Sonar Members Club No.1

カテゴリー: クラシック音楽

マーラー 交響曲第9番

2018 APR 22 23:23:54 pm by 東 賢太郎

マーラー9番というと、ロンドン時代にバービカンでクラウディオ・アバドのを聴いて感銘を受けた。87年1月のことだから31年も前だ。そこからカラヤン、ジュリーニ、クーベリック、ワルター、セル、バルビローリ、バーンスタイン、ノイマンを買っているから聴きこみはしたようだ。

第九の死の呪縛を大地の歌のフェイントでかわしたマーラーは、ついに正面から取り組むことになった9番を謳ったこれの終楽章をersterbend(死に絶えるように)と書いて終えた。そしてそのとおり、彼は聴くことなく亡くなった。

9番を書いていたころ、ニューヨーク・フィルの指揮に専念した彼は欧州を飛び回って7,8番の指揮で多忙でもあり、アルマとの関係は微妙になり、心身共に交響曲を作曲できたとは信じ難い状況にあった。そこで「狂ったように大急ぎで、あわただしく、ほとんど書きなぐられた」9番になにか秩序を求めても仕方ないと思っている。

この曲は形式論理が一見ありそうでなく、熱病にうかされたように散文的だ。緩-急-急-緩の4楽章をフランス風序曲に倣ったとする人がいるそうだが、この時のマーラーがこの重いテーマの狂ったような曲でそんなものに倣う必要がどこにあろう。理解不能の説である。チャイコフスキーの悲愴に倣ったのだと思う。だからersterbendであり緩-急-急-緩なのだ。彼がニューヨーク・フィル定期公演で振ったプログラムに悲愴を見つけてそれを確信した。

スコアを見て思い浮かべるのは曼荼羅、タペストリーだ。狂ったようにではなく、狂っている(特に第3楽章)が鳥瞰するとまとまった図柄に見えるという性質のものだ。だから、ここからは毎度のマーラー批判になるが、僕は人間の恣意ばかり感じて神性をいささかも感知せず、分析しようという意欲に着火しない。ピエール・ブーレーズが晩年にブルックナーを振ったのは何とか理解するがワーグナー、ましてマーラーに行ったのはわからない。ワーグナーの音楽は図抜けているが僕は彼のがなった朗読を聞きたいと思わないし、マーラーは楽器でそれをやっているとしか思えない。

マーラーはワーグナーと同じく鳥瞰的な天与の和声感覚、バランス感覚があり、ミクロの整合性には一向にこだわりがないのに終わってみるとまんまと強引な計略にはまっているという音楽を作ったが、しかし僕は神様は絶対に細部(ミクロ)で手は抜かないと思っているから、うまく書けている作曲技巧に敬意を表しつつも、人為的な押しつけがましさに辟易するぐらいならお付き合いはやめておこうと思うに至って久しい。

金曜にこういうプログラムを聴いたが、以上書いた心象が特に変わるものでもない。アイヴズは実演を初めて聞いた。前から苦手の最右翼だが、一音たりとも良いと思う音は感知しなかった。

 

指揮=シルヴァン・カンブルラン

アイヴズ:ニューイングランドの3つの場所
マーラー:交響曲 第9番 ニ長調

(サントリーホール)

 

 

 

マリア・ジョアオ・ピリス最後の公演

2018 APR 18 2:02:47 am by 東 賢太郎

4月17日 19:00 サントリーホール

モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第12番 ヘ長調 K.332
モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第13番 変ロ長調 K.333
シューベルト:4つの即興曲 Op.142, D935

モーツァルトK332。10年ぐらい前に第1,2楽章を練習してよく弾いた大好きなソナタ。第1楽章アレグロがやや速めかなというテンポで入るが、オペラ・ブッファのいそがしい場面みたいに次々とあれやこれやエピソードが急転する楽章なのに不思議と饒舌よりエレガントにきこえる。アダージョはもっとロマンに深入りできる楽章だが古典的均整を見せ終楽章は流麗に美音がかけめぐる。K333は典雅に始まり、まったく清楚だ。第2楽章はK332にも増して暗い陰を投影する謎めいた部分が出てくるがここも深い。素晴らしいニュアンス、若鮎のように流れるフレージングの絶妙の伸縮と間。これぞピリスのモーツァルトであり一世を風靡したのがもっともである。

僕にとってモーツァルトのピアノ曲を聴くということは、旋律の隅々まで、律動のゆらぎや無音の間や和音の一音一音の細部までに研ぎ澄ませた意識の光を照射してコクを味わうことだ。鑑賞というより観察に近いかもしれないが、耳がそうなるのはモーツァルトだけであり、それで味わうに足る演奏などそんなに存在しない。神経がそうなるとこちらも疲労するのであって、その労に報われない演奏とわかるとすぐ集中が切れてしまう。

ピリスのものはどこの細部に神経の光を照射しても、そこにそれを上回る彼女の神経がまわっており、わずかなほつれも見つからず、こちらが苦労すれば喜びが倍にもなって帰ってくる。これはミスタッチがあるないという卑俗なレベルのことではない、本当にすごいことだ。頭によるコントロールと指の訓練による人工的な、よく遭遇する、モーツァルトは珠を転がすような美音で弾かれるべきだという空疎な勘違いの観がいささかもなく、正に天衣無縫である。前回に音楽は演奏者の人格と書いたが、この人はきっとそういう人で、そう生きてきてそう生活しているのだろう、だからああいう音楽になるのだろうとしか考えられない。

カサドシュ、ハスキル、ヘブラー、クラウス、アンダ、カーゾン、グルダ、ゼルキン、モラヴェッツなど心をとらえるモーツァルトを聴かせてくれた人がみんな鬼籍に入ってしまった。ピリスまで引退してしまうとモーツァルトをきかせる人は内田光子しかいなくなってしまうということなのだろうか。ショパンをうまく聞かせる人はいくらもいるが、僕はその良い聴き手になりようがない。

後半のシューベルトD935。これは最晩年の少し怖いところを含んだ音楽で第1曲の主題に半音がまとわりつくところは未完成交響曲第1楽章第1主題を思わせる。演奏はしかしそのような外縁に意識を押しやることなく、ひたすら高い集中力で内に向かう。この世のものと思われぬバランスのとれた美しいピアノの音(ね)。過度に煌めかず楚々と光る高音。フォルテはその音域でささやくピアニシモがそのままの質感で大きくなったもので、いささかも粗暴に響かない。アンコールの3つのピアノ曲より変ホ長調はピアノ演奏として未曽有の聴体験だった。

ベートーベンのときと同じく、心がえもいえぬ満足感に満ちていて食欲すら感じない、帰途についても体が芯からから温まっていて涙が自然に溢れる。頭には「ありがとう」という言葉しか浮かばない。きっと曲目のせいではないのだろう。生まれてこのかた彼女の2度の演奏会にしか経験すらなかったことだが、これはもう二度とやってこないのか。ピリスさん、ほんとうにありがとう。

ブロムシュテット/N響の幻想交響曲を聴く

2018 APR 16 0:00:14 am by 東 賢太郎

幻想交響曲を久々に聴いた。ブロムシュテット(N響)ということで、これはどうしてもという気になった。この曲がドイツ語圏(ハプスブルグ王朝支配圏)で どう扱われてきたかはフルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、コンヴィチュニー、シューリヒト、E・クライバー(息子も)、ベームが振っていないことで推察できる(トスカニーニも然りである)。フランス人がベートーベンを敬意をもって受容した裏返しのことは100年たってもなかったという風に見える。

ラテン系、ユダヤ系が得意としている事実を知ると上記のワグナー、ブルックナー、シューマン、ブラームスをうまく振る人たちとの断層を感じないだろうか。理由は不明だが、独仏の文化的相違と言っては巨視的に過ぎる。フランス器楽音楽への軽視(蔑視)、和声や対位法やバスの扱いがドイツの作曲法の文法で書かれていないこと、楽器法が斬新極まりない(ドイツ的には妙である)こと、題材が不道徳であること、フランス革命を連想させること等々いくつも論じられようが、総じてこの音楽が作曲当時として、あらゆる意味でいかに特異な音楽かという点に行き着く。

その視点からスコアを観て、4年前にこう記した。こんなブログはもう書けない、愛着あるもののひとつだ。

ベルリオーズ 「幻想交響曲」 作品14

これをスウェーデン系のブロムシュテットが振る。彼はなにやらドイツ物の巨匠とされてしまったが、僕としてはN響とやって心から畏敬の念をいだいたのはシベリウスだけだ。

前半にベルワルド交響曲第3番という自国の作品を置いた。正直なところ僕にはあんまり面白い曲ではなかった。これを50手前で書いた人と27才で幻想交響曲を書いた人を並べてどうのという気には到底ならないが、この配置は指揮者がスウェーデン系という立ち位置で幻想を振るよという宣告なら意味深い。

幻想は1、4楽章の繰り返しありで筋肉質のアンサンブルだがあまり湿度を感じないのはブロムシュテットのドイツ物、チャイコフスキーと同じ印象だ。テンポやフレージングで特にユニークなことはなく正攻法。第4楽章冒頭のミュートのホルン、終楽章のフルートの妖怪風グリッサンドなどは普通に強調され、そういう奇天烈を抑え気味にする傾向のドイツ系指揮者の伝統回帰センスとは異なるものを見せる。

1830年、ベートーベン死後すぐの27才の若者の奇天烈が、188年後の63才の耳を驚かせる。耳にたこができるほど何度も聴いているのに!そのことこそが驚天動地でなくて何だろう。

曲想と調性感は女に狂った若者の心をなぞって時々刻々と変転し、第1楽章の終結部と第3楽章を除いて一時も平静に収まることがない。それが古典派の大枠をぎりぎり超えることがなく、完璧な均整と調和で書かれた三和音による調性音楽となんら遜色ない盤石の満足感を残すのは奇跡というしかない。文法は異なっても、それはベートーベンの音楽が残すそれと対比しても良いのではという思いをもって帰路についた。

これは聴きに来てよかった、ブロムシュテットとN響に感謝。そして何より、ヴィヴァ・ベルリオーズだ。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

マリア・ジョアオ・ピリス演奏会を聴く

2018 APR 14 1:01:13 am by 東 賢太郎

あの32番は名演として語り継がれるだろう。

目には見えない何か偉大なものに接している感覚というのは、人生そうあるものではない。息をひそめた聴衆の尋常でない気配と空気がサントリーホールに満ち、最後のピアニシモが天空に吸い込まれると、自分が何に感動して涙まで流しているのかわからない。音楽を聴いてそういうことは、長い記憶をたどってもあまりない。

第一曲の悲愴はあれっという感じだった。引退を決めたのはこういうことかと落胆し、今日はそういう思いに付き合うことを覚悟した。それが第3楽章あたりから波長が音楽と合いはじめる。次のテンペストはぐっと集中力が増し、無用な力感や興奮は回避してこういうレガートなタッチでもベートーベンになるのかと感嘆する。

休憩があって、さて32番だ。聴くこちらも集中力が高まり、どんどん俗界から音楽に没入していく。こんなことは久しぶりだ。いかにピリスのオーラが強かったかということであり、この人は日本のラストコンサートにこれを弾くためにやってきたのだ。最晩年のベートーベンが書いた神のごとき音符がこんなものだったとは・・・。これは天から降ってきた啓示のようなものであり、僕は初めてそれをはっきりと感じた。

音楽というものは演奏するその人の全人格を投影したものだ。舞台を歩く姿が、その表情の変化が、もっといえば存在が音楽そのものに感じられる彼女が弾くと32番はああいう姿になる。人格とは性格だけのことではない、育ちであり経験であり思想であり教養であり信仰であり主張でもある。32番のような音楽はそういうものをすべて包含した人格が熟しきらないと弾けない、弾いてもいいが熟した聴衆にメッセージが感受されない。

なんという恐ろしい音楽だろう。

彼女の名前表記はマリア・ジョアン・ピレシュとされる傾向があるようだが、こういうことはあんまり意味がないように思う。ベートーベンをベートーヴェンと書く人もいるが、そんなに表音の正確性を期したいならビートホーフェンと書くべきである。日本語のphonetic notation(音声表記法)は限界があり、マックダァーナルドゥと書いてハンバーガー屋をイメージできる人はあまりいないだろう。マクドナルドは単なる認識上の「符号」なのであり、そんなものを不正確に気どったところで所詮なんちゃっての域を出ない。

我々昭和人類にとっては彼女は断じてマリア・ジョアオ・ピリスである。そうでないとしっくりこないのでそう書く。ピリスのモーツァルトは大好きでLP時代から持っており、高純度の美音に惹かれてきたから僕はファンといえるだろう。レコードできくあの繊細なピアニシモやコケットなスタッカートは見事なレガートを生地に生み出され、ベートーベンを弾いているとは思えない脱力したポスチャーが音色に効いていることを舞台で見て初めて知った。

来週のモーツァルト、シューベルトが本当の最後、楽しみだ。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

サンサーンス 交響曲第3番ハ短調 作品78

2018 APR 10 22:22:56 pm by 東 賢太郎

この曲のレコードを買ったのは高3の時で、当時「オルガン付き」と呼ばれていた。「オルガン付き」とはなんだ?「オルガンなし」もあるんか?それならマーラー6番は「ハンマー付き」だ、幻想は「法隆寺の釣り鐘付き」なんて凝ったのがあってもいいな。友人と高校生にしては結構ハイブロウなジョークで笑っていた。第九の「合唱付き」が最たるもので浅はかなキャッチコピーなのだが、売れないクラシックを何とか売ろうという営業努力は認めてあげたかった。

まず目をつけていたのが、火の鳥で味をしめていたアンセルメ / スイス・ロマンド管のDecca盤だ。そこまで大人界をなめていたのに、アンセルメ盤の帯に「地軸を揺るがす重低音」とあるのに参ってしまったのだ。この曲は音が命だろう。Deccaは音がいい。そんな先入観があった上に「地軸」まで持ち出されたらイチコロだった。パイプオルガンの可聴域外(20ヘルツ以下)音を体感できるという意味だが、うまい表現をしたものだ

オーマンディのCBS盤

アンセルメが欲しいが2000円のレギュラー盤だ。かたやオーマンディの廉価盤(右・写真)は1500円で音も悪くなさそうである。試聴などできない時代だ。安いし帯に何も書いてないし、もしかしてこっちは地軸が揺るがないのではないかと迷った(笑)。500円は今ならコンビニ弁当の値段だが当時の高校生には大差であって、結局、さんざん悩んでオーマンディーに落ち着いた。もうひとつ笑える話がある。ええい、こっちにするぞ、と決めたのはオルガニストの名前が「パワー・ビッグス(Power Biggs)」だったからだ。パワーとビッグなら地軸も揺らぐだろう。これと500円残るということで、散々迷ってしまったなさけない自分を納得させる必要があった。僕のクラシック入門はそんなものだった。

今ならアンセルメもオーマンディーもネットでタダで聴ける「コンテンツ」にすぎない。コンテンツ・・・なんて塵かホコリみたいに軽薄な響きだろう。それに僕らは大枚をかけて、何日もかけて、批評家の意見などを読みまくって真剣に迷ったのだ。意思決定に迷うというのは脳がいちばん疲れると本にあったが、いってみれば筋トレと同じことであって、クラシックは僕の成長過程で最高の脳トレであった。そしてそれだけ迷えば、当然のことながら、真剣勝負で聴くのだ。どれだけ耳が集中したことかご想像いただけようか。こうやって僕のクラシック・リスナー道は筋金がはいった。おかげでサンサーンスの3番は、どのベートーベンよりモーツァルトよりブラームスよりも早く、新世界と悲愴とともに「完全記憶」して脳内メモリーで再生できる交響曲となった。

アンセルメ盤

もちろんアンセルメ盤をあきらめたわけではない。大学時代にいわゆる「(並行)輸入盤」というものがあることを知り、欧州プレスは日本プレスよりも音が生々しいという評判でもあったからあちこちで探した。日本プレスで地軸が揺らぐなら輸入盤は地割れぐらいできるに違いない。そこでついに発見した3番の英国プレス(右、London、Treasury series、STS15154)は神々しく輝いて見え、しかも新品であるのに価格は1200円(!)と800円安く、キツネにつままれた気分であった。ここから僕は輸入盤をあさっていくことになる。アメリカへ行きたいと思ったのは、レコードが安いかもしれないと思ったせいもある。ともあれ初恋の人を手に入れた喜びは格別でわくわくしてターンテーブルに乗せた。地軸はおろかテーブルの花瓶が揺らぐこともなかったのは装置が貧弱だったせいもあるが、フランス風の上品な演奏だったからだ。

この交響曲は2部に分かれた2楽章形式だから実質4楽章である。魅力はなんといっても心をかき乱す出だしの小刻みなハ短調主題だ。スパイ映画に使えそうで最高にカッコいいではないか。スケルツォに当たる第2部前半の主題もティンパニが効いてイケてる。緩徐部も実に分かりやすいロマンティックな音楽で、オルガンの派手な効果もあいまってどなたも2,3回聞けばおおよそのところは覚えられること請け合いのやさしさだ。

そう思ってすぐにDurand社のオーケストラスコアを買うが、冒頭主題のトリッキーなリズムの1拍ずれが薬味になっているなど高度な隠し味が満載で解読は一筋縄ではいかなかった。僕はサンサーンス(1835 – 1921)の熱心な聴き手ではない。ピアノ協奏曲はほとんどあほらしいと思っており、室内楽も頭と指が勝った作り物に感じてしまう。ただこの3番だけはその才能がスパークしてぎゅっと詰まった天才的な部分があることを認めざるを得ない。

特に和声が面白く、後年にピアノスコアを手に入れた。第1部後半緩徐部のオルガンが伴奏する弦の主題は初心者でも初見で弾けるが、バッハのようで実に気高く気持ちが良い。第2部前半のピアノが活躍する部分が静まったあとモーツァルトのジュピター主題がフガート風に現れ、後半のコーダ、まさに終結に至らんとする快速の部分は幻想交響曲のフィナーレそっくりだ(しかも、どちらもハ長調トニックで終結)。バッハに始まりモーツァルトのハ長調、ベートーベンのハ短調を通って自国の先輩ベルリオーズに至るこの曲は1886年にロンドンで初演された。フランス器楽曲振興のためセザール・フランクと「国民音楽協会」を立ち上げたサンサーンスの面目躍如で最後の交響曲となるが、1885年初演のブラームスの最後の交響曲である第4番がバッハのカンタータ第150番、ベートーベンのハンマークラヴィール・ソナタを辿ったのを意識していないだろうか。

第1部前半の第2主題。白昼夢のように麻薬のように美しい。提示部ではまず変ニ長調で現れ、ハ長調に行ったり来たりふらふらしながら徐々に展開していく部分は見事だ。再現部ではヘ長調になっているがすぐに半音下のホ長調に転調する(!)。こういうことはドイツ系の音楽では聴いたことがなく、半音ずつファからシまで6回下がるバスなどチャイコフスキーなどロシア系、特に同世代のボロディン(1833 – 1887)に近い(楽譜のSubordinate Themeがそれ。上掲オーマンディーの8分49秒から)。

後にいろんな演奏を味わってみるとオーマンディーCBS盤はこのオケにしてはアンサンブルの精度がいまいちで、第1部後半の甘ったるいポルタメントも趣味ではないし全体の解釈のメリハリも薄く平板に感じる。曲の魅力をばしっと教えてくれたのはアンセルメでもなく、シャルル・ミュンシュ / ボストン響のRCA盤であった。彼の幻想に通ずるものがある融通無碍の流動感とメリハリ。フルトヴェングラーのブルックナー解釈のフランス版といったところで、楽譜の読みは主観的だがツボにはまった時のインパクトは大変に強い。米国で最も欧州っぽい音がするボストン響を乗せまくったこれはいま聴いても心をつかむ最高の名演だ。

この3番という交響曲、そんなに愛してたのに、どういうわけか僕の心はすきま風だ。好きな方は多いだろうし申し訳ないが、書いたように細部は非常に優れたところがあるものの、全体として聴後の印象はフランス3大交響曲の幻想、フランクのニ短調と比べると格落ち感がある。立派に知的に書けた曲なんだけど、感情の表層を心地良く撫でてくれるが、あれこれ小道具が満載な割に体の芯があったまらずポップスみたいに通り過ぎてしまう。クラシックファンを名乗るなら知らないことはあり得ない必修曲だし、喜びを返してくれることは保証付きだからまずは完全記憶することを強くお勧めするが、無責任なようだが新世界と同じく僕にとってはもう特に聴くことはない思い出のなかの音楽だ。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

ブラームス博士は語る(交響曲第2番終楽章のテンポ)

2018 APR 1 20:20:33 pm by 東 賢太郎

クラシックは語られる音楽だ。後世が積み上げた言語の集積で規定される音楽であり、だからクラシックと呼ばれる。古いだけの民謡との差はそこにある。ブラームスにとってJSバッハは古典だったが当時広くは認知されておらず、さしたる集積はなかったから現代の語感でのクラシックではなかったろう。

言語が集合知となって、19世紀の作曲家の自作演奏の様式は不完全だが知ることができる場合がある。ブラームスにおいてはそれに加えて彼の同時代人の演奏が聴けるが、それが本人の意に添ったものかは不明でやはり文献の補遺は必要だ。現代の指揮者の演奏を僕は常にそういう背景と照らして聴いている。

作曲家が書いた楽譜は演奏されることで作曲家の手を離れるが、だからといって編曲に近いほど我流に陥ったものを楽しめるかどうかは聴き手の趣味の問題だ。能や歌舞伎同様、古典芸能に時流で新風を吹き込むことは不可ではないが、新風と我流の間には確たる一線があると僕は思う。

なぜならば、繰り返すが、クラシックは語られる音楽だからだ。本来語られるものは音楽であって演奏ではない。古典派までの演奏会は自作自演の発表の場でもあり、聴衆の主たる関心の対象は新曲だった。演奏会でモーツァルトは即興を弾いたが、楽譜に残されなかったその新曲は作品とはならずに虚空に消えた。彼が楽譜に書き残した新曲だけが作品として、はるか後にケッヘル氏が整理番号をふったモーツァルトの音楽として、21世紀の我々に残された。

彼の死後ほどなくして、19世紀の多くの演奏家たちもそれを弾いた。20番目のピアノ協奏曲ニ短調はベートーベン、ブラームス、クララ・シューマンも愛奏したと文献は語る。もちろんモーツァルトらしさを損なわないような流儀においてだったろうことはベートーベンの書き残したカデンツァによって推測される。当時の聴衆はブラームスのそれをクララのそれと比べる機会は少なく、仮にそれがあったとしても両者の演奏解釈の違いを論じる場はほとんど形成されていなかったと思われる。

ロベルト・シューマンは同時代の他人の作品をあまねく論じたという意味において最初期の音楽評論家でもあったが、対象となる作曲家、作品が集合知として共有されていたのは楽譜が印刷術の発展とともに流布し、それを自分で演奏したり読んで吟味したりできる限定的なコミュニティにおいてであった。JSバッハやモーツァルトの音楽が一般学校教育によって「大衆の共有知」になるのはそこから100年後だ。シューマンもブラームスも自分の作品が後世に残ることは知っていたし、そうでなくては困るとしてベートーベンの作品と比べて見劣りのないものの創作につとめたことは文献が記す。

しかし彼らは自分の作品がJSバッハ、モーツァルトのそれと同列に並び称される目的は達成したものの、それらを万民の教育の対象にしようという価値観が東洋の果ての国にまで現れることは想定していなかったろう。その価値観は、エジソンによるシリンダー録音という技術の発明が、あたかも19世紀にグーテンベルグの印刷術が楽譜の流布に果たしたと同様の役割をその何倍もの速度とマグニチュードにおいて果たしたことによって新たに生成されたものだ。そうして彼らの作品は楽譜を読んだり弾いたりできない大衆までを包含した共有知となり、その価値観が「別格なもの」として祭り上げる神棚(class)に鎮座する作品はその形容詞で classical である、となった。ここにいよいよクラシック音楽が誕生する。

ブラームスはシリンダーに声とピアノ演奏を録音した人類最初の作曲家となったが、自分の作品がクラシック音楽と呼ばれるようになることは知らなかった。クラシック音楽という概念の発生とエジソン蓄音機の発明・進化・普及は無縁でない。蓄音機の記録音板が音楽の缶詰のように大量に商業的に売りさばかれるようになり、極東の我々にとってそれはレコードと呼ばれる黒い音盤を意味するところとなった。だが英語の record は無機的な記録の意味である。

1889年のブラームスの声とピアノがここに聞ける。

1877年にエジソンが発明した蓄音機が電話機、無線機、白熱電球、映写機とともに人類の生活を変える。その進化・商業化が自国に市場を持つ米国発であったことと電話(telephone)、映画(movie)が英語であることは無縁ではない。クラシック音楽(classical music)しかりである。ハードウエアの進化が市場を作り、文化を作る。この波は19世紀末から20世紀初頭の米国で起こり、英国発の産業革命の大きな波と融合し、英語の国際化とともに世界に伝播した。

1889年にエジソンがエポックメーキングな「音源」として、すでにレジェンドであったブラームスを「録音(record)」しようと目論んだ着想は、その記録された音を比較対照して論じる文化の萌芽である。「レコード」の誕生である。音楽演奏を比較し、同曲異演を味わうことを楽しみとする文化は、それゆえに、英米起源である。このことは英国に良いワインはできないが、有力なワインマーチャントが英国人でWine tastingが英語であることと近似した現象である。

レコードなる媒体が無尽蔵に「コピペ」され、商品として売りこまれることで、記録されたコンテンツはブラームス博士の肉声とはどんどん遊離していくことになる。我々が聞き知るブラームスの作品は、上掲ビデオに記録されたハンガリー舞曲第1番を唯一の例外として、他人が演奏したものだ。交響曲第2番を初見でスコアから読み起こすことはできない地球上ほぼ全員の聴衆にとってこの現象は福音であったが、2番とはブラームスの作品としてではなく、代理人としてカラヤンやベームなど後世の指揮者が演奏したものに変換されていく。

このことはプラトンのイデア論に行き着く。ブラームスの同時代人ではない指揮者の2番が作曲家の賛同を得られたものかどうかは誰も判断できないが、だからといって、自作を録音した、したがって100%オーセンティックであるストラヴィンスキーやラフマニノフの演奏をしのぐことのできる他人はいないということを意味はしていない。作曲家と異なる解釈で我々を納得させた演奏はスコアに秘められた別種の価値を具現化したのだから、書かれたスコアは作曲家の手を離れて成長するという概念を生み出すだろう。

僕はイデアのみを崇めそれを否定する者ではない。理由は以下のとおりだ。作曲家が用いた旋法やコードは何らかの物理的、生理的現象を人間の心に生起させる「画材」だ。画家は画材である絵の具を発明したのではなくある色を「選別」しただけで、絵の具そのものが美しい色と光を放つ現象に依存していないと言い張ることはできない。カンヴァスに描かれたそれ自体が美しい絵の具のその選別の是非を鑑賞者は愛でているのだ。

まったく同じことで、作曲家は「音材」を選別する。しかし絵の具が美しいように、教会旋法もド・ミ・ソの三和音も美しいのだ。音楽の演奏はスコアという暗闇の状態では目に見えない絵画に光を当てる行為だ。光線の具合によって、例えば昼か夜かで印象が変わることはその作品の価値をそこねるものではない。旋法や三和音の奏し方を変化させて音材の本来持つ美しさがスコアの意図以上に光輝を放つ可能性だってあるだろう。この絵は北緯何度の何月何日何時何分に快晴の太陽光のもとで見ろと指示した画家はいないように、唯一無二のテンポやフレージングやダイナミクスを数学的に厳密に指示した作曲家もいない。

演奏家が光を当てて掘り起こす秘められた価値はたしかに存在するが、その作業は作曲以来の解釈の歴史の文脈の中で聴き手の過去の記憶と比較する関心をトリガーする形で形成されるだろう。真の聴き手は文脈を学んで知っている。演奏家の個人的趣味による読みのユニークさや大向こうを張る大団円の壮大な盛り上げは演奏会場での当座のブラヴォーや喝采を獲得するかもしれないが、新しい文脈の一部になることはない。今日のテンポが速かったのは指揮者が出かける前に夫婦喧嘩したか、それとも早く空腹を満たしたかったからかどうかを語りたい方がいても結構だが、それが集合知の一角をなすことはないだろう。

少し前に新幹線でブラームスの第2交響曲のスコアを見ていたら、第4楽章のテンポはクナッパーツブッシュの解釈が正しいんじゃないかと思えてきた。

現代の演奏を聴き慣れた耳にはずいぶん遅く感じるのだが、Allegro con spiritoは四分音符4つに振るとせいぜいその速さじゃないかと。お聴きいただきたい。

ハンス・クナッパーツブッシュ(1888-1965)とフリッツ・ブッシュ(1890-1951)は、ブラームス(1833-97)と親交が深かったフリッツ・シュタインバッハ(1855-1916)の弟子なのだが、ブッシュの第4楽章は2つ振りで2分音符をアレグロにしている(およそクナの2倍の速度)。お聴きいただきたい。

しかし上掲のスコア冒頭を冷静に眺めると、2つ振りならああいう風には書かないのではと思うのだ。あれを現代の多くの指揮者のテンポになるように表示を書くとすると Presto だが、ブラームスの交響曲にあんまり似つかわしい速度表示ではないように感じる。とすれば、やはりクナッパーツブッシュになるだろう。

これはどういうことか?そこで、ブラームスの2番の自演をほぼ確実にライプツィヒで聴き、彼の前で指揮をして(それが2番かどうかは不明だが)作曲者により批判はされなかった

(Brahms) does not appear to have complained of Fiedler’s interpretations (Jan Swaffordによる)

とされるマックス・フィードラー(1859 – 1939)の第4楽章を聴いてみよう。

ブッシュに近い。これが理由でどうしても僕はクナをあまり高く買うことはできていなかったのだ。しかし、テンポ変化が全く書き込まれていないスコアを改めて見ていて、本当にそうだろうかと疑いを持ったのだ。

それは第2主題の頭にあるlargamenteだ。largoの派生語だが、メロディを弾く第1VnとVaにだけ書かれていて、速度ではなく 幅広く、豊かにという表情の指示ではないだろうか(英語ならlarge、寛大にだ)。仮に速度であるとすると、フィードラー、ブッシュの第1主題のテンポで来るならば数小節前にリタルダンドが必要で、第2主題冒頭から急に遅くするのは明らかに曲想に合わない。クナの4つ振りテンポだとそのまま減速せずに(つまり楽譜通りに)つながる。幅広く、豊かな表情でたっぷり弾かせるためほんの少し減速はしているが、これがブラームスの意図したlargamenteかもしれないと思えてきたのだ。

クナッパーツブッシュは練習嫌いであったとされ、ぶっつけ本番の即興性の高い、アバウトだが霊感に富んだ指揮者のように言われるのが常だが、そうではなく周到にスコアを読む人だ。この2番やシューベルトの9番はユニークな表現に聞こえるが、アバウトに振って早く帰りたい人はそんな妙な事をする必要がない。まして思い付きで面白いことをやって、素人の聴衆はともかく、オラが作曲家と思っているプライドの高いウィーン・フィルやミュンヘン・フィルが心服してついてくるほど甘い世界ではないだろう。

楽員は彼の解釈に敬意を持ち充分な忖度があったから「この曲は私も諸君も良く知っている」という状況にあり、アンサンブルの縦ぞろえが重要なレパートリーは彼はあまり振らなかったせいもあったかもしれないが、むしろ楽団との関係をうまくマネージするために練習を切り上げて早く帰したのではないかと思う。

 

クナはコーダでこのページの真ん中の3つの2分音符に強めのアクセントを置き速度を大きく落とす。ここに至るまでの全奏部分でやや加速するのは2分音符のブレーキ効果を際立たせるためだが、これだけは僕は不要と思う。そこからはトランペットとティンパニをffで強奏しVnのボウイングも際立たせながら実に彫の深いコクのある表現で終結に向かう。安っぽいアッチェレランドでいかさまの興奮をそそるような稚拙な真似はしない。

 

 

何が正しいかは不明だが、フィードラーの解釈については、

his performances, because of their constant shifts of tempo and mannered phrasing—for instance the frequent introduction of unwritten luftpausen—reflected an interpretative model that owed far more to von Bülow than to Brahms.(Christopher Dymen)

と、「ブラームスよりもハンス・フォン・ビューロをモデルにしている」とする文献もある。2つ振りはビューロー(1830-94)起源だった可能性もあるのではないか。

 

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(7)

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(8)

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

 

バーデンバーデンのブラームスという悦楽

2018 MAR 20 0:00:03 am by 東 賢太郎

バーデン・バーデン(Baden-Baden)はドイツ南西部、シュヴァルツヴァルト(黒い森)の北部に位置するヨーロッパ有数の保養地だ。都市で言うとポルシェの本社があるシュトゥットガルトに近い。クララ・シューマンの居所でブラームスゆかりの地でありウィルヘルム・フルトヴェングラー、ピエール・ブーレーズが亡くなった地でもある。Bad(バート)とはドイツ語で温泉を意味し、その名のとおり数多くの音楽家が保養に湯治にそして演奏に訪れている美しい田舎の温泉町だ。田舎という日本語をあてはめるしかないロケーションなのだが語弊があって、ドイツは森に囲まれた田舎の方がリッチで洗練されていて美しい。だから富裕層が住むのである。ツアーで都会の観光コースとまずい食事だけであれがドイツと思ってはいけない。

ちなみに我が家が最初にフランクフルト赴任で借りた家はケー二ヒシュタインという高台にある田舎で、翌年に拠点長になったのでフランクフルト市内にあるアパートに社命で移ったが、どっちがいいかといえばダントツにケーニヒである。ここと隣町のクローンベルクはバーデンバーデンより小ぶりだが似た雰囲気を持つ温泉保養地であり、あそこに住んだ1年間は63年の人生で最高に幸せだった。そして、もしもう一度ドイツに住めるなら、今度はバーデンバーデンを選ぶだろう。どうしてかといって、それはクララ、ブラームス、フルトヴェングラーにブーレーズといった人々が住みたいと思ったものすべてが理由であって、なんとも言葉にはしにくい。

ロンドンにいた後半からブラームスの音楽に完全にはまりきっていて、寝ても覚めてもブラームスだった。2年日本に戻ってからのドイツ赴任の人事発令は業務的には本流を外された思いがあって歓迎ではなかったが、しかし来てみるとこの辞令はクラシック命だった僕にとって運命的なものであり、きっとがんばって仕事してきたことへの神様のご褒美であって、これぞ桃源郷ではないかという気分になってきた。周囲にドイツ語しか聞こえないホールや教会で何度も何度もじっくりとブラームスを聴く。この日本では体感しようのない経験というものは音楽の受容のしかたという意味で僕の耳に決定的な変化をもたらし、それ以来の音楽鑑賞の楽しみを格段に深化させてくれた

バーデンバーデンは家族を連れて2度滞在している。そこで買ったイタリアのベタリーニの船とロシアのヴォロディンの馬の2幅の油絵は家宝になった。1865年から1874年までの夏の数ヶ月をブラームスが過ごしたリヒテンタール8番地にあるブラームスハウスで入った青い部屋(左)は感動ものであった。ここで「交響曲第2番ニ長調」が完成されたからだ。当地で2番をやるとプログラムには「リヒテンタール交響曲」(Lichtentaler Sinfonie)と記される。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲は1877年9月にこの地でブルッフのヴァイオリン協奏曲第2番をサラサーテが演奏するのを聴いたことが作曲動機であるとされている。真偽は不明だがブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番ト短調がモデルになったという説もあるのは、ブルッフは同曲をクララ・シューマンを通してヨゼフ・ヨアヒムに紹介されたことを契機として書いたことからも可能性は否定できないだろう。

バーデンバーデンのクアハウス

バーデンバーデンに滞在中、ずっと頭で鳴っていたのはもちろんブラームス、とりわけヴァイオリン協奏曲とここ(クララの家)で試演されたドッペルであった。もう骨の髄までしみついたヴァイオリン協奏曲をあの美しいクアハウスのヴァインブレナーザールで聴くことはかなわなかったが、この曲はあの音響で聴くのが望ましい。あれこそブラームスが心に描いていたアコースティックに違いないという思いは確信に変わっていた。

ずっと後に見つけたこのCDはそうした満たされぬ渇望を癒す天の恵みだった。Weinbrennersaal, Kurhaus Baden-Badenで2002年11月1日にライブ録音されたブラームスのヴァイオリン協奏曲である。当地カール・フレッシュ・アカデミー主催のコンクール優勝者記念コンサートで、Brigitte Lang のヴァイオリン、Simone Jandl 指揮バーデンバーデン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏だ。Lang女史は現在NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団(NDR Elbphilharmonie Orchester、もとNDR交響楽団)の副コンサートマスターのポストにある。

まったくマイナーリーグの観を免れない演奏家たちだが、僕はこの曲を聴きたいときにこの録音をCD棚から取り出すかどうか必ず迷う。オイストラフやスターンやシェリングの名演があるのにだ。こういう演奏が田舎町でさくっと聴けてしまうのがドイツであって、わが国で言えば大相撲や歌舞伎のように、ブラームスは空気のごとく当たり前のようにユビキタスな存在であって世界的な大家による名人芸など別に必要としていない。そこでドイツ人と3年ブラームスを日常的に聴いていた僕もまったく必要としない。そういうことだ。

このCDが評論家の絶賛を浴びたりベストセラーになったりすることは絶対にないだろう。音楽産業はギャラの高いメジャーリーガー演奏家をグローバルに売らなくてはいけないし、そういう意図で書かれた評論やキャッチコピーに騙された消費者は「名手」「大家」でないと耳を貸さないように洗脳されてしまっているからだ。多くの方はそれに気づいていない(というより、日本にいれば気づくチャンスもない)。そういう方々のために僕はこのCDをアップしたし、曲をまだ知らない方々にブラームスのヴァイオリン協奏曲がいかに素晴らしいか知っていただく意味でこの演奏は過不足ない。ぜひ、こういう地元の本物の演奏をじっくり何度もお聴きいただきたい。

ラング女史のソロは無用に力瘤を入れて弾くところが皆無で緩徐楽章は祈りのようだ、これほど誠実にブラームスの音符を純真、純潔路線でリアライズできるものかと心が洗われる。技術はなんら劣るものではないが、ソリスティックでない。こういうのは往々にして「堅実」とあたかも褒めたかのように切り捨てられる。マイナーリーガーという刻印だ。とんでもない。それを前面に押し出して自己顕示のすべとするのでははなく、ひたすら音楽へ奉仕するという、僕のように楽曲の混じりけのない醍醐味だけを繰り返し味わいたいリスナーにとっては最高級の音楽家だ。こういうものは大衆に広く売れることはもともとあり得ないという資本家には困った性質のものであって、だから、こういうのが良い演奏というコンセプトが広まっては困るのである。皆さんは純粋に良い音楽を楽しまれればよく、資本家の利益に貢献する必要はない。

オーケストラもなんら尖ったところはなくWeinbrennersaalの最高にふくよかなアコースティックに自然に寄り添って、これぞブラームスという芳醇な響きでソロを包み込む。これぞブラームスの音。終わった時に、いつも同じものなのに、いつもありがとうという言葉しか出てこない、まさに稀有のありがたい演奏である。そして僕にとってはバーデンバーデンの代えがたいお土産の意味もあるが。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

バート・バカラック「サン・ホセへの道」

2018 MAR 14 19:19:38 pm by 東 賢太郎

シリコンバレーというのは地名でも谷の名前でも行政区画の名称でもない。もとはスタンフォード大学周縁の半導体産業(シリコンが象徴する)に端を発したハイテク企業基地の総称で、サンフランシスコの南東地域を指している。そこからソフトウエア、インターネット関連のITベンチャー企業基地へと派生・発展し、さらに地域名称というよりはそこにある企業の自由な発想と経営風土、集まる人種(超高学歴の知的労働者)、ポップな職場環境までを包含した「イメージコンセプト」になったといえよう。証券・投資銀行業務を「ウォール・ストリート」、映画産業を「ハリウッド」と地名でなんとなく呼ぶのと同じだ。

おおまかには下の地図あたりを指すが、テスラの工場があるFremont(フリーモント)がシリコンバレーでないとは誰も言わないから地理的にはおおよそアバウトなものである。ベンチャー企業経営者が「うちはシリコンバレーだ」といえばそれなりにブランドっぽく聞こえるという意味においては、女性タレント界における AKB48 みたいなもんだと言えなくもない。

テスラのフリーモント工場

バート・バカラックが作曲しディオンヌ・ワーウィックの歌でヒットした「サン・ホセへの道」は地図・右下方の「San Jose」のことである。これにうかれてた中学時代、そこがシリコンバレーど真ん中になって自分が仕事しようなど夢にも思わなかった。

ドゥ~ユ~ノ~ザ~ウエ~トゥサンホセ~しかわからなくて適当に歌っていたが、いまになってよく聞いてみると面白い。

サン・ホセへの道を知ってる?
私って 長いことご無沙汰だったから 道に迷っちゃうかもね
サン・ホセへの道を知ってる?

道を知ってるかだって?そんなの標識ぐらい出てるだろ。えっ、それもない?そんなド田舎なの?

そう思ってしまう。

これはなんと、サン・ホセ生まれの女の子がハリウッドのある大都会ロサンゼルスに夢を求めて出て行ったが疲れてしまい、あきらめて田舎に帰ってくる歌。千昌夫の「北国の春」みたいなもんだったのだ。

1週間 2週間で あなたもスターになれるかもよ
でも数週間と思ったら数年が過ぎてるわ なんてこと!

不屈の意志を持ったゴールドマイナーたちが「国造り」したこの地で、いまどきの女の子は数年の苦労ぐらいで音を上げちゃうんだというのが妙に新鮮だったのかもしれない。時はベトナム戦争の真っ最中だった。

ここのところがハ長調からホ短調にふっと悲しげにかわる。いい曲だ。夢は塵のように飛び去って独りぼっち・・・

富と名声は磁石のようなもの
どれだけ遠くにいても 人は引きつけらていくわ
夢を追っている時は 孤独なんて感じない
でも 夢が塵のように飛んでいけば
友人は無く独りぼっち
そして 車に荷物を詰め込んで去っていく

でもでも、

サン・ホセではゆっくり羽を伸ばせるの
広い土地があるから 私が休むことができる場所も見つかるはず
私の生まれ育った故郷 サン・ホセ
私は心を落ち着けるために サン・ホセに帰るところよ

そうだったのか。

でもキミの田舎は半世紀の時が流れたいま、Capital of Silicon Valley(シリコンバレーの首都)である。土地は広いがゆっくり休めるかどうかはわからないよ、なんたってロサンゼルスの子があこがれて出てくるところだからね。サン・ホセへの道はみんな知っている。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

僕が聴いた名演奏家たち(アルミン・ジョルダン)

2018 MAR 2 23:23:24 pm by 東 賢太郎

おにぎりは実に不思議な食べ物で、最近、食欲がなくても食えることに気がついた。茶碗によそうと多いなと思う分量でも握ってもらうとぺろりといけるのだが、ぎゅっと隙間がつまるから実は茶碗の方が米は少ない。どうしてそうなのか、いくら考えてもわからない。

しかも冷や飯でも具なしの塩だけでも良しときている。もっと不思議なのは、こんなうまい食べ物が外では出てこないことだ。コンビニの棚に無機質に並ぶ以外、そんなものを供してはいけないかのごとき冷遇を受けている。日本人にとって米は命なのに。足利義満の好物は湯漬けだったし、奈良時代からある鮒ずしの飯(いい)、僕は酸っぱいあれで冷酒というのが至福なのだが。

ところが最近、音楽も「米」になってしまったものがあると気づいた。バルトークの管弦楽のための協奏曲。高校時代から没入しているこれは一音一句記憶してシンセで弾いて録音もした。おかずではない、ご飯であり聴くと何時でも没入し十代に戻るが、しかし最近、逆にどの演奏でも満足できないという妙なことにもなってきた。何秒かごとに、違うなあ、そうじゃない、なんでだよ、となって、止めてしまう。

さきほどyoutubeでこれを聴いた喜びは、だから大層なものがある。アルミン・ジョルダンがスイス・ロマンド管をジュネーヴのヴィクトリア・ホールで振ったライブだ。

もう、まったくもって素晴らしいとしか言葉がない。4年前に書いた下のブログに思いのたけはつづったが、4年のうちにこっちの好みも変わってきて非常にこだわりのある終楽章のエンディングだけとっても満足なのはひとつもなくなってきた。ライナーも微妙なルバートがあるし、オーマンディーすらやや速いかなと聞こえだした。

ジョルダンのエンディングはまさしく僕の理想だ。何の奇もてらわないインテンポで安物のあおりは微塵もなく、ギリシャ彫刻のような均整と品格で決然と終結する。何度聴いても心が熱くなり、これを待ってましたありがとう!とひとりで何度もブラボーと大拍手を送っている。ストレスフルな毎日だが、お米になっているバルトークがどれだけほっとさせてくれることか、どれだけこの曲を愛してるか、改めてしみじみとかみしめる。

多くの方はこの演奏が何で?と思われるだろう。ショルティ / シカゴ響みたいなスーパーハイテクでもない、カラヤン / ベルリン・フィルのポルシェでぶっ飛ばす爽快感もない、第1楽章の金管なんて危なっかしいし録音もぱっとしない。なんにも豪奢なものがないからだろう、ジョルダンはエラート・レーベルにそこそこの量の録音があるがこの曲はない。なんともったいない。聴けば聴くほど滋味あふれる最高の演奏だ。なじみのない方はこのビデオを何度も聞いて覚えてしまうといい、レファレンスに値する演奏だ。

下のブログに書いたが1996年2月28日に彼とSROのラヴェルをこのビデオのアンティークな味わいのあるホールで聴いた。ジョルダンの指揮は全く芝居っけや外連味がないが、それでいてライブとして最高のラヴェルであり彼の名前は脳裏に焼きついてしまった。フランス物だけはない、彼のシューマン交響曲全集は好きだし、マーラー4番は数少ない愛聴盤だ。なぜ?地味だが素材のうまみをたっぷり引き出しているからだ。上等なお米のおにぎりなのだ。

しかし、これをCDにしても高級料亭の懐石料理であるショルティ、カラヤンより売り上げがあがったとは到底思えないのは悲しいことだ。よく耳を凝らしてお聴きいただきたい。完璧な技術で鳴らすのが良いオケだなどという主張は虚空に消えてしまうのであって、オーディオファンのいわゆる HiFi が良い音とは全然思えないのとよく似ている。それは商業的に宣伝で作られた「良い音」であって、そのキャッチコピーとともに耳に刷り込まれたブランドにすぎない。

僕はお米に昇格したこの曲を料亭カラヤンで食べようとは金輪際思わない。ブーレーズの新盤(DG)、バーンスタイン、チェリビダッケ、マゼール、小澤、ぜんぶお呼びでない、論外。二度と耳にする必要はない。指揮者が無用の芸当を披露してお粗末な味付けなどしなくても、この曲は新米の銀シャリのように滋味があるのであって、こうして普通に握ってもらえばおいしく食べられる。

 

バルトーク「管弦楽のための協奏曲」Sz116

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

エルネスト・アンセルメと気品について

2018 FEB 23 2:02:30 am by 東 賢太郎

エルネスト・アンセルメ(Ernest Ansermet, 1883年 – 1969年)はスイス人の数学者兼指揮者だが、高校時代の僕にとってフランス音楽の神だった。今だってその地位は譲っていない。まずは彼の姓でフランス語の t の省略というシロモノに初めて出会ったわけで、以来、これ(サイレント)とか独語のウムラウトとか、妙ちくりんな発音がない平明な英語名はフランス、ドイツ音楽の演奏家として安物という困った先入観にとりつかれてしまった。

その先入観に手を貸したのは、当時熟読していたレコード芸術誌だ。志鳥 栄八郎氏という評論家が管弦楽曲の担当で、この人が徹底した本場物主義者だった。フランス物はフランス人、ドイツ物はドイツ人、チェコ物はチェコ人でないとダメなのだが、そうなると英米人はやるものがなくなってしまうではないか。当時のクラシック音楽評論家のドイツ原理主義は顕著という以上に激烈でソナタ形式でない曲は色モノだという勢いすら感じたが、あれは同胞心だったのか形を変えた英米への復讐だったのか。志鳥氏は大木正興氏ほど筋金入りのドイツ原理主義者でも学究派でもなく、NHKの「名曲アルバム」の言語版という万国博愛的でエピキュリアンで親しみやすいイメージだったが、当時は三越、高島屋が憧れの欧米への窓口だった時代であり、クラシックはその音楽版だったから影響は大きかった。

氏は大正15年生まれで親父の一つ下だ。18才を敗色濃厚な戦争末期に迎え、東京大空襲で10万も亡くなって疎開、大学は行かれず戦後に旺文社に入社され著名な音楽評論家になられたがその後の人生では学歴で一番ハンディを負った世代かもしれない。陸軍に招集されたが士官学校ではない新兵はもちろん二等兵だ。死ななかったのは幸いだが酷い体験だったと拝察する。この世代のインテリが英米嫌いであったり日本(軍隊)嫌いで左傾化したのは自然だし、そこにマッカーサーのウォーギルトプログラムが乗っかった。それが生んだ日本嫌いの左翼と、軍隊嫌いで新生日本嫌いの左傾を混同してはまかりならない。南洋諸島(対米)やインパール(対英)で数万人の死者を出し、しかも6割が餓死であったという惨状を知れば、日本人の精神に戦争の傷跡が残らなかったはずがない。

銀行員になった親父も似たもので陸軍の二等兵で入隊して終戦となり、軍隊では殴られた記憶しかなく高射砲狙撃中に敵機の投じた爆撃で吹っ飛ばされて左耳が聞こえなくなった。ところがおのれ米英とは一切ならずクラシックばかりかアメリカンポップスのレコードまで聴き、あんな国と戦争する方がバカだと一貫して醒めており、英語をやれ、アメリカで勉強しろと息子を教育した。戦ってみて手強かったんだろう、それならそこから学べというのは薩長と同じでいま思えば実践的だったが東大は入っておけともいわれ、すぐにアメリカに飛んで行くようなことにならなかったのはより実践的だった。南洋、インパールで作戦ミスはあったがそれは起こしてしまった大きな過ちの結末であって、あんな国と戦争する方がバカだという大罪の罪深さを後に自分で肌で知ることとなる。

僕は左傾化しなかったが、それは政府の方がサンフランシスコ講和条約から一気に英米追従と戦時の極右の座標軸の視点から見れば相対的に思いっきり左傾化したからだ。その反動で安保闘争に走ったりはしないノンポリだったが、一方で音楽評論の影響で英米文化的差別主義者になった。志鳥氏がそうだったかは詳らかでないが、読んだ方は精神的に従軍したかのようにそう解釈した。だから親父に言われた「アメリカで勉強しろ」という立派な米国と、自分の中で見下してる米国はアンビバレントな存在として宙ぶらりんになった。後に本当にそこで勉強することになったが、当初はそれが残っていて解消に時間を要した。僕的な音楽の座標軸では独墺露仏が上座にあり英米伊は下座になっていた。イタリアの下座はいちぬけたの腑抜け野郎と見ていたからだ。中でもフランスは連合国ではあったがドイツに全土を占領され直接の敵国という印象はなく、好ましい国の最右翼だった。

若い方はクラシック音楽の受容の話と政治の話が混線して戸惑うだろうか。僕の生まれた1955年、昭和30年は終戦後たった10年目、上記サンフランシスコ講和条約に吉田茂首相が調印して連合国占領が解かれ国家として主権が回復してたった3年目だったのだ。安保反対と学生運動で世間は騒然としており、大学生協のガラス越しにゲバ棒で殴り合って学生が死ぬのを見た。生まれるすぐ前まで、7年間も、日本列島に国家がなかったのだということを僕は自分の精神史を通して改めて知る。そして、自分が決めてとったと信じていた行動が実は親父の言葉の影響だったこともだ。僕の世代は戦争を知らない。しかし、実際に戦場で銃弾を撃ってきた父親がそこにいた。そのことがいかに大きかったか。僕らがその後モーレツ社員になって高度成長期を支えたのも時代の空気と無縁でないし、それを若い皆さんにお伝えするのも父の世代からの橋渡しとしての役目と思う。

音楽に戻ろう。フランス音楽の大家といえばクリュイタンス、モントゥー、ミュンシュもいたのにどうしてアンセルメだったのかというと、彼がスイス・ロマンド管弦楽団(スイスのフランス語圏、ジュネーヴを本拠とする見事にフレンチな音色のオーケストラ)と作るDeccaレーベルの音もあった。当時聴いていた自宅の廉価なオーディオ装置でもけっこういい音がして、LPを買って満足感があったという単純な理由もあるだろう。くっきりと即物的でひんやりと冷たいのだが、その割にローカルで不可思議な色香が潜んでいて気品があって、都会の女なのか田舎娘なのかという妖しさが良かった。それに完全にあてられてしまったわけだ。

ドビッシーの素晴らしい「牧神の午後への前奏曲」、これを聴けばアンセルメの醸し出す色香と気品がわかっていただけるかもしれない。

お聴きの通りアンサンブルの精度、木管のユニゾンのピッチがけっこうアバウトだ。ベルリン・フィルならこんな演奏は絶対にしない。しかしドビッシーの牧神はそういう次元で書かれていない。英語で書くならatmosphericであり、霞んだ大気の向こうのようにほわっとしている風情のものがフランスの美学の根幹にあるクラルテとは背反するのだが、この曲をブーレーズのように楷書的に正確に演奏するとアトモスが消えてしまう。アンセルメのアバウトは意図ではないのだろうが、崩れそうで良い塩梅にまとまる妙がある、いわば橋口五葉の浮世絵にある浴衣のいい女というところだ。

フランス料理とその作法はロシアに影響したが、音楽ではロシアがフランスに影響した。こってり系のロシア物をフレンチにお洒落に味付けした演奏は僕の好みだ。マルティノン / パリ音楽院管のプロコフィエフなど好例だ。しかし、アンセルメがスイス・ロマンドと録音したリムスキー・コルサコフの「シェラザード」ほど素晴らしいものはない。余計な言葉は不要だ、このビデオの10分46秒から始まる第2楽章の主題をぜひ聴いていただきたい。

まずバスーン、そして続く絶妙のオーボエ!これがフランス式の管の音色だ。後者の着流しでいなせな兄いのような洒落っ気はどうだ、このフレーズをこんな風にさらさらころころと、然し変幻自在の節回しのアレグロで小粋に吹かせた人は(過去の録音でも同じ)アンセルメしかいない。僕はこれが耳に焼きついていていつも求めているが、レコードでも実演でも、他で聴いたことは皆無である。楽譜をいくら眺めても、こういうフレーズの伸縮や微妙なタンギングのアクセントは書いてない(書けない)。指揮者のインスピレーションの産物であることまぎれもなく、普通の人がやるとあざとく聞こえるものがアンセルメだとR・コルサコフがこう意図したかと納得させられてしまう。いまや僕にとってこの曲をアンセルメ以外で聴く時間も意欲もなく、ほかのCD、レコードは全部捨ててしまってもいいと思っている。

指揮者によって音楽が変わるというがそれは当然であって、皆さんカラオケで原曲とまったく同じに歌えるはずはない。いくら物まね名人でもわかってしまう。それと同じことで、第2楽章の主題をアンセルメとまったく同じに吹かせるのは無理なのだ。指揮者はそこに個性を刻印できるが、奏者にお任せも多いし、いじりすぎて変なのも困る。この第2楽章は何度聴いても唸るしかないウルトラ級の至芸で、何がそうかといえば、つまりはアンセルメの指示する各所の歌いまわしが至極自然でごもっとも、そうだからこそ、そこからにじみ出る気品なのだ。かと思えば、第1楽章では7分51秒から弦と金管がズレまくる考えられないアバウトさで、ここは高校の頃から気になって仕方なかった。最後の和声もオーボエのミが低い。

このオケのオーボエは上手いのか下手なのか良くわからないが、アンセルメのこだわりの節回しをお洒落に吹くことに関しては間違いなくセンス満点であって、それ以上あんた何が欲しいのといわれれば退散するしかないだろう。このオーボエあってこそのスイス・ロマンドであり、まことにチャーミングでハイグレードであり、同じほど高貴な色香を放つフルート、クラリネット、バスーンにホルンがある。アンサンブルのアバウトなどどこ吹く風、このシェラザードは音楽録音の至宝であって、聴いたことのない方はぜひ全曲を覚え込むまで何度もきかれるがいい。一生の宝物となることだろう。

最後に、そのオーボエの大活躍するラヴェルの「クープランの墓」をどうぞ。やはりアンサンブルはゆるいが、それがどうした。この演奏に満ちあふれるフランスの高貴、ツンとすました気品。やっぱり申しわけないがアメリカじゃダメなんです。いや世界広しといえどもこれに真っ向から太刀打ちできるのは京都ぐらいだろう。若いお嬢様がた、気品というのは内面から出るのだよ、いくら化粧なんかしてもだめだ。こういう音楽をたしなみなさい、きっと身につくから。

 

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

島口哲朗
深堀隆介
秋山実