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ツェムリンスキー 「抒情交響曲」 作品18

2024 MAR 18 12:12:25 pm by 東 賢太郎

Alexander von Zemlinsky

アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー(1871 – 1942)のピアノの師をたどっていくとアントン・ドーア(1833 – 1919)~カール・チェルニー(1791 – 1857)~ルートヴィヒ・フォン・ベートーベン(1770 – 1827)となる。ツェムリンスキーの義弟がアーノルド・シェーンベルク(1874 – 1951)だ。それをもって十二音技法はモーツァルト、ハイドンまで連なると結論するのは無理があろうが、モーツァルトのト短調交響曲K.550に12音の音列が出てくることは周知であり、ハイドンの95番ハ短調 Hob. I:95にもある。

音楽史ではウィーンを起点とした音楽の系譜はベートーベンから分岐し、シューマン、ブラームスに向かう流れと、ワーグナーからマーラーへ向かう流れに分かれると一般に説明される。後者が後に無調や拡張和声を出現させるが、シェーンベルクは複数音のコンビネーションである和声という伝統概念を捨て前者を里程として十二音技法を産み出す。この発想はブラームス、ワーグナー、マーラー、バッハ、モーツァルトの作品を独学で研究して作曲家になったことと無縁でないと僕は考えている。

シェーンベルクの唯一の音楽教師は数ヶ月間対位法のレッスンを与えたツェムリンスキーだった。ウィーン音楽院で正規の教育を受けた義兄が十二音技法へ向かわなかったのは、趣味趣向だけでなく伝統を叩きこまれたからという側面もあったのではないか。ツェムリンスキーは1884~1892年にウィーン音楽院に学び、ロベルト・フックス(1847 – 1927)に理論を、その兄ヨハン・ネポムク・フックス(1842- 1899)およびアントン・ブルックナー(1824 – 1896)と、錚々たる先生に当代最高の教育を授かり、ブラームスがその実力を認め、クラリネット三重奏曲ニ短調作品3の出版をジムロック社に推薦した。後に無調、拡張和声の道を進む者の起点がかようにブラームス流であったことは注目に値する。

どこから見てもエリートであるが、エリートは既成概念の産物だ。対して天才とは、既成の範疇での早熟児を言う場合と革命児の場合がある。私見では前者は秀才と呼ぶべきで、モーツァルトは前者で著名になったが革命的な音楽を書いたから天才なのだ。アインシュタインの言葉「私の学習を妨げた唯一のものは私が受けた教育である」は正しいと思っている。僕はどちらでもないが独学派ではあり、いま役に立っているインテリジェンスのうち学校で習ったものはほとんどないとだけは言える。

エリートは幸福とは限らない。彼は作曲の弟子だったアルマ・シントラーと恋仲になったがあっさりふられ、11歳年上のグスタフ・マーラー(1860 – 1911)に奪われてしまう。身長が159cmと短躯であり、アルマは「彼は不細工」と口走ったらしい。それで終生傷ついてしまう繊細な男だったようで、後に半自伝的オペラ「」(1919-21)を書いてもいる。マーラーは彼の作品をプロモートもしてくれているから力関係もあったかもしれないが、男と女はいつの世も複雑だ。可哀想といえばハンス・フォン・ビューローもいる。リストの娘コジマと結婚して2子までもうけていたのに心酔するワーグナー様に妻を寝取られてしまう(これは力関係だろう)。古くはモーツァルトの失恋劇だってある。それが創造の刺激になって面白い作品が生まれた(オペラ「小人」も素晴らしい)ならむしろ良かったではないかと僕は思う。

アルマとマーラー

しかしここまでくると僕の理解の範疇を超えるのだが、ツェムリンスキーはマーラーの「大地の歌」(1908~1909)の影響で「抒情交響曲」(Lyrische Symphonie、1923)を書きあげている。どういうモチベーションだったのか、少なくとも恋敵への仇討ちではなく心酔がないとできないだろうという素晴らしい完成度の作品なのだ。僕の中でマーラーの評価は未だ定まってはいないが大地は時々聴きたい作品ではあり、ビューローもツェムリンスキーも音楽史に名を成した大音楽家なのだから、事この一点に関する限りマーラーはワーグナーに比肩する斯界の頂点を極めた男だったと言わざるを得ないだろう。

交響曲は7つの楽章から成る。

  • Ich bin friedlos, ich bin durstig nach fernen Dingen (「私は落ち着きがない。わたしは遠いものへの渇望である」)
  • O Mutter, der junge Prinz (「おお、母よ、若き王子よ」)
  • Du bist die Abendwolke (「あなたは夕雲です」)
  • Sprich zu mir Geliebter (「私に話してください、私の愛」)
  • Befrei mich von den Banden deiner Süße, Lieb (「愛よ、あなたの甘美さの束縛から私を解放してください」)
  • Vollende denn das letzte Lied (「そして最後の歌を終わらせなさい」)
  • Friede, mein Herz (「平和、わが心よ」)

 

シェーンベルクの弟子アルバン・ベルクは第3楽章を弦楽四重奏のための抒情組曲に引用しツェムリンスキーに献呈した。無調ではなく拡張和声による音楽だがベルクが敬意を懐いたというのは同じ音楽の土壌から出た根源的な共感があったからではないか。

私見では「抒情交響曲」はツェムリンスキーの最高傑作であるのみならず、1920年以降に現れた最も優れた交響曲のひとつである。CDは良い物が多くあるが、youtubeにあるキリル・ペトレンコ指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団のものが(商業録音ではないようだが)、歌手を含め圧倒的に素晴らしい。ペトレンコは2019年より11代目のベルリン・フィル首席指揮者・芸術監督に就いているが70年ぶりのロシア人だ。EUで働くのは難しい時代とはいえこの実力なら誰が文句があろう。

自民党の「罪と罰」

2024 MAR 15 8:08:22 am by 東 賢太郎

「第2次世界大戦はなぜおきたの?」

小学生にきかれ、ちゃんと答えられる大人は何%いるだろう?

ドイツでナチ党が政権を獲得し、国際連盟を脱退した(1933年)。ベルサイユ体制打破の狼煙が上がり、日本は日独伊防共協定を結ぶ(1937年)。ところがドイツはポーランドとの不可侵条約を破棄し、8月23日に共産国ソ連と不可侵条約を締結して世界を驚愕させ、9月1日にポーランドに侵攻して第2次世界大戦がはじまる(1939年)。独ソにポーランド分割秘密議定書という裏契約があったからである。

日独伊防共協定は大義を喪失、日独外相はソ連を加えた4か国による対米同盟を望んでいたが失敗する。バルカン半島やフィンランドを巡って独ソ関係が悪化したからで、6月22日にドイツ軍は不可侵条約を破棄してソ連へ侵攻し、12月8日に日本は真珠湾攻撃によって米国から宣戦布告を受ける(1941年)。そしてソ連は日ソ中立条約(1941年)の破棄を通告して日本に対して宣戦布告を行うのである(1945年)。

以上は前稿のくりかえしになるが、このくだりは僕もあまり勉強しなかったし、人間を性善説で見るように教えられていたのでよく理解できてなかった。のちに三国志を読み、外国でディールに明け暮れているうちに腑に落ちたのが現実だ。

ワルぞろいの英米独露に比べれば計略に乗せられてブチ切れた日本軍は純真だった。それじゃだめなんだよ。中国は2千年も前からやってる。いまさらハニトラなんてきくと「貂蝉がいただろ、お前ら少しは勉強せいよ」と言いたくなる。

世の中には「罪と罰」のラスコーリニコフのように「1つの罪は100の善行によって償われる」「選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、社会道徳を踏み外す権利を持つ」と信じている者がいる。

国を救う善行のためには原爆で何十万人殺してもいいと考える人間が現実にいたのだから、条約の破棄など罪の意識すらない。まして国のために選ばれた自分は脱税しても許されると信じる国会議員がいても驚きでもなんでもないのである。

ラスコーリニコフが殺した老婆が金貸しに設定されたのはキリスト教の利息禁止を犯した悪人だからで、「1つの罪」の重さを減じている。「政治は金がかかるんです」という永田町の教えも資金使途記載漏れの罪を巧みに減じている。

法と証拠に基づいて適切にやっているので、ダンサーにお札を口移ししようと腰を触ろうと、法には触れていない。しかも当時の記憶の中では触ってないし、今の記憶の中では覚えてない。個別事案についてはお答えを差し控えます。

「赤ベンツで歌舞伎町のラブホに乗りつけ、一戦を交えたその足で国会議事堂に何食わぬ顔で出勤して居眠りすることを禁ず」なんて法律はない。ワタクシも法と証拠に基づき、厳正公平・不偏不党を旨として、適切に政務を執行している。

選ばれた我々なのだから少しぐらいは行政権が法を乗り越えてもいい。「泥棒に追い銭」はあっても「泥棒に立法権」という格言はない。罪であっても罰はないように巧妙に法を作ってあるから裏金作りだって安心安全なのだ。

昨年の9月に「岸田政権の支持率は0%まで下がる」と書き、11月に「次は上川陽子になる」と断言した。僕は政界情報など何もない。あるのは仮説だけ。それによると自動的にそうなる。ホントにそうなってきたぜ、恐いなといってる。

我が周辺は自民支持の右派ばかりだが、皆さん怒ってる。やっぱり確定申告だ。エッフェル姉さんで笑えた空気はもう皆無。議員はいったんアダ名がつくとネットで永遠に言われ、いずれ100%がネット社会になる。人生棒に振るよ。

「ラブホ出勤も口うつしも、どうでもいいけどさ、フケツだわな不潔、こいつカネにもケガレてるんだろうってなっちまうな」。もっぱら遊びには寛容なYがこう言う立場をとるのはけっこう稀なことだ。

 

ハチャトリアン ピアノ協奏曲変ニ長調 作品38

2024 MAR 14 2:02:31 am by 東 賢太郎

これも我が愛聴曲である。美味というよりも強めのエキゾティックな香辛料が鼻腔にまとわりついて離れないように、知ってしまうとなしでいられなくなるという性質の音楽だ。そしてこの曲は時代の響きを今に伝えてもいる。生まれたのが激動の1936年であることはとても意味深い。まず、どんな時代だったかを振り返るところから始めてみよう。

ドイツでナチ党が政権を獲得し、国際連盟を脱退した(1933年)。ベルサイユ体制打破の狼煙が上がり、日本は日独伊防共協定を結ぶ(1937年)。ところがドイツはポーランドとの不可侵条約を破棄し、8月23日に共産国ソ連と不可侵条約を締結して世界を驚愕させ、9月1日にポーランドに侵攻して第2次世界大戦がはじまる(1939年)。独ソにポーランド分割秘密議定書という裏契約があったからである。

ここで日独伊防共協定は大義を喪失、日独外相はソ連を加えた4か国による対米同盟を望んでいたが失敗する。バルカン半島やフィンランドを巡って独ソ関係が悪化したからで、6月22日にドイツ軍は不可侵条約を破棄してソ連へ侵攻し、12月8日に日本は真珠湾攻撃によって米国から宣戦布告を受ける(1941年)。そしてソ連は日ソ中立条約(1941年)の破棄を通告して日本に対して宣戦布告を行うのである(1945年)。

皆さんは以上の歴史から何を読み取られるだろうか?太字にしたのがヒントだ。僕の答えは「人間は裏切る」である。だからこそ、そうさせないための約束である「契約」というものがある。国家の契約である条約や協定がこれほど短期間に盛大に破られているのをみて、それでも人間を信じましょうなんて気持ちは僕は持てないが、性善説で語る歴史家はこれを「狂気の時代」とする。おそらく、想像だが、いま岸田政権はこういうことを考えている。奇襲だろうが偽旗を掲げようが汚かろうが何だろうが、不意討ちで騙すのが最も有効な戦略である。

裏切りを時代のせいにできるのは平時の精神だ。世界史で平時はほとんどない。戦後79年の平和から「日本は民主国家だ」「法治国家だ」「日米安保で安全だ」と盲信する。それは強者の都合でどうにでも捻じ曲げられると知る者は長いものに巻かれる。日本は諺がそれを奨励する国だ。教訓は諺ではなく生々しい歴史の現実からのみ得られる。一度裏切る者は何度でも裏切る。これは常に正しい。僕はそういう人には関わらない。

1936年はスターリンの大粛清が本格的にはじまった年だ。ヒトラーとかわらぬ未曾有の残虐行為をしていたとはいえ、ソ連をドイツが引き込む可能性があったためそれを阻止することは対独戦線で連合する英米仏にとって死活問題だった。そこで、スターリンがグルジア(ジョージア)人であり、ハチャトリアンがアルメニア人であることが注目される。アゼルバイジャン、アルメニア、グルジア3国はソビエト連邦に併合されるまでは「ザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国」であり、併合が1936年であり、その年にピアノ協奏曲変ニ長調 作品38は作曲されたのである。

僕はそのことと、同曲の演奏に英米演奏家が力を注いだのは無縁でないと考えている。英国初演は1940年4月13日、ロンドンのクイーンズ・ホールでモウラ・リンパニーが、米国は1942年、ニューヨークのジュリアード音楽院で行われ、ウイリアム・カぺルが看板レパートリーにして有名になった。1938年10-11月録音のフルトヴェングラーの悲愴交響曲の稿で「僕はこの悲愴はソ連に向けた目くらましのリップサービスとしてスターリンをだます国家的目的にフルトヴェングラーが妥協し、対独宣戦布告前の英国EMIに録音させたものだと考えている」と書いたが同様のことだ。

チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」の聴き比べ(5)

音楽に政治は関係ないだろうという人は長いものに気がつかずに巻かれる人だ。レナード・バーンスタインはショスタコーヴィチの交響曲第6番について『作曲された1939年にドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まったが、独ソ不可侵条約により、ドイツはポーランドのソ連領には侵攻しなかった。「我が国は平和だ。」という偽善を表しているのが、第2楽章、第3楽章である』と、そうでない視点から述べている。彼がピアノがうまいだけでない真のインテレクチュアルだったことがわかる。世に迎合した音楽家の演奏は心に刺さらない。

ハチャトリアンが英米の連合国側につくという国家的目的に添って作曲したかどうかは不明だが、モスクワ音楽院卒業作品(交響曲第1番、1935)に次ぐ大作であり、ソ連を代表するD.オイストラフ(vn) 、L.オボーリン(pf) 、S.クヌシェヴィツキー(vc)に協奏曲を書けばスターリンのプロパンガンダ(国威発揚)にもなるぐらいの意識はあったのではないかと想像したくなる。レコードという新興メディアの巨大市場である英米は作品がロシアの外で評価されるには重要だった。米国は偉大な田舎であり、エキゾティズムは関心をひく要素ゆえ民族音楽の引用は常套手段だ。彼のヴァイオリン協奏曲第2楽章にコーカサス民謡があることを前稿で指摘したが、ピアノ協奏曲ではさらに濃厚だ。

ベレゾフスキー(pf)アルメニア国立交響楽団

音楽について少々書こう。スコアがないので楽譜を引用できないが、第1楽章第1主題は粗野で跳躍するようなシンコペーションのリズムを持つが、その結尾でトランペットと木管が吹く哀調ある旋律( es—ges / f / as / es—)が非常に耳に残る(ビデオの1分22秒)。これは素材として展開しないどころか、出てくるのはここだけなものだから、殺気だった雑踏の中で美女とすれ違ったがふりかえるともういない、まさにそんな感じなのである。ところが、終楽章の終わりにいたって、忘れ去っていたこれが主題の再現とともに不意に現れる!(27分20秒)。この設計はブラームスのクラリネット五重奏曲、ヤナーチェクのシンフォニエッタなど珍しくはなくいずれも感動を残すのだが、美女の再来となるとそれはそれでユニークだ。いつ聴いても感動する。旋律名は不明だが、この舞曲の伴奏の中にひっそりと聞こえている。

お気づきの方もおられようが、この旋律はショスタコーヴィチの交響曲第12番第1楽章の冒頭に第1主題として出てくる。12番は「レーニン交響曲」(1961年)でありハチャトリアンも「レーニンを偲ぶ頌歌」(1948年)を書いており、どちらもうわべのボルシェビキ賛歌だが関連があるのかもしれない。

次は第1楽章カデンツァの前でバス・クラリネットがソロで吹く息の長い旋律のタララーという ”結尾3音符” に注目いただきたい。これは第2楽章第1主題(イ短調、半音階上昇が悩ましいほどエロティックだ)がイ長調で結ばれる部分にも現れ、どなたでもわかるだろう。一度聞いたら耳にこびりついて離れぬほどの妖しいインパクトであり、同楽章のカデンツでは強奏される。youtubeで探してみたところウズンダラ(Uzundara)という踊りに出てくることがわかった。

ペルシャの影響が色濃い雰囲気のメロディー(旋法)である。ザカフカースはロシア語で「カフカス地方の向こう側」という意味で、ロシアから見てカフカース山脈の南側一帯を指す。長くオスマン帝国とイランの諸王朝(サファヴィー朝・カージャール朝)とが領有をめぐって争う係争地であったのだから人種も文化も相当に混血していないはずがなかろう。民俗的なものに噓はない。だからこそ僕はこの地域の底知れぬ魅力に惹きこまれているのだ。ちなみに第2楽章第1主題の半音階上昇はストラヴィンスキーの「火の鳥の嘆願」を想起させる。

ガイーヌに引用しているので間違いないだろう。

Flexatone

第2楽章に使われるフレクサトーンなる不思議な楽器がある。ミュージカル・ソー(Musical saw)に近い音で、同曲ではそれを代用することもカットしてしまうこともあるがあったほうが断然いい。ただでさえセクシーな旋律が妖しさ満載になるが、暗い処で一人で聞くとちょっと怖いかもしれない。

 

こちらで音が聴ける。

Flexaton / Musical saw in Khachaturian’s piano concerto – Katharina Micada | Singende Säge (singende-saege.com)

 

同曲の録音で惹かれるものが2つあるのでご紹介する。

ミンドゥル・カッツ(pf) / エドリアン・ボールト / ロンドン・フィル

第1楽章をベレゾフスキーと比べていただきたい。同じ曲と思えるだろうか?全編を抒情が彩り、「美女」はオーボエが吹きトランペットは(入っているかもしれないが)聞こえない。ボールトのオケも威圧的でなく詩情に力点を置く。ソロの部分も野卑にならず格調があり、ロシアを西欧化した、いわばフランス印象派寄りの感触とさえ感じる。そういう曲なのかという問いには答えにくいが、こういう曲でもあったということだ。猫という名のMindru Katzはルーマニアのブカレスト生まれのユダヤ系である。我が年代のファンには廉価盤のイメージがあろうが、作曲家エネスクが神童と認めたピアニストで僕の評価は高い。

 

ヤーコフ・フリエール(pf)/ キリル・コンドラシン / モスクワ・フィル

1963年の本家メロディア録音。音はクリア。フリエールは1936年にウィーンで行われた国際コンクールに出場して優勝したピアニスト(2位はエミール・ギレリス)で技巧の切れ味が素晴らしい。カデンツァの不協和音を渾身の強打で鳴らしつつこれほど濁らず綺麗にきこえる演奏はない。モスクワ・フィルの音圧は往時のdeepなロシアで、フレクサトーンはメロディーの幻妖を余すところなく鳴らし、コンドラシンの楽想のグリップは誠に強靭である。これが作曲家の発想した音の代弁なのではないか。カッツ盤は例外的にこの楽曲のソフィスティスケーションに成功しているが、純音楽的アプローチを指向しフレクサトーンも割愛するなど民族色を後退させるアプローチは中途半端に終わるとまったく興覚めだ。この演奏は著名でないがレファレンス級である。

 

ハチャトリアン バレエ「ガイーヌ」

2024 MAR 10 1:01:11 am by 東 賢太郎

長年の経験から文化としての料理と音楽を俯瞰すると、その二つは各民族ごとに “感性の奥深い処” でつながっていると思えてくる。音楽に民族性があることは音階や和声で即物的に指摘することができるが、音楽と料理となると万人が納得する例示は無理だ。もはや感性でいくしかなかろう。

両者がつながっていると考え始めたのはスイスに居住していた頃だ。住んだのは本社のあるチューリヒで、ここはドイツ語圏である。かたや支店がジュネーブとルガノにあり、各々フランス語圏、イタリア語圏だ。数えきれぬほど出張するのだから3カ国にまたがって住んでいたようなもので、仏国、伊国の料理にどっぷりつかって過ごすうち、これを食べて育てばあの独逸人とは気が合わないだろうなあと漠然と思うようになったのだ。ブラームスとラヴェルとヴェルディが似ても似つかない。むべなるかなだ。

独仏伊が陸続きで数百年も隣りあっていながら混じり合っていないのは驚くべきだ。それほどに民族性というものは根強い。だから戦乱の歴史があったといえばそれまでだが、教室で習った当然を当然と飲み込んでしまう理解は導き方を知らない数学の公式を丸暗記するように応用力がない。民族性の根強さというものは、いくら庭に花を植えて綺麗に整えようと、刈っても刈っても芽吹いてくる雑草のように強靭だ。食文化も音楽文化も民族の生命力の賜物であって、それ以来、僕はどの国でもそれが法則のように当てはまると考えるようになった。

クラシック音楽はキリスト教の教会で芽吹いたから、その文化圏が土壌の “はず” である。そんなことはない、アジア人演奏家の進出は目覚ましいではないかと思われる人も多かろうが、ここでいう土壌とは現代に頻繁に「演奏」され愛好家が多くいるという意味ではない。「作曲(創造)された」という意味である。世界中が知っている楽曲の「原産地」のことだ。トマトはアンデス山脈、ナスはインド、大根は地中海の野菜だと述べているに等しいと思っていただきたい。

では現実論としてそれがどこで芽吹いたかというと、ほぼ「EU加盟国とロシアで」と言っていい。EUにスラブ民族国家ロシアの名がないことは民族性の根強さの証明だ(だからウクライナがどちらにつくかで戦争がおきている)。そのロシアも「原産地」であるのは正教会もキリスト教の分派だからだ。ローマ帝国が東西に分かれ、クラシック音楽はローマ文明と命運を共にしつつもキリスト教文化圏が土壌であることは揺るがなかった。ソナタ形式、作曲理論等で抽象化されたクラシック音楽は宗教を介して民族を超えたという意味で例外を作ったが、それはロシアの「食」の西欧化も貴族までだったように、民族の普遍的な現象ではなかった。

旧稿に我がローマ好きにつき述べた(唐の都、長安を旅して考えたこと)。その人間がクラシック好きであっても論旨に矛盾はない。一方の「食」のほうでも、僕はユーラシア食文化に違和感がなく、初めてなのに和食より好みと感じる場合すらある。そうした観点からすると、家系図をどこまで辿ってもまぎれもない日本人なのだが、「日本列島発祥の人類は今のところ見つかっていないので我々は誰もがいつかどこからか渡来しているはず」という理屈を前にして自分は何者でどこから来たんだろうという思考を止めることは難しくなる。シルクロードへの強い関心はそこに発している。

クラシック音楽の創造をシルクロードという視点で見ると、ユーラシア大陸の東淵はカスピ海、南淵はトルコあたりだろう。その東と南の端っこにアルメニア共和国はある。ノアの箱舟が大洪水の後に流れ着いたとされるアララト山があり(現在はトルコ領)、ティグリス川の源流が発する。イスラム圏(ペルシャ)と接して濃厚な影響を受けており、蒙古に襲撃され、トルコに侵略され、20世紀にはソビエト連邦に編入されるという限りなく複雑な歴史を持った国だ。しかし、クラシック音楽の創造という点は道理がある。なぜなら、アルメニアは世界で最初に公式にキリスト教を受容した国家だからである。

とはいえ最も辺境であるこの国から、他に類のないユニークな語法によって、和声音楽でありながら空前絶後のインパクトを与える作曲家が現れた。アラム・ハチャトリアンである。ヴァイオリン協奏曲は僕の愛聴曲だが、このアルメニア・ダンスの3分55秒(3拍子のところ)は同曲の第2楽章を容易に連想させる。

この非キリスト教的な響きの音楽文化から2つの傑作バレエ「ガイーヌ」「スパルタクス」を産み出したハチャトリアンの才能は未曾有だ。音楽の教科書級の作曲家を生んだ国で「一人だけ」は意外と少ない。シベリウスのフィンランド、グリーグのノルウェイぐらいだ。一国の歴史上ひとりどころか周辺国のジョージア、アゼルバイジャン、トルコ、イランをいれても史上ひとりだから如何に破格かがわかる。

彼の音楽の「辺境性」はバーバリアンで強烈なリズムの使用がよく挙げられるがそれは中学生でもわかる。むしろ、三和音による和声音楽なのにドミナント(D)からトニック(T)の解決がほとんどないことに耳が行く。ヴァイオリン協奏曲の終結など初めてのころはどうしてだろうと不可思議だったほどで、ストラヴィンスキーの音感覚に近く、逆にD-Tが調性設計の骨格であるチャイコフスキーとは対極にある。活躍した時代(1930~60年)からすれば擬古的に違いないが、音楽にも進化論が適用されるという考えを捨てれば非常にユニークで魅力的な作曲家である。

ハチャトリアンはアルメニア人の両親のもとにジョージアで生まれコーカサス民謡を聴いて育ったという。現代版がこんなものだろうか。

一見すると優雅だが、執拗に裏で鳴り続けて駆り立てるような8ビートのリズムはそのままのテンポで「剣の舞」になる。

この曲、たくさん聴いたが、安全運転なのか遅い演奏が多い。ほとんどが遅い。なんだそれは熊踊りかみたいなのもある。この演奏、黒海対岸の国ブルガリア(ソフィア)のオケだがこうでなくてはいけない。打楽器、とくにティンパニストの女性の熱演が映らないのはとても残念だが見事な叩きっぷりは最高に素晴らしい。このテンポで踊れるのかというと、踊れるのだ。この全曲ビデオの2:09:14をご覧いただきたい。

youtu.be/s9jbn27wIew?si=bGlNND0gPiozcHVN

時間がない方は1:51:10からの第3幕だけでも。アルメニア国立歌劇場でオケはマリインスキー劇場管弦楽団。最高だ。ビデオは2014年で、この年、黒海ではロシアによるクリミア半島併合が強行された。

このバレエ「ガイーヌ」はぜひ劇場で観たいが機会がない。行かないと無理なんだろう、早く戦争を終えてくれと切に願う。

 

 

世界のうまいもの(17)《蒸汽海鮮石鍋魚》

2024 MAR 8 7:07:49 am by 東 賢太郎

上海で知った貴州料理の石鍋魚に惚れこんでいて、どうしてもあれがもう一度食べたい。あるとすると池袋北口のガチ中華街だろうとネットで探すと、いかにもその感じの店を見つけた。蒸汽海鮮石鍋魚なるものを食わせる料理屋「食彩雲南」である(写真)。貴州ではなく、もっと南の雲南省だがまあいいかと足を運んだ。地図を見るとこの省はチベット、ミヤンマー、ラオス、ベトナムに接する。中国南方の内陸はまだ行ったことがないが、古来より少数民族がたくさんが住んでいてその数だけ文化がある。行ってみたい。貴州のあの鍋は確かミャオ族のだと聞いた気がするが、初めてだったにもかかわらず衝撃的なうまさで忘れられない。

屈託ない笑顔がなんとも魅力的だ。

ミャオ族の人々

雲南省はこちら。これもきれいだ。

白族の人々

中国人といっても北京や上海と違ってこういう暮らしの人々がいる。食文化だって我々がいわゆる「中華料理」と呼んでるものとは違う。

「食彩雲南」は大通りの角にある雑居ビルの8階だ。狭いエレベーターでやや怪しげといえないこともなく、店員の日本語もあやしく日本人客はいないのだが、中国人の若い女の子がひとりで来たりする。テーブルの真ん中に鍋型の穴が据え付けになっていて、そこにスープを満たして点火すると、尾頭つきの魚(淡水魚だろうか)をデンと横たえる。何が始まるかと思うと、草を編んだようなモンゴルのゲル風のでっかい蓋を鍋に被せる。すると、そこからもうもうと蒸気が立ち昇ってきて天井まで届くのである(写真はまだ序の口)。壮観だ。

出来あがりはこうなる。貴州と比べるとスープの色は似ているが味は違う。だがこれはこれで実に美味。見た目でひいてしまう人もいようが料理というのは食してみてナンボであり、視覚的楽しみもあるからお薦めである。少数民族は何十もあるようだが各々にこうしたプライドをかけた食文化があると思うと興味は尽きない。

これがシルクロードを辿って西へ行くと中央アジア、中東をとおってローマに至る。黄河 ・ 長江文明からメソポタミア文明を経由してギリシャ・ローマ文明へという気の遠くなるような距離と時間の長い道のりであり、そのものが人類史といっても良い。

日本列島発祥の人類は今のところ見つかっていないので、我々は誰もがいつかどこからか渡来しているはずだ。遺伝子はそれを覚えている。だから「好み」はルーツの刻印だろう。僕の好みはユーラシア大陸を楽しみながら突っ切ってギリシャ・ローマまで行く。そこの食と音楽に、えもいえぬ親和性を覚える。

世界の所々にまだ知らぬ美味があり、見知らぬ文化の人々が暮らしており、そして音楽がある。僕にとって、音楽への関心の根っこにあるのは無意識の中にあるそういうもの、つまり雲南省の白族の人々の写真を見れば蒸汽海鮮石鍋魚を食ってみたいなとなる気持ちと変わりがないようだ。

こうした精神で世界を観ている僕のような者にとって、政治をもって中国人が好きだ嫌いだという言説は誠に狭隘と評するしかなく、政治は政治家にやらせればよく、それをもって保守か否かを論ずるなど暇人の戯れとしか思えない。ミャオ族や白族の文化を尊重するのが多様化社会であって、白人のLGBTでチンイツにするのは単一化であって馬鹿でねえのというしかない。そういう連中は料理の味もわからんし、まして音楽などほど遠かろう。

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侍Jが成し遂げた完全試合というものについて

2024 MAR 7 22:22:10 pm by 東 賢太郎

金丸(関大)、中村(愛知工大)は今年からプロでも10勝するかという快投。プロの4人も圧巻。日本人ピッチャーの質の高さを見た。井端の目は確かだ。

継投とはいえ完全試合ばかりは特別だ。侍Jのベンチも浮かれていなかった。された方の不名誉と屈辱を慮ってのことも大いにあろうが、僕は、仮に贔屓のチームが、いや自分がグラウンドでやられたとしてさえも、この聖なるものの前では頭を垂れるしかないかと思ってしまう。これは野球というスポーツだけが持つ侵し難い「聖域」だ。

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株の儲けとブラームスのジレンマ

2024 MAR 5 7:07:58 am by 東 賢太郎

自分の行動と信条が合わないことがある。うまくいっていても、どこか心持ちが良くない。今がまさにそうで、前稿に書いたように現在の自民党政権には幻滅どころか亡国の危機感さえ持っているのだが、そんな政権なのに株式市場は新高値4万円をつけ、いっぽうで円が安くていよいよ150円台に定着しそうだ。僕はもう2年前から思いきって全財産を「日本株ロング」、「円ショート」のポジションにしているから当たりだ。しかし、これがその政治のおかげであるならジレンマがあってそう喜ぶ気持ちにならない。我が国は首相官邸ごとハイジャックされていて、自民も立憲もその軸で国会の裏でつるんでいて、何と証券市場までそうだったかと嘆かわしい気分すらある。

この利益は知恵をしぼり、体を張ってリスクを取った対価であり、誰でも市場で売買できるもので儲けているのだからどうこういわれる筋合いはない。ではお金と信条とどっちが大事かと問われればどうだろう。信条と答えたいが「武士は食わねど・・」の人種でないから自分を騙して生きるのはまったく無理だ。よって、どんなに唾棄したい政府、政策であろうと、それが存在する前提で投資戦略を練って勝ちに行く。そこに何らかの感情が入ってしまうと往々にして負ける。したがって信条は完全に無視である。つまり内面に矛盾が発生するのだ。株も為替も石ころの如く無機的な「対象物」でしかないという感性を持つことで信条優先の人間だという矜持を持ちこたえている。理が通った気はするがなんとも危ういものだ。

いま新事業というか協業の提案をいただいている。4つもあってどれも面白そうだ。モーツァルトなら作曲依頼は4つでも受けるだろうし、僕とて40歳なら迷わず全部受ける。69歳なのに気持ちがはやって簡単にできる気がしてしまうのが自分が自分たるゆえんではあるのだが、無理はいけないから部下たちの判断を尊重しようと考えていて、6時間も議論したりの日々だ。やればその分、余生の時間が減るという気持も出てくる。カネなんかのために早死にしたくないし、儲けて無理して使えば体に悪くてやっぱり早死にだ。つまり何も良いことはないのである。やがて「いつ辞めるか」考える日が来るだろう。江川は小早川のホームランで辞めた。貴乃花は千代の富士に負けて辞めた。トスカニーニはタンホイザー序曲でミスして辞めた。何になろうが、継ぐ人が現れての話になるが。

先だって、シンガポール在住の事業家で慶応ワグネルのフルーティストであるSくんとZOOM会議をして「仕事やめたら指揮してみたい」「何をですか?」「シューマンの3番とブラームスの4番かな」という会話があった。先週に渋谷で食事しながら「ブログにはモーツァルトが一番好きと書いてありますよ。どういうことですか?」と鋭い質問をいただいた。「モーツァルトは人間に興味があるんだ。なんか同類の気がしてならない、あんなに助平じゃないけどね」と答えた。君はと尋ねると「バッハのマタイとブラームスのドイツ・レクイエムです」ときた。「素晴らしい。マタイの最後、トニックの根音が半音低くて上がる。ブラームス4番はその軋みがたくさん出てくる。ドイツ・レクイエムは信教のジレンマがあったんだ。だから ”ドイツ” をつけたが、ドイツ人指揮者は意外に振ってないね、ベーム、コンヴィチュニー、クナッパーツブッシュはないんじゃないか」なんてことを話した。

ブラームスのジレンマ。比べてみりゃ僕のなんか卑小なもんだ。

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いまの政治家の誰がトランプを御せるか?

2024 MAR 3 7:07:50 am by 東 賢太郎

今年のダボス会議のテーマは「信頼の再構築」とされているが、それを脅かすものとしてAIフェーク動画の危険性をあげ「誤情報」(deep fake)の拡散が問題であることを含んでいる。嘘の画像をとっかえひっかえ見せて大衆を騙す手法は「どんぐり遊び」の進化系であるが、朝三暮四は古代の中国の話だから古典派の手法といえないこともない。最も大事なポイントは、何が「正」か「誤」かは歴史や社会通念が決めるのではなく権力者が決めるということだ。

目的はAIフェーク動画を潰すふりを装いながら「都合の悪い情報をどう消すか」である。では、誰の「都合」なんだろう。 Xやyoutubeのコンテンツは検閲者が消せる。前回の米国大統領選でそれが起きたのをご記憶だろう。そこでメディアが「トランプの言論の自由を封殺できるのか」とまっとうな議論が沸騰した。しかし鎮火された。誰がしたのか?実行したのは企業の検閲者でも命令したのは彼ではない。彼は米国の法律に縛られるからだ。では誰か?法律に縛られない者だ。なぜ縛られないか?どこの国民でもないからだ。

10年ほど前、E-コマース(電子商取引)のグローバル企業が日本人にモノを売りながら日本国に税金を払わないことが問題になった。それと根っこは同じ話だ。その国の国民が見るサイトで検閲・削除しようが言論統制しようが、それを外国から操作しようと思えばその国の法律で裁かれずにできてしまう。言葉で行う政治への干渉も外国から操作できてしまう。米国大統領選でロシア、中国が盛大にやったのは世界の常識だが、ラインが韓国企業であることを国会議員すら知らなかった恐るべき情報後進国に住む日本人はあまりこのことを実感していない。

リズ・トラス首相

「その者」のことをドナルド・トランプは国家の裏にいる「影の政府」(deep state)と呼んだ。インテリジェントでスマートな命名だ。実行部隊はその国の者だが、命令するのはマネー(通貨)を支配する者たちだ。マネーに色はない。支配者たちも様々な国籍はあるが意味はない。だからどこの国から見ても「影」の存在である。たった45日で辞任させられた英国のリズ・トラスはCPACで「国を動かすのは首相と思ったらイングランド銀行(BOE)だった」「影の政府にクビにされた」と演説した。「BOE=影の政府の手先」であることを暴露したことになるから大騒ぎになった。彼女はその単語を公の場で使った二人目の国家元首だが、日本ではあまり報道されなかった。世界元首に都合が悪いからだ。

高橋是清

「その者」は国家元首のように暗殺されかねないリスク・リターンの悪い地位にはつかない。目立ちたくもない。米国の元首に傀儡を据えて通貨と軍事のパワーで世界を支配すれば、それが自動的に世界元首であるからだ。G7諸国、U国、I国のトップは全部傀儡だ。そうならないR国のPをやっつける大義のもとに荒稼ぎの場に使われたU国は、百万人いたはずの兵士がいなくなって傭兵で戦っている。それなのにZ大統領の発表は「兵士3万人が死亡」だ。世界中が嘘と確信しているが、世界元首様がハンコをつけば情報は「正」になるのだ。犠牲になっている国民が気の毒でならないが何兆円もの義援金の大半はA国の兵器屋に回る。

100万を3万と嘘をついてバレても構わない。要はどうでもいい。そうやってJ国では300万人が死んだ。そういうことだ。U国は今年で幕引き、I国は暗礁に乗り上げてしまった。次を物色しなくては。勘違いのトラスは外したがJ国のKはEの完全支配下に置いたから大丈夫だ。何でも言うことを聞くぞ。「どうだい、Z大統領役をやってみないか、1兆円やるぞ、君と家族の身の安全は保障する」。危ないのは巷でいうC国でもTW有事でも半島でもない、そっちではないかと心配になる。まさか300万の人命を失うとは思わなかった、国賊とはいわないがあれを始めた者たちはそう言っただろう。

権力の傘の下にいると楽だ。すいすい出世もする。しかし怖くもある。これは自分の経験だ。周りはいざ傘が消えたら斬り殺そうと狙ってるからだ。J国K首相殿の心境は拝察しないでもない。左翼が莫迦だ無能だと騒ぎ、A国盲従に国民は怒って支持率は0%へまっしぐら。しかし地検特捜部も国税も味方につけてくれ、派閥まで一掃してもらって党内では向かうところ敵なしという「A国に守られている全能感」は麻薬であろう。それで自ら脳を麻痺させてしまい、恐怖を忘れてひた走る。しかしどうだろう。彼が本当に怖いのは傘のほうではないかと思えてならない。だとすれば・・・。

先日のこと、ある会合があって、同年配で地位も見識も情報もある一流ビジネスマンの皆様と円卓で会食した。「ところで皆さんWは打ちました?」ときくと8人中7人がイエスであり、6回ですという人もいた。これは些か驚きだ。J国ではすでに情報統制がほぼ完璧ということだ。だから世界で最も打ちまくった優等生の国になっている。ヘルスケアのグローバルな専制的組織化はダボスのテーマにちゃんと入れこまれているわけで、F社M社およびA国政府に治験データ付きで巨額のマネーを提供した日本国首相の評価が高いのはごもっともである。そのうえにA国人もびっくりのLGBT法まで通してくれているのだから国賓待遇ご招待は当然だ。

「出生率が死亡率を上回るような変化がない限り、日本はいずれ消滅するだろう」とイーロン・マスクに心配してもらわなくとも、緊縮財政と増税で日本人はもっと貧しくなり子供は減るだろう。少子化対策は異次元でなくても結構で、その2つをやめるのがベストだが絶対にしないだろう。それどころか日本人を減らしたいのが裏の本音かもしれない。ピークの昭和24年に270万だった新生児数が去年はなんと4分の1になって73万だ。内閣府の推計によると日本の人口は2060年に8700万人ほどになる。つまり3700万人減るわけだが、それは東京都、神奈川県、大阪府、福岡県が無人になるということだ。そこで「どんどん移民に来てもらおう」が「正」の情報となる。文化の障壁は取り壊そう、インクルージョン、ダイバーシティ、LGBTだ。E大使殿は建国の父だ、銅像を建てよう。

冗談に聞こえるだろう。しかし「冗談と思っていた」という日が来たときには日本はすでに消滅している。絵空事ではない。なぜなら、現実にそれが1868年に起きているからだ。

日本人は着物にちょんまげ姿で草履をはき、武士は刀をさして歩いていた。

それが、あっという間にスーツにネクタイ、革靴になった。

良くいえばフレキシブル、しかし、ある意味でまったく節操がない。我々はこんな軽薄な民族だったのだろうか?

日本人が外圧に弱いのは今に始まったことではない。まず白村江で大敗し唐軍に征服されている。渡来人を招いて文化を流入させたと美化されているが、朝廷皆殺しかの激震が走ったろう。唐が滅んで平安の世となるが強者崇拝で漢文、詩歌、仏教がセレブの教養、権威の象徴となる。その崇拝対象物が黒船来襲、英国の薩長砲撃でびびったことで、今度は西欧に移る。その挙句のクーデターが1868年に起き、後に美化され、明治維新と命名されたわけだ。

日本人は平時においては保守的であり、節操がない民族とは思われない。ということは白村江と黒船は為政者にとって人格が変わってしまうほど恐ろしい出来事だったと推察する。だから平安と明治の建国は火事場の馬鹿力とでもいう尋常ならぬ気合が入っており、武力はもちろんのこと、新たな文明文化が花開くほど精神の奥底まで変容が及んだのだろう。その2つに比べれば源平合戦も応仁の乱も戦国の合戦も関ケ原も、所詮は武士同士の内戦であって、異民族侵略で人民まで何をされるかわからない不気味な恐怖はなかっただろう。

さように明治維新の変革のマグニチュードは凄まじかったが、それは米国が南北戦争を終え外に目が向くという、時代が大転換する余波であった。いま、その米国は再度の南北戦争に発展しかねないといわれる分断に見舞われている。その余波が日本に来ているのであり、民主党政権による近来にはない強権的な外圧は白村江、黒船に匹敵するレベルになっているかもしれない。つまり、現政権による米国への見苦しい「面従腹従」をやめさせ、おためごかしの政権交代は打破し、先例を凌ぐ尋常ならぬ気合で戦後体制を革新するぐらいの政治改革が必要だ。

もしトランプになるならそのチャンスがあるがリスクもある。彼は利に敏いディール屋だ。好敵手なら四つに組むがヘボと見れば相手にしないストレートな男とみえる。安倍晋三なき後の政治家で誰がトランプを御せるだろう?その人間に日本の命運がかかっている。申しわけないが現首相ではバイデン以上にやりたいようにやられて**の毛まで抜かれ、日本はさらに凋落の途をたどる予感がする。

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これぞ絵に描いたような「どんぐり遊び」

2024 MAR 2 13:13:24 pm by 東 賢太郎

大谷さんのニュースは実にめでたい。おめでとう!今年は更にパワーアップしてメジャーリーガーどもをなぎ倒してくれ。しかし、この稀代のビッグニュースが政界のビッグニュースである自民の政治倫理審査会を直撃ってのは凄い確率だ。ホールインワンより凄すぎでしょっていう、これぞビッグニュースだ。

即座に「やったな」と思った。

「どんぐり遊び」の政治的効用について

大谷さんは「なぜ今日の発表ですか?」と記者にきかれ「マスコミがうるさいので(笑)」と純真に答えている。彼の景色はそうなんだろう。でも、災害の報道じゃないんだからぶつける意図がなきゃこれはないだろうと苦笑するばかりだ。

政倫審なんてもの自体が「どんぐり遊び」であることは猿でもわかる。3人だ4人だ、朝だ暮れだ、それでもだめか?ええい仕方ない、総理大臣様が出るぞ!!

どうでもいいわ。

野党も妙に詰めが甘い。完全に国会どんぐりショーである。そこで「やりました感」だけ残して総選挙では忘れてもらうため「でかいどんぐり」(大谷さん)にすり替える。全メディアの番犬ぶりは一昨年7月からもう国民におなじみだ。

記憶に残るのはこのイメージだけだな。しめしめ、うまくいったぜ。

「心より深くお詫び申し上げます」

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野村證券元社長の酒巻さんとランチした件

2024 FEB 23 18:18:32 pm by 東 賢太郎

山本陽子さんが亡くなった。もと野村證券のOLだったことは社内では有名で、ずっと年上の方だが勝手に親近感は抱いており、「黒革の手帳」の悪女役でファンでもあった。つい先日に出演しておられた「徹子の部屋」がyoutubeで見られるが、お元気な姿からは想像もできない。ご冥福をお祈りしたい。

野村といえば、先週に酒巻英雄元社長とランチをした。もう書いてもいいだろう、酒巻さんは僕が入社してすぐ配属になった梅田支店の「S支店長」である。

どうして証券会社に入ったの?(その3)

どうして証券会社に入ったの?(その6)

店が騒然となった「T社のU社長事件」。買っていただいた公募株のことを話すと「トヨタの公募か、あったよなあ」と覚えておられる。「レコード事件」の顛末はご自身から語られ、「いよいよウチもこういう新人が入ってくる時代になった」と訓示されたそうだ。ご自身がN響会員だったのだから異例の存在の先駆けだったわけで、社長に就任されると社内誌にまずクラシックの趣味のことを書こうとなった。しかしその時間がなく、秘書室から僕にゴーストライターのご下命があり「あれが評判になっちゃってさ、日生の社長から飯を誘われたんだ」と後日談をうかがった。ゴーストといえば、元旦の日経新聞に掲載される毎年恒例の「経営者が選ぶ有望銘柄」で、U社長の欄も僕が書いていた。おおらかな時代だった。

田淵さん

おのずと昨年亡くなられた田淵義久さんの話になった。社長になって車の免許を取ったが日本では運転させてくれないからとドイツに来られた。もう顧問になられていたがそれが本音だったかどうかはわからない。三日三晩、郊外の温泉地やゴルフ場でいろんな話をされたからだ。翌年に再度来独され、スイスに転勤したらそっちにも来られた。いつも同行は秘書の寺田さん1人だけだ。一見すると豪放磊落だが物凄く頭が切れる。田淵さんと水入らずで10日も旅行し教えていただいたことは後進に残すべき財産としか言いようがない。野村を退社して何年目だったか、ある所でばったりお会いした。「お前なんで辞めたんだ」と怒られて背筋がぴんとした、それがお目にかかった最後だった。

酒巻さんが来られたのはもっと以前のロンドンだ。まだ役員でありこちらは平社員の下っ端だったが、週末に一泊で湖水地方まで僕の車でドライブした。「あれ楽しかったなあ、ありがとう」「とんでもないです、女房までご迷惑おかけしました」。連れて行ったのは結婚式の主賓をつとめていただいたからだ。そのロンドン時代。6年間駐在した最後の年に日経平均が史上最高値の3万8957円を記録した。万感の想いでそれを見とどけて僕は東京に異動した。そして今週、35年の日本株低迷期があったが、酒巻さんと再会してすぐに記録は更新された。

最高値更新瞬間の野村證券トレーディングルーム

ドイツ、スイスは酒巻さんは社長で余裕がなかったのだろう、のちに東京証券取引所社長、プロ野球コミッショナーを歴任される斉藤惇副社長が代理で来てくださった。債券畑だった斉藤さんの下で働いたことはないが今でも仲良くして相談にのっていただいている。そうこうしているうち事件がおきた。スイス在任中、97年初めのことだ。

お断りするが以下はすべて私見である。あれは株式時価総額で抜くという歴史的屈辱をもって米国の威信を揺るがせた勢いの根源、その本丸だった野村證券を潰し、日本の金融行政を大蔵省ごと屈服させて弱体化し、我が国の銀行・証券界にゴールドマン、モルスタ、メリルが侵略できる風穴を開けて1200兆円の個人金融資産に手を突っ込むべく米国のネオコンが仕組んだ事件だった(郵政民営化はその結末のひとつだ)。1996年11月、橋本総理より三塚大蔵大臣及び松浦法務大臣に対し、2001年までに我が国金融市場がニューヨーク、ロンドン並みの国際金融市場として復権することを目標として金融システム改革(いわゆる日本版ビッグバン)に取り組むよう指示が出た。これが宣戦布告の狼煙となって金融機関の統廃合、とりわけ大手銀行の合従連衡という大地殻変動が起きるのだが、ここだけは私見ではなく「大蔵省から引き継いだ情報」として金融庁のホームページに書いてある。

まず1997年の年初に東京地検特捜部によって総会屋事件が、翌年に大蔵省接待汚職事件(通称「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」)が大々的に報道され、第一勧銀、証券大手4社に対する刑事事件へと展開し、大蔵大臣、日銀総裁が引責辞任し、財金分離と大蔵省解体の一要因となった。これが野村證券の内部告発で勃発したことで、同社だけに法人の処罰がなかったことは当時の僕は知らなかった。田淵さんがドイツ、スイスに来られたのは1994~96年だ。事件を予期させるような発言は何もなかったが大蔵省のユニバーサルバンキングへの転換画策についてだけは詳しく言及して危機感を述べられた。意見を求められたのでプロップ取引で自腹で儲けるゴールドマン型のインベストメントバンクはいわば銀証一体でグラス・スティーガル法は邪魔かもしれませんね、ドイツ銀もUBSもそれが競争力だし背後はハーバードで繋がる財務長官サマーズ、ルービンですね、でも日本は証取法の改正に手間取りますねという趣旨のことを述べたように記憶している。

ちなみに大蔵省接待汚職事件の一環として日本道路公団の外債発行幹事証券会社の選定に関わる野村の贈収賄が立件され、元副社長らの逮捕に至った。これが98年1月のことだ。大蔵OBの公団幹部は欧州にも来てチューリヒでのディナー主催の依頼が本社から舞い込んだが、それが前日に突然のことであった。僕は先約があり副社長が代行した。接待が賄賂に当たることの立件であるから社長の僕に東京地検への出頭要請が来たが、僕は20分間コーヒーを飲んだだけだったことを秘書と副社長が東京で供述してくれ、スイス拠点は債券引受業務はしないことから事なきを得たと聞いた。

酒巻さんのあと野村は東大法の鈴木さんを社長にしたが、たった48日で日テレ・氏家社長の従兄弟である氏家純一さんにかえた。読売に頼った。結果的に山一が犠牲になったが同社は社長が証券局長のクラスメートだから大丈夫と言っており、事はそんなレベルで片づく話でなかった。サマーズに円主導のアジア通貨バスケット構想を潰されたことはミスター円こと榊原英資大蔵省財務官(当時)から直接伺って、金融ビッグバンの美名のもとで法整備計略が着々と進行していることをうすうす知る立場にはあったがそれは香港にいた99年あたりのことだ。この大嵐の中で海外にいたことは運命だったとしかいいようがない。

氏家体制になり社内の空気が一変したのは当然だ。それが野村の生き残りの道だったからだ。「香港から日本に帰ってきたら僕の大好きだった野村じゃない感じがちょっとありました。本社で中途採用の面接官をしながら『いま学生だったら入社しないだろうな』という気がしたんです。もっというなら、受けても落ちるなと」。これは本音だ。そんな人間が新生野村で採用をするのはいかがなものか。笑って受けとめてくださった酒巻さんの懐の深さに救われた気分だが、日本にいてその「感じ」は日増しに強くなっており、結局僕は大蔵省のユニバーサルバンキングへの転換策にのって2004年にみずほ証券に移籍することになった。

田淵さんと酒巻さん

その重大な決断の是非はまだ自分の中では判明していない。是でもあり非でもあった。97年に通常の6月でなく12月にスイスから香港へ想定外の異動をしたことも含めてだ。僕は野村證券の幹部であったことはなく会社の内情を知っているわけでもあれこれ言える立場でもなかった。ただこの異動は自分はともかく家族にとってはあまりに過酷なことであり、日本を知らない長女は10才にして3つ目の外国の小学校に入ることとなった。僕自身、ストレス耐性はある方だが限界だったのだろうか、ある晩に初めてパニック障害を発症して自分が驚いた。500人の部下がいる立場で精神科の医者に行くわけにもいかず、それがまたストレスになって一時は最悪の事態になった。

過ぎたことはもういいが、何の因果で証券界に身を投じたのかいまになって自問している。鎖国か共産化でもしない限り証券業は日本人の幸福にとって不可欠な仕事であり、それなりに有能な人材が入ってきてはいるが大国に対する競争上のアドバンテージにするには程遠い。このままでは米国はおろかそのうち中国やインドにも劣後するようになるだろう。それを僕が目にすることはないだろうが、それで良しとするかどうかということだ。

別れ際に酒巻さんが「5月ごろ今度は僕が一席もうけるよ」といってくださり写真を撮った。45年前の梅田支店でこんなことになるなど誰が想像したろう。

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