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ネコと鏡とミステリー

2014 JAN 18 18:18:59 pm by 東 賢太郎

ミステリーという小説は謎を投げかけます。①部屋で人が殺されている、しかし、②内側から鍵のかかったその部屋には誰もいない、というように。①と②は矛盾しているので読者は心理的な不快感を覚えそれを解消させたくなりますが、この衝動はアメリカの心理学者、レオン・フェスティンガー(Leon Festinger)が唱えたもので「認知的不協和の解消」と呼ばれます。イソップにちなんで「酸っぱいブドウ理論」ともいわれ、2つあって迷って買わなかった方のブドウは「あれはきっと酸っぱかったのだ」と自分を納得させる心理プロセスのことです。

大学1年目の政治学の講義でこの言葉を習い、政治学よりもそっちの方に興味を抱きました。ミステリーを読みたくなる衝動は①と②の不協和の解消衝動ですが、不協和は不快感ですから本来ストレスがあっていやなものです。そのひと時の不快感よりもその解決によるカタルシスの解消の方が快感度が高いからそういう小説が求められる。謎が大きいほど解決の快感も高いのですね。それは、本来は危険のシグナルである苦味というものがあるビールをおいしいと感じるのと同じことで、ミステリーはとても人間的な遊びに満ちていると思ったのです。

では動物はどうか?

あるとき僕の家に迷い込んできたチビという非常に賢い子ネコに3mぐらい離れたところから鏡を見せました。チビはそこに写ったネコ(自分)を発見して驚き、別のネコだと思って低い姿勢を取って相手を凝視しながら忍び足でゆっくりゆっくり鏡に近寄ってきました。いよいよ鼻先が鏡面にくっつくとクンクン匂いを嗅いで何かを悟ったように裏面に回り込み(おそらくネコがいないことを確認)、それ以来二度といかなる鏡にもまったく反応を示さなくなりました。

しかしクラシック徒然草-ねこの「ごっこ」遊び-に書きましたがネコは「草むらで音を聞いた」、しかし、「行ってみたら鳥はいなかった」という不協和を認知して楽しむことができるのです。これは我々人間が苦味というシグナルを認知して危険を察知することで本能を一度人為的に緊張させておき、しかし、危険どころかノド越しが良くて逆に爽やかじゃないかという「倍返しの解放感」を覚えるという「とりあえずビール!」の快感と同じものをネコは感じることができる証拠であると信じます。

チビは①ネコがいる、しかし、②近寄ってみるとネコはいない、という認知的不協和のようなものは持ったはずで、どうして①②が同時発生したかはともかく、「①のネコ」に反応しても得るものは何もないということを一気に学習したものと思われます。「①のネコ」とは彼女にとっては「鏡に映ったネコ」なのか「あの白いネコ」なのか「自分の姿」のどれかなのですが、鏡をいくら取りかえてみても彼女はもはや知らんぷりでした。マジックのタネを知ってしまったということです。といっても鏡の原理を知ったはずはありませんから、冒頭のミステリーの例でいうと、犯行のトリック(光の反射)という②の理由を知ったのではなく、①のほうがおかしい、つまりそこに死体はなかったのだという「解決」で納得し、不協和を解消したものと思われます。そしてそれが条件反射化して知らんぷりになってしまったということです。

なぜ「死体はない」とチビが理解してしまったか?彼女は、(A)鏡という物体を個別的ではなく集合的に認知して「あれは鏡だ」「鏡の中のネコはいない」と知ったか、それとも、(B)自分かどうかは知らないが「あの白いネコ」に近づいても存在しないことを知ったか、(C)自分の外部から見た姿を認識して「あれは自分だ」と知ったか、どれかということになります。これは証明できませんが、僕の観察ではBかCであり、Aの可能性は低いように思います。あの白いネコが自分だという認識の有無がB、Cの差ですが、人間並みの感性を発揮した彼女の場合、Cであったと思いたいですね。「ふん、馬鹿にすんじゃないわよ知ってんのよ」と僕のマジックに肘鉄を食わせるのが認知的不協和の彼女なりの解消だったのかもしれません。

ミステリーに戻りましょう。冒頭の謎を大胆に仕掛け、うまく解決した先駆者と評されるのが「オペラ座の怪人」の著者フランス人ガストン・ルルー(1868-1927)の「黄色い部屋の秘密」(1908)であります。「①はなかったのだ」というネコの解決は許されないので②を説明する必要があるというのが人間界の宿命であり、以後にそれを正当化する様々な試み(トリック創案)がなされるようになります。鍵にひもがついていたり、秘密の穴から狙撃したり、涙ぐましいものですが大体は興ざめなもので、ルルーの解決は創世記の作である割に比較的ましなほうに入ると思います。

その後、英国のG・K・チェスタトン(1874-1936)の「ブラウン神父シリーズ」(1911-35)、米国のS・S・ヴァン・ダイン(1888-1939)、ジョン・ディクスン・カー(1906-77)が印象的な作品を残しましたが、密室の概念を孤島、走行中の夜行列車、飛行機、雪に閉ざされた山荘などに広げたのが英国のアガサ・クリスティ(1890-1976)です。それぞれ「そして誰もいなくなった」(1939)、「オリエント急行殺人事件」(34)、「雲をつかむ死」(35)、「シタフォードの秘密」(31)ですね。

わが国では横溝正史(1902-81)の「本陣殺人事件」(1946)が皮切りのようです(ちょっと機械的なように思うが)。彼の作品はトリックの妙というより舞台設定と殺人の動機設定のうまさに長所があるようです。特に「動機」というのは大変重要でこれが弱いとトリックの巧拙以前になんで人殺しなんかしたわけ?と拍子抜けしてしまう。横溝の作品はグローバル比較しても大変説得力を感じます。

メカニックなトリックそのものということでいうと、大胆で独創的と感心したのが赤川次郎(1948-)の「三毛猫ホームズの推理」(78)島田荘司(1948-)「斜め屋敷の犯罪」(82)でありました。赤川は女子供向けのイメージが強いですが、場面展開の速い筆力とトリック創案には流行するだけのベーシックな能力を感じます。種明かしは礼儀として控えますが、両者にはある共通項がありますね。

僕が最も尊敬するエラリー・クイーン(合作者なので2人をとって1905-82)は書きませんでしたが別稿を設けます。ネコが登場したところでお後がよろしいようで。

 

 

(こちらへどうぞ)

チビ

クラシック徒然草-ねこの「ごっこ」遊び-

エラリー・クイーン「オランダ靴の謎」

織田信長の謎(2)ー「本能寺の変431年目の真実」の衝撃ー

 

Categories:______サイエンス, ______ミステリー, (=‘x‘=) ねこ。, 読書録

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