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男にとって権力は蜜の味

2019 AUG 19 0:00:06 am by 東 賢太郎

5か国で企業のマネジメントをした人は知る限りいない。いないのだからわかってもらえることもなく、実は一番面白い体験が多いこの話題で飲んで盛りあがれないのは寂しいものだ。試みたことはあるがほぼポカンとされるだけで、時に空気を読める人からお義理の「あるある」が返ってくるが、それって旅行者の話だよねって100%勘違いのリターンだ。でも、それだってうれしい。日本は今に至るまで鎖国中なんだから仕方ない。

ということは、僕のキャリアは評価できる人もいないから買ってもらえないし、日本企業の現地の管理はローカル化というのが昨今の流れだからもはや用なしであろう。昭和どころか戦時中の軍隊の話に聞こえるかもしれない。でもいいのだ。個人的には日本男児として気持ちの良い仕事をさせてもらったからだ。日の出の勢いだった当時の野村の海外拠点長はその国に赴任するとマッカーサー元帥みたいに迎えられた。ドイツは内部昇格だったのでそれはなかったが、トップとして着任したスイス、香港はそんな感じだった。

男にとって権力は蜜の味といわれる。比較的そういう人間ではなかったが、経験すれば何人(なんぴと)も否定できないだろう。後にさっぱり権力がなくなってから読んだ本、たとえば劉邦、曹操、始皇帝、則天武后(女だが)、アウグストゥス、アレキサンダー大王、スレイマン1世、ヒトラー、スターリン、チャーチル、羽柴秀吉、伊藤博文などの伝記は、英雄譚ではなく蜜に群がった蜂たちの悲劇である。そんな人たちと比べるのもなんだが、自分のしてきた行状は卑下でもなんでもなく凡人の喜劇であったように見える。

権力は人を吸い寄せる。本当だ。ずいぶん盛大に寄ってきたが、なくなると見事にパタッと来なくなる。ネコはエサをくれる人になつき、鳴き声まで高い。人もおんなじなのだ。何年か前から多少業績がいいと、また寄ってくる。金は権力の化体であることを知るが、そういう事なら僕が受ける必要もない。受けたいのは権力にも金にも健全なアンビションがある人、すなわち育ててみたい若者だ。野村やみずほを辞めてIFA(インディペンデント・フィナンシャルアドバイザー)として独立してる後輩たちが来てくれる。ビジネスを通じていろいろを経験させ、老体に代わって権力も持ってもらいたい。

権力があるとは、企業目的にかなってさえいれば自分のやりたいことを妨げるものは何もないという状況のことだ。本当はそうでもないが、そう思っていいという心理にある自由が与えられる状況となら言って間違いはない。その自由は信じられないほど心地よかった。そこでこうしようああしようと考える。自由とは自己責任と裏腹だから必死に悩む。それがどれだけ優れた思考訓練になったか。マッカーサーが日本で悩んだかどうかは知らないが、たぶんそうだろう、そういう空想ならできる。彼も大変だったが僕もそれなりに大変で、悩んだ割にはあまりうまくもいかなかった。しかしそれでも余りある、今ではもう信じられないマグニチュードの経験と記憶をたくさんもらった。

時々夢に見る。なぜか再び野村で働いていて、海外の拠点長として赴任するのだ。オフィスに入って行く。デスクがあって部屋があって秘書がいて、窓の外の景色も見覚えがあって、それがどこなのかどうしても思い浮かばないが、どこか知った所のような気もする。小さい店だ。いまさらこんな所かと訝しく思うと、なんだこれは夢かと思う自分が出てくる。するとそれを制止するように、いや、この店は経験したじゃないか、覚えてるぞ、ヨーロッパだ、そうかもう一度やるんだ、これは現実だよ、という喜びが湧いてくる。たいがいそこで目がさめる。

これが蜜の味の幻影だ。トップのデスクに座って何が特にいいということもない。仕事づくめの日々は若いころと変わらなかったのに、しかし、無意識の中で甘美な思い出に変質しているのに我ながら驚く。蓋し人生はそういうものをなるべくたくさん得ようと追い求める地味な作業工程のようなものであり、頑張ってもほとんどがうまくいかないがいったときの喜びは格別なのだ。求めるのが権力である必要は毛頭ないが、それはアンビションある者にとって頂点でありアイコンである。それを目標にするなら政治をやればいいし、ビジネスでもCEOとして持つことが可能である。

僕はソナーの商品を権力も金もある人に役立てることだけをしてきた。それはビジネスだから仕方ないが、強者が強いだけでは世は回らないと常に考えていた。内閣総理大臣の登録を受けたIFA(金融商品仲介業者)が法的整備を伴って出現したことは望ましい潮流だ。ひとつの金融機関に所属すると商品選択の自由度が限定される。だから独立・中立的な立場から顧客の立場で資産運用のアドバイスをしようと就職した証券会社や銀行を去る判断をした人たちであり、独立する自信があるぐらいだから非常に優秀だ。彼らと一緒にもう少しマクロレベルで思考してみたいと考えるようになった。我こそはと思うIFAの方は大歓迎するので連絡してご参集いただきたい。

反日という韓流ドラマ

2019 AUG 16 15:15:40 pm by 東 賢太郎

民主主義政治というものは限りなく興業と似ている。ウォートン・スクールでマーケティングの教科書にトマトケチャップの売り込みと大統領選の選挙参謀のケーススタディが同列に論じられていて驚いたが、いまとなると意味がよくわかる。それをご説明したい。大韓民国大統領主演による「反日時代劇」が、MBAの教材にふさわしいほどマーケティング理論に則り、真の国民の利益ではなく興業に資するものであるということをだ。その意味においてこの劇は効果的であり、韓国内での人気においては空前のエバーグリーンであり、16世紀の豊臣秀吉にまで遡る大河ドラマでもあり、悠久の歴史を背景とした大作としてグラミー賞を検討すべしとの声でもいずれ出てくるのだろうかと思わされてしまう。

「反日時代劇」には時代の空気を敏感に反映したモダンな演出も加えられるのが特徴で、朴槿恵氏は史上初の女性大統領という自身のアピールポイントを十全に活用し、従軍慰安婦像の外国での建立働きかけという刮目すべき新機軸を打ち出した。オリジナルの台本にない革新的なアイデアという意味で、僕は1976年にピエールー・ブーレーズとパトリス・シェローがバイロイト音楽祭で聴衆を驚かせた新演出を思い出す。シェローは「ラインの黄金」で古くさいワーグナーを一変させ、『発電所のダムをラインの乙女ならぬ売春婦が走り回る』という誰も予想だにせぬ舞台を設定して世界の度肝を抜いた。朴槿恵氏の場合は、さらにクレジットがある。そのアイデアが日本の大新聞社発だったという点で、新時代の日韓の合作という色彩を帯びたことも特筆されるからだ。

この劇はかように時の政権による加筆、シナリオライティングが可能であり、従って次の政権がそれをさらに加筆修正または全面撤回することも可能で、マーケティング理論が国家間合意より優位である。ただし青瓦台挙げての上演だけにコストが高くつくのは周知であり、結局それはチケット代として韓国国民が支払わされるのだが、日本人が忠臣蔵を根強く愛するのと同様、それでも韓国人は何度でも観て留飲を下げたいのである。しかし今回の上演だけは違ったものとしてとらえられている。反日物で右に出る者のない大物俳優である文在寅氏による新機軸上演コストが高すぎ、後から回ってくるチケット代の請求書を見るのがこわいという声も出だしているときく。

「反日時代劇」は韓国人や、これで鉦や太鼓を鳴らして食ってる日本の人にとっては大事だろうが、見飽きた日本国民は「また始まったか」の程度だ。ちなみに僕の仕事仲間はみな高学歴のインテリでグローバル派だが、驚くべきことに韓国に行ったことのある人は1~2割しかいない。つまり、のっけから関心がない。文在寅氏は先鋭な発言で怒らせるという形で関心を喚起はしたが、日本人は「人の噂も七十五日」ですぐ忘れる。現に8月15日の文大統領演説はもう巷の茶飲み話にもならなかった。しかし噂と怒りは異なる。氏がこれから対日融和姿勢に転換して見せれば元に戻るかといえば、YES & NOだ。韓国への関心は七十五日で消えて元に戻る。一方、天皇陛下まで愚弄された怒りは解けず、もう元に戻ることはない。したがって、文氏の採れる選択肢はひとつしかない。このまま徹底して強硬批判、反日抗戦の姿勢をとり、李明博氏が竹島に登ったような大向こうを唸らせる「三人連獅子」クラスの大パフォーマンスで歌舞くなどして韓国国内の興業として成功させる。もとよりそれが目的なのだから矛盾はない。

ひとつ気になることは、米国の視点だ。GSOMIA(軍事情報包括保護協定)までディールのネタ扱いする姿勢を文在寅氏が見せると「おまえ、連獅子やってる場合じゃねえだろ」と米国に殴られる可能性があろう。在日米軍駐留費を5倍にしろとボルトンが日本政府に言ったというウソの報道が前述の大新聞に出たが、それは在韓米軍の話、つまり言われたのは韓国政府だけであって、カネのない青瓦台はひっくり返り、ホワイト国どころの騒ぎではなかったのが真実のようだ。日本もだよとその衝撃をウソで緩和させてあげようという記事が日本で平然と出る(同紙はこっそり修正した)。親韓の日本語記事は日本人が書いたように装っており、その辺の日本人大学生などよりよほど難しい言葉を勉強していて感心はするが、ちゃんとした日本語を書くのは難しいのだ。すぐわかる。

米国にとって日米韓軍事協定(日米+米韓だが)は対中国防波堤という戦略的意味を持っている。それがソ連であれ中国であれ、ユーラシア大陸の敵を見張る橋頭保として、良くも悪くも朝鮮半島と日本列島は地政学的重要性のある場所に位置してしまっている。だから北朝鮮がどっちにつくのかが米国の重大事であり、できる限り中・ロと分断したい。韓国が北と融和を図るとどうなるか。北とともに朝鮮半島が中国に取り込まれ、橋頭保は日本だけでいいという戦略を米国は容認しないだろう。とすると文在寅氏の劇はどういうシナリオになるだろう。北と米国が融和しない限り両国に踏み絵を迫られ、どっちについても危険になる。

北との融和、終戦協定と簡単に言うがドイツのようにはいかない。東ドイツは食料とバナナと高級車こそなかったが共産国優等生で工業、商業、教育、人材、文化はあったのであり、政治家にも民主化する素養は一応はあり、オリンピックは強くて国民は元気だったのは記憶に新しい。それでも僕が住んだ1992年の統一ドイツは経済が一気に疲弊し、旧東独国民を失業させないため、企業をつぶさないための無理やりの逆平等政策を強行し、あんな怠け者の無能な奴らにという怨嗟の声が旧西独側に渦巻いた。パブリックに言えずストレスも蓄積し、それはそれは激烈なものであった。30年たった今でもドイツ国民は収入から東独復興税を徴収されている。韓国民は50年、へたすると100年も就業の悪平等に悩みつつ膨大な「民族統合の喜び税」を搾取されるという踏んだり蹴ったりになるはずであり、日本には二度と負けないなどと息巻いている場合ではなくなるだろう。

それは分かっているのに、韓国大統領になるためお決まりの反日劇を演じ、新演出の度が過ぎてついに韓流ドラマ好きだった日本人まで怒らせてしまう。渡韓経験がある国民でも韓国は芸能、焼き肉、エステぐらいしか生活に関係なく、しかも半導体など知らない。韓国側が「規制三品目は自国生産できる」と息巻けば、韓国ファンの国民は額面通りに受け取り、同情心も出なければ退路を作ってあげようという声も出ないだろう。つまり、もう日本のことは一切あきらめて自ら遠ざかり、残る唯一の光明である北とくっつくしかない。そこで難敵は米軍駐留費5倍を迫る米国トランプ政権となるのである。米国と切れれば国防を握られて北の言うなり政権になるが、韓国の多くの国民はそれは望まないだろう。米国との軍事同盟を継続すればトランプに米軍経費として現状の5倍の5千億円をふんだくられる。今の財政状態ですらそれをあがなうには増税が必要であり、へたすると朴槿恵末期なみの暴動が起きるだろう。

韓国のGDPの4割は輸出でその半分は半導体だ。その半導体を射抜かれたのは致命傷だ。GDPはほぼ確実に下がるからウォンも下がり購買力は減る。半導体ビジネスを国家規模で牽引するサムスンが身銭を切って韓国にとどまる合理的理由が世界の株主に対してあるだろうか。今や期待のエースで4番であるサムスンだが、そんな国の宝の李在鎔COOを崔順実ゲート事件で1年も牢屋に入れたのは、財閥叩きで支持率アップを狙った文在寅政権であるというのが定説だ(三権分立とはいえ)。その挙句に国に協力しろというのも凄い。新機軸の不条理劇だねと日本の財界では語り草になっている。サムスンが残ったとしても政権による国民(特に支持層である低所得労働者層)への最低賃金公約はとうてい達成できないことは政府がすでに公表している。無理にやれば今度は中小企業経営者が騒いで低所得労働者層は真っ先にクビになって失業する。要は、あらゆる角度から、子供でも分かる王手+飛車、角、金取りの絶体絶命なのである。友人がいるので、今回が「悲劇」に終わらないことを祈る。

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いじめにあってる子たちに

2019 AUG 15 21:21:18 pm by 東 賢太郎

唐川の球があっけらかんと打たれる。それがプロだ、日ハムの打撃力だといってしまえばそれまでだが、僕にはショックである。自分があんな感じになりたいと思っていた憧れのタイプの、しかもずっと格上の投手ですら打たれるのだから、結局自分が天狗だった能力なんて世の中では虫けらみたいなもんだという結論になってしまう。ということは、それが男として唯一の自慢だった僕には実はたいした能力はないという冷たい結論になるのである。

こういうショックは大事だと思ってる。そうやって、信じたくないことを客観的に思い知らされて学ぶからだ。それは野球の経験があるからできるのだが、「経験がないことからでも学べる」ということを経験して知ってさえいれば、実は学べるのである。つまり、何でもいいから自分の経験から「学んだぞ」という実感を得る。次に、その実感をもとに、経験はないけどあったらあのケースではこう感じるのではと類推する(自分で考える)。答えは、経験している人をたくさん探して質問してみる。何度もやっていると、だんだん正答率が上がってくる。類推がうまくなるのだ。こうなればしめたものだ。

人は負け、失敗、屈辱から学ぶものだと思う。だから何かしてだめだったらラッキー!と思わなくてはいけない。失敗は自分の弱点を教えてくれる先生だ。それを受け入れることに明るく前向きでいることだ。もし唐川が抑えていれば僕の天狗は64才の今も変わらなかったろう。それは事実でなかったことを眼前でなまなましく目撃してしまい、またひとつ根拠のない空元気が消えた。唐川本人がショックを受けたかどうかはともかく、僕は彼の失敗を通して「地球上で自分が座標軸のどこにいるか」を知る手掛かりをもらった。誰しも自分の良さも欠点もわかっていないものだ。そして、それを正確に知れば知るほど良いことがある。失敗が減るのだ。敵を知り己を知れば百戦危うからずなのである。

己を知らずに百戦を挑み続ければ、誰でもやがて確実に負ける。無敵の人はひとりもいない。世の中に自分より強い者、元気な者、賢い者、強運な者はいくらもいるのである。僕は真剣に頑張った野球と受験で思いっきり負けてしまい、自分を癒して逃がしてあげる道すら失い、若くしてけっこう正確に自分の「たいしたことない実像」を知った。人生で何が幸運だったといえば、それが最高のラッキーだ。だから大人になってから初めてそれを思い知って挫折してしまうという致命傷を負うことがなかった。まことに格好悪い現実なのだが、そこからは負けるケンカはしないという知恵がつき「敗戦率が低い」から生き延びただけだ。勝つ必要はない。勝とうと思うとリスクもあるしそれでも確率は高くない。長いこと負けない方が簡単であり「たまには」いいことがある。その「たま」は意外にも結構あるものであり、それが落ちてきたときつかむ難しい技はいらない。たまたま「そこにいる」だけでいいのである。

若い時はいくら逆境に落ちようと負けようと、めげさえしなければまったく致命傷ではない。僕は小学生のころ、早生まれで体も小さくて女の子に腕相撲を挑まれて負け、読むのも書くのも遅く、何をしてもぐずでのろまでお昼休み中に弁当を平らげることすらできず、勉強はできない方だった。当然ケンカは弱くていじめられたし、性格は変わっていて孤立したし、いま美点凝視で思い出そうとしても何もいいことがない。中学は公立で環境は変わったが美点のなさは似たようなものだった。野球が救いにはなったがまだ草野球であり、勉強だけは精一杯に頑張ったが高校は志望校を落ちた。

ところが、どういうわけか、親がそういう風に教育でもしていたのだろうか、今に見ておれそのうちわかるさという揺るぎない自信が不思議と心の底にあり、何があろうとあわてることがなかった。つまり、今になってみると、鈍感だったのである。僕は身体も暑い寒いに鈍感で衣服に頓着がない。頭痛と胃痛は経験がない。時間も方向も鈍感。人心や空気に鈍感。こういうものは、色がわからないのと一緒こたにして脳があきらめて捨ててしまったと思う。よく「鈍感力」とポジティブにも解釈されるがそんな立派なもんじゃない、ただニブい、ピンボケている、自分ではそんな感じである。

もしもいじめや失敗で悩んでいる人がいたら、生んでくれた親の愛、仮にもしもそれがなくたって、世におぎゃあと生まれて今そうして生きていることの幸せだけを見つめなさい。そして、家庭や学校や周りがどうあろうと、誰がなんといおうと、思いっきり鈍感でいなさい。学校は嫌なら行かなければいい。行くことが義務だと思う社会自体がいじめやパワハラかもしれない。何度も書いたが、僕は学校は行ったが教室では飲み込みが悪くて習わず、家で自分で考えて自分から習った。それでもハンディになんかならないし東大にも入れるのである。いやな奴など気する必要すらない、完全無視で何も感じなくなってしまえば怖いものはない。そして、「いまに見てろよ、そのうちわかるさ」と思ってさえおけば、そんなくだらないものや連中はあなたの人生には、確実に、何の関係もないと経験から断言できる。

僕のブログは今現在でPVが395万5338で、グーグル・アナリティックスによると「すべてのユーザー」の32%が年齢18~34才である。自分の3人の子供もこの年齢層であり、こんなに多くの若者たちが読者の3分の1というのは何年も前から変わっておらず、まさに誇りであり本望だ。僕の文章やコンテンツは分かり易くないし、分かり易くしようという気持ちもない。ただ、若者がこれから自力で運命を切り開いて、強く生きていくためには大事と信じることを書いている。未来の日本を背負って立つ人たちに自分の経験や失敗からの教訓を書いて残しておくのは僕らの世代の最後の仕事と思っている。ひとりでも何かを感じ、学びとってくれ良い人生を歩めたとなれば、この時代に産んでもらって果たすべき義務を果たしたことになるかもしれない。

 

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NPBの謎「パリーグの方が圧倒的にレベルが高い」

2019 AUG 15 15:15:59 pm by 東 賢太郎

きのう日ハムの吉田輝星投手が先発する試合を見た。それでだろうか東京ドームは9割の入りだった。しかし2回+で打者12人に5安打。4三振は奪って大器の片鱗は見せたものの、荻野、鈴木に文句なしの3本塁打を食らって6失点ではKOといわれても仕方ない。

去年の甲子園の方が速かったし球威もあった(そっちは球場で観てないがたぶん)。この試合まで7本塁打だった荻野はなめすぎ。1発目は強気で全部が直球で、2発目は反省の変化球が甘すぎ、鈴木も直球、どれも問答無用の完ぺきにとらえられてれ引っ張られて中段にぶちこまれた。あの高さね、高校生なら打てないがプロは打つよ。わかってるから制球のため球威を犠牲にしたんだろうが、その148キロじゃ通じないわけであって、そうした割にはあの甘い球なら何も考えてないのと一緒。こんな甘ちゃんやってるとハンカチ王子化するんじゃないか心配だ。

終わってみて、強烈な印象が残った。久しぶりにパリーグの公式戦を見たわけだが、レベルが高い。どれがというより、簡単に言えば、投手の球が速くて打者の振りも速くて守備もうまい。いつも見てる巨人戦なんてクソだよ、この前のあほらしいヤクルト戦なんてなんだあれは少年野球か。日ハムを東京ドームに戻してほしい、巨人戦なんか辞めてそっちを年間予約したい、僕はうまい野球を観たいだけだから。

ロッテ・小島

ロッテ先発の小島(おじま)。いいピッチャーだと思って試合終了後に調べたら新人であり浦和学院でセンバツ優勝投手で早稲田大のエースだった。直球138キロぐらいだがスピン量が多いんだろう、ことごとく日ハムの打者は差し込まれており清宮と万波は2三振。フォームの割に伸びてきて空振りが取れてる。柔らくてピッチングがうまい。これが初勝利とは驚きでいいものを見せてもらった。6回4安打6奪三振1失点はあっぱれで成瀬、SBの和田みたいになりそう。好きなタイプであり応援したい。

日ハム・公文は巨人から来たぐらいで注目もしてなかったが、実物を見て印象がガラッと変わった。145あたりで強くていい球を投げてる。今の巨人は欲しいだろう。ホームランを打った大田泰示もそうだが巨人は高額の補強をする裏でいい選手を出してしまっている。和田恋もそうなるかな。

ロッテ・唐川

最も印象に残ったのはロッテ・唐川だ。体重が乗って腕が遅れてスピン量が多い素晴らしく伸びる球を投げる。高校時代から知っていた。成田高校。1年秋からエース。140ぐらいの直球と100あたりのカーブだけ。それで甲子園は3度出て大阪桐蔭の中田翔、仙台育英の佐藤由規と高校ビッグ3と呼ばれ、ロッテと広島が高校生1巡目指名してロッテが引き当てた。剛速球ではないが打てない、三振もとれる。いかにストレートの球質がいいか。実は、僕の理想の投手は彼だ。ああいうピッチャーになりたかった。2メートルもあるバカでかい奴が腕力で160キロをズドーンなんて美しくもなんともない。投球練習をほれぼれしながら凝視。美しい。タマは行ってる。140を超えてる。こりゃ打たれんぞと思った。

ところがだ、王はアウトにとったがそこからがいけない。清水ヒット、田中賢介がレフト線にツーベース、代打・谷口が内野安打、西川ヒット。不運な当たりもあったにせよ、4連打で1死しか取れずに2失点と散々だ。しかしである、僕が見た限り、唐川のタマは良かったのだ。ほれぼれするほど。あれが打たれるんかよ、セリーグならぜんぜん打たれないよ。

これを目撃して、こういう結論に至ったわけだ。

終わってみて、強烈な印象が残った。久しぶりにパリーグの公式戦を見たわけだが、レベルが高い。どれがというより、簡単に言えば、投手の球が速くて打者の振りも速くて守備もうまい。いつも見てる巨人戦なんてクソだよ、この前のあほらしいヤクルト戦なんてなんだあれは少年野球か。日ハムを東京ドームに戻してほしい、巨人戦なんか辞めてそっちを年間予約したい、僕はチームなんかいいのだ、うまい野球を観たいだけだから。

どうしてなんだろう?おんなじ母集団から公平に採用してるのに。謎だ。セリーグの試合でこんなに考えされられることなはい。交流戦で勝てないのは当たり前である。日本シリーズも、セリーグはどれが出ても一蹴されて終わるだろう。どこがどうということではなく、要するに、パリーグの方がぜんぜんレベルが高い野球を日常茶飯事にやっているということだ。

 

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独断流品評会 「シューマン ピアノ協奏曲」(その7)

2019 AUG 13 22:22:05 pm by 東 賢太郎

アルド・チッコリーニ / ジョン・ネルソン / ボローニャ市立劇場管弦楽団

youtubeで見つけた。これはいい。チッコリーニ(1925 – 2015)の奏でる音楽のコクと陰影に耳が釘づけになり離れられなくなる。このピアニズムそのものが発する芳醇な香気はそんじょそこらでお目に掛かれるものではない。例の楽譜の難しい部分を聴いてほしい。速いアルペジオの粒がそろって水が流れるように滑らかに、しかも低音に至るまで深々した音で鳴りきっており、晩年に至ってこれほど自在にピアノが弾けること自体が驚嘆の域であるが、僕の驚きはそれに向けたものではない。その技術の凄みが表層には一切浮き出ていらぬ自己主張をせず、全て音楽の求めるものだけに深い所で奉仕しているという確信を抱かせるという、極めて稀にしか接することのできない演奏であることに感動しているのである。ピアノが歌うMov1の冒頭の第1主題(楽譜)をお聴きいただきたい。チッコリーニは思いのたけをのせ、赤枠の始めの三点イへの跳躍からテンポがルバートを伴って遅くなる。

ここでエアポケットに入ったように、始まったばかりの演奏に「耳が釘づけに」なるのだ。ただ事でないものを予感させるが、それを3小節で語りつくしておいて、チッコリーニはオーケストラに返す。それが赤枠の最後のド,シ,ラ,ソ#,ラである。ここをテンポを ”速めて” ぽんと渡すのだ。ルバートする人はいくらもいるが普通は遅いままピアノを終え、次の楽節からテンポを戻す。ところがスコアを見てみると、歌う3小節にシューマンは長いスラーをかけ、”速めた” 部分にスタッカートを付けている。このスタッカート(特におしまいのラのほう)を守っているピアニストはほとんどいない。チッコリーニのテンポの戻しはこのスタッカートに続く休符を尊重してのことであり、そうしているのはここまで挙げてきたビデオでもチッコリーニ以外はカーロイだけだ。僕は譜面を見て聴いていたわけではない。それでも感じるものがあったのは、彼の解釈がシューマンがこの主題にこめた思いに呼応していることで成り立っているからと考える。奏者の主観による身勝手な耽溺とは別次元のものだ。クラシック音楽は伝統芸能であり、聴衆は奏者のプライベートな思い入れにおいそれと共感はしてくれない。チッコリーニの解釈は何百回聴いたかわからないこの協奏曲があらためてこういうものだったかと知る喜びに溢れており、シューマンが特別の看板レパートリーというわけではないピアニストがこれだけの音楽を紡ぎ出す所に西洋の音楽文化の長い歴史と奥深さを見る。蓋し彼らはシューマンを空気のように呼吸して育つのであり、音大で先生に教わって知るのではないだろう。楽譜をニュートラルな情報媒体と見てそこに何を読み取ろうと自由という姿勢はリベラルな時流にはそぐわしく感じられるが、トラディショナリズムを捨てた時点でクラシックは音楽ショーに堕落し、本来の価値を失い、やがて聴衆も失う。アンコールの「森の情景」から「別れ」も言葉なしだ。こうべを垂れるしかない。こういうものを本物の音楽というのである(評点・5+)。

 

アリシア・デ・ラローチャ / コリン・デービス / ロンドン交響楽団

ラローチャ(1923 – 2009)はスペインを代表するピアニストでチューリヒと香港で2度リサイタルを聴いた。期待して聴いたが、全曲を通してテンポが遅い。Mov1はそれを大事にしつつ語ろうとしているが、ピアノのフレージングは分節が切れ切れでどうも流れがしっくりこない。オーケストラが合わせにくいのだろうか、遅めのテンポに感じ切っておらずもってまわった安全運転の感じがする。熱量が低く音楽のポエムが伝わらない。Mov2も遅めでチェロの歌が乗りきれない。ラローチャはテクニックの人ではないがMov3のテンポでそれもないとなると魅力は薄い(評点・2)。

 

ウィルヘルム・ケンプ / ラファエル・クーベリック / バイエルン放送交響楽団

ドイツを代表するピアニストのケンプ(1895 – 1991)とチェコを代表する指揮者クーベリック(1914 – 1996)はどちらも欧州で聴けなかった。ケンプはもう活動してなかったがクーベリックは残念だ。ケンプのドイツ物はバックハウスと並んで多くの支持を得ていると思うが、僕はどうしても技術の弱さが気になってしまう。冒頭のソロ、タッチに切れがない上に16分音符が長すぎる。いきなりがっかりだ。カデンツァはテクニックが明らかに弱い。はっきり言ってしまうが、今ならコンクールで予選落ちレベルだ。1973年の録音時点で78才だからかと思ったが53年のクリップスとの旧盤でもどちらも変わらない。Mov1の第2主題など抒情的な部分に良さがあるのは重々承知だが、上掲のチッコリーニは81才であるのに、それでも比べるべくもない。Mov3は老人の徐行運転であり、逆にこのコンチェルトを満足に弾ききるのは技術的に非常に難しいということを知る。音楽は心であってテクニックではないと主張する人がいるが、心が主であるべきことは同感であるにしても音楽演奏は技術がなければ始まらない。ケンプの良さはモーツァルトのソナタで発揮されているが(http://モーツァルト ピアノ・ソナタイ短調の名演)。クーベリックの句読点のはっきりした伴奏は印象に残る(評点・2)。

 

シューマン ピアノ協奏曲イ短調 作品54

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独断流品評会 「シューマン ピアノ協奏曲」(その6)

2019 AUG 11 1:01:50 am by 東 賢太郎

ペーター・レーゼル / クルト・マズア / ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

第1楽章のテンポがやや遅めなのはが良いが流れがよろしくない。ピアノが常時強めで弱音のデリカシーに欠け、展開部の最後までべったりこれというのは趣味に合わない。オーケストラもこのコンビの交響曲集は重厚な音が楽しめるがここではどうも違う。第2楽章の第2主題を奏でるチェロはもっとなんとかならなかったのか。終楽章だけはシンフォニックな曲作りが活きるが総じて大味。チャイコフスキーP協の流儀でやったシューマンであり150キロ出るが棒球の投手という感じだ。レーゼルは今ならこうはしないだろう。(評点・1)

 

ハンス・リヒター・ハーザー / ルドルフ・モラルト / ウィーン交響楽団

リヒター・ハーザーはベートーベンということになっているが、カラヤンが伴奏したブラームスPC2番はトップクラスであり、1958年の録音であり音が地味なので割を食っているがこのシューマンもとても良い。打鍵が強靭でありつつロマン的な感性を供えもち、フレージング、テンポ・ルバートがまさにドイツ的だ。ドイツ語のシューマンである。ドイツ・ロマン派保守本流とはこのことでそれは①テンポは流動的でなくがっちりしたフレームワークで揺るぎない②それを守りつつロマンを歌い上げる③音楽が内側から熱して両端楽章のコーダに向けて自然に加速する、を共通の特徴とするがこれぞその好例である。オーケストラが深い低音を基礎としてピラミッド状の音響構造を持ち、静止摩擦で容易には加速せず、いざするとその運動エネルギーが内燃して音楽が熱を帯びるというイメージを僕は持っている。ドイツのオーケストラである必要はないが、独墺の、それも70年代までのそれに顕著な傾向ではあった。それを愛する趣味を持つものとしてこのシューマンは掛けがえがない(評点・5)。

 

モニク・アース / オイゲン・ヨッフム / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

1951年にベルリン・イエス・キリスト教会で録音。もちろんモノラルで音は貧しい。ドイツ・グラモフォンがどういう成り行きで大仰でシンフォニックなヨッフムの指揮とパリジェンヌのアースを合わせようと決断したかは知らないが中々面白い。アースは例の楽譜のところをpp(?)で入るなど個性を見せ、終楽章のテンポはやや速めでリズムのメカニックとピアノの粒立ちが良く、やはりフランスのクラルテを感じる。BPOのアンサンブルが少々雑然としており、数多ある同曲の録音で価値を主張するにはもはや弱いと言わざるを得ないがアースのピアノは一聴の価値がある(評点・3)

 

カティア・ブニアティシヴィリ / パーヴォ・ヤルヴィ / NHK交響楽団

これがyoutubeに出てきた。2016年2月のN響B定期公演で僕は2月18日に聴いたこのビデオはドレスからすると17日の方らしい。感想はここに書いてある。

クラシック徒然草-カティア・ブニアティシヴィリ恐るべし-

3年前、まだ、僕の筆は控えめであったが、それでもぼろかすである。18日はMov2にミスがあったが、このビデオの17日はもっと凄い。Mov3の31分53秒に記憶違いの「1小節とばし」があって、ホルンが落っこちてしまっている。カティアさんは飛ばしたこともホルンの事故も気がついてない風に見える。そういう人みたいだ。この演奏を讃えるには、そういうことを気にしないか気がつかないタイプの人でないと難しく、残念ながら僕はどちらでもない。最初のヤルヴィとのインタビュー、まったくどうでもいいことに終始するが、ひとつだけ非常に面白い部分がある。「シューマンは恋する普通の男になりたかったの、でも天才で狂っててなれなかったのよ、もちろん本当に狂ってたわけじゃないんだけど」とカティアが力説すると、ヤルヴィが「狂ってただろ」とさらっと言ってる。もう一度、「彼は気が狂ってたと僕は思うよ」と繰り返している(字幕はなぜかこんな大事なことを無視している)。シューマンに恋してしまってる彼女はあばたもえくぼで美点凝視になっており微笑ましい。かたや指揮者の男は醒めている。でも冒頭でシューマンが一番好きだと言ってる。狂ってるから好きなんだ。同感だ。僕もシューマンは気が狂ってたと思うし、だから吸い寄せられるエッジを感じるのだ。カティアはピアノに向かって、女性の視点で好ましい「恋する男」、「普通になりたいがなれない男」を熱演したのだろうが、シューマンはそんな乙女チックな男じゃない(評点・2)。

 

独断流品評会 「シューマン ピアノ協奏曲」(その7)

 

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13年に1度しかないお粗末な試合

2019 AUG 10 9:09:08 am by 東 賢太郎

試合をして強いなと思ったのは守備がうまいチームである。投球の質、飛距離、足だけは生まれつきでどうしようもないが、守備は鍛えればある程度までは何とかなる。それが下手というのはチームとして何かがおかしい。

昨日の東京ドームの巨人・ヤクルト戦。モノ申すべき試合だった。

初回にヤクルト山田の打ち上げたものすごく高い1塁後方のフライを2塁手若林が深追いして触れもせずバウンド。なんじゃこりゃ?ドームだろ、風ないだろ?お前らプロか。重信(ライト)がとれよ。しかも、こんなのが記録はヒットである。打率が欲しい山田は助かったがああいうのはピッチャーがかなわない。巨人の先発・今村はこれで調子が狂い6失点。3回途中KOで二線級の堀岡が救援した時点で巨人は捨て試合のムードが濃厚に漂い、4回に1点入って7-0となった時点で僕は20点入るかなと考えた。かたやヤクルト先発・小川は、はっきり言って良かった。ストレート148キロだけでほとんどの打者を押し込んでおり、あの3番・丸を2三振、とくに4回のストレート空振り三振が物語る。

驚いたのが、3回途中、今村を替えたときにサードのビヤヌエバをひっこめてレフトの岡本をサードに回し、レフトにゲレーロを入れたことだ。ビヤヌエバのほうが守備はましだが攻撃チャージ型陣形に変えたんだろう。そのゲレーロと岡本がその後2ホーマーずつ放って試合をひっくり返すことになる。ゲレーロの1発目は5回、小川の喫した2安打目であった。初安打は4回の坂本のホームランだったがこれは変化球であり「あ~あ、完全試合もったいねえな」と言った程度のダメージだった。次打者・丸を前述の三振にとったストレートで球威健在を示したし他の打者はまったく打てていない。それだけに、高めのストレートを打ったこのゲレーロの1発目は非常に僕の印象に残ったのである。つまり「こいつ、ストレート、ヤバいな」という感じだ。

ゲレーロの1発目は伏線があって、代打・増田のセンター・ライナーを山崎が後逸してあわやランニングホームランというみっともないのがあった。芯を食った当たりで、見ていて曲がるぞと思ったら案の定フックしたのだが、触れもしないという守備はお粗末としか書きようがない。ああいうのはピッチャーにこたえるのである。これはちゃんと失策と記録されたが、そうなんだったら1回の若林、重信はもっとエラーだよ。ただ原監督はさすがで、その5回でライト重信をひっこめて、快心の一打がエラーになったが芯を食った増田をセカンドに入れて若林をライトに回した。ともあれこれが2死からのゲレーロの1発目(2ラン)の呼び水になった。

結局小川は7回まで投げて被安打3、それが全部ホームランである。これだけ球威がありながら・・・。2年前の神宮で6点差をひっくり返されたカープ戦「七夕の悲劇」、あれもバティスタと新井の一発で轟沈だったのだ。

8回でスコアは9-5、小川に代わってハフがマウンドに立った。7回を小川が三者凡退に収めており、まだまだ東京ドームにはヤクルトの楽勝ムードはあった。先頭打者は問題のゲレーロ。2打席目である。「ここでこいつに絶対に打たせちゃいけない、巨人が乗っちまう」と僕は隣席につぶやいた。初球。なんのことないストレートをごっつぁんのホームランである。信じ難い。キャッチャーの中村である。スタンドで観ていても「こいつ、ストレート、ヤバいな」のホームラン狙い見え見えの奴にあれはねえだろ。緒方監督ならビンタものだぜ。やられて当然だよ。

こんな馬鹿なリードする奴がプロ野球の正捕手というのはまさしく信じ難い。動揺したハフは二軍なみの石川をなんと歩かせ、2番坂本。いやなムードが高まる。入った、やばいと思った大飛球はレフト渡邉が捕って、セカンドを回っていた石川はアウトに取れるタイミングだった。ところがレフトの返球がお粗末で弱い。なんだこいつは。中継から一塁に送球。このファースト村上の捕球、ぜんぜん伸びてない。ミットがあと30センチ伸びてりゃアウトだよ。やっつけの守備練習みたいにベースで構えて待ってるだけだ。おい小川監督、なんだよこのニイチャン?八百長でもやっとんか?僕はヤクルトファンでも何でもないが、金払って見てる客として許し難く完全に切れた。このプレーは11時からのプロ野球ニュースで高木豊も指摘してたが当然である、緒方監督ならビンタ10発もんだ。こんなのが記録上はエラーではないのである。

こんな守備陣でハフも気の毒であったが、それにしてもこいつは予定通りの8回だろう、ちゃんと準備しとんかいな?つづく3番・丸にライト前ヒット。ここでKO。予定外に引っぱり出された近藤が4番・岡本にライトにスリーランをぶち込まれて、あっという間に同点になってしまうのである。村上が普通の一塁手であと30センチ伸びてりゃ、普通にやってりゃヤクルトは勝ってただろう。

10回に登場した抑えの巨人デラロサ。ハフ、マクガフも153キロは出たが小川の148の方が速い。親の仇みたいに投げるデラロサの158は凄味があり、渡邊、廣岡、山崎では大人と子供だ。10打席あっても打てないだろう。8回までの楽勝ムードで主軸をひっこめたヤクルトは完全に二軍戦みたいにひ弱な布陣になっており、スタメンでさえ上位と下位の落差がでかい上に控えはソフトバンクなら育成の試合しか出れないレベルである。10回まで亀井を置いておけた巨人が押し潰すのは時間の問題というムードとなっており、その亀井が代打で出てきて余裕の犠飛。延長10回についにトドメを刺した。

7点差をひっくり返したのは13年ぶりらしい。ひっくり返された方の守備の問題であったが、13年に1度しかないのは納得のひどさである。ヤクルトの借金21。まあ当然だよねとしか言いようもない。小川があのストレートを投げて10敗というのが不思議だったが謎が解けた。

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教科書にのるイベントの3つ目は韓国か

2019 AUG 9 1:01:57 am by 東 賢太郎

今日の東京の暑さは尋常ではない。何度あるのか知らないが、外へ出て数歩歩いただけの運動で汗が吹き出そうになり、ついつい歩みがゆっくりになる。ところが強烈な日差しを脳天から浴びているのだから、それはそれでさらに汗が吹き出す。こういう王手飛車取りの猛暑というと、思い出すのはあの香港だ

僕が香港に着任したのは香港が英国から中国に返還された1997年だ。東西ドイツ統合直後のフランクフルト着任とあわせ、未来永劫に世界史の教科書にのる歴史的イベントを2つもライブ体験したことになる。我が人生は中々数奇だ。

それでもう終わりと思ったら、ひょっとして日本で3つ目に遭遇するのか。日韓問題はそこまで来ているかもしれないと思わざるを得ない。先日、韓国の親しい友人が訪日した折に弊社に寄ってくれた。彼は大きい上場企業の役員であり、本件につき真剣かつ率直な意見を求められた。僕は君の知っての通り20年以上韓国を知っているし、数社とはビジネスパートナーでもあるし、個人的に韓国へ行って不愉快な思いをしたことは一度として無いと前置きしたうえで、こういう趣旨のことを述べた。

日本人は本当に怒ってる。中道だった僕の周囲がここまで強い嫌韓になったのをかつて見たことがない。文政権は北バックの革命政権と見られており何があろうと思想的に変わらないと判断されている。とすると、あと2年半ある彼の任期中にもはや国として親友でいるのは難しい。そこで普通の友達でいようと言うと、それが親友かと逆切れされて唖然としている。となるとますます親友は絶望的であって、普通の友達もやめて普通の隣人でどうかというところまで来ている。怒っているが覚めてもおり、かつて韓国に事業進出を検討した顧客も今それを言えばブラックジョークでしかない。実業界も韓国には興味がどんどんなくなっていくだろうし誰もそれで困らない。僕の周囲のインテリ層はべつに右翼ではなく日本の中枢部に近い。影響力は強く自民支持だから反日ではなく反安倍だと装っても無駄だ。反日親韓の政党、新聞、TVはこの騒動を通してシビアに国民に見抜かれてるから影響力も部数も落ちるだろう。そこが騒げば逆効果にすらなる。鎮静する手は見当たらないから時間がかかる。そこまで韓国経済が持つかどうかが心配である。

友人は冷静にこれを聞き、8月15日に政府の反日政策への反対デモがあるかもしれないと述べた。民主主義国家として誠に結構なことだが、しかしそれがあっても政権の思想は変わらないし失脚もしないだろう。なぜならそれに負ければ命が危ないし、北が敵になって国家は四面楚歌になるだけであり、万策を尽くして阻止するはずだ。韓国の政権運営は右であれ左であれ誰がやっても難しい。政治家のリターンは金、権力、名誉であるのは万国共通だが、韓国の場合は任期後に牢屋に入るリスクが高いのだから文政権においては朝鮮戦争の終戦と南北統一の名誉が最大の目標であり安全パイであることは想像に難くない。日本国はそれがわかってるから普通の友達政策を採ったのだ。

友人は反日どころか日本語堪能の有能なビジネスマンであって男ぶりもいい。こんないい奴がそれゆえに躓いてしまうような事態があれば見るに堪えないが、我々が救ってあげることはできない。

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渋野日向子、驚異の1年生世界制覇

2019 AUG 7 18:18:59 pm by 東 賢太郎

渋野日向子がAIG全英女子オープンを征したがTVを観てなかった。そのぐらいゴルフはご無沙汰になっていて、きのう野村ロンドン会の会合で「東さん、ウォーバーンでしたね」といわれ、何のことかわからなかった。「オーバン?なんだそれ?」「ちがうちがう、なに言ってんです、ウォーバーンですよウォーバーン、連れてってくれたじゃないですか」。

ウォーバーン・ゴルフ・クラブ(Woburn Golf Club)、懐かしい名前だ。「そうか、昔っから全英女子オープンはあそこだった。渋野が勝った勝ったって大騒ぎになってるのはあそこだったか」。「そうですよ、ほら、覚えてます?18番でああなってこうなって・・・」。

覚えてない。あまりにあちこちでやったのもあるがあまりに沢山のことを忘れちまってもいるんだろう。ウォーバーンはロンドンから車でそう遠くなくって、親父のつてで三井銀行の上の方にご紹介いただいて、たぶん3、4回ぐらいはプレーしたと思うが、あんまり得意なコースじゃなかった。1番のティーショットがちょっとスライスするとフェアウェーが右下がりで2オンが難しいのが嫌だった。それぐらいしか記憶にない。パネルを見ると、ここはブリティッシュ・マスターズのトーナメント・コースでもあってグレッグ・ノーマン、リー・トレビノ、セベ・バレストロス、マーク・マクナルティ、サンディ・ライル、ニック・ファルド、イアン・ウーズナムなんて当時の綺羅星のような名前が並んでる。こういう憧れのスターを見てゴルフに目覚め、彼らと同じコースでプレーしていたのだから贅沢な日々だった。

僕はゴルフをなめていた。止まった球だ。野球のノックと一緒だろ。ノックなら二塁ベースの左右1メートル幅内に9割入れる自信あるぜなんて思ってた。それはゴルフでもその通りだった。ところがそこから先がちがう。球が曲がるのだ。野球ならバックスクリーンの距離で2、30メートルも曲がってしまう。野球はキャッチされなければそれでOKだが、標的を狙うゲームであるゴルフでは話にならない。だから僕のゴルフは、飛ばすことは放棄し、曲げないことに傾注する闘争となった。

ウォーバーンの1番は200ヤード先で2、30ヤードもスライスしたら右に転がってもうパーが危ない。でも行ってしまう。わかってたんだろ、お前は馬鹿か!自分の内なる声が責めたてる。第2打はラフでライが悪い。ツイてねえな。そう呟くとダフって草だけ勢いよく飛んで、肝心のボールはグリーンのはるか手前だ。ちくしょう。切れて打った第3打がトップして大オーバー。もうここで人生をはかなんでしまい、スリーパットしてトリプルボギーと、だいたいこんな感じのゴルフをやっていた。

完全主義なのでスタートでつまずくとモチベーションが切れてしまう。これが僕の最大の欠点だった。そういう性格に生まれついており、それじゃ何やってもだめだと問答無用に数字で思いしらせてくれたのがゴルフだ。野球でそれに気がつくことはなかったからやってよかったし、性格を変えてくれるほどゴルフにのめり込んだことは大きかった。そんなレベルからシングルになる道のりは長かったが、その過程で発見した数々のことはビジネスに絶大な価値がある。一番才能のない勉強は予備校の助けを要したが野球とゴルフは完全独学であり、その自信でビジネスも独学で来れた。

渋野日向子がソフトボール選手でピッチャーだというのはいいと思う。有利だ。しかもゴルフよりソフトボールが好きだと言ってのける。彼女はなんであんなに明るくプレーできるんだろう?阪神の西投手がいつも笑顔で投げてカープがやられている。あの顔は不思議であり、打者は余裕を持たれてる感じで嫌だろうなあと思う。その境地でゴルフをやって、去年プロテストに14位タイで合格した1年生が全国制覇どころか世界制覇してしまう。なんじゃこの子は??

ビデオでバットスイング見た。左打ちだ。たしか王貞治さんがゴルフは右でシングルだった。運動神経すごい。中学で男の野球部に入部してる。足腰が野球だ、できてるね。だからかもしれないがゴルフスイングは女子プロによくあるオーバースイングじゃない、テークバックが小さめでフォローが大きい。パットもなんとなくそう感じる。思い切りもいい。カープの小園を思い出すなあ。盤石の安定感。すばらしい!彼女にスイング習いたいなあと思う。

 

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非情でなければ生きて行けない

2019 AUG 6 9:09:17 am by 東 賢太郎

ビジネスをするということは非情になることである。冷たくということではない。ハードボイルドな人間というイメージが近い。フィリップ・マーロウのセリフ、「非情でなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きるに値しない(If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive.)」の “hard” は「タフ」と訳されているようだが、それならばなぜ筆者のレイモンド・チャンドラーが tough と書いていないのか説明できない。しかも、タフであることと優しいことは両立するから意味が通らない。gentle (優しい、寛大で)の対立概念(両立しない)である hard なら非情(感情に左右されない)というほどの意味だ。ハードボイルド(固ゆで卵)のハードの比喩もそれに掛けているのである。つまり、

情には厚いが、流されないということである。

僕はもともとそういう人間でなかったが、それでは I wouldn’t be alive になろうというひどい目にたくさん遭った。それと、僕の生来の人間に対する価値観が合体し、広い意味での “ファミリー” を守ろうとすると、好むと好まざるとに関わらずそうなるのである。僕はウソが大嫌いだ。好きな人は無論あまりいないだろうが、ウソには悪質なのと仕方ないのがある。仕方ないというのは、見のがすのが大人のマナーという範疇のものだ。これはよくある。「言わぬが花」もマイルドなウソではあり、それがおつきあいの潤滑油になったりもする。

積極的なウソはいわばトリックであって、何らかのこちらの不利益において自己の利益を計ろうとするものだ。ビジネスというものは必ずその計算があるのだからこっちもわかっている。理さえ通っていれば僕は万事を是々非々で聞く。はっきりそう言えばいいのに、言えない理由があるのである。それが何かを知る義務も必要もない。即座に関係終了だから。なぜか?そういう人とのつきあいは、やがて If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. に至ることを知っているからだ。だから問答無用で切る。チャンドラーもそういう男だったんじゃないかと思っている。

この「理さえ通っていれば」という部分が大変に重要だ。それでも「是か非か」はあるが、少なくとも、どんなものでも、僕は必ず真剣にどっちかを考えて判断する。理はないが情でしてくれるだろう、そこをなんとか、わかってくれますよね、という申し出を認めたことはいまだかつて一度もない。判断材料がないからだ。それをしないから情がないと思われても構わない。そういうことが嫌な人間だとわかっていない人、そういう世界やレベルの人とつきあうのは精神衛生上よろしくなく、このトシになって体に悪いことを好んでする理由はない。

僕は韓国に仕事上の友人、知己がたくさんいるがこういう政治情勢になると行き来はできそうもない。しかし彼らはみな理の通った立派なインテリだからつきあっているのであり、一緒こたにしたらそれこそ情に流されているということだ。国と国がどうなろうと彼らとの関係が微塵もおかしくなることはない。国は「挑戦に打ち勝ち、勝利の歴史を国民と共にもう1度作る」と息巻くが、いったい日本の誰が挑戦なんかしてるんだろう?このままだと株もウォンもさらに暴落だろうし財閥は逃げる。経済をぼろぼろにして北朝鮮と対等合併を狙ってるならそれなりに理だが。

アメリカは「俺が一番大事」が理である。困ったちゃんのジャイアン様だが、非情に分かり易いという利点はあり、そもそもないよりましだ。「わかってくれますよね」を無視すると逆切れされるようなことはなく、理でつき合える。日本は外交で gentle である必要など全然ない。If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. でいいのである。日本は早く死んでくれと願ってる「なりすまし」の新聞やテレビがどれなのか、賢明な日本国民がそれを見抜く好機がこの1か月であった。ここからもっと白日の下にさらけ出されるだろう。繰返すが、積極的なウソはいわばトリックであって、何らかのこちらの不利益において自己の利益を計ろうとするものだ。トピックが森羅万象の何であれ、僕は万事に渡り、「なりすまし」のウソつきが虫唾が走るほど嫌いだ。

 

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