Sonar Members Club No.1

カテゴリー: ______レスピーギ

レスピーギ 交響詩「ローマの祭り」

2013 NOV 28 0:00:23 am by 東 賢太郎

ローマ法を勉強して驚いたのは、日本国刑法で他人の飼い犬を殺すと「器物損壊罪」になることのルーツがローマにあったことだ。どうしてかわいいペットが「器物」になってしまうのだろう?

これはキリスト教が「人は神との契約を結んだ存在」としてその他すべて(万物という)と人とを区分したことが根本原理となる。法の主体は人である。動物は人ではないから万物である。従って、法の主体でない動物(飼われていない動物=野良犬)を殺しても法は関知しない(=罪ではない)が、人の所有する動物は他人(=法の主体である)の所有権を侵害したから罪になる。他人の所有物を壊す罪は器物損壊罪である。従って、他人の飼い犬を殺すと器物損壊罪である、というロジックだ。

2000年も前のローマ法が欧州刑法を経由して極東の日本国刑法にまでこうして形を伝えている。

刑法261条

他人の物を損壊し、又は傷害した者は、三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金若しくは科料に処する。

ローマは世界の現代社会の背骨を作っている。ローマ史にはそうした人間の英知と同時に、人間の残虐さも刻まれている。ローマ皇帝は帝政ローマ期の全歴代152人いたが65%が自然死以外(暗殺、戦死、不審死)で死んでいるという。皇帝は終身職なのでクビにできず殺すしかなかった事情があるが、同時に、皇帝でこれなのだから一般民はと思うと恐ろしい。

ローマの大火は西暦64年7月19日未明に、写真の「チルコ・マッシモ」(競技場、下の写真)の一階売店から上がった火の手が延焼して全ローマに広がった。放縦をきわめた皇帝ネロが自ら火を放ったという噂が広がり、焦ったネロは出火原因の濡れ衣を当時は異教徒だったキリスト教信者に負わせた。

 

チルコマッシモ

民衆を「パンと見世物」で統治したのがローマだ。ネロは多くのキリスト教徒を逮捕すると、即決裁判で全員に死刑判決を下した。史実かどうか知らないが、囚人を飢えたライオンに食わせるのが「見世物」となったようで、血に飢えた民衆は女子供まで見て喝采したという。草食系の日本人とは程遠い感性だ。その舞台がこの写真の競技場だったとレスピーギは述べている。反対側が皇帝の住居であるパラティーノの丘。カエサルはここで競技を見た。アントニウスが皇帝の冠を差し出し、カエサルはそれを拒否したが、王制を嫌悪するローマ市民はそれを見て騒然としたという。カエサルはその1か月後に暗殺された。

<ローマの祭り(Feste Romane)>

第1曲「チルチェンセス」

「チルコ・マッシモ(競技場)の上に威嚇するように空がかかっている。しかし今日は民衆の休日、「アヴェ・ネローネ(ネロ皇帝万歳)」だ。鉄の扉が開かれ、聖歌の歌唱と野獣の咆哮が大気に漂う。群集は激昂している。乱れずに、殉教者たちの歌が広がり、制し、そして騒ぎの中に消えてゆく。」

(注・ファンファーレがネロ万歳、トロンボーン・チューバのスタッカートで鉄門からライオンが入場、聖歌が襲われるキリスト教徒の神への祈り、グリッサンドの暴虐な金管が襲い掛かるライオン、そして残酷な結末を迎える)

第2曲「五十年祭」

「巡礼者達が祈りながら、街道沿いにゆっくりやってくる。ついに、モンテ・マリオの頂上から渇望する目と切望する魂にとって永遠の都、「ローマ、ローマ」が現れる。歓喜の讃歌が突然起こり、教会はそれに答えて鐘を鳴り響かせる。」

(注:イントロは食い殺されたキリスト教徒の魂が昇天するかのようである。歓喜の頂点で鐘が鳴るのが実に印象的。鐘を効果的に使った例としてはベルリオーズの「幻想交響曲」と双璧といえる。ハ長調に対して鐘をシ♭にした効果は絶大で、作曲者の才能を僕はここで最も感じる。)

第3曲「十月祭 L’Ottobrata」

ローマの城で行われるルネサンス時代の祭がモチーフ。ローマの城がぶどうでおおわれ、狩りの響き、鐘の音、愛の歌に包まれる。やがて夕暮れ時になり、甘美なセレナーデが流れる。

(注:この部分はリムスキー・コルサコフの兄弟弟子にあたるイーゴル・ストラヴィンスキーの影響を感じる。そしてこの響きがコープランドの「アパラチアの春」に遺伝している)

第4曲「主顕祭 La Befana」

ナヴォナ広場で行われる主顕祭の前夜祭がモチーフ。踊り狂う人々、手回しオルガン、物売りの声、酔っ払った人(グリッサンドを含むトロンボーン・ソロ)などが続く。強烈なサルタレロのリズムが圧倒的に高まり、狂喜乱舞のうちに全曲を終わる。

( 冒頭は完全にストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」の格下のコピーである。)

この曲はローマ三部作の中で芸術性においては最も劣る。「噴水」にあった高雅な印象派の香りは「松」でやや失せ、ここに至ってはほとんど失せ、一つ間違えば安手の映画音楽に 淫する。ただ、管弦楽の華やかさではレスピーギの技法の頂点ともいえ、それを充分に発揮させた場合の演奏効果は非常に高い。アレクサンドル・ラザレフが読響を振ったライブは圧倒された。

 

リッカルド・ムーティ / フィラデルフィア管弦楽団

ムーティ レスピーギこの曲の文句なしに最高の名演である。同じオケながら、これも悪くないオーマンディー盤が偏差値65なら、それをはるかに凌駕するこれは70を超える。このオケをムーティ指揮で毎週2年間聴いた僕として、この演奏こそ彼らのベストフォームのひとつと断言してもいい。イタリア移民の街フィラデルフィアでイタリア人ムーティのプライドを賭けた渾身の演奏である。金管ばかり目立つ曲だが、主顕祭の弦のうまさをよく聴いてい欲しい。あらゆるオケ演奏の究極の姿であり、この曲がどんなにチープであろうと聴く者を震撼させる恐るべき音楽を聴くことができる。

 

ジュゼッペ・シノーポリ/ ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団

シノ―ポリこの曲を初演したのはこのオケとトスカニーニである。ユダヤ系イタリア人シノ―ポリはパドヴァ大卒の心理学者であり脳外科医でもあり、マルチェルロ音楽院卒の作曲家でもあった。2001年に彼が55歳の若さでアイーダの指揮中に亡くなった衝撃はよく覚えている。92年にウイーンフィルと来日した際にNHKホールで聴いたR・シュトラウス「ドン・ファン」のテンポの遅さは参ったが、ユニークな表現をする人だった。「噴水」「松」だけでなくこの曲をやったのは意外だが、ここではスコアを作曲家の眼で読み解いていて違う曲に聴こえる。

 

最後に、「祭り」だけでなく三部作としての真打ちの登場である。

 

アルトゥーロ・トスカニーニ / NBC交響楽団

4547366068405三部作をまとめたCDとして永遠の価値を有するスタンダードであり、人類の誇る名盤中の名盤である。確信のこもった弦のフレージングに血が通い、常に表現に曖昧さは一切なくメリハリが利き、叙情的な場面では神秘的な透明感があり、すべてにわたって地中海の空気に満ち満ちている。木管、金管のうまさはもはや驚異的な領域であり、オーケストラ・プレイの完成度でこれに対抗できるのは上記ムーティ盤のみだろう。三部作を好きな方は当然お持ちだろうし、これから聴いてみようという方は迷う必要は一切ない。これを何度も聴いて、異演盤を聴くのが王道である。全曲を通してどうぞ。

 こちらは珍しいピアノ連弾版です。

ガリア戦記はカエサルのブログである

レスピーギ 交響詩「ローマの松」

2013 NOV 26 12:12:06 pm by 東 賢太郎

イタリアの高校の歴史教科書にこうあるらしい。

「指導者に求められる資質は、次の5つである。知性・説得力・肉体上の耐久力・自己制御の能力・持続する意思。カエサルだけが、このすべてを持っていた。」

bk-4061591274それは「ガリア戦記」を読めば納得する。周知のとおりこの書は彼が「朕は」ではなく「カエサルは」と三人称にて自らの戦略、機略、戦果を克明に活写した軍記である。全七巻を書いた期間については諸説あるが、そのいずれであれ戦場で書いたに違いなく、多忙なビジネスマンが出張先のホテルでブログを書くぐらい(以上?)の速度での執筆でないと到底不可能な分量だ。それにして簡潔、緻密、克明であり、武将というよりも博学な科学者、技術者の文章というイメージを覚える。選挙用のプロパガンダ目的があったようだが、同行の何万という兵士たちも読者、有権者であり虚偽は書けない。彼は弁論術、文才においてもキケロに対抗できる唯一のローマ人といわれた。すさまじいアウトプット能力でありそれは彼の精力にも通ずる。知略には優れたが虚弱で男子がなかったアウグストゥスでなく、この男が共和制を壊して君臨していたら・・・ほとんどのローマ史好きの夢想ではないだろうか。

クレオ                              彼が元老院で暗殺された日にクレオパトラはローマにいた。彼女との逢瀬が暗殺の直因ではないにせよ、つかまっていたらクレオパトラも殺されたかもしれない。そうであったならプトレマイオス朝はそこで終焉を迎えたし、彼女はアントニウスを色香で籠絡もできなかったから、アントニウスはオクタヴィアヌスに攻め殺されることもなかった。鼻の高さがどうあれ、魅力的な話術と小鳥のような美しい声でカエサル、アントニウスを手玉に取った、ローマ史を根底から変えた偉大な女だ。オクタヴィアヌスがアウグストゥスを名乗ると、ローマ帝国の共和政は終わり崩壊への端緒が開かれる。8月は計30日になってアウグスト(August)に呼称を変えたから、世界も変えた。カエサル暗殺現場はフォロ・ロマーノではないが、遺体を焼いた場所はそこにある。遺灰は雨に流され、何も残らなかったそうだ。

「クレオパトラとカエサル」(ジャン・レオン・ジェローム画)

 

アッピアカエサルが20代の頃、第3次奴隷戦争(スパルタクスの乱)が起きた。初めてイタリア本土で起きた内乱でありローマは騒然となった。クラッスス、ポンペイウスに平定され、捕えられた奴隷はアッピア街道(右)添いに100km先のカプアに至るまで累々と十字架に磔(はりつけ)にされた。スパルタクスの遺体はなかったというのが信長みたいでなかなか格好いい。ローマ史では逆族あつかいの男だがマルクス、レーニンが正しい戦争と称賛したことは有名だ。アカは使えるものは何でも使う。そして、ルビコン川を渡ったカエサルに追われたポンペイウスはそのアッピア街道を南下して逃げた。

 

第4曲「アッピア街道の松」にレスピーギが寄せた思いは何だったろう。松これが「ローマの松」全曲を締めくくる音というものは、あらゆる管弦楽曲のなかでオーケストラが出す最大級の音響だ。もう轟音に近い。それとは対照的に繊細な音が終始する「噴水」で時刻とともに移り変わる光彩を描いたレスピーギは、作曲の20年前に描かれたクロード・モネの「ルーアン大聖堂」を知っていたのだろうか。「噴水」がフランス印象派の装いを示すなら、この「アッピア街道」でのローマ重装歩兵の行軍は音のドラマである。

前回にご紹介した「ローマの噴水」という曲は数奇な運命があって、1908年にメトロポリタン歌劇場で米国デビューしたトスカニーニが浮気がばれてメットを去り、15年にイタリアに帰国していた。そこで「自国の管弦楽曲」を探していたトスカニーニはボローニャの歌劇場でヴィオラを弾いていて才能を評価していたレスピーギに声を掛けた。レスピーギは17年のローマでの初演で評論家の失笑を買って机の引き出しにしまいこんでいた「噴水」のスコアを渡した。そこでトスカニーニがミラノで行なった18年の再演が大当たりとなり、一気に有名曲の仲間入りを果たしたのだ。浮気が引き金だ。音楽でも歴史は女が動かしている。

「オペラでなく管弦楽曲を」というのは、ニューヨーク赴任を経て、ラジオ、映画という米国の巨大な音楽市場の未来を見こしたトスカニーニの卓越したマーケティングセンスの賜物ではないかと想像する。芸術に資本主義は似合わないが、ベートーベンだって貴族からの注文だけでなくパリやロンドンの市場動向に敏感だったのだ。特に米国の管弦楽曲へのニーズという市場動向と米国音楽史は無縁ではない。グローフェの「グランドキャニオン組曲」は20年に着想された(31年完成)。ガーシュインは「ラプソディー・イン・ブルー」(24年)、「パリのアメリカ人」(28年)を書いた。

作曲年をよく見てほしい。「ローマの松」(24年)、「ローマの祭り」(28年)と完全にコンテンポラリーだ。「噴水」はフランス印象派の血脈を引いた音楽、「松」と「祭り」はトスカニーニの影響下でアメリカを意識した音楽であり、両者には断層がある。こう理解することで、なぜトスカニーニが芸風とかけ離れた「ラプソディー・イン・ブルー」や「パリのアメリカ人」や「星条旗よ永遠なれ」までをNBC交響楽団と録音し、なぜローマ三部作に名盤を残したのかよくわかる。三部作は彼の子どもなのだ。そしてこの大河の下流にべラ・バルトークの「管弦楽のための協奏曲」(43年)、アーロン・コープランドの「アパラチアの春」(44年)という名曲が現れるのではないだろうか。

<ローマの松(I pini di Roma)>

以下、①-④は切れ目なく続けて演奏される。青字はすべてレスピーギ自身による解説である。天下の名曲、ぜひ全曲をお聴きいただきたい。

『ローマの松』では、私は、記憶と幻想を呼び起こすために出発点として自然を用いた。極めて特徴をおびてローマの風景を支配している何世紀にもわたる樹木は、ローマの生活での主要な事件の証人となっている。 

①ボルゲーゼ荘の松

「ボルゲーゼ荘の松の木立の間で子供たちが遊んでいる。彼らは輪になって踊り、兵隊遊びをして行進したり戦争している。夕暮れの燕のように自分たちの叫び声に昂闘し、群をなして行ったり来たりしている。突然、情景は変わり、第二部に曲は入る。」

②カタコンバ付近の松

「カタコンバの入り口に立っている松の木かげで、その深い奥底から悲嘆の聖歌がひびいてくる。そして、それは、荘厳な賛歌のように大気にただよい、しだいに神秘的に消えてゆく。」

③ジャニコロの松

「そよ風が大気をゆする。ジャニコロの松が満月のあかるい光に遠くくっきりと立っている。夜鶯が啼いている。」

④アッピア街道の松

「アッピア街道の霧深い夜あけ。不思議な風景を見まもっている離れた松。果てしない足音の静かな休みないリズム。詩人は、過去の栄光の幻想的な姿を浮べる。トランペットがひびき、新しく昇る太陽の響きの中で、執政官の軍隊がサクラ街道を前進し、カピトレ丘へ勝ち誇って登ってゆく。」

①はいきなりまばゆい音のシャワーを浴びせかける。フルート、クラリネット、鉄琴、チェレスタ、ピアノの細かい音符の上下動にトライアングルとトランペットの信号音。オーボエに弦はヴァイオリンとヴィオラだけでトレモロ。低音は一切なし。高音楽器のみのアンサンブルはストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」の冒頭を思わせる。③には作曲当時最新だったグラモフォンによるナイチンゲール(夜鶯)の鳴き声の録音が流れる。このあたりの濃厚な後期ロマン派的和声は本当にすばらしい。

 

CDは以下のものを推す。

アルトゥーロ・トスカニーニ / NBC交響楽団

1953年(カーネギーホール)のこの録音はトスカニーニの名刺代わりであるばかりでなく、作品のイデアを刻み込んだ人類の遺産だ。作曲家の意図を同時代人がこれほど完璧にリアライゼーションをしてしまえば後世は為すすべがない。20世紀に至って作曲家の自演は多く存在はするが、演奏としてこのレベルに達したものは極めて稀であり、しかもそれは現代の高水準の演奏レベルでも再現し難い専制君主型指揮の比類ない合奏力と緊張間の中で行われるという絶対的価値持つのである。地球が滅びるまで永遠に聴き継がれるであろう無二の演奏記録だ。

 

ユージン・オーマンディー/ フィラデルフィア管弦楽団

レスピーギフィラデルフィアはイタリア系移民の人口比が多い。サンドイッチの「ホーギー」やアイスクリームなど、食文化にもそれが色濃く残っていたのを思い出す。レスピーギがこのオーケストラに招かれたのもそういう背景があろう。上記青字の作曲者解説は彼が1926年1月15日に自作自演した演奏会のプログラムノートである。直伝のパート譜があるに違いなく免許皆伝の演奏とはこのことであり、しかもそれが史上最高級の演奏技術と音響によって再現されている。こういう美麗な音を聴かずに死んでは人生がもったいない。58年の旧録音、68年の新録音が入っているが録音の鮮度を含めて甲乙つけがたい。

 

レオポルド・ストコフスキー / シンフォニー・オブ・ジ・エア

このオーケストラはトスカニーニのために組成されたNBC響が彼の死後にNBCから契約を打ち切られ、名前を変えて存続した団体である。1941年にNBCと不和になってトスカニーニが辞任した折に常任に呼ばれたのが40年にフィラデルフィア管ともめて退任していたストコフスキーだった。この録音は59年(トスカニーニの没後2年)、このオケがこの旧知の彼を招いて前任の十八番を振らせたものだ。前半はトスカニーニの刻印を色濃く残すが最後のアッピア街道はテンポが遅く、あの推進力を顕著に欠く。エンディングのティンパニは改変されているが、ストコフスキーの抵抗だろうか。上述の「後世は為すすべがない」ことを彼ほどの有力な指揮者ですら示していると思われる非常に興味深い記録だ。

 

2台ピアノ版です。ビデオも楽しめます。

レスピーギ 交響詩「ローマの祭り」

 

(こちらもどうぞ)

ガリア戦記はカエサルのブログである

 

 

お知らせ

Yahoo、Googleからお入りの皆様。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/
をクリックして下さい。

 

レスピーギ 交響詩「ローマの噴水」

2013 NOV 24 12:12:30 pm by 東 賢太郎

地中海音楽めぐりイタリア編、その2はイタリアの作曲家オットリーノ・レスピーギの名作「ローマの噴水、ローマの松、ローマの祭り」を3回に分けて。

僕は古代ローマ好きで本は片っぱしから読んでおり、大学ではローマ法まで勉強しました。だから人生なにをおいてもフォロ・ロマーノに行ってみたくてたまりませんでした。現在の東京でいえば永田町、霞が関、丸の内、大手町を一緒にしたようなところ、つまり大ローマ帝国の政治と権力と富の中枢が集結した場所です。

1983年、留学中のウォートンスクールの夏休みにさぼって欧州旅行した折、友人家族と一緒にベルギーから遠路はるばる車でここまで来てしまいました。

真夏の快晴の日でした。その、忘れもしない、憧れのフォロ・ロマーノの遺跡に初めて足をふみ入れた時のことです。なにか体じゅうに電気が流れるような、地面からエネルギーが放射されるような感じがいたしました。悪い感じではなく、むしろ元気が出るようなものだったのですが、足が妙に震えたので気になりました。興奮していただろうし、霊感とか霊気とか、僕はそういう手の話にはとんと縁のないほうです。体が心配になり他の人にききましたが何もなく、あれは何だったのか、今もよくわかりません。

大体のツーリストは1時間ぐらいでぐるりと一周して、それでも相当歩かされますが、ガイドの説明を聞いて終わります。しかし僕は、あらゆる廃墟の壁のあらゆる背面まで仔細に見て回り、道のない木立の裏側まで探索し、土や石に触り、あちこちに何分間も立ち止まっては「ここにカエサルの遺体が・・・、ここでトラヤヌスのダキア征服が・・・」など(たぶん)ぶつぶつ講釈をたれた。友人は、「暑いな、東、そろそろ行こか」となる。アウグストゥスの家があった「パラティーノの丘」が目に焼きつき、家は必ずこういう感じの高台に建てるぞと意を決したのはその時でした。

この訪問が物足りなかったのでそれ以来2回ここへ行くためにローマへ行きました。リピーターなんです。ここでぼーっとしていると、やはり電気で痺れた感じになり、朝から晩まで時が過ぎます。写真を見るだけでなにかざわざわと血が騒ぎ、心臓がどきどきしてきます。自分もだという方がもしおられたら是非ご連絡ください。一生の友達になれるでしょう。だいぶ話が遠回りになってしまいましたが、このフォロ・ロマーノに行ったり写真を見たりすると、まるでBGMのように頭の中で自動的にプレイバックするのがこの噴水、松、祭りという、いわゆる「ローマ三部作」なのです。

それはライン川でシューマンの3番が勝手に鳴るのと全く同じ現象であり、噴水や松や祭りを媒体として古代ローマへの幻想をかきたてるといった風情の音楽としてワークしています。少なくとも僕においては。もちろんローマ史を勉強しなくてもローマへ行かなくても面白い音楽であるわけですが、皮相的な聴き手から皮肉なことに皮相的な音楽と位置づけられてしまうのはレスピーギが気の毒です。作曲家存命中もアメリカでの評価の方が高かったそうで、歌の国イタリアという事情はあるにせよもっとシリアスなリスナーに評価されるべき名曲であると声を大にしたいところです。

3曲とも音の絵画の性格があり、「祭り」にライオンの吠え声の描写、「松」には録音した本物のナイチンゲールの声が現れます。こういうところが「えせシリアス」なリスナーに馬鹿にされてしまう。しかしレスピーギは「噴水」のスコアに4つの噴水が喚起する「感情と幻想」を表現しようとしたと書いており、ライオンもナイチンゲールもベートーベンの田園交響曲の鳥の声と同じ役割という趣旨で使われたと思われます。ただレスピーギが用いた語法はマイクロスコーピックな主題労作と変奏ではなく和声と管弦楽法に多くを依存したものである点でベートーベンとは異なります。(参考)ベートーベン交響曲第6番の名演

レスピーギはリムスキー・コルサコフに管弦楽法を習いましたが、和声が醸し出す情感とそれを描く楽器法の幸福な結婚とでも形容するしかない瞠目すべき成果は師匠の交響組曲「シェラザード」と双璧です。シェラザードはピアノで弾いても面白いのですが、この三部作も(僕は弾けませんが)まったく同じでしょう。音楽の骨格ができている上でのオーケストレーションの妙であって、決して不美人が化粧でごまかしたような軽薄な音楽ではありません。化粧があまりにうまいので逆に損している美人なのです。

<ローマの噴水(Fontane di Roma )>

前述のようにスコアには「ローマの四つの噴水で、その特徴が周囲の風物と最もよく調和している時刻、あるいは眺める人にとってその美しさが、最も印象深く出る時刻に注目して受けた感情と幻想に表現を与えようとした。」とあります。

①ジュリアの谷の噴水(夜明け)

Cattleオーボエが鳴り出すともうそこは朝靄のかかる薄明のローマの夜明けです。鳥が鳴きものうげな旋律が木管で奏でられ、Rシュトラウス「ばらの騎士」の銀のばらの献呈の場面に似た和音がでてきて、牛の群れがゆっくりと過ぎていく。あなたは幻想的な雰囲気の中、そのゆったりとした光景を眺めます。この噴水はどこか場所が特定できておらず、「ローマの松」にも登場するボルゲーゼ荘の中にある盆地のような場所のようです。

②トリトンの噴水(朝)

トリトンホルンが朝を知らせます。朝日に水しぶきがきらめく。トリトンは半人半魚の神で嵐で難破しそうな船を見つけると、ホラ貝で嵐を鎮めてくれる。このトリトンの噴水はローマの中心部バルベリーニ広場にあります。バロック期の著名な彫刻家ベルニーニの作品で、1643年に完成した。4頭のイルカに支えられた大きな貝の上にトリトンが乗り、空に向かって高々とホラ貝を吹いている。金管の勇壮な響きとチェレスタ、ピアノの繊細なきらめきが印象的です。

③トレヴィの泉(真昼)

トレビこの噴水はローマで最も有名なものでしょう。古代ローマ時代に敷設された水道のひとつであるアクア・ウェルギネの水を流し込んだ、18世紀につくられた巨大なバロック様式の人工噴水です。正午の太陽がのぼり、弦が喜びに沸き立つような3拍子の勇壮な主題を出します。海馬に引かせた馬車に乗り、トリトンや女神たちを従えたポセイドンの凱旋です。それが金管に受け継がれ、全曲の頂点となる。雲が起こり、海はまばゆいばかりに輝く。目がくらむような黄金の光の中、勝ち誇ったポセイドンの行列が目の前を通り過ぎて行く。そして遠くから響くトランペットの音とともに彼方へ消えていくのです。

④メディチ荘の噴水(黄昏)

メジチメディチ家の別荘であるヴィラ・メディチはローマを一望する高台にあります。この噴水からは夕陽とともに移ろっていくローマ市街が見渡せます。ローマ賞受賞者、ベルリオーズ、グノー、ビゼー、マスネ、ドビュッシーらが滞在したのはこの館です。一日も、そろそろ終わりを迎えようとしています。夕暮れの郷愁の時、大気は小鳥のさえずり、木々のざわめきなどで満ち溢れている。夕暮れの郷愁の時をむかえ、ゆっくりと空は暗さを増し、教会の鐘の音が響いてきます。やがて、すべてが静まり、音楽は夜のしじまの中に消えていきます。

月並みなローマ観光ガイドみたいになってしまいますが、レスピーギが描こうとしたのはどの噴水の風景でもなく、ローマ史です。この、そう大きくはない都市で古代からおこった数々の人間ドラマ。それを文字にすれば何千ページの書物になる。それを彼は文字ではなく音で表したということです。アラビアンナイトの物語に想を得てできた傑作シェラザードと同じく。「噴水」は物語を象徴する具象にすぎず、この曲の4つに加えて彼は4つの「松」、4つの「祭り」という、計1ダースの具象を選び取りました。しかしその底流にある彼のテーマ、それはローマ史への憧憬であるに違いありません。海外旅行好きの方はもちろんですが、むしろローマ史ファンの方にこそ聴いていただきたい名曲であります。

ローマ三部作といっても3曲が一気に書かれたわけではなく、噴水が1916年、松が1924年、祭りが1928年です。演奏頻度では松が高いですが、3曲まとめてというコンサートもありますね。噴水の1917年の初演時の評価は、本人がスコアをしまい込んでしまうぐらい惨憺たるものでした。それを再デビューさせ有名にしたのはアルトゥーロ・トスカニーニです。噴水に限らず、三部作は彼の演奏が決定版とされていて、たしかにそれに僕も異存はありません。そこでそのトスカニーニ盤のコメントは最後に回し、まずは各曲ごとに僕が好きなものをご紹介しましょう。

マイケル・ティルソン・トーマス /  ロスアンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団

祭りこの指揮者が若いころ(1972年)ボストンSOを振った春の祭典は歴史的な名演です。複雑なテクスチュアを解析する抜群のセンス、漂う詩情、オケの透明感、若鮎のようなはじけるリズム感は余人のできる域を超えているのです。そして1978年、まだ彼は若かった。だから祭典と同じ水準の演奏、こんなに新鮮で水しぶきが光にはじけ飛ぶような表現ができたのでしょう。ロス・フィルのトップ奏者たちがこちらも繊細な感性で棒にこたえています。この曲だけは若い人のみずみずしい感性でやってもらいたい。世評はさほど高くないのですが第1に推したい名演であります。

 

フリッツ・ライナー /  シカゴ交響楽団

ライナーオーケストラの図抜けたうまさが光るCDです。①の朝もやにそこはかとなく浮かびくる叙情 。こういう音楽にこそ奏者ひとりひとりの実力が出ます。②のホルンの咆哮の深々とした響き!とラプソディックに現れては消える独奏楽器の陰影。うまいです。③のトゥッティの豪壮な鳴りっぷり。名人ぞろいのシカゴ響の威力全開であり、それをたばねるライナーの求心力、緊張感がスピーカーを通してひしひしと伝わってきます。だから④の弱音も痩せることなく、①と同じく詩情に満ち満ちた夕暮れの慕情が美しさの限りです。僕はこの演奏(LP)でこの曲を覚えました。だから今久々に聴きかえすと昔の教科書を開いたような郷愁にかられます。この名演で記憶できた幸運に感謝したいと思います。

 

2台ピアノ版です。これは面白い、ビデオも楽しめます。

レスピーギ 交響詩「ローマの松」

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

ライフLife Documentary_banner
加地卓
金巻芳俊