Sonar Members Club No.1

カテゴリー: クラシック音楽

N響定期B(トゥガン・ソフィエフをきく)

2019 JAN 17 23:23:18 pm by 東 賢太郎

フォーレ/組曲「ペレアスとメリザンド」作品80

ブリテン/シンプル・シンフォニー 作品4

リムスキー・コルサコフ/交響組曲「シェエラザード」作品35

サントリーホール

このところ音楽はさっぱりで悲愴など感情が共振する音楽しか食指が伸びていない。心の石灰化現象だ。仕事漬けになると左脳優位になるんだろう、オーケストラがバラバラに聞こえやたらと粗探しに耳が行ってしまう。音楽家は毎日楽譜を見ていてこういうことがないのだろうか、もしあったら大変だろうな。

ソフィエフはプロコ5番が良かったがその後は印象がない。前半はあまり集中せず、ブリテンのこの曲は性に合わずいいと思ったことは一度もない。シェラザードも特に聞きたい曲でもない。来てしまったものは仕方ないがこういう時は座席に拘束されるのが苦痛でもあり、出し物が何であれもう演奏会なるオケージョンにけっこう飽きてしまった。

シェラザードはアンセルメのレコードが、明らかなミスである第1楽章のアンサンブルのズレまで完璧に刷り込まれていて、まずいことにその通りでないと物足りない。あれ以外まったく受け付けなくなってしまったからライブを聞いてどうこう言う立場にない。

終楽章のテンポだけはチェリビダッケの秘技も例外的に刷り込まれていてソフィエフに注目したが、フルートがギリギリ危ないほどの速さで脱兎のごとく駆けだしたはいいが顚末は平凡だ。最後のソロのピッチはいつもライブでハラハラするが、まろ様はプロフェッショナルに乗り切って見事だった。最近ピアノもさっぱりなので第1楽章をやったら案の定けっこう指が忘れている。

 

 

チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」の聴き比べ(5)

2019 JAN 16 0:00:26 am by 東 賢太郎

ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1964)

高2で買った初めての悲愴のLP。曲を覚えた思い出の演奏だ。聴き返してみて、カラヤンのコンセプトが手本として脳裏に染みついていることがわかる。オケの解像度の高さとベルリン・イエスキリスト教会のアコースティックの心地よいブレンドが録音の売りだったと思われる。カラヤンのぬめりあるレガートと縦線を強靭に制御したリズムの明確なビートはすでに開花しているがMov3の軍楽隊調は今となるとドイツドイツした印象。2回目のシンバルは変だなと思っていたがこれで覚えてしまい迷惑した(完全主義のカラヤンがミスを放置などするはずがない、確信犯である)。僕にとってはノスタルジック・バリューのみだが、終楽章コーダはさすがにうまい(総合評価:2+)。

 

ロリン・マゼール / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

上掲カラヤンと同じ1964年にDeccaが録音した全集から。DG vs Decca、BPO vs VPO、そして両社は市場にKarajan vs Maazelの対立軸を持ち込もうとしたわけだが、VPOをここまでエッジを立てたHiFiにオンマイクで録ろうというセンスは現代にはもう存在しない骨董品だ。Mov1アレグロのアーティキュレーション(発音)の歯切れは素晴らしく、チャイコフスキーがプログラムの定番だったとは思えないVPOは基本性能の高さを見せている。30代のマゼールは情念の泥沼に踏み込むのは避け、過去の夢想すらもrefinement(品格と洗練)の中で描き、インテンポを基調にスマート、スタイリッシュで精緻な合奏に徹する。悲愴の作曲意図からは誠に物足りないがその路線だととても速めのMov2中間部は耳新しく響く。Mov3の合奏力はBPOに一歩譲るがmov4の弦合奏の魅力は上回る。2nd主題後半の追い込みは甘く銅鑼に至る感情の起伏は平坦(銅鑼の音はアンセルメ盤と同様長く残る)。コーダはやや無機的だ。若い。(総合評価:2)

 

ウィルヘルム・フルトヴェングラー / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

1938年10-11月録音。この年にヒトラーのドイツはオーストリアを併合しチェコからのズデーデン地方割譲を行い、ちょうどこの録音が行われていたころにユダヤ人迫害(水晶の夜)が始まった(日本も国家総動員法が制定され中国侵攻が始まった不穏な年だった)。ヒトラーはこの翌年、1939年にポーランド侵攻のために独ソ不可侵条約を制定し世界を驚嘆させる。不倶戴天の敵であった独ソが占領地で共同軍事パレードを行って暫く準同盟関係を持ったわけだ。1941年6月22日にナチス・ドイツが本性を現してソ連に侵攻(バルバロッサ作戦)して条約は破棄されることになるが、1938年暮れごろというと、不可侵条約制定に向けて着々と手を打っていたヒトラーはスターリンをうまくだます必要があったのである。

フルトヴェングラー とナチスの関係は「二重スパイ」とも思える複雑さがある。ヒンデミット事件で悪化したがゲッペルスは国民的人気の指揮者を宣伝に利用するため和解を持ち掛ける(1935年)。僕はこの悲愴はソ連に向けた目くらましのリップサービスとしてスターリンをだます国家的目的にフルトヴェングラーが妥協し、対独宣戦布告前の英国EMIに録音させたものだと考えている。彼はチャイコフスキーを陳腐な作曲家と評していたし、悲愴を演奏会でほとんど取り上げておらず、自由の身になっ後もカイロのライブを除いて録音すらしていないこともそれと矛盾しない。

演奏はフルトヴェングラー なりの大所高所観から大づかみにしたもの。Mov1のテンポは微妙に変転する。Mov2は遅く洗練されない。優美さは皆無で中間部は減速して暗いだけで深みなし。Mov3はマーチ1回目からブレーキがかかる稀有の解釈(2回目もだが)でコーダに加速。Mov4は弦のアンサンブルを腐心して揃えた感はあるが管がいかにも野暮ったい。しかし、銅鑼に至る彼一流のアッチェレランドは見事に決まっていて、コーダは究極の悲しみに飲まれてしまう。彼は極点からのつるべ落としの天才で、その一発芸にやられてしまう。僕にとってはヒトラー対スターリンの火花散る神経戦ドキュメンタリーのBGMとして価値がある(総合評価:2+)。

 

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チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」の聴き比べ(4)

2019 JAN 14 0:00:03 am by 東 賢太郎

ヴァレリー・ゲルギエフ / マリンスキー歌劇場管弦楽団

この指揮者はコーカサス地方イラン系のオセット人である。95年にフランクフルトで火の鳥、東京でメシアンやベルリオーズを聴いたがいまひとつ世評の高さに納得できなかった。Mov1,2nd主題は遅いテンポで愛撫するようにエロティックに歌い上げ、高潮の山は恋心のように激して高く、この主題ひとつにオペラの3場面があるかのごとしだ。そこから後期ロマン派の渺渺たる耽溺にもつれこんでテンポはさらに落ち、うつろな眠りに沈み込む。これぞppppppではあるが現実としてはファゴットでは物理的に不可能であり、その劇性は作曲家の意図を越えていると思う。そこで突入するffの衝撃は無類だから何とも言えないが、このエモーションの過激な振幅を魅力と思う人が多いのが人気の秘密なのだろう。第2楽章は速めで人生の愉悦も華やぎもある。第3楽章も快速で第2マーチ、終結のテンポは意味を感じない。終楽章はねっとりしたテンポで始まり、終結に至るまでMov1,2nd主題について書いたままが当てはまる。すなわち細部はあれこれ芸が細かいがマクロ的には非常に単細胞なアプローチであり、それが好きかどうかで好悪は決する。こだわりの割にコーダは普通であり、チェリビダッケやE・クライバーのライブ盤のような衝撃はない。(総合評価:2)

 

クルト・マズア / ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

この悲愴は純音楽的な正攻法でスコアの本質を高い技術で音化し、ロマン的演出や情緒纏綿の女々しさはかけらもない。作曲家の運命の悲劇に対して清々とした男らしさを貫くアプローチとして非常に完成度が高いが、日本は悲愴というと女性的なロマンに耽溺したり演歌みたいにメロメロに泣きまくったりが求められ、こういうアプローチはさっぱり人気がない。ハイティンクもそうだが、マズアも中庸の堅実な中堅指揮者の位置づけしか与えられない。よく考えていただきたい、これは女と結婚して逃げ出したホモセクシャルで、ロシア最高学府で教育を受けたエリートが自殺直前に遺書として永遠に残す強い意志と知性で書いた音楽なのである。日本人がイメージする女々しさなど入り込む隙間がどこにあるというのだろう。剛直に鳴らすmov1に散りばめられた「色味」の不可思議な尋常なさは彼の性癖の宿命を妖しく暗示するが、それはSymNo4Mov1に露骨に暴露されているものの片鱗である(それについてはいずれ書きたい)。悲愴Mov1はその本性を隠ぺいすることに慎重に腐心しているが、そっちに主眼を置いてしまったゲルギエフのようにやると肝心なものは夜露のように消える。マズアにはMov2、3に身勝手、意味不明のテンポ操作はない。マーチ2回目はむしろ速くあっけないほどインテンポで突き抜けるが、あれはマーラーの軍楽隊かショスタコーヴィチの軍靴の響きに通じるカリカチュアで、それにテンポの演出を施すナンセンスは耳障りでしかない。それであってこその終楽章の入りのあの屈折したメロディーの切れ切れの分断なのだ。すべての設計は、人生と名誉をかけた綿密な遺書として完璧にスコアに書き込まれている。

Mov1からアッチェレランドの煽る効果を封印してきたマズアはMov4の銅鑼に至る高潮部で初めてそれをする。それがスコアのありのままの設計意図にかなっており、だからそこからが痛切なのだ。そうして奈落の底に落ちる落胆こそこの演奏の白眉だが、安手の演出がいかに不要か、これを聴けばわかる。そういう演奏なのだ。コーダは葬列のようにバスを効かして淡々と進み、強拍のCmaj7の黎明か薄暮の如きほのかな生への希求の明かりが “劇的に” 悲しい。こんな演奏がどこにあろう。チャイコフスキーは一人でこの世を去るのであって、泣き女が出てきておいおいやるような音楽ではないのである。去る本人が葬送曲を緻密に書いている、その事実が生む衝撃に比べれば、演奏者の演じる劇など何を目論もうが猿芝居に過ぎない。この演奏を好む人がどれだけいるのか知らないが、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管の艶と重みのある機能性をもって本質をリアライズした、僕には座右の名演である(総合評価:5+)

 

グィード・カンテッリ / NBC交響楽団

イタリア人指揮者カンテッリ(Guido Cantelli,1920 – 1956)は、1953年2月21日に33才でトスカニーニ存命中のNBC SOの演奏会を振った。この悲愴はそのライブ録音だ。彼を後継者筆頭候補と認めたトスカニーニが “This is the first time in my long career that I have met a young man so gifted. He will go far, very far. ”と言ったのは凄い、本当に凄い。1956年11月16日にスカラ座の音楽監督に36才で指名され人生の幸福の絶頂期にあった1週間後の11月24日、カンテッリの乗ったニューヨーク行きのLAI Flight 451(ダグラスDC6-B)はアイルランドのシャンノン空港に向けてパリのオルレー空港第26滑走路を離陸したが10~15秒後に上昇に失敗して滑走路の端から600mの民家に激突、火炎をあげて大破した。気温は摂氏零下2度、濃霧で視界は2.2mであり事故原因は不明であった。クルー10名、乗客25名のうち乗客1名が生存したがカンテッリではなかった(ICAO Accident Digest No.8, Circular 54-AN/49)。お聴きの通り直球勝負の俊英だ。べたつかない悲しさをストレートにえぐりだした悲愴。ジュリーニよりバーンスタインより若かった彼が生きていたら世界のどこかで聴いただろう。合掌。(評価外)

チャイコフスキー交響曲第6番ロ短調 「悲愴」

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僕が聴いた名演奏家たち(ニコラウス・アーノンクール)

2019 JAN 7 22:22:16 pm by 東 賢太郎

ニコラウス・アーノンクール(Nikolaus Harnoncourt、1929 – 2016)はオーストリアの貴族ウンフェアツァークト伯爵家の長男であり、ウィーン国立音楽院(現・ウィーン国立音楽大学)でチェロを専攻、卒業後1952年から1969年までウィーン交響楽団にチェロ奏者として在籍した。わが国なら宮様が芸大を出てオケに入りましたというところだが、それで終わらず古楽器オーケストラ「ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス」を立ち上げて指揮者になった。

僕は古楽器演奏ムーヴメントにはアンチだが、そうなった一翼は彼の演奏への幻滅も担っている。マタイ受難曲はカール・リヒターで覚えたので違和感があった。アーノンクールのバッハは学究的でプログレッシブ(progressive)と思い忌避していた時期もある。しかし、僕が古楽嫌いになったのは実はそのせいではなく、後に雨後の筍のように出たピッチの低い古典派のせいだった。ブリュッヘンの「ロ長調のジュピター」に衝撃を覚えて以来だ。

人には長年かけて培った音感がある。モーツァルトが今のロ長調で作曲したのだったとしても音感を矯正するのは不可能だ。我々が彼に近寄るのは、もし18世紀に生きていたらという試みなのであり、それが何らかの意味を持つならば、もし彼が我々に近寄って今のオーケストラを知ったらという試みだってあり得るだろう。どちらであれ、モーツァルトは聴衆の心をつかむ方を選択するタイプの人間であり、ハ長調でも受けがいいなら文句は言わなかったと思う。

私見ではアーノンクールは学者よりも演奏家である。それも熱いハートのある。楽譜の魅力の根源を突き詰めていくと、背景には歴史のパラダイム、すなわち宗教、政治、社会、風俗、美意識、階級、風土、慣習、様式、楽器の種類、特性などが横たわっており、演奏しようと思えば制約条件として無視できないゆえにそれらを演奏行為と同等の重みをもって解釈に取り入れた人だと思う。その考え方はバッハに限らずロマン派でも近現代音楽でも大なり小なり無視できないものであって、そのこととピッチを半音下げることとは決して同じ行為ではない、ここは重要だ。

音楽におけるauthentic(歴史的に真正の)とは楽器の製作年代やピッチやヴィヴラートの忠実な再現、模倣であっても字義的に間違いではないだろう。ドイツ赴任時代にアイゼナッハのバッハ・ハウスで一日過ごしたのは忘れられないが、しかし、そこに展示されているバッハ時代のヴァイオリンやガンバを鳴らしてみるだけなら博物館のショップに売ってる土産物のCD以上のものではないという事実のほうが僕は重要だと思う。authenticな楽器を使おうと使うまいと、聴衆の心を打たない演奏はそれなりのものでしかない。

ブランデンブルグ協奏曲第6番について語っているこのビデオは面白い。ここから多くを教えてもらった。

当時までヴィオラは伴奏楽器で主役(ソロ)の場面はなく、ガンバは旋律楽器でもあり主役というのが常識だった。6番でバッハはそれを逆転したのであり、アーノンクールはそれをプロレタリアート(ヴィオラ)による市民革命だと表現している。学者は6番を6曲のうち最も保守的だとしているが、だから、彼は弦の書法において最も急進的だと述べている。テンポ・ルバートはロマン派の発明ではなくバロック時代のものとも語っている(実際に6番でそれをきかせている)。彼も学者だが、なにより演奏家であるゆえの包括的な洞察であり、現場のリアリズムからくる見解でもある。

僕は彼の厖大な知識と教養からくる多面的な譜読みに対し、常に納得はしていないが、少なくとも一理あるものとして傾聴はしている。マタイを初めて聴いた頃からこちらも変化している。私見では演奏家は一種の霊媒であるのが理想であり、数世紀も前に死んだ人の意図を当時のパラダイムのまま理解、咀嚼したうえで、それを21世紀のパラダイムに変換してオリジナルな意図通りのメッセージを現代人に伝える人たちだ。記号に過ぎない譜面を字面どおりに音にする職人ではないわけで、それが左脳的作業であるなら極めて右脳的なものだ。前者の能力は訓練で誰でもある程度は獲得できるが後者は直観やひらめきのようなもので誰でもあるということはない。

その変換とは、わかりやすく言えば大河ドラマの「時代考証」に近いが、困ったことに史実に忠実すぎると現代人には理解できず、現代に寄りすぎれば史実と乖離する。だから考証を第三者(歴史学者)が頭で考えてやるのはだめなのである。霊媒型を僕が理想とするのは、モーツァルトの霊が乗り移って「なりきって」しまえば、姿形が違おうと怖いものはない、強烈なオーラとインスピレーションで聴衆を引っ張りこむことができるからだ。何かオカルトめいて聞こえようが、コトバを言霊と呼ぶように、音楽演奏にも多分にスピリチュアルな要素があって、それが伝わった時の感動は尋常でない経験を何度もしているからだ。

アーノンクールの学んだウィーンの古典派(ハイドン、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト)にそれは感じたことがない(モーツァルト40番の緩徐楽章のテンポぐらいだ)。氏素性や育ち、教育で霊媒になれるわけではない、テンペラメントがその誰とも違うということだ。なりきれたのはやはりJ.S.バッハであったと思う。彼の「クリスマス・オラトリオ」は名演でこの曲の筆頭の愛聴盤となって久しい。新旧あるがこのビデオはアーノルド・シェーンベルク合唱団との新盤(右)の冒頭だ。全曲をおすすめしたい。

晩年に至ってチューリヒ・オペラでヴェルディまで振った彼だがきいていない。一度だけ彼を聴くチャンスがあったのは1997年7月11日にチューリヒ・トーンハレでヨーロッパ室内管を振ったブラームスの交響曲第1番と2番だ。友人2人とゴルフをして夜にホールに行った。あまり期待していなかったが、流れが良くてテンションの高い1番は会場を大いに熱くして意外であった。曲想に沿って攻めるべきところはぐいぐいとアップテンポで攻め快哉を叫ばせる。僕の趣味のアプローチではないが、冒頭に書いた「アーノンクールは学者よりも演奏家である。それも熱いハートのある」という印象はこのライブで得たものだ。彼はブラームスに強い共感があって、きっと「なりきれる」作曲家だったのだろうと確信する。

古楽器のイメージのせいだろう彼のブラームスは正当な評価をされていないが、あのライブが当日の聴衆を熱狂させたのは証言できる。チューリヒの聴衆は耳が肥えていて日本人のように何でもブラボーなんてことはない。ショルティが人生最後のマーラー5番を振った時(このブラームスの2日後、7月13日だった)に劣らぬ喝采だったのだからTELDECがベルリンフィルと交響曲全曲を録音したのも無理はない。

さらに良いと思うのは、ルドルフ・ブッフヒンダーをソリストにしたピアノ協奏曲第2番変ロ長調である。このピアニストの弾く同曲はフランクフルトでホルスト・シュタイン/ バンベルク交響楽団という、いまになると我ながら羨望すら覚える組み合わせで聴いて心の底から感動していたからそれもある。アーノンクールとのCDは伴奏がコンセルトヘボウ管でこれがまたすばらしい。終楽章の最後のアップテンポだけは少しやりすぎで交響曲のアプローチと同じだが、コクを求めなければ痛快であり、おおむね満足できる出来だ。ノン・ヴィヴラート気味に聞こえるが第3楽章のチェロ・ソロはかけている。第1楽章をお聞きいただきたい。

 

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チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」の聴き比べ(3)

2019 JAN 6 13:13:24 pm by 東 賢太郎

エーリヒ・クライバー / ケルン放送交響楽団

この演奏のどこがどうのと言っても始まらない。音質もモノラルで良くない。1955年3月、クライバーが世を去る1年前の壮絶な記録で、ライブゆえ第1楽章で弦が乱れファゴットが音を間違えているが、そういうことをうんぬんすべき演奏ではない。アゴーギクの大きさは金輪際聴くことの能わぬもので、名優の一期一会の悲愴に組み伏せられる思いがする。これを初めて聴いて、まったくもって圧倒され眠れなくなったのは終楽章コーダのVnの血のにじむような慟哭だ。凄まじいばかりで、こんな胸をえぐられる音は他に聴いたことがない。スコアにチャイコフスキーが封じ込めた情念はこうだったかもしれないと何度も聞き返した。真に有能な指揮者がいかなるものか、古い録音を忌避していては永遠にわからない(総合点:5)。

(付記:終楽章コーダのVnをよくお聴きいただきたい。最初のシを「タータ」と弾かせていることを!これは第2楽章中間部のリフレーンであり、チェリビダッケはここにティンパニを加えることで同じ趣旨の主張をしているのである)

 

エーリヒ・クライバー / パリ音楽院管弦楽団

こちらは1953年のスタジオ録音だ。クライバーの悲愴というと一般にはこっちのことをいう。技術的に破綻はなく録音もこちらのほうが良い。しかし、同じ指揮者と思えぬほど何のこともない演奏で、終楽章コーダのVnは「タータ」でなくスコア通り。第3楽章の2度目のマーチは55年盤も減速するがこちらは直前でやや加速してから落とす。コーダでのテンポ操作も恣意的に聞こえる。この程度ならもっと良いものがいくらもある。ここから上記盤までの2年間に何があったんだろう?(総合点:2)。

 

 

ヤッシャ・ホーレンシュタイン / ロンドン交響楽団

1967年5月17&18日 ロンドン。キエフ生まれのユダヤ系ロシア人、ホーレンシュタイン(1898 – 1973)の録音はオーケストラに恵まれず実力の割に印象が薄いがこの悲愴はLSOを得てそれがない。一聴すると何もしていないオーソドックスな解釈に聞こえるが、実は読みが深い。通常は第1~3楽章に束の間のロマン、安息、華やぎがあるがここではそれをそぎ落としてむしろ鎮静が支配し、時折響くティンパニが暗さを暗示する。第2楽章中間部のあえて味つけのうすいリズムの単調さは葬儀さながらで、第3楽章の遅めのマーチはマーラーの軍楽隊のカリカチュアを連想させ、終結部は僕には死にゆく(自殺だが)自己の運命への嘲笑にきこえる。終楽章は的確なプロポーションを守り、テンションと絶叫で無用にあおったりしない。これによってコーダ主題は実は終楽章第2主題が短調に化けたものであり、この交響曲はソナタ形式が再現部で中断してフェードアウトで終わってしまう異形の構造なのだという強いインパクトが残るのである。それが自身の死を暗示したメッセージであるという。何も考えてないムードで流すだけの演奏とは雲泥の差。ホーレンシュタインの研ぎ澄まされた知性の証だ(総合点:4.5)。

 

テオドール・クルレンツィス / ムジカエテルナ

古楽器(風)演奏がロマン派、近代まで進出して久しいが、そのフロンティアは今どこなんだろう?ヘンツェがBPOを振ったステレオ録音があるのだから1960年以前ではあるだろうが不明だ。それも、オーセンティシティの由来が楽器なのか奏法なのか解釈なのか?釈然としない。どうも、新興のEV対策でトヨタが仕方なく出したハイブリッド車みたいな感じがぬぐえない。あるいは羽田空港国際線ターミナルにある「日本橋」の縮小レプリカや、「江戸東京博物館」の類だ(あれはあれで面白いと思うが)。チャイコフスキー指揮の初演の録音なら何十万円払ってでも聞いてみたいが、その頃の楽器ですよ、当時の奏法は研究によるとこんなでした、解釈はまあだいたいこんなんじゃないでしょうかね、なんてものを、学者や演奏者が何日かけてまじめに検討しようが、僕は新風として受け入れるほど音楽においては柔軟ではない。これが古楽器なのか古楽器風なのか、古楽器演奏の思想やエレメントを包含した何か新しい現代オーケストラ演奏なのか、僕は興味も知識もないので不案内だが、聞こえてくる音以外には何もない。ずいぶんおお真面目に考えた風情はあり、元気のいい演奏とは思うが、聞いた後に何も残らない。そんなことよりもっと大事なことがこの曲のスコアには書いてあると思う(総合点:1)

チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」の聴き比べ(4)

 

 

 

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猫語と第九交響曲の関係について

2018 DEC 31 10:10:33 am by 東 賢太郎

去年の年の瀬にこういうものを書いていました。

語学コンプレックス

まったくそのとおりなのですが、今年ウチに来てくれた猫、シロとクロの “言葉” をきいて、これも語学であろうと思ったのです。猫はいっぴきいっぴき、言葉が違うのです。というのは、野良猫を見るとわかりますが、猫同士はほとんど鳴き声で意思疎通はしません。鳴くのは「人間用」だからです。

ではなぜ鳴くか?人間に何かをさせたいからです。エサをくれ、遊んでほしい、甘えたい、放してくれ・・・と人間を支配するための信号であって、どんな音を出せば我々がどう反応するかを彼(女)らは注意深く観察して記憶しています。これを僕はクロ様の「長鳴き」(かなり長い)で気がついた。信号にはけっこう個体差があって、どこか似てはいるものの、それらを一元的にネコ語であるとして文法的類型化はできそうもありません。

でも、わかるのです。いっぴきいっぴき、何をいいたいのか・・・。

これはおそらく、ネコ語にはおおもとになる標準の文法のようなものがあって、それがいっぴきごとがしゃべると別々の方言にはなるのですが、たくさん聞いていると枝葉が取れて幹だけが伝わるようになるのです。

それはクラシック音楽に似ています。と突然に言われてもどなたもにピンとこないでしょう。ご説明します。僕はべートーベンの第九交響曲のディスクを58枚持っていますが、その第1号は大学1年の年末に買ったクルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のLP(右)です。全くの初心者であった当時として、演奏者は誰でもよく、5番(これは第3号)と2枚組で1800円と少し安かったからこれを選びました。

ところが調べてみると、翌年の2月に2枚目の第九としてリスト編曲の二台ピアノ版(左)を買っています。当時、この曲は「合唱付き」と副題をつけてレコードが売られており第4楽章の声楽こそが目玉でしたが(今でもそうですが)、僕はそれは無視だったわけです。理由は簡単で、マズア盤を聞いてもこの曲がよくわからなかった。むしろ歌が邪魔でオーケストラがよく聞こえず、輪郭がつかめなかった。そこにいいタイミングでこのLPが出て、第九の「幹」だけを知りたくて飛びつきました。僕は第九をピアノで覚えたのです。

この方法は、「ネコ語にはおおもとになる標準の文法のようなものがあって」、という感じにとても似ています。標準の文法さえつかめば枝葉の違いは飛び越えておおよそが理解できる、それは理屈ではなく感性なのでうまく説明できませんが、たとえば英単語でラテン語っぽい接頭語や接尾語をまとめて覚えてしまうと初めて見る類語がすいすい理解できる、それに近いでしょう。利点はとにかく記憶が速いことで受験などには有利です。

ところで、ブラームスは22才の誕生日をデュセルドルフのシューマン家で迎え、14歳年上であったクララとこのリスト編曲の「第九」二台ピアノ版を弾いています。

「それは素晴らしい響きがした。続く数日間というもの、真の喜びを味わいながら、毎日毎日、それを弾いた」(クララの日記より)

演奏しているコンティグリア兄弟はマイラ・ヘスの弟子で、無味乾燥のリダクションものではなく独自の音楽性を感じます。ピアノはボールドウィンSD-10でリッチな低音と高音の輝きが第九にとてもふさわしい。僕の原点です。お聴きください。

さて、もう一つの原点である上掲のマズア盤ですが、録音は1973年で今聴いても悪くないです。彼の最初のLGOとの全曲録音で、合唱団はライプツィヒ、ベルリン、児童合唱団がドレスデンと当時のオール東ドイツの布陣で、独唱も新人だったアンナ・トモワ・シントウにペーター・シュライヤー、テオ・アダムと最強。その割にエキサイティングなパンチ力には欠けますがオーソドックスな安定感は捨てがたい。終楽章、児童合唱のピュアなソプラノパートはなかなかです。弦だけの歓喜の歌にからむファゴットのオブリガートはスコア通り1本で、これで覚えたので2本版は僕は非常に違和感を覚えますし(セル盤は優れていますがその1点だけで聴きません)、主旋律とユニゾンとなる部分の美しさはこれを凌ぐ演奏を未だに聴いたことがありません。ドレスデン・ルカ教会の豊饒な残響も最高で、これでドイツ音楽の醍醐味を知りました。おふくろの味の第九というところです。

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今年の演奏会ベスト5

2018 DEC 30 16:16:27 pm by 東 賢太郎

第1位

マリア・ジョアオ・ピリス最後の公演

第2位

マリア・ジョアオ・ピリス演奏会を聴く

第3位

アンヌ・ケフェレックを聴く

第4位

鈴木雅明/読響のメンデルスゾーンに感動

第5位

クリーヴランド管弦楽団演奏会を聴く(天皇、皇后両陛下ご臨席)

 

法学部卒ですから経済学を知らず、ウォートンで習って初めて知ったことがたくさんあります。会計学がそうで、簿記も知らなかったからそれも含めて英語でゼロからであって、いまだに会計用語は日本語の方をよく覚えてません。経済学でも「限界効用価値逓減(ていげん)の法則」なんてのでがそうで、英語で law of diminishing marginal utility というのですが、これも英語のほうがロジカルで数学的にわかりやすい。日本語は限界、効用価値、逓減の定義がよくわからんのです。一個でもわからんとロジカルにはわからない。それでアバウトにわかった気になる人は例外なくロジックに弱いです。

逓減と低減とどう違うのか?なにやらぼわっとした「文学的要素」が入る気がして、要はそんなものどっちでもいいのですが、この訳語を考案した御仁の趣味の問題であって、僕はそういうつまらない恣意の雑音が入るとロジカルな概念を理解できなくなる頭の構造なので英語のほうが断然よかったのです。逓減には低減にはない漸減という時間概念がはいるという工夫は評価するが、英語はそれをmarginal でロジカルに誤解なく示すわけで、その仕事をdiminishにはさせないのですね。それならなぜ漸減にしないの?と、まあ、この提案を含めて訳者のどうでもいい趣味としか言いようがない。僕は彼に何のリスペクトもないですから、そんなのを押し付けられることに頭が反発して学習意欲もなくなるのです。

要するに「ビールは一杯目が一番おいしい」なんですが、これは「とりあえずビール!」と居酒屋でやってる人は誰でもわかる。しかしビールが変化するのでなくの個々人の主観(満足度)が変化するので統計的に把握できませんから数学的概念として定量化(需要曲線)して微分してみようというインテリジェンスには当時感動すら覚えたものです。こういうインテリジェンスに満ちた「原書」を翻訳して手っ取り早くインフォメーションとして教えるのが日本の大学で、そのために明治政府が作ったのが我が東京大学なのでありますが、アメリカで教育を受けてみて、インフォメーションとして学習した学生が(そのこと自体は悪くはないが)どのぐらいそれをインテリジェンスに還元して日々の生活やビジネスに活用できているかというと大変に疑問に思ったものです。

それは「千人の第九」で音楽家でない多くの方々があのコーラスを大音量で力の限り唱和して、全員が一つになって感動して涙を流し、それは人間として大変に結構なことで何の違和感もないし、そういうイベントを企画した人たちや指揮者やオーケストラや裏方さんたちも讃えられてしかるべきなのですが、しかし、お客さんも含めて、そこにいたすべての方々が、終演後の拍手の何パーセントを Ludwig van Beethoven 氏のインテリジェンスに捧げていたか? 僕は疑問であり、この疑問は日本の大学教育への疑問と同根、同質であると確信するのです。

僕が  law of diminishing marginal utility のインテリジェンスを実生活で還元するとなると、ビールよりも(弱いから何杯も飲めない)、音楽でリアルに体感するわけです。なるほどこれは law であるわい、と。ブラームスの交響曲のレコードやCDを500枚も持ってる僕がどうして501枚目を買うんだろう?501杯目のビールですからね、utility (満足度)はほぼゼロですね、もう吐きそうだ。演奏会でブラームスの交響曲のチケットを買うかどうか?おんなじです。ブラームスに限らず、1万枚もレコード、CDのストックがある人間として、1万1枚目に対するモチベーションはもうあんまりないのです。だから僕は定期演奏会を2つ買って、プログラムを見ずに、「シェフのおまかせ」状態で通うしかない。見てしまうと「この曲はよく知っている。もう満腹。やめとこう」となって、行く気が失せるからです。

そういう中で、今年の演奏会ベスト5は上記になりました。1,2,5位は「定期」でなく自ら買ったもの、3位はいただきものでした。ちなみに5位は、演奏はぜんぜんで、偶然すぐお近くの座席におられた天皇、皇后両陛下に謁見できたことへの感謝ですね。平成の終わりの年にありがたき幸せでした。終演後の拍手は2019年4月30日で退位される天皇陛下に向けて、敬意をこめ、懸命にさせていただきました。

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ベートーベン 交響曲第2番ニ短調 作品36(その2)

2018 DEC 29 22:22:54 pm by 東 賢太郎

 

ベートーベン 交響曲第2番ニ短調 作品36(その1)

そういう経緯があるものだから、2番に対する僕の深い愛情は長らく不変である。それは音の構築物としての即物的な価値としてまず意識下に棲みついた。その価値がいかに膨大であったかは、それが作曲の動機を僕に子細に調べる事を命じ、上述のような結論に至らしめ、このような文章で語らしめたことでわかる。そうしたことで、次に、つらい境遇に陥った局面でこの曲が、3番よりは直截的ではないやりかたで、僕の精神を鼓舞してくれる特別の効果をもつことを知る。奈落の底から立ち返る原動力となった彼の心のマグマは2番の中でピンと張った生命の糸に置き換わる。それは曲のどの部分でも弛緩することがなく、あらゆる細部に至るまで畏敬の念を喚起する。それはモーツァルトの魔笛のような、およそ人間が創ったと思い難い物への畏敬ではなく、人間くさいヒューマンな物への畏敬だ。そんな音楽はまたとない、なぜなら音楽を書いた人でそういう履歴をたどった人間はいないからだ。

ベートーベン交響曲第2番の名演

ここに挙げたレイボヴィッツ盤をきく。彼はあのブーレーズの先生だが、ああいう超人が他人から何かを習おうと思ったとしたらレイボヴィッツはさらなる超人だったことになる。巷の演奏は誤りだらけだと言ってLvBのメトロノーム指示を守って60年代初頭にRCAに録音したこの全集、原典版などと新奇性をうたって楽譜順守のあまりに油分のない干物みたいになる悲しい例が多い中で、潤いと音楽性をも感知させる稀有な事例である。2番はアンサンブルを揃えた感じはない演奏だがオケをドライヴするパッションが尋常でなく、これだけのメリハリと推進力があるものというとトスカニーニ盤とシェルヘン盤しかない。それを春の祭典を聴く耳で微細に聴くとレイボヴィッツが勝る。

2番のスコアで心肝寒からしむる部分はここだ。第1楽章コーダでバスが d から半音づつ12音を総なめしてさらに先まで行き(14回上昇) 9度上の e まで達し、それに D7、E♭dim7、Am、F7、F#dim7、Cm、A♭7、Adim7、E♭m、B7、Cdim7、F#m、D7、B7、Em、A7、D、Bm、Em、A7という和声が乗る信じ難いほど素晴らしいパッセージだ(8分39秒から)。ブログにバッハと書いたがそれはバスの事で彼はこんな和声はつけない、やはりLvBオリジナルの革命的ページと思う。

レイボヴィッツはトランペットの短2度を強調して鳴らすが、和声変化に感応してバランスを取っており、原色的だが奇異にならない。まさに作曲家が狙った効果かくありと思う。これは一例だがレイボヴィッツの刻み込んだ音はどこをとってもスコアからえぐりだしたインテリジェンスを感じ、トスカニーニのようにパワハラ練習した風情はないのにどうしてこういう演奏ができたのか不思議だ。

2番の白眉というと第2楽章ラルゲットだろう。LvBの書いた最も素晴らしい緩徐楽章の一つと思う。この冒頭の弦の美しさは筆舌の及ぶものではなく、精神が天国に舞って浄化されるようだ。このピアノ譜を弾いてみればそれが再現できる。

これをさらに深淵にしたのが第九の第3楽章であるが、第九といえば、2番は第1楽章の序奏部に、第九の第1楽章の第1主題を思わせる下降音型が、同じニ短調で現れる。

第1,2楽章には、しかし、斬新な創意があるとしてもまだ伝統的なハイドン、モーツァルトの交響曲のフレームの中だ。それを破壊はしておらず、第九終楽章で否定される素材だ。

破壊が始まるのはここからである。

第3楽章は交響曲で初出のスケルツォだ。一気にラディカルに直進する。笑い声かもしれないシンプルな動機で旋律らしきものが出てこないのは5番の第1楽章を想起させる。

一方で音量は一小節ごとに目まぐるしく変化し、 pp、p、f、 ff、sf の5種類を変遷しながらリズムを強調する。そして和声は、ニ長調(D)で始まりすぐ変ロ長調(B♭)に、そしてトリオの部分で嬰ヘ長調(F#)に飛ぶ(楽譜下、下段2小節目)。

この3つの調はどの2つのペアも長3度の距離にあり円環形(円弧上に描けば正三角形)を成している。主調Dのドミナントを半音上げ、サブドミナントを半音下げたもので、どちらも古典派作品に前例はあるが両者を統合して幾何学的調和とした例は知らない。F#に飛んだ4小節に sf (急に強くしてびっくりさせる)が2度も書かれ、ここを聴衆の耳に焼き付ける。 

つまり旋律、リズム、和声の3要素のうち旋律美の追及は第2楽章に集約し、第3楽章ではそれを捨ててリズム、和声に斬新な仕掛けを施すという設計だ。捨てた旋律の代わりに簡素な素材(タタタであったりタタターであったり)をピースとしてミクロからマクロを構築する方法は彼の「スケルツォ」の本質であり、5番を経てその技法が最高度のレベルで凝縮したのが8番である(第1楽章提示部の繰り返し冒頭を聴けば、8番もタタタターで幕開けすることが分かる)。8番の稿に「全楽章がスケルツォだ」と書いたのはそういうことだ。

第3楽章が運命を大勢で笑い飛ばす宴会であったなら、第4楽章はその結末であるひっくという酔っぱらいのしゃっくりで始まる。

LvBは遺書に「本来自分は社交好きなのに」と書いている。社交。ワハハだらけの陽気な宴会でそこいらじゅうで酔っぱらいのしゃっくりが響く。常識派の方はそんな莫迦なと思われるだろうが、あり得ない話ではない。ハイドンがこれとよく似た音型を低音部に書きこんだ交響曲(第82番ハ長調)は、21世紀人にはおよそ意味不明な「熊」とあだ名がついてしまった厳然たる事実があるからだ。19世紀初頭のヨーロッパ人のセンスからすれば、82番の主題を、ハイドンにその意図はかけらもない「熊おどりである」と主張してセールスを昂進させようという試みは「そんな莫迦な」ではなかったのである。

もし2番がハイドンの作品であったなら、「びっくり交響曲」に並ぶ「しゃっくり交響曲」であったかもしれない。なぜそうならなかったか?それはあのLvBの作品だからである。ちなみにハイドン82番第1楽章は「運命リズム」が頻出し、第3楽章トリオ冒頭のファゴットによるとぼけたソ・ソ・ソ・ミ、ファ・ファ・ファ・レは、もしこの曲が運命より後に作曲されていれば運命主題のパロディとして満場の笑いを誘うところだ。LvBが先生のこの曲を知らなかったとは考え難い。

LvBは第4楽章をハイドンばりに一旦静止してからコーダになだれ込み、最後はモーツァルト(ジュピター)をひねったドミソミドで閉じている。彼は自らの運命に打ち勝って笑い飛ばし、酩酊し、先人への勝利宣言までした。繰り返すが、この2番を彼は「遺書」の半年前に書いていたのである。そして遺書の翌年の初演では、どん底から立ち直って見せて喝さいを浴びたのだ。かように、LvBの精神史における交響曲の位置づけは運命との凄まじい闘争の歴史書という側面があって、そんな視点で譜面を眺めるのも一興だ。

本稿の最後に、LvB氏を襲った宿痾と生への希求との闘争という心の闇が生んだ交響曲について私見を書いて本稿を閉じたい。

氏は生きるために、逃れようのない耳疾という宿痾が喚起するパニックの恐怖を意識から締め出し、忘れる必要が絶対にあった。このことはパニック障害に追いつめられた同病者しかわからない。人間のすることだ、長嶋一茂氏が極真空手に、僕が起業に、藁にもすがる気持ちで没頭したのと同じだ。気を紛らわせるといった生易しいものではなく、制御の効かない恐怖を抑止するためのストッパーを皮膚に埋め込むために血だらけになるぐらいすさまじい意志だ。

LvBはストッパーを得た。「封建制への熱狂的憎悪」である。2番作曲の時点ではまだ充分の勝利ではなく多分に空元気であり、むしろ苦しみの真相のほうが同時期に構想したピアノ協奏曲第3番がモーツァルトのやはり苦しみの吐露である24番ハ短調K.491をモデルとしたことに表れている。ところが彼にとって幸運なことに、封建制の破壊者ナポレオンがそこに良いタイミングで出現してくれた。彼の称賛はいわば「通りすがり」でナポレオンの業績に陶酔したわけではない(だから簡単に献呈を棄却できたのである)。むしろ同病相憐れむ僕としては、そこまで精力を費やして運命から逃避した彼の絶望、苦悩、恐怖が察しられ、そのことに胸が痛む。

そうして意図して産み落とされた英雄への狂信的傾倒が創作エネルギーとなったエロイカを経て、とうとう5番では仇敵である宿痾の恐怖を「真っ向から直視して袈裟懸けに叩き斬る」精神力の回復を見る。ついにやってきた真の勝利を謳い、二度と忌まわしいパニックが生き返って襲ってこないようくどい程のハ長調和音の強打で悪魔を打ちのめして全曲を結ぶのである。そうして彼はかつて遺書を書いたハイリゲンシュタットの田舎道を逍遥して自然の美しさに感じ入る。田園交響曲を生んだ精神の真相である。何というコントラストだろう。何の自己への欺瞞もなく楽しめる自分が愛おしく、嬉しく、人間として求めてきたものを得た幸福を6番に刻み込むのである。

彼は交響曲をそのために、つまり宿痾のパニック障害と戦って勝ち抜くために書いたのであり、5番に至るまでは精神の弁証法的発展の記録だ。そして、その目的を達した6番で書く意味を喪失した。だから7番は不埒な舞踏の享楽となるしかなく、弁証法的プロセスの一環とはならなかった。それは人生の意味をプログレス、革命的に新奇ながら歴史の大河の流れでもあるというテーゼで作曲した彼にとって自己否定だ。だからだろうか、僕は7番という曲に何の喜びも感じたことがない。そこで現れる8番は精神の本流への回帰の試みであり、形式は懐古的であるが随所に運命動機が拡散し、5番を書いた弁証法プロセスへの連鎖を試みる。そして9番に至って、従前には良いと思ったすべての主題を否定するのだ。そこに過去と隔絶した革命を起こしたのであり、そこが彼の交響曲の終結点でもあった。

否定された断片が2番の序奏と緩徐楽章からとられているのは象徴的だ。そこは彼の復活と勝利の起点である。2番が僕に摩訶不思議な力を与えてくれるのは、作曲家を反転させたパワーがぎっしりと詰まった音楽だからなのだろうか。彼にとって病気は災難だったが、それがあったから、それがスプリングボード(跳躍板)となったからその後があったと思う。本稿は皆様方の大事にされているベートーベン像を破壊しようというものではない。自分がかつて陥ったピットホールが実はそんなにシリアスなものではない、むしろ跳躍板かもしれないと、鏡を見ながら自分を納得させるための文章であることをお断りして筆を置きたい。

 

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チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」の聴き比べ(2)

2018 DEC 29 1:01:19 am by 東 賢太郎

オットー・クレンペラー / フィルハーモニア管弦楽団

非常に興味深い。知的だ。mov1アレグロは遅いがTrの三連符など細部を聴くと馬なりの操縦でないことがわかる。提示部は静的だが緊張が支配し、第2主題が甘いロマンなどでなく怖いものを含む。展開部は暴れさせずHr信号が伴奏する第1主題再現の熱病の不安定な感じはmov4のHr信号部分(第2主題)に呼応するがクレンペラーはそれを見抜いているだろう。mov2は滑らかつややかな美を目指しておらず5拍子がぎこちない。中間部はインテンポ。mov3はとても遅くAllegro molto vivaceとは程遠い。スケルツォの細部(付点音符のリズムとフレージング)も神経が通うのはほとんどの人が無難な通過であるのと思想が根本から違うとしか言いようがない。マーチへのブリッジ部分は加速せず書かれた楽譜だけで興奮を高めるがマーチ主題はほぼインテンポながら微妙に遅いという類例のない解釈である。2度目もほぼ同じ道をたどる。ティンパニと使い分けたバスドラムの運命の鉄槌のごとき強打もユニークで一切の加速なく苛烈に終る。終楽章の対抗配置により第1,第2Vnに振り分けられた旋律の分断が衝撃だ。これぞチャイコフスキーの意図であり現代においてはストコフスキー配置(スコア改変に相当)がスタンダードになった理由は僕には全く解せない。コーダはことさらに泣きはしない静かな人生の終結だが悲しい。ここに至るまでの道のりがずっしり重かったからだ。これがチャイコフスキーかという声は昔からあったが、彼は最期にそうではない音楽を意図して書き残したのであって、これがダイイングメッセージであるという僕の仮説からはクレンペラーの表現は一理ある。昨今多い綺麗にまとまったお涙頂戴のショーピースなどとは比べ物にならない大人の音楽である(総合点:5)。

 

エルネスト・アンセルメ / スイス・ロマンド管弦楽団

冒頭のバソンの低音がフランスだ。弦は心もとないアンサンブルだが管が入ってくると何となくまとまる。第2主題の品の作り方はうまいが木管のユニゾンの音程はオーボエが合わない。展開部はアマオケ並みに危ない感じでこの遅さが必然と思える。終結のロ長調の木管合奏の音程は不気味なほどひどい、ティンパニのシも低い。指揮者が何とかできないのか?僕はこういうのは耐え難い。mov2は良いテンポだ。中間部はインテンポで淡々と行く。mov3の弦はかなりましだ。マーチは1度目はインテンポで進行、2度目はやや減速するがティンパニの鳴らし方が僕の好みだから相殺だがシンバルがどうも安っぽい。コーダへ向けて加速するのはまあ良しとする。mov4はまたclの音程が邪魔で集中力をそぐ。こういうのが気にならない人は聞けるだろうが僕には困難。感傷がどろどろしない良さがあるが、そもそもこのレベルのオケ演奏が商品になるのも不思議であり、アンセルメの解釈には敬意を表するにしても彼のクレジットになるような演奏なのだろうかは疑問だ(総合点:2)。

・・・・

悲愴をこうして聴いているとどうしても「死」というものを思ってしまいます。昨年に母を見送って、どうしても。人は死ぬと何処へ行くんだろう?これの第4楽章をピアノで弾いていてコーダで泣けたことが何度もあります。こんな音楽は、眼前に「死」がない人には書けないだろうと思います。

・・・・

ジャン・マルティノン / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

上掲盤を聴いた後でVPOが機能的にも優れていることを思い知る。マルティノンの指揮は強いメリハリがあり強弱もテンポも伸縮自在で、VPOが承服してついて行っていることそれ自体が価値ありだ。mov1第2主題の弦の艶っぽさは「ならでは」であり展開部の金管の鳴りっぷりも圧倒的。マルティノンのオケのドライブは圧巻でアクセルの一気の踏み込みも自在である。mov2主題のブレーキはその逆。中間部の息をひそめた p は実にいい、これでこそmov4コーダと繋がるというもの。mov3の弦アンサンブルは素晴らしいの一言だが僕がこの演奏を初聴で気に入らなかったのは2回目のマーチの常套的な減速のせいだった(今でもそうだ)。mov4もテンポは流動的でほぼ一定に収まることなく水性(liquid)であり、それに同化してしまえばいいのだろうが僕のイデアとしての悲愴はそうではなくどうもひっかる。ひとつの管弦楽のプレイとしてはユニークな一級品であり、まさにonly oneを誇れるものだ。VPOという猫をのせたマルティノンの才能に頭を垂れつつも、それは若き日のケルテスやシャイーが成し遂げた流星の輝きを思わせる業績に近く、マルティノンとしてボロディンやプロコフィエフの路線に近接したロシア物の一環であって、作曲者がロシア人かどうかは置いて一個の人間が死を迎える間際のメッセージとしての悲愴交響曲の演奏としてはチェリビダッケの作り出した感動とは質が異なるという感想を払拭するのは困難だった(総合点:4)。

 

キリル・コンドラシン / モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

youtubeにて聴く(1967年、東京ライブとのこと)。コンドラシンは聴けなかったがそれを痛恨に思う指揮者の一人だ。この悲愴の各所にみる旋律の熟達のフレージングは名優のセリフのようで、一朝一夕の指示でオーケストラに教え込める質のものと思えない。テンポは絶え間なく変転しているが、こういうものなのだという絶対の説得力を感じ、スケルツォの2度目のマーチの減速はこの演奏でなるほどと初めて思わされた。管弦楽はライブの傷はあるものの、本当にうまい。素晴らしい演奏、そして、なんていい曲なんだろう。これを会場で体験された方は幸せだ。

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ヘンデル「メサイア」(Messiah)HWV.56

2018 DEC 24 18:18:46 pm by 東 賢太郎

オラトリオというのは演技、道具、衣装のないキリスト教オペラだ。我が家は仏教徒であり、学生時代、あんまり異教の音楽に興味がなかったがヘンデルの「メサイア」は名曲とされ音楽の教科書にも載っていたから半分は義務感で買ってきたのがチャールズ・マッケラス指揮イギリス室内管弦楽団/アンブロジアン・シンガーズの「合唱曲選集」だった。これを選んだ理由は合唱だけなら耐えられるかなと思ったことと1200円と値段が安かったこと以外にない。日にちを見ると1977年4月1日で駒場から本郷に学び舎が移った初日だから、なにやら向学心に燃えて音楽も新しいジャンルにチャレンジしようと思ったのかもしれない。

記録を見ると1度だけ聞いてあっさりお蔵入りであった。世の中そう甘くはない、この手の音楽を理解するにはまだ早かった(どう考えても難しい音楽ではないのだが)。春の祭典や弦チェレやオケコンは難しい音の一言一句まで完全暗唱できたのだから自分の音楽受容史を象徴するし、国語系は何をしてもまったく伸びず数学だけで受験を切り抜けた経験ともどこかイメージがダブる。そう、これは僕にはわかるようでわからない「国語系」の音楽だったのだ。

年の功が必要だった。いまやストラヴィンスキー、バルトークよりずっと好きになってしまったのだから人生どうなるかわからない。一にも二にも「ハレルヤ」の起爆力のおかげで、この規格外に常習性のある音楽を僕は死ぬまでに何万回も聴きたいし、できればバスを歌いたいし、飽きるということは絶対にない。落ち込んだ時にこんなに元気をくれる音楽もない。

ヘンデル メサイアより「ハレルヤ」(Handel, Hallelujah)

常習性。そう。昔からいい音楽には必ずある。僕はロックというジャンルにその生命が継がれていると思っていて、ビートルズはもちろん、1975年にロンドンを席巻しヒットチャートの9週連続1位を独占したクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」にもあると思う。でも所詮は9週間なのだ。ハレルヤは276年間も「常習性」を保っている巨魁な麻薬のような曲だ。

ハレルヤにはまってしまうと他の合唱曲もすんなりと入ってくるようになった。キリスト教徒の方には大変申し訳ないが、僕はメサイアの宗教的コンテクストはどうでもよく、音楽として面白いかどうかだけだ。英語だから意味は分かってしまうが、別にこれがラテン語でもスワヒリ語でも構わないし、とにかく面白いのだから仕方ない。この快感はロックを聴いているのとなんら変わらない。

メサイアは世界の合唱団の定番曲で神のように崇めている人も大勢おられるからそれをロック扱いするのは憚られるのだが、僕のように近代音楽からクラシック入門した者にとってその感性のまんま近づける18世紀の音楽は希少だった。J.S.バッハはそうはいかない。僕は「マタイ受難曲」はブラームスに迂回して耳を慣らしてやっとたどり着く必要があった。しかもバッハは「宗教的コンテクストはどうでもよく」という不遜な態度は許してくれないのだ。

バッハが終生をドイツで送った「超ドメスティック派」だったのに対し、ヘンデルはイタリアに留学したグローバル派で「長期出張です」と本社に報告して渡英したまま帰国せず移住してしまった人だ。ちなみに僕はサラリーマン時代から「ドメ派」と気が合わない。むこうは保守本流だと意味もなく威張ってる、こっちは無知蒙昧の田舎者と小馬鹿にしてるから合うはずがない。陸軍と海軍の図式でもある。バッハはどうも帝国陸軍っぽくてドグマティックで辛気臭いのだな、重戦車みたいに凄いけど。僕は気質も人生観もヘンデル派だ。

ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル

ヘンデル(1685 – 1759)はオラトリオを書かないかと誘われ、ちょうどスケジュール帳に入っていたダブリンの公演アポに間に合わせようと超特急で大作のメサイアを書いた。たった24日間で。1730年代頃からは困窮を極め、歌劇は失敗続きとなり破産状態に陥った彼はさらに健康を崩してアイルランド総督が手を差し伸べた。その起死回生のチャンスに賭けたわけだが凄い集中力の男だった。1742年4月13日に初演されダブリンの聴衆は熱狂した。よしっとばかりに今度はロンドンでやったが失敗だった。「聖書を劇場で娯楽にするなんて神の冒涜だ」とうるさい連中に集中砲火を浴びてしまったのだ。このくだりはモーツァルトのミサ曲のアリアが「なんだこれは、オペラじゃないんだぞ」と批判されたのを思い出す。

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

彼らは辛気臭い歌詞に劇場風娯楽音楽をつけて平気だったという点で共通しており、「宗教的コンテクストはどうでもよい」僕に波長がぴったり合うのである。「とんでもない、お前はメサイアを冒涜しとる!」といわれそうだが、なんと批判されようが僕はヘンデルは人気とお金目あてでこれを書いたと思うし、24日で全曲書いたというのはモーツァルトのドン・ジョバンニ序曲並みの快速であって、信仰心が動機ならそんな必要はないしむしろもっとじっくり推敲もしたろう。興味深いのは、そのモーツァルトがドイツ語版でメサイアを編曲していることだ。ヴァン・スヴィーテン男爵がその私的な日曜コンサートでヘンデル作品を広く紹介していたからだ。彼のテーストでオーケストレーションは管楽器が増強されて重厚になっているが、そういうテクニカルなものよりも、彼はメサイアからもっと音楽の本質的なものを受け取ったと思う。

メサイアNo.25「And with his stripes we are healed…(彼の打たれた傷によって…)」をお聴き頂きたい。

この冒頭の音列がモーツァルト「レクイエム、K.626」のキリエ(憐れみの賛歌)の主題になって壮麗な二重フーガが展開するのである。

言葉を失う見事な音楽だが、彼は突然に舞い込んだ「死神」からの発注でこれを何の宗教心でもなく単にプロとしてお金のために書いた。「金のためという動機は不純だ」というなら音楽の教科書に載っているほとんどのクラシック音楽は不純だ。「金のために巨人に行ったカープの丸選手はけしからん」などと日本人の金銭ピューリタニズムは欧米で16年を過ごした僕には異様だ。若い人は「人生カネばかりじゃないよ」とバブル世代に教わって、代わりに何も得られなかったら誰が責任取ってくれるんだと考えたほうがいい。

ヘンデルにはしかし篤志家の顔があった。父は外科医(床屋でもある)であり、ロンドン、アイルランドで篤志病院や孤児院の創設と発展に惜しみない援助を与え多大な貢献をなしている。ダブリンへ赴いたのも設立まもないヴォランタリホスピタルであったマーサー病院、慈善診療所、負債囚支援のための慈善演奏会開催に賛同したからだ。捨て子の増加を憂慮した慈善家トマス・コーラムが設立したブルームズベリの捨子養育院(Foundling Hospital, 1741年創設)のためにアンセムを捧げ、資金集めのための慈善演奏会を行ったことは彼の名声に大きく寄与することとなった。うるさがたのケチがついて不評に見舞われたメサイアがそこで演奏され、一気にブレークして人気作となってしまったからだ。バッハのマタイ受難曲は一度埋もれて、メンデルスゾーンらに再発見される必要があったが、メサイアはこの時から現在に至るまで間断なく世界中で演奏され続け、アメリカでクリスマス・イヴの定番曲に定着したのである。

もう何度聴いたかわからない、これが冒頭に書いた大学3年の初めに買った「メサイア合唱曲選集」だ。エンジェルの廉価盤であるセラフィム・レーベルで、ずいぶんお世話になった。演奏も素晴らしい、宝物だ。

全曲はこちらで。初演時のサイズの合唱、オーケストラ(オーセンティック楽器)で演奏も素晴らしい。

 

(こちらもどうぞ)

モーツァルト「戴冠ミサ曲」ハ長調 k.317

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