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カテゴリー: クラシック音楽

我が流儀の源はストラヴィンスキー

2020 JAN 27 22:22:34 pm by 東 賢太郎

ストラヴィンスキーの門をくぐったことで我がクラシック遍歴は始まった。ベートーベンの第九交響曲より詩篇交響曲の方が歌えるという時期が長くあり、頭の中のライブラリーの分量ではモーツァルト作品に並ぶかもしれない。こういう聴き方を音楽の先生はきっと推奨しないのだろうが、これでいいのだということをストラヴィンスキーが語ったある言葉で得心した。音楽に限ったことでなく、人生全般、生き方そのものに関わる言葉としてだ。

それはこの本にある。弟子で指揮者のロバート・クラフトが師匠との日々を日記形式で綴ったドキュメントだ。

質問者「いったい現代音楽とは何でしょうか」

I・S「いわゆる現代音楽は私にはどうでもいいのです。私の様式が現代的かどうかですか。私の様式は私の様式で、ただそれだけです」

これを読んで背筋に電気が走った。何もわかってない子供だから、ストラヴィンスキーは男として格好いいとシンプルに惚れこんでしまった。

高校生あたりから漠然と「格好いい人生を送りたい」という稚気に満ちた願望があった。何になりたいでもなく、自分なりに格好いいと想像する姿、それが、

「あっしにゃあ関りのねえこって・・・」

だった。これは当時流行っていた木枯し紋次郎のニヒルな名セリフである。それとストラヴィンスキーと何の関係があるんだ?それは脳内でこうつながる。

「現代音楽?あっしにゃあ関りのねえこって・・・」

他人が何をしているかなんて俺にゃぜんぜん関係ないぜ。そうだよな、世間体を気にしたり、八方美人で人に関わってたりしたら春の祭典は書けねえ。そう思った。中村敦夫は今風なイケメンではない。泥臭い。そういう顔じゃないとあのハードボイルド、ニヒリズムは出ない。誰が見ても素敵、カッコいいを目指しちゃいけない、そういう顔つきからは格好いいものは出てこないんじゃないか。

ストラヴィンスキーは音楽の渡世人だった。作風が転々としてカメレオンなんて揶揄もされた。しかしどれも彼の様式なのだ。もし三大バレエみたいな曲を一生書いてたら、それはそれで更なる金字塔を打ち建てたには違いない。しかし渡世人は安住しないのだ。誰にも世話にならず面倒かけず、風の吹くまま気の向くまま、どうせこの世にゃ俺ひとり・・・。彼の顔もタダものじゃない。

春の祭典は聴衆を暴徒に変え、警官隊まで出動させた。音だけの力で。これが音で人の心を動かす作曲を商売とする者にどれほどの脅威か。格好いいとはこういうことなのである。それほどの革命的な創造をしながら、しかし、彼は次々と違う響きに関心を寄せていく。成功なんかポイっと捨てちまって、どんなに求められても二度とそこには戻ってこない。うわべだけのカッコよさを求めて生きてるような薄っぺらな男にそんなことは逆立ちしてもできない。書く音楽以前に、自身が勇気に満ちたプログレッシブな人間なのだ。渡世の道は花園かもしれないが無間地獄かもしれない。地獄であっても、もがいて這い出せればそれが幸福だ。何が幸いするかわからないから世の中は面白い。こんな格好いい人生があろうかと思う。僕にとって、一つの成功に安住する人はすべからく、つまらない人だ。

若い時にこうして電気が走ると一生痕跡が残る。これ以来、僕の生きる流儀はだんだんこういうものに収れんしていった。

・興味ないことはしない

・空気を読まない

・群れない

・人と同じことはしない

・つまらないことに1秒も使わない

この道に言い訳は落ちていない。結果がすべてであって、結果を出すための工夫を死に物狂いでするしかない。こうして僕はスナイパー主義になり、結果は出さないが懸命に群れて、周囲の空気を率先して読んで、人と違うことは積極的に避け、興味ないことを忠犬みたいに黙々とする「満員電車のっちまえ族」とは決定的に袂を分かつ人生を送ることになった。

 

75才のストラヴィンスキーがロバート・クラフトと対談しているビデオがある。

弟子の質問に師匠が答えていく図式だが、テレビのドキュメンタリー番組だからやらせっぽさ満点だ。ロバートはド真面目なインテリ青年で質問は台本通りであるのがバレバレだが、ストラヴィンスキーは母国語でない英語で喜々として答えている。しかし本音を言わず大人の会話に終始しているのはこの録画が後世に残ると知っているからだろう。曲をスタジオ録音する際に安全運転になるのと似て、表面づらはあまり面白くない。

そこで、まことに僭越ではあるが、愚生が時にチラッと垣間見えるストラヴィンスキーの笑み、表情の変化、語彙の選び方などを手掛かりとして、大先生の本音をこっそり盗み取って注釈してみたいと思う(英語が聞き取りにくくひょっとしてヒアリング・ミスがあるかもしれない。そんなアホなという部分は切にご訂正、ご笑納をお願いしたい)。

ではご覧いただきたい。

TVカメラ用のポーズをつけ、ピアノに向かって作曲中を装う彼は精一杯の演技でカメラの脇に待機していたロバートを呼び入れる。音符を書き込む姿はエンジニアのように見える。別室は建築士の事務所みたいだ。色鉛筆まで動員して几帳面に書きこまれた彼の巨大なスコアは設計図を髣髴とさせるが、そのイメージにフィットする。

ストラヴィンスキーはこんな事を言ってる。以下、注はすべて筆者による。

8才で始めたピアノで音階練習をしていて、音階というものは誰かが発明したのだと考え、それならば自分が創ってもいいだろうとオリジナルの音階を作った。14才でピアノを習った19才の女性教師が好きになってしまった(注1)。やがて師匠、友人となるリムスキー・コルサコフの弟子に和声法、対位法を習ったが死ぬほど退屈で(注2)、師匠に君は音楽院には行かずに自習しろと言われた(注3)。

注1・old maidは俗語でセクシャルに意味深。母親にバレた。

注2・この教師は知識はあるが音楽知らずのただの馬鹿と本音はナメ切っている

注3・耐えられなかったのは和声法で、対位法は関心あったと決然と言う。彼は古典を研究し、形式論理を重んじ、論理の進化で作風を転々とした。退屈で済ますわけにはいかず、あえて繕ったコメントと感じる。

初めて会ったディアギレフはオスカー・ワイルド(注4)みたいな男で、とても優雅でシックで敷居がお高く、微笑みながらやさしく肩を叩いてキミの庇護者だよとにおわせるスタイルの人だった(注5)。ディアギレフは火の鳥の契約をする前にショパンのオーケストレーションをしてくれと頼んできた。春の祭典の初演のスキャンダルを彼は(興業としては)喜んだが、それを巻きおこしたのは私の音楽であって彼のバレエではなかったから嫉妬もしていた。

注4・アイルランド出身の作家。ここでは「ホモの性癖が過ぎて投獄され梅毒で死んだあいつ」という意味で引用されていると思われる。ディアギレフもその道で著名。

注5・ディアギレフとの縁で功成り名を遂げたものの、彼のニヤリとした表情には「あの食わせ者にはやられたよ」感が満載で、それ以上の関係を感じないでもない。ディアギレフは貴族で海千山千の起業家だ、10才下の若造をおだてて手玉に取るのはわけなかっただろう。

私が指揮台に登るのは、どの指揮者よりも聴衆をうならせることができるからだ。私の父は当代一流の、あのシャリアピンに比肩される歌手である。私は偉大な解釈者の息子であり、彼の強烈な劇的表現の才能を受け継いで指揮をしている(注6)。

注6・指揮者としての自分を血筋で正当化している。作曲者なのだから解釈の正統性をなぜ謳わないのか不思議だが、彼はスイスに亡命したため1917年の十月革命で財産を没収され、ロシアがベルン条約加盟国でなかったためにパリでのロシア・バレエ団からのギャラ支払も拒否されてディアギレフと争っていた。だから三大バレエは人気を博したものの彼にはあまり印税をもたらさず生活は困窮した。すでにアンセルメ、モントゥーら著名指揮者のレパートリーとなっており、彼はチャレンジャーだったから血筋まで持ち出す心理になったのだろう。このインタビューはコロンビア・レコードが彼の自作自演盤を市場に出し始めたころに行われたから、彼は売上に敏感だったろう。ただ、結果としてレコードは売れて彼は「生きたレジェンド」になり、米国作曲作詞出版家協会(ASCAP)が彼の印税のランクを上げたため収入が3万5千ドルから7桁に近い6桁台に急上昇して大枚をつかんだ。

私が自作を指揮をすると専門の指揮者たちが怒るが、その理由は私の音楽(の解釈)についてではない、収入が減るからだ。競争(を仕掛けられた)と思うのだ。『ショパン』の稼ぎより『ルービンシュタインのショパン』の稼ぎの方が多くなくてはいけないのだよ、わかるだろう?(注7)まあ彼は友人だから悪くは言えないがね(注8)。

注7:俺の曲にただ乗りして稼ぐ奴らは許せんという意味。三大バレエは花のパリで初演から話題を巻き起こして興業的に当たっていたのだから、若くて金のない彼に「チクショー損した」感が大きかったのは当然だ。彼は創作過程について詳しいコメントを残していないが、想像するに三大バレエの時期はロシア革命、亡命、裏切りと重なる彼のトラウマでもあるだろう。

注8:ルービンシュタインに「ペトルーシュカからの三章」を書いて献呈しているための弁解。作曲家は経済的に不毛だったペトルーシュカを金にでき、ピアニストは『ルービンシュタインのストラヴィンスキー』を手に入れられるグッド・ディールだったとにおわせる。

演奏家は、トランペットならその奏者が、私のイマジネーション(注9)のとおりの音を出さなくてはいけない。音のイマジネーションを分かり易くするためにクラフトマンシップについて説明してください(注10)。(クラフトマンは)物を作る人だ。その物は独創的(発明的)でないといけないが(注11)。

注9:ロバートに「アゴン」のスコアの変拍子をひとしきり解説して見せた後、ストラヴィンスキーが創造の核心に触れだした。ロバートには「それはどこからどのように来るのですか?」と質問してほしかった。

注10:ところがロバートは(たぶん台本を消化するため)この一見もっともらしいが実はくだらない質問にすり替えてしまった。

注11:別の場所では、演奏家は作曲家が創った鐘を鳴らす鐘突き人だ、鐘は突けばちゃんと鳴るように創られていると述べている。質問の脈絡が不明のためストラヴィンスキーは鐘はそう造られるべきと苦し紛れに答えているわけだが、誠にもったいない機会損失であった。

彼(注12)はその知識を自己流儀で獲得していたが、音楽というものを習得してなかった。とても優れた耳と記憶力を持ってはいたがね、ロバート、君のようにね、でも君は作曲家じゃないが、彼は作曲家だ(注13)。

注12:前述の初めて和声法、対位法を習ったリムスキー・コルサコフの弟子。

注13:これを言うストラヴィンスキーは、自分はパフォーマーではなく創造者だ、作曲家は演奏家より上だという強いプライドを漂わせている。2日後に「アゴン」を指揮するロバートはその言葉に反応を見せない。パフォーマーに徹したことで評価されたのだろうが、世間の評価はピエール・ブーレーズが上だった。

音楽は音を聞くだけではアブストラクト(抽象)であり、振動を感じなくてはわからない。音楽は音のリアライゼーション(具現化)であり、それは人の心の働きである(注14)。哲学者ショーペンハウエルは「音楽はそれ自体が宇宙である」と言っている(注15)。

注14:鉛筆をくわえてその先をピアノにくっつけ、ベートーベンは耳が聞こえないからこうしていたと実演しているが、言いたかったのはこれだろう。アブストラクトでないものが彼にイマジネーションとして心の働きを喚起し、音として “聞こえて” おり、それを書きとるのがリアライゼーションと筆者は理解した。別なインタビューで彼は「最高の作品とはまさに妊娠している母親のように、心と耳で感じられるものだ」と語っている。

注15:ショーペンハウエルの音楽論の部分を書きとっている。彼が全編読んでいたかは不明。8才でオリジナルの音階を創造しようとしたストラヴィンスキーの心の作用は万物の根源に向かうという意味ですぐれて哲学的、科学的であるが、前掲書によると、死生観などは呪術的でもある。

以上。

ここでストラヴィンスキーが本当にやりたかったわけではないであろうパフォーマーの仕事ぶりを見てみよう。1959年にN響を指揮した火の鳥である。選曲も管弦楽法も聞きなれぬバージョンの組曲であり、その差異により、彼が著作権を持って課金できているはずのものだ。終曲のおしまい、ロ長調になる部分のぶつ切れは彼がそりが合わなくなっていたアンセルメ(彼はフル・ノート延ばす)へのプロテストかと感じないでもない。

ストラヴィンスキー夫妻とロバートはこの年行われた皇太子ご成婚にかけて来日し、兼高かおるが同行して京都、大阪、箱根、鎌倉、日光を旅した行程が詳細にロバートの上掲書に記されているが、ストラヴィンスキーのために2回のリハーサルをつけたこと以外は5月1日のこの演奏会にはまったく言及がない。彼らの意識の中ではその程度のものだったのだろう。

上掲ビデオのNBC番組については、ロバートの上掲書に記述がある。6月12,13日で、その5日あとが巨匠の75才の誕生日だった。

最晩年のロバート・クラフト(October 20, 1923 – November 10, 2015)が1971年にヴェニスで執り行われたストラヴィンスキーの葬儀の思い出を語っている。最後の一言に衝撃を受けた、まさに感動的だ。

 

 

独断流品評会 「シューマン ピアノ協奏曲」(その8)

2020 JAN 24 13:13:23 pm by 東 賢太郎

ヤン・パネンカ / カレル・アンチェル / チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

パネンカ(1922 – 1999)はヨゼフ・スークやスメタナ四重奏団との合わせ物のイメージが強いがソリストとしても一家言あるピアニストであり、僕は彼のベートーベンを時おり聴く。大向こうをうならせるヴィルトゥオーゾのタイプではなく、スリムで形式感覚のきっちりした演奏に特色があり、野球ならクリーンアップでなく俊足攻守の1、2番の人だ。このシューマンも不足ない技巧で闊達に弾かれており、同系統の音楽資質のアンチェルと相まって筋肉質、質実剛健の演奏である。Mov2などさすがにポエムの不足を感じてしまうが、現代の演奏解釈は過剰にロマン的かもしれず、このテンポがシューマンの意図に近い可能性はある(評点・3)。

 

スビャトスラフ・リヒテル / ヴィトルド・ロヴィツキ / ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団

リヒテル(1915 – 1997)の技巧の凄さについて僕は証言することができる。ロンドンで聴いた彼のプロコフィエフのソナタ以上の驚くべきピアノ演奏を僕は体験していない。ppで弾かれたプレストの複雑なパッセージは衝撃的で、他の誰からも聴くことはもうないだろうと断言できる。このシューマンはそのリヒテルによって恐らく人類の成し遂げた最もレベルの高いピアノ技巧でこのコンチェルトが弾かれた記録であり、ほかのピアニストの指のもつれた演奏によって難所と知る部分に破綻はおろか苦労の痕跡さえ感じさせないものだ。さらに貴重なのはロヴィツキの指揮するWPOが完全にリヒテルに共感、同化し、個性的音色、彫琢されたフレージングで単なる伴奏以上の自発的感興に満ちた音楽を展開していることだ。そのアプローチで必然的に失っている抒情的な部分での詩情というものはあるが、その欠点を割り引いても一聴に値する(評点・4.5)。

 

ウラディミール・アシュケナージ / ウリ・セガル / ロンドン交響楽団

1977年6月, キングズウェイホール(ロンドン)におけるアシュケナージのこの曲唯一の録音である。リヒテルに対抗できるメカニックがありながら剛速球派の彼とは違い剛柔織り交ぜたといえるが、ぶれない芯の強さがあって決して軟投派ではない。アシュケナージのピアノはブラームス2番、モーツァルト20番を聴いたことがあるが、鋼の剛直さと珠のような美音を併せ持ち、決して尖ったエッジはないが終わってみると美味なフルコースを食した満足感にひたれるという体であった。この40才で成し遂げた演奏においてもセガルの伴奏も含め水準が高く、ゆえに再録音しなかったのだろうと想像する。やや健康優良児に過ぎると思わぬでもないが、曲にまだ馴染みのない方が聞き覚えるには不足のない模範的演奏だと思う(評点・4.5)。

 

アルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリ / ダニエル・バレンボイム / パリ管弦楽団

ミケランジェリ(1920 – 1995)は一度だけ、ロンドンでドビッシーとショパンを聴いた。独特な透明感と色彩感覚のピアノであった。このシューマン、まず冒頭のピアノの「入り」が強すぎ、何が起きたんだ?とデリカシーのなさにびっくりする。84年のこれだけかと思ったら昔のシェルヘン、チェリビダッケとの演奏もそうだ。その後も聞きなれぬ意味不明のダイナミクスに戸惑う場面があって集中できず、バレンボイムの伴奏も無機的で再現部前の浮遊する和声感(こういう箇所がシューマンの狂った所なのだが)が何やら無用に現代音楽風にすら聞こえたりする。カデンツァのアクセントも妙である。比較的普通でほっとするMov2を経て、Mov3はもっさりした野暮ったいリズムで開始する。ピアノは妙なところでルバートと共に鎮静し、すぐ元気になる。コーダでは速めのパッセージにまでルバートがかかる。スコアにない予断を許さぬ驚きの連続だが、何のためなのか僕にはさっぱり意味不明だ。そして曲はついにバレンボイムのあおるティンパニの下品なロールで豪壮に幕を閉じ、無垢な聴衆の大喝采をもらうのであった。あの奇跡的な「夜のガスパール」のピアニストからは思いもよらぬ異星人のシューマンである(評点・1)。

 

ブルーノ・レオナルド・ゲルバー / ヨゼフ・カイルベルト / ケルン放送交響楽団

これもyoutubeで発見のライブ。Mov1、ゲルバーの主題提示はデリカシー満点。第2主題移行部のテンポの緩急や絶妙のルバートも楽想の呼吸にぴったりだ。ゲルバーはロマン派の感情の起伏を大きめにとるが決して尖ったことをせず聴き手を包み込むように納得させる名手だが、シューマンにうまく活きている。カイルベルトの指揮もその脈動に歩調を合わせてあり、展開部でのフォルテではティンパニを強打し、ロマンティックな木管の陰影の明滅も耳をとらえ、大変に「濃い」。Mov3は表情もリズムも大変に雄弁でピアノと競奏的な興奮をもたらす。両者のテンションの起伏が見事にはまっているので、つりこまれた聴衆が静寂部で息をひそめているのが分かる。Mov3の主題提示が録音商品化するには技術的に物足りないが、それを割り引いてもいい。スーパーテクや妙なとんがりで個性を出そうとする若手の努力が完璧にアホらしく聴こえる真打の名演(評点・5)。

 

独断流品評会 「シューマン ピアノ協奏曲」(その1)

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すみれさんへのメール

2020 JAN 23 0:00:23 am by 東 賢太郎

すみれさん

ありがとうございます。

Janine Jansenのバージョン、濃いですね。folkのルーツにつながる感じがとても良いと思います。Yo-Yo MaとSilk Road Ensembleのセンスはお送りしたバルトークのシナゴーグ版などにもおなじDNA があるように聞こえますね、これから聴いてみます。東洋人と西洋人が同じノリで楽しめるというのはシルクロードでDNAが連鎖してるからと理解しております。ちなみに僕がクラシックにはまったきっかけはボロディンの「中央アジアの草原にて」だったので、このテーマはいろんな角度から我が事として深く考えてます。

音楽にはそういう人間の奥深いものを抉り出すパワーがありますね。他の芸術と違います。先日友人の医者と話していたら、六感のうち嗅覚だけが脳に直接届くそうです。他はいったん脊髄に届いてから脳に信号が来るので、ワンクッションのない嗅覚は一番本能的にインパクトがあるそうです。猫、犬の嗅覚は人間の数万倍だそうで実感として想像もつきませんが、空気中に浮遊する分子を直接に捕らえる体感認知の方が音波(耳)や光波(目)によって間接的に捕らえる推定認知より生存するために信頼度が高かったのです。だから我々にも神経回路にその痕跡が残っています。人間の認識力は視覚が圧倒的に優位になるように進化したので気づいてませんが。

ここからは僕の空想になりますが、胎内で聞いていたもの、リズムは母の心拍、歌は母の声と意識の奥深い所でリンクしていて、 音楽は物理的には確かに聴覚で認識はするのですが実はボディにルーツがあって六感における嗅覚に近い(ワンクッションのない)処理がされているのではないでしょうか。だから音楽を聴くと体が動くし、それがダンスとなったのでは?言語は左脳、音楽は右脳が処理という説は証明されてませんが、メカニズムはともかく、音楽は本来「右脳的」なインパクトが強いと思います。

バルトークは東西民族の入り混じったマジャール人でおそらく自分の血を体感して民謡を採譜・研究したのではないでしょうか。しかし信号を受け取って処理した彼の高度に進化した脳がそれをそのまま出すことを許容せず、満足できるところまでいわゆる西洋音楽的な抽象化を施してあの6曲のカルテットを書いたと思うのです。Sz.56は生身の彼に近い音楽で貴重ですね。

ここにもそう言う事を書きました。

バルトーク 「子供のために」(sz.42)

でもピアノよりgeigeがいいね、より直接に右脳的に訴える気がします。音楽を平均律に封じ込める過程でデジタル化、抽象化して左脳的になってしまうのでしょう、バルトークの楽器はピアノだったから。ピアノがなぜ両手で10本の指で弾かれるか?片手で単音でやってもつまらないからです。弦楽器、管楽器は自然音階で純正調に微調整してリッチな音楽が弾けるからバッハがそれ1本であれだけの曲を書けました。第九の第3楽章の音階を吹くホルンソロ、あれはスコアは変ハ長調だけどピアノ版だとロ長調になってなんか変ですね。それが、すみれさんご指摘の「例のラ#を高く期待する聴感」なんでしょう。

和声というのは本来は教会の残響の調和で発見された自然倍音の累積ですが、平均律という転調に好都合の非自然的音律が便利さの代償として大事なものをそぎ落としてしまったので、そのまた代償として鍵盤上で進化したお化粧です。しかし面白いもので、それが「お化粧術」として独自に高度に知的に進化して和声学になった。ところがこれはこれで、僕の場合ですが、実に右脳的に効くものですから、以上書いたことと矛盾してしまうのです。音楽は謎です。一生探求しても理解できない神秘です。

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検索能力は一文のお金も生みません

2020 JAN 16 1:01:07 am by 東 賢太郎

東さま

ベートーヴェンは気がつきませんでした。
その東さんの音楽の検索能力は一生かかっても追いつけないような気がします。。

バルトークの記事面白く拝読しました。
動画、最高ですね。あのFolk感が素敵です。
ジュリアード生は絶対にマネできないでしょうね。

以上、すみれさんから。

ありがとうございます。ぜんぜん大丈夫です、保証できます、検索能力は一文のお金も生みません。でもジュリアードの首席にホメていただけるなんてウチの親は想定してなかったでしょう、音楽、通信簿2だったんでね。

「バルトークの記事」とは去年書いたこちらのこと。

バルトーク「ルーマニア民俗舞曲」Sz.56

僕はこの曲がなぜか血が騒いで好きなので、Folk感わかってもらえるなんてうれしいですね。動画で黒帽黒装束のおっさんが吹く妖しすぎる縦笛なんか最高だね。この辺に1か月ぐらい住みついて友達になりたいものです。

 

クララ・シューマン ピアノ三重奏曲ト短調 Op.17

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読響定期・グバイドゥーリナ:ペスト流行時の酒宴

2020 JAN 16 0:00:52 am by 東 賢太郎

2020年1月15日〈水〉 サントリーホール
指揮=下野竜也
サクソフォン=上野耕平

ショスタコーヴィチ:エレジー
ジョン・アダムズ:サクソフォン協奏曲
フェルドマン:On Time and the Instrumental Factor(日本初演)
グバイドゥーリナ:ペスト流行時の酒宴(日本初演)

 

最高であった。アダムスの曲はモダン・ジャズ風でリズムと音色の饗宴。上野耕平のうまさは只者でなくサクソフォンはこんな音がするのか!という驚くべき発見の連続であった。フェルドマンは逆にリズム要素がなくゆったりした不協和音の連鎖で時が止まったような不思議な音楽である。グバイドゥーリナは圧倒された。これは名曲だ。天井のスピーカーからドラムスの音が重なってくる効果も目覚ましく、音楽としての起承転結も明確。この手の音楽でこれほど感動したのはあまり記憶にない。下野竜也は何度聴いてもはずれがない。未知の分野への探求心と見事なリアライゼーションには何時も頭がさがる。オーケストラが全力でそれにこたえ迫真の音を奏でる。こういうものこそ正真正銘の音楽だと思う。心から敬意を表したい。

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クララ・シューマン ピアノ三重奏曲ト短調 Op.17

2020 JAN 14 7:07:52 am by 東 賢太郎

廣津留すみれさんからメールとビデオをいただいた。

「クララ・シューマンのトリオを追加しましたのでよろしければお聴きください。昨年夏に演奏したもので、Chamber Music Society of Lincoln Centerで活躍するチェリストとピアニストとの3人です。」

Audio

話の成り行きは「好きなピアニストは?」からクラウディオ・アラウに、そしてハンマークラヴィール・ソナタに行き、「これ、ベートーベンの死後しばらくは弾ける人はフランツ・リストとクララ・シューマンだけだったんだよね」となった所、「ところでクララのピアノ・トリオご存知ですか?わたし弾いたビデオがあります、いい曲ですよ」ということになった。

すみれさん、いいですねえ。このトリオ、知りませんでしたがクララ27才の作品です、貴女がいま弾くにふさわしい。何回も聴いてしまいました。

これはクララがピアノ、声楽以外のために書いた初めての作品のようだがVn、Vcの扱いに何らの違和感もない。シューマンはこのトリオに触発されて自身のピアノ・トリオ(1番、op.63)を書いたらしいが、クララのOp.17の方にもシューマネスクなものがあって、和声の天才的独創性はロベルトにしかないけれど、彼にはクララからもらったものが多くあるんじゃないかと思えてしまう。さらに言えば、第1楽章の第1主題などそのままブラームスになっちゃう。何やら深い、恐るべしだ。

こう書いてメールを返信した。

第1楽章ですが、 ベートーベンのピアノ協奏曲第3番の 第1楽章がちらっと出てくるね。どこかわかりますか? 提示部の最後と、もっとはっきりと10分42秒からです。クララは3番、4番が愛奏曲でカデンツァを残してます。ついでに、6分49秒からのパッセージは魔笛のパミーナのアリア(これもト短調)です。モーツァルト、ベートーベンがどれだけドイツロマン派の底流にあるかわかりますね。

そう、わかる。クララが若くしてドイツ保守本流の古典音楽をすでに自家薬籠中の物としていたインテリ、教養人であったことが。そのうえでハンマークラヴィール・ソナタを弾ける当代1,2を争う技巧を持っていたわけで、この人とファニー・メンデルスゾーンは作曲も一流だった女流演奏家として音楽史上双璧である。トリオを聴きながら、そこに「女流」という形容詞をつけるナンセンスを考えていた。ファニーは弟フェリックス・メンデルスゾーンより才能があると記した同時代人もおり、18,9世紀の欧州ではまだ厳然と立ちはだかっていたジェンダーの壁は多くの傑作を闇に葬ったのではないかということを。

 

【インタビュー】廣津留すみれ (バイオリニスト / 音楽クリエイター)

ニューヨークで活躍する日本人

https://newyorkpicks.com/special-and-features/interviews/interview_sumire_hirotsuru/

 

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プリアンプに金をかけなさい

2020 JAN 7 0:00:38 am by 東 賢太郎

きのう2か月ぶりにプリアンプ(ブルメスター808)が修理から帰ってきた。たまたまテーブルにあった牧神の午後への前奏曲をかけてみる。まったくすばらしい。オーディオの存在が消える。10分身動きできず、終了。まだ動けず。

きいたのは50年も前に買ったブーレーズ / ニュー・フィルハーモニア管のLPだ。その評はこちら(ドビッシー 「牧神の午後への前奏曲」)。これをレファレンス的ニュアンスで挙げているのはフランス的な音色、エロティシズムがプライオリティーだったからだ。しかしブルメスター808が新品のように蘇って、「微視的なアナリーゼ能力と聴覚の鋭さが群を抜いている」のはドビッシーにおいては不可欠の美質であり、マルティノンやモントゥーよりもっとエロティックじゃないかと思えてきた。俺がいままで聴いてた音は何だったんだというほど。

デジタル時代になってプリアンプ不要論が語られた。音量調節などコントロール機能はCDプレーヤーで足りフォノイコライジング機能もいらないなら介在回路は少ないほうが良い。理屈はそうだ。僕もいらないと思っていたが、ドイツ人はそう考えていなかったということだ。ブルメスターのパワーアンプをドイツで買って惚れこんでいたからひょっとしてと思い808を試聴してびっくりした。音質、音場感、空気感、定位が比較にならず軽自動車が一気にベンツの600に化けたかの激変。人生でいろんな機械を買ったが、あらゆるジャンルで満足度において808は圧倒的にNo1だ。

フラッグシップだから20年顔も変えない。この頑固さもドイツだ。車もそうだが、売らんかなでころころモデルチェンジする日本製はいかにも薄っぺらい。日独の技術の差はないだろうが、こういうアンプは日本にないのはひとえに哲学の差と思う。ハイエンドのスピーカー、パワーアンプに凝る人は多いがプリアンプに金をかける人は少ないらしい。808が高いかどうかは音楽に何を求めるかだろう。これ1台で牧神の午後への前奏曲の評価が違ってしまうなんてマジックは僕にとってほかの手段でおきようもないから妥当と思うが。

 

クラシック徒然草-僕のオーディオ実験ノート-

 

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ゴーン氏の逃亡(The Fugitive)

2020 JAN 5 1:01:55 am by 東 賢太郎

ゴーン氏のニュースを知ったのは大晦日に鹿児島から羽田空港についた午後10時ごろだった。空港脱出劇、悔しいけどお見事だ。なんだったかスパイ映画にあったよ。年末の日本国は早や正月気分で思考停止しているからね、やるならここしかない。

「どうだ諸君、私をカネ儲け専門の強欲ジジイと思ってるだろう。誰と心得る。我々レバノン人の先祖はあのフェニキア人だ。カネ儲けなんざ片手間でOKなのである。私がその気になればお笑い芸人だってできるのだ。大晦日にゴ~ン。おっといかんいかん、このネタは日本人しかわからんな、こっちだこっち、おいらは GONE! はっはっはどうかね諸君、そのうちハリウッド映画でお会いしよう」。

逃亡者は英語でFugitiveという。彼は法を破って逃げたからそう呼ばれて仕方ないだろう。日本の司法はおかしい、おいらの国じゃ人権問題だ。そう思うのは自由だが、何億人の外国人がそう騒いだところで譲る国はない。国家主権の問題だからだ。ことは司法のみならず外交にも関わる。テロリストも増長させる。政府は関係各国に毅然とした態度で事件の徹底解明をしなくてはないらない。

そういえばベンチャーズに「逃亡者」(The Fugitive)というナンバーがあった。ビデオの6分50秒から犬の鳴き声で始まるこの曲はぜんぜん有名でないが、マイ・ベスト5に入る。

理由はサビのコード進行のカッコ良さだ。ベンチャーズに極めて稀なクラシカルな世界が展開するE♭、F、E♭、G♭というところだ。この天国的なサビ、2回目でいったん主調の変ロ長調に戻るが再び同じ旋律が短3度上に転調してG♭、A♭、G♭、A、D♭と出現する。主調はセブンスと悪魔の4度が入っていてどす黒い。監獄の犬がワンワン追ってくる。つかまるぞ、早く逃げろ。不意に現れるサビは自由の身。脱走に成功だ。清澄なリードギターのメロディーと天にも昇る美しい和声、今のゴーン氏の心境にこれほどふさわしい音楽はないだろう。

ところでE♭⇒G♭の短3度上昇は最近どっかで耳にした。そうだ、正月に見ていたドクターX ~外科医・大門未知子~のテーマ音楽で、手を変え品を変えこれでもかと聞かされて耳にこびりついてしまった。こっちはFm、A、B、Dであるが、B⇒Dがおんなじ。原始的なケースだが、相似形の発見は興味が尽きない。こういうことだ。

クラシック徒然草-僕は和声フェチである-

和声がつまらない音楽は1秒も聞きたくないクズである。

まあそんなことはさておき、すっかり米倉涼子のファンになってしまった。彼女をぜんぜん知らなかったが好きなキャラだ。「わたし失敗しないので」は我々の業界では言いたいが言えない。僕の場合は「わたしテレビ見ないので」であり、このドラマをアマゾン・プライムで知ってシリーズ1からぶっ通し。やっと3が終わった。

「ドクターX~外科医・大門未知子」を見る

 

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今年の演奏会ベスト5

2019 DEC 26 22:22:34 pm by 東 賢太郎

1位 ツァグロゼクのブルックナー7番(読響定期)を聴く

2位 ショスタコーヴィチ 交響曲第13番 変ロ短調「バビ・ヤール」

3位 読響定期(エルツとフラング、最高!)

4位 「グレの歌」(読響定期)- カンブルランへの感謝

5位 チャイコフスキー バレエ「眠れる森の美女」

 

今年は読響定期だけにして数もきいていない。ツァグロゼクのブルックナー7番は今も「この指揮者は何者なんだろう?」という感慨と共に記憶に残っている。彼が5回振ったら全部彼が占めたかもしれない。

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僕が聴いた名演奏家たち(ヘルベルト・フォン・カラヤン)

2019 DEC 20 22:22:03 pm by 東 賢太郎

昭和のころ、「巨人・大鵬・卵焼き」というミーハーを揶揄する言葉があった。そのクラシック版は?というなら「巨人・カラヤン・卵焼き」だろう。「外車はベンツ、第九はカラヤン」でもいい。クラシック通を自認していた御仁たちはそんな初心者と俺はちがう、ミーハーと一緒にするなと「カラヤン嫌い派」を形成していたように思う。もっと上級者の領域では様相はやや違う。カラヤンはたしかにベルリン・フィルを率いるだけの腕達者であって、新譜が出てくれば悔しいけど聴かずにはいられない。聴きたい。それは否定し難い。しかし、それでも私はイケメンで才能があって富豪で権力者などというのは許し難く認め難いのだ、要は、そういう奴は無条件に嫌いなのだという層もあった。識者であるその連中は「欠点はあるぞ、彼の華美な作り物の音楽だ、あんなものは低級な俗物だ」という方向に攻撃材料を作った。ある評論家は、あれは年増の厚化粧と書いた。なかなかうまい表現だが、要は、男の寂しい嫉妬である。

しかし、日本人よりもっとカラヤンを嫉妬した人がいた。ウィルヘルム・フルトヴェングラーである。どこにもある、強力な若手の台頭にじいさんがビビる話だ。あいつは優秀だ、イケメンだ、正妻のベルリン・フィルを寝取られると怯え、そのとおり取られた。浮気相手のウィーン・フィルも取られた。もう彼は死んでいたけれど、それは非常に正鵠を得た予見であったといえる。カラヤンが権謀術数としてそうしたかどうか知らないが、ライバルのトスカニーニを範としたスタイルでフルトヴェングラーの盤石の牙城に切り込んだのは正解だった。速めの爽快なテンポや流麗なレガートだけではない、レパートリーからしてそうだ。ロッシーニのウィリアム・テル序曲をトスカニーニほど痛快にカッコよく指揮した指揮者はいないが、唯一肉薄したのはカラヤンだ。

我々はフルトヴェングラーはおろかクナッパーツブッシュ、カイルベルト、ベームというドイツの保守本流がスカラ座で蝶々夫人なんかを振る姿を想像もできない。そっちが本家だったイタリアのマエストロ、トスカニーニはベートーベンもワーグナーもブラームスも得意としたが、オーストリア人のカラヤンはその路線を逆輸入して踏襲したと思えばわかりやすいだろう。ドイツ音楽の保守本流ど真ん中に鎮座しながらイタリアオペラでも名をあげた指揮者は彼しかいない。

僕はチャレンジャー時代のカラヤンを聴けた世代ではないが、レコードは彼の才能を雄弁に語ってくれている。中でも最も好きなのが、1963年ウィーン国立歌劇場でのラ・ボエームのライブ録音だ。これはこの名オペラの数ある録音の中でも白眉としての地位を占める特筆すべき記録である。全曲を、ぜひ聴いていただきたい。

このビデオにいただいたコメントにこう返信した。

カラヤンはこの公演直前にスカラ座で新人フレーニをミミに起用して当たり、自信満々でそのプロダクションごとウィーンに持ってきたのです。彼はイタリア語上演にこだわりスカラ座のプロンプターを連れてきたことが発火点になってウィーン国立歌劇場の組合のボイコットにあい、プレミエはストライキで中止になります。数日後にプロンプターなしで合意してやっと幕が開いた初日がこの録音です。労働問題としての理解はできますが、我々日本人はたかがオペラ、たかが娯楽と思ってしまう部分もあります。歌手は外人OKでもそれ以外は国家公務員だし、スイトナーがフィガロをドイツ語で録音したのはこの翌年で、イタリア語上演がそうすんなりいく雰囲気でなかった時代背景も読み取れますね。

モーツァルトがイタリア語で書いたダ・ポンテ・オペラだけではなく、イタオペをドイツの諸都市でドイツ語版で演奏したドイツの指揮者はいる。カール・ベームのオテロ(1944年)、シュミット・イッセルシュテットは運命の力(1952)、ホルスト・シュタインやクルト・マズアもヴェルディを録音したし、フランス語のカルメンのドイツ語版はヘルベルト・ケーゲル盤(1960)やオイゲン・ヨッフム盤(1960)がある。ドイツ語圏で需要があったからだ。上記コメントで「スイトナーがフィガロをドイツ語で録音したのはこの翌年で」と書いたのは、1963年はそれがちっとも不思議でなかった時代だということをお示ししようとしている。

そんな時代に、「スカラ座イタリア語上演」で天下のウィーン・シュターツ・オーパーに乗り込んだのがヘルベルト・フォン・カラヤンだったのである。その歴史的記録こそが上掲ビデオのラ・ボエームなのだ。その試みが伊達や酔狂ではないことは、いまどき、ボエームをどうしてもドイツ人のプロダクションでドイツ語で聴きたい人がドイツにだっているだろうかと問うてみればわかる。しかし、1960年代当時は、まだたくさんいたのだ。だからウィーン国立歌劇場にその専門のプロンプター(歌手が歌詞や出だしを忘れたり間違ったりしないようキューを出す係)がおり、カラヤンが本場スカラ座のプロンプターを連れてきたら俺たちは失業するじゃないか、ふざけんな!と組合に提訴して大騒動となり、なんとオープニング公演がストライキで飛んでしまったのである。

このストライキ事件は元々火種があった歌劇場と裏方従業員の労働時間問題に油を注ぎ、翌1964年に行政裁判所に提訴される。カラヤンのイタリア人プロンプターの起用が与えたオーストリア人プロンプターの経済的損失が争点となったが、ウィーン国立歌劇場はミラノ・スカラ座と互いの最高の制作を交換し合う契約があったのだからおかしいだろうというカラヤンの主張が認められた。理屈からして当たり前であるが、サラリーマン時代に国際派だった僕は「理念だけのグローバル」が純ドメ派のナショナリズムでいともたやすく曲げられるこんな場面に何度も遭遇したのでカラヤンに同情してしまう。そこで宗教裁判に陥らなかった1964年のオーストリアの裁判所は少なくとも現在の隣国のそれより立派である。しかし、その法の裁きが6月出る前の5月、カラヤンはウィーン国立歌劇場の運営ポリシーに愛想をつかし音楽監督を辞めてしまう。

ちなみに、プロンプターが大事ということは上掲ビデオの第2幕で子供の合唱が大きく乱れる部分でわかる。スキャンダルの数日を経てやっとこさで初日を迎えたこのライブ録音は喧嘩両成敗の妥協策としてプロンプターなしで強行されていたのだ。子供はかわいそうだったが、パネライ、タッデイ、ライモンディ、フレーにら大人たちだって我々素人にはわからない数々の難所を迎えていたろう。このビデオにコメントをくださった指揮者の方は「ボエームは指揮するのが最も難しいオペラ」とされている。この演奏で聴けるイタリア人たちの歌はまさにホンモノだ。まだ28才だったミレラ・フレー二はこれに先立つ同曲スカラ座公演デビューで大成功し、彼女の代名詞となったミミはここからスタートしたのである。

イタオペは嫌いだと何度も書いた。ヴェルディの曲はかけらも興味ないし、プッチーニもほとんどはどうでもいい僕が、唯一、ラ・ボエームだけ例外というのは不可思議だ。なぜなら、スコアを見ずに頭の中で全曲リプレイできるオペラといったら魔笛とカルメンとこれしかない。ということは客観的ファクトとして「座右の3大オペラ」に99%以上の曲が嫌いなイタオペが堂々と入っているのだ。なぜそういうことになるのかは「楽譜に即物的根拠があるはずだ」というのが僕の合理主義者としての譲れぬ態度だが、未だに自分の内面を解明できていないというのは少なくない認知的不協和を発生させることになる。不可思議という語をここに置くしかない。

ともあれボエームの全音符が好きであり、全部を一緒に歌いたい。そうすると、若返った気がする。これを振った55才のカラヤンは若くはないが、気概は若かった。わが身と重ねて恐縮だがそれは僕が独立した年齢であり、ギリシャ系の血がそうさせたのだろうか彼はドイツ純ドメ派ではなく国際派だった。「カラヤンは低級な俗物」、「年増の厚化粧」と断じてしまう一派とは高校時代からどうも肌が合わないと感じていたのは血なんだろうか。

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

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