Sonar Members Club No.1

カテゴリー: ______ビートルズ

ビートルズを歌っていたころ

2023 DEC 19 8:08:13 am by 東 賢太郎

開店当時の玉川高島屋

父は僕が音楽をするのにあまり賛成でなく、小学校のころ最初に買ってもらった楽器はウクレレだった。それでも嬉しかったのはベンチャーズをまねるためだが低音が出ないからぜんぜん飽きたらない。せがんでやっとギターを買ってもらったが、欲しかったエレキはだめでクラシックだ。ピックでがんがん弾くと弦がむけてしまい、安物で調弦もすぐ狂う。まともなのを手に入れたのは1969年にオープンしたばかりの玉川高島屋の楽器店で、当時の家があった鶴川から母が運転する車で橋を渡ってきたのをはっきりと覚えている。5万円ぐらいのを父がぽんと買ってくれたのはおそらく1970年、高校の入学祝いだったのだろう、嬉しかった。こんなにいい音がするものかと天にも昇るようで、このギターを僕は今も手元に置いている。

あのころ片っ端から弾いたのはビートルズだ。ベンチャーズにはない新奇なコード進行に血眼になった。アメリカではよくパーティーをしていろんな国の学友が家に来た。人気があったのは僕でなく家内の方で、みんなチョンガーだから手料理も目当てである。インド人に本格レシピを教わったカレーなど大人気で、みんな満腹で酔っぱらって盛り上がると、リクエストで当時習っていたチェロを弾かされた。へたくそ!となりこれはだめだ、ええい、こっちでいくぞとそのギターを取り出してハード・デイズ・ナイト、イエスタディ、ヘルプを一気にかますとこいつは大うけだ。

先日、第九を聴いていて終わりに近づいてくると涙が出てきた。あれ、なんだろう?と思ったが、佐渡裕氏は第九を「200回振っても飽きない、いい曲だから」と語っていた。そういうことか。何度きいても本当にいい曲でいろんなものが脳裏によみがえってくる。ビートルズもそうなのだ。このビデオ、All My Lovingを老ポール・マッカートニーが歌うと男性が泣いている。わかる。

さっき大好きなPenny Laneを弾いてみて、こいつもまた桁外れにいい曲だ。ロ長調だからギターで弾きにくいが、なんとイ長調に奇想天外な転調をするのがたまらない。これがまた自然で、いまさらながら驚くしかない。

The Long and Winding Road。たった3分ちょっとでこんなに心を揺さぶる音楽があろうか?

ポールのピアノはあんまりかわらない気もするが、でもこうは逆立ちしても弾けない。弾き語りしたいが、彼の歌を真似るのは到底無理だ。楽譜が読み書きできないと自分で語っているが、どうしてどうしてピアノのコードはいい音を拾ってる。サビの入りのバスをドミナントのシ♭にするなどセンスの塊で、真に天才的な作曲家だ。

思えば彼がこれを作曲していたのが1970年あたり、ギターを高島屋で買ってもらったころだ。ビートルズとともに生きていた世代であることをちょっと誇らしく思ってしまう。

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シューベルト 弦楽四重奏曲第15番ト長調D887作品161

2019 MAY 6 18:18:06 pm by 東 賢太郎

僕が一番好きなシューベルトのカルテットは第15番 ト長調 D887 作品161である。この驚くべき作品を何度聴いたことか。シューベルトはサリエリに作曲を習ったが、尋常でない和声の豊穣はどこからきたのだろう?どうして耳に纏わりつくんだろう?

「死と乙女」、「ロザムンデ」より演奏されず人気もない。「鱒」もそうだが、シューベルトは歌曲王だ、だから歌の引用があるといいね、分かり易いし覚えやすいし、そういうことなんだろうか、実にくだらない話でハイドンの交響曲にニックネームをつける下衆の精神またしかりだ。15番にはMov2以外は売りになるような旋律はなく、あるのは万華鏡のような絶美の和声!ベートーベンも辿り着かなかった、極めて特異な世界である。

Mov1は短い序奏があって、カルテットにあるまじき「ブルックナー開始」にびっくりする。そこが第1主題なのだが本題はそれではない。G、D⇒F、Cと短3度上がってサブドミナント(C)に行きつくコード進行、これだ。矢印のところは「上がって」というより「ぶっ飛んで」という感じである。

どうして僕がそれに反応してしまうかというと簡単、ビートルズ世代だからだ。マジカル・ミステリー・ツアーの冒頭、Roll up!  Roll up for the mystery tour! についてる E⇒G、A のコードがまさにそれなのである。

当時はピアノが弾けなかった。ギターのC、G、Fばかりみたいな未開な曲に辟易していた矢先に E⇒G の脳天直撃で目がくらくら、その洗礼がいつだったか記憶にないが日本リリースは68年だから中学時代だ。このアルバムは僕の中に革命を起こしたが、それは出だしの「E⇒Gショック」で始まったのだ。

どういうわけか、この転調に僕はブルー、藍色っぽい濃いめの青色を感じる。出てくると色がぱっと浮かぶ、例えばベートーベンのワルトシュタイン・ソナタ冒頭にも見える。譜面を見てみると C、G⇒B♭、F だ、ああまったくおんなじだとなる。ポール・マッカートニーもベートーベンもシューベルトも、みな曲のアタマで使ってる。ぶっ飛びが「つかみ」に使えると感じた作曲家魂であろうが、ビジネスのプレゼンでもお笑いネタでもそれが大事なのは同じだ、3人がこの和声変化に何らかの特別な効果を感じていたのは間違いないだろう。

シューベルトのカルテット第15番の和声の万華鏡はベートーベンの運命リズムの嵐に乗っている、基本的に。垣間見える後世の作曲家、シューマン、ブラームス、ブルックナー、頭の中がいろんな「色」でごちゃごちゃになる。Mov1の第2主題の後、ソドソドソミレド(静かになる)、これが出てこない、どっかで聴いたんだけど・・。ドーソーミーレドー。まてよ・・・

ブラームス 交響曲第3番ヘ長調 作品90

第15番の出版は1951年、ラインの作曲は1850年だ。矛盾する、おかしいな、そう思っていたらこのブログには書いてない重要なことを思いだした。シューマンは1839年にウィーンのシューベルト宅でハ長調交響曲D 944のスコアを発見して触発され41年に交響曲第1番を完成したが、このドーソーミーレドーはその第2楽章にはっきり出てくる(1Vn、Fl、木管で主題回帰する前、ト長調)。第15番は1826年の6月20日から30日の作曲で、ハ長調交響曲は1825年から26年にかけての作曲であると考えられている。つまり同じ時期に作曲されており、誰との委託も献呈もないからスコアはやはりウィーンのシューベルト宅にありシューマンはこっちも見ていたのではないか。第15番で激した感情を魔法のようにすっーっと収める場面で出てくるそれはシューマンでも似た使い方がされている。

Mov2は4つの即興曲作品90、D899の第1曲ハ短調(1827年作曲)だ、もうあまりにそのもので盗作でしょと笑ってしまうぐらい。Mov4の同名長短調の超短期パースペクティブの交代はもはや狂気の域に達しており、まともについていくとこっちも精神が物騒になる。同じころベートーベンはカルテットで人里知れぬ秘境へたどり着いていたがシューベルトはその道は行かず和声の魔宮の扉を開けていた。先述したMov1ブルックナー開始から主題が隆起していく様は音が大きくなるという単純なものではなく材質感が重くなって容量がふくらんでいく、これはまるで空間の expansion膨張)であり、それが和声の地平の expansion を伴って見たことのない時空を形成する、カルテットとして前代未聞の驚くべき音楽で、どうしてこれが交響曲に結実しなかったか不思議でならない。

想像だが管弦楽法(管楽器、ティンパニ)の制約から思うような転調が出来かねたのではないか。彼はウィーン楽友協会に認められようという意図から管弦楽フォーマットで公衆向け作品としてハ長調交響曲を書き、4本の弦でイマジネーションのまま自由な転調の飛翔ができるカルテットのフォーマットで本作を書いたのだと思う。どちらもアルペジオーネ・ソナタや同じ年の10月に作曲した幻想ソナタのような涅槃の響きがないのはなぜだろう。交響曲、カルテットというベートーベンの十八番のジャンルで彼は「最後の作品」を書き残そうと思ったのではないか。もちろん死を悟っていたからだ。恐れよりも運命に立ち向かう姿。2年後に31才で世を去ることになる若者の気持ちを誰が察し得よう?

演奏に50~60分を要するD887、D 944、D956はシューベルトの器楽曲における三大金字塔であるが、歌曲はもちろんのこと室内楽2作とピアノ曲が彼の魂を揺さぶったままの音楽だと僕は信じている。

15番は正確にリアライズしてもらわないと真価がわからない。誰のを聴けばよいといって、それをクリアしている演奏はあまり聴いたことがない(実演はまだ機会がない)という稀なる音楽だ。信じられないことだがMov1の1stVnの高音はほとんどの著名四重奏団の録音がピッチが不満だ(上がりきらない)。Mov4はアレグロ・アッサイのエッジの立ったリズムで変転する調性の像を結ばせないと何をやっているのか意味不明で崩壊状態になる。だから曲の真価が広まらない側面があろうが、そのギャップを埋めるのが拙ブログの目的だからyoutubeで聴ける以下を選んでみる。

 

アルテミス・カルテット

とりあえず、これかなというところ。物足りない部分もあるが「正確にリアライズしてもらわないと」という点で90点はつけられるから、もうそれだけで表彰してあげたいぐらい大変なことだ。交響曲だと書いた「ストラクチャー」はこれが一番よくわかる。

 

ウィーン・コンツェルトハウス弦楽四重奏団

なにこれ、へたじゃん、言ってることと矛盾してないか?と思われるだろう。確かに。このカルテットは1930年代、ワルターが振っていたころのウィーンフィルの2番手クラスメンバー(レギュラーはバリリ・カルテット)だ。音楽は演奏も難しいが聴くのも難しいのだ。アルテミスQのメカニックな冴えはかけらもないが、闇雲に下手と言うのとはわけが違う。和声のあやしい雲行きはきっちり抑え、4人が音楽を「身に着けて」いるオーラがひしひし伝わってくる。口は下手だが人間的に迫力あるプレゼンと同じ。何も言えない。

シューベルト交響曲第9番ハ長調D.944「ザ・グレート」

 

 

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ついに64才 (When I’m Sixty Four)

2019 FEB 4 22:22:52 pm by 東 賢太郎

『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band) はロックに限らず、すべての音楽史上においてAbbey Roadと並んで天下の最高峰にランクされる究極の名アルバムであります。”When I’m Sixty Four” はそのB面の2曲目で、最初の曲、ジョージのシタールがビヨ~ンビヨ~ンとおどろおどろしい異次元世界の “Within You Without You”の霧がさっと晴れて、急になんてことない、あっけらかんと庶民的な日常生活のひとコマが帰ってきてホッとすることだけが印象の曲でした。

次のサイケっぽい “Lovely Rita” とジョンの変拍子でぶっ飛んだ “Good Morning Good Morning” があまりに凄いものだから、なんの変哲もない”When I’m Sixty Four”は正直のところ「早く終わらんかな」という曲であったわけです。

当時僕はハタチぐらいで、64才なんて、自分がそんな老人になって奥さんが「ご飯、作ってくれるかな」なんて、まるで火星人の話みたいなもので、まあポールは僕よりは13も年上だし、そのぐらいになるとそんな心配もするのかなぐらいであったわけです。目のまえには時間が無限にあったのです。

今日、とうとうその日がやって来てしまった。来るものは来るんだなあと、来なくてもよかったんだけどなあと思いつつ、生んでくれた母親に手を合わせました。感想はというと「まだ生きててよかったな」だけなんですが、まあ奥さんにちゃんとご飯は作ってもらってるし、僕もまだなにかお役には立てそうだし、そうか、ポールはそういうことを歌ってたのかとしみじみ思うのです。いい歌だなあと。

下のビデオは面白いです、ぜひご覧ください。ポールが故郷のリバプール案内をする趣向で、ペニーレーンが出てくるしバーバーショップ(床屋)におじゃまして女主人をびっくりさせもするし、彼が育ったお家に入っていって「この部屋で “She loves you”をジョンと作ったんだよ、親父がここで聞いててね、けっこういいじゃないかなんてね」「このトイレ、反響がいいんだ、便器に座ってギター弾いてね、ほら」・・・もう感涙ものです。

僕はウィーンでモーツァルトの住んだ家を全部めぐりましたが、そういうことをあれこれ空想してました。彼が案内してくれたらこんな感じなんだろうな、それが現実になってる、僕の中ではビートルズも同じほど偉大なんで、そんな歴史的なことがなんでもなくユーモアたっぷりにさらっとできてるポールの人柄が素敵で、とにかくいい人だなあと思うのです。金持ち喧嘩せずじゃなくってね、もともとこういう人だからああいう曲ができたんだろうって。

「子供のころあの教会で歌ってたんだよ、聖歌隊員だったんだ」そうか、やっぱりポールの曲は教会にルーツがあったんだ、納得ですね、とってもクラシックなものがベースにあるんで、そして、12分1秒からをぜひご覧ください、ポールがピアノを弾いて “When I’m Sixty Four” を歌ってます。

トラブってた時にあの世のお母さんが夢枕に出てきて「流れにまかせればいいよ」っていったらしい。そうしたらうまくいったっていってますね。そこでピアノに向かって曲を書いたらあの名曲 ”Let it be” ができちゃったって、天才はそんなものなんだ、すごすぎですね。

パブのジュークボックスで悪戯してお客さんを仰天させてしまう。お茶目であります。こんなおじいちゃん、なれたら最高ですね。まあポールは現代のモーツァルトだ、到底無理なんですが、この気持ちの軽さだけは見習いたいですね、だっておふくろもいいそうだ、”Let it be”・・・。天命に竿ささず、あるがままに生きていきたいです。

そういえば、香港に赴任した時に高名な風水師さんにみてもらったら、僕のラッキーカラーは金(ゴールド)+真っ赤なんです。だから社長室はその2色にされてしまいました。ずいぶんケバかったですが、実はキンキンのゴールドは子供のころから大好きで、カーテンもクッションも全部それにしたいと思ってます。

 

家族にもらったプレゼント

 

Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band

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シベリウスの7番はイエスタディである

2018 NOV 18 0:00:09 am by 東 賢太郎

シベリウスの神々しい7番は最も好きな交響曲の一つで、ロンドンで買ったこのスコアを持って新幹線によく乗った。全曲を記憶しているが、目視で正確にたどるのはとても難しいと思う。というのは、完全な和声音楽なのに精妙かつ意外感のある転調と非和声音がそこかしこに散りばめられていて、絶対音感のない素人耳は難所でどうしても迷子になってしまう。ところが悔しいことにそこがこの曲の魅力なのであって、正解にたどり着くまでくそっと繰り返す羽目になる。そうこう苦労しているうちに名古屋ぐらいにはあっという間についてしまうという寸法だ。

あのトロンボーン・ソロを導く感動的なヴィオラのメロディー、2度目にそれが出てくる2番の終楽章に似た部分から宇宙のこだまのような終結に至る部分は心で何度演奏しても飽きるということがない。いや、気に食わないへたくそな演奏なんかより自分のハートの中で鳴らした方が絶対にいい。

そうやってあのソロのところに来るとホルンでもいいなといつも思うのだが(ブラームスならそうしただろうか)やっぱりトロンボーンなんだとなる。草稿にはこのメロディーに “Aino” と書いてある。奥さんの名だ。彼は山荘の名もそうしたしシューマンと同じことをしている。確かにそれに値する素晴らしいメロディーで、誰も一度聴いたら忘れないだろう。僕は最初これがビートルズの「イエスタディ」だなと思った。

どこがというと最初の「レ」だ。これは楽理で倚音(いおん)というやつで、ポール・マッカートニーが歌う出だし、「イエス」がレで「タデー」が和声音のドに戻るが、このレもそうなのだ。どちらもいきなり倚音で始まるというのが強烈なインパクトで耳に残る。

ちなみに酒豪のシベリウスは7番を書いたころは毎日ウィスキーびたりで「音符を書く手を安定させるためだ」と主張していたらしい。ということは飲まないとペンがぶるぶる震えたわけでむしろアル中なわけだが、それでドがレに行っちまったんだろうか(笑)。ちなみにイエスタディのFの次のEm7は酔っぱらって弾き間違えたら「けっこういいじゃん」になったと知人に聞いた。

7番のこの倚音は、最後の最後でまた響き、またまた強烈なインパクトを与えてくれる。ピアノ譜でこうだ。

この最後のページは何度聴いても心奪われる。レ(倚音)⇒ドと「解決」したと思ったら今度は行き過ぎてシ(また倚音)になり、最後にとうとう運命の最終到達点のドに落ち着くわけである。この安堵感、すべての苦悩を超えて広大な宇宙の「在るべき所」に収まった収束感覚は絶対無比のものだ。こうしてシベリウスは交響曲の旅を終えたのであり、そこから33年も生きたがついに第8番は現れなかった。

 

オッコ・カム指揮ラハティ響のシベリウス5-7番を聴く

シベリウス 「アンダンテ・フェスティーヴォ」とフリーメイソン

 

 

 

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ビートルズ「When I’m Sixty-Four」(僕が64才になっても)

2018 JUL 8 13:13:28 pm by 東 賢太郎

平成が終わる来年になると、僕ら昭和生まれはそれが人生で3つ目の元号となる。つまり、来年に生まれる人から見るならば、僕らがおじいちゃん、おばあちゃんと思っていた「明治生まれ」と同じ位置づけになるわけだが、昭和は明治より20年も長い。いま20代の人もそうなるのであって、昭和30年生まれは明治30年生まれよりずっとおじいちゃんなのである。

来年というともうひとつショックな事があって、ついに、ビートルズの「When I’m Sixty-Four」(僕が64才になっても)のトシになってしまう。これが入っている『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』は1967年のアルバムだから僕はまだ中学生の小僧であって歌詞がさっぱり不案内だった。Will you still need me? (まだ僕を必要としてくれるかい?)はまだしも、Will you still feed me?  がね、これはガキにはわからない。

この切ない feed me がわかるのがきっと64才ぐらいだってことで、これを書いた10代のポールもそう想像したんだ。だからDo youじゃなくってWill you、意思の確認なのだ。そんなジジイをキミはまだ必要としてくれるかい?いや必要でも料理を作ってくれるとは限らないね、そこはどうなの?とくる。僕はヒューズを直せるしセーターを編めるし草むしりもするよって。なんと図星な。

そもそも feed とはエサをやるという意味だ。ネコは芸も愛想もないがそこだけは妥協しており、エサが出る人を適確に見極めていて(もちろん、昔は母でいまは家内だ)腹が減ると台所でニャオ~ンと僕には絶対にないソプラノで鳴く。あれだけ遊んでやってるのに悔しいが、feed する人は絶対権力者なのである。ということはヒューズもセーターも草むしりもニャオ~ンも無い僕は飯も出なくなるんかということをこの歌は意味している。

ではジジイの価値はカネなんだろうか。とするならば紀州のドン・ファンの道しかないじゃないか。あのかたはいいか悪いかともかく、男として実に明快でわかりやすいという美点はあって、一度哲学を伺いにお会いしたいものだった。女は手当たり次第に口説いていたと思われるモーツァルトだが、ドン・ジョヴァンニ(ドン・ファンのイタリア語だ)はしかし地獄に落としている。この道は難が多そうだ。

アルバム「サージェント・ペパーズ」の冒頭、ト長調のところはバンドの紹介の前口上だ。さあさあ寄ってらっしゃい見てらっしゃいみたいなもんだが、これが僕的には格好いいのである。昨年、ライヴ・イマジン祝祭管弦楽団演奏会に先立って舞台でしゃべらせていただいたが、当日はあの前口上の気分でさせていただいていた。アルバムには「She’s Leaving Home」もある、娘は手紙を置いて出ていっちまう、車のセールスマンとね。ビートルズは僕にとって論語より人生を説いているのだ。

先週、ブログにしたマフィアの末裔マリオ・ルチアーノ氏のレストランにぶらっと行ってみた。そうしたらゴッドファザーに出てきそうなオーラの50がらみの男が立っている。「マリオさんでしょ」と声をかけ、本にあったエピソードを2,3かましたらサイン目当てのおっさんじゃないことはわかってくれたんだろう、「財務大臣の麻生さんもふらっと来られました」「そう、でも俺はやくざじゃないよ、株屋だ」と自己紹介した。僕の頭髪を眺めながら「肌が63に見えませんね」とイタリア人らしいほめ方をする。想像どおりの、修羅場をくぐった好漢であった。

63に見えるかどうかは知らないが自覚がない。体は老いたけれど、自分とはあくまで体ではなくハートのことなのだ。二十歳の頃のハートがどうだったか覚えてないが、あんまり進化も退化もしてなさそうだし、僕は元来そういうことに鈍感で甲子園の選手は今も年上に見えている。「僕が64才になっても」は、キミ、それってちょっと変でねえかい?なんてトシなりのおじいちゃんに諭されている感じの曲になってしまった。

 

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クラシック徒然草《音楽家の二刀流》

2018 MAY 6 1:01:11 am by 東 賢太郎

そもそも二刀流とはなんだろう?刀は日本人の専有物だからそんな言葉は外国にない。アメリカで何と言ってるかなと調べたら大谷は “two-way star” と書かれているが、そんなのは面白くもなんともない。勝手に決めてしまおう。「二足の草鞋」「天が二物を与える」ぐらいじゃあ二刀流までは及ばない。「ふたつの分野」で「歴史に残るほどの業績をあげること」としよう。水泳や陸上で複数の金メダル?だめだ、「ふたつの分野」でない。じゃあ同じ野球の大谷はなぜだとなるが、野球ファンの身勝手である。アメリカ人だって大騒ぎしてるじゃないか。まあその程度だ、今回は僕が独断流わがまま放題で「音楽家の二刀流判定」を行ってみたい。

アルバート・アインシュタイン

まずは天下のアルバート・アインシュタイン博士である。音楽家じゃない?いやいや、脳が取り出されて世界の学者に研究されたほどの物理学者がヴァイオリン、ピアノを好んで弾いたのは有名だ。奥さんのエルザがこう語っている。 Music helps him when he is thinking about his theories. He goes to his study, comes back, strikes a few chords on the piano, jots something down, returns to his study.(音楽は彼が物理の理論を考える手助けをしました。彼は研究室に入って行き、戻ってきて、ピアノでいくつか和音をたたき、何かを書きつけて、また研究室へ戻って行くのです)。

アインシュタインは紙と鉛筆だけで食っていけたのだと尊敬したが間違いだった。ピアノも必要だったのだ。たたいた和音が何だったか興味があるが、ヒントになる発言を残している。彼はモーツァルトのヴァイオリン・ソナタを好んで公開の場で演奏し、それは「宇宙の創成期からそこに存在し巨匠によって発見されるのを待っていた音楽」であり、モーツァルトを「和声の最も宇宙的な本質の中から彼独自の音を見つけ出した音楽の物理学者である」と評している。案外ドミソだったのではないかな。腕前はどうだったんだろう?ここに彼がヴァイオリンを弾いたモーツァルトのK.378が聴ける。

アインシュタインよりうまい人はいくらもいよう、しかし僕はこのヴァイオリンを楽しめる。曲への真の愛情と敬意が感じられるからだ。というわけで、二刀流合格。

アレクサンドル・ボロディン

次も科学者だ。「だったん人の踊り」で猫にも杓子にも知られるアレクサンドル・ボロディン教授である。教授?作曲家じゃないのか?ちがう。彼はサンクトペテルブルク大学医学部首席でカルボン酸の銀塩に臭素を作用させ有機臭素化物を得る反応を発見し、それは彼の名をとって「ボロディン反応」と呼ばれることになる、まさに歴史に名を刻んだサイエンティストだ。趣味で作曲したらそっちも大ヒットして世界の音楽の教科書に載ってしまったのである。この辺は彼が貴族の落し胤だった気位の高さからなのかわからないが、本人は音楽は余技だとして「日曜作曲家」を自称した。そのむかしロッテのエースだったマサカリ投法の村田兆治は晩年に日曜日だけ先発して「サンデー兆治」となったが、それで11連勝したのを彷彿させるではないか。「音楽好きの科学者」はアインシュタインと双璧と言える。合格。

ユリア・フィッシャー

巨人ふたりの次にユリア・フィッシャーさんが来るのは贔屓(ひいき)もあるぞと言われそうだが違う。贔屓以外の何物でもない。オヤジと気軽にツーショットしてくれてブログ掲載もOKよ!なんていい子だったからだ。数学者の娘。どこかリケジョ感があった。美男美女は得だが音楽家は逆でカラヤンの不人気は男の嫉妬。死にかけのお爺ちゃんか怪物みたいなおっさんが盲目的に崇拝されてしまう奇怪な世界だ。女性はいいかといえば健康的でセックスアピールが過ぎると売れない観があり喪服が似合いそうなほうがいい我が国クラシック界は性的に屈折している。フィッシャーさん、この容貌でVn協奏曲のあとグリーグのピアノ協奏曲を弾いてしまう。ピアノはうまくないなどという人がいる。あったりまえじゃないか。僕はこのコンチェルトが素人には難しいのを知っている。5年まえそのビデオに度肝を抜かれて書いた下のブログはアクセス・ランキングのトップをずっと競ってきたから健全な人が多いという事で安心した。そこに書いた。゛日本ハムの大谷くんの「二刀流」はどうなるかわかりませんが “。そんなことはなかった。若い才能に脱帽。もちろん合格だが今回は音楽家と美人の二刀流だ。

ユリア・フィッシャー(Julia Fischer)の二刀流

ちなみに音楽家と学者の二刀流はありそうなものだがそうでもない。エルネスト・アンセルメ(ソルボンヌ大学、パリ大学・数学科)、ピエール・ブーレーズ(リヨン大学・数学科)、日本人では柴田南雄(東京大学・理学部)がボロディン、アインシュタインの系譜だが、数学者として実績は聞かないから合格とは出来ない。ただ、画家や小説家や舞踏家に数学者、科学者というイメージはわかないが音楽家、とくに作曲家はそのイメージと親和性が高いように思うし、僕は無意識に彼らの音楽を好んでいる。J.S.バッハやベートーベンのスコアを見ると勉強さえすれば数学が物凄くできたと思う。一方で親が音楽では食えないと大学の法学部に入れた例は多いが、法学はどう考えても音楽と親和性は薄く、法学者や裁判官になった二刀流はいない(クラシック徒然草《音大卒は武器になるか》参照)。

ハンス・フォン・ビューロー

よって、何の足しにもならない法学を名門ライプツィヒ大学卒業まで無駄にやりながら音楽で名を成したハンス・フォン・ビューローは合格とする。ドイツ・デンマークの貴族の家系に生まれ、リストのピアノソナタロ短調、チャイコフスキーのピアノ協奏曲1番を初演、リストが娘を嫁にやるほどピアノがうまかったが腕達者だけの芸人ではない。初めてオペラの指揮をしたロッシーニのセヴィリアの理髪師は暗譜だった。ベートーベンのピアノソナタ全曲チクルスを初めて断行した人でもあるがこれも暗譜だった。”Always conduct with the score in your head, not your head in the score”(スコアを頭に入れて指揮しなさいよ、頭をスコアに突っ込むんじゃなくてね)と容赦ない性格であり、ローエングリンの白鳥(Schwan)の騎士のテナーを豚(Schwein)の騎士と罵ってハノーバーの指揮者を降りた。似た性格だったグスタフ・マーラーが交響曲第2番を作曲中に第1楽章を弾いて聞かせ「これが音楽なら僕は音楽をわからないという事になる」とやられたがビューローの葬式で聴いた旋律で終楽章を完成した。聴衆を啓発しなければならないという使命感を持っており、演奏前に聴衆に向かって講義するのが常だった。ベートーヴェンの交響曲第9番を演奏した際には、全曲をもう一度繰り返し、聴衆が途中で逃げ出せないように、会場の扉に鍵を掛けさせた(wikipedia)。これにはブラームスもブルーノ・ワルターも批判的だったらしいが、彼が個人主義的アナキズムの哲学者マックス・シュティルナーの信奉者だったことと併せ僕は支持する。

リヒャルト・ワーグナー

ちなみにビューローはその才能によってと同じほどリヒャルト・ワーグナーに妻を寝取られたことによっても有名だ。作曲家は女にもてないか、何らかの理由で結婚しなかったり失敗した人が多い。ベートーベン、シューベルト、ブルックナー、ショパン、ムソルグスキー、ラヴェルなどがそうで後者はハイドン、ブラームス、チャイコフスキーなどがいる。だからその逆に生涯ずっと女を追いかけたモーツァルトとワーグナーは異色であろう。モーツァルトはしかしコンスタンツェと落ち着いた(というより何か起きる前に死んでしまった)が、ミンナ(女優)、マティルデ・ヴェーゼンドンク(人妻)、コジマ(ビューローの妻)とのりかえたワーグナーの傍若無人は19世紀にそこまでやって殺されてないという点においてお見事である。よって艶福家と作曲家の二刀流で合格だ。小男だったが王様を口説き落としてパトロンにする狩猟型ビジネス能力もあった。かたや作品でも私生活でも女性による救済を求め続け、最後に書いていた論文は『人間における女性的なるものについて』であったのは幼くして母親が再婚した事の深層心理的影響があるように思う。

モーリス・ラヴェル

ボレロやダフニスの精密機械の設計図のようなスコアを見れば、ストラヴィンスキーが評した通りモーリス・ラヴェルが「スイスの時計職人」であってなんら不思議ではない。その実、彼の父親はスイス人で2シリンダー型エンジンの発明者として当時著名なエンジニアであり、自動車エンジンの原型を作った発明家として米国にも呼ばれている。僕はボレロのスコアをシンセサイザーで弾いて録音したことがあるが、その実感として、ボレロは舞台上に無人の機械仕掛けのオーケストラ装置を置いて演奏されても十分に音楽作品としてワークする驚くべき人口構造物である。まさにスイスの時計、パテック・フィリップのパーペチュアルカレンダークロノを思わせる。彼自身はエンジニアでないから合格にはできないが、親父さんとペアの二刀流である。

アメリカの保険会社の重役だったチャールズ・アイヴズは交響曲も作った。しかし彼の場合は作曲が人生の糧と思っており、それでは食えないので保険会社を起業して経営者になった。作曲家がついでにできるほど保険会社経営は簡単だと思われても保険業界はクレームしないだろうが、アイヴズがテナー歌手や指揮者でなく作曲家だったことは一抹の救いだったかもしれない。誰であれ書いた楽譜を交響曲であると主張する権利はあるが、大指揮者として名を遺したブルーノ・ワルターはそれをしてマーラー先生に「君は指揮者で行きなさい」と言われてしまう(よって不合格)。その他人に辛辣なマーラーが作品に関心を持ったらしいし、会社の重役は切手にはならない。よってアイヴズは合格。

日本人がいないのは寂しいから皇族に代表していただこう。音楽をたしなまれる方が多く、皇太子徳仁親王のヴィオラは有名だが、僕が音源を持っているのは高円宮憲仁親王(29 December 1954 – 21 November 2002)がチャイコフスキーの交響曲第5番(終楽章)を指揮したものだ。1994年7月15日にニューピアホールでオーケストラは東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団である。親王は公益社団法人日本アマチュアオーケストラ連盟総裁を務め造詣が深く、指揮しては音程にとても厳しかったそうだ。お聴きのとおり、全曲聴きたかったなと思うほど立派な演奏、とても素人の指揮と思えない。僭越ながら、皇族との二刀流、合格。

米国にはインスティテューショナル・インベスターズ誌の創業者ながらマーラー2番マニアで、2番だけ振り方をショルティに習って世界中のオケを指揮しまくったギルバート・ キャプランCEO(1941 – 2016)もいる。同誌は創業51年になる世界の金融界で知らぬ者はない老舗である。彼が指揮したロンドン交響楽団との1988年の演奏(左のCD)をそのころロンドンで買った。曲はさっぱりだったがキャプランに興味があった。そういう人が多かったのか、これはマーラー作品のCDとして史上最高の売り上げを記録したらしいから凄い。ワルターよりクレンペラーよりショルティよりバーンスタインより素人が売れたというのはちょっとした事件であり、カラオケ自慢の中小企業の社長さんが日本レコード大賞を取ってしまったような、スポーツでいうなら第122回ボストンマラソンを制した公務員ランナー・川内 優輝さんにも匹敵しようかという壮挙だ。これがそれだ。

彼は私財で2番の自筆スコアを購入して新校訂「キャプラン版」まで作り、他の曲に浮気しなかった。そこまでやってしまう一途な恋は専門家の心も動かしたのだろう、後に天下のウィーン・フィル様を振ってDGから新盤まで出してしまうのである。「マーラー2番専門指揮者」なんて名刺作って「指揮者ですか?」「はい、他は振れませんが」なんてやったら乙なものだ。ちなみに彼の所有していたマーラー2番の自筆スコア(下・写真)は彼の没後2016年にロンドンで競売されたが落札価格は455万ポンド(6億4千万円)だった。財力にあかせた部分はあったろうが富豪はいくらもいる。金の使い道としては上等と思うし一途な恋はプロのオーケストラ団員をも突き動かして、上掲盤は僕が唯一聴きたいと思う2番である。合格。

マーラー2番自筆譜

かように作曲家の残したスコアは1曲で何億円だ。なんであれオンリーワンのものは強い。良かれ悪しかれその値段でも欲しい人がいるのは事実であるし、シューマン3番かブラームス4番なら僕だって。もしもマーラー全曲の自筆譜が売りに出るなら100億円はいくだろう。資本主義的に考えると、まったくの無から100億円の価値を生み出すのは起業してIPOして時価総額100億円の会社を生むのと何ら変わりない。つまり価値創造という点において作曲家は起業家なのである。

かたやその作曲家のスコアを見事に演奏した指揮者もいる。多くの人に喜びを与えチケットやCDがたくさん売れるのも価値創造、GDPに貢献するのであるヘルベルト・フォン・カラヤンは極東の日本で「運命」のレコードだけで150万枚も売りまくったその道の歴史的指揮者である。ソニーがブランド価値を認めて厚遇しサントリーホールの広場に名前を残している。大豪邸に住み自家用ジェットも保有するほどの財を成したのだから事業家としての成功者でもあり、立派な二刀流候補者といっていいだろう。しかし没後30年のいま、生前にはショップに君臨し絶対に廉価盤に落ちなかった彼のCDは1200円で売られている。22世紀には店頭にないかもしれない。こういう存在は資本主義的に考えると起業家ではなく、人気一過性のタレントかサラリーマン社長だ。不合格。

加山雄三

作曲家を贔屓していると思われようがそうではない。ポップス系の人がクラシック曲を書いているが前者はポール・マッカートニー、後者は先日の光進丸火災がお気の毒だった加山雄三だ。ポールがリバプール・オラトリオをヘンデルと並ぶつもりで書いたとは思わない。加山は弾厚作という名で作ったラフマニノフ風のピアノ協奏曲があり彼の母方の高祖父は岩倉具視と公家の血も引いているんだなあとなんとなく思わせる。しかし、いずれもまともに通して聴こうという気が起きるものではない(少なくとも僕においては)。ポールのビートルズ作品は言うに及ばず、加山の「君といつまでも」

ポール・マッカートニー(右)

などはエヴァーグリーンの傑作と思うが、クラシックのフォーマットで曲を書くには厳格な基礎訓練がいるのだということを確信するのみ。不合格。ついでに、こういうことを知れば佐村河内というベートーベン氏がピアノも弾けないのに音が降ってきて交響曲を書いたなんてことがこの世で原理的に起こりうるはずもないことがわかるだろう。あの騒動は、記事や本を書いたマスコミの記者が交響曲が誰にどうやって書かれるか誰も知らなかったということにすぎない。

サン=ジョルジュ

こうして俯瞰すると、音楽家の二刀流は離れ業であることがわかるが、歴史上には多彩な人物がいて面白い。ジョゼフ・サン=ジョルジュと書いてもほとんどの方はご存じないだろうが、音楽史の視点でこの人の二刀流ははずすわけにいかない。モーツァルトより11年早く生まれ8年あとに死んだフランスのヴァイオリン奏者、作曲家であり、カリブ海のグアドループ島で、プランテーションを営むフランス人の地主とウォロフ族出身の奴隷の黒人女性の間に生まれた。父は8才の彼をパリに連れて帰りフランス人として教育する。しかし人種差別の壁は厚く、やむなく13才でフェンシングの学校に入れたところメキメキ腕を上げて有名になり、17才の時にピカールという高名なフランス・チャンピオンから試合を挑まれたが彼を倒してしまう。その彼がパリの人々を驚嘆させたのはヴァイオリンと作曲でも図抜けた頭角を現したことである。日本的にいうならば、剣道の全国大会で無敵の強さで優勝したハーフの高校生が東京芸大に入ってパガニーニ・コンクールで優勝したようなものだ。こんな人が人類史のどこにいただろう。これが正真正銘の「二刀流」でなくて何であろう。宮廷に招かれ、王妃マリー・アントワネットと合奏し、貴婦人がたの人気を席巻してしまったのも当然だろう。1777年から78年にかけてモーツァルトが母と就職活動に行ったパリには彼がいたのである。だから彼が流行らせたサンフォニー・コンチェルタンテ(協奏交響曲)をモーツァルトも書いた。下の動画はBBCが制作したLe Mozart Noir(黒いモーツァルト)という番組である。ぜひご覧いただきたい。ヴァイオリン奏者が「変ホ長調K.364にサン・ジョルジュ作曲のホ長調協奏曲から引用したパッセージがある」とその部分を弾いているが、「モーツァルトに影響を与えた」というのがどれだけ凄いことか。僕は、深い関心をもって、モーツァルトの作品に本質的に影響を与えた可能性のある同時代人の音楽を、聴ける限り全部聴いた。結論として残った名前はヨゼフ・ハイドン、フランツ・クサヴァー・リヒター、そしてジョゼフ・ブローニュ・シュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュだけである。影響を与えるとは便宜的にスタイルを真似しようという程度のことではない、その人を驚かし、負けているとおびえさせたということである。サン=ジョルジュが出自と容貌からパフォーマーとして評価され、文献が残ったのは成り行きとして当然だ。しかしそうではない、そんなことに目をとられてはいけない。驚嘆しているのは、彼の真実の能力を示す唯一の一次資料である彼の作品なのだ。僕はそれらをモーツァルトの作品と同じぐらい愛し、記憶している。これについてはいつか別稿にすることになろう。

黒い?まったく無意味な差別に過ぎない。何の取り得もない連中が肌の色や氏素性で騒ぐことによって自分が屑のような人間だと誇示する行為を差別と呼ぶ。サン=ジョルジュとモーツァルトの人生にどんな差があったというのか?彼は白人のモーツァルトがパリで奔走して命懸けで渇望して、母までなくしても得られる気配すらなかったパリ・オペラ座の支配人のポストに任命されたのだ。100人近い団員を抱える大オーケストラ、コンセール・ド・ラ・ロージュ・オランピックのコンサートマスターにも選任され、1785年から86年にかけてヨゼフ・ハイドンに作曲を依頼してその初演の指揮をとったのも彼である。それはハイドンの第82番目から第87番目の6曲のシンフォニーということになり、いま我々はそれを「パリ交響曲」と呼んで楽しんでいるのである。

ロッシーニ風フォアグラと牛フィレステーキとトリュフソース

ゴールデン・ウイーク・バージョンだ、長くなったが最後にこの人で楽しく本稿を締めくくることにしたい。サン=ジョルジュと同様にフランス革命が人生を変えた人だが、ジョアキーノ・ロッシーニの晩節は暗さが微塵もなくあっぱれのひとこと。オペラのヒットメーカーの名声については言うまでもない、ベートーベンが人気に嫉妬し、上掲のハンス・フォン・ビューローのオペラ指揮デビューはこの人の代表作「セヴィリアの理髪師」であったし、まだ食えなかった頃のワーグナーのあこがれの作曲家でもあった。そんな大スターの地位をあっさり捨てて転身、かねてより専心したいと願っていた料理の道に邁進し、そっちでもフランス料理に「ロッシーニ風フォアグラと牛フィレステーキとトリュフソース」の名を残してしまったスーパー二刀流である。

ジョアキノ・ロッシーニ

 

ウォートンのMBA仲間はみんな言っていた、「ウォール・ストリートでひと稼ぎして40才で引退して人生好きなことして楽しみたい」。そうだ、ロッシーニは37才でそれをやったんだ。ワーグナーと違って、僕は転身後のロッシーニみたいになりたい。それが何かは言えない。もはや63だが。ただし彼のような体形にだけはならないよう注意しよう。

クラシック徒然草ー 憧れの男はロッシーニであるー

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ベルリオーズ 「幻想交響曲」 作品14

2014 JUL 28 14:14:41 pm by 東 賢太郎

220px-Henrietta_Smithsonほれた女にふられるならまだいいが、無視されるのは堪え難いというのは男性諸氏は共感できるのではないか。まだ無名だった24歳のベルリオーズは、パリのオデオン座でイギリスから来たシェイクスピア劇団の舞台に接し、ハムレットのオフィーリアを演じたアイルランド人の女優、ハリエット・スミッソン(左)に夢中になってしまった。熱烈なラブレターを出すがしかし彼女は意に介さず、面会すらもできない。激しい嫉妬にさいなまれた彼はやがて彼女に憎しみを抱いてゆくことになる。

間もなく劇団はパリを去ってしまい、ハリエットをあきらめた彼はマリー・モークというピアニストと婚約した。ところが、踏んだりけったりとはこのことで、ローマ賞の栄冠に輝いてイタリア留学に行くとすぐに、モークの母から娘を別な男に嫁がせることにしたという手紙が届く。怒ったベルリオーズはパリに引き返し女中に変装してモーク母子を殺害して自殺しようと企んだ。婦人服一式、ピストル、自殺用の毒薬を買い馬車にまで乗ったのだから本気だった。幸いにして途中(ニース)で思いとどまったが彼は危ないところだった。

しかし、この事件の前に、彼はすでに殺人を犯し、自殺していた。

それは1830年にできたこの曲の中でのことである(幻想交響曲)。恋に深く絶望し阿片を吸った芸術家の物語だが、その芸術家は彼自身である。彼はおそらくハリエットを殺しており死刑になる。ギロチンで切られた彼の首がころがる。化け物になったハリエットが彼の葬儀に現れ奇っ怪な踊りをくりひろげる。これと同じことがモークの件で現実になる所だったわけだ。ベルリオーズが本当に阿片を吸ったかどうかはわからない。阿片は17世紀は医薬品とされ、19世紀にはイギリス、フランスなどで医薬用外で大流行し、詩人キーツのように常用した文化人がいた。ピストルと毒薬を買って殺人を企図したベルリオーズが服用したとしてもおかしくない。

そう思ってしまうほど幻想交響曲はぶっ飛んだ曲であり、「幻想」(fantastique、空想、夢幻)とはよく名づけたものだ。これが交響曲という古典的な入れ物に収まっていることが、かろうじてベートーベンの死後2年目にできた曲なのだと信じさせてくれる唯一の手掛かりだ。逆にその2年間にベルリオーズは入れ物以外をすべて粉々にぶち壊し、それでいてただ新奇なだけでなくスタンダードとして長く聴かれる曲に仕立て上げた。そういう音楽を探せと言われて、僕は幻想と春の祭典以外に思い浮かぶものはない。高校時代、この2つの音楽は寝ても覚めても頭の中で鳴りまくっていて受験会場で困った。

この曲のスコアを眺めることは喜びの宝庫である。これと春の祭典の相似は多い。第5楽章の冒頭の怪しげなムードは第2部の冒頭であり、お化けになったハリエットのEsクラリネットは第1部序奏で叫び声をあげる。練習番号68の後打ちの大太鼓のドスンドスンなどそのものだ。第4楽章のティンパニ・アンサンブル(最高音のファは祭典ではシに上がる)なくして祭典が書かれようか。第4楽章のファゴットソロ(同50)の最高音はラであり、これが祭典の冒頭ソロではレに上がる。第3楽章のコールアングレがそれに続くソロを思わせる。「賢者の行進」は「怒りの日と魔女のロンド」(同81)だ。第5楽章のスコアは一見して春の祭典と見まがうほどで僕にはわくわくの連続だ。

この交響曲の第1楽章と第3楽章は、まことにサイケデリックな音楽である。第1楽章「夢、情熱」の序奏部ハ短調の第1ヴァイオリンのパートをご覧いただきたい。弱音器をつけpからffへの大きな振幅のある、しかし4回もフェルマータで分断される主題は悩める若者の不安な声である。交響曲の開始としては異例であり、さらにベートーベンの第九のような自問自答が行われる。gensou1

感情が赤の部分へ向けてふくらんでfに登りつめると、チェロが5度で心臓の高鳴りのような音を入れる。そこで若者は同じ問いかけを2回する。青の部分、コントラバスがピッチカートでそれに答える。1度目はppでやさしく、2度目はfで決然と。まるでオペラであり、ワーグナーにこだまするものの萌芽を見る思いだ。

若者は納得し(弱音器を外す)、音楽は変イの音ただひとつになる。それがト音に自信こめたようにfで半音下がると、ハ長調でPiu mosso.となり若者は束の間の元気を取り戻す。この、まるで夢から覚めていきなり雑踏ではしゃいでいるような唐突で非現実的な場面転換、そこに至る2小節の混沌とした感じは、まったく筆者の主観であるが、レノン・マッカートニーがドラッグをやって書いた後期アルバムみたいだ。両者にそういう共通の遠因があったかどうかはともかく、常人の思いつく範疇をはるかに超え去ったぶっ飛んだ楽想である。

この後、弦による冒頭の不安な楽想と木管によるPiu mossoの楽想が混ざり、心臓高鳴りの動機で中断すると、再び第1ヴァイオリンと低弦の問答になる。ここでの木管の後打ちリズムはこの曲全体にわたって出現し、ざわざわした不安定な感情をあおる。やがて弦5部がそのリズムに引っぱられてシンコペートする。これが第2のサイケデリックな混沌だ。ここから長い長い低弦の変イ音にのっかって変ニ長調(4度上、明るい未来)になり、しばし夢の中に遊ぶ。フルート、クラリネットの和音にpppの第1ヴァイオリンとpのホルン・ソロがからむデリケートなこの部分の管弦楽法の斬新さはものすごい!これはリムスキー・コルサコフを経てストラヴィンスキーに遺伝し、火の鳥の、そして春の祭典のいくつかのページを強く連想させるものである。

この変イ音のバスが半音上がり、a、f、g、cというモーツァルトが偏愛した古典的進行を経てハ長調が用意される。ここからハリエットのイデー・フィックス(固定楽想)である第1主題がやっと出てきて提示部となる。つまりそこまでの色々は序奏部なのだ。この第1主題、フルートと第1ヴァイオリンが奏でるソードソーミミファーミミレードドーシである。山型をしている。ファが頂上だが、ミミファーと半音ずり上がる情熱と狂気の盛り上げは随所に出てくる。第2主題はフルートとクラリネットで出るがどこか影が薄い。しかしこの気分が第3楽章で支配的になる大事な主題だ。これはすぐに激した弦の上昇で断ち切られffのトゥッティを経て今度は深い谷型のパッセージが現れる。すべてが目まぐるしく、落ち着くという瞬間もない。ここからの数ページは、やはり感情が激して落ち着く間もないチャイコフスキーの悲愴の第1楽章展開部を想起させる。

展開部ではさらに凄いことが起こる。練習番号16からオーボエが主導する数ページの面妖な和声はまったく驚嘆すべきものだ。第381小節から記してみると、A、B♭m、B♭、Bm、B、Cm、C、C#m、C#、Csus4、C、Bsus4、B、B♭sus4、B♭、Bm、B、Cm、C、C#m、C#、Dm、D、D#m・・・・なんだこれは?何かが狂っている。和声の三半規管がふらふらになり、熱病みたいにうなされる。古典派ではまったくもってありえないコードプログレッションである。ベルリオーズは正式にピアノを習っておらず、彼の楽器はギターとフルートだった。この和声連結はピアノよりギター的だ。それが不自然でなく熱病になってしまう。チャイコフスキーは同じようなものを4番の第1楽章で「ピアノ的」に書いた。それをバーンスタインがyoung peoples’でピアノを弾いてやっている。

ところで、ハリエットは第4楽章でギロチンに首を乗せると幻影が脳裏に現れてあの世である終楽章でお化けになることになっているが、僕は異説を唱えたい。最初から殺されていて、全部がお化けだ。第1楽章の熱病部分に続くffのハリエット主題はG7が呼び覚ますが、そこでイヒヒヒヒと魔女の笑いが聞こえ終楽章の空飛ぶ妖怪の姿になっている。そこからもう一度ややしおらしくなって出てくるが、それに興奮して騒いだ彼の首がギロチンで落ちるピッチカートの予告だってもうここに聞こえているではないか。しかしそれはコーダの、この曲で初めてかつ唯一の讃美歌のような宗教的安らぎでいったん浄化される。だからとても印象に残るのだ。本当に天才的な曲だ!このC→Fm(Fではなく)→Cはワーグナーが長大な楽劇を閉じて聴衆の心に平安をもたらす常套手段となるが、ここにお手本があった。この第1楽章に勝るとも劣らないぶっ飛んだ第3楽章について書き出すとさすがに長くなる。別稿にしよう。

第2楽章「舞踏会」。ここの和声Am、F、D7、F#7、F#、Bm、G・・・も聞き手に胸騒ぎを引き起こす。スコアはハープ4台を要求しているが、この楽器が交響曲に登場してくるのがベートーベンをぶっ壊している。第3楽章のコールアングレ、終楽章の鐘、コルネット、オフィクレイドもそうだ。ティンパニ奏者は2人で4つを叩きコーダで2人のソロで合奏!になる。ラ♭、シ♭、ド、ファという不思議な和音を叩くがこのピッチがちゃんと聴こえた経験はない。同様に第4楽章の冒頭でコントラバスのピッチカートが4パートの分奏(!)でト短調の主和音を弾くが、これもピッチはわからない。これは春の祭典の最後のコントラバス(選ばれた乙女の死を示す暗号?)のレ・ミ・ラ・レ(dead!)の和音を思い出す。

この交響曲の初演指揮を委ねられたのはベルリオーズの友人であったフランソワ・アブネックであった。彼についてはこのブログに書いた。

ベートーベン第9初演の謎を解く

幻想交響曲はハリエットという女性への狂おしい思いが誘因となり、シュークスピアに触発されたものだが、音楽的には彼がパリで聴いたアブネック指揮のベートーベンの交響曲演奏に触発されたものである。ベートーベンの音楽が絶対音楽としてドイツロマン派の始祖となったことは言うまでもないが、もう一方で、ベルリオーズ、リスト、ワーグナーを経て標題音楽にも子孫を脈々と残し、20世紀に至って春の祭典やトゥーランガリラ交響曲を産んだことは特筆したい。そのビッグバンの起点が交響曲第3番エロイカであり、そこから生まれたアダムとイヴ、5番と6番である。このことは僕の西洋音楽史観の基本であり、ご関心があれば3,5,6番それぞれのブログをお読み下さい(カテゴリー⇒クラシック音楽⇒ベートーベンと入れば出てきます)。

最後に一言。男にこういう奇跡をおこさせてしまう女性の力というものはすごい。我がことを考えても男は女に支配されているとつくづく思う。そういえばモーツァルトもアロイジア・ウェーバーにふられた。彼が本当にブレークするのはそれを乗り越えてからだ。彼はアロイジアの妹コンスタンツェを選んだ。姉の名はマニアしか知らないだろうが天才の妻になった妹は歴史の表舞台に名を残した。しかしベルリオーズの方は後日談がある。幻想の作曲から2年して再度パリを訪れたハリエットはローマ留学から帰ったベルリオーズ主催の演奏会に行く。そこで幻想交響曲を聞き、そのヒロインが自分であることに気づく。感動した彼女は結局ベルリオーズと結ばれた。彼女の方は大作曲家の妻という名声ばかりか、天下の名曲の主題として永遠に残った。

 

シャルル・ミュンシュ / パリ管弦楽団

406僕はEMIのスタジオ録音でこの曲を知ったしそれは嫌いではない。ただし彼の演奏はかなりデフォルメがあり細部はアバウト、良くいえば一筆書きの勢いを魅力とする。それが好きない人にはたまらないだろうということで、どうせならその最たるものでこれを挙げる。鐘の音がスタジオ盤と同じでどこか安心する。幻想のスコアを眺めていると、書かれた記号にどこまで真実があるのかどうもわからない。そのまま音化して非常につまらなくなったブーレーズ盤がそれを物語る。これがベストとは思わないが、面白く鳴らすしかないならこれもありということ。フルトヴェングラーの運命の幻想版という感じだ。EMI盤と両方そろえて悔いはないだろう。

 

ジェームズ・コンロン/  フランス国立管弦楽団

gensouこの曲はフランスのオケで聴きたいという気持ちがいつもある。マルティノンもいいが、これがなかなか美しい。LP(右、フランスErato盤)の音のみずみずしさは絶品で愛聴している。演奏もややソフトフォーカスでどぎつさがないのは好みである(音楽が充分にどぎついのだから)。パリのコンサートで普通にやっている演奏という日常感がたまらなくいい。料亭メシに飽きたらこのお茶漬けさらさらが恋しい。終楽章のハリエットですら妖怪ではなく人間の女性という感じだからこんなの幻想ではないという声もありそうだが。

 

オットー・クレンペラー / フィルハーモニア管弦楽団

4118SYQZ5PL__SL500_AA300_ロンドン時代にLPで聴き、まず第一に音が良いと思った。音質ではない。音の鳴らし具合である。この曲のハーモニーが尖ることなく「ちゃんと」鳴っている。だからモーツァルトやベートーベンみたいに音楽的に聞こえる。簡単なようだがこんな演奏はざらにはない。第2楽章にコルネットが入る改訂版をなぜ選んだかは不明だが、彼なりに彼の眼力でスコアを見据えていておざなりにスコアをなぞった演奏ではない。ご自身かなりぶっ飛んだ方であられたクレンペラーの波長が音楽と共振している。第4楽章の細部から入念に組み立ててリズムが浮わつかない凄味。終楽章もスコアのからくりを全部見通したうえで音自体に最大の効果をあげさせるアプローチである。こういうプロフェッショナルな指揮は心から敬意を覚える。

 

(補遺、2月29日)

ダニエル・バレンボイム / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

51iMEuehZVLベルリン・イエス・キリスト教会の広大な空間を感じる音場で、オーケストラが残響と音のブレンドを自ら楽しむように気持ちよく弾き、良く鳴っていることに関して屈指の録音である。音を聞くだけでも最高の快感が得られる。第1楽章は提示部をくり返し、コーダは加速する。第2楽章はワルツらしくない。第3楽章の雷鳴は超弩級で、どうせ聴こえない音程より音量を採ったのか。第4楽章のティンパニの高いf がきれいに聞こえるのが心地よい。終楽章コーダは最も凄まじい演奏のひとつである。たしかBPOのCBSデビュー録音で、僕は89年にロンドンで中古で安いので買っただけだが、バレンボイムの振幅の大きい表現にBPOが自発性をもって乗っていて感銘を受けたのを昨日のように覚えている。ライブだったら打ちのめされたろう。彼はつまらない演奏も多いが、時にこういうことをやるから面白い。

 

(補遺、2018年8月25日)

ポール・パレー / デトロイト交響楽団

第2楽章の快速で乾燥したアンサンブルはパレーの面目躍如。これだけ内声部が浮き彫りに聞こえるのも珍しい。第3楽章も室内楽で、田園交響曲の末裔の音を感知させる面白さだ。ティンパニの音程が最もよくわかる録音かもしれない。指揮台にマイクを置いたかのようなMercuryのアメリカンなHiFi概念は鑑賞の一形態を作った。終楽章の細密な音響は刺激的でさえある。パレーは木管による妖怪のグリッサンドをせず常時楷書的だが、それをせずともスコアは十分に妖怪的なのであり、僕は彼のザッハリッヒ(sachlich)な解釈の支持者だ。

 

 

クラシック徒然草―ミュンシュのシューマン1番―

 

 

 

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音楽にご関心のある方

ストラヴィンスキー バレエ音楽 「春の祭典」

クラシック徒然草-田園交響曲とサブドミナント-

フランク 交響曲ニ短調 作品48

女性にご関心のある方

「女性はソクラテスより強いかもしれない」という一考察

日本が圧勝する21世紀<女性原理の時代>

 

 

 

 

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コダーイ 組曲「ハーリ・ヤーノシュ」作品15

2014 JUN 22 18:18:27 pm by 東 賢太郎

map01ハンガリーに友人Kが駐在していて、スイス時代に仲間と4,5回は行っただろう。それが毎度ゴルフであり、彼の運転でペーチュという南部の街のあたりまで4時間ほどブダペストからぶっ飛ばして行く。もうクロアチアに近いところだがそこにけっこう難しい36ホールのある立派なゴルフホテルがある。ジャパニーズなんて珍しいからだろうか奴の性格の良さだろうか、Kはそこのオヤジにえらく気に入られていて番犬までなついていた。ホールインワンをやったホールのティーグラウンドわきに石碑を立ててもらっているほどだからこんな奴はそうはいない。気安くゴルフができるわけだ。それに味をしめて何回も行ったのだが金曜にチェックインして土、日で4,5ラウンドやるからまるでプロのトーナメントだ。もう20年も前のことだが、まだホール全部の景色とレイアウトや使用クラブ(番手)をはっきり覚えているところをみるといかに真剣勝負していたことか。

一度夜に4人で街へ出ようと車で向かったとき、ベンツがエンストしてしまった。えらい田舎道で人っ気どころか街灯もなく途方に暮れた。当時まだ携帯電話なんてなかったのだ。1時間ぐらいしてやっと通った車に2人が乗せてもらいガソリンスタンドまで行って何とかしてもらおうとなった。釣り帰りの気のいい若者たちであり、車内は釣果のナマズで臭かったそうだ。ホールドアップのない国で良かった。僕は残留組だった。またひたすら車内で待った。暗闇と静寂の中で凍えるほど寒かった。「こんなとこで死ぬのはかなわんね」と笑っても冗談にきこえない。1-2時間だったろうか永遠みたいに長いこと待った。後方からごうごうと地響きがしてきた。煌々とライトを放った大型トレーラーだった。遠征組の大手柄だ。スタンドで絵を描いてやっと緊急事態が通じたみたいだが、夜中によく出してくれたもんだ。ハンガリーの人はいい人なのだ。車ごと高々とした荷台に乗せられて我々は大いに快適だった。ホテルに凱旋帰還したのは朝の4時だ。Kになついている番犬が突如出現した巨大トレーラーに仰天して気弱に吠えた。

一度は上司とウイーンからブダペストまで車で行ったこともある。90年のことだ。バラトン湖で食事してなんだったか忘れたが屋台で果物を袋いっぱい買って食べながら行ったが食べきれなかった。仕事後にバルトークとコダーイのお墓詣りをさせてもらった。ハンガリーというとグーラッシュだ。パプリカのきいたビーフシチューみたいな料理でご飯があればもっといいのにといつも思う。フォアグラは地元の名産で、それとトカイワインがあれば言うことない。ハンガリーにはモンゴル由来のアジアの血が入っているそうだがどの程度だろうか。ハンガリーのHunはフン族のフンというがそうではないという説もある。ただ姓名の順番は東洋式だからアジアが残っているのかもしれない。ヤマダ・タロウと同じくリスト・フランツでありバルトーク・べラである。

コダーイ・ゾルタンの名作「ハーリ・ヤーノシュ」は同名のほら吹きオヤジが、”七つの頭の竜を退治した”、”ナポレオンに勝って捕虜とした”、”オーストリア皇帝の娘から求婚されたなどの冒険譚をたれる物語だ。ほらでも捏造でもここまで豪快だと憎めない。原曲はプロローグとエピローグを持つ4幕の劇音楽「五つの冒険」であり、そこからコダーイが6曲を選んで以下の演奏会用組曲とした。

1. 前奏曲 おとぎ話は始まる                                 2. ウィーンの音楽時計                                     3. 歌                                                4. 戦いとナポレオンの敗北                                  5. インテルメッツォ                                       6. 皇帝と廷臣たちの入場

第3曲、第5曲で活躍する「ツィンバロン」という打弦楽器にご注目いただきたい。グランドピアノの弦をバチでたたく原理で、そういう音がする。スイスはジュネーヴのレストランでこの楽器の名手のソロを聴いたことがあるが音も大きく感銘を受けた。

第1曲はいきなり「くしゃみ」の音まねで始まる。「聞いている者がくしゃみをすればその話は本当」というハンガリーの言い伝えだそうだ。ほら話がくしゃみで始まるのは逆説のジョークだ。第6曲の最後はバスドラムの一発で閉じる。そんな曲はこれしか知らない。ティンパニ・ソロの一発で閉じるのにドビッシー「海」があるがそれはリズムの拍節どおりに鳴る。ここでは微妙に記譜された拍節からずれて、遅らせて鳴らしている指揮者がいる。例えばセル・ジョルジ(米国名ジョージ・セル)だ。この絶妙の間、文字通りの「間ぬけ」がぜ~んぶホラでしたと聞こえるから不思議だ。これでこそ「くしゃみ」の入りと対称形になって全曲の意味がくっきりと浮き出る。

僕はこの曲がエスニック料理みたいに大好きだ。ハンガリー風味が満載。ときどき無性に食いたくなる。クラシックファンには当たり前の曲だが入門者は知らない人も多いだろう。とにかく病みつきになるほどのおいしい曲なのでぜひ6曲とも聴き込んで覚えていただきたい。ハンガリー民謡のメロディーが不思議と我々日本人の「口に合う」音楽なのだ。

僕の場合、病が嵩じて第3曲「歌」と第5曲「インテルメッツォ」をシンセで弾いてMIDI録音した。前者はヴィオラソロで始まり、練習番号1で Dの和音の上にクラリネットが第3音(f)と第7音(c)が半音下がったジャズでいうドリアンスケールの旋律を奏でる。この長調短調のぶつかりはビートルズの後期の音を連想させる。和音だけがB♭7→Gと東洋情緒あふれる変化をするがこの部分はジプシー(ロマ)音楽風であり、ブラームスのクラリネット五重奏曲を思い出す。 ロマと黒人、ジプシー音楽とジャズ。西洋音楽の周辺、エスニックなところのエッセンスがビートルズにあるというのが彼らの音楽のパワーの源泉だろう。

練習番号2。Poco piu mossoからD、C、F、G、Asus4と続く和音は、特にFが出てくるところが非常にビートルズのStg.Peppers的である。この次にホルンにフルートのトリルが絡まる部分の素晴らしい和音(Dmaj7/b→ E6・7・9→Em7)!なんていいんだろう。作りながら興奮した。この6曲にはこういう興奮箇所が満載だ。いちいち書いていたらブログ10回分になってしまう。そういうマニアがおられればいつかじっくりと喜びを分かち合いたいと思う。ともあれ、ハーリ・ヤーノシュ、旋律は平易に聞こえるが和声進行の個性は絶妙であり他の誰とも似ていない。コダーイオリジナルの天才的作品なのである。

 

フェレンツ・フリッチャイ / ベルリン放送交響楽団

haryi-tuneの自作自演盤は(僕のメモリーにないものだが本物とすると)かなり味付けが濃い。劇音楽そのものだ。コダーイの愛弟子であったフリッチャイの演奏がこれに近い。例えば第4曲のトロンボーンのグリッサンドからの表情づけ、サックスのトリル。曲尾のバスドラムも見事に「間抜け」で鳴る。僕はこれをLPで大学時代に聴き込み、CD(写真)をドイツで買った。僕にとって特別な思いのある演奏であるが、これがスタンダード名曲化する前の原型の香りをたたえた名演として皆さまにも広くお薦めできる。

ユージン・オーマンディ / フィラデルフィア管弦楽団(1961年12月28日録音、CBS)

unnamed (22)こちらは17歳の時にバルトークを買ったらいわゆる「B面」も良かったというもの。指揮者のハンガリ―名はオルマーンディ・イェネーである。現代オケのスマートな快演として評価されているがとんでもない。欧州的な音がしており随所に懐かしい香りがある名盤である。前述「歌」の練習番号2Poco piu mossoのフルートをこんなに見事に「わかって」入念に入れている指揮者は皆無である。この曲の要である管楽器のうまさはいうに及ばずだが「インテルメッツォ」のシンフォニックな弦も格別に颯爽としている(実にかっこいいのだ)。万人のスタンダードとしてお薦めしたい。

(こちらもどうぞ)

バルトーク「管弦楽のための協奏曲」Sz116

Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band

 

 

 

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Abbey Road (アビイ・ロードB面の解題)

2013 NOV 16 14:14:31 pm by 東 賢太郎

先日東京ライブで中島さんにお会いした時に、ビートルズの「アビイ・ロード」について何か書きましょうと持ちかけたのは僕の方でした。しばらくたってしまい失礼いたしました。

アビイ・ロード

 

このビートルズ最後となったアルバムを、僕はいかなる音楽の下に置くものでもありません。このB面は人類の造った、あるいはこれから造るであろう、あらゆる音楽の最高峰の一角を永遠に占めるものと確信いたします。何度聴いたか想像もつきません。「飽きることなし」という一点においてすでに、これは完璧な classic(serious music)だと思います。

 

<序>

ビートルズがクラシックだと持ち上げる人は無数にいます。だけど、「どうして?」ときかれて答えられる人がどれだけいるでしょう。

クラシック(classic)というのは階級(class)という含みのある言葉です。ゲージュツであり高級でありセレブだけのものという感じでしょう。僕はそもそもこのクラシックという物言いが嫌いです。英語ではシリアスな音楽(serious music)という呼び方があって、それの方がしっくりきます。シリアスに(じっくりと耳を傾けて)聴く音楽。「聞く」のではなく「聴く」音楽。アビイ・ロードはそういうアルバムであり、だから巷でいうクラシックなのです。

僕はこのB面を「とてもシリアス」に、それも数えきれないぐらい何回も聴いています。そして聴くたびに感動し、また聴こうと思います。それが、やはりLP片面で終わるドビッシーの交響詩「海」を聴くのといったい何が違うのだろう?この問いにうまく答えられないという事実を説明する唯一の解答として僕は 「アビイ・ロードはクラシックですね」 と苦しまぎれに申し上げるしかないのです。

この稿はビートルズがクラシックだと主張するものではありません。ビートルズは徹頭徹尾、ロックバンドです。She loves Youは名曲ですがロックであって、2~3分で終わる曲がシリアス・ミュージックとはいいにくい。しかし Abbey Road と Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band はシリアスな鑑賞を許容する、アルバムという単位の一個の作品であり、その作曲家がロッカーかシンフォニストかは本質的な議論ではありません。

本稿は、ロックというジャンルの音楽の99%にはあまり反応を示さない僕の耳という器官にAbbey Road がどう聞こえるかを記すものであります。ひとつだけ補足がいると思います。なんでB面なの?とご批判もあろうと思いますが、A面の後半には耳が反応も興味も示さないからです。Maxwell’s Silver Hammer、Oh! Darling という系統の曲は苦手です。すみません。また、文中の音名、コード名については楽譜まで調べたわけではありません。聴き違いがあったら何卒ご容赦ください。

<解題1>

このLPレコードを初めて聴いた時、Come Togetherのシュッ!(Shoot meと言っているらしい)と打楽器のパタパ・パタパ・・・という不可思議な音響に度肝を抜かれたのを今も鮮明に覚えています。子供のころレコードでラヴェルの「ボレロ」を聴き、ピッコロとホルンとチェレスタで複調になる部分に「何だこれは!?」と仰天。その瞬間に「そういう楽器が存在するのだ」と思い込んでしまい、異様なホラ貝の化け物じみた姿まで想像していました。実演では恐る恐る「それ」を舞台のオケの中に探したものです(ラヴェルが知ったら喜んだろうなあ)。今だにここを聴くと「それ」が目に浮かぶという困ったことになっていて、ああ説明が回りくどいのですが、ここのシュッ!パタパは僕の中ではまさにそれに近いのです(やれやれ、これが言いたかった)。

和声は単純なニ短調に聴こえるのですが、ピアノで弾くと左手d・a・d、右手c・fのDm7なのにcの隣のbが鳴っているように聴こえます。次のAでもマイナーキー(Am)のcが。鳴ってないのですが声がcとc#をフラフラしてAかAmかわからない。この短2度のかくし味とコーラスの平行完全4度のハモリ(ボレロの複調を想起)が実に効いているのです。リズムは一貫して  ンパンパンパ・・・の後打ち(パにアクセントがある)で原始的な2拍子に聴こえますが、パタパタが1拍(ンパ)に6回だからこれはミクロ的には非常に西洋音楽的な3拍子系の音楽です。

そう叩いているリンゴは天才であります(1拍8回だとどんなにつまらない曲になるかお試しください!)。その「6回」は鳴り続けるわけではなく、歌が始まると2拍子になりますが耳に律動感として焼きついていて(イントロの強烈な印象のためです)、歯切れいいジョンの2拍子と記憶の中の6拍子がポリリズムになっている。この透かし絵のような効果はシリアスな聴き手を直撃します。「6回」がいかに全曲の通奏低音のように聴き手の意識に刷りこまれているかは2曲目のSomethingのイントロのドラムソロを6回で入ってCome Togetherのテンポ感をひっぱっていることで分かります。そしてそれが実は3連符であって4拍子の曲だとわかると、なにか広大な草原にでも出たようなゆったりとした気分に導かれます。Abbey Roadのアルバムとしての一貫性を多くの人が指摘しますが、このような細部の仕掛けまで実に「シリアス」にできている効果です。

<解題2>

ヨーコが弾いていたベートーベンの月光ソナタの楽譜をさかさまにして弾かせたものからインスピレーションを得たと言われるのがBecauseです。それはどうでもいいのですが、sky is blue~の最後にA7の g の上に f# が鳴る(長7度)。これがまたノックアウトものです。ビートルズを真似た、真似ようとしたロックバンドは数知れません。しかし、もうこの f# ひとつ入れられるか否か、そんな小さなことと思われるかもしれないがそれは雲泥の、いや成層圏と地面ぐらいのどうしようもない差であって、この f# が僕のような耳のテーストの人間を何百万人唸らせてきたか想像に難くありません。普通の人や普通のロックバンドからは逆さにしてもこの音符は出てこないと思います。どうして?出てこなかったからこそ、誰もビートルズになれなかったからです。

You Never Give Me Your Moneyから音楽は独立ナンバーの羅列でなくメドレー形式になります。凄いのはここからです。

Oh, that magic feeling
Nowhere to go
Nowhere to go

B♭→F→CのSgt Pepper’s的なコード進行に続いて

One sweet dream
Pick up the bags and get in the limousine
Soon we’ll be away from here

を導く経過句的コード連鎖C→A→F#7→C→C7→D#7→A→F#7→G→G#→A この万華鏡のような転調の連鎖には度肝を抜かれます。これを聴いて真っ先に僕が連想するのはチャイコフスキーの和声連結です。くるみ割り人形の花のワルツだ。彼がこの部分を聴いたらいったい何と言っただろう??

One two three four five six seven,
All good children go to Heaven

C→G→Aの繰り返しが印象的なベースを伴ってディミニュエンドし、だんだんコオロギの鳴き声が聞こえてきます。本当に天国にのぼったかのような。ここからです。

何より初聴時に天地がひっくり返るほど驚いたのはこのSun Kingのアーです。茫洋とした不思議なムードのE(ホ長調)に突然ソ・レ・ファ・ド・レ・ファ・ラ(たぶん)がア・カペラで闖入!!青天の霹靂であり脳天直撃のショックです。僕が地球上のあらゆる音楽から受けた転調の衝撃でこれを上回るものは一つもありません。これはE部分の g#・b・c#・e が a・c・d・f に半音ずれ上がりバスが e から g に3度上がる (Magical Mystery Tourと同じ)。そしてそのバスの g をドミナントとして一気にハ長調に転調。here(g・c・e)comes(b・d・e)the(g・c・e)sun(b♭・d・f・g)king(a・c#・e)の密集和音のコーラス、太字部分の2度の精密な、まるで霧の中にいるような恍惚とさせるハーモニーは彼らの音楽の集大成とすら聞こえます。ホントウニスゴイ!

ここから意味不明のスペイン語を経てPolythene Pamに至るジョンの天才ぶりには言葉を失います。2拍子のMean Mr. Mustard の最後が3拍子になる。ぐるぐる頭が回る。ジョンの変拍子はSgt.Peppers(Good Morning,Good Morning)でも出てきますが、ここではあれっと思うとあれあれっという間髪も入れずにPolythene Pamの12弦ギターとタムの奔流に引きずりこまれます。ラフティングで筏(いかだ)が急流にもまれ、一回転したら次の急流に乗っていたという感じ。この部分の展開は天衣無縫と評するしかなく、すごさに気づいた人がやろうにも真似すら無理という性質のものです。

Polythene Pamは他の楽器に編曲したらちっとも面白くないでしょう。あのジョンのギターのワワワワウ!リンゴのタムの乱れ打ち!あの「ワルぶった感じ」は楽譜に書きようがないし、あれを管弦楽団なんかでやってもタカラヅカが極道ものをやるようなもんで、みっともなくて聴けたもんじゃないだろう。あれはあの12弦ギターとタムじゃないとだめです。つまりジョンは音色まで作曲しているということで、これにはクラシックは手も足も出ません。

音楽という絵画を描く絵の具の色はオーケストラにおいて最も多様化しましたが、ここでジョンはそれを拡大しました。単にエレキギターがそこにないということではなく、オケに後発組のクラリネットが初めて加わったのと同じぐらいのシリアスな必然性を持ってです。ビートルズの演奏能力について僕はひとことも書いていませんが、歌やギターがうまいへたは論じても意味がなくて、ここに録音された音、演奏そのものがスコアです。ジョンの曲の部分だけは、シリアス・ミュージックではあっても、字義通りのクラシック音楽のパレットには還元できません。僕はロックの奥深さをこういうところに感じるものであります。

<解題3>

一方で、ポールのYou never give me your moneyは彼自身のピアノで弾かれ、後にブラス・アンサンブルでも出てきます。この曲は明確に五線譜に記譜でき、ギターよりピアノや管弦楽の方が自然なぐらいです。The Long and Winding Roadが典型ですが、ポールはクラシック音楽のボキャブラリーをものすごく蓄積していることがわかります。しかし僕のまったくの主観ですが、ポールのはクラシックとしては、けっこう普通です。あまりに正統派なので、クラシック慣れした耳にはあっそう、それで?というところがある。一方で、ジョンのクラシックはCome TogetherやBecauseやSun Kingになる。これらの衝撃はストラヴィンスキーの「春の祭典」を初めて聴いた時を凌ぐものがあります。

ビートルズの初期作品にはギターで適当にやってみたら意外に良かったという感じの音があります。天才の発想の原石が裸のまま出たかのように。しかし後期作品ではおそらく彼らの耳がそういうことを許容しなくなっていて、もっと高度な音楽言語でプロセスされています。アレンジというお化粧の問題でなく音そのものが。管弦楽と合唱のためのレクイエムまで作曲したポールの耳が後期のビートルズの音作りに影響したのは否定できないでしょう。それが異形の天才ジョン・レノンにクラシックを書かせたかもしれません。しかしいくらシリアスな衣装をまとってもPolythene Pamのジョンは変わらない。それが噴火口のようにぽっかりと赤い口を開いたのがあの f# であり転調なのだと考えています。

ポールの曲ではShe Came in Through the Bathroom Windowが好きです。見事なコーラスとサイケデリックなエコーのきいたギターの合いの手が最高。このシチュエーションに置かれたこのギターのきらきらした音は非常に印象的でやはりシリアス・ミュージックの音色のディメンションを拡大する意味深いものに聴こえます。こういう「オーケストレーション(orchestration)」を誰がやったのか興味のある所です。面白いのはジョージの2曲SomethingとHere Comes the Sunが他の部分とピッチが大きくずれていることです。これは蓮の花がぽっかりとにごった池に浮いたような効果を及ぼします。

ジョージの曲はいい曲です。単独でヒットチャートに入ってエヴァーグリーンになる名曲でしょう。後者のサビのC→G→D→Aという4度下降は後期の特徴でもある。しかしやはり「いい曲」なんです。世の中的にはこれが人気あるんだろうということは充分にわかりますが、僕のようなポップ系に無関心なリスナーの脳天を直撃する音楽ではありません。すごいと思うのは、A面最後のジョンのI Want You (She’s So Heavy)の暴風雨が突然切れ、Here Comes the Sunのギターのイントロが出る瞬間です。ぱっと世界が明るくなり春の日差しがあふれる。これはベートーベンの田園の嵐(第4楽章)から感謝(第5楽章)に行った感じそのものです。しかしこれもジョンのまいた種ですが。

<幕>

Carry That WeightからThe Endにかけては歌詞と解散の関連について様々なストーリーと憶測があります。この当時、レコード会社の経営状態は悪く、ジョンとポールの人間関係は最悪であり、リンゴが蛸の歌で「海の中にもぐりたい」というのはそれがいたたまれなくて逃げ出したいという暗喩だという人もいます(事実かどうか知りませんが)。何とか続けてくれていたらとはファンなら誰しも思うし歴史にタラレバを言っても意味ないのですが、もし仲直りしていたらこの奇跡のようなアルバムは生まれなかったのかなとも思うのです。そして逆に、これが現実として生まれてしまって、この先にどんなビートルズがあるんだっけ?という答えがなかったのかもしれないと。

アルバムとしてのシリアス・ミュージックの領域に立ち入れば曲の独立性はなくなり、イフェクトは舞台で再現性が乏しく、ライブは成立しにくくなります。それでも彼らがそれにつき進んだのは、客席で失神してくれる女の子より自宅でレコードにじっと耳を傾けるシリアスな聴衆を求めたからかもしれないし、僕はそれ以前に彼らの耳がどんどんシリアスになったからだと思っています。モーツァルトがウィーンに出てきて、だんだんと聴衆の好みを超えた複雑な曲や短調の曲を書きだしたように、本物の作曲家は大衆に迎合などしないのです。Abbey Road と Sgt. Pepper’sで彼らはその領域に達し、そしてモーツァルトが死んでしまったようにビートルズも終わりました。

その名も「終わり」、まさにビートルズの最後の曲であるThe Endでリンゴ、ポール、ジョージ、ジョンの順番でソロがあります。ビートルズとはこういう全然ちがう個性をもった天才たちの自発的アンサンブル、オーケストラだったことがわかります。ひとりの天才の個性でつくるクラシック音楽ではない、合作という新しい方法論による天才たちの配合の妙。それがジャズのようにアドリブではなく、スコアに書き込める、まさにクラシック音楽と同じであるWritten Music(Sheet Music)の領域で成立したというのは、彼らがそう望んだのかどうかはともかく、連綿と続く西洋音楽史の中に記録され、1000年後にも聴かれていくすべての要件を満たしているという意味において、Classical Music 以外の何ものでもありません。

僕は彼らがこのアルバムで「仲がいいからいいものができる?そんなことはないさ」、と笑っているように思えてなりません。チームというのはいかにも人工的に美化された要素を含むもので、成功したらいいチームだねと後講釈がきくものでしかなくて、やっている本人たちにそんなものは見えていないという性質のものでもあって、だから彼らの音楽は、一般的な意味でのチームワークが生んだものではないという気がいたします。しかし、ジョンの曲であるSun Kingにコオロギの声を家で録音して加えたのはポールなのです。ビートルズはちがった才能の持ち主が寄り合って作るリミテッド・パートナーシップ、合同会社みたいなものだったかもしれません。

そして想像するに、アビイ・ロードは4人の天才たちの、けっして平和的ではない、最後の寄合いから出た一瞬の火花(スパーク)みたいなものではなかったでしょうか。離婚する夫婦が会って、昔の良き日を思い出して、でもお別れ会だと感じていて、だからこれでもう二度と火花は出ないと知っていて、良いものができたのに無機的な録音スタジオ名をつけて、だからここで歌っているビートルズはもうバンドではなくて、その通り淡々とアンバンド(解散)した。そして、4人の誰一人としてその後にこういう音楽を、似たものですらも書かなかった。

「ビートルズってなに?」

いつの日か孫に聞かれたら、

「死んじゃった作曲家の名前だよ」

と答えることになるのかもしれません。

 

(こちらへどうぞ)

Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band

 

モーツァルト「パリ交響曲」の問題個所

 

 

(こちらへどうぞ)

チャイコフスキー バレエ音楽「くるみ割り人形」より「花のワルツ」

クラシック徒然草-田園交響曲とサブドミナント-

 

 

 

 

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・・・・偉大なバンドに心から感謝をこめて

再録「クラシックとベンチャーズ」

2013 MAR 30 15:15:04 pm by 東 賢太郎

 

中島さんの3月29日付のブログ「今週のクラシック音楽ベスト3」を拝見し、いたく感心いたしました。ガキだった自分の感想をオトナの演奏家である中島さんのと比べるのも失礼なのですが、とても思い当たるところがあるのでご感想にコメントさせていただくのをお許しください。

 

「ブラームスの第1、4番は、刺激が少なくて退屈でした」

僕は初めて聴いたブラームス(ワルターの1番のLP)が刺激がなくて退屈で、何の記憶もありません。ということで数年は放り出して聴いていません。

「モーツァルト第36番リンツはよくわからない」

僕はモーツァルトは全部わかりませんでした。刺激の無さはブラームス以上で、女の子が嫁入り用に練習するピアノの曲を作った人程度に思っていました。

「マーラーは、第6、7,9番全部、曲が長く80分以上で根気がついてゆきませんでした」

マーラーは名前も知らず、冒険心で買った3番のLPは1枚目の1~2面で挫折し、最後まで聴いたことはありませんでした。

「ムソルグスキー展覧会の絵も、ミュージカル的印象でした」

僕もこの手のカラフルな曲にはわりと違和感なく親しみました。

「シューベルトの未完成は、第2楽章で終わっている理由を、東さんのブログでみるとあまり劇的でないので残念ですが、弦のいい音が耳に残っています」

僕は未完成が苦手で2楽章ももたずに寝てました。なぜ聴くことになったかというと、不幸にも当時のLPは「運命・未完成」の組み合わせが定番だったからで、僕にはどうもポップスのEP盤のイメージから「B面の曲」という先入観もあったかも知れません。この曲が完成してるかどうかストーリーを知る以前に、こっちの耳が未完成でした。

「バッハの平均律クラヴィーア曲集をジャズ・ピアニストのキース・ジャレットが弾いたのを聴きましたが、まじめな演奏で退屈でした」

僕はバッハはお葬式の音楽家ぐらいに思っていました。「平均律」はピアノの旧約聖書だときき勇んでチャレンジしましたが3~4曲目であえなく座礁。LPを最後までガマンして聴いたのは数年後でしたが、ほぼ苦行に近く、レコードはそこからまた数年はほこりをかぶることになりました。

「3分間音楽愛好家の私にとっては、最初の10秒はその曲の評価を決めるポイントです」

いや、よくわかります。僕は「コード進行」と「曲の終わりかた」でした。しかしこういうのは誰も公言しませんが普通の入り方だと思います。いきなりベートーベンに感動したなどというのはどうも、少なくとも僕はあまり信じられません。中には初めてなにかクラシックを聴いて「感動で涙が止まらなかった」という人もいっらしゃるでしょう。最後まで聴かれただけでも尊敬しますが、例えばキリスト教徒のかたがバッハのマタイ受難曲に接すればそういうことは充分にあると思います。しかし宗教でもストーリーでもなく音響から入る非文学的な僕のような輩がいきなり「未完成」で涙を流すのは今日からキリスト教に改宗するぐらい至難の業です。ストーリーに音楽がついているオペラでさえ「こんな太ったミミがどうして死ぬんだろう?」などと現実に帰ってしまい、結局は音しか聴いていないことが多いぐらいですから僕は基本的にオペラも苦手ということなのでしょう。

中島さん、僕も3分間音楽愛好家だったのです。

その証拠に昨年の9月16日、SMC開始早々に書いた僕の「クラシックとベンチャーズ」というブログを再録いたします(すこし手を加えています)。

 

・・・・

 

クラシックというと堅い、退屈、長い、近寄りがたいという人が多く、ポジティブなイメージは癒し、知的、高尚だそうです。日本では音楽市場の10%ぐらいあるそうですが交響曲、オペラのような長い曲を家で真剣に聴くような愛好家は総人口の1パーセントという説もあります。いずれにしても、相当マイナーな存在であることは間違いありません。もったいないことです。

V_ep02_thumb_1V_ep06_thumb_1                僕は小学校時代にザ・ベンチャーズの強烈な洗礼を受けました。いわゆるテケテケテケです。寝ても覚めてもベンチャーズ。歩きながらもベンチャーズ。ノーキー・エドワーズのマネをしてギターを弾き、本を並べてバチでたたいてメル・テーラーの気持ちになっていました。キャラヴァンという曲があります。メルのドラムスとドン・ウイルソンのサイドギターの刻みが絶妙にシンクロ。それに乗ってドライブするめちゃくちゃカッコいいノーキーのリードギター。難しいリズムのドラムソロ。レコードがだめになるまで聴きました。

51NJBE0YVJL__SL500_AA300_                      そこに立ち現われたのがこの人たちです。ジョンとポールのハモリとノリ。何を言ってるかわからないがなにやらカッコいい英語。女の子の失神。ベンチャーズにない刺激的なコード進行。ポールのものすごいベース。いやーこれはすごい。完全にハマりかけました。そのまま行けば僕はたぶんロックバンド路線に進んでいたと思います。音楽の時間にあの曲を聞かなければ・・・・。

 

千代田区立一ツ橋中学校。われわれ悪ガキがポール・モーリヤとあだ名していた音楽教師、森谷(もりや)先生が「今日は鑑賞です」と言ってレコードをかけてくれました。それはモソモソとはじまる退屈きわまりない曲でした。そもそもクラシックは聴いてる奴らのナンパで気取った感じが大嫌いな野球少年の僕でした。まあ昼寝にいいか。実は小学校時代に同じシチュエーションで教室の窓から脱走し、母が担任に呼び出しを食らった前科のある僕は、それを思いだしました。

61tD8K3CxeL__SL500_AA280_すると、ちょっとキレイでグッとくるメロディーが出てくるではありませんか。へー、割といいな。仕方ねえ、ちょっとだけ聴いてやるか。まさにその時です。そのメロディーが突然違うコードにぶっ飛んだのは。脳天に衝撃が走りました。ベンチャーズにもビートルズにもない新体験。これは何なんだ?

その曲はボロディンの「中央アジアの草原にて」です。その個所は105小節目、ハ長調のメロディー(注)が3度あがって変ホ長調に転調するところです。演奏は「ジャン・フルネ指揮コンセール・ラムルー管弦楽団」とノートにしっかり書き込みました。よほどの衝撃だったのだと思います(想像ですが、この写真のレコードだったのかなあ・・・)。

この経験が僕をクラシックに引きずりこみました。この曲が欲しいと言うと、父はこれが入った名曲集のLPを買ってくれ、そこに一緒に入っていたワーグナー、チャイコフスキー、ヨハン・シュトラウス、グノーも気に入ってしまったからです。

ただ、今でも僕はビートルズ信者です。カーペンターズ、ユーミン、山下達郎などもコード進行が好きで、今もときどき聴いています。コード進行がいいものというのがおおまかな僕の基準ですが、中でも荒井由美だったころのユーミンはとても好きでした。

さて、ベンチャーズです。京都の雨なんていうしょうもないものをやりだした頃から一気に堕落しました。それでも初期のあのダイヤモンドヘッド、パイプライン、十番街の殺人(テケテケテケの音色が全部違う!)、ウォーク・ドント・ラン、ブルドッグ、アパッチ、テルスター、夢のマリナー号、クルエル・シー、パーフィディアなどなど永遠に色あせることはありません。カッコいい。美しい。

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しかし、それにもまして、あのキャラヴァン(左)なんです、僕には。冒頭のシンバルの一撃で金縛りです。腹にズンと響く中音と低音のタム。土俗的なリズム。究極のアレグロ・コン・ブリオ。完璧に4つの楽器がバランスされた録音。もう芸術としか呼びようがありません。このクオリティの高さはいったい何だったんでしょうか?

 

・・・・

borodinn1(後記)

右の写真はボロディンの「中央アジアの草原にて」のピアノ編曲版の表紙です。絵をよく見ると、この曲も「キャラヴァン」だったんですね。キャラヴァンつながりで僕はベンチャーズからクラシックへ旅したわけで、不思議な気分がいたします。

 

 

 

 

 

 

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