Sonar Members Club No.1

カテゴリー: クラシック音楽

ストラヴィンスキー「3楽章の交響曲」

2018 SEP 20 1:01:49 am by 東 賢太郎

ストラヴィンスキーはカメレオンといわれる。長年そう思っていましたが、あの3大バレエ流儀の曲がもう出てこなかった聴き手の欲求不満がこもった揶揄とすればもっともです。それほどあの3曲は劇的に素晴らしい。いや、路線変更なかりせば10大バレエができたかもしれないが、どんな形式にせよあれは彼の才能が20代でスパークした瞬間を記録したブロマイドのようなもので残りの7つは30代の顔を映したもの、つまり結婚、プルチネルラ、きつね、兵士、ミューズ風のものが続いたに違いない。我々はそれを手にしているのだからそれがストラヴィンスキーなのであって、最近はむしろ変転できたことが彼の才能だったと信じるようになりました。

彼の家系はポーランドの貴族でリトアニアに領地がありましたが没落しています。マリインスキー劇場で歌う高名なバス歌手の3男としてペテルブルグ近郊で生まれ、サンクトペテルブルク大学法学部の学友の父リムスキー=コルサコフの個人授業を受けたことが音楽的基盤となりましたが、火の鳥に師の残照はあっても春の祭典に至るともう見えません。その20代の10年間の音楽のプログレスは驚異的で、並行して法学部で学位も得ているように、創造力ばかりが強調して伝わりますがそれ以前に格別の学習能力があったと思われます。彼の父の蔵書は図書館並みの20万冊であり、その血をひいてその家に育ったわけです。

作風変化の”カメレオン”には2つの世界大戦の影響を看過できません。バレエ・リュスの公演は第1次大戦で妨げられて収入が途切れ、終戦後はフランスを転々としますが1945年にアメリカに移住して市民権を得ます。ナチズムゆえ居所をアメリカに移した音楽家は多いですが、彼は土地も作品の版権も失いフランスでの人気も失せた経済的動機が大きく伝記を読む限りあまり悲愴感がない。宗教もカソリックに改宗したし、蜜月だったディアギレフは不仲になったがお墓は一緒でベニスのサン・ミケーレ島にあるという、まさに変転の人生であったわけで作風だけのという話ではありません。

米国人になって書いた最初の作品が『3楽章の交響曲』でした。新天地を賛美するわけでも希望に燃えて見せたわけでもなく、まず書いたのが戦争交響曲だったことは作風変化にそれがもたらした影響を物語ります。第1楽章は日本軍の中国での焦土作戦、第3楽章はドイツ軍のガチョウ足行進と連合軍の破竹の成功というドキュメンタリー・フィルムを見たことにインスピレーションを得たとストラヴィンスキーが語っており、第2楽章は映画音楽として構想された(実現せず)楽想が使われています。戦争と映画。時代の影を色濃く宿している作品ということで彼自身がこれを「戦争交響曲」と呼んだのです。

冒頭、ト長調音階を駆け上りますがオクターヴを半音通り越した短9度(a♭)で着地します。音程としてはブルックナー9番の終楽章冒頭の短9度跳躍を想起させますが、急速な主題のいきなりのパンチはモーツァルトのパリ交響曲冒頭ばりでもあり不安定な印象は倍加しています。非常に面白いスコアで作曲時が63才。いま僕がその年です。30才の作品を思い出せとなっても難しいと思うのですが、彼はここで有難くも春の祭典ばりの短3度ティンパニ、複調、変拍子を復活させてくれています。

新古典主義と評される枠内に留まり、祭典にはないピアノとハープが主役にはなりますが、この作品は僕にとってそのDNAを継いだ曲として稀有の価値を持っており、記憶してしまってからはその代用品としてワークしております。外を歩いていると時に歩調に合わせて不意に元祖の「生贄の踊り」のコーダのティンパニの変拍子が頭に響いてきて、それが始まってしまうと終わりの強烈な一発まで心中でエア演奏しないと気が済まないのですが、それが『3楽章の交響曲』第1楽章のこの部分であることもままあります。

ここのカッコよさ!ピアノの閃光がまるで弦チェレ第2楽章中間部ですが、ピッチカートとアルコ応対する弦セクションは4分音符を3223、3223、322、3223、3322・・・と分割する変拍子で祭典と同様リズム細胞の組み合わせになっていきます。このリズムはストラヴィンスキー以外の何物でもない。リズム、リズム!彼の本質はリズムです。「生贄の踊り」の悪辣な興奮はあの極限までエロティックな変拍子にこれしかないという短3度音程がまるで神が配剤した麻薬のようにふりかけてあるからに違いなく、それと同じものがこの曲のスコアの随所に潜んでいます。

短3度、複調、変拍子(変アクセント)への偏愛。彼は89才まで生きましたが、たしかに古典に帰ったと思うと12音にはまったり、僕も一時そう思っていたように節操なく見えるのです。しかし今はこう感じます。彼の根幹(本能的音楽嗜好)は揺ぎ無く一定であった。ただし常人離れした好奇心、猜疑心そして学習能力が常にその場の行動を駆り立ててしまう。ココ・シャネルら複数の女性にふらふらしたようにですね。しかしその性向こそが、お互いに似ていない3大バレエを同時に着想させた。彼自身が「複調」的な人物であり変拍子のように人生を歩んだと。それを後世の我々がどう評価しようと書いたスコアの前には微塵もなく吹き飛んでしまうのです。

このビデオはエーリヒ・ラインスドルフがクリーヴランド管弦楽団に客演した際の1984年のライブ録音で、フィラデルフィアの自宅でFM放送をカセットテープに録音したものです。ラインスドルフはフィラデルフィア管弦楽団で春の祭典をやりましたが非常に面白かった。楽譜の読み方、パーセプションがオンリーワンのラインスドルフ節であり、ぎくしゃくした腕の振りで明確に振り分ける。リズムに明敏。凄いプロです。彼は火の鳥でもペトルーシュカでもなく、祭典と3楽章です。ここでもそれが目に浮かびます。

(ついでながら、これが彼の春の祭典)

これはyoutubeから。この演奏は支持できますね、指揮者オケも存じませんが女性が戦争交響曲を振ろうという心意気がいいですね。奏者も良くついて行ってます。

 

ハンス・ウエルナー・ヘンツェ / ローマ放送交響楽団

これもyoutubeで拾いました。作曲家ヘンツェの指揮によるライブであり、イタリアの放送オケはへたくそな演奏が多いものだから何ら期待せず聴きましたが、意に反し、なんだこれは?という素晴らしい演奏です。完全にヘンツェの手の内に入っておりリズムへの反応が見事なうえに音色は非常にカラフル。これだけピアノが聞こえる録音はなくスコアリーディングに最適で何度でも聴きたい。これは入手したいですねえ。

 

ピエール・ブーレーズ / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

BPOの技量に拠るところ大とはいえ、これだけ整ったアンサンブルを他に求めるのは難しいというレベルの演奏。このコンビのダフニスと管楽器のための交響曲を94年にベルリンで聴きましたが、ライブであれほどの完璧な音響というものは経験がなく、この演奏にもそれを思い出します。ただDGの春の祭典にも言えますが、隙のない絶世の美女の肖像画という印象で悪辣さや危なさに欠け、ニューヨークフィルとCBSでやっておいて欲しかった。野球のたとえで申しわけありませんが、これは単にスピードが160kmでる投手という感じであって、140kmなのにもっと凄みある球を放ってぜんぜん打てない投手はいるよということです。

ブーレーズ版のアリスだった「マ・メール・ロワ」

2018 SEP 18 18:18:56 pm by 東 賢太郎

このラヴェルの「マ・メール・ロワ」が入ったブーレーズのLP、「来日記念」とシールが貼ってあるのでひょっとしてあれかなと調べたらそうでした。ニューヨーク・フィルがブーレーズとバーンスタインを指揮者として来日したのが1974年9月で、このLPは国内ではそれにひっかけて発売されたのですね。

聴いたのは9月5日の以下のプログラムで僕は浪人中でした。そうかこれNHKホールだったのか。1階向かって右手後方であんまり音は来ず、たいして感動しなかったのですが、あのホールだったらどうしようもなかったわけです。アンラッキーでした。

ベルリオーズ/ベンヴェヌート・チェリーニ序曲
ベートーヴェン/交響曲第2番
ウェーベルン/管弦楽の為の6章
ストラヴィンスキー/春の祭典

バーンスタインのチケットがすぐ完売でしたが僕はそっちはまったく興味なく、ブーレーズの春の祭典が生で聴ける、この事実にすっかり興奮していたのです。ベートーベンの2番はたぶんこれが人生で耳にした初体験でした。そんな初心者の時分から春の祭典はスコアごと写真みたいに暗記しており、それ故にブーレーズの旧盤をふくめた異演盤はどれもジャンク(junk、ゴミ)に聞こえるという抗いがたい事実に直面しておりました。困ったことにその「ジャンク」というのが春の祭典というスコアが孕んでいた特殊性による「誤り、または規範から逸れたいい加減」という風な認識だったものですから、以来そういう物や人は許容できないできない性格になってしまいました。ティーンエイジャーの脳みそは柔らかいのですね、僕という人間はブーレーズの音楽が作っている部分が多分にあります。

74年12月に本LPを買ってます。翌2月にやっと浪人生活から脱出できましたが、入試直前に息抜きが必要だったのか余裕だったのかは忘れてしまいました。春の祭典を別格として影響を受けた演奏はいくつかありますが、度肝を抜かれたのはマ・メール・ロワです。針を盤面におろす。つややかに磨かれたホルン2本が木霊のように響き渡り、ティンパニがドンと最高にいいピアニッシモで鳴ってピッコロとフルートの鳥がピヨピヨ鳴き交わすと弦のザワザワが始まります。なんとなんと眼前に忽然と広大なジブリの森みたいな空間が現れ、空気のにおいまで伝わってくるではないですか!音楽からこんなフルカラーのビジュアル・イメージが現れるなんて想像したこともなく、まるで魔法。一発でKOでした。これぞオーケストラの魔術師ラヴェル様の秘儀でなくて何でしょう。この演奏を知らない方はまずそこだけでいいから聴いてごらんなさい。

このレコードはまさに僕が買った実物。ここでこんな風になろうとはお釈迦様でもご存じなかったでしょう。「SQ quadraphonic」と書いてあるでしょう、これが前々稿に書いた当時CBSが売り出し中のHiFi録音で本LPも4チャンネル録音なのです。ジャケットにはこんな「効能書き」が入ってました。

今どき、こんなものはもう二度と出ないでしょう。いや、出たってこういう手の音響操作は「イフェクト」という味もそっけもないつまらない言葉で片づけられてしまうでしょう。

この録音では舞台上に並ぶオーケストラの音場はなくなってます(仮想音場です)。だから You are there ではない。だって楽器に囲まれてますからね、もはや there ってどこのこと?なのです。大阪万博のドイツ館でドーム型の天井を閃光のごとく音が突っ走ったシュトックハウゼンの音場、あれに近い。そういえば万博は1970年でしたね。ビートルズの後期もそうですよ、サージェント・ペパーズが1967年、アビイ・ロードが1969年で、ポップスの世界では仮想音場はすでに実験されていた。ビートルズがいかに驚くべき先進性を持っていたかという証左です。ロックは僕もそこそこ聴きましたが当ブログに「カテゴリー」を立てたいというのはほかに一つもない。「ビートルズはクラシックだ」というqualificationですね。

ブーレーズのCBS録音はマーキュリーのYou are thereの進化形としての仮想音場のコンセプトが昇華した音響作品集であり、そのアプリケーションがヘンデルからブーレーズ自作まで行われたという「時代の産物」だったのです。1974年のこのマ・メール・ロワはその中でも傑作中の傑作であり、最もポエティック(詩的)なバレエ版のスコアを使用したのも抜群のセンスでした。もちろん録音だけで仮装することは不可能で、ニューヨーク・フィルの奏者たちの演奏技術からブーレーズの耳が選び取った音群の勝利だったわけですが、ラヴェルがこう意図したかどうか疑問なほど全曲が一編の「妖精の園」と化しており、マザー・グースをルイス・キャロルが取り込んでしまった『不思議の国のアリス』に近似します。これはブーレーズ版のアリスなのです。

いまやシンセをいじれば誰でもかけられるイフェクト。それは写真というものが誰でもスマホで自撮りできてしまう時代に呼応しているのではないかと思われます。写真家の畏友・S氏によれば、写真の世界において「写真芸術とは何か」という命題が議論されているそうですが、それを想起させます。写真と写真芸術は厳然と区別されるべきと僕は考えます。誰でも撮れるスマホ写真を駆使して生きている我々にとって、写真という2次元の映像はもはやデジタルの記録媒体に過ぎずコモディティになってしまいました。フイルムは不要になって富士フイルムは売上の約半分をヘルスケアが占める業態転換に成功しましたが、米国の雄だったコダックはチャプター11適用で実質上の倒産会社になってしまった。何という激変でしょう。

我々人間の生活は文明の利器である自動車、飛行機、カメラ、テレビなどのインフラ環境によって大きく左右されてきましたが、インフラの変化は誰もが「便利になった」と即座に感じつつも、それが人間の精神に徐々に及ぼす影響については時間がたってからしか気がつかないのです。そして学者が指摘して社会レベルでそれに気がついた時には、人間の方がすでに変わってしまって取り返しがつかなくなっている。そのことは高々半世紀ちょっとを目撃してきた程度の僕でも、おそらく歴史的事実なのだろうと推論するに足るソリッドな現象のように感じられてならないのです。

ブーレーズのレコードをいま再体験して、はっきりと心に浮かんだことですが、皆さんにこういう質問をお送りしたい。こういう写真はこれから無用になってしまうのでしょうか、人の心を打たなくなってしまうのでしょうか?

 

ブーレーズ「プリ・スロン・プリ」

2018 SEP 17 0:00:21 am by 東 賢太郎

ブーレーズのCBSコレクション67枚組の白眉の一つがこれでありましょう。後に(84年)「ワーク・イン・プログレス(進行中の作品)」として細かく改定されてゆくプリ・スロン・プリの69年時点の稿の自演盤として貴重であり、1969年5月8‐10日にロンドンのアビイ・ロード・スタジオでの録音ですが、あの春の祭典は同年の7月28日にクリーヴランドで録音されるのです。ここでの前稿で述べた素数のごとき「unbreakableな時間」が生む4次元のレイヤーは顕著で、これがそのまま春の祭典に乗り移った観があります。

ブーレーズの演奏はこの「時間」を分割して正確な位置に音をdotし、完璧な音価とピッチを与えるという行為に尽きます。当たり前ではないかと思われるかもしれませんし、すべての音楽演奏はそうであるべきなのですが、99%はそうではない無価値なものが巷に流れています。ここでのソプラノのピッチは素数そのものが美しいという次元の美を誇っていて彼女の歌が美しいメロディーに聞こえるかどうかというものではありません。aesthetically pleasingという英語表現があって、邦訳すると「審美的喜び」などと意味不明になりますが、要は美しく魅力的だということです。その「美しく」という部分がestheticであって、わが国では女性の通うエステとしてのみ認知される言葉ですが、美しいものに関する哲学的理論のことであります。

マラルメの詩に依拠した点は牧神の午後への前奏曲と同様。詩心はないので読んでません。純粋に音だけで楽しめる作品で、なじみのない方もフリー・ジャズと思って聴いてみてください。以下の5曲から成ります。

  • 第1曲 賓(たまもの)
  • 第2曲 マラルメによる即興曲I
  • 第3曲 マラルメによる即興曲II
  • 第4曲 マラルメによる即興曲III
  • 第5曲 墓

 

以下、だいぶ前に書いた文章を再録します。

 

ピエール・ブーレーズ「プリ・スロン・プリ」

ハリーナ・ルコムシュカ(Sp)  BBC交響楽団 (1969年)
第4曲のハリーナ・ルコムシュカの歌唱、急速なパッセージのソルフェージュ能力が凄い。彼女の声質と独奏楽器群の音彩の混合は完璧でまったく独自の宇宙を構築しています。終曲の砕け散ったステンドグラスのような音群のきらめきと変化値を微分したかのような音価と音量の増減によるリズム細胞。不協和な音の組合せの美を創造して時間支配の元に集積するとこうなるという強烈な主張であり、これを美という概念で感知するかどうかは人それぞれでしょうが、それがどうあれこの時間・色彩感覚でスコアを読み解いたのがあの火の鳥であり春の祭典だったのです。ブーレーズ芸術の底流に存在する血脈の原点を浮き彫りにした名盤であり、3種ある同曲の1番目の録音であるこれがその音楽的な発想の原形を最もクリアに浮き彫りにしていると思います。

 

ラヴェル 「古風なメヌエット」

ラヴェル 「古風なメヌエット」

2018 SEP 16 17:17:34 pm by 東 賢太郎

僕にとってピエール・ブーレーズはル・マルト・サン・メートルの作曲家であると同時にニューヨーク・フィル、クリーブランド管とCBSに録音した70年代前期、楽器のミクロレベルのつややかな音色美を表現の重要な手段として探求し、同時に、ステレオ録音の立体感の中でオーケストラのマス感と個々の楽器の音色美とのバランスをかつてない精密さでコントロールした人として聳える巨人です(写真は1971年BBC SOを指揮するブーレーズ)。

LPレコードの歴史を振り返ると1950年代にモノラルがステレオに切り替わり、後者の再生装置の普及に伴ってHiFi(高忠実度)録音が商業的フロンティアになったのが60年前後です。45年創業と新興のマーキュリーレコードが映画の35mm磁気テープを3トラック録音に利用したリビング・プレゼンス・シリーズにより”You are there” (まるで演奏現場にいるみたい)という新コンセプトを打ち出したのは革命でした。

ラジオ、ジュークボックスからHiFiオーディオへと音楽を家庭で味わう需要の拡大期で、そこに今のシリコンバレーのように資本も才能もが集まる時代でした。70年ごろマルチトラック録音とミキシング技術は最頂点に達し、CBSはクオドラフォニックなる今なら 4.0 サラウンド・サウンドと呼ばれる4チャンネル録音の商業化を図り、”SQ” (Stereo Quadraphonic) という基準でソフトを製作し新市場の開拓を企図しました。部屋の四隅にピーカーを設置するこれも”You are there” の発展的試行でありましたが、SQは技術、コストの制約から商業的には失敗に終わります。

ちょうどその頃CBSが起用したアーティストがピエール・ブーレーズでした。彼がニューヨーク・フィルと録音したバルトークの管弦楽のための協奏曲はマトリックス式の4チャンネルで指揮者をオケがぐるりと取り囲む配置が売りでしたが、これも本作のみの試行で終ります。ブーレーズ起用はSQ技術の商業化としては結実に至りませんでしたが、そのCBSのモチベーションが”You are there” の近現代作品への適用という画期的副産物を産んだ事は後世に幸いでした。

この67枚のCBS盤はそうしたテクノロジーの完成期と、作曲家ブーレーズが指揮者として完成したがいまだ尖っていた時期がシンクロした奇跡の産物で、そこに自分のクラシック鑑賞の創成期もシンクロしていたという意味深い代物です。この中のストラヴィンスキーやバルトークで僕は育ったといって過言でありませんし、今もこの全集は僕にとって音楽の教科書の役目を果たしています。

通して聴くとこれは最高の知性であるブーレーズの音響世界(それは脳内現象だ)の具現化を種々の作品で試行した、彼にとってもラボラトリーの実験的意味合いがあった作品集なのだと感じます。ヘッドホンでの音像は4チャンネル再生に頼らずとも定位の明確なサラウンディングであり、まさに「まるで演奏現場にいるみたい」であります。すべての楽器は至近距離で室内楽のように聞き取れ、オケのマストーンが種々の “ミニチュア・アンサンブル” の集合体であることが手に取るようにわかります。

これが「レントゲンをかけたような」と当時評された印象を産むのですが、個々の楽器の音像はつややかで洗練の極みであり、そしてなによりピッチとリズムが完璧である。普通の人間の聴覚がミリメーター単位とするとこれはナノメーター単位の精度でコントロールされた音であり、ミクロの基本フォルムの美が構成する数学的均整が集積して巨大な全体像を成し、パルテノン神殿やギリシャ彫刻のような犯しがたい美を描き出すようなもの。これは黄金分割のプロポーションをなぜ人間が愛でるかという類の「美とは何か」なる問い(それに物質的解があるのでなく、あくまで脳内現象だ)に雄弁な例証となる音楽事例と考えます。

ブーレーズが支配しているのはピッチだけでなくアンサンブルの精度もそうで、それは厳格なタイミング(時間感覚)であります。これは優れた演奏家の必修科目と言ってよい。タイミングの良くない中でのルバートなどアバウトなだけです。そういうものを人間的と評価する向きも多く、たしかに人間の鼓動や呼吸は時計のようではありません。そうと認めつつも、演奏家の技術として完璧な時間感覚と支配力は絶対的な「説得力の素材」であり、それ抜きにパルテノン神殿やギリシャ彫刻のような犯しがたい美を描き出すことは不可能であります。

ブーレーズの「強靭な」時間支配力の一例として、ラヴェルの「古風なメヌエット」をお聴きいただきたい。この音楽のリアライゼーションとしてこれがベストかどうか、そういう演奏の好悪論を吹き飛ばしてしまう絶対性があるのがブーレーズの特色で、この演奏を遅すぎる、ラヴェルらしい華がないなどという意見も十分に許容しながらも、僕はここに犯しがたい何物かを感じるのです。

この時間の流れは堅固な組成物として実体があり何十トンの圧搾機で押しつぶそうともびくともしない、どこか人智を超えた宇宙的なものである感じがします。素数が割れないように、浅はかな人間のあらゆる試みをはねのける。僕は素数を美しく感じていて、それと全く同じ宇宙の絶対的な美を感じるのです。その時間の絶対性の規律の中で決然と打ち込まれるティンパニが「最後の審判」のような厳しさをもって聞こえます。凍りつくほどの威厳と恐ろしさを伴って。偶然ですがそれが左チャネル上方からあまり定位がはっきりせず降ってくるのが審判という感じを倍加しており、ティンパニの皮の振動が見えるようなボディのある音像が誠に好適です。

そこまで個々の楽器の音の質感(クオリア)の領域でこだわった録音は記憶になく、カラヤンが録音の新メディアに常にこだわったなどという俗物次元の話とは一線を画します。ここでは広い空間を感じるアコースティック(3次元)に時間軸が加わった4次元世界に、さらにクオリアという肌感覚をのせるという、それまでの録音には想像もつかない高次元の聴取体験を味わえるのです。この「古風なメヌエット」はブーレーズのやはり高次元のレイヤーを強く感じるウェーベルン集とまったく同じポリシーで演奏・録音されており、幸か不幸か僕はこの曲をこの演奏で知ったため他の演奏を聴こうというインセンティブはゼロです。

このような次元のレイヤーの構想がブーレーズだけのものなのかプロデューサーのトーマス・Z・シェパード(左)の意図も入ったものかは不明ですが作曲家でピアニストでもあり12のグラミー賞を受賞したシェパードはブーレーズの春の祭典のプロデューサーとしてもクレジットされており可能性は高いでしょう。恐るべきセンスと申し上げたい。この録音はラヴェルのスコアを素材としたブーレーズとチームの音響作品であり、一個の芸術品でもありました。

この全集はブーレーズの脳と自分とを対話させるプロセスを自分の脳がどう感知するかという実験室であって、そこに何を見出すかは個々の脳次第です。あらゆる音楽を聴く行為はそうであるともいえ、何を聴いて快感を得るかは人それぞれだから音楽の趣味はすぐれてパーソナルなもので、ジョークの質で人がわかるのと似た意味でどんな音楽が好きかでもわかると思います。ブーレーズを聴いてショックを受けたのは自分にもそういう要素があったからでしょうが、聴きながらさらにそういう性質の人になっていったかもしれません。

昨今のコストセーブのためのお手軽なライブのCD化などは、これを入念な芸術写真とするならスマホのスナップショットという体の存在で、そんなものを薄弱なPCのスピーカーで再現して聴けばどんどん奇演、爆演のようなものに関心のはけ口が向かうのも仕方ないでしょう。このブーレーズの全集のような、潤沢な才能ある人たちが腕によりをかけて金をかけた本物の音をそれにふさわしい装置でじっくり聞きこむという鑑賞態度がすたれつつあるなら悲しいことです。クラシックという本物中の本物である音楽を聴く以上、鑑賞スタイルも本物を貫きたいものですね。

ファリャ「恋は魔術師(El amor brujo)」

2018 SEP 11 6:06:57 am by 東 賢太郎

今年の未曽有の猛暑は、昔だったら「太陽が熱くなった」と言ったことでしょう。ロンドンに住んでいた時にほんとうにそうかと思ったことがあります。夏休みにスペイン旅行をした時です。アンダルシア地方でした。北緯51度のロンドン(樺太)に住んでいて38度のセビリア(新潟県ぐらい)に南下するというのは我々にはなかなか経験がないもので、太陽がぎらついて大きくなった、熱くなったという錯覚を覚えます。それがレコンキスタ前のイスラムが色濃く残っているエキゾティックな文物の印象と相まって、ここはヨーロッパでも異質な土地だということを肌で感じます。

赤がアンダルシア地方

グラナダから南下して海沿いのマラガ、マルベージャ、カディスに至るとさらに太陽ギラギラの別世界です。だからここはコスタ・デル・ソル(Costa del Sol、太陽海岸)であってあえて地中海と呼ばない。土地の誇りを感じますね。ネルハは鄙びたいい街で有名な鍾乳洞がありますが、これとベトナムのハロン湾のそれは僕が見た双璧です。この辺りをアンダルシアと呼びますが、ローマを略奪したヴァンダル族から来た名称です(英語の野蛮な行為 = vandalism もです)。この連中が移動したチュニジア、サルジニア、シチリアは全部行きましたが、アンダルシアも含めてどこも好きな処ばかりです。

スペインというと誰もが思い浮かべるフラメンコはアンダルシアの芸能です。スペインと言ってもラテン系ではなくジプシーとムーア人(イスラム教徒)が醸成したものだから民族芸能という感じです。まあ難しいことはともかく綺麗なお姉さんが躍って見栄えがしますが、本場ならではでしょうか、彼女らの声が低くて野太かったのには仰天しました。あれはどこだったか、美しい白鳥に見とれていたらガチョウみたいにガー!と一声鳴かれて驚いたのに匹敵しますね。恐ろしいことです。ご当地フラメンコのお姉さんのインパクトが強烈で、以来カルメンはこういうタイプでないと満足できなくなりました。ジプシーの設定だからあながち外れてないでしょう、かわいい系はぜんぜんダメで、メットで観たギリシャ女のアグネス・バルツァですね、あれに圧倒されて、彼女はもう歌いませんからそして誰もいなくなった。困ったものです。

フラメンコは西部のカディス周辺が発祥地といわれます。そこで生まれたマヌエル・デ・ファリャが故郷の芸能に心を寄せたのは自然なことでした。1914年から1915年にかけて作曲された「恋は魔術師(El amor brujo)」はフラメンコがクラシックに溶け込んだ作品としては出色の名作で、「火祭りの踊り」ばかりが有名でもはやポップス化してますが全曲を味わう価値があります。筋書きは

『ジプシー娘のカンデーラの物語で、その恋人のカルメロは彼女の以前の恋人であった浮気者男の亡霊に悩まされている。そこで彼女は友人の美しいジプシー娘に亡霊を誘惑してもらい、その隙にカンデーラはカルメロと結ばれる』(wiki)

といういとも他愛ないものですね。この曲の演奏というと、僕は高性能オケの都会的センスは全く受け付けず、カルメンに求めるように絶対に欲しいエグいものがあるのです。まず、言葉はわからないけど何とはなしのフラメンコ風味コテコテ(メゾソプラノの歌)、次にアラブの蛇使いの笛みたいなコブシころころの土臭いオーボエ、場末の野暮で田舎っぽいホルン、縦にびしっと揃わないええ加減なアンサンブル、なんかが是非欲しい。それをベルリン・フィルやシカゴ響にわざとやれというのは二枚目俳優がフーテンの寅さんやるみたいなもの。どうしてもローカル演奏陣に頼らざるを得ません。

ところがそんなのは今どき録音しても売れないから出てこない。だから探していたのですが、ついに中古LP屋で見つけたのです。ヘスース・アランバリ(Jesús Arámbarri Gárate,1902 – 1960, 写真)指揮マドリッド・コンサート管弦楽団のスペインVOX盤(1959年録音)です。アランバリはバスク地方のビルバオ出身の作曲家で『マヌエル・デ・ファリャに捧ぐ』(1946)という作品もあり、この演奏は欲しいものがほぼあります。ピアノが若き日のアリシア・デ・ラローチャというのもいいですね。メゾのイニャス・リヴァデネイラはカルメンでもいいかなと思わせる野太い声でローカル色むんむんだ(右)。薄っぺらいオーケストラもいいですねえ。と言ってファリャの音楽が安物かということはぜんぜんなく、透明な管弦楽法、エキゾティックで土俗的な和声、イスラム風味の旋法、セクシーなオスティナートのリズム、ペトルーシュカ風のアラベスク等々、見どころ聴きどころ満載で、何ら前衛的なものがないのは作曲の時代にそぐわないですが、ジプシー舞踊家のパストーラ・インペリオの依嘱だったというからラヴェルのボレロに類するという理解でよろしいのではないでしょうか。演奏は以下の内容になります。

改訂稿(1925年版、『恋は魔術師』)

 

序奏と情景
洞窟の中で(夜)
悩ましい愛の歌
亡霊
恐怖の踊り
魔法の輪(漁夫の物語)
真夜中(魔法)
火祭りの踊り
情景
きつね火の踊り
パントマイム
愛の戯れの踊り
終曲〜暁の鐘

 

 

これがそのLPです。

スペイン音楽に僕が求める感性は以上書いた通りで昔から変わっていませんが、2014年のこれを読むと4年前はずいぶん先鋭に聴いてたんだなあと思います。

ヘスス・ロペス・コボス/N響の三角帽子を聴く

 

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

シューベルト交響曲第5番の名演

2018 SEP 2 23:23:06 pm by 東 賢太郎

僕はこのシンフォニー全曲のバスをオケと一緒に歌うのが大好きだ。人生の愉悦のトップクラスのもののひとつだ。シューベルトの5番ほどチャーミングな交響曲というものをあげろといわれても答えに窮する。モーツァルトの29番ぐらいかもしれないが、しかしそこには決定的な違いがある。シューベルトの一部の音楽は聴きこむと心のある部位に永遠に纏わりついて耳から離れなくなる危険なものだ。音の麻薬なのである。一見晴朗なれど和声語法にはモーツァルトの長短調の交替を模しながらその短調部分に後期に通じる暗さと不気味さを潜みこませていることを見逃してはならない。企図してそうしたかどうか不明だが、僕はそれがシューベルトがもっていた生来の音楽嗜好であり、未だ病気ではなかったこの時期にも垣間見え、のちに病魔から逃れられない閉塞心理の中でまったく独自の世界にまで成長したものだと考えている。

この交響曲はシューベルトが書いた最も明るい曲群に属する傑作であり、前稿に書いた通り①モーツァルトの和声と書法をあえてそれとわかるように模しながら自らの和声語法に置換し②202年後の現代のコンサートレパートリーにモーツァルトの三大交響曲以前の交響曲とほぼ同等のプレゼンスを保持している、という2点を満たす音楽史上唯一の作品である。

ベートーベンの交響曲第1番作品21の方が16年先行して書かれた上にソナタ形式の構築力、主題の展開力に勝り②も満たすではないかという反論は十分にあり得て説得力があろうし、その前半に論駁の余地も認められないが、ベートーベンないしその他の同時代の作曲家に①を試行した作品は存在せず、シューベルト5番の独自の位置が揺らぐ理由はないことが前稿における一貫した主張である。

さらに加えるなら、仮にその反論が有効であるならば、それはシューベルトが19才で書いた交響曲がベートーベン30才の作品であった交響曲第1番作品21によって比肩され得るという証明を成立させることとなり、シューベルトにおいてあまり強調されることのなかった早熟性が過小評価され、その帰結として5番が若書きの作品として過小評価されるという負の連鎖を喚起していることも指摘されるべきであろう。

モーツァルト19才の代表作が「偽りの女庭師」、第3-5番のヴァイオリン協奏曲であり、19才のベートーベンに至っては作品1であるピアノ三重奏曲第1番変ホ長調(作曲地はボンと推定される)がまだ作曲もされていない事実を付議するならば、シューベルトの早熟性は後世において16才で弦楽八重奏曲変ホ長調作品20を書いたフェリックス・メンデルスゾーン、17才で交響曲ハ長調を書いたジョルジュ・ビゼーによってのみ比肩され、早期の学習能力において稀有の天才であったことは明白であろう。

この曲の緩徐楽章(第2楽章アンダンテ・コン・モート)はベートーベン1番のそれなどは数段凌ぐ傑作であり、モーツァルトのピアノソナタ第12番ヘ長調 K. 332の緩徐楽章の衣鉢を継ぐ僕の知る限り世界で唯一の音楽である。そのことは K. 332さながらの夢幻をさまよったこの楽章をひっそりと閉じるこの部分、最後から6小節目から2度繰り返すパッセージにわかる人にだけわかるように刻印されているのである。

シューベルトがいかにモーツァルトを愛したか、同じくK. 332を心から愛する僕はこれを知って涙した。あれをわかっている人がいる。ここを自作の緩徐楽章の終結に引用した人がもうひとりだけいる。ヨゼフ・ハイドンである。交響曲第92番「オックスフォード」のその部分、まずアマデウス・コードを木管でやってから「それ」は出てくる。

ベートーベンにとっては越えなくてはいけないものであったモーツァルトは、シューベルトには同化できるものであった。ピアニストの故・井上直幸氏がやはり K. 332の同じ部分で「モーツァルトはどうしてあそこにf# を書いたんだろう?」と語られているのを知って愕然としたのを思い出す。いかに多くのピアニストが漫然とあのf#のキーを押していることだろう?本物の演奏家とはこういうものだ。井上氏ならば5番のここをどう聴いたのだろう?感慨に耽らざるを得ない。

5番は構成がシンプルゆえにあっという間に虜にされてしまい、四六時中、勉強中、仕事中まで頭で響いて困った事があったが、この曲への愛情は40年間聴きつづけて揺らぐ気配もない。アマデウス・コードがはじまった瞬間から電流のように音楽が全身を流れ、脳細胞が動き出し、あらゆるパートを歌わざるを得ない衝動に駆られる。youtubeでこのビデオを発見した時に、この人ならわかってくれるかもしれないと嬉しくなった。グレン・グールド氏だ。

録音は先人たちの素晴らしい遺産がある。第1楽章アレグロのテンポが指揮者によってこれほど異なる曲もあまりなく、シューベルトの初期交響曲をどう捉えるかが人によって振れ幅があったことの反映であり、冒頭のテンポによって全曲へのアプローチが古典派寄りかロマン派寄りか大別されると考えて大きな間違いではないだろう。遅い代表格はブルーノ・ワルターで昭和時代の日本の評論家はこれを推すのが定番であった。

グールドのピアノのテンポと比べていただきたい。アレグロでは到底あり得ないこの尋常ならざる遅さは、渡米して専用オーケストラまで録音用にあつらえてもらえた晩年のワルターが辞世の心境で振ったから許された専売特許なのであって、ここでしか聞こえないものが緩徐楽章にあるのは認めるとしても、これほどパーソナルな表現をファーストチョイスに推すのは評論家の良心としてどうかと思う。それに従って僕は40年前にこれで5番を初めて聞き、退屈な曲と思って数年は無視していた。いま還暦の境地に至って虚心でワルター盤を聴き返してみたがやはりそう思うし、シューベルトはグールドのようにピアノを弾き、感興にひたって歌ってこれを書いたとしか思しかえない。だから当然の如くにアレグロなのであって、これを無視することはいかなる大指揮者であろうと僕は認めない。ワルターを神棚に祭っている人のための録音だ。

他に遅い指揮者はショルティ(ウィーンPO)、ベーム(ウィーンPO1954、ドレスデンSK、ベルリンPO)、バーンスタイン(ニューヨークPO)、シューリヒト(シュトゥットガルトRO)などだ。最初の5秒で戦意喪失して消しており先は聴いていない。指揮者の最大の仕事はテンポの決定で、そこで気が合わなければ30分も付き合うのは時間の無駄である。実演でそれに出あってしまうと逃げようがなく地獄なので僕はプログラムに5番があると行かない。

 

セルジュ・チェリビダッケ / シュトゥットガルト放送交響楽団

チェリビダッケおそるべし。冒頭からテンポが最高に素晴らしく(グールドとほぼ同じだ)、終楽章を閉じる和音を漸弱にするなど、ともすれば無機的になるこの放送オケを自在に操ってなる程と唸らせる。シューベルトがロマン派への架け橋になったことは異論ないが1816年時点でそうであるはずはなく、まして5番はモーツァルトを念頭に書かれているのである。よって冒頭のアレグロはこのテンポであることが当然であり、遅くする解釈は恣意だ。チェリビダッケはしかし第2楽章の深い森をブルックナーのように描いておりこれがまた見事である。軸足はどちらにあるか明確ではないが両端楽章をアレグロとしてロマンの歌を古典の額縁に収める解釈だろう。まったくもって知的でインテリジェンスに満ちた人であり、何も考えてない愚鈍な指揮者と並べて評することが憚られる。

 

イシュトヴァン・ケルテス / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

VPOは後にショルティ、ムーティとも録音し音質はそちらが良いが、演奏のクオリティはこちらが格段に上だ。ケルテスという指揮者はモーツァルトの愉悦感を巧みにリアライズする才能があったが惜しくも水難で夭折した。その資質が5番で活きるのは自然であり、これはまるでモーツァルトだ。第1楽章がやや遅く感じるものの全曲のテンポ設計も不自然なものがない。VPOが良く歌っているのも魅力でケルテスとの相性が良かったのかと感じる。

 

クラウディオ・アバド / ヨーロッパ室内管弦楽団

第1楽章アレグロが理想的で、これしかないという僕にとってはイデアとなるレベル。あでやかな木管にも溌溂とした弦にも自発性とデリカシーがあり音楽の喜びが漲っているもぎたてのレモンのような演奏だ。殊に全曲にわたってフルートの抜群のうまさは特筆もの。各楽器のピッチの見事さは聴いた限りで5番のベストである。このアプローチは必然的に失うものもあり第2楽章は室内楽的な完成度が高い分、コーダに至るドミナント半音上への彼岸の逡巡という感情的な暗い面は後退する。しかしその純な美しさは代え難く、終楽章の弦のアンサンブルの切れ味もまったくもって素晴らしい。アバドの傑作。

 

ロリン・マゼール / バイエルン放送交響楽団

なぜかマゼールはわが国で正当に評価されず才人に終わってしまった観があるがまったく不当だ。第1楽章のテンポは好適。これでなくては。ところが第2楽章は深い霧に包まれたロマンティックな世界となりシューマン、ブルックナーがシューベルトから受け取ったものの姿を見る。パッセージに不意にルバートがかかり驚かされ、終結部の転調は呼吸をひそめて万感の思いがこもる。中間楽章の重さから大交響曲の様相を呈するのは誠にユニークでそういう読み方があることを初めて知った。賛否は有ろうが僕は彼が5番に示す深い愛情に満ちたこのライブ録音に敬意を表したい。

 

スタニスラフ・スクロヴァチェフスキー / ミネアポリス交響楽団

先日ネットで買ったマーキュリーのBoxに入っていたCD。非常に素晴らしい。こんな掘り出し物が出てくると満足度は高い。Mr.Sのこの時期の演奏は例外なくピッチが良い。演奏のファンダメンタルズとしてあまりに当然のことであるが、「良い」と僕が特筆したくなるレベルのものは滅多にない。だからこの演奏は一緒に歌っていて無性に気持ちがいいのであって、ではそうではないものがあるかというと大いにある。プロが録音してるのだから悪いということはないがそれでも満点ではないという微妙な不満があって、そういうものはもうそれだけで歌う気が起きず、ということは僕には無用の長物になるということなのだ。肝心のテンポの不満もなし(速めだ)で両端楽章の弦のアンサンブルは筋肉質。古典寄りの解釈で音楽史の文脈に矛盾がないオーソドックスなものだが指揮者の知性の表れだ。それだけ?それ以外に何が要るだろう?

 

ヘルベルト・ブロムシュテット / シュターツカペレ・ドレスデン

この演奏は指揮者の立ち位置が古典派、ロマン派の中庸で明確でなく、第1楽章の指揮が微温的で訴求力に欠ける。指揮者をほめる部分は何もない。しかし第2楽章の短調部分の悲しさはロマン派寄りのアプローチが図らずもシューベルト自身が両時代の中間にいたことを知らされる。オーケストラの美質において追従を許さぬ価値を誇っている演奏であることは異論がなく、その点においてのみ一聴の価値がある。

 

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

シューベルト 交響曲第5番 変ロ長調 D485

2018 AUG 29 1:01:55 am by 東 賢太郎

音楽史を俯瞰していると、19世紀のはじめにベートーベンがウィーンで活躍を開始し、20世紀のはじめにマーラーがウィーンを去っていく、その百年の間にハプスブルグの帝都を渦の中心として現在我々がコンサートホールで聴くクラシック音楽のレパートリーの重要な部分が書かれていることがわかります。街角のどの一角を横切っても誰かのどの作品かにゆかりがあって、その石畳をあの人が同じ建物と景色を眺めて歩いていたという思いはまことに不思議なものです。その場所でそんな感慨にふけっていること自体がその時点からなにか夢の中のようで、あとでふりかえるとやっぱり夢だったのではないかという記憶の断片になっているという妙な具合であって、そんな都市というとほかにはローマと京都ぐらいしか思い浮かびません。

19世紀の欧州の百年がどういう時代であったか。どんなアングルから観察してみようと、科学の知識と工業技術の進化が民衆を啓蒙し、世襲の王政が共和制にとってかわられ、貴族の専有していたあらゆるものが人民の手に渡っていく劇的なプロセスの一断面であるということがいえるでしょう。非常に大きな波と見る視点からすれば、現代でもまだ続いているポピュリズムの進行というものはそこに端を発していますし、人為的にそれを成しとげようとしたのが共産主義であったのだと考えることもできるように思います。その波の起点がどこにあったかは、問うまでもなく18世紀末にパリで発生した人民による王政の打破でありました。

人間が個として同じに生まれているという思想は、是非はともかくひとつのラショナールではあり、その思想のイルージョンによって公約数とみなされて無視されるものがやがて尽きてしまい、個々人の個性という素数がむきだしになるまで歴史を押し進めていくと思われます。そしてやがて素数と素数をくらべて大小がある、まだ足りないじゃないかという愚かな議論が現れ、その先に戦争というイラショナルな道が待っているかもしれません。そうなるかどうかはともかく、同じに生まれていたはずの一群の人間が決して望まぬ不幸な状況に追いやられていくという結末を迎えることとと思います。

1789年に発生したパリの暴動は、のちに自由、平等、博愛という崇高なプリンシプルがあったこととされ、一応は法の適用というコンプライアンスを装いつつも、実態は問答無用の民衆による王族の拉致・殺戮事件であった。フランス国内のことであるから戦争(war)の呼称は適当ではなく、のちになって革命 (revolution) なる美名が与えられたのは、薩長の武力による政権奪取が王族を保持(復古)したという一点において正当化され維新(restoration)となったのと同じく、勝てば官軍、歴史は勝者が書くことの好例でしょう。

フランス革命の正当化原理であった自由、平等、博愛がフリーメイソン由来という確たる証拠はないものの、革命執行部に多くのメイソンが関わったのは定説のようです。その原理は新政権がナポレオン・ボナパルトに奪取されて世襲の専制君主制もどきに戻ってしまったフランスから新大陸であったアメリカ合衆国に自由の女神とともに渡り、建国原理として生きのびたというわけです。かたや、ブルボン家の惨劇をまのあたりにし、一族の王妃マリー・アントワネットまでギロチンで斬首されたもうひとつの王族ハプスブルグ家の動転はいかばかりだったでしょう。

その激震が彼らの帝都ウィーンをゆるがしたちょうどそのころ、そこで亡くなったのがモーツァルトであり、10年ほどの時をおいて幕が開けた19世紀に現れた新星がベートーベンでした。両人の音楽の間にはキャズム(chasm、深い断層)が横たわっていることを我々は認識しておきたいものです。欧州を席巻し、全王族の心胆を寒からしめたナポレオン・ボナパルトはベートーベンの1才年上で6年早く死にました。このことは、エロイカを書くにあたってベートーベンが彼にいだいたシンパシーの本質を想像させてくれます。我々が「同期」といってわけもなく抱く親近感のようなものを見出したかもしれませんし、モーツァルトより本道の教育によって大学で啓蒙されていたベートーベンが銀のスプーンを加えて生まれただけの王族を目の上のたんこぶと思い、それを次々と打倒していく同期に思いを託したとしても不自然でないように思うのです。

その後ナポレオンが失脚してエルバ島に流され、フランス革命とナポレオン戦争の落とし前を王政復古でつけようという試みがウィーン会議でした。ウイーンという街は我々音楽好きにとっては楽都ですが、なにより全欧州の生々しい政治闘争の坩堝でありました。会議でメッテルニヒがめざしたのは『1792年より以前の状態に戻す正統主義』だったことはご記憶ください。それを音楽史年表にあてはめるなら、偶然ではありますが、「モーツァルトに戻れ」ということになるのです。この会議が散々ダンスを踊りながら、全欧州のナポレオン後のレジームを決して終わったのが1815年であり、シューベルトが「モーツァルト風」とニックネームをつけても不自然でない交響曲第5番変ロ長調を完成したのは翌年の1816年だったのです。

我々が習う歴史というというものは一義的には政治史のことであります。政権奪取に勝利した者が権力によって正当化した自分史をなぜ学校で暗記させられるかというと、それがどんな動機で書かれていようが時代時代を規定したパラダイムではあって、その政権下でそれから完全に自由であった人はいないからです。アートというものも密室で隔離して産み出されるものではなく、シューベルトも目と鼻の先のシェーンブルン宮殿で行われていた欧州首脳会談のニュースに耳を澄ませ、作曲のお師匠さんであり会議を踊らせるに重要な役割を果たした宮廷楽長のサリエリからこれから世の中がどうなるか、19才の自分がそこでどう幸せを見つけられるかについて情報収集をしたことは想像に難くないでしょう。

クラシック音楽の演奏は、ひとつしかない楽譜をどう解釈するかという問題を解く行為そのものであり、作曲家の意図が絶対普遍ではないものの、無視して恣意に陥っては古典芸能として成り立たないという宿命があります。歌舞伎、能・狂言と同様で、鑑賞者側の趣味の変遷に寄り添う努力に「型破り」はあっても「型無し」はいけないというものです。2百年前の作曲家の意図した「型」を知ることはできない以上、解釈という行為は彼の生きた時代(パラダイム)と彼自身(人間)の両方を、入手可能なすべての情報から読み解いて、型の実像に迫ろうとする不断の努力に収れんするでしょう。

 

(1)モーツァルトの死後にモーツァルトのような曲を書いた人はいるか?

ベートーベンがフィデリオで魔笛のようなオペラを試みたかもしれませんが、成功したという意見は聞きません。他にもきっといるのでしょうが、うまくいった人は知りません、たった一人を除いて。シューベルトです。19才(1816年)で書いた交響曲第5番変ロ長調がそれです。まことにチャーミングな音楽です。本稿を書くためにピアノ総譜を弾いてみました。そして、いくつかの発見をし、確信しました。これは明白に、モーツァルトのようだという評価を得ようと書かれたのだと。

この曲の成立については資料が乏しく、作曲の動機は不明です。ほぼ同時期に書いたと思われる4番ハ短調と一対なのかどうか。4番がベートーベンで5番がモーツァルトで、教職にあって巨匠と肩を並べようと書いたと見る説はもっともに聞こえますが、モーツァルトのように手紙等の一級資料が見当たらず空想の域を出ません。ベートーベンはエロイカに至って二人を凌駕しました。かたやシューベルトはエロイカから12年もたって、時計を巻き戻すかのようにモーツァルト風の曲を書きました。なぜでしょう?

 

(2)エロイカ作曲の動機

エロイカはナポレオンへの賛美であって、彼の皇帝就任に失望して表紙を破って俗物に降格させたということになっています。ベートーベンが破竹の勢いで革命後のフランスを平定したナポレオンに敬意をいだいたのは本当かもしれません。ブルボン王政を打破した共和制国家が強いリーダーを得れば、やがてウィーンでもという期待をいだいたこともあり得るでしょう。しかしです、動機はそれだけか?直接自分の利益に関係のない他国の軍人の熱いファンになったぐらいで書ける曲としては、エロイカはあまりに異例の力作なのです。

以下が私見です。作曲の動機は1799年にエジプト遠征から引き揚げブリュメールの軍事クーデターで総裁政府を倒して統領政府を樹立、自ら第一統領となったナポレオンへの期待であることは通説通りです。異なるのは、革命後のフランスを掌握・平定し、国民の人気抜群の彼に交響曲をプレゼントして取入ることで、ウィーンで評価はされていても期待に見合う見返りのない現実を変えたいという動機だったと考えることです。

丸めてしまえば、給料も安いし出世できそうもない今の会社を見限って、自分を認めてくれそうな外資系の社長に売り込みのレターを書いてしまおうということ。この試みをハプスブルグの足下で行うことは当然にリスクがありました。しかしナポレオンは対外戦争より国内の安定を重視し、オーストリアが1801年にリュネヴィルの和約を締結して第二次対仏大同盟から脱落したことによってリスクは低下しました。1802年3月にアミアン講和条約が締結され、ヨーロッパでは1年余りにわたって平和な期間が続いたことで、交響曲献呈プランの現実味はがぜん出てきたと思われます。

1804年5月18日、フランスを帝政に移行させナポレオンを皇帝とする議案が元老院を通過し、12月2日に戴冠式が挙行されたことでベートーベンは献呈を取りやめたことになっていますが、本件はもともとナポレオン個人への賛美という話に巧妙なすり替えが行われています(たぶん取り巻きの知恵)。真相はそうではなく、1804年から05年の間のナポレオンのやり口からオーストリアが再びフランスと戦争になりそうな危険な雲行きになったことです(第三次対仏大同盟)。敵将に献呈などして靡けば逮捕されかねない身の危険を察知したというのが真相でしょう。後にナポレオンにウィーンを占領され大敗北してしまうわけですからやめておいて大正解でした。

 

(3)「ビーダーマイヤー時代」という足かせ

それから12年たち、シューベルトの4、5番が書かれた1816年(4番はすでに1815年の9月頃から着手していた可能性があり、5番は1816年9月に作曲され10月3日に完成)はウィーン会議(1814-15)から3月革命(1848)に至る平和と繁栄の時代のウィーンの市民生活、思想、感情、その家庭生活や家具の様式等が語られるとき常に登場する「ビーダーマイヤー時代」の端緒期でした。それは産業革命の恩恵で台頭したブルジョワ市民未満の小市民階層が、政治に関与せず、貴族政を脅かさない存在に自らを封じ込め、簡素・朴直・平凡の生活の中で徒らに虚飾に走ることを堪(こら)えていた時代です。カント、ヘーゲル、ゲーテ、ベートーベン、というドイツ精神文化の保守本流からすればビーダーマイヤー的な文化(この命名はベートーベンの死後だが)は今ならポップなサブカルに近く、形や機能の洗練とはいっても皮相、安直な大衆文化でした(その末裔にヨハン・シュトラウスのウィンナ・ワルツが来る)。ベートーベンはエロイカによって精神的には政治関与の危険水域にいましたが、シューベルトはサリエリにもベートーベンにも届かない、氏素性からしてブルジョワ市民未満の小市民階層でありました。

ベートーベンもシューベルトもフリーメイソンであった文書記録はありませんが、ウィーンにおけるフランス革命直後世代の精神風土は、スーパー小市民になってもそれ以上の上昇の期待が持てないヒエラルキーの打破を是とすることであって何ら不思議ではありません。そこから自由であるメーソンは彼らにとって忌避すべき場でもなく、彼らの一世代前のモーツァルト、ハイドンはいたって自然にメイソンでした。16才まで作曲の師匠であったサリエリもそうであったとことをフリーメーソン音楽の研究者ロジェ・コットは認めています。この手の話はすぐ都市伝説に結び付けられますが、メイソンは元来が石工の職人組合で親方・徒弟の制度で手作業に従事する職業、階級に共通の意識はあっておかしくなく、ちなみにハイドンの父は車大工でしたし、作曲家も料理人と同じ職人階級でした。一世代前のモーツァルト、ハイドンが堂々と入会し、後輩はしなかった。両者の違いはひとつだけ、「ビーダーマイヤー時代」というそれを控えさせる空気の制約があったということなのです。

 

(4)モーツァルト風は確信犯

本稿はシューベルトの5番がモーツァルト的ですねという毒にも薬にもならない感想文に皆様の貴重なお時間と労力を費やしていただこうというものではなく、なぜ5番がそう聞こえ、なぜシューベルトが貴重な時間と労力と五線紙代を費やしてまでそう聞こえるように書いたのか?という疑問の提示と、それへの私見を公にすることです。5番はモーツァルトへの畏敬や思慕の念から音符が天才に降ってきてそうなったのではなく、そう聞こえるように確信犯的に、そう書かれているのです。

交響曲第4番「悲劇的」はハ短調の調性からベートーベン的とされるのが通例ですが、第1楽章の序奏のような音楽を彼は書いていません。むしろ僕にはモーツァルトの「フリーメイソンのための葬送音楽」ハ短調(K477)に聞こえます。K477の最後から3小節前にハ短調(Cm)のドミナント(G)の半音上、つまりA♭が置かれますが、このナポリ6度はピアノ協奏曲第24番ハ短調K491で支配的ともいえる重要な役割をするのです。このビデオの7分15秒の和音です。

交響曲第4番「悲劇的」が最後にハ長調になる。これはメイソン的作品と見做されているハイドン「天地創造」の冒頭の「混沌の描写」がハ短調から Und es ward Licht(すると光があった)のLicht(光)でいきなりオーケストラがTutti でハ長調の最強奏となる、これがベートーベンの第5番、運命のモチーフであり、シューベルトはそれを意識してこのコーダを書き、しかも念を押すようにハ音をユニゾンで3回(フリーメイソンの符号、魔笛で顕著)鳴らして曲を閉じているではないですか。お聴きください。

モーツァルト、ベートーベンと同じ職人であり彼らほどスターダムにはない一介の教師だったシューベルトが先生のサリエリの地位に就く見込みは皆無でしたから、記録文書に名前がなくとも彼が精神的メイソンであった可能性は否定できず、ジャック・シャイエ、ロジェ・コット、ブリジット・マッサン、キャサリン・トムソンという音楽学者がそれを認めています。4番、5番はベートーベン、モーツァルトの2つのオマージュではなく、その両人をも貫くメイソンという糸でくくられる楽曲というのが私見です。

 

(5)和声的解題

5番がモーツァルトを意識して作曲された証拠をお見せしましょう。まず、何といってもいきなり「アマデウス・コード」(ここではB♭、Gm、E♭、F)で開始すること。僕の知る限り唯一の曲です(モーツァルト本人にもなし)。

鳴る音は優しいですが、さあ、皆さん、モーツァルト風に行きますよ!というある意味でアグレッシヴで挑発的な前口上ですね。第1楽章展開部ではこれのバス進行で次々と転調の連鎖まで行われますから、モーツァルトになじんでいる人ならメッセージは通じると思ったことでしょう。「アマデウス・コード」とは何か、こちらをご覧ください。

モーツァルト「魔笛」断章(アマデウスお気に入りコード進行の解題)

第一主題はC、D♭7の交代からジュピター終楽章終結の金管の諧謔リズム(タンタタタンタンタン)でハ音で終ります。第2主題はCをドミナントとしてヘ長調で出ますが、D♭7 がドミナントの半音上として機能して F を導きます。

 

 

 

 

第2主題は一見モーツァルト的な足取りで進みつつ、2度目が主調に落ち着くと見せかけて予想外の変ニ長調に飛んでしまいます(青枠部分)。ここはD♭とそのドミナントであるA♭の繰り返しですが、B♭ーF、F-C、D♭ーA♭の3つの4度関係で主調の長2度上下に及んでいます。このような4度関係のペアをドミナントの半音上にのせる設計はモーツァルトのP協24番と同じです。より平明な例としてはP協17番の第1楽章、オーケストラ導入部の最後の方でG-Dに対して不意にE♭ーB♭を「ぶちこむ」きわめて印象的な部分があります。5番を聴きこむと、それは逆にシューベルト的に感じるほどの不意打ちとなっています。

 

 

 

 

 

 

展開部はヘ長調を用意した変ニ長調に転調します。D♭ーA♭が決してオマケでない意思表示のよう。どこか彼岸にぽっかりと魂だけが抜け出して浮遊したかのような不気味な怖さがありますが、これはモーツァルトP協24番ハ短調、K491の終楽章の最後の最後、A♭ーE♭7ーA♭ーE♭7-Gm-D7-Gm の対外離脱を連想するぞっとするような和声連結を、死ぬのを嫌がるように繰り返してはまた体に戻る、この部分、CmのドミナントがGで、その半音上のA♭(上記、「フリーメイソンのための葬送音楽」ハ短調のA♭を思い出してください)のまたドミナント(ドッペル・ドミナント)のE♭です。シューベルト的な転調ですが実はモーツァルト的であり、フリーメイソンに関わるときのモーツァルト的であるのです。

第2楽章です。最初の2小節のE♭ーB♭7-Cmは僕が命名した「連体止め」でモーツァルトの得意技です。

モーツァルト「魔笛」断章(モノスタトスの連体止め)

この楽章はそれを含めて、魔笛の第2幕への序曲の雰囲気が満載です。変ホ長調ですが第2主題はこれまたドミナントの半音上の変ハ長調に。再現部はドッペル・ドミナントである変ト長調に飛び、やはり第1楽章と同じフリーメイソン的モーツァルトの宇宙圏内にあるのです。変ホ長調主題を再現するために半音階で上昇するバスはリンツ交響曲第2楽章のそれであり、コーダはヘ長調ピアノソナタ K332の緩徐楽章の最後の部分がこだまします。

第3楽章、ト短調メヌエットです。これはト短調交響曲K550の第3楽章でしょう。トリオに入る直前のここはモーツァルト「ジュピター」第3楽章のやはりトリオに入る前のオーボエとファゴットによる和声的下降を想起させます。

この楽章はシューマンの第1交響曲のスケルツォとトリオに霊感を与えてるように思います。彼がウィーンに滞在したのは1838-39年、1番は2年後の作品です。

以上、弾いてみて気づいた部分をあげましたが、弱冠19才のシューベルトがモーツァルトをよく研究し、特徴を見事につかんでこの曲に素材としてちりばめ、ト短調交響曲K550とまったく同じ楽器編成で作り上げたのが5番であるという結論です。

 

(6)5番は「古典交響曲」である

彼はエロイカという革命的作品が出た12年もあとになぜこれを書いたのでしょう?学校の小規模のオーケストラを前提としていたという制約もありましたが、冒頭に記したように、ウィーン会議閉幕の翌年に完成した事実は注目すべきです。会議は「王政復古」にベクトルを合わせたのですが、ナポレオンが失脚してフランス王に即位したルイ18世の政治が民衆の不満を買うなどボナパルティズムの火は消えたわけではなく、歴史を知る我々はフランス革命の理念が欧州各国へ飛び火して行くことになり復古は破れることを知っていますが、この時点では両方の可能性がありました。先行して書いた4番のフリーメイソン的な色彩は、フランス革命の思想的なベースであるであるメイソンに自分が共鳴する隠喩でありました。そう考える根拠はベートーベンにあります。第九の「歓喜に寄す」の歌詞はフリードリヒ・フォン・シラーがメイソンの集会のために書いたものです。フィデリオの歌詞にもメイソン的要素があり(魔笛をモデルにしたのだから)、彼自身はメイソンでありませんが、その性格から、生まれに関わらず貴族も平民も平等に扱う思想に共鳴しなかったはずはなく思想はメイソン的でした。シューベルトは運命交響曲と同じハ短調(♭3つ)でフランス革命派寄りの姿勢を思想を明確にしたと思います。

しかし同時に、ウィーン会議の動向から貴族社会が復活する危険な空気も感じていました。だから4番と同時に彼らの音楽趣味にあわせてモーツァルト晩年の様式に復古した交響曲を書いておこうという意図があったのではないでしょうか。おりしも始まった、のちにビーダーマイヤー期と呼ばれることになる社会は、市民は政治に関与しないノンポリであることをベースとしています。つまり最上層にいるのは貴族という前提をとっている。それはモーツァルトが依存して生きた程の貴族との距離感を復古させるということでもあり、ということは作品を聞いていくれる顧客は彼らということになります。「モーツァルト風」の趣向はモーツァルトを知る者だけに効果があります。1791年ごろにはまだ存在していなかった新興ブルジョアジーに向けてその趣向をこらしてみせることはあまり効率の良いマーケティングではないでしょう。

つまり5番は①フリーメイソン(フランス革命)思想寄りであることのカムフラージュ②フランス革命思想が停滞し王政復古になることへのリスクヘッジ、という意図をもって、わかる人にはわかるモーツァルト和声をふんだんに盛り込んだ「確信犯的擬古趣味による交響曲」だったというのが私見です。それと似たことを近代に試みたのがセルゲイ・プロコフィエフの「古典交響曲」(交響曲第1番)であることは言うまでもありません。彼はハイドンの精神で書いたと語っていますが、第2楽章などモーツァルト的でもあります。本稿で改めて思いましたが、「モーツァルトみたいな交響曲を書いてください」と注文されてビビらない作曲家は世界のどこにもいないでしょう。そのつもりになっても、できたスコアがジュピターや40番と比較されて・・・(失笑)・・・なんてことになれば。これほどハイレベルで創作し、自分の作風に自然に溶け込ませ、しかもまだ19才だったというシューベルトの才能には震撼するしかありません。

シューベルト交響曲第5番変ロ長調D485

イシュトヴァン・ケルテス / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

 

日曜日のブラームス(交響曲第2番)

2018 AUG 26 16:16:16 pm by 東 賢太郎

猛暑たけだけしい今年でしたが皆さま健やかにお過ごしでしょうか。誰と会っても今年の甲子園はという話になり、そちらも熱かった格別の夏でしたが、いよいよですね、蝉時雨もそろそろという頃になってきました。

ここから年末にかけて、僕にとっては秋ではなくブラームスの季節がやってまいります。

秋深き 隣りは何を する人ぞ (芭蕉)

ブラームス 周りは何を する人ぞ (詠み人知らず)

日本人にとって秋は徐々に深まっていく、味わい深い季節であります。かたや、北米、北ヨーロッパで14年をすごした僕にとって、秋は夏との惜別であり、長い冬への序曲となる季節でもあります。

日本は北緯20~45度の国です。僕にとって、その14年を過ごしたフィラデルフィア(北緯40度)は岩手県の八幡平あたりですが、ロンドン(北緯51度)フランクフルト(北緯50度)、チューリヒ(北緯47度)はみな樺太(サハリン)になってしまいます。

気温で考えると「いや、そんなに日本と変わらないよ」となりますが、「日の出から日の入りまでの時間」の幅ではロンドンはおよそ8~17時間、東京は10~14時間です。日本人にとって昼間の長さは夏と冬で4時間ちがうのが、英国人にとっては9時間ちがうということです。

夏に旅行でぽんと行ってみても日が長いねと驚くわけですが、住んでいると日々の変化ですからそれが体感になっていて、昼間の時間は夏どころか7月からぐんぐん短くなっていく、あの感じは日本では理解できません。それを14年やっていた僕だって日本に18年もどっぷりつかって、文章であれを伝えるのはちょっと難しくなってます。

それ、人間に実に影響大なのです。昔の日本人は日の出で起きて日没で寝る。これオッケーなんです、4時間の差ですから。英国人?夏冬で睡眠時間9時間も変えられますか?あり得ません。だからサマータイムがあるし、冬に16時間もベッドにおれないから起きている。だから蝋燭、電灯ができて、闇夜の暇つぶしで思索したり学問したりバクチしたり芝居やコンサートの需要が出ました。

英国では昼型の人だって暗い中で通勤して仕事して食事して読書して音楽をきく。基本、お天道様と生活を共にする日本人とは真逆の生活なんです。人間の知覚する情報の8割は視覚いわれます。外に出て、明るい、暗い。それが「世の中」なわけですから、それをお互い千年もやってれば日英同盟ぐらいで国民的に気心知れるなんてことはないわけで、ということは緯度が1度しか違わないドイツ人だって同じだろうぐらいはわかるわけです。

僕はドイツでドイツ人の気持ちをつかむのに苦労して半年もかかりましたが、英国での6年の経験がありました。ある時、それを敷衍すればそんなに遠くないかもしれないと気がつき、日々の作業の中で遠くないということがついに腑に落ちました。それは「お天道様と生活を共にする人たちではない」ということだったのです。「次はイタリアぬきで」などというのは論外の牧歌ですが、農耕民族だからというのも、それを言うならフランス人の多くも内陸部の米国人もそうであってまったくの誤解だと気がついたのです。

私見では、日本人が抽象思考に弱いのはそのためです。お天道様が照らさないと見えない、見えないものは信じない。これが日本人。欧州人は冬は16時間も暗闇で見えない。だから見えなくても理が通れば信じる。それだけのことです。神様がそうでしょう。日本人は偶像崇拝、欧州人はそれ禁止です。どっちがいい悪いではなくシンプルにdifferent。そんなに根本的に違う人たちが農業を通じてひとつになれるということは考えにくく、夏冬時間差のほうがずっと影響がある。ということは英独はほぼ同じだし、僕なりの英国式で野村ドイツを指揮すればまとまるんじゃないか?そう「抽象思考」いたしました。

それで事なきを得たのですが、敵国語である英語しかしゃべらない者がドイツの社長になったのは初めて、他社はドイツ留学・ドイッチェシューレの方ばかり、それでも従ってくれて立派な仕事をしてくれた80余人のドイツ人たちには感謝あるのみです。だから僕は英国人のサイモン・ラトルが2002年にベルリン・フィル(BPO)の音楽監督に初めての英語圏指揮者として就任というニュースをきいて興味がありました。やや乱暴な喩えをすれば、N響の首席指揮者に中国人か韓国人がつくようなものです。

それが杞憂であったのはその後の両者の関係が示しています。ラトルは今年から母国のロンドン交響楽団に錦を飾りましたが期待してます。80年代にロンドンで彼がバーミンガム響を振るのを何度か聴きましたがオケと協調型で、独裁型好きとしては物足りない印象でした。しかしBPOに乗り込むのにそれが奏功しただろうという想像がつきますし、アバドもそうでしたが、だから楽員の選挙で選ばれたのだろうと。フルトヴェングラーもカラヤンもいない時代の選択肢かもしれません。

就任2年後のこのビデオはその想像がそう外れてはいないということを示しているように思います。このブラームス2番、ほんとうに素晴らしい。

北ドイツの9時間差の緯度の人であったブラームスが、陽光を求めてイタリアへ行ってインスピレーションを得た曲は日曜日の朝に聴きたくなるのです。

 

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(1)

 

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

大人買いCDセットによるクラシック音楽市場の死

2018 AUG 25 22:22:01 pm by 東 賢太郎

アマゾンからマーキュリー・リヴィング・プレゼンス・コレクターズ・エディション3が届きました。アンタール・ドラティ、ポール・パレー、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキー、アナトール・フィストラーリという気になる指揮者の1960年前後の録音が中心に53枚組というブロッキーなものです。

それが、昨日の午後にネットで見つけて注文したら今朝に家に届いている。店舗で買って、重たい思いをして持ち帰って一晩で53枚聴けるわけありません。でも、3日もたっての配達だとやや熱が冷めてしまう。翌朝のお届けは絶妙ですね。事務用品通販のアスクルは明日来るが売りでしたが、アマゾンの出現で全商品それが当たり前になってしまいました。

だからほとんどの実店舗型小売りは売上が減少し、米国でついにトイザらスが倒産というショッキングなニュースに至ったのはご記憶に新しいでしょう。残酷なようですが自由主義、資本主義はこういうもの、「アマゾンによる死(Death by Amazon)」は盛者必衰の理の一断面であります。

米投資情報会社ビスポーク・インベストメント・グループが2012年に設定した指数で、アマゾン躍進で負け組になりそうな実店舗型小売業を集めた「アマゾン恐怖銘柄指数」(Bespoke “Death by Amazon” index)の株価パフォーマンスを見ると2016年からの2年間でまさに恐ろしいことになっています。


思えばその昔、石丸電気などでLPレコードをあれこれ迷うのは絶大な楽しみでした。LPレコードは収録されているコンテンツの是非以前に、塩化ヴィニールの表面を擦過する針音が一品ごとに微妙に異なるという是非がありました。だから購買にはレジでの検盤という重要なプロセスがあり、それでも帰宅してターンテーブルに乗せてみないと針音はわからないというリスクは除去できず、さらにコンテンツである演奏が気に入るか否かというダブルのリスクがあったのです。

それをCDが駆逐して電子的読み取り信号が商品となった瞬間に目視による検盤は無意味となりました。「第1のリスク」は除去できたものの擦過がなくなり、購買という行為は均質な工業製品の仕入れと変わらなくなりました。しかしそれでもCDはモノではありました。それが今やEコマースだ。僕らはもはや物体でない「虚像(イメージ)」を紙幣という物体すら介さずにプラスチックのカードに記載されている無機質な数字列と引き換えているのです。

まあここまでは百歩譲って「利便性」の勝利と認めましょう。自由主義、資本主義はこういうものだと。しかし均質な工業製品は品質を落とさずに大量生産が可能で小型化により輸送費も在庫管理費も低下して物体としての製造、小売り単価は劇的に圧縮されます。すると「第2のリスク」である「コンテンツである演奏が気に入るか否か」は大方の購買者にとってリスクではなくなってきます。たかが1枚150円のCDがハズレでも大したことはないからです。

そこまで割り切ってしまった自分でしたが、新品53枚組のケースを開けてみると、しかし、これはなんということだと絶句してしまったのです。ドラティのブラームス交響曲全集がドーンと目に飛び込んで・・・。

ここから53枚目に至るまで、一枚一枚のジャケットに感嘆の声をあげながら中のCDを取り出し、いつくしみ、こんなやつが出てくると狂喜し、

こんなのが出てくるや、これは単品では絶対に買わなかったぞと嘆息するという塩梅でした。

このさまを観ていた家内にはわからないだろうと咄嗟に「子供の時にメンコのセットを買ってもらった時の気持ちだよ」と、我ながらうまいことを言うなと納得の説明をしたのですが、さらにわからなくなったようでした。ところがです、一連の出会いの感動からだんだん覚めてくると、この僕にもわからないことが頭をもたげてくるのです。

ちょっとまてよ、セットはいいが53枚組で8千円?なんだそれは、1枚150円かよ?カラのCDRがそんなもんだったじゃないか、ということはコンテンツはタダのおまけか?何かおかしいぞ、ドラティのブラームス、俺は1万円でもいいぞ、コープランドは5千円でも。

ほんとうです。まったくイラショナル(非合理)なことですが、僕は150円じゃなく1万円、5千円払いたいのです。もしそれで昔の価値観の時代に戻るなら・・・。

2000年ごろ不良債権のバルクセールというのがよくありました。纏め売り、バナナのたたき売りであって、単品では売れないクズ不動産を「オトナ買い」させたい銀行の窮余の一策でした。「53枚組はあれと同じか?そんなにCDは売れないのか?」、危機感が僕の頭をよぎりました。現実に売れ残りのバルクの中に箱根の土地があった。芦ノ湖、プリンスホテルを眼下に望む景観があって、えっ、こんな安くていいのという値段でした。

リゾート地が売れなくなる。業者は資金効率のために売らんかなの姿勢になる。すると売れる市場価格まで値が下がる。すると景観の価値は度外視になるのです。駅近、治安、生活インフラなど万人が気にする要素(地価を決めるハードとしての要素)に比べ趣味性が高い景観は先に無視される要素なのです。CDにおいてコンテンツである音楽は趣味性の要素で、売らんかな姿勢の業者がバルクセールをすれば、値段はハード(工業製品)原価であるCDR1枚の値段まで下がり得るということです。

それは購買者としてはむしろ有難いことです。しかし、マクロ現象として長期的な目で見るならば危機をはらんでいます。53枚組のどの1枚だってLPの頃は1500円はしていた。インフレを加えると10分の1超に至る価格破壊が「第2のリスク」を軽減してはくれます。しかし、その背景で由々しきことが進行しています。購買者は選択の安心と引き換えに鑑賞への集中力を無意識に放棄しているということです。まあ安いから聞いてみようか、1枚150円のCDがハズレでも大したことはないや。10倍のお金で買った場合とは集中力はおのずと違います。それが常態化すると人間は徐々に不要となった能力を失うのは進化の歴史が証明しています。

供給者側でも、アダムのジゼルの程度のクオリティの音楽、つまりたいして売れそうもないコンテンツを当代一人者のフィストラーリのような演奏家、最新鋭の録音システムでコストをかけて商品化しようというインセンティブは著しく低減するでしょう。英Deccaがヘルベルト・フォン・カラヤン / ウィーン・フィルを起用したジゼルは1分当たりの(音楽の価値)÷(製造者原価)の値が最も低い録音だろうと思われ、収録した1961年あたりにクラシック音楽ソフト市場の数値のボトムがあった可能性が高いと考えております。

需給の両サイドでの質の低下は確実に文化を変質に追い込みます。経済学のわかる人は本稿の趣旨である「アマゾンによる死(Death by Amazon)」との類似性を見抜かれるでしょう。大人買いCDセットはクラシック音楽ソフト市場の断末魔になりかねないのです。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

僕が聴いた名演奏家たち(フランコ・グッリ)

2018 AUG 15 0:00:21 am by 東 賢太郎

僕が実演を聴いて最も感動したヴァイオリニストの一人がイタリアの名手フランコ・グッリ(Franco Gulli、1926 – 2001)です。残された録音でその美音をどこまで味わえるのかは心もとないですが、ベートーベンの協奏曲にその片鱗があります。演奏についてはここに書いた通りです。美音というと他が抜ける、歌でないパッセージがいい加減、音程がどうもという人が多い中でそれがない。色気も艶も華もあるが身持ちの堅い女性という処ですな、僕はこういうヴァイオリンが好きなのです。

ベートーベン ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品61

56才の脂の乗ったグッリの美音を最初に聴いたのは渡米した1982年のフィラデルフィア管弦楽団定期演奏会でのブラームスの協奏曲でした(10月22日)。指揮はユージン・オーマンディで、今になるとなんて凄いものを聴いたのか!

ヴァイオリンとはこういうものかと教わった鮮烈な出会いです。美音の洪水でした。それでもまだ耳は未熟でしたから、ワインでいうならいきなりロマネ・コンティ(ペトリュスというよりもね)の味をしめたようなものだったかもしれません。第3交響曲も予想外に骨格が立派で、オーマンディーのドイツ物が不評だったのはCBSの録音のせいだろうと思ったのを覚えてます。

次もやはり同じオケで、リチャード・デュファロ指揮によるモーツァルトの協奏曲第3番です(1983年3月16日)。この年の2月4日、僕の誕生日、カーペンターズのカレンが拒食症の末に世を去ったというニュースが流れ愕然とした1か月後でした。

こっちのグッリは水を得た魚で、唖然としているうちにあっという間に終わってしまい歌、歌、歌だった以外細かくは覚えていません。この演奏で曲の魅力がわかり、カーチスに留学中で親しかったヴァイオリニストの古沢巌さんに無理いって自宅でこれの第1楽章を弾いてもらったのが思い出です。後半のシェーンベルクですが、このコンサートは遊びに来ていた母も連れてきていて、もう少しポップな曲を聴かせてあげたかったと思った記憶があります。それにしても現代音楽の旗手だったデュファロ(1933 – 2000 )の忘れ難い名演でした。

モーツァルト3番のプログラム

先日にロジェストヴェンスキーが亡くなって、もう大家の時代は終わったと観念したのです。寂しいですね、自分の歴史が風化していくようで。僕は20世紀の最後の5分の1ほどを欧米で過ごし、片っ端からクラシック音楽演奏史に残る大家たちを聴いてプログラムやFM放送のエアチェック音源を保存して印象記までこまめにつけたというヒマ人です。まだまだストックがありますが、退蔵するのでなく少しでも世界のクラシックファンの皆さんと共有できるよう公開してまいります。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

三遊亭歌太郎
小林未郁
島口哲朗