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カテゴリー: クラシック音楽

パターソン氏とスヴィーテン男爵

2022 SEP 19 18:18:01 pm by 東 賢太郎

バロック・オペラを教えてくれたのは前稿で書いたD.P.さんでした。彼は現在はニュートン・インベストメントとなっているリード・ステンハウスという運用会社の主任ファンド・マネージャーでした。この業界、オックスブリッジ卒は普通ですが、氏はなにせケンブリッジ大学でアイザック・ニュートン以来という二学部首席卒業でただならぬ雰囲気の方。強豪並みいる我が先輩方も対応に難儀していたアカウントで、ちょうど担当替えの時にロンドン赴任して2年目でまだ未知数の僕に「やってみろ」と担当が回ってきたのです。ここに通用すればお前を一軍ベンチに入れてやろうという部内の雰囲気でありました。

チャンスと思い、勇んで訪問しましたがけんもほろろ。話がつまらなかったんでしょう、30分のアポは5分で打ち切られてバイバイ。相手にもされませんでした。これがプロの世界というものなんです。それでも毎朝電話して懸命に食らいついたので、あるとき、ソニー、TDK株の小口の買い注文をいただきました。お試しですね。ところが何ということか、その執行で大チョンボをしてしまうのです。すぐに先輩同伴で頭を下げに行きますが、「あんなに西洋人が怒ったのは見たことないよ」と先輩が匙を投げるぐらい激怒されており、即刻、出入り禁止が通告されます。部内では「お前なあ」となり、こっちも即刻二軍落ち(大事なアカウントの担当をもらえない)となったのです。

それでもそこの担当は外されなかったので、毎朝の電話は何があろうとやるぞと決心しました。半年ほどして、毎朝その電話をとってくれる秘書の女性が同情して何か言ってくれたんでしょう、10分だけ会ってくれるようになり、懸命に投資情報サービスをしていると、半年ぐらいしてやっとKenと呼んでくれるようになります(英国人は会って5秒でKenになる米国人とは違うのです)。よく覚えてませんが、そのあたりでクラシックが好きだという話をしたのだと思います。そこから何があったわけでもないのですが、ある日、夫婦で食事をしようと誘われ、一気にうちとけ、ついに大きな商売をいただけるようになったのです。

日本の企業経営は文化が反映していると話していると、訪日経験がないのでピンと来ないといわれました。日本株責任者がそれはいかんでしょうと、すぐに本社に頼んでトリップをアレンジし、東京、大阪、京都の企業訪問に随行したのです。こんな方と1週間も2人だけで旅行できたというのはいま思えば財産です。投資とは何か、リスクリターンとは何か、企業の何を見るのか、何を質問するのか、どう分析するのか、大英帝国保守本流の、そのまた本丸である “ザ・シティ” の目線で東インド会社の歴史からじっくり説き起こして教えていただきました。目から鱗でした。それで僕は考え方だけは少なくとも投資のプロフェッショナルとなったはずであり、これで食っていけると盤石の自信もできたのです。

彼は投資哲学のベースとして政治、歴史、哲学、美術、文学、科学に博識なレオナルド・ダ・ヴィンチのような方であり、日本文化も事前に勉強されていて京都を堪能されました。そこで「松下とフィリップがどう違うかわかったよ」とぽつりと言われたのが非常に印象的です。これをまさしくインテリジェンスというのですね。何を見てそう思われたかは聞くのも野暮なので遠慮しました。寺社仏閣や日本史の知識だけ覚えて帰っても単なる雑学で何も役には立たないんですね。D.P.さん、すなわちデビッド・パターソン氏とはこんな深いつきあいがあったからとても影響を受けており、彼もそう共感していたと思います。僕が後にフランクフルトで「社長になったよ」とロンドンに電話すると、他人事と思えなかったのでしょう、それでここに書いた事件が起きたわけです。

我が家の引っ越しヒストリー(2)

 

これがフランクフルト空港まで抱えてきてくださったGroveのオペラ辞典です。重かったでしょう。

氏の音楽の造詣は底なしでしたが、それは単なる音楽だけではないんです。科学も美学も歴史も哲学も複合したリベラルアーツですね、ギリシャ・ローマ時代の「自由7科」(文法、修辞、弁証、算術、幾何、天文、音楽)に起源のある文化人の教養、それも干からびた知識でなく、人間を啓蒙し、良い意味で宗教や絶対権力の束縛から解放するための「自由人にふさわしい学芸」、「より良く生きるための力」ですね、ここにちゃんと音楽が入っている。そういう感じでの「音楽」なんです。当時は浅学でそれに気づきませんでしたが、あとで年齢を重ねるとだんだんわかってきて、氏から教わったものこそ僕が人生をかけて追及するものだと悟りました。

バロック・オペラというと英国ではまずヘンデルなんです。もちろんJ.S.バッハも敬意は払われてますが、息子でロンドンに住み着いて、モーツァルト坊やの才能を見抜いて可愛がったヨハン・クリスティアン・バッハも人気なんです。彼はハイドンより3才年下で、ロンドンで「ヘンデルの後継者」の地位にありました。もしJ.C.バッハが47才で急逝しなければ、モーツァルトがロンドン行きを父に打診した1786年にまだ51才の彼は、年上のハイドンでなく坊やを呼んだでしょうね。そして英語版の「フィガロ」が大流行し3代目のドイツ人マエストロになった。彼自身もそう望んでいたと思います(英語を勉強し、ヘンデルの伝記まで蔵書にありましたからね)。僕の「さよならモーツァルト君」はそういう事実があって思いついたものです。

ヘンデルは国民的人気ですが、ハレルヤで国王まで起立する。ノリントン指揮のメサイアで僕もしました。氏が教えてくれた『リナルド』(Rinaldo)は好きなオペラの一つで、筋書きは「後宮からの誘拐」と「魔笛」を足して二で割ったようなものです。ヘンデルを研究したモーツァルトが知らなかったはずはなく、リブレットに影響があったかもしれません。最晩年のベートーベンはヘンデルに傾倒して楽譜を取り寄せましたが、ロンドンから委嘱された第九の終楽章をオラトリオ形式にしたのも関係あると考えるのは自然でしょう。日本ではヘンデルの真価が100%知られてはいないように思います。音楽の父はJ.S.バッハで、ヘンデルは対比して音楽の母なんてどこかに書いてありました。あまりに稚拙で日本の恥なので氏には言えなかったですね、やめたほうがいいですね。

ここで特筆したいのは第二幕のアルミレーナのアリア「私を泣かせてください」(Lascia ch’io pianga)です。クラシック好きで知らない人はない超有名曲ですが、この美しさ、気高さったら只者ではない。教科書によくある「このソプラノの旋律に和声をつけよ」なら、ヘンデルと同じものをつけるのはそう難しくないと思ってしまいます。というのは、響きの良い部屋で歌えばわかると思いますが、メロディーの倍音から美しい和声がいとも自然に紡ぎだされて耳に聞こえてくる感じなんです。まったく作為なく独創的で、素晴らしいメロディー。和声も含めてこれ全体をゼロから発想すること自体、ヘンデルの才能、凄すぎますね。

この歌を楽器でなぞることは何ら難しくないでしょう。ところが、歌となると、どうもそうではない。意地悪になる気はないのですが、youtubeに数ある歌で気に入るのはごくごく少数なのです。ほとんどはどこがだめかというと5小節目の so (ミーファソ)の「ソ」。そして9小節目のe cheの「ファ」です。ほとんどがこの2音のクオリティが悪く、僕はそこから先はもう聴く気がしません。ヴィヴラートをかけすぎ、「ソ」が微妙に音程ハズレ、バロックらしい軽さでポンと決まらない、決まってはいるが決めようと頑張って余分な力が入っている、そして、「ファ」の6度跳躍がずり上げになる、ロマン派風に歌い上げる、等々。なぜだめか。コンサートピースとして歌っている人が多いせいもありましょうが、僕の趣味ですとバロックの様式にあわないから白けてしまうのもありますし、何より、「倍音」と書きましたが、ピッチが悪いとこっちのピュアな和声感覚の根本が揺らいでしまうので気持ち悪くて話にならないんです。

だからかどうか、ヘ長調をホ長調、変ホ長調、ニ長調に下げる人が多いですね。このジャンルで評価しているサンドリーヌ・ピオーでもホ長調なのに「ソ」がいまいちだ(難しいんですね)。チェチーリア・バルトリもホ長調、悪くないですが個人的に声質がこの曲にはどうも。中には堂々たる4度下げのバーバラ・ストレイザンドのハ長調もあります。サウンド・オブ・ミュージックは大好きなのですが、こうなるともう別な曲ですね。ただ上記の2音は、ここまで下げれば、うまくクリアできてます。要はヘ長調でこう歌えるかということです。

モンセラート・カバリェはヘ長調で2音をクリアしておりさすがです。「ソ」はピアノと完璧に溶け込み、もはや見事というしかありませんし、原調を守りピッチを汚さないためのこのテンポなら技術と見識の高さに敬意を表すばかりです。ただ、これは僕の趣味ですが、このテンポで音をレガートで繋げるとバロックの様式感がどうか。これは大歌手カバリェの芸風ですからあれこれ言う問題ではありませんが、ここでは僕は採りません。

スェーデンのトゥヴァ・セミングセンはうまいですね。ホ長調ですが80点はつけられます。

フランスの第一人者、パトリシア・プティボンはかなり良い(ホ長調)。評判なりの実力ですね、90点。

ということで、僕のベストは次のものになります。ほぼ満点。ハンガリーのイングリット・ケルテシです。NAXOSを廉価盤と言ってはもはや申しわけないですが、この手のアルバムはyoutubeでもないと僕はまず聴く機会がありません。というわけでケルテシの名は初めてききました。しかしNAXOSでもこの歌手がアルバムの表に名前がクレジットもされないことを見るにつけ、愕然というか、背筋が寒くなるばかりです。世界のクラシック界は危機的状況に陥りつつあると危惧せざるをえません。本物を売り出さない限り聴衆も育ちません。歌唱について素人の僕が言うべきことはありませんが、いつまでも聴いていたい声とはこのことです。ヘ長調でありながら声質、2音の音程、音楽性ともyoutubeにある中で最高。唯一、5小節目の so (ミーファソ)が3連符になってますが(オケ部分も)、何かを譲歩しないと難しいならテンポよりこれでしょう。それを割り引いても1位。皆さん是非、ご自分の耳でお確かめください。

このアリア、アルミレーナが魔法使いに誘拐されて過酷な運命を悲嘆する場面ですが長調です。ここをあれっと思うことがバロックオペラの第一歩でしょう。ちなみにモーツァルトは魔笛で悲嘆したパミーナに Ach, ich fühl’s をト短調で歌わせてますね。短調なんです。どっちも同じほどの悲嘆の歌なんです。モーツァルトはよくわかってない人たちにロココの作曲家と言われますが、そのレッテルはヘンデルの音楽の母なみです。

彼はこのアリアで、フィガロにもドン・ジョヴァンニにもコシ・ファン・トゥッテにもない、息を押し殺すような繊細な心のひだをロマン派を予言する和声にのせ、バロック世界にはない驚くべき緻密な感情表現を描写するに至っているわけですが、そのきっかけはウィーンに移住してから公私にわたり面倒を見てくれたゴットフリート・ファン・スヴィーテン男爵の私的スクールにどっぷりとつかったことです。外交官として教養ある偉大なアマチュア音楽家でありキュレーターでもあった男爵の膨大なプライベート・ライブラリーでモーツァルトはバッハ、ヘンデルの楽譜を見て驚愕し、ギャラント様式だけで書いていた自分を根源から見直すのです。ウィーン時代の名作の山はそこから生まれたアマルガム(合金)であります。

僕にとって、かつてそういう人があったかというと、デビッド・パターソン氏をおいてありません。だから、神様が引きあわせてくれたスヴィーテンだったと思っております。今もって感謝するしかありません。

Lascia ch’io piangaを聴くと、いつもドン・ジョヴァンニの「薬屋の歌」を思い出すんですがいかがでしょうか。悲嘆の歌がエッチなほうに行ってしまったのなら、それもモーツァルトらしいのですがね。

音楽の良い聴き手になるのに学習はいらない

2022 SEP 16 18:18:24 pm by 東 賢太郎

先だってkinoko様に「東さんは独学でどのように音楽や楽譜を学ばれたのですか」と質問をいただきました。ありがたいご質問と思いました。思えば同じことを学生時代に友人にきかれ、米国で家に来た学友たちにきかれ、ロンドンでお招きした英国人ご夫妻にきかれ、豊洲シビックセンターでもきかれましたが、僕は誰に頼まれたわけでもなく、一文のお金にもならないことを時間をかけてやってる物好きな好事家にすぎません。

音楽も楽譜も、学んだことも重視したこともないのです。独学という言葉には「学」の文字があるのでお勉強っぽいのですが、英語だと self-taught で自分で自分に教えるということです。先生が自分という素人だから素人以上にはなりません。僕は野球もゴルフも勉強も、プロである仕事以外はぜんぶそれですというお答えにどうしてもなってしまいます。

そこで、いつもそうしてますが、「とにかく曲をたくさん聴いて耳コピしてしまっただけです」と返信させていただきました。その努力はしましたし、それ以外にここまでのめり込んだ理由も見当たらないからです。誰でもその気になればできますので、もう少し丁寧にご説明しておこうと思います。音楽を「聴く」とは何か、「耳コピ」とは何かということをです。

音楽をきいて楽しむのに学習はいりません。なぜなら楽しめるように音楽は書かれているからです。退屈して寝てしまった人は決して自分が悪いとは言いませんね。「退屈な曲だ」というんです。皆がそういえば評判が悪くなって作曲家は仕事が来ません。だからあの手この手で仕掛けをします。演奏会で第九の第三楽章で居眠りしてる人は結構いますが、家路につくほとんどの人は「感動」してます。だから第九は人気なんです。ベートーベンがうまかったということですね。

ハイドンは「驚愕」の第二楽章でどかんとやります。寝てる人をおこすため。あそこで寝るならば、第九の第三楽章までおきてるのは奇跡ですね。ハイドンの技を学んでいるベートーベンは、普通はゆっくりの第二楽章でいきなりばーんとやり、次のアダージョでまた寝られても終楽章の出鼻で今度は強烈な不協和音をばーんとやる。さすがに会場の全員がびっくりして目が覚めます。そこから歌が入って、気がつくと壮麗な神殿にいるようで、何やらわからないまんま、あれよあれよで「ブラボー!!」が飛ぶのです。

初めて第九に連れていかれた人はそんな感じでしょう(僕もそうでした)。感動したのでレコードを買いましたが、でも、やっぱり第三楽章まではつまらないんですね。終楽章だけ聞くのも変だし、しかも当時はLPですから第三楽章の途中で面がかわるんです。レコードをひっくり返さなくちゃいけない。幻想交響曲もそうでしたが、それでだんだん疎遠になってしまいました。

モーツァルトはもっとだめなんです。だってどかんもばーんもありません、最初の楽章から寝てました。ロックから移住してきたからでしょう、僕にとっていちばん退屈な作曲家はモーツァルトだったんです。レコード棚に初めて加わったのは大学に入ってからでフリッチャイ指揮の交響曲でしたね、それも廉価版で安く、生協で割引になるからという理由でした。

その頃、僕がクラシック初心者だったかというと、そうではないんです。もう5、6年は真剣に聴いていて、ストヴィンスキー、バルトークの主要曲は何度も聴いて覚えてました。春の祭典のことは何度も書きましたが、火の鳥もアンセルメ盤が頭に擦りこまれていて、寝ても覚めても全曲演奏が鳴ってました。プログレッシブ・ロックみたいで違和感がなかったのです。

そんな僕が豊洲シビックセンターで300人のクラシック愛好家のかたにモーツァルトの素晴らしさを語るなんて天変地異なんです。だから「あれから学習してモーツァルトに目覚めたんです」と言えれば楽で格好もいいわけです。しかし困ったことにそうではないんですね。知らないうちに魔笛もフィガロもレクイエムも覚えていて、知らないうちに口笛で出るようになっていた、それだけなんです。

曲を覚えている方はたくさんおられます。ただそれは聞けば曲名がわかることなのか「耳コピ」なのかは違います。ここで「耳でコピーする」それのご説明が必要になるでしょう。譜面なしに歌や楽器で再現できることを言いますが、僕は中学生の時にギターを買ってもらい、ベンチャーズやビートルズをまねた時期があります。楽譜はないですからまねするには「耳をかっぽじって」きくわけです。すると3分ぐらいの曲が耳に焼きついて、頭の中で「リプレー」(再現)できるようになります。

だんだんそれが習慣になって、クラシックでも耳がそういう風に勝手に動くようになりました。そこで大きな経験がやってきます。後に留学して、カーチス音楽院の大ホールで、セルジュ・チェリビダッケのオケ・リハーサルを、ガランとした客席に一人だけの状態で見せてもらったことです。これを説明するにはその時のムードを書かなくてはなりません。ピンと張りつめた空気の中をマエストロは舞台左手から悠然と歩いてきて、客席の前の方にひとりポツンといた僕に気がつきました。指揮台からにらまれ、何か言われそうになり凍りつきましたが、ほどなく彼は無言のままオケの方を向きました。

オケの第1Vnには畏友の古沢巌さんがいて(彼の手引きで、学校に懇願して、そこに立ち入らせてもらったのです)安堵の目を合わせようとしましたが彼の方がそれどころではありません。舞台ではみな顔がこわばっていて、細心に細心を重ねた注意を払ってドビッシーの音を要求されてゆく。それがまた凄くいい音なんです。こうやって作った音楽は、受け取る側もそうやって聴かないといけないものなのだと感じ入りました。耳コピ当たり前ぐらいの集中力とテンションで聴いて初めてあの美はわかるんです。これからもそうしようとなって今に至っております。

「そんな疲れることはしたくない、音楽はリラックスして楽しむものだ」という方はもちろんそれでいいと思います。どなたにとってもそれが音楽をきく目的というものでしょう。ただ、「耳コピ」すると別な演奏に接して比較する楽しみが出てくるという効用はあります。聴き方が critical(批評的)になるので、違いを「言語化」できるようになるんですね。演奏会が終わって「感動しました」で結構なんですが、人間の感覚的な記憶は定着しにくいそうでその感動がどういうものだったかはやがて忘れてしまうでしょう。

ところが言語化できていると(日記にでも書き残せば特にですが)それを何年たっても覚えていて、そのメモリーが蓄積し、増幅していくのです。やればすぐわかります。これはソムリエが「ワインの味の覚え方」でいってることと同じです、彼らは飲んだワインの味、ブケ、アロマという感覚的なものを干し草の香りとか、猫のおしっことか「言語」で覚えているのです。その蓄積がないと知らないワインを評価する基準ができず、ソムリエ試験に合格できないそうです。音楽でもそれは有効だと思います。

「耳コピ」ができるようになる方法は「耳をかっぽじって聴くこと」に尽きます。それでどなたでも出来ます。1音たりとも聴き逃さない気持ちをもって、心の録音(REC)ボタンを押してから聴くのです。これを何回かやれば、覚えます。皆さん受験勉強をしたわけですから間違いありません。音質は良いに越したことはありません。さっき、娘にマ・メール・ロワをRECモードで聴きなさいと僕のヘッドホンを与えました。「人類最高の精巧な美を味わうんだよ、安物じゃダメでしょ」と言って。これで彼女は宝石を一つ得るはずです。

では楽譜は我々にどう関わるのか、はたして聞くだけの人に必要なのだろうか。クラシックのような複雑な音楽になると耳だけでは見当もつかない部分がたくさんあります。ここで、楽譜が登場するのは僕の性格からかもしれないのですが、未知の病原体を顕微鏡でのぞく科学者の気分になってくるのです。ですからこれは趣味の世界であって必要とは思いません。曲が頭に入っておれば、どなたでも十分にソムリエになれますし、外国へ出ても、ご自分の意見を堂々と語ってリスペクトされますから何の不足もないと思います。

英国時代のお客様で演奏会、オペラをよくご一緒した方にD.P.さんがおられます。僕が最も尊敬する英国人です。ケンブリッジ大の首席で、博覧強記のインテリですが彼の音楽の聴き方はとても趣味が合いました。年上なのでクレンペラーをリアルタイムで聴いていて高く買っておられましたが、理由は「楽譜の奥に隠された secret のありかを知っているただ一人の指揮者」というのです。それは何かときくとcommon senseだと。常識ではなく、彼の意味は文字通り「作曲家と同じ(共通の)センスがある」ということでした。

クラシック音楽は欧州生まれです。それを欧州人の感覚(センス)でないとと言われると日本人は困りますが、彼は「ミツコ・ウチダのモーツァルトは西洋人の誰よりいい」ともいうのです(内田さんは英国人ですが彼には日本人なんです)。英語は忘れましたが、たしか、「昨今は技術がパーフェクトな演奏家は多くいるが、Perfectionism sounds vacant. (センスに欠ける完全主義は空疎である)」ともおっしゃいました。common sense が大事なことは同感です。だから演奏家は何国人でも構いませんがそれを探求する意欲が大事で、こればかりは現地に行かないとどうにもなりません。そういう日本語のツアーがあればお薦めですし、どなたか識者と一緒に回られるのでもいいのではないでしょうか。

僕の場合、12年も住みましたからD.P.さんの意図が何となくわかって有難いのですが、住んだといってもモーツァルトの時代ではないわけですからそれだけでは意味はありません。東京に12年住んでも江戸時代がわかるわけではないのです。そのためには、江戸時代はどんな光景だったのだろう、江戸の町人はどんなふるまいをしていたのだろうと好奇心をたぎらせ、良いサンプルである浮世絵とそれが描かれた現在地を比べて回ってみようぐらいの探求心は必要です。そうやって北斎や広重の絵の流儀を知り、時代背景を知り、観るものの心を鷲摑みにしてきたsecret のありかを悟ることができると思います。

楽譜の話に戻りますと、僕にとってハイドンやモーツァルトの楽譜は、ウィーンを知るための浮世絵のようなものでありました。その音を頭でリプレーしながらウィーンの音楽史跡をくたくたになるまで探索し、そこで時間を過ごし、すでに僕は僕なりの「ウィーンの原像」を心に持っています。確信をこめていいますが、モーツァルトを演奏する人はラウエンシュタインガッセ8番地ぐらいは行ってもらわないと困るんですね。墓地やフィガロハウスじゃないんです、あそこで彼は旅立った、そのずっしりとした悲しい重みをどう自分の中で消化したか、そういうものが演奏に出てしまうのがモーツァルトの音楽なんです。球を転がすような真珠のタッチで弾いたモーツァルトはきれいですが vacant です。

国立歌劇場でパルシファルやこうもり、アン・デア・ウィーン劇場でメリー・ウイドウを聴いたり、ムジークフェラインでニューイヤーコンサートを聴いたり、ウィーンではいろんな機会に恵まれてオペラ、演奏会をたくさん堪能させてもらいましたが、それとこれとは別個のものです。所詮は現代のシチュエーションでの鑑賞ですからね、それを何百聞いてもハイドン、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、ブルックナー、ブラームス、マーラーの時代とは関係ありません。極論すれば、ウィーンで一度も音楽をきいたことがなくとも、好奇心、探求心さえあれば「ウィーンの原像」を心に持つことは可能と思います。

パリでも真夏に丸一日歩き回ったことがあります。メシアンのトリニティ教会、ロッシーニのカフェ、モーツァルト(22才)とショパンの住んだホテル、リストのエラール屋敷、旧オペラ座跡、オッフェンバックが「ホフマン物語」を書いて亡くなった家、リュリの館、大クープランの終の家、モーツァルトがパリ交響曲を初演してアイスクリームを食べたパレ・ロワイヤル、そして彼のお母さんの葬儀をしたサン=トゥスタッシュ教会。現在のオペラ座の近く(1区)ですが、こんなに重たいものが至近距離にごった返してるんですね。漂うのはいまのパリの空気ではない。こういう足で歩いたものは劇場でホフマンを1度聴くよりパリの原像を理解する助けになっています。

楽譜は江戸なら浮世絵と書きましたが、絵描きでない我々が技法のことをあれこれ知る必要はぜんぜんないでしょう。僕は純然たる好奇心から対位法、和声法、管弦楽法の教科書を買って読みましたが、それでグレードの高い聴き手になったという感じはまったくしません。聴き手としては単なるアカデミズムで、耳コピできる方が10倍もご利益がありますからそちらに傾注された方が見返りはずっと大です。ただ、ピアノが弾ける方は二手リダクション版で新世界や未完成を弾いてみるのは一興です。ブルックナーとなると難しいですが好きな方ならしびれることはお墨付きです(petrucciで検索すれば無料で手に入りますよ)。これができるようになったのはビートルズの耳コピの副産物です。ギターが弾けたからです。なんでも結構なので楽器をやることは良い聴き手になる一助だと思います。

 

 

ヘンデル『主は言われた』を亡き女王陛下に

2022 SEP 12 13:13:04 pm by 東 賢太郎

エリザベス女王というと、僕にとっては物心ついた時から女王であり、英国に赴任した時には58才だった。charming だと親しまれ、ビートルズが揶揄してもジョークで返したりのウィットが素敵だった。近くで拝見したことはないが、しかし公式行事での存在感は圧倒的で、英国民の多くは女王が国家の代表であることに納得どころか、誇りを持っていると感じたものだ。

訃報が出ると虹がかかってしまうなんて、どっかの国なら真っ先にヤラセを疑う出来すぎだが、どうやら本物のようだ。天がかけてくれてもむべなるかなというだけの神々しい方だった。その治世下で6年間を過ごさせていただいた者として、深い悲しみを覚える。

我々は皇室があるおかげでそうした風景を見ても自然と思うが、米国や露西亜や中国の国民は必ずしもそうではないだろう。日英では行政官の長に過ぎない大統領や首相が国家元首であるという国々においては、各国の事情の違いはあろうが、選挙で彼らに投票はしても誇りまで感じる人は多数派でないと思う。しかも現状の米国のように僅差で敗れた候補のシンパが半数近いという国で元首に誇りを持てといっても不可能であろう。

当時はロンドン市内で北アイルランド(IRA)の爆弾テロ事件が何度かあったが、国論が真っ二つに割れてのテロや暴動に至ることはなかった。我々駐在員は移民ではないが外国人ではある。政権与党がどうあれその扱いが extreme には振れないだろうという信頼が英国にあったのは、女王のような振れない方が頂点におられ、その人格まで国民に知れて敬愛され、与野党がいくら政争に明け暮れようと、どちらの議員も女王陛下は慕っているという絶妙なバランスがあったことによる。

君臨すれども統治せずとはこのことかと身をもって知った。それこそが安定感のある市民生活を保障してくれるのであり、政権が変われば何がおきるか知れない他の外国ではそこまでのものは感じられなかったように記憶している。おかげで家族が安全に楽しく暮らすことができ、個人的にも音楽会やオペラに通い、週末はゴルフに興じ、英国の政治哲学に関心を持つだけの心の余裕ができたことを感謝したい。そして皆様に知っていただきたいのは、そうした揺るぎなさは我が国にもしっかりとあるということだ。皇室の存在とは言葉にはならない不思議なものである。

女王は我が父より1才半ほどお若い96才だったが、ともに今年逝去ということになると個人的には何か大きなものが過ぎ去っていった観を禁じ得ない。短期間だが徴兵されて耳が片方聞こえなくなった父は息子の米国留学には複雑だろうと思ったが、意外にもそれはなく、英国赴任を知らせると背中を押してくれた。いったん帰国して2年後に辞令の出た独逸赴任は寂しそうではあったが、同盟軍としてということだったのだろう、近くの神社の拝殿でご祈祷をあげて赴任を祝ってくれた。そのお陰あってか独国でのビジネスは順調であり、英国とは別な意味で思い出深く、こちらは3年であったがずっしりと重みのある滞在となった。

英独というと、両大戦のみならず長きにわたる不倶戴天の敵同士である。だからというわけではないが、日本企業でその両国に辞令が出た者というと、当時グローバル展開の最先端を行った野村證券ですら僕が2人目だ。理由は言葉である。英米に留学して独語堪能の者はまずなく、独逸留学でないと管理職での赴任に必要な国家試験を通るのが困難だった(僕がこれで苦労したことは書いた)。だから留学の時点でその先の進路は英独のコースに別れてしまい、興銀にはドイッチェ・シューレがあった。独逸のトップは独逸留学者とならざるを得ない。ポリシーの問題というより人の問題だから、他社、他業界でも同じことで、ほとんどいないはずだ。まして両国で生まれた子供がいる日本人となると我が家を除くとゼロに近いのではないか。

だから僕は欧州の近代史を二分する国家である英国、独国どちらもインサイドに入って9年も観察できたという意味で、極めて稀なチャンスを頂いたことになる。哲学も思想も芸術も、両国民性に照らしてこそ腑に落ちたことがたくさんあり、あれほどの哲学者、科学者を生みながら独国で起きなかった市民革命の内在的エネルギーはどこに向かったのかなど、論文にしてみたいテーマは僕の中に幾つかある。独逸という国家がnation-state(民族国家)かというと、プロイセンとバイエルンからしてのっけから否である。ベートーベンをモーツァルトや R・シュトラウスと同じ独逸音楽と括ることは、一般の音楽愛好家ならともかく、物事を体系的に論じようという人にはナンセンスなのである。ただし独逸語話者として括るなら意味はあり、その言語で思考する人特有の精神風土とでも呼ぶべき共通項は認める。

こう書くことに価値感は一切持っていないことをお断りするが、エリザべス女王が独逸語話者であるというイメージは湧きにくい。もちろんお人柄を知るわけではないから印象に過ぎないし達者であられたろうとは思うが、どうも似合わない。露西亜、土耳古(トルコ)、埃及(エジプト)まで制圧を試みた仏語の破壊者ナポレオンに対抗し、ハプスブルグ復古のウィーン体制ができ、ビスマルクが現れ、ヒトラーが現れた強大かつ異形な独逸語話者圏。これを仏語圏と組んで潰しにかかったのが女王陛下の英語圏(英米)であったと見るのは、歴史解釈としてはやや乱暴ではあるが、我が体感としてはあまり違和感がない。単に微笑んでお手振りするだけではない、知性の高い強い国母であったということだ。

我が国においては日英同盟というものはあったが、露西亜との関係で何度も煮え湯を飲まされる。先の戦争に米国を引き入れて結果として日本に多大な厄災をもたらしたのは英国宰相チャーチルでもある。米国に対して僕は優等な教育を与えてくれた多大な感謝があるが、大戦でされたことの特定の意思決定者たちへの反感は消えず、米国国家への感情はというとやや複雑なものがある。しかし、英国に対してもそうであるべきなのに、自分の胸に聞けばそうなってはいない。これがなぜなのかは前述した6年住んでの体感からなのだろう。ということは、君臨すれども統治せずの王室の存在が大きかったことになるのだ。

日本に帰って22年、皇室について思うことはある。天皇が象徴(symbol)であるという文言は、王室を知らない米国人が書いたものであり、その者たちが King reigns, but does not govern. の reign(君臨)を非キリスト教徒の神道国で天皇制を温存するにあたり、認めるのをためらった気持ちは大いにわかる。それほど日本軍は強く、復活を恐れられる存在だったからだ。そんな杞憂は露と消えたいまになって、日本人やまして皇室がキリスト教に改宗するはずもない条件の下におけるsymbolの解釈はどうあれば国益にかなうのか、 酸鼻な史実を知っている僕を英国ファンにしてしまったエリザベス女王の君臨のありかたというものは学ぶものがあると愚考する次第である。

ささやかではあるが英独に関わった個人史の中で、女王様をお見送りする手は僕には音楽しかない。独逸音楽というわけにはいかないが、英国音楽での追悼はいくらもされるだろう。となると答えはひとつしかない。英独を股にかけた人物、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(Georg Friedrich Händel)である。独逸人でありハノーファー選帝侯の宮廷楽長であった彼は英国に渡る。ハノーファーに帰る約束があったにもかかわらずそのままイギリスに住み着いてしまい、ジョージ・ハンデルになって大活躍するのである。ハノーファー選帝侯は後に英国王ジョージ1世として迎えられたが、君臨すれども統治せずは英語を話せず慣習も理解せず、政務を大臣に委ねた彼を英国流に半ば揶揄した言葉で、それが「議院内閣制」の始まりになってしまうのだから面白い。

ヘンデルはウェストミンスター寺院に眠っている。エリザベス女王の国葬は9月19日にここで行われる。

女王様には英国で娘二人を授かった御礼として、僕が愛聴するヘンデルの教会音楽『主は言われた』(Dixit Dominus)を捧げたい。後に作曲するオラトリオ「メサイア」の原型を思わせる名作で、歌詞はラテン語の詩篇、演奏は貴国のサー・ジョン・エリオット・ガーディナー指揮によるモンテヴェルディ合唱団、イングリッシュ・バロック・ソロイスツである。22才で書いたとは信じられない驚異的に素晴らしい音楽で、こんな俊英の独逸人を終世魅了した英国の偉大さを僕もまた愛してやまない。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

ドビッシー「海」ピアノ三重奏版の快楽

2022 AUG 27 0:00:08 am by 東 賢太郎

葛飾北斎「神奈川沖浪裏」

あらゆるクラシックの中で最も好きな曲というと、間違いなく迷うのはドビッシーの「海」だ。もう50年も聴いているのに飽きるということを知らない。これから週2回ペースで聴いても死ぬまで飽きないことは確実だ。食べ物ならばそういうものはあるが、寿司、スキヤキ、天ぷらは好きだけど週2はきつい。僕の場合はカレーがそれだ。「今晩はカレーよ」といわれ、晩になって別なものに変更されているともうだめだ。レトルトでこっそり夜食してメタボの道を行くことになる。

「海」は僕にとってアポロンでなくディオニソスである。むしろ生理的な快楽であるといっていい。誰にでもそうとは思わないが不思議なスパイス効果があって、冒頭のティンパニの h音のロールが流れ始めると心のある部分が目覚め、心拍数が徐々に上がり、脳内にアドレナリンが回り始め、やがてエンドルフィンだかドーパミンだか快感物質が分泌され、やがて恍惚、金縛りになる。他のことが意識から吹っ飛んでしまうので、目の前で何がおころうと誰に声をかけられようと無反応のトランス状態になっていると思われる。心は空洞になっているのだから、たった25分でこんなにストレスを払拭できる曲もない。

ただし非常に危険でもある。人間に「持って生まれたココロの波長」があるとするなら、始めから終わりまで自分と共振しまくるからだ。要するに、すべての音符が、あらゆる旋律、フレーズ、リズム、和音が「おいしい」。おいしくて仕方ない。僕はいかなる甘言もハニートラップにも屈しない意志の強さは持ち合わせていると自負しているが、「やってくれたら秘蔵の『海』をおきかせしますよ」とそそのかされればやってしまう危険がある。

Debussy “LA MER” 表紙

麻薬的に好きなのは第1楽章のコーダで、ここの強烈な「おいしさ」の具合はとても一言では表せない。フルートとハープが雨上がりに差し込んでくる太陽の光を神の来臨の如くおごそかに暗示すると、ホルンの荘厳な和音があたりをオーロラのように緑白色に照らし、ついに雲が割れて燦燦と陽光が降り注がれる。トランペットとシンバルの閃光が天空を疾駆すると色とりどりの花火が頭の中で打ちあがって目まいがし、高潮すると思いきや静かに治まって幽寂のしじまに消えていく。

そしてこの楽想は第3楽章のコーダでまた自信満々に持ち出されるのだ。極上の美酒のようなあの和声が全管弦楽の強奏で荘厳に唱和され、波しぶきを暗示する音型を従者に従えながら天空をオレンジに染めあげる。まばゆい黄金色の金管にシンバルの銀色の粉がキラキラとふりまかれ、やおら快速で疾走をはじめると、全打楽器が荒れ狂った高波のように打ち鳴らされ、壮麗なトリルで最高潮に達したディオニソスの快楽をティンパニの一撃が毅然としめる。

何という素晴らしいスコアだろう。まるで宝石箱をのぞいたような管弦楽法のワンダーランドではないか。米国の作曲家ウォルター・ピストンは著書「管弦楽法」でこの作品から14箇所も引用し、第1楽章のコーダ直前のイングリッシュ・ホルンと独奏チェロのユニゾンを「両楽器は一つのもののように混じり合い、どの瞬間においてもいずれか一方が目立つということがない」と書いた。これだ。

ほんとうだ。どなたも耳を澄ませばわかる。まるで魔法で新しい楽器を一つ創りだしたかのようだ。

ドビッシーが書いた真に交響的な3つの楽章。これしかないのにかくも驚くべき完成度は何なんだろう。それが言葉の真の意味において、創意に満ち満ちた、今もって聴くたびに新しいと感じさせられてしまうやり方で細部の細部まで精密な工芸品のように彫琢されているというのは人間の気まぐれの仕業にはとても思えない。後期ロマン派のドイツ音楽の管弦楽が厚みをつける「足し算」なら、「海」はどの声部どの和音も厳格に吟味し、楽器を切り詰めてミニマルにする「引き算」なのだ。だからすべての音色の混合に格別の意味があり、クリスタルのような薄水色の透明感がオーケストレーション自体に宿っている。とりわけ第2楽章は頂点のできばえを誇っており、スコアは眺めるだけで一個の芸術品のように美しく、メシアンやブーレーズの作品を注意深く聴く人は、おそらくこの楽章が彼らをも驚嘆させたことが伺えるだろう。

オリジナルの管弦楽版からバージョンダウンするとその味は当然に失われるが、ピアノ2手版、4手版、2台版もこれまた非常に面白い。つまり、スケルトンだけでもピアノソナタとして聴ける魅力的な楽曲であるということだ。ところが先日、ピアノ・トリオ版をyoutubeで初めてきき、これがまた発見だったのだからたまらない。ピアノだけに比べると、Vn、Vcの肉づきの旨味がインパクトを与えていてまた違った味わいになっているのである。管弦楽版では聞こえない声部がくっきりと現れ、意外な音律のずれがあったり、リズムの絡みがこうだったのかと目から鱗だったりする。

Boston Trioの腕前は充分で、このライブ録音のできばえについてああだこうだ野暮なことを書くのはやめておく。それよりなにより、3人の優れた音楽家がこのバージョンをやろうと思ってくれた瞬間にもうブラボーである。

Mov1

Mov2

Mov3

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ルーセル バレエ音楽「蜘蛛の饗宴」作品17

2022 AUG 25 9:09:30 am by 東 賢太郎

英国からもドイツからも、列車や車でフランスへ入るといつも感じた。キラキラ輝く畑の光彩に感じた胸のときめき。あれは同じフランスでも飛行機でド・ゴール空港に着いてパリの雑踏に紛れては味わえない不思議なものだ。外国はほんとうにいろいろな処に行かせてもらったが、車で真っ暗な砂漠の丘を越えると忽然と現れた巨大な光りの玉みたいなラスヴェガス、車で長い長い橋を何本も渡り、やはり丘を越えてぽっかりと視界に浮かんだキーウエストの不思議な期待に満ちた遠望と同様に、フランス入りの欣喜雀躍は僕の記憶の中では特別なものになっている。

ニース近郊のサン・ポールの丘の上から眺めた地中海、カプリ島の断崖の頂上で昼食をとりながら虜になった紺碧のティレニア海、ドゥブロヴニクの高い城壁からため息をつきながら眼下に見とれたアドリア海と、できれば生きてるうちにもう一度味わいたい風景はいわば「静物画」だ。フランス入りは少々別物で「動画」であり、動きの中から不意に現れた驚き(aventure、アヴォンチュール)の作用というものである。不意であるから恋人との出会いのように一度きりで、流れ星を見たら消える前に祈れというものだ。そう、あれは思いもかけず心地良く頬をなでる風なのだ。

そんな希望をもたらす風のことをフランス語でvent d’éspoir (ヴァン・デスプワール)という。生きていれば誰しも何かのBeau(ボー、美しい)、movement(ムヴマン、動き)を見ているだろう。夕暮れの太陽、流れる雲、小川のせせらぎ、正確に時を刻む時計、競走馬の駆ける姿、みな美しいが、やはり人間の整った肢体が見せる統制された動きは格別だ。それはバレエやスケートはもちろんあらゆる一流のアスリートの競技姿に見て取れる。訓練した舞台人による動きもそうであり、そうした演技を抽象化、象徴化したパントマイム(無言劇、大衆的な笑劇)は古典ギリシア語 pantomimos に発する古代ギリシアの仮面舞踏であるが、初期イタリアのコンメディア・デッラルテが大道芸になり、そこから生まれたものだ。

笑劇、残酷、妖艶。これが融けあった「美(beauté ボテ)」というものは動画でしか表せない特別なものだ。それになるには人が蠢いて生み出すエロスが必要で小川や時計や馬ではいけない。仏語を書き連ねたが、その語感はゲルマンにもアングロ・サクソンにもなくラテン起源のもので、ラテン語は知らないのでフランス語の “感じ” で表したくなる。ニューヨークで全裸ミュージカル『オー!カルカッタ』を観た。初めから終わりまで登場人物は全員が全裸でダンスやパフォーマンスをくり広げる。それはそれで美しい場面がたくさんあったが、あの健康なエロスはからっと乾いたアメリカンなものだ。笑劇、妖艶はあっても残酷を欠くのである。ローマ皇帝を描いた映画にある残酷さ。死と向き合った快楽、その裏にある人間というはかなく愚かな生き物の露わな生きざま。これをへたに理性で隠し立てしないのがラテン文化であることは多くのイタリア・オペラの筋書きを見ればわかるだろう。

ラテン民族である「フランス人」という言葉は多義的で民族的ではなく、植民地をすべからくフランス文化圏にしようとした汎フランス主義の産物とでもいうものだ。スペインもそうで、南米でインカ帝国を殲滅した残虐さは目に余る。現地文化を同化することなく認め生かした英国の植民地政策とは対極にあり、大陸において日本軍が参考にしたのは仏国式だったといわれるが大きな誤りだった。欧州におけるフランス文化圏の東側はライン川だが、その西岸にいたゲルマン系にそれが被さって混血が進んだ地域がベルギー、オランダ、ルクセンブルグのベネルクス三国である。言語も宗教もしかりだ。ベルギーの首都ブリュッセルは当初はオランダ語を話すゲルマン民族のフラマン人が多かったが今はフランス語話者が多数であり、私見だがブリュッセルのフレンチ・レストランはパリに劣らぬクオリティだ。

Albert Charles Paul Marie Roussel

そういう複雑な文化、宗教の混合がアマルガム状となった結末という意味でのフランス音楽というと、僕の脳裏にまず浮かぶものにアルベール・ルーセル(Albert  Roussel、1869 – 1937)のバレエ-パントマイム「蜘蛛の饗宴」がある。蜘蛛が嫌いなためジャケットもを見るのもおぞましかった当初、この曲がこんなに好きになろうとは想像もしなかった。ドビュッシーが7つ年上、ラヴェルが6つ年下のルーセルはベルギー国境の街トゥールワコン出身、フラマン系のフランス人である。海を愛し、18才で海軍兵学校に進んだ経歴の持ち主で、中尉に任命されて戦艦スティクスに配属され当時はフランス領インドシナだった地域(現在のベトナム)に赴き、そこに数年滞在した。海軍の軍人だった作曲家はリムスキー・コルサコフもいるが、軍人の志と音楽愛は別物というのは僕もわかる。第一次世界大戦が始まると敢然と戦地に出て運転手を努めるのだから軍人の志も半端なものではなく、いわば二刀流であったのだろう。

しかし同時就業は無理である。音楽愛が勝った25才で退役し音楽の道に進むことになる。そしてもう中年である44才の1913年4月3日にパリのテアトル・デ・ザールで初演されたこの曲は成功し、堂々パリ・オペラ座のレパートリー入りを果たした。この道は王道なのだ。シャンゼリゼ劇場でいかがわしい興行師ディアギレフがやってる際物のロシアの踊りとは違う。そういう中で5月29日に「春の祭典」が初演されたが、両曲のたたずまいを比べるならそっちの騒動は納得がいくというものだ。1918年にドビッシーが亡くなるとルーセルはラヴェルと共にフランス楽団を率いる存在になるが、ラヴェルとは対照的に交響曲(4曲)および室内楽のソナタ形式の楽曲が多いのはゲルマンにも近い北フランスの血なのだろう。彼の音楽の色彩を考えるに、大戦後はノルマンディーに居を構えたことは示唆を与える。この地というと僕はロンドン時代の夏休みにドーヴィルのホテルに泊まってモン・サン・ミッシェルへ行ったときのことが忘れられないが、海は地中海のようには青くなく灰色で、波もなければきらめいてもいない。それでも、海がもっと青くない英国人は競ってここに避暑に行くのだ。彼の管弦楽はラヴェルと比べるとそういう色だと思う。

この曲の冒頭、d-aの五度に弦がたゆとうBm-Amの和声。これにふんわり浮かんで歌う、ふるいつきたくなるようにセクシーなフルートのソロはこの楽器の吹き手なら誰もが憧れるものではないか。

ここの効果たるや音というよりも色彩と香りが際立つ。これぞフランスに入った時に感じるあのときめきを思い起こさせてくれる。何度だって行きたい。だから蜘蛛がこわい僕がこの曲を愛好するのは仕方ないのである。しかしこのフルートは庭で昆虫が女郎蜘蛛の巣に誘い込まれる「いらっしゃいませ」の様子を描いているのだから恐ろしくもある。音楽は庭の昆虫の生活を描いており、昆虫が蜘蛛の巣に捕らえられ、宴会を始める準備をした蜘蛛が今度はカマキリによって殺され、カゲロウの葬列が続いて「いらっしゃいませ」の回想から平穏で静かなト長調のコーダになり、チェレスタとフルートのほろ苦い弔いのようなa♭が4回響いて曲を閉じる。何度きいても蠱惑的だ。フランスの昆虫学者ジャン=アンリ・ファーブルの昆虫記にインスピレーションを得て書かれたバレエ-パントマイムは笑劇、残酷、妖艶の大人のミックスという所である。

無声劇の痕跡として音楽が昆虫の動きを追って素晴らしく animé(生き生きと快活)であり、デュカの「魔法使いの弟子」を連想させる。このままディズニーのアニメに使えそうな部分がたくさんある。また、誰も書いていないが、オーケストレーションはリムスキー・コルサコフ直伝というほど僕の耳には影響を感じる(シェラザードと比べられたい)。もうひとつ、非常に耳にクリアな相似はペトルーシュカ(1911年、パリ初演)である。ルーセルは当然聴いているだろう。彼の楽曲の真髄は表面的な管弦楽法にはないが、パリに出てきた北フランス人として興隆し始めていたバレエ・ルッスのロシアの空気は無視できるものでなかったろうし、別な形ではあるがバスクの血をひくラヴェルもリムスキー・コルサコフの管弦楽法およびダフニスの終曲にボロディンの影がある。

全曲版と抜粋版(交響的断章)がある。

全曲版

第1部

前奏曲 Prélude

アリの入場 Entrée des fourmis

カブトムシの入場 Entrée des Bousiers

蝶の踊り Danse du Papillon

くもの踊り 第1番 Danse de l’araignée

アリのロンド Ronde des fourmis

2匹の戦闘的なカマキリ Combat des mantes

くもの踊り 第2番 Danse de l’araignée

第2部

カゲロウの羽化 Eclosion et danse de l’Éphémère

カゲロウの踊り Danse de l’Éphémère

カゲロウが止まる Mort de l’Éphémère

カゲロウの死 Agonie de l’araignée

カゲロウの葬送 Funérailles de Éphémère

 

交響的断章

アリの入場 Entrée des fourmis

蝶の踊り Danse du papillon

カゲロウの羽化 Eclosion de l’éphémère

カゲロウの踊り Danse de l’éphémère

カゲロウの葬送 Funérailles de l’éphémère

寂れた庭に夜の闇は降りる La nuit tombe sur le jardin solitaire

 

​ルーセルは虫眼鏡で観察するほどの虫好きだった。アリ、カブトムシ、蝶を食いながら生きる蜘蛛、そしてカマキリ。これは人間界の生態に擬せられる。懸命に羽化して踊って生を楽しみ、すぐ命が尽きるカゲロウ、これもはかない人間の姿の象徴だ。そしてカブトムシが蜘蛛の巣にいったん捕獲されていたカマキリを逃がし、饗宴の準備をしていた蜘蛛を食ってしまう。これが世だ。こうして笑劇、残酷、妖艶はひとつになるのである。

演奏時間は全曲だと約30分、断章はその半分ほどだ。火の鳥、マ・メール・ロワと同様だ、これだけの素晴らしい音楽はまず全曲版を聴かないともったいない。

 

デービッド・ソリアーノ / ユース オーケストラ ・ フランス

全曲版だ。とても美しい。フルートの彼女、とっても素敵だ。これぞフランスの音。若い奏者たちが母国の美を守ってることに感動する。アンサンブルの水準も高い。指揮のソリアーノにブラヴォー。

 

アンドレ・クリュイタンス / パリ音楽院管弦楽団

交響的断章なのが残念過ぎるが、僕はこの演奏で曲の真髄に触れた。冒頭フルートの官能的なけだるさ!あっという間に魅惑の虜である。オーボエ、ホルンのおフランスのおしゃれ、チェレスタの目くるめく光彩に耳を澄ませてほしい。木管はもちろんハープの倍音まで効いていて夢のような17分が過ぎてゆく。西脇順三郎の「(覆された宝石)のやうな朝」はこんなではないか?なんということか、モーツァルトコシ・ファン・トゥッテの6重唱のように木管があれこれ別なことをしゃべっている。アンサンブルが雑然となるが節目でピシッと合う。パントマイムの面目躍如。こういうのはフランスのオケでないと無理だが、フランスだって今時はこうはしないよ。ドイツ風に縦線を合わたアンサンブルでは綺麗にまとまるが毒にも薬にもならない。それでおしまい。この毒にあたるともう抜け出せない。

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ジョリヴェ「赤道コンチェルト」(1950)

2022 AUG 22 22:22:42 pm by 東 賢太郎

二十歳ぐらいでストラヴィンスキーとバルトークは聴いていて、ちょっと飽きた。もっと何か面白い物はという冒険心で新ウィーン学派を片っ端から聴いたが、どうもしっくりこない。後にブーレーズ盤を知りスコアを追うと幾つか新発見がやってくるが、まだ無調に美を見出す耳がなかったということだろう。

アントルモン盤

そのあたりで出会ったのがアンドレ・ジョリヴェの「赤道コンチェルト」だった。当時、フィリップ・アントルモンが作曲者の指揮で弾いたCBSのレコードが、確かにそういう名称で売られていた。ところが調べるとジョリヴェの作品目録にそんな曲はない。ピアノと管弦楽の協奏曲はひとつしかなく、題名は、

Concerto pour piano et orchestre

(ピアノと管弦楽のための協奏曲)である。その後、そのレコードは廃盤となり「赤道コンチェルト」はレコード屋からも姿を消すという不思議な事態が続いたのだ。本稿はその経緯を推察するものでもあり、あえてそれをタイトルとしておく。

作曲は1946年にフランス国営放送から植民地に取材した作品を委嘱されたことが契機だ。WW2における仏国はパリをドイツに占拠される屈辱を味わう。それを奪回したのはアルジェリア、チュニジアなどのフランス植民地で戦ったド・ゴールであり、パリに凱旋した彼を賛美する流れの中での委嘱と思われる。1951年のストラスブール初演は聴衆の怒号、口笛を巻き起こしたという逸話も残っているが、春の祭典のそれになぞらえれば成功したのかもしれない(注)。

同曲がアフリカを意識して書かれたことは間違いなかろうが、仏国植民地で赤道にかかっている部分はほとんどない。つまり、そこからして「赤道コンチェルト」なる命名は的外れであり、アバウトな人が思いついたものだとしか考えられない。さらに、それは西洋人ではなかろう。なぜなら、赤道というと「赤」の文字が映える日本語では熱帯のジャングルなど絵画的イメージが浮かぶが、equatorというと左様な情緒的ニュアンスは皆無で、単なる北半球と南半球を二分する「理論上の線」である。「均等分割線コンチェルト」という感じで、そんなものが作曲家のイマジネーションを刺激するとは思えない。「赤道」「怒号」で春の祭典みたいにどんちゃんやるイメージを売るマーケティングなのだったらその人は春の祭典の価値もどんちゃんだと思ってるわけで的外れも甚だしい。

おそらく「赤道コンチェルト」は日本のレコード会社の売らんかなの命名で、ショスタコーヴィチの5番という革命礼賛でも革命的でも何でもない曲に堂々と「革命」の名をつけてしまうのと同等のトンチンカンな一例と思われ、作曲者か仏国権利者から指摘があって破棄したのではないかと想像する。「運命」、「合唱」もベートーベン本人のあずかり知らぬ名だ。日本において両曲はそれで知られてしまっているが、こちらはもうクレームする権利関係者はいない。売れればまあいいかというアバウトな極東の極地現象であるとはいえ、「運命」「合唱」のノリで「ベートーベン像」なるものができて大多数の人がそれをイメージして分かり合っている閉じた言語空間において、立派なインテリが「この演奏はベートーベン的でない」などと平然と論じて誰も何とも思わないのはある意味で凄いことである。アントルモン盤は図書館で聴いたが、どうもそうした疑念がにおってしまい買わなかった。

音をお聴きいただきたい。春の祭典を思わせるポリリズムが炸裂すると思えば、第2楽章はバルトークの第2協奏曲を思わせる抒情で神秘感を漂わせるといった具合で実に多彩である。

後にCDの時代になってジョリヴェのほとんどの作品を聴くことができるようになったが、彼はひとことで言うなら「赤道」に限らず作風自体が多彩で代表作を選ぶのが難儀という作曲家である。エドガー・ヴァレーズの弟子であり打楽器を交えた実験的音響に創意がある。しかし主旋律または主役となる楽器を置いて伴奏する古典的発想はそのままで、新ウィーン学派が十二音の「主」という概念を葬ろうとしたような原理的アヴァンギャルドではない。同曲の第2楽章に見られるような「雰囲気の醸成」(アフリカンな)は幻想的ではあるがリアリズムあってこそのシュルレアリズムという観があり、ストラヴィンスキーが春の祭典第2部の冒頭でくり広げた、何ら依拠する前例のない、我々の誰もがつゆ知らぬぎょっとするような異界の展望ではない。「革命」と呼んでよいのはこういうものだけだ。

よってジョリヴェの作品に協奏曲の比重が高いのは説明がつこう。旋律を横の流れやクラスターに埋没させず、独自の感性で調性から自由にした和声(フランス人の発想らしいもの)でそれをどう彩るかという点を外さない作法だからだ。メシアンのように横の線における旋法のような素材の縛りはなく、打楽器の多用もストラヴィンスキーのようにリズムを自己の音楽の本源的な骨格として据える音素材としてというより音彩に関心を置くためのように思える。

André Jolivet (1905-74)

つまりWW2後の作品としてはアントルモン盤のキャッチコピーが宣伝したほど衝撃作ではなく、既存の技法を好みに応じて巧みに料理し、異教的・呪術的な雰囲気を紡ぎだした作品といったところが僕の評価になる。それはそれで個性なのだから決して悪いわけではないが、それを知って聴いてみると、ピアノが打楽器として機能するため彼の作品の中核となる主旋律または主役の特性がいまひとつになっている。これが怒号、口笛で演奏が危うくなるとは意外で、それなら1949年のトゥーランガリラ交響曲や1955年のル・マルトー・サン・メートル(主のない槌)の初演でも起こっていそうだがそういう話はない。ボストン、バーデンバーデンの聴衆よりストラスブールのほうが保守的でレベルが低かったということはなさそうに思うのだが(注)。

(注)「赤道」については仏領赤道アフリカ(Afrique Équatoriale Française)由来の可能性はある。ヴィシー政権につかない自由フランスのアフリカにおける活動拠点の名称であり、この曲の委嘱の目的がド・ゴール礼賛という政治的なものであったとすればアルザス・ロレーヌの中心ストラスブールでドイツへの示威、当てつけで初演され、反対派が野次を飛ばしたと考えることができる。いずれにせよ、ジョリヴェの作品の芸術的価値にはふさわしくないと思料する。

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オリビア・ニュートン=ジョン「そよ風の誘惑」

2022 AUG 15 12:12:38 pm by 東 賢太郎

何をやっても挫折挫折の暗黒期だった高校時代、そして、俺は何をやってるんだろうと迷う退屈男だった浪人時代を終え、昭和50年に晴れて大学生になれた僕にとって、FMで耳にしたこの人の澄んだ歌声はまさにそよ風だった。いろいろ思い出がある。まず見たこともない金髪美人である。さらに名前が変てこりんだ。オリビアはいい、ニュートンもファミリーネームでわかるが、ジョンって男名は何だ?いちいちこういうことが気になりながらも、この歌はすぐに気に入った。当時の僕にとって絶対的な歌姫はカレン・カーペンターで歌唱は及ぶべくもないが、この人の透明でなんだか素人っぽい歌声は、それはそれで可愛らしかった。その後にそこかしこのカラオケで聞くことになる日本人女性の喉声によるこの歌だが、ご本尊自身が先駆的な存在であったといえよう。伴奏セクションもカーペンターズの大理石みたいに盤石の造りに比べると隙間だらけでほのぼのだ。勉強に疲れていた僕は素朴なそれがリラックスできて好きだった。タイトルのHave You Never Been Mellowは「あなた、まったりしたことってないでしょ?」ぐらいのもんで、まるで当時の僕にふさわしい。大流行したこの歌が聞こえるたびに耳を澄ましてまったりさせてもらっていたが、歌詞の意味はぜんぜんわかってなかった。レコードは買ってない。買ってもよかったが、もう難解な音楽をたくさん聴いてしまっていた僕として、オリビアさんのLPを抱えてファンですなんて公言することは自分が許してくれなかった。難しい年齢だったんだ。

容姿にそういうイメージがあったんだろうか、今の今までフォークかカントリー好きの市井のお姉ちゃんと思ってたこの人、wikipediaを見たらなんとあのマックス・ボルンの孫であった。ニュートンじゃなかった。量子力学の確率解釈でノーベル賞をとったドイツの理論物理学者である。アインシュタインの歴史的名言「神はサイコロをふらない」は親友ボルンへの手紙の一節なのだ。そうか、ユダヤ系ゆえにナチを逃れて英国に亡命したんだね。さらに彼女の父親はケンブリッジ大学のドイツ語教授で、曾祖母の父は法学者のルドルフ・フォン・イェーリング。凄い血筋だ。そんなやんごとなきお方がこうしてお歌で癒してくれていたなんてもったいない。まあそんなことは日本ではどうでもよく、歌姫さんのイメージにはどうかというのもあったろう、報道もされなかったと思われる。

これが実物

もうひとつwikiで知ったが、この曲を書いたジョン・ファーラーはクリフ・リチャードのバックバンドだった「シャドウズ」にいた(後期の方だが)。懐かしい。4ピースのバンド編成を確立したパイオニアで、ビートルズ登場以前に英国のポピュラー音楽シーンをリードしたのはシャドウズだった。カリフォルニアの同じ編成のサーフ・バンドだったベンチャーズとはレパートリーも重なり、その例として「アパッチ」がある。小学校4年ごろ、僕はその曲に完全にハマってしまったが、レコードが擦り切れるぐらい聴いていたのはベンチャーズのカバーのほうだった。そのEP盤の解説に「オリジナルはシャドウズ」と書いてあるのが滅茶苦茶に気になっていて、成城学園の駅裏にあったレコード屋で青いジャケットのそれをついに見つけだし、お年玉をためた大枚500円で親には内緒で買ってしまった。これはクラシックのクの字も知らなかった僕が後に猛烈に熱中することになる「同曲異演盤のきき比べ」の記念すべき第1号であったが、そういうことをするのがコモン・プラクティスであるクラシックの雑誌等で知って始めたことでなく、誰に教わったわけでもなく、10才の「本能」で始めたことだったのだ(ベンチャーズ 「アパッチ」)。

「そよ風の誘惑」のコード進行は清水の流れのようにきれいだ。ハ長調。このまっさらな感じも彼女によく似合う。ド・シ・ラ・ソと白鍵を順番に下がるバスの有名な例はサージェント・ペパーズの「A Day in the Life」(ト長調、1967)である。いとも自然な歩みであるのが、サビの入り口でイ短調の翳りを入れ、少々ギターっぽい無理くり感で変ホ長調になる。こういうのはカーペンターズもあるしそれはいい。問題はこれをどうやってハ長調に戻すかだ。いったんCに戻るには戻るが、もしそこでそのまま頭のメロディを出してたらこの曲はヒットしなかったことを僕は確信するしかない。そうでなくCmaj7を経てC7にして、今度は聴き手の心を明るくして希望を与える効果のあるサブドミナントのヘ長調に転調し、心弾むサビのメロディを2度繰り返して強いメッセージとして全曲の頂点を作る。そして十分な納得感をもってハ長調に戻るのだ。

8月8日にオリビアさんが亡くなったというニュースを見て、50年近く前の若いお姿のまま時計が止まっていた僕は、Have You Never Been Mellowを何度も聴いて当時をしのんだ。73才。7才上のお姉さんである。心からご冥福をお祈りしたい。

 

 

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ニッチ楽団CDの絶滅(サンサーンス3番)

2022 AUG 12 20:20:24 pm by 東 賢太郎

パリのマドレーヌ教会というと行かれた方も多いだろう。オペラ座からコンコルド広場に向かう間にあるこの教会はどう見てもギリシャ神殿としか見えない。カトリック教会となる予定だったがフランス革命の勃発で建設が滞り、ナポレオンが軍の記念館にすると決めてこの姿になってしまったが、後に鉄道駅となり1845年に本来の教会としたためである。

マドレーヌ教会のオルガン

マドレーヌとは聖マグダラのマリアのことだ。ここで葬儀を行った著名人は多い。ショパン、サンサーンス、オッフェンバッハ、グノー、フォーレ、ココ・シャネル、マレーネ・ディートリヒ、ジルベール・ベコー、チッコリーニの名がみえる。フォーレはこの教会のオルガニスト(1896-1905)であり、レクイエムはここで彼の指揮により初演された。また。サンサーンスもここのオルガニストを弱冠23才であった1858年から19年つとめており、オルガン作品を書いているが教会に拘束されることは望んでおらず、辞めて自由の身になるとオルガンは弾かなくなった。その彼がロンドンのロイヤル・フィルハーモニック協会(ベートーベンに第9を書かせた団体)の委嘱で第3交響曲を書いたのは1886年、51才の時である。当時のフランスにはオルガンのある演奏会場がなかったがロンドンのロイヤル・アルバート・ホールにはあった。そこで3番の構想ができたと思われる。なれ親しんだマドレーヌ教会のオルガンの音はもちろん頭にあっただろう。

CD棚を眺めていると、サンサーンスの第3交響曲に目が行った。前稿に書いた歌「ハナミズキ」の出だしが同曲第1楽章後半に出てくるオルガンの旋律を思い出させたからだ。すっかり忘れていたが、こういうCDがあった。

マルク・スーストロ指揮 / ロワール・フィルハーモニー管弦楽団

このCD、オルガンはマドレーヌ教会だ(意外にない)。管弦楽を先に録音し翌月にオルガンを二重録音しているのは教会の残響が長く録音バランスが難しいせいだと思われる。

レーベルは自国ものにこだわりのあるフランスのForlane(フォルレーヌ)である。ロワール・フィルはアンジェ(Angers)とナント(Nantes)を本拠とするオーケストラ(後者はナントの勅令のナント)。どちらもフランス西端部、ブルターニュ地方、ロワール川河畔のそれぞれ人口15万、30万の都市だから日本なら東村山市、久留米市というところだ。

このCDは94年夏に避暑旅行で滞在したスペイン(アンダルシアのマルベージャ)で、同レーベルのラヴェルと一緒にみつけ、喜び勇んで買った。こういう出会いの思い出は何百もあって、クラシック音源蒐集こそ我が人生の最大の喜びの一つであり、これを提供してくれた音楽業界には感謝しかない。だからヨーロッパを旅してレコード屋をのぞかなかったことはないし、オランダでは中古LP屋をめぐって漁ったし、こういう地方オケの有名曲録音CDにはどうしようもない魅力があって見つければ曲に関わらず全部買った。そのために観光地訪問のひとつやふたつ犠牲にするのはざらだった。特にフランスは地方オケの方がパリ管などメジャーオケよりローカル色があって僕にはたまらず、仮に同じ都市で同じ日にフランス物でロワール・フィルとベルリン・フィルの演奏会がぶつかったら迷うことなく前者を選ぶ。

なぜかというと、僕はこう信じている。音楽は食に似る。食はその土地で地産地消するものがいちばん美味である。鮒ずしは琵琶湖、八丁味噌は名古屋、もつ鍋は博多、小肌は東京、まる鍋とぐじのかぶら蒸しは京都、きりたんぽ鍋は秋田、うどんは讃岐、いかは呼子、しじみ汁は島根、鯛めしは宇和島、たこ(焼)は明石、つけあげは薩摩、芋煮は酒田、干しくちこは能登、かつおたたきは高知、ワサビは有東木、ざっと思い出しても以上は譲れないし、日本人のてっぱんと言ってしまっても許されるのではなかろうか。同じ路線で僕はアジアの国々では、公式の会食でないフリーの時は屋台のB、C級メシを食べた。地元の人が旨いと食らうものは旨いし、民族を知るには一番で商売にもプラスなのだ。

なぜ音楽は食に似るかというと、唄というのは他のどのアートより「土地のもの」であり、米や酒が土地の水の恵みであるように民謡は村人の呼吸から生まれ、子守唄は母親が歌わないと子は寝ない。ドイツ語圏に5年半住んで、ここからラヴェルは出ないと確信に至ったのは土地の人と深くお付き合いしての結論だ。ドイツでもボレロは上手に演奏するが、ペレアスとなると、あれをドイツ語で上演されても食欲はわかない。とすると両者の間のどこかに「越えがたい一線」があるはずなのだが、それがどこかというと関東と関西の間のどこで蕎麦の汁の色が変わるか誰も知らないという話になってしまう。でも、在るものは在るのだ。

カラヤンが手兵ベルリン・フィルでDGに録音した豪華・豪壮なサンサーンスの3番があるが、あれはドイツ語のペレアス同様に奇異なものと僕には聞こえる。もちろん演奏技術の冴えにおいてロワール・フィルの敵でないのは言うまでもない。しかし、それより「土地の水かどうか」の問題は何倍も大きく、それを度外視した処にしか立脚し得なかった百科事典派のカラヤンはそうするしかなかったと推察する。僕が初心者のころ、志鳥栄八郎氏という評論家がレコード芸術の管弦楽曲担当だった。この方は一貫した「お国物主義」で、ドボルザークはチェコ・フィル、ラヴェルはパリ音楽院O.を推していた。ショーペンハウエルの観念論を読んでいた僕には「名曲アルバム」の文字版にすぎず完全無視していた。しかし長い欧州勤務の旅路を終えてみると、それは一理あったのかなと思うようになっている。

有東木のワサビの苗を東京に持ってきて科学の粋を尽くした最適栽培条件で育ててみても、東京の水ではおそらくあの味にはならないだろう。ロワール・フィルは知名度がなくCDが売れないので起用せず、フランス物は全部ベルリン・フィルで録音しようとレコード会社が決めるなら、いずれクラシック音楽の苗はどれも均一の味のワサビに育ち、姿はまっすぐでスーパーに並べると主婦の目にきれいにできあがるだろう。だが「チューブ入りの方が簡単でいいよね、安いし味はかわらないし」とそっちが売れてしまうだろう。味は大きくかわるのだが、わからない人が増えると市場は多数派の価値観に寄っていく。東京のスーパーの鮮魚、野菜のコーナーはみんなそれだと友人の地方出身者は口をそろえる。

恐ろしいことだが、いまそういうことが鑑賞サイドのクラシック音楽界で起きつつある。ロワール・フィルの3番をネットで探してみたが、廃盤で入手はできない。有東木のワサビなのに。するとこれから音楽鑑賞の世界に入ってくる青少年はそれにふれる機会はない。市場に出るのは全部が名門の「グローバル・エリートオケ」による「チューブ入りペーストわさび」になるから彼らはワサビが水生の植物の根だということすら知らない大人になるだろう。神田の藪蕎麦が、どうせもう今の客はわからないしとペースト導入に走れば、江戸時代から続く名店の文化は消える。ちなみに僕はロワールのCDをyoutubeにあげてみたがPVの伸びを見るに食いつきはいまいちであり、そういうことが起きつつあるのは何も日本だけではないと知る(英語で書いてるのでむしろ海外動向がわかる)。ナントの若者が地元のオケの音色にアールヌーボーの香りを感じて愛でるなんてことは、少なくとも商業的にはもう期待できないのだ。オケはポケモンか鬼滅の刃のバックミュージックのメドレーでも演奏した方が客が入るなんて時代がすぐそこに来ている。

ロワール・フィルのようなニッチな演奏団体の録音は収集家にはレアな魅力があり、きっとマドレーヌ教会のオルガンが聴ける価値にも気がついて買ってくれるだろう。そう期待してコストをかけて1984年にこのCDを製作したフォルレーヌという会社は潰れた。理由は2つある。1つ、当時の購買層が寿命で死んでしまった。2つ、クラウド時代で収集家が消滅した。この不可逆的な現実を前に、この事業に資本を出す投資家はいない。日本のオケならクラシック好きで採算に甘いスポンサー企業を探すか、地元の政治家に取り入ってふるさと納税アイテムにしてもらうか、クラウドファンディングで自主制作することもできようが、フランスの田舎のオケに寄付をしてCD1枚もらいたい日本人がそんなに大勢いるなら呼び屋がもうとっくに同楽団を来日させている。

スペインのCD屋で観光をすっぽかしてこのCDを探し出し、その感動と喜びを28年も忘れずこうしてブログまで書こうという僕のような物好きは、かつているにはいたが、世界広しといえどもそうたくさんは残っていると思えないというのが諸事を観察した結論である。従って、冷徹な資本主義の原理下において、こういうCDが市場に次々と現れる桃源郷はもう二度と現れない(これが録音された1984年はCDが新メディアとして鳴り物入りで登場し、その市場がブルーオーシャンに見えていたのだ)。ということは、僕がタワーレコード渋谷店の売り場で時間を費やしても何もいいことは起きない。だから行かない。そこで何千枚も買ってきた僕のような客がもう見限って行かないのだから、音源製作はしないレコード店は既発売音源を値引きしたりまとめ買いさせたりするしか手はなく、やればやるほど客の自宅のCD棚は積んどく状態が進行しますます売れなくなる。

唯一、期待があるとすればクラシックにまっさらな若者にホンモノのワサビの味を覚えてもらって市場に来てもらうことだが、知的好奇心旺盛な子がそれを自ら発見する手立てとなるニッチ楽団のCDは絶滅し、醍醐味を手引きしてくれる先生もいなくなった。それでもクラシック好きは一定数は必ずいる。いなくなるわけではない。しかし、彼らが望んだところで供給側の資本家が利益が出ると信じなければ事態は変わらない。すると、その一定数だけがちんまりとした市場であり、そこで売れる範囲内の投資しかしない。市場にはリスクの少ない誰が見ても折り紙付きのブランド楽団・ソリストによる「定盤」しか並ばず選択の余地はなくなり、名曲喫茶のお決まりの『名曲』みたいなものがクラシックだという固定概念が昭和時代のように復活し、文化は後退し、聴衆は自分の耳はふさいで他人の耳で音楽鑑賞するようになる。オケの演目はポテトチップのキャッチコピーみたいな軽さでチケットが売れる曲と年の瀬のお祭りである第九だけになり、ピアノリサイタルはショパンばかりになり、需要側の量と質の低下が供給側のそれをますます侵食するという縮小均衡のサイクルが作動する。かくして、舌が肥えてない若い住民の多い街に旨い飯屋はできないのである。

僕はレコード、CDを芸術品として買ってきた。1割引きなら買わないが2割なら買おうなんてものはそもそもがアートというに及ばないバッタ物であり、現に中古屋ではそれがバッタ物の値段で流通しており、それが市場プラクティスになれば決してそうではない本格派の優良CDまで価値を毀損してしまうだろう。さらに、サブカル、エンタメとしてクラシックにハマってくれている大事な既存客を、その路線をさらに進めて購買欲を刺激しようとすると、狂乱のエンディングとか爆演指揮者じゃないとコーフンしないなどというアダルトビデオまがいの世界観に踏み込んでいくことになろう。50年も前から我が人生を彩ってきたレコード屋散策の楽しみはこの世から消えた。

 

(これもそう)

フォーレ「マスクとベルガマスク」作品112

 

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二胡の「ハナミズキ」になぜ涙が出るの?

2022 AUG 9 8:08:57 am by 東 賢太郎

ヴィヴァルディの「四季」って知ってるよね。たしかテレビCMで使ってたっけね。ああいう曲ね、昔は『名曲』っていったんだよ、知らないよね。いい曲のことかって?ちょっとちがう。じゃあベートーベンとかシューベルトとか?うん、それはそうなんだけど、でも彼らの曲が全部ってわけでもないのよ。面倒くさいね、じゃあどういう曲?そうね、クラシックなんだけどみんな知ってて、知らないとちょっとね・・みたいな感じかな。

今は音楽の教科書に米津玄師さんがのってる時代だね、そうそう、僕が大好きな一青窈さんの「ハナミズキ」もそうらしいね。この曲、サスペンスドラマのエンディングだったかな、初めて聞いた時にね、サビのところで、凄い!天才だ!って叫んじゃったんだよ。ほんとうに素晴らしい曲だ。

ラブソングかと思ったらぜんぜんちがうんだ。歌っているのはあの9-11で犠牲になった父親(僕)と子供(君)なんだね。「空を押し上げて」というのは瓦礫の下になったからなんだ。庭に咲く5月の花ハナミズキと共に蘇る君との幸せな想い出。「水際まで来て欲しい」は三途の川、「波」は戦争。庭にハナミズキが咲いて君の幸せが永遠に続くことを願う。

『名曲』は昭和のニッポンの定義なんだね。あの時代限定っていうか、あの空気を吸ってた人しかわからないんだろうなあ。どういう曲のこと?って孫に聞かれたらこう答えるしかないかな。

「名曲喫茶でかかってた曲だよ」

昭和生まれの僕らは音楽をそういうものだと教えられて育ったんだ。ちょっと違うんじゃないのって、ビートルズも好きだった僕はそう思ってたけどね。四季や運命をきいて、世の中にこんないいものがあるって知ってね、「だから名曲なんです」って学校で教わるの、でもそれはそれ、ほんとうに楽しかったよ。まだ見ぬ西洋への憧れがどんどんふくらんでね。僕だけじゃない、きっと、名曲喫茶で何時間も粘っていたあの人たちみんなそうだ。外国なんて知らない。どこも行ったことがない。でも、まだ未知の場所があるって、実はものすごく幸せなことなんだ。

もう僕はそれがない。昭和の『名曲』にどきどきもしない。

ちょっとちょっと、もっとわからないよ。名曲喫茶?なにそれ?そうだね、まずそれから説明しなきゃいけないね。

名曲喫茶ウィーン

僕がそれにお世話になったのは浪人・大学時代だから1970年代だけど、もっともっと前からあったんだ。有名だったのは御茶ノ水駅前の「名曲喫茶ウイーン」と渋谷道玄坂の「名曲喫茶ライオン」かな、ひと言でいえば「泰西名曲鑑賞専門珈琲店」ってとこだ。立派なオーディオ装置とレコードコレクションがあってね、コーヒー頼んで聞きたいレコードを紙に書いてリクエストすると、お姉さんが順番でかけてくれるんだ。そこでかかるのが、クラシック好きの人が金払っていい音で聴きたい曲、そう『名曲』なんだね。そういうものだから他のお客さんにそこそこ気をつかうんだ、これ注文して大丈夫かなってね。クラシックはポップスみたいに2,3分で終わらないの、平気で1時間かかるからね、皆さんのコーヒー冷めちゃうわけで、僕もそうだったけど新しい曲やら演奏家を発掘したいって人もいる。だから「あいつ、いいのかけてくれたな、ありがと」ってのが望ましいんだ。でも僕はそのころ変なの専門でね、シェーンベルクのピエロなんてそのスピーカーで思いっきり鳴らしてみたいの。そんなのやっちゃうと皆さんアウトだもんね、そういう配慮をくぐりぬけた、皆さん納得の集合知みたいなのが『名曲』だっていうことになるの。もし外国にあったらきっと『名曲』は違うものになってたね。

でも好きだったんだ。あれはひとつの文化でね、智の殿堂って雰囲気もあった。友達もよくひっぱっていったさ。いまはyoutubeあるもんね、ハイエンドのオーディオの味知らない人をお客にするには難しい時代になった。「名曲喫茶ウイーン」をググると漫画家ヤマザキマリさんのブログがあって、若いころここでバイトしてたらしい。僕は『テルマエ・ロマエ』で彼女のファンになったのでうれしい。レコードかけてくれたかもしれないしね。しかもあのアテネ・フランセでイタリア語やったって、僕も少しだけ英語で行ったことあるんでそれもうれしい。あの辺は中学から大学まで庭だったから地元愛みたいなのがあってね。ウィーンはビルはそのままに居酒屋・焼き鳥屋の雑居ビルになってる。ご時世だね。お世話になりました。ここで覚えた曲、けっこうあるよ。

名曲喫茶「ライオン」

もうひとつ、道玄坂の「ライオン」は嬉しいことに健在みたいだ。渋谷は渋谷でね、駒場の教養学部にいた2年間だけはこっちが根城だったからよく行ったっけ。まわりはストリップ小屋とラブホでいけない。ライオンは大正時代からあるからこれも世相なんだけどね。お値段的には貧乏学生にはなかなかハイソでね、ここでコーヒーは高いってすりこまれたもんだからアメリカ旅行に行ってずっこけたの。安いけど珈琲フレーバーのお湯だもんね。あんなのをこっちじゃアメリカンなんて気取って飲んでんだから気が知れない。名曲喫茶のは本格的だ。旨かったよ。で、その感じがクラシック音楽にコラボしててね、どっちも舶来品だしね、でっかいスピーカーだって高級品でとても手が届かないし、耳の穴かっぽじって聴かなくっちゃってなるよね。だから集中してるんで曲をすぐ覚えた。コーヒーはいい投資だったってことになるね。そこで「四季」が朗々とかかってる。いい音だったね、おお、これがストラディヴァリウスか、イ・ムジチかってね・・・

なんて麗しき昭和の世だったんだろう。

ファンの方のブログによるとこうだ。イ・ムジチの「四季」のレコード売り上げは、1995年時点の日本において6種の同曲録音の合計で280万枚を売り上げている。1976年に100万枚を突破し、その他のレコードを合わせると1977年のイ・ムジチ創立25周年には何と1000万枚を突破する大記録を達成した。1987年来日公演中に「四季」だけでクラシックのレコード界では空前の200万枚の売上を達成。カラヤンの運命もびっくりだ。

四季は立派なクラシックなんだけど堅苦しくなくって、昭和の日本人がややこしいことぬきで楽しめて、たくさんの人が癒されたと思うんだ。そういうのがいい音楽なんだね。イタリアっていいな、行きたいなと憧れたよ。イ・ムジチは一度だけライブで四季を聴いたんだ。香港時代にね、家族を連れて行ったよ。舞台が目の前の席だった。女性奏者のかたと目が合ってね、ウチの小さい子供3人を見つけてうれしそうに微笑みかけてくださったっけ。レコードのとおり、いい音だったよ。

僕はイタリアの弦が大好き。モーツァルトのカルテット全集で一番好きなのはイタリア四重奏団ってくらいでね。なんでかってのはいろいろ考えてみたけどやっぱりわからない。こういうのは食とか女性の好みと一緒で本能的なもんなんだろうね、とにかくぱっと明るくてしなやかでふくよかで、アンサンブル神経質にそろえようなんて雰囲気がなくってね、それでもちゃんとモーツァルトになっちゃう。ああこの気分の軽さとそれでもはずさない品格って、地中海気候で育ったラテン系の人たちだなって。僕はどうやら人も文物もそれが合うんだね、とにかく男も女もね、明るくて面白い人が好きだよ。自分はそれと真逆だからね、気がついてないものを引き出してもらえる感じがするからかもね。

やっぱり弦はいい。ピアノは何でも弾ける。オーケストラの曲だってね。だから僕の中ではシンセサイザーなんだ。では弦楽器はっていうと、ひとりじゃあんまり細かいことはできない。でも、絶対にピアノにできないことができるんだ。歌うことだ。ピアノもシンセも、人を泣かせるって容易じゃないよ。でも弦楽器はできる。泣かせるのは歌なんだ。そんなにうまくなくたって、それこそヨーロッパの街角でヴァイオリン弾いてる大道芸人だってね、ハートに飛び込んできて、感情をグイッとつかみとることができる人を何人も見たよ。

ここからその泣かせる弦楽器の話をしよう。『名曲』と何の関係があるかって、もうちょっとガマンして欲しい、おしまいになってわかるから。

二胡

弓で弦をこする弦楽器を撥弦楽器っていうんだ。西洋ならヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスだね。その起源の話をイギリスやドイツでしたことがあるけど、事ここになると西洋人はプライドがあるんだろうね、東洋から伝わったかもしれないは認めるけどやっぱり不明だってことにされる。素材はなんたって羊の腸、馬のシッポだよ、弦を糸巻で引っ張ってこするっていう音の出し方だってね、羊と馬といっしょに暮してたアジアの遊牧民が発祥でないと主張する方が大変なの。とすると、じゃあ欧州起源ですかってことになるけどね、スパゲティがイタリアで生まれてラーメンになるかって?そんなわけねえだろって。いっぽうで、遊牧民の文化は漢民族にもいろいろ伝わってて、そっちでは同じものが「二胡」という撥弦楽器になったんだ。素材はやっぱりおんなじ、音の出し方もおんなじ。張ってる皮は砂漠地帯にいるヘビだけど、胴体が共鳴板になってアンプ役をするって発想は東西でおんなじだよ。

内モンゴルの馬頭琴(モリンホール)

だから弦楽器の発明者はユーラシア大陸の真ん中を行き来してた遊牧民だ。僕はそう思ってるよ。とするとご本家は今ならモンゴル族がそのひとつってことになって、彼らには馬頭琴(モリンホール)というチェロぐらいの大きさの弦楽器があるね。彼らはよく飲んでよく歌う。有名な歌唱法にホーミーがあるよね、祖先の叙事詩も、戦勝も、酒も、男女の愛も、慶事も弔いも、モンゴル音楽は感情をのせた歌なんだ。楽器なら打楽器のピアノでなく弦楽器ってことになるよね。それが漢民族に渡っていく。遊牧民が作れるってことは複雑な工業製品じゃない、馬と羊がいれば庶民でもできる。どんどん広がる。そして歌も人の心に乗って広がる。それが二胡になるんだ。

二胡を聴いてごらんなさい。あの心に響く音色は一度耳にしたら絶対に忘れないよ。すごくオリエンタルで西洋にはないものだね、あれがモンゴルの歌から来た情感で、女真族から朝鮮半島を通るうちにそこの民族の情感もまとって日本に来ていると思うんだ。日本の伝統音楽は宮廷に残ってる雅楽ってことになってるけど、あれは楽器ごと古代中国宮廷からきた天上界の音らしい。中国の学者はもう母国にあの古代楽器は残ってないので、正倉院の御物と宮廷雅楽は宝だって言ってる。笙、篳篥の音ってたしかにどこか宇宙っぽいよね。でもキュンと泣かせるメロディーや唄なんかはないのね。ところが二胡は正反対でしょ、ヴィヴラートかけまくってとろけるみたいに訴えるメロディーはとっても人間くさい。あれはまぎれもなく庶民のもの、遊牧民起源のもので、思うにその唄バージョンの末裔が日本では演歌、艶歌になっていると思う。百済の都だった扶余に旅行した折に遊覧船に流れていた歌を日本の演歌だと思っていたんだ。なんでこんな所でって不思議でね。ところがよく聞くと韓国の唄だったんだ、同じルーツのものだろう。

ヴィオラ

で、今度は西側の話だ。弦楽器はシルクロードからペルシャと地中海世界に渡ったんだね。だからイタリアに名工がいたのは不思議じゃないんだ。思い出してごらん、2年前、中国の武漢で最初のコロナ患者が出て騒ぎになりだしたころね、春節で帰国した中国人労働者が陸路でヨーロッパにわっーと戻ってね、だからあっちで最初に感染爆発した国はイタリアだったんだ。いまは海路も入れて一帯一路って言ってるけど、絹の道だった昔からそういう地理的な関係なんだ。西洋で最初にできた弦楽器は「ヴィオラ」だったんだよ。ヒザにはさんで弾くのがヴィオラ・ダ・ガンバだね。ブランデンブルグ協奏曲第6番は2丁のヴィオラ、2丁のダ・ガンバが主役でヴァイオリンはなし。なんで?と思ったけど当時は不思議じゃなかったんだね。「ヴィオラ」と「二胡」。なんか因縁あるでしょ、ちなみに、二胡の音域は中央のレから2オクターブなんだけどね、これってヴィオラが気持ちよく歌える音域なんだよ。遠く離れた兄弟かもしれないね。

音楽喫茶と四季と弦楽器。『名曲』でつながってるね。そこにヴィオラと二胡がはいるって楽しくないかな、だって文化と歴史がね、国も時代も超えてシルクロードでつながった感じでしょ?それってなんか『テルマエ・ロマエ』だよね。ヴィオラがイタリアの楽器じゃないし、二胡が中国の楽器じゃないって、イメージふくらましてもらえたかな?頭の中がごちゃごちゃになったって?いやいや、だいじょうぶ、ゆっくり寝て3日もしてごらん、きっと君の凄い発想が時空を飛び交ってるからさ。

ハナミズキの作曲家、マシコタツロウさん。ありがとう。よくわかりました。『名曲』は昭和と共に去ったんだね。そして僕たちも古くなった。あるのは「いい曲」だけなんだ。心に寄りそってはなれず、知らないうちに涙が流れてる曲。それがいい曲でなくてなんだろう。マシコさんをヴィヴァルディやベートーベンと共に讃えたい。えっと思う人はまだ『名曲』の世界の人かもよ。

この曲に二胡の響きがいかにあうか、ピアノじゃないんだね、人の声もそうだけど、弦が歌うとね、9-11の歌になって魔法のように涙をそそる。僕はそんな自分がいたのかって不思議なぐらいやさしい人になってる。どうしてかな。この見事な演奏を聴いて考えてくださいね。おしまい。

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百科事典とベートーベン交響曲全集の運命(改定済)

2022 AUG 3 23:23:21 pm by 東 賢太郎

むかしむかしあるところに百科事典というものがあった。大学の頃、ブリタニカのセールスの売り込みがあったのはたしか真夏であり、会うのは喫茶店、アイス珈琲がただで飲めるというので話をいちどだけ聞いてみた。たしかに知識の集大成は素晴らしいとは思ったが、セールスのポイントはそれではなく「一家におひとつ」だった。僕はまだ一家の主でないんでと断った。彼はセールスがうまくなかったようだ。

百科事典は皆さん世界史で習ったフランスの百科全書派と関係がある。ボルテール、モンテスキュ、ルソーなど新思想の大御所が著者となったよろず知識大全がエンサイクロペディーだったからそう呼ばれる。新興のブルジョワ階級に売れたのは国王、僧侶を批判した彼らの啓蒙思想が世の中を変えると信じられたからだ。フランスでそれはあの革命の火種となり、我が国では2百年たって応接間の装飾品となった。

「一家におひとつ」は戦後復興期のラジオ、扇風機、テレビ、冷蔵庫、洗濯機などにはじまる。核家族化で「家」が増えたこともあって売れに売れた。高度成長期で豊かになると対象は高額品のクルマと家に及び、「マイカー」「マイホーム」なる新語を生んだ(マイでないのが普通だったのだ)。「一家に一台」で買われたアップライト・ピアノはいま中古業者によって中国に年間5万台も輸出されているが、百科事典は街の古書店やリサイクルショップでは買い取りはおろか、引き取り処分も断られてしまうらしい。ちなみに、調べるとジャポニカの美品全18巻がメルカリで3,500円で売られている。本棚をまじまじと眺めたりしない客人の前で主人の教養をそこはかとなく漂わせるにはお安いのではないか。

同じころ、そのノリの世の中で百万枚も売れたクラシックのレコードがある。カラヤンの「運命」だ(ヴィヴァルディの「四季」もあるがここでは前者にフォーカスしよう)。百万となると書籍でも堂々のベストセラーであり、まして地味なクラシックでとなるともう金輪際ない数字だろう。まさか想像もしない極東でとカラヤンもDG(ドイツグラモフォン社)幹部も驚いたことは想像に難くない。ドイツ人は思ってないが日本人はドイツを友軍と思っている。敗戦でともに悲哀をかこった心の友が神棚に祭るベートーベン様。うまい商法だった。インテリはそのコマーシャリズムを鋭敏に嗅ぎつけ、「カラヤンは底が浅い、やっぱりフルトヴェングラーだ」とそれをだしに自己の審美眼を誇ることが同等に底の浅いファッションとなる。おかげでドイツでは同年代のファンがだんだん世を去ってお蔵入りになる運命にあったフルトヴェングラーのレコードが、むしろ故人になった方が仏様として祭られて有難味が出る日本市場では大量に売れるという驚きの発展を遂げるのである。カラヤンもベームも日本が好きだったが、最晩年には生きてるうちから神棚に祭られて気分が悪かったはずはなかろう。

そこでおきた現象がクラシックの百科事典化である。レコード産業の資本主義的成長の必然であった。その象徴が泣く子も黙る「楽聖ベートーベンの交響曲全集」であり、「一家におひとつ」のセールストークには格好のアイテムとなる。百科事典は開いたことはなくても、値の高いレコードを買って聞かないことはなかろうと誰もが思う。運命も第九も聞いたことのない主人が教養人に見える強みがあった。全集というと、ひとりの指揮者によるものは1930年代のワインガルトナーが最初ということになっているが、オケは複数であり、百科事典に不可欠である飾りになる威厳と統一感はまだない。フルトヴェングラーにこの仕事は来なかったからカラヤン出現の10年前まではそれを作る思想はドイツのレコード業界になかったと推察される。カラヤンは1951年から1955年にかけてフィルハーモニア管弦楽団と全集を英国資本のEMIに録音したが、これがその端緒だろう(百科事典のブリタニカも英国企業。もっと顕著には、米国の出版業者がクラシックレコードも出した例としてリーダーズ・ダイジェスト社が著名)。ベルリン・フィル一本で初めてそれを企画したのもEMIだが指揮者はフランス人のクリュイタンスだ(録音は1957~1960年)。契約でカラヤンは使えなかったようだがDGは旧敵国にそれをされたら屈辱というのもあったのではないか。

EMIのマーケティング戦略に刺激され、契約問題をクリアしたDGが満を持し、指揮者・オケ・プロデューサー・技師をお国の本丸で固め、前年のEMIの企画を上書きして潰すが如く同じベルリン・フィルを用い、プロテスタント精神の故郷ベルリン・イエス・キリスト教会で録音したコテコテのドイッチェ式こそがカラヤンの1回目の全集(1961~62年、左の写真)だったのだ。英国資本主義とドイツのナショナリズムはナチ問題で相反した。この全集には終戦後まだ16年しかたっていなかったドイツの文化人、知識人の複雑な精神構造、すなわち戦争責任とナチを分離し国家の存続と威厳を保持するという難題を文化のアイデンティティーという国民の心のよりどころでどう処理するかという思いがこもっていたと考えて間違いないだろう。そして、この全集から切り出した第5番「運命」が「一家におひとつ」の百科事典セールス興隆時代にあった極東の被爆敗戦国で空前絶後のセールスを記録し、当時としては高額の2千円のお値段で百万戸もの家庭に “収蔵” されたという今となっては驚くべき事実は、我が国の西欧文化受容史上、安保闘争、反米の左翼的気運が何がしか投影もしたであろう政治、文化風景の象徴的な一里塚と評して良いのではないだろうか。

ベートーベン全集よりも百科事典の性格をおびたと感じるのは同じカラヤンのブルックナー全集(1975-)だ。カラヤンは初期作品を演奏会にほとんどかけておらず、演奏現場からの必然はなく、つまり全集作成のためだけにそれらをあえて演奏したわけだ。2番などそれでこの出来かというレベルで、これがブルックナーかと眉をひそめる向きもあろうが、僕は初物を真摯に読み解いてBPOの最強の合奏力でリアライズしたこれが好みではある。ザルツブルグのカソリック文化で生まれ育ったギリシャ移民カラヤンにとってブルックナーは「ドイツ性」を身に纏うための大事なツールであったと思われる。彼のデビュー録音は当時は知名度の低くかつ長大な第8交響曲であり、楽団はベルリン・フィルだが製作はEMIだ。プロテスタントとのドイツ性の狭間にいたオーストリア人ブルックナーのアイデンティティーの葛藤を巧妙に自身の隠れ蓑として、由緒正しき保守本流のドイツ代表フルトヴェングラーの後継候補筆頭に躍り出んとするカラヤンの対抗馬がルーマニア人チェリビダッケであったことは僥倖だった。連合国の会社EMIがクラシック界の王道中の王道レパートリーである敵国ドイツ物をアルヒーフの中央に鎮座させるためのエースで4番として、玉虫色にマーケティングできるカラヤンをナショナリズムとナチ排斥の自己嫌悪の分裂に乗じて契約で縛ってしまい、プロテスタント楽団のエースで4番であるベルリン・フィルごとかっさらおうという戦略の仕上げに名刺代わりの第1作をブルックナー8番の2枚組LPとする。これで連合国、ドイツ両陣営の市場を抑えられ、時がたてば米国市場にも切り込める。カラヤンの名誉のためにも美学上の理由もあったに違いないと僕は信じているが、事業家としての観点からも実に秀逸な戦略だ。6年にわたり英国の上流知識階級とがっぷり四つで商売させてもらった僕が英国インテリジェンスに心酔するのはこういうところだ。

Herbert von Karajan
(1908-89)

ベートーベン全集から10余年置いて企画されたDGによるカラヤンのブルックナー全集の重みはそうした背景を知って初めてわかる。出来栄えからして百科事典であって何一つ文句はないが、一方で、これが苦も無く超ド級の演奏水準でスタジオで達成できる彼らが、やる気になれば何の問題もなくやれたであろうし売れたでもあろうマーラー全集はつくらなかったのはとても興味深い。こういうところに欧州文化の深層が見て取れるからだ。ユダヤのマーラーとカソリックのブルックナーは1960年辺りまでは多分に忘れられた演目だった。大オーケストラによる長大な後期ロマン派作品という以外は音楽の性格においてなんら相関のない両者が1970年ごろからそろって人気演目となる背景は、オーディオテクノロジーの進化で長時間の高音質録音が可能になり、LP2枚組で新たな市場が開ける可能性が出たことにある。マーラーは1,2,4,5番、大地の歌など単品としての人気曲目はあったが、人件費のかかる8番、知名度の低い7番、演奏が至難な9番までそろえた「百科全書」はユダヤ系米国人のバーンスタインの起用を待つことになる。マーラーの一番弟子で泣く子も黙る百科事典録音適格者だったブルーノ・ワルターは、米国帰化後にユダヤ系資本CBSからコロンビア交響楽団を提供されて好きな曲を好きなだけ録音できる特権をもらいながら、私見では賢明と思う純粋に芸術解釈の美学上と思われる理由(発言がある)から、3,6,7,8番は選ばなかったからだ。

Leonard Bernstein(1918-90)

カラヤンが10才年長で両人はほぼ同じ年まで生きたライバルだったが、バーンスタインが生涯を通じてブルックナーは9番しか録音をしなかったという重い事実を、宗教、戦争、政治が芸術と無縁と思っている、あるいはそこまで無知ではないがそうあって欲しいとは願っている日本人音楽関係者やファンは考えてみたことがあるのだろうか。彼が晩年はマーラーを契機にウィーン・フィルと蜜月になったことは意味深い。筆者は1997年にウィーンで同楽団のヴィオラ奏者たちと会食した折に「我々にマーラーを教えたのはバーンスタインである」という直々の言葉を聞いているが、正妻ベルリンフィルとの諍いがあり、むしろウィーン・フィルを恋人にしていたつもりのカラヤンには心胆寒からしむる思いがあったもしれないからだ(フルトヴェングラーが正妻ベルリン・フィル楽員に人気だったイケメン男カラヤンに懐いた嫉妬心のような)。しかし、カソリックのウィーン・フィルを手中にしても、あれほど何でも振る能力があったバーンスタインはブルックナーは9番しかやらなかったのである。そのようなことを知ってはじめて、4,5,6,9番,大地の歌,亡き児を偲ぶ歌,リュッケルトの詩による5つの歌曲だけで終わったカラヤンの「マーラー進出」は簡単でなかったことが分かる。軽々に芸術解釈の美学上の理由だけと割りきって推察することも本人が語っていない以上はリスクがあり、私見ではナチ問題をひきずって踏み込めなかったバーンスタインの牙城米国という根深い問題が透けてみえているように思う。

Daniel Barenboim(1942-)

戦争が勃発しているいまこう書くのは些か気が引けるが、それでも両人の戦いから半世紀がたったいま、ずいぶん世界はひとつになった。仏教徒がマーラーをやろうがブルックナーをやろうが元から何の関係もないが、ユダヤ人のダニエル・バレンボイムはイスラエル・フィルでワーグナーをやるには細心の気を配ったにもかかわらずブルックナーは気兼ねなくシカゴ響、ベルリン・フィル、ベルリン・シュターツカペレと3度も全集録音を果たす傾倒ぶりであり、かたやマーラーは大地、5、7、9番、歌曲集だけという塩梅であってナチ問題、宗教、美学を分離しているように観える。芸術解釈をザッハリヒに行なう主義を僕は否定はしないが、ことマーラーのような主情的な音楽をそれと切り離して解釈するのは演歌を譜面通り歌うのと同じほどナンセンスだろう。バレンボイムがそれと相いれないパーソナリティの持ち主ならば演奏しないことが解釈なのだという態度をとるしかない。それが許されるほど世界はひとつになったのだ。

東洋人をなめ切っていた米国が最も恐れるのは中国という時代だ。辺境から搾取するのが資本主義なら、巨大な辺境だった中国がそうでなくなろうとしている今、資本主義は行き詰まるだろうという主張はけっして誤りではない。リッチになった中国では、実は日本でもまったくもってそうだろうが、マーラー、ブルックナーは単なる商品であって、ユダヤだろうがカソリックであろうが、そんなことは99.99%の人にはどうでもいいのである。そのノリで新興ブルジョア家庭が子女教育に血眼になり、品質のいい日本の中古ピアノが資生堂の化粧品やピジョンの哺乳ビンの如く飛ぶように売れる(年間5万台、一台20万円上乗せなら100億円の営業利益だ)。むかしむかし、いまの中国人のようにハイカラを気取りたかった我が国の中流家庭によって、娘の誕生における新しいライフスタイルの心弾む新常識として争うように買われたピアノというものは、やがて百科事典と同じ運命になって置き場所に困った大量の長物と化している。だからその商売が栄えているのだとしか考えようがなく、あの気障りなテレビCMを見るたびにいつも機嫌が悪くなる。中古レコード屋に大量に出回るLPもそんなものではないか。楽ではない家計を切り詰めてピアノを買ってくれたおじいちゃん、おとうさんが亡くなったら、なんでこんな重くてかさ張るものが何百枚もあるのよ、早く処分しといてねってことになるんだろう。ウチばかりはそんなことはなかろうとも思うが、カラヤン、バーンスタイン死して30余年、クラシックリスナーなのに彼らの名前も知らない人が出てきてそのCDが1200円という時代がくるなんて当時考えた人はいないのだ。

それを恐れざるを得ない僕は息子に、地下室はぜんぶお前にやるからそのかわり絶対にメルカリに出すなと厳命している。

 

 

 

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