Sonar Members Club No.1

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プレミア12は優勝、あとはFAだ

2019 NOV 17 23:23:13 pm by 東 賢太郎

プレミア12、優勝おめでとう。稲葉監督は日本のためによくやった。決勝の韓国戦、山口のコントロールがやばいなと思ったら1回にいきなり2発叩きこまれて3-0だ。誠に勝負弱い奴だ。相手の左腕のメガネは米国戦だったかで素晴らしくイキのいい球を投げていて、ああこれでもう終わったなと思った。それを叩き返した今大会5割打者の鈴木誠也、そして重いムードの中で快心のスリーランを放った山田、相手をがっくりさせたダメ押しヒットの浅村。さすがである。山口以外の投手はみな凄かった。特に7,8,9回の甲斐野、山本、山崎は、あれは打ちようがない。危なかったベネズエラ戦、米国に敗退など、特に打線については全く機能しない者もいてフラストがたまったが、勝てば官軍、終わり良ければ総て良し。皆さんこの時期にお疲れ様。

これで今年の野球も完全終了。最後にFA動向だが、カープに曾澤、野村、長野が残留とはうれしい。菊池も巨人はなかった。もう一つ驚いたのは楽天の美馬が原監督のラブコールを蹴ってロッテ入団を決めたらしいこと。僕は美馬を評価しており、それは去年3月のオープン戦で生の彼を見てからだ。

東京ドームで最高の気晴らし

このブログに、

調子が良いと何もさせてもらえずノーヒッターもあり得るタイプの投手とみた。

と書いたが、今年の7月19日にソフトバンク相手に8回終了まで完全試合をやってくれて、こういう見立てが当たるとおおそうだろうと気分が良い。

楽天美馬9回に完全試合逃す 12年巨人杉内以来 – プロ野球 …

 

まだ決まっていないが、もし福田が来てくれると来年ロッテは日本の覇者ソフトバンクを今年以上に苦しめるかもしれない。

 

国語、数学の論述式について

2019 NOV 16 2:02:13 am by 東 賢太郎

国語、数学の論述式の採点をアルバイトがやるのどうので是非を議論されている。アルバイトだからいかんという理由はないが、論述となると採点者の採点力の有無を試験して採用しないと問題である。1次試験は〇✖で足切りして、論述力は各校がレベルに合わせて2次でしっかり見ればいいのでは。

僕は国語がはっきり言って大嫌いであったからあれこれ述べる資格もないが、そうなったのは理由が2つあるので書いておく。

①駿台の模擬試験で採点に疑問があり、それ用の質問表のようなのに文句をつけて出したら点数が増えたが、今度は増えた理由がもっとわからず、採点した人の頭の構造に疑問を持った。

②いつも現国の点が低かったが、梶井基次郎の「檸檬」が出た時だけは異様に点が良くてびっくりした。これは好きな小説だった。なんだ、読んでるかどうかの試験なのか、文学同好会の入会試験なんだと思った。

これをもって、僕は国語の勉強は時間の無駄であると結論し、数学で満点取れば零点でいいやと捨てることに決めた。文系だがそれで結果オーライであった。

先日TVのワイドショーで実験をやっていて、実際の現国の論述問題を受験生、採点者(教師)の集団に解かせ、学生の自己採点、教師の採点を比べると点数に有意な差が出ていた。

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魔笛とフランス革命-妙な台本の謎を解く-

2019 NOV 15 0:00:59 am by 東 賢太郎

「魔笛とフリーメーソン」なら世の中には書物があふれていて、メーソンを象徴する数字は3だから序曲の最初に和音が3回鳴るとか変ホ長調は♭が3つだとか、真実かもしれないがそうであってもなくてもまったくどうでもいいことが書いてある。では「魔笛とフランス革命」はとなると、自由・平等・博愛にひっかけたものは見たことがあるがそれはメーソンのスローガンにすぎないのであって、革命との抜き差しならぬ関連を論じたものは少なくとも僕は知らない。そこで、本稿ではその表題で僕の仮説を述べることにする。

矛盾するようだが、やっぱりそれを論じるにはフリーメーソンの話から説き起こす努力は避けて通れない。なぜなら、わが国ではフリーメーソンという言葉を持ち出しただけで「まゆつば物だね」と思考停止する人があまりに多いからだ。歴代アメリカ合衆国大統領のうち15人も関与があったメーソンがいかがわしいのにアメリカという国家はそうではないという理屈がどこかの教科書にでも書いてあるなら別だが、思考停止はあまり科学的態度とは言えない。

ニューヨークの自由の女神像の正式名称は “Liberty Enlightening the World” であり、「女」や「神」などが勝手に出てきてしまって誰も不思議と思ってない日本人の感性と、フリーメーソンをいかがわしいと意識させる感性とは近親関係にあるように思う。Enlightenmentというと、我々が世界史で習う「啓蒙思想」なるものがこれの英語であり、フランス語は Lumièresであることでわかるがラテン語の lumen(光)が語源であり、ルーメンは物理学で光束の単位になっている。啓蒙思想は封建社会の宗教的世界観に動揺を与え自然科学や近代哲学の伸展のエンジンとなったが、王侯の側にも啓蒙的君主となって新たな統治の道具と見立てる者が現れるほどの影響力があった。

”女神さん” のパワーは絶大であり、キリスト教的世界観が揺らいで教皇・教会の権威が揺らぎ、民衆は「ところで王権神授説ってなんだっけ?」と目覚め、絶対主義諸国のガバナンスの正当性が根源から崩壊していくというドミノ現象にいたる。このムーヴメントが暴力という実力行使を伴って最も先鋭化した国がフランスであり、Enlightenment はフランス革命の思想的基盤になった。「啓蒙」はニュアンスが丸まった訳語で僕は教室で意味がさっぱり分からなかったが、要するに、未開、愚鈍な者にぴかっとウルトラマンのスペシウム光線のように叡智の光を浴びせて賢くしてやるという意味だから「教化」が原意である。フランス革命とは、それを実践したものだとして貴族の殺戮という殺人罪を正義に変えてしまった後付けの美名である。英国がアドバイザーとなって旧体制打破に成功した明治政府も自らの政権奪取の正当性をそれに倣おうとしたが、さすがに革命はうしろめたかったのだろう、極めて日本的なソリューションとして天皇を前面に立てた王政復古をしておいて、殺戮の方は維新なる雅称に置き換えた。

”女神さん” が右手で高く掲げるトーチはEnlightenment光線で世界を教化してくださるのだが、この像は当初はフランスの彫刻家でフリーメーソンであるフレデリク・バルトルディ、エッフェル塔の設計者でやはりメーソンであるギュスターヴ・エッフェルらが1867年のスエズ運河開通式でエジプトに贈る「イシス神像」だった。イシスなら ”女神さん” でも “観音さん” でもよかったかもしれないが、エジプトに拒否されたので構図を変えてニューヨーク市にもらわれることになった。寄贈者はフランス最大のフリーメーソン・ロッジであるGrand Orient deFranceで、受贈者はGRAND MASTER OF MASONS IN THE STATE OF NEW YORKと台座にある。

つまり、自由の女神はフランスのメーソンが、初のメーソン国家であるアメリカ合衆国の建国百周年を祝してアメリカのメーソンに贈ったプレゼントだった。僕が卒業したウォートン・スクールはペンシルバニア大学の経営大学院だが、同校は1740年にベンジャミン・フランクリンらが創立したアメリカ最初の総合大学だ。フランクリンといえば避雷針とくるのが我々日本人だが、フランスをアメリカ独立戦争に参戦させ、それに勝利して1776年に独立宣言を起草した男ということの方がよほど重要だ。彼がそういう活躍をできたのもグランド・マスターというフリーメーソンのロッジの最高幹部だったからである。

アメリカ独立革命はFrench Revolutionに習ってAmerican Revolutionと呼ばれる。絶対王政支配の打破、植民地支配の打破はどちらもEnlightenmentがもたらした勝利であるという点でメーソンにとっては同質であったからだ。アメリカがパリ条約を締結してイギリスから法的に独立したのが1783年で、その翌年にモーツァルトはフリーメーソンに入会している。そこで得た情報からやがてEnlightenmentのご本家であるフランスでも何かおきると感じたはずだが、まさか国王、王妃がコンコルド広場で斬首されるとは夢にも思っていなかったろう。

地元ウィーンでの揺動を期待して1786年に「フィガロの結婚」を仕立てたが、後に「皇帝ティトの慈悲」を書くように、彼はハプスブルグ王政が壊れることを予想も期待もしていない。ウィーンでの Enlightenment がヨーゼフ2世をさらなる啓蒙的な名君へと導けば出世を阻む守旧派のダニのごとき取り巻き貴族を一掃してくれ、ひいてはイタリア人のサリエリを排除するか悪くても後継者になれるかもしれないぐらいの期待であったと考えるのが順当であろう。彼はオペラハウスを席巻したかった。フィガロで政治的揺動をしつつ作曲家としての実力のデモンストレーションもすることは一石二鳥であり、二重のモチベーションから稀代の名作が生まれたと思われる。

フィガロがメーソン情報を動機としたオペラなら、魔笛はメーソンを描いたオペラであるというのが通説だ。確かに、先日のワルシャワ室内歌劇団の上演を見ていて、第2幕以降は入会儀式ばかりであり、もしパパゲーノ、パパゲーナがいなければさぞかしつまらないオペラになったろうと感じていた。しかし、わからないことがあった。彼はなぜ、基本的に何らセクシーではない題材であるメーソンのオペラを書く気になったのかということだ。前年に共作した「賢者の石、または魔法の島」がそこそこ当たっており、魔笛とは数々の共通点があることから二匹目のどじょうを狙ったという指摘もあるものの、両作品の出来栄えは比べるのもアホほらしく書く気もしない。

それだけだろうか?僕は同じ1791年の、どちらも彼自身の作である「皇帝ティトの慈悲」と「魔笛」のクオリティの差(これは誰が聴いてもわかる、雲泥の差だ)がとても気になっていた。フィガロがそうだが彼はモチベーションの多寡が作品に出る人で、モーツァルトに駄作はないなんてことはない。魔笛の音楽の質の高さは彼の全作品を見渡してもダントツであり、それがあの妙ちくりんなストーリーについている、何なんだそれは?というのが長年僕の解けない謎だった。それが先日、上野の東京文化会館で、ある仮説が浮かんだ。音楽が Enlightenment をくれたのかもしれない。

白水社のモーツァルト書簡全集6巻は計5回読んだ。再読しない主義だから愛読書といえる。本書は父子によって書かれ、読者の関心の在り方で多様な光を放つ秀逸なドキュメントだが、まずは彼の旅の足跡を辿るのが楽しい。あれっ、あんなところに彼は行ったのかという発見があり、例えば父とナポリからポンペイの遺跡を見物しに出向いている。その行程は車で辿ったことがあるが、ベスビオ火山はモーツァルトの当時は活動期で噴煙を吐いており、イシス神殿には装飾や備品がほとんど当時のままに残っていてポンペイを世界に知らせるのに貢献したそうだ。僕は27才のころそこで目の当たりにした光景が脳裏に焼きついて、庭の噴水から引いた水が美しいモザイクを敷いた居間の溝を涼やかに流れるポンペイ式の家に住みたいと思うようになってしまった。

ポンペイ遺跡のイシス神殿

ポンペイは13才のモーツァルトにも鮮烈な印象を残したろう。ところが手紙には感想や心情に類するものが何も書かれていないものだから、僕はしばらくは彼がそういうものに無関心で不感症かもしれないと思い込んでいた。しかし、そうではないのだ。魔笛の舞台であるエジプトに行ったことがなくとも、彼はポンペイ遺跡のイシス神殿は見知っている。それが第2幕の合唱、O Isis und Osirisと歌われるように魔笛の借景となったのではないだろうか。

足跡ばかりではない、書簡集はモーツァルトや家族をとりまく日々の雑多な人間模様やふりかかる難事を通じ彼が何を思いどう行動したかをリアルタイムで一緒に体験し、肌で共感できる場だ。彼はわがままで自信家で幾度も度を越し、失言し、チャンスを逃し、親にもらったものの大きさにしてはコスパの悪い人生を生きた。もっと楽に生きられたろうし、いくつかオファーのあったマイナーなポストを謙虚に受けていれば良いご縁に恵まれたかもしれない。ロンドンへフィガロをもって行っていれば英国人に最高のエンタメとなってハイドン以上の人気を博し、間違いなく億万長者になったろう。

しかし、彼はそうしなかった。自分ではどうしようもない身分の壁に怯むことなく立ち向かった。書簡の随所に感じられるが、彼は王侯貴族など心中では馬鹿にしきって歯牙にもかけぬ超然とした能力主義者であり、強者が報われて当然とする資本主義的思想の持主であり、ビッグ・スペンダーのエピキュリアンであった。すぐれて社会主義共同体的であるドイツや日本の国民性からして決して好かれる性格ではない。それが、愛する天才にそうであって欲しくない人たちによって、短調作品にちらりと本音を吐くかわいそうな弱者というプロレタリア文学的な鋳型に押し込められていったのである。

それがとんでもないお門違いであることはすでに書いた。絶対王政を支えたアッパー階層である封建領主、有産市民のどちらの身分でもなかった彼がなぜフリーメーソンに唐突に入会して儀式用の音楽を嬉々として書き上げるほど熱中したのかは弱者論では説明できない。彼はプロレタリア文学的な人たちほど政治にうぶではなく、メーソンでの会話でやがてフランス革命に至る硝煙のにおいを嗅ぎ取って勝負に出たバリバリのリスクテーカーだ。父レオポルドやヨーゼフ・ハイドンは定年まで勤めるサラリーマンであり、メーソン入会はしても穏健な旧世代にとどまったが、モーツァルトは若くして飛び出して起業するような急進派の急先鋒だったのである。そのリスクが想定外に爆発して貴族から総スカンになってしまったが、人間界の常識として、それをもってこういう人をかわいそうな弱者と呼ぶことはない。

たとえば、父への手紙で22才のモーツァルトはヴォルテールの死のニュースにふれている。この百科全書派の啓蒙主義者につき父子は平素から会話していたことをうかがわせるが、このこと一つをとっても父の政治的洞察力はとてもアウグスブルグの一介のヴァイオリン弾きのものではない。そのヴォルテールはパリのフリーメーソンだったが(彼を入会させたのはベンジャミン・フランクリンだ)、死後に膨大な著作の版権を買い取って全集として世に広めたのがフィガロの原作者でやはりメーソンのボーマルシェであり、モーツァルトの遺品にはボーマルシェの著作があった。以上の人々全員が、これまたバリバリのリスクテーカーだ。戯曲『狂おしき一日、あるいはフィガロの結婚』がパリで初演されたのは1784年で、貴族を批判、風刺するこの劇にルイ16世は「上演を許すくらいなら、バスティーユ監獄を破壊する方が先だ」と激昂した。モーツァルトは同年の12月にフリーメーソンの慈善ロッジ(ウィーン)に入会しているのである。

モーツァルト⇒フリーメーソン⇒フィガロの結婚⇒フランス革命

と一本の糸で繋がった。その最後の2つについてはナポレオン・ボナパルトが「回想録」で、

“「フィガロの結婚」によってフランス革命は動き出していた “

と書いていることでも裏付けられようが、その「動き出していた」時期こそが、モーツァルトが通称フィガロ・ハウスで人生の絶頂を迎えていた時期だったのである。「フィガロの結婚」において女たらしの貴族に赤恥をかかせて嘲笑し、次の「ドン・ジョヴァンニ」では復讐に燃える騎士長の幽霊の手を借りてとうとう女たらしの貴族を地獄に落としてしまった。ではその次には何が来るべきだったのだろう?

「魔笛」である。

エマヌエル・シカネーダー(1751-1812)

その台本を書いたシカネーダーはモーツァルトのフィガロができる前の1785年に、ボーマルシェのフィガロのウィーン上演を目論んでいたが差し止められた。つまり、フリーメーソンであった彼も「フィガロ」の貴族批判精神の賛同者だったのであり、その彼が「貴族死ね」のモーツァルトと意気投合して書いたのが「魔笛」だった事実をまず心に留めたい。

以下が僕の仮説である。「ザラストロ」のモデルはウィーンのメーソン支部を率いるフォン・ボルンという実在の人物であり、存在感をもってエジプトの神殿に君臨している。一方で敵役の「夜の女王」は雷鳴と共に天空から現れる生身を感じない幻のような存在である。これはなぜだろう?夜の女王はハプスブルグ帝国の象徴マリア・テレジア女帝のお化けだからである(彼女は1780年に亡くなっている)。お化けは次のオペラ、ドン・ジョヴァンニにも石像の姿となって堂々と出てくるから不思議でもない。次に、パミーナだ。この役は生身の人間として感じられるのは当然だ。夜の女王の娘であるパミーナは、従って、マリー・アントワネットであるということになり、この王妃は作曲当時にパリに住んでいたからである。パミーナはザラストロに連れ去られ、女王はそれを嘆いている。オペラで女王は娘に剣を与え、「これでザラストロ(=メーソン)を刺し殺せ」と迫る。

マリー・アントワネット(1755-93)

それを現実の出来事と重ねてみると、透かし彫りのように面白いことが見えてくる。魔笛が構想されたころ、マリー・アントワネットも嫁入り先のパリで身が安全ではなかった。まるでパミーナのように。パミーナはザラストロの神殿から脱出を試みるが、奴隷頭モノスタトスに捕らえられてしまう。マリー・アントワネットも、革命の危険を悟って庶民に変装し馬車でパリ脱出を試みるが、革命軍に捕獲され連れ戻されてしまうのである。それ(ヴァレンヌ事件)は1791年6月25日の出来事だが、その2週間前(6月11日)に、モーツァルトは「魔笛」の第2幕(第11曲)のこの音楽を書いているところだった。フランス革命と魔笛の作曲は同時進行していたのである。

モーツァルト「魔笛」断章(女の奸計に気をつけよ)

魔笛の完成は1791年9月28日だ。その1か月前、ハプスブルグのレオポルド2世はピルニッツ宣言を出し、妹の嫁ぎ先であるフランス王室を守るためオーストリアの軍事介入をほのめかす。革命軍への事実上の宣戦布告である。ここからマリー・アントワネットはオーストリア軍と通謀し機密を漏らしていると疑われれ、ますます身に危険が忍び寄ることになる。モーツァルトは、かつてシェーンブルン宮殿の御前演奏で求婚(?)した王妃を覚えていないはずはないし、むしろ何らかの感情、思慕があったのではないだろうか。兄レオポルド2世の統治するウィーンに戻って欲しかったのだろうか、それとも別な安全な場所に救済されてほしかったのだろうか?

プチ・トリアノン内部

少し時をさかのぼるが、重要なことがある。音楽、演劇好きだったマリー・アントワネットが自分の館であるプチ・トリアノンに作らせた小劇場で1785年9月15日に上演されたボーマルシェの演劇「セビリアの理髪師」にロジーナ役で出演したことだ。自分たちを殺そうと鼓舞する劇に王妃自らが出るなど信じ難いが、彼女に思想的背景や策略があったとは思えず単にお遊びだったようだ。しかし、「セビリア・・」は周知のとおり「フィガロ」の前編で、ロジーナはアルマヴィーラと結婚して伯爵夫人になるのである。前述のように、その「フィガロ」に対して旦那のルイ16世が「上演を許すくらいなら、バスティーユ監獄を破壊する方が先だ」と激昂しているのだから夫婦仲まで心配になるが彼女の真意は分からない。

これを知ったモーツァルトは彼女が王妃という立場にもかかわらず王政派保守一点張りではない啓蒙された王妃と解釈し、そうであればフランス革命軍による救出もありと思った。その確証はないが、そこまでお気楽な女性と思ってなければそう解釈しても不思議ではないし、むしろタミーノが現れて助けてというシグナルと思ったかもしれない。逃避先は革命までは至りそうにないウィーンのフリーメーソンであり、その庇護者はオペラではフォン・ボルン演じるザラストロだが、現実はメーソンの Enlightenment によって慈悲ある啓蒙君主化したハプスブルグ宮廷である。もちろん、宮廷楽長はモーツァルトなのである。マリー・アントワネットは絶対王政の悪の代表である母、マリア・テレジアに捕らえられ、王政の仲間であるパリのブルボン王朝に幽閉され危険な目に遭い、革命軍とフリーメーソンに救出され逃避行の末に啓蒙君主になったウィーン王室に戻って幸せになる。これなら魔笛は『貴族と革命軍のバトル劇』として筋が通るというのが僕の仮説である。

モーツァルトは2年後にコンコルド広場に彼女の首がころがるとは知らずに世を去った。

 

(こちらへどうぞ)

モーツァルト「魔笛」断章 (私が最初のパミーナよ!)

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3度目のポーランド国立ワルシャワ室内歌劇場

2019 NOV 12 0:00:12 am by 東 賢太郎

やわらかい秋の陽ざしを浴びながら上野公園をぶらぶらして、土曜に魔笛、日曜にフィガロをきく。モーツァルトのオペラはこの世の極楽であり、ひたるのはまたとない道楽であってロマネ・コンティもクイーン・エリザベス号もいらない。

この歌劇場のモーツァルトを聴くのは3回目になる。前回も書いたが、いちどワルシャワに行ってみようかと思うほどだ。

ポーランド国立ワルシャワ室内歌劇場の魔笛を聴く

なぜといって、モーツァルトのオペラ全曲を随時舞台にかけられるなんて大変なことで、ご本家のザルツブルグでもウィーンでもできない。演ずる側の熱意だけではない、それを聴こうという聴衆もいるから成り立っているというところが看過できないのだ。

僕はネコ好きだといわれると弱いが、同じ理由でモーツァルトが飯より好きだとなるとどうしても相好を崩してしまう。それでワルシャワという都市まで気に入ってしまっているという個人的事情があるものだから万人におすすめするわけではないが、冷静に評価しても演奏水準は悪くない。チャンバー(室内)・オペラのサイズはモーツァルトに好ましいし古雅な響きの管、ノンヴィヴラートの弦もいい。

今回では、フィガロ第2幕のフィナーレ(No.16)、ここはコシ・ファン・トゥッテ第1幕フィナーレ(No.18)と同じくモーツァルトが秘技を尽くした見せ場だが、速めのテンポでここにさしかかると毎度のことだが音楽のあまりの素晴らしさに圧倒され、はからずも涙が止まらなくなって困った。スザンナ役が、土曜はこの人がパミーナだったが、実に見事な歌唱であった。

そりゃそうだ、二百年たってまだ二人目が現れない。そんな天才はあらゆる “業界” を見渡してもそんなに名前が挙がるものじゃない。僕の感動というのは、この世のものと思えない地の果ての秘跡を見て唖然とするのに似る。それが何度もきいて全曲をすみずみまで覚えているフィガロや魔笛で “まだ” おこるところが不思議というか、超自然的ですらある。ベートーベンやブラームスでそういうことはないのだから、モーツァルトの音楽には何か特別なレシピでも入っているとしか考えられない。

天衣無縫というが、彼の音楽には縫い目がない。人の作為が見えない。ドン・ジョヴァンニ序曲をビリヤードに興じながら一晩で書いた真偽は不明だが、彼だけはそうかもしれないと思えてしまう。

「クラヴィーアを初見で弾くなんて、ぼくにとってはウンコをするようなものです」

そうだろう。こういう腕がないとあんなアウトプットは、仮に物量だけをとってみても、どう考えても出てくるはずがない。そこにあのクオリティが乗るなんてことは常人では到底及びもつかない、いや、天才として名を遺した人にしたって、あそこまでやらなくてもその称号は獲得できるという高みにある。地の果ての秘跡なのである。

今回は魔笛について、ききながら発見もあった。それは別稿にしたい。

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神宮第二球場

2019 NOV 9 13:13:52 pm by 東 賢太郎

ラグビーをやっていた後輩に「生まれかわったらまたやるかい?」ときいたら、間髪入れずに「はい」ときた。「いえ、こんどは**を」なんてことであれば、ちょっと彼らしくないなと思っていたから安心した。

僕は飽きっぽい。中学のころ、学年のはじめに真新しい教科書を手にすると「よし、やるぞ」と固く誓ったものだが、ひと月ももったためしがない。高校になると、それじゃだめだと思い、誓いは「今年こそは」にかわってきた。それで二か月ぐらいはもつようにはなったが、二年生の夏あたりから「来年こそは」になった。最初から最後まで日々「やるぞ」が消えなかったのは野球だけだ。

つまり、高校には野球をしに行っていたのであり、ついでに教室にも寄っていた。親をふくめて誰も信用しないが、ほんとうなんだからしかたない。それで、人生を生き抜くためのインテリジェンスはグラウンドで学び、野球ができないうっぷん晴らしに仕事したというのが僕の人生である。当然、生まれかわったら、やることは野球しかない。

「親をふくめて」というのは母親はべつだ。ガリ勉嫌いで男の子は外で遊べと叩き出す「非教育ママ」だった。自分の父親は初代か2代目の慶応大学の野球部だ、息子の野球漬けはぜんぜん自然であり、かたや勉強にうるさい親父には「ちゃんとやってます」と虚偽報告をしてくれてたらしく、あとで親父に申しわけなくて勉強した。

九段高校はまだ東西いっしょだった東京都大会の第6シード校だった。入部して校庭の端から端までの声出し訓練からはじまり、万事きつかったが耐えた。そうしたら夏の甲子園大会地区予選に1年なのにベンチ入りを命じられた。軟式の草野球とはいえ大人たちを手玉にとっていた小僧だから驚きもなく、まあ当然と思うほどの天狗だった。15才で世の中なめていたわけだが、良くも悪くもそんな経験は他のことでは無理だ、ないよりはよかったかもしれない。

運悪く優勝候補の日大一高と当たった。神宮第二球場だった。どうせ登板はないと思い、正直のところ、高校球界No.1左腕でドラフト1位候補の保坂投手を見られてラッキーというお客さん気分だった。一塁側ベンチでまのあたりにした保坂は凄まじく、練習試合で打たなかったのを見たことない4番の桧前さんが浅い外野フライがやっとというのがショックだった。コールド負けだった。そのまま勝ち進んで出た甲子園の都城高戦で17三振を奪った破壊力あるストレートは衝撃で、後にも先にもボールに恐怖感をもったのはこのときだけだ。彼はその時2年で、翌年の東京都予選で日大鶴ヶ丘に10-0の6回コールド勝ちした際、18個のアウト中17個のアウトが三振だった。僕もそうだが、当時の高校生はスライダーやフォークやチェンジアップなんか投げない。直球とカーブだけである。それでこれ。いかにものすごいピッチャーだったかご想像つくだろうか。いまだって、そんな猪口才(ちょこざい)な小道具で三振とっても僕はちっとも尊敬しない。野茂とか大魔神は立派と思うが、これは美学なんで争い難いのであって、直球とカーブだけで三振を取りまくった金田正一、外木場義郎、そして保坂英二は僕の神である。

ところで、ベンチではマウンド上の保坂がやたらでっかく見えていて、さっきwikipediaを調べたらなんと168センチだ。驚いた。人間ってそういうもんなんだ。圧倒されると相手が大きく見えてしまうのだ。高校時代はやせていて立派な体格にあこがれたが、間違いなくあの保坂のイメージがあったと思う。あのぐらいでっかくないとあんな球は投げられないと。

そういえば50を過ぎてから「ご立派な体格で」といわれるようになった。そんなことは40代まで一度もいわれたことがない。要はデブという意味だが、ひょっとするとそうじゃないのかもしれない。俺も仕事の貫禄がついてでっかく見えるということか。じゃあ60代だ、もう何もこわいもんないな。15才で世の中なめた経験はいつもこういうふうにきいてくる。

神宮第二球場がなくなるそうで、最後の試合が昨日行われたらしい。

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遺言「SMCのブログは千年残すこと」

2019 NOV 7 9:09:58 am by 東 賢太郎

我々が子供のころ、自分の書いたものが活字になるなどということは文筆家か記者にでもならない限りは想像もできなかったように思う。活字になること、それは広く公衆の閲覧に供されるだけの価値のあるものということを意味しており、それが「発信」という行為の重みを裏打ちし、機会の希少性を担保していたのである。そうであるがゆえに、20世紀までの情報発信は権力者とメディアだけが独占する特権のようなものであり、我々庶民はそれを受信するだけの「一方通行」の関係だったといってよいだろう。

ところが21世紀に入ったいま、皆さんはSNSで世界中の人々と瞬時につながることが可能になった。ネット社会という言葉で当たり前のように受容されているが、その実は「対面通行」の道路の開通ということであり世界史に残る大革命であると僕は思っている。例えばツイッターやインスタグラムやユーチューブで文字情報や画像や動画を発信する人は歩く出版社であり放送局になったわけである。ということは、情報の発信までもが権力の手を離れ庶民に解放されて「発信の市民革命」なるものが起きたと解釈できるからである。

その便利さは虚偽情報を拡散する負の側面も内包してはいるが、アメリカ大統領までが堂々と参加してホワイトハウスやメディアと別個独立の個人放送局になって許されてしまう、ある意味で素敵な時代が到来したともいえる。「虚偽まで含む巨大な情報プール」の中で正しいものを取捨選択して生きなくてはいけないから大変だが、権力、メディアが一方的に庶民を情報操作する危険を減殺してくれ、むしろ権力の腐敗や背信を市民がウォッチできるというプラス面が大きい。やはり真の革命だと思う。

もちろん良いことばかりではない。マスとして捉えた社会的側面ではプラスでも個人の領域でみるならば、対面通行による人と人のつながりが個々人の幸せにも寄与したかは大いに疑問だ。犯罪の温床になるだけではない、スマホ画面で未知の人とつながっただけで友情や絆や恋が芽生えるという考えに僕は全面的に否定的である。むしろ引きこもりになったりネット依存症になったりする人が多く出てくるのは、現実を逃避する手段としてそれにすがり、何らかの幸福の出現を期待したのに報われないという幻滅やストレスに原因があるのではないだろうか。

ただ、もし個人として良いことがあるとするならひとつある。ネットに書いたものはサーバーから消えないことだ。きちんと管理さえすれば永遠に残る。この特性は誹謗中傷を書き込まれると残ってしまうというネガティブな捉え方ばかりされるが、後世にタイムカプセルを残したい人にとってはむしろかけがえのない長所となるのである。僕は2012年にそう思いついてSMCを始めた。当時、創業3年目のソナーの収益は危機的で倒産してもおかしくなかったが、それはそれでそういうことを始めてしまうのが僕の性格である。千年後に万葉集になると真面目に言って笑われたが、幾人かの理解あるオトナの方々がメンバーになって下さって細々と立ち上った。

タイムカプセルに自分の痕跡を残したいというのは、女性はどうか知らないが、男にはそういう本能がビルトインされているんじゃないかと僕は信じ込んでいるところがある。昆虫や鳥のオスは自分の痕跡である子孫を残すためにダンスまでしてメスに売り込む。我々も動物のはしくれだから若い頃は女性にモテようと色々なことを頑張って競争したりするわけだが、それは至極シンプルで健康なオスの自己顕示の本能であり、還暦を超えて久しい今となっては文章を残したい願望に化けて出ているのではないかと感じないでもない。

少なくとも僕の場合、それに成功して何かで承認されたところで、仕事の傍らのブログ執筆はけっこうな労力である。ボケ防止になることを除けば見返りに欲しい物はあまり残っておらず、やる理由があるとすれば自己満足以外の何物でもない。毎日千人もの方にフォローしていただいているのに申しわけないことを言っているのかもしれないが、何を拙文に読んでいただいているにせよそれは僕の自己満足との交換で行われている。そしてその満足というのは、ああ今日も死なずに済んだ、仮にあしたの朝に冷たくなっていてもいま書いたブログは後世に残るというものだ。

何度か書いたが僕はショーペンハウエルの信者である。同類だったリヒャルト・ワーグナーがそれでトリスタンを書いたと同じぐらい、僕が考えたり書いたりしていることはその影響下にある。我々が見ている世界は万事がうたかたであり、自分の投影でしかないから他の誰が見ている世界とも確実に違っているのである。だからそれを忠実に観察し書きとっておけば面白いと思って下さる方がいるかもしれない。僕にワーグナーの無限旋律は降りてこないが、こうして文章は降ってくる。21世紀の人にとってでなくてもまったく問題ではない。本稿が上梓した1950番目のブログになるが、閲覧数は7年で440万だからこのペースなら千年で6億3千万立ち寄ってくれるし、そのうちの誰かが思わぬことを発見してくれるかもしれない。

僕のスタンスはそんなもので「対面通行型」とは思えないし、何か有益な情報を盛り込む能力もない。だからSMC全体のチャームとしてはそれができる方々の参画が望ましい。その意味で、このたびの大武和夫さん、八木昌実さんのSMCメンバーご参加には心からのウエルカムを申し上げたい。八木さんは元プルーデンシャル生命保険の米国本社シニア・バイス・プレジデントという重鎮で経営に関するご著書は書店、ネットで入手できる。公益財団法人メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパン理事長、株式会社エイトウッズCEOが現職で、ソナーとは業務上のパートナーでもある。弁護士でアマチュア・ピアニストの大武さんはネットで入会申し込みをいただき、その動機はご自身のブログに書かれているが、一度食事をご一緒してクラシックへの造詣と愛情に感銘を受けた。特にピアノ曲について深い知識をお持ちで勉強もさせていただいた。

最後にもうひとこと。SMCには一昨年に故人となった畏友中村順一の秀逸なブログが何篇か収録されている。いま読んでもブラームスの音楽の如く重厚で快い文章で、機知と洞察に富んで実に新しい。ということは、永遠に新しいのである。悔しいが僕よりも頭脳明晰な男であり、世界史の解釈において微塵も太刀打ちできる部分がなかったが、野球のことだけは話をよく聞いた。むしろ聞きたいからチケットまで用意してきてドーム、神宮、ヤフーに連れ立って5,6試合を真剣に観戦した。マニアックなところしかコメントしないのに意味を知りたがり、博覧強記のインテリにしてその謙虚さには感銘を受けるばかりであった。そうなものだからこっちもまた彼と観たいと思った。僕においてはほんとうに滅多に起きない感情であり、同行することになった嬉野、有田、吉野ケ里、博多の旅は忘れ難く、行程の一切合切と会話内容を今も声と一緒にくっきりと覚えている。

本稿をお読みの皆様であれば中村のブログは手ごたえをお感じいただけるはずであり、受験生、大学生には必ずや学ぶものがあると思料する。そのような質のものを僕が千年残したいと考えるのは自然なことだ。そこで僕の子々孫々にはサーバーを維持して残してもらいたいわけで、もちろんそのための基金は僕が残していくがそれは適切に運用されなくてはならないし、次世代、次々世代と仲間を募ってブログを書き継いでいくこともお願いしたい。千年たってSMCが万葉集になっているかどうかは知る由もないが、まだ世界で誰もやった者はいない興味深い実験にはなるだろう。

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フォーレ ピアノ五重奏曲第2番ハ短調作品115

2019 NOV 5 1:01:29 am by 東 賢太郎

今年は少々落ち着いた気持ちで秋を迎えられるのは、自然体でのスタンスで仕事が板についてきたからだ。これまでは日本シリーズが終わってしまうと「野球ロス」で空しかったがそれもない。

5年前の10月にこういう物を書いた。

クラシック徒然草-秋に聴きたいクラシック-

いまはこう思う。秋にふさわしいって、まさにフォーレじゃないか。

ガブリエル・フォーレ(1845-1924)はその真価が最も高位にある少数の作曲家に属し、かつ、そのことが最も知られていないひとりに属し、母国を除くなら、彼があるべき評価を得ている国はイギリスのみである。僕はロンドン滞在時代に頻繁に演奏会に同行した、顧客であり友人でもあった紳士にそう教わった。

プライド高い英国人の身贔屓を割り引いても、今でもそうかもしれないと思う。ドイツ系の演奏家がベルリオーズ、サン・サーンス、フランク、ドビッシー、ラヴェルを手掛けることはあってもフォーレは少ない。それは彼に交響曲や大規模な管弦楽作品がなく、劇場向きの音楽よりも歌曲、室内楽、ピアノ曲に多作であることと関係があり、ともするとサロン音楽家のイメージに矮小化される愚に陥ってしまう。さらにオルガニストとして出発した彼の作曲法は、ショパン、モーツァルト、ワーグナー、シューマンの影響を経て初期にはシシリエンヌやパヴァーヌなどロマンティックで滋味あふれる旋律を持つ小品を生み出しているものの、中期以降はモノクロの音調で多様な転調を見せる内省的な作品が増える。

我々はドビッシー、ラヴェルによってフランス近代音楽の幕が開いたという認識を持っており、それに「印象派」という本質とずれのある絵画史の概念を “誤って” 援用し、「印象派以前、以後」というステレオタイプな区分けをしているのである。それゆえに、”ドビッシー以前” と認識されているフォーレは19世紀フランスの古典的なロマン派の残滓を残した時代遅れの保守派というあいまいで確固としない場所に置かれることとなり、”誤りの 印象派に eclipse される” 結果となっていることが過小評価の原因の一つだ。

印象派絵画が光と色彩の芸術であるとするなら、フォーレの後期の作品は印象派と呼ばれて不思議でない。ただし、ここで特記すべきことは、フォーレは楽器の音色による効果を音楽の重要な要素と考えていなかったことだ。ケクランらに自作のオーケストレーションを任せたことでわかる。楽器法は単なる自己満足か、作品に創造性のないことを隠すためのものと考えていたフォーレは、パリ音楽院の生徒にグロッケンシュピール、チェレスタ、木琴、鐘、電子楽器の使用を控えるよう指導していた。我々が印象派とイメージするドビッシー、ラヴェルの色彩(colour) を感じさせる管弦楽とは遠い感性の人であり、これが“誤りの 印象派に eclipse される” 原因となっている。

ではフォーレは「光と色彩の芸術」を何によって表現したのだろうか?それは和声だ。彼は師であったグスタフ・ルフェーブルの著書「和声法」(1889)に則って、従来は不協和音とされていた和音や解決しない非和声音による光と影の彩色法を使うことで、誰とも異なる音楽語法を開拓したのである。初期の曲は主調が明確だが後期に至ると頻出する転調によって複数の主調があるかのようになる。ただそれは多くがエンハーモニック(同名異音)を基点としたような内声部からの転調で、延々と続くメロディの起承転結をぼかしてしまう意外さはあるが他の作曲家が用いるように劇的ではなく、屋外での陽光の移ろいのような朧なものだ。それをフォーレは音色より重視した。

「高級な」という日本語はあいまいだが、英語ならhigh-grade、sophisticatedとなる形容詞を音楽につけるとすると、僕にとってフォーレの後期の曲はそれだ。高級であるにはいくつか要件があって、美しいのは当然として、犯し難い気品、そして何より、難攻不落な謎が背後に感じられなくてはいけない。すぐお里が知れるのはチープなビューティーであってすぐ飽きる。高級な宝石は組成の理由も知れぬ不可解な色と光彩の美を発散するし、高級な料理や菓子はレシピや製法がネットで知れ回るようではいけない。そこに理屈は存在しないが、人はそういうものにgrade、sophisticationを感じるようにできている。そして、そのことは僕においては音楽の謎がスコアを見て解決してしまう程度ではいけないということになる。

そう考えると、楽器法が謎かけをする体(てい)の音楽を下に見て、音楽の本質に深く関わる和声で色と光彩を思考していたフォーレのスタンスはもっともである。アーロン・コープランドがフォーレをフランスのブラームスと評したのは、その高級感のあり方が和声に根ざす点では同意だが、フォーレはより比重が大きい。ピアノ五重奏曲第2番ハ短調作品115の第3楽章(以下、Mov3)の、秋の夕暮れの陽光が森の木々の陰影を織りなしながら時々刻々と移ろってゆくような玄妙な和声の揺らぎは他の音楽から聴いたことのない驚くべきものだ。楽器5つのスコアはいたってシンプルに見えるが、すぐ現れる転調、というか、調性が変わったという事なのかそれが本来のメロディーであったのかわからないような揺らぎという物に幻惑され、夢の中のような蠱惑的な謎の迷路をたどり、長いコラール風主題による宗教的な安息に到達する。

Mov2は目にもとまらぬアレグロ・ヴィヴォで、主調は変ホ長調であるがのっけからラが♮に変位して調性がわからないまま謎の疾走となる。ショパンのソナタ2番の終楽章を想起するが、2番目の楽章に不意にこれが襲って来る謎のインパクトは計り知れない。Mov3に比肩する和声の迷宮がMov1である。この楽章の素晴らしさは和声だけではなく、構造面にもある。3つある素晴らしい主題のどれが第2主題かという詮索は些末でソナタ形式の3主題構造はモーツァルトにもいくつも例があるのでどうでもよく、ポイントは各主題が順次現れ展開する様で、フーガ風になり、音型が伸縮して小節線を越えて組み合わさり、再現してコーダに至る前に再度複雑に展開する重層構造を持っていることだ。その効果は圧倒的である。Mov4はピアノが前面に出て全曲をまとめる。この楽章だけは先行する3つの楽章の高級感にやや達しない観があるが、それでも立派なピアノ五重奏曲の締めくくりとして完璧な充足感をもたらしてはくれるものだ。

もうひとつ特徴を付け加えると、Mov3が四分の四拍子である以外は四分の三拍子で書かれている。拍節感は概して希薄で譜面を見ずにそう気がつくことは困難だが、フォーレはそれを変拍子で記譜することはない。この保守性と革新性の混在は、調性音楽の外観を保持しながらストラヴィンスキーやミヨーが試みたような複調ではない方法のまま既存の調性概念を超えたこととパラレルに感じられる。この驚くべき音楽はドビッシーが没した翌1919年に着手され21年に完成しており、マーラーの交響曲第10番(1910-11)の10年後に現れた。「月に憑かれたピエロ」(1912)、「春の祭典」(1913)、「中国の不思議な役人」(1919)、「ヴォツェック」(1921)と同期する空気の中で書かれ、和声音楽がトリスタンと異なる路程で行きつくことのできる別の惑星が存在することをドビッシー以外の人間が示したという意味で真に革新的なものだ。ショパンが作曲していた頃に生を受けた人間が書いた音楽として、それが20世紀の音楽への連続性を覗かせることを示す最後の作品であり、彼をドビッシーにeclipse される存在とする思い込みは誤りであることがわかる。これ自体が信じ難い音楽だが、難聴で、しかも高い音がより高く低い音がより低く聞こえるという病の中でこれを書いたフォーレの量り難い天才に最高の敬意を表して稿を閉じたい。

 

ギャビー・カサドシュ(pf)/  ギレ弦楽四重奏団

素晴らしい演奏。何がといって、5人の奏者が和声を完璧に “理解” して見事な音程で弾いていることがだ。フォーレが書きこんだMov1,3の音符の凄さをストレートに知覚させてくれる意味で他の演奏を圧倒しており、僕のような聞き手は耳に入ってくる音のいちいちに興奮をそそられる。プロだから当然?いえいえ、それがいかに困難かはyoutubeでご確認できる。Mov2におけるロベール・カサドシュ夫人のピアノも目覚ましく、もっと録音を残してほしかったとつくづく思う。録音が古くさく楽器音がヴィヴィッドに前面に出てくるのは好き好きだが、僕は表面的な美しさよりも音楽の本質的な美を味わいたい。

 

ジャン・フィリップ・コラール(pf)/  パレナン四重奏団

僕はこれで覚えた。決して悪くないが弦楽四重奏がやや後退したように聞こえるアコースティックで、非常に精妙に書かれたMov1、3の和声の味がギレ盤ほど聞こえない。ピアノ五重奏のバランスの難しさで実演はこっちに近いが、あまりこだわらずに平面的に楽器を並べたギレ盤が2Vn、Vaのうまさで引き立っているのは皮肉だ。コラールのピアノは上品、パレナンQはロマンティック寄りであり今となるとホールトーンの中で融け合うように綺麗に丸めた和声はMov3は少々ムード音楽に近い感じがしてしまい、フォーレが求めたのはこれではないだろうという気もする。全曲のまとまりは良い。

 

ローマ・フォーレ四重奏団

元イ・ムジチのコンサート・ミストレスだったピーナ・カルミレッリ率いる五重奏団。フランス系の演奏だと往々にしてわかりにくいメロディーラインが遅めのテンポでポルタメントがかかるほど切々と歌われるのが愛情の吐露だろうかとてもいい。いっぽうで和声の知的な理解も深く、近接した音程の内声の活かし方はそうでないとこうはならない。技術的に弱い部分もあるが、なぜかまた聴こうという気になる謎を含んだ演奏だ。

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我がオーディオ論

2019 OCT 31 18:18:45 pm by 東 賢太郎

前に書いたとおりオーディオのアナログ回帰作戦をしているが、まず、ショップのSさんが我が家のプリアンプ(ブルメスター808)を修理のため持ち帰り、同じブルメスターの099という中級機を「代車」として置いていってくれた。808のオーナーになって15年になるが、鳴らすたびに衝撃を受ける空前絶後のプリと断言したい。拙宅来訪者にはクリスチャン・ツィンマーマンのショパン(バラード集)、カーペンターズのSACDをレファレンスにお聞かせすることをルーティーンとしているが、絶句しなかった人はいない(写真)。495万円するが、音楽にこだわる方は車をあきらめてでも買って後悔はしないだろう。

代車の099(250万円)も見事だが808を知ってしまうとやや寂しい。808で3台駆動しているパワーアンプが許容量から2台になるせいもあるが、ただこっちのほうがむしろサントリーホールのライブの音響に似ていることがわかってHiFi(高忠実度)とは何なのか考えさせられる。巨匠たちはみなあの世に旅立ってしまったし東京のどのホールより自室の音の方が良いと感じるので、あんまり演奏会には進んでいく気がしなくなっている。ちなみに099の設定でコンセルトヘボウ管のハイドン93番(C・デービス指揮)をCDとLPとで聴いてみたが、結果は明白で比べるべくもない。結局、CDが勝ると思うのはピアノだけだ。

こういう諸条件を勘案したうえでどうしたら好みの音になるかと空想するのだが、作戦敢行にはターンテーブル・トーンアーム・カートリッジ・フォノイコライザーの4つを買い替える必要がある。現状使用中のものはCDへの切り替えを前提にグレードアップする以前からのものでクオリティが大幅に劣る。アナログはエジソンの方法で原理的に録音現場で鳴った音そのもの(原音の空気振動)を音溝に直接刻んでおり、電子的に0,1に記号変換していないから、先を丸めて尖らせた紙筒や小指の爪で溝をたどってもかすかに音が聞こえる。ということは高精度の装置なら原音通りの空気振動をリス二ングルームに再生できるはずだ。

何事もこの原理的な「はず(sollen)」という信念が僕に火をつける。LPはCDの勃興で一度は市場を喪失したのだが、そこから今に至る雌伏期に負けじと進化して僕らがLPは死んだと信じた80年代初頭のレベルとは比較にならない音がするようになっていると聞いている(未聴だ)。だからやろうとしているのは回帰ではなくて、アナログにグレードアップというべきだ。いったん全面的にCDに切った舵を切りなおすということは、要するに1万枚以上たまってしまったCDは「全部捨てる」という意味である。ここからの余生をLPに付託するのだから半端なことではない。

そうかんがえるのは、あと何年生きるかわからないのに気に入らないもので我慢する理由など何もないと思うからだ。食事だってクルマだって人づき合いだってそうだろう。ただ社会生活をする以上は万事でそうするわけにもいかないから、一つぐらいは徹底的に我が儘させていただきたい。そうなると、僕の場合は音楽になるということだ。グランドピアノもファツィオリにしようかなと思ったが、それを味わうには練習しないとピアノに失礼だ。となると時間がない。ならばきくだけで楽なオーディオにしようという結論になる。

Hovland 社の Stratos

オーディオは超がつくマニアックな世界だ。例えば米国のホヴランド社のストラトス(成層圏)と名付けられたパワーアンプをデモ段階の試作機で聴いて、大いに気に入った。発売前に2台注文したら社長から手紙が来た。お買上げ感謝状ではなく、心からの「わかってくれて有難う」なる謝意であった。まぎれもない正統派路線の高級な音だが、マニアが自慢できそうな HiFi っぽい尖ったものはない。どれだけ売れるかなと思ったが案の定わかる人が少なかったんだろう、同社は消えた。演奏家でいえばハイティンクやコリン・デービスが評価されない日本のクラシック界と似ている。かようにマニアといっても多種族が生息するのであって、作る側もそうだが聴く側もそうだ。お互いに趣味の範囲は針の先のように狭隘で、針先と針先がピタッと合う事は稀だが、だからこそ合ったときの喜びは海の向こうに感謝状を書く気になるほど格別なものということだ。

そういうマニアの集結基地というと、例えば僕が仕事で関わっているシリコンバレーがそのひとつだ。理系オタクのクラブみたいなものだが、ぶっ飛んだ発想でdisruptive(非連続的、破壊的)なテクノロジーを開発・実現し、それを事業化して企業価値を高める文系的感性もないと成功はおぼつかない。理系バカではいくら優秀でも不足であり、オール5の学校秀才タイプは概ねだめだ。オーディオの世界もおそらくそんなものであり、まず一にも二にも良い音(テクノロジー)ありきではあるが、質を落とさずに大量生産して販売しないと事業はサステナブルにできない。そこは経営のセンスが問われる部分であり、ストラトスを作る製作上のセンスとテクノロジーがあるホヴランドの破綻は実にもったいない。もう遅いが僕が買収していたらよかった。

扱い、保存の難しいレコードは洗浄したり面を裏返したり手間もかかる。しかしお釣りがくるぐらい良い音で音楽が聴けるならやるっきゃないだろう。かように音楽という物は僕の人生において多大な時間と労力を消費する存在であり、それをすべて仕事に傾注していればもっと楽に暮らせたと思う。でもそれは無理なのだ。こんなストレスだらけの日々を安らがせてくれるのは音楽であり、だから自宅には鉄筋の地下室を掘って、そこは何でもやり放題の桃源郷にさせてもらってる。こればっかりは誰とも共有できないだろう超微細な関心事に子供みたいに寝食忘れて没頭できる空間であり、そこにいる間、僕は世間の誰も想像しない最も僕らしい姿でいられるのだ。

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朝比奈隆のエロイカ

2019 OCT 30 18:18:38 pm by 東 賢太郎

 

はるか昔に買って忘れていたLPレコードを棚から引っぱり出して、片っ端から聞いている。千枚以上あるから時間がかかる。きのうは朝比奈隆のベートーベンがでてきた。中身の記憶はさっぱりないが、なぜこのレコードを買ったかは推察できる。このひと、80年ぐらいに神戸でエロイカをきいて面白くも何ともなかった。大フィルも二流と思った。しかし当時は大阪に住んでいて、世間の評判は高いしこっちの耳がおかしいかもしれない、また聴く機会もあるかと思い、確認する意味で買ったと思う。それでどう思ったかはこれまた覚えてないが、記憶がないのだからやっぱり感心しなかったのだろう。

ところがだ、きのうエロイカをお終いまでじっくりきいてしまったのである。このLP、1977年10月6日のライブで、オケはやっぱりうまくない。冒頭から遅いテンポでバランスも音程も甘い弦、なんだこりゃと立ち上がって止めかかったが、なにか予感があってMov1だけ聴こうと思いとどまった。熱が入ってきて、これならばとMov2に行く。さらに良い、この楽章の後半は非常に良い。そこから最後まで、出だしと同じ演奏と思えないコクと熱量が横溢してきて耳はくぎ付けだ。まぎれもなく、優れたオーケストラでないと出ない性質の音が出ている。

こういう演奏はもはや世界的に絶滅しているのである。

僕は1982年から16年欧米語圏に住んで、20世紀終盤のカラヤン、バーンスタイン、ショルティ時代の世界のオーケストラを現地のホールで聴きまくった。人間のやることだから、トリプルAランクのオーケストラがいつも良いわけではない。シカゴ響はロンドンでショルティ、ドホナーニで何度か、フランクフルトでもバレンボイムで聴いたが、ショルティのマーラーのレコードみたいな超弩級のものはなかった。ベルリン・フィルは何度も色んなホールで聴いて、カラヤン最後のブラームス1番はたしかに凄かったが、心底震撼したのはブーレーズのダフニスとカルロス・クライバーのブラームス4番だけである。2年間定期会員だったムーティのフィラデルフィア管だって信じられないほどさえない日もあった。彼らがアウエーでやる日本公演は、ホールのプアな音響の問題もあるが「頑張って帳尻合わせたね」という以上の記憶はない。

しかしここで書きたいのはそういう事ではない。朝比奈は練習を見るに旋盤の微細な角度にうるさい中小企業メーカーの社長のような人であり、クライバーのような「テレーゼ、テレーゼと恋焦がれて弾けとか」と直観にささる指示より即物的な弾き方の指示をするタイプだ。エロイカの出だしのテンポはベートーベンの付点二分音符=60の指示に対し朝比奈は48でありとても遅いわけで、だから伴奏のヴィオラのタタタタの伸ばしに微細な指示をしているのがyoutubeのビデオで分かるが、緊張感が出ない。そうやってMov1が開始するものだからいきなり背筋が伸びるカラヤンのエロイカのようなインパクトが全く希薄である。

これで思い出したのはクナッパーツブッシュだ。彼のも46~48で超低速でごわごわもっさり始まり、イメージが良く似ている。

今どきこんな田舎くさいエロイカをやる指揮者はいないが、明らかに彼らは全曲の焦点をMov2に置いているのであって、ベートーベンがそう意図したかどうかは別として、強いインパクトのある解釈と思う。

最晩年のショルティのをチューリヒで体験したが、ここまでではないがやはり極点はMov2に置かれており、エロイカを見る視点が変わった。しかしあれはショルティという超大物だからオーケストラ(トーンハレ管)を乗せられた観もあり、若いお兄ちゃんが気軽にできるものでもない、楽員が心から納得してついてこないと浮いてしまうリスクのある解釈だ。朝比奈がそこまで意識して48のテンポにしていたか知る由もないが、若いお兄ちゃんであった僕には良さがさっぱりわからなかったのを恥じ入るしかない。蛇足ながら朝比奈の1977年10月6日ライブはクナッパーツブッシュよりずっとすぐれている。

朝比奈・大フィルのエロイカ(6年後のもの)

 

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広島カープの佐々岡監督は楽しみ

2019 OCT 28 21:21:28 pm by 東 賢太郎

「同じ釜の飯」とはよく言ったもので、どんなことであれ、そのことでギリギリ限界まで頑張ったという苦労は同じ境遇を味わった人しかわからないと思う。いや、案外そうでもないかもしれないのだが、そう思いたくなってしまうところが人間のさがかもしれない。

僕の場合、そこまで頑張ったのは野球、受験、仕事しかないが、同じ釜といっても釜のサイズはそんなに大きなものではない。例えば野球でも相手が野手だとわからないことがある。ロッテのサブローさんに教えてもらった「打撃の極意」は自分の感覚とあまりにちがう。もちろんプロの話を素人がわかるはずはないのだが、一応は3年間毎日バットを振っていてそれというのはさびしい。

ところが投手の話だとそこまでのギャップがなかったりする。元西武ライオンズの投手Oさんとゴルフをしたときに、「交流戦で巨人の仁志選手をショートゴロに打ち取ったんです」という回顧談があった。みんな「ああそう」という顔で聞き流したが、それは得意のシュートだったというところに熱がこもるのを見て僕は合点した。レベルはともあれ打者に打たせたくない執念は同じ釜の飯なのだ。

僕は二人の監督のもとで野球をしたがお二人とも野手であり技術的なことでの指導や文句はなかった。投手というと2年上のエース篠さんが憧れの人で、九段高校をシード校に導いた本格派名投手だったが、1年夏の合宿のOB戦で投げ勝って試合後に篠さんから背番号1番を手渡されたときの喜びは僕の「人生感動ベスト3」に入る。それほど「同じ釜の飯」の人からの評価はずっしり重いのだ。

やたら前置きが長くなったが、広島カープの監督に佐々岡が就任したのは楽しみだ。投手だからだ。投手は野手にほめられてもうれしくない。投手のことは投手しかわからないのだ。FA宣言した曾澤の残留も大きいが、野村祐輔が残ってくれたのは意外であり、佐々岡の就任が大きいのではないか。ソフトバンクが強かったのは守備力、とりわけ投手力によるところが大きい。カープ投手陣が久しぶりの「同じ釜の飯」監督の下で大化けしたらまた優勝はありだろう。是が非でも投手王国復活をお願いしたい。

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