音楽家と完全主義
2026 JUL 22 0:00:50 am by 東 賢太郎
初めて聴いた演奏家に夢中になることは稀ですが、もうだいぶ前のそのひとり、ヴァイオリニストのユリア・フィッシャーは終焉後に楽屋までおしかけてツーショットしてもらったぐらい気に入ったものです。前稿のチェリスト、ダニエル・ミュラー=ショット(以下ダニエル)も感銘はそのクラスだったと思います。
チェリストといえば、昨年10月21日の読響定期でハチャトリアンを弾いた北村陽(左)も良かった。ブログで「圧巻!リサイタルを聴いてみたいと思った初のチェリスト、いや、いつまでも聴いていたいと思った稀有の人と書くべきだ」と最大級の賛辞を送っています。ではダニエルと比べてどうだったか?感銘という点で甲乙付けがたいですね。同じ曲ではなかったし音楽を聴く側の印象というものは振幅がありますし、そもそも22歳の北村を円熟期50歳のダニエルと比較してもフェアでないのですが、同じチェリストとしてそう思わせたということは書いておく意味が大いにあった。期待あるのみです。
ダニエルについて特筆すべきは、演奏のありようもさることながら、曲は違うのにロストロポーヴィチの40年も前の記憶を呼び覚ましたことです。もっと正確に
記すなら、演奏中に「あれ?これどこかで知ってるぞ」とひらめき、しばし考えてその結論が浮かんだのです。ロストロで覚えていて言葉にできるのは、チェロをとても寝かせる構え、それだからできるのだろうヴァイオリンのように緻密なハイポジション、会場の奥まで届くピアニッシモ、シューマンの歌の朗々たる艶やかな伸び、フォルテの凄まじい集中力でしょう。しかしそのどれかが似ていたのか総体的なものかははっきりしません。
音楽は “生もの” です。なま音はマイクに入りきらないといいますが、もっと入らないものがあります。聴衆です。劇場には聴衆の「気」が満ちています。いや、もっと科学的に記述しましょう、満ちていると仮定するのです。空気からは計測できませんが、人体からはできる。なぜなら、音楽の起伏につれて聴衆の心は動いています。興奮すればアドレナリンが出ます。フィナーレで高潮すると心拍数、体温、血圧が上がり、消えるように終わる音楽なら平静になるでしょう。興奮や沈静は脳波という電磁波になり、それが同期し伝播して巨大になると何物か劇場に満ちている感じになる。それが「気」と呼ぶものの正体であり、どなたか数値を計測していただければ仮定は証明されたことになるでしょう。
気は人間に影響を及ぼしており、それを言語で表現する需要が多いから日本語に「気」のつく単語が山ほどあるのです。劇場とは、大勢の観客の前で何かを演じ、「気」をひとつにした相乗効果で爆発的な効果を生むことを目的とした装置です。ルネッサンス期にフィレンツェでギリシャ悲劇を再演しました。やるうちにセリフを歌とし、楽器で伴奏することで相乗効果の爆発が増幅されることに気づきました。これがオペラの起源です。リブレットは同じですから、観客の「気」を増幅するものは音楽であることが発見され、やがて音楽だけが独立しコンサートとなったのです。すなわち、劇場の成果とはどれだけ観客の気を高めたかということであり、演奏家の評価もチケットの売上もそれにつれます。
気は画像にも録音にも入りません。2千人の劇場なら、歌手、オーケストラが百人として気の95%は聴衆が発していますから、CDやストリーミングで再生して耳に入ってくる情報は5%でしかないのです。これは「光や電波で観測している物質は宇宙の4%しかない」というダークマターの存在に似ています。神は無駄なものを造らない(イザヤ書 45章18節)なら96%も無駄でしたという結論はないのです。劇場の場合、我々はリアルな現実として録音の何倍もの感動を味わえることを体感しています。気合といいますが、気は合一してパワーになる。嵐ファンの娘はライブのため北海道まで行きましたが、その歓びの 95%は気かもしれないよということです。もちろん5%が優れていないと感動は生まれませんから、観客の「気」はレバレッジ(てこ)にほかなりません。僕もロストロをはじめパバロッティやクライバーの凄まじいスタンディングオベーションはそうだったと思わないでもないのです。
であるとすれば、音楽を愛する我々は天から重要な示唆を受け取ったことになります。音楽は聴衆が作っているということです。第九のベーレンライター版は好奇心を満たしますしサイモン・ラトルのウィーンフィル盤は見事な演奏なのですが、最後の最後、ゴッタフンケン(Götterfunken)に至ってとうとう僕はズッコける。これがベートーベンの意図なら、死後のどこかで誰かのミスで我々の慣れ親しんだテンポになって誰も異議を唱えなかった。だから150年も誤りが続いてそれが記憶されてきたことになります。なぜなら、聴衆が支持したからです。フルトヴェングラーの凄まじいアップテンポも多分ベートーべンの意図ではないでしょうが 20世紀の聴衆に圧倒的に支持されて定番になってしまいました。同様に、北村陽の弾いたハチャトリアンやダニエルのショスタコ1番も、演奏が説得力に富んでいたため解釈上の定番を作っていくかもしれません。僕は古楽器演奏を好みませんが、同じ理由で原典版もケースバイケースだなと思います。理由は明白です。僕もそうした聴衆のひとりだからです。
ということで本稿ではダニエル・ミュラー=ショットのグリーグとラヴェルを取り上げます。グリーグではヴァイオリン・ソナタを弾く試みも聞け、それがまるで元からチェロ・ソナタであるかのような見事な演奏になっています。彼はドイ
ツ人ですから母国語でない音楽を自分の世界に引き込んで新たなワールドを作っている。グリーグがこれを喜んだかどうかはともかく、保守的なクラシック界においては斬新な試みといえます。だってショパンはショパンの流儀があって、代々伝わる創業家の秘伝みたいな方法を先生に習ってコンクールに出る。ポゴレリッチのように自己流が入ると不合格で審査員のアルゲリッチ先生は怒って退場してしまいました。ショパンコンクールも少しは変わってきたとされますが、クラシックというのは基本的に古典芸能だからそういう世界です。動画の再生回数やファン投票で決まるなんてことは絶対にありませんからダニエルの試みは革命的と言えます。そして僕はそれを支持します。
古楽器は否定するのになぜか?演奏家の真実の声が聞こえるからです。古楽器だってそういう演奏家はいるでしょうが、古楽器だから意味があるでしょという演奏家もいます。バッハの時代はこういう音だったんだねふうんというだけなら博物館の展示品のお披露目会みたいなところでやればいいのです。僕らはバッハの時代の聴衆ではありませんからそれを聴いて良いと思う自然な道理はありません。歴史学的に正しいからと無理矢理感動するいわれなどまるでありません。思いおこせば、僕が中学まで学校で受けた音楽教育はまさにそういう姿勢のもので、死ぬほど退屈であり通信簿はいつも2でした。演奏家はまず作曲家が作品に封じ込めたパッションを共有し、それが強いから演奏したい、それをぜひ聴いてほしいと熱望し、そういうものこそ聞きたいと熱望する聴衆が集まる。すると劇場で両者の気が合体し、大きなパワーとなり、聴衆に一生忘れぬ思い出を刻印するのです。長く生きてきたおかげで僕はそういう場に何度も立ち会いました。たくさんあるので何年たっても熱が冷めやらず、文章ではありますがそれを共有していただいて、皆さんなりにこれからの感動のよすがにしていただきたいと願って14年前にブログを始めることになったのです。
しかし忘れてはならないのは、以上のすべては作品が良いからいえることです。そうでない作品にいくら有能な演奏家が気合を込めても無から有は生まれません。だから演奏する側も聞く側も、感動したということはまず第一にそれが作品の中に存在していたという証左ですから、作曲してくれた人への深い感謝があるべきなのです。それを一律に形で表すために印税を払うという義務があるのですが、 法律の効力は50年も経つと切れてしまいます。それを無料で使って1億枚もレコードを売ってカラヤンは富豪になりましたが、彼は自分の力で曲の魅力を大衆に折伏(しゃくぶく)した有能な伝道師だったということです。これは彼の才能と努力の成果です。問題は、ではベートーベンは何を得たのかという甚だバランスの悪い気持ちを押さえられないことなのです。天国に行った人だから墓前に何かそなえるしかなく、記念館に寄付という手段は多くの人がやっています。自分なりのやり方。それはブログで感動の証を書き残し、ひとりでも多くの方にその作品で感動していただくこと。楽器のできない僕にはそれしかありません。
きのう時間ができたので彼のユーチューブを検索していたら、これを見つけました。ダニエルがアンコールでユリア・フィッシャーとデュオを弾いてる。この組み合わせというとブラームスのドッペルをやったのではないでしょうか。
お話した印象ですが、彼女は知性とプライドとリーダーシップのある妥協のない人とお見受けしました。プロとして当然ではありますがなかなか彼女のレベルの方はいないのではないでしょうか。たとえばピッチです。他人に教わるまでもなく自分の中で当たり前のようにコンプリートされている感じがします。アンサンブルでも完璧を目指す人のように思います。それを完全主義と言ってしまっていいのかどうか迷いますが、一定のジャンルにおいて僕はまさにそれでありますし、こと音楽に限って言えば彼女はそれに近いのではないかと思います。
この曲、ハルヴォルセンの『ヘンデルの主題によるパッサカリアとサラバンド』はヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲であり、ダニエルはそれをチェロで弾いています。いわばアルト歌手がソプラノのレパートリーを歌うようなもので、高い技術がなければできることではないでしょう。この試みも、先生に習ったからやりましたというものではなく、彼の中にある欲求がつくり上げたものでしょう。ルーティーンで妥協しない。自ら高いところを目指す。それはまさしく完全主義です。ですからフィッシャーとは馬が合い、お互いに認め合って、高いレベルで理解しあえるものがあったのではないでしょうか。だとすれば、それは大変なことなのです。
フィッシャーの知性とは勉強ができる程度の意味ではありません。父は数学者、母はピアニストであり、ドイツ最年少の 23歳でフランクフルト音楽大学の教授に就任したレベルの話です。曲を書いたり演奏したりは疑う余地もなく高度にイ
ンテリジェントな作業なわけです。それを持ちあわせない人が歴史に残る作品を書くなど微分積分を解く猿が現れる以上に有り得ませんから大作曲家と呼ばれる人たちは例外なくそういう人なのであり、必ずしもそうではない学者や伝記作家が自分の目線で彼らの性格や日常生活をどう描写しようが、彼らは音楽においては例外なく完全主義者なのです。演奏家は譜面を通じてそうした超人である作曲家と対峙する作業から入るわけですが、それが音符を音にするメカニックな作業と同次元のことであるはずがありません。演奏以前の膨大な形而上学的部分、すなわち、音楽をつむぎ出した作曲家の知性という言葉でしか表わせない「土台」を理解せずに演奏するという行為はその演奏家ご自身の評価のためにもミスリーディングです。超絶技巧でベートーベンの熱情ソナタをバリバリ弾いて大向こうをうならせる。そういうものが好きな聴衆もいるでしょうし、クラシックが敬遠され衰退するよりはマシという考え方もあるのでしょうが、僕にとっては大道芸です。
指揮者で圧倒的に知性が高いと感じた人がピエール・ブーレーズ、セルジュ・チェリビダッケです。彼らはオペラハウスたたき上げの親方キャリアでなく大学で数学、哲学も学んだ人です。音楽は理屈じゃない。感性だよハートだよという方も多いだろうし否定する気はないのですが、感性も十人十色です。ひとくくりにそれが音楽のエッセンスだと言うには広すぎるというだけでもそれがエッセンスでないことはお分かりいただけると思います。ちなみにおふたりはレパートリーからして別々の感性の人たちです。でも、ひとつだけ共通点があるのです。知性の高さが音に現れていることです。おふたりは音楽に投入した知性の総量でも、音でそれを具象化する技術においても優れたパフォーマーでした。
それは料理に例えられるかもしれません。料理は化学でもあるから感性だけでするのでなく確立したメソッドがあります。それを生み出したインテリジェンスは知性以外の何ものでもありません。ブーレーズもチェリビダッケも知性によるメソッドを音にする “名シェフ” でしたが、それではカラヤンはどうでしょう。僕の世代には保守的な評論家たちをはじめアンチが沢山おられ、彼を否定することが上級者の証しみたいな空気すらありました。大衆迎合の故の人気だというのです。だとすれば僕にとっても大道芸のたぐいです。当初はそう思っていましたが、誤りと気づいたのは1983年にザルツブルグ音楽祭で聴いた「ばらの騎士」でのことです。総合芸術としてリッチでゴージャスに楽しませるための知性のオンパレードは大衆迎合などとはほど遠く、ああこれを否定することはリヒャルト・シュトラウスでもできないだろうと感服したのです。カラヤンがブーレーズと違う唯一の点は、知性をマーケティングにも使ったことです。
話を戻せば、ダニエルの演奏は豊かな感性の賜物ではありますが、そのベースにはフィッシャーと対等な知性の裏打ちがあるわけです。それが技術と高い次元で結びついていると感じました。前稿の通り彼の楽器はハー
ヴィー・シャピロから譲り受けたフランチェスコ・ゴフリラー「サフィール」(1727)という名器で、サントリーホールで類い稀なる音色を楽しませてくれたのですが、演奏は体全体から発散するオーラに満ちている。それはサフィールが与えたものかもしれないし、楽器はオーラを受けてますます良い音でこたえるという幸福な関係にあったのかもしれません。2006年、最晩年のシャピロがラジオで若き日のダニエルの演奏を聴き、サフィールの引き継ぎを持ち掛けたことは重要でしょう。長年ジュリアード音楽院のチェロ教授をつとめロストロポーヴィチが「世界で最も偉大なチェロ教師」と敬意を表し、アルトゥーロ・トスカニーニがNBC交響楽団の主席に据えた人の耳だけの判断だからです。
ダニエルのユーチューブをひと通り聴きましたが、とても印象に残ったのはグリーグのソナタです。ヴァイオリン・ソナタに比べて知名度が低いのは自身の兄を想定して書かれており、演奏者に恵まれてなかったのだろうと感じます。
このピアニスト、ヘルベルト・シュフは初めてですが、やはりユリア・フィッシャーとツアーをした仲間のようです。 つまり3人とも同じ次元で知性、感性がぴったり合ってる。それが触発しあって相乗効果で良い演奏が生まれる。とてもわかりやすいですね。さらに言えば、聴衆である僕もそれを心地よく感じるタイプの人間だからこうして皆様にご紹介することになる。真剣に読んで下さってる方が日本だけでなくたくさんおられることを存じ上げていますから、生半可な好き嫌いだけで書いてはいけないと常に戒めてますが、この3人については手放しでほめても問題ないように思います。
余談ですがレストランのミシュランやワインのパーカーもこうやって星や点数をつけていると思われ、判断の最後に感性の混入は避けられませんから結局は評者それぞれなわけで、万人に絶対的に旨い食事やワインが存在するわけではありません。商業的な底流として、旨いと思わない人は一流の大人でないというアンコンシャス・バイアス(unconscious bias、無意識の思い込み)がちらつき、なんで寿司屋の良しあしをフランスの本に決められなきゃいけないのという感じがします。西洋の音楽についてああだこうだ書いてる日本人の僕にも同じことが言えるわけですが、僕は自分の趣味が正しいという思いこみは意識的に消しています。煮物が苦手な僕が日本人だからと言ってその良し悪しを論じてもナンセンスであることも自覚しています。良識あられる読者の皆さんはそういう読み方をしていただいていると信じております。唯一真理があるとすれば、僕と同じ系統の好みの方にとっては結構いい線いってるかもしれないということです。
最後に、フィッシャーもダニエルもドイツ人ですが、古き良きのタイプではなくインターナショナルでフレキシブルでレパートリーが広い。彼らのラヴェルをぜひお聴きください。パリ音楽院流儀ではないかもしれませんが、ラヴェルの書き記した音の抽象的な部分を咀嚼してお見事なフレンチ・ディッシュに仕上がっていますす。 30年ぐらい前からドイツのオケのフランス物は進化していて、ベルリン・フィル、シュトゥットガルト放送交響楽団が素晴らしかった。 1994年にベルリンのフィルハーモニーでブーレーズが前者を振った神々しいばかりの「ダフニスとクロエ」はこれまで人生で聴いたライブの筆頭格ですし、後者がジェルメッティとやったCapriccioのラヴェル集はユーチューブにアップ
しましたが、永遠の愛聴盤の1つです。その昔、レコード芸術誌はフランス物といえばクリュタンス、ミュンシュのパリ音楽院管、パリ管でなくてはというまさしくアンコンシャス・バイアスに満ちており、馬鹿正直にそれを珍重して聴きこんでましたが、ブーレーズやチェリビダッケの洗礼を受けてしまうとどう考えてもオーケストラがうまくないんです。いやいやそのアバウトな所がフランスなんだよ、あの頼りないホルンじゃないと感じが出ないんだよなんて識者のもっともらしいご説が飛びかい、確かに色気はある木管の音色にそんなもんかと思ってましたが、それは「おフランス」に憧れ高級と信じこんだジャパンワールドの片想いの幻想であって、エッフェル塔で恥ずかしいポーズで悦にいる女性議員がいまだにいる国の顛末だったなあと思うのです。
ヨーロッパに住んでみるとフランスの位置づけは全然そんなことはないわけです。隣国のドイツで、極東の日本人が崇拝した如くクリュタンス、ミュンシュのフランス物が神格化されるれるなどありえない。なぜならライン川を挟んで2千年も隣にいても、ドイツ人は日常的にフランス料理を食べさえしないのです。EMIのマーケティング戦略を見ればわかります。ミュンシュは血統は両国が混合したアルザス系ドイツ人ですし、クリュタンスはというと独仏文化が交叉するベルギー人であった彼をEMIはベルリン・フィルに押し込んで交響曲全曲録音をさせました。ドイツグラモフォンの牙城であるドイツマーケット進出を目論んだのです。なぜならオペラ作品が数えるほどしかないフランス音楽が、中規模都市にもオペラハウスがあるドイツのローカルな音楽文化に自然な形で浸潤するはずもないのはフランス料理と同じなのです。だからカラヤンのオーケストラであるBPOのシェフに、レコード録音だけとはいえフランス語話者の指揮者を送り込んだ。そこにはナチスにパリを占領され強姦略奪でめちゃくちゃにされた遺恨もあったかもしれないし敗戦で経済力が弱ったドイツを征服したい意欲すらあったかもしれません。
その策略は完全に失敗に終わりました。クリュタンスの起用はパリ音学院管弦楽団とのフランス物が日本でアイコン化したことで元は取れたでしょうが、彼もミュンシュも血統は辺境で「おフランスな人」などでないわけであって、こちらの成功は仏EMIと日本のレコード業界、評論家の見事なマーケティング戦略だったと感嘆するのみです。ラヴェルはジュネーヴのスイス人とマドリッド育ちのバスク系スペイン人の混血で、生後3ヶ月してパリに移住した移民の子です。そんなことはトリビアになってしまうぐらい彼はフランス音楽の代表格になっていますが、伝統を守るパリ音楽院の教授連は彼にローマ賞を与えていません。代表格になったのは一にも二にも彼が世界に認められたからで、同じ現象はサッカーWCフランス代表チームの血統豊かなメンバー選考にも見てとれ、フランスという国家のお家芸ともいえましょう。音楽の優位性が彼ほど「完全主義」に起因した人はいないでしょう。ダフニスやボレロのオーケストラスコアをご覧になったことのある方は、それ自体が精巧な美術工芸品であるという僕の主張も肯定してくださるでしょう。しかしそれがフランス文化に起因したと考えるのは大きな誤りで、何度フランスへ行ったか数えきれませんが、趣味においても精密度においても何を見聞きしてもラヴェル的なものはみつからず、とてもがっかりした自分がいたのです。納得したのは、その後にスイスに2年半いて、工芸品として精巧きわまりないスイス時計を見て回った時です。ラヴェル的なものは、工学を学び土木技師で発明家で、紙袋を縫う機械、機関銃のモデル、アセチレン動力の2ストロークエンジン、ガソリン車用の蒸気発生器を発明し自動車産業の先駆者とされるエンジニアであった父親ピエール・ジョセフ・ラヴェル由来だったのです。アバウトな演奏など作曲家本人のコンセプトからしてのっけから論外であり、緻密に精密に演奏すればするほど香気が漂うふうに書かれています。けだし、若い俊英のドイツ人演奏家たちにとってラヴェルはそういうもので、リアリズムの観点からしてそれは正しいことを確信させてくれる卓越した演奏です。
「猫科」に分類されるラヴェルとハスキル
2025 DEC 30 2:02:02 am by 東 賢太郎
夏目漱石が結婚し、英国留学から帰国して東京帝国大学の講師になった翌年の明治37年初夏、千駄木の家に子猫が迷い込んできた。黒猫だった。家に出入りしていた按摩のお婆さんが、「奥様、この猫は足の爪の先まで黒いので珍しい福猫でございます。飼っていれば家が繁盛いたしますよ」と伝えたことで飼われることになったが、名前はつかずにずっと「猫」のままだった。明治39年に本郷に引っ越した(西片のそこは僕が2年住んだ下宿の目と鼻の先だ)。「猫」は明治41年9月13日に病で5歳に満たない生涯を閉じ、漱石は彼を庭に葬って墓碑を立て、知人や門弟に死亡通知を出した。程なくして「吾輩は猫である」は文学誌『ホトトギス』に11回に分けて掲載され、彼の処女作の長編小説となる。かくして「猫」は人類史上最も重要な猫に列せられることとなったわけだ。
誠に結構なことだが、僕としてはとりわけ彼が黒猫であったことに誇りを覚えるものである。我が家のフクもしかりだからで、さらにその名も福猫由来と言いたいところだが、実は顔がぷっくりしたぷくちゃんに由来する。しかし、共に過ごした5年といえばあの忌まわしいコロナの厄災期にぴたりと重なっているのであり、我が家はワクチンを一本も打たずに事なきを得ているのだから守り神ではあった。しかも外出ままならぬその期間にビジネスでは次々と新たな出会いがあって、そのおかげでいま仕事が国内とアメリカで9つもある。数えてみると社員の3倍近い19名の国内外パートナーが実現に向けプロフィットシェアリングの形で協力してくれており、ソナーを中心にハブ・アンド・スポークスの事業モデルができてきた。 そのうち13名はフクの5年間にご縁ができたというのだから、まさに福の招き猫だったのである。
思いおこせば小学校時分から一緒に暮らしてきた昔の猫たちも、みんな僕の中で生きている。おしりをポンポンしてひょいと肩に担ぎ上げた時の感じや、両手をお腹にまわして持ち上げたときの、あの猫この猫のボリューム感が、当時の東家の出来事や世情の思い出と共にまざまざと手のひらに蘇ってくるからだ。その度に僕は「ああ猫のいる星に生まれてよかったなあ」と神様に感謝を捧げるわけである。この性格はいかなる理由があろうと寸分も揺らぐことなき頑強なもので、すなわちどんなに美人だろうが金持ちだろうが、猫を捨てて猫嫌いの女性と暮らすという人生観は僕の中に100%存立の余地がなかったわけで、この点、確かめたわけではなかったけれど家内がそうでなかったのは幸いだった。
一般社団法人ペットフード協会のデータ(2024年)によれば、日本人は犬を約679万頭、猫を約915万頭飼っているそうだ。我が家は野良猫しか飼わないからデータ外だろうし、ペットショップの客になる気はないし、「犬も好きですが」という猫好きは別人種と認識している。ほとんどの飼育者というものは人間と動物を峻別し、ペットなる擬人化したコンセプトで認識し、優位に立つ人間の視点で共生を楽しむ人たちである。それを否定する気はないが、家内が指摘するように僕は猫の生まれ変わりの「猫科」に分類されるべきであり、自らを擬猫化した感覚で人間をやっており、すべての猫様に敬意を払って接しているという者である。そんな妙ちくりんな人はまずいないだろうし猫も些か驚いてはいよう。ヘミングウェイや伊丹十三の猫愛の底知れぬ深さについては知得しており、いくら畏敬しても足らないのだが、しかし彼らは愛犬家でもあるから僕としては準会員なのである。915万頭の飼い主さんのうち肝胆相照らすことができる方はきっとおられるとは思うが数える程度だろうし、それ以外の圧倒的大多数の愛猫家とは深いところで話は合わないだろうという半ば諦念の世界に長らく僕は住んでいる。
あらゆる芸術家は猫と相性が良さげに思えるが、では彼らの何%が我が身のようであるかというと怪しい。例えば猫と文学を結ぶ試みというと、真の天才ETAホフマンが1819~1821年に書いた『牡猫ムルの人生観』を始祖とする。現実に彼は「ムル」という名の牡猫を飼っており、同作の構成はカットバック手法のミステリーもかくやと思わせる驚くべき斬新さを誇る。これを書けたということはホフマンは少なくとも猫好きであったろうが、果たして自身が「猫科の動物」であったかとなると疑問である。また、同作と「吾輩は猫である」の関係はいろいろな識者が語っているが、ドイツ語ゆえ漱石が読んだかどうかは不明とされる。作中で婉曲に言及はしているので存在を知っていたことは確実であり、ホフマンがムルの逝去で人間並みの「死亡通知」を友人たちに送付した事実があることから、同じことをした漱石の行為が偶然であり模倣でなかった確率は非常に低いことを僕は断定する。しかも、関連した資料を一読するに漱石はホフマン同様に猫科でなかったばかりか、猫好きだったかどうかさえも怪しい人物の気がするのだ。作中の言及はいずれ模倣が発覚することを予見してのアリバイ作りであり、動機は異なれどハイドンが交響曲第98番にその当時は誰も知らぬジュピターを引用した意図に通底するものがあったというのが私見である。
いっぽう猫と音楽となると、結びつけ方はいろいろだ。ミュージカル「キャッツ(Cats)」はイギリスの詩人T・S・エリオットの『キャッツ – ポッサムおじさんの猫とつき合う法』なる興味深い作品を原作とする。アンドリュー・ロイド・ウェバーの音楽も楽しい。これを観て思い出したのは、成城学園初等科にいた時分、作曲家の芥川也寸志さんの娘さんが同じ桂組におられ、クラス担任だった北島春信先生の台本に芥川さんが作曲したミュージカル「子供の祭り」が歌の上手い子たちの出演、作曲者の指揮で演じられるという贅沢なイベントがあったことだ(記憶違いでなければ渋谷公会堂で)。生のオーケストラはこれが初めてであり、次々とくり広げられるきれいな歌やダンスに心がうきうきし、音楽の授業を嫌悪していたことを少々悔悛したものだ。この経験があるから、オペラと違いミュージカルというジャンルには遠いふるさとを見るような郷愁がある。Catsは素晴らしい。猫界の繁栄に貢献した事は間違いない。
ロッシーニが書いたことになってる『二匹の猫の滑稽な二重唱』は鳴き声の雰囲気をよく活写している。しかしこれこそがペットを擬人化し、優位に立つ人間の視点で共生を楽しむという趣向において、いわばトムとジェリーの古典音楽版であり、作曲者が猫科か否かという視点の解明とはなんら相いれない所に成立しているという点において漱石の猫の音楽版でもある。オペラ・コミックの路線と見れば十分に楽しめるが、それはロッシーニの世界ではないという矛盾をはらむのである。
この路線の親類とでもいうスタンスとして、標題をつけないショパンが何も語っていない音楽を「猫が突然鍵盤の上に飛び上がって走り回っている様を連想させる」として押しつけがましく猫のワルツと呼んでみたりする人がれっきとして存在するわけだが、僕は作品34-3にそんなものを微塵も連想しない。それは誰の連想なんだ、それとショパンと何の関係があるんだと、いかがわしい表題には作曲家の著作権を弁護したくなるばかりだ。のちにクラシックを深く学ぶにつれ、そうしたことどもは永遠に表層の部分だけに関わる種の人々がやり取りする稚拙な表象であったことを知るが、そうした理解不能な異人種の存在が子供時分の僕を長らく音楽室から遠ざける元凶だった事実も知ることになった。猫はおろか音楽までおぞましく擬人化する地平で素人や子供に親しんでもらおうというアイデアは、パンダに頼る田舎の動物園経営のようなもので、3歳の乳飲み子ならともかく真の聴衆を育成しない全くの愚策である。
猫科の音楽家はいないのだろうか?そんなことはない。仲良しだった女性ヴァイオリニストのエレーヌ・ジュルダン・モルランジュに「猫の鳴きまねの際立った才能がある」と高く評価されたモーリス・ラヴェル(左)はシャム猫2匹を飼い、オペラ「子供と魔法」で猫の二重唱を作曲した。家でエレーヌとそれをミャオミャオ歌っていると、心配そうな顔をしたシャム猫たちが集まってきたというからその腕前は本家のお墨付きを得たものである。しかし、猫の鳴きまねにおいてなら僕はラヴェルに負けない自信がある。彼は2匹だが僕は10匹の同棲経験があり、その各々の声色をいまでも鳴き分けることができるからである。そうした見地から作曲家の「猫度」を判定してみるならラヴェルは1位と言っていいだろう。理由は42歳の時に母親が亡くなってからの行動と経緯にある。結婚しなかった彼は重度のマザコンであり、 1人でいられず弟や友人の家を転々としていた。 その喪失感を体験している僕としては理解できるし、むしろよく4年も耐えたものだと同情もする。回復途上にあったわけでないことは、 3年後に友人に「日ごとに絶望が深くなっていく」と悲痛な手紙を出し、作曲中だったクープランの墓およびラ・ヴァルスを除くと実質的な新曲は生み出せていないことで想像がつく。現代ならおそらく抗鬱剤が投与されて救われたろうが当時はそれがない。ドツボの修羅場から逃れるべく、ついに4年目になってパリから50キロ離れたモンフォール・ラモリーに人生初めての一軒家を買って引っ越す。そしてその家に住んでいたのがミャオミャオのシャム猫一家だったのだ。その甲斐もあって彼はやがて渡米できるまで回復を見せ、結果として我々は『ボレロ』、『左手のためのピアノ協奏曲』、『ピアノ協奏曲 ト長調』などを持つことができたのだ。
「子供と魔法」猫の二重唱
ドビッシーが猫科だという人もいるが僕にはちょっとイメージがわかない。猫好きな人、猫的な人と猫科は生物学的に異なるのである。仕事柄もう世界中で何千人と握手をしているが、想像するに、ラヴェルの手は骨張って華奢だがドビッシーは肉厚でごつい感じがする。手は人物を語るが、猫科の感じがしない。ちなみに僕の手は男としては小さめでとても華奢だ。仲良しの某大企業経営者にその話をしたら、彼はプーチンとメドベージェフの両方と握手しており、メドくんが先で、しなっとして女性みたい、続くプーさんはゴツくてまさに熊だったと笑う。あいつを首相にした気持ちが分かったよとはまさに経営者の至言であろう。ドビッシーは確かに猫2匹と暮らしていたが、後に後妻エンマの影響か犬2匹に乗り換えている。いかなる理由があれ、猫科にこうしたことは起こりようがない。
写真を見て、あっ、この人は猫科だなと直感したのはクララ・ハスキルだ。猫を抱いているからではない、抱き方だ。この猫は、察するにスタジオ撮影用の借り物であるか、もしくは自分の猫だがカメラのフラッシュに怯えている。そこで右手に優しく手を添えて安心させている図である。このさりげない優雅な仕草には、単なる猫好きという程度ではない、猫科の人にしか発露できない深い愛情と共感がさりげなく現れ出ているのである。皆さんも例えば公式の食事の場での普段のほんのちょっとしたこと、ナイフ・フォークの置き方やお箸の作法やおちょこを口に持っていく動きなど、ほとんどの人が気づかない所で氏素性がはかられることはお聞きになったことがあろう。ハスキルが、こちらも猫科まるだしの男であるモーツァルトを十八番にしていたことはいとも自然なことだったのだ。素晴らしい録音がたくさん残っているが、僕が愛してやまないのはピアノ・ソナタ第2番ヘ長調K.280のドイチェ・グラモフォン盤である。K.488の第2楽章を彷彿とさせるシチリアーノをこんな見事なニュアンスと凛と澄ました清冽な音で弾ける人がいまのピアニストにいるだろうか。そして第3楽章に至っては音楽も弾き方もまるで猫であるという至芸を。猫同士にミャオミャオはいらない。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
「もしもピアノが弾けたなら」は辞書になし
2024 OCT 22 12:12:14 pm by 東 賢太郎
西田敏行さんの「もしもピアノが弾けたなら」は、歌詞を調べると、「ピアノで思いを君に伝えたいが持ってないし聞かせる腕もない」という歌だったようだ。ようだというのは、そういうのがあったぐらいは知ってるが一度も聞いた記憶がない。その手のものにとんと興味ないのもあったが、題名をみて、無能が歌にまでなるのか、そんな暇があるなら練習すりゃいいじゃないかと思う性格だ。西田さんは女性にもてたろうが僕がさっぱりだったのは思えば当然のことだった。
ピアノはもっぱら妹がやるもので、当時の世界観として女子のお稽古事であった。だからそんな恥ずかしいものを習おうなど考えたこともない。そもそも学習塾もなにも、何かを習ったということがない。ところが中学あたりでクラシックに目覚めてきて、自分の聴いている面白い音が何かという科学者みたいに即物的な研究心がわき、天体観測をする際の全天恒星図あるいは鉱物標本、人体解剖図を持っていたのとまったく同系統のノリで悲愴交響曲のスコアを買った。暗号のようで何もわからない。「もしもピアノが弾けたなら」と思ったのはこの時だ。
そこから独学にのめりこむ。高校あたりでバッハのインヴェンション1番ハ長調とドビッシーのアラベスク1番が弾けていたから悪くはない。悲愴のスコアはちょっとはわかるようになった。芸大に行きたいなと思ったのはこのころだが両親はそういう考えはまるでなかった。ちなみに野球も受験もそうでゴルフも自己流でスコア75を出したからどれも同じぐらいのレベルまでは行った気がするが、独学の宿命でどれもいい趣味にすぎない。いま職業にしているスキルは証券会社にいたのだからきっと初めは習ったのだろうが、これもそんな記憶はないぐらいに自己流である。証券業は以上のジャンルに比べればまったくもって誰でもできる、西田の歌の主人公だってできるだろうから誰にだって教えられるし、いま仲間になっている40歳あたりの後継者たちを指導することは僕のライフワークだ。
いま、さらに「もしもピアノが弾けたなら」の心境になっている。基礎訓練をしてないから候補は平易な技術の曲に限られ、それでいて自分の耳を満足させるものとなるとさらに限定される。ラヴェルのマ・メール・ロア(二手版)はそのひとつだ。終曲は弾くだけならそう難儀ではないが、出だしのピアニッシモ、とくに2拍目のドミシレは魔法のような7度と9度の音量に絶妙のバランスが要求される。ラヴェルは、マーラーもそうだが、常人の目からすれば変質狂レベルの完全主義者だ。のっけからやり直しの連続で楽譜には何も書いてないが極めて難しいことは弾いた人はわかる。変質狂が書いてない、というか楽譜の記号でも文字でも書けないのだから、これが難しいなら俺の曲は弾くなということに違いない。人間が造った「世の中の最高級品」とはすべからくそういうものによって成り立っているのであって、宣伝やマーケティングやイメージ操作や裏取引をしないと需要のないものは100%間違いなくすべてガラクタである(みなさんたった今そこらじゅうで響いてる選挙演説をお聞きになったらいい)。クラシック音楽は最高級品の中でもトップ中のトップのひとつであって、だからそれがわかる人(理解ではない、アプリーシエイト)に300年も聴かれているのであり、真の喜びというのは神の如く細部に宿っているとつくづく思うのだ。「もしもクラシックがわかったなら」という人は300年たってもわからない、それをせずに死んだら人生もったいないと思うかどうかだけだ。ラヴェルがここぞという場所に絶妙に「置いた」宝石のような音たちのまきおこす奇跡!自分で演奏すれば何度でも好きなふうに味わうことができる天上の喜びだ。
シューベルトの即興曲D.899の第3番変ト長調もそう。何度弾いても飽きることのない6分ほどの白昼夢のような時間である。二分の二拍子を表す記号が2つ書いてあるから二分の四拍子で「出版時は調号が多いことに起因する譜読みの難しさなど、アマチュア演奏家への配慮から、半音上のト長調に移調され、拍子も2分の2拍子に変更されていた」(wikipedia)らしい。ラヴェルに書いたことはここにも当てはまり、弾きやすい調にすれば解決できると思うような類いの人はこれを弾くのはやめたほうがいい。当時の調弦は少なくともオーケストラの a は低く、それを現代ピアノでト長調なら全音近いアップであり狂気の沙汰だ。シューベルトのピアノ曲で変ト長調はこれしかなく何度聴いても弾いても変ト長調しかありえないと思う。速度はAndanteであり、二分音符で歩く速さだろうが、ピアニストにより幅がある。速いのがシュナーベルで、ロマン派ではないからそうなのだろうというのが私見ではある。彼はそれで旋律を歌って見事に呼吸しているが、それがどんなに難しいことかというと、野球をしたことがある者が大谷を見てなんで摺り足であんな打球が打てるんだろうと思う、その感じが近い。ある個所で、アルペジオのたった1音だけ、つまりほんの一瞬、何十分の1秒だけ短調が長調になるのはよく聞かないと気づかないがこういう仄かな明滅がシューベルトにはある。低音で出るまったくもって音楽理論の範疇外の非和声的、非対位法的なトリル、空しく何かを希求するばかりで報われないのがわかっているコーダのT-SD-Tの和声は最期の年のソナタ21番の冒頭主題にそっくりリフレーンしている。感じるのは死にほど近いシューベルトが心で聴いた「何ものか」である。ではそういうものをシュナーベルから聴けるかというと、残念ながら、あれだけのドイツ音楽の名手にしてそれは否なのだ。シューベルトの時代の人間の感性がロマン派を知ってしまった我々に想像もつぬそういうものだったのか、ではどういうテンポでどう弾くのか。僕は技術的問題で遅くしか弾けないが、それでいいのかどうかいまのところわからない。
これからハードルは高いが何事もできると信じないとできない。ベルガマスク組曲ぐらいはいきたい。モーツァルトはヘ長調とイ短調のソナタ、ベートーベンは悲愴、ブラームスは3つの間奏曲作品117。バッハは平均律、ロ短調とハ長調(フーガ)は頑張りたい。著名曲ばかりだが、ニコライ・チェレプニンの「漁師と魚の物語」なんてのもある。
来年70になるが、もうひとつ、仕事をなし遂げたあかつきには社会人講座かなにか東京大学で、それもできれば懐かしい駒場で勉強したい。当時、いくらでもできたのにしないで遊んでしまったのはまさしく若気の至り、後悔でしかない。物理や天文なんかを孫ぐらいの先生に習うなんてのはいいなあと思う、僕の辞書にはなかったから想像するだけでも楽しいことだ。
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パリの息吹(魅惑の「マ・メール・ロア」)
2023 SEP 17 23:23:37 pm by 東 賢太郎
ルイ・ド・フロマン(Louis de Froment、1921 – 1994)というフランスの指揮者を知る人はオールドファンだけだろうか。ルクセンブルグ放送交響楽団のシェフとして貴重な録音を残した名指揮者であり、プーランクの弟子でありプロコフィエフとも親交があったガブリエル・タッキーノとサン・サーンス及びプロコフィエフのピアノ協奏曲全集をVOXレーベルに録音している。後者は僕の愛聴盤であるし、ダリウス・ミヨーが自作自演集の一部を指揮させるほどお墨付きの指揮者でもあった。
VOXは1945年にニューヨークで出来たレーベルで、ありがたい千円台の廉価版だった。ファイン・アーツQのハイドンのカルテット、ハンガリーSQのモーツァルト(ハイドンセット)、アビー・サイモンのラヴェルやラフマニノフなど学生時代の米国旅行であれこれ買いお世話になってはいたが、いかんせん粗製乱造の工業製品という風情の米国盤は欧州盤に比べて品質が劣っていたのがデメリットで、となると、アーティストも欧州では一流でないのかと根拠のないイメージができてしまい、ブレンデルもスクロヴァチェフスキーも僕はVOXで知ったものだからそれを払拭するのにしばらく時間がかかった。ルイ・ド・フロマンもそうだ。
彼のラヴェルの管弦楽作品は88年に写真の安っぽい装丁で出た廉価CDをロンドンで見つけた。当時、暇があればCDショップをのぞくのが日課だったのだ。特に期待はなく、単に安いから買っただけだ。棚に埋もれていたのはそれなりの程度の演奏に聞こえたからだろう。ところが昨年9月、何の気もなく偶然に聴き直してみてマ・メール・ロアに瞠目した。伴奏指揮の便利屋ぐらいに思っていた不分明を恥じ、そこですぐyoutubeにアップすることになる。
多言を弄する気はない。ぜひ皆さんの耳でご体験頂きたい。
ルイ・ド・フロマンはフランス貴族の家系である。だからというわけではないが、このラヴェルは初めから終わりまで犯し難い気品のようなものが一本ぴんと貫いているように感じる。ドビッシーにそれはいらないがラヴェルには不可欠の要素であり、品格を感じない演奏はサマにならない。つまり、田舎くさいラヴェルなんてものは存在しないのである。彼自身はスイス人の父とバスク人の母をもつ市民の家系だが、精神の地平は遥か高みにあった。
僕にとってパリはどんな街かといえば、何度も往っていたころはどうということもなかったが、遠くなってしまった今は雑多な思い出がぎゅっと詰まった玉手箱のようなものだ。マ・メール・ロアはそれに似つかわしい音楽であり、これをあるべき姿で響かせるにはそれなりの人となりが要る。彼にはそれがあったということであり、いいなあと嘆息してパリという都会の息吹を思い出すしかない。昨今の音楽演奏の水準は高まり、この程度の技術での演奏はどこの楽団もできる時代だが、玉手箱から美しい宝石だけを取り出して見せてくれるこのような至福の演奏はついぞ聴かなくなった。音楽がエンタメではなく文化であると感じる瞬間であり、こういう演奏ができるアーティストがはやり歌の歌手みたいに時代とともに忘れ去られるならクラシックがクラシックたる時代も去ったというべきかもしれない。
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悩殺されたシュヴァイツァーのラヴェル
2023 JUL 28 2:02:15 am by 東 賢太郎
クラシックには「三つ子の魂」病があることは僕ぐらいのトシにならないとわからないのかもしれない。あるのだ。ジュピター、魔笛、英雄、運命、第九、皇帝、未完成、幻想、悲愴、巨人、海、火の鳥、ダフニス、カルメン、ボエーム、弦チェレ、トゥーランガリラ・・みんなそうだ、どれもこれも「初めて覚えた演奏」が亡霊みたいに頭にこびりついていて、感じの違う演奏を聴くと「こりゃダメだ」になってしまう病気だ。
ラヴェルのト長調協奏曲のフランソワ盤がそれだ。クリュイタンスの伴奏を含め、これを凌ぐものはもう出ないと今でも確信している。
ところがそうでないことに気がついた。第2楽章が好きになって暗譜したのは大学あたりだ。これを静かに弾くと心が洗われる。先日のことだ。仕事で疲れ切っていて、これを感じるままに弾いていて我に帰った。あれ、フランソワとは似てないぞ。そしてもうひとつ気がついた。第2楽章をもっと好きになってしまった演奏があったのだ。誰だったっけ?youtubeであれこれ聴いてみた。あった、これだ!フランスのピアニスト、ニコール・アンリオ=シュヴァイツァー(Nicole Henriot-Schweitzer)だ。
そう、このレコードだ、大学時代に勉強をサボって行ったアメリカで見つけ、狂喜して買ってきたエンジェル盤だ。でも3年と4年と2度行っていて、どっちだったかは覚えてない。その時点で持ってたのは古い順にフランソワ、ワイセンベルク、アルゲリッチ、アントルモン、M・アースだ。なぜわかるかというと紙片に日付を書いてジャケットに入れてるからだが、このレコードにはない。4年で買ったほうは紙片が入っているのでこれは3年、西海岸を旅行した1977年だったろうか。
狂喜したのは伴奏がシャルル・ミュンシュ指揮パリ管だったからで、シュヴァイツァーの名前は聞いたこともなく性別もわからず(女性だ)、ちょっと弱みだがミュンシュが使ったのだからと思っていた。
それをお聴きいただこう。
ニコール・アンリオ=シュヴァイツァー(Pf)シャルル・ミュンシュ / パリ管による第2楽章だ。
かなり遅い。10分23秒だ。シュヴァイツァーの師匠であり、ラヴェルにこのコンチェルトを献呈されたマルグリット・ロンの1932年盤が8分44秒で、ラヴェル
はまだ生きているからそのテンポがレファレンスと考えてよさそうだ(やはりロンに師事したフランソワの1959年録音も8分38秒である)。しかし、シュヴァイツァーみたいに “歌って” 弾くと、結果として遅くなってしまう。テンポだけをどうこう言う気はない。歌う呼吸につれてフレーズがふくらんだり萎んだりし、右手と左手のテンポが微細に交叉してずれたりして、旋律になってるソプラノの音の音価がひとつずつ伸縮してどれひとつ同じにならないぐらい動くことにお気づきだろうか。その音その音に “感じてしまう” ものがあって、ほんの一瞬だが逡巡し、立ち止まって心を籠めることでそうなる。僕も同じところで “感じる” のは信じられないぐらいで、彼女のピアノに陶酔し、悩殺されている自分をいま発見している。だから自分で弾いてもそうなってしまっているのだろうが、このレコードの影響なのか自発的にそうなったのかはわからない。人間というのは自分のことだってその程度しかわかっていないということなのか。
ラヴェルという人には切ないほどの甘美なロマン性が心の奥底に潜んでいると感じる(両コンチェルトの緩徐部分に顕著だ)。ドビッシーの初期にも「甘さ」はあるが “切ないほどの” という感覚はない。ドビッシーは男性の、ラヴェルは女性のではないかと思えてならない(男だからゲイのというべきだろう)。この辺のことはベンジャミン・イヴリー著「モーリス・ラヴェル ある生涯」にあるが大事なのはその真偽ではなく「なき王女のためのパヴァーヌ」に対してなぜ自身で複数の “批判的な” 発言をしたかだ。11年後には管弦楽編曲版をつくり、晩年に事故で脳を患ってからこれを耳にして「美しい曲だね。誰の曲だい?」と尋ねたことから彼は同曲が好きだったから書いたのだろうと至極あたりまえのことが推察される。ではなぜ?そこに第2楽章をどう弾くべきかという示唆が隠れていると思うのだ。
訥々とモノローグを奏でていたピアノが静かなトリルになる。Vn, Va, Vcがひっそりと忍びこみ、Fl, Ob, Clが最高音域でまるで天界からのメッセージのように入ってくるこの場面はこの世のものとは思えず、凍りつくほど美しい。この美は神の声のようだがセクシーで女性的でもあって、このページは何も人間くさいことをせずとも魅せるように書かれているので歌は不要だ。譜面通りやればいいが、一方でObがいきなり高いミの音を出す肉体的な負荷はある意味でサディスティックでもある。セクシーさに残酷さが見えるのもラヴェルらしい。
こんなスコアを書いた人は後にも先にもいない。これぞラヴェルの揺るがぬ個性であって、だから、これをラヴェルらしく演奏するにはどんなテンポであるべきかという解釈は意味がある。ロンのテンポは、フェミニン性を隠して装うよそ行きの彼のように感じる。シュヴァイツァーは始めから終わりまで黎明の朧げな蒼い光の中を彷徨う如く漠とした感じ一色だ。まるで夢の中を無意識に歩くようで精神はアブナイ領域と紙一重だが、それこそがラヴェルの本質だと僕は思う。
1925年生まれのシュヴァイツァーは我が父と同い年だ。6才でマ・メール・ロワのセカンドを弾いてラヴェルと連弾したという神童だった。2001年に76才で亡くなっているが、ミュンシュとの新盤を聴くにつけ、この人もラヴェルもそう遠い存在でないのだという感慨を覚えずにいられない。彼女の録音はあまり残っていない(だから名前も知らなかったのだ)。ミュンシュの甥と結婚して重用されていたようで、それがあだで彼のおかかえピアニストのイメージになってしまったかもしれない。ト長調を正規録音したのはミュンシュとだけで、手兵ボストン響との旧盤(1958年3月24日)がある。こちらは8分44秒で師匠ロンと同じであり、彼女も出発点はそこだったことが伺える。ただ同盤はオケの伴奏もせわしなく聞こえフルートの音程がいまひとつで採れない。
他の指揮者と演奏したものがyoutubeにある。
ドミトリ・ミトロプーロス / ニューヨーク・フィルハーモニー(8分33秒~)
1953年の録音。後年のルバート、強弱の萌芽が見える。耳のお化けと呼ばれたミトロプーロスは彼女の資質に寄り添ってうまくつけている。8分51秒でミュンシュ旧盤とほぼ同じだ。
ハイティンク / アムステルダム・コンセルトヘボウ管(9分10秒~)
1956年の録音だが指揮もオケも慣れていない。ソロで入ったクラリネットがテンポを焦り、彼女の深い精神の流れをぶち壊していて白ける。9分43秒だからミュンシュ旧盤より1分遅く新盤より速い。
ミュンシュ/ ボストン響とは第1回目となる録音を残しているが、ここでちょっとした謎がある。
これは1958年3月15日のライブであり、この9日後にスタジオ録音した旧盤(8分44秒)より31秒も遅い10分15秒かけている。つまり、10分23秒の新盤に近い解釈を演奏会では見せているのだが、どういうことだろう?
想像するしかないが、ミュンシュ、シュヴァイツァーとも本意は新盤のテンポなのだが、「スタジオ録音の正規盤」として世に問う旧盤ではラヴェルがパヴァーヌのようにフェミニンを消そうと装ったロンのテンポを尊重したのではないか。ミュンシュは1968年11月6日にパリ管とアメリカ演奏旅行中に急逝するが、亡くなる2か月前の9月に録音したのが新盤であり、それが図らずも追悼盤になった。「本意のテンポ」。二人は旧盤では妥協して為せなかったそれを正規盤に刻印したかったのではないか。
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クラウス・マケラ指揮のパリ管を聴いて
2022 OCT 16 18:18:38 pm by 東 賢太郎
パリ管をききました。指揮はいま話題のクラウス・マケラです。予言しておきますが、彼の未来はカルロス・クライバーみたいになります。みたいなというのは、時々現れて好きな曲だけ振るのではなく、カラヤン、バーンスタインみたいに名門のポストを渡り歩いて何でも振れる、でも音楽のやりかたはクライバーじゃないかな、そんな意味です。聴きながらそう思ったのでここに感想を書き記しておきます、そのころ僕はもうこの世にいないので。
2027年からコンセルトヘボウ管の首席指揮者に就任する26才。大抜擢だったハイティンクの32才より若い。しかもすでに現在、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者、パリ管弦楽団の音楽監督というのも破格で、世界的オーケストラからの熱烈なオファーが殺到しているそうです。でも僕はそういうことはまず第一にマネーだと思ってる人の悪い男なんでなんとも思ってませんでした。
演目はドビッシー「海」、ラヴェル「ボレロ」、ストラヴィンスキー「春の祭典」で、いちおう僕は音を知っている、だからマケラがどんなもんかお手並み拝見するかなと興味がわいたのです。
演奏会はコロナ勃発以来2年半ぶりで、最後もここ東京芸術劇場でした。東京では一番ましなホールで、読響マチネを長らくここで聴いてましたが改装して音が変わりましたね。きのうは1階左寄りの前から8列目で、オケの音はやや奧めで適度にブレンドします。前のが良かったが、まあこれはいい。ところが左の壁の上方にスピーカーがあるらしく、舞台下手のマイクが拾ったハープの音がそこから結構な音量で聞こえてくるのです。なんせ撥弦楽器だから立ち上がりがクリアなんでとても気になる、オケが奥めなんであり得ないバランスで聞こえるんです。おかげで「海」のMov1前半は台無しでした。ドビッシーの繊細な音量指定を無視した偉大な指揮者は何人かいましたが、偉大なコンサートホールまであろうとは想像がつきませんでしたね。
マケラはA・B両プロを「海」で始めてます。パリ管のシグナチャー・ピースということでしょうね。この曲、初演はラムルー管でマルケヴィッチ盤がありますが、ありそうな気がするパリ音楽院管弦楽団(PCO)はどういうわけかルーマニア人のシルヴェストリによるMonoしかないと思います。それがパリ管に改組されたお披露目公演の幕開けにミュンシュが指揮したんですが、そこからバルビローリ、バレンボイムなどがパリ管で録音するのです。そういうこともあって、マケラの選択はなかなかのもんだ。A・B両プロ買おうと思ったんですが「海」が重なってるんでBは買わなかったんです。ここに「夜想曲」でも置いとけば買いましたね、僕は。こういうマーケティング上は不利なことをさせてもらってる所、すでに大物感があります。
しかしPCOがないのはクリュイタンスが録音しなかったせいもありましょうが謎ですね。シルヴェストリ盤は原色的で面白い演奏なのですが、アンサンブルの具合は学生オケが初物をやった感じです。1905年の初演から50年間も、同曲が「現代音楽」だった可能性はありますね。それだけ難しいスコアだし、パリ音楽院はラヴェル事件もあったし保守のサン・サーンスらが君臨してこういうニューミュージックは異端扱いだったかもしれません。しかし、それにしてもPCOの最後のシェフ、ミュンシュとクリュイタンスは外国人で同音楽院卒でなかったのだから、やっぱり不思議なことです。
マケラの指揮に戻ります。一にも二にもオケがいい、パリ管ってこんなにうまかったっけと耳を疑うMov2、この楽章はマルケヴィッチが傑出してますが劣ってません。そしてMov3のトランペット・ソロ!あまりの見事さにあたりを圧して黙らせる風情であり、東の正横綱が土俵入りしたみたいなもの。では指揮はどうかというと、26才が才気ばしってとんがったことをしたという瞬間は微塵もなし。起伏もテンポの揺れも奇をてらわぬまったくの正攻法なのですが、ルーティーンの凡庸とは無縁で音楽する喜びに満ち、オケは触発されて実力全開。プライドの塊りであるスーパーオケはこれが難しくて、でも、できれば自ずとスーパーな演奏になるから、できているマケラはもうgood conductorの称号に値します。年なんか関係ないです。良い「海」をきいたと深い満足だけが残るというもので、この曲がクラシックで一番好きかもしれないと書いた僕がハープの音にもかかわらずそう思ってしまったですから、ああこれは世界からお座敷かかるわなと納得したのでした。
ボレロ。これまた最初のフルートに圧倒されるのです。う、うまい!芸能人の食い物レポートみたいですが、これはもはや形容しがたいレベル。サックスのジャジーもよし、トロンボーンの例の難所も軽々。ところが妙なことに、ホルン、ピッコロ、チェレスタの所、ラヴェルが妙な楽器に聞こえさせようとたくらんだ音のブレンドがまったくなっておらずバラバラ、こんなのは初めてです。指揮者には混ざって聞こえているはずなんで、これもホールの音響特性かスピーカーのせいでしょうか(不明)。とにかく前半の管楽器の展覧会はウキウキする楽しさで、後半は誰がやってもドンシャン盛り上がるだけなんで特になし。指揮は徐々にダンスのようになり、カルロス・クライバーを思い出しました。そう、嬉しそうに振っている。横振りや増音の下から上の速いもち上げが大きく、エモーションがオケに伝わってると見えます。オケも喜々として反応してます。こういうところ、彼は再来になるかもしれない、そんな思いを懐きながら楽しみました。ちなみに、この曲では僕はハープの和音が聴きたいタイプなのでスピーカーは歓迎でした(笑)。
春の祭典。かつて見たうちで最も変拍子を変拍子らしくギクシャク振ったのはエーリヒ・ラインスドルフです。ストラヴィンスキー本人はギクシャクどころかうまく振れず、アンセルメの口出しで一度改定したのを米国でまた変えます。易しく二拍子で振れるようにしたのです(版権=マネーのためという説もあり弟子ロバート・クラフトは二拍子説ですが、両方じゃないでしょうか)。小澤征爾と村上春樹の対談本によると、シカゴ響とRCAに録音しようとする直前に意味不明のその改訂があって、彼もオケも困ってしまい、旧改訂版と新改訂版の両方を録音したそうです。世に出たのは我々の知ってる旧の方ですがティンパニのパートはアンセルメと同じでちょっと混乱してる(いまこれでやる人はいないですね)。「海」も同様の変遷を経ていまでもスコアは2バージョンありますが、祭典の方も現行版に落ち着くまでいろいろあったんです。そして落ち着いて久しい今、ラインスドルフみたいに振る人は絶滅し、ロック世代の指揮者にはもはやノリのよい名曲と化し、難曲ではなくなっています。
マケラもそう。危なげは微塵もなく一個のショーピースとしてほぼ完璧に仕上げています。第1部序奏。光彩の嵐です。パリ管の管でこれが聴けるなんて!機能的な面で指揮、オケに文句をつける部分はなくコンクールなら満点に近い。僕の耳に引っかかったのは1か所だけ、春のロンドに移行する最後の所で裏の拍が落ちたように聞こえましたが、気のせいかもしれません。というのは席の位置のせいもありましょうが音の混ざり方が音域によって差があり(中低域寄り、高音が来ない)、その混濁で細部の細部はよく聴きとれなかったからです。第2部序奏のバスドラのどろどろはだめですね、もっとおどろおどろしくやって欲しいなど解釈上の注文はいくつもありましたが、同行した息子に言いましたが、それはマケラのせいでなく、僕は頭にブーレーズのCBS盤が原音通りに入ってるので、もう死ぬまで誰のを聞いてもだめなんです。ノリのよい名曲じゃない時代というシチュエーションに指揮者もオケもエンジニアも設置しないとですね、1ミクロンのミスも許されない脳外科手術室みたいな緊張の電気がすべての音に流れてるあんな演奏はもう地球上では現れないでしょう。だから誰のを聞いてもコピーバンドのやるビートルズみたいにしか聞こえないんです。不幸なことですね、Bプロもトリが火の鳥なんですが、そっちもアンセルメ盤が完璧に擦りこまれてるんでおんなじでしたね。
指揮者の腕は1回のコンサートぐらいではわかりません。まったく。この3曲は、ある意味、いまの若手指揮者で完璧に振るのは登竜門みたいなもので、ここまで騒がれてる人にとって予想通りの当たり前なんですね。パリ管の腕の方は納得し、こっちは失礼ながら意外感が絶大でしたが、マケラがもろ手を挙げて凄かったかと問われれば、よくわからないとお答えするしかありません。「そういうことはマネーだ」と書きましたが、CAMIがなくなっても音楽業界は変わらないし、むしろコロナの大打撃がありますからスターが熱望されてることは間違いない。カラヤンもフルトヴェングラー亡き後、EMIとDGが取り合いして、ベルリン・フィルとウィーン・フィルも参戦して、彼はユダヤ人じゃないんで錯綜しました。だからバーンスタインが対抗馬にかつぎ出されたんです。オケも生活がかかってるんで、気に入ろうが入るまいがついて行くよ、勝ち馬にってのはあるでしょう、人間だから。
アンコールはムソルグスキーの「ホヴァンシチナ」より前奏曲「モスクワ川の夜明け」。これは良かったですね、彼は只者じゃないと思ったのは、これを選んだこと、そしてこれをああいう風に演奏したことです。薄いオーケストレーションで旋律が楽器から楽器へ移ろってゆき、その立体感の中でどれもが最高のピッチと音楽性で歌い上げる極上の数分間。こういう時の流れは今日の3曲にはないんです。本当はこういう曲がやりたかったのかな?でも、無名の彼がそれじゃあ日本は客が入りませんからね。夢幻的な散歩はそれだけで来た甲斐がありました。彼はレパートリーが物凄く広いと思います。なんでもすぐ覚えてすぐできる特異な能力。バーンスタインがそうでした。小澤征爾さんも徹夜で猛勉強したと自著に書かれてます、メシアンが認めたのはたぶんそれもあるでしょう、還暦ですし、誰が自作を世に広めてくれるんだって。カルロス・クライバーやジュリーニが名門の音楽監督に就任できなかったのはそれでしょう、こだわりの狭いレパートリーだけじゃいくらそのクオリティが図抜けていてもオペラハウスや楽団は経営できないんです。世間はミーハーの方が圧倒的に多いですから。だからカラヤン、オーマンディー、ショルティが必要なんです、マネーの原理でね。
今年、日本のプロ野球界でそれと似た現象がありました、おわかりですか?そう、日ハムのビッグボスこと新庄剛志です。彼はみんな馬鹿にしてますが、人間としては認めるはずのないあの野村克也監督がプレーヤーとしての破格の才能を認め、辞めたら困るのでご機嫌とってピッチャーまでやらせようとした、それほど凄い才能なんです。彼の監督起用がうまくいくかどうかはまだ未知数ですが、彼は野球なら何でもできるし、イケメンだし、すぐ覚えてすぐでき、何でもわかってるから大きな破綻はない、そして、優勝するかどうかなんかより実はこれが主目的ですが「客がはいる」のです。ベルリン・フィルも1963年に「フィルハーモニー・ホール」を造ってこけら落とし公演をカラヤンに振らせました。新スタジアム「エスコンフィールド」に来年移転する日ハム球団にとって、彼はカラヤンなんでしょう。資本はサーカスを必要とする。これは業界に関わらず原理です。僕はそれを知りつつも、良いプレーを見せ、良い演奏を聞かせてくれる才能を追い求める。永遠にこれは続くでしょう。
コンサートの帰りに東武デパートの鰻屋で「あいつ(娘)がパリにいてこれきけないで俺たちがきけるってのも面白いな」なんて酒飲みながら話し、「どれが良かった?」ときくと息子は「ストラヴィンスキー」でした。なるほど。「お父さんは?」「アンコールだよ」。素晴らしい一日でした。
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ラヴェル 「ステファヌ・マラルメの3つの詩」(1913)
2021 AUG 5 1:01:41 am by 東 賢太郎
1996年の夏休み、遠路はるばるスイスまでやってきた母を連れて、レマン湖に近いクラン・モンタナ(Crans-Montana)まで車で家族旅行した。チューリヒからはそこそこ遠いのでそうでもなければ機会がなかったろうが、懇意にしていただいたご夫妻が別荘(ホテル)にご招待してくださったのだ。それはレマン湖の東、ツェルマットの北に位置するスイスでも有数の山岳リゾートで富裕層の避暑地でもあり、冬はスキー、夏はゴルフでにぎわう。スイスの山はどこもそうだが、盛夏なのに朝夕はひんやりした快適な気候だった。そういえば当時、ちょうどゴルフの「キャノン・オープン」があって有名選手がやってきていた。
先日、その時のビデオが出てきて家族そろって “鑑賞会” となった。夕食後にすっかりくつろいでラウンジでご夫妻と歓談しているシーンだ。長女でも9才であり、子供たちは覚えていない。しかし、何ということか僕も何も覚えておらず、画面のこの人たちは誰だろうに近い気分だ。ご夫妻とはもっぱら家内が話し、僕は撮影係に徹している。画面は何やら盛り上がっている。まだ小さかった娘たちがピアノを弾き、少し英語がわかったお袋も楽しんでいる。ビデオが終わると子供たちから「お母さんすごいね!」と歓声が上がる。家内の株が大きく上がったのである。お相手はスイス中央銀行総裁のツヴァーレンご夫妻だったからだ。
スイスの2年半はそんな楽しい思い出が尽きない。でもけっこう、いろいろ忘れてきてもいるという悲しい事実がこうやってわかる。記憶力は自信あったし高々25年前だし、どう考えても覚えていてよさそうな場面なんだけど、なぜか消えている。やっぱり新しいインプットがあればデリートされていく運命なのだろうか・・・。スイスだけではない、家内にきいて、へえ、そんなことあったっけどころか、そんな所に旅行したっけというのすらあるのだから情けない。100%そうなってしまったら「ボケた」ということなんだし、仕事や音楽会やゴルフのことはまだそこそこ覚えてるし、気合の入り方の問題だったと慰めるしかない。
我が家が住んでいた家はクスナハト(Küsnacht) というチューリヒから湖沿いに東へ30分ほど離れた1万4千人ほどの美しい町にある。そういえばフランクフルトで住んだケーニヒシュタインも、ロスチャイルド家の夏の居館がある人口1万6千ほどの小さな丘陵の町だった。がやがやうるさい都会の喧騒が苦手なのは生まれつきなんだと思う。今だって昼間歩いても人をほとんど見かけない処に住んで、ステイホームでも満足している。クスナハトも喧騒とはかけ離れた場所で、「魔の山」の小説家トーマス・マン、心理学者カール・ユングが晩年を過ごした、チューリヒ湖とアルプスを臨むこんな感じの所だ。
家はリッチなおばあちゃんの所有で、丘の中腹に敷地が500坪ぐらいあって庭でゴルフの練習ができた。そこがいいと思ったのは、景色がレマン湖のモントレーにほど近いやはり丘の中腹の小さな村、クララン(Clarens)にちょっと似ているからだ。クラランはチャップリンやオードリー・ヘップバーンが終生住んでいたヴェヴェイのお隣で、景色も似ているが、言葉や文化圏を度外視すればスイスに来た芸術家や学者が好むのは決まってこんな感じの景色、ロケーションといっていい。チューリヒ、ジュネーヴ、ルガノ、独仏伊どの地域でもこういう所が理想郷になっている。
僕にとってクラランは特別に重要な村だった。ストラヴィンスキーが「春の祭典」をそこで書いたからである。チャイコフスキーもそこでヴァイオリン協奏曲を書き、フルトヴェングラーが戦後に静養し未亡人が住み、画家オスカー・ココシュカが眠り、そして、モーリス・ラヴェルが「ステファヌ・マラルメの3つの詩」を書いた。そういう人たちに霊感を与えたようなロケーションに身を置いてみたいと思ったわけだ。結局、そうこうして我が家はクスナハトで1年半を過ごさせてもらい、スイスの大地の恵みを心にたくさんいただいた。そんな時間があったなど今や他人様の話のように思えるが、きのう自由が丘で買い物をしながらふと「引退したら日本はもういいよな」と家内に言った。ああいうところに住んでまた地中海・エーゲ海クルーズに行きたい、死ぬまでいてもいいなあと。
「ステファヌ・マラルメの3つの詩」はラヴェルの作品で最も好きなものの一つだ。第1曲「溜息」(soupir)がクラランで書かれているが、あの雰囲気を彷彿とさせるものがある。音楽にはエーテルというか、香気、アロマのようなものを喚起する何ものかが確かにある。ラヴェルにもそれがある。それを搔き立てないような演奏は物足りない。僕にとって、これしかないという演奏がひとつだけある。ジル・ゴメスの歌、伴奏はピエール・ブーレーズとBBC SOのメンバーの演奏である(CBS盤、1979年2月4日録音)。ゴメスは聞いたことがない。youtubeにもあまりなく、ネヴィル・マリナーが振ったヘンデルのアリアは音程もアジリタもまるで感心しない。そのソプラノのラヴェルが、どういうわけか別人のように凄いのだ。この曲、はじめはアンセルメで聴いたが、ヴィヴラートが大きすぎるダンコの歌の音程がひどく、暫く僕にとってこの音楽は訳が分からなかった。かようにピッチの悪いのは僕には罪悪なのだ(アンセルメの指揮はいま聴いても素晴らしいが)。かたや、ゴメスのピッチの素晴らしさは現代音楽に起用したいレベルで、この演奏で初めて曲がわかった。しかし彼女はこんなにいいのにブーレーズが同じCBS盤のウェーベルン集に選んだのはヘザー・ハーパー(ラヴェル集ではシェラザードに起用している)だ。
いや、まったく素晴らしい。思えばゴメスはハーパーの知的な切れ味こそ薄いが、この曲にむしろふさわしいどこか肉感的で白昼夢みたいな反理性の趣を漂わせている。ところがそのイメージとは相反して、鋭利な刃物のようにピッチがピタピタと決まっていく “理性の極み” が併存するのはブーレーズCBS盤の牧神の午後への前奏曲にも感じる超現実的世界に似る。ダリやキリコのような不思議感すらある。すべてはブーレーズの一点の揺るがせも許容せぬ神がかったコントロール下にある。彼はその研ぎ澄まされた細密な壁画の構図に、肉感の一筆を求めた。ゴメスは寸分狂わぬ入神の歌唱でその要求に応えた。こういう録音というものはそれ自体が一個の芸術であり、これを凌駕することは後世の演奏家にとって大きなチャレンジであろう。
ラヴェルは1913年、クラランで春の祭典を作曲中のストラヴィンスキーの家でムソルグスキーの『ホヴァンシチーナ』の編曲および終幕の合唱の作曲を共同で行う誘いをロシアバレエ団のディアギレフから受けていた。そこでストラヴィンスキーから『3つの日本の抒情詩』を聴かされる。これだ。
我々日本人に日本を想起させるものは欠片もないが作曲者はそう思ったのであり、春の祭典と同時期の着想というのは興味深いがそちらとも類似性はない。ところがラヴェルはこの曲に触発されて「ステファヌ・マラルメの3つの詩」を着想し、クラランで第1曲「溜息」(soupir)を仕上げたのだ。その後、シェーンベルクのピエロ(1911年出版)と3本建ての演奏会を企画もしている(実現せず)。ストラヴィンスキー31才、ラヴェル38才。若い2人ともがシェーンベルクの前衛を意識していた(シェーンベルク 「月に憑かれたピエロ」)。
前者において日本はアヴァンギャルドに抽象化する素材に過ぎない。失敬なと思うなかれ、春の祭典のロシアは彼の母国だがやはりそうなのだ。一方、マラルメの詩は国籍不詳だがラヴェルは第1曲をギリシャ・テ―ストにして、抽象化を施している。バスク系仏国人の彼においてギリシャはオリエントであり、マダガスカルもしかり、浮世絵のコレクションも所有していたジャポンもしかりだ。それでも彼においてギリシャは特別の位置にあると僕は思う。その証拠に、晩年に住んだパリの45km西にあるモンフォール=ラモーリー(人口3千人の小さな村だ)の家には、彼の趣味に厳密に支配されて収拾された調度品、美術品、装飾品、絵画、写真、書物が整然と並んでいるが、昼食を毎日とっていた椅子の背もたれにこんな絵がある。
僕には古代ギリシャの女性が笛を吹く姿に見える。彼はこれが好きだったのだ。そして、この笛は、「ダフニスとクロエ」や「シェラザード」、「マラルメの3つの詩」で涼し気に響いている。クラランで書いた第1曲「溜息」はストラヴィンスキーに捧げられ、その伴奏は前年に書きあげていたダフニスの「夜明け」になり、歌は16年後の「左手のための協奏曲」になっていくのである。1913年のクララン。ラヴェルに天から降りてきたものの不思議さ、それは僕も夏のクスナハトの庭先で湖を眺めてぼうっとしながら肌で感じることがあったような気がする。実は僕もこの女性は好きであり、いつまでも見とれるし、風に乗って遠くもの悲しい笛の音が聞こえてくる。マラルメの詩がギリシャになり、地中海の群青色の生ぬるい大気にむせかえり、焦げるように熱いオレンジ色の太陽がウルトラマリンブルーの洞窟に差し込む。その瞬間に、僕はラヴェルとひとつになれる。
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ラヴェル 「高雅で感傷的なワルツ」
2021 JUL 26 6:06:13 am by 東 賢太郎
ラヴェルが欲しくなる時は調子がいい時と決まっている。3つあった大仕事の2つが片づき、ラヴェルがやってきている。昨日はレパートリーをピアノでさらっているうちにぐいぐいのめり込んでしまい、なんていい曲なんだと感嘆する。こうやってラヴェルを骨の髄まで愛していることを確認するのだが、これを何回やっているんだろうと思うとぞっとする。もう麻薬の域だ。
「高雅で感傷的なワルツ」(Valses nobles et sentimentales)は1911年にパリのサル・ガヴォーで作曲家ルイ・オーベールのピアノ独奏により初演された。このホールはプレイエル、エラールに次ぐフランス第3位のピアノメーカーだったガヴォー社が1906年に自社のピアノを宣伝するために建てたもので現存する。
下の写真は同ホールで1913年11月6日行われたカミーユ・サン=サーンスの最後のコンサートだ。ガヴォーピアノが使用され、指揮者は風貌からピエール・モントゥーではないだろうか(写真の半年前のパリで春の祭典が初演されている)。
1911年5月9日、「高雅で感傷的なワルツ」の初演は写真の2年半前ということになるが、主催の独立音楽協会(SMI)は作曲者の名を伏せておき、演奏後に誰の書いた曲かを当てるという企画を催した。同曲に対してはラヴェル票もあったが、サティ、ダンディ、ケクラン、コダーイの名もあったらしい。
ということは当時、ラヴェルやドビッシーはもちろん、現代ではそれほどでもないその4人の作曲家もそれなりに「売れっ子」であり、新作を続々と発表し、聴衆はそれを楽しみにして生きていたわけであり、そういう “土壌” がパリに定着していたという証明になろう。ストラヴィンスキーの「春の祭典」初演スキャンダルは “響きが新奇だったから” という側面ばかりが語られるが、それは同曲ほど新奇でサブスタンスのある楽曲が以後現れていないという創造の希少性を知ってしまった現代の視点が入り混じった解釈だろう。1913年の当座はそうではない。古き良き “土壌” への攻撃をあえて仕掛けるロシアの若僧に対し、 “土壌” を愛していた写真の聴衆やラヴェルの曲の当てっこに興じていた愛好家の側が “アヴァンギャルドな反逆” を仕掛けたという事件でもあったというのがむしろ音楽史の客観的な解釈ではないだろうか。
その土壌を総称して「ベル・エポック」(Belle Époque)なる、パリが繁栄した華やかな時代の雅称に象徴させることは可能だろう。そしてそれは、写真の半年後に勃発したサラエボ事件(1914年6月28日)が引き金となった第一次世界大戦によって、ヨーロッパから根こそぎ吹っ飛んだのである。その事件だって旧オスマン帝国だったバルカン半島にじわじわと「火薬」が積みあがっていた、そんな危険な均衡の上にあって、パリのそれを知らない人々がベル・エポックの虚構の繁栄を謳歌していたという両面性があることを忘れてはならない。しかし、こうしてそれを「虚構の」と書いた瞬間に結末を知った「ネタばれ」の味気なさが漂う。歴史というものは叙述によってしか伝わらないが、それを補うものは読み手の教養と想像力しかない。
ストラヴィンスキーという男が音楽史上に革命児と位置づけられるのは、三大バレエの和声やオーケストレーションの奇矯さによってではなく、音楽に限らずあらゆるジャンルにおいて地球上から19世紀的な「良き(Belle)」ものが粉々に破壊される予兆を音によってタイムリーに、万人がわからざるを得ないようなインパクトをもって呈示し、しかもそれが、結果的に見事に正鵠を得ていたと思われるからである。これも味気ないネタばれなのだが、彼がたまたまその時代に生まれて成し遂げたことが「ここぞの場面で技を決められたアスリート」のように偉大なことであったかもしれないと信じるかどうかは、読み手が自らなにかそういう経験をしており、補って感じ取ることができるかどうかに依存する。
三大バレエが書かれているころ、パリでラヴェルという男が書いたのが「高雅で感傷的なワルツ」だった。題名はシューベルトの連作ワルツから取っているが、僕の主観では「高雅」「感傷」「ワルツ」というより「15分間の暗く混沌とした和声の迷宮」に他ならない。1919年の「ラ・ヴァルス」も渦のような暗さが支配するが、ワルツの3拍子がラヴェルの創造に何らかの関りがあったことは確かと思われ、それは意識下にある19世紀的な「良き(Belle)」ものの残像を象徴化した存在だったのではないかと僕は思う。
ストラヴィンスキーは作曲経験のあまりない、弱冠20代の新人の壊し屋だった。1911年にパリの空気を吸っていた彼に世の崩落を予知させた何物かが降臨したが、キャリアの無さが幸いしたかもしれない。それはやはりパリにいたラヴェルも訪れて「高雅で感傷的なワルツ」を書かせていたが、ラヴェルはキャリアがあった。ベル・エポックの甘美な夢にも浸っていた。それがやがて誰かに打ち壊される(それが無残な戦争によるとは知らなかったろうが)。不安が投影され、甘美な夢とダブル・フォーカスになったのが同曲だったのではないか。ラヴェル自身にとっても本意ではなく、他人事でありたく、作曲者の名を伏せておくゲームの場で聴衆の信を問うてみた。その心理は彼固有の人をトリックで煙に巻く趣味にうまく紛れてはいるのだが。
第1曲 Modéré の幕開けは、素人の指ではつかみにくい和声で跳躍する強打で、ラヴェルなりの “土壌” 崩壊への狼煙だ。しかしこれをストラヴィンスキーの投じた異界の音響と比較することはできない。歴史は必ず主役がいるが、彼らもその当座は脇役かもしれず、雪崩の崩落はどの氷の一粒がトリガーになったのかは誰にもわからない。主役に祭りあがった者たちもきっと知らないし、ネタを知った後世の我々も実は往々にして知らないのである。
この曲には弾いてみたい魅惑がある。最もそうである第7曲は素人には到底無理で何とかなるのは第2曲だけだが、それでも和声を辿っていくとまったくもってラヴェルであり、無調ではないし調性が聞こえるのだが音は理屈をはみ出している類例のない不思議さである。この感じはビル・エヴァンスの譜面をなぞってみたときの感じに近い。
同曲にはラヴェルの自演とされる録音が存在する。危なっかしい部分があるがテンポは安全運転ではなく、これだけ弾ければピアノがうまくなかったという評にはならなかっただろうから俄かには信じ難い。
歌劇「子供と呪文」に引用がある第7を最高のセンスで弾いているのはサンソン・フランソワである。導入は霧の中を彷徨う暗い幻想、ワルツの主部は即興的なルバートの嵐だがニュアンスの塊りであり、煌めく高音の洒落た品の作りはうっとりするばかり、終結の高潮するクライマックスはぎりぎりまで溜めに溜めたエネルギーの奔流に体が揺さぶられる。全曲として僕が第1に推すのはこのフランソワ盤である。
あまり知られていないが米国のアビー・サイモン盤は最高度にプロフェッショナルな演奏だ。スコアのリアライゼーションでこれを凌ぐものはない。単に指回りがどうのという次元ではなく、複雑に音が絡む部分のテクスチュアがガラス細工の透明さで解きほぐされ、声部ごとに弾き分けられる音色、ニュアンスのパレットの多彩さには驚くしかない。万事が自在なだけにサイモンの解釈の個性が浮き出ており、この点だけはフランソワに軍配を挙げるが、看過されるべき演奏ではない。
フランソワに迫る面白さで技術的なキレも備えるのがアレクシス・ワイセンベルク盤である。この人も天才肌だったことが刻印された見事な録音だ。晩年にカラヤンとのつまらない協奏曲などに駆り出されたのは不幸だった。ラヴェルは適性があり、全曲を残して欲しかった。
ポゴレリッチは僕には謎のピアニストになってしまったが、この頃はまだ許せる。ラヴェルの自演からは遠いが逐語訳的演奏よりずっと面白く、この読みは本質を逸脱していないと思う。
ロジェ・ミュラロのピアノは知的だ。リズムもニュアンスも考えぬかれており、勢いに任せた部分がない。
マルセル・メイエの48年盤は文句なく素晴らしい。マルグリット・ロン、アルフレッド・コルトー、リカルド・ヴィニェスの弟子でありラヴェル直系であるが、直系がいつも良いというわけではない。むしろ規律に縛られずテンポとルバートが自在で感性にまかせる部分に魅力を感じる。
周知のように同曲は管弦楽版が存在する。しかしラヴェルには申し訳ないが、僕にとってこの曲のソノリティはピアノ以外には考えられないので割愛する。ドビッシーはそういうことをしなかったが、ラヴェルは管弦楽の音響を常にイメージしながら作曲していたと想像する。ふたりの脳の構造の違いが興味深い。
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僕が聴いた名演奏家たち(ジェシー・ノーマン)
2021 JUN 5 14:14:52 pm by 東 賢太郎
かつて聞いたソプラノで忘れられないのが、ジェシー・ノーマンとゲーナ・ディミトローヴァである。後で何を見ても全て霞んでしまう人智を超越したものがごく稀に世の中には存在するが、その “人間版” というとあらゆるジャンルでもそうそうめぐりあえるものでははない。故人になってしまったお二人は、僕の中では野球ならシカゴのリグリーフィールドで目撃したサミー・ソーサの場外ホームランだけが匹敵するという異次元の歌い手だった。
時は1984年2月24日(写真は同年)、フィラデルフィア管弦楽団定期であった。リッカルド・ムーティ―を従えて下手から悠然と現れたノーマンは千両役者の風格で、たしか足元までたっぷりのロングドレスを着ていた。39才とキャリア絶頂期のお姿であり、この大歌手を人生一度だけ聴けた幸運を天に感謝する。ベルリオーズの「クレオパトラの死」は知らない曲で音楽については覚えていないが、その金曜のマチネがこのオーケストラによる初演とプログラムにある。その声は大音声というものではなく、ひと言で喩えるなら排気量6000のベンツでアウトバーンを200キロで飛ばす余裕ある感覚に近い。身体全部が無尽蔵のエネルギーを満々と湛えた楽器というイメージのものである点、他の誰とも違う。音質はバターかビロードの如く滑らかで、ピアニシモにもかかわらず耳の奥まで響く。声量を徐々に増すと鼓膜にびりびりと振動を感じ、オーケストラの全奏の音が薄く感じられた。
かように、最前列の席で聴いていた僕は彼女の音楽ではなく声の「物理特性」にびっくりしたのである。37年も前のことだが、当時も歌はたくさんきいたがみんな忘れてしまい、これだけが焼き付いている。芸術を味わうのにそれは些末なことだと思われる方もおられよう。僕もそう思って渡米したが、フィラデルフィア管弦楽団を2年聴き、その2年目の最後の方にノーマンを聴いて考えが変わった。西洋のアートという概念は “形而上”(形をもっていないもの)のニュアンスがある訳語の「芸術」よりも、即物的な「技術」に近いのだ。もちろんそれを鑑賞者がどう感じるか、その多様性を容認すれば話は形而上の領域に迷い込まざるを得ないのだが、すべて心の表現力は一義的に技術に依存するというそれこそ即物的な事実に変わりはないと思う。技術を生む土台としての体格や運動神経が問われるのは所与の条件で、そこだけとればアスリートとかわらない。それなくして「術」でハンドルできる領域は狭いから「芸術」という言葉で絵画や音楽を受容するのは無理があるのだと。
アスリートでいうなら広島カープにクロンという巨躯の外人選手がいて、三振ばかりである。僕などストレスになるので彼の打席は他チャンネルに逃げる。ところが昨日、めったにないことだがレフト場外に特大ホームランを放つとムードが変わった。それでもカープは楽天にあえなく大敗したのだが、(冒頭のソーサの一発には比べられないが)それでもあんな当たりはそうは観れんなというカタルシスの解消はバントや犠牲フライの1点では到底及ばないもので、まあ1敗ぐらいはいいかという気分にすらしてくれる。こういう破格の超人性を素直に喜ぶ文化が米国には大いにある。欧州にもあるかというと微妙だが、ないことはないし、米国人の多くは欧州から来たのだ。ノーマンをかような文脈で語るのは失礼を承知だが、持って生まれたものも「技術」のうちという不公平な事実の上にスポーツもアートも存立しているのは誰も否定できないことを言っている。オーケストラというアンサンブルを目的とした組織体は公平に民主主義的に運営でき、労働組合すら組成でき、そこに超人はいらない(いるなら全員が超人の必要がある)が、ソリストというものは、いわば中世的、独裁者的な存在なのだ。オペラはその意味で舞台が独裁者オンパレードのアートであり、庶民の組織体であるオーケストラは「しもべ」だ。いまどき稀有な封建的な世界。それはリブレットがその時代を描いていることと直接の関係はないがとても親和性はある。僕はこういう観点からオペラを楽しんでいるが、その発想のルーツこそ1984年のジェシー・ノーマンだった。
後になって知ったことだが、さらにノーマンの声はアフリカ系の特色があって、高音でも金属的にならず、柔らかく包み込む人間味がある。リリック・ソプラノであるバーバラ・ヘンドリックスやR&Bシンガーのアニタ・ベーカーにも共通するそれを僕は美質と感じる。その味はおのずと素朴な指向性があって知的な役どころに向かないきらいがあるが、どの録音でもノーマンはオペラの役どころに染まってしまって歌が軽薄に陥ることがなく、常に知性と気品がある。それが恵まれた声とパレットの上で融合して易々と聴き手を金縛りにしてしまう。これが彼女を別格、別次元の存在にしているのだ。レパートリーは広範でミシガン大学の修士であり、有名作品のディーヴァともてはやされた人でシェーンベルクを彼女ほど歌いこなした人は他には知らない。ハーバード、ケンブリッジ、オックスフォードを含む30の大学から名誉学位を授与されたのも当然だろうという超人であった。
これが彼女の「クレオパトラの死」、僕がきく2年前の演奏だ。
上述の声の特性、知性、気品、陰影はオペラより歌曲に顕著だ。歌曲はごまかしがきかない。ラヴェルの「マダガスカル島民の歌」をお聴きいただきたい。
とはいえ、彼女の超重量級のワーグナー、R・シュトラウスが悪かろうはずがない。このワルキューレはジェームズ・レヴァイン指揮のメットで、ヒルデガルト・ベーレンスのブリュンヒルデ、そしてジェシー・ノーマンのジークリンデである。これぞワーグナーだ。悔しい、聴きたかったなあ・・・。
R・シュトラウスでの当たり役はアリアドネである。このオペラは大好きだ。ツェルビネッタがシルヴィア・ゲスティ(ケンぺ盤)かエディータ・グルベローヴァかという選択もあろうが、僕はこの役がワーグナー級でないと物足りないからノーマンになるのである。
これだけハイベルの心技体が揃った歌手がそう出るわけではない。録音は永遠に聴き継がれるだろう。
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僕の愛聴盤(2)
2020 SEP 27 13:13:23 pm by 東 賢太郎
チェルミナーロ氏のビデオ。
次に、やはり1度目にこう書いてくださったSacred Tarot氏。
Nobody conducted Daphnis et Chloe like Boulez. I was lucky enough to hear him conduct it twice in concert, first with The London Symphony Orchestra and London Philharmonic Choir, and secondly with the BBC Symphony Orchestra, Chorus and Singers. I remember reading an interview with him where he was asked about his career highlights. The first he mentioned was making this recording with the New York Philharmonic. If I could only have one recording of Daphnis; my favourite piece of music, it would without question be this one .
インタビューで「ご自身の(指揮者としての)キャリアの頂点は?」と尋ねられたブーレーズは、「複数あるがニューヨーク・フィルとのダフニス録音の頃がその最初のものだ」と答えたとある。「ダフニスを彼のように振れる者は他にいない」Tarot氏のご説に同感だ。ちなみに、僕の「最高のダフニス」は94年にブーレーズがベルリン・フィルを振ったものだ。彼の顔を右横から見おろす位置の席で、同年のカルロス・クライバーのブラームス4番のちょうど反対側だった。あんまり良い席ではなかったがオケのすべての音を味わい尽くした、というのはフィールハーモニーが音響のよいホールであることもあったが、なにより演奏の質が、もしライブ録音したらCBS盤に遜色ないほど細部にわたって ”完璧” だったからだ。
今になってその理由がわかったように思う。チェルミナーロ氏のようなワールドクラスの凄腕プレーヤー達がブーレーズの耳と指揮に心服し、しかも録音が商業的に成功してしまうことを知っていたからモチベーションも高かったのだろう。「ミスしない」ことのプライドを氏はコストにひっかけて説明され、プロだから当然と思われてしまうかもしれないが、一流二流の差はミスしないことだと僕は思う。スポーツでも将棋でも料理でも受験でも仕事でも、「ワタシ失敗しないので」の外科医でもなんでもそうだ。106人の一流奏者がその緊張感とモチベーションでやれば立派な成果は自ずとついてくるだろう。心の底から深い満足と興奮を得たのが忘れ難い。残念ながら、あれが人生ベストになるだろう。
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ラヴェル 舞踊音楽「ダフニスとクロエ」(全曲)(ピエール・ブーレーズ / ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団)
1度目のアップですぐ、
「すばらしい!今日の朝食が何だったか忘れてる私が、40年前のこの録音のことははっきりと思い出せるのです」
とコメントを下さったのは、まさにこのダフニス録音で1番を吹いているニューヨーク・フィルの首席ホルン奏者、ジョン・チェルミナーロ氏(http://John Cerminaro – Wikipedia)だった。NYPOでラインスドルフ、メータ、ブーレーズ、後にロス・フィルに移籍してジュリーニ、プレヴィンの下で首席を務めた世界的奏者だ。
John Cerminaro氏
Fascinating! I can’t remember today’s breakfast, yet vividly recall this recording over 40 yrs. ago! It shot off the charts like a meteor, lots of awards (Grand Prix du Disque, etc.) & won Andrew Kazdin & CBS records “Best of Kind” status nearly overnight. One of my own joys: At $2.50 per second (w/106 musicians) i only needed one take for all the touchy stuff..the lonely opening solo at 1:06, or that 3-octave lip-slur to high-C at 13:99..notorious for multiple takes, but could see Pierre & Andy beaming in the booth during replays! One horn player can single-handedly carry a session into double-digit overtime. Even so, my luck held for all our 1970’s hit parade discs! Cheers to anyone left from the ol’ glory days! Ciao & shalom… JC
意訳
この40年前の録音は発表されてあっという間に流星みたいに数々の賞を総なめにしました。私が個人的に嬉しかったことですが、この曲はホルンに著名なソロの難所があり、撮り直しで10分以上も食うのがざらです。106人の奏者を雇っての録音経費は1秒で2ドル50セントもかかりますが、幸いに私は一発でうまくいき、ブースでリプレイを聴いていたブーレーズとカズディン(CBSのプロデューサー)が微笑んでいるのが見えました。私の幸運は70年代(訳者注・ブーレーズ時代である)のヒットパレードディスクの録音でずっと続いてくれました。