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ランドフスカのモーツァルトは絶品

2026 FEB 13 7:07:15 am by 東 賢太郎

僕がピアノに触り出したのは高1ぐらいだが、ハノンだけやってツェル二ーはすっ飛ばして初めて弾けるようになった曲がJ.S.バッハのインヴェンション第1番ハ長調だ。いきなりバッハとはなんと高邁な入り方だったかと思うが、硬式野球部にいながらそんなことをやっていたのだから我ながら相当変な奴だった。誰かに習ったわけではなくレコードは持ってなかったし譜面から起こしてやったわけだが、どういう風に鳴ればいいのかを知ったのはポーランド生まれのワンダ・ランドフスカ(1879 – 1959)の演奏だった。後にヤマハのクラビノーバをチェンバロ音にして弾くと感じが出て結構ハマった。

ランドフスカとトルストイ

チェンバロによるバッハといえばもう1人、チェコ人のズザナ・ルージイチコヴァ(1927- 2017)をあげなくてはいけない。彼女の平均律第1巻は好きだが、愛好曲のイタリア協奏曲はテンポの揺れが今ひとつ性に合わない。これは好みの問題だから是も非もないが、テンポやアゴーギクやフレージングにおいてしっくりくるのはランドフスカなのだ。バッハの譜面にそんなものは書いてないから良いと思うかどうかは演奏家とのフィーリングの相性しかない。ルージイチコヴァは風貌からして学者然とした感じだが、ランドフスカはビデオのインタビューを見ると音楽に夢みる乙女がおばあちゃんになったみたいな感じで話すと面白そうだ、僕はこういう人は好きな方である。

ランドフスカがピアノで弾いたモーツァルトに衝撃を受けたのはいつだったろう?レコード棚を探しても持っていないようだし、曲も忘れてしまったけれど、とにかくどこかで耳にしたのだ。ユーチューブをサーフィンしてみるとピアノソナタ第9番ニ長調K.311に行き当たった。1938年パリでの録音で、おりから第2次大戦が始まりナチスのパリ侵攻でユダヤ系の音楽家の録音は廃棄されたためか、第2、第3楽章が欠損している。幸い第1楽章は生き残ったが、これがため息がでるほど素晴らしいのだ。

ピアニストの方、誰に伺ってもモーツァルトは難しいという。怖いから弾きたくないという人もいるらしい。聴く側からしても、技術的なミスは歓迎しない。ベートーベンはミスタッチがあっても気にならないのになぜなんだろう。もうひとつ、僕の場合は、パッションがないといけない。ありていに言うなら情熱という意味だが、ロマン派ではないのでニュアンスが違う。その作品にとりつかれてしまい、寝ても覚めても耳鳴りみたいにその曲が頭の中で鳴っていますというような状態。ひょっとして僕がロンドンにいた頃にフィリップスに続々とモーツァルトを録音されて高評価を得ていたいた内田光子さんがそんな感じだったかもしれないが、そこまで憑依してモーツァルトに入り込んでしまうような物が僕の言うパッションなのである。とても上手ですね、でもどうしてあなたはこの曲を弾きたかったんですか?というのが響いてこない。完璧な技術で真珠を並べたように美しく弾いているのだが、憑依もなければ頭も冷静で、美しいモーツァルトをミスなくお届けしようという事務作業に腐心しているようにしか聞こえない。だからどうも心に響いてこないという演奏が多いのである。

ランドフスカの第1楽章はドンピシャだ。すぐ後に書くパリ交響曲の出だしみたいにギャランドで人生の期待にわくわく、次々と主題が湧き出してくるのもそっくりだ。軽い打鍵なのにパッションに満ち満ちており、ソプラノ声部の隠し味のように自然なタッチの使い分け、ハープシコードを思わせる見事なレガートとスタッカート、絶妙なフレーズの伸び縮み、こまたの切れ上がったコケティッシュな装飾音符など、極上の愉悦感のオンパレードだ。快適なテンポですいすいと進んで第1テーマから第2テーマに間を開けずテンポもそのまま飛び込み(素晴らしい!)、曲想に合わせて音色とタッチだけで空気を変える瞬間はまるで魔法のよう。展開部でソプラノとアルトの掛け合いはまるでオペラだ。終結はテンポを落としてppでひっそりと消える。生きる喜びにあふれる歌にめくるめく思いの4分半である。

彼女は後にアメリカに移住してコネチカットの住人になり、自宅でK.311を全曲録音しているので愛奏曲だったのだろう。それも貴重な記録ではあるが、熱も技術もピークにはなく残念だ。パリの街にナチスの軍靴が響くなか、ピアノに向かう彼女の胸の中には何かがあったのだ。ハープシコードを弾く彼女のビデオを見ると “くの字” に鋭角に曲がった指使いにぎょっとする。技術的には深い秘密があるのだろうが、それは素人が詮索できることではない。

 

この選挙は日本史上初の市民革命である

2026 FEB 11 0:00:27 am by 東 賢太郎

「もしできなかったらどうやって責任を取るんですか?」と芸能人が高市総理に詰め寄っているユーチューブを見ました。総理が日本に蔓延している「縮み思考」と呼んでるものの正体はまさにこれであります。これと戦うのは大変です。政府部門で言えば緊縮財政のスタンスを堅持する財務省がそれです。言うまでもなく財政収支の均衡は大事です、国の台所だし通貨の価値も依存しています。企業であれば経営安定の指標であり株価も依存しています。だから財務官僚や企業の財務部門が緊縮スタンスなのは仕事として当然であり、国なら政治家が、企業ならボードメンバーがそれと喧々諤々の議論をして予算策定・執行や投資を行い、安全を確保したり成長を生み出したりするのです。僕は海外現地法人の社長を3つやらせていただきましたが、最も苦労したのはそれでした。社長(CEO)がアクセルを踏まなければ車は前に進みませんから赤字です。証券会社の厳しい経営風土の中でそんな社長はすぐクビです。賢明にかつ大胆にアクセルを踏むことを期待して僕を送り込んでいる本社の承認は取れたとしても、現地の財務部門が却下すれば現法の取締役会は通らず、無理して押し切って失敗すれば最悪の事態として当事国の銀行免許剥奪だってあり得ます。だからいつでもブレーキを踏む覚悟でアクセルを踏み込まなくてはいけないのです。ひとりの人間の中でこの両方の気持ちを高いテンションでキープするのはとても大変です。好きな女性といつでも別れるつもりで結婚するようなものだからです。そんなことは知るはずもない冒頭の芸能人は、そのシチュエーションにある高市総理の結婚披露宴で「離婚になったら手切れ金はいくら払うんですか?」と質問しているようなもので、こいつアタマ大丈夫かという話なんです。国民の7割が支持してる人にそんなことを聞けば7割の視聴者に嫌われるわけです。人気商売の彼がそれでもしたということは、そこまでして守りたい政治信条があるのか、テレビ局のディレクターに指示されてるのか、アタマが本当に大丈夫でない、のどれかですね。

資本主義のまともな先進国であれば、国の繁栄のために財政均衡に目配りしながら「拡大思考」ができる人はちゃんといて、ちゃんとリーダーになってるんです。企業でもそうです。それが政治家でありCEOの仕事なのです。ブレーキも踏むわけだから彼らは決してイケイケどんどんタイプじゃありません。必須条件はまず第一に人間としてまともであること、そして勉強家であることです。そうでないとどこの国であれ一流企業の社員はついてきません。そうしたリーダーがいることが “鏡” となってその国や企業が一流であると世界に評価されるのです。 16年海外で仕事をしてきた僕として、高市さんが総理であることはどこの国へ行っても誇れることだ、ビジネスにとってとてもプラスだと心の底から感じます。僕が海外でやっていた仕事は、簡単に言えば、日本の株式や債券という金融商品を現地の金融機関やファンドに売りこむことです。毎日毎日、高市さんが訴えてるように日本は強い、もっと強くなるという説得をくり返していたわけです。だから彼女の演説を聞いていても何の違和感もなく、これぞ日本国が世界に思いっきりアピールすべきことだと確信するのです。日本にそういう強いリーダーがいては困るなどという日本人はいません。永遠に戦争を反省し「縮み思考」で永遠に大人しくしてますなんて国であれば、大国は征服しようかなと野心を持つことはあってもリスペクトして対等に付きあおうなんて思わない。海外で戦った人は誰でも分かりますが、世界はそんなお花畑ではないのです。

昭和の日本はものづくりが成長の基盤でしたから企業は資本も人材も集中し、「大きいことはいいことだ~」というCMソングが流行ったんです。人海戦術の企業のトップは切れ者より村長さんタイプが丸く収まります。だからそれを目指す社員は飲み会に明け暮れ、人脈を作り人心掌握し、仕事は「よきにはからえ」のタイプが偉くなり、それに馴染まないタイプの人間は使いにくく和を乱すとみなされ偉くしない。僕がいた証券界は絵に描いたようにそれでした。自民党は村が大きくなってもその権力構造は温存し、その中のまた村である派閥というものをつくり村社会原理を離脱してきませんでした。ですから、今回の選挙の結果はいよいよ日本もリーダー像が大きく変わったことを示しているという風に僕の目には映るわけです。飲み会も出なければ派閥も作らない、しかも女性である。古い自民党の中で想像もできなかった総理の出現を7割もの国民が支持したのは事件と言えましょう。 2、3人の爺さんが密室にこもって次の総理を決める。僕には黒魔術の儀式にしか見えないおぞましさであり、それを粉々にぶち壊したジャンヌ・ダルク、いやわが国が誇る美少女戦士セーラームーンみたいな人物の出現を讃えるエールだったと考えるのです。ニ子玉川の演説に子供がたくさん来ていたことも、アニメ世代の若者による「サナ活」ブームもそれで理解できます。

自民党村社会において、勉強は秀才ぞろいの官僚の仕事だったんです。彼らにとって、勉強してない村長を手玉に取るなど赤子の手をひねるようなものであります。そうやって政治家よりも官僚が政策決定において優位となり、総理大臣の生殺与奪にまでかかわるパワーまで持ってしまったために、財務省がブレーキを踏めと言えば唯々諾々とアクセルを放棄する者が総理の座につき、国家という車を前に進める者はいなくなってしまった。それで愛車がズルズルと泥沼にはまってしまったのが失われた30年なのです。悪いのはブレーキを踏む役目の財務省ではありません。ここは思い切ってアクセルを踏むべきである、それが民意であると予算編成において官僚を論破できるほどの頭脳と知識と支持基盤のある政治家がいなかったことなのです。だからそれが不満であれば、すべきことは財務省解体デモではなく、不勉強な国会議員を選挙で片っ端から追い出して有能な議員に入れ替えることだったのです。国民があっという間にそれを学習したのはネットのパワーであり、それが生んだのが今回の歴史的な自民党圧勝だったのですが、しかしながらこれで浄化が完成したと思ったら大間違いです。一昨年の自民党総裁選で石破総理に投票した者が189人もおり、高市旋風のおかげでこの塊は生き残ったからです。これを追い出すためには自民党の村社会原理を一掃しなくてはいけませんが、それは総理ひとりでは困難であり、最低5年の計を持って強力な執行部が冷徹に実行すべきことです。

希望的観測かもしれませんが、有権者が今後も賢明であり続ければ、高市をロールモデルとした自民党総裁が続くのではないでしょうか。僕はその可能性が高いと考えています。なぜなら高市総理のかつてなかった特質は政策をロジカルにくっきりと読み書きできることだからです。これは権謀術数と腹芸で権力を奪取する古い自民党の個人技とは違い、資質と能力さえあれば誰でもできる、ある一定のユニバーサル性を持っています。肩書や権威や忖度でなく言葉で人を動かす。これは国籍を問わず世界で通用する人間の共通項だからです。米経済誌フォーブズが高市を世界で最もパワフルな女性第3位にあげたことがその雄弁な証拠です。呪術やおまじないでどんなに人気が出てもそれは宗教であって政治ではありません。世界はそう理解します。ピーター・ドラッカーは著書でそのことを「経営者はオーケストラの指揮者だ」という比喩で表現しています。団員より誰より楽譜を知り、言葉と身体でやりたいことをはっきりくっきりと伝えないと指揮はできません。日本の村社会で育った議員が理解できないのは仕方ありませんが、それは頑張って勉強すれば乗り越えられるのです。つまり問題の本質ではない。致命的なのは、勉強しないこと、すなわち「井の中の蛙(かわず)」であることなんです。日本の政界が農村風土の頃はそれで良かった。しかし世界の大国と対等に対話し、アピールすべき力の均衡は堂々とアピールし、相互のリスペクトを醸成しながら21世紀型の新たな均衡点を模索していく外交において、井の中の蛙など全く通用しません。「対話が全てを解決します」「対話によって日本の平和と安全は保持できるのです」と説くのは結構だが、ところで、あなたの政党に世界の大国の国家元首と対等に対話してリスペクトを得られる能力のある人がいるんですか?ということです。

高市さんをロールモデルとした自民党総裁が続くなら、与野党を問わず古い国会議員さんたちは役目を終えました。それが今回如実に示された民意だと僕は理解しております。海外の政治情勢はネットを通して簡単に学べます。さらに上級者になって米国株や債券に投資をしている人も大勢いる。「有権者」というセグメントは、不勉強で万年ドメスチックな政治家なんかよりずっと世界の空気をよく分かっています。だから肩書や権威や忖度だけで「昔の名前で出ています」の議員は片っ端から落選したのです。自民は候補者不足で14の比例議席を結果的に他党に譲りました。歴史上初めてのマグニチュードで高市総理が政界をガラガラポンしたのにアホな政党です。本来は330議席だったんで空前絶後になる数字かもしれませんね。誰も斬首されたわけではありませんが、僕は後世の政治学者が、この選挙が日本国に初めて起きた市民革命だったと述べるのではないかと考えています。

高市総理 最後の演説で二子玉川に来臨

2026 FEB 8 2:02:31 am by 東 賢太郎

家から歩ける二子玉川公園。よくぞ来てくださった。行くしかないじゃないですか。1時間半前に着きましたがもう広い公園は人でびっしり。押しくらまんじゅうでした。びっくりしたのは若いカップルや小学生ぐらいの子供をつれた親御さんが多いんです。とにかく若い。お天気はみぞれ混じり。気温は0度近い。高市さんが来るのは午後7時です。この熱気は来てみないと分かりませんね、高市フィーバーなんて単純なものじゃない、政治の屋台骨を揺るがす革命が起きてます。 10年経てばこの子たちも有権者です。素晴らしい、確実に日本は変わります。野党が解散の大義がどうとか騒いでるけど、この革命が世界に発信され、アメリカの大統領からメッセージが来るなんて前代未聞のことが起きた、それそのものが大義でしょ?外交上の危機に目をつぶり、何もしないで台風をやり過ごしましょうなんて政権にやらせていたら、ここに来ている子供たちが大人になる頃には、中身を食い荒らされたセミの抜け殻だけが残ります。それのことを日本国と呼ばなくてはいけない時代が来ます。僕は本気でそう思います。台風は日本だけの力で何をしても消えません。だから、台風が来ないような日本にするしかないんです。戦争は未来永劫、絶対にダメです。戦争をしないためには、平和平和とお経を100万回唱えてもダメなんです。常識で考えてください、そんなの当たり前じゃないですか。そのための手だてを総理は考え抜いておられます。ご著書を読みました。全くもってロジカルで現実的で、不可能なものは1つもありません。官僚に頼らずこれだけ自分の頭で考え抜いてる、そもそもそんな頭を持った政治家が他にいますか?簡単でない施策はありますが、そこは働いて働いて働いてと体を張っておられる。ご本人を見て確信しました。彼女は本気です。命をかけています。僕はそれを信用します。彼女よりもっと信用できるという政治家がいますか?それはどんな理由からですか、言葉で明確に答えられますか?選挙は議席やファミリービジネスを守るためのトークショーであり、公約はいい加減で守らずころころ変え、言いわけだけ弁が立つ連中ばっかりじゃないですか。そんな奴らが政治のプロだと居すわり、国民に見えない永田町という村のしきたりを営々と築き上げ、日本国の繁栄にとってどうでもいいことが発覚しつつあるその村の一員であることだけが誇りのオールドメディア、それの解説で飯を食ってるコバンザメの御用評論家、そもそも大元がどうでもいいのですからその連中も間違いなく消えていく運命にあるのです。賭けてもいいです。今の若者はネットで真実を学び、それを一掃してくれる高市さんに期待している。だから気温零度でみぞれの降る中、 1時間半もじっと待っているのです。来てよかった、よくわかりました。この結末はオールドメディアに対するネットの勝利だと僕は確信します。そしてニューメディアの進化はさらに加速度的に進み、バカな議員が惰性で占めている議席数は削減されるか、AIに置き換わられます。そこまで10年もかからないでしょう。英国のサッチャー首相は公的機関の無駄を切り捨てて小さな政府を目指し、チャレンジする者が報われるという信念を持って成長は民間の競争原理に委ね、労働党による長年の左翼支配ではまり込んでしまった「英国病」から見事に国を立ち直らせました。国民の生活もプライドも復活しました。エリートづらして仕事しない連中の首を大量に切るわけだから怨嗟の声があふれる、この政策転換はのるかそるかの大博打(ばくち)だったんです。その勝負に勝った、だから鉄の女なんです。高市さんもサッチャーと同じ位の大勝負をしかけてます。大変な度胸だ。まわりの男連中の誰にそんな度胸がありますか?それをするために、くだらない永田町の飲み会など全部すっぽかして徹底的に自分で勉強されている、それは演説や国会答弁を聞いているとわかります。緻密な情報収集と勉強が土台にあるから博打を打てるんです。サッチャー革命のど真ん中であった怒涛の6年間、僕は最盛期の野村證券にいてロンドンの金融街シティのど真ん中で働きました。自他ともに認める生き証人です。高市さんが掲げた標語JAPAN IS BACK。これを願わない日本人はいません。思いっきりやってください。お好きな英国のヘヴィメタバンドアイアン・メイデン」。これはちょっと違うが、解釈によっては似た意味ですな。これでいってください。 石破さんに総裁決選投票で、何も考えてない189人もの自民党員が投票したわけでしょ?そうして選ばれた彼が選挙を3つも大敗した歴史に残るドツボの1年間がJAPAN IS BACKの役に立ったと思ってる日本人は何人いますかね?日本人ファーストなんてあまりに当たり前のことを言う必要などないんです。事を為すためには邪魔者は情け容赦なくしばきあげたらいいでしょう。無いと思うが遠慮や温情は無用です。それが民意であることがおそらく明日、満天下に知らしめられるでしょう。だから委細構わず、サッチャーのように冷徹にやってください。皆さん、明日は投票日です。東京も雪が降るかもというので期日前投票を考えましたが、家内が30分も並ぶ長蛇の列だったというので明日にしました。自民党が300議席行くなんていう報道に騙されてはいけません。勢いはそうかもしれないが無党派層が雪で行かなければ小選挙区ですから僅差で負ける事は十分にあります。僕は槍が降ろうと隕石が降ろうと行きます。

 

『黒猫フクの人生観』 (第九話)

2026 FEB 6 2:02:43 am by 東 賢太郎

犬猿の仲とはいうけれど、犬と熊もダメだったよ。犬熊改革連合なんてノダイコが与作の計略にはめられてできたインチキだからね、後援してた「野鳥の会」まで「野合の会だ!」って罵倒する始末さ。かわいそうに犬党の議員は落選しまくって非難ごうごうなんだ。でも猫党にも問題はあってね、サツキ、ハルコ、キミ、タカコはいいけどね、サナエ人気の恩恵で腹黒猫も議員に残っちゃう。こいつら下手すると裏かいて与作になびきかねないから油断ならないんだ。

与作に対抗できるのはシロクマのトラゾーだけさ。こいつは天国議会や天国法なんてなめきって完全無視だから選挙なんか出ない。でもこれにケンカで勝てる奴はいないんだ。ついこの前も気に食わないアナグマをいきなり襲ってぼこぼこにしてね、天国中に激震が走ったばかりなんだよ。猫党だってもしもトラゾーに見捨てられたら危ないさ、ヒグマが虎視眈々だからね。でもサナエはトラゾーをうまくあしらってるから大丈夫だよ。ここが大事でね、前任のネバゲルはのっけから馬鹿にされてまるっきし相手にされなかったんだ。だからノダイコが選挙に勝っちゃたりしたら猫には地獄だって心配したんだ。ところがノダイコ君、ボロ負けが見えてくると「ぼく産まれたての赤ちゃんなんです、育ててくださいバブバブ」なんて突然に言いだしてね、「何なんコイツ?」ってこれまた天国中に激震が走ったんだよ。

皆さんわかると思うけど、財政拡大派のサナエなら天国の株は上がるんだよ。僕は主人の仕事を見てたからさ、投資はちょっとうるさいんだ。ノダイコは食品の消費税ゼロにします、その分は天国ファンドで稼いで埋め合わせますなんていい加減なこと言ってるんだ。犬熊改革連合の連中に株式市場がわかる奴なんてひとりもいない。わからないならわからないでやめときゃいいのに、国民はもっとわかってないからダマせると馬鹿にしてるんだろうね。もう壮絶にあたま悪いとしか言いようがないね。キミが勝ったら間違いなく株は大暴落なんだよ。2万円も下がるよ。だから天国ファンドも大損でキミは責任取らされてクビなんだよ。はじめっから詰んでたんだ、どっちにしろドボンだったってわけさ。

 

読響 第655回定期 ブルックナー7番

2026 FEB 5 1:01:18 am by 東 賢太郎

指揮=ジェームズ・フェデック
ヴァイオリン=諏訪内晶子

細川俊夫:ヴァイオリン協奏曲「ゲネシス(生成)」
ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調 WAB107(ノヴァーク版)

細川のVn協奏曲は感銘を受けた。昨年の7月だったか「月夜の蓮」を大いに楽しんだ事はこちらに書かせて頂いたが、今日の演奏にもほぼ同じことが当てはまる(読響定期 カンブルランと北村朋幹)。諏訪内晶子の集中力ある演奏が曲の真価を抉り出したように思う。解説を読むと羊水の追憶から人間の誕生を追うインスピレーションが根底にあるようだが、 11種類の打楽器、ハープ、チェレスタの音彩は小宇宙をなす。細川俊夫氏が登壇されて喝采を浴びられたが、現代日本を代表する作曲家と思う。

指揮者のジェームズ・フェデックは初めて名をきく代役であった。予定されていたマリオ・ヴァンツァーゴはCPOのブルックナーが面白く、葉書で知って残念に思っていたが杞憂だった。 フェデックはいい指揮者だ。短期に仕上げたのだろうが読響は盤石の構えであり、これぞブルックナーというオルガンを思わせるピラミッド状の見事な音響を聴かせた。第2楽章のブラスと弦のバランスも文句なし。71歳の誕生日に本当に素晴らしい7番を聴かせていただいて感謝しかない。それにしても、欧州では4、5秒の余韻を味わうのが当たり前のブルックナーでフライングのブラボーは勘弁してくれないかな、指揮者も団員もあれはがっくりだろう。マネジメントの方、できれば禁止にしてもらえないだろうか。

先月に聞いたプフィッツナーの「ドイツ精神について」は書けなかったが、回を改めて感想を述べたい。

思うこと多き運転免許の高齢者講習

2026 FEB 3 13:13:08 pm by 東 賢太郎

面倒くせえな、高齢者って誰のことだよと思っていた。仕方ない、そう呼ばれるのも順次やってくる七五三や成人式の延長戦と思うことにしよう。何年か前の正月のこと、神社の厄年表をみると「レンジ外」になっていたことに気がついた。少々寂しさはあったものの、よし、もう疫病神との縁は切れたと気楽にもなったものだ。こういうふうに僕は物事のサニーサイドを見て生きるようにできている。単に持って生まれた性格なのだが、そのおかげで歳をとらないと信じてること自体が紛れもない楽天家であって、それが体にあんまり良くない完全主義をうまいこと中和してくれているのは事実である。その絶妙なバランスのおかげでボケてない気がする。先日も海外のストリートピアノを弾きまくって外人を虜にしてる「ハラミちゃん」の動画にたまたま出会い、惚れ込んだ。この子いいなあ、明るくてピアノが大好きで、そのオーラで外人と一発で仲良しだ。僕も仲良しになりたいなあと本気で思うから気は若いのである。

試験は嫌だな。 50年無事故という輝かしい記録を樹立した僕として実技はまったく問題ない。だがしかしと、大学の帰り道に成城学園前駅で降りてバスで通ったニ子玉川の小山ドライビングスクールのことを思い出したのである。学科試験でこういう問題があった。「夏は暑いので下駄(げた)で運転してよい」。直感的な常識としてそりゃだめだろで終わりだ。ところが「夏は暑いので」がじんわり効いてきた。猛暑で意識が朦朧として事故を起こすリスクの大きさを考えれば足からも気化熱を発散することは安全上有益ではないのか、下駄ぐらいは許されていいのではないかと、常識を揺るがすあらぬ考えがよぎったのである。いやいやしかし、下駄はいかんな、だって形状からして歯の間にペダルが挟まればやっぱり事故だもんなということで✖にして事なきを得たわけだが、後で調べて道路交通法に根拠があることを知った。サンダルだったら危なかったと思うのである。

この日の目的地、芦花公園に近い「せたがや自動車学校」を地図で調べると、まず環八に出る。これは旧来からのナンバリングでは東京都道311号である。それが第3京浜から国道466号になり、瀬田で東京都道427号と交差する。ここであっとひらめいた。ピアノソナタニ長調 K. 311、ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K. 466、ハ短調ミサ曲K. 427 、なんてこった、これはモーツァルト好きの役人がつけたに違いない、なんて思いつつ、このところとんとご無沙汰している運転は家内におまかせする。助手席で何気なくFM放送をつけ、叫んでしまった。わあ!なんということだ、シューマンのラインの第1楽章が展開部の辺りから鳴りだしたのである。もういけない、運転手じゃなくてよかった。道すがらずっと歌いながら指揮してたら丁度おしまいのところで到着した。とても爽快な気分になって入り口をくぐる。この日の受講者は僕を入れて7人のようだ。たしかに皆さん紛れもなく高齢者である。なるほど、自分もそうなんだ。

実技の講習。教官が隣に乗って右へ行け左へ行けと、そうそう、こういう感じだったなと結構楽しんでしまった。次は目の検査だ。視力は1. 2だから楽勝と思いきやそれはなく、視野と動体視力である。やったことがない。すると後者がいけなかった。なんと0. 2ではないか。落ちてるだろうなとは思ったがここまでかとショックである。しかし教官の方もそれは含んでいて、そういうもんだと思って注意して運転して下さいねで終わりだ。試験ではないのだった。ああ日本っていいな、優しいな、ご一緒したお2人もとてもいい方だ。普段なかなかこういう感じでお話しする場もないし、僕も自然といつにない穏やかな口調で話していることに気がついた。何でもないことが宝物になってるのである、これぞ日本だ。未来永劫に守っていってほしいな。

帰りは1人でバスに乗ってみた。さっそく金の払い方がわからない。そうかスイカが使えるのか。カバンに手を突っ込んであちこち探るが出てこない。あれおかしいな。あのじいちゃん早くしてくんねえかなという乗客達の目線を感じる。そういやあよくそう思って見てたよな。終点の千歳船橋から小田急で成城学園でおりる。ここに来ると寄り道しないわけにはいかない。駅を背に学校側に歩くと右側に数件の民家があった。その1つが庭でしょぼい犬を飼っていて、こいつがなぜか僕にだけ通るたびにけたたましく吠えつくのである。だんだんこの野郎となってきて、小屋に2B(爆竹)を投げ込んでびっくりしてキャイーンだ。その場所は今は立派なマンションになっていて面影もない。感無量である。そこに悪童だった当時の自分が紺色の制服に半ズボンでむこうを向いて立っている気がした。本当にした。いや本当にいるのだ。シミュレーション仮説によればこの世の出来事は全部映画である。開演時間が違えば同じ場所に昔の自分がいるわけだ。

もう暗くなってきた。そろそろ帰るかと駅の南口に回り、二子玉川行きのバス乗り場を探した。これまた分からない。仕方ないなと交番の前まで行くと、 なにやら1人の客人に警官2人がかかりきりでらちがあかなそうだ。右往左往した末にスクランブル交差点の先にやっと見つけて、発車寸前のに飛び乗った。はあはあ息を切らせながら窓からバス停を見ると、 二子玉川行きと狛江行きがある。そうか、父が我が家に来るのに電話してきて、出迎え場所の指定が二子だったり狛江だったりしたのはこれだったのかと謎が解けた。バスは坂をゆったり下って世田谷通りの方にいく。左側に東宝スタジオってのが見えてくる。大好きな「七人の侍」を初め黒澤明監督のほとんどの作品や、あの「ゴジラ」「モスラ」もここで撮影されたんだ。そういやあ監督のお嬢さん同窓生だった、今はどうされてるのか。そうそう、そういやあ、自分もこのバスに乗って小山ドライビングスクールに通ってたっけ。

『黒猫フクの人生観』 (第八話)

2026 FEB 1 23:23:39 pm by 東 賢太郎

天国の選挙は大変なことになってるよ。犬党とヒグマ党が合併して犬熊改革連合になったまではよかったんだ。どうせこの急場の選挙を乗り切るだけの箱だしさ、代表も幹事長も選対委員長も全部2人ずつだからね、終わったらすぐ別れられるようにってのが見え見えだ。ヒグマ党は全員が比例代表の1位2位を独占してね、やる前からこっそり祝杯あげてたんだ。ところが始まってみると犬党が計算外のボロボロでね、「くそ、ヒグマにだまされた」「俺たち犬は踏み台だったんだ」「相談もなく勝手に合併しやがって」「そうだそうだ、上だけがいい思いしてふざけんな!」「いやいやその上も落選しそうだってウワサだぞ」と若手党員の怒号が飛び交ったんだ。

こうなると比例も安泰じゃないからヒグマの尻に火がついてきたんだよ。そこで焦った代表の与作が探したスキャンダルのネタがあの「大宇宙統一平和大教会」さ。皆さんこの名前覚えてるよね、 4年前の某重大事件に関わっていてつい最近その判決も出たしね、長らく猫党とズブズブの関係にあったのは事実だから党首サナエのイメージを悪くするには格好のネタと思ったんだろうね。ところがサナエは勉強熱心で飲み会も行かないクリーンな猫なんだ。ヒグマ党お得意のマネトラもハニトラもきかないからこれしかなかったんだね、「サナエは大宇宙統一平和大教会からワイロもらってるぞ!」って大騒ぎしたんだけど出てきたのはパー券4万円だけさ。なんのこっちゃで終わっちまったんだ。

すると今度は、犬党の党首ノダイコに強烈なブーメランが見舞われた。おんなじ大宇宙統一平和大教会に後援会やってもらってる写真が出てきちまったんだ。ノダイコは得意技のおとぼけで「覚えてない」作戦を展開したんだけどね、教会が「巨人の星」の替え歌で気合入れて作ってくれた「応援歌」まで見つかってズブズブがバレちゃったんだ。「おい、歌まで歌って覚えてないはずねえだろ、このウソつき野郎!」っていま天国中がブーイングの嵐さ。まあ僕は応援してもらったぐらいなら問題ないと思うんだよ。でもね、自分が道の真ん中にウンチしといてさ、誰だ!って犯人捜しになると「俺じゃない」どころか「お前だろ、お前がしてたのを俺は見たぞ」っておおウソついて他人に責任をなすりつける奴って、なんなのこいつ?どう考えても何やっても信用されないと思うんだよね、人どころか猫でも犬でもね。与作が党員に大号令を発して「犬党様の議員に票を回せ」って命じたらしいけど、犬党はトップがこんなやつじゃね、下っ端はもっとウソつきだろうってなっちゃうよね。真面目でまっすぐで信心深いので有名なヒグマ党員が真剣にやればやるほど自分もウソつきの仲間だってことになるからね、良心の問題になると思うけどね。

そうそう、ついこの前のことだけど、野球大会が終わったら阿弥陀様に呼ばれてね、天国動物小学校の先生もやってくれって言われたんだよ。前世が猫だった僕がすぐに人間の言葉を覚えて読み書きできるようになっちゃったんで、自分も勉強して人間になりたいっていう希望者が増えてるらしいんだ。でも人間は昔から人気だからすごく競争率が高いんだ。そこで入学試験をやってみたんだよね、僕が問題作ってさ。それがこれだよ。

①水素と酸素を混ぜると何ができますか? (答)水です

②ダメ政党とダメ政党を混ぜると何ができますか?(答)ダメ政党です

これが皆さん分からないんだよね、なんで①と②の答えが違うんですかって。そこでこれを解いてもらったんだ。

③ウンチとウンチを混ぜると何ができますか? (答)ウンチです

よかった、全員が納得してくれたよ。

 

 

トランプの新兵器がもたらす防衛の革命

2026 JAN 28 12:12:17 pm by 東 賢太郎

1月3日に起きたアメリカによるあっという間のベネズエラ制圧は世界の度肝を抜いたが、わずか20人で事を成し遂げられたのはどうしてだろうという疑問は残っていた。それがトランプのインタビューで一部明らかにされた。

ディスコムボビュレーターだ。詳しくは不明だが高出力マイクロ波兵器(HPM)らしい。ベネズエラ軍のレーダー網や迎撃ロケットはくぐり抜け、20人ほどで数百人の護衛部隊をあっという間に制圧したことは主要国の首脳には衝撃だ。最も安全なはずである自国の宮殿で精鋭に守られていても斬首されるということは、アメリカに逆らえば地球上どこにいても危ないということであり、あっさりと少人数の敵兵に大将の首を取られれば全軍が号令一下で動くキューも出ず、したがってその危険は核武装していても防げず、技術が漏洩しない限りアメリカの独占がしばらく続くと思われるからである。素人が軽々に論じられる話ではないが、僕の関心はやられる可能性が現実的にあると思えば抑止力になる点だけにある。核保有は現にそう機能している。人殺しを容認する気は毛頭ないが、第3次世界大戦を起こさせないために本件はリアリズムの側面から考察されても良いと思う。

根拠のない憶測だが、ディスコムボビュレーターはイスラエルの技術ではないかという気がする。あの国にはそのぐらいは易々と造るとてつもない理系人材と技術がある。トランプはバイデンみたいにネタニヤフのイエスマンにはならない大統領だが、義理の息子のクシュナーを通じて気を配っている。本音ではパレスチナ問題は永遠に片付かないと考えていようが、ガザ地区とヨルダン川西岸の落としどころは見つけて火種は消したい。そのためどうしてもイランを抑え込みたい。そしてそれはイスラエルの国益にもなるのだ。今やEUはもとよりプーチンも習近平も金正恩をも心底寒からしめることに成功した。そこでデンマークを懐柔してEUの合意も取ってグリーンランドに米軍基地を築き、来たる中国との交渉で優位に立ちたい。となればディスコムボビュレーター様々ではないか。同盟国の日本はこの技術と人材を共有させてもらって核保有の代替にしたいものだが、仮にトランプがよしとしてもペンタゴンは絶対に動かない。なぜならスパイ天国の日本にしゃべれば極秘の技術が敵国にダダ漏れになるからだ。つまり世界最高の技術で日本を防衛するためにはスパイ防止法が必要である。

トランプの目線はクリアだ。戦後レジームは国益にならないという明白な理由を掲げて無視だ。国連機関からは次々と手を引き、意に沿わない相手には関税爆弾を容赦なく撃ち込む。MAGAとはマクロ的にはアメリカのヘゲモニーを保つことだから経済政策も軍事力の化体として強面に行使し、各国に恐怖心を与える意図も多分にある。外交と経済金融政策でヘゲモニーをキープする常道はこの20年でワークしなくなり、無法者の腕力行使と言われようが何だろうが国民との約束を果たす選択肢を彼は選んだ。見せかけだけでコストが高く役にも立たない国際秩序よりアメリカの民主主義を優先するという建前を強力にアピールして中間選挙を迎えるためだろう。事後的であろうとなんだろうとそれが民意を得て信任されれば建前は真実になるからだ。これがお決まりのアメリカにとっての正義だ。独善的ドクトリンに過ぎないが、それはすでに、原爆投下で民間人を30万人も殺し国際法違反を犯しても、悪党を倒してアメリカを守るためであれば国内で正当化されてしまうという事実をもって我々は目撃させられている。同じことで今回も地球上のどこの誰が関税攻撃に反論しようとアメリカ国内では大きな問題にはならない。共和党だろうが民主党だろうが自国防衛に関する限り日本の左翼のごとき「何でも反対」の国家横断的シュプレヒコールは起きにくく、ひとたび有利な方向に舵を切ってしまえば中間選挙にはポジティブに働くからだ。民主主義のためというよりアメリカはそういうドクトリンでまとまっている特殊な国であり、大国であり続けるためのあがきとしてロシア、中国と共通した原理に従って動くと考えるしかない(中等国は物質的、物量的にそれを共有できないのだから別リーグを作るべきだと訴えたダボス会議でのカナダのカーニーの演説は鋭い)。チャイナは最大の仮想敵国ではあるが、したがって全くの矛盾なのであるが、この大国原理を共有してもらうことがポストWWⅡ(第2次世界大戦)の新たなパワーバランスを正当化するレジームとして必要なため、トランプの口からは習近平に向けて、まだ決然とした意味合いではないにせよ、それでも我々には不気味に響く「G2」なる言葉が発せられるのだ。それはアメリカ合衆国の凋落が引き起こしている病状以外の何物でもないのだが、中等国である日本との安全保障条約の国際法的効力が必要性においてそれを上回るのだとトランプが思ってくれていると希望的観測で考えるのは、本稿のここまでの論旨と矛盾する。

大衆レベルでのアメリカ的感性からすれば、トランプは保安官ワイアットアープになったまでだとでも言えば当たらずとも遠からずだろう。遠い昔、この西部劇をテレビにかじりついて見ていたような気がする(のちに「荒野の決闘」も見たからそっちかもしれないが)。西部劇はゴールド目当ての無法者、荒くれ者の集まる田舎町が舞台だ。法は連邦と州にあって絶対でなく、どっちが勝とうがどっちも無法者であることに変わりはなく、最後に相手を撃ち殺した方が法よりも道理によって正義になる。だからOK牧場の銃撃戦を制して最後まで生き残り事の次第を自己流に語る場を得たアープが英雄になったのである。

思うに日本人もアメリカ人も勧善懲悪ものが大好きだ。ただ大きな違いがあって、日本の悪玉は高率の年貢を搾り取ったり、袖の下で賄賂をくすねたりする権力者が多い(例、財務省解体デモ、裏金議員騒動)のに対し、アメリカでは共同体(アメリカ合衆国)の平和と発展を脅かすものは二項対立的に徹底的に排除されるべき対象として描かれ、悪玉は巨大なゴリラでもマフィアでもマッド・サイエンティストでもいい。私見ではあるがパール・ハーバーはこのアメリカ特有のステレオタイプにはめ込むため日本を悪玉に仕立てるおぞましい計略であって英米のみならず背後にはソ連も蒋介石もおり、日本側もまっさらであったかどうかは甚だ疑わしい。そのボタンの掛け違いからしてキングコングがエンパイアステートビルディングの頂上から落下して命を落とすが如きエンディングに至ったのは核爆弾の試験的行使を含めてシナリオ通りともいえ、その多くが無用な殺人など支持しないキリスト教徒であるアメリカの大衆はその衝撃的な最期に目を覆い幾分なりともの悲しみを覚えただろうが、コングを追い詰め死に至らしめた戦闘機部隊を責めることはないのである。

トランプは不動産、株式市場という荒々しい戦場で勝ち抜いた男だ(3回大敗してるが)。自分が勝つ事が人生であり、大統領職とはその自分がアメリカ合衆国に変わっただけであるという視点から見ないと理解はできない。戦後レジームの国連安保理、国際法による枠組みと協調は利益になるなら尊重はするが、是非の判定は無機的にそれだけであって、皆で作った以上は大事にしましょうなんていう連中は屁とも思ってない。想像ではあるが、邪魔であるという以前にそのテの男は(女もだが)完璧に見下していて生理的に嫌いなのだ。その筆頭がフランスのマクロンだろう。ENA出の秀才づらこいてこのクソ野郎1発ケツに蹴りでも入れてやろうかぐらいが本音と思われる。カナダのカーニー、これもオックスフォード・ハーバード臭がぷんぷんただよう。あのダボス発言以前にユーアーファイアード!だ(僕はプレゼンを支持するが)。FRBのパウエルはプリンストン出の見るからに気まじめなバンカーだが、イエレンを切って任命はしたもののタイプ的に水と油でありこれは時間の問題だった。あのポストは誰であれそのタイプしかできないから仕方ないのだが、刑事訴追まで行くともう凄まじいというか、分かりやす過ぎて笑えるレベルである。人生の辞書に刑事罰などという言葉は載っていないパウエル氏は写真を見るにあまりの憔悴ぶりに人相が変わっており気の毒でしかない。

トランプがインテリ嫌いかというとそうではなかろう。これはおそらく持って生まれた人間性というか肌合いの違いというものであってどっちがいい悪いというものでもない。僕は彼が表舞台に登場した2016年から全く同じことを書き続けてきたわけだが、彼が全面的に好きというわけではないが政治家にしては共感できるところがある(政治家にしてはというのは、なりたいと思わなかった職業の再右翼だからである)。そのためか、好き嫌いは直感的に想像がつき、大体が当たってるから何かと心理が読みやすく支持してきた。なぜなら相場を読むのが僕の仕事だからだ。世間には「彼はビジネスマンであり何でもディールと考えるからこうだ」と論じる学者や評論家が多い。見ているとそういう人のほとんどはディールなどできないタイプであり、珍しくそう断言したディールはほとんどを外している。彼のような人間をaだからbと割り切るのは株価をROEとPERだけで予想できると論じるほど理が通っておらず、そういう人が大勢いるから我々は利益をあげられると僕は考えている。

声を大にしたいことは、今我々の直面している世界のパワーゲームはトランプというファクターが影響の大きな変数になっているということだ。これは日本にとってリスクが大きい。トランプが間違うリスクもあるが、より大きなリスクはトランプをよくわかっていない世界の有力政治家が彼の判断を読み間違うことだ。防衛という面で目立ったことはできない日本自身が撹乱要因になることはまずないが、どういうポジショニングを選択するかは自国の将来を決する重大な判断になる、そういう局面だったねと2、3年後に語ることになる1年である事は間違いないだろう。「殿中でござる」と江戸城内で刀を抜く行為が天地を揺るがす大問題であった日本国に、やがて黒船の大砲が鳴り響いた。今それが起きたら、上野のパンダがいなくなって悲しいと騒いでる日本はどうなるんだろう。我々はほどなくいなくなるからもう構わないが、いま10代20代30代の方々はそうはいかない。日本という国のステータス、これは伝統も文化も経済力もプライドも全てを包括したものだが、それが10年後20年後にどうなっているかによって皆さんやご家族のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)は大きく左右されるのである。このままではまずいと思う方々はぜひ政治家になっていただきたいと切に願う。しかし悲観する必要はない。幸いにも皆さんが生まれた日本国は先人が築き上げてくれた分厚い伝統と知恵と遺産がふんだんにある。 16年海外で暮らした僕が断言するがこんな国は他に1つもない。それを自分たちのために使うも、外国に取られるも、ここからは皆さん次第なのだ。政治家の道を選ばれない方々は、自分たちの未来を託すに足る人を選ぶために必ず選挙に行って頂きたいと思う。

『黒猫フクの人生観』 (第七話)

2026 JAN 24 15:15:46 pm by 東 賢太郎

僕です

このところヒグマの横暴が目に余るようになってきたんだ、困ったもんだよ。僕ら猫族の餌場の山を狙ってることは前に書いたけど、もう完全に傍若無人で真っ昼間から平気で侵入してきてるよ。あいつら体がでっかいし数もどんどん増えちゃったから反撃できなくてさ、悔しいけどボスのゴンベエが「遺憾である」をオウムみたいに繰り返すだけなんだ。みっともないね。もう一大勢力だ、あんまり猛獣がいるってイメージのない日本にこんな奴がいたのかって他の動物たちも驚いてるよ。だから神様の号令で動物が全員集合する時にざわざわするんだ。今まで真ん中に座ってたのはシロクマなんだけど、だんだんヒグマが真ん中あたりに陣取るようになってきたんだ。天国じゃまだ新参者だしね、いつもドーンと真ん中にすわって周囲を睨みまわし「どっからでもかかってこい」とマウントを取りたがってるんだろってウワサだよ。

「与作が悪巧みしてるから気をつけろ」ってシロクマのトラゾーにうそぶいて戦争させるのが僕の作戦だったことは覚えてるかな。「そうなったら後方からちゃんとシロクマ軍を支援するからね」って言いながら大事な猫の山を守るのさ。チャンスじゃないか。与作の傍若無人に磨きをかけてやろう、そうすればもっとトラゾーに圧がかかって何かが起きるさ。なんだってかまわないよ、「フクが警告したのはこれだったのか」と思わせてヒグマに逆襲させれば作戦成功なんだからね。そこでまず、与作にこう言っておだて上げることにした。「こんど天国野球トーナメントがあるよね。君がセンターを守って真ん中で睨みをきかしてくれたら勝てると思うんだけどなあ」「おう、あったりめえよ。俺様はいつだってどこだって居場所はど真ん中って決まってるんだ。それがボス熊だったオヤジに骨の髄まで叩き込まれた家訓でな、『真ん中道』っていうんだ、お前も覚えとけよ。だから野球だったら守るところはセンター以外にあるはずねえだろ」「そう思ってたよ。じゃあ監督の阿弥陀様にそう伝えておくよ」。しめしめ単純なやつだ。センターってポジションはトラゾーが不動のレギュラーなのをまだ知らないんだな。見ててごらん、メンバー表を見た瞬間に男のプライドをかけた血みどろの戦いが始まるよ。そうそう、なんで僕が監督にそんな影響力があるかって言ってなかったね。僕だって来たのは去年の11月で新参者だし体も小さいんだけど、猫パンチで鍛えたスナップが強かったんだね、いきなりピッチャーに抜擢されちゃってチームではちょっとした発言力があるってわけなんだよ。

ところが先日のことだ、予想もしない事件が勃発しちまったんだ。試合の当日、先発メンバー表を見てひっくり返ったよ。与作のポジションが「レフト」だったんだ。それもカタカナじゃなくて漢字で「左翼」ってでっかく書いてある。「おい、フク、てめー、なんのザマだこれは!」、与作がガオーって大爆発してダッグアウトで暴れまくり、冷蔵庫をぶっ倒したあげくベンチを叩き割ったからあたりが凍りついたんだ。びっくりして監督室にとんで行くとトラゾーが座って笑ってるじゃないか。「トラゾーさん大変だ!与作がなんでセンターじゃないんだって怒りまくってるよ、僕ね、監督にお願いするって約束しちゃったんだ、どうしよう」「フク、あわてることはねえ。与作の野郎が俺たちを襲撃する秘密作戦を練ってるぞってお前が教えてくれたんでな、俺はすぐに手を打ったんだ。子分のマル子とノビ夫をスパイに仕立ててヒグマ村に送り込んでね、バレねえように墨を塗ったくって毛を真っ黒にしてな、わっはっは。そうしたらな、とんでもない情報が飛び込んできたんだ」。ここで監督の阿弥陀様が静かに口を開いた。神様だからいつでもどこでもいたって冷静だ。「そうだ。 スパイの2人が怪しいって言うんでね、公安委員会に調べさせた。そうしたら奴らが悪だくみをして政権を転覆する革命を起こそうとしてる証拠が出てきたんだよ」。うひゃあ、なんだか007みたいになってきちゃったぞ。トラゾーがドスのきいた低い声でつぶやいた。「わかったかフク?与作が騒いだのはセンターはずされたからなんかじゃない、『左翼』って書いてあったからなんだ。わかるか?あの野郎、それ見て、何で計画がバレたんだ!って勘違いして正体あらわしちまったんだよ」。

まいったよ、僕はそんなつもりじゃなかったんだ。これから試合が始まるっていうのに与作はまだ怒りが収まらず、ぶるぶる体をふるわしてロッカーで吠えまくってる。「俺が左翼でトラゾーが中堅?ふざけんじゃねえ、俺はいっつも世界の真ん中だ、俺以外の奴がそこにいるなんて許せねえ。大王だからな、天がそう決めてるんだ、ここの神様なんかより上なんだぞ。センターは俺しかいねえ。だから俺の左っ側を守るトラゾーはライトだろ。ライトってのは日本語で右翼じゃねえか右翼。あいつの下品なつらにぴったりだぜ。ちがうかフク?」。やばい。とにかく何でもいいから相槌を打って急場しのぎしないと噛みつかれそうだ。「そうだよね、左翼は革命思想で危ないけど右翼だって戦争しちゃうから危ないよね」。「おお、フク、お前いいこと言うな、ちゃんとわかってるじゃねえか」。これではっきりした。ヒグマどもはやっぱり動物界の政権転覆を狙ってたんだ。

阿弥陀様の話には驚いたよ。公安の調査力ってすごいんだね。スパイ防止法ってのが大事だってことがよく分かったよ。天国の動物国会は猫族党と犬族党の二大政党制なんだけど、与作はヒグマ党を作って次の選挙に全員当選させようとハッキング、盗聴、なりすまし、裏金、賄賂、マネトラ、ハニトラ、恐喝、もう何でもアリで地下工作していたっていうんだ。猫と犬はペットで頭数が圧倒的だから仏様の数も多いよね。ここ数年、地球は猫ブームになってその影響がもろに出てきてね、天国でも犬は頭数で差をつけられて焦ってるんだ。しかも僕ら猫族は議会にケンカの強いライオン、トラ、ヒョウ、チーターなんかを送り込んでる。なぜかって言うと議論が紛糾して決まらないときは議長席の周りで乱闘になって相手を噛み殺しちゃったりするのもありなんだ。だから犬族も張り合ってオオカミ、キツネ、タヌキ、ハイエナを送ってるけどさ、まあ誰が見ても力の差は歴然なんだよね。だから最近は予算審議も法案成立も猫族が連戦連勝でさ、追い込まれた犬族にとって次の総選挙は存続をかけた天下分け目の戦いになるんだ。そこで与作は犬族党の幹部にそっと近寄ってね、なんと合併を持ちかけたんだよ。アホづらしてるけど実は抜け目ない奴だったんだね。それにしても犬族の幹部が腑抜けでね、あいつらには恥って言葉というか概念そのものがないんだろうね、ヒグマと組めばライオンとも戦えるぞとコロッとその気になっちまったわけだ。

合併の条件を見た犬族党の若手の怒りも凄まじいよ、だって圧倒的に数が少ないヒグマはなんと比例代表枠だけの立候補なんだ。しかも全員が名簿の1位2位でね、犬たちは今までどおり小選挙区で泥臭くドブ板ふんで戦えっていうんだ。これはひどいね、だってヒグマは全員が投票前から当選確実だよ、入試ならひとり残らず推薦入学もらったみたいなもんだ。つまりこの合併って大量の「犬死に」が前提なんだ。でもヒグマなしじゃもっと負ける、それどころか自分の身も危ないって幹部は誘惑に負けちまったんだ。犬族党の公約は全部変えます、育ててもらった主人の家が神道だろうが浄土真宗大谷派だろうがクリスチャンだろうが、ぜーんぶ今日からヒグマ教に変えます、お経でも何でも唱えます。すごいでしょ?地球では犬と熊は相性が悪いし、訓練した猟犬でもないと犬は食われちまうから敵だよね。でもここは天国だ。地球上では絶対にありえないことが起きちまうんだ。僕たち猫族だって明日は我が身かもしれないし若い犬たちにはけっこう同情してるんだ。こんな状態に追い込まれたのは無能な幹部どもの責任だからね、もし負けたら全員が公開処刑だろうって、天国じゃもっぱらの噂だよ。

「ニーチェ」と「トランピズム」の結婚

2026 JAN 16 18:18:57 pm by 東 賢太郎

年末に箱根へ行って、外食をすませた帰りのことだ。冷たく澄み渡った大気の中に煌々と輝くオリオン座に呆然と見とれてしまった。子供のころ、暗くなると毎晩外へ出て白い息を吐きながら、あそこに行くとどんな景色だろうと空想した。冬休みに家族で行った天城高原ロッジから目撃した、まるで宝石をぶちまけたようにぎらぎら輝く星空は豪勢でまばゆく、半世紀以上前のその感動までもが蘇ってしまったのだ。春夏秋冬、北半球、南半球、夜空のどこを見渡してもベテルギウス、シリウス、プロキオンの作る「冬空の大三角形」界隈ほど華やいだ眺めはない。僕はこれを「天空の銀座」と呼びたい。それにしてもだ、写真をご覧になって、12個の明るめの星々が三ツ星、小三ツ星までお見事に、まるで誰かに造形されたかのように並んだこの天空の “絵柄” は、「自然の産物」にしては出来すぎと思われないだろうか?

仮に3個のビー玉を同時に無作為に頭上に放り投げてみたとしよう。地面に落ちたその3個が正三角形を描くまでに、あなたは何回それをくりかえす必要があるだろう?では今度は三ツ星みたいにまっすぐ等しい距離に整列するには?では6個を投げて大小三ツ星になってきれいに並ぶには?それではいよいよ、12個いっしょに投げて「天空の銀座」になるには??

ペルーにある「ナスカの地上絵」は紀元前500年から紀元500年の間にできたことがわかっているが、空から見ないとわからない巨大なサイズなので飛行場が近くにできる1920年頃まで見つからなかった。どう見ても動物や幾何学紋様にしか見えない絵柄が、それも1つ2つではなく、なんと723個も描かれていて、古代の住人がやったとすれば関わった人数も時間も膨大なものだ。ひとりではできないから指揮した者がいるはずだ。彼(彼女)は何と言って人々に命じ、飯を食わせたのだろう?これだけの大工事をやらせるには目的を示す必要があってそれは伊達や酔狂とは思えない。そこでドイツのマリア・ライヘという数学者はこの地に住んで一生を捧げ、それが何か、誰が何の目的で描いたかを研究したがいまだ解明されていない。空想をたくましくしてみよう。オリオン座と冬空の大三角形は何者かが人類に見せるために描いた「天空絵画」であって、AIによると紀元前500年も形はほぼ同じだった。地球上どこにいても1年間のトータルの半分は夜ということを我々は忘れてるが、電燈がない古代人の夜は長かった。当時のナスカ人は毎夜に現れるそれを神様のメッセージと畏敬し、地上にいる動物を模写して生贄にささげたのかもしれない。あるいは現代人がSETI計画で強力な電波を宇宙に向けて発信しているのと同じ発想だったかもしれない。

広い世界にはもっと想像力のたくましい人たちがいて、古代には地球外生命体が頻繁に地球を訪れており、ナスカ人は彼らと交流しており目印として地上絵を描いたと主張する。僕はそれをエーリヒ・フォン・デニケンの著書『未来の記憶』で知り、中学時代に夢中になって読みふけった。それとトロイの遺跡を予言して発掘したハインリッヒ・シュリーマンの『古代への情熱』は興奮した二大書物だ。ドーンと謎が提示されて解き明かしていくタイプの読み物といえばエラリー・クイーンにもはまっていたが、 60年前の「宇宙人」のミステリー度合はNo1だった。

膨大な人数と時間を投入して古代人が造ったものの、何と人々に命じ、飯を食わせたのか未だ不明な物がもう1つある。エジプトはギザのピラミッド群だ。クフ王らの墓とされるが構造上の謎が残る。 3つの配置がオリオンの座の三ツ星を模したという説は真偽不明だが、目印説を取ればナスカと同じ目的ということにはなろう。私見では地球外生命体Xが我々の知らない何らかの目的のため2つ建てて去った。のちにクフ王、カフラー王の墓に転用され、3つ目は再訪の目印にと三ツ星に比定する位置に人間だけで建造したが完成できずメンカウラー王の墓になった。1つ目にXは宇宙普遍の数理を埋め込み、後世の人類が自分の来訪を知るきっかけを刻印した。

ピラミッドの謎とは?円周率・黄金比・地球緯度の秘密に迫る

これは映画「コンタクト」でこと座α星ヴェガから自然のノイズではあり得ない人工的な信号である二進数で記述された素数列を送ってきて知的生命体であることが示されたのと同じことだ。

両著者とも若い頃は秀才のようでもなく、デニケンは逮捕歴までありメインストリームの知識人には受け入れられ難いハンディはあるものの、常人離れした想像力と行動力を発揮して僕のようなタイプの少年に血沸き肉踊る知的刺激をもたらす人生を送ったことは何人も否定できない。そうである以上、学会の保守本流から受けた「世を惑わす似非科学だ」、「素人発掘で遺跡を損壊した」等の批判は、後述するようにニーチェが「ルサンチマン」と定義した物(要は嫉妬)を含んでいる可能性も否定できないのであり、大哲学者によって「良い人生を送るためにはやめた方がいいよ」とばっさり切り捨てられているものの類であると僕は弁護したい。仮にメインストリームの批判が客観的に正しいものであるならばご両人はSF作家だったと理解すればよいのであって、そうであっても彼らに対する僕の尊敬はいささかも揺らぐものではない。先ほど、懐かしいデニケンさんがどうされているか、ウィキペディアで検索してみたらこの1月10日に亡くなっていた。本稿を書きたくなったのはこれまた虫の知らせだったのか・・。そういえばその日、歯が痛くなって注射を打たれたらもっと痛くなってうんうん唸っていたのだが・・。

デニケンの指摘通りナスカの地上絵は地球外生命体との交信の証だったとしよう。しかし、それでも、偶然にできるには気が遠くなるほど確率の低い天空絵画の謎は残る。誰もそんな主張をしないのは、恒星が巨大な質量を持って遥か遠くにある物体だと知っているからだ。しかしそれは本当だろうか?もっと言うなら、宇宙の果てまで137億光年というが、それも仮説から計算した紙の上の数字に過ぎない。物差しになっている光速はおよそ秒速30万kmだということが実験によって証明されているが、それより速く進む物体は存在しないという仮説の方は証明できない。シミュレーション仮説信奉者の僕としてはその数字はこの宇宙を創造した者(神としておこう)が使用したコンピュータの処理速度の上限値に過ぎないから実は任意の値であり、137億光年という宇宙のサイズも同様だ。

洞窟の比喩

宇宙そのものがシミュレートされた幻影に過ぎないから大きさも重さもなく、我々が見てるのはまさにプラネタリウムみたいなもので、オリオン座だろうがアンドロメダ大星雲だろうが「天空の銀座」だろうが、絵柄は子供でも好きに描けるのだ。やはり同説の信奉者であるイーロン・マスクはビデオゲームの進化を例に挙げてそれを説明し、我々が見ている宇宙が現実である確率は10億分の1だと言っているが、この考え方の原型はちょうどナスカの地上絵が描かれたころに活躍したギリシャの哲学者プラトンの「洞窟の比喩」にすでに見られる。

似たような驚きを別のところで覚えたデジャヴがある。人間ドックの内視鏡検査で目撃した、僕の目には艶やかなオレンジ色のように見えた肉塊、すなわち自分の胃袋の中を初めて見た時だ。

「これが食道です、ここから胃ですね・・はいここから十二指腸になります」

女性の医師が手慣れたバスガイドみたいに説明し、ほーっと観光客みたいに眺めていた。これって、渋谷のプラネタリウムで聞いていた「この明るい星がシリウスです、何光年先で大きさは太陽の何倍で、その右がベテルギウスです、赤いのは温度が低いからです」なんてのとおんなじだなと思いながら、そこはかとない違和感を感じていたものだ。何だか自宅の部屋の中を他人が詳しく知っていて解説されてるみたいじゃないか。胃袋の所有者は俺だよ、なんで彼女のほうが俺より知ってるんだ?

それは、僕が作ったものではなく、両親とて設計図を見て作ったわけでなく、母のお腹で自然の摂理に従ってできたからだ。摂理というのは宇宙の仕組みと同じく創造者である神が創ったものだ。 1つの受精卵からいろんな臓器が分化してできて、その1つが僕の胃袋になっているわけだが、医師だって医学書の著者の博士だってなぜそうなって、どんなプログラムがどうやって作動したのかは誰も知らない。医学というものの創世記からの経験的学習によって誰の胃袋もそうなっていることを学んでいるだけで、彼女はぼくの胃袋がかつて観察された天文学的な数の胃袋のone of themであり、そうでない確率は海岸の砂浜から砂粒ひとつを選び出す確率より低いという仮説に基づいて解説を述べているのである。それはプラネタリウムの解説者がベテルギウスのあれこれを観測による経験的学習によって知っているのとなんら変わらない。つまり僕も医師も、脳みそからほんの 40cmの距離にある胃袋のことを「550光年先の星のことぐらい知らない」のである。そんな人類が世の中をわかった気になって支配しているのだから、史上初めて核兵器が用いられた80年前以降の我々はいつ全滅してもおかしくないという危うい均衡の中で生きていると言って全く過言ではない。「人間は考える葦である」とパスカルはパンセに書いた。それから350年もの年月が経っても、考えたところで大したことはないと思うのは僕だけだろうか。

考える葦が何をしてきたか、いかに浅はかな考えの連続であったかは歴史が教えてくれる。自由平等博愛の精神があれば神がいなくても人間は立派な社会が作れる。そう考えてカソリックを否定したフランス革命は約50万の人を殺した。それを肯定したマルクスの共産主義革命は人類が資本主義者に搾取されない理想の世界が作れると考え約9,500万の人を殺した。前稿で、僕は自分自身がフランス革命と啓蒙思想にルーツのある「自由」を心から愛する根っからのリベラリストだと説いた。人殺しの理念にかぶれていると誤解されたくないので述べておくが、僕がマルキシストでないことは「神はいる」と信じていることから証明される(その神は創造主であって名前は無いが)。そこに信心が至る契機は宗教でなく数学で唯物論的思考をたどっているが、結論は論理で導かれたのではなく天から降ってきたものだ。

それでは、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(1844 – 1900)が「神は死んだ」(Gott ist tot)と言ったことに対し僕は批判的であるか。答えはYes and Noだ。ニーチェの言葉は、ルネサンスによる科学技術の発展で「神が世界を創った」「神が善悪を決めている」といった従来の考え方が説得力を失い、長らく西洋社会の基盤となってきたキリスト教的な道徳や価値観がその力を喪失したことへの暗喩だ。神、魂、徳、罪、彼岸、真理、永遠の命、理性、価値、権力、自我などの概念は、弱い人間たちが自己を正当化して言い訳をするための「嘘」であり、キリスト教が目標とする偽りの彼岸的な世界の象徴なのだと説く。それを背景で支えている心理が前述の「ルサンチマン」(Ressetiment、無力ゆえの「憎悪」「嫉妬」に基づく、弱者からの「復讐」の感情)であり、「強者は悪だ」として自分を納得させ、「能力の高さより善人であるべき」、「迫害に耐える事で天国に行ける」と救済しようとする。彼はこれを否定して強者(超人)になれと説き、だから神は死んだと警鐘を鳴らしたわけである。また、解釈とは価値、意味を創り出す行為で多様だから世界はどのようにも解釈される可能性がある無限に二義的なものであって、唯一の真実などというものはなく、どこまで追い求めても「人間の解釈」というファジーで恣意的なものがあるだけで意味がないと考えた。以上の2点につき、僕は強い共感を覚える人間である。ルサンチマンから逃げまくり、ウソを並べた煙幕に救いを求める人達にとっての神は死んでいるが、しかし、宇宙を創造した神は存在し、人類を見守ってくれていると僕は信じているのである。

ニーチェはそこで興味深い概念を提唱している。永劫回帰(えいごうかいき、Ewige Wiederholung)だ。彼はスイスの著名なスキーリゾートでもあるサンモリッツの少し南にあるシルヴァプラナ湖の森(写真)を歩いていて、その啓示が突然に降ってきたという。

シルヴァプラーナ観光ガイド~定番人気スポットを参考に自分にピッタリの観光プランを立てよう!|エクスペディア

永劫回帰とは?この世界は、全てのもの(崇高なものも卑小なものも)が、まったく同じように永遠にくり返されるとする考え方である。キリスト教は始まりである天地創造があり、終わりである神の国の到来があって、歴史はこの終点を目的として不可逆的に進行するが、ニーチェは永劫回帰する世界はループ状で始まりもなく終わりもなく、それ1個しか世界はないとする。イメージとして、箱根駅伝の最初の走者が1区を走りきり、さあ2区だと襷を渡そうとしたらまた1区のスタート地点だったという感じだろうか。少年サンデーの「伊賀の影丸」(横山光輝)で、敵を追いかけて豪雨の中を走れども走れども着いた先は「三島の宿」だったという、童心にも背筋がゾゾッっとしたシーンが目に焼きついてる(左がそれ)。余談だが僕はこの絵で三島という地名を覚え、この作品全巻を何度も熟読することで日本語すらも覚えた、いわば元祖アニメオタクである。影丸たちは敵の妖術にたぶらかされていたわけだが、実は70年生きてみると世の中というものは丸ごとそんな感じであって、目的地到着が無いのだから何度走っても途中にあった険しい坂道や危険な峡谷が戻ってきて消え去ることはない。だからそれらは自分で乗り越えるすべを開拓しなければ回避できる道は永遠にないのだ。ニーチェはこれを「ニヒリズムの極限形式」と呼んだ。キリスト教のように今まで最高価値だと信じていたものが実はそうではないと悟った時、人間が持つに至る世界観がニヒリズム(虚無主義)である。そこで人間は人生を諦めてしまう消極派か、自分で切り開こうと思う積極派か、そのどっちかを考える価値もないとする悟り派に分かれるが、ニーチェは究極の選択として積極派を推奨した。つまりここで彼はヘーゲルの弁証法をも否定したことになり、後世に大きな衝撃と影響を残したのである。

積極派こそが究極であるのは、人間は消極的に虚構に逃げこんで傷をなめあっても現実世界では何の救済も得られないからだ。したがって、これが重要なことだが、強い者への憎悪、嫉妬、復讐心をかきたてて人間をそこに追い込んでしまう「ルサンチマン」というものは苦悩、無限地獄の元凶とみなすべきなのである。嘘を垂れ流して「強者を憎め、妬め、復讐せよ」とする、耳障だけは良い「絶対的原理」を吹聴する者を拒絶せよ。そして、次々と生まれ出る真理の中で戯れ遊ぶ超人になれというのが彼の主張だ。この点においても僕はまったくもって同感だ。人間は、いくら頑張っても強い者を否定しても合理的な基礎を持つ普遍的な価値など手に入れることはできず、流転する価値、生存の前提となる価値を承認し続けなければならない、いわば自転車操業を続ける悲劇的な(かつ喜劇的な)存在である。もう笑うしかないぐらい今の自分を言い当てられた気がする。それでもくじけてしまわないのは、健康で生きることの喜びを肯定し続けられているからだと思う。

現状の日本国を俯瞰するに、そうした生き様を貫いている人の数は減ってきているような気がする。失われた30年なる失政を遠因とする慢性的デフレなのか、コロナ禍が社会の活力を蝕んで劣化させた結末なのか、戦争に端を発した輸入インフレの延焼による物価高なのか、その原因は一概に判断できないが、おそらくはそのどれもが相まった複合的現象として日本中に蔓延し、世の中を沈滞させてきたのだ。そしてその空気が俄かにより一層重くなり、日本国の天空に半透明のドームでもかぶせて暗くされたかと危機感を覚えるほどの変調を覚えるようになったのは3年半前に安倍元首相が暗殺されたその日からである。あの極めて不可解なのだが不可解でなかったかのように整然と始末されていった不可解な事件以来、それを本当にそう思っていないのだろうと見えるのに十分なほど無能である総理大臣たちの下で、無言の衝撃をうけた日本国は国としての生体反応が停滞し、国民は生活の先行きが見えない不安の中で五里霧中となり、近隣諸国の軍備拡張に無力のまま怯える日々という暗い洞穴にに落とし込まれてしまった。そして、あたかも次へ進む希望の道への一里塚であるかのようなもっともらしい体裁を伴って、オールドメディアは次から次へと以下のような「空虚言語」をばらまいていったのである。

夫婦別姓、LGBT、女系天皇、多文化共生、多様性、環境、SDGS、国際、平和、交流、生活、貧困、教育、福祉、慈善

いったいなにが起きていたんだろう?? ニーチェならこう答えるだろう。

『ルサンチマン』という毒薬がばらまかれたんだよ

「空虚言語」(Empty Word)というものがある。フランスの哲学者で精神科医のジャック・ラカンの用語で、安定した意味を持たない記号のことを指す。言葉に見えるが実は記号である。そのため意味は常に変化し文脈に依存し、対話型AIのハルシネーション(幻覚)の原因にもなる。人間は自己都合や邪悪な動機によっていくらでもハルシネーションを喚起できるので、「空虚言語」を並べてルサンチマンを巻き散し、解毒できる絶対的原理ですよとプロパガンダを吹聴することは一定の政治的効果を期待できよう。だから無能な政治家ほどそれに頼るのである。「これからは**の時代です!」など「空虚言語」を連呼するだけの政治家は自分の頭も空虚であることを開陳しており、政権奪取しようとは実は1ミリも考えていない万年野党は、年収4000万円で政治漫談を演じる芸人一座である。

ニーチェが「嘘」だとばっさり切り捨てた次のような言葉はラカン派精神分析においては「空虚言語」である。

神、魂、徳、罪、彼岸、真理、永遠の命、理性、価値、権力、自我

当時これらをルサンチマン解消の特効薬としてばらまいたキリスト教会こそが絶対的原理の吹聴者であり、永劫回帰するこの世に唯一の真実などというものは無いのだからそれはすベて嘘である。世界はどのようにも解釈される可能性がある無限に二義的なものであって、どこまで追い求めても「人間の解釈」というファジーで恣意的なものがあるだけという意味において、目的が自己利益の追求オンリー(今だけ金だけ自分だけ)の政治家にとって「空虚言語」は便利で親和性が高い。例えばどこから見ても堂々たる左翼でしかない政党が、一つだけもっと左翼の政党があることを盾にとって「我々は中道だ」といえば、「中道」というまるで絵にかいたような「空虚言語」が記号としての本来の役割を発揮してもっともらしく聞こえ、無知の国民を騙し、場合によっては対話型AIのハルシネーションまで誘発して害悪を増幅しかねない。そうした税金の無駄である政治家を駆逐するには「充満した言葉」(Full Word)のみで自己の定義を述べよと徹底して追い込み、悪手を封じればよいのである。

ことの危なさはアメリカ合衆国でも同じである。ドナルド・トランプは福音派のキリスト教徒だ。ニヒリストではないのだから彼がニーチェ哲学の信奉者である可能性は高くないかもしれない。しかしビジネス界における強者である彼がルサンチマンを抱く人間である可能性はほぼゼロであり、愛国者として国をもう一度強く豊かにしたいとMAGAをスローガンに掲げる意思の根源が福音派の教義にあったとしても、それはニーチェが否定した弱者救済のためのものではない。彼がDOGEを立ち上げ、「言葉遊びより常識が大事」「人間には男と女しかいない」と子供にも伝わる地に足の着いた言葉(Full Word)をもって絶滅に追いこもうとしている敵はアメリカ合衆国の内部に深く寄生してしまった、空虚言語を振りまわして世を惑わすグローバリストだ。暗殺者の銃弾が耳をかすめても何らひるむことない姿は、来世での救済など望まず命を捨ててでも現世で為すべきことを為すという強烈なコミットメントにおいて、意図しようがしまいが、彼はすでにニヒリズムに至っており、 ニーチェが生きておればその姿勢を肯定したのではないかと思うのである。まことに痛快な限りであり、我が国でも高市政権が斯様な政治改革をしてくれるだろう。

両人ともがまさしく超人 (Übermensch)なのである。トランプにおいては国連や国際法の存在というものは、彼に対する福音派ではなく、ニーチェに対するキリスト教教会の総本山の位置づけに既になっていると思われる。ということは、ベネズエラ襲撃において、彼は「神は死んだ」と宣言したのである。その是非をここで論じても仕方がない。絶対に避けねばならぬ事はただひとつ、キリスト教もニーチェも想定していない、人類が全滅する殺し合い(第3次世界大戦)の勃発である。彼がそれを理解し、神もその回避を望んでいると解釈していることを信じたいし、世界各地の小競り合いがそれに発展することを止められるのは彼が功罪合わせ飲んででも行使する軍事力しかないということもわかっているだろう。今我々がこうして生存しているということは、現在のループにおいて絶滅危機は起きていないことを示している。しかし前のループでそれはなかったのだろうか?人類はかつて二度三度滅亡していることが古代遺跡から分かると唱える論者もおり、ノアの箱舟がなければ実は一度滅亡していたのではなかったかと考える者もいる。トランプが人類の救世主なのか破滅の大魔王なのかは現時点においては誰にもわからない。おそらくトランプ自身もわからない。だから彼のここまでの行為の是非はニーチェの言う無限に二義的なものだと考えるのがフェアである。それを、何がしか頭を使った痕跡は一切無く一義的に「いかがなものか」とパブロフの犬のごとく騒ぎ立てている連中は何のルサンチマンに掻き立てられているのか知らないが、超人への途上にないことだけは間違いない。高市総理の解散権行使によって絶滅の危機に追い込まれる事が確定した政党の上層部が、政策の説明など一言も無いまま自己保身のため絵にかいたような野合を唱え、その唐突さを緩和しようとオールドメディアが子供でも嘘とわかる応援記事を書く。人生終わった爺いどもの気色悪い抱擁一色で高市・メローニの期待に満ちたハグはスルーで「なかったことに」で葬る。しかし、この偏向報道があまりに露骨だったことでかえって国民は気づいてしまった、軒下に潜んで蠢いている奇怪な害虫がまだ駆除できていないことを。このありさまが、あの2022年7月8日の、宇宙の常識を一掃する異様さであったシンクロ報道の既視感を鮮やかに呼び覚ますからだ。こういう連中に無垢の国民が騙されつづけ、政府が一刻も早く駆除の手を打たぬならば、実質的にニーチェ主義化したトランプは自助努力せぬ日本をいずれ見捨てるだろう。高市総理は切った舵のとおり冷徹果断にやり抜くことを日本国存続のために強く期待する。

ニーチェがラ・ロシュフコーとショーペンハウエルに影響を受けている事は興味深い。両人の書物は我が愛読書だからであり、何かが底流で通じているかもしれない。彼がワーグナーに一時傾倒したことはクラシックファンには周知だろう。その点に関しては、僕はニーチェ自身が作曲をたしなんで作品を残していることと同じぐらいは意味を感じる程度である。むしろ、ニーチェ思想が明治後期から大正にわたる日本の名だたる知識人に衝撃を与え、高山樗牛、夏目漱石、新渡戸稲造、和辻哲郎、阿部次郎、萩原朔太郎、芥川龍之介らに大ニーチェ論争を巻き起こさせ、何より僕がファンである夏目漱石が明治38年ごろ、『吾輩は猫である』執筆中に『ツァラトゥストラ』の英訳本と格闘していたことのほうがずっと重大である(左)。高山、和辻、阿部以外は哲学者でなく文人であるがニーチェに没頭して大論陣を張っている。知識人とはこういうものだ。現代の我々から見れば西洋の哲学や芸術や文学に関わる情報も造詣も未だ十分ではない時代にも関わらず、先人たちがそれほどのインテリジェンスを確立していたことを誇りに思う。東洋にそんな国は日本しかなかった。ちなみに芥川龍之介はストラヴィンスキーのレコードを持っていて、それを聴いて育った次男の也寸志は作曲家になった。漱石がツァラトゥストラを選んだ理由といえば 「神の死」「超人」「永劫回帰」が語られているからだろうか、「猫」の後半にその影響があるとされているが僕はまだよく理解できていない。

締めくくりにリヒャルト・シュトラウス作曲の『ツァラトゥストラかく語りき』を聴いてみよう。ウィキペディアのタイトルは「こう語った」になっているが僕はどうも文語調の「かく語りき」でないと収まりが悪い。演奏スタイルも1970年代にアナログのステレオのHiFi録音技術がピークを迎えることに合わせた豪華絢爛型、そして80年代になるとデジタル録音とCDという新メディアによって静謐な細部まで分解能の高い透明感を謳った演奏も出てきた。そのどちらもがメリットとなるように巧みに書かれているリヒャルト・シュトラウスのスコアの質の高さが時代を追って浮き彫りになってきたように思う。この曲及び英雄の生涯はフランクフルト歌劇場管弦楽団によって初演された。僕が同地に駐在していた頃の同歌劇場の音楽監督は読響でメシアンの秀逸な演奏を何度も聴かせてくれた現在世界最高クラスの指揮者シルヴァン・カンブルランで、現在の読響音楽監督セバスティアン・ヴァイグレも2003年まで同じポストにあったということで縁を感じる。

スタンリー・キューブリック監督が「2001年宇宙の旅」に使用したため冒頭部分2分ほどばかりが有名になってしまったが、全曲に渡って隙のない見事な音楽である。シュトラウス自身が1944年6月13日にウィーン・フィルハーモニーを振った録音は宝物だ。 80歳の誕生日を記念して1週間の放送スタジオコンサートが行われ、正規録音はないが家族がプライベートに録音した音源ではないかとされているのがこのビデオだ。何度かの復刻により音も鑑賞に耐え、作曲家の解釈が最も反映された演奏がVPOにより再現されている価値は何ものにも代えがたい。これを知れば豪華絢爛型の演奏スタイル、ましてやディズニーの伴奏音楽みたいな路線は本質をおよそついてないことがお分かりになろう。なおコメントにあるが、この演奏の3日後にスタジオから数マイルしか離れていない石油精製所が連合国の激しい空爆で殲滅されたという。そんな空気の中でこれだけの演奏ができてしまう音楽家たちには畏敬の念を覚えるしかない。

ステレオ録音でもう少し良い音でという方。ヘルベルト・フォン・カラヤンは記憶ちがいでなければこの曲を3回録音している。ベルリン・フィルハーモニーとの2つは品格を伴っている純度の高いゴージャスな演奏である。そちらを好む方に何の異論もない。しかし、これは多分に趣味の問題ではあるが、僕はやはりリヒャルト・シュトラウスにおいてはウィーン・フィルハーモニーが本能的に持っている音楽の変転する流れやメリハリへのアジリティー(敏捷性)、および感度の高さと艶やかな音色がなければ物足りない。そこで、同じ趣味の方にはカラヤンのデッカ初録音である第1回目の演奏をおすすめしたい。これは日本では1973年の9月ごろに、カラヤン初の廉価盤として千円で発売されあっという間に売り切れになった一群の懐かしいLPの内の一枚でもある。ツァラトゥストラはこのレコードが2001年宇宙の旅に使われたものであるというふれ込みでシリーズの目玉扱いであり、買うかどうか最後まで迷ったが高校3年生で金が無く、ブラームスの交響曲第1番、ホルストの惑星、くるみ割り人形とペールギュントという当時に関心のあった曲の選択になってしまった。 1959年の録音であるがデッカ肝入りの素晴らしい音で、演奏は作為的な見栄や贅肉のないギュッと引き締まった魅力があり、今より音色に色気があった頃のウィーンフィルが香り高い音でシュトラウス直伝のニュアンスまで余すところなく伝えて文句なしだ。

 

 

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