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テスラ(Model X)試乗記

2018 OCT 16 9:09:27 am by 東 賢太郎

 

台車部分のスケルトン(フリーモントのショップにて)

クルマの自動運転(オートパイロット)はかつてはドラえもんの世界でした。それが実現しているのだから、これは試してみるしかありません。昨年にシリコンバレーへ行ったおり、テスラがそこかしこに走っているのを見てこれだと思い、仕事の合間にフリーモントのショールームをのぞいてみたのです(写真)。

人類の英知の最先端に触れてみるのはいつも大事です。知識ではだめ。肌で知ることで感覚が「上書き」され、そこに乗せた知識が初めて考える土台となるのです。だから僕は古いもの(クラシックなもの)も好きですが、新しいものも目がありません。最先端のその先には神の領域があるからでいつも1ミリでもそれに近づきたいと思っています。高所恐怖症なので月に行きたいとは思いませんが。

シリコンバレーはアメリカのIT最先端基地ですが、住人はアメリカ人といってもエスニックにはインド人、中国人、イスラエル人などのごった煮で、テスラ創業者のイーロン・マスクは南アフリカ人です。内向きの日本人は影もないが別に寂しいこともない。curiosity(好奇心)なき者は進化が止まる、それだけです。それで日本国がどうなろうと僕にはどうもできないし。

オートパイロットはいずれ地球上の交通を席巻するでしょう。安全性に未解決の問題があるといわれ、それはおおむね事実ですが、では現状の人間による手動運転がそんなに安全かどうかを自問すればいい。「昔は人が運転してたんだ、80才こえたおじいちゃんでもできたんだよ」と子供に親が語る時代が来るに違いない。より安全な方法があるならそこに留まるべき理由はないのです。道路や交通規則の方をオートパイロットでも安全なように根本的に変えればいい。あとはAIの加速度的なラーニング能力が解決します。

オートパイロットという究極の移動手段においてCO2を出す動力に依存するという発想はまったくのmediocre(凡庸の愚鈍)です。せっかくの無限大にゼロをかけてゼロにするようなもの。EV(電気自動車)がベストの解決かどうかはともかくガソリン車より地球環境にやさしいのは自明です。そうなると困る業界人たちが時間稼ぎのためにあらゆる反論を垂れ流していますが、何をあがこうが10年ぐらいで世界は自動運転によるEVの世の中になるはずです。

そのレースで最先端の車を作って売っているのがテスラ社です。新奇なものに毀誉褒貶があるのは世の常で、イーロン・マスクの行状やら生産体制やら業績やらがあれこれ言われており、だから買わないという人もいる。しかし創業者がどうあろうが世界のトップノッチの技術者が集まって世界一のEVを作ろうとこだわりぬいた逸品であることに変わりはありません。クルマの良し悪しは評論家が何といおうが、自分で乗ってみないとわからないのです。

Model Xをプレゼン中のイーロン・マスク

そこで米国で2年前にローンチされたModel X(ファルコンウイングドアの多機能SUV)に青山のショップで試乗してきました。これはファミリーカーなのにスーパーカーである世界で唯一の車、世界一の安全性能、重さ130トンのジェット機を牽引してギネスブックに載った世界一のパワーと、世界一ずくめの車であり、どうしてもさわってみたかったわけであります。

加速は0-100km/hを2.7秒!ランボルギーニ、マクラーレンより速く、体感はジャンボ機の離陸時のGで、同乗者(7人乗り)は悲鳴をあげるでしょう。最も興味があるオートパイロットですが、これはまだ未完成ではあります。しかしこの車は走るコンピューターであって、プログラムはテスラ社によって時々刻々バージョンアップされオンラインで自動装備されていくのです。車が勝手に進化する!このコンセプトは素晴らしい。

未完成とはいえ、おそるおそるハンドルを手放してアクセルもブレーキも踏まずに「馬なり」にして走行してもすべてを完全装備のセンサーが感知して、見事に道なりに曲がり、周囲の車の流れに合わせての加速減速、停止、発進をしてくれます。車庫入れ、縦列駐車は完璧。不思議な感覚ですね。いずれバージョンアップされて道路状況を学習させれば、空港まで乗って行って自動運転で無人で帰宅させる、運転手なしで会社まで車内で寝たり仕事したりして往復できるなんていう最高の相棒になるのでしょう。

僕は43年間完全無事故ドライバーで技術は自信がありますが運転はあんまり好きでもなく(ゴルフとおんなじ)、いままで乗ったのがドイツでメルセデス・ベンツS500、スイスで同S600で、後者はアウトバーンで250キロ出しても微動だにせずガソリン自動車としてはほぼ最高峰の車でした(6000cc、2.5トン)。帰国後はジャガーXJ(2004年)レーシンググリーン一本で、こっちは英国首相官邸御用達車で、乗った感じは車高の低いこれが好きでした。自分で運転したいと思ったのはこの3つだけで、つまんないクルマは1分たりともやる気なし。日本車は万人受けする非の打ちどころないユーティリティ車ですが、どうも機械として、個性に欠け面白くない。これはハイエンド・オーディオの世界と通じるものがあるのです。その点テスラは全面的にユニークであって、自分の意識改革の触媒にはいいかなと思ってます。

 

菅野ついにノーヒットノーラン

2018 OCT 14 22:22:52 pm by 東 賢太郎

今年は東京ドームで菅野を4,5回見ていて、2安打完封が2度。思ったことはただ一つ、球史に残る投手を生きてるうちに生で見られてラッキーということに尽きます。それがこれ。

菅野の神投球に感動(東京ドーム)

そしてこれ。

かつて見た最高のストレート

投手は何人も見たし、何よりカープを応援してるのです。でも、こんなにブログにしたいピッチャーは菅野しかいない。5月12日のほうに書きました。

君は巨人のエースなんかじゃない、日本球界最高のピッチャーであり、僕の理想の投手であり、やがてメジャーで完全試合ぐらいやってくれるだろう。

今日、ヤクルトとのクライマックス・シリーズ1st ステージの第2戦(神宮球場)、ついにノーヒット・ノーランを達成したというのはその前哨戦でありましょう。TVだからよくわかりませんが、きっとドームの中日戦、ヤクルト戦(ともに2安打完封)なみのボールが行ってたんでしょう。ヤクルトは芯に当たらずスイングもできず。7回の山田の四球が惜しかった。

それにしても巨人は強い。高橋由伸監督の退任が報道されてから全選手が一丸になっていてほんとうに強い。カープは大丈夫だろうか、また3位にやられるんじゃないかというぐらい強いです。

ところで高橋由伸監督はどうしてやめるんだっけ?

2015年に原がCSでヤクルトに敗れて2年連続で日本シリーズ進出を逃して引責辞任(実質クビ)、おりからの賭博問題で翌年に白石興二郎オーナー、桃井恒和会長、渡邉恒雄最高顧問の引責辞任という球界未曽有の大事件となり、クリーンなイメージの由伸が無理やり現役引退させられ監督就任に至ったのは周知の事実です。

そうしたらその由伸も3年連続で日本シリーズを逃し、またまた引責辞任である。勝負の世界だから誰かが詰め腹を切らされるのは仕方ないでしょう。しかし、そこでどうしてまた先代・詰め腹の原監督なのってのがよくわからない。誰に聞いてもわからないって。どなたか教えてください。

僕はファンでもないが由伸が気の毒だという世論にはシンパシーがあります。あれだけの選手が引退試合もやってもらってないのはご存知ですか?仕方なくやった感じの引退式、監督就任セレモニーは11月23日のファンフェスタで行われるという異常さだったのです。

この式は、サラリーマンの転勤ご挨拶ですね。巨人軍監督の去就は読売の人事異動だと元オーナーがのたまわった、そのものです。ユニフォーム組は背広組に従えということ。自衛隊と同じ支配構造ですね。現場で求心力もつと警戒されて切られる。村田はそれでしょう。選手たち、由伸を村田に重ねたかもしれない。

ほぼ同世代の松井稼頭央、岩瀬、荒木、新井らの引退試合や胴上げや温かいファンの声援と涙を由伸がどういう気持ちで見たのか、選手たちは痛いほどわかると思うのです。特に責任を感じている巨人の選手たちは。「監督と一日でも長く野球を」・・・だから巨人はいま様変わりに強いのだと思います。

カープには万策練って頑張ってもらうしかないが、万一またやられるのだったら巨人にシリーズ制覇してほしいですねえ。

新橋の駅前で

『高橋由伸なんと続投!!』

- 日本一で監督辞任を撤回、原氏からもエールが -

なんて読売の号外が配られたらオモロい。

 

紀尾井町ランチ事情

2018 OCT 14 9:09:26 am by 東 賢太郎

東京で働いたうち大手町では10年を過ごしている。日本橋も2年いたが、どちらかというと総合的には大手町が良かった。ただ困ったのは手軽にいける圏内のランチのクオリティが大変低かったことで、あんなのは食えたもんじゃない。「たいめいけん」や「紙やき」なんてのがある日本橋には数段劣るのである。いけると思ったのはみずほに移籍してよく使った旧興銀本店の鯛茶漬けと大手町ビルB2にある鰻屋の「ての字」ぐらいだ。ガード下のおばちゃんがやってる焼き魚定食屋も気に入っていたがもうなくなっていた。先日行ったら興銀本店ビルも消えていたし、隔世の感ありだ。

かたやそろそろ紀尾井町で8年になろうとするが、この界隈の食は昼夜ともレベルもコスパも高く大手町の比ではない。ランチがどうのというだけではない。それが象徴するわけだがここは永田町お歴々(自民党)御用達の高級お座敷街だ、グレード第一の界隈であってサービスを供する側のコスパはあんまり思慮されてない観がある(もちろんそれは別のところで大きく帳尻があっているのだが)。万事商人がそろばん勘定で地代を決めて住人がしっかり徴収される大手町、丸の内とちがって、紀尾井町では我々居住民までセンセイがたのご相伴にあずかってごっつぁん感があるのが8年の偽らざる実感だ。まあ遠回りの減税かな。

そういう事情もあるとはいえ、なんでかんで大手町、丸の内というのはちょっとみっともない。東京育ちでないお金持ちがやたらと田園調布や成城に住みたがるのとどこか似ていているのであって、僕など紀尾井町の次はそっちなどという気はさらさらないし、この仕事で銀座や築地や品川というのはもっとない。というか、あり得ないのだ。これは東京の人でもわかりにくいし、お袋に仕込まれた感覚のようなものなのだろうと思うがうまく言葉で説明するのは難しいことだ。

日本画家の千住博さんによると、土地、風景というのは行きたい所、遊びたい所、住みたい所、死んでもいい所の4つあるそうだ。僕にとって大手町はそれ以前のカネを稼ぐ所、紀尾井町は住みたい所であるぐらいかけ離れている。そもそも低地が嫌いで、皇居の高地である半蔵門側(FM東京あたり)より元は江戸前の海で低地だった大手町、丸の内が格上だなどという意味がまったくわからない。いま棲みついて10年目になる国分寺崖線ももちろん高地だ。昨日も多摩川の花火を遠目に眺めながら思ったが、死んでもいい所がここかどうかまではまだ知らないが、それが低地になることは金輪際ない。

先週ニューオータニの担当の方に「何かご不満はございませんか」ときかれたが、あいにく全然ないものだから、「とても心地良く過ごさせてもらっています」と答えた。なにせこのホテルは井伊家の屋敷跡で敷地が巨大であり、庭園はもとより建物を散歩しても飽きることがない。おまけに食事の質も不満がない。例えばガーデンコート6階にある「KATO’S DINING & BAR」は奥の料亭「千羽鶴」とキッチンを共有しているから当然うまい。ここのカツ丼は東京で一番である。自民党総裁選で安倍陣営がふるまった「食い逃げ事件」のカツカレー、あれはメインにある「SATSUKI」の3500円のに違いないが、それだけ払うならこっちのカツ丼だと僕は思う。

遅いランチとなると最近はザ・メイン アーケードまで遠出して「ペシャワール」か「トムCAT」にお世話になっている。アーケードという区画はオークラも帝国もそうなのだが今どきはなんともいえぬ異界の風情なのであって、昭和の濃厚な残り香がたまらなくて時々ぶらっと歩きたくなってしまう。そうなると、そこで期待する食もレトロにならざるを得ない。うまくできたもので、そこにそういう軽食がある。ペシャワールのカレーはインド風でもなく店名由来のパキスタン風でもなく、見た目はいたって日本のカレーライスなのだが、香辛料なのだろうか黒みがかった色調の異国的な味がする不思議な食べ物だ。

トムCATは一見ありきたりの洋食屋だが、ここのスパゲッティ・ナポリタンはあなどれない。必須レシピの玉葱、ピーマンにシーフードが適度に加わって風味を添えており、麺の茹で具合も抜き差しならぬ絶妙さでケチャップ味もバランスがとれている。供される熱々具合も文句なしだ。先日は初めてナポリタン以外のカキフライを頼んだが、大ぶりのが4つとライス。あとはポテトサラダとキャベツだけでソースとマヨネーズが同量入った小皿が来る。実に簡素だが、いちいちが心憎い。「これが食たいんだろ?だったらこれだけ食いねえ」と挑まれてる感じがする。中の牡蠣の熱さが見事ですべて計算されている。ただ者でない。白人のきれいなお姉さんが流暢な日本語でサーブしてくれるのも一興。いつもこの人何かなとわけがわからないが、話しかけてみようかなと思うと英語は無粋だなやめとこうという気になるこの空間はやっぱり異界なのである。

たかが昼飯でこれだけ喜ばせてくれる。住んでもいい所なのはまちがいない。

 

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安藤百福さんと特許

2018 OCT 13 12:12:31 pm by 東 賢太郎

インスタントラーメンを発明した安藤百福さんがドラマになったらしい。テレビは見ないからそっちは知らないが、こういうのが縁なのだろう、たまたまやっていた番組が彼の特集をしていて、食い入るように見いってしまった。

野村で大阪に赴任してすぐ、大営業マンとして著名な先輩の武勇伝を聞かされた。日清食品の社長室に押し入って?初対面の安藤さんに株を買ってもらった話だ。愉快、痛快。先輩もさることながら安藤さんは大物だと思った。

それが頭にあったのだろう、同じことをやってみたら名門企業のU社長がやっぱり株を買ってくれた。今になってみるとこんなことを二十歳そこそこの小僧にさせてしまう野村證券も凄いが社長も後に関西経団連のトップになった大物であられた。野村も社長も、これが大阪でなくて何だろう。やっぱり僕を育てて筋金を入れてくれたのはオモロい大阪なのだ。

日本統治時代の台湾出身で大阪人であった安藤百福さんは日清食品(株)創業者だが、傑出した発明家でもあった。失敗と困窮と苦難の末に製法を考案したインスタントラーメンが大当たりしたは良かったが、劣悪な模倣品がどっと市場に出てしまう。どこでもある話だ。そこで発明家は創業者利益を侵害されぬよう、特許という盾によって侵略者と戦うのである。

画期的な発明ほど魅力的であって、模倣品との戦いが熾烈になるのは道理だ。ナンチャッテだけで生きる人たちの総攻撃にあう。せっかく美味しいと認められつつあったチキンラーメンが劣悪品の風評被害で大ピンチになってしまった。番組がそこまで来たとき、僕は青色LEDの中村修二先生の発明特許が900もあるのを思い出していた。そういうものなのである。

ではそこで安藤社長は何をしたか?

「特許を開放してしまえ」と命令したのだ。これには驚いた。日本ラーメン工業協会を設立して製法特許権を譲ってしまう。経営の常識として全役員が反対したのは当然だがそれを押し切った。叩くのでなくやらせてしまえ、我が事になれば皆が品質や安全にも気を配るようになる、「野中の一本杉になってそびえるより、豊かな森にした方が実りが多い」。

これは凄い。涙が出てきて声にならず、いっしょにいた家内は驚いたろうがこの衝撃は文字にならない。このトシでよもや経営話ごときでガツンと後ろから殴られたようなショックを受けるなんて、自分に何が起きたんだろう?むしろそっちに驚いた。まだよくわかっていないが、想像で書いてみるしかない。

まず彼が規格外の人物ということだ。創業者、発明家は相応の苦労をしている。だからタダ乗りを締め出して利益を独占したくなってもそれは当然のご褒美であって、寛大でない、セコいとは言われない。これは世界の常識である。苦労なく幸福をばらまくことのできるのは神だけであり、人間は神でないことを知っているからだ。それを放棄することは、理由は何であれ、幾分かの他利の精神がなくてはできないことで、そうそう常人の及ぶものではない。

特許で囲えるという法律があるなら、囲わなければ模倣は合法だから許されるという妙な理屈が出てくる。だからこそ囲わざるを得ない。日清食品がいくら特許侵害訴訟を起こした事例があろうが必然以外の何物でもない。創業、発明はゼロから有を生む。止まっている物を動かすには静止摩擦を上回る巨大な力が必要なのが物理法則であって、それが創意とリスクテークの度量という一種の才能、才覚である。凡人にもできる物まねの「ゾロ品」を生む権利などで潰しては国益にまでかかわる大事なのである。

しかし、それだけだったら偉い人だねとは思っても涙までは出ない。そこで次に思うのはスイスにいたころの麻薬常習者の話だ。安藤さんのジャッジはそれに似ているのではないかと直感的に思ったのだ。事はこういうことだ。1995年ごろ、チューリヒ駅近くの公園で若者による注射の射ち回しが議会を巻き込んだ大問題となったが、そこで市は希望者に注射針を無料で配るというやはり想定外の手に出たのである。

背景には麻薬常習者の増加に加えてさらに喫緊の問題があった。注射針を介して当時流行っていたエイズが拡散することを恐れたのだ。取り締まれば奴らは地下に潜るだろう。するとエイズも地下に潜る。見えぬ病原体相手にはそのほうが市民生活には危険が及ぶと思ったのである。これは寛大でも他利でもない、国家は市民である君らに介入はしない、楽しみを奪ったりもしない、だから、俺たちを巻き込まずに好きに死んでくれという冷徹な政策だ。

商人でもあった安藤さんがどちらだったかはわからない。しかしどっちにしても涙は出そうにない。どうやらもっとずっと僕の個人的なことで、きっといま頭を占めているいろんなことで、チキンラーメン特許開放!は響いたに違いない。

証券屋というのは30年もやればいろんな経営者を見てくる。皆さんいろんな経営手法でいろんな英断をされている。しかし証券屋はそこで「社長、流石ですね」と持ち上げて商売をもらうのだ。何がどう流石かなどはぜんぜん二の次で。特許開放!いよっ、流石は大社長、ご英断ですなあ。

こういう馬鹿丸出しの太鼓持ちが反吐が出るほど嫌いで、長年の仕事柄そんなことをやる風に染まってしまっていた自分まで軽蔑していた。安藤氏の英断はまず僕を素朴に驚かせ、僕はそれに驚いた自分にはっと驚き、そうか、ついにあの馬鹿らしい世界から脱却できていたんだと気がついた。それだったんじゃないか?

返す返すも社長室に押しかけて安藤百福さんにお会いしなかったことが残念だ。

 

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オモロい人たち

2018 OCT 11 6:06:10 am by 東 賢太郎

大阪で仕事したころ、「あんたオモロいやっちゃ」といわれてそうかなあとけっこう戸惑った。これが「面白い人」ではないと知るにはしばらくかかる。それは関西弁でしか表せないニュアンスだからで、東京にはそういう表現がない。

面白いはfunnyである東京人はそういわれるのは面白くないが関西でオモロいはinterestingであって悪い意味とは限らない。東京ではしかしそれを訳すと「あなたは興味深い人ですね」みたいになって、これはこれで上から目線の感じで余計なお世話だとなるからややこしい。英国でWhat you said is interesting.なら言えるがYou are interesting.は失礼感があるように思え、言ったことも言われたこともない(アメリカは知らない、トランプは言いそうだ)。

つまり、You are interesting.を好意、親愛の表現で言ってしまう関西は特別な場所かもしれない。土足で踏み込む感はあるが人のぬくもりもある。いや、それをぬくもりと思うのが関西だと東京人の僕は思った。

しかし最近、東京にだって昔からオモロい人はたくさんいるのだけれども、その人たちをオモロい人と思う人があんまりいないだけなのではないかと思うようになった。つまり「オモロい」という概念は受容する側の問題だと。

僕はこの「オモロい」こそが人間の人間たるゆえんであって、ちょっと大げさに言えば人類を進化させる原動力ぐらいに思っている。オモロい人がいくら周囲にいても、彼らを受容するカルチャーがなければ宝の持ち腐れになってしまう。

中学に丸山鉄男というオモロい奴がいた。こいつのオモロさを凌駕する人間はいまだに現れていない。図抜けて天才の域にあり授業中に隣りで悪ふざけして笑いをこらえるのに死ぬほど苦労した。早稲田高等学院に入ったが馬鹿なことに大学でサーフィンであの世に行った。でもあれ僕の中で生きているからいい。

オモロい」は東京にいると、どうも錆びついて見えなくなってくる気がする。大阪やアメリカや香港にいたときは僕の「オモロいセンサー」はもっと感度が良かった。そう思いだしたので最近はつとめて知らない世界の人と会って話している、というか、話し込んでいる。思ったらすぐに何か手を打たないと鈍る一方で僕にはあらゆる意味でよくないからだ。

ネクサスの動画に出演してくれた90人の若者たちは宝庫だ。彼らはみんな熱中型人間で飯食うのも忘れて何かに没頭するタイプだ。それでその世界で凄いと言われハングリー精神に満ち満ちている。こういう人は強い「気」を発してる。動画でそのシャワーを日々浴びていると僕は元気をもらえる。

だがもらうだけじゃあいけない、発見がしたい。例えばそのひとりのサムライの島口氏は海外でひっぱりだこである。欧州ツアーで飛び回って帰国したから報告したいとほんの少しの時間なのにわざわざ来てくれる。そこまでウケるには、まだ僕の気づいてない才能がこの人にはある。あるはずだ。そう思ってそれを知りたくて興味津々だ。

会社を2つ作って50億円もってる38才にもきのうお会いした。初対面でありオモロそうだと聞きつけて来てくださったようだが、こっちは商売より彼のオモロさがどこにあるのかが大事だ。それがなければそんなカネが作れるはずがないからだ。

深く井戸を掘りました。頭悪いんであれこれできなかったんで」

「いや50億作った人が頭いいのが資本主義だよ」

そんなことを2時間話し込んで、ビジネスについてはよくわからなかったがオモロい人だった。株の話はほとんどせず、ゴルフのベスグロ75で同じだね、でもジョン・レノンの最高傑作はアイアム・ザ・ウォルラスじゃねえかなというところで意見が合致して終わった。

元ロッテのサブローこと大村三郎氏にはときどき最近のプロ野球界のもろもろを教えてもらう。彼は巨人もいたしオモロい。なーるほど、人間だからどこも一緒だよな。そういうの勉強したいって、じゃあ司馬遷の史記だねオモロいよ。彼は即決のスナイパーだ、すぐ読了するだろう。

たしかPWCのレポートに、2030年にAI革命が進んでいて、世界で最も危ない国は日本であり、62%の人が職を失うとあった。ブルーワーカーだけではない、銀行員や公認会計士もだ。でも人を感動させる職業は残るとある。要は「オモロいやっちゃ」になればいい、そういうことなんじゃないか?

 

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ラヴェル 歌曲集「シェへラザード」

2018 OCT 10 1:01:27 am by 東 賢太郎

料理と音楽ということでいえば、上質のフレンチをいただきながら何を聴けばいいだろう?皆さんそれぞれのお好みがありましょうが、僕の場合、譲れないのはフランス歌曲であってけっしてモーツァルトではありません。

前回書いたように、「食は文化や歴史を味わっている」と思っているのでフランスもの以外あり得ません。それも料理なりに洗練されたものが欲しい、となると畢竟ドビッシー、ラヴェル、フォーレ、プーランク、ダンディ、サティあたりに落ち着きます。

ラヴェルの「シェへラザード」は2つあります。「おとぎ話への序曲《シェヘラザード》(Shéhérazade : Ouverture de Féérie)」(1898)と管弦楽伴奏歌曲集(1904)です。両者は全く別の作品です。前者はラヴェルが同名のオペラを企画してその序曲として書かれましたが成功せず1975年まで出版されませんでした。

ロシア好きのラヴェルはR・コルサコフの同名曲を評価していたそうです。それを弾くのが僕にとっては格好のフラスト解消で、ラヴェルもこのピアノ譜に快感を覚えていたに違いないと思うだけでも仕事の憂さが晴れます。その末裔である歌曲集も等しく愛するに至っているのは必然の理で、音楽は何ら似ておりませんがフランス人の「アジア」のコンセプトは中東、西アジアであり、リムスキーの精神において彼なりに思いっきりエキゾティックな音を書いているのがこれまた快感です。

曲は3部からなります。

第1曲「アジア」 Asie(変ホ短調)

第2曲「魔法の笛」 La Flûte enchantée (ロ短調)

第3曲「つれない人」 L’Indifférent  (ホ長調)

僕はこの曲の歌手にはこだわりがあります。英国人のマギー・テイト(Maggie Teyte、April 1888 – 1976)が絶品であり、ここから抜け出せません。この人はドビッシーが2番目のメリザンドに起用したソプラノで、「ドビッシーは180センチもあって、現れるや言葉もなくピアノに向かって弾き始めました。演奏については学者みたいに妥協のない堅物の完全主義者でしたが、人間としては官能的な感じでしたわ」なんて証言を残してる。このオペラに心酔している僕としては女神様に匹敵し、彼女の録音はすべて傾聴しています。

ドビッシーが演奏について完全主義者だったというのは、そりゃそうでしょということです。そうでなくしてあんな和声と管弦楽が書けるはずがない。ほわっとした印象派のイメージを持たれていますが、それはそういう風に聞こえる和声と旋法のシステムの発明によるのであって、自身語っているように化学者のごとき距離を置いた眼を強く感じます。そこにマギーが見抜いた官能性が纏わりつきますが、これはまったくもって男性の官能ですね、女性的なものはかけらもありません。

メリザンドが残っていないのは惜しいとしか言いようがありません。しかしドビッシーが欲していたのがマギーだったのはうれしい。完全主義者が音程の悪いソプラノ使うことは絶対にあり得ませんからこれもよくわかる。それでいてかわいいけど色っぽい。僕は昔から彼女の声にぞっこんで、それはエキゾティズムが命であるシェへラザードにまことにはまっているのです。第1曲「アジア」です。

これがもう少し良い録音だったらというのはないものねだりですが、その渇望を満たしてくれる一人だけ気に入っているソプラノがいます。米国生まれのアーリーン・オジェー(Arleen Auger、1939 – 1993)であります。もし僕がペレアスの指揮者かプロデューサーをできるならメリザンドはオジェーで決まりですね、さぞ素敵な歌になったろうなあと想像します。

これが彼女のシェヘラザードです。マギー・テイトの雰囲気をたたえているのをお聴きのがしなく。

もしもこれが好きになれないとすると、むんむんする人いきれや熱気がなく清楚にすぎると聞く場合でしょう。たしかにオジェーにそれはあまり感じませんが、伴奏のエルネスト・ブール指揮南西ドイツ放送交響楽団ともども徹底して静的なアプローチなのです。これはオペラではなく、歌はフランス語のディクションと一体化して楽器のひとつとして造形されています。つまり、オペラではあるがそう書かれていて過度に劇的ではないペレアスの延長にあって、醸し出す雰囲気に至るまでが完全主義的に計算されたという点でピエロ・リュネールに繋がる系譜の作品だというのが僕の解釈です。だから雰囲気さえ出ていればよしと細かいフレーズを弾き飛ばたり、高潮し過ぎてフォルテで声を張り上げたりすべきではないと思うのです(そういう演奏が散見されますが)。

ご参考までに、第2曲「魔法の笛」の冒頭のピアノ譜をお示しします。

ここの胸を絞めつけるように悲しげな和声とギリシャを連想させる古雅な節を吹く笛の音を聴かれて何か思い出しませんか?

これです、ダフニスとクロエの「夜明け」(第26小節)でピッコロが吹くこの非常に印象的な節。両者はBm⇒Amの和声連結が全く同じ。古代ギリシャ・フリギア旋法(全音階フリギア)の音列そのものである点も全く同じです。

どうしてここが「ギリシャっぽく」聴こえるのか長年にわたって不思議でしたが、答えは「全音階フリギアだから」でした。しかしそれが古代ギリシャ旋法のひとつであることは後に書物で知ったことなのです。ギリシャの音楽を聞いた記憶はないし、さらにわからなくなりました・・・。

ラヴェルがギリシャっぽいと感じたかどうかはともかく異国風情を計算の上で「魔法の笛」にあてがった。眠りについた王の傍らでシェヘラザードは窓の外で恋人が吹くフルートを聴いています。楽の音はときに悲しげに、ときに楽しげに舞ってきて、彼女の頬に魔法のようにキスするのです。

この部分に限らず、シェヘラザード(1903)はダフニスとクロエ(1909-12)の下絵の性格を持っていると考えられ、後者がア・カペラ付きの管弦楽に落ち着いたことに照らして考えるならオペラ風に解釈するのは賛同できません。まだいくつか好きな演奏がありますが、逐次追加いたします。

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クラシック音楽と広東料理

2018 OCT 8 3:03:13 am by 東 賢太郎

あらゆる芸術において、万人に等しく感動を与える作品というのは存在しないでしょう。あるという誤解は、学校において美術や音楽の授業でそう思い込まされるから拡散しているだけであって、セザンヌやロートレックを観て何の感興も覚えない人はいるだろうし、僕自身がヴェルディやマーラーをもう一生聴けないがいいかと問われてもそうためらいもなくYesといえそうなこともあります。芸術作品は作者と鑑賞者の相性において存在価値が相対的に決まっているものだと思われ、教科書に載っていて幾百万人が名作とほめたたえていようと、自分が最大公約数の一部になる必要など何らない、そういう自由な感性の持ち主のためだけに実は存在していると言っていいほどだと考えます。

料理というものも、他人に食べさせようと誰かが食材を加工して作った場合はすべてがそうですが、一膳の茶漬けであっても調理する人の作品であります。だからそれをいただく側にとって、芸術においてと同じぐらい作者と感性が合うことが大切になるというのが私見であります。万人にとって美味しい料理というのは、極度の空腹状態で食欲を満たすことのみに目的がある場面を除けば存在せず、料理する側の舌の本能やセンスや美意識に共感し、塩っぱい、酸っぱいのような非常にベーシックな部分のいちいちが納得のいかない場合は美味しいと感じることは難しく、作者の美味の定義に賛同できるか否かを自問することがそれをいただくということの実体です。

僕は香港に2年半住んで、仕事がら中国主要都市をくまなく訪問しいろいろな中華料理を食してみました。この経験から僕の「食」に対する考え方は根底から覆えり、医食同源に加えて民食同源(食は土地の人柄をあらわす)という確信に至ることとなりました。例えば我々日本人は四季おりおりの食材に非常に恵まれた国に住むため「旬」にこだわれば美味は足りるという食の世界に古来より住んでおります。この感覚は世界的には少数派であり、精神構造にこの旬感覚が深く根差しているという日本人の感性は欧米人とも中国人とも異なるものです。

和食というと美味の源泉である「うまみ」の塩梅に料理人の繊細な舌が深く関与はするのですが、旬という自然の恵みは人為の及ばぬ生食でこそ生きるという審美性が共有されているため、和食ほどに生ものや生鮮食品が宮廷の膳にまでなる料理は文明国では珍しいと言えます。どこの誰だか知らぬ人が素手で握った生魚を素手でつまんで食うという、それだけ聞けば野蛮でしかない風習を持った民族がネクタイを締め、白人国ロシアを戦争で倒し、世界有数の高度経済成長国となってしまう不可思議の様を僕は白人国から十余年も俯瞰してきたわけですが、和食とは常時ある豊富な山海の幸、上等な水、清潔さを旨とする精神的風土の産物であって、そのものが文化というべきです。

ということは、我々以外の人類の食べる食事は加工(火が通り)され、洗練度が増すほどソース(調味料)に技巧が凝らされるという共通原理に則って進化してきたと考えて大きくは間違っていないというのが16年にわたる海外生活での発見であります。日本にも醤油という立派なソースがあるではないかと思われましょうが、料亭で繊細に味付けされた料理にそれをかけることはありません。多種多様な調味料が料理の多様性を生むという文化におけるソースと、むしろ多種多様な食材をモノクロに染める醤油とはベクトルが逆なのです。

加工法とソースの発展の行く末に君臨するのがフランス料理と中華料理であることはほぼ衆目の一致するところですが、先日のトゥール・ダルジャンのフル・コースの洗練は100%アプリエートしながらも、私見では中華料理に僅差での軍配をあげるのです。もちろん上述のごとく料理人(シェフ)との相性次第であることは論を待ちませんが。我が家にほど近かった上野毛の吉華が閉店してしまい、ここは親父さんと相性が良かったので残念なのです。フレンチが「誰にとっても美味」な絶対性、ユニバーサルなものを目指す料理であるなら、中華はマンツーマンの美味なる相対性が入り込むユルさがあるのが魅力です。

フレンチと我々が認識しているものはレストランなるパリ起源の特殊環境で味わう食味であって、ああいう著しく手の込んだものを一般家庭のフランス人が日々食べているわけではないのは我々にとっての料亭の懐石料理と同じです。だからC級のフレンチ食堂みたいなものは存在しない。フレンチはフランス革命によって料理ギルドが解体され市民階級に模倣され流布した宮廷料理が起源だからB、C級というものは定義矛盾なのです。その点は貴族の専有物だったがやはり市民革命によって民間の娯楽になっていった音楽が、パブやキャバレーのBGMにはならずクラシック音楽と呼ばれるジャンルになったのと似ています。

しかし中華はそうではなく、宮廷料理から農民食のB、C級まであったものが長い年月をかけて混合し選別、洗練されていったものです。地方ごとに言語、文化が異なるように食も各様でありますが、やはりそこには都鄙があって、私見では本流は「食在広州(食は広州にあり)」の広東料理(南菜)です。広州の街中の市場ではまさに四つ足は椅子以外は何でも食材で売られており猫までいたのはショックでした。だからC級の食堂では何を食っているのか知れぬ不気味さに満ち、宮廷のある北京でなく帝都に程遠かった地で食欲を満たすにとどまらず際限ない美味の探求が行われたという民衆のエネルギーの凄まじさが底流にある。その頂点にある広東料理なるものの奥深さは探求に足ると知れてくるのです。

僕にとってホンモノの広東料理を東京で味わうのは諦めに似たところがあります。食べたければ香港に行くしかなく、飲茶でもそのクラスの腸粉、襦米鶏、鼓汁蒸排骨がない、海鮮定番の白灼蝦(ゆでエビ)がないなどの渇望は仕方ありませんが、値段を気にしなければ「横浜聘珍樓」、都心ならウエスティン恵比寿の「龍天門」というところが気に入ってます。昨日は家族で龍天門でしたが「きぬがさ茸 干し貝柱 えのき茸入りスープ 」が絶品、「スジアラの強火蒸し 特製醬油」(香港でガルーパ)も本家のクオリティでした。

素晴らしかったのは「皮付き豚皮付きバラ煮込み」です。肉の美味と食感がまず絶妙であるのは良しとして、甘いソースのわきにひっそりとマッシュト・ポテト(と思われる)が添えてある(写真は違う)。これが口に広がる、それ自体はどうというものでもない風味のコンビネーションが予想外であって、うまい言葉が見つかりませんが、豚肉・ソースとは全く異質異次元の素材が完璧に一体化したアンサンブルとでも書くしかありません。

これを口にした瞬間に脳裏に浮かんだのがドビッシーのオーケストレーションです(即座にそう妻子に言ったが誰もわかってない)。「ペレアスとメリザンド」にも「管弦楽のための《映像》」にもある、真に独創的でマジカルな音色というもの、楽器の合成でいうなら例えば、交響詩「海」の第1楽章のコーダに入る直前の旋律を奏でるチェロ独奏とイングリッシュホルンのユニゾン(!)という恐るべき着想。あれですねこれは。このシェフはいいと感じる瞬間なのです。こういうことは中華と呼ばれるジャンルにおいては広東料理のみで起こると言って過言ではない。だから「奥深さは探求に足る」と書くものであります。

ただ、だからといって広東料理が中華を代表するわけでもなくそこは好き好きで、僕は四川も貴州も上海も大好きなのだからややこしい。唯一比肩するのがフランス(宮廷)料理になる点においてその他中華とは別物となるのが広東だということです。広東と音楽はそういう次元で明確に通じているように思いますし、ではどうして広東がそうなったのかというとそこは料理家にうかがってみたいことでよくわかりません。

そんな面倒なことを考えて飯を食ってるなんて変な奴だと思われてしまいそうですが、一膳の茶漬けのほうが美味と思うこともあるし広東、フレンチを無性に欲することもある。すべては好奇心です。中華、フレンチはもちろんカレー、コーヒー、塩、砂糖、香辛料の歴史本を読み、知るとまた食べたくなって、どうしてこんなに美味しいのかとまた歴史を読む。項羽、劉邦、ナポレオンがこれを食っていたかもしれないと思うとまた食べたくなる。際限なく入ってしまい、そういえばクラシック音楽もそうやって深みにはまったのだと思い出すのです。

 

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大きな吉報と顧問のご就任

2018 OCT 7 1:01:11 am by 東 賢太郎

昨日は大きな吉報があり心底安堵いたしました。我が身を切るような苦難でしたが、切り抜けられたことは天が味方したと思います。2月からいろいろあって順風とは遠い8か月を僕も送りましたが、人生はこういうものと淡々とやって結果的にはさらに体力がついたと自負します。

某省OB、政治家であられるT先輩がちょうどご来社中のおりに飛び込んだニュースで、しばしどたばたしてしまいました。先輩は10月1日付で正式に顧問にご就任くださることとなり夜は赤坂で社員一同による歓迎会でしたが、おりからの吉報の祝杯もご一緒にあげていただいたという最高の一日となりました。

この8か月は想定外の危機対応期になってしまいましたが、新オフィス移転、新人の加入という種もまいており、マイナスが消えた今はプラスだけが残りました。わかりにくい仕事なのですが、新人はすでに立派に戦力化しております。後々にはそんな時期でかえって良かったねということになるでしょう。

もう一人11月に入り20代、30代の正社員が4人となります。箸の上げ下げまでは言いませんが、僕のお願いすることを僕の目線でやっていってもらえれば必ず育ちます。それは僕の責任と愛情で必ずそうします。ただし世間的には大変なので心身ともに耐えられると思う人に来てもらっています。

先輩には自由に経営にご参画いただくつもりです。まったく不案内であられたはずの株式運用に関するご説明と質疑応答を経て、大学教授に僭越ではありますがご思考の回路が同質的で弊職にはストレスフリーということがわかりました。些末な知識はかような方には今後どうにでもなるので当面不要ということです。

経営レベルでは加えてソナーにおいて経験、実績、年齢とも弊職より上の方の招聘を企図しており、年末の株主総会に諮ることを決めました。実働は来年になりますが実現すればそれで組閣終了、弊社にとって大きな飛躍期になることは間違いありません。

 

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ブラームス ピアノ三重奏曲第1番 ロ長調作品8

2018 OCT 3 0:00:33 am by 東 賢太郎

シューベルトが若書きの第5交響曲で見せた早熟の才について書きましたが、それを天才と言ってしまってはどうも思考停止で居心地が悪い。僕のイメージは「凄まじいインプット能力」です。モーツァルト然り、メンデルスゾーン、ビゼー然り。そういう異能者は現に東大やウォートンで見ました。彼らは我々凡人が太刀打ちできる域にありません。

5才でピアノが自由に操れるなら作曲ができるかどうかは僕には分かりませんが、楽器を弾く身体能力だけで交響曲が書けるとは思えません。大人っぽい言葉を驚くほどしゃべる子はいますが、その子に小説が書けるかというと別でしょう。それをするには言葉だけでなく人間や人生の機微に関わるまでの膨大な情報のインプットが必要であって、常人離れしたメモリー容量が必要です。これは音楽の特訓で育つわけではありません。

つまり僕ら大人が19才のシューベルトの5番に心を動かされるのは、彼がサリエリ先生の特訓で得た音楽力以前に持って生まれた資質として、ティーンエイジの短期間に先人の(同曲の場合はモーツァルトの)楽曲を覚えてしまう能力、つまりクジラが幾千の小魚を丸呑みしてしまうほどの強大な記憶力の持ち主であったという前提ぬきには理解し難いという結論に至るのです。モーツァルトはバチカンでの有名な逸話がありますが、シューベルトに逸話はなくとも作品は雄弁にそれを物語ると思います。

ではブラームスはどうでしょうか。彼は早熟の天才ではなく晩成の苦労人みたいにいわれるのが常で、青年期は貧困でバーでピアノを弾いていた、第1交響曲を書くのに20何年かかったという例がいつも引き合いに出されます。歴史というのは書く人がどう書きたいかでどうにもなるもので、あの人生の枯淡が滲み出た第4交響曲は幼少でコンチェルトをさらさら書いたような人間の行く末ではないだろうとは僕も思いたい。ブラームスは天才ではなく刻苦勉励型の秀才だったのだろうと。

しかし我々の前には、彼が20才で書いたピアノ三重奏曲第1番がある。歴史はどうあって欲しいかではなく、物証主義で書かれるべきです。僕はこのロ長調のピアノが流れ出した途端に「あっ、ブラームスだ」という喜びに包まれてしまう。そんな情緒的でプライベートな感情をいきなり書いたとしても、なるほどと共感して下さる方は多いのでは?それほどこの主題は(こんな言葉が許されるならば)「ブラームス的」であって、彼の音楽を聞いたことがない人に「ブラームスってどんな感じですか」と尋ねられたなら、僕はまずこの主題を聴かせるでしょう。彼は、20才のモーツァルトがもう十分に「モーツァルト的」だったのと同じほど、そういう存在だったと思います。

同じ若年の作品ですが、こんな音楽がシューベルトの5番よりも大人を説得できないと思う人はいるのでしょうか?オブリガート的に入って主役に座るチェロが高揚してゆく場面の和声展開のすばらしさ!何度聴いても魂を吸い寄せられ、彼がチェロ協奏曲を書かなかった渇望をしばし満たしてくれます。そこにヴァイオリンが加わって主旋律を歌うともうオーケストラだ。

このメロディーはソドーレミソーファーミーレドレーとド~ソの5音だけで出来た素朴な、童謡みたいにシンプルな音列でしかありません。しかし、なんとなく似ている第九の「歓喜の歌」も実はそうなのであって、ドレファミのジュピター音型まで入っている(太字)のを、意図的かどうかはともかく、僕は唯ひとつ一度だけ出てくるファーのところではっきりと感じます。先人たちの遺産、伝統に心地良く寄り添った名旋律と書いてあまり異論は出ないでしょう。まずその部分だけのビデオをご賞味ください。

いかがでしょう?この音楽がいかに魅力的か!全曲聴きたくなりませんか?覚えてしまえば一生の楽しみになること間違いありません。

以下、このトリオについて少々のコメントをします。

第2楽章の主題は敬愛した先人シューベルト5番の第3楽章、そして一番身近な先人であるシューマンの第1交響曲「春」のスケルツォを僕は連想します。モーツァルトk.550のメヌエット、k.421の終楽章もきこえる。第3楽章の霧の中のような雰囲気はハンマークラヴィールソナタの緩徐楽章を想起させないでしょうか。この楽章からブラームスは第4交響曲の冒頭主題を引いており(誰も主張してないが僕は確信がある)、彼は若年からそれに多大の関心を寄せていたのではないでしょうか。というのは当時このソナタを弾けたのはフランツ・リストとクララ・シューマンだけと言われており、クララの演奏を聴いたはずのブラームスが無関心でいられたことは考え難いからです。そして終楽章は、前楽章の霧を受け継いでクロマティックで減七が支配し和声感がやや希薄になる嵐のような世界を提示したまま異例の同主調(ロ短調)で終結させますが、これも20年前に書かれていたメンデルスゾーンのイタリア交響曲を前例とします。

いま我々が通常耳にするのは晩年の改訂版(1889)ですがオリジナル版(1853-4)も聴くことができます。というのはブラームスとしては小品を除いて例のない新旧バージョンとも出版された事例だからで、オリジナルを廃棄しなかったのは愛着があったからなのか出版社との事情なのかは知りませんが、少なくとも彼は20才の作を残すことを認めたまま、それを素材として老境の知見を盛り込もうという衝動を抱いたわけです。いや、ひょっとすると上掲楽譜の冒頭主題があまりに素晴らしく、それを素材に楽章ごと別な作品を書きたくなったかもしれない。さほどに第1楽章の展開部、再現部のフーガなど両者はまったく別の音楽でありますから、僕は1889年版は第4番と思っています。

大きな改訂部分はというと、まず第1,4楽章のおよそ4割を捨てて第2主題を完全な別物に置き換え、第3楽章は中間部のアレグロを捨てておよそ3分の2になったことですが、本稿の趣意から注目すべきは第1楽章ではフーガを捨て、第4楽章ではベートーベン、シューベルトの歌曲の引用を消したことです。20才の時点ではそれらは偉大な先人を継いでいるぞという意味があったのです。しかし、第4交響曲を書き終え、あの主題回帰が強いインパクトを与える回顧的な情緒に満ち満ちたクラリネット五重奏を書いていた58才のブラームスにとって、それらはもはや音楽的なコンテクストでは不要だったのでしょう。

人間は老境に至れば何がしかの進歩をするのものだと言いたいのではありません。彼がオリジナルも完成品として認知して残したというのは、バッハからシューマンまで先人の遺産がぎっしり詰まっている姿をそのまま自己の軌跡を回顧して慈しみ、しかもそこにはまぎれもない現在の自分も見え隠れしているではないかという満足感があったからではないかと考えるのです。明らかなことは、20歳時点で彼は先人の成果を消化吸収しており、丸呑み能力においてブラームスはシューベルトに劣らぬ早熟の天才だったろうという結論になりそうです。

以上、資料がないことですからどうしたって想像ゲームの域は出ないのでありますが、こうしながら僕は歴史学者が遺跡を発掘して邪馬台国の場所を推理するような歴史ロマンを楽しんでいるということになりましょうか。酔狂な事ですがたまに面白いと言ってくださる方もいるので救われます。音楽(楽譜)が遺跡に当たるので言葉のハンディはありません、音楽さえたくさん頭に入っていれば誰でもアームチェアでできる冒険でもあります。遊びにすぎませんが、僕にとって大事なのはそうやってできたブラームス像という自分なりの座標軸をもって彼の作品を味わえることでしょうか。

 

最後に録音を挙げておきます。

ジュリアス・カッチェン(pf)/ ヨゼフ・スーク(vn)/ ヤーノシュ・シュタルケル(vc)

1889年版です。ブラームス弾きとして名をはせたカッチェン最晩年の録音。冒頭の滋味あふれるシュタルケルとの合奏!技術的に綻びが皆無ではないものの何という大人の風格だろう。ニュアンスとテンポ、ふくよかで暖色系の音色でこれ以上のピアノを知りません。スークはやや控えめで趣味の問題ですが僕はこの曲の場合Vcがリードするのが好みでこの貞淑さはむしろ高く評価します。第3楽章の深みも申し分なく両端楽章の高揚感はいささかも欠けるものなし。永く聴き継がれる名演奏でしょう。

 

エマニュエル・アックス(pf)/ レオニダス・カヴァコス(vn)/ ヨーヨー・マ(vc)

本文中に掲げた録音です。これも宜しいですね。名手3人がショーマンシップは捨てて内省的なものを表現しようという誠実な合奏で、ブラームスに誠にふさわしい響きを紡いでいく様には無上の喜びを感じます。いつまでも聴いていたい。アックスのブラームスは知られていないがいいのです。カヴァコスもマも実演を何度か聴きましたが本物の音楽家ですね。今更ながら、何ていい音楽なんだろう!

 

マーク・アンドレ・アムラン(pf)/ ヨッシャ・ベル(vn)/ スティーブン・イッサーリス(vc)

youtubeで聴きました。表記がないがこれがオリジナル版であります。1889年版といかに違うか聴き比べてください。ライブですが演奏の質は高くアムランのうまさが冴えてます。

 

ユージン・イストミン(pf)/ アイザック・スターン(vn)/ レナード・ローズ(vc)

超大物3人のトリオ。すいません、こんな重量級の曲でないでしょが第一印象。スターン様のあんまり音程が良くない出過ぎも好かないのですが、しかし、この横綱の弦二人の張り合いだとイストミンのピアノが従者に回り、ドッペル・コンチェルトに聞こえてくるというのが新発見でした。室内楽って面白いですね。

クラシック徒然草-ブラームスを聴こう-

 

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杉内と浅尾の引退に涙

2018 OCT 1 1:01:04 am by 東 賢太郎

カープ戦を二つ観ました。これでドームは今年はおしまいです。巨人はCSがかかっており、優勝を決めているカープも執念は変わらずいい戦いでした。この時期になるとベテランの引退発表が相次いで寂しいものですが、一昨日に村田の引退セレモニーがありましたが今日は杉内でした。長野がこの両試合でサヨナラ打で、彼は持ってますね。

お別れをする杉内投手。障害のあるお姉さまの話、泣きました。

杉内の投げる姿を球場で観たのは一度だけで、それは2015年4月。思い出深いのは亡くなった中村順一氏と二人だったからです。彼が声をかけてくれたおかげで僕は杉内と黒田の姿を目に焼き付けることができ、どちらもそれが最初で最後となりました。素晴らしいストレート!140出てないのにど真ん中で空振りがとれるなんて!今日、プロ野球ニュースで真中氏が「打席で見ましたが特異な直球でしたね」と。あれが投げられる人はいなくなりました。悔しい3年だったと思いますが東京ドームのファンはみんな覚えてました。野茂に次ぐ三振奪取率は凄すぎだ。NO-NOは甲子園と巨人で2度。そりゃあのストレートは打てないわ。球史に残る、僕の中では史上最高のサウスポーです。

このブログです。

巨人・中日を観戦(マツダは見なくてよかった)

中村は本当に無邪気なほど好奇心が旺盛で(野球に限らずでしたが)あんな男はそうはいない。僕もそうであり、だから気が合ったんです。たてつづけにあれこれ細かな質問をしてきてずっと二人でしゃべってました。すると「どうして杉内はあんなにスピードガンで遅いのに中日は打てないんだ?」という、まさしく核心を突いた質問が来て僕は「中村、いいこと言うなあ、すごいことに気がついたなあ」とうれしくなり、きっと1時間?もあれこれ技術的なことを説明した。彼は野球経験はないが、言ったことをよく理解した、そりゃ頭ばつぐんにいいですからね。そしてまた次々と質問がきてそれで1時間。実に充実した時間でした。そして、そのやりとりがこのブログを生みました。

理系野球と杉内ボール

ここに書いた文章ですが、これも質問でした。

昨日ドームで試合を見ながら中村兄から「中日のクローザー、誰だっけ」という質問があり、はたと考えました。もう岩瀬でも浅尾でもなさそうだ。

その岩瀬も浅尾も引退ですね。記録的には岩瀬が上だが、僕にとってはるかに鮮烈な印象を残したのは浅尾の方だ。浅尾についてはここに少しだけ書いてます。

神宮球場ブルペン前最前列にて

すごいピッチャー。体は細いけどストレートとフォークだけで誰も打てなかった王道の投手です。杉内とは違うけど彼のストレートは好きで、カープが三振取られまくったけど痺れてました。それが、150台出ていたのが135になっちゃった。投げ方も痛々しい。まだ33才だけど、きっともう気持ちがしかたないんだろう。美学ですね、彼の美学は僕はすごくわかる気がします。それがホンモノのピッチャーのものだという信念をここに記して、浅尾の栄誉をたたえたいと思います。

杉内さん、浅尾さん、ありがとう、お疲れさまでした。

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