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バックス 交響曲第4番

2021 OCT 5 20:20:20 pm by 東 賢太郎

アイルランド

音楽をきいて昔の情景を思い出す事はあるが、その逆もある。ロンドンの家について書いていて、いま、そういうことが僕の中でおきている。英国の正式名称はUnited Kingdom of Great Britain and Northern Irelandでイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドから成るのは周知だが、この4つのカントリーは風土も文化も気質もアクセントも違う。ことにアイルランドは人種もケルト人であり、歴史も言語もアングロサクソン人ときわめて違う。ストレートに言うなら後者によって征服された地であり、車で走ると道路標識には英語とケルト語で地名が併記されているが両者はまったく似ていない。米国の「マンハッタン」や「ミシシッピ」はインディアン語だし、「札幌」や「長万部」はアイヌ語で音韻は保持されている。それに気づいた車中で、同地の複雑な歴史とルサンチマンを垣間見た思いが走った。

日本人に有名なアイルランド系に人だけを列挙しても綺羅星のようだ。J.F.ケネディ、ロナルド・レーガン、ビル・クリントン、ジョー・バイデン、バラク・オバマ(母方)の米国大統領5人、ウォルト・ディズニー、コナン・ドイル、レイモンド・チャンドラー、クリント・イーストウッド、トム・クルーズ、グレース・ケリー、マーロン・ブランド、グレゴリー・ペック、バーナード・ショー、オスカー・ワイルド、ジェームズ・ゴールウェイ、 ジョン・マッケンロー、チェ・ゲバラ、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)あたりはご存じだろう。

ダブリンの街並み

この地に立ったのは数回。出張はたしか1、2度で、あとは遊び(もちろんゴルフ)である。ロイヤル・ダブリン、ポート・マーノック、キラニー、バリーブニオンなどの素晴らしくタフなコースが忘れ難い。ゴルフは国技のようなもので皆が愛しており、パスポート・コントロールで来た目的を聞かれたら「ゴルフ」と答えれば笑顔で一発で通してくれる。キラニーのホテルにパスポートを忘れてタクシーに乗ってしまい、1時間走ったあたりでそれに気がついたことがある。機転を利かしてタクシーを呼んでコーク空港まで届けてくれたホテルのお姉さんのおかげでフライトにぎりぎり飛び乗った。美人で賢くて本当にやさしい女性だった。ダブリンのギネス(パブのドラフト)は他国で飲むものとは別物で、これを樽ごと持って帰れないかなと思案したほどうまい。せめて近いものというなら缶は避けてビンにしたほうがいい。ウイスキーは3回醸造で独特のまったり感がある。僕はブッシュミルズ専門で「ブラックブッシュ」はお薦めだ(日本でも2500円ぐらいでお値打ち)。食事というと、コークの南方の海沿いにある町キンセールのフレンチの安さとクオリティは驚きだった。南部はフランスの影響が強いのである。そして下のブログのエピソードは長らくゴルフをやってきていちばん破格。大好きで心に残る。この時に偶然に内田光子がダブリンにやってきていて、素晴らしいシューベルトを堪能させてくれた。アイルランドには良い思い出しかない。

世にはゴルフという魔物が棲む(3)

Sir Arnold Bax(1883 – 1953)

アーノルド・バックスは生まれも育ちもロンドンで、王立音楽院(Royal Academy of Music)卒の英国の作曲家とされるが血筋はケルト系であり、結婚後にダブリン近郊に移住している。彼自身それを自覚して独自のイディオムによる作品を書いており、アイルランドの巨匠、とりわけ7曲の交響曲を書いたシンフォニストという評価が適当と思われる(彼が没した地は上掲地図の最南端、僕がパスポート事件を起こしたコークだ)。物心ついたらピアノが弾けていたという神童で難解な現代曲のスコアを読み解く能力が群を抜いていたが、恋多き男でミューズが複数おり、詩心もあり、小説、戯曲などものしてもいる。資産家に生まれ、若いころはロシア、ドイツに出かけ、英国の批評家によるとワーグナー、R.シュトラウス、ドビッシーの影響を受けたとされるが僕には痕跡は明白ではない。

ロンドンで買った交響曲全集

彼は生活のために作曲をする必要がなかった数少ない音楽家の一人である。その交響曲、交響詩、室内楽などは他人の眼を気にせず彼の内部から湧きおこった心の声であり、誰にも似ない真にオンリーワンの作品になっている。英国の交響曲というとエルガーでありV・ウィリアムズ、ウォルトンでありというのが我が国における相場で、バックスを挙げる(知る)人は極めて少数派であろう。しかし彼の作品をほとんど聴いている僕においては、”アイルランド” を取り去ってもこの7曲は秀逸な絶対音楽として味聴に足る素晴らしい作品であり、写真の全集(ブライデン・トンプソン指揮ロンドン・フィルハーモニック及びアルスター管弦楽団)は宝物になっている。

旋律は過度にクロマティックでなく民謡風のものもあり、しかも1921~1939年に書かれたにもかかわらず調性音楽なのだが、一聴して耳に心地よく響くものはない。これをブラックコーヒー、濃い目のストレートのアールグレー・ティーと書けばご理解いただけるかもしれない。ブルー・スティルトンをあえるか、アフタヌーンティーでスコーンと一緒か、当時僕はパイプも葉巻もやっていたが、ハイティーのスコッチの前にでもよかろうというイメージだ。バックスのほろ苦さは慣れるとだんだんそういう大人の楽しみに進化していく性質のものだ。シベリウスとも似てはいないが、愛好家には馴染んでいただけそうな気もする。

全7曲をお薦めしたいが、まずどれかひとつというなら最も外向的で順当な所ということで4番を標題曲にした。オーケストレーションも熟達した巨匠の技であり、北アイルランドのアルスター管弦楽団の演奏は録音も良好だからそれなりの装置で再生すれば非常に音楽的なサウンドが得られる。それに浸るだけでも僕には尽きぬ喜びだ。入念にスコアリングされた音楽の細部まで血肉とし、弦や木管の経過句のアジリティまで心から納得のゆく音化を実現した演奏という意味で、ウィーン・フィルのベートーベン、ドレスデンSKのR・シュトラウスに匹敵すると考える。

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ウォルトン 「チェロ協奏曲」(1957)

2021 SEP 30 11:11:06 am by 東 賢太郎

はっきり覚えている。「これ買っていいかな?」ときいた。CDをふくめ1万枚以上のコレクションのうちで、妻の許可を求めた唯一のレコードだ。幸いOKが出たのは新しい職場で必死に戦っているお駄賃の意味があったのだろうか、同時にモーツァルトのソプラノ・コンサートアリア全集も買わせてもらった。時はロンドン着任直後の1984~85年、場所は初めて行ったコヴェント・ガーデン歌劇場のレコードショップである。残念ながらオペラを聴いたわけではない。留学を終えても当初は一番下っ端でそんな高いチケットを買う余裕はなく、レコードがせいぜいだがそれも思い切ってというぐらい貧乏だった。この日は恐らくそれから至近距離のソーホーにあるチェン・チェン・ク(よく行った中華料理屋)あたりでエコノミーな夕食を済ませたと思われる。

チェリストのヨーヨーマは、どこだったか古澤巌とブラームスのドッペルを都響でやって親しみがあり、当時売出し中だった彼の演奏で愛好していたエルガーのコンチェルトを聴いてみたくなったのだ。デュプレ盤はやや音が古い。新しい録音を買ったばかりのタンノイのスピーカーで鳴らしたいという誘惑に負けたのもあった。とにかく家の棚にあるLP、CDのほとんどは、こうやって買った場面のストーリーを覚えているから中古屋に売るなんて僕にはできないのだ。

Sir William Walton(1902 – 1983)

ヨーヨーマのエルガーも悪くないが、感心したのはウォルトンのチェロ協奏曲だ。同曲はカセットで持っていたが、ちゃんと聴いたのはこのLPだ。ウォルトンは弦楽器のための協奏曲としてはすでにヴィオラ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲を作曲していたがこれは最後の作品だ。1956年の完成で、もう僕が生まれているからクラシック音楽としては新しい部類だ。チェロ協奏曲というフォーマットの曲は数多あるが演奏頻度が高いのはハイドン、シューマン、ドヴォルザーク、ラロ、サンサーンス、ショスタコーヴィチあたりで、モーツァルトやドイツ三大Bというメインストリームが書いていないのでヴァイオリンに比べてやや影が薄いのは否定できないだろう。

ところが英国となるとエルガー、デリアス、ブリス、スタンフォード、サリヴァン、ブリテン、ブリッジ、バックス、モーラン、ロイド、アーノルド、シンプソンとやけに豊穣である。シンフォニストがあまりおらず、ソナタ形式の作品に強みがあるわけでないのにこの現象は目を引く。英国人の感性に低音域のこの楽器が合ったのかもしれないが、独仏伊露のカバレッジの穴で英国の作曲家が存在感を出せるマーケティング的事情もあったかもしれないと思っている。各々それなりに面白い作品だがエルガーが英国製であることを問わずドヴォルザークに匹敵する傑作であることは誰も否定しないだろう。では英国作品の次点を挙げるとなると、僕はウォルトンに白羽の矢を立てることになる。

ウォルトンはヴァイオリン協奏曲をハイフェッツに献呈しており、ヴィオラ協奏曲の献呈は別人だが初演の独奏は作曲家パウル・ヒンデミットがしている。チェロ協奏曲を委嘱し献呈されたのは名チェリストのピアティゴルスキーだ。彼は当時として破格の3000ドルのコミッションを払ったから重鎮で売れっ子作曲家だったことがわかるが、ウォルトンは「私はプロの作曲家だから頼まれれば誰にどんな曲でも書く、だがもし米ドルで支払ってくれたらずっといい作品に仕上がるけどね」と語っている(wikipediaより)。サーの称号を戴く貴族にしてこのユーモアだ、英国のジェントルマンは懐が深い。

初演はピアティゴルスキーの独奏で1957年1月25日にシャルル・ミュンシュの指揮BSOでボストン・シンフォニーホールで行われ、英国初演も同年2月13日にマルコム・サージェント指揮BBC SOでロイヤル・フェスティバルホールで行っている。このビデオはその日または直後の録画と思われる。

あれこれ理屈はいらない、まず虚心坦懐に音に耳を傾けていただきたい。これがコヴェントガーデンで買ったLPからの転写だ。

この曲を作曲したころ、功成り名をあげたウォルトンは悠々自適の幸せな生活だった。というのも、かようなストーリーがあるからだ。

ウォルトンのイスキア島の家からの眺め

46才の頃、22才年上だった妻に先立たれ憔悴したウォルトンは出版社の気遣いで気晴らしの会合に出席するためアルゼンチンのブエノスアイレスに出向く。そこで知り合った24才年下の女性を見初めて再婚し、イタリアのナポリ湾の西部に浮かぶイスキア島で半年を過ごす。そして、ついには54才でロンドンの家を売り払って妻とその島に永住してしまうのである。そこで書いた作品は多くないがそのひとつがチェロ協奏曲だったのは幸福なことだ。チェレスタ、ヴィブラフォーン、シロフォン、ハープの醸し出す神秘的なサウンドは非常に魅力的だが初演を聴いた評論家には時代遅れと評されもした。しかしそれから65年たった今、当時の耳に古く聴こえたかどうかなど何の関係もない、良い曲がどうかだけが問題でありこれは後世にそのひとつとして伝わるクオリティの作品である。

サー・ウイリアム・ウォルトンは1983年にイスキア島に妻レディ・スザンナ・ウォルトンが造った著名なガーデンで亡くなり島に埋葬されたが、英国はその功績を讃えウエストミンスター寺院にエルガー、ヴォーンウィリアムズ、ブリテンと共に記念碑を設けている。享年80才だった。個人的には、イスキア島のような場所を見つけられたのがとてもうらやましい。

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