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カテゴリー: ______株式道場

ダ・ヴィンチは誰に微笑む

2023 JUL 11 7:07:48 am by 東 賢太郎

次女からラインがあった。「これお父さん好きだと思う。私のアカウントだと明日まで無料で見られるよ。リビングのfire tvで入ってみて。入れなかったら電話して」。タイトルは「ダ・ヴィンチは誰に微笑む」だ。やっぱり入れなかったので長女がやってくれた。

良い見立てだった。ストーリーはアマゾンにこうある。

ダ・ヴィンチには“消えた絵”があり、それには救世主が描かれているという説がある。名も無き競売会社のカタログに掲載された絵を見て、もしかしたらと閃いたNYの美術商が13万円で落札したのだ。彼らはロンドンのナショナル・ギャラリーに接触、専門家の鑑定を得たギャラリーは、ダ・ヴィンチの作品として展示する。お墨付きをもらったこの絵に、あらゆる魑魅魍魎が群がった!意外な身元を明かすコレクター、手数料を騙し取る仲介者、利用されたL・ディカプリオ、巧妙なプレゼンでオークションを操作するマーケティングマン、国際政治での暗躍が噂されるある国の王子―。一方で、「ダ・ヴィンチの弟子による作品だ」と断言する権威も現れる。そして遂に、510憶円の出所が明かされるが、それはルーブル美術館を巻き込んだ、新たな謎の始まりだった―。

「面白かった、ありがと」

「国の特徴が出るよね、価値ってほんと後付け」

「価値はマーケティングが付ける」

次女はマーケティング専攻でMBAもとったから頑張れよという僕なりのエールだ。この映画の楽しさは13万円が510億円(約40万倍!)になったのが実話だということにあるだろう。ここまで浮世離れすればそれだけでもう娯楽だ。複数の証言(インタビュー)をつないだクロスカットの手法がドキュメンタリー風のリアリティと心地良いテンポになって映画っぽくないのもいい。絵画の世界では代理人が思いっきり「中抜き」して犯罪にもならない。だからシロウトは手を出すなよという警鐘も鳴らしている。

株式も似たものがある。さすがに40万倍はない。しかし投資家を保護する法整備があって魑魅魍魎は住めない。だから2021年のアート売買市場は推計9兆円、株式市場は600兆円という数字になってる。お金は臆病でリスクの少ない所に密集する性質がある。リスクとリターンは裏腹だからリスクが減ればリターンも下がる。それでもアート市場の60倍のお金が集まるのは、十分なリターンが得られるからだ。

上場日のアップル株1株の価値はきのう時点で1583倍になってる。100万円買っていたら15億8300万円だ。テスラ株を上場日に100万円買っていたとすると1億2630万円。銘柄を選ぶ目利きになれば、売り買いなどせずじっと持っているだけでお金は勝手に増える。僕はもう少し欲張って、上場前の株を売ってもらう交渉をその会社とする。うまくいけば上場株価より安く買えるからリターンはさらに増える。これをするにはその会社の経営に貢献しないと交渉の余地などあるはずがない。普通のコンサルはそれでフィーをもらうがそんな金額はたいしたことない。僕は株でもらう。それを客さんにもお分けする。

ポイントは「目利き」になることだ。才能はいらない。誰でもできる。要はやるかやらないかだ。日本人は「株をやる」という。おかしな言葉だ。これを使う人は間違いなく投資をわかっておらず、99%の日本人がそれだ。やるのはテニスだったり酒だったり、しょっちゅうやるニュアンスがある。投資でやるのは銘柄選びだけで売ったり買ったりなんかしない。それはトレーディングというぜんぜん別物だ。僕はトレーディングなど一切興味ない。そんなものは儲かったためしがない。安いうちに買って、じっくり持って、高くなったら売る。数年持っていて5倍になればオッケー、10倍なら祝杯。それだけ。実にシンプルだ。

できるようになるには考え方が重要だ。なぜなら、なにがしかは未来を予見する必要があるからだ。知識は誰でも自習できる(アナリスト試験など)が考え方は習った方が圧倒的に早いだろう。セミナーみたいなものをやればいいがあいにく僕にはやるインセンティブがない。その分ブログは書いてきた。物事の考え方はジャンルに関わらずすべてのブログに反映しているので汲み取ってもらえばいい。このブログが2438本目になる。だんだん疲れてもきておりいずれやめるが息子が本にして保存してくれるらしい。

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ジャイアント・インパクト説で張った大勝負

2021 NOV 7 12:12:37 pm by 東 賢太郎

僕は長いこと「科学教」の信者だったが、いまは宗旨替えしている。科学は大事だが、人生を良くしてくれるわけではないからだ。

むかし、飲み屋で何かの拍子に「猫に科学はいらない」といった。一瞬の沈黙があり、「そうよそうよ、人間だってそうじゃない」「だよね、だってサイン、コサイン、見たことないもんね!」と一連の盛り上がりを見せた。何となく敬遠されていた僕の好感度が急上昇したらしい。

「そうじゃない。科学は大事だけど、人生を良くしてくれるわけじゃないのは猫も人もおんなじだといったんだよ」。またまた一瞬の沈黙があり、「え~っ、なにそれ」「ってか、わたしたち猫なみってことぉ?」「ひど~い」。君たち、それは猫に失礼ってもんだ。好感度は急降下した。

こういうのが国中で盛りあがると反知性主義というものになるが、それで人生が悪くなるわけでもないということも言っているのだから急降下はアンフェアだ。百万都市の繁栄があった江戸時代の人はそれなりに幸せだったが、たしかにサイン、コサインは知らなかった。だから彼女たちは正しいのだ。

いま自分の半生記のために色々むかしの資料を引っぱり出して読んでいる。ああなるほどそんなことがあった。もう他人事のように冷静だ。住んだ家の情景からいろんな記憶もよみがえってくる。ほんとうにうまくいったなあと思う。しかし困ったことに、そのどれもが「たまたまだけどね」と語っているのである。

僕が「科学教」の信者だったのは実証主義者だからだ。これは生まれつきの性格だから変えようがない。今あるのは意思や能力のおかげじゃなく単なる偶然の結末だとなるが、綿密な調査、検証の結果なのだからそれが正しいのである。つまるところ、それを認め、認知的不協和を乗り越えるのに僕は2年もかかった。

2年半前の野球の記事が、その萌芽が現れたことの証拠になっている。

カープはなぜ5月に強くなったのか

「乗り越えるのに2年もかかった」という部分には一抹の誇りを感じないでもない。「おお、ケプラーが楕円運動を仮定するのに30年かかったことの1億分の1ぐらいは同じじゃないか」とうぬぼれたからだ(参照:http://教養のすすめ)。そう自分を慰めて認めさせたといったほうが近い。

ジャイアント・インパクト説。いま僕はそれの強固な信者になっている。月の生成。これが純然たる物理現象であることを否定する人はいない。蓋しこういうのを解明するために物理学という学問があるのだろう。しかし、月ができた理由は長らく解明できず、最近になってコンピューター・シミュレーションで再現できることからジャイアント・インパクト説が有力になってきたのである。

このことは「麻酔がなぜ効くかいまだにわかってないんですよ」と某大学の麻酔科の教授に聞いて驚いた記憶とすぐに結びついた。月の生成と麻酔のメカニズムの両方を研究する人はいないから両者が「似ている」と素人が主張しても何も起きないが、そのことから、「科学には限界がある」もしくは「科学の方法論に限界がある」と主張しても科学的な反論はたぶんないだろうと思う。今の人類が手にしている物理学、数学、化学、生物学、生理学、薬学という理論では説明できない二つの現象があり、別々の理由でそうなのかもしれないが、人類には見えない同じ理由があって、そこから二つどころか多数の「不可解な」現象が現れていて、各界でばらばらに研究されている。その統一原理を見つければ全部が一発で解決されてしまう。そういう何ものかがあるのではないかという仮説に僕は途方もない魅力を感じている。

科学が万能でないことを認めた瞬間に僕は「科学教」の信者から宗旨替えしたのだ。決定的だったのは素人用(数学の出てこない)量子力学をかじったことだ。さらに、コロナで興味を持ったのでウィルスの本を読んでいるうちに、なんでタンパク質がA,D,T,Cの組み合わせで生成されるのか(つまりアナログがデジタルからできるのか)不思議に思って調べたらドンピシャの本に出会った。非常に面白いのでお薦めする。アミノ酸という単なる物質の組み合わせがゲノムという生命の設計図になり、「命」という超物質が生成される。唯物論とメタフィジックス(形而上学)の垣根という哲学上の議論が物質界で展開されるのは痛快というしかない。

ここから先は我が空想だが、古代に知的生命体が地球にやってきてゲノム設計図を作り、アフリカの類人猿(ミトコンドリア・イブ)の遺伝子にそのプログラムを書き込んで初の人類が “生成” された。その猿の子孫がさらに進化し、先祖の記憶をたどって聖書なるものを書く。始祖はアダムとイブという名前になった。各国の神話で知的生命体(=神)は空から降りてくるし、神殿はピラミッド状の形をしており、蛇、狼、熊などヴァリエーションはあるが人類第1号誕生に関わる “他者” (神の関与を示唆)が存在するという共通項がある。通信手段のない時代に複数個所に偶然にそれが起こる確率は非常に低く、アフリカの実話が人類の拡散とともに各地に広がった結果と考えたほうが納得できる。

「ジャイアント・インパクト」は超多元連立方程式の解としても、計算力があれば解けないわけではないだろう。しかし科学の有意性は後から解いて納得することではなく、月にロケットを命中させるように未来を予知することにある。「人生を良くしてくれる」とはそういうことだ。超多元式の組成がわからないと、事後的にそれを知って解けたとしても予知は永遠に無理だ。そして、我々の見ている世の中には予知できないこと、たとえば、地震、台風、太陽フレア、気温上昇、自分の寿命、ウィルスの出現、経済成長率、株価、ウナギの進路、サンマの水揚げから女心と秋の空に至るまで、予知できないことはいくつもある。

冒頭の「宗旨替え」の理由がおわかりいただけたろうか。サイン、コサインはいま我々が享受している生活の利便性を与えてくれた大事なものなのだが、それは結果であってここから人生を良くしてくれるわけではない。知っている人と知らない人で幸せの量が変化するとは思えない。それは各人が求める幸せのキャパ(容量)により、その大小が人間の価値に関わることはまったくない。小さめの人はサイン、コサインの学習など無縁でもキャパいっぱいの幸せを得ることで素晴らしい人生が送れるだろう。であれば無理して大学など行く必要もないし、その時間を自分なりの幸せの追求に向けたほうがよほどいい。

僕自身も物欲、権力欲は大きめに生まれついていないからそういう学習に無縁な人生は充分にあり得たと思う。ところが、人間の熟成にもワインと同じで、 “テロワール” というものが存在するのだ。

世界のうまいもの(その14)《エシェゾー》

僕の場合、種子はいたって慎ましいものだったが植えられた畑の土地柄、つまり、学校や友達や競争環境が影響して幸せキャパが大きくなってしまい、こういうワインになった。父が中学で公立に転校させテロワールが激変したのがきっかけであり、それが大学、MBA、海外勤務とますます想定外の方向に行ってしまい、子供時分のちいちゃくて大人しいケンちゃんからは誰も空想だに出来ぬ人間になった。一番驚いているのは自分だという処にこそ、このストーリーを書いておく意味合いを感じている具合だ。

「ジャイアント・インパクト」を信仰することで僕は広島カープが強くなったり弱くなったすることに耐性ができたし、自分にも他人にも何に対しても人間が寛容になったと思う。科学教のころは何でも自分で解けると信じていて、実は解けないのだから当然なのだが、実にたくさんの失敗をしていた。そこで個々の敗因を探るのをやめてばっさり宗旨替えすることで、どうせわからないことは考えない、頑張らない、結果を見てからやって意味のある事だけしっかりやろうという考えに転換した。実は日本人の大多数はそういう人である。いたって普通のことで何をいまさらに聞こえようが、僕は見事なほどそうでなかっただけに勇気のいることだった。

自分が得意でない分野では専門家の意見に頼るが、その分野の中だけで解決できる問題はその人が解いていてすでに過去である。彼が解けないのはクロスボーダーの複合的な問題で、それを解かないと「良い人生」はない。そこで「メタ認知」という視点が大事になる。僕は受験で数学の訓練をそこそこしたので異分野の理論や事象に相似形を見つけ、あるいは因数分解し、メタ(高次)の原理をみつけるのが比較的得意だ。ジャイアント・インパクト超多元連立方程式がそれで解けることはあり得ないが、正解ではなくても「だいたいこのへん」という直観を交えて他人より “少しだけ正解に近い数字” を見つけられるかもしれない。ビジネスではそれで全くもって充分なのである。他人より失敗確率が減ればロングランでは勝つからだ。

この考えはゴルフ、麻雀、猫に近い。常勝も圧勝もいらない。長丁場で負けなければ企業は存続できる。投資のチャンスはたまにしかない。従って、潰れずに、その時を猫みたいにじっと待って、勝てると踏んだ時にエイッと勝負をかけるのがポイントなのだ。「わたし、失敗しないので」は危険であり、「わたし、致命的な失敗はしないので」が良いスタンスだ。そしてチャンスと見たらダブル・リーチをかけて「来た、見た、勝った」で仕留める、その爪をいつも研いでおくことだ。僕はゴルフ、麻雀、猫遊びに習熟し数学/哲学アタマだからこの仕事にたまたま向いていた。しかしそれは業界に飛び込んでから偶然に知ったことだ。

ジャイアント・インパクトでひも解くと株式相場がどうなるかはもうだいたいわかっている。テーパリングは中央銀行界がやってる感を出すための議論でOPECの増産・減産の表向きとかわらない。リーマンの時に流動性が流れたデリバティブは兆の上の京に至ったが、いまは仮想通貨がそれになり総額はもっと大きくなる。これは潰せない。メタバースという三次元スペースの値段はそれでつくから京を超えるかもしれない。現状の経済運営に通貨はそんなに要らないが、要らないものに価値を感じるように人類が進化するのだからその「要らない」という概念は要らない。ざっくりしか書けないが、そういうジャイアント・インパクト説で僕は勝負をかけ、おそらく勝つだろう。

僕には生糸貿易で大儲けして横浜、熱海の水道、ガス燈を私財で作った先祖がおり、その血が流れている。科学者や大学教授や陸軍大将もいるが、体内感覚で誰より彼の血が濃いような気がしている。50才で亡くなったのでもう負けてるが、70でいいから抜いたらきっと喜んでくれると思う。「相場は騎虎の勢い」が座右の銘であったが、おんなじだ、食われるので背中から降りられない。

 

 

 

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アラジンの魔法のランプはなぜ二つない?

2021 JUL 17 9:09:36 am by 東 賢太郎

ディズニー映画にもなってる「アラジンと魔法のランプ」。擦ると魔人が出てきて「お望みのものは何でも出してあげます」というあれだ。「じゃあ宮殿でお姫様と結婚したい」といってそれが叶うが、魔人にランプを奪われて宮殿ごと略奪されてしまう。これを絵本で読んだ時に「『ランプをもうひとつ出せ』といえばよかったのに」と思ったからマセたというか、どうも夢のないガキだった。

そんなランプがもしあれば、世界の富は独占できてしまう。した者はいないから、したがって、そんなものはこの世にないのである。

ところが、あると思ってる人がいる。「仮想通貨をAIで運用すると4か月で2.5倍になります」ともちかけた詐欺集団が投資家を騙して60億円集めたというニュースでそれを知った。よく考えていただきたい。そんなAIがあるならアラジンの魔法のランプと同じだということは、どんなにお金や運用に疎い方でもお分かりいただけるだろう。だからまず「そのAIを持てば無限に儲かるね?」と詐欺師に質問してみればいい。次に「ならば自分のカネでやるよね、どうして見ず知らずの僕に儲けさせてくれるの?」ときけばいい。尻尾をまいて退散するだろう。

TVで政治家がこの事件を解説して「リターンがあるならリスクもあることを知るべき」「教育がいかん」と話していた。それはそのとおりだが、そんなことを言っていたら永遠にリターンは得られない。投資は「虎穴に入らずんば虎子を得ず」なのである。しかし虎穴に入って母トラに襲われるリスクは不明というのがこの故事のシチュエーション設定なのだ。遠くにいるとわかれば虎の子は安全に得られるだろう。とすれば親をあらかじめ追跡しておけばいいではないか。ドローンやGPSでそれをやると想像してほしい。それを「リスク分析」という。

すなわち、「リタ―ンの裏にはリスクがあるよ」ともっともらしいことをいくら覚えても、詐欺には引っかからなくなるかもしれないがそんなものはインテリジェンスにならない。「リスク分析」を行い、そのリスクに見合うリターンがあるか否かを比較すべきなのだ。例えば親が穴から10mの所にいるなら誰がどう見ても危険だ。でも100mならどうだ?しかも虎の子が2匹いたら?3匹なら?こう考えるのだ。リスクの許容量は人それぞれで正解はない。10匹で500mでもやらない人もいれば1匹で100mでも挑む人はいるだろう。こうした人それぞれの判断を「相場観」という。それが多様だから、同じ値段で売る人と買う人が出てきて、取引所で相場が立つのである。

それを知れば「リスク分析」こそが投資成功の鍵であることがお分かりだろう。では「リスク」とは何か?ほとんどの皆さん「損する事」と思ってる。その答えは零点だ。零点の方法でリスク分析して勝つはずがない。もし勝ったらビギナーズラックだから、長くやればその利益は吐き出してしまうだろう。合理的予測がどのぐらい外れるか、その外れ方の大きさ(標準偏差値)がリスクなのである。説明は省くが、ここでの本題はその合理的予測についてだ。それがあるか否かが株式投資とそれ以外のすべての投資の分水嶺なのである。株式というのは会社業績等(ファンダメンタルズという)という、ある程度までは「合理的」と多くの人が納得する「価値の数値的説明(ヴァリュエ―ション)」が可能である。その前提となる変数は複数あり、相互に相関もあるから多次元多変数関数の解析であるが、どんなに複雑であろうと関数関係という合理性はある。それでも完璧な株価の予見に誰も成功していないのは関数自体が時間と共に変化するからだというのが僕の解釈だ。

それが株だ。そして、それ以外のすべては、ファンダメンタルズの存在しない投機(バクチ)である。投資とバクチの区別がつかない人は多いが、実はそれはほぼ正しい理解であって、株式投資だけがそうでないと覚えておけばよい。だからプロ投資家であることが成り立つ唯一の投資対象であり、僕はその一人としてリスクを合理的に解析してリターンより少なく取る専門家であり、それでも想定する関数が完全でないから失敗することはある。しかし、外科医と違って我々は失敗してもその確率が想定内であれば構わないのだ。プロ野球選手が10回打って7回失敗するのはOKで年俸1億円もらえるのと同様のことある。そして、僕に原油や仮想通貨の予測を行うすべはない。株式ほど多次元多変数でないのは結構だが関数関係が導けない。つまり「リスク分析」が不可能である。可能なように語っている者は多いが、数学的に無意味であり、従ってリスクがわからない。合理的にわからないものに投資はしないのは僕の根本哲学だ。以上を絶対真理とまで言うつもりはないが、それを実践した結果として資産は作ったから少なくとも個人的真理ではある。

この方法論(インテリジェンス)をテキストとして書いてどこかで90分×10回講義で教えれば少しは世の中の役に立つだろう。詐欺師に騙されることなど絶対になくなるから社会正義にも資することになろう。僕は中高大と税金で勉強させてもらったのでリタイアしたら社会にお返ししたい気持ちは大いにある。そのためにはセミナー会場やyoutubeで料理番組みたいに具体例を使って投資シミュレーションをお見せし、机上の空論でないことをお見せするのが一番なのだが、それができないのだ。その株に投資したいと言われても金商法にひっかかり、それを合法にするにはコストと人数の上限が発生して視聴者に不公平が出てしまう。となると理論だけを教えることになるが、それを理解して実践できる人は少数だろうから「社会にお返し」にはならないと思う。投資信託を作って「おまかせで儲けたい」人を儲けさせるのは本旨ではない。自分の頭で考える投資を教えたいのであってお助けマンになる気はないし、それで手数料を稼ぐ必要ももはやない。

「そのAIを持てば無限に儲かるね?」「ならば自分のカネでやるよね、どうして見ず知らずの僕に儲けさせてくれるの?」という詐欺師撃退の質問を思い起こしていただきたい。この2つを問われたなら、①AIだろうがインテリジェンスだろうが「儲かる」ノウハウがあり、②儲かる証拠にそれは自分だけのために使いますというのがパーフェクトな回答なのである。運用者が社会福祉や公共政策を考えることはないしその必要もない。善人ぶっていても競争に勝てなければ存在する意味もない。まだ完成度は高くはないが質問1はほぼ達成しており、質問2は未達だ(資本が少ないと案件を取逃がすし、投資してもリターンが少ない)。だから15人のお客様にリターンをシェアしてさし上げる代わりに助けていただいている。それが150人、1500人となると手数料は増えるが技術やサービスが落ちるのでやらない。行列のできるラーメン屋がチェーン店にすると潰れるのはその本末転倒のせいだ。

悩ましいのは、そのポリシーで経営して事業に成功する自信はあるが、社会へのお返しという「人生のバランスシートの均衡」という動機とはどうしても矛盾が生じてしまうことだ。ノウハウは誰のため使うかというと「社会」ではなく少数の人たちだ。どうしてかというとアラジンの魔法のランプも幸福にしてくれるのは拾った人だけである。それが何万個もあって何億人もがお姫様やお城を手に入れるならランプの価値は無に帰すだろう。そして運用ノウハウを維持して合法的に使うためには相応の経費が掛かる。それを少人数で負担してもらうには、どうしてもお客様は富裕層になってしまうのだ。運用という行為に特許はないが、広く公開して皆が同じことをすれば利益は出なくなるという宿命を逃れられない。すなわち、その職業を選んでしまった以上、万人から愛されたり御礼をいわれることは諦めるしかないという結論に至る。しかし、いずれそれを後進に委ねる時は来る。そこで自分という人間の原点に立ち返ったなら何ができるんだろう?何をやりたくなるんだろう?来月は大いに「社会」を相手にする某社の顧問に就任する予定だが、ちょっと楽しみである。

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お金は自分で働いてくれる

2019 DEC 30 22:22:18 pm by 東 賢太郎

去年が大凶だっただけに、今年は後半が順調だつたのはありがたい。といって、何をがんばったわけでもない。マージャンでいうならたまたま「流れが良かった」のである。学生時代にヘタのツッパリでよく負けたが、高い手狙いで流れに竿さしてもダメだと悟って会社では負けないことを狙うようにしたら無敵になった。同じ手でゴルフも強くなり、その教訓から仕事も若い頃のように無理矢理なことはしないと決めたのだ。

投資というのは「お金に働いてもらうこと」である。お金は働いて自分で増えてくれる。ところが日本には「不労所得は良くないもの」という江戸時代から連綿と続く農村共同体の倫理観が根強くあって、株式投資などいかがわしいと思っている人が大半だ。実は不労所得がいかんというココロは「働かないと飯が食えんぞ」という戒めであって、だから民謡「会津磐梯山」に小原荘助さんが「朝寝朝酒朝湯が大好きでそれで身上潰した」と登場する。僕もこの歌で親父に「勉強しないとそうなるよ」と諭されたものだ。

しかし、お金も働けるとなると話は違う。いや、自分も働きお金にも働いてもらうのは世界の常識なのだということを僕は証券会社に入ってお金もちのお客様たちから教わった。つまり、増えもしない銀行の預金や郵貯に置いてあるお金は朝寝朝酒朝湯にふけっているというわけである。いい若いもんが働いてないに等しいのであって、不労所得どころか不労無所得なのだ。農村で一番許さないことを農村共同体的精神風土の日本人が黙って見過ごしている矛盾を不思議に思われないだろうか?

矛盾を解く鍵は投資というものの本質に隠れている。投資は実物であれ証券であれリターンを求めるものだが、それはどこから来るのだろう。天から降ってくれば結構だがそんなことはない。食物でも資源でも地球上の富は限られているから、得る人がいれば得られない人が出てくる。従って、投資は本来的に不平等を生むのである。隣の国や村を掠奪できるなら、勝つ側だけに限っていえば、内部に不平等は生まれない。しかし掠奪が許されないという建前になった現代にあって、天からお金が降って来ないのであれば、70億の人間全員がある株を買って全員が幸せになることはあり得ない。この原理によって、全員が平等に幸せであるべき農村共同体の文化とは水と油なのだ。

この文化から生まれた日本人ならではの美徳や強みを僕は誇りに思うが、それは古来の日本人全員が共有したものではない。武力で掠奪できた戦国時代まではそれはなかった。幕藩体制で掠奪がなくなった江戸時代に260年かけて古酒のように醸成された価値観であり、明治維新から152年たつこれからの世に江戸時代のままの価値観で幸せな人生を送れると考えるかどうかは皆さん次第だ。それを問うのが教育だと思うが、文科省がそうすることはない。政治家は国民一人一人の幸福など考えない。国が安泰に治まればそれでいい。それが政治家ひとりひとりの身分の安泰になり、国民のマジョリティが丸く収まる。それに竿さして左遷されたい官僚はいないからだ。

そういう確固たる理由によって、文科省は学校に農村共同体文化を逆撫でするような教育は絶対にさせないだろう。つまり、不平等を生む投資などとんでもない、バクチである、みな平等に働き平等に楽しみ平等に死んでいく、それが日本人の幸せだと説き続けるだろう。それで江戸時代さながらの手法で村が治まり、村の代表である国会議員が失業せずに女王蜂状態で生き長らえ、票田を世襲した二世、三世議員も女王蜂で居続けて皇室並みにディファクトだという世の中が出来上がるのである。働き蜂を慰労して、君らは「上級働き蜂」だとプライドを持たせる場が叙勲から桜を見る会まで序列で周到に用意されている計略は見事だ。

お判りだろうか?下級働き蜂に本当のことを教えて賢くなってもらっては困るのだ。学校で共産主義国家だと習った中華人民共和国が、いまやトランプ大統領をビビらせる資本主義国家であったことが判明している。ではなぜ中国は共産主義国家を名乗ってきたのだろう?簡単だ。女王蜂が膨大な数の働き蜂を従えて巣を作るのに好都合な大義だからだ。韓国の反日にも同様の要素がある。それが政治家の身分安泰の保険になり、国民のマジョリティが丸く収まるからである。歴史に学べというが、日本国の農村共同体文化もそれと同じものではないかと疑ってみるべきであり、為政者側である学校が絶対に教えない真実で世界は動いていることを見抜かなくてはいけないということだ。

僕のビジネスが原理的に最大多数の最大幸福に繋がらないことは以上からご賢察いただけよう。「誰でも儲かる株式投資」なんて類いの本は100%ウソである。万人が儲かる株は絶対に存在しないし、仮にそれに近いアイデアがあったとしても、万人がそれに乗っかれば儲からなくなってしまう。だから、他人には教えないのである。それを本にしたり学校で教えるなどというのは、余程の酔狂か自己犠牲精神あふれる人しかできない。なぜなら、そのアイデアを得るには金銭的にも精神的にも多大なコストがかかるからだ。投資には最大公約数として一般化した基本知識がある。それを投資理論と呼び、ウォートンのようなファイナンス系のビジネススクールに行けば習うことができる。だから僕は学校で理路整然と投資理論を教えてあげることはできるが、それは何ら結果を保証するものではない。なぜなら理論化すれば誰でも再現でき、万人が乗っかれば儲からなくなってしまうからだ。むかし家庭教師や塾の教師のバイトをしたが、それは教える僕が100%解けるという前提があった。しかし投資となると自分だって必勝ではないことを意味している。

また、多勢に無勢の民主主義の国で、超マイノリティである僕が有権者の支持を得ることもないから政治を変える力もない。であれば僕は家族と会社を守るため自分の生計だけを考えればいいだろうという結論になるしかない。政治家でない皆さんもそうだ。それには、お金に働いて仕事してもらわない手はない。為政者が国民の安全と幸せを仮に願っているとしても、それは自分と一族郎党だけのためだ。年金も天から降ってくるのではない。お金に働かせて増えてもらわないといけないが、計算上、到底政府が約束した金額にはならない。年末にせちがらい話になるが、自分と一族郎党は自分で守るしかないのである。

 

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大塚家具がヤマダ電機の傘下に入る

2019 DEC 17 23:23:33 pm by 東 賢太郎

大塚家具がヤマダ電機の傘下に入る。このことについて、2015年3月に書いたこのブログを読み返した。

株式道場-大塚家具の経営権争奪戦-

プロクシーファイトで80円に増配したわけだが、算数的に理屈に合わないので不思議に思って書いたブログだ。でも恨みつらみのケンカなら理屈抜きと誰もが思う。実はこのころ、ある上場会社のオーナーが「これが芝居だったらお見事だ、ウチも息子とやってみるか」と冗談を言っておられた。

 

お断り: 弊社ソナー・アドバイザーズ株式会社は(株)大塚家具の株主ではなく、同社株式を現時点では売買の対象としてアドバイスした事実はございません。

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日本人の資産運用の偏差値は30台である

2019 JUN 9 19:19:34 pm by 東 賢太郎

5年前にこのブログを書いた。

株式道場―百年安心年金の怪ー

ここに百年安心年金はウソだからダマされるなという趣旨のことを書いた。ウソである論拠も数字で明確に示してある。何人の方が読んだかは知らないが、反響はなかった。きっと誰も重大さがわからなかったのだろうと思って続編を書くのは無駄だからやめた。そうしたら今になって「人生100年時代」という煙幕を目くらましに使って、

百年安心年金はおおウソでした

と政府が発表しておお騒ぎになってる。

なつかしいなあ。むかしむかし、昭和という時代があり、「夢は夜ひらく」(藤圭子)という歌が流行った。

夜咲くネオンは 嘘(ウソ)の花
夜飛ぶ蝶々も 嘘の花
嘘を肴(さかな)に 酒をくみゃ
夢は夜ひらく

永田町寄席は昼からひらく。

 

~♪てけてんてんてんつくてんてん♪~

まずボケがはいる。

「老後は年金ではあきまへん、2000万円必要でっせ~」

そしてツッコミがはいる。

国民民主党の玉木雄一郎代表は党会合で、「『100年安心』が既に崩れていることは間違いない」と政府を批判。「新しい時代に本物の社会制度改革をしなければならない。訴える最大の機会が参院選だ」と争点化する考えを示した(毎日新聞)。

⇒ 既に崩れている?そんなもん5年前からジョークネタだろ!

立憲民主党の福山哲郎幹事長も「いつから2000万円貯蓄をしなければ老後が迎えられなくなったのか。(安倍晋三首相に)国会に出てきて国民に説明していただきたい」と語った(同)。

⇒ 10年前から常識だろ!ボーっと生きてんじゃねーよ!。

客席は爆笑ではなく、失笑の嵐となる。チコちゃんも来ていたのだ。

 

こういう馬鹿な人たちに政治を任せておくことこそ一番先に改革しなければならないことである。資産運用なんて中学・高校はもちろん東大にだって教えられる先生はひとりもいない。マスコミは理解できないから書かない。「百年安心年金」がおかしいと疑問を持たない国民はどんどんたかり体質になり、食いっぱぐれてもクニが何とかしてくれるとまじめに信じている。

でもそんなものは5年前の時点で僕のブログで計算すれば小学5年生でもわかったのである。

残念ながら結論はこうだ。

日本人の資産運用の偏差値は30台である

僕はいまさら世の中に警鐘を鳴らす気もないし、それを教えて商売にしようなんて気はさらにない。最後のひとことになるが、30代以下の人は偏差値50ぐらいにはしとかないと本当に将来大変なことになるよ。

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株式道場 「Bigger Fool は10年後に現れる」

2018 OCT 30 18:18:54 pm by 東 賢太郎

ユビキタス社会という言葉は証券界では20年前から誰もが知っていた。いずれそんな世の中になるぞということで真剣に調査していたからだ。僕は野村證券金融経済研究所の部長だったころこれに興味があって調べた。それに近いことが昨今はIoTという卑近な言葉となって巷でも知られている。つまり、ドラえもんの世界と思っていた「そんな世の中」がいつの間にか現実になろうとしているのだ。

その調査で「この株が買いだ」という結論は出なかった。産業のイノベーションではあるが効果は一企業ではなく社会全体に及ぶ。社会構造の変化は投資戦略上は難物なのだ。明確に導けた結論はインターネットが生産性を向上させるだろうという予測だったが、それも一企業で明確になるよりGDPや企業セクターというクラスターのデータとして計量化される。企業ごとに計量化されないものは収益予測に落とし込めず、従ってロジカルな株価予測も困難なのである。

ユビキタス(ubiquitous)はラテン語で遍在をあらわす”ubique”の派生語だ。宗教(一神教)における「神」の位置づけを具象化する概念で「あなたと共にどこにもいる」という意味である。別に神でなくともいい、全人類がインターネットでつながって、どこにいようと「そこにある」と全人類が思い込む仮想の場所があたかも現実の社会のように機能する状態がユビキタス社会である。

移動体通信がIoT(Internet of Things、物のインターネット)の物理的ディメンションを拡大し、ついにそこに自動車が加わることになって人々はユビキタス社会の到来を知ることになるだろう。これまで動くのは主にスマホを持った人だったが、クルマとロボットとドローンになって三次元となり、高速性、恣意性、汎用性が格段に増す。技術革新は軍需がドライバーだったが大きな戦争がないこの70年でドライバーは官から民になった。IoTに関わる企業が情報もセキュリティーも握る危険が生じるだろうが、進化を止める方法はない。

今やインターネットに触れない人は確実に減って化石となりつつある(94才の我が父でもできる程度のことだ)。触れた人はユビキタス社会を知り、その一員となる。新技術の出現において最も保守的な(要は頭の固い)層の人がそれになじみ、購入するほど受容するのにほぼone decade(10年)かかるらしい。疑り深い人、新しいものに疎い人がマス(多数派)になるまでの時間だ。野村證券がユビキタスを言い始めてからスマホが本格普及する2013年までたしかに10年ほどかかっている。ちなみにEV(電気自動車)の全面普及は2025年前後になるだろう。

そうなっては困る産業や失業する人も出る。しかし「アマゾンによる死」を救う法律もセーフティネットもない。変わらない、変わりたくない、石橋をたたいても渡らない、安定・安心がモットーという男と結婚を考える女性は知るべきだ、彼は実はリスクテーカーだということを。2010年に息子を連れて行ったヨークの英国国立鉄道博物館(NRM, National Railway Museum)でそれを象徴するものを見た。 ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道 (LNER) の蒸気機関車マラード (Mallard) NO.4468である。

マラード4468号は世界最高速度記録をもつ蒸気機関車としてギネスブックに載っている。時速203キロ の世界記録は1938年7月3日に達成されている。しかし1955年生まれの僕が物心ついたころ、それほど進化していた蒸気機関車は電気で走る新幹線に「時速200キロだ、速いなあ」と話題をさらわれていた。マラードで203キロの驚異の体験した人が、わずか2,30年後にそのマシーンが世の中から消え去るなど想像しただろうか。

我々はそれと同じ大変革期に生まれてきた人類である。考えるべきは「昔の鉄道は石炭で、クルマは石油で動いてたんだよ」と父が子に語る時代が何年後に来るかという予測だけだ。その日にはクルマとロボットと家庭が太陽光で作る電気でつながりスマホがIoTのコントロール端末となって完全ユビキタス社会となっているだろう。だから政府の予算も企業の投資も金融も雇用も、全部そっちへシフトするのである。ヒト・モノ・カネが集まるところに富が集積するのは人類史の鉄則である。そこに居ないで子孫に繁栄を願うというのは、あえてやせた荒野に種を蒔いて生きていきなさいと指導するようなものだ。

受験戦争も大事だが学校でその予測を講義できる先生はまずいないから子供が時代に乗り遅れないよう親が教育してやらねばならない。相続してあげる資産があるなら最も危険な「安定運用」ではなく、相応の割合を完全ユビキタス社会への株式投資に振り向けておくべきなのである。最も保守的な(要は頭の固い)層の人が行動を起こすのにほぼone decade(10年)かかるという統計はとても重要だ。あとでみんなが買いだして株価が上がりだすと安心して大きく買ってさらに株価を押し上げてくれる安定志向の人々のことをbigger foolと呼ぶからだ。

 

(PS)

マラード4468号はイギリスの子供向けのアニメ『機関車トーマスとその仲間達』に「スペンサー」という名で出てきます。ホンモノは消えましたが大事にされてますね。

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重かったビル・ゲイツの言葉

2018 MAR 17 2:02:09 am by 東 賢太郎

当時はこんな感じだった

1997年2月のダボス会議で、時の寵児だったビル・ゲイツが1000人ぐらいのホールでスピーチをした。まだインターネットが普及しはじめのころだったが皆が席を争って殺到し、やっとのことで予約が取れて会場に入れたという超人気ぶりだった。昨日のことのように鮮明に覚えているのは理由がある。「これまではどの国に生まれたかで生涯所得が決まりましたが、これからは何を学んだかで決まります」という言葉があったからだ。これは僕にとってアインシュタインの「 重力波」に匹敵する重大な予言であった。

先進国に生まれただけで開発国よりは年収は得られたし、学歴があればさらにそうだった。しかし、これからの時代は開発国に生まれても学ぶもの次第で億万長者になれるし、先進国に生まれても良い暮らしの保証はないよ。学んだものが時代に合わなければ名門校を全優で卒業しても年収アップにはつながらないよ。ゲイツの言った「何を学んだかで決まる」とはそういう意味であり、彼はそこで「これから学ぶべきものはITだ」と明言したのである。ちなみに彼はハーバード大学数学科を中退している。

あれから20年。世界はまさに予言どおりにそうなっているが、彼が「生涯所得」を良い暮らしのベンチマークにしたのは、「もし人間の幸福指数というものがあるならそれが最大変数だろう」(それだけではないが、必要条件だ)というきわめて自由主義的、資本主義的かつアメリカンな考え方であるから異論ある方もおられるだろう。素人がいくら音楽を勉強しても一文の足しにもならないが、それでも幸福指数を高めてくれることは僕自身も納得している。

しかし、彼の言葉は謙虚に聞くに足る。なにせピーク時の年収が1兆6,635億円(時給46億円)、総資産9兆円の人の言葉だ。彼の信条を習得してその1万分の1でもいいからご利益にあずかれば、あなたの年収は1億6,635万円だ。そんなのいらん、清貧に生きるのが人生だという方はこの先はお読みにならなくてもいいと思う。

ウォートンスクールに留学するにあたって「ビジネススクール」とは何か調べてみた。MBA(経営学修士)という学位を与える、経営の専門家になるための教育機関という建てつけの大学院であり、メディカルスクールが医者の、ロースクールが法曹のそれであるのとパラレルと思われた。当時27才の僕にとって経営とは想像の対象だからその専門家がどういう存在かは空想の領域だった。

経営の専門家は医師、法曹のように育成できるという概念は、経営は「技法」であるという前提がないと成り立たない。その上に、人間やイデオロギーを細分化(いわば因数分解)し、客観的で普遍な構造を追求する思想が重なる。それは「構造主義」に近似すると僕は理解した。つまり、技法は技術の集大成であって、高度に複雑な技法も技術レベルでは客観性、普遍性があり、そこに還元してしまえばマスターできるという意味で医学、法学と同次元の構造を見て取っているのだろうと思われた。

それが正しいかどうかは置くとして、実際に2年学んだ経験から次のことは言える。ピアノ演奏(技法)は運指(技術)に立脚するが、24の調の音階運指を訓練すればピアノは少しは弾けるという程度の類似性において構造主義はワークしうる、つまり、「経営はそれを構成する技術に因数分解して教室で教えることができる」ということだ。そう納得したと同時に、次の疑念を抱いたことも併記しなくてはならない。そもそも「経営は技法なのだろうか」ということだ。

ビジネススクールは経営学を教える学校ではない。ビジネスを「学」の対象にするほどの構造性はおそらく認めておらず、技法は技術の集大成ではあるが、技法は経験からしか学べない部分も包含している高次の概念であると前提していることは、経営学(マネジメント)は科目として、つまり技術の一つとして教えていることから明確にわかる。ビジネスは医学や法学と同次元で教育はできるが学問ではないという立場であり、これに僕は100%同意する。

経営学者ピーター・ドラッカーは自らの組織論、経営論をオーケストラと指揮者の関係に例えたが、奏者の腕(生産性)が高い前提で良い演奏(効率向上)をさせる経営(指揮)を教えているのであって、多くの人が勘違いしているように彼は名指揮者になる秘策を教えているわけではない。彼の著作を誇らしげに書棚に並べる経営者がいるが、そんな無駄金を使うこと自体生産性の低い経営者だとその本には書いてある。

かたやビジネススクールはそうした学問的、合理主義的なアプローチを頭で理解したうえで、夜中12時まで図書館にこもって半分も読破できないほどの地獄の特訓みたいな膨大なアサインメント(宿題)を毎日こなし、教室では完璧でなくても皆がなるほどと思う議論をその場ででっちあげるご都合主義にいたるまで、CEOになれば直面するしうまく切り抜けねばならないであろうあらゆるプレッシャーやシチュエーションの仮想体験を経験主義の精神で肉づけをする場だ。平たく言うなら、教室ではなく道場である。

ということは「経営は技法なのだろうか」という本質的な問いに対して、教室で教科書的に論じることはナンセンスである。実際に名経営者に接して、道場で剣道の乱取りを見る目線で結論を出すのが筋なのである。僕のころ「伝説の経営者」の神棚に並んでいたのはフォードのCEOを解雇されぼろぼろだったクライスラーCEOに転身して立て直したリー・アイアコッカ、そしてGEのCEOとして売上高を5.2倍、純利益を8.4倍に伸ばし、世界有数の株式時価総額を誇る巨大複合企業に育て上げたジャック・ウエルチだった。

ド迫力のおっさんだったウエルチ

僕は幸運なことにビル・ゲイツの出てきた97年のダボス会議の場で、その神様ジャック・ウエルチのブレックファスト・ミーティングに参加する機会を得た。最前列の丸テーブルに陣取ったら、自らの白熱したスピーチに興奮したウエルチが壇上からしゃべりながらおりてきて真横で熱弁をふるいだし、唾が飛んできて朝食は断念する羽目になった。そこでびびっと体で感じたのだ。ああ、このおっさん、自説に没入してテコでも動かん、それを弁舌と迫力で納得させるカリスマ親父だなと。

そんなのは因数分解などできない。教えられない。音大で棒の振り方だけ教えればフルトヴェングラーやチェリビダッケみたいな指揮者が出てくるわけではないのだ。ウエルチはドラッカーの信奉者だが、自説を立てる段に役立ったかもしれないがそれを実行させたのは彼の強烈な人間力だと思う。終了後に出口で参加者を握手で見送るウエルチに挨拶したら「おおノムラか、**はどうしてる?」と会社の先輩の名が即座に出て驚いた。心底びっくりした僕は彼のことを絶対に忘れない。ドラッカーの経営学もビジネススクールもこういう大事なことは教えてくれないのだ。

その同じダボス会議の場で、「生涯所得は何を学んだかで決まる」「それはITだ」というビル・ゲイツの言葉が水と油ほど異質に響いたのをご想像いただけるだろうか?こんなことを言う経営者が出てきたのか!目からうろこだった。カリスマ、人間力なんかではない、むしろ学校で教えられるもの、だれでも学べばできることだ。しかし、大事なのは習うことでなく、関心を持って自ら学ぶことだ。だから実はそれは「オタク」のすすめなのである。ゲイツは僕と同じ1955年生まれだ。思えばこの辺の世代から日本でもオタクが現れだしたし自分もそのはしくれであった。

僕は法律はつまらなくて勉強しなかったからゲイツみたいに退学しても良かった。オタク的に学んだのは株式投資であり何の専門家かと問われればそれだ。そしてそれが生涯所得を決めたというならそうだ。ウエルチのカリスマ、人間力は魅力があったし自分もそういうものを身に着けたいとは思うがそれで食えるわけではない。四六時中株のことを考えていて飽きないのだからそれで食ったほうが健康にもいい。「ITだ」と言われればそうだったかもと思うが、株ほどの興味はないからやっても成功しなかったのではないか。

最後に、僕の目を覚ましてくれたビル・ゲイツに賛辞を贈ろう。彼の予言を重力波の計測のごとく体現した人物は僕らより16才若い、EVを牽引するテスラ社の創業オーナー、イーロン・マスクだ。彼は決して先進国ではない南アフリカ共和国の出身だ(どこの国に生まれたかは関係ない)。10才のときにコンピュータを買い、プログラミングを独学し、12才で商業ソフトウェアであるBlasterを販売する。幼少にしてITオタクであり、商人であったのだ(何を学んだかで生涯収入は決まる。それはITだ)。そして彼の現在の総資産は205億ドル(2兆3千億円)なのである。

 

しかし予言のすばらしさの要諦はそれではない。マスクが共同創業者として起業した最初の会社、ペイパルがオンライン決済という金融に関わるサービス会社であったことだ。NASDAQ 上場の時価総額1兆円企業である(本社は前ブログのサン・ホセにある)。その彼が電気自動車メーカー、テスラという畑違いの創業に関わって、一度も黒字がないのに60兆円の企業にしてしまう。サービス業から製造業、金融から自動車。一見するとクロスオーバーなキャリアに見えるが、それらはITオタクという横糸で結ばれているのであってそうではない。それが宇宙輸送ビジネスになろうと、これまた同じことだ。ゲイツの予言の凄みを僕はここに感じるのだ。

テスラ モデルX

ガソリンエンジンとトランスミッションのいらないEVは日立やパナソニックが電化製品として作ってヤマダ電機で売れる。IOT時代は商品の方がITを基軸にクロスオーバーする時代であり、自動車が「家電」になればそれもそこに組み込まれる。子供でも分かる、それだけのことだ。1997年にビル・ゲイツがそれを見越していたかは定かでない。おそらく、彼はムーアの法則のような原理的観察による直感を語ったのではないかと推察するが、天才の脳内は測りがたい。ともあれ、原理と経験と直感から常に未来を予測し、予言をし、適中させること以外に大きなビジネスで成功する道はない。そして、多くの天才たちの予言・適中の蓋然性を吟味・分析して、少額の資金による事業参加を行うことこそが株式投資の本質なのだということも若い皆さんは覚えておいた方がよい。

 

株式道場-未来を原理思考しない日本人-

 

 

 

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株式道場-お値打ち物を買う眼が大事-

2015 DEC 12 1:01:47 am by 東 賢太郎

今年を振り返ると、少なくとも仕事においては良い年だったといえる。これを僕は屋久杉のご利益としている。

sugi

これが我が家に来たのは去年の末だった。江戸時代に倒された株なのに朽ちず、生きているわけではないのに今でも時間がたつと油が染み出てくる。永遠の生命力とはこのことだろう。千年も生きていたものには「物体」をこえた命が宿っている。それを毎朝ふれて、いただいて走ってきた一年だった。

 

 

値段は書かない。僕の大人買いに免疫のある家族がええっとなる程度だが、千年杉はもう伐採できないのだから高いのは当たり前であって当たり前のことを驚く必要はない。過去にも土地、時計、ステレオ等々、ええっという思いを何度もさせているが、それらのものは僕に心底の満足と喜びを日々与えているのであって、それで馬が走って代金はちゃんと回収されているわけだから問題ないではないか。こういうのを別なことばで投資というのである。資産も人生の満足も増える。貯金などいくらしたって銀行が儲かるだけで永遠にそんな現象は起きない。貯蓄と投資は雲泥の差なのだ。

それら全部と等価かそれ以上に僕を満足させ、走らせてきたのが音楽だ。LPやCD1万枚は、べつに毎朝触るわけではないがあるというだけで大いなる充足感がある。ココロの養分である。でもこれに払った代金は価値に比べれば1割ぐらいのイメージだ。特に作曲家に印税の1銭も払っていないのは大変申し訳なく思う。

僕は守銭奴でもなんでもないが、こうしてお金に換算するのは証券マンの性癖だ。そういう思考回路をデベロップしないと株が高いか安いかなど絶対にわからない。そういう眼でもって、安いお値打ち物があれば買っておこうという、それが証券ビジネスの要諦である。我が社名の「ソナー」とは電波探知機のことであって、世界中でお値打ち物を探してくるプロの気概を示しているが、実はそこまでリキまなくたってこのビジネスの本質はそれ以外にない。その能力もないのにきれいな御託や理屈だけならべる証券業者など、悪いが何の存在価値もないのである。

ところがタダに近いお買い得なのに説明してもわからない人はわからない。「うん、話はわかったけど要はカブでしょ、カブは先がわかんないでしょ危ないんでしょ」という顔をしている。ぜんぜんわかってないじゃないの。これは秀才ほどだめだ。こういうことは教師はまるっきり知らないから学校で教えてくれない。学校で教えないことはいかがわしいことだと頭が固まっているようだ。実に不幸なことだ。

写真の屋久杉をぱっと見て僕はカラダにズシンと響くものがあった。こういうのは直感というか霊感というか、とにかくズシンはズシンだ。そういうものは例外なく株だってなんだって思いっきり買う。理屈はない。確実なのはそのズシンで馬が走ることである(馬は自分なんだから)。走って稼げなかったことはない。だから回収確実なのであり、それは少々高くてもお値打ち物ということになるわけだ。シンプルな話と思うが・・・。

(追記、16年1月16日)

ここに書いておくが、2001年の中国ビッグバン以来世界経済を牽引したのは忽然と現れた新興国需要であり、先進国と新興国の経済格差のアービトレージのプロセスであった。帝国主義的侵略の果実を経済成長というまやかしの用語で讃美する時代は、中国がキャッチアップしてアービトレージが働かなくなった今終焉したのである。侵略する相手がない以上、成長という概念は経済の健康の尺度としてワークしにくい。株式投資の王道は徐々に「お値打ち物」の宝探しに収れんしていくであろう。

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株式道場-ROEが低い株は上がらない-

2015 MAY 23 20:20:41 pm by 東 賢太郎

日本株の時価総額がバブル時のピークをぬき最高値を更新しました。こうなってくると、結果論ではありますが株式を持っているいないで資産格差が出てくるのは致し方ないところです。

資本市場をよく知らないフランス人のトマ・ピケティが見当違いな形で指摘したディバイドですが、彼の言った結論だけはたまたま当たってるという結末になってくるので、何度もブログで主張したとおり投資教育の欠落は大問題ということになるでしょう。

この株高はアベノミクスの金融政策が火をつけたのは事実ですが、外国人の保有が増えているのは企業の株主還元姿勢が欧米型に転化したことが寄与しています。銀行の資本政策が変化して株式持ち合いというサイレントマジョリティーが不在となりつつあり、かたや機関投資家はスチュワートシップコードの徹底によって物言う株主になりつつあるという大変革が日本市場では進んでいるのです。

したがって企業経営は持続的、安定的な株価上昇によって株主を長期的に満足させる方向に舵を切りつつあります。社外取締役による経営の透明性の担保、自社株買い、配当性向の増加、、海外IRの徹底などがその方策となり、どれもが外人投資家にはウェルカムで理解しやすいグローバルな手法で日本株投資への安心感を高めていますから、一時はGDP比以下に落としていた運用資産の日本への配分比率を戻しているということです。

アベノミクスはリフレ政策だと批判的な経済学者がフェイクの株高だと主張しますが、おためごかしで時価総額を過去最高にできるほど市場というのは甘くありません。彼らの言っている市場音痴の批判など僕の英国人のパートナーらは歯牙にもかけていませんし、日本の経済学者で海外の真に頭の良い投資家たちがどういう情報で何を考え何をやっているか知っている人などまずいません。

これまで日本市場は米欧の市場動向にひきずられる形でしたが、米欧中が不調でも日本は別だという評価がグローバルのトップ・オブ・トップの投資家の間にできつつあります。かなり潮目が変わってきているのです。その核心は、これは古典的な指標にすぎませんが、ROE経営ということに他なりません。ROEはreturn on equityの略で、投資家の持ち分に対しどのぐらいの利益を上げているかという指標です。

日本企業は伝統的に海外の同業と比べてROEが低いのです。企業経営者がこれに気づきつつある。ROEが低い企業の株が持続的に上がるなどということは、絶対にありません。ROEが低いのに解散価値や配当利回りで買われるというのは株式としては邪道であって、企業の生体反応の良さ(成長力)ではなく、逆に反応が鈍ってきた動物の死肉をむさぼろうというハイエナがつけている株価なのです。

それを逆手に見れば、ROEが低くて低迷していた会社が経営改革して生体反応がヴィヴィッドになれば、株価は上がるのです。それも、ものすごく。伝統的にROEを軽視した経営姿勢だった日本企業が気持ちをいれかえてそれを高めようという機運が出てきた、それが上記の施策に現れていると外人投資家は判断しているのです。だから日本株が上がっている。株というのは、売る人より買う人の方が多ければ上がるのです。学者はわからないらしいが子供は分かることと思います。

 
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