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カテゴリー: クラシック音楽

クラシック徒然草『アンナ・ヴィニツカヤは大器である』

2019 MAR 24 2:02:27 am by 東 賢太郎

アンナ・ヴィニツカヤは黒海沿岸の都市ノヴォロシースク出身のロシアの女流ピアニストです。N響でラフマニノフを聴いて感心したのがこちらです。

N響 フェドセーエフ指揮アンナ・ヴィニツカヤの名演!

以来気になっていましたが、その後聴いたわけではありません。今回バルトークの稿を書いていてこの記事に出会ったのが驚きだったのです。

なんとバルトークの協奏曲3曲を一晩の演奏会で弾いたとあります。ただ事でなし。フランクフルトでブラームスのP協2曲を一晩でという演奏会を聴いたけどエッシェンバッハとツィモン・バルトが指揮とピアノを交代したのでした。いやブラームス2曲を一人で弾いたって充分な一大事だが、バルトーク3曲よりはまだましじゃないでしょうか。

彼女はアーティスティックな動機で敢行したのでしょうが、このレベルの企ては同時に抜き差しならない実力テストにもなっていて、「やりました」と証明されるともうどうしようもないという性質のもの、例えるならヒマラヤ登頂や100メートル9秒台のようなものです。仮に意図の10%であれ、彼女がそれを実力のデモンストレーションとしてやったと仮定したとしても、僕は黙るしかない。これはもっと感覚的に卑近な例があって、外でわかりにくいことなのですがまったく正直に吐露しますと、我々法学部生というものはハーバード、オックスフォードでもあっそうと思っているところがあって在学中の三つ子の魂なので消えない。それはThis is Japan.という暗黙知であって他学部の人も”Japan”に入学しているわけだからそういうものだよねということで誰も何も言わない。東大はまったく一枚岩ではないのです。そして我々が世界で唯一そういうものだよねと仰ぎ見ているのが理Ⅲだと、これは理屈でないので言語になりませんが、そういうものです。

思考停止と批判されて仕方ないが僕はアンナ・ヴィニツカヤの記事を読んで仰ぎ見てしまった。良い演奏だったのか、ミスタッチはなかったのかなどの情報はありませんが、その事実を前にしてそんなものが何の意味がある。彼女の衣装が何色だったのか以上にまったく些末なことです。

「バルトーク?3つ弾けますわよ、それも一晩で、オホホ」

とやられた瞬間に絶句し神に見えてしまう強烈さであって、というのも、そもそも1,2番だって弾ける女性はあまり見ないのです。あのアルゲリッチさん、2番がとても似合うと思うが、でも3番だけ。ユジャ・ワンさんは弾いていて、ということは3番は軽い訳ですが、それでも3つ一晩でというのはトライアスロンみたいなもので別なハードルでしょう。もし対抗馬がいるとすると2番の稿でご紹介したイディル・ビレットさんぐらいかな。いやいやまことに、男の達成者だって知らない偉業であって、ピアニスト事業の最高難易度と言って反論はどこからも出ないでしょう。

腕もすごいがそれだけならそこまで驚きません。それを指摘するにはまず「日本人ピアニストでバルトークの1番や2番をレパートリーにしようという人が何人いるか?」ということからおさらいしないといけないと思います。それです、日本のクラシック事業が構造不況業種に指定されつつある理由は。労多くして受けず。「3つ一晩!」を打って出ても会場は埋まらないかもしれないし、ショパンやラフマニノフの方が主催者もリスクがありません。やるなら留学して現地の聴衆のまえでやるしかない。

なぜかというと、こういうことが起きているのです。

クラシック徒然草-ハヤシライス現象の日本-

明治時代、鹿鳴館のまんま。だから日本人好みのクラシック・レパートリーは「ハヤシライス」という洋風を装った和食に独自進化をとげ、どこへ行ってもそれが出てくる。それだけでクラシックはOKという聴衆が、供給側がそこそこ食える程度に中途半端に存在する。バルトークの1番がそれになることはたぶん百年たってもなく、だから演奏家はチャレンジしない。そうやって業界ごと「ゆでがえる」になって衰退するのです。

ハヤシライスの総代は新世界で、今年を見てもビシュコフがチェコ・フィルと来ますが見事に新世界だ。ビシュコフは僕は高く評価している。ならもっと安い指揮者で良かったよ、どうせわかんない人しか行かないから。馬鹿じゃないのと思うしかないがワルシャワ国立フィル、ドレスデン・フィルまで新世界というゆでがえるぶりに至っては手の施しようもない。オケ団員は楽勝の観光気分で日本などなめ切ってるだろう。そんなものに何万円も払う人たちはいったい何なのだろう。

東京のコンサート・プログラムの8~9割がハヤシライスであることは音楽教育、つまり「音楽は学校で習って教育されるものである」という誤った受容の結末であって、日本人の文化レベルの問題では必ずしもありません。外タレの呼び屋という稼業が採算(コスパ)を求める、これはビジネスだから結構ですが、新世界の人気に依存する薄氷を踏むビジネスであってとても投資なんかできない。

しかし芸術家までがコスパを考えだしたら終わりなのです。安定的に需要はあるが矮小な市場で覇を競っても、定食屋が牛丼屋に格上げになる程度でレストランは無理。それでショパン・コンクールで優勝など到底あり得ないでしょう。純粋にクオリティを追求し、内在するエネルギーで進化していくアートというものとはかけ離れた存在。1.5流の(英語でmediocre、ミディオゥカというのです)のショパンを聞くのは鑑賞ではなく消費なのです。

指揮者もそうですが、野心的なレパートリー開拓がない人はもうそれだけで聞くきもしない。ミディオゥカは芸術の敵です。対して読響のカンブルランは凄かった。あれだけの手の込んだフルコースの料理を供するにはどんな専門家でも膨大な研究と努力がいるはず。真のアーティスト、芸術家であって、その他大勢はエンターテイナーにしか見えません。アンナ・ヴィニツカヤは芸術家の序列に加わろうという人だと思っております。

彼女の素晴らしさはテクニックではありません、それだけなら同格の人はいます。そうではなく、いい曲だなあと思わせてくれるハートですね。まったくメカニックなものでなく。なんだ、そんなの当たり前だろうと思われるでしょうが、彼女のテクニックと知的エネルギーがなければできないことというものがあります。音楽は心だ、情熱だ。そんな事を言うのは日本人だけであってアート(Art)は技術という意味である。他の人がやりたくでもできないもの。それはこういうクオリティのものです、シューマンの「子供の情景」。

これとバルトークが何の関係?わかる人はわかるわけですが、そういう演奏家が増えれば、わかる聴衆も増える。わからない人は音楽をやる以前にやることがあるのであって、それぬきに練習しても悲しいものがあります。100キロで走ってもベンツはベンツ。

バルトーク「ルーマニア民俗舞曲」Sz.56

2019 MAR 20 17:17:29 pm by 東 賢太郎

バルトークの家系と出自に関心を持ったのは理由があります。彼の音楽の多面性、つかみどころのなさは彼の血のせいではないか?と思ったのです。同じことはラヴェルにもあって、彼の母親はバスク人ですが、スペイン情緒への傾斜(ボレロ、スペイン狂詩曲など)がその影響であろうことは定説になっています。母親の出自に関心と愛情をいだくのは人間として自然でしょう。

僕自身、出身は?と問われれば東京と答えますが、祖父母の出身地は母方が長野県、長崎県、父方が石川県、東京都とばらつきがあります。さらにその先祖は京都、山梨県です。場所だけでなく身分も農民、漁民、戦国武将、公家と雑多です。自分はそのどれかではないがどれでもある。アイデンティティというものを意識すると不安定です。60になって、自分の社会的人格は捨てよう、我に忠実に生きようと努力してますが、では我はどこにいるのかとなる。知らなければよかったと思うこともあります。原住民以外は全員が移民であるアメリカという国家はルーツを話題にしない不文律がある。姓で見当はつくので口にしてしまうと会話は止まります。止まらなかったのはピルグリム・ファーザーズの子孫という女の子だけでした。

バルトークの精神の深層におそらくあったアイデンティティの複雑さの投影が気になってしまう理由はそこにあります。父方はハンガリー下級貴族ですがその母(彼の祖母)はセルビア地区の南スラヴ少数民族です。お母さんはドイツ系ですがスロヴァキア出身。そして彼が生まれ落ちたのは当時ハンガリー王国の一部ですが現在はルーマ二アの土地だった。国民国家である日本で育つと理解しづらいですが、国家と民族はちがいます。歴史的にはそれが普通であり、バルトークを単純にハンガリーの作曲家と見るのはほとんど適切でないでしょう。

出身県DNAや血液型占いは信じてませんが、僕はイメージとして仕事は九州人の気宇壮大さを大事に、学習は細かく根気よく北陸人的、趣味はどっちでもなく京都人ということで生きてきた気がします。何々人と言っても多様で、詰まるところその先祖の個性という味気ない結論になりそうですが、例えば証券業という仕事を選んでみると、そこでうまく生存するには自分の中に九州っぽい部分があって、それが自然に優位に働いた。そういうことだと思います。

バルトークも作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出し、地域を征服・支配したオスマン・トルコが混ざっていておかしくない、だから数学者だったり残忍、野蛮だったりするのだろうと考えるのです。子どもの頃に聞きなじんだ音楽の記憶は消えません。僕にとっては赤子の頃に四六時中、耳元で鳴っていた親父のSPレコードがそれで、チゴイネルワイゼンは3才で諳んじてました。バルトークが幼少にそういう風に諳んじてしまった音楽がどういうものか、起源をたどるのも一興です。

曲は「ルーマニア民俗舞曲」Sz.56です。この曲に僕は並々ならぬ愛着を持っています。まず、バルトーク自身のピアノでお聴き下さい。

次にハンガリー出身のリリー・クラウス女史で。

https://youtu.be/UxseZKegE5U

次にフランス出身のエレーヌ・グリモー女史で。

https://youtu.be/OoaKYJrXoVw

いかがでしょう?バルトーク、クラウスはフレーズが伸縮し音価どおりではないです(後者の方が振幅が大きい)。グリモーは楽譜から読んだという感じがする(非常に洗練されて魅力的ですが)。バルトークは古老たちの歌を耳で聞いてそれを音符に置き換えたわけですが、当然、記号化には限界があります。例えば日本民謡や演歌のこぶしを五線譜に書けるか?ということです。

この6つの小品の元ネタの故郷が「ルーマニア」だと作曲者が断じているかのような命名ですが、そうではなく、ヴァイオリンと羊飼いのフルートによるトランシルバニア地方の民謡です。発表時のタイトルは Romanian Folk Dances from Hungary という妙なものでした。1914年に隣国でサラエボ事件が勃発しこの曲は動乱のさなか1915年に書かれたからですが、それを契機に始まった第1次世界大戦でハンガリーとルーマニアは敵国同士になったのです。ハンガリー平原がオーストリア、オスマン両帝国のぶつかりあう最前線であった歴史が事情を複雑にしています

トランシルヴァニアは11世紀にハンガリー王国の一部となり、王位継承により1310年以降アンジュー家、後にハプスブルク家領となりました。ところが1526年にオスマン帝国の属国となり、トランシルヴァニア公国として現代ハンガリーの国民的英雄であるラーコーツィ・フェレンツ2世が君主を務めた。だからハンガリーには大事なところなのです。ついに大トルコ戦争でオスマンを追い出し、18世紀には再びハプスブルク家のハンガリー王国領となったのに、第1次世界大戦で今度はルーマニア領になってしまった(1918年)。そこで from Hungary が削られたのです。

バルトークの生地は広域のトランシルヴァニアに含まれますので、彼にとっても重要な地、心の故郷でした。支配者オスマン・トルコがこの地へ残したものとバルトークは関りがあったのか?大いにありました。彼はトルコで多くの民謡を録音、採譜しています。これがそのひとつです。

「ルーマニア民俗舞曲」の第3、4曲のメロディーにあるアラブ音楽の影は明白です。これはロシア人のリムスキー・コルサコフやフランス人のラヴェルが異国(東洋)情緒を出す目的で入れたようなものではなく、バルトークにおいては「おふくろの味」であった、それは想像の域を出ませんが、僕はそう信じております。

バルトークが聴いた「ルーマニア民俗舞曲」はこんなものだったかもしれません。フィドル2丁とコントラバス、濃いですねえ。縦笛の妖しい調べ・・・何とも言えません。それをオーケストラに落とすとなんて近代的な音になることか。終曲のノリはまるでロック・コンサート、聴衆も体をゆすって目はエクスタシーだ、弦チェレやオケコンの終曲のルーツを感じませんか?

それだけじゃない、僕はこの曲にいつもリムスキー・コルサコフ「シェラザード」を思い出すのです。西洋人がイメージしたオリエンタルはこういうものか。特に第4曲(Bucsumí tánc)の和声がそうですね(ボロディン風でもある)、この曲はそのままシェラザードに入れて違和感はありません。そして終曲の強烈なアッチェレランド、これ、そのものです。

次はシナゴーグ(ユダヤ教会)でのジプシー楽団(ライコ・オーケストラ)による民族色たっぷり、むんむんの演奏です。ジプシーの子供のオーケストラで16才までにチゴイネルワイゼン級のヴィルティオーゾの技を身につけた子だけが残れるそうです。お立ち台の子はまるでヨハン・シュトラウスと思いませんか。彼の一家はユダヤ系ハンガリー人の血を引いているといわれますが、なるほどと思わせられる写真です。

このオーケストラでは楽譜を使わず、先生が指を見せて覚えせさせるそうです。そうすればもちろん暗譜になって、音楽が目と頭ではなく体にしみこむという考えのメソッドです。そのメソッド、僕は音楽の正道と思います。

次に、このヴァージョンを是非ご覧ください。クラシック音楽って何なんだっけ???皆さんの頭に革命が起きます。

渡米後のバルトークは「ハンガリーの納屋のワラ一本」に彼は「一つのよい薫り――それは音に成ろうとしているのだ」と語っています。

最後に、バルトークがフィールド・スタディでエジソン・シリンダーに録音にしたもの(Musicology of the Research Centre for the Humanities of the Hungarian Academy of Science)。

バルトーク ピアノ協奏曲第2番 Sz. 95

2019 MAR 16 17:17:13 pm by 東 賢太郎

unnamed (23)この曲は浪人時代に聴きこんでいた「バルトークのすべて」(左の写真)に一部が収録されていて、この作曲家の音楽のうち最初に知ったもののひとつです。受験の最中でした。なぜバルトークに興味を持ったかというと、色弱で文系を受けることになったのですが文系科目は伸びしろがないと思い、数学で満点をとる作戦を決行中だったからです。どこかに「バルトークの曲は数学的だ」とあって、彼の学者然とした風貌ともども関心をもったのだったと思います。

ピアノ協奏曲第2番でまず度肝を抜かれたのは第2楽章の冒頭の弱音器付きの弦合奏の神秘的なたたずまいでした。お聴きください。

なんだこれは?とびっくりして、すぐスコアを調べます。ピアノ譜にするとこんな風になってます。

驚きでした。完全5度が積み重なって平行移動。5+5は9度を作るので常に不協和な響きを含みますが、にもかかわらず美しい!この楽章は僕の中で美のディメンションを広げてくれましたが、同時に思ったのは、しかしそれをピアノのキイから紡ぎだして選び取ったのはあくまでバルトークの耳だろうということです。

この楽譜にはあたかもメカニックな数的な摂理があるように見えますが旋律としては見当たらず、5度の平行移動はドビッシーが元祖であって誰も彼を数学的だとは言いません。何が言いたいかというと、バルトークはフィボナッチ数列や黄金分割比を意識して使用してますが、それもここの5度とおんなじだろうということです。彼は十二音技法ほど厳格かつ思想的、原理的な音選びのメカニズム(条件付け)は適用せず、葉書の縦横比が黄金比だから調和して見えるというようなエステティックな意味でこだわった人です。バルトークは数学的だというのは「モーツァルトの走る悲しみ」同様の文学的レトリックにすぎませんね。

「クラシックの作曲家は理系である」と各所に書いてきました。理系という概念は日本的で、あえてわかりやすいようにそうしてますが、数字や記号による抽象思考、論理思考に弱い人は楽譜は読めても書けないだろうという意味です。ロジカルな文章も同様です。演奏は読む側だから書く側とは違います。フィボナッチ数列の名を聞いたことがない人でもバルトークは演奏できます。コード進行という概念ができて初めて、読む側の人でも曲のようなものが書けるようになったのです。

理系が全員数字にこだわることはないでしょうが、数字に弱かったり興味がなかったりということはないでしょう。バッハ、モーツァルト、ショパン、ブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチ、シェーンベルクの数字へのこだわりは有名ですが、楽譜を書いて思考するという記号論理学的操作を業としている人が大なり小なり数字に関心を持ったり執着したりするのは自然です。しかし、それは単に「呪われている」「幸運を呼ぶ」など呪術的な主観であったりもするのです。数学者が必ずしも占星術師ではないように、バルトークがフィボナッチ数列を使ったと言って「数学的だ」と言ってしまうのは乱暴と思います。

僕はバルトークは「ロマンチスト」だと思ってます。後期ロマン派の分派に分類したい。そんな馬鹿なと思われるでしょうが、彼はハンガリー料理を ”おふくろの味” にしながら独仏露料理も取り入れ最後は(不本意ではあったが)ニューヨークに出ていってインターナショナル創作料理店の親父になった人です。数的素材、バーバリズム、無調、神秘主義、ピアノの打楽器的用法などはハンガリー料理のローカル臭をろ過、無機化し、インターナショナル風にする当時国際的に流行っていた食材やスパイスでありました。僕は彼の童心に帰った ”おふくろの味” である「子供のために」を弾いてそう確信したのです。初心者のころに丸呑みして「気持ちいいな」と思えた要素もそれだと思います。

チューリヒにいたころ、ブタペスト在住の K氏がメンバーとなっているゴルフリゾートがペーチュという街の郊外にありました。どこかというとこの地図の一番下の方、ブタペストからドナウ川沿いを車で200キロほど南下したあたりで泊まってゴルフ三昧しました。車をぶっ飛ばして片道4時間もかかる長い行程でしたが、ホテルは新しくてK氏の顔が利き、クオリティの高いコースなのにすいていてやり放題なのに魅せられて4回も訪問しました。

ハンガリーを縦断してクロアチア、セルビア近くまで下るのはなかなかの経験です。途中で食べたアイスクリームやパプリカの効いたグラーシュは美味だったし、人の当たりも柔らかく、農村の田園風景もドイツやスイスとはまた違った趣のあるものでした。ペーチは古代ローマ帝国に起源のある立派な都市ですが、リゾートのある郊外はというと畑と林と農道しかありません。ハーリ・ヤーノシュの稿に書きましたが一度大変な目にあって、夜にペーチュまで遊びに行った帰りにクルマが農道でエンストして動かなくなってしまったのです。参りました。人っ子ひとりない所で寒く、1時間待っても車は1台も通りません。男4人でしたが下手すると凍死かまで頭をよぎりました。

あのとき、ふるえながら道に立って、完全な静寂の中、真っ暗な神秘の空を見上げました。深呼吸して、かすかに田舎の香水も混じったような人懐っこさもあるハンガリーの大地の香りを嗅いで、ふとP協2番の第2楽章、上の楽譜のところが脳裏に聞こえてきたのです。バルトークの聴覚は鋭敏で、いなくなった飼い猫の誰も聞こえない声を聞いて探し当てた。ああそうか、あの音楽はこの空気から彼が聞き取ったものなのかと妙に安心してきて、心の中の音をじっくり聞いて時をやり過ごしたのを覚えています。やがてやっと通りかかった車がガス・スタンドまで2人を運び、彼らの説明でトレーラーが救援に来てくれて難を逃れました。ホテル着は午前4時でした。ハンガリーの強烈な思い出となっていますが、あの香りは一生忘れないでしょう。

バルトークの生地はこの地図の右下のほうにあるNagyszentmiklos(ナジセントミクローシュ)です。ペーチュより東側で、ご覧の通り現在はルーマニアです。

wikipediaによると、バルトークの血筋はこうです:

父・ハンガリー東北部(スロヴァキア国境に近い)の下級貴族の家系。

祖母・ブニェヴァツ人(南スラヴの少数民族集団)でハンガリーでは多くがバーチ・キシュクン県バヤ(ペーチュの隣町)に居住。

母・ドイツ系だがマジャールとスラブの血を引く。スロヴァキア生まれ。

バルトークは父が早くに病没しピアノ教師の母と現在のウクライナ、そして彼女の母国であるにスロヴァキア移住しています。

生地のナジセントミクローシュから出土した23の金工品は遺宝としてウィーン美術史美術館に展示されていますが誰が造ったのか、どこから来たのか、その由来についてはいまだに論争があるそうです。1799年にブルガリアの農民が土中から発見したというからわが国の志賀島の金印を思い起こします。この写真がそれです。

この地域のローマ、トルコ、スラブ、マジャール(フン)、中央アジア(スキタイ)、インド、タイ、中国の文化の混交を想像させる、キリスト教文化とは異(い)なるものを感じさせないでしょうか。キリスト教でありながら十字軍に略奪され、イスラム多民族国家のオスマン帝国に服属し、カルロヴィッツ条約でハプスブルグのものとなったというヨーロッパの火薬庫バルカン半島の根本です。オスマン帝国はアチェ王国のあったインドネシアまでのあった艦隊を派遣しており、バルトークの血筋の複雑さへの想像はそう荒唐無稽でもないと思うのです。

 

僕はハンガリー人であるはずのバルトークがなぜ「ルーマニア民俗舞曲」を書いたり9才の作品に「ワラキア風の小品」があるのか不思議に思っていました。ワラキア公国とは15世紀に敵や貴族を串刺しにして大量に惨殺したヴラド3世(吸血鬼・ドラキュラ伯爵のモデル)が統治したルーマニア南部にあった国です。

「彼は民俗音楽の研究家だったのだ」という能天気な教科書的説明で納得されていますが、本当にそうでしょうか?仮に日本人の作曲家だったとして、韓国や中国の民謡まで採譜してそれで交響曲を書いて世に出ようと思うでしょうか。全否定はできません。しかし、まず異教徒のモンゴル人に、次いでイスラム教徒のオスマン帝国に、そしてキリスト教徒のハプスブルグ王国に「支配」された地域の民族感情は我々の想像を絶するものが在ると考えるのが実相に近いでしょう。

ナジセントミクローシュの東側にあるトランシルヴァニア地方の呼び名はルーマニア、ハンガリー、ドイツ、トルコ、スロヴァキア、ポーランド語で58種類もあって征服、被征服の血なまぐさい歴史をうかがわせます。彼は「トランシルヴァニア舞曲」を書いてます。「コントラスツ」を献呈されたヴァイオリニスト、ヨゼフ・シゲティもハンガリー人(ユダヤ系)ですが、この曲はトランシルヴァニア民謡が使われており、シゲティの出身はルーマニアの旧トランシルヴァニア公国領です。

左様にバルトークの ”おふくろの味” は一筋縄ではないと僕は考えるのです。アイデンティティは捨て去ることはできないし、彼も捨てようとはしなかったでしょう。

僕は最近、彼が後天的にdevelopしたものよりも持って生まれたもの、”おふくろの味” のほうに耳が行きます。彼は田舎料理の素朴な素材をベースにライバルのストラヴィンスキーやシェーンベルクの「新奇さ」に対抗するとんがったスパイスを頭脳で開発していきました。下のビデオでピエール・ブーレーズが「管弦楽のための協奏曲」の終楽章の弦のプレストは欧州のオーケストラでは弾けなかったろう、高性能のボストン交響楽団だから書けたのだろうと言ってますが、そうやってスパイス部分が増幅されていき、米国の管弦楽団のショーピース効果が広く称賛され、だんだんとそちらに比重がかかった解釈を良しとする風潮が世界的に醸成されたと感じます。

2番は第1楽章に弦が出てこないという稀有の曲でもあります。冒頭を飾るトランペットのファンファーレ主題は華麗ですがブラスバンドとピアノだけで作るこの楽章の世界は彼のアレグロ・バルバロのごとくに無機的で凶暴であり、ファンファーレは幻想交響曲のギロチンの首切り場面のそれに聞こえてきます(この主題は第3楽章に再現します)。

突如現れるピアノの打楽器のような強烈かつ鮮烈なリズムの連打は暴君のように無慈悲でまことに野蛮ですが、このリズム(タンタタ・タタタタ)は冒頭ファンファーレ主題に由来し、この楽譜をご覧になれば明確ですが、和声が5度+5度である、つまり例の第2楽章冒頭の静謐で神秘的な弦楽合奏の和音なのです(しかもリズムまでタンタタだ!)

これに呼応するオーケストラもティンパニ小太鼓が春の祭典並みの切れ味鋭いリズムアンサンブルを叩きつけ(後に「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」の原型となる)、ピッコロ、フルートが幻想交響曲の妖怪の半狂乱の声をあげ(練習番号115)不気味極まりなし。バルトークのこういう一面には数学者など影も形もなく、「中国の不思議なマンダリン」の役人の惨殺につながる残虐、凶暴な串刺し公(ドラキュラのモデル、ヴラド3世)もかくやというところがあるのです。トランシルヴァニアの人種のごった煮を前提としないと彼の多面性は理解できないことがお分かりいただけるでしょうか。

だからこそ第2楽章で初登場する弦合奏の夜のしじまが五感に訴えるのです。中間部で再度ピアノがパーカッシブなパッセージを強奏しますが、ティンパニのロールに乗って最後の審判の鉄槌を打つピアノがまた強烈です。ここではブラスの金色がないため暗色が支配し、楽章間でコントラストが明確につけられます。指では弾けず手のひらで抑えないと弾けない楽譜が頻出。金管が省かれるこの楽章は5年後に書かれることになる弦チェレの音がすでにしています。この楽章がであり緩ー急ー緩でシンメトリーであり、前後の楽章に挟まって急ー緩ー急ー緩ー急となる。彼ならではの形式論理です。

終楽章は5オクターヴ駆け上がるピアノで激烈に開始。続くティンパニの悪辣な短3度(ドーミ♭)の連打は明らかに春の祭典を意識しています(彼は祭典の初演直後にそのスコアを研究)。第1楽章ファンファーレが響き弦チェレの第2楽章が響き、どす黒い生地に黄金の光彩をまぶして曲は管弦楽の協奏曲の改定されたエンディングで終わります(この楽章は冒頭と終結がそれで閉じています)。僕の主観ですが、その黄金のきらめきは上掲写真のナジセントミクローシュから出土した23の金工品を強く連想させます。

ピアノ協奏曲というジャンルはバルトークにとってモーツァルトと同じ意味を持つ、つまり、自身が生きているうちは自分で弾くためのシグナチャー・ピースであると思われます。左様にフランクフルトでの1、2番の初演者はバルトーク自身であり、3番は愛する妻に弾かせる意図で書きました。だから彼はそこに彼自身の消し去れない一面を、すなわち「非キリスト教的なるもの」、もっと言うなら金の出土品のレリーフのような「オスマン帝国的なるもの」を書き込んだのではないかと思います。

この曲のピアノパートは難易度で頂点にあることで有名です。聴くだけでも想像はつきますが、実際に、していますwikipediaによるとアンドラシュ・シフが「弾き終わるとピアノが血だらけになる」と、スティーブン・ビショップ・コヴァセヴィッチが「弾いた曲の内で一番技術的に困難で練習すると手が痺れてしまう」というコメントしているそうです。それを弾けたという事実が

 

ゾルターン・コティッシュ / ジョルジュ・レヘル / ブタペスト交響楽団

ピアニストは19才。彼は後に再録音していますが、何故必要があったのか解せない飛ぶ鳥落とす名演であります。このLPはフンガロトン原盤で日本ではキングから79年に出ました。コティッシュが2番、ラーンキが3番と、共産時代のハンガリー国家が売り出し中の若手2人をお国の英雄バルトークでフィーチャーしたもので、演奏もしかるべく気合が入っています。買ったのは就職した年だからあまり聴けず、じっくり味わったのは留学後のロンドンでした。もう一つ、この演奏の決定的魅力は伴奏のレヘル指揮のオーケストラがローカル色満載であることで、無用にとんがったところがなくまさにバルトークの ”おふくろの味” 路線にぴったりなこと。第2楽章の神秘もひなびた味を伴っていて、これぞ僕がペーチュで嗅いだあの大気の香りです。録音も丸みがあり米国流の名技主義とデジタル解像度を競う路線とは無縁の昔懐かしさがあります。youtubeにこのLPの音をアップしましたのでぜひお試しください。

 

デジェ・ラーンキ(pf) / ゾルタン・コティッシュ / ハンガリー国立管弦楽団

この曲を血管の中にもっている二人による快演。ラーンキの2番は正規録音がなくこのライブは貴重。生気ほとばしるテンポの第1楽章は最高でこれ以上のものは求め難いでしょう。終楽章のエネルギーもバルトークの意図の体現です。指揮に回った時のコティッシュの傾向で第2楽章の神秘感や翳りがいまひとつなのはマイナスですが、補って余りある美点を評価。ご一聴をお勧めします。

ゲザ・アンダ / フェレンツ・フリッチャイ / ベルリン放送交響楽団

ピアニスト、指揮者ともブダペスト生まれ。オーケストラの深みある色彩がまことにふさわしく、曲のエッセンスをフリッチャイが完璧に伝えきって確信に満ちた演奏をしています。彼はバルトークに師事した指揮者でこの音が正調に近いかどうかはともかくも比類ない説得力があることは誰も否定できないでしょう。アンダのピアノは骨太で重量感があり、ポリーニの指の回りよりこの曲では重要なものは何を教えてくれます。技の切れ、無傷、スマートさではないのです。

 

マウリツィオ・ポリーニ / クラウディオ・アバド / シカゴ交響楽団

ピアノは技巧的に高度で速いパッセージまで微細に引き分けられますが、タッチの軽さは野蛮、凶暴さに欠けショパンのように清明。オケもスマートだが第2楽章の弦も透明で神秘のにごりがまるでなく蒸留水を飲むようであります。バルバロな部分はインテリがヤンキーを気取ったみたいで不道徳のかけらもなく、これほどバルトークの ”おふくろの味” が希薄な演奏もなし。イメージは全然ふくらまず、何を聴いたかさっぱりわからず。

 

レイフ・オヴェ・アンスネス / ピエール・ブーレーズ / ベルリン・フィル

ブーレーズの伴奏が聞きもの。リズムのメカニックな正確さで最高度にあり、それがここまで極まれば快感に転じるという彼の「春の祭典」の水準にある驚くべき演奏です。ローカル色は希薄ですが、この演奏にそれを求めても仕方なしでしょう。アンスネスのピアノも指揮に完全に同期して間然するところなく作品のイデアのようなものを築き上げています。おふくろの味を欠くバルトークもこの路線と完成度ならありというというもうひとつの多面性をもうひとつの教わります。

 

イディル・ビレット / チャールズ・マッケラス / シドニー交響楽団

最高難易度の2番を女性が弾くのがどれほどのものか。ユジャ・ワンが譜面を見ながら弾いているビデオがあって、弾けるだけでも称賛はしますが、イディル・ビレットのそれは衝撃です。NAXOSレーベルで知られるようになったので廉価盤アーティストの印象になっていますがとんでもない、この人は現代のギーゼキングで何でも弾ける。そこまでいくと技術だけではなく超絶的な聴覚と記憶力の問題であって普通の人の及びのつきようもない能力の持ち主でなくてはあり得ません。ビレットはトルコ人(アンカラ生まれ)人です。音楽って面白いですね。

 

(こちらへどうぞ)

マーラーの墓碑銘

「グレの歌」(読響定期)- カンブルランへの感謝

2019 MAR 15 22:22:32 pm by 東 賢太郎

指揮=シルヴァン・カンブルラン

読売日本交響楽団
ソプラノ=レイチェル・ニコルズ
メゾ・ソプラノ=クラウディア・マーンケ
テノール=ロバート・ディーン・スミス、ユルゲン・ザッヒャー
バリトン・語り=ディートリヒ・ヘンシェル
合唱=新国立劇場合唱団(合唱指揮=三澤 洋史)

これがカンブルランをきく最後になってしまいました。

メシアン「彼方の閃光」、「アッシジの聖フランチェスコ」(全曲日本初演)、 J.M.シュタウト ヴァイオリン協奏曲「オスカー」(日本初演)、デュティユー交響曲第2番「ル・ドゥーブル」、ヴィトマン クラリネット協奏曲「エコー=フラグメンテ」(日本初演)、アイヴズ、「ニューイングランドの3つの場所」

などはもう聴けないかもしれないし、

バルトーク「青ひげ公の城」、コルンゴルト ヴァイオリン協奏曲、ブリテン歌劇「ピーター・グライムズ」から”4つの海の間奏曲”、ブルックナー交響曲 第6番 イ長調 作品106、マーラー交響曲 第9番 ニ長調

も大変印象に残りました。陳腐な演奏は皆無でしたし、やはり何より「アッシジの聖フランチェスコ」は僕の50余年のクラシック歴のなかでも最上位の体験でした。

http://読響定期・メシアン 歌劇「アッシジの聖フランチェスコ」を聴く

そして昨日のグレの歌。ブーレーズの録音で聴いていますが実演が初めてであり、心から堪能しました。トリスタンの影響がありありとあるのは和声がきれいに解決せず延々と旋律が伸びていくところです。解決は機能和声の宿命ですが、宿命から自由なこれを書きながらシェーンベルクは機能和声までも抜け出したくなって十二音に行きついたのかと思ってしまいます。

ワーグナーもどきであったとしても初期にこれだけの作品を独学の人が書いたという驚異を皆さんはどう思われるのでしょう。第3部は1911年とシェーンベルクが無調の領域に踏み出してから完成されましたが、第2部までとは和声の扱い方に不気味さが増していながら無調にはせず、なんとか木に竹を接ぐとならないように腐心した跡が感じられます。最高の音楽、最高の演奏でした。

僕がドイツに住んだのは1992-95年ですが、カンブルランは1993- 97年にフランクフルト歌劇場の音楽監督でしたから重なってます。当時は無名で、マイスタージンガーなどを聴いていますがピットの中だから姿さえ覚えてません。ご縁があったということですが、こんなお世話になろうとは夢にも思いませんでした。

彼でなければ絶対に聴けなかった曲を体験することはぞくぞくする知の冒険でありました。カンブルランの図抜けた指揮能力、読譜力、解析力、記憶力、運動神経、音楽へのdevotion(献身)は何時も驚異であり、自分が逆立ちしても及ばないことができる人を目の当たりにするのは無上の喜びでした。僕は人生において万事独学主義なのですが、極めて少数の例外がございます。教育界ではお二人だけ、駿台予備校の根岸先生(数学)と伊藤先生(英語)にそれぞれの領域で最高の敬意と感謝をささげており、クラシック界ではピエール・ブーレーズが唯一の先生でした。ここでもう一人、シルヴァン・カンブルランが先生に加わりました。9年間お疲れさまでした、そして、本当にありがとうございます。

クラシック徒然草《名曲のパワー恐るべし》

2019 MAR 8 21:21:25 pm by 東 賢太郎

週末は久しぶりに音楽室にこもってました。体調も戻り、万事順調でストレスもなく、いよいよ3月になってプロ野球もオープン戦が始まりました。毎年心が沸き立つ時期ですね。

しかし、こもってなにしたかというと、とても暗い音楽、ブルックナーの交響曲第7番のアダージョ(第2楽章)とじっくりと付き合っておりました。この楽章はワーグナーが危篤の知らせのなかで書き進められ、ついに訃報に接しコーダにワグナーチューバの慟哭の響きを書き加えたのでした。深い魂の祈りのこもった音楽です。

音楽は楽しいものです。しかし「楽しい」イコール「明るい」ばかりではありません。性格の明るい人がいつでも楽しいわけではないですがそれと同じことです。人は誰しも喜怒哀楽、喜び、悲しみ、苦しみ、悩みを日々くり返しながら生きています。もちろん喜びに満ちていることがいつだって望ましいのですが、人生、あんまり喜ばしくない時間の方が長いのかもしれないなとも思います。

悲しみ、苦しみ、悩み、落胆、絶望にじっくりと寄り添ってくれる音楽。それは僕の知る限り、クラシックしかないでしょう。落ち込んだときに生きる力や勇気をくれる、それはあらゆるジャンルの音楽の持つ力です。しかし、いくら鼓舞されてもかえってつらいだけ、むしろ寄り添ってもらいたい、一緒に泣いたり、癒し、慰めをもらいたいという時はクラシックの出番なのです。そういうものは不要だという人もおられるでしょう、それは素晴らしいことでいつもそうありたいと思って生きていますが、どうも僕はそこまで強くはできていないようです。

私事でいえば、母は僕の大好きな音楽たちに包まれて旅立ちました。自分自身もそう望みます。悲しい曲はひとつもありません、どうしてもそうしてあげたいからそうなっただけです。僕にとってクラシックはそういうものです。それに比べれば些末なことですが、入試に落ちたとき、数日は目の前が真っ暗でしたが、そこで何回もかけたのはラフマニノフの第2交響曲のレコードでした。理由はありません、それに包まれていたかったということ、それだけです。

僕はそういう曲たちを学校とか誰かに習ったわけではなく、偶然に出会いました。そこから一生の伴侶になってくれている。人との出会いでもそうなのですが、だから大事と思う気持ちが半端ではありませんし、人生をかけてもっともっと知りたいと思う。そうやって深く知り合った音楽が100曲ぐらいでしょうか、ですから、60年もかけてそれということは、もうそれ以外は時間切れであってご縁がなかったと思うしかないでしょう。

そういう関わりあいを持ち始めると、不思議なことですが、何も悲しくないのに悲痛なアダージョが欲しくなるようなことがだんだん出てきます。寄り添ってもらって、一緒に泣いてもらって、救われる。これは喜びや快感とは同じではないのですが、生きていくのに大事な心の薬です。薬が効いてすっと痛みがひいた、その経験をくり返すと、痛みを思い出すのが苦痛でなくなり、あの苦痛がない今が幸せだと感じることができるようになります。これはこれで、喜びなのです。

インフルエンザになって、10年ぶりにウィルスの怖さを思い出しましたが、治ってしまった今はかえって健康のありがたさを実感して日々喜びを感じるという、そんなところです。そうやって、悲しい、暗い音楽は、だんだん僕の喜びへと変わってきました。それぞれの曲が、どういう時に必要でどう救ってくれたかは覚えてますので、それを今になって追体験することは苦痛を乗り越えた自分をタイムマシンに乗って眺めるようなものです。またできるなと自信になり、もっと強くなれます。

ブルックナー7番のアダージョには特別な思いがあります。僕ならではのおつきあいの方法があって、これにどっぷりつかるなら自分で弾いて同化してしまいたいという思いが強いのです。それをお勧めするわけではなく単に個人の流儀にすぎません、もちろん、聴くだけで充分です。

週末は、初めて、2時間ほど格闘して、アダージョを最後まで弾ききりました。ピアノを習ったことはなく無謀なチャレンジなのですが、音符はかなり間引いて、間違ってもつっかえても、兎にも角もにも完走するぞという素人マラソンの心持ちです。ついにワグナーチューバの慟哭がやってきて、昇天のような最後のコードを押さえたら、たぶん1分間ぐらいはじっとしたまま動けません、あまりの素晴らしい響きにほんとうに動けなくなってしまったのでした。

ちょうどそこで家内が部屋に入ってきて「食事に行くわよ」といわれなければ、1時間でもそのまま嬰ハ長調のキーを押さえていたいという、あんなことは人生初めてです。

この体験はなんだか宗教の悟りというか、何が悟りかも知らないでその言葉を使ってしまうのは不届きと分かっているのですが、しかし、ほかにうまい表現を知らないから仕方ないのです、自分を別な人間に導いてくれるようなものがこの曲にはあります。アウグスト・フォルスターの響きの色合いがワグナーチューバとホルンの合奏に聞こえて、こういう音が自分の指先から出るのも初めてです。悲しみは喜びにもなるのです。

まったくもって個人的な経験を書かせていただいてますが、音楽の喜びには最大公約数などなくて、おひとりおひとりの感じ方、フィーリング次第ですからそもそもとてもプライベートなものです。ブルックナーは嫌いという方がいていいですし、学校で一律に名曲だと教えるべき筋合いのものでもなく、むしろ食(グルメ)の楽しみに近いように思います。僕は煮物があまり得意でなく、日本人にとってそれは「名曲」なのは間違いないでしょうが、おいしいと思わないものは仕方ありませんし訓練して好きになるものでもないように思います。

だからブログに書いている曲は、単に僕が好みの料理や食材であってそれ以上でも以下でもありません。ただ、そこまで気合を入れて好きである以上はひとかどならぬ理由はあって、それを文字にしておくことでいつの日か、百年後でもいいから興味を持って聴く人がおられるかもしれない、それがその人にとっての運命の出会いになるかもしれないということです。あんまり世の中のお役に立つ人生を歩んでないですし、できるのはそのぐらいしかありません。7番のアダージョはそのひとつです、この楽章だけでいいのでじっくり付きあってみて下さい。

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僕が聴いた名演奏家たち(アレクシス・ワイセンベルク)

2019 MAR 2 11:11:15 am by 東 賢太郎

アレクシス・ワイセンベルク(1929 – 2012)というと、僕の世代の多くのクラシック・ファンには懐かしい名前と思います。ブルガリア生まれのユダヤ系フランス人でした。このピアニストの指の回りの怜悧な切れ味は独特で、細かな装飾音符まで強い音でそれが効くし、ペダルをひかえた音の粒立ちの良さと打鍵の強靭さが際立っているので、テクスチャーが複雑になり音符が増えると速度は変わっていないのにあたかも速弾きになったように聞こえます。これが音楽に起伏を与え、生き生きと波打たせ、静かな部分との見事なコントラストをなし、表現のパレットが豊富になっている。こういうことは頂点の技術のある一握りの人しかできません。タッチに豊饒なふくらみと色彩感があるので、ラテン的な明晰さが音楽の立体感に奉仕してテクニックだけのピアニストとは一線を画したものでした。あのカラヤンが本家ドイツグラモフォンではなくEMIとの録音でチャイコフスキー、ラフマニノフ、ベートーベンというメインストリームの協奏曲に起用したのもその個性がアピールしたのではないでしょうか。

そのピアニズムの魅力は74年に買ったラヴェルのト長調協奏曲で知りました。浪人中でしたがどれだけこれに慰められたか。いまでも第2楽章を自分で弾くと、テンポは自然にワイセンベルクのになってしまいます。このLPへの love はこのブログに書いてあります。

ラヴェル ピアノ協奏曲ト長調

プロコフィエフの第3ピアノ協奏曲を聴いたのもこのLPのワイセンベルクが初めてでした。

77年にクープランの墓に入れこんで買ったのがこのLPでした。これへの love はここに書きました。

ラヴェル「クープランの墓」を弾く

ラヴェル 「クープランの墓」 

どれだけこのレコードが耳に焼きついたことか。僕のピアノへのテーストはワイセンベルクによって出来たと思います。

彼のジャズ好きは有名でしたが、こんな録音がありました。即興のようですが最高のセンスですね。

同じくyoutubeでこれを見つけました。

この演奏会のプログラム

このブラームスの第2協奏曲ですが、録音されたのは1983年11月25日です。これを当時28才だった僕は妻と Academy of Music のチェロセクションの前の座席で聴いており、知らなかった記念写真が出てきたようです。ただ残念ながら曲はすでに覚えこんでましたがこの演奏の細部の記憶はなく、あんまり感銘はなかったということだったのでしょう。録音を聴いてみて、なるほどオケの音程が甘く重量感に欠けますし、ワイセンベルクの演奏も十全ではなかったことがわかりました。2番をアラウ、バックハウス、ギレリスで知った耳からすると、おそらく彼はこの曲のテンペラメントには合っていないように感じたと思います。2番は結局録音もしなかったようですね。

ブラームスのピアノ協奏曲第1番

ワイセンベルクは同年の1月7日にもう一度フィラデルフィアにやってきていて、やはりブラームスの第1協奏曲をやりました。これが初めてだったわけで、こっちはピアノもオケもずっと良かったと思いますが、残念ながらこの時期はウォートンの勉強に必死の頃で、当方の曲への習熟度も2番に比べ足らず書き残すほどの力はありませんでした。ただ、憧れのスターだったワイセンベルクのピアノを目の前で聴く喜びはひとしおでした。席が舞台に近かったこともありますが、普通の力で弾いているように見える彼のffのタッチの強さには度肝を抜かれ、ピアノという楽器はこういうものかと思い知った演奏会でした。

ロンドンに赴任してこのLPレコードが発売になりました(1984年)。ジャケットをしげしげと見て、「ああ自分はフィラデルフィアにいたんだ」と当たり前のことに狐につままれたような気分を味わったのも今となると不思議です。デジャヴ(既視感)ではない、本当に真近に見ていた二人の音楽家の顔が実は遠い世界の映画の登場人物のように見えました。Mov1はミスタッチも録音に残していますが、何より冒頭に既述したワイセンベルクのピアニズムの特色がライブのあの熱気そのままにお楽しみいただける名演奏と思います。

ワイセンベルクを聴いたのはこの2回だけでした。

ユダヤ人の彼は12才の少年時代(1941年)に、ドイツ占領下となったブルガリアから母親とトルコへ脱出しますがナチスに捕まってしまいます。収容所に投獄され3か月を過ごしますが、彼がアコーディオンで奏でるシューベルトに感銘を受けた守衛は母子をイスタンブール行きの列車に急いで乗せ、「達者でな」と少年にアコーディオンを投げてくれたのです。

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ツァグロゼクのブルックナー7番(読響定期)を聴く

2019 FEB 23 1:01:30 am by 東 賢太郎

指揮=ローター・ツァグロゼク

リーム:Ins Offene…(第2稿/日本初演)
ブルックナー:交響曲 第7番 ホ長調 WAB.107

リーム作品は正直のところ僕にはよくわからなかった。リズム感覚が希薄であり音色勝負の曲なのだろうとは思ったのだが、アンティーク・シンバル(客席を含む各所の楽器群に配置され弓で弾かれていたらしい)の高いピーピーいう音自体が生理的に苦手なうえにピッチのずれもあってどうも心地よくない。ツァグロゼクは名前も知らなかったが、この手の音楽に熱心なんだと感心。

ブルックナーもあまり期待しなかったが、冒頭の弦の音に耳が吸い寄せられる。Vaの前あたり5列目で良い席ではなかったが、そこで良く聞こえるVa、Vcのユニゾンが素晴らしくいいではないか。1stVnの高音もいつにない音だ。ホルンとのブレンドも最高。サントリーホールで聴いた弦の音でこれがベストじゃないか?良い時のドレスデン・シュターツカペッレ、バンベルグSOを彷彿。去年のチェコ・フィルやクリーヴランド管の弦なんかよりぜんぜんいいぞ。指揮者とコンマス!Vaセクションは特に見事。

ツァグロゼクは暗譜で振っていたが全部の音の摂理を知り尽くしていること歴然の指揮。知らなかった、こんな指揮者がまだいてくれたのか!アンサンブルは整然だが第2楽章など音楽のパッションとともに内側から熱くなる。こんな演奏はここ10年以上ついぞ耳にしたことがない。Va、Vcの内声が常にモノを言っていて、型を崩さずに内燃するという欧州のドイツ音楽正統派オケの必須の姿である。こういう本格派オーケストラ演奏を聴けたのは幸運としか言いようもない、欧州時代を思い起こしてもカルロ・マリア・ジュリーニ以来のことである。ツァグロゼクは何才なんだろうか、僕がロンドンでジュリーニを聴いていたのは彼の70代後半だった。指揮者は何ら奇天烈なことをせずとも、やるべき大事なことがあるということだ。

かつてライヴで聴いた7番でベスト。本当に素晴らしい。読響も最高の演奏で指揮に応えたことを特筆したい。録音していたならぜひCDにしてほしい。ツァグロゼクに読響を年4、5回振ってもらうことはできないだろうか、ブルックナーを全曲やってもらうことはないものねだりだろうか。

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N響B定期・春の祭典を聴く

2019 FEB 21 0:00:31 am by 東 賢太郎

指揮:パーヴォ・ヤルヴィ。最初のファゴットのハ音の異様な長さからいやな予感がしたが、徹頭徹尾そうであった。指揮者は何か他人と違ったことをやりたかったのだろうが大きく勘違いの方向でそれをした。ドンシャリの体育会色満載でデリカシーも神秘性のかけらもなし。ブーレーズを聴いて育った身として、こんなものが同じ作品とすら言い難く怒りすら覚える。

バスクラ、チューバはどうでもいい部分まで野放図なフォルテに聞こえ、ということはつまり、この演奏は全曲にわたって p (ピアノ)というものがなく、全管楽器が百家争鳴、コンクールで張り切ったブラバンみたいに鳴っているということである。ひとこと、うるさい。50年この曲を聴いてきたが第2部の序奏のバスドラがドロドロの部分でトランペットをあんなに強く吹くのを耳にしたのは寡聞にして初体験である(スコアの pp は何だ?)。練習番号87の神秘的なフラジオレットや第2ヴァイオリンなど驚くべきことにまるっきり聞こえない。こんなひどい演奏は知らない。スコアは「弱音器付」とある。要するに現実として、付けたら聞こえるはずのない音量で木管が鳴っていたということであって、従って、理屈からしておかしいのだ。生贄の踊りの2+3拍子はお口当たり良く丸まってスタイリッシュにポップ化している。はるかにましなカラヤンのですらダメ出ししたストラヴィンスキーは絶対に許さないだろう。指揮者は体操競技の「G難度」「H難度」をクリアしてどうだと拍手喝采を狙ったに違いない。そう思っていたら何でもない練習番号155でピッコロトランペットが落っこちてしまう。誰もが唖然だったろうが、ここまでくると馬鹿らしくて見てもいられない。暴風雨が轟音とともに通り過ぎ、終わった後には見事に何も残らない。同じN響でも2016年のヴェデルニコフのは良かった。読響を振ったロジェストヴェンスキーはもっと良かった。指揮者のモノが違う。日本の聴衆をなめるのもいい加減にしてほしいが爆演の割に拍手は少なめで、良識を感じた。

 

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僕が聴いた名演奏家たち(アーリン・オジェ)

2019 FEB 18 23:23:40 pm by 東 賢太郎

「風邪はどお?」心配して電話をくださった神山先生に、「あの薬を飲んでから少しいいですがまだ咳がね・・・」と伝える。「でも声は昨日よりいいよ、もう大丈夫だよ」と笑いながら「やられたね」ときた。「やられましたね(笑)」。腑に落ちることしかこの人は言わない。

子供のころ体が弱く毎週熱を出していた。その度に見たこわい夢は忘れない。暗い宇宙空間のようなところにぷかぷか浮かんでおり、何か、目には見えないが「重たいもの」を持たされている。とっても重い。そして僕は「それ」をどこか別なところへ運ばなくてはならないのだ。そんなの無理だよ、僕にはできないよ!うなされてはっと気がつくと耳元で「大丈夫よ」と母の声がするのだった。

あれは何だったんだろう、どこから来たんだろうあの服従を強いる脅迫感は?ビートルズに「Carry That Weight」という曲がある。「あの重たいものを運べ」だ。色々もっともらしく言われるが、もしや「あれ」のことではとふと思ったりしていた。忘れていたが、この1月にソウルで高熱が出てうなされた時に(インフルエンザだった)この夢が何十年ぶりに出てきた。怖かった。大人でも。

僕はこういう時、女性の高い声が脳髄から深層心理にしみこんでcomfortになることを知っている。母の声だったのかそれはわからないが、生理作用だから好き嫌いを越えて抗いがたい。もし歌なら、ソプラノの澄んだ天使のような声でないといけない。ルチア・ポップが好きなのはそれだろうし、もうひとりアーリン・オジェ(Arleen Auger)がそれだ。言葉にならない、無条件に好きなのだ。

オジェは1993年に53才でこの世を去ったアメリカ人歌手であり、僕の基準でいわせてもらえば、史上最高のリリック・ソプラノである。カール・ベームが見出したと言われる。モンテヴェルディ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルトなどバロック、古典派に定評があるがR・シュトラウス、ラヴェル、ベルクまで幅広い。録音はたくさんあって、ベームの「後宮からの誘拐」、ショルティのマーラー8番、同ばらの騎士、同モーツァルト「レクイエム」、ドラティの「天地創造」、ラトルのマーラー2番、マゼールのカルメン、プレヴィンの「子供と魔法」、ムーティのヴェルディ「聖歌四篇」、アバドの「ドン・カルロ」、シャイーの「ウエルテル」、ピノックの「メサイア」、クーベリックの「ドン・ジョヴァンニ」、マリナーの「真夏の夜の夢」、ホグウッドの「第九」そしてリリングのバッハ・カンタータ集などだ。おおむね主役を張るのは古典派まででロマン派以降は端役が多い。それは彼女の「格」のせいではない、声の性格ゆえであり、しかも彼女の美質、特質は discreet(慎ましく思慮深い)なところにあるからだ。僕は全部集めたいと思っている。

まずはこれから。モンテヴェルディ「ポッペアの戴冠」から「Pur ti miro, pur ti godo(ただあなたを見つめ、ただあなたを楽しむ)」を。

我を忘れる。くらくらして気絶しそうだ。完璧な音程はそれ自体が人を陶酔に引きずり込む。

次は誰もがご存知のシューベルトの「鱒」。

この流れるような軽やかさ!この歌はこう歌わないとと思うが、このレベルのはなかなかない。単純なメロディはごまかしがきかない。

ヴィヴラートを効かせて張りを作ってドラマティックにうまく聞かせるソプラノではない。そんな無用な芸をせずともこの人は本当に歌がうまいのだ。コロラトゥーラでピッチが悪くては話にもならないがまずその技術が筋金入りであることはこの夜の女王で問答無用に証明されている。彼女はこの役で1967年にウィーン国立歌劇場でヨゼフ・クリップスの指揮でデビューしている。このビデオは不明だがまだ若い時だ。僕の知る限り、ピッチの完成度でクレンペラー盤のルチア・ポップに唯一対抗できるのはこれしかない。つまり、ほかのすべてを凌いでいる。

歌の技術について語る資格はないが、何事も、スポーツでも勉強でも、基礎が盤石でなければ大成しないのは同じだろう。音楽において、歌であろうと楽器であろうと、音程がだめであればそれは技術か耳のいずれかが未熟ということであり、野球でいえばキャッチボールが正確にできないということである。それでプロは100%ない。オジェはトスバッティングでどこへ球が来ても百発百中でバットの真芯でミートできる、まさにイチローの神技のレヴェルにある技術のファンダメンタルズを土台に持っているのだろう、さもなければこのパフォーマンスは出ようがないと思う。

彼女の高音は頭のてっぺんから自然にポンと出ている。普通はどっこいしょと持ち上げる感がごく微小なりともあるのだが、唖然とするほどまったくなくてコントロールも良い。さらに特筆すべきは、喉でなくボディで歌っており、中音域がとろけるように豊潤で、ホールのアコースティックと(楽器である)ボディの周波数があたかも共鳴している(融けこんでいる)感じがすることだ。だから聴き手である僕も包み込まれる感じがする。正確無比なのだが包容力があって暖かいのだ。こんな歌手は一人も知らない。歴代のリリック・ソプラノでトップを争うと確信する。

病気で怖くなってきてcomfortが欲しいとき、僕はポップかオジェを聴くことになる。何か逃げ込みたいという感じだ。基本を欠いた音楽家になんらかの affection でもって好意をいだくということは僕の場合はない。こと音楽については matter-of-fact-man (感情、感傷なく事実=音のみで決める人)であるということだ。ブルックナーをだいぶ聴いていたのでロマン派圏外に逃避したい。そこで久しぶりに故郷であるモーツァルトへ帰ってみる。ジャンルでいうとオペラと宗教曲に惹かれる。ことに最近は宗教曲こそ彼のベストかもしれないと思うようになってきた。「ミサ曲ハ短調 K.427」はレクイエム、戴冠ミサとならぶ傑作である。

レナード・バーンスタインは1990年10月に亡くなるが、その半年前の4月にヴァルトザッセン、シュティフト修道院附属教会で演奏したK.427のビデオがこれで、僕の宝だ。ソプラノがアーリン・オジェだが彼女もこの3年後に亡くなっている。この4か月前に僕はロンドンでキャンディードを振ったバーンスタインと会って話をしたが、その時の姿そのものだ。すごく inspiring なおじいちゃんだった。あんな人はほかにいない、electrifying と言った方がいいか、会うだけで電気が流れてきて元気にしてくれた。この演奏はそれが出ている。

隣のメッツォは名高いフレデリカ・フォン・シュターデだが気の毒だがモノが違う。というか、これが普通のうまいプロの歌なのだ。K.427がこれだけ重量感ある音響で、教会の素晴らしいアコースティックのなかで、しかも抜群の安定感と清楚さのあるのソプラノで歌われる。至福でなくてなんだろう。

同じくバーンスタインとのモーツァルト。Exsultate, Jubilate K. 165の「ハレルヤ」を。

この安定感と威厳。ロールスロイスというか、沢村賞の巨人・菅野のマウンドさばきというか・・・。

次はモーツァルト歌曲集をぜひ。素晴らしいの一言に尽きる。僕はこれらの歌を多くのソプラノで聴いた。もちろん皆プロで見事なのだが心の底から満足しない。プロにもピンキリがあるのだ。ピアノ協奏曲第27番のK.596(28分43秒)。オジェの神の如き音程はそれだけですでに高貴な音楽になり、ふくよかで暖色系で rich な中音域、p と同じブレスで楽々と出る f はただの美声とは別世界だ。馬鹿なカワイ子ちゃんが少し大人になりましたというのとは別世界の、大人の知性あるプレゼンテーションになっている。慎ましやかおしとやかだが音楽力において絶大にパワフルなのだ。

僕はこのラヴェルにぞっこん惚れている。エーゲ海、アドリア海のオーシャンブルーが眼前に蘇ってくる。

エルネスト・ブールとのこの奇跡的な演奏についてはこちらに書いた。

ラヴェル 歌曲集「シェへラザード」

このyoutubeビデオに海外の方からこうコメントをいただいた。なんと図星な!

This performance is utterly beguiling, and a revelation; Ernest Bour is one of the greatest, most underrated conductors of all, and the soprano is absolutely magnificent in her purity of intonation and musicality.

芸人並みの色モノ演奏家がもてはやされてこういうホンモノの演奏家がunderrated(過小評価)という事実・・・。それは作品の評価まで曲げてしまう。クラシック音楽に populism など不要であって、芸人のポップクラシックなど害悪でしかない。残念ながらわかる人しかわからないものはある。

最後に、カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」からIn trutinaを。

同じく、Dulcissimeを。

すごい、悶絶しそうだ。これぞ female voice の蠱惑でなくて何であろう。

当日のプログラム

これで本当に最後しよう。告白、懺悔である。実のところ、僕はアーリン・オジェを今ごろになって「再発見」しているのだ。しまった、こんな歴史的なアーティストだったんだサインもらっとけばよかった。時は36年前、1983年の12月2日、所はフィラデルフィアのAcademy of Music。上掲録音と同じリッカルド・ムーティがカルミナ・ブラーナを定期演奏会にかけた。そのソプラノがオジェだった。最前列に陣取っていたのですぐ目の前で彼女の神技が展開された。目に浮かぶ。とにかく彼女に圧倒されてしまい、頭がくらくらして大好きなカルミナは、あっという間に終わってしまった。そのころ、僕には歌のよしあしをappreciateする能力なんてかけらもなかった。

当日のプログラムより

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

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ブルックナー 交響曲第8番ハ短調

2019 FEB 16 21:21:09 pm by 東 賢太郎

僕にとってときどき麻薬のように禁断症状があって欲しくなるのがブルックナーの第8交響曲だ。先週末にそれになってしまい、次々とかけた。カイルベルト、ベーム、ジュリーニ、ヨッフム、ハイティンク、バレンボイム。6時間以上どっぷりと8番漬けだが、こうなると1週間ぐらいは寝ても覚めても常時頭の中でこの曲のどこかが鳴っているという事態に陥る。実に常習性のある有機的でねちっこい和声プログレッションであり、ワーグナーが元祖であることは疑いもないが、ブルックナーのインヴェンションであることも同様に疑いがない。こういうものを書いた人は後にも先にもなく、どうしてこの人が自分よりはるかに才能のない弟子や友人の意見で右往左往してスコアの改定を重ねたのか常識的には分かりかねるが、8番初演の4か月後にマーラーへ送ったこの手紙を読めば手に取るようにわかる。

抄訳

「親愛なる友よ、私の作品への忍耐と勇気を持っていただいていることに心より感謝します。私の音楽を何十年もたってから理解するようなハンブルグのひどい聴衆と評論家に囲まれながらね。貴君にとってハンブルグでになにか耳新しいものをわからせるのは至難の業のはずです。ウィーンの評論家はふたり(ハンスリックととるに足らないもう一人)を除けばずっと進歩的ですが。堂々たる英雄であられるマーラー君、なにとぞこのまま私の側についていてください、特に4番(ロマンティック)を広めるために。8番はまだハンブルグには早すぎます(とはいえウィーンではかつてないことにそこそこ受けたのですが)。

(追伸)
ハンス・リヒターは8番をウィーンで初演して熱狂し、私をベートーベン以来のシンフォニストだと言ってくれています。ワーグナーも夕食の時にこう言いました、『絶対音楽でベートーベンとブルックナーに比肩できるのは自分しかいない』とね。こういうお言葉をもらうと心からほっとします。ハンブルグで亡くなったエドゥアルド・マルクスゼン、彼はブラームスの先生ですが、彼だって一度そういう趣旨の手紙をくれ、ほっとさせてくれたのです。」

この手紙は、マーラーを自分の陣営に取り込んでおきたい一心で書いた営業レターだろう。マーラーはこの手紙を受け取ったころ、ブタペストで初演した「巨人」の第2稿、および第2番「復活」を書いていたが、ブルックナーの目にはまだライバルのシンフォニストではなく、36才下でワーグナー作品上演に熱心な「ハンブルク州立歌劇場芸術監督、グスタフ・マーラー」であった。しかもオーストリア人でウィーン大学での教え子だ。ハンブルグはハンザ同盟の自由都市でプロテスタントだがドイツの都市ではユダヤ人が多く居住しており、そちらの人脈もある。

ウィーン生まれで1才下のエドゥアルト・ハンスリック(Eduard Hanslick, 1825 – 1904)というブラームス派の有力評論家はブルックナーの不倶戴天の政敵であったが、不安なことにハンブルグはライバルのブラームスの故郷であり、マーラーの前任者ハンス・フォン・ビューローはブラームス派だ。そこで「追伸」として師匠と慕うワーグナーの挿話を紹介したのだが、さらに足りない気がしてきたのだろう、「マルクスゼンも誉めてくれた」と追い打ちをかけ、しかも、ボヘミア出身のマーラーが知らないかもしれないと思ったのだろう「彼はブラームスの先生」であり「ハンブルグで亡くなった」とまでダメ押ししている。教え子であり作品に好意を持ってくれているマーラーだが、その好意が続く確信を持てておらず、敵方に寝返らないようお追従としつこいほどの権威付け情報満載で念を押しているのだ。これほどの支持基盤への不安が作品改定の理由となってシャルク版、ハース版、ノヴァーク版が生まれたのであり、このダメ押しの「くどさ」は彼の交響曲作法そのものでもあり非常に興味深い。

ブルックナーの交響曲のピアノリダクションはpetrucciで手に入る。有り難い時代になったものだ。僕は大学4年の夏にバッファロー大学に1ヶ月語学留学した折に図書館で火の鳥、シューマン第1交響曲のピアノリダクションスコアを発見して狂喜し、随分の時間と労力とお金をかけてコピーして帰った。今は何のことない、そんなものは家で15分もあればタダでプリントできるのだ。ブルックナーをピアノソロで弾けるなんて考えたこともなかった(難しい。8番は7番にも増して、非常に難しい)。余談になるが、この経験を通して僕は音楽著作権に問題意識ができた。物理や生化学の発明、発見にはノーベル賞が出るが数学にはない。数学は神が作ったものだからというらしいが、それならDNAの二重螺旋構造もそうだ。神が作った物理法則を駆使した青色発光ダイオードが発明なら音の周波数法則を駆使した作曲も発明ではないのか。主観的価値ではあるだろうが、では文学賞、平和賞は何なのか。辻褄が合わないのである。

人類に絶大な喜びを創造して残してくれたベートーベンやブルックナーの能力がアインシュタインやワトソン・クリックに比べて劣るとは思わないが、その評価をするのは後世なのだ。人は賞や教育の権威付けで動く。作曲という功績にそれが足りないというのが僕の認識だが、最低限の金銭的価値までが時限性があって、著作権が切れれば無料コンテンツと化して低俗なテレビ番組やコマーシャルのBGMに貶められてしまう現実には憤りを覚えるしかない。音楽の恩恵を人生に渡って享受した僕がその創造主である作曲家に感謝を捧げるのは人の道として当然であり、一聴衆としてしか音楽に関わりを持てない以上はブログでも書くしかない。

そうやっていまブルックナー8番について、この曲が素晴らしいというプロパガンダを書こうということになっているわけだが、彼の音楽というものはバロック様式の壮麗な教会のようなものだ。その空間に身を置いて五感で味わって初めてわかる「体験型音楽」であって、形式論的に構造をアナリーゼしたり、誰がどこをどう校訂した何々版が原典版とどう違うというようなことはあまり本質的な意味をなさないように思う。彼が少年時代に聖歌隊で歌い、オルガニストを勤めたザンクト・フローリアン修道院の内部の写真をご覧いただきたい。彼の演奏はこの空間の深い残響のなかにこだましていたのだという包括的なイメージをお持ちいただくことのほうがよほど大事だろう

この空間でブルックナーは交響曲の響きをどう発想したのか?下の録音はここでブルックナーが弾いたお気に入りのオルガンで第7交響曲の第2楽章を演奏したものだ(彼はこのオルガンの下に葬られている)。彼にとってオーケストラの音響はオルガンであり、教会のアコースティックがどれほど不可分の意味を持っているか、それがブルックナーの楽曲の本質にいかに寄与するものかがお分かりいただけるだろうか。

次は大理石の広間をご覧いただきたい。フランスのルイ14世様式を範にしたドイツ語圏のバロック建築様式はしばしば装飾過多であることで知られているが、まさにその例だ。

大理石の広間

図書館は装飾過多をさらに逸脱し、混沌に踏み込んだ一個の壮麗な、見ようによってはグロテスクな世界すら確立している。ブルックナー体験を多く積まれた方は、これが彼の音楽のヴィジョンにどこか共鳴して見えないだろうか?

図書館

ブルックナーが「体験型音楽」というのは、そこに参加して佇(たたず)んでいればわかるという肯定的な意味と、総合的なヴィジョンがないとわけがわからないという否定的意味を含んでいる点においてワーグナーの楽劇に近い。バイロイト祝祭劇場で5時間じっとして「貴方は何を感じましたか?」と問われるようなものだ。僕はサッカーをスタジアムでは4、5回しか観戦していないから貴方にとってサッカーとは?と問われると「ミラノのサン・シーロで8万人のスタンドが揺れて怖かった」ぐらいしか出てこない。サッカー経験はなく知識も乏しいから行くとすればあの「揺れ」の興奮ぐらいだ。バイロイトの聖なる密閉空間も体験型だ(一度で充分)。「そこに参加して佇む」ことに意義がある。マーラー、ブルックナーは第九と同様に客席が埋まるから供給サイドの人気演目だが、それは両方好きだという「百人超の大管弦楽大音響サウンドファン」もいるからだ。ブルックナーはハンブルグが俺の曲をわかるのに何十年もかかる(understand my works only after decades)と揶揄したが、あまり心配はいらなかった。

8番で最も人口に膾炙して猫にも杓子にも有名なところというと、おそらく第4楽章の入りだ。コサックの進軍を描いた前打音付きのユニゾンの弦の嬰ヘ音はクレッシェンドして ff になるが、僕には入りの p が耳の奥底ですでに響いていた幻聴のようににきこえる。再現部で不意にやってくる2度目は、さらに幻聴以外の何物でもない。

嬰ヘ音は耳が根音(ド)と錯覚するが、実はそうではなくミであり、つまりDの和音であって、ここでまず長3度下がった感じがする。この「長3度下げの麻薬」が楽章中にばらまかれる。次いでB♭m、G♭、D♭と移行するが根音はレ→シ♭→ソ♭とその麻薬の連発で、最後にレ♭と4度落ちてあたかもトニック然と着地するが、それは出発点のDの半音下であったという実に不思議な転調だ。こんなものがいきなり直撃するわけだが、12音音列のように理屈は通るが人口に膾炙しないものではなく、日本のTV番組のテーマソングに使われてしまうほど誰の耳にも「生理的に劇的な効果」がある。麻薬と書くのはそういう含みであり、それはこの楽章のコーダへ向けたクライマックスを pp で準備する非常に印象的な部分で葬列のように繰り返される。

麻薬の発明者はブルックナーではない。ベートーベンが愛用したのは有名だ(ピアノ協奏曲第5番「皇帝」、悲愴ソナタetc)がそれは楽章単位のことで、8番のように小節単位で3回も連続技で繰り出すとなると効きが違う。ベートーベンが魅力的な和声のイノベーターだったとはあまり言われないし音楽の教科書にも書いてない。しかし例えば悲愴ソナタの第1楽章をご自分で弾いてみれば、実はそうだったと誰でも思うだろう。それに反応したのがワーグナーでありついにトリスタンという和声の魔宮を築いてしまう。それは機能和声的に「解決」しないという「寸止めの王国」であり、ブルックナーは機能和声的解決に聞こえるが「着地が少しズレた王国」を築いた。これはザンクト・フローリアン修道院のごとくオーストリアのバロック建築的だともいえる。

第4楽章はどういうわけか、僕には敬虔なカトリック教徒としてのブルックナーの信仰心ようなものよりも、彼が悪夢にでもうなされて観た地獄絵に近いものを感じてしまう。第2楽章の悪魔のダンスのような奇怪な楽想もそうだ。いつも思い出すのはルネッサンス期のフランドルの画家、ヒエロニムス・ボス(昔はボッシュと呼んでたが)の地獄と怪物の絵だ。

ヒエロニムス・ボス
祭壇画「聖アントニウスの誘惑」(リスボン国立美術館)

ボスの絵画は当時異端扱いされなかった(むしろ貴族に人気があった)が、宇宙の一環をなす人間、生物の本性を暴き出したリアリズムと受容されたのではないだろうか。僕はブルックナーにボスの如き神性と悪夢の両方を見てしまうが、ティーンエイジャーの女の子に70になっても求婚し続け、死と死体に病的な関心を持ち、自分が死んだら遺体に防腐処理をしてくれと遺言したこの大作曲家はその両面を持っていたように思う。彼は芽のありそうな10代の女の子の名がずらりと並んだリストを持っており、次々と求婚したがすべて失敗した。一度だけ、ベルリンのホテルメイドだったイダ・ブーツとついに婚約まで至った。人生の陽光だったに違いないが、破棄されてしまう。イダがカソリックへの改宗を拒んだからだった。彼はひどく傷ついて何度も鬱病の発作に襲われた。

ブルックナーは交響曲第8番のスケルツォを作曲するにあたってDer Deutsche Michel(ドイツのミヒェル)を想起したと語っている。それは日本では「野人」と訳されている。しかしドイツのミヒェルはドイツ帝国の擬人化で、英国のジョン・ブル、米国のアンクル・サムに相当する新興のドイツ帝国(Deutsches Kaiserreich)のアイデンティティ形成のための象徴的国民像であり、狡猾な周辺国に容易に騙される無知、天真爛漫で愚かしい男だが一旦怒ると手ごわいとでもいう国威発揚のイメージキャラクターである。野人より薩摩の「隼人」や土佐の「いごっそう」のコンセプトに近いと思われる。パルシファルを書いたワーグナーは「私はもっともドイツ的な人間であり、ドイツ精神である」と日記に記し、「古代末期にローマ帝国を滅ぼして新生ヨーロッパを作ったゲルマン民族と同じ国民だ」と論じているが、現代中国でどこへ行っても「自分は漢民族だ」という輩に遭遇するのと似たものだろう。ブルックナーのミヒェルはオーストリアのカソリックというアイデンティティの困惑であり、プロテスタントであるブラームスのハンブルグ、イダ・ブーツのベルリンとのコンフリクトのトラウマとそれに対する開き直りかもしれないと僕は解釈している。

Anton Bruckner (1824 – 1896)

ブルックナーは風采や言葉やマナーで田舎者扱いされた記録の枚挙にいとまがなく、8番でのDer Deutsche Michel発言に彼の属人的なキャラクターが混合して逆流し、彼自身が全人格的に野人だったというイメージが流布しているがそれは都市伝説だ。彼の頭脳は科学者のごとく怜悧で、敬虔な司祭であると同時にむしろmatter-of-fact-manであり、文学より和声法と対位法を駆使した有機体を生み出す厳格な作曲技法に関心があった人と確信する。もし聴き手が彼の楽想に神を感じるとするならば、それは彼のカソリックへの真摯な帰依に由来するのだろうが、それは天地創造の神と彼の創造する有機体が矛盾しないという信心においてmatter-of-fact-manである性格とも矛盾しない。彼の肥沃かつ鋭敏な調性感覚は真の意味で超人的であり、その点では同じ資質であったが文学に傾斜する性向もあったワーグナーへの傾倒はそこに起因しているだろう。神=作曲原理という保守性と、持って生まれた超越的な調性感覚が生み出す麻薬が彼の音楽を際立たせ、異教徒の我々までを陶酔させる。その結合が最高の完成度で達成された作品が交響曲第8番であった。

ヘルベルト・フォン・カラヤンが8番を初演したウィーン・フィルとザンクト・フローリアン修道院で演奏したものだ。

まるで8番のように長くなってしまったが、最後に、僕の8番体験のルーツとなった1983年のスタニスラフ・スクロヴァチェフスキー、及び、1993年のギュンター・ヴァントに表敬したい。前者はここに書いたスクロヴァチェフスキーとの会話)。読響(2002年9月12日、芸術劇場)でも聴いた。こちらはその翌年のオペラシティでのザールブリュッケン放送響都のライブ。

ヴァントのほうは場所がフランクフルト・アルテオーパーでオーケストラは北ドイツ放送交響楽団、1993年10月17日の演奏会であった。亡くなる9年前のこの頃がヴァントの最後の輝きだったと思うが、天国のように見事な8番であった。幸い同年12月のハンブルクにおける北ドイツ放送響定期でのライヴ録音がCDになっており、腰が曲がっていたが振り始めると矍鑠とした指揮台の姿を思い出す。彼の8番は複数あるがこれがベストだ。

 

クラシック徒然草-ブルックナーを振れる指揮者は?-

 

 

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