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J.S.バッハ 管弦楽組曲第2番ロ短調BWV1067

2019 JUN 26 23:23:46 pm by 東 賢太郎

秋葉原の石丸電気でLPレコードを買っていたころというと浪人、大学時代。毎週末に行っていたイメージだから数百回は通ったろう。石丸は輸入盤まで品ぞろえは膨大で見識に富んでおり、そこに並んでいるのがいわゆる「名曲」である。全部の代表盤を1枚づつ聴いておけば凡そクラシックはマスターできそうだと思った。「お若いの、どうだ、やってみるかい」という一種の挑発すら感じ、もちろん向こうは商売であるのだがそそられるものがあった。のちにハーバード大学で門に “Enter To Grow in Wisdom.”と書いてあるのを見てこれだなと思った。

クラシックは石丸電気のおかげでenterできたと思っている。地方にこんな店はないだろうから東京に生まれ育ったことは大きかった。中学から神田の古書店街を毎日歩いて通学しアカデミックなのが自然という空気に染まった。隣り街である秋葉原のレコード屋は文字どおりその延長で、欧州へのあこがれの窓でもあった。それで激烈に欧州に行きたくなって、結局そこに住むことになってしまったが、元はと言えば物心つくまえから親父がかけてたSPレコードがルーツだから環境というものは影響が甚大なのだ。自分は子供たちにどんな環境を与えてあげたのだろうと思う。

石丸の売り場にはよくバロックが流れていた。近代、ロマン派、古典派と時代を逆行して親しんだから次はそこに行き着くはずのところまで来たが、どうも肌に合わない。興味がわかないから知識も乏しく、バッハ、ヘンデルすら何を買っていいかわからず結局は古典派以後の既知の曲の異演盤を買って帰るはめになる。そこで冒険できなかったのはひとえにカネがなかったからだ。なけなしの2千円だ、買ってつまらなかったら後悔するからと安全な方に走って、逆にその勇気のなさに後悔してきた。youtube時代の若者には想像つかないかもしれないが。

この記憶は後にアメリカに住んで、家内とマックに行ったときにデジャヴとなって現れる。3ドルもするビッグマックは高嶺の花で、いつも1ドルのバーガーをひとつづつと無料のサラダで空腹を満たしたのだから申しわけなかった。やっぱりカネがなかった。悲しいほどの貧乏学生だったのである。だから僕の中では「バロック音楽=ビッグマック」という恒等式が成立していて、いまも「ビッグマック!」と注文する自分に誇りを感じ、石丸のカウンターでバロックものを大人買いしてたおじさんの身分にやっとなれたという感慨にひたれる。

バロックは親父のSPレコードにも「G線上のアリア」ぐらいしかなかった。僕はチゴイネルワイゼンの方が好きだったがなぜかサーカスの音楽だと信じており、「G線」はゆるくてあんまり好みでなかったが高級感は感じていた。そのまんま大人になったのだろう、バロックは知的でハイソできらきらして見える。クラシックは何が好きですかなんてきかれたら?モーツァルトはミーハーだ、ベートーベンはオタクっぽい、マーラーはダサい、「バロックですね」なんてさらっと言うのがまことに粋であろうと思う。

僕がバロックに引いていたのはもう一つ理由がある。音楽の授業で鳥肌が立つほど嫌いだった笛の実技。バッハの管弦楽組曲第2番のどれだったか、たぶんポロネーズあたりを吹くというのがあった。あれは壮大なバッハの冒涜の試みであった。僕はピッチの外れたリコーダーの合奏音が生理的にだめであり、何の関心も持てないから早く捨てたいと願っており、もちろん自分も非常に下手であって不快感の倍加に貢献させられるわけだ。この調子だから音楽の通信簿は2であった。皆さまは学校教育というものに懐疑的な劣等生の音楽記を読まれている。

おかげで第2番がトラウマになり、あんなものを家でレコードで聴こうなどという気が毛頭起きなくなってしまった。それを救ってくれたのがこれだ。浪人時代に買ったカール・リステンパルト指揮ザール室内管弦楽団による管弦楽組曲全曲である。勉強にあきあきしており、全部すっぽかしてのど骨が刺さったままだったバロックを攻略することにモチベーションが向かっていた。そこでこの演奏に出会ったのは幸運だったが、なんのことない、このLPを選んだのは「ディスク大賞受賞」というキャッチの割に2枚組3千円で安かったから、それだけだ。石丸電気の3号館で買い、よしバッハ攻略だと嬉々として鶴川の自宅に帰ったのを覚えている。

この2番、ロ短調の悲愴さがあまりない。1960年の録音。バッハを精密画風の微細なデッサンで幾何学的に描く演奏が出てくる前のなつかしいスタイルであり、ほっとさせてくれる。フルート協奏曲を思わせる編成だがロジェ・ブールダン(1923-76)のソロは中低音が肉厚で暖色系で良く歌い穏健派かと思えば終曲の運動神経は違う姿を見せる。フランス人なのだがヴァイオリンとユニゾンになると倍音が共鳴して独特のリッチなソノリティを発揮しており、この音は東独時代のドレスデン・シュターツカペレやライプツィヒ・ゲヴァントハウス管にもあったのが不思議だ。リステンパルト(1900-67)はドイツ人の天文学者の息子。音楽を自然に流しているように聞こえるがフレージングは潔癖でむしろ理知的である。

 

 

「音響マニア」と「オーディオマニア」の差

2019 JUN 24 2:02:04 am by 東 賢太郎

クルトマズアがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団で録音したブルックナーというと昭和の評論家たちが一顧だにせず、日本では捨て置かれていたに等しい。思うのだが、彼らはどのぐらいヨーロッパのコンサートホールや教会でブルックナーを聴き、自宅ではどんな装置、環境でレコードを聴いていたのだろう?

マズアの指揮は急所の盛り上がりやメリハリがなくてダルだという人がいる。あるはずないだろう、ライプツィヒのトーマスゲルハルト教会の見事な音響の中でゲヴァントハウス管弦楽団を鳴らすのに何故そんなものが要るというのか。本物は何の変哲もない。それを平凡だ、凡庸だという。では彼らはブルックナーにいったい何を求めているのか。本物を知らない人がまさか評論家をやっているとも思えないからそんな疑問が浮かんできてしまう。

オーディオマニアで本物の音楽を知っている人はあまりいない気がする。音楽をわかっているという意味で男女差はないが、女性のオーディオマニアはあまり聞かないという事実がそれを示唆している。しかしオーディオは音楽鑑賞には不可欠だ。MP3も普及という観点では結構だが、クラシック音楽は本来は教会でパイプオルガンやコーラスの風圧まで肌で感じるものだ。イヤホンでポップスはOKでもクラシックではまがいものでしかない。

そういうフェイクの音で覚えると、正統派の本物の演奏は外連味のない退屈なものと思われてしまう。たとえば風邪で鼻がつまると酒の味がわからない。フェイク育ちというのは要は安酒しか知らないということなのだ。安酒はウリが必要になるが、それ用のコクだキレだなんていう意味不明の基準で樽出し中汲みの純米大吟醸を語ってはいけないのである。クラシックについて語るということも、それと同じで語れば語るほどどんな音で育ったかお里が知れてしまう。

僕の基準から全集でいうならマズアのオイロディスク盤は東独のオケの音をアナログで聴かせる特級品だ。楽器の倍音がたっぷりのって教会の空気に融けこむ。これぞヨーロッパの音である。そして、何度も書いているが、ブルックナーはこういう音で再現しないとわからない。僕はオーディオマニアではないし趣味性において完璧な別人種だが、11年半どっぷりとひたっていたあのヨーロッパの音を再現したいという点においてはオーディオの選択に徹底的にこだわったものだからオーディオマニアと思われたんだろう、「ステレオ」誌に写真入りの記事が載ったのはお門違いも甚だしく、照れ臭かった。

お聴かせできないのが残念だが、このマズアの音を平凡でつまらないという音楽愛好家はあんまりいないと思う。こういうことを書けば嫌みだろうが僕は物書き商売でないから嫌われても構わない。真実を書くほうが大事だ。ブルックナーはカネがかかる。バイアンプの大型システムで再現しないと無理である。東京のホールは全部三流だからウィーンフィルを聴いてもだめ。ということは、大型システムを据え付けたリスニングルームを作って、マズア盤のような本物の音がする録音を聴くしか手はない。

クルマ好きでないから何故フェラーリ、ポルシェ、ランボルギーニがいいのかわからないが、何かマニアなりの理由はあるのだろう。僕は音響マニアだからもちろんそれがある。クラシックはもとは貴族の道楽だ、やっぱりカネがかかる。それをけしからんのどうの言ったってそうなんだから仕方ない。庶民に理解できないというのはウソだ、そうではない、本物の音を聞かないとなかなかわからないが、それを聞くのにはちょっとカネがかかるというのが事実である。ワインに似ている。

装置がOKとなると今度は音源の限界という問題が初めて見えてくる。我が家の場合、ざっと8割は不合格だ。演奏がだめなのと、同じほど録画技師がだめなのがある。センスの悪い奴が余計なことをするなと腹が立つばかりである。だから1万枚ほどはもう二度と聞かないし捨ててもいいものになるが、何故棚にあるかというと、買ったときのあれこれをいちいち覚えてるからだ。情けないが捨てられない。男は別れた女をいつまでも忘れられないというが、それと同じことかもしれない。

クラシック徒然草―最高のシューマン序曲集―

ソフトバンクの強さここに見たり

2019 JUN 22 2:02:35 am by 東 賢太郎

凄い試合を見てしまった。ソフトバンク・ホークスが強いのはわかっていたが、現在ケガ人だらけで、主力選手である柳田、長谷川、中村、今宮、サファテ、森、石川を欠いている。電光掲示板を見れば1番上林、2番明石の打率は1割台だ。3番内川も2割台である。絶好調で全カード勝ち越しの巨人には分が悪かろうというのが戦前の大方の予想だったと思う。ところがスコアは御覧とおり。目の前でこんな壮絶なゲームをされるともうセリーグの日本一は永遠にないなと思わざるを得ない。ケガ人が帰ってきたら?この球団は2チームできる。その弱いほうをセリーグに入れても巨人より強い。

ホークスが千賀、巨人がメルセデスの先発だ。いよいよ初めて千賀が見られる。初球から157キロで度肝を抜かれた。フォームにぜんぜん凄みはないけれどやっぱりめちゃくちゃ速い、素晴らしいピッチャーだ。

千賀と丸の対決

しかし丸、阿部、大城が打ち、特に大城が156キロを引っ張って一二塁間を抜いた。あの次の回から変化球主体の組み立てに変わった。あんまり調子は良くなかったと思われる。丸、阿部のスイングの速さは強烈だ。特に40才になろうという阿部、千賀に振り遅れてない。鳥肌がたつ凄いバッターである。巨人の勢いを感じる前半となる。特に千賀からホームランを打った丸は本当に素晴らしい打者だ。五回までメルセデスが好投し、ホークスはわずか3安打に封じられている。球数も少なくひょっとして楽勝の完投か?さすがのホークスも巨人の餌食になるのか?とさえ考えた。

ところが、6回に大波乱が起きる。まず上林が泳ぎながら右翼へホームラン。さらに満塁になって甲斐が打席に入った。2アウトである。なんとここで0-1からサードへのセーフティバント!これは唖然とした。甲斐は勇猛に1塁にヘッドスライディングしてセーフ。1点。ここで原監督が出る。投手交代。左の代打、福田が出ていたから高木あたりかと思ったら、なんとなんと、もう一軍に影も形もないと思っていたもとホークスの森福ではないか!!

見ものの対決だった。福田のバットが一閃すると球は右翼席上段に飛び込んだ。満塁ホームラン。森福の球威がない、仕方ないことだが、ここでホームランを決めてしまう福田が勝負強い。そして8回には、クローザーだったはずのクックがマウンドに。なんだこの投手は?これなら宮国のほうがましだよ。そう言ってたら案の定、熱男の松田がバックスクリーンの上部に特大アーチをかける。このホームランの打球の凄さは、僕がかつて見た中で5本の指に入る。かたや、巨人の主砲・坂本はプロ野球タイ記録である5打席連続三振を喫する。

このホークスの強さというと、晩年で膝を痛めながらも付け入るスキを与えなかった横綱北の湖を引き合いに出すしかないだろう。勢いのある力士に土俵際まで押し込まれても、まわしを取って上手投げで決めてしまう盤石の強さだった。甲斐の意表を突いたセーフティバントは本来は広島カープがやる野球だ。しかし緒方はリスクをとらない。当たり前の定石で勝つのが横綱相撲と思いこんでいるのだろうが、勝てない力士が何をしようと横綱相撲とは誰も呼ばない。カープよりはるかに強い力士であるホークスは奇襲でもなんでもやる。それで勝てると思ってるなら完璧な無能と呼ぶしかない。

何度も書いてきたが、野球は実に残酷なスポーツだ。3年前に中島さん、故中村順一と楽しんだ福岡ドーム。あれは8月のオリックス戦だったが柳田の劇的なサヨナラホームランで幕切れとなる大興奮のゲームだった。打たれた佐藤投手、そして今回は古巣の同期に満塁ホームランを打たれた森福投手。ご愁傷様だが仕方ない。原監督は自分がとってきた丸が大活躍なので気を良くしたんだろう、森福、大竹という「巨人軍2大高値づかみ銘柄」を登板させた。大失敗のクックとあわせて「3大」か。資金力にあかせていながら本当にヘタクソである。エージョンとのいいカモになっているのだろう、他人のカネだがこういうものは仕事柄か唾棄したくなる。

終了後のインタビュー、福田の森福への思いやりある即興コメントはこのゲームで最もすがすがしいものだった。福田くん、君は優秀だなあ、サラリーマンになっていても間違いなく出世したぞ。

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パリーグの恋人、広島カープ

2019 JUN 20 14:14:02 pm by 東 賢太郎

僕はお口の恋人ロッテのファンでもある。だから広島・ロッテ戦は心境複雑だ。去年はマリンスタジアムで観たが九里が打たれて完敗だった。きのうはサントリーホールでメシアンを聴いていたから試合は見ていないが、ロッテ打線に大瀬良が4ホーマーを食って為すすべなく敗けていた。

4月は最下位独走、5月は20勝してセリーグ敵なし、そして6月はまたまた交流戦最下位を独走中である。不思議なように見えるが、実はそうではない。4月(.189)、5月(.406)、6月(.176)。これはバティスタ選手の月別の打率だ。要は、バティスタが3番で打つ➡カープは勝つ、打たない➡カープは負ける。それだけ。そして思い出していただきたい、バティスタが3番で打つ➡丸の穴が埋まる、であることを。

東京ドームで観ていた巨人・オリックス戦、先発・山本は丸に156キロの剛球を投じて押しまくった。彼を見るのは初めて。あれは打てん、凄い投手だと思ったら次のチェンジアップを丸は右中間スタンドに放り込んでしまった。こんな打者はカープに一人もいない。丸の穴は大きいのである。3番バティスタが打たないと4番の鈴木誠也がマークされる。誠也も打率は4月(.311)、5月(.383)と奮闘してきたが、ついに6月はバティスタ不調のあおりを食って.208になってしまった。すると先発投手も点をやれないとなって調子が狂う。

つまり、今年のカープの戦績を左右するのはバティスタなのである。5月の大躍進において、べンチはそれに乗っていただけである。しかし、それを言うならセリーグ3連覇だって、ケンカの強い黒田のメジャーの技と眼力が他チームを徐々に威圧し、巨人までビビり、黒田と若手のつなぎ役に徹したお兄ちゃんの新井にじゃれつきながら触発されて弟分のタナキクマルが伸び伸びとやれたおかげなのだ。要するに、緒方政権がプラスに作用したわけでなく、数々の迷采配、チョンボもかき消すほど現場のパワーが強烈にさく裂した、そのちょうどいいタイミングに乗っかっただけなのだ。

黒田が消え新井が消え、神通力が失せたところで丸が消えてタナキクマル・パワーも消えた。それが4月のぼろ負けだ。ところが4/17 九州シリーズ熊本ラウンドで、それまでおとなしかった丸についにホームランを打たれて負けそうになる。目のまえで「丸ポーズ」までやられ「このやろー」の炎となって全選手が燃え、めったに打たない石原が意地のヒットで逆転勝ち。そのムードがバティスタに着火して爆発したのが「5月の変」の真相である。選手が勝手に盛り上がったのであってべンチはそれに乗っていただけである。

交流戦の不調は不思議ではない、これが地力なのだ。カープ球団は自動車のマツダではなく松田ファミリーが大株主だ。赤字は宣伝広告費で済む他球団とは経営事情が決定的に異なり、これが本業だから稼がなくてはいけない。田中コースケの記録は中期経営計画のグッズの売上げがかかってるかもしれない。マエケンのようにメジャーに高く売れるなら売りたい。日ハムもそうだが、選手は大事な商品なのである。4連覇すると選手の年俸はさらに上げざるを得ないから商品原価が上昇する。その発射台からさらにFA引き留め料の上乗せとなると、丸への提示額を見せてしまったリスクを感じているはずだ。

功労者でFAしなかった者には忠誠心への恩賞として監督・コーチの椅子を用意し、コースケのような記録達成をサポートしてやる。これらは商品原価を上げないための「カネではない引き留め料」なのだ。コーチなど、なまじ実績がないほうがいい。あんな人でもなれると思わせて「忠誠心バリュー」の高さをアピールしたほうが経営には得なのだ。その路線で椅子をもらった緒方も同じ穴のムジナであるコースケの記録を守ってやる。だから打率1割台の選手が1番・ショートのレギュラーを張れる12球団唯一のチームなのである。それでも選手が勝手に盛り上がって連破してくれ、いくら負けても客は減らない。盤石の「カープ・メカニズム」ができており、これを作り上げた経営力は称賛に値する。

今オフのFAは野村、會澤、菊池が権利を持ち、来オフは田中が、21年オフが大瀬良、九里、中崎、一岡、そしていよいよ22年に鈴木誠也だ。発射台は上げたくない、つまり4連覇はしなくてもいいという考えに傾いてなんら不思議ではない。緒方が無能だクビにしろ、コースケ1番などありえない、中崎出すな。そんなことは経営はわかっている。そうやってファンが騒いで「炎上」すればもっと客が入る。ファンの皆さん、ほんとうにそう思うなら、SNSでボロカスに言うのをやめ、球場には行かずに昔の閑古鳥状態に戻せばいい。

 

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N響定期(メシアン/トゥランガリラ交響曲)

2019 JUN 20 0:00:05 am by 東 賢太郎

メシアン/トゥランガリラ交響曲

指揮:パーヴォ・ヤルヴィ

ピアノ:ロジェ・ムラロ
オンド・マルトノ:シンシア・ミラー

(サントリーホール)

 

この曲の僕のコンセプトはこうだ。ありがたい。1時間半座っていればワット・プラケーオにお参りした気分に浸れる。

メシアン トゥーランガリラ交響曲

これは極彩色の豪華一大絵巻であり、10楽章の巨大なエンタメだ。難しい御託とは無縁。パーヴォ・ヤルヴィの指揮、非常にプロフェッショナルにうまくまとめた。心から楽しませてもらった。シンシア・ミラーのオンド・マルトノ操作が良く見える席であり、昔は音響が苦手だったこの楽器、弾いてみたいなあと思ってしまったから人間は進化するものだ。いや、もっと現実的には第6楽章だ、これぞメシアンというこのピアノ弾いてみたい。ロジェ・ムラロは最高でありメシアンの音色を極めた絶品のピアノだった。あれほどこれを楽しそうに弾ける人はそうはいないだろう。読響とカンブルランのおかげでメシアン・イディオムが耳タコ状態になり、ほぼ覚えているトゥーランガリラも新しい喜びとともに聴いた。音楽の深さは絶大なものだ。

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64本のスピーカー・オーケストラに絶句

2019 JUN 18 1:01:14 am by 東 賢太郎

ヒビノ株式会社は「音と映像のプレゼンテーター」として類のないわが国を代表する企業である。今回あるプロジェクトで新木場にある工房「シンフォキャンバス」を訪問した。

ビルの7階を占める大空間に64本のスピーカーが並ぶ壮観。一本一本がオーケストラの個々の楽器音を出すシステムは僕も夢想はしていていずれ作りたいと思っていたが、まさかそれがこの世にあるとは!

そう思ったのは僕自身がシンセサイザーを演奏してMIDIで多重録音を膨大にしたことがあるからで、楽器を重ねていくと徐々に音の混濁がさけられなくなり、マルチトラックの本数を泣く泣く減らして本物っぽくした経験があるからだ。しかし作曲家が心血注いだスコアに無駄があるはずはなく、それをさせられる不快感を解消する唯一の方法はシングルトラックをマルチにする、すなわち、楽器の数だけスピーカーを鳴らすしかないという結論に至っていた。だからこの「スピーカー・オーケストラ」は究極の世界なのであって、それをやっていただいた方がこの世にいるということ自体が夢のようであった。

これを作られたのはシニアネットワークスペシャリスト宮本宰(みやもと つかさ)さん。このシステムはまさに人生賭けた入魂の作品である。早稲田大学理工学部在学中にフォークグループを結成してアルバム1枚、シングル3枚をリリースするが、そこで録音作業の妙に魅せられて音響技術者を志すこととなり、故冨田勲氏に信頼された斯界の大家である。「部屋(空気)が音楽を作る」という哲学が合致することを知り、僕が「リスニングルームを石壁にした」意味を完璧に理解していただいた。写真の通りバスドラにウーハーが組み込まれエレキベースはアンプが置いてある。お察しいただけるだろうか、これは空気を振動させる道具であるという合理的思考の貫徹である。素晴らしい。隣で聞いていた岩佐君によると僕は「鳴るのは部屋。スピーカーじゃない」と自宅で力説したらしく(覚えてないが)、宮本さんと「まるで兄弟の会話」だったらしい(氏は7つ先輩)。たしかに、こんなお兄ちゃんがいても不思議でないと思うほどそっくりな嗜好で似た路線を追求されておられ、ただ、こだわりの徹底ぶりは足元にも及ばない。

どんなものかこの動画をご覧いただきたい。

宮本さんはクラシックはベートーベンの運命から入り、オーマンディーで覚えた。「だからカラヤンも小澤もぜんぜんだめなんです。物足りない。第4楽章へのブリッジなんかもね。だから自分でMIDIで作ってしまいました。音質は落ちますが音楽はやっぱりグルーヴなんで酔えるんですよ」なんと、まったく僕と同じことをされている。ひとりぼっちじゃなくてよかった!こうしていきなり話がストライクゾーンに入って延々と続いてしまい終わりがない、仕方なく、ではそろそろと「演奏」していただいたのがこの曲。ワーグナーのタンホイザー大行進曲である(このビデオではない)。

名古屋フィルを合唱付きでマルチマイク録音したその迫真の音は衝撃だった。正直のところこの手のもので僕が驚くなどということは自分で想定もしていない。かつて人生でスピーカーからこれ以上のものを聞いたことはないし、オーディオなどというものの次元であれこれやってきた自分が馬鹿らしくなってしまった。音ではなく音楽に心から感動し、鳥肌が立った。弦楽器の生々しさ、管の質感、重低音の空気感!目をつぶれば掛け値なしにそこにオーケストラが「ある」。奏者が「いる」。

「宮本さん、これで春の祭典とダフニスとクロエをやりたい」とほざきながら、もうそれが頭の中で響いている。あのブーレーズのCBS録音の質の演奏をこれでやったら、もう鼻血ものだ。ワーグナーをサンプルに選ばれたのにも表敬したい。僕自身の経験からマルチトラックの混濁はスコアのパート数だけではなく作曲家のオーケストレーションの癖にも依拠して発生する。中音部が厚くてだぶる傾向のあるワーグナーは非常に鳴らしにくい作曲家なのだ。MIDIでないとはいえ、そこに声楽まで出されてしまうと二の句がつけない。これで作曲したらとぞくぞくするが、人生それで終わってしまうかと不安にもなってくるほど。

ポップスもということでホイットニー・ヒューストンのライブを、これは映像付きできいた。劇場の特等席で舞台を見上げている感じだ。これまた絶句するほど凄い。故人のアーティストが生きてそこで歌っているようにというコンセプト。まさにそう感じる。DVDなのにサラウンドで鳴るのはどうして?ときくと、「ピアノを含めて楽器をダビングしました。だから40数本のスピーカーは楽器ごとに鳴ってます。ぜんぶ耳コピです」。いや耳も素晴らしい。

宮本さん、そしてご紹介いただいたヒビノサウンドDiv.大坂ブランチ所長の徳平さん、ありがとうございます。末永くよろしくお願いします。

 

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「うじうじ人間」の金持ちはいない

2019 JUN 16 12:12:19 pm by 東 賢太郎

先週はいろんな人と会って面白かった。来る人は会うし去る人は追わない。会っても何も期待しない。Let it be.  なるようになるさ。

ソナーという名は探知機から来た。何を探知するか?「よいもの」である。なんであれ。そういう会社をがんばって作ろうということではなく、すでにそう生まれついている。僕はそれだけで64年生きている。

僕のソナー ➡ よい > わるい

だからよいと思ったらすぐ手に入れる。家を建てようと土地を探した。家内と半年も探した。なかった。10年まえ、いまの場所が出た。来た。見た。買った。所要時間5秒。いまも満足、ここで死にたい。

いまの若者は手に入れることをしない。借りる。共有する。クラウド。それは大賛成だ。なぜなら即決できる。失敗のコストが安い。うじうじ考えてチャンスを逃すよりよっぽどいい。いい練習だ。でも持たないと資産はできない。

僕はアメリカや香港に住んだ。米中には「うじうじ人間」が少ない。金持ちほど決断が速い。こういうことは何年住んでも、カネが商品の僕らしか知らない。なぜ速いか。「うじうじ人間」の金持ちはいないことを知ってるからだ。

 

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指揮者は何をしているか(野村とみずほの視点から)

2019 JUN 16 0:00:34 am by 東 賢太郎

オーケストラの指揮者がポディウムで棒を振って何をしているか、やったことないので想像もつかないが、証券会社の集団を指揮することは30年やってきた。野村からみずほに移籍させていただいた時はそのキャリアの途中であり、120名の集団をいきなり指揮しろということだった。すでに500人を指揮していたから人数はどうということもない、問題は、みずほ証券は証券会社ではあるが部下になる人ほぼ全員が銀行出身者であることだった。よそ者の指揮棒についてきてくれるとは一概に信じ難いという不安があった。

当時のみずほ証券はというと、株式営業部門だけは野村出身者の集団だった。そのため僕は巷ではそこへ行くと思われていたらしく、全然違うのだがそれが平穏だからあえて黙っていた。話はそういう風に静かに進んでおり、移籍が発表されるまでその部門は役員まで誰も知らなかったはずだ。資本市場グループというプライマリー部門に証券出身者を外から連れてこようとなると興銀、富士、第一勧銀3行の本丸の力学に関わるから色々あり、ご判断はコーポレート銀行頭取と横尾現ソナー会長(当時、みずほ証券常務)が下したと後日うかがった。

周囲の銀行員というと親父しかいなかった僕にとってもこの決断は度胸が要った。当時の心境はニューヨークからコロラドに電話がかかってきていきなりピッチャーをやれというこれと同じようなものだったが(野村證券・外村副社長からの電話)、この時は人生の岐路に立ったわけで体調が変になってしまい、神山先生にお世話になるのはそれがきっかけだった。満を持していざ着任してみると、ポツンと一人で座ってまるで学期中に他県からやってきた転校生みたいであり、空気になじめないことは我ながら滑稽ですらあった。一対一でも会議でも意図がうまく伝わらず、移籍は失敗と思うしかなかった。

それでも結果的になんとかなった理由は2つある。ひとつは “コンサートマスター” が優秀だったこと。彼は横尾さんの指示で僕にぴったりついて変に浮かないように調整してくれ、会議で意味不明の指揮棒を振ってもちゃんとコンマスがフォローの指示を出してくれた。もうひとつは銀行組織に特有の、証券会社にはあまりない「微細な感性」とでもいうものだ。これは何とも文字にならない。彼らには当たり前のようだが新鮮だった。上司になるとこちらの一挙手一投足が彼らのスタンダードにおいて観察、吟味される。何か月かすると、証券語は相変わらず通じないのに、彼らは僕の意図が見事にわかるようになった。これがいわゆるソンタクだろう。

この体験は痛烈で忘れられない。そういうマネジメント・ポストでの異動経験というと拠点長としてフランクフルト、チューリヒ、香港の異動はあった。しかしそれは同じ会社の中でのことだから行った先の部下はそれなりに僕がどういう人物かは既によく知っていた。別な会社となると話はまったく異なる。しかも銀行の人たちは証券業という新しい世界へ移動や転籍でやってきていて、そこにその世界のプロというふれこみで落下傘でやってきた僕への視線は厳しくもあり、お手並み拝見という冷ややかなものでもあった。

スザンナ・マルッキというフィンランドの女性指揮者のインタビューを見ていたら興味深い言葉があった。ニューヨーク・フィルハーモニーに客演して振ってみて、彼女はオーケストラに musical intelligence があるというのだ(9分13秒)。

想像でしかないが、みずほ証券という ”オーケストラ” を指揮して感じたものに似ているかもしれないと聞きながらふと思った。僕は部下に細かな指示をすることなくヒントやサジェスチョンだけを事前に与える。すると彼らはあるべきものを察して準備し、当日の顧客へのプレゼンでそれをもとに僕がインプロヴィゼーション(即興演奏)をするという相乗効果あるパターンがうまく回ってマンデートがとれるようになった。オーケストラの musical intelligence と彼女が表現したのはそういうものではないか。ただマルッキさんのケースと違って僕の場合は力不足で本領を発揮できてないから皆が銀行組織のインテリジェンスで支えてくれていたという形でそれがワークしていた。いま振り返ればやっぱり「客演の指揮」だった。

そう思っていたら先週、志あって他社に移籍したり起業をされている野村証券出身の元気な若手4名が訪ねてこられた。20~30代。話しているうちに懐かしくなってきて独演会となり結局2時間もお引止めすることになってしまった。別に後輩だからいつもそうなるわけではない、今回の皆さんは自分で新たな道を行く決断をされ退路を断っていて、その理由をひとりづつ伺ってなるほどと思った。いまどきの若者に転職、転社は普通なのだろうが、彼らは僕らのころだったら一番やめないタイプの人たちである。だから面白くなってしまったのだ。僕もおんなじで50まで大好きな野村にいた。会社が嫌いでやめたわけではない。25か50かはともかく思いは共通だったということだ。そういえば・・・こういうオーケストラを僕は20年も指揮していたのだ。

野村もみずほも、経営は一筋縄で行かない時代になっている。預金もローンも証券も投信も、同じものが大量に売れて会社が存続できることはもうなくなるだろう。情報はネットで取得でき、執行も安価だからだ。月並みな商品やどこでもあるインフラ使用に高い代金を払う人は確実に減っていくのは「ことの本質」であり、value for moneyを消費者が吟味する時代になってきているのだ。だから僕は販売、執行、情報提供はビジネスとして興味がないしやる気もまったくない。金融で生き残るのは intelligence を売るアドバイザーである。その能力のある人は「本物主義」であるのは当然のことであり、これが何を言っているのか分からない人はAIに淘汰される前に失業する。そして、そういう社員しかいない会社も、どんなに大きくても消滅するだろう。

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「銀行で投信を買うと46%が損(金融庁)」のインサイド

2019 JUN 13 7:07:05 am by 東 賢太郎

先日、野村証券で現役の後輩と新幹線でいろいろ話したら、会社はもう様変わりになっていて驚いた。時代というものはあるが、それにしてもあの会社がそこまでなるかというほど「普通の会社」になっているではないか。僕がいた最後のころ、こう感じた。「いま入社試験を受けたら落ちるだろうな」。そのころ僕は金融経済研究所の部長であり、100人ぐらいのアナリスト、ストラテジスト全員にこう言っていた。「君たちの調査レポートはまったく面白くないね」。

僕は調査部門の経験はない。レポートを書いたこともない。そんな上司にそんな事を言われたらむかつくだろうが彼らはプロなのだ。僕はそのレポートで商売してきたプロなのだ。プロとプロの対決であり、それは相手が何百人だろうと僕が勝つに決まってるのである。上司だからではない。ユーザーである僕が面白くないものは売れないからだ。面白いというのは儲かりそうだということである。損するかもしれないがひとつ話に乗ってみようとお客様が思うかどうかだ。それがかけらもない、干からびた学術論文みたいなもの、情報端末よりすこし早耳情報ですよみたいなものは単なるクズなのである。

彼らはすべて超高学歴で頭脳明晰だ。しかしエリートはつまらないのだ。こと株に関する限り話していても面白くも何ともない。いや、向こうもそう思ってただろうから「面白い」がバロメーターというより「自分で儲ける能力があるのかどうか」と言った方がフェアだ。彼らが独立して自分で株で財を成せるか?賭けてもいいが全然無理だろう。そういう旗揚げをしてみようというタイプは皆無だしできたという話も聞いたことがない。従って、それでは何のプロなのか未だに不明だがそういう人に株のアドヴァイスをしてもらおうというお客さんがいるはずないのは宇宙の原理といっていい。きっと、こういうことの行く末にプロがどんどん普通の人になっていって、会社ごと普通という姿が待っていたんだろう。

ジョージ・セルがクリーブランド管弦楽団に着任して団員を7割クビにしたが、自由にしていいなら僕もした。あるいは3割を連れて調査会社をたちあげた。当時、野村の調査は一流ということになっていたが世界レベルでは7割はアマチュアだった。能力とはいわない。彼らは官僚か銀行員ならおそらく僕より優秀だ。でも株式ではアマチュアなのだ。それは日本の運用業界の縮図であって、そこで7割の運用者が求めるサービスもそうなのだ。だから同類の「普通の人」が求められ、食っていけてる。これが野村から情報をもらって運用している「プロ」側のインサイドに他ならない。だから「銀行で投信を買うと46%が損(金融庁)」という事態になっている。どなたもすっきりとご納得いただけるのではないか。しかし、そういう程度の投信を買ってしまう大半の日本の投資家も無知すぎる。百年安心年金などというのがおお嘘なのは明々白々たる事実なのだから投信を資産に組み入れること自体は正当な資産防衛だが、大事なのは真実を語って顧客側に立ってくれる営業マンから買うこと。それに尽きるし、その吟味こそが正しい資産防衛だ。

 

(本件のようなことに至ってしまう「事の本質」はこのブログに書いてあることである)

情報と諜報の区別を知らない日本人

 

 

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ますます大事な「ひとりで強い人」

2019 JUN 11 1:01:03 am by 東 賢太郎

今日は3つの重要なミーティングがあり、どれもが大きな案件であって有難い。ビジネスとしてというよりも、まずエキサイティングであることがだ。近年あまり興奮するということがないからであるが、そういうものを持ち込んでくれる人こそがエキサイティングなのだ。

最初のは中村修二先生の会社のアメリカ人幹部たちだ。じっと聞いていると面白い。何が?数字じゃない、とにかく前向きなことがである。見通しが良いのは知ってるがそこまでバラ色かといぶかしく「でも中国ビジネスはリスクだろ?」と茶々を入れてもへのかっぱ。素晴らしい。こうじゃなきゃあの国では商売なんてできない。でもきっと家でも女房にあの調子でアメリカンな明るい未来を語ってなきゃいけないんだろう、毎日のI love youは当然で。ご苦労様だねまあ俺には無理だ。

2つ目はサムライアートの島口さんらと打ち合わせ。3つ目は不動産ファンド関連でパートナーとなる人との打ち合わせと会食。とにかく熱い人ばかりである。何ができるかわからないがやらないと何も起きないのは確実だからやるしかないよね、というのを「チャレンジ精神」なんてクソみたいな名称で呼ぶ人たちにそういうことは逆立ちしてもできないだろう。僕らはそれをチャレンジなんて思ってない、何も起きない人生なんてまっぴらごめんで、長年そうやって生きているから呼吸するぐらいに当たり前のことだ。

こういう方々が来てくれるから僕も熱く生きられて日々楽しい。次々アイデアも出てくる。それがビジネスには何よりで、収益動機に走るとだめである。これは経験則だ。収益は結果であってそれを目指していると疲弊してしまう。面白く生きてるから続くのだ。来てくれるのは何かを期待してくれるからで、それに応えようという気になるし、今度はこっちが期待して相手がモチベーションを持ってくれる。このキャッチボールはお互いを予期せぬ高みに至らせてくれるのだ。

これからは限られた時間だし、そういう人々と深くつきあうことになるだろう。年齢、国籍、性別、学歴、職歴は関係なし。ひとことでいえば合う人。何時間話していてもあきないかどうか。これはまぎれもなくキャッチボールなのだ、うまい人からいいタマが返ってくると何球でも続く。比喩でなく実際に。前に何かで女子と話が合ったり意気投合した経験は皆無と書いたことがあるが近年僕も少し丸くなった。むしろビジネスに女性視点は不可欠とも思う。

つまり、英語はイランと書きながら英語を使わせてもらうが、energizeしてくれるなら僕にはすべからく大事な人なのだということがだんだんとわかってきた。それは「ひとりで強い人」、ショーペンハウエルがくだらない社交は時間の無駄、本は馬鹿になるから読むなと書いたように自信をもって生きられる人で、そこに年齢、国籍、性別、学歴、職歴など関係あろうはずもない。

 

キャッチボールと挨拶

 

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