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カテゴリー: クラシック音楽

エルネスト・アンセルメと気品について

2018 FEB 23 2:02:30 am by 東 賢太郎

エルネスト・アンセルメ(Ernest Ansermet, 1883年 – 1969年)はスイス人の数学者兼指揮者だが、高校時代の僕にとってフランス音楽の神だった。今だってその地位は譲っていない。まずは彼の姓でフランス語の t の省略というシロモノに初めて出会ったわけで、以来、これ(サイレント)とか独語のウムラウトとか、妙ちくりんな発音がない平明な英語名はフランス、ドイツ音楽の演奏家として安物という困った先入観にとりつかれてしまった。

その先入観に手を貸したのは、当時熟読していたレコード芸術誌だ。志鳥 栄八郎氏という評論家が管弦楽曲の担当で、この人が徹底した本場物主義者だった。フランス物はフランス人、ドイツ物はドイツ人、チェコ物はチェコ人でないとダメなのだが、そうなると英米人はやるものがなくなってしまうではないか。当時のクラシック音楽評論家のドイツ原理主義は顕著という以上に激烈でソナタ形式でない曲は色モノだという勢いすら感じたが、あれは同胞心だったのか形を変えた英米への復讐だったのか。志鳥氏は大木正興氏ほど筋金入りのドイツ原理主義者でも学究派でもなく、NHKの「名曲アルバム」の言語版という万国博愛的でエピキュリアンで親しみやすいイメージだったが、当時は三越、高島屋が憧れの欧米への窓口だった時代であり、クラシックはその音楽版だったから影響は大きかった。

氏は大正15年生まれで親父の一つ下だ。18才を敗色濃厚な戦争末期に迎え、東京大空襲で10万も亡くなって疎開、大学は行かれず戦後に旺文社に入社され著名な音楽評論家になられたがその後の人生では学歴で一番ハンディを負った世代かもしれない。陸軍に招集されたが士官学校ではない新兵はもちろん二等兵だ。死ななかったのは幸いだが酷い体験だったと拝察する。この世代のインテリが英米嫌いであったり日本(軍隊)嫌いで左傾化したのは自然だし、そこにマッカーサーのウォーギルトプログラムが乗っかった。それが生んだ日本嫌いの左翼と、軍隊嫌いで新生日本嫌いの左傾を混同してはまかりならない。南洋諸島(対米)やインパール(対英)で数万人の死者を出し、しかも6割が餓死であったという惨状を知れば、日本人の精神に戦争の傷跡が残らなかったはずがない。

銀行員になった親父も似たもので陸軍の二等兵で入隊して終戦となり、軍隊では殴られた記憶しかなく高射砲狙撃中に敵機の投じた爆撃で吹っ飛ばされて左耳が聞こえなくなった。ところがおのれ米英とは一切ならずクラシックばかりかアメリカンポップスのレコードまで聴き、あんな国と戦争する方がバカだと一貫して醒めており、英語をやれ、アメリカで勉強しろと息子を教育した。戦ってみて手強かったんだろう、それならそこから学べというのは薩長と同じでいま思えば実践的だったが東大は入っておけともいわれ、すぐにアメリカに飛んで行くようなことにならなかったのはより実践的だった。南洋、インパールで作戦ミスはあったがそれは起こしてしまった大きな過ちの結末であって、あんな国と戦争する方がバカだという大罪の罪深さを後に自分で肌で知ることとなる。

僕は左傾化しなかったが、それは政府の方がサンフランシスコ講和条約から一気に英米追従と戦時の極右の座標軸の視点から見れば相対的に思いっきり左傾化したからだ。その反動で安保反対闘争に走ったりはしないノンポリだったが、一方で音楽評論の影響で英米文化的差別主義者になった。志鳥氏がそうだったかは詳らかでないが、読んだ方は精神的に従軍したかのようにそう解釈した。だから親父に言われた「アメリカで勉強しろ」という立派な米国と、自分の中で見下してる米国はアンビバレントな存在として宙ぶらりんになった。後に本当にそこで勉強することになったが、当初はそれが残っていて解消に時間を要した。僕的な音楽の座標軸では独墺露仏が上座にあり英米伊は下座になっていた。イタリアの下座はいちぬけたの腑抜け野郎と見ていたからだ。中でもフランスは連合国ではあったがドイツに全土を占領され直接の敵国という印象はなく、好ましい国の最右翼だった。

若い方はクラシック音楽の受容の話と政治の話が混線して戸惑うだろうか。僕の生まれた1955年、昭和30年は終戦後たった10年目、上記サンフランシスコ講和条約に吉田茂首相が調印して連合国占領が解かれ国家として主権が回復してたった3年目だったのだ。安保反対と学生運動で世間は騒然としており、大学生協のガラス越しにゲバ棒で殴り合って学生が死ぬのを見た。生まれるすぐ前まで、7年間も、日本列島に国家がなかったのだということを僕は自分の精神史を通して改めて知る。そして、自分が決めてとったと信じていた行動が実は親父の言葉の影響だったこともだ。僕の世代は戦争を知らない。しかし、実際に戦場で銃弾を撃ってきた父親がそこにいた。そのことがいかに大きかったか。僕らがその後モーレツ社員になって高度成長期を支えたのも時代の空気と無縁でないし、それを若い皆さんにお伝えするのも父の世代からの橋渡しとしての役目と思う。

音楽に戻ろう。フランス音楽の大家といえばクリュイタンス、モントゥー、ミュンシュもいたのにどうしてアンセルメだったのかというと、彼がスイス・ロマンド管弦楽団(スイスのフランス語圏、ジュネーヴを本拠とする見事にフレンチな音色のオーケストラ)と作るDeccaレーベルの音もあった。当時聴いていた自宅の廉価なオーディオ装置でもけっこういい音がして、LPを買って満足感があったという単純な理由もあるだろう。くっきりと即物的でひんやりと冷たいのだが、その割にローカルで不可思議な色香が潜んでいて気品があって、都会の女なのか田舎娘なのかという妖しさが良かった。それに完全にあてられてしまったわけだ。

ドビッシーの素晴らしい「牧神の午後への前奏曲」、これを聴けばアンセルメの醸し出す色香と気品がわかっていただけるかもしれない。

お聴きの通りアンサンブルの精度、木管のユニゾンのピッチがけっこうアバウトだ。ベルリン・フィルならこんな演奏は絶対にしない。しかしドビッシーの牧神はそういう次元で書かれていない。英語で書くならatmosphericであり、霞んだ大気の向こうのようにほわっとしている風情のものがフランスの美学の根幹にあるクラルテとは背反するのだが、この曲をブーレーズのように楷書的に正確に演奏するとアトモスが消えてしまう。アンセルメのアバウトは意図ではないのだろうが、崩れそうで良い塩梅にまとまる妙がある、いわば橋口五葉の浮世絵にある浴衣のいい女というところだ。

フランス料理とその作法はロシアに影響したが、音楽ではロシアがフランスに影響した。こってり系のロシア物をフレンチにお洒落に味付けした演奏は僕の好みだ。マルティノン / パリ音楽院管のプロコフィエフなど好例だ。しかし、アンセルメがスイス・ロマンドと録音したリムスキー・コルサコフの「シェラザード」ほど素晴らしいものはない。余計な言葉は不要だ、このビデオの10分46秒から始まる第2楽章の主題をぜひ聴いていただきたい。

まずバスーン、そして続く絶妙のオーボエ!これがフランス式の管の音色だ。後者の着流しでいなせな兄いのような洒落っ気はどうだ、このフレーズをこんな風にさらさらころころと、然し変幻自在の節回しのアレグロで小粋に吹かせた人は(過去の録音でも同じ)アンセルメしかいない。僕はこれが耳に焼きついていていつも求めているが、レコードでも実演でも、他で聴いたことは皆無である。楽譜をいくら眺めても、こういうフレーズの伸縮や微妙なタンギングのアクセントは書いてない(書けない)。指揮者のインスピレーションの産物であることまぎれもなく、普通の人がやるとあざとく聞こえるものがアンセルメだとR・コルサコフがこう意図したかと納得させられてしまう。いまや僕にとってこの曲をアンセルメ以外で聴く時間も意欲もなく、ほかのCD、レコードは全部捨ててしまってもいいと思っている。

指揮者によって音楽が変わるというがそれは当然であって、皆さんカラオケで原曲とまったく同じに歌えるはずはない。いくら物まね名人でもわかってしまう。それと同じことで、第2楽章の主題をアンセルメとまったく同じに吹かせるのは無理なのだ。指揮者はそこに個性を刻印できるが、奏者にお任せも多いし、いじりすぎて変なのも困る。この第2楽章は何度聴いても唸るしかないウルトラ級の至芸で、何がそうかといえば、つまりはアンセルメの指示する各所の歌いまわしが至極自然でごもっとも、そうだからこそ、そこからにじみ出る気品なのだ。かと思えば、第1楽章では7分51秒から弦と金管がかズレまくる考えられないアバウトさで、ここは高校の頃から気になって仕方なかった。最後の和声もオーボエのミが低い。

このオケのオーボエは上手いのか下手なのか良くわからないが、アンセルメのこだわりの節回しをお洒落に吹くことに関しては間違いなくセンス満点であって、それ以上あんた何が欲しいのといわれれば退散するしかないだろう。このオーボエあってこそのスイス・ロマンドであり、まことにチャーミングでハイグレードであり、同じほど高貴な色香を放つフルート、クラリネット、バスーンにホルンがある。アンサンブルのアバウトなどどこ吹く風、このシェラザードは音楽録音の至宝であって、聴いたことのない方はぜひ全曲を覚え込むまで何度もきかれるがいい。一生の宝物となることだろう。

最後に、そのオーボエの大活躍するラヴェルの「クープランの墓」をどうぞ。やはりアンサンブルはゆるいが、それがどうした。この演奏に満ちあふれるフランスの高貴、ツンとすました気品。やっぱり申しわけないがアメリカじゃダメなんです。いや世界広しといえどもこれに真っ向から太刀打ちできるのは京都ぐらいだろう。若いお嬢様がた、気品というのは内面から出るのだよ、いくら化粧なんかしてもだめだ。こういう音楽をたしなみなさい、きっと身につくから。

 

 

 

 

読響定期(テミルカーノフ指揮)

2018 FEB 17 1:01:02 am by 東 賢太郎

指揮=ユーリ・テミルカーノフ
ピアノ=ニコライ・ルガンスキー

チャイコフスキー:幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」作品32
ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲 作品43
ラヴェル:組曲「クープランの墓」
レスピーギ:交響詩「ローマの松」

ルガンスキーの弾いたアンコール(ラフマニノフ前奏曲作品32-5)が絶美で強烈に印象に残った。僕は彼のラフマニノフ第3協奏曲(イワン・シュピレル / ロシア国立アカデミー交響楽団との旧盤)を最高の録音のひとつと思っている。作品43より3番をやってほしかった。

フランチェスカ・ダ・リミニはあんまりおもしろい曲と思わない。ローマの松はラテン風でなく終曲のエンディングに向けてひたすら音圧が上がる。まあとにかくでっかい音がしますなというシロモノ。クープランの墓。木管がいただけない、オーボエがまずくて集中できなくなってしまったし、フレーズの繰り返しが全部省略というのはなんだ、欲求不満がつのるだけであった。

昨日たまたまyoutubeでクープランの墓をいろいろ聴いており、久々にプレリュードが胸にしみた。これのもたらす心象風景がどこで刷り込まれたのか記憶がないが、僕を虜にする劇薬的な効能がある。量子力学の入門書を読んでいたら物質を作る原子核の周囲にある電子は光が当たると瞬時に位置を変えるとある。その前はどこにあったかわからないが、当るとぱっと動いて物質の性格を変えている(はず)らしい。

プレリュードが聞こえると自分の脳内で電子がぱっと動き、全細胞の電子がある位置に同期していつも同じ風景を錯視させ、同じ恍惚とした気分をもたらす。それがギリシャなのかエーゲ海なのか地中海のどこかかは知らないが、たぶんそのあたりだ。それを現実に見たというより(そんなに何回も行っていない)細胞のどこかにあるずっと遠い先祖の記憶みたいな気すらする。この曲がひょっとして自分の最も好きな音楽であっても文句は言えない。だから自分で弾かなくてはいけないがなかなか手に余る。とにかく難しいのだ。

プレリュードで好きなのはこれだ。イタリア人指揮者ジェルメッティがドイツのオケとは思えないラテン感覚でせまる。この曲はこのぐらいオーボエをはじめとする木管が上手くて色香がないと話にならないのである。セクシーでないラヴェルなんか犬も食わない。

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番 ニ短調作品30

 

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マーラー 交響曲第7番 (N響定期)

2018 FEB 11 10:10:17 am by 東 賢太郎

我が家のノイは、絵画は鑑賞するが抱っこが嫌いである。そこについては十猫十色ではあるが、僕の知る猫は概して好かなかった。人のにおいがつくのを嫌っているのだという説も有力だが、なんといっても百獣の王ライオン様のご親族だ。抱っこは捕まって拘束されて食われてしまうかも知れない姿勢ということで、そんなのは末代の恥だと思っているのではなかろうか。

ところが飼い主である僕自身だって、抱っこではないが長いこと椅子に拘束されて動けなくされるのがまずい。閉所恐怖症でもある。動けない自分というものを意識するとじっとしていられなくなるから周囲を驚かせてしまい、今度はそうなるかもしれないという意識が恐怖になるから手に負えない。だから飛行機、床屋は苦手で、脳ドックの穴倉は生き地獄であり、最近はコンサートまで危なくなってきた。

きのうN響定期で何も見ずにぶらっとNHKホールに行ってみてこれは参ったと観念した。マーラーの7番。しまった、誰かにあげればよかった・・・。

これは群を抜いてだめな曲で、ウィーン・フィルのヴィオラの人が食事の時にマーラーはバーンスタインだよというので彼のを買ってみたが面白くもなんともない。おまけにスポンジが変性してCDがだめになってしまったが買いなおす気力もない。尊敬するクレンペラー大明神でもアウト。90年にロンドンでA・デイヴィス/BBC SOで聴いたらしい(記録がある)、つまりチャレンジする気になったことはあるらしいが、何の記憶もない。ひょっとして最後まで通してまじめに聞いたことないんじゃないかとさえ思う。弟子なのにこれにいっさい手を付けなかったブルーノ・ワルターの慧眼はさすがと思う。

まあ興味のないのはいい。困ったのは休憩なしで1時間半も椅子にしばりつけられてしまうことだ。それに耐えるには関心の持てる曲でないと難しい。マーラー7番で床屋の3倍も長い時間じゃないか、ちょっと自信が持てない、捨てて帰ろうかどうしようか迷ったが、終楽章のアレグロに15小節ぐらい好みのところがあるのを思い出し、そうか、あれを楽しみに待っていよう、それなら気がまぎれるんじゃないかと思い至った。

マーラーはホルンが立って朝顔を上にしたりクラリネットが一斉にはしたなく尻を持ち上げたり、音響の要請なんだろうがなんとも大道芸的で下品だ。紅白歌合戦の小林幸子さながらで、あのまま15番ぐらいまで生きてれば直径5メートルの巨大ドラを鋳造して運命のハンマーで5人がかりでぐわ~んとやったかもしれない。マーラーの下品のお師匠はワーグナーだが、あのバイロイトの劇場という奇天烈なシロモノは、ドイツ王族界の小林幸子、ノイシュヴァンシュタイン城で有名なルートヴィヒ2世の狂った精神の投影である。

従ってきのうも舞台にドラが10個も並んでるかもしれんと心配したが、意外に叩き物、鳴り物は普通だ。ヤルヴィがさっそうと登場し棒をおろす。おおヴィオラがいい音だ。これならいけると期待したが、5分で意識は散漫となり、10分で飛び、数分後に消えた。まずい、イビキをかいてはいけないという自制心がカウベルの催す眠気と退屈を緩和してくれ、バルトークを知る身としてこんなのどこが夜の音楽だという怒りも参加してなんとか1時間もった。

どかどかとティンパニの乱れ打ちで目が覚める第5楽章。やっと来た、よかった。長い船旅で港の明かりが見えた心もちだ。あの部分、おおいいぞ、これだこれだ。

しかしそこから僕には何の感興ももたらさない音の嵐が襲いかかり、節分で雨あられと豆をまかれる鬼の気分になってくる。コーダはお決まりの大騒動で打楽器奏者二人を動員してでっかいカウベルまでこれを見てみんかいと鳴らしまくる。なんだ?大団円の歓喜(かどうか知らないが)に牛まで参加しているという隠喩であろうかと錯乱していると曲は終ってしまう。この楽章、モーツァルトのオスミンを思わせる弦のユニゾンが出てくる。後宮を聴いた皇帝が「音符が多すぎる」と言うとモーツァルトは「ちょうどよい数です」と答えた。マーラーはモーツァルトを崇拝していたのに音がとっても多すぎる。

マーラーファンには申し訳ないが、彼の曲を何度聴いて耳になじんでも、僕は普遍性を感じない。モーツァルトのオペラやベートーベンの交響曲は当時として斬新で、20世紀初頭に現れたマーラー以上にプライベートな着想にあふれ非常に独創的だが、しかし普遍的なのだ。これが宇宙の定理のようなものとするならマーラーは私小説で、作家本人の自伝的要素、告白性がある太宰治や川端康成のようなものと感じる。そういう文学が明治以来の近代小説の主流となったのだから我が国の精神風土は色濃くそういうものということであって、マーラー好きが多いのはわかる気もする。

それがどうのということもないが、純文学という意味不明の言葉とともに僕にはなよなよして苦手なにおいがあり、それがそのままマーラーにも当てはまる。宇宙でも普遍でもない彼の個人のお話だ、出自が貧しかろうと誰と恋に落ちようと死に別れようと僕にはとんと共感がなく、音符や和音や楽器がひとつやふたつ変わろうが抜け落ちようがどうでもいいことに聞こえ、ヨーゼフ2世にああいわれても「ちょうどよい数です、陛下」とは言い返せなかったのではないかと思う。自然界に無駄はない。あるのは人間の精神にだけで、メタボの腹みたいにぶよぶよで不健康な感じがする。

モーツァルトが誰と恋に落ち死に分かれたかに僕は多大の関心があるが、それは彼が自分の痴話話を持ち込まない宇宙の真理のように澄みわたった音楽しか書かない人だからだ。痴話話を題材とした音楽しか書かない人間に僕は関心のもちようがないのだから、その人の痴話話ともなると、きいたこともない芸人の浮気話未満である。学生のころ太宰治をダザイと呼んで「人間失格」がわからんと一人前じゃないみたいないやらしい空気があって、そういうことをぬかすやつはだいたいが似合わない長髪で薄汚く、フォークなんて気絶するほどくだらないのを音楽と思って自尊心に浸れる程度のかわいそうな男だった。

ああいうものの主人公はだいたいが虚弱な秀才で自虐的で気弱で自堕落で酒や薬や女におぼれ、馬鹿馬鹿しいほど判で押したように肺の病気で(肺をやるというイディオムすらある)喀血したり自殺を試みたりするが、そんなに肺をやる人が多かったとも思えないしもとから危なげな浮浪者がそんなことしても小説にならないのであって、書いてる本人が帝大なものだから許されて、これ実は俺なのよ、ちょっと知的なマゾだろみたいな気色悪さに満ちあふれる。したきゃ勝手にしろよ、このオカマっぽいステレオタイプと面倒くさい共感の強要は何なんだとおぞましいばかりで新興宗教に近く、はっきり言って吐き気がするほど大嫌いであり、マーラーがそうであるわけではないのだがどうしてもそのイメージが被ってしまう。

N響はとても良い演奏をした。ヤルヴィは脂がのっているしヴァイオリンもピッチが良かった。この曲、ひょっとしてマーラーはどれもかもしれないが、オケには顕著にやり甲斐がある風に見える。我が国の管はブラバン出身の人が多く、大勢が呼ばれてばりばり吹けるマーラーはそういう事情からもアマオケで人気があると聞いた。ブルックナーでもいいのだが、声楽が多く入るから合唱団の関係者にチケットがさばけて更にありがたいという動機もある。それが年末の第九祭りの真相の一端でもあるがそれはサプライサイドのマーケティングだ、そんなのでアートをしてはいけない。聴く側には詮無いこと、僕にはまったく困ったことである。

 

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ベンチャーズ 「アウト・オブ・リミッツ」

2018 FEB 4 13:13:37 pm by 東 賢太郎

2012年9月にブログを始めたが、5年で訪問数が100万になった。ところがさっき見たらそこから3か月で30万も増えている。ペースが変わってる。なんだかよくわからないがネットの趨勢は予想だにつかないもので、このまま10年やったら凄いことになりそうだ。

年をとればとるほど速くなるものなんてあるだろうか?ジジイになれば体の動きも頭の回転も、やることなすこと万事が遅くなるのだ。世の中で速くなるのは時の流れだけで、それがまた損した気がする。訪問数が加速度的に速くなるのはそれをオフセットしてくれるようで、なんだか意味もなく貴いと思う。

サンフランシスコのリッツ・カールトンで、夜中に目が覚めてしまったのでTVをつけると昔懐かしい「トワイライト・ゾーン」をやっていた。なぜか日本ではミステリー・ゾーンだったが、未知の時空に入り込む扉(ドラえもんのどこでもドアの元祖か?)が怪しげであった。日本での放映は1961-67年でちょうど僕の小学校時代に重なる。

ホテルで観たタイトルはKick the canで、老人ホームの爺ちゃんが子供の「缶けり」をやってみよう、若返れるよと言いだすが周りの爺い婆あは信じない。ところがやってみると子供になっちまう話だ。これは60年初めの放送だが監督はまだ10代のスピルバーグだった。

ちなみにこのイントロを我がザ・ベンチャーズが得意の編曲でやっていてVentures in space(ベンチャーズ宇宙に行く)というLPアルバムの最後にあった。時は昭和39年、米ソの宇宙開発競争が話題だった。東京オリンピックはその年だったのか。東名高速ができ新幹線が開通し、科学が人類のフロンティアを広げつつある実感が我が国でも細々とあったが僕の関心は空の彼方にあった。それを掻き立ててくれたのがベンチャーズであり、フロンティア精神のアメリカだった。やがて大学時代に2度、留学で3度目のアメリカが待っていた。そして還暦を過ぎてまた。今日はVentures in space(ベンチャーズ宇宙に行く)を小学生にかえってつづってみたい。

このアルバムはマニアしか買わなかったろうが僕は発売同時に親父にせがんで擦り切れるほど聴いた。精一杯に薄気味悪いサウンドを作ってるのが甲斐甲斐しい。これのコピーとも思しき曲が次のアウト・オブ・リミッツ(境界の外)だ。これはそれなりに名曲と思う。境界はぶち破るものなのか?どこでもドアがどこかにあるのか?わからなかったが、家は貧しかった。それでも微塵も気位を枯らさなかったのは母のおかげだが、ぶち破る道を示してくれたのは父だった。

ドラムなしでクラシックな転調を交えて不気味さを描くfear(恐怖)はベンチャーズの新路線を思わせた。僕は魅入られたがダイヤモンドヘッドのテケテケにしびれてた若者には受けなかったんだろうなあ。

Exploration in terror(恐怖の探検)という題名がそそる。想像がたくましくなる。宇宙探査はきっと飛行士も怖いんだろう。おいおいなんじゃこのオドロオドロしいシンバルの音は!?き、奇っ怪な、ものどもであえ!と身構えると、お気楽にゴキゲンなベンチャーズサウンドが。あれ~、喜劇的拍子抜け感が楽しめる佳曲だがベースの入りの音程が(意図的か?)はずれて異常感があるのと終わってみるとシンバルがまだ鳴っていたのが悲しい。

The fourth dimension(四次元)。これまたそそる。そんなものを器楽でやろうと思うこと自体が理系的で、文系的なビートルズには考えられない。小学生なりに大いに期待したのだが、しかし4拍子はダサいわな。3,4種類のコードじゃ無理だわな。志はともかく、とても文系的であった。

He Never Came Back(彼は帰ってこなかった)。そうか宇宙探査中の事故死か・・・、かわいそうに・・・。ところがなんとクソつまらないドラムスが入り、断末魔の悲鳴が響いて一時の期待をかきたてるものの、何も起こらぬままにクソつまらないロックンロールで終わる。彼はどうなったんだ?謎の曲だ。

The Bat(こうもり)。夕方になると多摩川にこうもりはたくさんいた。確かに滅茶苦茶に飛んでこっちも落ち着かない。これを覚えた僕はJ・シュトラウスのそれに入れなくて困った。ベンチャーズは意図的に音程をずらしてバルトークの四分音みたいな効果を出している。船酔い感が衝撃だったが「四次元」のほうでこれやればいいのにね。

War of the Satellites(衛星の戦争)。衛星に宇宙人でもいたのだろうか。わけわからないが初めのピコピコはエコーが効いてなかなかカッコいい。しかしこれまたあとがいけない。漫画だ。漫画少年だったが僕は月光仮面とかウルトラマンとか、ああいうのはみっともないと思ってた。月光仮面のおじさんはって、お兄さんじゃないのかよ、なんでおじさんなわけ、なにもおでこに三日月はらなくてもいいのに、スクーターってのもだせえな。そんなのを思い出してしまう戯画ロックだ。

Penetration(貫通)。意味不明だがアルバムタイトルのLimits(境界)を突き抜けていくイメージなんだろう。正調のベンチャーズ・アレグロ・サウンドである。最後の方に重なるスチールギター?の音程が低い。これは当時から気になっていたが。

Love Goddess of Venus(金星の愛の女神)。ヴィーナスというのは女神ウェヌスの英語読みで、いちいち言わなくても愛の女神である。やさしい曲想は殺伐、荒涼としたアルバムの一服の清涼剤だが無学のお兄ちゃんにはこの唐突感わからねえだろうな、クレーム来てもいかんなと気を回したごときタイトルである。するとその of は皆さん中学で習った「同格のof」ということになるが僕は所有格と思っていて、金星にはいろんな神がいるんだ、男も女も、愛じゃないのもという理解ができてしまったから迷惑なこった。よく考えると一神教と矛盾するから誤りとわかるのだが、しかし、Love GoddessというからにはGodもLoveじゃないのもいるしそれは of のせいでないこともわかる。そこで調べるとウェヌスは多神であったローマの神だったという決着ですっきりするのである。ちなみにカエサルはウェヌスの子孫を語っているから神は生身の存在だったわけで我が国の天皇の神性の由来に似ている。聖徳太子も馬小屋で生まれたりする。古事記、日本書紀を書いた者が何でもありの多神教ローマを厳格な一神教ユダヤ教でなく慈しみのキリスト教で治めた事実を知る者であった可能性を僕は見る。

ベンチャーズの女神はウェヌスというより加山雄三であるが。

こういう音楽が東京オリンピックで目が世界に開けた日本で、そして和泉多摩川の団地にあった狭い我が家で毎日のように鳴っていた。アウト・オブ・リミッツ(境界の外)は僕のめざすところ、突き動かすエネルギーともなった。結果として大幅に外に出た気もするがまだまだ突破すべき境界がある。そんなのじゃだめよと母の声も聞こえる。サンフランシスコのひょんなことでこのアルバムを何十年ぶりに聞いてしまったが、これが魔法のKick the canだとうれしいなあ。

2018年2月4日

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フォーレ「マスクとベルガマスク」作品112

2018 FEB 3 13:13:01 pm by 東 賢太郎

僕は料理と音楽は本来がローカルなものと思っている。ブイヤベースはマルセイユで、チョリソはマドリッドで、ボッタルガはサルジニア島で、麻婆豆腐は重慶で、天九翅・腸粉は廣州で、ビャンビャン麵は陝西省で、カルボナーラはローマで、グラーシュはブダペストで、鮒鮨は湖東で、真正に美味なものをいただいてしまうともういけない。腸粉とはワンタンの春巻きみたいな飲茶の一品で下世話な食だから東京の広東料理店で出てこないが非常にうまい。

チャイニーズは地球上最上級の美味の一部と確信するが、中華料理などというものはない。地球儀の目線で大まかに括ればユーラシア大陸の北東部の料理という程度のもので、同じ目線でヨーロッパ料理と括っても何の意味も持たない。少し狭めて北京料理はどうかというと、内陸だから良好な食材はない。ダックは南京からサソリは砂漠からくる。貴族がいるから美味が集まった宮廷料理であって、我が国の京料理と称されるものの類似品だ。

中華といわれるのは八大菜系(八大中華料理)の総称で、八大をたぐっていけば各地のローカル料理に行きつく。それを一次加工品とするなら京料理や北京料理は二次加工品であって、大雑把に言うならヨーロッパ料理のなかでルイ王朝の宮廷料理として確立したフランス料理はイタリア料理を一次加工品とする二次加工品だ。少なくとも僕の知るイタリア人はそう思っているし歴史的にはそれが真相だが、パリジャンは麺をフォークに巻いて食うなど未開人と思っている。畢竟、始祖と文明とどっちが偉いかという不毛の戦いになるが、イタリア料理と僕らが呼ぶものが実は中華料理と同様のものだとなった時点でその議論も枝葉末節だねの一声をあげた人に軍配が上がってしまうのだ。

インドカレー伝(リジー・コリンガム著、河出文庫)を読むと、インドにカレーなどという料理はなく、それは英国(正確にはロンドン)のインド風(起源)料理(二次加工品)の総称であり「400年にわたる異文化の衝突が生んだ(同書)」ものとわかる。食文化というものはローカルな味の集大成であって、その進化は富と権力の集まる都市でおこるとは言えるのだろう。しかし、世界有数の都市である東京に洗練された食文化はきっとあるのだろうがそこで育った僕が山形の酒田で漁師料理を食ってみて、長年にわたって刺身だと思ってきたあれはなんだったんだと軽い衝撃を覚えるわけだ。

海外で16年暮らしていろんなものを食べ歩き、食を通じて経験的に思うことは、文化というものはなんであれローカルな根っこがあってそこまで因数分解して微視的に見たほうが面白いということだ。美しいとまでいうべきかどうかは自信がないが、素数が美しい、つまり同じ数字だけど「100,000」より「3」が好きだと感じる人はそれもわかってくださるかもしれない。素数が 1 と自分自身でしか割れないように、刺身は割れない。一次加工されていても大きな素数、23、109、587の感じがする鰹昆布ダシ、魚醤のようなものがある。割れないものは犯しがたい美と威厳を感じる。

咸臨丸で来たちょんまげに刀の侍一行の隊列を初めて目にした当時のサンフランシスコの新聞がparade with dignityと賞賛しているのはそれ、割れない美と威厳だったろう。いつの間にかそれがカメラと眼鏡がトレードマークのあの姿に貶められてしまうのは相手のせいばかりではない、敗戦を経て我々日本人が信託統治の屈辱の中、割れてしまった。アメリカに尻尾を振ってちゃらちゃらした米語を振り回して仲間に入れてもらって格上の日本人になったと思っている、そういうのは米国人でなくても猿の一種としか見ないのであって、dignityなる語感とは最遠に位置するものでしかない。

音文化である音楽というものにもそれがある。ガムランにドビッシーが見たものは「割れない美と威厳」だと僕は思っている。ワーグナーがトリスタンでしたことは「富と権力の集まる都市でのローカルな味の集大成と進化」であって、ドビッシーはそこで起きた和声の化学変化に強く反応し、やがて否定した。彼は素数でない領域で肥大した巨大数を汚いと感じたに違いない。だからガムランに影響されたのだ。音彩を真似たのではない、本質的影響を受けた。ワーグナーやブラームスやシェーンベルクにあり得ないことで、この議論は食文化の話と深く通じている。

先週行ったサンフランシスコのサウサリート ( Sausalito、写真 )がどこかコート・ダ・ジュールを思わせた。モナコ、カンヌ、ニースの都会の華やぎはなくずっと素朴で質素なものだけれど、なにせ暫くああいう洒落た海辺の街にご無沙汰している。

どこからかこの音楽がおりてきた。ガブリエル・フォーレの『マスクとベルガマスク』(Masques et Bergamasques)作品11274才と晩年のフォーレは旧作を大部分に用いたが、後に作品番号を持つ旧作を除いた「序曲」「メヌエット」「ガヴォット」および「パストラール」の4曲を抜き出して管弦楽組曲に編曲している。

第3曲「ガヴォット」および第4曲「パストラール」はその昔、学生時分に、何だったかは忘れたがFM放送番組のオープニングかエンディングに使われていて、僕の世代ならああ聞いたことあると懐かしい方も多いのでは。当時、憧れていたのはどういうわけかローマであり地中海だった。クラシック音楽を西欧の窓口として聴いていたのだから、そういう回路で番組テーマ曲が思慕するコート・ダ・ジュールに結びついて、記憶の番地がそこになってしまったのだと思うが、しかし、ずっとあとで知ったことだが、この作品はモナコ大公アルベール1世の依頼で1919年に作曲され、モンテカルロで初演された生粋のコート・ダ・ジュール産なのだ。

地中海、コート・ダ・ジュールにはマルセイユ、ニース、モンテカルロにオーケストラがあるが、カンヌのクロード・ドビッシー劇場を本拠地とするL’Orchestre régional de Cannes-Provence-Alpes-Côte d’Azur(レジョン・ド・カンヌ・プロヴァンス・アルプ・コートダジュール管弦楽団 )のCD(右)をロンドンで見つけた時、僕の脳内では音文化は食文化と合体してガチャンという音を発してごしゃごしゃになり、微視的かつマニアックな喜びに満ちあふれた。

ここに聴くフィリップ・ベンダーという指揮者は2013年に引退したそうだがカンヌのコート・ダ・ジュール管弦楽団(なんてローカルだ!)を率いていい味を出している腕の良い職人ではないか。田舎のオケだと馬鹿にするなかれ、僕はこのCDに勝るこの曲の演奏を聴いたことがない。第4曲「パストラール」は74才のフォーレが書いた最高級の傑作でこの曲集で唯一のオリジナル曲だ。パステル画のように淡い色彩、うつろう和声はどきりとするほど遠くに行くが、ふらふらする心のひだに寄り添いながら古雅の域をはみださない。クラシックが精神の漢方薬とするならこれは鎮静剤の最右翼だ。この節度がフォーレの素数美なのであって、ここに踏みとどまることを許されない時代に生まれたドビッシーとラヴェルは違う方向に旅立っていったのである。

こう言っては身もふたもないが、こういう曲をシカゴ響やN響がやって何の意味があろう。ロックは英語じゃなきゃサマにならないがクラシック音楽まで英語世界のリベラリズムで席巻するのは勘弁してほしい。食文化でそれが起きないのは英米の食い物がまずいからだと思っていたが、音楽だって英米産はマイナーなのだから不思議なことだ。これは差別ではないし帝国主義でも卑屈な西洋礼賛とも程遠い、逆に民族主義愛好論であって、文在寅政権が危ないと思っているからといってソウルの土俗村のサムゲタンが嫌いになるわけでもない。なんでもできると過信した薩摩藩主・島津斉彬が昆布の養殖だけはできなかったぐらい自然に根差したことだと僕は思っている。

じゃあN響はどうすればいいんだといわれようが、それは聴衆の嗜好が決めること。僕のそれが変わるとは思えないが多数の人がそれでいいと思うならフランスから名人指揮者を呼んできて振ってもらえばいい。相撲はガチンコでなくていい、場所数が多いのだからそれでは力士の体がもたないだろう。だから少々八百長があっても喜んで観ようじゃないかというファンが多ければ日本相撲協会は現状のままで生きていけるが、オーケストラも相撲と同じ興業なんだとなれば僕は退散するしかない。音楽は民衆のものだが、お高く留まる気はないがクラシックと呼ばれるに至っているもののお味を民衆が楽しめるかどうかとなると否定的だ。相撲が大衆芸能であるなら一線が画されてしまう。「割れない美と威厳」を感じるのは無理だからだ。

余談だがシャルル・デュトワがMee tooでやられてしまったときいて少なからずショックを受けている。訴えが事実なら現代の社会正義上同情の余地はないが、日本で聴いた空前絶後のペレアスを振った人という事実がそれで消えることもない。日本のオケでああいうことのできる現存人類の中で数人もいない人だ、日馬富士が消えるのとマグニチュードが違うといいたいがそう思う人は少数なんだろう。エンガチョ切ったの呼び屋のMee tooが始まればクラシック界を撃沈するムーヴメントになるだろう。いいシェフといい楽士は貴族が囲っていた、やっぱり歴史には一理あるのかもしれない。

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トスカニーニの戦力外通告

2018 JAN 20 3:03:53 am by 東 賢太郎

人間だれしも年齢には勝てません。メジャーリーグのイチロー、上原、NPBの元巨人の村田など見ているとまだまだできると思うし本人たちには強く思う所があるでしょう。実業界では経験値などと言ってトシをプラス評価してくれますが、スポーツは興行の意味合いもあって若いスターを求める傾向もあるから仕方ないことなのでしょうか。

経験値が最も意味を持つ職業のひとつが指揮者でしょう。90歳でもかくしゃくと棒を振ったストコフスキーや朝比奈隆が会社のCEOも務まったかというとまず無理と思います。僕は80まではやりたいと願うものの、どこかで衰えて戦力外通告の時期が来ます。必ず。しかし大株主でもあるから僕を首にできる人はおらず、会社のために自分で戦力外通告をしなくてはなりません。これはなかなか難しそうです。

指揮者はぎりぎりまで現役で、ある日突然キャンセルになってというパターンが多いようですが、振ってる最中に自分で戦力外通告を出した人がいます。アルトゥーロ・トスカニーニです。1954年4月4日、カーネギーホール。曲目はタンホイザー序曲でした。これがその実況の記録です。

バッカナールの終盤でトスカニーニは記憶を失って指揮棒が止まり、音楽はカオスになってしまい、ラジオ放送は中断してアナウンスとともにブラームスの第1交響曲が流れたそうです。この衝撃的な録音は生々しくその「事故」を伝えています。これにショックを受け彼は引退を決意したと言われ二度と舞台には登りませんでした。

このコンサートのリハーサルはこうでした。おっかなかった。この人の棒が錯綜してきて止まってしまったらオケは誰を見ていいかわからないでしょう。それでも音楽は止まらなかったのは大変なことですね。

タンホイザーの後のプログラム、マイスタージンガーはお聴きの通り見事な演奏なのです。まだできる。これが男の引き際なのでしょう。

トスカニーニが自分のオーケストラNBC交響楽団を振らせて後継者の期待を寄せたグィード・カンテッリはこの演奏の2年半後に飛行機事故で亡くなります。死の床にあったトスカニーニにはカンテッリの訃報が知らされず、その2か月後にトスカニーニも後を追いました。


僕にとってトスカニーニは音楽の師であり、特にベートーベンの交響曲の真価は彼によって教わったという思いが強くありました。あれだけ強靭で男性的な音楽は他に絶対にないと感じました。それだけに問題のタンホイザー録音はちょっとしたトラウマになり、滅びゆく者の美すら感じたのです。息子と二人でイタリア旅行した時に、ミラノでガイドさんにまずお願いして連れて行ってもらったのがトスカニーニのお墓だった(左)のはそういう深いわけがありました。

 

 

いやあ辛気くさくなっていけません。同じコンサートの「ジークフリートのラインの旅」です。素晴らしい!なんて輝かしい未来を感じさせてくれる音楽なんだろう!一気に若者だ!

 

 

ベートーベン交響曲第1番の名演

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ブリテン 青少年のための管弦楽入門 作品34

2018 JAN 14 16:16:47 pm by 東 賢太郎

今は知らないが、僕のころ子供向けとされたのがこれと「ピーターと狼」、「動物の謝肉祭」である。近い世代の皆さんはきっと音楽の授業で聴かされたはずだ。英国の作曲家ベンジャミン・ブリテンがBBCの音楽教育映画 “Instruments of the Orchestra” (オーケストラの楽器)のために1945年に作曲したもので、The Young Person’s Guide to the Orchestra – Variations and Fugue on a Theme by Purcell(青少年のための管弦楽入門 – パーセルの主題による変奏曲とフーガ)が作品名である。

クラシックを鑑賞するにはオーケストラの楽器を知ることが必須だ。この曲は子供に覚えさせるには良く書けていて、ほぼ全部の楽器の異なる音域の音色、典型的なフレージングをシステマティックに暗記できるだろう。しかし僕はこの曲のお世話にはならなかった。中学の音楽の授業。曲は出だしがえらい格好良く(ヘンリー・パーセルの主題)これはいいぞと思わせるが、そこからが高級?すぎてよく理解できなかった。曲想を覚えられず、ティンパニでド・ミ・ソが出るのはわかったが、だからどうしたのだった。

これが原曲のヘンリー・パーセルの劇付随音楽『アブデラザール』の「ロンド」の主題による変奏曲とフーガである。

「パーセル(Henry Purcell、1659 – 95)は英国を代表する作曲家だ」

「へえー」

「この主題、どうだ、いいだろう?ドイツ人じゃないぞ英国人の作品だよ、それも J.S.バッハ、ヘンデルより26才も年上の人なんだぞ」

「そうなんだ、でもそれなのにどうして英国にはモーツァルト、ベートーベンが出なかったの?」

「いい質問だね、いいかい歴史はね、最後に勝てばいいんだよ」

「どうして?」

「勝った者が歴史を書くからさ」

 

この音楽を言葉で書くとそういうことになる。

 

パーセルの主題で始まる

ブリテンのオリジナルな主題が提示される

パーセルの主題とブリテンの主題の二重フーガに移行する

パーセルの主題が回帰して堂々たる終結となる

 

歴史は書かれた。自国の子供たちに知識だけでなく誇りも希望も与える。これが本物の智者である。

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読響定期・ブルックナー6番

2018 JAN 14 9:09:29 am by 東 賢太郎

指揮=シルヴァン・カンブルラン
クラリネット=イェルク・ヴィトマン

ブリテン:歌劇「ピーター・グライムズ」から”4つの海の間奏曲”
ヴィトマン:クラリネット協奏曲「エコー=フラグメンテ」*日本初演
ブルックナー:交響曲 第6番 イ長調 作品106

ヴィトマンが良かった。クラリネット奏法の極致を見る。443Hz、430Hzとピッチの異なる弦楽器群の対照がありすべての楽器のソノリティに微細なピッチへの神経が通う。ギター、バンジョー、アコーデオン、リコーダー、ナチュラルホルンが入り、シンバルを弦の弓で弾くなど特殊奏法の嵐でもあり、微視的な音彩をちりばめているが静けさを感じる部分が印象的だった。ヘンツェの影響も感じる。素晴らしいものを聴いた。

ブリテンもピッチが良く透明、この曲はそれが命だ。これはバーンスタインが得意としていた曲だったのを思い出す。第1曲の「夜明け」はラヴェルのダフニスとまた違った印象派風の雰囲気で完全な和声音楽だが調性は浮遊した感がある。嵐のティンパニは好演。管弦楽法はカラフルだがカンブルランの色の出し方は節度がありターナーの絵の如く淡い。気品あり。

ブルックナーの6番。これは散漫になりがちな曲であまり名演と思うものに接していない。録音ではヨッフム/バイエルン放送響とカイルベルト/ベルリン・フィルを聴いているがスコアの響きが地味なだけに味を出すのが難しいと思う。今日は弦がいつもより木質感があり管とのブレンドも良く、筋肉質でシンフォニックな造りにふくらみを与えた名演だった。カンブルランにブルックナーのイメージはなかったが、ドイツ保守本流とは違う硬派路線で聴かせるものがある。1-3番あたり面白そうだ。

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オネゲル 交響曲第3番「典礼風」H.186

2018 JAN 10 7:07:28 am by 東 賢太郎

ニューイヤー・コンサートはヒットラーが始め、ワーグナーも宣伝に使われました。国歌がコンサート・プログラムにならないように、政治と音楽は水と油と思います。音楽は幸福や歓喜だけを描くものではなく、苦悩、怒り、悲嘆、安寧、諦め、恐怖、憧憬、奮起、嘲笑、夢想、欲望、神性などあらゆる人間の心の有り様を想起させる力があります。表面的には戦争を描いたようにきこえるショスタコーヴィチですが、吐露したのは怒り、恐怖、嘲笑でしょう。

昨年の漢字は「北」でしたが、困ったちゃんとトランプの駆引きにやるせない殺伐とした気配を感じる年でした。それに反応して僕の脳裏にいつも浮かんでいた音楽が、アルテュール・オネゲルの交響曲第3番「典礼風です。知らない方もおられるかもしれませんが、ぜひこの名曲中の名曲になじんでいただきたい。素晴らしい交響曲というのにとどまらず、オネゲルがこれを作曲した当時と現状と、人間というのはなんと変わらないものか、歴史は繰り返すのかということを悟っていただけると思うからです。

この作品の初演は1946年8月17日にチューリヒでシャルル・ミュンシュが指揮していますが、ということは作曲は第2次大戦末期です。平和をニューイヤー・コンサートにラップして偽装したヒットラーの末期はこの曲の第1楽章「怒りの日」に現れています。スイスは永世中立国だから軍隊とは無縁と思われるかもしれませんが、独仏伊の3強国に囲まれたこの国はそれを宣言すれば安全と思うほどボケていません。スイスはれっきとした武装国で徴兵があり、ボーデン湖に潜水艦まで保有しています。平和憲法があれば安全などとまじめに思っている人は壮絶な殺し合いの世界史に無知蒙昧というしかありません。

オネゲル(1892年3月10日 – 1955年11月27日)はフランス六人組の一人とされますがスイス人です。第1次大戦に従軍しています。僕が野村スイスの拠点長をしていた1996年に発行された忘れもしない第8次のスイス・フラン紙幣の20フラン札(下)を見て、彼にそそがれる誇りの眼差しを感じました。とても懇意で母、家族まで自宅に招いてくださったスイス連銀総裁のツヴァーレンさんに、素晴らしいお札ですとオネゲルの音楽への賛辞をこめて申し上げると嬉しそうにされていました。

凄惨な第2次大戦が唯一人類史に貢献したのはこの交響曲の第2楽章「深き淵より」(De profundis clamavi )が迫真の「平和への希求」をもって生まれたことでしょう。この驚くべき楽章はショスタコーヴィチの第5番の第3楽章と並ぶ20世紀最高の緩徐楽章でしょう。この2曲のピアノ譜が手元にないのがいけませんね。ショスタコーヴィチは生涯に3曲だけ他人の作品のピアノ連弾譜を残していて、ストラヴィンスキーの詩篇交響曲、マーラー交響曲第10番、そしてオネゲルの3番なのですが、プラハでこれを聴いて「思想の重要性と情緒の深さをめざしている点で光っていた」と評しています。どうしても手に入れたい。

まずは全曲をその編曲版で。スコアの骨格を知るにピアノ版ほど便利なものはありません。2台のピアノの為のソナタとしても一級品であります。

 第3楽章は、あえてそう書いた「馬鹿げた主題の行進曲」で開始しますどっかの国の恥ずかしいほど歩調が合った行軍を連想しながら聴いてはどうでしょう。ここは似たことを5番で試みたショスタコーヴィチが共感したでしょう。オネゲルはこう語っています。

「私がこの曲に表そうとしたのは、もう何年も私たちを取り囲んでいる蛮行、愚行、苦悩、機械化、官僚主義の潮流を前にした現代人の反応なのです。周囲の盲目的な力にさらされる人間の孤独と彼を訪れる幸福感、平和への愛、宗教的な安堵感との間の戦いを、音楽によって表そうとしたのです。私の交響曲は言わば、3人の登場人物を持つ1篇の劇なのです。その3人とは、「不幸」、「幸福」、そして「人間」です。これは永遠の命題で、私はそれをもう一度繰り返したに過ぎません…」(ベルナール・ガヴォティのインタビューに答えて)

何と直截的に現代の世相を言い当てていることか、何と我々は1945年と同じ状況に生きていることか、ぞっとしませんか?愚者が刃物を持っています。あれと同じことはひとつ間違えればいつでも起きる。行進曲は文明が生んだのです。愚者を眺めるオネゲルの嘲りと侮蔑はショスタコーヴィチほど辛辣でも激烈でもないけれど、スイス人の彼には馬鹿に応援ソングを書いてやる必要はありませんでした。から騒ぎで終わらせざるを得なかった5番と違い、彼の3番は典礼風にホ長調で静まり、鳥が天国の至福を囁きながら虚空に消えて行くのです。

 

エヴゲ二・ムラヴィンスキー / レニングラード管弦楽団 

この刃物のように鋭利で氷のように冷ややかなタッチの名演なくしてこの曲の真価を知ることはありませんでした。ピッチ、アゴーギクへの微視的執着。ブラスの原色効果。木管の細かな経過句にまで宿る命。打楽器の強烈なアジテートから静謐な霧の彼方に消えてゆく衝撃さえ感じる後光のような終末の和音!ライブでこれだけ徹底管理下での緊張感でとんがった演奏はもはや世界のどこでも聴けない。どうしてだろう。気骨のある若手が突っ張ってオケを締め上げてみれば面白いのにと思うが、パワハラだブラックだって言われちゃうんでしょうね。女性には目つきがセクハラだなんて。和気あいあいの指揮者からこういう音は出ません、絶対に。ひとつの文化の死滅ですね。

 

ヘルベルト・フォン・カラヤン/ ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

ナチス党員だった指揮者がこれを振る。それってヘイト・スピーチしてたやつがハンセーンって叫ぶみたいなものか。しかしこのライブは3番がこれでいいんだっけというほど美しい。御託を並べる気力も失せるほどうまい。1969年のスタジオ録音もありますがこれは最晩年となった84年12月12日ベルリン・フィルハーモニーでの演奏会(後半にブラームス1番をやった)。一発勝負の気迫でそれでもスタジオと変わらぬほどビシッと合ってしまう。録音も見事にあのホールの感じをとらえています。ムラヴィンスキーのぴりぴりは薬にしたくてもないが、カラヤン・BPOが編集の作り物でなくこんな本物感のある壮麗な響きだったことが実証されています。

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ウィンナワルツこそクラシック音楽

2018 JAN 9 0:00:37 am by 東 賢太郎

ウィーンは5,6回は行っていて、敬愛する作曲家たちが生活した空間に感動してきた。パリやミラノでも音楽家の足跡は多くあるが、それは大都市には探せばそういう場所もあるさという存在だ。街のほうが音楽家の足跡のなかに形成されたかのようなウィーンとはちがう。その抜き差しならない関係は、もしも京都から寺社仏閣がすべて消え去ったとしたらそこは京都に見えるだろうかというのとほぼ近いだろう。

ニューイヤー・コンサートを始めたのはナチスであるのは有名だ。併合したオーストリアの市民にお楽しみを供して気をそらすためだが、ヒットラーがユダヤ人のJ・シュトラウスを使ったのは彼もそのワルツが好きだったからだ。しかし政治利用が生んだという生い立ちの是非はともかく、僕は二ューイヤー・コンサートの存在そのものに何がしかの違和感を覚えてしまう。それがウィーンらしさの象徴ならばその点においてウィーンがあまり好きではないことになる。

ワルツは舞踊のBGMだ。僕の通った小学校には「舞踊」という教科があってダンスの真似事みたいなものを習った(嫌いだったが)。欧州ではあれは一人前の男のたしなみでウィーンでは市民も踊れて当たり前のようだが、元々は貴族のものでモーツァルトも1791年に宮廷舞踏会用の「12のドイツ舞曲」を書いている。最後の大事な年に何もこんなつまらないBGMを書くことないだろうと思うが、彼はグルックの後任の「宮廷音楽家」でそれがお仕事だったのだ。

J・シュトラウス父子の時代になると踊りは貴族だけでなく富裕な市民階級のものにもなった。舞踊のBGMだったのだと実感するのはあのウィンナワルツ独特の三拍子のゆらぎだ。踊ってみればわかる。ズンチャッチャの1拍目が強くて2拍目が長いのは、まず男は右足を踏みこんで(ズン)、次に左足を前に出して左に直角に移動しなくてはならない。移動距離は2倍になるのだから2拍目を長くしてチャ~ッチャにしてあげないとワルツは踊りにくいのである

この制約条件を逆手にとり、むしろ売りにしてブランド化してしまい美しく青きドナウのような傑作を生んだシュトラウス2世の才能はブラームスやシェーンベルクもうらやんだ。魅力ある旋律で易々と大ヒットを飛ばしてしまうのだから、難しいことを苦労してる俺たちは何なのだとなって不思議ではない。しかし、あのニューイヤー・コンサートはそのシュトラウスも人間で限界があったことを教えてくれる。

僕にとってあれは、その後は何年もお蔵入り確実の最後から3番目までの曲を耐え忍ぶがまん大会である。会場の人達は楽しいのかもしれないがTVではバレエや馬なんかが出てくるともうだめだ。誰も知らない曲なんだけどけっこういいでしょみたいな押し売り感が不快であり、事実いいと思ったのはひとつもない。著名指揮者を呼んでくるが、誰が選ぼうがどう振ろうが、二級の曲に救いの道は存在しないのである。

ウィーンというのはモーツァルトやマーラーをいじめといて流行ってくると俺のもんだというドラえもんのジャイアンみたいなところがある。パリと京都も似たもん同志だが、パリはさすがにショパンをフランス人とは言わないしフレンチカンカンを世界に放映して新年に乾杯みたいな恥ずかしいことはしない。そういうのをやってしまうのがウィーンだ。

ついでだが食についても、あくまで好みの問題だが僕はウィーン子が誇るシュニッツェルをうまいと思ったためしがない。共産主義時代のチェコで肉団子ばかり食わされて辟易したが、「赤いハリネズミ」でブラームスやブルックナーのお気に入りだった名物の団子もあんなものだろう。そんなのを食ってた人がどうしてあんな曲をというのは世界の七不思議としかいいようがない。

ウィンナワルツは今となると何となく踊ってみたいという気こそすれ、ウィーンで2時間も席にしばりつけられてどう美点凝視してもくだらない曲に偽善の拍手するあの光景なんざ、音楽を知らない田舎もんの鹿鳴館さながらだ。シュニッツェルも団子も、まずいんだから仕方ない。クラシック音楽鑑賞というのは馬が踊るニューイヤー・コンサートを愛でることであって、そういうのが不快だから僕は小学校の音楽の授業中に窓から逃げた。

その一方で48年たっても嗜好が微塵も変化してないものがある。youtubeにアップしたLPおこしのブーレーズの春の祭典に、

Thank you so much, 東賢太郎, for posting this. Great sound! It ranks, along with Stravinsky’s conducting the NYP in 1940 and the Columbia Symphony in 1960, as a reference recording.

というコメントをいただいた。

Thank you, Franklin, for comment. I’m very pleased to know you enjoyed the sound by which I was deeply impressed as a high school boy. This was a trigger for my 50 years’ devotion to classical music.

とすぐに返事をした。これをわかってくれる人が世界にはいるんだという喜びは何物にも代えがたい。

Great sound!

そうか!とまた聴いたが、耳がはりついて3回くりかえした。僕はこのLPをビートルズのサージャント・ペッパーズ、アビイ・ロードと同じノリで聴いていた。クラシック音楽鑑賞とは呼びたくない。

 

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