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サブローから学ぶプロ野球

2018 JUL 23 0:00:01 am by 東 賢太郎

ロッテのサブローさんとは会食して以来仲が良く、メールのやり取りをしている。彼は非常に熱心であり、メジャーの視察に行ったり、ノンプロ、高校野球も注目選手をよく観ている。いろいろ質問させていただいているが、プロとこれだけ深くコミュニケーションできるというのはとても勉強になる。

どういう子がプロで大成するかという分析に彼は関心がありそうだが、たまたまそこはこっちも守備範囲だ。セイバーメトリックスもきっちり勉強したくご本家の米国の本を2冊買った。表面的な統計値でなく、条件付けを細分化したそれを集めてビッグデータにしたら面白そうだ。これは息子を巻き込んでやりたい。

サブローの打撃理論は素人が聞いても理にかなっていると思う。野球としては経験不足でよくわからずゴルフに置き換えて聞くしかないが、レベルスイングで面でとらえて接触時間を長くというのはアイアンショットと似る。「スイングが速いけどゆっくりに見える」という極意はわかったようでわからない。達人の域というのは何事も深いものだ。

彼は西武時代の全盛期だった松坂大輔を「得意でした」というほど打っており、「じゃあ今の巨人の菅野は、あのストレート?」ときくと、「打てると思います」とこともなげに答える人だ。いいと思う打者は?ときくとDeNAの梶谷選手だった。う~ん、なかなかわからない。

さてこのところ、そういうわけで実に子細にNPBを見ているが、昨日までの3連戦、カープは巨人を3タテだ。強い。丸が最高だ。来年いなくなるのか?残ってくれよ。まあ細かいことはともかく、負けを覚悟した窮地で意外なサヨナラ本塁打が出るわ6点差をひっくり返すわで、菅野も山口も今村も打ったというよりパワーで粉砕した感じだ。この時に広島でという、ここぞの活躍を見せた選手たちに拍手を送りたい。

ロッテは分が悪かったオリックスを3タテして、とりあえずソフトバンクを抜いて3位に躍り出た。ロッテの選手についてはいろいろ笑える内輪話をきいてしまったから観戦が楽しくなって息子と毎日TVで見ている。先日はサブローに「ほんとにバントが下手だね」と苦言を申し上げたがこのところそういうこともなく、井口監督のもと一丸となって気合がみなぎっている。すばらしい。

これからサブローがやっている幕張ボーイズも訪問するし、2千本安打にあと15本の福浦選手も会いたいし、大好きなプロ野球について学ばせていただいて人脈を広げたいと考えている。

正しい人脈の作り方(その3)

2018 JUL 21 14:14:09 pm by 東 賢太郎

「ヒキ」だ「コネ」だなんていらん、頼りたくないという人はいるだろう。そういう人は海外へ行けばいいし、それで成功した人も多くいる。しかし国内でだめだから外でというほどその道は甘くないし、それに頼らないということは実力一本勝負ということで、スポーツ選手と同じなのだ。野球やサッカーでどれだけの人が海外で通用しているか見れば、その現実はわかるだろう。

とすると必然的に、他人の人脈のレバレッジなしに国内でやることになる。サラリーマンをするならそれもまことに結構だ。しかしどこの会社にも「ヒキ・コネ族」は必ずいる。閨閥、学閥がそうだし、仮にそれがなくても「愛(う)い奴」だけ目をかける上司はどこでもいる。ウチは実力主義です、なんてのはウソなのだ。その連中に実力だけで勝つのは至難だし、そんな実力があるならあなたも「ヒキ」「コネ」を作ればいいのである。

愛い奴ばかり使う上司は自分より優秀な部下は切る。つまり能力などあると危険であり、無能だが忠実な者だけ出世させるわけであり、自分が優秀でなく部下もバカなのだからやがて馬脚が現れて消える。それが何かの拍子で社長になると会社が消える。いずれにせよ、それに可愛がられたあなたも消える。だから深入りせず適当にいなして「鉱脈の深い年長者」の「ヒキ」「コネ」を得ることであり、もしも会社ごと危なければさっさと辞めることだ。

サラリーマンが嫌なら起業するしかないが、この場合は「ヒキ」「コネ」なしだとさらに大変だ。個人商店レベルでいいならともかく、億円単位の商売をするとなるとホールセール(企業相手)になる。ところが、どこの馬の骨かわからん者の商品やサービスをクオリティだけ見て買ってくれる企業は、実は日本には極めて少ない。それを知るには以下のことを認識することだ。日本人はまじめで器用でよく働くが、日本企業の生産性は国際的に理不尽に見えるほど低い。なぜか?社内に膨大な非効率を抱えているからだ。それは何か?余剰人員だ。

大方の大企業は終身雇用制で年齢構成ピラミッドは40才台が中ぶくれした「釣鐘型」だ。出世競争は40才でほぼカタがつくので、釣り鐘の上半分は高給を食みながらもインセンティブはなくした正社員である。中小企業への貴重な人材リソースではあるが、就職ではなく就社しているから移籍は起こらず大量の余剰人員となるのである。労働生産性はここにトラップされているのだ。

彼らは会社の成長と人生の幸福が必ずしもリンクしない。あなたの作った企業が安価で良いものをいくら売りこんでも、彼らにとっては無名企業との新規取引だ。あなたの商品を購入して収益貢献を図っても、ルーティーンをあえて変更する説明責任やリスクだけあって評価はされない。そうであれば既存の取引先と人間関係を作ってそっちを温存し、定年まで無難な人生を送ることにインセンティブを持つことになる。こういうことが各所でおき、ウルトラ保守的、硬直的な組織になるのが大企業病だ。それはそれで非難されるべきでもない、そういう立場の従業員にとっては合理的な行動なのだ。

安倍内閣が失業率を下げるのに成功したというが、生産性は上がっていない。ということは余剰人員を抱える年齢構成ピラミッドを切り崩そうという試みはさらに後退したことを意味するだろう。若年層の働き方改革よりそちらの方が日本経済の競争力拡大にはずっと核心的な問題にもかかわらず、政府にはそこにメスを入れる気などさらさらなく、むしろ年金、健保の負担を減らすため年寄りをもっと企業が面倒みてくれということなのである。ちなみに、だから日本株のPERは上がらないのだ。

サラリーマンが嫌な若者が起業して「ヒキ」「コネ」なしで食っていくには日本は非常にアンフレンドリーな国であることはおわかりだろう。しかもベンチャー企業への投資インフラは先進国とは思えぬほど脆弱であり、銀行は担保がないとカネを貸さない。誠に憂慮すべきことであり、それを何とか変えてみたいと思い立ったこともあったが、それはMBAを取って海外赴任したころ「いずれ日本企業はみなグローバルカンパニーになる」と信じた、そのことと同じほどありえないことであった。残念ながら日本は変わらないし、その方が未来の日本人の幸せにはよろしいのだと得心した。

だからみなさん、「ヒキ」「コネ」はあったほうがいいし、それを得る方法が前回までに書いたことだ。

 

正しい人脈の作り方(その2)

2018 JUL 20 19:19:42 pm by 東 賢太郎

人脈というのは「開かれた人」を取り込むことで威力が倍加することは前回説明した。しかしまだ人を見る目がない若い人にはなかなか難しいことで、やみくもに知りあいを増やすことになりがちだ。僕だって大そうじをすると、もう名前さえ忘れてる人の名刺や年賀状がわんさかあって苦笑する。

秘策を教えよう。80人の「開かれた人」を友達に持っていそうなオトナを友達にすればいいのだ。その人に可愛がられればその人脈とあなたは濃厚な接点ができるのである。これを別名「ヒキ」とか「コネ」という。80人の年賀状だけの交友は楽しめばいいが、年に一度しか思い出さない人が人脈の有力な一部になることは隕石に当たるぐらい稀だ。オトナをどう落とすかに集中することだ。

皆さんにとって相手は我々前後のオヤジというところだ。この世代の生態は知った方がいい。長髪でエレキを弾いたりゲバ棒を振ったりジュリアナでナンパしたりで目いっぱいバブって遊んでおり、会社では24時間戦ったと思い込んでるがその実は社畜に徹して滅私奉公ぶりを競って交際費を正当化していた。公務員にそれはないが、だからこそノーパンしゃぶしゃぶが歴史に名を刻んだのだ。そんな世代なので、高度成長は俺たちが成し遂げたという、それほどいわれのないプライドがバカの壁となって立ちはだかっている。

その世代も当時のオトナに取り入った奴がうまくやっている。相手は戦中派であって、硬派でごりごりの右翼か共産原理主義の左翼かマッカーサー洗脳プログラムの申し子のえせ左翼か風見鶏の無責任野郎かパンパンの男版の軽薄なアメリカかぶれだった。僕は大阪で個人営業を2年半やって1日100 枚の名刺集めをしながら、オトナには色んな人種があると知った。

二度と来るなと塩をまかれた相手、名刺を破られた相手を何十回目かの訪問で落としたし、64回電話して断られた上場企業社長を65回目にお客にしたが、同期の半分以上は2~3年内に脱落して会社を辞めた。ゲーム感覚だったし野球のおかげで真夏の炎天下には強かったが、なにより野村流が大金持ちのオトナに気に入られるベストプラクティス集だったのが大きかった。

開かれたオトナは頼りにはなるが、酸いも甘いも知った手練れである。下手な小細工など弄さないことだ。礼儀正しく、誠意を持って、正々堂々と正直に当たるのが若者の王道である。ちなみに僕はそれができない子は一切相手にしない。何故なら、よほどの天才か傑物でもなければ、僕の世代の成功者には好かれないから大成しないか道を誤る。残り少ない時間である、あえてそういう人に目をかけてやろうというインセンティブは湧くはずもない。

 

 

 

 

正しい人脈の作り方(その1)

2018 JUL 19 22:22:44 pm by 東 賢太郎

人脈がある人というのは、単に知り合いが多いだけではない。人脈の「脈」とは脳のニューロンのように人と人が次々と有機的に繋がって、ネットワークが網目のように広がっていくことをイメージしたものと理解するのがいい。

繋がるのはまさに、「まずは自分の脳の中」である。「あの人とあの人を会わせて見ようかな」「そこから何か面白いことが起きるかも」という閃き(ひらめき)がまずあって、それを実行すると現実の人脈に魂が入っていくわけだ。

魂が入ってないなら、何百人の友達リストがあろうとただの電話帳にすぎない。そこからあなたが得られる面白いことの数は、あなたが相い方になるから友達の数を超えることはない。10人なら10個までだ。魂を入れるというのは、あなたが関与しなくても面白いことが出てくるようにすることをいう。

そのためには「ひらめき」「実行」というレシピを電話帳にふりかけないといけないが、別に難しいことはない。電話帳が長いのが人脈だという根本的な誤解をまず解けばいいのである。

友達は2人いれば充分だ。その2人はお互いに初対面だが、あなたと繋がっているのだから何かひとつぐらい共通の関心事があるだろう。そこで食事に誘って、これもご縁だし、それ、いっしょにやってみない?と説得するシーンを思い浮かべてほしい。

うまくいった?それでお見合い成功だ。あなたが仲人になって、2人のペアリングが成立したのだ。3人目の友達ができた?はい、そうしたら前の2人とそれぞれ「いっしょにやってみない?」をやってください。これで面白いことは3個になった。3人いて3個じゃないかと思うだろうが4人だと6個になる。5人だと10個になる。10人だと45個だ。

こうして友達の数が増えると、その数は等比級数的に増える。これはみなさんご存知の「組合せ」の数だ。

20人だと190個、40人だと780個、80人だと3,160個である。ということは80人の人脈を持った人同士が仲良くなると12,720個の面白いことができる可能性があり、その160人の全員に80人ずつの友達がいればそれは81,913,600個になるのである。

もちろん全部がビジネスになるわけではないしその必要もない。何事も選択肢やトライできる回数が多い方が有利に決まってるからだ。「80人の友達」から出てくるオポチュニティーが80個の人と81,913,600個の人では、アイデアのネタの数で百万倍も差がある。戦う前から勝負にも何にもならないのである。どうして?「ひらめき」「実行」というレシピがあるかないか、それだけのことである。

あなたは仲人になるのだから、あの人とあの人なら絶対に合う、これに興味があって意気投合できるということを知っている必要がある。いや、知らなくても直感でそうかなとピンとくればいい。女性は概してこういう感覚に長けているが、そうではない男性諸氏にも手はある。2人の気など特に合わなくてもいい、共通の利益さえ見つけられれば実は充分である。ここまでが「ひらめき」であり、すべてはあなたの脳の中で起きることだ。

次に2人をどう説得するか?これは体で表すことだ。それには、あなた自身がそのサブジェクトに興味があって、やる気も成功する自信もあることを示すに限る。これが実行だ。簡単ではあるが、成功率を高めるには経験がいる。絶対の秘策などないから当たって砕けろしかない。「よしっ、やってみよう」と思えるかどうか、ポジティヴなメンタリティを意識して作り上げるのも実行のうちである。

非常に重要なことだが、そうしてお見合いした2人からもらえる新しいアイデアには、あなたが80人の友達とは作れなかったものである可能性があることだ。こうしてビジネスのディメンション、ポテンシャルは自分の発想や能力を超えて拡大する。いま僕が脱サラしてやっていることで、僕一人の脳みそから出たものはひとつもない。

ただし、同じ80人でもいろいろだ。知らない人と会って何か面白いことをやろうという人のほうがはるかに少数派だろう。人間には2種類あってそういう心が「開かれた人」と、そうではない「閉じた人」がいる。原則として、開かれた人は開かれた人に寄って来る。閉じた人は誰にも寄らないか、寄っても何もおきない。だから、さきほど算数が示したように、開かれた人ばかりの80人は閉じた80人の百万倍も破壊力があるのである。若い方、ビジネスで勝利したいなら覚えておいた方がいい。

そういう人を集めたいなら、当然の帰結として、あなた自身が開かれていることだ。それが一番の近道である。

 

 

母校・九段硬式野球部が大健闘

2018 JUL 19 0:00:04 am by 東 賢太郎

昨日の東京の暑さはいっぱしのものだった。朝7時に早々と30度を超えたらしく、午後に外を歩いたがシャツの中の空気までが熱いというのは狂気の沙汰だ。こんなのはあまり記憶にない。

こういう中で高校球児は甲子園めざして野球をやっているのだ。いま思うと尋常なことではないが、暑さも野球の内という感覚だった。実は今年は母校の九段が東・東京大会で、

1回戦 広尾学園 16-5(5回コールド)

2回戦 文教大付属 10-9

3回戦 大田桜台 7-0(8回コールド)

と来ていて、雄々しい勝ちっぷりであった。残念ながら昨日とうとう力尽き明大中野に8-1で敗れてしまったが、しかし4回戦まで進んだのは最近記憶にない快挙でまことに痛快である。勝つとベスト16だったのだが、僕の2つ上の代が東西いっしょの時代のベスト32だったからそれに並ぶ可能性があった。

昨日勝ってベスト16を決めたのが関東一高、修徳、日大豊山、小山台、安田学園、そして今日は日大一高、二松学舎、成立学園、堀越、城東が4回戦をむかえるが、以上はみな甲子園出場校だからそれが4回戦のレベルなのだ(ちなみに7回勝てば甲子園である)。後輩たち、よくやってくれた、ありがとう!

そういう中でのことだった。五反田で会議を終えた後にタクシーを拾おうとしばし歩いたところ、おばあさんが炎天下の歩道に倒れていて家族と若者が懸命に助け起こしている。意識はあったが頭を打っていて出血があり、なかなか起き上がれない。91歳のご高齢とお聞きしこれは急を要すると思い、我々の判断ですぐに救急車を呼んだ。ところが出番が多いのだろう、なかなか来てくれない。しばしの緊張の時間が過ぎやっとお乗せすることができたが、その後いかがだったのだろうか心配だ。

毎年猛暑はひどくなっている気もするし、若くても熱中症で亡くなる方が増えているようでもあり、オリンピックもさることながら高校野球もリスクを考えた方がいいかもしれない。甲子園も、例えば準々決勝までは京セラドームでやるとかだ。勝ち残った8チームが甲子園でやることができる、そこまでは比較的涼しい中で黒白つけるなら過度の消耗も熱中症も避けられるしゲームの質も最後まで保てるのでは。根性と精神論で、欲しがりません勝つまではの時代でもないと思うのだが。

 

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忘れるという美徳

2018 JUL 18 0:00:20 am by 東 賢太郎

ブログにずいぶんとたくさん昔のことを書いてきたが、あかの他人の過去など知りたい人はいないのはわかっている。では何故と思われるかもしれないが、これは備忘録の意味が大いにある。10年程前から、そこから20年あたりをさかのぼった頃のことをけっこう忘れているのに気づいたからだ。

というのも、妻と話していて、フランスのドービルであなたは熱があっただの、サルジニアのホテルでガウンを買っただのときいて、さっぱり覚えてないのである。家にはヨーロッパの置きものや頂きものがそこいらじゅうにあるが、どこで買ったかもらったか、覚えている方が少ないのだから思い出も何もない。

サラリーマンを30余年やって、数えると各所で計1500人ぐらい部下がいたはずであって、それはそれは、実に実に、色んなことがあった。妻には大変申し訳ないことだったが、発熱やガウンに気が回るような余裕はきっとなかったろうし、本当に自分に厳しく生きてきたけれど、そんなに忘れてしまっているということか、そうだったのかと自分をねぎらってやりたい気持ちだ。人生で初めてのことだ。

ビジネスマン多しといって、わがままで、つまりある意味円満な了解事項としてではなく日本の上場企業を役員で3つも移籍させてもらった人は多くないはずだ。そんなことを誰かに教えて、伝えて、残して、という希望、義務感のようなものがひところ強くあって、それがブログを書くエネルギーになっていた時期もあったが、もう不思議とそれもなく、秋空のように晴朗な気持ちであって、全部が心の中では円満に済んだことになった。

忘れるというのはなんと素晴らしいことだろう。悪いことはもちろん、楽しかったことだってもう望んでも得られないのだから、昔を羨やむぐらいなら消えてしまった方がいい。それで困ることも失うものも実は何もないということに気づくのである。お世話になった方々に最善の礼を尽くし、いま周囲にいてくれる人たちと仲良くやって、迷惑にならないように、その皆さんの幸せを考えればいいのだろう。

資産は貯めることに意味があるのではなくて使うことにある。あっさり相続してしまったがそれが僕流の使い方だった。気が軽くなったがでは欲が残ったとすればなんだろう?特にないが、そのうちこれだというのが出てくるだろうか。わからない。過去を忘れてしまうと、いまですらもうその延長線にないのだから、未来など誰がわかろうか。

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「バカの壁」の壁

2018 JUL 16 17:17:33 pm by 東 賢太郎

だいぶ前に「バカの壁」という養老孟司さんの本が評判になって、その題が流行語大賞か何かになった。そういえばあのあたりから「バカ」か「東大」をタイトルにつけた本が頻出し始めたように思うが、昨今大流行の「ネコ」本のはしりみたいなものだったのだろう。

人には無意識に考えるのをやめている境界線があって、会話してもそこで思考停止してしまう、それがバカの壁だという趣旨だった。「人は脳が受け入れることしか理解できない」というくだりで「当たり前だろ」と思ってしまい集中力が切れたが、「そうだろ?だからお前はバカなんだ」と諭されている気分になった。

それを言われるならごもっともで、僕などバカの壁の四面楚歌状態、大バカ者の標本である。興味のないことは考えないどころか、知ろうとも思わないからだ。反対に、自分の関心事がうまく伝わらない相手にはこっちの壁のせいで理解が及ばないので、そういう「合わない人」と話すと完全にすれちがってお互いに不幸な5分が終る。

しかしそれがいけないかというと、そうも思わない。養老さんの言う通り「人は脳が受け入れることしか理解できない」のであって、脳は可変的なのかもしれないが「宇宙の果ては137億光年先です」ときいても学者以外の人は「でっ?」と思考停止するだけだろう。すると世界人口70億人のほとんどをバカと呼ぶことになるが、呼ぶ方がバカだよねという話にもなる。医学部(理Ⅲ)の養老さんをバカ呼ばわりする蛮勇を僕は持ち合わせないが、あの本は医学書ではなく人生訓のようなもので、そうであるならば壁を撤回する労力と時間があったらそういう人とは付き合わない方が効率的ではないだろうか?

しかしあの本は大衆に読まれた。中味なんか理解しなくても題名に使い道があったのだ。議論の場で相手をいじめるキーワードとして「これぞバカの壁ですね」とやると、そこに居る者が全員バカである限りにおいては、東大の解剖学者のお墨付きを得てトドメを刺せるからだ(先に言った方が勝ちだというあまりにおバカな戦いであるが)。そういうものが流行語大賞になるのである。ちなみに何年か前にピケティというフランスの左系の学者をそれに仕立てようという稚拙な試みがあって、こっちはブログで思い切りバカにしたがアッという間に消えてしまった。ネコ本だったのだ。

東大生が優秀という思い込みも「壁」であって、試験で点を取るための諸々以外に全員が優秀という事柄は現役東大生もおそらく思い浮かばないだろう。読んでいる東大生諸君に告げるが、そこを卒業しただけで人生の勝ち組になれる保証はない。「東大生が選んだすごい本」の1位というので何かと思ったら漱石の「こころ」だ。どこの大学生が選んでもおかしくないし、もし10位だったら漱石の価値が下がるんだろうか?昔よく聞いた「全米で大ヒット」と同類のセールストークであり、そんなものはなかったし、おおむね言ってる人が米国人でも米国に住んだことがあるわけでもないのである。

仕事上いろんな人とお付き合いしているが、「バカの壁」だらけの脳の持ち主である僕が着想した仕事の構想というものは東大卒みたいなタイプには分かりにくいらしいことは前々から気がついていることだ。ちょっとややこしく表現すれば僕は常に帰納法的であり、彼らは常に演繹法的なのだ。ビジネスはデータが出そろって確信が得られてから始めても遅いから、その確信はほぼ確実に裏目に出て失敗する。帰納法だって失敗はするが、こっちは成功することもあって、そのリスクを補完するために資本というものがあるのだ。何かを創造して会社を前進させるのに僕は常に内側の壁に直面している。

誰もチャンスの本質とリスク・リターンを分かってくれないとなると構想を自作自演する羽目になるが、それには健康な体と精神と強い心のエネルギーがいる。まあ要するに、とても疲れるのだ。困ったことに僕は実務家にはあまり向いておらず、実行部隊としての有能なプラクティショナー(practitioner)がどうしても必要である。今回は年齢的に最後のトライアルであり、失敗はしたくない。だからプラクティショナーをいつも探しているが、それで有能な人に僕の構想が腑に落ちるかどうかという点が最大の関門なのだ。

最近、デジタル脳一点張りでない人のほうが適役かもしれず、となると東大にはあまりいない女性の方がいいかもしれないと思うようになった。今までは女性というと回路以前にケミストリー(chemistory、相性)の問題があって、そういう物事について僕と合う女性となるととってもナローパス(narrow path)であって、話して楽しいと思った記憶もほぼないのだからかなり革命的なことだ。この仕事は男、というバカの壁を突破したのかもしれない。

 

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「幻の女」のWikipediaは絶対に読むな

2018 JUL 13 13:13:50 pm by 東 賢太郎

ミステリーの話をした。かつて何が面白かったかとなって、僕は迷うことなくウィリアム・アイリッシュの「幻の女」を挙げた。いつ読んだかは覚えてないが大学2年では知っていたからそれよりは前だ。なぜわかるかというと、2年で米国に行った折、ある都市の通りの名前がこの作品の登場人物の名と同じだと思ったことを鮮明に覚えているからだ。いかに「幻の女」のインパクトが強烈だったかを物語ろう。

長女と息子に「読んだ?」と聞いた。二人ともNoだ。「そりゃあなんてうらやましい、まだ楽しみが残っててよかったね」「そんなに面白い?」「読めばわかるよ」となった。その翌日のことだった、僕はWikipediaを検索して唖然とすることになる。二人にはそれを絶対に読むなと即座に厳命した。

これはひどい、この「あらすじ」は即刻削除すべきである。こんなネタバレを堂々と公表されて早川書房はクレームしないのか、Wikipediaはこんな行為を野放しにするのか。1942年の作品だからおそらくpublic domainだが、事はそんな問題ではない。この作品はウィリアム・アイリッシュなる天才が書いた一期一会の傑作であり、初読の一度だけしか許されない驚天動地の快感を他人から奪うような行為は許すべきでない。Wikipediaも英語版や韓国語版にそんな破廉恥はない、日本の恥である。

「ネタ」などと軽々しく世紀のインテリジェンスを石ころ並みのインフォメーションにしてくれる。それを便利だねと表層のうすっぺらな社会が享受する。そういう人たちがやがてインテリジェンスを持つようになるなどということはSF小説のネタにすらならない超現実的なことである。ネットはそうやってどんどん人から感動を奪い、頭脳を退化させ、馬鹿に貶めていくのだ。

同書を買って帰り、ミステリー好きの息子に朝に渡したら夜には「これは凄い」と溜め息まじりに感動して返してくれた。よかった。これからの皆さんも被害にあわないことを心より願う。

 

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ロッテのサブローがソナーを訪問

2018 JUL 12 1:01:15 am by 東 賢太郎

弊社エントランスにて

先日初めてお会いしたもと千葉ロッテ・マリーンズの「サブロー」こと大村三郎さんが弊社ソナー・アドバイザーズを訪問された。商売とはぜんぜん関係はないが、僕は野球なくして今はない。野球への情熱なしに未来はない。男として気に入った大村氏を陰ひなたにサポートしようと勝手に決めたのであり、まずはソナーを知ってもらおうとお誘いした。

そうしたら社員の皆さんの知るところとなり、小学生の息子さんや友達までサインをもらいにきてうれしい悲鳴だ。熱烈なサブローファンの子もいて、あの引退試合もスタンドで観たらしい。みんなカチカチになっていてサブローの方がやさしく話しかける。無理もない、思えば僕もあのぐらいのころカープの龍憲一投手のサインをもらい、天にも登った気持ちでずっと壁に貼っていたっけ。みんなよかったね。

左はロッテの井口監督、右がサブロー

サインはデスクの後ろに置かせてもらった。童心に帰った。井口とサブローだからカープはやめてロッテにしろという厳しい声も飛ぶ。なかなかふんぎりが難しいところだが、2005年のロッテの日本一というと忘れられない思い出だ。僕は野村を去ってみずほ証券に移籍していた。人生の大決断をした翌年だったが、幸いにして公私ともにサラリーマン時代でベストの年だったのは写真の数々のツームストーンが戦果であったことでわかる。それを支えて下さった秘書がロッテの筋金入りのファンだったから、彼女の熱に巻き込まれて僕も熱烈にマリーンズを応援していたのだ。思えばサブローはあの時の4番打者なのである。まさかこんな関係になるとはお釈迦様でも思いつかなかったが、彼に2005年の話をすると「あれをもう一度やりたい」というのだからお互いあの年が現役人生のベストだったわけではないか。何という縁だろう。

 

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「個の時代」と「自由人」(訪問者200万人に寄せて)

2018 JUL 11 1:01:58 am by 東 賢太郎

おかげさまでブログの訪問者数が200万になった。といってそれがブログの題になるほどの意味があるかというと、数字というのは示されると気にはなるのが人間の習性だということが自分をダシにわかってきたということだ。仮に道を歩いていて突然に「おめでとうございます、あなたは今日ここを歩いた129人目の人です!」なんてくす玉でも割られたら、きっと一日中、なんで129が大事なんだろうと悩むに違いない。

何か面白いことを書かないと数字は増えないのかもしれないが、しかし、不特定多数が読者だから何を書くと面白いかは実はわからない。インスタのように写真ではなく文章だし、ツイッターと違って長くてややこしいものであるのだから、筆者自身たまに昔のを読みかえすと頭が錯綜してきて睡魔を呼んでしまうことがある。ということから察するに読者は相当に辛抱強いか頑強な読解力があるか酔狂であるはずである。

筆者はそのどれかというとまぎれもなく酔狂人であって、ジャンルを問わず、どうしてそんなのが好きなの?というものだらけだ。そういうものをトータルにみて「趣味(taste、テースト)」と呼ぶわけだが、ある人がどういう人かというのは無意識にテーストで判断されていることが多いから一応の注意が必要である。しかし世界の潮流としてはLGBT(性的少数者)のような微妙なものに至るまで個人の尊厳として認容される方向であり、男の子でも心の在り方次第でお茶の水女子大学は入学を認めると聞くし、「個」としての人間の独自性を隠して生きるより開示してしまった方が本来の自由な人生だろうという考え方が市民権を得つつあるように思う。自分はそれに肯定的な人間であり、そう生きたいと願っている者だ。

ブログを書くぞと言い出した6年前、そこに姓名、素性、経歴を明かすことに家族から大反対があった。プライバシーよ、危険でしょ、恥ずかしいし等々。そこでこう言った。「お前たちどこの誰かわからん者の朝飯の写真なんか見たいか?文章なんか読むか?今はどこの誰かわからん者が専門家で本を書く時代だ、そんなのより俺の方がましだぞ」。これはこっちの責任だが、幼いころに忙しくて家にいなかったから彼らは父親を良く知らない。「SNSで内輪でちょちょろなんて俺は全然興味ない、だからFacebookなんかは一切やらないよ。俺の看板はブログになるんだ」ということで開始した。

伝統的に控え目を良しとして個性を押し殺す日本人は、だからテーストを開陳したがらない傾向があるが、それが良くないとまで主張する気はないが、欧米人や中国人にとって没個性的が良いという価値観はまったくないということは書いておきたい。そういう欧米・香港で客商売で16年を過ごしたことで自分が非日本人的になったとは思わないが、人間本来の自由な人生をまっとうしたいと強く希求するようにはなった。しかし、そうやってテーストが形成されたというわけではなく、テーストは元来が遺伝的で生まれつきの形質であって、それを隠すのが美徳とはぜんぜん思わなくなったということだ。

例を挙げるなら、僕は蕎麦屋で毎回「かき玉うどん」を注文するが、まず一切かき回したりせずにたたずまいを慎重に吟味し、やおらトロミに白ネギを少しずつひたして全部食べ、次に玉子を形を崩さないように、やはりトロミと一緒に丁寧にすくいとって熱いうちに全部食べる。その美味は芸術的とも和の食文化の粋とも言え、そう感じることこそが僕のテーストであり、この調理法を発明した人に対する敬意はモーツァルトに対するものといささかも変わらない。さてそこまで約10分のお楽しみだが、この時点で丼の中はトッピングのない、何の変哲もない凡庸な素うどん状態になっており、「ああ、またやってしまった、またこんなまずいのを食わなくてはいけないのか」とそれを注文したことを必ず後悔するのである。

それでも次回はまたその誘惑に乗って「かき玉うどん」を注文するのであり、蕎麦屋というのはとてもアンビバレントな存在に陥っている。だから本来は「かき玉うどん」は5杯ほど注文してトロミと玉子だけ5回食してごめんなさい、ごちそうさまでしたと店主に謝って終了するのが究極かつ理想の食べ方なのであって、そこまではまだやったことはないが、ではトロミだけ頼みこんで出してもらえばいいかというとそれではいけない。「うどん」はどうしても必要であって、残留物になるだけだからどうでもいいようなものだが、では「そば」でいいかというと、温かいそばというのは残ると特有のお湯っぽいにおいがあって、玉子の最後の方の風味がそれに邪魔されてどうもうまくないのである。これを子供時代から飽くこともなく、蕎麦屋に行けば誰の前でも半世紀もやっていて妙な目で見られているので少々の引け目はあった。

ところが香港に赴任してなるほどと思うことがあった。上海蟹である。お客さんと食事に行くと、カニは足を食うものだと思っていたら彼らは大きめのメスの5,6杯を片っ端からばりばりと開き、味噌だけ音をたててすすっておいて足は手もつけず、全部ぽいぽい捨てるのである。あっという間のことであり、なにか汚ならしいし勿体ないとも思って一度足をほじくって食べたら、みっともないからやめろとたしなめられてしまった。何千億円も資産のある華僑の大富豪たちにしてお世辞にも上品な作法とは言い難いが、彼らはきっとかき玉の5杯ぐらい「何が悪いんだ」と是認してくれるに違いないし、そういうテーストを見せたところで変わり者と人間の評価を下げることもないし排除もされないだろう。

そんな卑近な目線から米中の貿易摩擦問題を見るとこう思う。1兆円の資産があるトランプが好物のハンバーガーをほおばるのを見ていかがなものかなんて米国人は誰も言わない。2兆円はある習近平はああやって堂々とカニをたらふく食って中国の一般人民はうらやましいと思っているに違いない。技術漏洩?米国に留学して技術を覚えて中国に持ち帰って起業して何が悪いの?うるせえ、ならWTOなんか脱退したるわい!両者の食いっぷりの共通点は下品なことだけであって、テーストを見れば合意なんかに至るはずない。僕の「かき玉うどん」も下品だが、あれを二人にふるまってあの精妙な最初の10分の和の食文化の粋をアプリシエート(appreciate)するなどと考える経験的思考回路は到底持ち合わせていない。資産でいえばサラリーマン社長である安倍首相は次郎の鮨で好感を持ってもらえるなどと考えるのはやめた方がいい。

ああいう連中と丁々発止やっていくには、俺はこういう人間だ(It’s me.)、お前が何といおうとこうやるぜ、なぜ?俺がそうやりたいからさ、とやるに限る。プーチンにしたって金正恩にしたってフィリピンのドゥテルテにしたって、このクソ野郎と思うほどそうやってるのを皆さんご覧になっている。日本の首相がそうできないのは核保有してないからでもあるし米国の属国から脱していないからでもあるが、没個性が美徳などという国際社会で一文の値打ちもない思い込みをお坊ちゃんの2世3世政治家が脱却していないことも一因なのである。そのことと武士道に発する奥ゆかしい日本男児の在り方とは何ら矛盾はない。へこへこアメリカさんにお追従するサムライなどありえないわけで、思いっきりテーストを丸出しにして「これがサムライだよ、知らなかったの?」ぐらいかましておけばいいのである。

ブログに何を主張しようと憲法が保障する言論の自由のうちだから5年と9か月好き勝手を書かせていただいてきた。そのご評価が200万という数字ならうれしいことだが音楽に偏ったきらいがあるし、書いた曲は筆者固有の心を映し出す鏡だとして書く意味があったのであってそれ以上でも以下でもない。バックナンバーを読みかえすに2013~15年のあたりは文章に気合が入っていて書くのが楽しかったことをうかがわせるが、あの気力も体力も視力もあんまりなく、書き残している作品には申し訳ないがインセンティブがわかなかったということはそんなに好きでもないということだ。

音楽においてはどうしても書きたかったが音のサンプルがないと伝わらない内容というのはいくつかあって、去年は舞台でハイドンとモーツァルトに加えて「ビートルズとモーツァルト」をピアノでご説明するつもりであったが時間切れだった。音楽というのは長いつきあいだから分かり易いので題材として頻繁に使ってきたが、それが本旨なのではなく、そういう部分に神経が行くことが筆者のテーストであって、音楽に限らず政治でも人生観でも相場観でもネコ観でも女性観でも武士道でも哲学でも野球でも資産運用でも「かき玉うどん」でも、全部がそのテーストに支配されている。その事実は自分固有の脳の働きだからオンリーワンではないかと思って生きてきた。

誰であれ自分の存在がオンリーワンなのは太古の昔からそうである。しかしそれを「個」(individual)と認めるまで人類は何千年もの歳月を要したのであり、ついに西洋に勃発した市民革命を経て「個の時代」を獲得した。「自由」というものは自由主義国家に住むから自然にあるのではなく、自分が個となることを自覚して初めて得られる果実だ。自由気ままに時を過ごし、食い、遊び、井戸端会議をし、セックスをするのはまぎれもない動物への退化であって、「自由人」という人類史の帰結としての存在とは程遠いものだ。誰しも一人で生まれ一人で死んでいくのであって本来が個であるのだから、一人であることを孤独という言葉で否定的なニュアンスで語るのではなく、どんなに幸せな家庭や友人があっても、やはり人間は孤独なのであり、その自覚を積極的に人生に取り込んでエンジョイする。それが何千年もかけて、先達が命を賭して我々に与えてくれた遺産を生かす自由人という生き方であり、それが許される時代に生まれたことを心から幸福と思う。

 

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