのかも知れない。どうしてなんだ。

☆☆☆☆☆

突然意識が目覚めるとベットに寝ている、痛みはない。自宅のベットではなさそうだ。一人でシングルベットに寝ているのだが、ホテルのベットとも違う。ここはどこだ。壁も天井も白く塗られていて家具は無い。わかった、ここは病院なのだ。どこか悪くしたのだろうか、それとも怪我か。まだ目が覚めたばかりのような感覚で、全身が麻痺している。試しに手足を動かそうとしても、どうやら動かないようだ。どこかで障害を負うような目に合って担ぎ込まれたのかも知れないが、オレにはわからない。日付や時間が知りたくて目を動かすのだが、のっぺりした壁があるだけ。窓があるのだが、ベットからは外の景色が見えない。どうも晴れていて外は明るいようだ。いつからここにいるのか、いつまでいることになるのか。

★★★★★

砂漠に這いつくばって、必死に何かに耐えている。息苦しい。後ろから叫び声が聞こえてきた。「ルオンズ・ジュェン!」何のことだ。風もそう厳しくないのにオレ達は砂に伏せているのだ。前の方で何かが起こっているようなのだがわからない。わからないが必死になっていることは確かだ。又、叫び声が聞こえる。「ルオンズ・ジュエン!」オレも叫び返した。『6月11日がどうしたんだ!』どういう訳か突然フランス語を理解したのだ。だが不思議なことに喋ったのは日本語だ。「3月11日と9月11日の真ん中だからルオンズジュエン(6月11日)。」あの忌まわしい9.11と3.11とこの状況に何の関係があると言うのか。オレはテロとは関係ないし、被災こそしなかったが被害者には手を差し伸べた立場だった!それにこの白人の兵隊、日本語も分かるのは何故だ。きょうは2014年6月11日のようだった。

☆☆☆☆☆

オレはベットに座っている。目の前のベットに被さるような移動テーブルを見ているのだが、そこに乗っているのは、どうやらオレの足のようなのだ。足の脛から下の部分が二本、置いてある。あわてて自分の足を見ると、確かに膝から下がない。何かの事故に会って手術でも受けたのだろう。痛みも何もないのは時間がずいぶん経ったからか麻酔が効いているからなのか。その自分の足を手にとって見たが、思ったより軽くて驚く。こんな程度でオレの体重を支え、なおかつ走ったりしていたのか。試しに膝の下に当ててみた、それがくっついていたことを確かめるように。すると切れ目のところは包帯でグルグル巻きにされているにも関わらず、ぴったりくっつく感じがして、やはりオレの足だったことは感覚として蘇った。もともとがそうであった時を思い出すように、丁寧にその足を押さえて、それが足だったときの、すなわち立ち上がるときの動作をしてみようとした。

★★★★★

前のほうから砂丘の砂が崩れ出してきているようだ。這いつくばっている高いところから見える先の方から、音も無くずり落ちていくのが見え出した。一体なにが起こっているのか後ろの兵隊に確認しようと振り返ると、その兵隊は「スペクタークル!」と叫んで立ち上がってしまった。オレも急いで立ち上がってみると、何とオレとその兵隊の二人だけになっているではないか。前方の砂崩れは続いていて、それはドンドン近づいて来るのだが、砂埃が上がるわけでもなく音もしない。そして風景の向こうに高層の摩天楼が林立している街が見えてきているではないか。オレ達はコンバット・ゾーンにいるのじゃなくて、災害に合っているようだった。

☆☆☆☆☆

結局オレの足はしっかりとは付かないのだが、バランスを取りながらソッとやってみると立ち上がることも出来そうだった。やってみるとまるで球乗りの曲芸をやっているようだが、歩くことは歩ける。ギクシャクと病室の外に出ようとした。自分の足が外れてしまわないように、足元を見ながら何とかドアまでたどりつくと、目線の高さのところは30cmくらいガラス張りになっているので外の廊下が見えた。看護師さんが歩いている。突然男がヌッと覗いた。グレーのスーツに紺のネクタイを締めているので、医者や看護師ではなさそうだが、オレと目が合った。見ると良く知ってる顔なのだが誰だか思い出せない。男はオレにドア越しに怒鳴った。「勝手にウロウロしちゃだめじゃないか!」この男は誰なんだ。

★★★★★

砂崩れが迫ってきた。その向こうから見えてきた街の低さから、推定100m下まで崩れ落ちていっているのではないだろうか。後ろに立っている部下(らしい男)の双眼鏡を引き寄せて覗くと、5kmくらい先に確かに街、それも全体がブルーの光を反射しているビル群があるのだ。そうこうしているうちに、砂崩れが真近にせまってきた。まずい、と後方転進した。すると何故か今まで気がつかなかった、棒高跳びに使うようなポールが突き出しているのを見つけた。「オイッつかまれ!あの棒につかまれ!」と言って必死に走った。部下(らしい)兵隊もオレも足を取られながら、跳び付くようにつかまった。途端に足元の砂はサーッと崩れ落ちて行き、まるで氷山が崩れ海に吸い込まれるような感じで、ポールに掴まっているオレ達は宙に浮いていた。そのポールは廻りの砂が(どこに流れて行ったか分からないが)崩れ去った後も不思議そのままで、下を見ると遥か何十mもの高さでポツンと立っているのだ。

☆☆☆☆☆

この男よく見るとオレに似ている。いやむしろそっくりだ。ただ、唇がやけに赤く、どういうつもりか部屋に入って来るではないか。「何回言ったら分かるんだ。部屋から出てきちゃだめだろう。又転んだらどうするんだ。」ずいぶんな剣幕だが、一体何者なんだ。気が付くと入り口の横に洗面台があって鏡が付いていたので目が行った。するとやけに老け込んだオレが映っているではないか。いつの間にこんなに年をとったのか。先ほどの男を見やると、男は困った顔をして言った。「もうすぐ食事の時間だからベットで待ってろよ。」どうしても分からないので、とうとう口に出して聞いてみた。「君は一体誰なんだ。」

★★★★★

二人も掴まっているので、危なげに立っていたポールがしなり出した。高さが高さだけに空中を浮遊するようで、どうも前方に見えている街のほうに倒れていく。スピードが上がってくると何と街のすぐ上に達した。高層の建物がよく見える。ビルの間を漂うように浮いていたが、しなりの反動が来てまた体が上昇を始める。気が付くともう一人の部下(らしい)男はずっとポールの下の方に伝い下がっていく。「大丈夫かー。」と声をかけると「サ・ヴァ!トゥ・ヴァ・ビァン。」と答えた。このまま掴まっていると手が体重を支えられなくなると考えて足をポールに絡ませてしがみついた。かなりの高さまで戻った時に良く見廻してみたが、何とさっきまで這いつくばっていた砂丘が全く無くなっている。崩れてどこへ行ったと言うのだ。

☆☆☆☆☆

「又それか。オレはあんたの息子だって言ってるじゃないか、いつも。まぁすぐ忘れるんだろうけど。」息子、息子がいる。一体どういうことだ。恐る恐る質問した。「今日は何日、待てよ、何年何月何日だ。」男はフーッと息を吐いて「2016年12月11日だよ。カレンダーがあるだろ。」と壁を指して言った。確かにカレンダーが張ってあり12月だ。日付のところに10日の所までチェックが入っていて11日からはない。過ぎた日を消し込んでいるのか、と理解した。オレは記憶が無いのか、2016年とは。混乱しているオレを見て男はあからさまに嫌な顔をした。しかし息子がいるということは、誰かと結婚して(してないかも知れないが)家庭を持つなりして暮らしていたはずだが。恐ろしくなったオレはフト気が付いた。ついさっきまで苦労していた足取りが何ともなくなっていて、見下ろすとなんの不自然さもなくちゃんとくっついているではないか。あの感覚は何だったのか。記憶をたどろうとしたときに、フト引っかかったのは2014年6月11日という日付だ。その日に何をしていたのか。

★★★★★

又ポールのしなりが始まった。さっきよりしなり方が大きく弧を描いているらしく、もっと遠くの建物のほうに落ちていく。ほとんど真横にって、オレは手長猿が木の枝にぶら下がっているような恰好になってしまった。ある恐怖感に駆られた。このままではいつか力の限界が来て下に叩きつけられるのではないか。そう思った瞬間、ある建物の屋上が目に入った。正確に言えばぶら下がっているから頭の方の視界に入った。今だ、とばかりに脚を解いて手だけでつかまり、ポールがしなり切った時点を見計らい、離した。オレの体はストンといった具合で落ちた。まことに不思議な感覚でスーッと屋上に立ったのである。

☆☆☆☆☆

「とにかくおとなしくしてないと拘禁されちゃうぞ。昨日は屋上でうろうろして大騒ぎになったじゃないか。」何の話だ。オレは昨日のことが分からなくなってしまったのか。昨日は、昨日は、昨日は・・。待てよ、部屋には備えつけの机があってメモ用紙が散らばっている。3枚の紙片に日付が書き込んである。2001.9.11・2011.3.11・2014.6.11と書いてある。初めの日付はあの恐ろしいテロ、次は大災害の日だ。その次はかすかに記憶があるが、何だか思い出せない。きょうは、息子と名乗る男から2016.12.11と聞いたので、新しいメモ用紙に『きょう』の日付を書き込んでみた。その男はオレのその様子を見て部屋から出て行った。オレは4枚のメモ用紙を穴の開くほど見つめた。少し計算した形跡が細かい字で書いてあるが、何かを計算していたようだ。どうやら考えたのは数列のようだった。0から9までを並べてその整数の出現頻度別に0が5個、1が14個、2が4個あとは3、6、9と続く。なんの関わりも見出せない。整数を合計したり、0の前後を加減乗除しても何もない。今みても分からないのだ。

★★★★★

腰から下はドローンとした歩き辛い、やけに生暖かい水温の沼地をそろそろと歩いている。数名の人がオレの後からついてくる。一体ここはどこだ。足が取られるので一歩一歩進む。頭上には南国の高い太陽が差しているが、蒸し暑さが感じられない。オレは手に磁石を持っているのだが、何処へ向かっているのか。それよりもいつからこうしているのか。振り返ると精悍な鋭い目付きの迷彩服の男達がM-16ライフルを持っているではないか。ギョッとして言葉を失った。5人いてこっちを見ている。白人二人、黒人一人、東洋人二人。何かを言わなければならないようなので、小声で言った。「今日は何年何月何日だ。」すると一番前の若い白人がきっぱりと言った。「トゥーサウザン・トゥエニィ・シックス・デセンバー・エレヴン。サー!」2026.12.11・・・。オレは一体誰なんだ。

 

夢のアルツハルマゲドン 


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クリミア問題緊急対談 チャーチルVSスターリン 

2014 MAR 19 12:12:56 pm by 西 牟呂雄

3月19日日本時間AM12:00時点

チャーチル(以下”チ”)「まことに、しばらく。葉巻はいかがか。」

スターリン(以下”ス”)「いや、結構。卿からは貰わない。」

チ「相変わらずケチくさいな、グルジア人よ。」

ス「そちらこそ貴族のくせにブルドック面は変わっていませんな。」

チ「ところで君の後継者に当たるプーチン君はどうするつもりなんだ。あの半島はお互いに平和のために会談したところでもある。はっきり言って不愉快だが。」

ス「ウラジミール・プーチン同志は領土拡大とは言っていない。クリミア半島住民の意思を尊重して編入しただけだ。」

チ「そう言う君は国民の意思を全く尊重していなかったようだが。」

ス「フフ、チャーチル卿よ、クリミアに関してだけ言えば、しゃしゃり出てきてドロドロの戦に持ち込んだのは歴史上あなたの国も含まれている。クリミアくんだりまで大陸に部隊を送ったのはナポレオン戦争以来だろう。こちらはトルコ相手に何回も戦っていたのだ。ウクライナなぞ国であったことの方が短い。しかもプーチン同志はウクライナに手を付けた訳ではない。あくまでクリミアだ。」

チ「あの時はフランスやらあちこちからああ頼まれては仕方があるまい。当時の世界の警察は我が大英帝国であったからな。」

ス「そう言って旨い汁を吸っただけではないですか。おまけにあのでしゃばり女の事をプロパガンダのカヴァー・ストーリーに仕立て上げおって。なにが赤十字だ。こちらだって赤軍だ。」

チ「ナイチンゲール女史を侮辱することは許されないぞ。ロシア人も随分助けているから。おっとグルジア人もだがね。それに当時は赤軍ではない。」

ス「例によって英国風のつまらんユーモアにしか聞こえませんな。いずれにせよEUと称する輩が、卿の名づけた”鉄のカーテン”をこじ開けて取り込もうとしているのはミエミエだ。EUに露骨にやるなといっておいて頂きたい。」

チ「アングロ・サクソンは記録する。クリミアを安定させなければ黒海の向こう側、トルコや君の故郷グルジアが騒ぐ。その向こうにはイスラム世界で今日では色々な火種が転がっている。イスラム世界に噛み付かれては困るのは君の後継者も同じだ。アフガンに出て行ってソビエトが崩壊したことも忘れたのかね。チェチェンにも手こずっただろう。オット失礼。」

ス「卿の言うアングロ・サクソンは海洋覇権を持っていれば見事なもんだが陸上にコミットした時は大したことはない。シンガポール要塞のモロさは何だったのか。」

チ「フオッホッホ、日本軍の話か。直接やった時は大負けしたくせに良く言えるな。この前だって日本がヘトヘトになったところをドサクサまぎれに襲いかかってもたったの四島しかとれなかったぞ。それもアメリカが痛めつけた後にだ。実態は猛烈な砲撃を受けてビビッたことも分かっている。」

ス「満州を解放したではないか。しかしそんなことはどうでもいい。それまでヒットラーで頭が一杯だったじゃないか、お互いに。松岡なんかチョロかったから案外手を組めそうだったが、共産革命の看板を背負っていたから無理だったな。一方中国の毛(マオ)は共産主義者とは言っていたが煮ても焼いても食えない奴だった。」

チ「満州は結局毛(マオ)に掠め取られた。ヒットラーは気違いだ。中国で言えば毛(マオ)の前の蒋(シャン)の方がひどいタカりっぷりだった。それはとにかく住民投票までやらせたのはプーチン君のミスのように思われるが。」

ス「ほう、民主的な手続きではないですか住民投票は。」

チ「民主主義は効率も結果も最低だが他に取り得る体制は今のところない。まさか共産主義とは君も今更言うまい。」

ス「首都で暴動が起きているのを黙って見ている訳にもいかない。ウクライナは中東ではないからな。プーチン同志だって領土的な野心があるはずもない。このご時勢に領土を増やしたところで税金がたんまり入ってくるわけではない。卿の国のかつてのように搾り取ることもない。散々インドと中国をカモにしていたではないか。」

チ「話をずらさないで頂きたい。まぁここで引いたらモルドバもグルジアもEUに行くかもしれんから気持ちは分かるが。グルジアも!ですぞ。うまいこと手を引く算段を立てないと面倒ですぞ。銃撃戦も一部始まったと報道されだした。うまくやったつもりでも、戦争となると穏やかじゃない。」

ス「それこそ大きなお世話ですな。面倒をアメリカに全部押し付けておいて、自分はタックス・ヘイヴンの上がりを食い物にしていることぐらいお見通しだ。だからここにルーズベルトを呼ばなくて正解だったが、卿の計らいか。」

チ「あいつもまさか原爆まで使うとは思わなかった。君が脅かしすぎたからだ。君達を一緒にするとまとまる話もまとまらん。」

ス「今更何を、初めにあの国をあまやかしたのは卿ではないか。そもそもヤルタで会った時から気に食わなかった。」

チ「それは違う。君の国もアメリカも共に革命政権から始まっていて歴史も浅い。ナントカ主義、と唱えなければ国家を維持できないから意地の張り合いになる。だから直接会わない方が良いのだ。もっと言えば女王陛下が健在であれば、揺るぎない国家のバックボーンがある我が国が間に入っているのだ。」

ス「それはご大層なことだ。うまく使うのはそちらの勝手だが、あのオバマじゃ手に負えないのではないか。卿の得意の諜報もあまり役に立っていないようだし、MI6も落ち目ですな。」

チ「人目に付くようじゃインテリジェンスとは言えない。そちらのよくやる暗殺などもってののほかです。君は言い負かされた腹いせにトロッキーもやった。一つクリミア独立くらいで手打ちでも考えたらいかがか。」

ス「ほう、早速アングロ・サクソン伝統のゴリ押しですか。ジブラルタルも独立させて北アイルランドを返すなら考えておきましょうか。くどいようだが編入ですぞ、編入。手続きは平和的に民主的に行われた。」

チ「冷戦は終わったのだ。黒海艦隊自体が無用の長物だと思わんかね。」

ス「今回は実に役に立っている。卿もお気づきだろうがウクライナにはチェルノブイリもある。武器もある。危なくてしょうがない。まず米国第六艦隊を引っ込めてからの話ですな。冷戦が終わったのではなく、新たなパワー・ゲームが始まったところだ。」

チ「確かにオバマ君には荷が重いかも知れん。だがあんまりやりすぎて怒らせるとアメリカが強硬になって反動があるぞ。EUなんかはビビったら泣きつくかもしれん。彼が大統領のうちに一端花を持たせてやるのが得策だ。」

ス「卿がルーズベルトを使った様に、ド・ゴールをおだてあげた様に、か。アメリカがやる時は国連安保理決議も何もなくても誰も制裁だ包囲網だとは言わずに進行させているではないか。クリミアはそんな火種になる話しじゃない。」

チ「ド・ゴールはいやな奴だったがね。それでは物別れじゃな。この後あなたの嫌いなルーズベルトも待っている。失敬。」

ス「ブラフは結構だ。ロシアにもギャンブルの伝統はある。フッフ、本当ならそれは宜しく伝えていただきたい。ダスビダーニャ。」

 
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僕の新入社員時代

2014 MAR 17 10:10:19 am by 西 牟呂雄

最後に学校を卒業をした今から数十年前、僕にも初々しいフレッシュマンだった頃がある。最初の配属は某県の現場だった。そこの生産スケジュールを管理する工程員としてサラリーマンの第一歩を踏み出したわけだ。地方だから独身寮があり、先輩達が寮でしてくれた歓迎会に仰天した。壇上の壁に『儀』と書かれた紙が貼ってあって、その前にバカでかい杯が鎮座している。ズラリと並んだ先輩達は一言も口を利かない。声一つしない中、司会者が壇上に現れると(この人には生涯頭が上がらないくらい世話になった)大音声で言い放った。

「新入社員諸君。配属お目出度う。我々は心から諸君を歓迎する。本寮への入寮者は、過去一人の例外も無く『儀』の洗礼を受けている。今年も滞りなく無事に済むことを祈っている。」

と書くと立派な入寮式に聞こえるかも知れないが、中身はその大杯なみなみと注いだ酒を一気飲みさせることだった。学生でも今どきしないと思うが、製造現場は田舎で、規模のバカでかい製造所だったからそのような野蛮な風習が残ったモノと思われる。事実その会社は僕の配属になった所以外にもいくつかの拠点があって、どこでも似たようなことをしていた。大杯だった僕たちはまだマシで、ある現場ではヘルメットに注がれたと聞いた。ヘルメットは底にチョロっと入れて3合だそうだ。
 まるで戦場のような宴会に呆気にとられた。

 通勤が始まる。会社の通勤バスが寮から各工場行きに朝も昼も夜中も出る。寮で歌い継がれた『通勤節』という、行き先をズーッと繋げただけの歌が宴会のたびに高らかに歌われていた。
 仕事は工程スケジュールの管理だが、動かしている工場は学生の想像をはるかに超えていて、1ライン三交代で数百人、全体では数万人の人が働く巨大なコングロマリットだ。機械化された自動運転の高能率かつ知的集約型の工場ではあるが、スイッチ入れれば動くような甘い代物じゃない。生産計画を立てて(これは割と機械的にシステム化されていた)製造命令を現場に下ろすのだが、日々思わぬトラブルがあちこちで起こり、現場には現場の都合があり、電話は掛かるし,上司は怒る。
 楽天的なものだからこんなもんだろうとと開き直った。そのくせ何故か夜遅くまで残業していた。これは新人の僕だけじゃなくてベテランから女子社員までセッセセッセと居残っていた(当時)。

 当時はパワハラもセクハラも何にも無いし、鬱病でさえそんなポピュラーな代物じゃなかった。モロに体育会のノリで、その証拠に新入社員も応援部とかボート部、野球部の出身者がたくさんいた。これ等は礼儀は正しいしつまらん小理屈は言わないし、実際仕事もテキパキとこなす。一方の僕はと言えば、今度こそ真面目にやらなければ、と一念発起して固いメーカーを訪問した。人生リセットの勢いだったが、結局今から考えると素性がバレるのは時間の問題だった。

 翌年の暮れにとんでもないオチがつく。僕たち工程スケジュールを組んでいる者はラインが動いている間は4日とか5日をまとめて休むことなんかできない。特に年末は第4/四半期の稼動日数が少ない(正月の一部休止と2月の暦日数の関係)ので、年末31日と正月2日くらいに出勤して生産命令を出さないと工場が止まってしまう。帰省で人も少なくなった寮でヒマを持て余した僕は、バイクでメシを食いに行った。ラーメンの大盛りか何かを食ったあと、世間では紅白歌合戦でも見ている頃には寮に帰ろうと飛ばしたのだが、突如、一瞬宙に浮いた感じの後、ガササッ!と音がした気がした。
 次に気がついたのは河原に寝転がっている自分だ。真夜中なのは間違いない、どうやら気絶していたらしい。アチコチ痛いがどうやら動く、起き上がってみるとライダー・スーツを着たままで、すぐ側に水の少ない川があった。回りは渓谷になっていて、バイクごと転落したらしい。そこら中に石が転がっていて、頭から行ったらと思うとゾッとした。ともあれ助けを呼ばなければ、ほぼ無傷の僕は崖(3mくらい)をよじ登り、近所の家を探し(100mくらい先に2軒あった。行く年来る年を見ていただろう一家の人ごめんなさい)救急車を呼び、病院に行き、警察調書をとられ(結局自爆ということで違反なし)新年を迎えた。読者は俄かに信じられないだろうが、恐ろしい真実である。付け加えると僕は夜中に病院を脱走し、ヒッチ・ハイクで寮に逃げ帰った。

 更に後日談がある。新年4日の仕事始めに会社に来た幹部は当然ながら怒り狂った。悪意のある噂が既に蔓延していたのだった。どう責任取るのかと怒鳴られ、一瞬考えて『倍働いて何とかします』というと、係長・課長を従えた部長が厳かに指示した。『こんなのが倍も働いたらメチャクチャになる。ベテランを付けろ』
これでは将来真っ暗なことぐらい僕にもわかった。

 
 
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心に残るプロレスの名言 全日本編

2014 MAR 13 11:11:34 am by 西 牟呂雄

    地上デジタルのゴールデン・タイムの放送がなくなったって、プロレスはプロレスで独自に進化する。そして振り返るとそこには忘れられない、心に残るプロレスならではの名言が残されていく。活字媒体で拾ったものも含めて、僕が大事にしているプロレスの名言集を綴ってみよう。

「馬場の耳に念仏であります。」福澤アナウンサー  プロレス中継の傑作として名高い。新崎人生(しんざきじんせい)というレスラーがいる。僧形に頭を剃り経文を全身に書き付けたりするコスチュームで、みちのくプロレスから米国WWFで頭角を現した。基本的な技を『極楽固め』『曼荼羅捻り』と名付けたり、パワー・ボムの際『念仏ドライバー』といって合掌して見せるパフォーマンスが実に良かったが、その一つに『拝み渡り』というのがある。腕を捻り上げ、その手首を持ったままコーナー最上段にあがり、片手拝みをしながら隣のポストまで歩きそこからチョップを振り下ろすという、バランスの難しいプロレスっぽい技だった。それをこともあろうに交流マッチのシングルでG馬場にやったのだ。この技は腕を捻り上げて引っ張っていく所に味があるのに相手がデカすぎる。馬場は薄ら笑いを浮かべながら引かれていったが、チョップの際にはこれを払って逆に唐竹割で返した。そこで、当時の福澤アナが思わず叫んだのが冒頭の台詞。あまりのツボの入りように僕は感動した。一緒に見ていた小学生だった息子に『馬の耳に念仏』という諺は本当は馬場の耳に念仏が正しいのだと教え込み、学校で言いふらすように指示したぐらいだ。もっともバカらしくてしなかったらしいが。

「皆さん、こんばんわ」ラッシャー木村  マイクを使ってパフォーマンスすることがご愛嬌になった木村の、そもそものスタートがこのハズしだった。猪木に挑戦するためにリングに上がった時、マイクを渡され一瞬なにを言っていいか分からない様子で、猪木を睨みつけながら観客に挨拶してしまったのだ。そのときの観客のどよめきと言うか失笑と言うか、どう反応していいかとまどった雰囲気を覚えている。もう少し打ち合わせりゃいいものを。最低限握手するふりをして殴りかかるとか、「何がストロング・スタイルだ!本当のプロレスを教えてやる!」くらいのことを言わなきゃ。そう言えば、国際プロレスの先輩でもあったストロング小林が猪木に挑戦した時は調印式でいきなり殴りつけて猪木が吹っ飛んでいった。木村は普段は恐ろしく無口で何も喋らない人だったので、いきなり振られてとまどったのだろう。後年、愛嬌のある「喋り」でブレイクしたのだが、しばらくはオチョクリのネタにされていて笑えた。

「あんなもんだろうよ。」ジャイアント馬場  長州力のジャパン・プロレスが全日本で暴れて活況を呈していた頃、頂上対決として実力日本1と言われたジャンボ鶴田と長州がシングルで戦った後、御大が漏らした一言。この試合は結局のところ60分フルタイム見ごたえのある戦いを続け、互いに技は全て出すことができた好バウトだったが、その後があった。実は長州は息も絶え絶えになって控え室ではしばらく動けなかった。一方の鶴田は余裕綽々で鼻歌交じり会場を後にした。馬場が言いたかったのは要するにスタミナだ、ということのようだ。鶴田という選手はとにかく天才としか言いようの無い無限の耐久力があったようで、それは練習量とかいった後天的なものとは違っていたのではないか。それは師匠の馬場も同じで、あの巨体でドロップ・キックができたくらいの運動神経を持ち(坂口もスタン・ハンセンもできない)、なおかつロクなトレーニングもしないでもあれだけの動きができたのだ。こういうバケモノがトップなので、必然的に新日本との住み分けができたのだと思う。

「何だ、まだやれるじゃないか。」ジャイアント馬場  還暦となり、その前に三千試合連続出場の偉業を達成した頃のセレモニーで、リングに上がってインタヴューを受けた時の一言。アナウンサーの還暦になった感想を問われて「いやー、昔は還暦の人を見るとずいぶん爺さんだと思いましたけれどねえ。イザ自分がなってみれば、」から冒頭の言葉にと続いた。会場からは「さすが、ジャイアント馬場!」といった歓声が上がり、興奮したアナウンサーが「日本一強い還暦です!」とフォローを入れた。この頃はメインのリングには上がらず、前座で若手を相手にした試合ばかりだったが、それは汗もかかないような展開にも関わらず、間の取り方が絶妙でツウを飽きさせなかった。一つには実力と運動神経が違いすぎていて、近くで見ていても若手は馬場に全くダメージを与えることができない。僕はそろそろアラカンなのだが凄いとしか表現できない。そんなことできますか?

「アントニオ猪木がやるほど面白くはならないだろうが。」梶原一騎  ご存知タイガー・マスクの生みの親。この人、本当のところストーリー・テラーとしては大変に面白い。『空手バカ一代』なんかは筆が滑りすぎて一部の極真会関係者からも、あれはちょっと、と言う具合らしい。実はジャンボのことを高く評価していて、猪木がやっていた異種格闘技シリーズをもし鶴田がやったら、との問いに答えて言った一言とされる。結果はレスリング・パワーで圧倒する、とのオチだ。
 ところで鶴田の叔父さんが都内でタクシーの運転手をしていて、僕も一度乗ったことがある。『応援お願いしますよ。』などと言われ『もちろんです。』と張り切って答えた。この叔父さん、僕の知り合いだけでも複数の人に確認されているが今どうしているだろう。
 しかし肝腎の鶴田に見るべき台詞が残されていないのが残念だ。リング上の掛け声「オー!」だけでは物足りない。
 話をもどして僕はこの梶原一騎が全日本のリング・サイドで観戦していたのを見たことがある。試合は猪木とあのネール・マッチをやったりタイガー・ジェット・シンと組み、ヒールで鳴らした上田馬之助、後楽園ホールだった。試合そのものはおっしゃる通り「アントニオ猪木がやるほど面白く」なく、馬場のアーム・ブリーカで上田の腕がブラブラになってしまって勝負あった。上田が観客席に雪崩れ込み観客が逃げ惑う中、上田を制するようにサッと立ち上がった姿に気がついたのだが、貫禄十分だったなぁ。

 このブログを書いているときに往年の名レスラー、ビル・ロビンソンの訃報が届いた。最初から思っていたがダブル・アーム・スープレックスを『人間風車』とは、あまりにもマヌケなネーミングではないか。せめてブリティッシュ・バスターとか・・・だめか。 お疲れ様でした、合掌。

10.21横浜文化体育館

スポーツを科学の目で見る (プロレスその1)

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ハムレット観劇 

2014 MAR 10 0:00:20 am by 西 牟呂雄

昨日は劇団東演の公演『ハムレット』をSMCの仲間で見てきました。場所がまた演劇のメッカ、下北沢の本田劇場なのが郷愁を感じます。30年前には下北で遊ぶときは「シバイ」を見に行く、などと符丁を言ったものですが、街は以前のゴチャゴチャ感が少しおさまったようです。SMCメンバーの早野さんがハムレットの母親ガートルート役で出演していたので、四人で見てきました。前回の公演は地震のときでしたので、皆さん思い入れが強いのでしょう。ロシアからまた同じ演出家が来日して、俳優さんも二名出演されました。色を添えて「とうきょー」「だいじょぶ」くらいのせりふを入れて楽しませてくれました。ロシア語は分からないなりに異国の隠し味になっています。

これが、実に斬新な演出であって、従来の通しに比べると3時間ほどで済む様にまとめられテンポが速い。役者さんたちの動きも走るし回るし、奥行きを充分に使ったダイナミックな手法で、音楽も効果的。そして要所要所に役つくりのツボになる台詞があり、それをどうこなすかが鑑賞者の醍醐味なのですが、今回は2箇所に注目しました。一つは恋人を追い払うためにしつこく「尼寺に行け、尼寺に。」と繰り返すところ。これは主役の演技が引き締まっていてまず、Aランク。もう一つが、凄惨な殺し合いのクライマックスに向かうときに呟くあの「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ。」と坪内逍遥が訳したセリフ。これ原本では「To be ? or not to be ?. That is the question.」ですが、今回は「これから行こうか、帰ろうか。」とサラリと語らせます。映画でイギリスの名優サー・ローレンス・オリビエがやったハムレットは、城壁から夜の闇に向かって呟くアレです。ずいぶん粋な翻訳だと関心しました。驚くべきことに、隣のSMCのオッサン二人は、この部分のツボがまるで分かっておらず、猫に小判状態なのは情けない。それどころか、どんな筋かを阿曽さんに解説まで聞いていた。

しかしあれだけ走るのだから、早野さんお疲れ様でした。7月までのロング・ランですからお体ご自愛ください。帰りに皆で話したのですが、重臣のポローニャは本来イジラレ・キャラのはずなので、そこでもう少し嗤いを取った方が効果が出るような気がします。これから九州方面ですな。

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さよならローリング・ストーンズ ダイスをころがせ(Tumbling Dice)

2014 MAR 9 14:14:47 pm by 西 牟呂雄

東京ドームが終わって、8年ぶりに来日したストーンズが帰国した。僕は今回は行かなかったが、知り合いで4日と6日の二回見に行ったバカもいる。これは半分うらやましいのだが、そのバカは10万円くらい使ったんじゃないだろうか。何しろミック・ジャガーが単独で来た時はわざわざダフ屋から10倍くらいの金を払ってまで行った奴だから。で、聞くところによれば相変わらず走るし跳ねるし、あんなに暴れる70歳はいないんじゃないかとのことだった。ご贔屓のJumping Jack Flashは6日のオープニングだったそうだ。

ストーンズのインチキ訳詩を書いてみているが、個人的には「ダイスを転がせ(Tumbling   Dice)」という題名がどういう訳か気に入っている。それも邦題の方。これはわが国固有の壷振り博打とチンチロリンの伝統があるから、何となく心の琴線に触れるからだと勝手に解釈している。これが「カードをシャッフル」ではノリが悪く、「牌をかき混ぜろ」とか「銀玉をはじけ」或いは「車券を買に行け」ではグローバル性に欠ける。やはり「ダイスを転がせ」だ。それでいつもの無理矢理翻訳をやってみると、

Woo Yea

Women think I’m tasty, but they’re always tryin’ to waste me
来る日も来る日も      出たとこ勝負で

And make me burn the candle right down
今まで来たけれど

But baby, baby, don’t need no jewels in my crown
バット, ベイビー, ベイビー, 後悔してるから

‘Cause all you women is low down gamblers   Cheatin’ like I don’t know how
止まらぬ性分    終わらぬ勝負    過ぎ行く毎日

But baby, I go crazy, there’s fever in the funk house now
バット・ベイビー, アイ・ゴー・クレイジー, もうやめにするよ

This low down bitchin’ got my poor feet a-itchin’  You know you know the deuce is still wild
仕事も探す          ネクタイ締める      朝早く起きる

Baby, can’t stay        You got to roll me and call me the tumblin’ dice
ベイビー, カーント・ステイ  狂わせる   丁半勝負

Always in a hurry, I never stop to worry   Don’t you see the time flashin’ by
お金も入れる     お酒も止める       遊びも止めるから

Honey, got no money, I’m all sixes and sevens and nines
ホニー, ゴット・ノー・モニー, 本気だこのオレは

Say now, baby, I’m the rank outsider    You can be my partner in crime
怒っちゃだめだ    行かないでくれ      オレを捨てないで

Baby, can’t stay
ベイビー, カーント・ステイ

You got to roll me and call me the tumblin’
狂わせる          丁半(勝負)

Roll me and call me the tumblin’ dice
狂わせる          丁半勝負

(間奏)

Oh my my my, I’m the lone crap shooter    Playin’ the field every night
オー・マ・マ・麻雀    競輪    競馬    カードに   パチンコ

Baby, can’t stay
ベイビー, カーント・ステイ

You got to roll me and call me the tumblin’
狂わせる          オーラス・(リーチ)

Roll me and call me the tumblin’ dice
狂わせる          最終レース

狂わせる    狂わせる   狂わせる

(リンシャンカイホウ フル・ハウス  万馬券  ジャン打ち・・・・)

この歌はそうポピュラーじゃないかも知れないが、なかなかいい曲で僕は好きだった。

 ともあれ8年ぶりの来日が彼らの70台だから、さすがにもう日本には来ないだろう。やっぱり見に行くべきだったかな。80台のストーンズを70台の僕がみてもなぁ。

ローリング・ストーンズがやってきた! ジャンピング・ジャック・フラッシュ 歌詞(Jumping Jack Flash)

一人ぼっちの世界とライク・ア・ローリング・ストーン 

タイム・イズ・オン・マイ・サイド 歌詞取り


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何回も卒業した

2014 MAR 7 12:12:28 pm by 西 牟呂雄

 学校からは5回卒業したが、いつも大した感慨が湧かなかった。僕はどの学校でもどちらかというとマイナーな存在だったし、セレモニーが似合わない性質なのでヤレヤレという感じが強かったように記憶している。友達もそんな奴らばかりだったので、皆盛り上がらなかった。さあ、次に行こうか、といったノリということか。これは東京育ちで、周りの連中と大体似たような進学を繰り返し、更に地域的にも物凄く狭い範囲に通い続けてしまったので、一人だけ遠くに旅立つという感覚にならなかったせいじゃないだろうか。大学までの一貫校の奴らもそれに近いことを言っていた。今から考えれば、海外に進学でもしたほうが人格形成上良かったような気がする。卒業・リセット、そして次への飛躍という気になった初めは、就職して初めての現場に赴任した時、今度こそ真面目にやろう、と力が入った時かもしれない。

 そもそも学生時代全般にわたって、勉学でもクラブ活動でもスポーツですら、打ち込んでやるようなことはやってない。従ってモノになったものはない。ギター・ドラム・スキー・ゴルフ・ヨット全部中途半端に終わってしまった。勤めてからも、大体2年半くらいで担当が変わり、ナニナニの神様というようになるような育ち方をしていない(どこでも使い物にならなかった、の声あり)。
 そういえば、仕事内容が変わった途端それまでの同僚達とは連絡を取らないようにしている。僕はそういうのを普通のことだと思っていたが、中には嘗ての同僚とOB会のように頻繁に会う人も多いらしい。少数の各時代の仲間(小中高大と3人~5人くらい)とは付き合ってはいるが、それは利害関係が無いからで、どういうわけか上司・同僚・部下といったしがらみが継続するのが生理的に面倒なのだ。

 この楽観的な軽薄さに救われているのだろう。年齢のこともあり(アラカン!)本当の意味の船出は実はこれからのような気がしている。その際の多くのヒト・モノをそれこそ”捨て”たのかもしれないが(捨てられた?)、どんなもんだろうか。以前にも書いたが、これからは新しく人と出会ったり、余計なことに首を突っ込んで迷惑を撒き散らすのは止めようと思ったものの、おかげさまでセッセとブログを書いたりしている。人は嗤わば笑え、何が起こるかはわからないのだ。

 それで次に卒業するのは、この世からグッド・バイだから、今まで目を背けてきたかもしれないものも良くみておかなけりゃ・・・。何てね。

 一つ書き忘れたが、学生時代に趣味と同じように極められなかったことにギャンブルがある。これが全くと言っていいほど才能がなかったのだが、見事に卒業できた。 
 その昔、ある宴会で何の拍子か競馬の話になり、よせばいいのに半端なウン蓄を偉そうに喋った。酔いが回って引っ込みがつかなくなり、有馬記念の大勝負を挑まれてしまった。
 この競馬で勝負を挑んでくる、とはさすがに今から考えるとバカの極みなのだが、とにかくそれを受けざるを得ず、手持ちの現金をアラカタつぎ込むことになったら、これが奇跡的な大当たり。百万を越える金を手にすることになる。元から使い道なんか考えてなかったからタガが外れた。今であれば銀座で一晩で使えるのだが、そのころ配属されていた田舎では、スナックを借り切りにし、お寿司を出前して、レミー・マルタンをぶちこんでも大したことない。一週間くらいそんなことばかりして大半を使った週末の朝、ひどい二日酔いで目覚めた。寮の四畳半の部屋だったが、部屋の中で蟻が引越しの行列を作っているのだ。ついに幻覚が出たのか、と恐怖した。そして混乱した頭で「神様、もうギャンブルはやめます。酒も控えますからまだ廃人にしないでください。」と祈った。実は蟻の行列は幻覚でも何でもなくて実際にあったのだが、結果としてこれがギャンブルからの卒業になったのだ。

(筆者注 本年ヨット仲間の新年会でこの禁をやぶり麻雀をやった途端、一局目の東場でリーチ一発ドラ八を振り込んで×万円を飛ばしたことを報告いたします。)

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緊急対談 プーチンVSオバマ 大統領ホットライン

2014 MAR 5 15:15:07 pm by 西 牟呂雄

3月5日時点

オバマ「ハロー、ハロー。」

プーチン「ズドラーストヴィーチェ。」

オバマ「オイオイ、戦争やるのかよ。」

プーチン「冗談じゃない。やるわけないだろ。パラリンピックやってんだぞ。オレは平和な力の信奉者だ。」

オバマ「穏やかじゃないぞ。いきなり万単位の部隊を動かすなんて。」

プーチン「そう熱くなるなよ。あんたはビジネス・ライクな人間のはずだ。シリアの貸しをもう忘れてるのか。」

オバマ「忘れてないさ。オレだってやる気はないけどEUがカリカリしてどうにもならない。」

プーチン「考えても見てくれ。例えば沖縄が独立宣言して、あんたのところの基地を返還しろ、というのと同じだろ。黒海艦隊が出て行く訳に行かないんだ。」

オバマ「普段からウクライナなんかを苛めるからこんなことになったんだ。東南アジアや中東じゃあるまいし。引っ込みがつかなくなったって地上軍を首都に進行させることなんか、いくらなんだってできないだろう。NATOを動かすことになったらもう取り返しがつかないぞ。」

プーチン「そもそもオレがやったわけじゃない。変にヨーロッパ被れした連中が調子に乗って後先考えずに暴徒化しただけじゃないか。ひょっとしてCIAが煽ったんじゃないのか。黒海艦隊をウクライナごときが維持できっこないだろ。下手にあんた達の大好きな選挙で結果が出てからじゃ遅い。」

オバマ「いいから何とかしてくれ。煩くてしょうがないんだ。」

プーチン「EUはおとなしくなるって。あんたメルケルの盗聴やって気まずいんだろ。おれのところで飼ってるスノーデンにもっと喋らせちゃうぞ。大体メルケルは昔で言えば東独の出でロシア語ペラペラなんだから。オレだって東独にもいたからドイツ語できるぜ。あんたは何語ならいけるんだ。」

オバマ「うるさい、語学なんか関係ない。開き直る気か。本当に経済制裁するぞ。そっちも景気は悪いんだろう。」

プーチン「アッそんな事言うなら北方領土を返して安部を取り込んでやる。」

オバマ「お互いオトナだろ。クリミア半島にかまってると歴史的に碌なことにならんことぐらいわかるだろ。1853年だ。無傷ではすまんぞ。」

プーチン「その年はあんたのところがペリー艦隊で日本に砲艦外交やった年でもある。余計なことしてオレに安部カードを切らせるな。」

オバマ「それならヨーロッパにシェール・ガスを輸出をしてあんたの天然ガスの稼ぎをメチャクチャにしてやる。」

プーチン「上等だ。シリアでもう一度手のひら返しだ。それにエネルギーが値崩れして喜ぶのはまたしても日本だけだからな。あんたの景気も悪くなる。」

オバマ「俺達は底堅い。それにユーロもまだ高い。クリミア半島くらい何とかしろ。チェルノブイリの問題もあるんだからウクライナを安定させろ。飴と鞭でやれ。」

プーチン「無理いうな。鞭しか使ったことがないんだぞ、俺達は。」

オバマ「パラリンピックには世界中から人道主義者が集まってんだ。その間にもう少しいい知恵を出せ。こっちも考えるから。今時余計な金を使いたくないのはお互い様だろ。」

プーチン「だから戦争なんか全然やる気ないって。場所柄オレだって困ってんだ。少し考えるから手を引いてくれ。あんたもテロには気をつけろよ。」

オバマ「脅す気か。ポロニュウムという訳にはいかないぞ。そっちだってパラリンピック中のテロは心配でもあるだろ。」

プーチン「まあそうだ。とにかく互いに変なことにならんようにはしよう。ダスヴィダーニャ。」

オバマ「抜け駆けやめろよ。グッ・バイ。」

安倍 VS トランプ ゴルフ対談

架空緊急極秘対談 トランプ VS 習近平


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