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世界で2100万人、日本は42万人が死ぬ

2020 MAR 27 1:01:25 am by 東 賢太郎

何度も書く。辟易された方も多いかもしれないが、新型コロナウィルスという未知の星から来た「エイリアン」は薬、ワクチンが開発されなければ人類を滅亡させるかもしれない事を否定できる科学者はいない。人類(ヒト属)が発祥したのは200万年前で、我々「ヒト」の属するホモ・サピエンスは40万年前に現れたが、その生存時間は37億年前に発生した生命の歴史の0.01%を占める。37億年を1日(24時間)とすると、人類は日付の変わる直前の最後の9秒ほど存在しているに過ぎない。

 

(1)寿司屋という異界の空間について

16年の海外赴任から帰国して、ありがたいと思ったのはちゃんとした寿司が食べられる幸せが当たり前のようにあることだ。ちゃんとしたというのは、もちろん味の良し悪しのこともあるが、それ以前の問題がある。清潔感だ。

握り寿司というのは生魚と粘着性の米を素手で「成型」する食物だ。ネタと酢飯を別々に口に放り込んでも分子論的には同じ食べ物だが、あの程良い塩梅にぎゅっと固めあげた食感がないとサマにならない。だから素手で圧力を投じて握るのは、衛生上はリスクがあっても割愛できない、いわば寿司に命を吹き込む行為だろう。

非常に不思議なのだが暖簾をくぐってカウンターに座った瞬間、僕は寿司を握る親方が食品衛生管理者の資格を持っているんだろうかという心配はしていない。彼の手のひらに何がしか付着しているはずの雑菌やウイルスが病変を起こす限界個数を超えている確率は何%だろうかと考えることもない。

なぜなら寿司屋はお清めされた何やら特別な空間であってレストランではない。左様な疑念を許さぬ一種の様式美のもとに成り立っている、疑うなら来るな、来たら疑うなという無言のルールがある場だ。それが客のみならず親方をも支配し、握る側は徹底して清潔であるべきであるという掟を自らに課しているはずであるという揺るぎなき確信が客を安心させるという、世界に類のない相互信頼の食域なのである。

(2)日本人の分厚い信仰心の場こそ寿司屋である

それは相撲の土俵に通じるところがある。なぜ寿司を女性が握らないのかは、なぜ土俵に女性を上げないのかと同じだ。指摘されればジェンダー問題に至ることを免れないが、しかし、古来そういうものでありそれが日本文化なのだと外国人には説明するしかない。仮にそれを大方の客が気にしないというなら、今どき銀座あたりに美貌の女将やAKBみたいな女の子が並んでかわいく握る寿司バーが現れそうなものだがそれはない。なぜなら、大方が気にするからであろう。

外国人の親方となるとさらに厳しい。香港時代に現地の人が作るラーメンやとんかつは平気だったが寿司屋に入る蛮勇は持ち合わせなかった。「特別な空間」の佇まいが不在などころかウナギや天丼まで供している店は相互信頼の食域とは別世界だ。そこで不格好に握られた物体を寿司と呼ぶならアナゴの正体がマムシだろうが深海の奇怪なウミヘビだろうが大きな問題ではなかろうし、数時間後に腹の調子が正常なら代金を払った価値ぐらいはあったと感謝すらすべきである。

本稿は寿司礼賛がテーマではない。そんな清冽な食文化を生んだ日本人には「お清め」「清潔」への分厚い信仰心があり、国民的にそれを共有していることへの相互の信頼感があり、それらは何百年もかけてDNAレベルで根づいて醸成されてきたものという主張だ。外国人がちょっとやそっとで真似ようともどうしようもないし、仮に技術的にはうまく握れていて清潔さが厚労省によって保証されていようとも、大変に申しわけないが、僕はそれを食べてみようとは絶対に思わないのである。清冽な食文化を共有する寿司屋は文字どおり「聖域」なのだ。

女性と外国人。奥深いテーマだが、なぜかどちらも聖域ではだめなのだ。おふくろの味という家庭で許され愛されるものがなぜ寿司屋でそうでないのか。感性のみ知覚する領域なので一般化する気はないが、個人的には他家のおふくろの味にまで寛容でないのかもしれないと思う。家族という、ひょっとして腸内フローラまで共有するような生理的関係はパブリック(公的)になり得ず、どうしても本能的に一線を画し、まして国境をまたいで交わりましょうというのは根本的に困難だということ。それが清潔不潔というリスク感覚に投影されて、寿司屋という特殊な場で先鋭化して知覚されるというのが僕の理解だ。

(3)「日本教」という宗教

このことを新型コロナのここまでの感染者、死亡者数の少なさに関連付けようとするのは牽強付会に思われるしれないが、聖域を作り上げる程に練り上げられた日本人の「お清め」「清潔」への分厚い信仰心は永遠不滅の高みに至っており、その結果として、16年住んでみた海外各国との比較感として日本はスーパークリーンな国であって、偏差値をイメージするなら70以上の超優等生であることは反論の余地もない。ウィルスの立場になってみれば繁殖に最も厄介な環境、国民性であろう。検査数の少なさも指摘されるが、仮に2倍としても感染者、死亡者数はまだぜんぜん少ない。仮説ではあるが、それだけでは説明しきれないものが背景にあるとしか考えられない。

寿司屋や土俵への「分厚い信仰心」はすべての和食系の板さんにも、甲子園の女人禁制を主張する高野連の精神にも共通する、日本人を問答無用に呪縛する行動規範である。ヒンズー教、イスラム教が左手を不浄としたり、キリスト教が離婚、中絶を禁じたりするのが宗教であるならば寿司屋や相撲や甲子園の暗黙の了解がそうでない理由などない。これは堂々たる宗教である。そうだろうか、その割には「いや自分はそんなものは気にしない」とアンチな行動する者を表だって咎(とが)める人はいないではないかという反論もあろうが、それは当たらない。なぜかというと咎めないのも教義の一部だからである。思っても言わない。目撃した傍から「その者は “信者” ではない」と心の中で冷ややかに見放しているのである。つまり、「古来そういうものでありそれが日本文化なのだと外国人に説明するしかないもの」に行動も思索も従順であり大いに長いものに巻かれること、それが日本人であり、その心の働きはかつて山本七平がイザヤ・ベンダサン名で「日本教」と看破したものに近い。

現在、ニューヨーク、ロンドン、パリ等が都市閉鎖状態になるなど世界の様相が急速に緊迫する中、我が東京は同じ地球上と思えないほどのユルさである。ひところクルーズ船であえぐ日本を対岸の火事と見ていた欧米が今や延焼でパニックになり、今度は日本がそれを対岸で他人事のように眺めている。こうしてウィルスというエイリアンは人間を波状攻撃で追い詰め、食い殺していく。なぜこちらが一旦は踏みとどまったか?薬もワクチンもない、検査して陽性とわかってどうなるものでもなく、国家の行動制限強制力など世界最低レベルで圧倒的に弱いのだから、ひとえに、日本教のおかげと思う以外に何があるというのか?お清め、清潔好きで、手洗いどころかお尻の穴まで毎度毎度ていねいに洗浄する世界に類例のない日本教信者の国民性に起因していると考える以外に理由は見当たらないのである。海外が驚いて調査してるらしいが、わかるわけないね。

ただし日本教には弱みもある。人間中心主義で科学を軽視することだ。以下に書く日本人しかできない防御策の、最大のウィークポイントはこれである。人の和は大事だがそれは平時の話である。今は世界大戦に匹敵する有事であり、すべての判断に科学的データが優先すべきだ。ここを取り違えれば、政治が軟弱で無能である日本はあっけなくエイリアンに食われまくるであろう。戦争で懲りたため我が国はシビリアンコントロール、文官政治に振れた。それは結構だが文官だからといって学力に欠け、科学は「専門家」に丸投げで失敗したら人を替えればいいなどという無責任な政治まで国民は許容したわけではない。テレビも毎日手を変え品を変え科学の素人が井戸端会議をくりひろげているが、公共の電波をそんなくだらないものに浪費しないでほしい。科学者だけを出すべきである。

また、日本教信者はお花見のごとき国民的遊興に弱い。まあこのぐらいとタガが緩んでしまう。それは「3つの密」戦略の効果を致命的に減殺し、国民を危機に陥れてしまう自己中の愚行だ。次の危機はゴールデン・ウィークである。国は緊急事態宣言をしても強制力や罰則規定はない。小池氏は都知事として最高権力をふるいあらゆる愚行を封じ込める強硬策を執行すること必須である。ちなみに最新ニュースとして阪神タイガースの藤浪選手の陽性が発覚したが、重要なのはプロ野球の開幕がどうのではない。「37度5分の発熱が4日」の厚労省基準をあざ笑うようにウィルスはひっそりと彼を感染させており、しかも、感染者に見えていなかっただろう彼はひっそりと2人の同僚を感染させたという事実だ。これが僕が1月30日づけのブログで指摘しているこのウィルスの最大の危険性、つまり、誰もそう見えない不顕性感染者に感染力があることの証左である。皆さん、国が言ってることを信じていてもダメだ、自分で考えないと身を守れないのだ。著名人だからニュースになったが、かように20代の健康で若い人でも誰でもかかる。同じことがそこかしこで発生している、ほんの氷山の一角である。

(4)インペリアル・カレッジ・ロンドンの確率データ

ここまで、日本教は我々を曲がりなりにも助けてきた。くりかえすが、日々テレビはやれオリンピックが大変だ、小池都知事がどう言った、学校はいつから開けるのか、プロ野球はどうなるか、国民給付はお肉券はいかがだろうか等々かまびすしいが、そういうことは人類が直面している歴史的危機においてなんら重要な変数ではない。注視すべきは科学者(の内まともな者)の発表だけだ。例えば、英国のボリス・ジョンソン首相は当初「3つの密」のようなクラスター抑制戦略をとる他国とは一線を画し、感染者は症状の軽い若者だし、安全対策に協力しない無知な馬鹿者も存在する社会的コストもあるのだから、人口の60%が感染することによって発生する「集団免疫」によって弱者を保護すればいいだろうという対極的な施策を選択した。反ユーロのにおいもあったがそれはそれで、その時点では科学的知見に立ったものだった。

ところがインペリアル・カレッジ・ロンドンの学者が、それをやると20万人の死者が出ると計算し、ジョンソンは施策を撤回した。国家の基本戦略を間違えましたというのは元首として誠にみっともないことだが、オックスフォード大学卒のジョンソンは科学の宣託をきっちり理解したのだろう、自らテレビで視聴者に目線を合わせて「You must stay at home(家にいろ)!」と自らの言葉で強く語りかけた。官僚のペーパーを読んで関係各位と緊密な連携を図ってまいりますなんてお経をくりかえす首相とは雲泥の差のインパクトだ。現在時点の世界の死者が2万人であり、1年後にその10倍の死者が英国だけで出るという指摘だから当然だが、では日本国首相官邸はその確率データをどう読んでいるのだろう?意味がわかっているのだろうか?それとも意に介さぬだけの反証データを持っているのだろうか(全くそうは思えないが)。

英国という6600万人が密閉された島で人々の行動を平常のまま放置すれば0.3%がウィルスに殺されるという確率を有意とするデータのサンプル数があるのか否か置くとして、少なくとも現在時点でのデータからウィルスの不可避的に強い感染力と薬・ワクチンなし状況下での人間殺傷力、防御する医療体制の限界点を加味して算出し得る最悪の人口比死亡率が0.3%としたのだろう。毎日ワイドショーでどうでもいいことをご宣託している先生方の「**と思います」など比較にもならぬ重要な数字で、我々が行動の規範と肝に銘じたほうが生存率を上げてくれる結論であることは信頼に足る(それが科学的態度である)。

とするとどうなるか?「3つの密」は感染者数曲線のピークを低くして医療崩壊を防ぐ戦略であるとしては意味があるが、曲線がなだらかになると横長になり終息は遅れる。しかしウィルスの感染力が一定なら曲線を積分した値は同じであり、結局は0.3%の人がすぐに死ぬか来年死ぬかの差である。であるから、世界の死者総数は2100万人、日本は42万人が死ぬちなみに、人類の生存の危機と比べればたいして重大事でもないが、「3つの密」政策がうまくいけばいくほど終息は遅れるのだから1年後のオリンピックは吹っ飛ぶだろう。

(5)人類の安息への唯一の道

それは新型コロナに対抗できる薬、ワクチンが開発されることである。それ以外にない。ということは、来年の今ごろにさあオリンピックだと世界が意気揚々となっている可能性など極めて低い。カネの問題というなら1年延期の希望的観測のコストはもっと高い。どうして中止にしなかったのだろう。学者の意見は複数あるが、おおむね、最短で1年かかり、それを世界の患者に行きわたらせるには更に時間がかかり、5~10年という人もいる。ということは、人類が存続するためには、5年ほどはエイリアンに殺られず生き延びていなくてはならない。その間の経済悪化による生存の危機も国家の方策によって乗り越えねばならない。したがって、我々が今できる努力はとにかく3つの密を避けて感染しないこと、そして運悪く感染してもそれを絶対にバラまかないことだ。体調が悪いのを軽く見て出歩くなど人類を破滅させる行為だと自覚することだ。イタリアの市長はパーティーをやった若者に対し「火炎放射器を持った警官隊を出動するぞ」と警告したが、そのぐらいのことである。

もし幸いにも生き延びることができたなら、そこには未知の世界が広がってるだろう。それはニュー・ノーマルと呼ぶべき新しい均衡点の上に出来上がる我々の知らない “平常” だ。人類史に確実に刻まれる未曾有の厄災に我々は見舞われているのであり、台風一過で元に戻るという単純なものではない。欧州の全人口の60%が死んだペストや第1,2次世界大戦がそれまでの世界を、つまり地球上のヘゲモニーも科学も生活も根底から覆してしまったように、新型コロナは人類のあらゆる均衡を変える可能性がある。しかしそれは恐れることではない。誰も知らないのだからそれはフロンティアでなくて何であろう?未知というものは常に活力を与えてくれるのであり、人類はそこを目指して、新たな光と希望を求めて戦っていくだろう。

(6)我々日本人はどうなるのか?

この問いこそ本稿の最も重要な帰結だ。もう一度書く。日本教の支配する我が国および日本民族というものは「ウィルスの立場になってみれば繁殖に最も厄介な環境、国民性であろう」ということだ。何という幸運なことだろう!我々は、政府があれほどヘマや後手後手をしたのにしぶとく踏みとどまっている。政治家の出来ることは3つの密を「強制執行」し、社会不安と治安に目を配り、カネをばらまくか減税することしかない。国民に必要なのは現金だ、お肉券や旅行券など馬鹿も休み休み言え、電気代や税金をお肉で受け取ってくれるのか?こんなものを真面目に議員が議論しているなど世界の失笑をかう国の赤恥だ。インフレなどなるはずもないのだから日銀引受のコロナ国債だろうが何だろうが、あらゆることを禁じ手無視でやるべきだ。我々国民はどうするか?オーバーシュートを全員の努力と協力で回避し、感染者数が医療崩壊を起こさないレベルで推移するようピークを先送りし、1,2年後には世界のどこかの科学者が開発してくれるであろう薬とワクチンを待てばいい。その忍耐が良い成果を挙げる可能性の最も高い国は日本であると僕は思う。

それには「3つの密」を避けるだけでなく次のことが効く。日本人しかできない秘策だ。西洋式を忘れ「日本教」という宗教に徹底的に帰ること、すなわち、「お清め」「清潔」への分厚い信仰を徹底して守り、不潔を忌み嫌い、古来そういうものでありそれが日本文化なのだと外国人には説明するしかない日本人を問答無用に呪縛する行動規範には不合理であっても異を唱えず従い、日本人にしかないであろう「自己中でなく他人を思いやる気持ち」を大いに持ち、うがい・手洗い・鼻洗浄・マスクは自分のためだけでなく他人を感染させないためという意識を強く持つこと、そして、日本人が持つ最強の我慢強さ・忍耐力でそれらを成し遂げて社会に貢献し、世界に冠たる優秀な民族であることを見せてやろうぐらいの誇りを持つことだ。

このウィルスの性質は未知数で、だから薬もワクチンもないわけだが、少なくとも僕の仮説が正しければ以上のことを国民全員が励行すればその行為がウィルスが最も嫌がる防波堤になることはここまでの数字で証明されている。それを粛々と、気を緩めずに続ければよい。日本人の生存戦略は成功するだろう。それどころか、その成功がニュー・ノーマルになっていき、我々の子孫が最も適応してそこで有利なポジションにつき、日本に生まれて良かったと幸福をかみしめて栄えてくれるのではないか。まだ何が起きるか予断は許さないが、その事を願って筆をおく。

 

 

イタリアの惨状に心が痛む

2020 MAR 24 1:01:58 am by 東 賢太郎

イタリアはドイツ人にとって永遠の憧れの地である。かのゲーテもアルプスを越えるとわくわくした。僕の部下たちもお客さんも、ドイツでは渋面を作っているがあっち側へ行くと人が変わったように明るくなった。

何度イタリアへ行っただろう。まずは仕事で、チューリヒから車を飛ばせばゴッタルド・トンネルを抜けてイタリア語圏のルガノへ1時間ちょっとで着いた。そこからコモ湖を経てミラノは1時間だからぜんぜん外国という気がしない。観光、買い物、オペラ、スキー、ゴルフ、サッカーなどの「不要不急」も入れれば2~30回ぐらいだろうか。

クルーズ船もヴェネチア、ジェノヴァから乗った。最初は35年前。東洋人は我々夫婦だけで、余生でもう一度だけ外国旅行するなら地中海クルーズがいいと思う程楽しくイタリアには特別の思いがある。子供たちが結婚記念日にクルーズのチケットをプレゼントするよと言ってくれたその矢先にコロナ禍が襲ってきてしまったが、残念より何より凄まじい勢いの感染による惨状には心が痛むばかりである。

あの国は財政が苦しいから中国の一帯一路に飛びついたのはわかるし、それがこんな厄災につながろうとは誰も想像しなかった。北部に住みついた中国人労働者が春節でウィルスを持ち帰ったのを遮断しなかった初動の問題はあるが、日本も武漢の閉鎖前の対中国の水際対策のユルさは似たもの同志だ。そのうえにこっちはD・プリンセス号の数字もあるのだから日伊の被害の差は驚くしかない。こんなに失敗してるのになぜ数字が少なくて済んでるんだろう?

統計では示せないが、日本が今のところイタリアのようになっていないのは何よりも、清潔好きという国民性の寄与が非常に大きいと思う。ドイツ人もそうなのだが、それは主婦がテーブルや食器やドアのノブをぴかぴかに磨きカーテンの裾を微塵も汚さないことにプライドをかけて執着するという感じであってちょっとちがう。公衆トイレにまでウォッシュレットがあり、バスタブで頻繁に入浴し、普段からうがい・手洗いが当たり前という身体的な潔癖さという面では日本人に勝る民族はないように思うがどうだろう。

それがイタリア、フランス、スペインのラテン系の人たちとなるとさらに我々とは遠い。例えばハグだ。日本ならカラオケで盛り上がれば社員とのコミュニケーションはOKだが彼らはそれだけではいけない。見ているとやっぱりポイントは締めのハグであり、女性なら両のほっぺにチュチュぐらいは当然というか、場面によってはしないと失礼の雰囲気すらある。酒の勢いではなく立派な文化なのであって、例えばコンチェルトが終わって女性ピアニストに指揮者がしているあれだ。濃厚接触などというも野暮であるが、そうはいっても物理的には濃厚接触以外の何物でもない。

幸か不幸か柄でない僕はハグもキスもまったく不得手でつまんない堅物と思われてたろうが、そのかわりというのもなんだが潔癖症であり、例えばプールサイドの濡れた箇所を歩くのが猫なみに生理的に嫌いである。不潔に感じて気持ちが悪く、おかげで泳ぎは今もさっぱりだ。盃や茶器の回し飲みもウィルスの交換に思えて御免である。電車の吊革はコロナ以前から触らないし、仕方なければ小指と薬指でつかむ。やたらと初対面で握手する西洋の風習に慣れるにも時間がかかった。でも、ここまでではなくともこういう日本人は結構いるのではと思う。空気感染もあるコロナがそれで大丈夫とは思わないが、真逆の性格の人よりは餌食になりにくいだろうとは思う。

いまのところ感染者も死亡者も多くないのは日本人の潔癖さと生真面目な用心深さによるところが大きいというのが私見だ。日本だけ薬があるわけでも、特別な医療があるわけでも、日本人だけ抗体があるわけでも何でもない。まして政府が他国より群を抜いて良い手を打ったわけでも資質において優秀なわけでもまったくない。

いまだウィルスに「丸腰」状態なのはイタリアと変わらず、都市封鎖までして約3248人(3月20日現在)が死亡して「地獄」と化した武漢みたいになる可能性は全然消えていない。何度も書くが、桜が咲いて気が緩み、学校閉鎖が解けてなにか事は済んだようなユルい空気が広がると危険で、不顕性キャリアが増えて一気に感染者が増えるオーバーシュートになると医療限界を超えてイタリアの二の舞になる可能性は十分にある。

人の噂も七十五日とはよくいったもので、株式市場を見てると確かに日本人は2か月半で物事を忘れる傾向がある。1月半ばから始まったコロナ騒動は、3月末でそれを迎える。

 

 

若者のための政治講座

2020 MAR 21 0:00:26 am by 東 賢太郎

(1)「役人にすべて責任おわせるわけにいかない」(麻生財務大臣、自殺した財務省職員の遺書について)

日本国は都合悪いものを穴掘って埋めてしまう国とは違う。役人がおえないならだれかが負わなくてはいけない。

 

(2)「有識者会議で継続が決まったのに予算打ち切りを通告された」(山中教授)

iPS細胞の予算枠を削った官費でコネクティングルーム不倫の女性役人。ノーベル賞学者より偉いらしい。写真見たが、諸事においてよく理解できない。

 

(3)「新型コロナウイルスはパンデミックと言える」(テドロスWHO事務局長)

「すでに雨です。傘を持って出かけたほうが良いと言えるでしょう」。絶対あたるお天気オジサンと人気である。

 

(4)「検査、検査、検査。疑わしい例は全て検査するのだ」(テドロスWHO事務局長)

WHO本部の職員2人 新型コロナウイルスの感染確認(17日のNHKニュース)。オジサン、きみも検査してくれ。

 

(5)「宮崎県松島基地で聖火をいただくことになっており」(森喜朗会長)

オーストリアとオーストラリアは大丈夫だろうか。左卜全の世界になってきた。

 

(6)「敵航空母艦および巡洋艦各一隻を大破炎上せしめたり」(大本営)

この発表の翌日8月15日正午、昭和天皇の玉音放送があった。

 

(7)「マスクをしないで最後まで頑張る」(森喜朗会長)

マスクは自分のためでなくヒトのためなのでしてください。

 

(8)「3つの三本柱でいきます」(専門家会議、尾身茂副座長)

9本あるわけではないようだ。今回は政治にソンタクはない発言があったが、失敗しても「役人にすべて責任おわせるわけにいかない」らしいから安心だ。

 

(9)東京高検検事長の定年延長「問題だ」55%(朝日新聞世論調査)

「テレビのワイドショーが韓国政界の重要人物を “タマネギ男” といって笑いものにしている、日本も滅びるね」(朝日新聞)

 

(10)「発言を撤回し、深くお詫びする」(森まさこ法務大臣)

それさえしておけば何をしようが大臣はクビにならない国である。あまりにあるあるなんで、この人マジに「それはセンセイ~」の彼女と思ってた。

 

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新型コロナはエイリアンである

2020 MAR 16 18:18:15 pm by 東 賢太郎

個人的に「コロナ戒厳令」に突入したのは世間がまだユルユルだった1月末だ。僕がやられたら会社は終わるので仕方ない。電車は人が2メートル以内にいる時間は乗らず、人混みに近づかず、会社では1日3回の手洗いと消毒、リステリンのうがい、ハナノアの鼻孔洗浄をやっている。「正しく恐れましょう」はもっともらしいだけで意味のない標語。敵が正体不明なのに何が正しいか誰がわかろうか。未知のウィルスのアタックは宇宙人の侵略に等しいと思わなければいけない。特効薬、ワクチンができるまでは「わけのわからないものを体内に入れないこと」以外に手はない。

ウィルスは宿主の体内に侵入しDNAを複製して子孫を残す。脳はないのにあたかも意志があるかのようだ。宿主の免疫力に制圧されないようにイタチごっこで次々と計略を弄して悪さをする。では新型コロナウィルスの「計略」とは何か?1月末の武漢チャーター第1便帰国者から2人の不顕性感染者が出たことで、僕はこう推測した。

①潜伏期間を長めに設定しよう

②初期症状を軽めに設定しよう

③そうすれば元気な感染者があちこち行って子孫を長期間ばらまいてくれる

この計略はSARS、MARS、インフルエンザにはない。だからそれらが問題なく収まったからといって今回もそうだとはいえない。新型コロナの計略は、植物が蜜に寄ってきた蜂の体に花粉をつけ、遠くまで運ばせて子孫を広くばらまこうとするのとよく似ている。花を咲かせる植物はそれで数億年も繁栄しているのだから、この計略は蜂と人の違いこそあれ成功する可能性が高いと思うべきだ。現在の途中経過の感染率、死亡率の増減や多寡に一喜一憂するより、人類にとってかつてない特性を持つ厄介な存在だと最大限に被害を想定したほうが有益だろう。

ひとつの救いとしては、ウィルスは子孫を作る工場であり運び屋である宿主を殺してしまっては意味がないから、一定の拡散をもって共存をはかり毒性が落ちるという話がある。しかし、植物も大事な運び屋であるはずの蜂を捕まえて食べてしまおうというのが出てくるからあまり善意に期待するべきではないだろう。

以上がわかったとして、ウィルスは目に見えないから怖さの実感がわきにくいのではないか。僕は新型コロナをビジュアル化するならSF映画にあった地球外生命体「エイリアン」だろうと思っている。隊員の体に卵を産んで腹を食い破って出てきて、次々と人を襲って食い殺し、宇宙船のどこに隠れているかさっぱりわからず、知能が高くてどんな武器でも殺せないあの気味の悪い怪獣である。

となると、こういうことになる。エイリアンが地球に来てしまった。やっつけてくれるスーパーマンが現れるまで、食われる犠牲者(感染者、死者)は世界中に際限なく増える。検査して陽性とわかっても特効薬がないから犠牲が止まるわけではない。陽性⇒陰性⇒陽性の人も出たから水疱瘡ウィルスのように一生体内に棲みつくかもしれない。医師も学者も犠牲になってしまうかもしれず、つまり行きつくところまで行って人類滅亡も否定はできない。1年後に特効薬・ワクチンができたときには、ウィルスはDNAを変異させている可能性もあるからだ。

ひとつだけそれを止める方法は、世界人口のすべてが今から無期限で家に閉じこもることだ。そうすればエイリアンは外に出ないから今以上には広がらない。しかし経済は確実に崩壊して息の根が止まり、むしろこちらで死者が出る。だから外出自由と外出禁止のどこか中間に「妥協点」を見つけるのが唯一できる施策だ。まず政治判断でイベント、学校に自粛要請をして、さらに緊急事態宣言を可能にした安倍首相のそれはまったくもって正しい。決めるプロセスがどうの、効果が上がったの上がんないのと騒ぐ野党は本当に能がない。今はロジカルに正しいことをやるしかなく、やってみないと効果など誰もわからない。わからないから緊急事態なのであって、その法案可決に賛成しながらそういう質問で揚げ足をとるなら真正の馬鹿である。

僕が心配なのはもうひとつの病気だ。エイリアンがどこに隠れているかわからない不気味さに世界の人々が怖気づけばクラスターは自ずとできにくくなって「集団感染」は防げたとしても、今度は人間本来の喜びや活力が犠牲になって「集団鬱病」が蔓延する。外出しなければ気が萎えて諸欲が消えうせ、大きな消費もせず、サービスも求めず、食料、薬など巣ごもりの必需品以外は売れなくなる。減収になる企業は必然として固定費削減に走り、いずれ人件費に手をつけるので失業が増え、ますます消費が減って経済が停滞する。これが意味するのは、世界的なデフレ・スパイラルである。

デフレは資本主義経済を殺す毒キノコである。食べてしまうと身体機能が麻痺する疫病にかかる。かつて人類が戦ってきたおなじみの疫病であるインフレは発熱(金利を上げる)で重篤化を抑えられるが、デフレでそれをすると体の方が死んでしまうから低体温症(マイナス金利)という未曾有の症状になる。医師である中央銀行が出せる薬がなくなる点で新型コロナと同様の事態である。経済活動が死ねば税収が途絶えて政権も倒れる。いや税収の心配をする前に大量失業で国民が飢え、暴動、革命で一部の政権は倒されるだろう。朝鮮半島は危機的だが中国も可能性があり、中東、南米、アフリカは危険であり、選挙という文明の形をとるがアメリカも日本も例外でない。

株価というものは細部だけ見れば持っていた人がパニックで売って下がっているように見えるが、マクロ的に(鳥観図的に)見れば経済の健康状態の忠実なバロメータである。投機家の売った買ったで上げ下げしているのではない。デフレで上がることはなく、従ってこの下げは金融危機であったリーマンショックとは構造的にまったくちがう。下がるところまで下がれば自律反発という安易なものではない。比喩で書くなら、エイリアンと毒キノコが同時に地球上に蔓延しつつあり、政治家も学者も医者も五里霧中という中世以後の人類が経験のない危機が襲っていることの、最もリアルタイムに数値化された、かなり信頼に足る現象であるからだ。

その究極のリスクがうっすらと(まだうっすらだが)見えてきたいま、感染が収まれば元に戻るさという楽観論は確実に消えていくだろう。政府の施策は医療崩壊を回避するために感染のピークの山を低くする方に、つまり時間を稼ぐ方に向かう。どんなに早くても1年後というスーパーマンの登場(即ち、特効薬、ワクチンの開発)までに人類はエイリアンに食われ続けるが、食われ方はゆっくりになるように仕向けようということだ(これは残念ながら正しい施策だ)。ということは、すぐにでも敵を撃退しないとやりようのないオリンピック開催はそもそも無理であり(だいぶ前の稿にそう書いた)、G7緊急テレビ会議での「エイリアンは来年までいますがオリ・パラは完全な形で実施します」という安倍首相の論理矛盾を説明する答えは延期しかない。

このままだと世界中の集団鬱病の慢性化がデフレ・スパイラルに至ることが次の恐るべき難題になることは不可避である。1年も食われ続けてエイリアンに怯えていれば、毒キノコは間違いなく地表を覆うだろうという危機なのである。その病に金融政策はビタミン剤にはなっても特効薬にはならないのは赤子でもわかる自明のことだ。GDPの6割を占める国内消費が突発的かつ持続的に減るということは、日本の人口が突然半分になってしまったような緊急事態なのである。資金需要はないだろう。そこに元から低い金利をさらに(といっても、ちょっとだけ)下げて何が起きよう?そこで日銀がETFを買えば株は上がるだろうなどという稚拙な考えは市場を愚弄しているとしか言いようもない。悪いがそういうことについて投資家は政治家や役人より賢いし、この期に及んで「リーマンショック級ではない」と発言できる日銀総裁が危機管理に何の役にも立たないことを国民はよく覚えておくべきだろう。

やるべきことは前回書いた。はっきり言って処方箋はそれしかないが、それが必要十分条件であるかどうかはやってみないとわからない。米国が崩れだしマグニチュードの問題が出るなら消費税は0%、国債を含む財政出動は総額30兆円は打ち出さなければ効果はないだろう。

我々民間人である一般市民はどうしたらいいのだろうか?収入はほぼ全員が減ることは必至だろう。減らないのは政治家と役人だけだ。皆保険の日本国に生まれたことを感謝はするが、ともあれ自分や家族や会社のためにまず身(健康)を守るしかない。人ごみに近づかず、無用なものは手を触れず、1日3回の手洗いと消毒、うがい、鼻孔洗浄をし、ストレスを溜めずによく食べ、よく眠るしかない。これを励行するしかない。それでもエイリアンに食われる可能性はあるが、その場合は運が悪かったと観念して家で寝るしかない。

デフレは毒キノコをはやす

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マッコイ・タイナー追悼(アフロ・ブルー)

2020 MAR 14 17:17:50 pm by 東 賢太郎

世の中を右も左も知らぬ駒場の学生のころ、ホテルの予約もなく、レンタカーの契約書1枚でロサンゼルス空港に飛んでしまった。羽田からパンナムという時代だ。「外国に行ってみたいの?」「行きたい」。おふくろはそれでいっさい言わなかった。用心深い銀行員の父は「この人に会え」とロス支店長さんの連絡先をくれた。

動機は憧れ。それだけだ。そんなもので行けてしまうのは若かったからたが、今になってみると、その1か月の放浪で僕はその後の人生、誰もナビゲーターのない未知の塊であった人生を無事生き抜く「五感」をすべてもらった。これがなかったらアメリカンな証券業界に入らなかったし、生きてもいけなかったろう。

タラップを降りる瞬間に息を吸って「日本と同じだ」と安心したのが五感の第一歩だ。笑ってしまうが、本気で空気が違ったらどうしよう、呼吸できるだろうかと心配で、月旅行並みの覚悟であった。肌の黒い人はだっこちゃんとインド人もびっくりしか知らないというひどい時代だったからアフロアメリカンを見たのは初めてだ。バーで酔っ払ってきいたバンドに圧倒され、憧れていたアメリカのいち部分は黒人の血に由来したことを知った。

のちに今度は東海岸でジャズを見た。聞いたか見たか微妙というところだ。嗅いだというのもある。ヴィレッジかブルーノートか、妙なにおいがたちこめていて「なんだ?」ときいたらダチ公、何のこともなく「ハシシ」だ。凄い所へきたとテーブルに座って、すぐ目の前でドラムたたいてるおっちゃんがやたらにうまい。誰?と目で奴にきいたらアート・ブレーキーだった。もうひとりといえば全盛期だったジャック・ディジョネットにわけわからずぶちきれた。

こうしてライブから入ったジャズは僕にとっての異界、あちらの世界だ。あんなのはとてもシラフじゃきけない。レコードで知ったビル・エヴァンスやキース・ジャレットの白人モノはこちらの世界である。一番聞きたかったのはジョン・コルトレーンとマッコイ・タイナー。別々の個性として好きなのだが、もとはいっしょだからそのルーツがストライクゾーンで、リオ・デ・ジャネイロできいたアフロ・キューバンのバンドもそっちに入る。

自分の中の二人。ひとりはきっちりしたクラシック派だが、もうひとりはアフロ派で素朴で粗暴で原始的で孤島で素っ裸で生きていたいみたいなところがある。日本国の日常ではそうもいかないので真面目にしているが、ときに全部ぶち壊して滅茶苦茶したくなる。そういうときのこころの友であり、非日常への解脱がジャズである。なぜクラシックが好きかが普通のパターンと違うのは説明したが、ジャズにおいてもそれはいえる。

西洋のそもそも粗暴な連中が桃源郷を見るのが東洋というのはよくある。マーラー、ドビッシーやジョージ・ハリスンがそうだが、そうして異界とのハイブリッドとして血縁なく生まれた大地の歌、版画、ノルウエーの森みたいな世界に近いジャズもあれば、脈々と通じる父祖の血を肉体で感じ取った原色的なものもある。日本人である僕は奴らよりは慎ましく生きてるので逆に原色の肉体派に惹かれてしまう。

クラシック界で異界と交信したぶっ飛んだ作品なら春の祭典とトゥーランガリラ交響曲をあげたいが、僕がそこから入門しモーツァルトやベートーベンからしなかったのは異界の方にも同じほど愛着があるからだ。異界ってよくわからん、何なんだそれは?と思われるだろうから、その最たる例をお示ししよう。ジョン・コルトレーンのフリー・ジャズ路線を示すこのビデオの5分45秒あたりからお聴きいただきたい。

馬でも絞め殺してるかというサックス。これがジャズかという人もおり、現にマッコイ・タイナー(pf)とエルヴィン・ジョーンズ(ds)はこのシアトル・ライブのあとグループを去る。しかしハルサイ、トゥーランガリラ好きにとってこれは子孫のようなものであって、先祖の方も異界だけどまだかわいいもんだったと思わせてくれる。

このアフロ・ブルー(”Afro-Blue “)は自作でないがコルトレーンの看板ナンバーだった。冒頭のシンプルなメロディーを縷々インプロヴァイズしていくだけだが、マッコイのピアノがエルヴィンのドラムスとパーカッシヴな灼熱の興奮を盛り立て、和声のヴォイシングの変幻自在のぶりはそこで音楽が生まれるようだ。モーツァルトやベートーベンの即興演奏もこうだったろう。どんな音楽だったかは重要でなく、音楽したいぜという貪欲なスピリットこそ聴き手の心に響くからだ。これをクラシック音楽と区分けする理由は僕には見当たらない。

こういうものを前にすると、日本人の作品はジャンルがなんであれ「ぶちこわし」がない。先人の話題作を巧みにきれいにマネしただけ。マネがうまいだけではだめで、マネなんだけどいかにマネっぽく見せないかの非創造的でくだらない技を競ったりする単なるつまらない秀才。天才は滅多にいないが秀才なんて毎年何千人といるよ。クラシックしてます、ゲンダイオンガクやってます、ジャズってます。そんなものは物マネ芸人大賞しか取れない。マネできないほど置いてかれてしまうと、こんどは巣ごもり、ひきこもりになる。

枠を破壊して先人を凌駕してやろうというギラギラした凶暴さなどかけらもない。和を以て貴しとなしてますね、お上手お上手パチパチ・・・なんてものはどぶに捨てなさい。そんなもの世界で競争に勝てないよ、時間の無駄で気色悪いだけ、糞くらえだ。黒人は凄い、白人にあれだけいじめられても、奴らの音楽なんか気にもしてない。東洋人?中国人も白人など屁とも思ってない。お・も・て・な・しだけお得意の下僕みたいな日本人、なさけない。

アフロ・ブルーは複数バージョンあって、この1963年11月2日のベルリンライブはまだアバンギャルドがかってない原形に近いものだ。ピアノの和音のモードが良く分かる。

こちらは1965年5月7日のニューヨーク「ハーフ・ノート」でのライブ。マッコイのソロが凄い。凶暴に叩きつける左手、目にもとまらぬ右手パッセージ。最後ほうで無調になるところのピアノの和声の浮遊、「世の終わりのための四重奏曲」みたいだ。メシアンもびっくりだ。マッコイ・タイナー、かっこいいばかりじゃない、白人が崇め奉る最高級の音楽までぶち飛ばしてる。この火を吹くような演奏がラジオ放送でフェードアウトとはもったいない。

最後にマッコイ・タイナー・カルテットのバージョンである。2007年のリリース。コルトレーンの狂気はかけらもなく、フライ・ウイズ・ザ・ウインドのタッチになっている。この路線ならフリージャズのコルトレーンとおさらばしたのは道理だろう。

13才からピアノを始めてここまで行ったという人は知らない。奇跡のようだ。コルトレーンと組んだことは幸運だったが、サックス奏者なのに和声に興味があってセロニアス・モンクから楽理を学んだ彼との音楽のマッチングは最高だったと思う。

しかし天才同士は最後は天才であるがゆえに地金の違いを修復できないのだ。マッコイの路線で最高傑作は僕はフライ・ウイズ・ザ・ウインドと思う。そしてコルトレーンの一番琴線に触れるのは、別れる直前の1965年の数本のライブ録音だ。天才二人の最後のスパークは、ビートルズの最後の2枚を思わせる。マッコイ・タイナー、2020年3月6日没、享年82才。ご冥福をお祈りします。

 

マッコイ・タイナー「Fly With the Wind」

 

メシアン 「世の終わりのための四重奏曲」

 

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新型コロナ専門家会議に違和感

2020 MAR 11 22:22:18 pm by 東 賢太郎

新型コロナウイルス対策専門家会議副座長の尾身氏の以下の大前提に3つの違和感がある。

【感染拡大の防止に向けた我が国の基本戦略】

基本的な我々の考え方は①社会経済機能への影響を最小限としながら②感染拡大の効果を最大限にすること

 

違和感1

この人は経済社会機能の専門家ではない

違和感2

ウィルスの正体が不明なまま②の「効果が最大限」の判定はできない

違和感3

①と②とは「解のない連立方程式」である可能性がある

 

この3つに明快にお答えをいただかないと、日本国はおかしな大前提で防疫対策をしていることになる。

 

専門家会議は専門領域での意見聴取の場である。①まで尾身氏に委ねるなら官邸の職場放棄であり、そうでないなら尾身氏の忖度としか思えない。ここで言う忖度とは知的売春の意味である。前者なら政権は国家を守るガバナンスを喪失しており、後者ならこの会議は国家戦略意思決定の場ではなく、「専門家」という意味不明の冠を借りた政治ポーズと国民教化の場である。

新型コロナウイルス対策の専門家は②だけを目的としたピュアに科学的見地からの意見を述べるべきである。それを理解したうえで社会経済機能への影響を考慮するのは政治家の仕事であって、科学者の意見が政治で汚染されるならそれだけで危険である。そして内閣と国会議員が科学者の意見を科学的に理解、咀嚼する知的能力がないなら国家的危機である

 

「パンデミックの脅威が現実味を帯びてきた」(WHOテドロス事務局長、3月9日の会見)

なんだこいつは、ワイドショーの芸能キャスターか??

こんな馬鹿のいうことをきいて新型コロナの感染症指定が1月27日まで遅れ、政府の初動の足かせになっていたとするなら国家的大問題である。

なぜなら武漢閉鎖は1月23日だ。その前日に武漢市民が500万人逃げ、成田空港に9000人来ている。感染症指定以前であり検疫はワークしてない。クルーズ船の対応ミスどころか、この時点でもう北海道から関西まで現状の種はばらまかれていた可能性が大いにある。

ちなみに欧州でイタリアだけ突出して罹患者、死者(中国に次いで2番目)が多いのは、北部に居住する相当数の中国人労働者が春節(1月24日~30日)で一斉に帰省してウイルスを持ち帰ったためとするのが現時点の定説であり、クラスターごとの持ち込みという点において同様のことが日本でも起きたと想定すべきだ。イタリアはすでに国ごと封鎖し、本日より2週間の全店舗閉鎖(薬品、食料品店を除く)になり、60才以上に人工呼吸器を使えないという医療崩壊への臨界点に至っている。臨界点とは超えるとカオスを引き起こす限界点という意味である。

 

社会経済機能への影響を最小限にするなら

経済対策まで後手後手となるとすべてにおいて危険である。日銀の株買いのお化粧でお茶を濁すなど論外。馬鹿もいいかげん休み休みにしてくれ。経済活動そのものに楔を入れないとインバウンドが剥げる程度の話では済まない、日本人の活動、モビリティ自体が再起不能レベルまで鈍化し消費が長期減退、企業業績も設備投資も大幅後退。米中も同じ穴の狢で外需も長期に見込めず、失業が蔓延して社会はパニックになる。リーマンショックどころでない株価大暴落があり得る。即刻に時限立法で消費税を5%とし、コロナ国債を発行して日銀に引受させ数兆円の緊急財政出動をするぐらいのことをしないと経済崩壊がおこり、治安崩壊を経てひいては医療も崩壊するだろう。

 

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ケーゲルのモーツァルト40番のテンポ

2020 MAR 9 9:09:17 am by 東 賢太郎

ひき続きケーゲルを探してきく。もう一枚、東ドイツ革命のpilz盤があった。ジャケット裏に「16 Sept 90」と書いているからロンドンから異動になった直後に日本で買っている。前稿で「ロンドンで・・」と書いたのは訂正。ケーゲル氏が2か月後にピストル自殺することをまだ知らない。

第一印象。モーツァルト40番Mov1にホルンの派手なミスがあって、いきなりアウトだ。こんなものをスタジオ録音で出すはずがない。しかし拍手はないしライブの記載もない。ベルリンの壁のごたごたで作った粗悪品だ、騙されたと思いそれ以来CD棚でお蔵入りとなってしまった。

Mov1はどれを聞いても今一つ心に迫らないというのが、驚くべきことに、今に至る僕の40番の印象で、どれを聞いてもそうなのだからこの曲はそんなものという一抹の苦手意識すらあった。

モーツァルト好きが40番を知らんとはあるまじきことなんだろう。でも英国経験主義を信奉するとはそういうことなのだ。よって、ここに書いた通り「正直のところまだそれを乗り越えたという実感がないのです」(モーツァルト交響曲第40番ト短調 K.550)であり、そこから6年後の今も変わっていない。

それがこの不良?CDでいま気がついた。

高校当時、評論家のチョイスはそろってワルター盤であった。これ以外を推すのは異端の観すらあり、どうしても自分の耳との齟齬がぬぐいきれなかった。だからブログでは筆頭に挙げながら「トータルに見て言い切るほどの自信はありませんが」と軟弱なスタンスに終わっている。

テンポが遅すぎたのだ。この楽章は「モルト・アレグロ」である。メトロノームで測るとケーゲルはニ分音符が116ほどだ。おそらく現代の耳ではどなたにも速く聞こえるだろう。そうなのだろうか?速すぎなのだろうか?

この疑問を解く実験ができる。ジュピターのMov4にもモーツァルトは同じく「モルト・アレグロ」と書いている事実がある。彼がテンポに厳格だったのはこう書いていることで分かる。

「音楽でもっとも必要不可欠のもの、いちばんむつかしいもの、とくに大事なもの、それはテンポです」(モーツァルト、1777年10月24日の父への手紙)

ジュピターMov4と40番Mov1は、モーツァルトの頭の中では同じ速度である。前者をニ分音符116で振れば、多くの人はやや遅めと感じるのではないか(ご自分で試していただきたい)。したがって、三段論法で、ケーゲルの40番Mov1は速くないという結論が導かれる。

ちなみに、大阪モーツァルトアンサンブルの武本浩氏のブログによると、モーツァルトに2年師事したフンメルが40番を四重奏に編曲した楽譜のMov1は、ニ分音符108である。上掲稿に貼ってあるケルテス / ウィーン・フィルがちょうどそれだ。

フンメルの耳と自分の耳と、どちらを信じるかだ。いまもケルテスは諸条件を勘案してベストかもしれないと思うが、ケーゲルを聴いて、これが自分の耳ではさらに正しいと思ってしまった。116はフンメルより速いけれど、108ではジュピターは遅いことも傍証だ。

このテンポを知ってしまうと、ワルターは40番を素材に自身のモーツァルト像を世に提示したのだと見えてくる。彼のコロンビアとのステレオ録音は、いってみればどれもそうなのだが、そうすることで彼は究極の目的として「自画像」を描いて後世に残そうとしている。

僕は彼の自画像に敬意を表したいが、彼のモーツァルト像は共有しない。どちらもモーツァルトに会ったことはない。平等だ。テンポやポルタメントのせいでそう考えるのではない、そういう「現象」を包含して、すべての残された情報から包括的に作曲家をどう把握、認識するかである。

その認識が個々人で違うのは情報の問題ではなく、それを鏡面として映し出される「自画像」の違いだ。クラシック音楽は永久不変の鏡であり、自分が実はどういう人間かを有無を言わさずあぶりだす。結論は、僕という人間は、ブルーノ・ワルターよりもヘルベルト・ケーゲルに近い側面を多く持つということだ。

これがその演奏だ。ライブだろうが日付の記載がない。オーケストラの技術がいまひとつであるのは既述どおり。眼光紙背に徹する棒ながら風を切って進み、一筆書きの風情があるという名人芸を聞き取るには僕はまだまだ若かったということを知った。

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ヘルベルト・ケーゲルのCDを発掘

2020 MAR 8 1:01:45 am by 東 賢太郎

なぜかマーラー1番が目に入った。23枚ある。なぜかヘルベルト・ケーゲル指揮ドレスデン・フィルハーモニーをとりだした。いつもこうやってふらっと地下に来て、何にするかは決めてない。CD棚を見渡してテキトーにかける。ホテルのバイキングの朝飯の感じだ。なぜケーゲル?まったくわからない、なんとなくいくか?という気になった。縁だ。そうでもなきゃ一生ここに埋もれさせたかもしれない。

「巨人」だけは好きだ。つきあいが長く思い出も深い。何百回もきいてるだろう、こうなると曲に年輪ができて若い頃のあれやこれやが浮かんでくる。これ、買ったのロンドン時代かな、一度かけてそれっきりだったんだろう、当時は装置も部屋もしょぼかったから真価がわからず、今の装置だとあれっ?となるのがけっこうある。

案の定いい音だ。めちゃくちゃいいではないか。じゃあベートーベンの交響曲全集はどうだ?これがまた最高!3、1、5、4、9番を立てつづけにいってしまう。細かいことはいいだろう、ドイツのがっちりした正統派だ。幻想交響曲はどうだ、すばらしい、鐘が見事に忌まわしい。そしてブルックナー8番を見つけた。こいつは東ドイツ革命なんてデーンと書いてあって「ベルリンの壁」直後のCDだぞ、ロンドンで買ったんだろうが記憶がない。値札があるがもうインクが滲んで読めない。僕はブルックナーはつねに大音量でいきたいが新しいのにダメな録音もある。これはいける。というより圧倒的なエネルギー感で演奏も映える。

CDはここ数年増えてない。もうあんまり興味なくなってきた。それでも1万枚ぐらいあって、全部聴くことはないだろうが自分史という意義もあるから捨てられない。1度しか聞かなくてもいつどこで買って演奏、録音の好悪ぐらいは覚えていたものだが、最近は悲しいことにこんな塩梅で意義も薄れてきた。しかし、だんだん忘れていくといいこともあって、こうやって初物を発掘した感動を味わえる。どんどん増えて、いずれぜんぶ新品なんて結構なことではないか。

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国会議員さん、お仕事なんなの?

2020 MAR 5 23:23:49 pm by 東 賢太郎

海外と話すといままでは横浜のクルーズ船だけがやたらに有名であった。ニューヨーク、ロンドン、シンガポール、上海、香港、ソウルの旧友や投資家で、何百億円も動かしているそれなりの人たちだから日本の立場を悟ってくれて、やんわりと「災難だね」という感じだったが、最近は公表される患者数の少なさがにわかに話題になってきた。「日本の医療は素晴らしい」という称賛ではない、「そんなはずはないだろう」「何か隠してる」と疑念を懐く風にである。なにせこっちは日本の株式への投資をすすめているわけで、半端でないお金を運用する人たちはシビアに内情を調査しているが、疫病検査システムまでは知らない。国によって濃淡はあるから一概には言えないが、総じて「日本の医療はトップクラスなのに検査していない」が各国で急速に有名になっていると思われる。やっとPCR検査が保険適用になって窓口が広がったようには見えるが、日本政府の伝統的お家芸である「小出し連発」「後手後手対応」の見本としか思われてないし、ここまで事態が至ったことへの疑念が消えることはない。

「なぜだ?」ときかれても、「実は日本人も誰も知らない」と答えるしかない。それが真実の、お客様に最も誠実な回答だからだ。そしてだいたいこういう風に説明させられる羽目になる。日本はユニークな仕組みがある。「ホケンジョ」なるものが全国に500近くあり国の管轄下にある。ここでいう国とは「コーローショー」といい、英訳は Ministry of Health, Labour and Welfareである。医師は患者に接して臨床的な検査(clinical test)をして新型コロナ(COVID-19という)が疑われると判断したならば、PCR検査をすべしと「ホケンジョ」に伝えるわけだ。判断はそこがする。

こういうと、たいがい「医師のダブルチェックか?」とくる。「いや、対応するのが医師とは限らないしホケンジョがするのはチェックじゃない、検体を採取して検査機関に送るかどうかの approval (承認)だ、法律は読んでないけど authorization (認可)かな、とにかく、法的に権限のある公的機関だからここでNoとなると国民に検査を受ける手だてはない。明確な判断基準は明かにされずに『検査、致しません』のケースが多いときく。キャパは一日3800件分はあるという医療関係者もいるんだが」「医師でない人が判断?じゃあ臨床医は何のためにいるんだ」「あまりにいい質問で答えられない。認可すると患者が殺到して医療崩壊(medical collapse)になるという声もある」「でも、しないとmedical disaster(医療災害)になるよ(笑)」

これは昨日の英国人との会話だ。医師の診断を役所が覆して人命が失われるかもしれない国は世界で日本しかないと言われた。訴訟続出になりかねない、なんでそんなリスクを取るのかと。そうなんだろうが、こっちもそうなんだというしかない。こうなると売り言葉に買い言葉で、影響力ある人だからいろいろ弁解は試みたが、あんまり納得はされなかったろう。保険適用の問題が解決して保健所以外の入り口は用意されたが、専門外来なるものが本当に間口を広げてくれるのかはまだわからない。「それなら船(ダイヤモンド・プリンセス)の乗客、乗員の検査もそうだったのか」(彼はそう言わなかったが)と憶測が飛んでしまっても止めようがない。国民に知らしめてないツケはこうして塵も積もって大きくなる。株式を取引するビジネスでは追認的な役所の公式発表なんか誰もあてにしていない、情報はビジネスの是非を判断するなまなましいインテリジェンスの一部として現場レベルで伝播していくことを外務省はわからない(認めたくない)だろうし、そこからレクチャーを受けている政治家はもっとわかってないだろう。

検査データはGISAIDという世界的なインフルエンザウイルスのデータ共有プラットフォームに公開されることを知ったのはこの東洋経済の記事だ。

中国・新型コロナ「遺伝子情報」封じ込めの衝撃https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200305-00334358-toyo-bus_all

ということは遺伝子情報の登録・改変履歴をブロック・チェーンのように知ることができるので、事故った電車を人ごと埋めてしまう国が、困ると失地回復の秘技としてくりだす「なかったことに」の術は通用しないはずだ。別に内容には驚かないし、本件がもし中国の生物兵器開発での何らかの人災であったとしてもテロとまでは思わないが、習近平政権はウィルスの正体は確実につかんでいるのだから国家渾身の対応ぶりは当然であったことがわかる。発祥の理由はともあれウィルスとの「戦争」であることに彼我の差はない。わが国も戦争だから国民も耐え難きを耐えてがんばっているのであり、挙国一致という言葉はミスリーディングではあるが、首相か官邸か自民党かはともかく国の決めたことはウィルスをやっつけるためのはずだから、君が代を歌おうが歌うまいがここで一致しないという人はないと思料する。

その角度から見るに気になるのは、医師である医療ガバナンス研究所の上昌広理事長の「検査は医師から民間に委託すればいい、民間はその能力がある。それをさせないのは厚労省で何かさせたくない理由があるんでしょう」というTVでの発言だ。単なる役所の縄張り意識なのか、何か政治や利権が絡むのだろうか?思いおこせば、2014年だったか、そうであった例のSTAP細胞事件も本丸はうやむやのまま、小保方さんへのバッシングというまるっきり事の本質でない所で幕引きになってしまった。ウィルスは兵器でもあり国防上の理由があるという正鵠を得た前提を取っているのか、集積した検査データは経済的価値もあろうから独占したいだけなのか、研究者と臨床医の関係が微妙なのか、その辺は素人には見えない。しかし、海外のプレスや大衆は都合よく解釈はしてくれない。「人命より重いものが日本にはある」と見える姿を世界に晒してしまっているという近代国家にあるまじき事実だけが世界にばらまかれているのであり、インテリジェンス(諜報戦略)が存在しないどころか誠に見苦しいほど下手くそである。

国民にも海外にも意図不明だからあらぬ憶測を呼ぶのは制止できない。トランスペアレンシー(透明性)が組織の踏み絵になるこの時代に、形だけであれ最も気をつけるべき点を堂々と踏み外してしまっているのだから実は北朝鮮なみの中世的思考が残る国家と思われて何ら言い訳できない。韓国が防護服を着てドライブスルーのルートまで動員して徹底的に検査したのとあまりに対照的だ。習の走狗であること世界の常識であるWHOのテドロスなどを信じるだけでも信じ難いが、他国の患者数が増えるにつけ「患者数を押さえる偽装工作だ」と疑われだし、ついには「習近平訪日へのソンタクだ」が定説になるのを成すすべなく放置してしまった。それだけでも大罪だが、その習本人に「日本は危なそうなのでやめときます」という我が国には限りなくみっともないアピアランスを作られてしまった。何なんだこれは?すると国際世論は「これはIOCにオリンピック開催は大丈夫と見てもらう工作だったんだ」となっていくだろう。これでIOCにまでダメ出しされたらもう救いようない馬鹿丸出しだ。

ついでながらオリンピックはカネだ。命を扱うWHOでさえそうなのだ、遊興であるスポーツなど全部ポストはカネで買われてるのは自明未満である。オモテガネの方は「ごめんなさい、がんばったけどみなさん病気は怖いよね」でシラを切って終わり。IOCは日本のメンツや機会損失なんか完璧にどうでもいい。想定もなかった米国の放映権料消失が気絶するほど痛い。延期はない。利にさといバッハはやるぞの姿勢を見せているが日本のお・も・て・な・しの精神を買ってくれてるわけでも私はマスクなんかしませんという森さんの武勇あふれるリーダーシップに共感しているわけでも何でもない、IOCとJOCは見事にたまたま相互に何の関係もない利害が一致してるだけだ。ウラのほうは不気味でアンワインド(巻き戻し)はこわい。ここは我々の想像を絶するものがあろうから週刊誌の出番だ。その世界、もらったもんは返さないし裁判なんかジョークなのである。誰が泣く?言うまでもない。そもそもそんなに望んだもんだったっけ?という揺り戻しが利権のある政治家にはまずい。

上氏の発言があった「報道1930」で自民党の新型コロナウイルス関連肺炎対策本部本部長・田村憲久議員が「必要なら自民党に言って下さい」と言ったが、誰が見たって必要なんだからあんたが早く言えよ、それが仕事なんだろ?とここまでくると滑稽でしかない。まさかそんなことはあるまいが、ガバナンスを握ってる自民党が、科学などわけがわからぬ文科系の浅知恵のポジショントークで神輿に乗ってるだけで専門家集団の厚労省を動かせないのか、中国に検査データを渡したくないなどの国家戦略的な深い理由があるのか。ここは野党が徹底的にやらないと、国会は開けると1日1億円も税金を費消するのであって、いったいキミたちの仕事は田舎のプロレス以外になんなの?ということにもなる。

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アクセス数500万 という分岐点

2020 MAR 4 23:23:29 pm by 東 賢太郎

本日をもちまして拙ブログのアクセス数(総閲覧数)が500万 になりました。これまでご訪問いただいた皆様には厚く御礼を申し上げたいと思います。ひとつの区切りなので、いま思うことを少々申し上げておこうと思います。

7年半前に始めたわけですが、最初の週はアクセスは10か20で、いずれ1万ぐらいはいけばいいなあと思ってました。それが今は毎日4000~5000のご訪問をいただいて、正直のところ何が起きているのか自分でもよく分かっておりません。やってしまって読んでいただいてしまって、しかしどなたに何がいいのかはまったくもって不明であって、すなわちノレンに手押しなのですが、たまに真剣に書いてみて、数字が伸びたのだけが読まれた確認という感じで、しかしひょっとして裏でどっかのおっさんがカウンター適当に増やしてるだけかもしれず、そんなものにだまされて時間を費やすほど俺の時間はないだろうという天の声も時に聞こえたりします。

もともと大学から不真面目にですが日記をつけていて、その延長版がこれになっただけで、ちょっと真面目な姿勢がいい加減な人間である俺としては背筋が伸びて意外にいいなあという、その程度のものでやってきたのですが、日記は備忘録で他人に読まれる意識というものがありません。ところがだんだん閲覧数が増えると、人目と言いますか、それが気になりだし、あんまり書きながら楽しくない、気軽でなくなってきているのも現実です。備忘録なら長文でないツイッターのほうがいいかなあなどとも思います。

ついでに書くと、会社の方もおかげさまで10才になり、なんとなく地に足がついてまいりました。社員、関係者みなさん、身内でなんですが、すごく優秀なのがその地金がだんだん現れてきて、僕を中心に回るのでなくもう会社が中心になってます。友人、知人、お客さま、株主とも良い距離感がとれ、会社の座りのよい居場所がちゃんとこの世にあったんだという感じがいたします。堂々たる高齢者になったし借金も返したし、無理せずにおだやかな老後にはいるのがいいんじゃないかという気もします。

5年前はまだまだそうもいかず、気持ち的にもそれは早い、世の中というと大げさですが、せめて若い人には何か書き残しておいてあげたいという、いま思うと意味不明である半ば使命感みたいなのがあったのですが、最近になって、おいおい俺の体験なんかもう昭和の化石だろうよ、若い子たち、おっさんは生きた時代がちがうぜと思ってるんじゃないか、そんなのは大きなお世話かアンチテーゼか、はたまた安っぽい喜劇じゃないのという気もしてきています。

あと何年あるかわからない、となれば1分1秒を大事に楽しく、家族とファミリーと猫を幸せにするために何ができるかを考えよう。ファミリーというのは血族ではないが家族であるということで、お世話になっている、なった、すべての方々のことなのですが、喩えは悪いが映画ゴッドファーザーのそれみたいなものです。人類や国民の幸せに貢献するような力はとてもないので、身内を守る強い群れの長である、そういう気持ちだけは死ぬまで持ってあとは好きに生きよう、そんなところです。

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