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僕が聴いた名演奏家たち(ジャンルイジ・ジェルメッティ)

2023 FEB 2 1:01:07 am by 東 賢太郎

我が家が引っ越したフランクフルト➡チューリヒは南北に約300kmで東京~名古屋ほどの移動だった。かたや、モーツァルトのパリ就活旅行(ザルツブルグ➡パリ)は東西に約900km、東京~広島ぐらいのデコボコ道を馬車で進んだ大移動であり、さらにそれを往復となると気が遠くなる。この地図はその4都市の位置を示している。

この地図の中で我が家は5年暮らした(息子は生まれた)。モーツァルトもコンスタンツェも代々この地図中の家系だったわけで、同じ空間にいたと思うと感慨深い。アロイジア、コンスタンツェのウェーバー家はバーゼル近郊の黒い森の町が故郷だから彼女たちはほぼスイス人といってよく、そこはチューリヒから車であっという間だ。

出張は別として、フランクフルトから旅行をしたのは、ローテンブルグからミュンヘンに下るロマンティック街道、ストラスブールとその近郊のバーデン=バーデンは2度滞在し、ハイデルベルグは数回、バンベルグ、ニュルンベルグはX’masに、ザルツブルグは音楽祭など。ところが北は家族で行ったのはベルリンだけで今となると意外だ。どうしても南に足が向いてしまったが、プロイセンよりバイエルンが好きなのだということがこうしてふり返ってみると分かる。

そのひとつにシュベツィンゲンがある。マンハイムの近郊でハイデルベルグの南西10kmにある街で、プファルツ選帝侯の夏の宮殿と桜のある庭園が有名だ。「選帝侯」は神聖ローマ帝国の君主(ローマ王)に対する選挙権を有した諸侯でドイツに7人しかいない。他の帝国諸侯とは一線を画した数々の特権を有し、当然ながらリッチであった。マンハイムが音楽の都であったのは権力者がここにいたからで、シュベツィンゲンは王の別荘地だったのである。

7才のモーツァルトは1763年7月18日、父レオポルトと姉と共にシュヴェッツィゲンを訪れ、選帝侯が宮殿で開催した演奏会に登場して喝采を受けた。毎年その城内劇場(「ロココ劇場」)で行われる「シュベツィンゲン音楽祭」はクラシック音楽ファンには著名だ。ちなみにドイツ最大の美味のひとつシュパーゲル(白アスパラ)の栽培を始めたのはここであり、開催はドイツ中がアスパラに舌鼓を打つ4~6月である。

ドイツ圏の音楽祭は会場が分散する所がある。近場でやっていたラインガウ音楽祭がそうだし、ザルツブルグ音楽祭もしかりだ。ここもそうで主会場はロココ劇場だが宗教音楽はシュパイアー大聖堂で行われる。1994年はリヒテルが来ていたがそれは聞けず、5月6日に大聖堂のジャンルイジ・ジェルメッティ指揮シュトゥットガルト放送交響楽団によるロッシーニ「小荘厳ミサ曲(Petite messe solennelle)」を聴いた。僕は教会の音響が好きでリスニングルームは石壁にしている。典礼は何度か聴いたことがあったが演奏会は恐らくこれが初めてだったと思う。印象に強く残っている。「小」ではなく70分の大作。ロッシーニ最晩年の傑作で、同曲はジュリーニでロンドンでも聴いた。

シュパイアー大聖堂の内部

ジェルメッティ(Gianluigi Gelmetti, 1945年9月11日 – 2021年8月11日)は知らない方も多いだろう。僕もこの時に聴かなければそうだったと思うが、セルジュ・チェリビダッケ、フランコ・フェラーラ、ハンス・スワロフスキーの弟子で、指揮姿は無駄がなく美しい。歌、リズム、ニュアンスとも最高。当代イタリアを代表するロッシーニ指揮者としてアバド、サンティを継げる人だったと思う。ラテン系のレパートリーは水を得た魚だがドイツ物もシューベルトのグレート、ブルックナー6番がyoutubeにあり、ヘンツェの交響曲第7番を初演するなど現代の音楽にも適性が非常にある素晴らしい指揮者だった。シドニー交響楽団のシェフを最後に76才での訃報を最近になって知った。惜しい。1度しか聞けなかったことが痛恨の極みだ。

きかなくても彼のボエームがいいのはわかる。ああ劇場で体験したかった。

ローマ歌劇場の「ヴォツェック」をUPしていただいたのは嬉しい。ここではジョコンダを聴いたことがあるがこれは貴重だ。非常にいい。ジェルメッティの半端でない守備範囲をお分かりいただけるだろう。

春の祭典。見事な演奏。指揮が運動神経抜群なので手のうちに入ったオケが確信をもって弾けている。サントリーホールでこれを体験した方がうらやましい。

最後にラヴェルを。これまた極上、本当に素晴らしい。このCDは僕の宝物だ。買うかどうか迷ったが、ドイツのオケというのが気になったからだ。まったくの杞憂であった。冒頭の地図をもう一度見ていただけばシュトゥットガルトがほぼフランス文化圏でもあることがわかる。ラテン的なクラルテで硬質な響き、たっぷりと夢見るように歌う暖色の弦、涼やかに青白いフルート、きれいなアクセントで明滅する木管、流れるようにからまる油質の横糸、決然と刻むリズムで赤く熱していくアタッカ。これだけ多彩な絵の具を弄して描いたラヴェルはそうはない、まさしくセクシーだ。

5年前に同CDから「クープランの墓」だけ切り出していた。

これを墓碑としてお見送りすることになった。素晴らしい音楽を有難うございます。ご冥福をお祈りします。

 

 

 

コンスタンツェとアロイジアの蹉跌

2023 JAN 30 2:02:42 am by 東 賢太郎

マンハイムは僕が3年住んだフランクフルト・アム・マインからアウトバーンをぶっ飛ばせば30分ぐらいの南にある。この地図のなかで21才のモーツァルトは青春の蹉跌をたっぷりと味わっている。1777年に母と一緒にパリに向かう最中のことだ。まず父の故郷であるアウグスブルグで19才の従妹マリア・アンナ・テクラ・モーツァルトと意気投合し火遊びにふける。これは後にベーズレ書簡と呼ばれることになる恥ずかしい一連の手紙が残っていなければ闇の中だった(現に息子は廃棄を主張した)。父レオポルドの手紙はばっさり処分したコンスタンツェがなぜそうしなかったかは謎であり、それに対する僕の見解は「戴冠ミサk.317」の稿に書いた。

父の洞察力はシャーロック・ホームズのように鋭かった。そんな所で遊んでる場合かと檄を飛ばし、息子は後ろ髪をひかれながら従妹と別れて乗り込んだのがマンハイムだ。今はいち地方都市だが当時はプファルツ選帝侯の宮廷があり羽振りが良い街だった。宮廷はヨーロッパ最高の管弦楽団を所有して「マンハイム楽派」として後世に特筆されるほどハイレベルな音楽家たちが集結していた。頭領格のシュターミッツはボヘミア出身で父子とも楽団のバイオリニストをつとめ、ここで腕を磨いてパリに出た。モーツァルトはモッツ・ハルトでチェコ系という説があり、シュターミッツを範にレオポルドは子にバイオリンも仕込み、行先はパリという点からもその出世街道をイメージしていた可能性が大いにある。

しかもマンハイムはドイツ人がドイツ語でドイツ音楽をやる原点の都市だった。ロココから古典派への橋梁を成し、楽団に管楽器を入れて交響曲を量産し、ハイドンへの基盤を作った。ここ出身でストラスブール大聖堂の典礼音楽を仕切るフランツ・クサバー・リヒターのミサは私見ではモーツァルトと同格の質の高さで、帰途に寄ってそれを聴いた彼も暗にそれを認めており、老人でアル中のリヒターは長くないかもと冗談とも本音ともつかぬ手紙を書いている。つまり、イタリアぬきでべったりドイツであるマンハイムは彼が認められて何らおかしくない土壌だった。しかし、実力者のカンナビヒ家に歓待されはしたが、なぜかそうはならないのだ。何がいけなかったのだろう?

しかしモーツァルトはそんな危機感はそっちのけで写譜師ウエーバーの娘、16才のアロイジアに一目ぼれし、うつつを抜かしてしまうのだ。同業者仲間であるレオポルドからよろしくと頼まれていても、なんだこいつはになってしまうのは今も昔も変わらない。これがまずかったのだろう。そして彼女に歌わせるためレチタティーヴォとアリア「アルカンドロよ、私は告白しよう…どこより訪れるのか私は分からぬ」(K294)を書く。これは歌の形をしたラブレターだ。これを歌ってモーツァルトを喜ばせたアロイジアの歌唱力はそれだけのことはあったものだから、彼の中にはあらぬ妄想がむくむくとふくらんでしまう。

お父さん、彼女の歌は凄いんです、僕がアロイジアとユニットを組んでオペラを書けば王侯貴族の引く手あまたになり、巷でも大人気になります。モーツァルトはパリなど眼中になく父への手紙でそう訴え、結婚だけしたいのではない、我々にとって経済的にいいだけではない、ウェーバー家は生活に困窮しているので助けてもあげたいのだと論点をすり替え、困窮ぶりを父に印象付けるため子供は息子も入れて6人もいると嘘までついている(四姉妹で息子はいない。父はこの家族を知らなかったことがわかる)。

こういう趣旨の熱い手紙を送ってきた息子に対し、レオポルドの洞察は鋭かった。お前は夢中になると他が目に入らず、何もかもが「あばたもえくぼ」になり、世間の常識など吹っ飛ばしたとんでもないことをしでかすのだ。馬鹿なことを考えるんじゃない。そんな娘にうつつをぬかしてどうする、世の中はそう甘くないんだ。決めた通りに紹介状を持って早くパリに行け!

この父子のそれぞれの気持ちが僕はわかってしまう。小学校の頃、帰り道で毎日立ち寄っていたM君の家の広い庭。そこに地下室を作ろうと僕はひらめいたのだ。そしてM君とお母さんを説得し、2人して毎日放課後にスコップでせっせと穴を掘った。1mぐらいのところで放送作家のお父さんが心配になり、我が家に電話が入って大激震が走る。お前は馬鹿かと激怒した父が先方様に平謝りして計画は頓挫したが、僕の頭の中では地下室は内部まで完成していたのであり、いま誰にも文句をつけられない自分の家でその通り実現している。

モーツァルトが「アロイジアと結婚してユニットを組めば凄いことになる」と父に熱く書き送ったのは、だから僕には本気感満載としか見えない。「凄いこと」はおまけであって彼女が欲しいだけなのだが、とにかく大言壮語ではなく大真面目であることはアルカンドロのアリアの難しさを聞けばわかる。二人とも十分な実力はあった。でも十分に世間知らずだったのだ。こういう性格は死ななきゃ治らない。3人の親になった僕はそういう馬鹿息子を持った我が父の心配もレオポルド氏の危惧も理解できるようになってはいるが、実のところいまだにそれをしでかしかねないし、誰かがしでかしても責めることはないだろう。

結局のところマンハイムでもパリでも見合う仕事のオファーはなく、1778年2月をもって就活は失敗に終わる。フリーランスがなかった時代だ。オン・ディマンドの働き口はまだなく、ピアノや作曲の腕がいいぐらいで雇ってもらえるわけがない。貴族の家来になるのだからまず第一に「愛い奴」でないといけないのだ。しかし生意気なはね返り小僧だった彼はそもそも仕官は不適格で、だからこそザルツブルグを飛び出たわけであり、パリへ行けばいいという安易なものではなく、その後ウィーンへ行ってもやっぱりだめだった。

父が苦労して貯めた資金はパー。しかも母を旅先で亡くしてしまった衝撃は彼を苦しめ、眠れぬ夜が続いたろう。帰途で心の灯を求めマンハイムに寄るが、アロイジアは引っ越していた。心は乱れ、行き先のミュンヘンまで追いかける。彼女に会うことはできたが、パリで負け犬になった男は用なしで、すげなくふられてしまう。これだけ怒涛のように不幸に見舞われる人もそうはいない。もう俺なんか誰も見てない、誰にも愛されてないと泣いたろう。これは耳疾でそうなって遺書を書いたベートーベンのようにあからさまでないが、彼が珍しく父にそれを吐露した手紙の悲しさは胸を打つ。これだ。この時の心境がパパゲーノに投影されて、あの「1,2,3。。。」の首つりのシーンになったのだ。

アロイジア・ウェーバー

レオポルドの洞察力は後日のコンスタンツェとの結婚騒動においても発揮された。「そんなアバズレ女はやめとけ。母親は札付きのやり手婆あだ、ウィーン中で有名だぞ。みんながお前の噂をしてることを知らんのか」。この指摘は見ようによっては真実だけに父の書簡はコンスタンツェの検閲を通過することができなかったのだが、ベーズレ書簡がOKなのだからいいではないかと思うのだ。父の疑念はアロイジアの “結婚” の件に発していたと思われる。貧乏だった未亡人がなぜ大都会ウィーンの一等地で独身者向けの下宿屋オーナーの身分になれたのか?その金はどこから出たのか?松本清張の「聞かなかった場所」のような真相をコンスタンツェは隠したかったわけである。

ヨーゼフ・ランゲ

モーツァルトが初めてアロイジアに会った1777年ごろからウェーバー夫人は才能・器量とも上々のアロイジアの結婚相手を物色していたと思われる。それがウィーン宮廷俳優でバツイチ、3人の子持ちだったヨゼフ・ランゲという男だった。その妻はドイツ・オペラ劇場のプリマ・ドンナだったが病気がちで、2年後に肺炎で亡くなる。そこで3年越しの計画通りアロイジアが1780年に後妻におさまっている。劇場で前妻の後釜になれる利益もおいしかったが、ランゲが4フローリンの前払いと700ギルダーという終身年金を払ってそのころは寡婦だった母親の面倒も見る契約にサインしたことが決定打だった。

そんな上玉が現れたのだから就活旅行に失敗したモーツァルトがそでにされたのは誠にごもっともである。しかし後にウィーンにフリーランスとして出てきてヒット作を書き始めると母は態度を一変して自分の下宿屋に呼び込み、今度はアロイジアの妹(三女)コンスタンツェと巧みにくっつけることで、ランゲと同様に責任を取れ、契約書を書けと迫ったわけだ。これに烈火のごとく激怒したレオポルドは結婚を断固として認めず、シュテファン聖堂の結婚式にも現れず、ロンドンに行きたいので息子を預かってくれとのお願いも蹴り、モーツァルトも父の葬式に出なかった。この父子の円満で希望に満ちていた関係はこうして瓦解し、終焉した。その面だけを見ればたしかに悪い女に引っかかったと言えないでもないだろう。

この姉妹はその後どうなったか。アロイジアとランゲは1795年に離婚したと歴史はあっさり記しているが、これは驚くべきことだ。ウィーン生まれのランゲはバイエルン人であり、ランゲ家はモーツァルト家とも元からつきあいがあり、カソリックだろう。ウエーバー家も、コンスタンツェはモーツァルトとの婚姻はシュテファン大聖堂で挙げておりカソリックだ。なぜこの二人は離婚できたんだろう?なぜ誰も説明していないのだろう?そもそもしていたのは結婚ではなく「金銭授受権付の同棲」だったのではないだろうか。離婚ではなく「契約満了」だったとすると凄い話だが(1780~1795、ぴったり15年だ!)。

もうひとつアロイジアには不可解な謎がある。モーツァルトの庇護者だった皇帝ヨゼフ2世が彼女を嫌っており、何度か追放を試み、とうとう1788年にクビにしてウィーン宮廷歌劇場から追い出していることだ(皇帝の死後1790年に復帰)。この理由はいまだに不明とされており謎以外の何物でもないが、万が一私見の通りであり、それを神聖ローマ帝国皇帝であるヨゼフ2世が知ったとするなら、神に誓わない同棲婚しかも金が絡んでいるなど長期売春に等しく、劇場でしゃあしゃあと人前に顔など出すなということで納得がいく。アロイジアは母親の命令でランゲと関係を持ったのではなく、自分の意志でスターダムへの早道と選択したかもしれない。モーツァルトには本当に興味がなく、この二人は結ばれなくて良かったのかもしれない。

アロイジアは1829年7月、ザルツブルグで英国人ノヴェロ夫妻の訪問を受け、「モーツァルトの愛を拒んだことを悔やんでいる」と語ったという。そのころモーツァルトはすでにレジェンドだから、関わった女性は一人残らずそう言うだろう。上がった株を上がる前に買うべきだったと悔やむ人が99%を占めているのが世の中というものだ。買ったコンスタンツェは “持ってる女” だったというしかない。ランゲはその後に、おそらく契約金の要らなかった女中と再婚して1831年まで生きたが、彼は歴史に名をとどめている。アロイジアと結婚したことではない、画家でもあった彼の描いたモーツァルトの肖像画を知らないクラシックファンはいないだろうという意味でだ。コンスタンツェはこれを「彼の最高の肖像画」であると述べているが、ここで嘘をつく理由はないからそうなのだろう。

コンスタンツェは旦那の葬式にいなかった。これがひどい女だ、悪妻だとされる根拠の一つだが、いられない理由があったというのがモーツァルトの死の真相のヒントだ。葬式を無視するほど関係が冷えていたならその後にザルツブルグに住まなかっただろうし、故人の地元も歓迎しなかったろう。しかもその地で彼女は結婚に大反対され、その手紙を片っ端から廃棄した父レオポルドと同じ聖セバスチャン教会墓地に眠っており、墓碑の父の下はモーツァルトの母方の母、左上は姉ナンネルの子供、その下はコンスタンツェの叔母で「魔弾の射手」の作曲家ウエーバーの母だ。しかしこれではレオポルドを従えているようで、どうも僕は腑に落ちない。

ゲオルク・ニコラウス・フォン・ニッセン

デンマークの外交官でコンスタンツェが再婚したニッセンが最上位にあり、政治的なにおいがする。モーツァルトのメンター役で葬儀の一切を取り仕切ったスヴィーテン男爵もオランダの外交官であり1803年に亡くなっているが、ニッセンは在ウィーン臨時代理大使だった1797年にコンスタンツェと会い、翌年から同棲を始め、1809年に結婚している。その頃コンスタンツェは亡夫の楽譜や版権を使って出版社や国王から収入を得ており、借金は完済し終わったどころかひと財産を築いていた。彼女は悪妻で頭も悪いという人もいるが、これを見る限りやり手である。外国との交渉には外交官はうってつけでオンディマンドな男だったのである。スヴィーテンは年をとって役目は終わっていたし、もうウィーンに用はなくなった。夫妻がザルツブルグに定住したのは1820年で、3年後から伝記の執筆を始める。これがその後のすべての伝記のネタ本になるわけだ。

これはちょうどベートーベンが第九を構想していた頃であり、そのころにはモーツァルトはすでに押しも押されぬレジェンドだ。死因も墓地も不明のまま、すなわちウィーン宮廷の名誉は守られたまますべての秘密は闇に葬られた。伝記の執筆に当たってニッセンはナンネルからモーツァルトが記した400通に及ぶ手紙を預かったが、前述したが、コンスタンツェは自分を最後まで認めなかったレオポルドの書簡を大量に破棄した。それを「なかったこと」にした嘘の伝記を書いても異を唱える者はもう生きていないと踏んだのだろう、モーツァルテウムの設立に関わるなど天才の神格化を始める。おかしなことだ。天才はザルツブルグを見限って出ていったのだ。彼は不遇のパリ就活に出ていった時からこの街を捨てていた。帰って来るのに辟易していたから辞表を叩きつけてウィーンに逃亡したのであり、それを幇助したのが下宿屋のウェーバー家だったのである。

以上を俯瞰してわかったことは、コンスタンツェに悪意はなかったろうが、結果としてはウェーバー家がモーツァルト家を乗っ取った観があり、それを不快に思って別な墓所に入ったといわれるナンネルに共感する自分がいるということだ。ザルツブルグを愛していたであろうナンネルがそこにおらず、今日のいまだって天国で結婚を認めていないだろうレオポルドが、先に亡くなったことでまるで承服したかのようなあんな墓に入れられている。そしてコンスタンツェ-ニッセンの計略に糊塗された伝記と墓石に洗脳されたモーツァルティアンたちが長年にわたって築き上げた異を唱えるべからずの砦はポリコレの如しだ。僕がモーツァルトの伝記はおろか、事実とされていることも実は都市伝説だと信用していないことはこれまで縷々述べてきたとおりで、どこまでも真相を追いかけるつもりだ。

コンスタンツェ

コンスタンツェが浅はかで浪費家の悪妻だったという説は支持できない。モーツァルトは妻を手紙であまりほめておらず、そのことも「売れ残りを押しつけられたんだね気の毒に」と悪妻のイメージに寄与しているが、彼は同情されなくても十分にモテる男だった。そうではない、良くも悪くも賢い面を父に見せたくなかったのだ。「それ見ろ、世情に疎いお前はずる賢いウェーバー家にいいように騙されてるんだ」と火に油を注ぐのは目に見えていたからだ。僕はなんとなくだが彼はコンスタンツェを本当に愛していた気がする。ウィーンではアロイジアはもう昔の女で友達であって眼中にないのだ。浮名はたくさん流したが、それはそれこれはこれというのが彼の頭の中だ。だから姉妹もみんな好きで、長女のヨーゼファは最初の「夜の女王」を歌わせてあげているし、一番下のゾフィーは死の床にまでそばにいてくれている。本当にいい奴だったのだ、モーツァルトは。

コンスタンツェはスヴィーテンの庇護を得て(というより事の成り行きからうまく利用して)財を成し、彼のおかわりに同系統の能力を持つニッセンをつかまえた。ファンは外国に広がりつつあった(英国人が訪ねてくるほど)から通訳も必要で、執筆には筆力も要求された。充分な貢献をしたニッセンを貴族に列するよう計らってやったのは、自分に協力した功労者をスヴィーテン男爵と同列にしてねぎらったのだろうが、貴族を墓石のトップに置いて箔もつけたかった。これでモーツァルト家が下に来るのは仕方ないわねということになる。悪妻ではないが良妻でもなく、したたかなマネージャーの妻であったというのが僕の評価だ。モーツァルトにはそれがぴったりだった。彼女は音楽の才能はなかったが、母親のビジネスの才はしっかり受け継いでいたからである。

 

ソナーの投資成績はイチローの2倍

2023 JAN 26 7:07:09 am by 東 賢太郎

我々が2年前に投資した会社にサウジ国営石油が出資を決めた。株価はすでに5割あがっており、来年に上場して10倍ぐらいになるというのが今の市場予測だ。株に絶対はないが、その不確実性は確率でしのぐことができる。イチローや大谷の打撃にだって絶対はない。しかしシーズンを通せば3割は打つだろう。これが確率の考え方だ。未公開株は倒産したり換金できないリスクがあるが(これが凡打だ)、10打数2安打で合格、3安打なら上出来のリターンが期待できるというのが一般常識だ。例えば10億円を1億円づつ10社に投資し、8社が倒産しても2社が上場して10倍なら総額は20億円(2倍)になる。10打数2安打で合格とはそういうことだ。

冒頭の会社も成功が見えたので、ソナーのこれまでの実績は5社投資して4打数3安打(1社は投資中)になる。打率7割5分は異例に高い(業界平均は2割ぐらい)というか、もはや異常値だろう。理由は簡単で、案件のご提案はたくさん来るがほとんどお断りしているからだ。普通の会社は投資残高をふくらませると管理手数料が増えるので「下手な鉄砲、数うちゃあたる」になりがちだ。従業員が多いと固定費が高く、食わせるためにもそれが必要だ。「確率は件数が多くないとワークしない」という理屈でそれが正当化される傾向がある。

それは疑問だ。野球なら「悪球打ち」であり、そんな打者が三冠王になったためしはない。業界平均はそういう人達の平均なので我々には全く関係ない。僕はファンド業界で育った人達とは申しわけないが毛並みが違う。40年株式市場で生きてきた選球眼に自信がある。だから「好球必打」しかしない。提案をお断りするのはボールだからで、ストライクなら振るし、振れば75%は安打にしている。僕自身が社長というよりプレーヤーなので社員は8人しかいらない。お客様には「イチロー並に打ちます」と宣言し、イチローの2倍打っているというのが現状のデータだ。

先週に40名ほど社員のおられるフィナンシャル・プラナー(FP)の会社様とご縁ができた。いまソナーは6社目の投資案件を進めているが、これは今までのどれよりも「ど真ん中のストライク」であり、安打しないと不思議というぐらいの好球である。同社様との第1号案件として良い結果を生むだろう。また、冒頭の会社様も上場前に追加増資があれば再度ソナーを呼んでいただけると確信している。近年、営業力のある証券、銀行の若手社員が退職してFPになるケースが増えているが、優良投資案件を持続的に提供できないと富裕層のお客様はつなぎとめられない。ソナーと組んでいただけば顧客満足度は高まると自負している。

我々は少人数主義を変えないので多くの個人投資家様に対応することはできない。したがって我々の案件にはこれまで一般のアクセスができなかったが、今後は取引先のFP会社様を通せば可能になるだろう。

 

 

これからやってくる「オンディマンド時代」

2023 JAN 25 2:02:12 am by 東 賢太郎

What can you do for me today、Mr.Azuma(東さん、今日は何をして下さるのですか)?」

約束の時間ちょうどにドアが開いて現れると、足が自由でないS氏は無言のままテーブルの向こう側にゆっくりとまわって、僕の真正面の椅子に大儀そうに腰かける。英国王室御用達のGIEVES & HAWKES製と思われるスーツに身を包んだ40がらみの小柄な紳士だ。にこりともせずノートを開くと、検事が尋問内容を書き取るみたいにしてペンを構え、僕の目を見て2、3秒ほど完全に静止する。そこで決まって口から出る判で押したように毎回まったく同じ冒頭の質問が挨拶代わりなのだ。「今日は**株を買ってほしくて来ました、Sさん」。僕の答辞もいつもおんなじこれにしていた。

そして「なぜそれを買うべきか」をゆっくりと話す。今日はペンが動かない。ああだめかな。案の定、5分ほどで彼は Thank you. と小声で僕を制止し、立ちあがって慇懃にドアに向けて送り出す格好をする。無言のお払い箱なのだ。この屈辱はいま思い出しても耐え難い。大英帝国植民地の支配者たちはこんなだったのだろうかと思った。しかし、これでめげては任務は勤まらない。何回かに1度はペンがサラサラ動く時もある。すると今度はネガティブな質問の矢がこれでもかと飛んでくる。うまく身をかわさないと即死。やはりご苦労さんのゲームオーバーなのだ。だから予定の30分を無傷で満了すればまず成功と考えていい。この場合は勇躍オフィスに戻る。何時間か、今か今かと待っていると、夕刻に電話が鳴る。来たぞ!!周囲がシーンとなって聞き耳を立てる。お薦めした**会社株式の数十億円分の買い注文執行が厳かに委託される。わかりにくい英語だ。聞き間違えたら一大事で、2,3回も確認のリピートをする。周囲はそれでわかる。受話器を置くと大拍手が起きる。代々ノムラでS氏のアカウントを担当できるのはエースのしるしなのだが、裏舞台ではこうした緊迫の綱渡りが行われていた。

S氏はノムラが最大手だからといって手心を加えて注文をくれることは一切なかった。世界一の証券会社だと思いあがっていた当時の社内では批判するムードがあったが、相手は10兆円も運用する世界一の機関投資家であり、S氏はそこで認められ雇われているマトモな人物なのだ。だからオーダーが少ないのはこっちの実力不足なのだと僕は擁護していた。批判する人たちはその緊迫の裏舞台など知らないし知ろうともしないし、特に東京本社などアホばかりで想像だにしてない。全盛期の野村の内部もレベルはそんなもんであり、わけもわかってない奴らが偉そうなこと言うなという気持があった。S氏が本当に平等だったことは毎回のプレゼンの自分の出来不出来でわかっており、その感触通りの結果になることで体感したプロの自負があったのである。その方法でこそ良質の情報が集まるということを逆に目の前で教わり、ビジネスは正攻法に勝るものはないことを思い知った。できれば人間関係で仲良くなってビジネスしたい怠惰な僕だったが、勉強と訓練という正面突破で注文をいただくしかなく、おかげ様で力をつけてもらったことを今も感謝している。

1980年代当時のロンドン。stock broker(証券マン)とfund manager(機関投資家の運用者)の仕事は大なり小なりそんなものだった。運用者はひっきりなしに数多ある各社の証券マンの訪問を受け、毎日何十もの「なぜ買うべきか」を聞く。腑に落ちれば買い、そうでなければ無視し、用がない株は売り、それを年末まで毎日くり返すと、1年間の相場のすったもんだの中での彼の “ファンド運用成績” が出る。これが運用者の通信簿だ。ファンドの運用益が増えていれば彼の会社はそれを宣伝してお客が増える。だから彼の出世と報酬はそれにかかっている。こちらとしても、推奨の成果で彼の信任を得ればそれに貢献したお駄賃としていただく手数料が天文学的に増えたから通信簿であり、日本国内の支店では想像もできないだろうが毎月数千万円、トップセールスである僕は他の顧客も入れるとピーク時は毎月3億円の手数料収入があった。後に社長になるドイツ、スイス、香港現法の店の収入ぐらいをひとりで稼いでいたことになる。

80年代、高度成長を成し遂げた日本の株式はシティで注目の的だった。一般の個人や年金基金は買いたくても情報がないので運用会社にお金を委託して日本株に投資してもらっていた。株式投資の元祖である英国には古くから世界的に著名な運用会社が数多くあり、良い成績を上げて委託資金を増やす激しい競争がくりひろげられていたのである。だから各社は日本株運用部門を設けて英国人でキャリアのある専門家(fund manager)を雇ったが、日本語ができない彼らは株を選別する有能な日本人証券マンの情報提供が絶対に必要だったのだ。この関係は花と蜜蜂に似ている。蜂は蜜を求めて花に群がる。花は蜂が来ないと受粉できないから蜜は惜しまなかった。だからロンドンには日本の証券会社が中小から銀行系に至るまで、甘い蜜の匂いを嗅ぎつけてウンカのようにこぞって現法をつくり、失礼だが英語もままならない程度の営業員をおいてでも注文の片割れをもらおうと猛烈なセールスをかけていたのである。日本の証券業界の歴史において1980年代のロンドンほど巨大なビジネスチャンスがあったことはない。その時代に6年そこにいて、ノムラというダントツ世界No1の会社の株式営業デスクのヘッドだった僕は幸運だった。

その蜜が売買手数料だ。当時はそれが公定であり自由化される前だった。だからネゴや割引の余地がなく有能な運用者よりも有能な証券マンの方が年俸が高かった。僕にも水面下で外資から凄い年俸のお誘いが来たが、それほど日本株ブームはロンドンを席巻していた。日本企業のサラリーマンだから僕の給料はまったくたいしたことなかったが、それでもシティではノムラの名刺はいっぱしのバリューがあって普通の人でも名前ぐらいは知っており、まさに肩で風を切って歩いていた。日本の文化まで流行になり、ロンドンに日本食レストランが増えだしたのもこのころだ。ただ我々の労働環境は過労死しておかしくないほど常軌を逸しており、出社は毎朝6時半、東京本社株式部と連絡をとり、調査部から情報を収集し、昼間は蜜蜂としてシティ中を飛び回り、夕刻には運用者の自宅にまで電話をかけ、深夜1時2時まで会社で翌日の準備のための侃々諤々の会議をした。中世の奴隷だってもう少しは楽な暮らしだったろう。

リーマンショックと共にそんな夢舞台は消えた。しかしあの What can you do for me today?の記憶は強烈で忘れない。「君は僕に何をしてくれるの」?いやあ、なんて本質を突いた質問なんだろうと感動すら覚える。「はい、賄賂を差し上げます」という事件が最近あった。民間人だって「おいしいことしてあげますよ」と “税金たかり屋” どものコネ、ヌキ、談合、身内贔屓みたいな “ズル” は横行している。ところが、これが軽いタッチでひょっこり内部告発されるのは防ぎようがない。ネットで大炎上してさらし者になり、一瞬で罪人だという「私刑」が科される。何を弁解しようと書かれたらサーバーに残って永遠に汚名は消えない。したがって、会社経営も裏口**みたいのが表に出ると非常にまずい時代になったと考えるのは常識だ。社会的責任に欠ける、サステナブルでないと社会的制裁を受けたらつまはじきになって、世界の機関投資家はSDG、ESGを満たさない会社は自動的に投資しないから株価も下がる。すると大株主でもある彼らは社長の首を株主総会で切るだろう。だから大企業であるほどひとたまりもなく、これからは上場しているメジャーな企業が率先してビジネスを正攻法に収斂させていかざるを得ないのである。表ではコンプライアンス重視をうたいながら水面下で品質不正やリコール隠しをしていたような企業は、いくら新聞、テレビの表の報道を制御しても、ネットだけで世の中を見る人のイメージを覆すのは至難の業だ。その人口は間違いなく大多数になり、新聞、テレビしか見ない老人は死んでいく。僕は日本人が善人になると言っているのではない、ポリコレに弱いから最も安心な正攻法になるしかないのだ。正攻法の権化であったS氏の質問は、いわば未来を予見していたわけで、ますますストライクに思えるのである。

僕がテレビを見ないのも、日経新聞の購読をやめてしまったのもそういうことなのだ。 You can do nothing for me today (今日も何の役にも立たないね)と、見ながら毎日感じるようになったからだ。見逃したから経営を誤ったとか相場で損したなんてことは一度たりともないしこれからも確実にない。情報も娯楽もオンディマンドで完全に足りる時代であることは高齢者で ITリテラシーに欠ける僕ですら実感してしまっている。ペンが動かない証券マンは5分でお払い箱。これは冷徹ではあるが、メディア業界であれなんであれ、「ビジネスの基本原理だった」ということが白日の下に明らかになりつつある。原理は世の東西も時代も問わず不変なのである。正攻法でやるためには血縁や義理や私情はもちろん旧習や思いこみやノスタルジーなどばっさりと断ち切るしかない。それにしがみついて利益が出ていても、サステナブルでないと世間が冷徹に烙印を押す時代になってしまっているからだ。S氏は優良な情報を永続して集める必要があった。だからノムラと親密にしなかった。高い手数料を払うのだから情報は集まると冷徹に計算し、オンディマンドで各社の証券マンを呼び集め、競わせたのだ。お金に人情はない。冷徹なものだ。だから冷徹こそお金を増やす正攻法以外の何物でもないのである。衰弱する日本企業はどんなに人情経営が好きであろうと、どんどんその流れに飲まれていかざるを得ないだろう。

ということは雇用市場で何が起きるか、賢明な若者の皆さんはもう結論が見えただろう。What can you do for me today?すべての仕事において、あなたは雇用者やお客さんにそう問われる時代になるのだから、それに決然と答えられるようになればいいのだ。雇用者は、必要な「do」をしてくれるならロボットや AI でぜんぜん構わない。コストも安い。だから人間しかできない「do」を見つけることだ。例えば、僕の今の仕事は AI には絶対にできない。人間でできる者もまずいない。こうなれば確実にお客様から代金をもらえるし、資産を増やしたい人が減ることはないだろうから希少性からすれば今よりもっともらえる時代になるだろう。中世の奴隷以下の仕事は大変な意味があった。そんな経験は誰もしたことがないから鉄壁の参入障壁であり差別化要因になったのだ。お金をもらいたければ意味のある事を必死に勉強し、しのほの言わず粛々と訓練を積むしかない。これを当たり前と思わないならあなたは世間に甘えがあるが、世間はあなたを甘やかすほど余裕はもうない。

いい大学へ行けばそう教育してくれるだろう?とんでもない。米国留学した者はわかる。日本は明治時代とほぼ変わらない教育を営々とやっている浮世離れした大学ばかりで、そもそも存続する価値がないばかりか、そこのディマンドに合致するからという理由で雇われてる先生たちにその能力がないことぐらいちょっと考えれば誰でもわかるだろう。誰でもわかることで嘘をつくのは大変に難しいのだ。テレビで偏向情報や屁理屈をたれ流しているコメンテーターの類はみんなテレビ局や自分の利益のためにポジショントークを売る嘘つきだが、そんなもので騙される人は世代交代とネット情報への依存度アップで急速に減っていくからこの連中もやがて消える。そうして新聞、雑誌と同様にテレビも存在価値を失い、お茶の間には「かつてテレビと呼ばれた受像機」がネットでオンディマンド番組を見るためだけに残るだろう。

そうなると、今の意識のまま漫然と大学に行って漫然と就職して生きてるあなたも、滅びる職業についてしまっている確率が高まっており、もしそうならやがて失業するか、しないまでも失意の人生になりかねない。では何を職業にすべきか、どこに就職すればよいのか。そこで週刊誌の大学生の就職人気ランキングなどに頼るならもう人生終わりである。「あなたは何ができますか?」が入社試験で、採用もオンディマンドになるのだから「学歴」や「青田買い」など戦後の集団就職と同じぐらい死語になり、ディマンドのある教育を施せない大学は潰れて、あなたのゼミの先生も失業するのだと頭の中でシミュレーションをしておくことをお薦めする。「東大卒?あっそう、で、キミ、何ができるの?」。あのころ、できることなど何もなかった僕は今なら思うような就職はできないだろう。しかし、16年海外にいたので、日本でしか通用しない学歴のおかげでこうなったわけではないことが証明されている。東大卒でなくてもノムラに入れなくても、きっとなんとかなっただろうというぐらいの自負は持っていいと思っている。

ちょっと考えれば誰でもわかるだろう。東大にそんなに価値があるならそこで教えてる先生は企業から引っ張りだこになるはずだが、そんな話はついぞ聞いたことがない。僕がウォートンスクールで証券分析論を習ったM先生は前年までウォールストリートでもトップクラスの高給取りであるメリルリンチの役員だった。そんな雲の上の人のリアルな講義が半年も聞け、実技指導までしてもらえる。これが年2千万円の高い授業料を払ってでも行く価値のある大学というものでなくて何だろう。お断りしておくが、僕は大学が職業専門学校だと言ってるのではないし、学問と教養が人間形成において必須であると何度も主張してきたし、母校である東大を心から愛しているし、後輩たちには日本国をリードする人材になって欲しい。だからこその苦言なのだ。

しかし僕ごときの批判で東大が変わることは99.99%ない。なぜか?明治時代、富国強兵のために東大は創立され、それイコール国家であり、その知恵があるから日本国は世界最速の成長を遂げて一流国になることができた。それが今や世界大学ランク39位で毎年ずるずると下がっており、それがいつまでも1位である日本国も、GDPは今のところ世界3位だが実は39位ぐらいへの下降線をたどっている。東大はその先行指標ではないか。これは皆が思ってるが認めたくないことなのだ。だから言わない。言っても変わらないのに言わないのだから「99.99%東大は変わらない」と言ってる僕が正しい確率は99.99%以上だろう。そんなにテッパンで変わらないものを変えろと一人で声高に叫ぶなど見苦しいだけだからプライドにかけて言わない。この思考回路のどうどう巡りゆえに東大に限らず日本の保守的なるものはどんなに凋落しようと何十年たっても遺跡のように「変わらない」のである。

大人たちは自分もその価値体系のおこぼれにあずかっていい思いをしてきたし今もしている、だから自分が生きてもいない20年後はもういいやと諦めてるのだ。自民党の議員もそうだ。2028年には中・露を合算した軍事予算は米国を抜き、水爆を1500発保有して30分で本土にいる米国民を1億人殺すことができるようになる。その中露が日本に核爆弾を打ちこんだら米国が代わりに中露と核戦争をしてくれるだろうか?するわけないだろう。もう核の傘なんてものは存在しないのだが議員は誰もこれを言わない。マスコミも言わない。言わないのは噓つきだとさえ誰も言わない。防衛予算をGDP比2%にして在庫処分のトマホークを買っても中露は痛くもかゆくもないことも議員は誰も言わない。こんな腐った連中が政治をやってる。20年どころか10年もたたないうちに日本はとてつもなく見たくない景色の国になってしまうのではないか?そのころリーダーになる若い皆さんにはおこぼれすら枯渇しており、戦うエネルギーも枯渇してないだろうか。心配でならないのだ。だからこれを書いておくのは、何もおきなくても若者の心に警鐘を鳴らせればいい、それが税金で勉強させてもらって海外でいろんな経験を積ませてもらった一国民の責務と考えた次第だ。ちなみに僕が採用したいのは東大卒であってもなくてもいいが「やるべきことは雨が降っても槍が降っても最後まで責任持ってやります。やらなかったら坊主になります」という人だ。

 

 

 

ハイドン 「戦時のミサ ハ長調」Hob.XXII:9

2023 JAN 22 16:16:30 pm by 東 賢太郎

フランツ・ヨゼフ・ハイドンへの興味は尽きない。音符も読めない車大工と料理女がつくった息子が音楽家になることはあろうが、その息子が死後に骨相学の信奉者によって頭蓋骨が盗まれるほど遺体に関心がもたれた天才だったなると、そんな人間は他には脳のスライスが科学者に研究対象として共有されたアインシュタインしか知らないのだから尋常な心持ちではおれない。その才能はどこから来たのだろう?なぜ埋もれていたのだろう?いや、それ以前に、才能とは一体何なんだろう?モーツァルトもベートーベンも、遺体が掘り返されて不思議でない天才ではある。しかし、彼らは、もっと言えばワーグナーもショパンもシューマンもブラームスもブルックナーもチャイコフスキーもだが、伝記を読む限り人としては普通でなかった。まあ天才だから。ところがハイドンはというと、僕が感知する限り、普通の「いい人」なのだ。

彼のアウトプットは、質×量を数値化すればあらゆるジャンルの天才の最大値に近いだろう。それでいて「いい人」で上司や同僚にお追従のひとつも言えなければ勤まらないサラリーマン人生を30余年も平穏に送って出世をし、お暇が出てロンドンで一旗揚げて富裕になっても「また帰って来てくれ」と雇用者が懇願し、そこで作った曲は慕われて国歌になってしまう。それなのに、彼には「頑張ってます感」があっけないほど漂っていないのだ。こんな人は見たことも聞いたこともない。ベートーベンやショパンやムソルグスキーの肖像画を思い浮かべていただきたい。天才は近寄りがたい圧があり、苦悩に満ち、人生に病み、あるいは浮き世は我関せずの目線を放っていたりするのが常なのだ。

Franz Joseph Haydn(1732 – 1809)

かたや、このハイドンさん、実はロココ調のレストランでソムリエのバイトしてておかしくない。「ワイン・リストはこちらでございます」「そうね、ブルゴーニュの明るめのこんな感じで予算こんなで3つ」なんて言うと気の利いたお薦めがすぐ出てきて、「年がねえ」なんて独り言に「お待ちください」とワインセラーにとんで行って「お客様、1本だけございました」なんて持ってくる。ハイドンさん、そんなひと世の中に絶対にいないんで、これ最大の賛辞なんで。でもこの感じじゃないと交響曲第96番は書けない、これも絶対に。じゃあいったい何なんだ?あなたは何者だったんだ?これぞ “Miracle” でなくてなんだろう。

1795年、2度目のロンドン滞在の最後の年に交響曲第102~104番の作曲を終えてウィーンに帰ったハイドンはもう交響曲の筆を折っていた。63才からの最後の時間を傾注したのはミサ曲とオラトリオの作曲である。

ニコラウス・エステルハージ侯爵

旅行中に新しく位についたエステルハージ侯爵ニコラウス2世の要請でエステルハージ家の楽長に再び就任し、妃の命名日に毎年ミサを書くことになる。それが後期六大ミサと呼ばれる6曲、《戦時のミサ》(1796),《ハイリゲミサ》 (1796),《ネルソン・ミサ》(1798),《テレジア・ミサ》 (1799),《天地創造ミサ》(1801),《ハルモニー・ミサ》 (1802)である。そして誰からの注文でもなく自主的に書かれたのが2つのオラトリオ、《天地創造》(1798),《四季》(1801)である。今の僕はテレジア・ミサを書いた頃の年齢で、ハイドンのこの豊穣の中にまだいることは一抹の安堵を与えてくれる。

《天地創造》作曲にはザロモンとスヴィーテンが深く関わっているが、ハイドンの内面に芽ばえた契機として考えられるのは、ウエストミンスター寺院でのヘンデル記念祭で《メサイア》を鑑賞し、エステルハージの小編成でなく大編成の楽団とコーラスで宗教音楽を書きたと思い立ったことだろう。僕もロンドンでメサイアを聴き圧倒的な感銘を受けたがモーツァルトもハイドンも受けたのだ。これを書いた5年前よりマタイ受難曲にはずっと目覚めているが、宗教的コンテクストと関係なくロックとして宗教音楽をきける我がスタンスは健在だ。

ヘンデル「メサイア」(Messiah)HWV.56

《戦時のミサ》はイタリア語でMissa in Tempore Belliで、ハイドンがスコアに記した曲名はこれだが、アニュス・デイでティンパニが活躍するため『太鼓ミサ』(Paukenmesse)とも呼ばれる。なぜ戦時かというと、ハプスブルク家がフランス革命戦争(イタリア戦役)で第一次対仏大同盟の一員としてナポレオン・ボナパルト率いるフランスと交戦し、大苦戦していたからだ。ウィーンに攻め込まれ敵軍の大砲が鳴り響いたのを模したのがそのティンパニであった。

ピアリスト教会の内部

初演は1796年12月26日にハイドンの指揮でウィーンのピアリスト教会にて行われた。ハイドンは完成したすべての楽譜の最後に「神に賛美を」という言葉を加えたほど信仰心が篤くTempore Belli(戦時下)の終息を神に祈るミサを書いたと考えるのが自然だが、ハンガリー国よりハプスブルグ家に忠誠を誓うエステルハージ家の家来としての立ち位置からの忖度がなかったとも言い切れないだろう。写真を見るに大きな教会ではなく管弦楽、合唱ともおそらく小編成で、現代の編成できくよりも相対的にティンパニの音量が大きく、Paukenmesse のニックネームがつくに至ったのではないか。

興味深いことに、ベートーベンはミサ・ソレムニスのアニュス・デイで、トランペットに軍楽隊のパッセージを吹かせ、フランス軍の太鼓であるティンパニを轟かせるというハイドンとまったく同様のことをしており、さらにはトロンボーンに誰もが出所のわかるパッセージを吹かせている。

ルドルフ大公

言うまでもなくこれはヘンデルのメサイア(ハレルヤ)であり、引用どころか堂々たるパクリのレベルだ。ハレルヤのこの旋律の歌詞は「そして彼は永遠に君臨する」(And he shall reign for ever and ever)である。献呈はオロモウツ大司教として即位したルドルフ大公だ。この人はしたがって聖職者になったわけだが、キャリアの当初、ベートーベンに弟子入りしたころまでは軍人だった。それを斟酌したパトロンへの精一杯の忖度だったのである。

メサイア全曲のフランス初演は1873年であり、モーツァルトが管弦楽に手を入れたとはいえ演奏はスヴィーテンのサークル内だけで、ミサ・ソレムニスが書かれた1823年当時のドイツの一般聴衆がこの引用に気づいたとは思えない。ピアノ・作曲の弟子でもあったルドルフ大公は、自身に献呈された皇帝協奏曲の試演で独奏者をつとめた程のスーパー・アマチュアであり、この「本歌取り」が通じたから忖度になったと推理する。

このことはベートーベンが先生であったハイドンの《戦時のミサ》のアニュス・デイを研究した痕跡であり、これまた興味深いことに、そこではトランペットでこれがフォルテでくっきりと鳴るのだ。

普通の耳しか持たない僕でさえ記憶に焼きついているこれが、第5交響曲を作曲前のベートーベンの脳裏にあったとして何ら不思議でないだろう。

ハイドンの《戦時のミサ》はそれよりもずっとリアルな「戦時」に書かれたから祈りがあると考えるが、この曲は自作を含む数々の影響から成り立っている。グロリアの冒頭は自作の交響曲第96番「奇跡」のMov1冒頭であり、クレドの開始部分は前出のハレルヤ「そして彼は永遠に君臨する」であり、さらに顕著なモーツァルトの影響というと、グロリアの「Qui tollis」は魔笛の「おおイシスとオシリスの神よ」、クレドの「Et incarnatus est」(ハ短調)はザラストロとパミーナの掛け合い、「et vitam」は「ザラストロ万歳」だ(ライオンが出てくるところ。両者ともハ長調であり、やはり同調のリンツ交響曲と同じリズムで終わる)。そしてベネディクトゥスの出だしはドン・ジョヴァンニである。

ハイドンがパクリだと書きたいのではない。彼は63年生きていろんな音楽が頭にあって、そのスープからいろんな味を引き出すことが作曲だったのだ。僕も60年クラシックを聴いていろんな音楽が頭にあって、そのいちいちが耳に入るものと共振するのを楽しむのが鑑賞になっている。《戦時のミサ》は104曲も歴史に残る交響曲を書いて、いや交響曲なるものを地球上に送り出した、その天才が教会音楽というフォーマットで産み落とした傑作だということを書きたい。

この曲は反戦を訴えたバーンスタインが得意としており、再録のバイエルン放送響との演奏が有名だが、僕は1973年に録音されたニューヨーク・フィルとのCBS盤の方を愛好している。この演奏が発散する熱量と気迫は尋常でないからで、何万とあろうスタジオ録音なるものでもこんなのはざらにない。録音がベトナム反戦運動のさなかであったことと決して無関係ではなかろうが(同年3月までにアメリカ軍はベトナムから撤退している)、スタジオではそういうものを出さないのが普通のプロだろう。彼はプロだが普通の人ではなかったのだ。

前から不思議に思っていたが彼は60年代の駆け出しのころからハイドンをやけにたくさん振っていた。派手好きなイメージを持っていたので違和感があった。いや、彼はハイドンが好きだったのだ。ハイドンは会ったことないがバーンスタインはある。そうか、彼も「いい人」だったっけ。

プレゼンはパフォーミング・アートである

2023 JAN 20 23:23:18 pm by 東 賢太郎

幸い健康でいまでも丸一日仕事して平気であり、視力は1.2だし5キロは走れるし年齢記載欄にはうっかり57と書きそうになる。今年はコロナもインフルも無視でどんどん外に出ており、出れば出るほどリズムが戻り、発想からプレゼンまで現役である。WBCの選抜メンバーを見ると野球選手は35才あたりで峠を越えるようだがビジネスマンは足腰立たなくなるまでプレーヤーでいられる。

性分というのは変え難く、新しい地平が見えてくると突進したくなる。知らない景色が好きなのだ。僕にとって投資は金儲けでなく新開地だ。それが次々とインスパイア(inspire、鼓舞)してくれるから老けこむ暇はない。同類の人と出会うと、それがまたインスパイアになるから大事にする。同類ではないが薪をくべてそれを助けてくれる人もいる。これまた大変に貴重なご縁なのである。

社内であれ社外であれ人を説得しないと進まないからビジネスというのはプレゼンで成り立っているといってよい。ところが論旨明解で弁が立ってもお客様が買ってくれる(お金が動く)とは限らないところが面白い。相手を動かすのは自分がインスパイアされてるからで、その熱量が成否を握る。プレゼンの技術など考えたこともないが、相手に伝わる熱があることはそんなものの百倍も大事だ。

以前に「行動を促す情報がインテリジェンスだ」と書いた。熱量は情報でないからそれではない。つまり陳腐な情報を並べ立てるなど論外だが、立派なインテリジェンスをもってしてさえも「売れる」わけではない。熱量は感性に訴える。それが共感を呼んで行動を促す。これは音楽の名演奏がスタンディング・オベーションを引き起こすのと同じで、人間は理屈だけで動くわけではないのである。

つまりプレゼンは弁論大会ではなくパフォーミング・アートの一種なのだ。これをわかってない人があまりに多い。かつてのこと、部下が100ページもある詳細な資料を作ってプレゼンに臨み、目の前に並ぶお客の顔も見ず延々と読み上げたことがある。ふと見ると数人が舟をこいでいた。きみ、それ3ページでいいんだよ、相手の目を見てアドリブでやりなさいと教えたがその後どうなったか。

僕は音楽演奏は暗譜が望ましいと思う。現に歌手は3時間ものオペラをそうして歌っているのであって、それこそプロだ。ビジネスのプロでありたいならプレゼンごときは暗記してその場の雰囲気を読みながらやれよと言うしかない。それができないなら仮にインスパイアされても熱量が伝わるはずないのであって、つまり、物が売れなかったり社内で予算が付かなかったりしてむしろ当然だ。

スティーブ・ジョブズのプレゼンは静かだが自分が造った製品への愛と感動(インスパイア)がある。まねてる日本の経営者がいるが熱がなくド真面目なサラリーマンがカラオケでサザンを歌ってる感じだ。ハーバードのサンデル教授の講義など内なる熱量でよほどジョブズに近い。米国はビジネスマンはもちろん、学者ですらパフォーミング・アートだと心得ており、だからサンデルは人気なのだ。

僕は野村時代に日本各地の大学、オランダの大学で証券市場論の90分講義をたくさんしたが、ネタは同じなのに一度として同じ話になってない。学生が理解してるかどうか肌で感じながらアドリブでしたからだ。あれでフルトヴェングラーやミュンシュのライブ録音が毎度違う理由がよく分かった。何度ボレロを振っても同じタイムだったトスカニーニすらライブのブラームスは違ったのである。

大変な秀才であった100ページの彼はクラシックを知らないか教養と思ってるだろうが、僕が知るビジネスでトップクラスの人はみなそれなりにアート好きだ。プレゼンをしなくて良い超富裕層は大概がアートのコレクターである。

ベートーべン ヴァイオリンソナタ第5番ヘ長調 「春」Op.24

2023 JAN 13 23:23:31 pm by 東 賢太郎

先日、池袋のジュンク堂に立ち寄った。神山先生の帰りだ。渋谷Book1st、神保町三省堂、八重洲ブックセンターと大書店が次々に消えている昨今、本屋は僕のコックピットだからここだけは末永くお願いしたい。

しばし漢方のコーナーで嬉しいぐらいたくさんある書籍をあれこれ見ていたら、妙なるヴァイオリンの調べが不意に天から降ってきた。しばし金縛りで動けなくなってしまった。

誰が呼んだか「春」。ベートーベンの書いた最も美しいメロディーと思う。

降ってきたとき30~31才。交響曲第1番より後だ。すでに重い難聴に襲われており、自殺しようと遺書を書くのはその翌年だ。

内に住む悪魔と闘う。

シューベルト、シューマン、ブルックナー、ブラームス、みなそうであり、みなベートーベンを意識した人たちだ。僕も彼の音楽をそれぬきに聴くことはない。

それにしても最晩年のカラヤンがつくった彼の音楽、ああいう音響体をどういう言葉で描写したらよいものか。娯楽に流れると消えるもの。それは悪魔を見ないように自ら懸命に追い込んだ魂の気配だ。

モーツァルトの同作と同様まだジャンル名は「ヴァイオリンの助奏付きピアノソナタ」であったが5番は脇役のはずのヴァイオリンがいきなり楽譜の旋律を奏で、聴き手を百花繚乱の園に導きいれる点で、場違いな言葉ではあるが、僕にはショッキングである。スケルツォ入りの4楽章に初めてするなど「春」は大変な野心作だ。

遺書を書きながら野心もある。彼はすぐれて二項対立的な人で、プライベートには女性にその解決を求めたが得られず、それがすべからく音楽に向かった。この曲の「春」になる性質は女性なくして考えられないが、同時に、旧作(ピアノ協奏曲第1番)にもあった前衛的和声の意図的混迷はここでもMov1コーダ直前の両楽器の対位法的進行に現れる(大元はモーツァルトだが)。彼はアバンギャルドだった。それのほとんどは奇天烈に終わらず後世に継がれたが、いまもって不思議がたくさんあり興味が尽きない。

 

エリカ・モリーニ(Vn) / ルドルフ・フィルクシュニー(Pf)

モリー二の音は細めだが冒頭からめざましい。歌心と色香が匂いたち、一気に引き込まれてしまう。Mov1第2主題でのギアチェンジなどメリハリもある。フィルクシュニーの深い陰影のあるタッチがこれまた素晴らしく、僕は彼のモーツァルトをボストンで聴いたがそれを思い出す。何やら調律が特別に良いのではないかとすら聞こえ、Mov4の長短調の交叉はこれでこそ活きる。1961年録音。

 

アドルフ・ブッシュ / ルドルフ・ゼルキン

Mov1のテンポ。ハイフェッツ盤とこれが本来のアレグロと思う(こちらの完成度が上だ)。インテンポで遊びはないがドイツ流の王道だろう。ナチス独裁政治が確立した1933年の録音だが、90年たっても古びた感じがしない。

 

フリッツ・クライスラー / フランツ・ルップ

1935年録音。Mov1から川のように流麗。クライスラー一流のポルタメントを駆使して存分に歌う。Mov1第2主題の加速があり音楽は喜びに満ちる。リズムにエッジを欠くのでMov3の諧謔はいまひとつだがMov4には歌が戻る。機能性が売りの現代のヴァイオリンのアンチテーゼであり、19世紀のサロンで弾かれていたムードはこんなではなかったか。

 

クリスチャン・フェラス / ピエール・バルビゼ

こちらはフランスのコンビ。フェラスは華やかだが品格があるのが好み。テンポの揺れや間のとりかたは長年の息の合ったアンサンブル。Mov2のギャラントだが深みのある表情は随一と思う。

 

ジノ・フランチェスカッティ / ロベール・カサドシュ

こちらもフランス組だ。フランチェスカッティのヴィヴラートは19世紀の余韻たっぷりだが、たっぷりめのテンポにもかかわらず甘ったるい演奏とはきっぱりと一線を画している。それはカサドシュのクリアに引き締まって滋味深いニュアンスに富んだピアノあってのことだ。これが支えてこそヴァイオリンが雄弁に歌いきる。ラヴェルが結びつけたこのコンビが一世を風靡したのは異なる個性の相性の良さによる。ピアノだけ取ればこれとフィルクシュニーが双璧だろう。

 

ジョシュア・ベル / エマニュエル・アックス

youtebeにある米国人コンビのライブ。ベルはフランクフルトで聴いたシベリウスの協奏曲が衝撃の名演で今も忘れない。彼は当時25才で「末恐ろし」と思ったが、昨年55才でのこの演奏、Mov1で拍手が入ってしまうような場にもかかわらず実に素晴らしい。かかわらずというか、こうして聴衆がノッている、ビビッドに反応してくる場というものが作曲当時にはあったのだ。アックスのピアノがこれまたブラボーで、ベルと競奏したりなんら名技をひけらかすわけでもないが、安定した「大人の演奏」は最高の満足を与えてくれる。スタジオでアイコンとして残すべくする演奏も良いが、こうして音楽が生まれる場にいることも、これまた人生の贅沢である。旬であるこういう人たちのアートが「新譜」として出てこない世の中になってしまったことが実に恨めしい。Mov3、最後の1音までズレまくる(スケルツォとはこういうお遊びのことだ)、ベートーベンの聴衆は笑って湧いたに違いない!Mov4の不意の短調にも!これがポップスだった時代の情景が浮かんでくる。くそ真面目に上手に弾くだけの演奏と格が違うと言ったらいいか、そういうものも含めての “文化” なのだ。クラシックは、クラシックと呼ばれるようになって「古寺巡礼」になった。古寺だから価値があるという異質な価値観だ。そんなものは奈良、平安の時代に朱色や金色に塗られてぴかぴかの「新しい寺」だった頃にあろうはずもない。ベートーベンも草葉の陰でクラシックとなっている己にびっくりしてるだろう。その気になればこういう演奏に普段着であっさりふれることができたあのころの日々、なんて恵まれていたんだろう・・・。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

神山先生に教わった「漢方」と「気」の秘密

2023 JAN 11 1:01:56 am by 東 賢太郎

漢方の大家で20年来の友である神山道元先生。僕はブログで帰化名を書いてきたが、先生の本名は「屠 文毅(と ぶんき)」だ。中国で800年の伝統がある道家龍門気功の第19代伝人(後継者)である。池袋の診療所も改装して一新し、患者さんはひっきりなしで大変喜ばしい。

だいたいの病はなんとかしてくれる。中国鍼(はり)の効果は数え切れぬほど経験済だが、丹田や足の脛(すね)などに服やズボンの上から打ってしまう技術はそんじょそこらの達人でない。一度、待合室で隣の患者さんと雑談したら鍼灸師だった。きのうは首が悪いねと頭を左右にひねられて隣にいた娘がバキバキの音にびっくりするが、いたって気持ちがいいのだ。彼には何より「病気を治してあげることが喜びだ」という強烈なオーラがある。我が家で食事したり上海の別荘で遊んだり、箱根の温泉に旅行したりでプライベートまで知っている。20年付き合っていればお互いに大変な時期もあったが、彼のオーラに翳りを感じたことは一度もない。会えばそれだけで治してくれる気がする太陽のような人だ。

昨年末に行ったおり、パニック障害は治る?ときいたら即座に「大丈夫、薬あるよ」ときた。びっくりだ。小粒の丸薬で袋に「安神」と書いてある。指示通りに毎日8粒飲んでたら最近ならなくなった。「先生、何でこれ効くの」なんて聞くだけ野暮、「治ればいいじゃない」で終わりだ。対症療法が必要な病気の場合はいち早く西洋医学に頼るべきだが、そうでない領域で漢方は強い。人間は本来の機能、免疫力が落ちると病気になり、元に戻せば健康だ。そのプロセスには「気」が関わると考えるのが東洋医学だ(だから投薬に鍼灸が加わる)。いっぽう、西洋医学はそういうものを「プラセボ効果」とみなし、ノイズとしてばっさり切り捨ててしまう。

この話を伺って、僕はある事を思い出した。音楽録音の再生におけるアナログとデジタルの関係だ。デジタルは音が鮮明になりHiFiに聞こえるが、アナログは自然で疲れないと多くの人が感じだしており、いまやCDの売上をLPがぬき返している。その原因はデジタルが「可聴域外の音」をカットしたからだとされている。聞こえない音域も実は音に影響していて、アナログにはあった「自然さ」が犠牲になっていたことに皆が気づきだしたのだ。

しかし、CDにはHiFiの他にも大きなメリットがあった。安価に大量生産でき、耐久性があって小さく軽く、大きな売上が期待できたことことは業界には魅力だった。工業製品だから合理性が問われ、聞こえない音まで再生するのはコストの無駄だとなる。そこで1枚のディスクの周波数幅は可聴域のみとなったのだが、西洋式の教育を受けた製造側の人にとっては自然な流れだったことは想像に難くない。それが普及するにつれ、HiFiとは裏腹のデジタル臭が気になるという声が消費者の間でこれも自然に現れ、アナログレコードへの回帰に火がついたというのが現状である。

このカットされてしまう「聞こえない音」から僕は「偽薬効果」(プラシボ効果)を連想したのだ。プラシボ効果とは「効き目がある」と信じることにより病気に対して精神的治癒力を発する効果のことで、デンプンを錠剤にした偽の薬でも効いてしまい、ある実験では30%の人に鎮痛効果があったとの報告もある。製薬会社が開発した新薬が万人に効く科学的効能(予見できる効き目)を測ることは厚労省の認可の過程で必須であり、そのためにはプラシボ効果は統計からカットするのが合理的ではある。しかし、臨床の場になれば患者が求めるのは科学的根拠ではなく病気が治ることだ。

アナログレコードが出す「聞こえない音」に価値があるように、「治りそうな気になった」ことで治ったならば、その「気」というものに価値を認めてもいいのではないかと思うのだ。西洋医学はプラシボのような患者ひとりひとりの主観や個性は排して、客観(物理)にだけ依存する。薬効の再現性を万人に保証するためであり、僕も仮に大病を患えば病院でそれを期待するだろう。ところが東洋医学ではひとりひとりの人の体が異なるのは必然であって、いわばテーラーメードで身体機能をあるべき所に戻してあげることが目的になる。命に係わる火急の事態で出番はないが、病気になりにくい抵抗力をつけたり、原因が特定できない病気、偏頭痛などとされてしまう慢性の痛みなどには試す価値がある。

僕は東洋医学がプラシボ依存だと言っているのではない。現に厚労相は200種以上の薬草を医薬品と認定している。ただ、外科手術がなく即効性に欠け、鍼灸、気功まで動員して健常体に戻すそのプロセスが西洋流に教育された我々には「非科学的」に見えることを指摘したいのだ。しかしよく考えよう。科学とはルネッサンスで19世紀ごろに神学から分かれて発したヨーロッパの概念であるから、非科学的という判断は漢方が発した数千年前の東洋にそれがなかったねということを言っているに過ぎない。にもかかわらず数千年も価値を認められていることの方がよほど重要だし、その科学も万能でないことは西洋人が認めている。だから「統合医療」なる両者を融合した概念が現れているのが現況で、先生は何度もドイツに呼ばれている。

そうは言っても、僕自身がとても西洋流に教育された人間だから、どうしても東洋医学を西洋的概念で理解したいという欲求が捨てきれないことは白状せねばならない。僕だけではない、漢方(中国では「中医学」というが)の発祥の地、中国ですら若年層は西洋医学にしか依存しない社会となって久しく、「そういえばお婆ちゃんが飲んでましたね」という認識になっている。そこで、僕が自分の納得のために、それを西洋の科学的概念だけで説明する疑似的な方法を編み出したのが、東洋医学は「ホメオスタシス(恒常性)」の増進だという考え方だった。僕は医師でないから間違っているかもしれないが、イメージとしてご理解いただければ充分と思う。

恒常性とは、例えば、体温を一定に保つとか、侵入した病原体をやっつける免疫が自分を攻撃しないようバランスを整えるなどのことだ。西洋医学はそれらのメカニズムを科学で解明して、個々の機能の不具合を調整する薬が日々開発されている。しかしホメオスタシスは手足を動かすように脳から指令を出してすることができない「自律的」な行為で、一ヶ所を薬で調整してもかえって体全体のバランスを崩さないかという心配が常にあるだろう。しかもその「総合バランスが取れた状態」こそが東洋医学の目ざすあるべき所なのだが、厄介なことにそれは個々人で違うのだ。

つまり、人体をパソコンに喩えるなら、西洋医学は故障したハードの修理は得意だがそれを稼働させるOS(基本ソフト)がまだ読めていない。東洋医学は、OSは読む必要はなく正常に作動させさえすればハードもうまく動くように “OS自体が書かれている” (ホメオスタシス)ということだ。正常に作動させる方法論が、植物アルカロイドの薬効と鍼灸、気功などの血流への効能を統合した経験的哲学として数千年以上も前に確立している。徳川家康はそれ(本草学といった)を学者顔負けに書物を読んで研究し、自ら調剤した漢方薬を病気の家臣に与え、自身も服用して当時としては長命の73才まで生きたことは有名だ。

「哲学」とあえて書いたが、それが効能ある「医学」になる過程で『気』という概念が用いられた。僕は血液、リンパ液、ホルモンなどの流体が体内をめぐることだというイメージで理解しているが、そこまで完全に即物的なものではなさそうであって、目に見えないし、科学的な計測もできない。だから西洋人は「可聴域外の音」といっしょで取り合わない。日本人だって一般には目で見えないものは信じないし、教養人とて西洋医学が認めていないものは眉唾だとなるのが普通だろう。しかし、困ったことに、僕は神山先生の施術と薬で病気があっという間に治った経験が何度かあるのだ。プラシボ効果も一部はあったかもしれないが、それも含めて医療であり、治せば名医であって文句をいう人は世界のどこにもいない。しかし、「なぜ治ったんだろう?」という疑問が残るのが西洋流教育の名残なのだ。「存在しないものが治した」というマジックを信じない僕は、「何か」が存在したのだと説明しないと気がすまない。そこでやむなく仮置きするのが『気』なのだというのが結論だ。これはおそらく間違っているが、先生のご著書を僕はそう推理して読んでついに腑におちるに至った。

すなわち、神山先生の手によってホメオスタシスが正常に作動したから僕は治してもらえたのであり、そのためには、彼の施術の中に目に見えないし計測もできないが「在るべきもの」があって、それが『気』であったのだという推理をするしかない。とてもおこがましいが、その考え方は、アインシュタインが理論と現実のギャップに困って、その場しのぎの項で相殺した「宇宙定数」のようなものかもしれない。そっちを理解してないのだからただの比喩未満の言い草にすぎないが、先生から発し、電流のように流れる何物かが存在するという感じをご想像いただければ幸いだ。

以上、先生との20年の会話から得た僕のつたない理解が各所に入っていることをお断りするが、生来の合理主義者である僕のような人間がどうやって先生の東洋医学に心服するようになったかを、圧倒的多数である西洋式教育信奉者の皆様方に少しでもお判りいただければという純粋な思いから書いた。大家だが敷居は高くない方なので、下記へ連絡され「東賢太郎のブログを見た」といわれれば快く看て下さるはずだ。本稿は宣伝ではないし、治癒を保証するものでもない。下記研究所と僕およびソナーは何らの資本関係、金銭的関係を持っていない。あるのは患者の一人として家族までいつも健康にしてくれる先生へのささやかな恩返しの気持ちだけである。

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謎の岸田総理と黒田総裁

2023 JAN 9 0:00:41 am by 東 賢太郎

最近電車によく乗る。ホームの駅看板(線路ぞいの広告)がやけに白っぽいなと思ったら18枚のボードのうち7枚しか広告が出てない。それも医者ばかりで商売人はセイジョー石井だけ。カウント癖があるので何でもすぐ数えるが、14年使っているこの駅でこんなことはかつてなかった。

僕は国が出す景況感指数よりも、かような「巷の景気」のほうを見ている。趣味ではない、その方が株式市場がよく見えるという実益からだ。インフレに乗じて値上げできる大企業はいいが、国民のフトコロ具合に近い「ちまた」はそうはいかない。駅にいる消費者に宣伝しても元が取れないと広告主は思ってる。これが巷の景況感。そして日本のGDPの5割超は個人消費なのだ。ここが冷えたままでは経済は上向かない。

65才を超えると定職に就いて働く人は激減する。すると定期収入が途絶え、年金は雀の涙だ。人間は生きているだけで毎日の出費がある。しかし毎日の収入はないのが現実となる。だから退職金など手持ちの預金を食いつぶして生き、残高は減る一方。となると、本来喜ぶべき長寿すら不安材料だ。これで総貯蓄の8割を持っている50代以上に気前よくカネを使えと言っても無理だろう。巷の広告主が減るのは道理なのだ。

となると普通はデフレ、需給ギャップと呼ばれる現象がおこる。ところが日本も世界もインフレであって、金利を上げなくちゃと騒いでるのだ。これをおかしいと思わない人が経済や為替や株価をネットで語っているからますます訳のわからないことになっている。では矛盾の原因は何か?コロナで経済が窒息死するのを防ごうと世界の国が借金して突発的に厖大な額のカネをばらまいた。ところが想定外の戦争が勃発して突発的に各所で盛大にモノ不足になった。この「突発✖突発」が見かけのインフレを生んでいるわけだ。それなかりせば、日本が患ったデフレ病は世界にまん延して米中欧をも蝕んでいたろう。駅の広告数は日本が実はその病から回復してないことを示しているのである。

したがって、ここで景況感指数が2期連続で上向いたとか、見かけのインフレに乗じて次々と商品値上げがおきている現状(嘘のインフレ)を示して景気回復の予兆だとうそぶいて増税に走るのはとても愚かしい。前述のとおり、国民はみな不安。ますます財布のひもがきつくなって消費は停滞し、GDPは伸びない。その不安は君らのせいだと企業に賃上げを迫っても、消費が減れば売上も減って株価も下がる経営者は株主総会でモノ言う株主に首を切られかねない。だから口では上げますと言ってるが容易にそうできるとは思えない。とすると行く末はデフレの再現、増税はそれを単に加速してやがて減る税収を早めに減らす効果こそあるだろう。

経済は需給で動く。ディマンドとサプライだ。銀行系証券に転籍して驚いたのはアンダーライト(引受)した株が「売れるかどうか」という視点がまったく存在しないことだった。「こんな株が700円で売れるわけないだろ」と会議で言うと満座がシーンとなってしまう(証券マンにはイロハのイ)。つまり銀行は経済の「サプライサイド」(供給側)であり、ディマンドサイド(需要側)の読みに甚だ疎い(というか、わからないから触れたがらない)。だからゼロ金利にすれば企業は借りるのが当然と思っていて、借り手がない現実を前に思考停止してしまう。僕らは需要側(消費者、企業)が病気だと結論する(それを冒頭に書いた)。だから政治のやるべきは病気を治すこととなるのだ。

ところが、黒田日銀総裁はこの期に及んで謎の金利引き上げをした。僕は金利差要因の為替モデルを自分で作っているが、現在のところ効くのは米の利上げ幅(=金利差拡大幅)より速度である。簡単に言うなら接線の傾きだ。FRB決定が0.75上げなら大きい、0.25なら小さい。この基準で統計を取ると12月のFRB決定後は132~135円が目安。昨年9月27日のブログ時点(Invest in Kishida(岸田に投資を)で円安に)では「150円ぐらいはあるかもしれない。落ち着きが良いのは僕のモデルでは135円、というのは変わってないのですが」と書いた。まさにいまその辺にあるが、利上げなどしなくても多分ここに収まった(僕はモデルを信じている)。ところがどういう理由なのか知らないがやっちまった(総裁は利上げでないというが、相場は結果がすべてというのが掟で問答無用)。すると変動金利はもちろん国民生活に深く関わる住宅ローンなど新規の固定金利は軒並み上昇するに決まってる。

これが国民の出費を増やし不安を増幅し、需要(消費)を冷やして病気の追い打ちになることは自明。供給側が需要側を殺してしまう本末転倒。この結果、GDPを下げ、国債の利払いも増え、銀行や日銀保有の国債に含み損が発生し、株は上がらない。それなのに岸田政権は「資産所得倍増プラン」「資産運用収入そのものの倍増も見据え」である。ノーベル賞級の運用モデルでもあみだしたのだろうか。「NISAで節税」?損したら税金は元からゼロだ。米国民の株式保有率が高いのは長期に株が上がってド素人でも儲かっているからなのだ。「株をやる」「投機筋」なんて石器時代の言葉を吐く人達が不得手の需要側で何をやろうが、賭けてもいいがうまくいかない。そんな些末なことより、需要側の病気を治して消費を促進し、企業が成長し、株が順当に長期的に上がる王道の政策をとれば株式投資は勝手に増える。まあ票にならないこんな分野は政権の数ある「やってる感」作りのひとつだろうが。

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フランク「ヴァイオリン・ソナタ」再発見

2023 JAN 6 23:23:43 pm by 東 賢太郎

飯より好きな曲なのに気がつくとずいぶんご無沙汰ということがある。友達なら会えばすぐ戻る。ところが音楽の場合は、情熱が冷めたわけではないのに、いざ聴いてみるとまるで疲労して肩こりになったように心が固くなっていて、いまひとつその曲に入り込めずあっさり通り過ぎてしまうことがある。去年12月に東京芸術劇場で聴いたエリアフ・インバル / 都響のフランク交響曲ニ短調がそれだったらどうしようと思っていた。幸い徐々に心にしみ、じわりと漢方薬みたいに効いて感動した。

以来、とても深いフランクの世界をあれこれ渉猟することになって、youtubeには気に入っているペルルミュテールとパレナン四重奏団によるピアノ五重奏曲をアップさせてもらったりした。そして、そうこうしているうち、やっぱりここに帰ってきてしまうのだ。ヴァイオリン・ソナタイ長調である。ブラームス4番を我が命の音楽と書いたが、このソナタは魂に彫り込まれている。これに感動しなくなったら人間をやめてもいいぐらいだ。

レコード、CD はたくさんある。グリュミオー / セボック盤が圧倒的に素晴らしいが、もうひとつ、どうしてこれに気づかなかったのか不分明を恥じるほど揺さぶられた演奏がある。ナージャ・サレルノ・ソネンバーグ / セシル・リカド盤(EMI)である。

ローマ生まれのナージャは父親をなくし8才で母親と米国に移住した。それなりに富裕だったのだろうが、とはいえ母と幼い娘が気楽に安全に入って行けるほど米国社会は甘くない。カーティス音楽院でイヴァン・ガラミアン、ジュリアード音楽院でドロシー・ディレイという著名な教師に付いて学んでいる。才能がないのにコネだけでできるほど甘くないのも米国社会だ。彼女は奔放なスタイルの人で、教育の枠に収まりきれなかったという趣旨のことがバイオに書かれているが、そうだろうか。教師と生徒、感性の違いはあってもヴァイオリンを自在に弾きこなすハイレベルな訓練なくしてこのCDのような演奏ができるはずはなく、むしろ名教師直伝の技術という素材を自分流に使いこなすところまで個性を発揮した、それを教師は喜ばなかったかもしれないが、そこまで飛翔してしまえた彼女の才能を評価すべきだと僕は思う。

このCDを池袋にあったWaveで買った理由は記憶がない。ひょっとして日本で聴いたのだろうかレコ芸の評が良かったのか、それも覚えてない。CDはそのまま棚に埋もれていたのだから印象が薄かったのだろう。しかし、先ほど何十年ぶりかに取り出して、完全に虜になったのだ。いや、こんなフランクは知らない。グリュミオーの典雅としか言いようのない節度と気品とは違う。そういうものをこの人は求めておらず、そのかわり満ち溢れるような音楽への愛と歌がある。それが打ち震えるヴィヴラートに乗ってぐいぐい迫って来る。楽器はグァルネリの”Miss Beatrice Luytens, ex Cte de Sasserno” とwikiに書かれているが、その音だろうか弾き方だろうか、E線の高音部でもG線のハイポジションのような肉厚の音色である。フランコ・ベルギー派の特徴ともいえ、彼女が意識してそうしたかどうかはともかくフランクにはそぐわしい。

何度この録音をききかえしただろう。Mov1の冒頭主題の慈しみからして尋常でない。いきなりロマンの深い灰色の霧に放りこまれるが、旋律がオクターブ上がると予想もしない妖艶な色香がのってきて熱さが徐々に見えてくる。フレーズの感情の変転につれテンポが大きく揺らぎ、これが見事にツボにはまって心に入りこんでくる。すすり泣くような弱音から激情の嵐へのクレッシェンドで一気に高みに持っていかれると、もういけない。こんなヴァイオリンをいったい誰が弾いただろう。最高音でピッチがほんのわずかだけはずれるが、我関せず肉厚の美音で歌を朗々と歌い、まるで霊に口寄せする巫女のように世界に “入って” しまっている 感じだ。普段はそれで白けてしまう僕だが、なぜだか気にもならない。

ショパンを想起させる激情のMov2も音楽はいったん止まりかけ、Mov3のコーダに近づくや聞こえるか聞こえないかの命懸けのppになる。極限までテンポも落ちる。息をひそめた二人の入魂ぶりは凄まじい。だからMov4の主題が聞こえると、まるでシューマンのライン交響曲の終楽章の出だしみたいにほっとする。あまりに深かった幻想の闇から救い出されたように、慰撫するようにこの主題をpで弾いてくれる。やがて激するとテンポが上がり、最高音に渾身のヴィヴラートがかかり、コーダに向けてぐんぐん加速して曲を閉じる。僕はここのアッチェレランドには否定的で、おそらく初めてきいてそれが気に入らなかったと思う。しかし、これが年の功なのか、二人の20代の女性のパッションに打ちのめされてなのか、ここでは少しも嫌でない。

グリュミオーの禁欲性や翳りがなく、こんなに歌っていいのかと思うほど情熱とロマンにまかせてアクセルをふかしているように聞こえるかもしれないこの演奏を評価しない人も多いだろう。下に貼ったyoutubeのCDジャケットをご覧になれば、自由奔放ぶりにフォーカスして “じゃじゃ馬” と日本で評された路線でEMIも売り出そうとしていた風情が伺えよう(日本の保守的なクラシックファンに売れない写真だ)。しかし、演奏とは楽譜から奏者が汲みとった感情のプレゼンテーションであって、ことその一点に限っていうなら強い主張がないと何のためにそれをやっているのか自体が問われてしまうビジネスのそれとちっとも変わらない。正統派の解釈ではなくとも、奏者の人間性に打たれて納得する。ということはその音楽が秘めていて気がつかなかった大事なものを再発見させてもらったことになる。

この演奏、まるでライブのように彼女たちが一期一会で感じたものの発露であるように聞こえるし、それが魅力であることに異論もない。しかし、実は見事に計算された、いや、計算という言葉が無機的に響くなら、二人の奏者の琴線にふれるという所に達するまで入念に吟味し、試行し、よく考えぬかれたものだろう。そうでなければ達しない深い印象が、つまり偶然の産物なら2度目は得られないそれが何度聞いてもあるのは、この音楽の「歌」という本質に根ざすところまで熟考されているからに相違ない。じゃじゃ馬が気の向くままに好タイムを出したようにきこえるが、造りこまれた完成品である。同曲の前年に発表されたブラームスの第2ソナタをフィルアップしているのも偶然とは思えないように。

更に弁護しておこう。フランクはベルギー(ワロン)人でフランスに帰化しているからこの曲をフランス音楽と類型化するのは誤りだ。彼の父はドイツ系、母は生粋のドイツ人で母国語はドイツ語。没頭していたのはワーグナーのトリスタンなのだ(このソナタにも痕跡がある)。秘めているドイツロマン派源流の精神はフランクには根強いのだ。ナージャは思うにそれに共振するテンペラメントの持ち主で、このフランクは数多ある名演奏のうちでも最も「トリスタン寄り」のひとつであり、トリスタン好きの僕が共鳴してしかるべきものだった。ナージャと同い年のセシル・リカドはフィリピン出身だ。米国でラフマニノフをきいたが、ロマン的な音楽への資質は逸品(そうでなければルドルフ・ゼルキンの唯一の弟子にはなれなかったろう)。繊細、強靭を織り交ぜたタッチでナージャに心をぴたりと同期させ、しかもこの音楽に不可欠な格調と知性を加えている。それがあってこそヴァイオリンは自由にファンタジーを羽ばたかせ、静謐な部分では清楚とさえ感じる絶妙の音程に昇華を見せている。

このおふたり、この10年ほど名をきかない。お元気ならいいが。大御所ばかり呼びたがる日本だが、僕としてはこういう魅力ある天才肌のアーティストをぜひ生で聴きたい。

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