「カープ女子」はどこへ消えたのか?
2026 JUL 12 12:12:33 pm by 東 賢太郎
【一軍】
広島 1-10 中日
広島 1-8 中日
【二軍】
広島 1-12 ソフトバンク
広島 1-12 ソフトバンク
直近2試合の結果だ。20連敗ぐらいしてるチームかと見まごうほどの腰の入った負けっぷり。なぜか二軍まで同じ日に仲良く2試合連続のボロ負けである。
一軍は前のカード(ヤクルト)の勝敗は〇〇✕であり、〇〇は「サヨナラの2連勝」である。このところスタンドはガラガラだったのだが1戦目でサヨナラ2ランの4番坂倉がインタビューを「満員にしてください!!」と叫んで締めくくり、なるほど明日からはきっとそうなるだろうと思ったものだ。
ところが翌日もガラガラだった。地元ファンの目はそう甘くない。しかし、この2試合目も選手は奮起した。モンタナが押出しの四球を選んでサヨナラ勝ちだ。ヤクルト星投手は泣いていた。そして迎えた第3戦、観客は少し増えた感じである。
ところがここでヤクルトの外人投手3人に継投ノーノーを食らってしまう。
負けたのはいい。腑に落ちないのは、「昨日まであんなに元気だったのにね」という事故のお悔やみのような複雑な感情なのだ。そして、その感情が選手にもシェアされてたかの如く、続くカードで最下位の中日にブルドーザーのように押しつぶされてしまったのが上掲の2試合なのだ。するとさらに不可解なことに、兄貴が名古屋でボコボコにされると弟まで同じ日に広島でソフトバンクに粉砕されているではないか。
ちょっと私見を入れよう。ノーノーはきつい。きっとボクシングでゴングから5秒でKO負けしたみたいな、相撲で立ち会って2秒で電車道で吹っ飛ばされたみたいな、屈辱でしかない圧倒的な負けである。男として全人格的にすべてを否定されたような仕打ちだ。やった方はその逆だ。僕は1安打をしたことがあるが、そのとき男として、マージャンで言うなら今までタンヤオだけだった手が2倍役満ぐらいになった気がした。だからやられた方はその逆なのだ。こちらは遊びだが彼らはプロだ。それで飯を食ってる。そのショックが残って冒頭の成績になってしまったと考えるならそれほどわからないことでもない。
さらに細かく見るならば、ノーノー食らった翌日のバンテリン初日で先発森下ってのは微妙と思ってた。 3年前に名古屋で初回に5連続ヒットを打たれて負けた不甲斐ない姿を新井は覚えてないのかな。エースが投げて1番から5番までヒットなんて人生初だ。森下はここは嫌いに違いない。大瀬良がいない中、森下を立てて10失点。この意味は甚大だ。そしてその大瀬良も同日に二軍戦で先発して4回で8失点、これも信じがたいほど酷い。ソフトバンクが強いんだという意見もあるかもしれない。しかし2日目は秋広に1回と9回に2度満塁ホームランを打たれるという珍事に等しい屈辱を味わってるのである。もうこんなのプロと認めがたい。日々何を練習してるんだ?二軍監督・コーチは何をしてるんだ?お前ら野球選手以前に男として恥ずかしくねえのか、もういい加減にせえだ。
そして、カープの一軍だ。ここ3試合で2点しか取れていない。当然と言えば当然だ、先発メンバーを見れば、坂倉と小園以外は二軍みたいなものである。名原が出てきて多少元気が出たが、それを除けば元々その程度の打線なのである。百戦錬磨の涌井にすれば赤子の手をひねるようなものだったろう。
外野にも飛ばない打線がホームランなど出るはずがない。原因は簡単だ。小兵を好んで採ってる。岡本、村上、佐藤輝、牧、清宮、浅村、柳田、山川みたいなガタイのいいのを採らない。年俸が高いからだ。例外だった2017年の丸、鈴木誠也、バティスタのクリーンアップは3人ともOPS1の超ド迫力で、東京ドームで原監督が青ざめるほどのホームラン攻勢で巨人を粉砕したあの試合は一生忘れない。もしあの打線が今あったなら、僕は休日返上でマツダスタジアムまで足を運ぶだろう。つまり、そういう補強をすればスタンドがガラガラになどなるはずがないのだ。
小兵でかき回して少ない得点を守り勝つ。昭和の広島カープだ。判官びいきの僕はそこが好きでファンになった。しかし昨今の「投高打低」現象は一時の現象ではない。最近の子は大きい。大柄な投手たちが筋トレでマッチョになり、高校生でも150キロを超えるのがザラになった。昨日のゲームであんまり知られてない阪神の育成ドラフト出身の工藤があっさり163キロを記録した。少々コントロールが甘くてもそこまで出れば打たれない。今年の交流戦でそうしたパワーピッチャーがそろうパリーグがセを圧倒して証明したことだが、デカくて筋肉モリモリの奴が160キロで打者をねじ伏せにかかり、ボディービルダーみたいなマッチョマンがその球を180キロのスイングでバックスクリーンに叩き込むなんてスポーツに野球は進化しつつある。大谷だって顔はやさしげだが裸になればマッチョマンだ。投手の球が速くなれば打者のスウィングだって速くなり、観客はスーパーマンとスパイダーマンの戦いみたいなスリルを期待して球場に足を運ぶだろう。これは自然なことだ。 2000年前のローマでコロッセウムの観衆は剣を持った屈強の奴隷が猛獣と戦うのをワクワクして観ていたし、スペインの闘牛場ではいまもそれが行われている。来年からセリーグも指名打者制になり、日本でもその傾向に拍車がかかっていくであろう。それが良い悪いではない。ここでの論点は観客動員数だ。サッカー、バスケ、テニス、ラグビーなど他のスポーツに比して現状の野球人気がこのままである保証はないことを念頭に、ショービジネスとしてのエンタメ性の変化には敏感であるべきだということだ。
従来よりカープは交流戦を不得意としており今年も10位に終わった。パリーグの投手の速くて強い球を遠くに打ち返すにはカープ打線は火力が足りず、 排気量5000ccの大型車が居並ぶレースに軽自動車が入ったみたいなものだった。それでも勝てばいいではないか、「小よく大を制す」だし日本の美学であるという声もあろう。しかし世の中は動いている。小が大を制しきれない時代になった。アメリカに逆らえばあっさりと元首を殺され、NATOとて潰されかねない。アンソロピックのミトスを野放しにすれば世界の銀行口座はハッキングし放題だ。大を大でも制せないのに勝率ゼロである「小よく大を制す」を掲げてコストをセーブするモデルは国家戦略として根本的に無意味となる。野党の皆さん、国民が日々の生活に苦しんでいる時に国防予算増額なんてなどと言ってる場合ではない。ミサイルが飛んでくればあなた達も死ぬのだ。そういう空気に連れてスポーツにファンが求めるものも変わっていくと僕は確信している。スポーツを戦争のシミュレーションとして始めたのが五輪だ。そんな時代ではないが、ボクシングのリング上で殴ってけがをさせても傷害罪にはならないしパンチがもろに入って死んでも殺人罪にはならないだろう。競技であってその故意がないからだが、行為は同じでも故意があって国家が罰しなければ戦争になる。そうした戦争と接点がある力と力の戦いで「小」が何しても勝てない時代になり、毎日そうしたニュースを眺めていれば無意識に人間の思考回路も変わっていく。やがて日本においても勝てない戦略など支持する者はいないリアリズムの時代がくるだろう。昭和の美学で野球をやり、今もどちらかといえばそれを愛する僕とて望むことではないが、観て金を払う側に昭和生まれはいなくなる以上それで飯は食えないし生きてもいけない。だから興業主である球団もそれについて行かなければあっという間に倒産するリスクがある。こうしたマクロ的な視座がこの球団にはないから現状に至っているのであって、経営陣に変わる様子がない以上今後も気づかないだろう。よって、本稿の最後に論じるような危機に陥る可能性はある。経営者の心配をする気は毛頭ないが、いち野球ファンとしては困るのである。
広島カープの問題は新井監督の采配ばかりにあるのではない。ピッチャーが少々打たれようが後半戦でひっくり返して2016~18年の3連覇を支えた丸、鈴木誠也、バティスタの長打力はオールドファンの山本浩二、衣笠、ホプキンス、シェーンへのノスタルジーをかき立てた。それを知らぬ若い女性ファンも2014年に田中広輔が入団してタナキクマルが揃った年から増え始め、「カープ女子」という言葉が流行を始めた。ついに優勝した2016年、鈴木誠也とバディスタの出現で攻撃の破壊力がMAXとなるとカープの観客動員数は2018年に223万人と最大になり、 2019年の丸の巨人移籍とバティスタのドーピング疑惑で破壊力が減衰すると観客動員数もピークアウトした。スタンドを真っ赤に染めた「カープ女子」の増減とカープの興亡はシンクロして象徴的ではあるが、 経営は数字で男も女もない。球団の収入の根幹である観客動員数は「攻撃の破壊力」を指数化して回帰分析をすれば有意に高いRスクエアが得られるはずである。したがって、数学の示す所によるなら、年俸が高いからなのかオーナーの趣味なのかは知らないが、ガタイのいいのを採らないという戦略は誤りなのである。
知らない方もおられるかもしれないと思い「カープ女子」の写真を探したのだがない。たくさんあるにはあるのだが、この語は僕にとってsheep、 fish、deerと同様に単複同形名詞と理解される。「five sheeps」といわないように「fiveカープ女子s」ともいわない集合的な概念である。したがって、誰かひとり、あるいは数名の女子が目立っている写真はそれに該当しない。ところが探してもそれしか見当たらないのである。仕方なく下の写真が候補になったが、今度は男性が入ってしまっている。さてどっちがマシだろうという究極の消去法的判断に至り、熟慮の末これに落ち着いた。ご覧のように、市民球場で酔っ払って汚いヤジを飛ばしてたオジサンたちとはサマ変わりの様相で、「女子」と銘打つだけあって女性客の猛烈なエネルギーが先導するムーヴメントであった。昭和のオジサンは刺身のつまなのだ。
ちなみにグッズの売上の方も繁盛していたようだ(観客動員数の関数である)。女性ファンたちはそれを身にまとうことでカープ女子の一員となり、人数が増えるにつれて社会現象となり、グッズはその一員であるというトークンとなるのだ。選手と一体感を持てる、集団に属していると安心する、どこか誇らしい、それを誰かに見て欲しい、ああ、あの強いカープね、あんたも元気はつらつでいいね、なんて隣のおばちゃんに声かけて欲しい。これは10年後の今だったら「推し活」的な側面も指摘されていただろう。ねえねえユニフォーム着てタナキクマル、セーヤを推してるワタシって素敵じゃない?かように野球のことはなにも知らないがファッションやエンタメには興味ある女性たちを中心に、広島ローカルであった波がナショナルブランドにまでなった歴史的事件だったのだ。 64年前の東京で、クラスで仲間はずれにされながらすでにそれを誇らしいと思っていた僕は何という先見性のある子どもだったのだろう。しかしこのたびの波の中で僕はそれを声高に誇れなかったのだ。男だから。共産党さん、立憲民主党さん、それっておかしくないか、差別なんじゃないの?そうか、でも「LGBT理解増進法」ができたっけね、岸田さんと稲田朋美さんのご尽力で人格的尊厳が守られる。素晴らしいことだ。ヒゲオヤジが女風呂に入っていけると同様、僕もカープ女子をブログで堂々と名乗ればよかったのだ。
しかし実はそれを横目で見ながらロッテファンのほうがすごいぞと思っていた事実がある。こっちは女子などと料簡の狭いことは言わない。18連敗しても止むことがない野球が好きな人たちだ。カープは立ったり座ったりだがロッテはジャンプだ、必要とされるエネルギーはおそらく10倍ぐらいだろう。オーケストラみたいにすべてが統制されシンクロされたすさまじい迫力はマリンスタジアムに行ってみれば度肝を抜かれると思う。
でも神宮球場の熱量だって半端じゃなかった。10点以上取って大勝した試合でホームランが出るたびに立ち上がって後ろのお姉さんに背中をバンバン叩かれた。思えばカープ戦は楽勝で当日券が買えたものだ。仕事が早く終わるとぷらっと3塁側の33列目に座ったが、 2016年ぐらいから嵐のライブより入手困難となった。それはこんな具合だ。スタンドの強烈な庄で敵軍は畏縮し、カープのホームゲームでの勝率は圧倒的だった。
このスタンドが昔の川崎球場みたいにスカスカになったら選手はやりきれないだろう。それどころか怒るオーナーの顔が浮かんできて、来年は俺もそろそろ戦力外かと、ただでさえ打てない選手がさらに萎縮してパコーンと力のない内野フライを打ち上げ、右打者は何回やっても懲りる事なく外角のスライダーを追っかけてくるくると空振り三振し、左打者は振り遅れることを前提にレフトに向けてチョコンと走り打ちで当て逃げする。そんな非力な男たちと同じユニフォームを身にまとって、女性たちが誇らしいと思うだろうか?
女性の大群は跡形もなく去っていった。残るのは寒々しく荒涼とした裸のスタンドである。敵軍は安心して元気になり、昔と比べてしまう選手は劣勢の空気をまとう。ああたぶん今日もうちの打線は打たないな、3点取られたら負けだな。始まる前から肩に力の入った先発投手は先取点を取られる。すると打線は打たねばと焦る。そしてますます敵の投手の術中にはまって赤子の手をひねるようにタイミングを狂わされ力ない内野フライを打ち上げる。毎日これ。すべてが悪循環。当地のファンのみならず、そんなつまらない試合に誰が金を払うのか。年俸が高いから岡本、村上、佐藤輝、牧、清宮、浅村、柳田、山川みたいなガタイのいいのを採らない。だから4番がいない。元凶はここにある。坂倉はいい打者だが打球が上がらない。良いコーチがいればホームラン30本は軽いだろうが16本が最高だ。カープにいる4人の打撃コーチの生涯本塁打数は4人足してたったの82本だ。ここにいても坂倉の進化は無い。
その坂倉が危機の中心人物になる。今年中に床田、森下、島内、坂倉が国内FA権を取得するからだ。この4人が出て行ったら外人と菊池、小園、秋山を除けばつい最近まで二軍にいた人と新人ばかりになる。ということは、ソフトバンクの二軍と2試合やって2試合とも12対1で負けるレベルのチームに成り下がる可能性があるのだ。ツケが回ってきたのである。そもそも素人であるオーナーが口を出すなど論外だ。その証拠に、同じことをやってる楽天もおかしくなって12球団ドベで交流戦を終えている。逆に何年か前に交流戦を優勝で終えた今江監督をあっさり1年でクビにしている。訳がわからない現場は士気が下がる。それでも口は出したい。そこで楽天はヤクルトにいた石井をGMにしている。オーナーの言葉を選手言葉に翻訳する役目である。カープの場合それはベンチにいる。新井監督である。GMか監督か、オーナーにとってそんなのはどっちでもいい。しかし石井と新井は違う。石井はダメなら監督の首をすげ替えればいい。新井は自分のを差し出すしかない。
オーナーにとって最も、というより唯一大事なのは客の入りだ。経営者だから当たり前だ。つまり新井がいくら負けようと客さえ入ればいいのである(中日ドラゴンズがそれ)。ということは、川崎球場化しつつある現状は死刑宣告が近づいているということになる。しかし、ここが非常に重要だが、12球団で唯一大企業の後ろ盾のない「ファミリー経営」であるカープのオーナーには固有の弱みがある。「監督手形」の価値が低減することだ。手形を切って有力な選手の年俸高騰を抑止し、FA流出を食い止めて球団に留め置くビジネスモデルだからである。去年新井をクビにすれば価値が低減すると踏んだのかどうか、そのへんの事情は外部にはわからないが、延命させた新井がシーズン終了のあいさつで「来年以降もこの苦しみは続いていくと思います」と、ファンにとっては耳を疑うが、正直者の新井には赤裸々の事実である痛ましい言葉を吐いてしまい、球場内は騒然となって怒号が飛んだ。こんなことが阪神タイガースのシーズン終了挨拶で起きたらケガ人が出て警官隊が出動するに違いない。そしていま、心優しい広島カープファンたちは「この苦しみ」が想像を上まわる根深いものであり、「続いていく」のは来年以降どころの騒ぎではないだろうと半ば絶望していると思われる。だからスタンドは坂倉が呼びかけてもガラガラなのだ。これを選手のせいにするのは酷だ。金をかけてでもチームをパワーアップさせるのは球団だ。コーチングして鍛え上げるのも球団だ。 ひとりで頑張っても仕方ない。力のない選手はそれでも残る。稼げる選手はそんなチームの監督手形などいらない。だから、予定調和的にカープは力のない選手ばかりの集団になっていく。ファンはそれを悟っていた。だからすでに数年前から「カープ女子」は絶滅種になっていたわけだが、これからの心配は球団がそうならないかということだ。
世界のうまいもの(19)「鴻元食坊」のレバニラ炒め
2026 JUL 11 0:00:28 am by 東 賢太郎
レバーという食材が大の苦手でした。あのぐにゃっとした内臓の舌触りと生臭さがたまらずに泣いて嫌がったのですが、それでも食べなさいと母がめげずに何度も出してくる。半ばトラウマになってしまい、これだけは一生食べなくても悔いがないと目をつぶってむりやり水で胃に流し込んだものです。男子厨房に入らずの家で問答無用。出されたものを粛々といただく。母のルールに背向く選択肢はありませんでした。しかし無理もなかったのです。女の子と腕相撲やって負けるぐらいガリガリで虚弱な子だったのですから。
解放されたのは大学3年になって本郷西片に下宿をさせてもらってからです。台所なし。昼は生協か森川町食堂。夜も外食。最高でした。すぐ近くにあった大鵬という超庶民的なカウンターの町中華に通い詰め、ナベ振ってる職人肌のお兄ちゃんと仲良くなります。毎日好きなものを食える!フランス革命が勝ち取った自由というものの価値を知りました。そしてある日、ふと気づいたのです。選んでるつもりが実は同じものばっかり食べてることに。成長期にそのアンバランスがまずいからお袋はああしたのか。そのぐらいの物心はつく年齢でした。そうこうして半年ぐらい経ったでしょうか、今になっても覚えてるあの日が来ます。大事件だったのです。
中華料理といえば香港の 2年半で否応なくどっぷり浸かっており、もはや外国の料理とは思えない体になってます。立場上、仕事ではひと皿何万円なんで品が並びます。高級品は基本的には珍品です。だからといって毎日食べて喜ばしいかというとそういうものでもないわけです。僕は近場の町中華のてんや物であるラーメン、餃子、チャーハンで育ちました。だからB級C級の方が好きなんです。香港でも公務でない時に九龍あたりでカエルから蛇から屋台のC級メシまで何でも食べました。しかしどういうわけか肝心のレバニラは記憶にない。もう食べられるようにはなっていたので忌避したわけではありません。ひょっとしてあれはオリジナルは中国でも日本流の町中華アレンジなのだろうかという疑問は今になっても残っています。
家の近くの大岡山駅前に東京科学大学があります。東工大がこの名前になった時はちょっと気の毒かなという気がしましたが杞憂でした。今の世の中、工業大学ではなく科学大学です。日本を代表するサイエンスの学校ですから。そんなことを考えながら夕刻に一人でぶらぶらして、校門を出入りする学生さんたちを見ていると、だんだん年齢感覚がワープして勉強したいという気持ちに駆られます。ここで宇宙物理なんかやったら楽しいだろうなあ、下宿でもして2、3年どっぷりつかってなんて突拍子もない考えが浮かんで来るのです。このトシで何でと思われましょうが、シリウスやべテルギウスでなにが起きているんだろうという好奇心に10歳も70歳もない。それだけのことです。
勉強はずっと嫌いでしたが、実はそうではなく、興味ないことばかりやってきたというのが真相でした。興味のスイートスポットが何ミクロンぐらい極小の人間がそれ以外のものを専攻しても非常につらいわけです。ど真ん中にある音楽だって関心はエンジニアリング的な和声や対位法に行ってしまい、そこに「特質」がないと退屈な音楽ということになります。ところが極めてまれですが、「それがないのに面白い音楽」というものが存在し、「なぜ面白いのかエンジニアリングできない事実」に夢中にされられてしまうそれはワンダーランドかパラダイス、寝食を忘れちまう。僕にとってモーツァルトがまさにそれであります。学問にもしそれがあるとすれば宇宙物理だったかな・・・わかりにくいかもしれませんがそういう感じであります。
ある日、そんなことをつらつら考えながら大岡山駅から北に向かう商店街を歩いていたら、そうかこの辺にもアレあるかなと探す気になりました。ずっと行ってみるとえらいケバい「鴻元食坊」というのを見つけました。 60席ぐらいの大型店で町中華のイメージとはちょっと違うがまあいいか。
席について迷うことなく頼んだら、片言の日本語で「タッチパネルお願いします」と愛想なし。水もセルフ。最近はコンビニまでレジが無人になってきて、自信ないので有人の店にしか入らない僕として不如意ではありましたが、あれこれやって無事「注文する」にタッチしました。客は学生らしいグループが何組かワイワイやっており、親子連れがひと組、少し後からスーツを着た中年の男性がひとり。夕食時なのにそんなに流行ってるという感じでもありません。奥に目をやると厨房に中国人らしい料理人がふたり鍋を振ってます。日本人の街中華ではないな、こりゃダメかなとぜんぜん期待しませんでした、なにせ香港で食べられなかったという経験がありましたからね。しかも普通の店だと定食で千円はするのにここは880円です。商売柄、何でも数字で判断する癖がついてもいたのです。ところがどっこい、ひと口食べて、これは熱々のうちに全部平らげねばとうならされました。レバーという食材がこんなに旨かったとは。今さらながら母に申し訳なかったと懺悔の気持ちさえ発してきて、こんな料理を作れる人がいるのか、大事にしなきゃいけないと痛感しましたね。
昨今は政府レベルで中国とだんだん距離ができてしまったようです。そこにあれこれ口をはさむ気はありません、政治はあくまで政治であります。一方で、我々庶民には庶民の生活というものがあります。神山先生のような人は別格としても一般の方は住みにくくなってきてるんじゃないか。僕は香港に2年半いて日本人として嫌な思いをしたことは一度もないし、欧米の大衆のほうがよっぽど不愉快なことが多かったという経験があります。ですから愛国者ではありますが一概に外国人は出て行けみたいな運動には反対です。しかもこうして市井で我々の生活に深く溶け込んで貢献してくれてる人たちもたくさんいる。思いおこせばドイツではすでに90年代前半にクルド人移民問題は大きなニュースになっており、それが今の悲惨な事態に至ってます。ひとつボタンを掛け違えると根深い問題になってしまうのです。もともと外国人が多く英語さえ話せば寛容だったあのロンドンだって、生まれた男子の名前で1番多いのがモハメッドになったと、ここまでくると放置した政府に責任転化されるのかもしれません。でも繰り返しますが、あくまで政治は政治なんです。
食べ物の好き嫌いがなくなって僕は健康になりました。体も強くなりました。何が多くても足りなくてもいけません。過ぎたるは及ばざるがごとし。何事もいちばん大事なものはバランスです。
シャルル・ルルー『陸軍分列行進曲』
2026 JUL 7 11:11:00 am by 東 賢太郎
M不動産の方が来社され、ブラジル戦残念でしたとこれを頂きました。ゴルフボールです。今の腕前だとワンラウンドで全部なくなる。使うのやめとこう。Tグループ長さん、初対面だったのですが、「もしかしてやっておられます?」と聞くと図星である。「僕はサッカーの人は結構当たるんです。ちなみに業種でもね、銀行と証券、外れなしです」。スポーツ人類学、職業人類学です。
「僕なんかほかの業種はあり得ません。証券マン以外の何者でもありませんよ。パワハラなにそれ?っていう全盛期の野村証券で毎日もまれてこうなりましたから努力しましたなんて綺麗ごとじゃないんです、強烈に仕事のできる先輩に数字でつめまくられて、そこから逃れようともがいてたらこうなったんです。野球界ではPL学園、亜大、駒大がすごかったと聞きますがサラリーマンでそのレベルときたら当時の野村しかないです。もちろん他の会社は知りませんよ、でもあれ以上やったら死人が出ますから業種不問で断言できます。ライバル会社に負けるわけねえだろって、心の底からですね」。
そうはいったものの、プラモデルはもっぱら軍艦と戦闘機だったし、今になってみるとひょっとして自衛隊に入る道もあったかなと思えているのです。文官でなく武官としてです。軍服姿の祖父の乗馬写真に憧れて育ったし、問題なかった気がします。東郷平八郎、乃木希典将軍は軍神と思ってますし米国海軍兵学校のメダルも宝物でして、ナポレオンも曹操も好き。あっぱれな大将は国籍問わず男の本能で好きなんです。ちなみに野球も戦場と思ってやってまして、ぶつけちまったり危険球でやばいこともありました。
米国海兵隊といえば楽団の第17代リーダーだったのがジョン・フィリップ・スーザでした。「星条旗よ永遠なれ」は1896年作曲。日本は日清戦争を終えた翌年でしたね。
各国に行進曲は数多ありますが、明治政府がフランスから呼んだシャルル・ルルー作曲の『陸軍分列行進曲』(1886年)こそ僕は世界最高峰と思っております。軍歌『抜刀隊』と『扶桑歌』を元に編曲したもので、前者は西南戦争で西郷軍と戦う官軍を鼓舞したもの。初演は鹿鳴館というから「君が代」と並んで日本における西洋音楽のルーツの1つです。異なる曲を接合する無理があるのですが、あえて転調しておいて絶妙な和声で縫合し、何度も聴くと慣れてしまうパリ音楽院卒のプロの技を見ます。現在では、防衛省陸上自衛隊が行進曲の一つとして使用しているほか、警察庁でも警視庁機動隊をはじめ、戦後に創設された警視庁音楽隊および各都道府県警察音楽隊により演奏されている。誠に誇らしいことです。
ベートーベン/ピアノ協奏曲第3番の悦楽
2026 JUL 6 0:00:26 am by 東 賢太郎
最近3番をよく聴きます。ひょっとすると5曲のうちこれがいちばん好きなのかもしれない。作曲はハイリゲンシュタットの遺書を書いた時期に重なりますが、唯一の短調作品であることとそれがオーバーラップしているかどうかは軽々に論じられない。なぜなら同じ境遇下で作曲され同じ日に初演された交響曲第2番がニ長調、続く3番、4番も長調だからで、主調の長短で作品を類型化するのはあんまりインテリジェンスを感じません。また、誰が言い出したのかモーツァルト24番との類似が必ずといっていいほど指摘されますが、ベートーベンがそれを演奏したという記録は存在せず、両者に同名調である以外は構造的にもハーモニックにもポリフォニックにも特筆するほどの関連性、共通点はないように思います。
1つあるとすれば、どちらもいきなり主題が出てくる点で、24番冒頭の第1主題に、旋律をなしてはいませんが十二音が出てきます。
これとの類似性というなら、第1楽章提示部に楽器は分散するがやはり十二音が織り込まれているハイドン交響曲第95番ハ短調を挙げるべきで、3番におけるベートーベンに同等の先進性への関心や執着を見出すことは困難であります。作曲順は24番(1786)、95番(1791)、3番(1803)であり、人生の命運をかけたフィガロ作曲に没頭しながらおよそ性格の異なる24番を着想していたという凡人には想像もつかぬ構造の頭脳に17年たってもベートーベンが到達できていないというコンテクストでモーツァルトの先進性が語られるなら一理ありましょう。
和声的には24番は最初の3音c、e♭、a♭が変イ長調を成しますから出だしはハ短調に聞こえない。3番のc、e♭、g、f、e♭、d、cのくっきりとハ短調である音列に近いのはむしろ変ロ長調のこれ、ピアノ協奏曲第27番第一楽章第一主題(楽譜)を短調(変ロ短調)に転調したものです。第184小節でこの主題はピアノによって短調で出てきます。
モーツァルトにおける特徴的な長調短調の変転がビジュアルにも分かりやすいのはパパゲーノの自殺の場面です。ベートーベンはこのオペラを愛好し「魔笛の主題による変奏曲」を作曲しています。
逆に3番主題は何度もハ長調に変容して登場しますが、その音列は運命交響曲第4楽章主題c、e、g、f、e、d、c、d、cになります。そして、3番第1楽章コーダ(カデンツァ直後)でピアノと低弦が運命動機のリズムを交差させます。
この音列c、a♭、f、gは僕が名づけた「アマデウス・コード」の短調版(Cm、A♭、Fm、G7)のバスに他なりません。
モーツァルト「魔笛」断章(アマデウスお気に入りコード進行の解題)
以上の意味するところは、3番は初期作品から運命交響曲に至るブリッジに位置する大作エロイカの手前の、しかし同等の危機的土壌から絞り出された作品であり、生んだ触媒はというと3番は憧れの星モーツァルトであり、エロイカは期待の星ナポレオンであった。だから3番の主題はモーツァルト主題とアマデウス・コードの悦楽から成り、運命交響曲終楽章の凱旋の主題に連なる。その勝利を脳裏に浮かべることで彼は精神崩壊の危機を乗り越えたのだと思います。内面におけるその第1歩の踏み出しはモーツァルトにこそあったのであり、外面に向けては、魔笛を思わせる長短調の交替とアマデウス・コード(これも露骨にそのままでなく短調バージョンにして)高らかに歌いあげて自分が後継者だと宣言し、ウィーンの聴衆はそのメッセージを理解したのだと思われます。
吉田秀和氏だったか(間違っていたらごめんなさい)、 3番と24番の冒頭を比べて両者の才能の差だとしている評論を読んだことがあります。ベートーベンが24番を意識して3番を書いたことを大前提としていますが、既述の通りその保証はありません。ベートーベンにとって主題は素材ですからそこにプライマリーな芸術性を求めているわけではなく、むしろアイコン性、可塑性、分解可能性が重要であることはエロイカや運命を挙げるまでもなく一生の作品を通して一貫しています。だから仮に24番を研究し模範としていたと仮定しても、目指していない点で比べて才能を論じるのは実証性に欠けます。 3番の主題は21世紀の感性からすれば洗練とは程遠いものですが、この作品で意図している独自の和声語法、たとえばトニックc、ドミナントgの半音上下へバスの拡張と転調などには十全の適性を発揮しています。結果として得られている迷宮のような和声の効果はそれまでのいかなる作品でも見られない魅惑的なもので、その着想はフランスのエラール社から贈られた新しい構造により重厚な⾳が出るピアノによる重量感を与える筆致が生んだものでしょう。緩徐楽章のホ長調は主調ハ短調と一音(b)しか重ならない遠隔調で、第2楽章が始まった冒頭の印象はそれだけでもロマン派への息吹を感じ、これぞハイドン、モーツァルトには無いものです。
というわけで3番は好きなものですからレコードとCDを36種類持ってます。このCDのPilzというレーベルは1991年に創業者が野村證券に出資の売り込みにやってきて僕が応対しました。お断りした顛末はここに書いてあります。 ブラームス ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 作品83
結局彼は放送局などから安く買った録音を偽名で売ったことで有名になり、コピーライトは所有して法的に問題はなくてもアートにおいて購入者を欺く行為は道義的には問題でした。このPC3番に何の思い入れもなく買った場所も覚えてないのは間違いなく二束三文の値段だったからです。ところが、くっきりと覚えていることが1つだけあります。「このピアノうまいな」と思ったことです。そのギャップがずっと喉に刺さった小骨のように気にかかっていたのです。なにげなくCD棚でこれを見つけ、いよいよ聴いてみて感服した。それが先日のアントン・ナヌートの稿につながったのです。
ピアニストはDubravka Tomšič(ドゥブラフカ・トムシッチ)。初耳です。なのに調べなかった。それどころか、女性名なのに「若い男だろう」と何の根拠もなくつい先日まで思い込んでた。どうせ廉価盤の人だ。いかにも安手で深みはまるで感じさせないCDジャケットのイメージも加担してとんでもない過ちを犯していたのです。
この演奏、何度聴いても良いです。曲頭いきなりスタッカート気味に小股の切れ上がったフレージングにナヌートのリズムとテンポへの厳しい目線を感じ、フォルテで重ねるホルンに身が引き締まります。オーケストラは弦など決して上質ではありませんが、第3楽章のメリハリ、クレッシェンド、楔を打ち込むティンパニの熱量などこれが本物だと説得されてしまうオーセンティシティに満ちています。トムシッチのピアノは、現代の演奏に散見される、音楽の本質には無用である安全運転に徹する完璧さへの執着は微塵もありません。角を取って優雅に傾くこともなく武骨でさえあり、足すものも引くものもなくただただベートーべンの音楽に奉仕。そこに保たれる古木による民芸品のような味わいはこの曲の愛好者として飽くことがありません。来日したワルシャワ国立歌劇場によるドン・ジョバンニを思い出します。こういう商業主義と無縁の芸術家たちはスターダムに登ることも2千人の大ホールでブラボーの嵐を呼び起こすこともないでしょうが、そういうものは真の芸術性とは何の関係もありません。こういう隠れた名品を探し出すことに喜びを覚えます。
この録音と並行したと思われるライブがあります。ミスタッチを意にも介していないトムシッチには圧倒されるばかりで、ベートーベンの弟子カール・ツェルニーの言葉を思い出します。
「パッセージを弾きそこなったり、際立たせたい音符や跳躍をミスタッチしても、ベートーべンはほとんど何もいわなかった。しかしクレッシェンドなどの表現や作品の性格づけに関して足りないところがあると、彼は激怒した。前者はただの事故だが、後者は知識や感性、注意深さを怠っているからこそ起きる––そう彼は言った」(カール・ツェルニー著 岡田暁生訳『ピアノ演奏の基礎』春秋社より)
人生の鉄則「信頼は信頼にしか返ってこない」
2026 JUL 3 7:07:44 am by 東 賢太郎
アメリカから5人が来日。まる一日かけて大企業トップへの紹介外交。かつてはこんなのはお安いルーティーンだったが、朝8時半からずっと英語はさすがに疲れ、ランチはサラダしか喉を通らなかった。
彼らの日本での企業訪問を依頼されたのはアメリカのパートナーからだ。パートナーとは契約関係だ。案件は協力して仕上げて利益の取り分も半分ずつみたいな取り決めが書いてある。厳密に対等にやるにはジョイントベンチャーを作って株式を50%ずつ持つが、パートナーは出資不要で業務委託と違って対等な関係であり、お互いに異なった強みがあるから1+ 1が2以上になってウィンウィン関係になるという両者の認識が大前提である。難しいのは協力といっても努力目標だから、相手に2倍働かされるようなことが続けば簡単に打ち切れる。つまり信頼関係なしではうまくワークしないのだ。
相手として僕は英国人と米国人しか経験がないが、商取引の法体系が整備されている先進国ならまず問題はなく、あるとすれば法律とは関係のない信頼関係の部分だけだ。例えば今回の5人のテイクケアだ。僕は商売の当事者でないからアポ入れして同行して通訳程度のサービスをすれば最低限オーケーなのだが、それなら事務作業ができる人で充分だ。僕を使えば依頼者は儲けの半分をふんだくられるわけだからめちゃくちゃ高い。したがって、利益総額が大きいからそれでもいいよという場合に限って来るのであり、当方も総額が小さい場合は遠慮する。これは億単位が当たり前の金融取引だから成り立つビジネスモデルである。
ソナーが長年かけて国内のお客様と多様な取引実績を積んでいるという信頼で外国からパートナー依頼があり、彼らは商品やサービスを日本に持ってくる。それを日本の大企業に持ち込んだり、日本のお客様が投資したりすると、今度はそれが新たな国内取引実績という信頼となり、さらに海外パートナーの呼び水になるというプラスの循環になる。といっても金融は黒子であって地道な1つ1つの案件の積み重ねである。大元はファウンダーの僕が米英独スイス香港にいた経験から発したものではあるが、創業から16年の信頼はもう僕のものではなくソナー・アドバイザーズという法人のものである。
ビジネスのエッセンスは信頼関係だ。それを築くには時間がかかるが失うのは一瞬だ。信頼はメンテナンスが必要だということも意外に知られていないが、お世辞や贈り物は役に立たない。信頼は信頼にしか返ってこないからである。信じてくれた人には信頼でお返しする。これは自分が信頼するに足るまともな人間であるという雄弁な証明であり、信じてくれた人を裏切るような人間は世界中で誰も信用しない、これはイエスキリストを裏切ったユダに代表される地球上例外のない人間界の公理である。
例えば、
①先日高市総理を裏切ってポストをやめた女性がいたが、信頼して投票してくれた国民までをも裏切っている。理由は何であれこういう人間に対して信頼を返すことはあり得ない。よって、国会議員はありえず政治生命は終わりである。
②自衛隊は貧しい家の子が行くと国会で堂々たる差別発言をした者がいた。隊員は国民の信頼を背負って国を守る仕事についてくれている。災害の時、ミサイルが飛んできた時、信頼に差別を返しているこの女性を隊員が守りきれない事態が発生しても誰も批判しないだろう。
③少数野党。意見が通らないからといって国会に出てこず審議をボイコット。わけわからん理由で総理が悪いとごねる。悪いのは選挙でボロ負けした自分たちでしょ。テストが赤点でむくれて不登校になった「困ったちゃん」だね。君たちはこのまま有権者の信頼を裏切って終業式まで家で寝てたらいいよ。全員退学処分でも学校は困らないから。
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今の子は憧れは憧れで終わり『推し活』する
2026 JUL 2 1:01:25 am by 東 賢太郎
どういうわけか先週あたりに書いたブログが消えてます。仕方ないので記憶に頼って再現します。
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「今の子は憧れは憧れで終わり、そこからは『推し活』するんです。これって新興宗教みたいなものです」
思いつきのビジネスプランをふた回り以上も年下の後輩が軽々とぶち壊してくれました。生半可でやると大失敗するリスクがあるんです。こういうことについては彼は僕よりもずっと知見があります。ありがたいことです。
「アイドルを神格化しちゃうってこと?」
「いえ神様みたいにあがめるんじゃありません。ファンではあるんだけどただのファンじゃないんです。願望や夢をアイドルやスポーツ選手に託して実現すると自分は正しい、意味があるって思えますよね、それが自己の存在確認になるんです。実は自分のためなんです。おひとり様化が進む社会の中で、心から信じられる何ものか、大事な自分というものを投影できる何ものかに所属していたいんですね、けっしてそうではない組織とか会社じゃなく」。
「新しいアイデンティティの出現かな。ファンの法人化というか」
「経済的利益を求めないからNPOですね。でも達成感という心の利益は求めてますから思いの実現には積極的で多大なエネルギーも投入します。だから似た者たちが自然に結びつくんです。誰かが布教してるわけではなく自発的なものだから、宗教には近いんですが既存のどれでもない。だから新興宗教ってわけです」
「なるほど、合点がいきました、ありがとう。俺もビートルズファンだしカープファンだけど、それで知らない人と結びつくってことはなかったな。 SNSの影響は大きそうだね」
「ありますね。それと結びついた新しい現象ですね」
「でもそれがあるから憧れは憧れで終わっちゃうってのは人生ちょっと寂しくないか?俺だって団地っ子だったし両親は普通の人だ。家に金もなかったしコネや引きもなんにもなかったけど」
「わかってます。でも、こう言っては何ですが、東さんの頃は時代がそれを許したってのはあるんです。だって一億総中流だったじゃないですか。いまは生まれつきディバイドの世の中です。たくさんの子が夢や憧れを実現しようと頑張ってますが、アッパーじゃないと100m競争でスタートラインの10m後ろから走るみたいなもんなんです」
「確かに俺の頃はスタートラインは一緒だった気はするね」
「でも推し活じゃ社会的な影響力はないですよね」
「あるよ。高市推し活がいい例じゃないか。自民党が330議席取ってぶっちぎり勝利した異例のエネルギーは背後でそれが後押ししたからかもしれないよ。若者は選挙カーで名前を連呼しても動かないよな。インフルエンサーがSNSで発信するとたちまち10人が読む。それをまた10人が読んであっという間に100だ。都会だけの現象じゃない、全国津々浦々でそれが起きたんだろうね」
「SNSの威力ですね」
「まあそうだけど、その言い方は軽い。ネット上の波動と呼んだ方が正しいね。 SNSなら何でも広がるわけじゃない。最初の発信者が波を起こすんだ。倍々ゲームで伝わるけど末端ではだんだん減衰もするから、最初の波が大したことないと掛け算した値は小さい。だから最初の波が高い時だけ、君の言うSNSの威力が出現するんだ。高市推し活の最初の発信者は高いエネルギーを持っていたから波動がでかく減衰もしにくい。だからバズーカ砲ぶっ放したみたいなど迫力の威力があったんだと思うよ」
「そこを政治家はわかってませんね」
「見事なほど全然わかってない。ただSNSに載せればいいって盲信してる。それってね、田舎の田んぼにコンサートホール作ってウィーン・フィルに来てもらえば文化都市だって思ってる箱もの行政みたいなもんでね、もうそれだけで文化の香りのかけらすらない」
「高市秘書が誹謗中傷メールを送ってとんでもない!って国会で騒いでる連中もそうですね。中身はともかく効果があるんだと盲信してるからその手を使ったわけでしょ?」
「効果を信じてないと『とんでもない!』って結論にならんからな。しかもそれが週刊誌の記事ごときであって、おまけにおおウソでしたというんだ。これから逆バズーカ砲炸裂になるぞ。実は頭もバカでしたと永遠に語り継がれるお笑い事件になっちゃうという意味で歴史的なスキャンダルだね」
「なるほど、悪いレッテル貼って敵を貶めるのは伝統的な共産党の手法として世界的に有名ですが、推し活やってもらってる人にそれをやるのは危険なんですね」
「うん、推し活なんてものは歴史的になかったから効果もリスクも検証されてないという意味で危険だな。リスクっていうものがわかってない人たちが国会議員で国のかじ取りをしてるっていうのは国民のリスクだってことを有権者が気づいたろう」
「もっと危ないのは、そのわかってない連中が自分がそうやって痛い目にあったからといってSNSは危険だと規制することですね」
「そういうことだね。推し活にレッテル貼るもう1つのリスクはね、推し活してる人たちは信者だから敵に回すと怖いってことだ。日本人は喉元過ぎれば熱さを忘れる国民性だけど信者は違う。末代まで呪われるよ。次の選挙で落選運動ぐらい平気でやられる」
「それ何となく体感あります、だって偽メールでいじめられたら支持率上がってますからね高市さん(笑)」
「そうだろ。新しい総理大臣ってな、国会であーだこーだやられて会期が終わる頃には支持率が下がってるもんなんだ。高市さんはその前例に逆行してるってこと。ということは前例のないものが支えてるってことだよ、論理的に」
「やっぱりSNSの乗数効果じゃないですか」
「そうね、10×10×10ってべき乗で増えるからな」
「でも偽情報も混ざりますよね」
「関係ないよ。発信者も受信者もノーコストだからね、総数は膨大になるでしょ。だから受信者の目はすぐ肥えてきて真贋を見抜く。受信者には賢い人、インテリジェンスのある人がたくさんいる。すると自然に選別が進んで質の悪い発信者ははじかれ良質のインフルエンサーだけが残る。今のインフルエンサーはね、それで飯を食おうっていう不純な輩や業者まがいも多いんだ。そんなのはオールドメディアの化身に過ぎないからいずれ金で政治に取り込まれて汚れてきたりする。利害関係ぬきで無料奉仕で真実を発信しようという人が増えてくると価値がなくなる」
「それは必然でしょうね、なんたってノーコストはでかいですよ。総数が増えるってことは読者数や視聴率が増えるってことです。すると広告主もそっちに流れます、これ経済原理ですから止めようがありません。プラットフォーマーはノーリスクで儲かるから永遠に発信者、受信者フレンドリーでノーコストにします。したがってこの流れは止まりません。止める法律も作れません。オールドメディアはどうあがいても運営に巨大なコストがかかります。だから広告主が逃げるのが致命傷になってゲームオーバーの日が来ます」
「明快なロジックだね。その通り。いずれ経営破綻で身売りするか不動産屋に鞍替えするよ」
「政治家もそうですよね」
「そういうことだね、有権者に対する不断の発信が求められるね、選挙期間中だけじゃなく。くだらない飲み会やってる暇があるならそれをやれと言うこと。SNSで眼力が鍛えられた国民は当然にそれを求めるよ、3000万円も給料払ってるんだからね。したがって政局だけで食ってる奴はカンブリア紀の原始生物みたいに選挙で全滅するよ。化石が出てきてね、おお昔はこういう変な生物がいたのかみたいに歴史に刻まれるさ。生き残るモデルケースが高市早苗だよ、徹底的に勉強して官僚より政策通で自分で法律まで書けて秀逸な外交力がある。フランシス・ベーコンの『知は力なり』さ。女性総理がどうのこうのなんて誰も言わなくなったでしょ、国内でも海外でも。あたりまえだよ総理大臣に能力以外の何が要るの?」
「東さんのその主張が一貫していることはよく存じております。 20年前から変わりませんね」
「変わろうたって変わりようがないんだよね、だって俺はそれが真実だと思ってるからさ。ひと晩寝たらオリオン座の形が丸くなってましたなんてことないだろ」
「はい、自分も信ずるものはあります」
「まあ灘高で2番だった君の前でおこがましいけどさ、ご存知の通り俺は帰納法で考えるように生まれつき頭ができてるみたいだからさ、正確に云うと反証が見つかるまでは変わりようがないんだよね」
ご参考までに、こういう問答の末に、この極めて優秀な後輩は思いつきのわがビジネスプランを粉々にぶち壊してくれたのです。僕にとってのビジネスは共産主義の方と違って資本家が労働者から搾取して利潤を生み出すものではなく、いとも簡易な方程式なのです。それは常に正しい(というか、それが正しくないようなものはそもそもビジネスと呼ばない)から問題点はそこではない。式にくっついている係数が間違ってますよという指摘、それが本稿のタイトルである「今の子は憧れは憧れで終わり『推し活』する」だったのです。
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僕が聴いた名演奏家たち(アントン・ナヌート)
2026 JUL 1 0:00:50 am by 東 賢太郎
もう思い出すのも困難なぐらい久しぶりにチャイコフスキーの悲愴交響曲を聴いた。アントン・ナヌート指揮リュブリアナ放送交響楽団のCDである。何故これかというと理由がある。次の稿に書くが、あるCDでこの人の演奏に感服し、他のを聞いてみようと思ったのである。この悲愴はいつ買ったか記憶も記録もないが、CDケースに貼ってあるお店のタグにDM6.95とあるのでドイツだったことがわかる。
ナヌートというと僕はずっと後に、といっても今から13年も前になるが、紀尾井ホールでブラームスの4番を聴いている。東ドイツ消滅のどさくさに紛れた幽霊指揮者かと思っていたらそうでなかったことに、なんだか正直者に出会って心が洗われる気分がしたものだ。僕は普通は散々考えて思い入れを持ってレコードやCDを買う。だから1万枚以上あるそれぞれについて、全部ではないがおおよそのところは出会いのいきさつを覚えている。そうではない方だったのだから、あり得るのは、フランクフルトのオフィスで時々気分転換でお昼に自分でサンドイッチを買いに行った店になぜか置いてあった廉価版のCDで、450円だったから買ったのだろうということだ。
リュブリアナは、ナヌートの母国であるスロベニアの首都だが、おそらくこれが録音された頃はユーゴスラビア社会主義連邦共和国だったろう。演奏はと言うと、現代ならこういうものが商業化されることはあるまいと確信されるレベルで、オーケストラも録音もおおいにいまいちである。僕はこれをあんまり難しくはない統計学の本を読みながら聞いていた。意識はそっちに行っているのだけれど、気がつくとCDに合わせて歌っている自分がいる。木管のところはちゃんと口笛になって芸も細かかったりする。そっちに意識が行くと、ああオーケストラが下手だなぁ、ここは無用に重たいなぁとなる。さっき終わった。さんざん不服がおり重なったのに、ちゃんと感動してじんわりと鳥肌が立っている。名曲というのはリアライゼーションの巧拙に大きくは依存せず心に迫るように書かれているのだということを再認識したものだ。
じゃあもう1枚と、同じ指揮者のシューベルト8番とベートーベンの5番のCDを引っ張り出した。LP時代、運命/未完成の組み合わせは定番であり、うちのレコード棚にもたくさんある。レコード盤の収録時間の関係もあったのだろう、疑問にも思わず連続して鑑賞していたものだが、両曲合計して60分にも満たない収録はCDでは合理性がないばかりか、曲の本質に何の脈絡もないこの2曲をたて続けに聞くこと自体ほとんどナンセンスである。それをやってしまっているこのCDは時代の証言としてむしろ貴重ですらある。
かけてみると、驚くべきことに、演奏が良い。悲愴と同じオーケストラとは思えない。クレジットを見ると、なるほどこっちは「リュブリアナ交響楽団」である。”オブ•ユーゴスラビア” がくっついてるのは録音が1988年だからだ。最初に未完成。予想もしなかったが、これは一級品の演奏である。運命はさらに見事。何も足さず、何も引かず、強靭なリズムと推進力が骨格を成すヨーロッパの真髄の音楽が鳴っている。終わった。なんと素晴らしい!お読みの皆様全員に聞かせてさしあげたい。この人のシンフォニーには疲れ果てた人間の細胞を蘇らせ、精神を心の内側から照らし、満身にエネルギーをみなぎらせる何ものかがこもっている。それを必要としている時もあるのだが、現在のように仕事でクタクタで心身ともにダウンしているときはベートーヴェンは鬱陶しい。そう思って避けてきていたが、どうしてどうして元気にしていただいた。思ってるほど僕は疲れてないのかもしれないなと思った。
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『黒猫フクの人生観』 (第十五話)
2026 JUN 29 20:20:15 pm by 東 賢太郎
主人みたいに我(が)の強い人間にとって「推し活」の彼みたいなヤンチャで物を言ってくれる若者は大事なんだ。あの子はさ、子ったってもう四十すぎだけどね、出会ったのは外資系証券で揉まれたころでさ、二十三、四からかわいがってたんだ。主人が自分の勝手で移籍して面倒見れなくなってまずいと思ったんだね、香港まで連れてって懇意だった富豪のお客さんを紹介してさ、ここからはおまえやれよって。苦労はしたけどなんとかやったの大したもんだって認めたんだね。ライオンは可愛い子を谷に落とすっていうじゃない、這い上がってきた子は育てる、こなかったら捨てるって。彼もダメだったらそれで終わってたと思うよ、だから無条件に優しい人ってわけじゃないんだ。なんたって勝負師だからね、根性ない奴は助けても1人になったらどうせダメだからやめといた方がいいよってそれだけの話だよ。もちろん猫はしないよそんな野蛮なことは、でも主人はライオン派だから仕方ないんだ。
面白いもんで、いま、今度はその彼の方がでかいことを仕掛けていて主人を引っ張り込もうとしてる。これを主人は喜んでる。そうこうしていたら、今度はアメリカから別なのが来た。この男のことは、主人が飯食いながら6時間英語は疲れたってブログに書いてたから熱心な読者はわかるんじゃないかな。その相手方になる日本の著名企業の方で十二、三年前からブログに登場してるひと回り年下の別な彼がこれまたビッグな企画を偶然にやってたなんてなんだかドラマみたいだよね。そして、これまた別件だけどその彼が持ってきた健康器具の案件は1年たって初ディールがあった。これは伸びると思うよ。でもそうしたものは主人にとって本業じゃないし、もともと主人は得意でないし自分で思いつくようなことでもない。アガスティアの葉っぱのお告げ通り、ここから2年は運が乗ってるから自然と来ちゃうってことなんだ。そしてもう1つ、これはもう発表されたからいいと思うけど、千葉ロッテマリーンズが本拠地のスタジアムを新しくする話ってのがあって、こっちはファイナンスだし得意の野球にまつわる話だから本業だ。こんなサイズのが5つあるのは珍しい。まだまだ体も頭も健康だけどさ、ビジネスってのは生ものだから毎日毎日情報が変わるんだ。ボケて記憶力が落ちて来たら危険だからさっさとやめた方がいいけどね。
そんな中でテラドローンの次に投資したのがアメリカの電池のスタートアップ企業だ。データセンターで需要は爆発。ガスタンク並みに巨大にしてもリチウムみたいに爆発しない。発見して特許取った帯電物質が石油由来だからレアアースより激安。タンクを持ってる会社に売れば貯蔵コストも不要。こりゃ滅多にない猫でもわかるいい株なんだ。IPOは3年後だけど最初の正式な資金調達が来年だからそこで2倍で売ってもいいさ。読者の皆さん全員にお分けしたいけどこういうのはコネでしか入ってこないからそんな金額はないんだ。投資に百発百中はないってのもあるしね。主人はイーロン・マスクにはコネないからスペースXはそうやって買ってた株主からIPO前に30億円ぐらい買おうとしてたんだ、懇意の外資系証券に頼みこんでね、でもアンソロピックとオープンAIが今年になるって聞いて急遽取りやめたんだよ。びっくりしたけど主人の頭の中のことだからよくわからない。結果は大正解だったよ、スペースXは日本の証券会社でも人気で抽選で買えたけど当たった人は喜んびもつかの間15%も損しちゃったね。それで株は怖いねって話になってる。でも基本的にどうでもいい需給関係の話でね、そんなのばっかり見てる人ほど損するってだけの話だよ。主人は宇宙産業に強気なんだ。だってよく知ってるからさ。
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読響第659回定期演奏会
2026 JUN 24 9:09:12 am by 東 賢太郎
第659回定期演奏会
2026 6.23〈火〉 19:00 サントリーホール
指揮=上岡敏之
ピアノ=田部京子
※当初の発表から出演者が一部変更になりました
グリーグ:ピアノ協奏曲 イ短調 作品16
ショスタコーヴィチ:交響曲第8番 ハ短調 作品65
スケジュールはそこそこ空いているのだが重たい仕事をいくつか背負っており、なかなか音楽を聴く気持ちの余裕がありません。この日も開演ぎりぎりに駆けつけ、ピアニストのホアキン・アチュカロが22日に転んで怪我したため田部京子に変更したことを知りました。メニューを知らずに行くおまかせの聴衆だから問題ありません。とてもたっぷりしたテンポの緩徐楽章はマーラーのアダージョみたい。両端楽章もあまり音楽が走りませんが、美点は終楽章のフルートのような部分が際立って美しいこと。ピアノはオケとの呼吸、ホールの響き等いろいろあったろうが個性を保って特に高音のピアニシモ、時にピアニシシモが活きました。神は細部に宿るということもありこの人はソロで聴きたいですね。後半は、この曲はそもそもあまり得意でなく、こちらもテンポはユニークだったがコメントは控えます。
定期会員である知人と終演後に食事をし近況を聞きました。株式市場は表面的に活況ですがバブルの頃とは全然違います。あんまり気持ち良くない。某外資系証券と組んでスペースXを米国で公開前に株主から147と証券会社で申し込む公募価格の17%引きで買う方法があり、一部お客様と約定寸前にこぎつけましたが直前になって虫の知らせでやっぱりやめときましょうと僕の方からキャンセルしていただきました。証券業務をやった人しかわからないでしょうがこれは異例なことで、予想通りだったかなという感じになってきています。買うならロックアップなしで買った方がお客様は安全に決まってますからね。悪い情報があったわけではなく単なる相場観ですが、それで飯を食ってるプロです、気持ちが安定してないと間違って何億円も結果が違ってくるんです。
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記憶に焼きついた西武対楽天の激闘
2026 JUN 22 23:23:31 pm by 東 賢太郎
これが交流戦のトップとビリの試合だろうか?
セリーグと18試合戦って14勝3敗の西武ライオンズと4勝14敗の楽天イーグルス。決定的な差でした。交流戦の西武はメジャーのチームと戦っても勝てるかなと思うぐらい圧倒的に強かった。かたや、同じくボロボロだった広島カープと最後まで最下位を争い、それを決する最後の3連戦でカープに屈辱の2連続完封負けでビリが決まった楽天が、こんな底力を見せて西武を劇的なサヨナラで倒すなんて誰が想像したでしょう。アマチュアならまずこういうことは起きません、プロだから起きるんです。実力にそう差があるわけではなく、何らかの理由でモチベーションが下がった方がボコボコにやられてしまう。どんな業界であれ、それで飯を食ってるプロってそういう残酷なものです。
東京ドームが超満員です。首都圏在住の東北の方が多いんでしょうか、吉井新監督を迎えてまだ勝てていない楽天球団の意気込みを感じますね。これがパリーグで、空席のほうが目立つマツダスタジアムがセリーグというと僕の世代には隔世の感がありますが、観客は面白い試合が見たいのです。地元だから巨人戦だからで客が入る時代ではなくなったのです。いみじくもその球団を持っているオールドメディアの売り上げ部数の大凋落と平仄が合っているのですね。
先発は西武が平良、楽天が早川でした。剛球の平良は次のメジャー候補ですね。早川はキレがいい、好きなタイプの左腕です。 1回表裏の「両投手とも3者連続三振」は見たことないですね、いや~気合入ってるぞ。
異変は7回から。西武の渡部聖弥が早川から2本目のホームランで4対1とします。するとその裏に楽天は佐藤がヒットで1点、4番マッカスカーのヒットなどで4対5と逆転します。
ところが8回、西武は長谷川の2ランホームランで6対5と逆転。そして、そのまま迎えた9回裏、予定通りに守護神の甲斐野がマウンドに立ったのです。球速157キロ、回転数2500はとても打てそうに見えません。
万事休すと思いました。ところが浅村の投ゴロをはじいて6対6の延長戦になだれこみます。
楽天は勢いに乗ってさらに10回裏に一死一三塁と、外野フライでもサヨナラの大チャンスを作ります。流れは完全に楽天で、これで終わったと思いました。ところが内野ゴロから本塁封殺で無得点。スタンドの楽天ファンはがっくりです。
そして続く11回表、ピンチの後にチャンスあり。流れは西武に行ってしまい、楽天は新人ながら好投手の藤原を当板させるもファースト黒田のエラーで7対6と逆転を許します。またまた楽天に王手がかかりました。
その裏、楽天ファン期待の辰巳が倒れてワンアウト。いやなムードが漂います。ここで打席は3番浅村。当たれば大きいけどいまひとつなんだよなあ。打った!センターバックスクリーンへ目の覚めるようなホームラン。7対7。凄い、ここで打つか・・球場はもはやエクスタシー、絶頂であります。
そしていよいよ泣いても笑っても最終回の12回、楽天は2年目の中込が西武を3者凡退に打ち取り最後の攻撃を迎えます。しかしあっさりツーアウト。打席はキャッチャーの石原です。
ここで笑っちまった。ホークスに行った山川に体形が似てるではないか!!やばい、ホームランだとサヨナラだ。もしろん石原は狙ってる。ピッチャーもそう思ったのかストライクが入らずファーボール。そしてもちろん代走。あれれ、それがなんと小深田だ!なんと、まだこんな人が残ってたのか!
西武はプレッシャーになったのか、あっさり二盗を決められました。いよいよか?そしてバッターはさっきエラーしてる黒川。汚名挽回か恥の上塗りか。前進守備のレフトの頭を超えるヒットでサヨナラ!!
いやあものすごい試合でした。最後まで残っていた満員のお客さん、もう11時になるけどいやいやこのゲームで帰る人はいないですよ、全員が一生忘れないと思う。久々にプロとプロの真剣勝負の激突を見せていただきました。
吉井監督初勝利おめでとう。中込投手初勝利おめでとう。
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