Sonar Members Club No.1

カテゴリー: Jazz

南米の空気とライル・メイズ・トリオ

2024 JAN 30 11:11:14 am by 東 賢太郎

ビジネスは流れというものがあって、今はいいように渦が巻いている。いろんな話があって、まあ自分のことだけ考えれば受けても受けなくても、どれとどれだけやってもいい。世間的にそう小さな話でもない。あと少しで69にもなるのだから無理してもろくなことはなく、他人様の迷惑になってもいけないというのが先にあるのは道徳心というより体力、気力との相談だ。ゴルフ場の受付で「年齢」欄に58と書きそうになり、一瞬、えっ俺はもうそんなトシかと思ったんだよなといったら「お前だいじょうぶか?来ちゃってるぞそれ」と笑われる。本当に58ぐらいの時にも、48ぐらいの時にもそう思ったし、あまりに来ちゃってないからそう思うのさということにしている。

こういう時、信じるのは直感だけだ。なぜならずっとそれで世を渡ってきて、まだ渡れており、そこには体力、気力との相談も自律的に含まれているからだ。やって良かったというケースもあるが、やらなくで正解だった方が多い。やったら即死のケースもあった。そうやって部長や役員だった会社を3度も辞めたし、今となってみるとあまりに大正解だったと考えるしかない。金融のホールセールビジネスというのは魑魅魍魎の巣窟である。魑魅は山の怪、魍魎は川の怪だから要はぜんぶ化け物であって、化かされた者は入ってきた本人がいけない。プロの麻雀大会だ、すってんてんにされても同情も救済もされない。

僕は経験も信じない。経験を信奉する者に最も欠けているのが経験なのだ。うまくいった失敗したというのはその時の環境要因が大半であって、それが違えば別の判断になるのは道理である。僕はピッチャーだから前の打者を打ち取ったタマで次打者もいけるなんて考えたこともない。直感というのは打者ごとに危険を察知する霊感のことで誰にもあるのかどうか、練習して身に着くかどうかは知らない。想定外の事態になっても大丈夫な神経のほうが大事かもしれない。ちなみに会社の資本勘定はその為にある。経営者はえてして経験から判断するが、えてして凶と出る。それで即倒産されては商取引の信用が崩壊するからBSにバッファーを載せる。経験は信用できないことを前提にしている。

直感は充分に寝て、心が冴えわたり、かつ、平静でないと働かない。そういう状態を作るのが実は難しい。個人的なことになってしまうが、僕の場合は36才の時に行ったブラジルの空気と情景を思い出すのがいい。際だって特別な記憶だ。歳と共に輝きを増してクラウン・ジュエルになってる。24時間もかけて地球の真裏の別世界まで行くなんて火星に行ってきましたぐらいのもんだ。格段にラグジュアリーだったヴァリグ航空のビジネスクラスであったとしても最早望めない自分がいる。そんな出張までさせてくれた野村證券の懐の深さに育てられた自分がこの程度。申しわけなさもあり、どうしてもあの時に帰ることになって幾分かの鼓舞も混じる。

僕がうまくいってきたのは多種多様な音楽が生み出す気分があるおかげだ。無意識に漢方薬にしてうまく使ってきた。ピンポイントにあの宝石を心象として蘇らせるものが大海を探せば必ずある。南米といえばボサノバで大好きだが、こういうシチュエーションで蘇らせたいのは心象であって風景ではない。それがある。ウィスコンシン生まれのアメリカ人のジャズだ。ブエノスアイレスでの録音というのがあるかもしれないが、ライル・メイズのピアノはその芳香に満ちていてこのシャワーを1時間浴びているだけでいい。

あの時、ブエノスアイレスもサンティアゴも行った。これを録音したオペラハウスは世界5大ホールに数える人が多い名劇場だが聞けなかった。仕事も面白かったし素晴らしい時を過ごしたのだから思い残しはない。

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ボビー・ハッチャーソン 「Total Eclipse」

2023 FEB 13 6:06:18 am by 東 賢太郎

海外勤務のころ、成田からロンドン、ニューヨーク、フランクフルト、チューリヒ、香港まで何度往復しただろう。年2、3回として4~50回ぐらいはしたかもしれない。東京で仕事を済ませると決まって夕刻の便である。真っ暗なロビーの窓からはるか飛び去っていく機体が見える。あんなブラックホールに吸い込まれるみたいに忌まわしい物体に乗りたくない。ラウンジは観光客やたまの海外出張ではしゃぐサラリーマンでうるさい。仕方なく、特に食べたくもないが、毎度そば屋の暖簾をくぐってひとり時間を潰すことになる。

年末にパリから帰って来る娘を夜の羽田で待ち受けていて、16年もそうやって味わっていたあのとりとめもない空漠とした気持ちが蘇った。フライトは嫌いだ。狭いのも高いのもいけない。乗るとすぐワインをがぶ飲みして寝ようと試みるが大体うまくいかない。シンガポールからのナイトフライトが故障で飛ばず、一晩閉じ込められてパニックになった地獄のトラウマが蘇る。そこで映画を探すがほとんどが安手の流行りものだ、すぐに飽きてしまい頼みは音楽しかなくなる。しかしJAL、ANAのクラシックは見事にロクなのがないのである。

ジャズを聴くようになったのは、そうしたプアなセレクションの中では多少ましだからであり、緊急避難の末にケニー・バレル、ゴンサロ・ルバルカバなどを発見したのだからまあ文句はいうまい。ヴィブラフォン奏者ボビー・ハッチャーソンもそのひとりで、アルバム “Happenings” が気に入ってすぐCDを買った。そこでyoutubeをサーフィンするともっと好きなのが出てきた。“Total Eclipse” である。いい時代になった。そういうことをやると昔は結構な散財になったわけで、今の若者は音楽もwikipediaばりにゼロコストでクラウドに所有している。才能あるクリエーターはどうなってしまうのか心配にはなるが。

ジャケットの写真こそユルいが「皆既食」という名のこのアルバムは最高で、ハッチャーソンのヴィブラフォン、マリンバが耳を奪う。彼の作曲の才能も恐るべしだ。ピアノがチック・コリア、テナーサックスがハロルド・ランド、ドラムスがジョー・チェンバース、ベースがレジー・ジョンソン。全員が名手であり、音楽性がトップノッチで噛み合っているこのアルバムは最初から最後まで快感しかない。Herzogのプレストが出色だが、最高評価したいのは2番目のTotal Eclipseだ。ヘッドホンで聴くとまるで精緻な室内楽で録音も素晴らしい。チック・コリアのソロはどこかメシアンに聞こえる。

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ジャコ・パストリアスの魔界

2022 JAN 25 15:15:28 pm by 東 賢太郎

年末から表参道WELLCの森嶌医師のすすめでNMNの点滴注射を4回した。えらい高価な薬だ。先日、検査結果の説明があって「長寿遺伝子」は数値が良くなったらしい。しかしまずいのもあってテストステロン(男性ホルモン)が赤信号だ。こいつが枯れて長生きしてもしょうがないではないか。よし気持ちも若返るぞと昔よく聞いたジャコ・パストリアスのCDを引っぱり出した。

ジャコは、ジャズ、フュージョンのエレクトリックベース界の巨人である。ウエザー・リポートが気に入ってこのベーシストは何者だとなった。結成したジョー・ザヴィヌルは1932年生まれのウィーンっ子でフリードリヒ・グルダの盟友である。1988年にザルツブルグ音楽祭がザヴィヌルの協演を拒否するとグルダは出演をキャンセルしたほどの仲だ。

グルダのジャズは日本では理解されなかったが、ウィーン古典派の大家である彼が傾倒するものがジャズにはあるということだ。それは即興性だろう。モーツァルトの演奏会には即興があったし協奏曲のカデンツァも当然そうだ。もし生きていればモーツァルトはグルダみたいになったろうし、譜面になるべく忠実にという現代のクラシック教育を見たらびっくりしただろう。

ザヴィヌルはウィーンでピアノを学び渡米してバークリー音楽院に入ったが、すぐメイナード・ファーガソンのバンドに引き抜かれて退学した。学ぶものがないと思ったそうだ。グルダと逆の道を行ったわけだが、彼はグルダのようにモーツァルトは弾けないが、グルダも彼のようにジャズはできない。ザルツブルグ音楽祭事務局はザヴィヌルの音楽を認めないがモーツァルトは両人とも認めるだろう。クラシック界が「ジャズはいかがなものか」などと貴族ごっこをしていれば聴衆は減っていく。

ザヴィヌルは僕の親父の世代だが天才だ。ジャズとロックを融合してフュージョン。こいつは金融と科学を融合したフィンテックみたいに出るべくして出たものだが新しい。そのバンドで頭角を現して張り合うまでになったジャコ・パストリアスも天才だった。こうやって天才に天才が寄ってくる。バンドでもベンチャー企業でも同じだ。そうやってイノベーションが起きる。

ジャコはヤクをやって奇行がすぎて、泥酔してライヴハウスに入ろうとしているところを止めたガードマンと格闘になり、そいつが空手をやってたらしく頭を打って亡くなってしまった。1987年のことだ。35才10カ月21日のあまりに短い生涯はモーツァルト(35才10カ月8日)とほとんど同じだ。モーツァルトも女癖が悪く、手を出した人妻が妊娠して怒り狂った亭主に殴られて死んだという説がある。ともあれどっちもぶっ飛んだ人間であり天才に普通のいい人はいないを地で行っている。

彼を知ったウエザー・リポートのアルバム「ヘヴィ・ウエザー」にある「Teen Town」という短いナンバーだ。こいつは衝撃だった。作曲、ベース、ドラムスとも彼だ。ライブもあるがつまらない。彼がドラムを叩いてないからだ。

苦みあるコード、切れ味抜群のリズム、単調なシンバルにからむシンコペートしたバスドラのセンスは天才と書く以外いかなる形容も許容しない。音響が立体的でどんなオーケストラでもできない異界の四次元空間を形成している。これは初めて春の祭典を聴いた時に懐いた心象風景に似ている。

ベースがピアノと対位法になることはジャズ・トリオでもあるが、この速さでとなると未知との遭遇だ。物凄いとしかいいようもない。

ベースのハーモニクス、タムタム、ハービー・ハンコックの電子ピアノの百花繚乱の音が入り乱れ空中を浮遊する世界は魔界の極楽だ。僕はオリヴィエ・メシアンが浮かんでくる。

最後はこいつで元気になる。快感でしかない。モーツァルトに聞かせたい。そのクラスの音楽であること間違いなし。この4つで男性ホルモンは補填できそうな気がする。

この手の音楽こそ僕の原点でありグルダでなくザヴィヌル派だ。ジャズ、フュージョンには踏み込まなかったが、その嗜好を携えてクラシックに分け行ってみると現在の姿になる。クラシック界にはほとんどいない人種であり、だからザルツブルグの事務局みたいな輩は苦手だ。いかなる世界であれ、「いかがなものか」というフレーズを吐く人間にロクなのはいない。ちなみにその音楽祭は2度行ったが音楽会つきのファッションショーだった。

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チック・コリア逝く

2021 FEB 15 19:19:20 pm by 東 賢太郎

さあLINNのプレーヤーKlimax LP12が家にやってきたぞ、何をきこうかなとレコード棚をしばし物色し、千枚以上ある中からチック・コリアの “シークレット・エージェント(Secret Agent)” をとりだした理由はさっぱり記憶がありません。確かなのは、それが2月9日の夜だったことです。

チック・コリアの訃報を知ったのは12日、ブログを書き終えたあとのことでした。ええっ、なんてこった!いつだ???

2月9日でした

こういうことは皆さんもあるでしょうが、 “Secret Agent” ってロンドンにいたころ、35年も前に買ったレコードですよ、ひょっとしてあれ以来きいてないんじゃないかな?そんなぐらいで、曲については何も覚えてません。なんでまたこれを。。。??

チック・コリアが凄いと思ったのはアルバム “Now He Sings, Now He Sobs” (1968年)で、これジャズに詳しい人はみんなほめてるわけですが、僕はどうだったかというとどんなクラシックより上かもしれないという驚き方をしたのです。そのショックでコリアをあれこれ渉猟し、La Fiestaは悪くはないな、ゲイリー・バートンのCrystal Silenceにぶちあたってこれだこれだと舞い上がったり、やがてElektric Bandなんてのに出くわしてあれれ?となり、かたやSpainなんて軟弱なので完全にわけがわからなくなるのです。Secret Agentはあれれの部類だったのでお蔵入りしたんでしょう。

まあ僕のジャズはこんなもんでフュージョンに入りそこねたのですね。おもえば我が高校時代、音楽好きで女にもてるというとロックかフォークが相場で、同じ西洋かぶれなのにジャズは暗いしクラシックは論外でした。楽器もできないクラシック・オタクは不遇で、ちくしょうとジャズに憧れたのもあります(笑)。でもジャズに行ってもおかしくなかった。というのは、どなたも音楽趣味の棲み家みたいなものをお持ちでしょうが、僕は “Now He Sings, Now He Sobs” やらいくつかの衝撃でそれをいっとき見失なって、本当はこういうのが本命じゃないかと迷った時期があったからです。

コリアのアルバムはほぼ自作ですし即興と変奏の名手であることは折り紙つきです。現代にモーツァルトがいればこうなったに違いないと確信してしまったこともあります。例えば、Steps-What Wasのピアノのモードなど和声を超越してドラムス、ベース三つ巴の対位法!の域に突入している。和声はあるが無機的な4度系であって意識から消え、唖然とするプレストに目がくらみ思考停止します。何が乗り移ったかという即興感みなぎる発狂レベルなんですが形もちゃんと整っているという、これってアイガー北壁のてっぺんの稜線を歩いたらこんなかというぎりぎりの均衡ですね、何度聴いても手に汗握るしかないです。

それでいてその後70年代からは硬派のフリージャズの道でも突き進むかといえばそうでもなく、『クリスタル・サイレンス』 等でぐっと和声音楽的でクールな抒情を漂わせる方向に行くのだからもったいないといえばもったいない。この多才さは功罪あったのかもしれませんが。

そのゲイリー・バートンのヴィヴラフォンとのデュオは管弦楽法の魔法のようなもので、1979年のCrystal Silenceのチューリヒ・ライブはホール・アコースティックとのブレンドが絶品で完全にクラシック的鑑賞を許す域に入ってます。会場はLimmathausとあり市内を流れるリマト川のLimmatでしょうが2年半住みましたが知らないですね、でも素晴らしい。

これが2008年にはこう進化してオーケストレーションが施され、原形をとどめぬほどクラシック化しています。ストラヴィンスキー並のカメレオン的変化ですね、それともピエール・ブーレーズのWork-in-progressのコンセプトと同じ思想があったのでしょうか。

電子楽器のサウンドは彼の音色感覚でオーケストラの色彩領域を拡大するものとして使われます。僕は素人だから間違っているかもしれませんが、それがジャズ・フュージョン・バンドのElektric Bandに進化したように思います。The Chick Corea Elektric Bandではこれが凄い、先祖返りした曲ですね。

彼がクラシックも弾くといって、ジュリアードに行ったんだから当然と思ってましたが調べたら半年で中退ですね。disappointingだったようです。まあ音大卒の人の何百倍もの偉業を成し遂げてますからね、ビートルズもそうですが技術は教育できても音楽はできないということでしょう。

それでも彼はモーツァルトもショパンもバルトークも弾いてます。Secret AgentにはバルトークのバガテルOp. 6 no. 4がそのまま入っていて、それが理由でCD化が遅れたともききます。モーツァルトはk.332Mov2を録音するほど愛奏してます。キース・ジャレットとのPC10はブログにしましたね。これです。

閑話休題 -ジャズとモーツァルト-

工房でPC24番を練習するビデオがyourubeにありますが、3曲とも僕の愛好曲ですし、k.332Mov2は自分でも弾いてますから他人とは思えんですね。

彼に音楽の垣根はありませんでした。深く共感します。僕もまったくないからです。こういうのを是々非々といい、ちょっと多めにクラシックを聞いてるぐらいの感じで、その中でもハイドンも良ければブーレーズもいい。チック・コリアとバッハを分け隔てる理由もありません。あるのは驚嘆すべき才能への畏敬かもしれません。

まだまだ僕は彼の音楽に追いつけてないので、追悼はしても付き合いはこれからです。人は逝っても魂は残ります。2月9日はそういうことだったんだと思うことにします。

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LPレコード回帰計画が再スタート

2021 FEB 12 18:18:03 pm by 東 賢太郎

昨日は久々にLP漬けの一日でした。昨年浸水で中断していたレコードプレーヤー選びを再開することにしたのです。これから何機種か自宅のシステムとつないで試聴しますが、最初に届いたLINNのKlimax LP12にすでに度肝を抜かれています。ひとことでいうなら塩ビの盤を針が擦ってる感覚が消え、マスターテープを回している感じですね。まったく、66にもなって何を今さらなんですが、音盤にこんな膨大な情報が入るものかとですね、子供みたいに物理現象として改めて感嘆している自分が情けなくなります。驚くべきは三次元に広がる音場感、音の立ち上がりのキレと速度、低音にブーミーさが皆無で締まり良く、クリアな音像追求派と思いきや耳元にリッチに伝わる倍音はハモった我が声を包み込んで聞こえなくしてるし、このクオリティは尋常でありません。

OSCAR PETERSON、
At The Concertgebouw

まずはチック・コリアのSecret Agent。こいつはショック。初めて値打ちを知りました。オスカー・ピーターソン・トリオのアムステルダム・コンセルトヘボウのライブ(これはシカゴだったらしい)。唸り声がリアルで、客の拍手の粒立ちまでわかる。すると奏者の定位がおぼろげに出てきます。でもあり得ないんです、だってモノラルなんだからね、あまりにリアルなんで頭がそう変換して聴いてるんですね。ディスクが生き返るとはこのことだ。

カーペンターズは楽器音のクリアネスは言うに及ばずコーラスのざらっとした質感、クオリアまでわかる。そして何よりカレン・カーペンターの声にはまいりました。これぞ肉声。SACDもかなりのレベルですがこっちの方が上でしょう。僕は微小な舞台ノイズに喜びを覚える趣味はありませんが、それが歌手の心の気配を感じるレベルともなるともう別である。写真や動画でも人の喜怒哀楽はわかりますが、目の前にいる人に喜んだり泣かれたりしたらその比ではないわけです。ライブ感とはフェイクが前提の言葉ですが、ここまでいくと機器の存在が消えてもはやライブになってます。伝わってくるのは彼女の心の動きで、これは音楽演奏が人を感動させるエッセンスなのかもしれません。

この3人はみな自作を演じてます。作曲家でもあって、おざなりでない何かを伝えたい意思と力を感じます。そういうエネルギーは音を超えたもので、言葉や演技でも、いや、時に料理にだって感じることがあるんです。それを我々は目や耳や舌で受け取るわけですが、それが何かを言葉で説明するのはとても難しい。「気」とでもいうものでしょう。3人にそれを初めて感じたのだからレコードプレーヤーの威力です。業界のレファレンスの呼び声高いKlimax LP12、見てくれの割に半端でないお値段なんですがこの音ならどこからも文句など出ようがない。実力がよくわかりました。

オーディオは奥が深いと思ったのは、この最上級の名器でも、クラシックでは少々僕の趣味とずれがあることです。それがどうしたんだ?というぐらいほんの少々なのですが、ヴァイオリンの高音域がですね、スピーカーがスタジオモニターにもなる位そのまんま出てくるB&Wなんで、そのダイヤモンド・ツィーターが解像度の高いLP12だとキツめに反応していると思われます。これは僕にはダメなんです。ジャズ、フュージョン、ポップス系ではこれを凌ぐ音を聴くことはまずないだろうと思うレベルですが、オーケストラは難しい。ただし歌はいいですね、ルチア・ポップのモーツァルト・アリア集、僕は彼女が好きなんで至福の時を過ごせました。きれいなだけの声じゃありません、喜怒哀楽も色香もあってね、ポップはキャリアのスタートは演劇だったんです。そんなことまで伝わってくる、恐るべしです。

もうひとつ、感動したのがケルテス / ウィーン・フィルの「魔笛」です。64年8月12日のザルツブルグ音楽祭のライブで、63年に僕が愛聴するクレンペラーのEMI盤で夜の女王を歌ったルチア・ポップがここでは第一童子です。なんと贅沢な!クレンペラーは侍女にシュヴァルツコップを起用していてそういうことに見えますが、実はそうじゃない。ポップはこの時まだ25才の小娘だから分相応なのです。ケルテスの夜の女王はベーム盤の同役をつとめたロバータ・ピーターズです。ポップは元々スーブレットで強い声質ではなくピーターズの方が一般論的には向いてますが、申しわけないがポップの方が数段うまいです。そう、だからこそですね、老クレンペラーが、それもこのザルツブルグの前の年にですね、ぽっと出のお姉ちゃんだったポップを夜の女王に抜擢している。これはヤクルトが20才の村上を4番にすえたようなもんですが、そんな程度の話じゃない。巨匠にとって人生最後の大事な録音となることがわかっていた「魔笛」だったのです。クレンペラーの慧眼には凄みすら感じますね。というわけで貴重な全曲盤なのですが、このイタリア盤、モノラルは仕方ないとしても録音がボヤッとした音であまりに冴えません。完全に諦めてましたが、ひょっとしてと思いかけてみました。結果は合格。初めて楽しみました。ありがとう。

Klimax LP12、大変な威力です、なにせお蔵入りを次々と蘇生させるんだから悩ましい。手放したくないなあ・・でも来週はドクトル・ファイキャルトが来るんだっけ。困りました。

 

(PS)

なんと、チック・コリア氏が死去?ついさっきニュースで知りびっくりしました。本稿執筆時はつゆしらず、彼のレコードを取り出したのも虫の知らせか・・・?

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アート・ブレーキー「チュニジアの夜」

2020 OCT 14 1:01:07 am by 東 賢太郎

アート・ブレーキーとジャズ・メッセンジャーズはライブできいてます。ネットで調べると僕が留学中に彼がブルーノートかヴィレッジ・ヴァンガードで演奏したのは82年10月、83年2月だけでどっちもブルーノートでした。なぜ自分がニューヨークにいたのか記憶はないですが、2月は期末試験だからきいたのは82年の方だったでしょう。

血が騒ぐナンバーがいくつかありますがA Night In Tunisia(チュニジアの夜)は彼のドラムスがききものです。メル・テイラーは明らかにこれをパクってますね(ブレーキーはキャラヴァンもやってますが)。音の違うタムタムを乱れ打ちする土俗的な音は本能的に大好きで、春の祭典はいつもティンパニの音を追っかけてます。ブーレーズCBS盤を初めてきいてハマったのも、生贄の踊りの短三度のピッチが物凄く明瞭だったからです。

チュニジアは一度行きました。スイスにいた1996年の夏休みの地中海クルーズで首都チュニスに寄港しました。これがあるからこの航路を選択しました。そして憧れのカルタゴ遺跡を見ました。遺跡好きは筋金入りと自負しますが、掘ってみたいというのはなく、その地に立って歴史に思いをはせれば充分。至ってミーハーのレベルですが、そこで生活し、政治を行い、戦争をした人々と同じ目線になって時間を過ごせば「気」がチャージされます。地中海ではフォロ・ロマーノ、ポンペイ、クノッソス、リンドスなど何度でも行きたい場所です。ローマ史好きの方であればご理解いただけると思います。

カルタゴの遺跡

カルタゴはフェニキア人の植民都市ですが、彼らは元々いまのレバノンのあたりにいたカナン人で、鉄器でメソポタミアを統一支配した凶暴なアッシリアの重税を調達するため富を求めて地中海を西へ向かいます。それが結果オーライで、貝紫(染料)とレバノン杉を貿易財として海洋商人として大成功し、アフリカ大陸を周回したり表音文字のアルファベットを作ったりと知恵も行動力も破格で、ハンニバルのような武勇の男も出ました。

僕はなぜかローマ人より彼らにシンパシーがあります。カルタゴは3度のポエニ戦争でローマ軍の手で灰燼に帰し、男は皆殺し、残った5万人は奴隷に売られた。しかし兵士でない富裕な商人には逃げおおせた者も多かったでしょう。約千年後に現れた海洋都市国家ヴェニスは末裔が作った説があるし、遥か後世にその遺伝子を持った者が欧米に散ってロンドン、パリ、ニューヨークなどで活躍したのではないでしょうか(現にカルロス・ゴーンがいます)。フェニキア、ポエニは自称でなく、歴史を書いたローマが記してそういうことになってる。日本人がジャパニーズと呼ばれるのと同じです。千年後に日本がカルタゴになってないことを祈りながらここを後にしました。

そこから船に戻る道すがらのことです。真夏で半端な暑さじゃなく、遺跡から下ってくる道も舗装してなくてやたら埃っぽい。平地に降りたあたりでは、なにやら人がごったがえした猥雑な通りに店が並んでいます。僕はそういう超ローカルなものに目がなく、左側の一番手前の屋台みたいな土産屋を冷かしました。黒人のオヤジがいいカモが来たと思ったんでしょう、「ヘイ!このドラムどうだ、いい音がするよ、安くしとくぜ」と太鼓をポンポン叩きながら売り込んできたのです。それが写真です。ご覧のとおり、安物の陶器にアバウトに革を張っただけのシロモノです。しかし意外に高めのピッチで悪くなく、それに関心を見せたのがいけなかった。

チュニジアの太鼓

「どこから来た?日本?遠い国だな。10ドルでいいよ」とわけがわからない。「高い」「そんなことはない、お買い得だ」「いらん」「OK、じゃあいくらなら買うんだ?」手慣れたもんです。隣で家内が「そんなのスイスにどうやって持って帰るのよ、やめときなさい」と怒ってるし、断わるつもりで適当に「2ドル」と言ったらオヤジはがっかりの表情になり、「Jokin’!」とか何とかぐちゃぐちゃ文句を言いはじめた。そして数秒後にあっさりとまさかの2ドルになったのです。しまった、1ドルだったかと思ったが、そういう問題ではなかった。1週間のクルーズで荷物が山ほどあるうえに幼い子供が3人もいて、そこで結構デカいこいつをかかえて帰らざるを得なくなって、あきれた家内の非難ごうごうとあいなったのでした。でも、こんなもん日本で売ってないだろうし買う馬鹿もいないだろうし、今や愛着すらあって家宝に指定したいとすら思ってます。

こいつのお陰で楽しみができたという恩義もあります。脇に置いてムードを出しながら、地中海地図を見て古代オリエント世界を空想するのです。格好のエネルギーチャージであり、ストレス解消でもあります。大陸側のポルトガル、スペイン、フランス、イタリアの要所は車で、主な島とエーゲ海、アドリア海は2度のクルーズで、アフリカ側はモロッコ、そして今回のチュニジアへ行っており、空想はそこそこリアル感があります。

1年ほど前ですが、家でそういう事を話していたんでしょう、娘たちが3度目をプレゼントするよと言ってくれ喜んでいたのです。そうしたらクルーズ船は横浜のことがあって危ない存在になってしまった。困ったもんです。何故なら、数えきれないほど海外で旅行をして一部は行ったことさえ忘れてるのですが、ベスト1,2位は32才、41才で家族を連れて行った2度の地中海クルーズだった。はっきりと細かいことまで覚えてるのはあれしかないぐらい楽しかったからです。

「チュニジアの夜」をききながら決めました。もう一度行くぞ、マスクをして。

 

(おすすめ)

地中海にまつわるクラシック音楽はこちらにまとめました。音で旅行できますのでごゆっくりお楽しみください。

______地中海めぐり編

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差別はする方が猿なみである

2020 JUN 8 12:12:54 pm by 東 賢太郎

僕がラヴェルやモーツァルトが好きだからといって、白人至上主義に組しているわけではないことを示すのが本稿の大きなテーマである。

ジョージ・フロイド事件は南北戦争以来くすぶっている米国の黒人差別問題がオバマ時代を経ても収まっていない現実を世界に知らしめ、社会問題として各地に伝播しつつあるが、実は多民族国家の米国だけの話ではなく、「多勢に無勢」が「いじめ」に発展するのは実は人間の万国共通の悲しい性(さが)であるというもっと根深い本質が背後にある。形を変えて大なり小なりどこの国にだってあることなのだ。わが国では古来より「長い物には巻かれろ」と教える。「長い物」に正義があるかどうか哲学的に論じようではないかということではなくて、単に少数派になるといじめにあうからやめとけという処世術だ。

「白人」という言葉は「東洋人」がそうであると同じほど曖昧であるので、ここでは「キリスト教徒である白人」と限定しよう。19世紀から現代に至るまでの2世紀をその白人が(他の白人の力も使いつつ)実質的に地球を支配したと考えるのは、事実か否かを問うのは困難としても否定してかかることも同じほど困難だから認めるしかない。その2世紀はアメリカ合衆国の台頭、隆盛の歴史とほぼ重なり、どの国であれそれ抜きに歴史の教科書が地球史として客観性を保つとは思えないという妥協でもある。しかし中世の暗黒時代の白人にはその片鱗すらないのは皆さまが世界史で学ばれた通りだ。高度に知的なギリシャ文明はアラビア語世界に知識、文献として保存されていたし、武力ではモンゴル人が戦火を交えた白人をことごとく殺戮してロシアを征服し現在のバルト三国の地域まで死の恐怖に陥れていた。古代に遡れば中国文明に羅針盤、紙、印刷術、火薬など現代文明の利器の源流があり、智においても力においても白人が絶対優位だなどという証拠はどこにもない。

ではなぜ今そうなっているかというと、ルネッサンス運動による哲学と科学の探求、それを個人にミクロ化することを可能にした市民革命、そしてそれらの最大の果実となった産業革命による資本の蓄積において未曾有の成功を遂げたからだ。それは疑う余地もなく人類史における白人の巨大な業績ではあるが、といってそれだけで永遠に優位で居続けることを保証する能力の優位性の証明にはならない。多くの白人は否定すると想像するが、その自意識に合理性がないことは上述のとおり歴史が証明しており、白人支配が続くことに正義を認めるのは白人だけである。ということは、後述するが、合理性、正義なき優越感は差別を生む元凶であるということを論理的に意味しており、彼らにとってジョージ・フロイド事件が不幸なアクシデントだったのは、それが満天下に証明されてしまい、世界の隅々に殺人場面までが放映され、格別の反差別主義者ではないが人道主義者だ平和主義者だという世界の広範な思想の人々をも動員してのムーヴメントに発展してしまう兆しになりかかったことだ。

ここで僕が歴史の視点を学んだ本をご紹介する(既読の方も多いだろう)。人類はひとつの生物種ホモ・サピエンスであるという歴史観から世界史を宇宙の創造からの地球史として書いたハーバート・ジョージ・ウェルズHerbert George Wells, 一般にはH.G.ウェルズ、1866 – 1946)のA Short History of the World (1922)(邦題『世界文化小史』、講談社学術文庫)である。一言で評するなら小説みたいに易しくエキサイティングな世界通史だ。我々が学校で教え込まれている民族や国家という視点が実は矮小であり、「日本は小さな島国」なる思い込みも自信の欠如も実はご無用であり、宗教がかった「世界国民」的思想ではなく、独善的利益追求のための醜怪なグローバリズムでもなく、ともすれば理論的な共産主義に近いがサイエンスに足場があることで同化はしない。ウェルズは英国人だが下層の出でオックスブリッジでも既得権益者でもなく、市民革命の恩恵で平等に得たサイエンスの知識でファクト(事実)に忠実に世界観を構築したと僕は想像する。

この書物が第1次世界大戦前に書かれなお命脈を保つばかりか新鮮ですらあることは、彼が1891年に四次元の世界について述べた論文『単一性の再発見』を上梓し、『タイム・マシン』を1895年に、『透明人間』を1897年、『宇宙戦争』を1898年に書いたSF小説の父であった豊かな想像力と無縁でないだろう。その視点は学問の府における歴史学の主流にはなっておらずこれで受験勉強することはあえてお勧めしないが、いずれ気づかれることだが、学校が教科書で教える世界観や知識は皆さんが現実の社会で生きていく羅針盤としては甚だ不十分なのである。歴史は人間が生存を希求した1万5千年余りの生々しい足跡であって、歴史学なる方法論だけで探れるものでなく、物理学、心理学、生物学、社会学、経済学、法学、医学、疫学、哲学、考古学、気象学、地質学、天文学、建築学、芸術、料理、軍事における戦略論、兵器の進化などを横断的に包括的に理解しないと全貌は到底理解も把握もできないことは留意されたい。

私事になるが僕が最も詳しい西洋史はクラシック音楽史だが、それとて作曲家の楽譜や手紙や文献だけをいくら研究しても全面的に「一面的」であり、例えば「モーツァルト家が借金まみれだが貧困ではなかった」証拠があるが音楽学者は合理的な説明を見つけていない。彼が戦時のオーストリア通貨の大インフレで「意図的にBSの負債勘定を増やす高レバレッジ戦略を採っていた」と僕が解釈するのは証券マンの眼で当然だよねとしか見えないからである。それが合理的なのだ。音楽学者に経済学や為替理論を学べという気はない。貧困に追い込まれて死を悟り悲愴なレクイエムを書いたという通説を否定しようと思えば職業的リスクの伴う人たちだから仕方ない。ましてモーツァルトは親父譲りで徹底して数字に細かく利に聡く、そもそもあの楽譜が書ける人がそんな馬鹿であるはずもないと主張すれば音楽学者という職業には就けないだろう。レクイエムを教科書通りに聞いて涙したい人の邪魔をする気はないが、都市伝説で自分史が塗りこめられたモーツァルトが気の毒だと同情するばかりだ。

歴史学を軽んじる不遜さは持ち合わせていないつもりだ。その学問ひとつをとっても人間が一生で習得できる時間はそれでいっぱいであり、上述のすべての学問の専門家であることは物理的に不可能だから横断的包括的アプローチは主流にはなり得ない。それだけだ。ただ我々は自分の学習と知恵でミッシングリンクを埋めていくことはできる。その日々の作業こそが「生きる」ということだし、そうして生きれば人生はいつも新鮮な発見に満ちているのだ。宇宙の創生から俯瞰すれば、自分という卑小な存在の生き様も人類史という壮大な大河ドラマもH.G.ウェルズ流に「理解」するのが自然と思うし、なにより素晴らしいのは、その視点に立ちさえすれば、誰もが、学校で赤点だろうが落ちこぼれようが、古めかしい学問という鎧をまとうことなく簡単に歴史を咀嚼して自分なりの歴史観、ひいては世界観、宇宙観を所有することができるということだ。

肌の色で能力が決まるわけでもなく人類史へのこれからの貢献には、人種によって参加資格を隔てる優劣があるとも思わない。

と僕が結論する勇気を持てるのは同書を楽しんで読めたからであり、そうであるならば、産業革命の余韻が終焉を迎えつつある21世紀初頭の今、もしかすると長く続いた白人優位は風前の灯火なのかもしれないという考えに、ヘーゲルのアウフヘーベンとして至ることも可能となる。ポスト・コロナは日本の時代などという卑小な手前味噌の話ではなく、5万年のホモ・サピエンス史のスコープで眺めてそう思えてしまう。進行しつつある米中のヘゲモニー闘争はその端緒かもしれないし、北朝鮮という人口2千5百万の貧しい東洋の小国が核保有しただけで覇権国アメリカと対等に渡り合い脅かしている情景は第2次大戦はおろかベトナム戦争時点でも想像できなかった。太平洋戦争時点で日本が核保有できていたという想像は、米国の核爆弾開発が同盟国ドイツから亡命した科学者に多くを負ったものであったことからして決して空想ではなく、白人の覇権というものがそう予定調和的でも盤石でもないことは明白だということだ。

すなわち、人種や国の優位性はその時々に変遷するもので、たまたま優位にある者が下位の者に懐く差別という感情には何ら合理性もなければ正義もないのである。まして自己の便益で奴隷として連れてきた人たちを200年もたってなお差別するような利己的で理性を欠く心性の者は、これから21世紀に生きていく人類が幸福に共存していく方向に逆行する人たちではないかと思う。人間や国家や条約や法律や規則の存在の合理性、正義というものは、個人でも一国でもない、ホモ・サピエンス全体の繁栄という視点でしかとらえられなくなるだろう。なぜなら我々はすでにポスト産業革命という新たな歴史の入り口にいるからだ。「合理性」と「正義」。このどちらも持ち合わせずに生きている者、いわば動物的な原理で動く者はものの必然として猿と変わらないという結論に達することを妨げないというのが僕の立場である。

駒場の教材だった「価値の社会学」(写真)は東大生になったと実感した難解さだったが、半分も理解できなかったものが今はわかる。名著であり娘に与えて読ませている。筆者、社会学者の作田啓一氏は後に我が国特有の「自虐史観」への対抗イデオロギーとして「侵略戦争の開始も含めて、何でもかんでも日本の戦前のあり方は正しかった、反省などする必要は全くないと主張する史観」を「自大史観」と呼んだが、「安倍晋三はこの史観を全面的に打ち出すイデオロギー内閣を作り出した」と第1次安倍政権時のご自身のブログに書かれている。第2次政権も作田氏の慧眼どおりに物事を進めているように思われる。ここでその是非は論じないが、そこに合理性と正義があるかどうかは皆様のお考えに委ねることにしたい。

差別者の発想のベースは、しかし、自大史観であろうと書いてもほぼ異論の余地はないだろう。そうでなければ他者を差別する自我に内的根拠がないことになるからである。どんな歴史観であれ100%合理的でないとまでは言い切れないが、それが正義か否かはいかなる文明においても不分明であるが故にどこでも差別は起こり得るのだ。長い物(強い者、戦争の勝者、ジャイアン)が歴史を書けるのは絶対的正義なるものは世のどこにも存在しないからで、宗教の戒律とて信者にとっては正義に近似的だが絶対普遍ではないから十字軍の虐殺は異教徒には正当化はされないし、原爆投下もしかりである。ジャイアン視点のドラえもんは書かれていないし、書いても共感されないだろうし、産業革命の余熱が冷める21世紀においては更にその傾向が強まるだろう。

私見では安倍政権が何をしようと国家の正義と合致し合法的であれば良しとするが、後者に該当しないと思われる事例が現れ(アンリ事件、検察官定年延長)、まして、国家の正義と政権の正義との乖離が客観的に観測され、政権がすべて正しく反省などする必要はまったくないという史観が暗にではあるが表明された時点において(男にはそれをやっちゃあお終いの一線がある)我が身の正義しか念頭にない政権として認識せざるを得なくなってしまった。このこと(国家正義に合致した正義のなさ)はノブレス・オブリージュが欠落しているということを自動的に意味し、貴族の資格のない者が貴族然と君臨している腐敗臭と不快感に富んだ印象を必然として与える。支持率低落の原因は、支持者だった穏健な保守層がその臭いの悪さを感じてのことだ。比較的アッパーなインテリであるこの層の去就が無党派浮動票の動静に影響力があることは2009年衆院選や都知事選の小池の乱で実証された。

ジョージ・フロイド事件が米国の極右、極左に利用され、暴徒が法を犯して更なる差別が助長される。それを連邦軍が武力で抑圧するのが正義ならトランプは習近平を批判できなくなる。政治の正義とはそれほど重たいものなのだ。その矛盾を解こうと聖書を持ち出したが、彼に宗教は似合わないばかりか選挙用パフォーマンスと見抜かれ、自由主義、共産主義を問わず長い物が正義という超イデオロギー的なガバナンス正当化ドクトリンにすがるしかない事においてはプーチンも金正恩も交えて似た者同士であることが露呈しつつある。彼らの視点はますます内政に向き、資本主義下ではせいぜい貧富の二極だった(それでもリーマン後の10余年で急速に進んで歪を生んだ)が、さらに変質して差別、被差別のニュアンスで二分される方向に行きかねない様相を呈してきたことを危惧するばかりだ。

皆さまが人種の壁の高さをどれほどご存知かはわからないが、16年海外でそれを俯瞰し体感した経験からするに、総じて日本人は性善説的であり害を及ぼさない限り外国人には優しい国民性だ。ただアジア人に対しては特別な感情があり、確たる理由なく日本人が上だという目線を持っている。明治時代の洋学修得と富国強兵の先行で国民がそう考えても仕方がない外形的実体があったことは事実だが、早い遅いと能力とは別個であり、目線の高さは遥かに度を越している。我が父親も世代一般程度にはその傾向はあり、僕もその影響と無縁に育ったわけではないが学問で理性は獲得できた。理由がないのだから自分は非合理であり、日本人が民族的に優位という考えを論拠とした正義は更に根拠がない、従ってそれで差別するなら俺は猿と変わらないと結論されることになり今はそうではなくなっている。

黒人(ケニア人)がルームメートだったことがある。一時のことで親しくつき合ったとまでは言えない。ありとあらゆることに驚いたが、KFCのチキンの食いっぷりは忘れない。白い大きな歯でかぶりつき、バキバキと骨ごと噛み砕き(その壮絶な音は今も耳に残る)、こっちが半分も終える前にショーみたいに数本の骨片が皿にきれいに並んだ。同じホモ・サピエンスといえ我々はあの野性を失って1万年はたつのだろうかとたじろぐ迫力であり、アフリカには棲めないと観念した瞬間だった。それでも我々は20万年前にアフリカにいた一人の女性(ミトコンドリア・イヴ)から地球上に生まれ、枝分かれして日本列島に来た者の子孫なのだ。科学がそう証言する以上日本が神話の説く特別な国ではなく、アジアの中で格別に神に愛でられ特別に優勢な遺伝子を持つこともなく、同胞への優位を示す上から目線には合理性も正義もないことを知るのである。

音楽の話に戻ろう。楽才はホモ・サピエンスだけが持っている才能の一部分である。白人の優位を否定してかかる僕の中でモーツァルトやラヴェルへの敬意も偏愛までもが解かれるかというと、それはない。その音楽に絶対普遍の価値があると思うことが必要十分条件で、そのことと彼らの肌の色や女癖やホモの性癖は何の関係もないという判断と一緒に白人優位否定は処理されるからだ。それは犯罪において「罪を憎んで人を憎まず」(罪刑法定主義)と同じ思想で「音楽を愛しても人は必ずしも愛さず」である。といって作曲家の属性を調べているのは人の脳への唯物論的関心からで、脳と曲との相関性の要因分析である。おそらく同系統の人たちがハイドンの遺体から頭部を盗みアインシュタインの脳を切り刻んだりしていたと想像するが僕は大学の法医学で見せられた変死体の写真で食事が困難になったからそっちへは行かなかった。

黒人が音楽でモーツァルトに劣るかというと、そればかりは何とも言えない。モーツァルトのような音楽を書き、演奏し、しかも彼に影響まで与えた黒人ジョゼフ・サン=ジョルジュがいたという雄弁な事実はこの稿にご紹介した。

クラシック徒然草《音楽家の二刀流》)

だからといって、彼がモーツァルト級の作曲家であったとは作品を聴く限り断言する自信はないが、古典派の時代でも肌の色が才能の優劣を決定的に左右したのではなかろうというぐらいは表明できると思う。それが200年の時を経てジャズの時代ならどうか?今度は逆にモーツァルトが モントルー・ジャズ・フェスティバルでピアノ即興できますかという問いになる。

どちらも故人となったが、マッコイ・タイナーとボビー・ハッチャーソン(ヴィブラフォン奏者)のビデオをぜひご覧いただきたい。

このドイツでのライブ演奏会の楽興に、ジャズ好きであろうとなかろうと、二人の巨匠の尋常でない能力を否定できる人はいないだろう。ご両人とも「象牙の塔」仕込みでない叩き上げで、どうやってこの破格の作曲、演奏能力を身につけたかは謎だ。モーツァルトのそれは父親仕込みだが「学校は秀才を作るが天才は作れない」を地で行っている事に関して3人は同等に思える。もしも、この1時間22分の「JazzBaltica 2002」のチケットとウィーン国立歌劇場のドン・ジョバンニのチケットと、どっちかひとつあげるよといわれたら僕は真剣に迷う。

 

 

 

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マッコイ・タイナー追悼(アフロ・ブルー)

2020 MAR 14 17:17:50 pm by 東 賢太郎

世の中を右も左も知らぬ駒場の学生のころ、ホテルの予約もなく、レンタカーの契約書1枚でロサンゼルス空港に飛んでしまった。羽田からパンナムという時代だ。「外国に行ってみたいの?」「行きたい」。おふくろはそれでいっさい言わなかった。用心深い銀行員の父は「この人に会え」とロス支店長さんの連絡先をくれた。

動機は憧れ。それだけだ。そんなもので行けてしまうのは若かったからたが、今になってみると、その1か月の放浪で僕はその後の人生、誰もナビゲーターのない未知の塊であった人生を無事生き抜く「五感」をすべてもらった。これがなかったらアメリカンな証券業界に入らなかったし、生きてもいけなかったろう。

タラップを降りる瞬間に息を吸って「日本と同じだ」と安心したのが五感の第一歩だ。笑ってしまうが、本気で空気が違ったらどうしよう、呼吸できるだろうかと心配で、月旅行並みの覚悟であった。肌の黒い人はだっこちゃんとインド人もびっくりしか知らないというひどい時代だったからアフロアメリカンを見たのは初めてだ。バーで酔っ払ってきいたバンドに圧倒され、憧れていたアメリカのいち部分は黒人の血に由来したことを知った。

のちに今度は東海岸でジャズを見た。聞いたか見たか微妙というところだ。嗅いだというのもある。ヴィレッジかブルーノートか、妙なにおいがたちこめていて「なんだ?」ときいたらダチ公、何のこともなく「ハシシ」だ。凄い所へきたとテーブルに座って、すぐ目の前でドラムたたいてるおっちゃんがやたらにうまい。誰?と目で奴にきいたらアート・ブレーキーだった。もうひとりといえば全盛期だったジャック・ディジョネットにわけわからずぶちきれた。

こうしてライブから入ったジャズは僕にとっての異界、あちらの世界だ。あんなのはとてもシラフじゃきけない。レコードで知ったビル・エヴァンスやキース・ジャレットの白人モノはこちらの世界である。一番聞きたかったのはジョン・コルトレーンとマッコイ・タイナー。別々の個性として好きなのだが、もとはいっしょだからそのルーツがストライクゾーンで、リオ・デ・ジャネイロできいたアフロ・キューバンのバンドもそっちに入る。

自分の中の二人。ひとりはきっちりしたクラシック派だが、もうひとりはアフロ派で素朴で粗暴で原始的で孤島で素っ裸で生きていたいみたいなところがある。日本国の日常ではそうもいかないので真面目にしているが、ときに全部ぶち壊して滅茶苦茶したくなる。そういうときのこころの友であり、非日常への解脱がジャズである。なぜクラシックが好きかが普通のパターンと違うのは説明したが、ジャズにおいてもそれはいえる。

西洋のそもそも粗暴な連中が桃源郷を見るのが東洋というのはよくある。マーラー、ドビッシーやジョージ・ハリスンがそうだが、そうして異界とのハイブリッドとして血縁なく生まれた大地の歌、版画、ノルウエーの森みたいな世界に近いジャズもあれば、脈々と通じる父祖の血を肉体で感じ取った原色的なものもある。日本人である僕は奴らよりは慎ましく生きてるので逆に原色の肉体派に惹かれてしまう。

クラシック界で異界と交信したぶっ飛んだ作品なら春の祭典とトゥーランガリラ交響曲をあげたいが、僕がそこから入門しモーツァルトやベートーベンからしなかったのは異界の方にも同じほど愛着があるからだ。異界ってよくわからん、何なんだそれは?と思われるだろうから、その最たる例をお示ししよう。ジョン・コルトレーンのフリー・ジャズ路線を示すこのビデオの5分45秒あたりからお聴きいただきたい。

馬でも絞め殺してるかというサックス。これがジャズかという人もおり、現にマッコイ・タイナー(pf)とエルヴィン・ジョーンズ(ds)はこのシアトル・ライブのあとグループを去る。しかしハルサイ、トゥーランガリラ好きにとってこれは子孫のようなものであって、先祖の方も異界だけどまだかわいいもんだったと思わせてくれる。

このアフロ・ブルー(”Afro-Blue “)は自作でないがコルトレーンの看板ナンバーだった。冒頭のシンプルなメロディーを縷々インプロヴァイズしていくだけだが、マッコイのピアノがエルヴィンのドラムスとパーカッシヴな灼熱の興奮を盛り立て、和声のヴォイシングの変幻自在のぶりはそこで音楽が生まれるようだ。モーツァルトやベートーベンの即興演奏もこうだったろう。どんな音楽だったかは重要でなく、音楽したいぜという貪欲なスピリットこそ聴き手の心に響くからだ。これをクラシック音楽と区分けする理由は僕には見当たらない。

こういうものを前にすると、日本人の作品はジャンルがなんであれ「ぶちこわし」がない。先人の話題作を巧みにきれいにマネしただけ。マネがうまいだけではだめで、マネなんだけどいかにマネっぽく見せないかの非創造的でくだらない技を競ったりする単なるつまらない秀才。天才は滅多にいないが秀才なんて毎年何千人といるよ。クラシックしてます、ゲンダイオンガクやってます、ジャズってます。そんなものは物マネ芸人大賞しか取れない。マネできないほど置いてかれてしまうと、こんどは巣ごもり、ひきこもりになる。

枠を破壊して先人を凌駕してやろうというギラギラした凶暴さなどかけらもない。和を以て貴しとなしてますね、お上手お上手パチパチ・・・なんてものはどぶに捨てなさい。そんなもの世界で競争に勝てないよ、時間の無駄で気色悪いだけ、糞くらえだ。黒人は凄い、白人にあれだけいじめられても、奴らの音楽なんか気にもしてない。東洋人?中国人も白人など屁とも思ってない。お・も・て・な・しだけお得意の下僕みたいな日本人、なさけない。

アフロ・ブルーは複数バージョンあって、この1963年11月2日のベルリンライブはまだアバンギャルドがかってない原形に近いものだ。ピアノの和音のモードが良く分かる。

こちらは1965年5月7日のニューヨーク「ハーフ・ノート」でのライブ。マッコイのソロが凄い。凶暴に叩きつける左手、目にもとまらぬ右手パッセージ。最後ほうで無調になるところのピアノの和声の浮遊、「世の終わりのための四重奏曲」みたいだ。メシアンもびっくりだ。マッコイ・タイナー、かっこいいばかりじゃない、白人が崇め奉る最高級の音楽までぶち飛ばしてる。この火を吹くような演奏がラジオ放送でフェードアウトとはもったいない。

最後にマッコイ・タイナー・カルテットのバージョンである。2007年のリリース。コルトレーンの狂気はかけらもなく、フライ・ウイズ・ザ・ウインドのタッチになっている。この路線ならフリージャズのコルトレーンとおさらばしたのは道理だろう。

13才からピアノを始めてここまで行ったという人は知らない。奇跡のようだ。コルトレーンと組んだことは幸運だったが、サックス奏者なのに和声に興味があってセロニアス・モンクから楽理を学んだ彼との音楽のマッチングは最高だったと思う。

しかし天才同士は最後は天才であるがゆえに地金の違いを修復できないのだ。マッコイの路線で最高傑作は僕はフライ・ウイズ・ザ・ウインドと思う。そしてコルトレーンの一番琴線に触れるのは、別れる直前の1965年の数本のライブ録音だ。天才二人の最後のスパークは、ビートルズの最後の2枚を思わせる。マッコイ・タイナー、2020年3月6日没、享年82才。ご冥福をお祈りします。

 

マッコイ・タイナー「Fly With the Wind」

 

メシアン 「世の終わりのための四重奏曲」

 

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アンドレ・プレヴィンの訃報

2019 MAR 26 0:00:05 am by 東 賢太郎

プレヴィン指揮ロンドン響、RCA盤

ラフマニノフの交響曲第2番は、「古今東西の最もロマンティックな音楽」のコンテストがあればぶっちぎりで優勝でしょう。何度聴いても本当に素晴らしい音楽であり、僕は高校時代にぞっこん惚れてしまいました。お断りしますと音楽の授業は全然関係ありません。1年の時クラスの K君が学園祭でかけたチャイコフスキーP協1番の出だしがやたらゴージャスで気になって仕方なくすぐレコードを買いましたが、本命のそれよりもB面のラフマニノフP協2番がぐっと来てしまい、何だこの聞いたことない作曲家は、掘り出し物だ!となって買ったのが写真のプレヴィン盤だったという笑える出会いです。当時はこの曲は無名で東京で手に入るレコードはRCAのプレヴィン盤しかなかったのです。プレヴィンは2番を3回録音しますが、後にこの曲のオーソリティとなる彼のこれが初回という時代でした。冗長と思われる部分をカットする短縮版が幅をきかせていると知って、まがい物を覚えるのは嫌だなと思いましたが、このレコードはジャケットの解説(左)に「しかしプレヴィンによるこのLPは、オリジナルどおりの演奏です」と W氏という当時著名だった音楽評論家が書いているので安心して買い、覚えこんでしまいました。ところがそれはとんでもない大ウソで、後に全曲版を聴いて第1楽章コーダの直前と第3楽章でのけぞってしまい、このLPが短縮版だったことを知るのです。評論家というのは曲を記憶もしてないのに偉そうなことを書いてるのかと唖然とし、世の中こんな程度かと大人の世界をナメるきっかけになったという点では有意義な事でした。

しかし評論家にも本当に偉い人がいて、レコード芸術に交響曲の月評を執筆されていた大木正興氏は骨がありました。critic(評論家)とはcriticizeする(批判、酷評する)人ですから本来、いい加減な太鼓持ちや観光ガイドじゃないわけです。若かったバーンスタイン、レヴァイン、プレヴィン、ムーティ、アバド、メータを赤子扱いして一刀両断だった彼は評論家そのもので、ドイツ人以外はだめというのはないだろうとは思いましたが、主観を貫き通して西洋人をあそこまでめった切りできる日本人はどこの世界でもなかなかいない。欧米人のポチみたいな似非知識人ばかりの中で凄いなと思ってました。音楽だけでない教養あってこそと思い知って勉強しようとインセンティブになったし、その影響をもって後に欧米に行って仕事で位負けするということがなかったから彼の評論は一流の教材でありました。

その大木氏の文章というと僕はプレヴィンを思い出すのです。彼のみならず当時の日本のクラシック論壇はジャズあがりのお兄ちゃんがロンドン響(LSO)のシェフなんてジョークも休み休み言えとばかりにぼろかすであり、特に大木氏の舌鋒は鋭かった。前任が押しも押されぬ大家モントゥー様であったことも災いし、ベートーベンの5番だったか7番だったか、こんなものを買って聴く奴は馬鹿であるという強烈な刷り込みが僕の中に今でも残ってます。ちなみにそれは日本だけでもなく、wikipediaによるとロンドンでもプレヴィンはLSO就任当初は “a first-rate conductor of second-rate music.”(二流曲の一流指揮者)と評されていたようで、そんな空気のおかげで僕も彼のモーツァルトやブラームスを聴こうなどというモードにはおよそなく、せいぜい三流のロシア、アメリカ専門の色モノ指揮者という認識であったのです。

しかし、ジャズの兄ちゃんであれ何であれ、このラフマニノフいいじゃない!というのが僕の単純なリアクションでありました。大木氏にそこまでズブズブに洗脳されながらも是々非々であったというのはちょっぴり誇りでもあります。ストラヴィンスキーやバルトークと、とんがった音楽ばかりだったあのころ、それも硬式野球部で毎日泥まみれになってたあのころ、2番なんてウルトラ・ロマンティックな曲にハマってしまったのも自分のハートの一面であり、いまもこのレコードを聴くと自分はこんなにやさしい人だったのか?という気分になれるのです。レコードに何月何日にかけたとメモった紙切れを入れる習慣があるのでわかるのですが受験に落ちたその日にこのLPに慰められていたことを知って、たかがレコード、されどレコード、音楽の記録だが我が人生の記録でもあって、一生の宝です。

プレヴィンなくしてこれはなし。彼に感謝です。後に海外で接することになった彼の演奏についてはまた書くことにします。

 

ラフマニノフ交響曲第2番ホ短調 作品27

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イリアーヌ・イリアス- Made in Brasil

2018 OCT 24 0:00:48 am by 東 賢太郎

どんな職業につくか、どこの会社に入るか。自分で決めたようで実はそうでもなかったように思うのです。運命といいますか。入ってしまって想定外のこと続きでしまったと思ったし、まじめに辞めようと考えたことは書きました。よかったのかどうなのかということですが、ほかの人生はやってないのでわかりません。

あれが良かった悪かったと昔をふりかえっても終わったことにそう意味があるとも思えません。単に、絶対に確かなことは、そういう昔があったから今があることです。だから、今がよろしければ結果オーライでそこまでのことは全部正解じゃないの?というのが僕の人生観です。

「あの時にああして失敗でした」という人がいたので「じゃあいま不幸せなの?」ときくと「いえ」という。「なら成功だったんでしょ?」となるのですね、誰でも。だから、いま、毎日を楽しく過ごしてああ幸せだと思ってしまえば人生は無敵なのです。オセロみたいに全部ひっくり返って「成功」になります。

ブラジルに行ったのはたった1度、たしか1991年の2月、真夏のリオのカーニバルの少し前でした。36才です。リオ、サン・パウロ、ブラジリアでしたが、正直のところ、これは凄いところに来てしまったと思った。人生観が北極と南極ぐらいひっくり返ります。

なにせ空気も大気も違うわけで、ビーチは見わたすかぎり美女美女。なんだここは??竜宮城の浦島太郎でした。そこで思ったのです。ああいい会社に入ったなあ。なんのことない、俺はなんで辞めようなんて思ったんだ、馬鹿じゃないか?人生こんなもんなんですね、だから少々苦しくてもめげてはいけません。

そこからも、もっともっとつらいことがあって、いや、やっぱり辞めといた方が良かったじゃないかと思ったことがあるからさらに馬鹿なもんです。でも辞めなかった。49になって遂に辞めて、今度は遅すぎたと後悔しました。でも、結果的にはそれがドンピシャのタイミングだったから、もう笑うしかありません。つまり、自分の浅知恵で「熟慮」なんかしても、結局今はなかったのです。

そういう愚かな自分をほんとうに愚かだなと笑いとばすことは今の僕にとってけっこういいストレス解消なんですね。今だって迷うことはいくらもありますが、そんなの明日の天気といっしょ、考えて晴れてくれるわけじゃないしとなってきます。健康なのはあんまり迷わないからでしょう。思えば、僕はブラジルで北極と南極ぐらいひっくり返ってこういう人間になったのです。

ブラジルで大蔵省と中央銀行へ行ってひっくり返った。それは書きました。今回は連れていかれたリオのクラブみたいなところで初めて聴いた音楽についてです。セクシーな褐色の肌をしたカリオカのお姉さんがピアノとバンドをバックに歌っていたあれはいったい何だったんだろう?

ボサ・ノヴァが素敵なのはクラシックには出てこないハーモニーなのです。ジャズかというと近いようでもあり、まあ僕はジャズの定義をよくわかってないからさし控えますが、完全な和声音楽なのに不思議な浮遊感があってとてつもなくオシャレ。そして、ここが大事なんですが、ポルトガル語がぜんぜんわからない。これがまたいいんです、意識もぶっとんで浮遊してしまう。つまり、あの竜宮城に戻るのです。

最高のリラックセーションになるアルバムがこれです。イリアーヌ・イリアスの ”Made in Brasil” であります。この人、ブラジル出身のジャズ・ピアニスト、ヴォーカリストでニューヨークで活躍。なんといってもジュリアード音楽院卒で音楽能力は筋金入りであり、バックにTake 6とロンドン・フィルハーモニーのストリングスを従えて洗練の極致。和声の最高の高級感。ジョビン、自作などが入ったこのアルバムのレベルの高さは凄いものです。みなさま、ぜひ竜宮城に遊んでください。

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