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カテゴリー: クラシック音楽

今でも残る43年前にセビリアで考えたこと

2026 SEP 22 13:13:53 pm by 東 賢太郎

先々週にスペインの夕焼けのブログを書きながらセビリアを思い出してました。もともとの支配者はゲルマン系の西ゴート王国でカトリック。それがウマイヤ朝に征服されイスラム支配が5世紀続き、それがまたカスティーリア王国に征服されてカトリックに。世界史であっさりとそう習って覚えたわけですが、それで大学には入れても実は何にもわかってませんよ。なぜなら僕がそういう教訓を得られたのは43年前、28歳にもなってそのセビリアにはじめて行った時のことだからです。その場にたたずんで、感ずるものをじっくり味わった記憶が血となり肉となる。本当だから若者はやってごらんなさい、その場でわからなくてもいずれわかります。わかったら財産です。旅行は投資です。金をケチってはいけません。

前の文明は上書きされ消えるのが世界史の常識です。どこへ行ってもそう。つわものどもは夢のあと。例外はありませんでした。ところが、セビリアでは人間も文化もが異教徒間であるにもかかわらず適度に混合し、滅んだはずの文明が遺伝子となって生きているのです。征服者が貧しかったわけでもないのにイスラム寺院の遺構がカトリック教会の一部になり、アラビア語で記されたギリシャ文明を組織的に翻訳し、エンタメは昔ながらの闘牛があると思えばロマも入ってきて土着していてフラメンコの聖地にもなった。実に異例中の異例の場所なのです。

残っている著名な一例としてグラナダのアルハンブラ宮殿があります。当時スペインは全く無知で、アランフェス協奏曲はここで書かれたと勘違いしていたくらい知識がなかったのですが、ひとつだけ、イスラムの城・宮殿なのにこれもレコンキスタで破壊しなかった。なぜだろうと思ったことだけ覚えてます。行ってみてその理由がどことなくわかる気がしたのです。

アルハンブラ宮殿の「アラヤネスの中庭」

ここに立ってみた方は納得いただけると思うのですが、この水鏡、言ってみればただのプールです。それが巧みに配置された幾何学的な造作物の一部となると、頭がクラクラするほど、言葉を失うほど美しい。衝撃でした。

カスティーリャ王ペドロ1世もここに立ってみてきっとそう思ったんでしょう、セビリアに建てたスペイン王室の宮殿アルカサルもこうなった。

まあ僕の趣味ではごちゃごちゃした分、美しさは相当グレードダウンしてますが、異教の美意識を分け隔てなく認め、宮殿に取り入れてしまったスペイン人の本能に忠実なこだわりのなさ、フレキシビリティというものはユダヤ教徒にもイスラム教徒にもまずないです。スペイン人はその後に仕事でたくさん会いましたが個人的にはほとんど知りません。そういう気質なんでしょうか。万が一にもパレスチナ問題が片付いてどっちかの天下になってもアルカサルみたいなことは絶対に起きないでしょうね。

セビリアという都市ですが、コロンブス艦隊はここから出港して新大陸を発見し、しこたま金を儲けた。地球が丸いと証明されてない時代です。本能に忠実なこだわりのなさは蛮勇のもとにもなりますが、運さえ良ければ大発見や大成功のもとにもなるのです。後にマゼラン艦隊の出港地ともなり、大航海時代の拠点としてスペインが獲得した新大陸の富はまずセビリアに持ち込まれました。だからでしょう、アルカサルは血の匂いとともにカネの匂いも濃厚でした。

調べてみるとイスラム支配を殲滅し、新大陸で殺戮と強奪を繰り返して築き上げた富はやがて美意識につぎ込まれています。画家ではティツィアーノ、ルーベンス、ベラスケス、ゴヤ、音楽家ではドメニコ・スカルラッティ、ルイージ・ボッケリーニがこの宮廷の世話になってます。アートというものは性善説だけでは語れないのです。人間の愚かさ、残虐さ、強欲な性(さが)というおぞましき泥沼に咲いた蓮の花のようなものかもしれません。アートをする人は美意識だけ持てばいいですが、それを社会の中で健全に保持しようとする人は清濁併せ飲まなくてはなりません。

コロンブスという男はイタリアのジェノヴァ出身で、港に立派な像(写真)があります。前に立ってみて、こんな偉い奴だっけと複雑な思いがいたしました。1492年に最初に到達したイスパニョーラ島(現在のハイチとドミニカ共和国)だけで「虐殺・戦闘」「処刑」「奴隷化・強制労働」「飢餓」「病気」で50万人ぐらい殺された。キリスト教化の名目で罪の意識もなくです。もし日本人がしてたら慰安婦像みたいのが100万個も建ったでしょう。奴隷化・強制労働がカネになる味をしめるとアフリカ人が対象になりました。1549年に日本にやってきたフランシスコ・ザビエルはバスク人ですが(モーリス・ラヴェルの母親も)、信長のままで秀吉、家康がいなければ日本も危なかったかもしれません。

1853年。コロンブスが見つけてキリスト教徒に乗っ取られたアメリカ合衆国からマシュー・カルブレイス・ペリーという男が浦賀にやってきました。名目は日本を捕鯨船の寄港地とするためでしたが、一皮むけば牙をむくコロンブスと同じような荒くれた奴らです。僕はキリスト教には何の反感もありませんし、むしろそれが生んだクラシック音楽と共に育った人間ですが、教義が骨の髄まで染み込むと脳が誤作動してとんでもないことをしでかす「人間という動物」が危険だという論点は全く別です。この時、貿易・開国を強く迫ったハリスに返答するという重い外交判断を迫られた大老・井伊直弼の危機対応はやむを得ぬと思います。開国猛反対で即時攘夷派の水戸斉昭も、越前藩主松平春嶽あてに、「本当は開国しかないが私は攘夷派の頭目と攘夷派の人々に思われているため、開国と言えないので貴君らが開国を計らって欲しい」と手紙を書いている(wikipedia)。まあ僕には本音の吐露というより小ずるい逃げに見えますがね、政治の当事者たちにとってそれほどの難局だったということで最高権力者で逃げ場がなかった井伊直弼が一番大変だった。僕の頃の教科書には「戊午の密勅」の記載はなく知りませんでした。安政の大獄は孝明天皇が幕府より先に斉昭に詔勅を送り、朝廷の代理人としての幕府の立場が危うくなったからやむなく起きたと理解します。僕の先祖はこのとき起きた水戸天狗党の乱でばりばりの尊攘派、一橋慶喜押し派で薩長と通じ、幕府にひっ捕らえられて小伝馬町に投獄されてますから本当は井伊直弼をほめちゃいけないんですがね、会社のオフィスがホテルニューオータニで井伊家屋敷跡にあるもんで微妙な気持なんです。水戸斉昭が「キリスト教は危険」と看破していたことだけは特筆したいですがね。

コロンブスは航海日誌にこう書いています。

 

「彼らと友好を結ぶため、それにまた、彼らは力ではなく愛を持って接すれば、より速やかに解放され、我らの聖なる侵攻に帰依するとわかったので、彼らの何人かに赤いボンネット帽や首にかけるガラス玉の数珠といった安価な品をいくつか与えたところ、彼らはとても喜び、我々も驚くほど和やかな間柄になった。(中略)彼らは良き下僕になるに違いない。なぜなら私が見るに、彼らは私が話すことすべて、すぐに後について口にするからである。また、私は彼らは速やかにキリスト教徒になると信じる。なぜならいかなる宗派も持っていないように思われたからである」

 

1945年。今度はダグラス・マッカーサーというアメリカ人が日本に上陸しました。若いころ女にモテなかったことと、野球に熱中して成績が落ち野球をやめたことだけは親近感を持ちましたがあんまり好きになれない奴という印象です。コロンブスの日誌を読んでいたのかどうか、安価な品を与えれば日本人はとても喜び、驚くほど和やかな間柄になることを発見したが、キリスト教徒化はうまくいかなかったんです。だって現在にいたって、韓国人は31%も信者にしたのに日本人はたった1%ですからね、無理なんです。うまくいかない根源は天皇の存在だと気づき皇室にもそれを仕掛けたし、新憲法で地位を骨抜きの象徴天皇としたわけです。しかしながら、それでも天皇の神性を日本人の心から消せなかった。我々国民もなぜかと言われると厳密には分かりませんが、それが「歴史というものだ」とでも説明するしかなく、何ら合理性の見えないこの説明だけは歴史のないアメリカ人にはわからなかったのです。お分かりと存じますが、だから日本国が日本国であり続けるためには男系男子という2千年の歴史は変えてはいかんのです。それをああだこうだ言って変えろという人たちは、日本国が日本国であり続けて欲しくない人たちだと本性を見抜くリトマス試験紙のようなものです。いいですか、アメリカはこの度のイランとの戦争でまっさきにハメネイ師を殺しました。この人はイラン国民にとって当時の日本の天皇のような存在だからです。宗教だからアメリカはわかりやすかった、天皇は宗教の教祖でない訳のわからない存在なので、マッカーサーの意見もあって同じ扱いをしなかったんですね。ところが殺したのにイランは腰砕けにならなかった。これがトランプ最大の誤算だったのです。いまだにわかってないんですねアメリカは、自分たちがいかに歴史の重みを学んでないかということを。

ヨーロッパからの移民が作ったアメリカが覇権国家になったのは、ルネサンスと産業革命を起こし科学技術による圧倒的な殺傷力を持つ兵器を手にした優位性からです。次の優位性は生成AIがもたらし、それを手にした者が宇宙という新たな新大陸を支配することにもはや議論をさしはさむ余地はありません。宇宙からは容易に地球上のどこでもピンポイントに核攻撃できるので軍事力競争もそこで終了です。その地位がアメリカに保障されてはいないことをアメリカは知っており、ベセント財務長官が何立峰副首相に対し「米中AI対話」の設立を持ちかけたというニュースが昨日飛び込んできたのです。僕は2017年5月23日にこのブログで日本の教育に警鐘を鳴らしました。

理系の増員なくして日本は滅ぶ

優生学を信じているに違いないベセントらアメリカのエリート連中が真剣に中国を恐れている。日本に言ってきたのは「円が安い。金利上げろ」だけ(トランプに詰められたんだろ、ああくだらねえ)。中国への対話要請は科学技術競争のためでもキリスト教のためでもなく、種の保存の危機感のためです。 中国共産党の幹部がずらりと理系であり、日本はそれ自体が国家戦略上まったく無価値でしかない「文系思考」というものの産物であるところの「文系重視」という末期的トートロジーにはまりこんだまま身じろぎもせず(というよりそれを否定してしまうと自分の権威も権力もなくなる文系権力者がドミナントであるから)、ブログを書いてから9年たってツケがいよいよ来てしまいました(唯一の反応と思われたのは2021年度から早稲田大学政治経済学部が入試で数学I・Aを必修科目としたこと。志願者数が減るならそのこと自体が合格者の質は上がることを示唆します。僕のころ東大2次試験の倍率は2、3倍です。敬意を表します)。80年前にアメリカが恐れたのは日本でしたが、理にかなった戦略で中国がその座にとって代わりました。AIは受け身でしかない日本はこのままならもうお呼びでない。

こうなった原因はもうひとつあります。国民全体が「一億総中流の平等を良しとする共産主義的思想」の塊ですから、高学歴になっても金持ちに自動的になることは許さない。だから若年の役人は可愛そうなぐらい薄給です。若い頃クラス会で酒が入ると「なんでソープのオヤジが年収1億円で!」と怨嗟の声が結構まじめに上がった。なるほどそれが本音ならデフレ政策とったほうが気分いいわなあとも思いました。誰しも人間だし家族の幸せもあるし収入が大事なのは当然のことと思います。政治家、役人は外国に比べ地位、能力に見合う収入を得ていないと不満を抱えているのは口外しないだけで事実です。だから、身を滅ぼさない安全な手口でマネトラ、ハニトラ、お好みのメニューさえ用意されれば簡単に買収できてしまうのです。帝国海軍の幹部が英国にイギリス人名義の口座を作って賄賂をもらっていたシーメンス事件が良い例です。権力者の買収は低開発国の代名詞で国の恥ですから明治の昔から報道機関もグルになって秘匿し、日本を手籠めにしたい外国勢力はその低開発国性に容易につけ込めたのです(現在だってね)。ものすごく勉強しないと進めない道に進み、高級官僚になっても熾烈な出世競争があるわけですからマクロ的には国家トップの秀才たちを低賃金で雇えてる国が儲かっているということで納税者も帳尻はあっているのではないかと僕は思っています。ただしお気楽な世襲政治家にその温情は当てはまりませんが。

中国の理系重視は軍事力重視であり、米露と同様日本人をトラップする側です。スパイにだって仕立てます。だからスパイ防止法が必要なんです。それと人民元の基軸通貨化の両輪でアメリカを凌駕してヘゲモニーを奪うことが明確な目的になっているのです。そして、それは極めて正しいです。だからベセントは警戒しています。地方の金融機関にある天文学的な不動産貸し倒れ損失の隠蔽を続けおおせるうちに人民元を暴落させないだけの財政収支の取り繕いがうまくいけば中国人民は安心安全かつ世界平均以上は幸せに暮らせる可能性を手にします。アメリカのマネしてお札を刷りまくればいいんですから簡単です。文系ばっかりの日本の保守派は習近平はそのうち失脚するだろうなんて思ってる。とんでもないですよ。万一そうなっても次の主席が同じこと続けるだけです。理系は文系と違って答えは一つで属人的な遊びなどないんです。「AIで人類絶滅論」の現実味が出てきてオープンAI、アンソロピックなどが開発の自主規制を言い出しましたが、規制される奴が規制するなんて善人づらして嘘つき放題ということ。泥棒が市販する鍵のスペックを決めるようなもん。市場を安心させる嘘です。ましてや中国が本気で加わるなんて、あるわけないでしょそんなの。ディープシークは 7割ぐらいは追いついたと言われますが未上場だから情報開示義務がない。もう追いついてる可能性もある。アメリカがブレーキ踏んで自分がアクセル吹かせば勝てるなら千載一遇のチャンスでしょ。

日本に有能な理系人材が多くいることはノーベル賞の数で証明されています。問題は理系のいない政府がそれを国策に有効に使えず多くが企業まかせなことです。企業は政府ではなく株主のためにそれを使う。国のためを強要すれば株価が下がって技術力を失います。それもこれも、裏金キックバックやハニトラで釣られ、富と欲望への渇望を満たせば受験勉強に時間を費やした人生のバランスシートが均衡すると考える文系エリートが国を支配しているからです。そんな個人的なもんこれから国力の生命線を握る生成AI開発、宇宙進出技術開発にとって100%どうでもいいんです。それにつけこんでアメとムチで日本の支配層をいいようにくわえこんできたアメリカは、日本は中国の路線で中国と対抗できる能力を完全に失ってしまった国であることを知ってます。ならば日本人はどう扱おうか。簡単です。奴隷働きさせ、バブルのころ三公七民だった租税負担率を財務省を締めあげて五公五民で絞り取らせ、小さな幸せで満足させ、貯蓄はすべて米国債の購入に当てさせてドル紙幣を刷りまくってもドルの価値を支えるブタの貯金箱とする。邪心を催させぬようイラン同様核保有させない。そういうことです。今回訪米でトランプは高市の名前を覚えておらず、石破とおんなじ日本の総理大臣と呼びました。冷酷なもんです。トランプがどうなろうが変わりません。敵は中国だけじゃないんです。

欧米と金融商売を16年もやってるとかように人が悪くなるんですね。市場で戦って継続して利益を出すためにはウルトラ現実主義者、究極のリアリストでなくてはいけません。子どものときからその傾向はあるのですが、この期に及んではもう筋金入りです。もっと悪い人にもたくさん会いますし、そんなのに騙されてたら商売にならないから騙す側に回るしかないんです。43年前にセビリアの酒場みたいなレストランでディナーしながら楽しんだフラメンコショーは、予想とはだいぶ違うものでした。日本人が踊るのを見た記憶があって、あんなふうにスポーティで可愛らしいイメージかなと思ってましたがとんでもなかった。踊り子の女性たちが凄まじくたくましいのです。手を打ちながらオレオレ!なんて発する掛け声は野性味たけだけしくまるで男。まあ百歩譲ってカルメンのカスタネットの歌がこんなだったら様になるのかなと思った次第。ああこりゃいかん。 10万年ぐらい前に分化したのだろうか、チンパンジーほどは遠くはないのだろうが全くもって異人種であるのだなあと悟ることに相なったのです。とっても無礼に聞こえましょうが、向こうもおそらく東洋のチンケな我々を猿と思っているのでお互い様でありましょう。そうでもないと小さな島で50万人も殺したり原爆を落としたりはできないでしょうからね。

そうそうベートーべンが「君のあれね、楽譜見たよ、ブッファに才能あるね、これからもその道を行きなさい」とロッシーニをほめたあれが「セビリアの理髪師」だったんです。もっともそれはだいぶ後になってロッシーニが回想した話であって、本当に両人が会ったかどうかはわからないことになってます。ロッシーニは会ったといい、ベートーベンの秘書シンドラーはそれを否定してます。僕はシンドラーを嫉妬深い小物の詐欺師と思ってるのでロッシーニを信じてます。「セビリアの理髪師」はボーマルシェの戯曲でこれが前編、そして後編こそがあの「フィガロの結婚」。モーツァルトに繋がるんです。ベートーべンは「イタリアでモーツァルトは上演されているか」とロッシーニに質問してます。こいつがウィーンに住み着いたらヤバイと思ったかもしれませんね。

軽快でノリが良くたくさん笑える愉快なオペラです。彼はこれ3週間でさくっと作曲したんです。音楽には早熟で数々の女性歌手と浮名を流し39本のオペラを書いて今のカネで100億円ぐらい稼いで全欧州に名のとどろく巨匠になった。にもかかわらず37歳でオペラ界をさくっと自主引退し、後半生は趣味であるグルメに情熱をささげ「**アッラ・ロッシーニ」と命名された20~30はあるとされるフランス料理がいま世界中で食されているという真の傑物です。こういう名誉、カネ、女に満ち足りた男はね、小物の詐欺師とちがって「ベートーベンと会いました」なんて嘘をつく必要なんかないんです。これ人間の鉄則ですよ、だから僕は信用するんです。クラシックが堅苦しいと思っている人はイメージが変わると思いますよ。連休ですからお時間があればアバド、プライ、ベルガンツァの最高のキャストでどうぞ(日本語の字幕設定可)。

 

ベートーべン弦楽四重奏曲第12番変ホ長調Op.127

2026 SEP 19 18:18:14 pm by 東 賢太郎

高市新内閣の顔ぶれが話題です。公約達成へ加速するための実力主義の組閣とのこと。人事は反抗勢力も出ますが、その人達は減速要因になるので益々使えません。330議席与えた有権者はそういうことを冷徹に差配するために彼女に権力を付託しました。行使しないならそれも公約違反です。こうして日本国憲法第1条の「主権在民」が担保されます。

登用された新閣僚の方々の喜びと使命感はいかばかりかと想像します。読者の皆さまも何らかのご経験があると思いますが、ご自分が得意なことをほめられた嬉しさは冥利に尽きるものです。私事で恐縮ですが、25年勤めた会社から移籍するという人生でも重い決断に至ったのは、「ウチに来ないか」と誘われ、その仕事は経験ないとお断りしたところ「君ならできる」とゆるぎない口調で言われたからです。自分でも信じられないエネルギーが湧いた結果いまに至ります。あのままだったら終わってました。

ベートーべンがもしかしてそういう気持ちで書いたのかと勝手に想像している作品があります。弦楽四重奏曲第12番変ホ長調作品127です。なぜかというと、1822年11月9日、ロシア貴族ニコライ・ボリソヴィチ・ガリツィンがサンクトペテルブルクからフランス語で彼に以下の趣旨の手紙を送ってきたからです。

『私は音楽の熱烈な愛好家であると同時に、あなたの作品を評価しています。新しい四重奏曲を一曲、二曲、あるいは三曲、作曲していただけないか』

彼がこれを読んだのは《ミサ・ソレムニス》ニ長調 Op.123(1824年4月7日初演)、交響曲第9番ニ短調 Op.125(1824年5月7日初演)の作曲中で、注文の一曲目になる弦楽四重奏曲第12番Op.127が完成したのは1824年5月と第九初演のころです。正確には第九は1823年秋に第1~3楽章の楽譜を書き上げており、第4楽章を1824年2月に完成、トロンボーン・パート等の加筆・修正をして5月7日に初演しました。

一方、Op.127の着手はというと、Op.127第2楽章のかなり進んだ四声の草稿の上段に第九のテーマ(第2楽章)が残っていますが、ボンのBeethoven-Hausは両者に同時性、関連性を断定せず(単に同じ紙を使った可能性を否定せず)、「1824年5月7日の第9初演の後、最後の弦楽四重奏曲群の仕事を始めた」としています。テーマの草稿だから1823年秋以前の記載です。手紙は1822年11月に読んでいるので同時性、関連性を100%否定はできませんが、その時点でOp.127第2楽章の作曲がそこまで進行していたことを支持する理由も他の資料もなく、その可能性は低く、単に同じ紙を使った可能性が高い。従って、Beethoven-Hausの見解を支持します。

つまり、「彼は自身の作品群の骨格を成す交響曲9曲、弦楽四重奏曲11曲、ピアノソナタ32曲をすでに書き終わってから5曲のいわゆる “後期四重奏曲” を加えることににモチベーションを持った」というのがファクトに近い。Op.127がその先駆けになったわけですが、それ以後は作品番号順に書いたわけではなく、ある一曲を書くうちに新たな構想が芽生えて別な曲を書くという複合的作業になっていました。つまり乾坤一擲の大曲2つを仕上げた上に新たな理由が現れ、結果論では5曲だったことになる “四重奏曲のクラスター” を生み出したのです。難渋なパッセージに文句を言ったシュパンツィヒを「音楽の女神が舞い降りた時、私が君のみじめなフィドルのことなど気にかけると思っていたのか」と突き放した彼にしてあり得ぬはずの「作品133終楽章Große Fugeの置き換え」になぜ応じたか、理由の一つはそこにあります。そしてもうひとつ、誰もがご存じだがこの位置づけで深く理解すべき重大な理由があります。ジョアキーノ・ロッシーニ(1792-1868)が1822年3月23日から7月22日までウィーンに滞在して旋風を巻き起こし、すでに名声を確立していたベートーベンは社交界や一般聴衆の人気でロッシーニにかなり押されていたことです。

彼の人間研究なくして後期四重奏曲を語ることはできません。旧来のベートーベン像を作るのに影響の大きかったシンドラー説の信憑性が崩れてからは特にそうです。支持者はいたが会話帳のみの接触ですから精神は究極の孤独状態にあり、女性を求めたが入り込む余地がなく、逆用して世間に自分を売りこむシンドラーの如き剽窃者が側近から出たことが孤独状態の状況証拠です。希望してベートーべンを訪問したロッシーニはその生活環境に衝撃を受け、彼にもっと良い住居とウィーン社会からの認知を与える必要があると考え、支援金を集めることまで考えました(Richard Osborne、ロッシーニ研究第2版2007年)。それほどウィーン社会から十分に評価されておらず、才能に見合う生活すらできていなかった彼のイメージとして、低レベルの学校教育が生み出した「聴覚喪失を乗り越え名曲を書いた楽聖」などというお気楽な称号が少しでも頭にある方にとっては、後期四重奏曲の実像の理解は難しいでしょう。

我々は19世紀以降のドイツ語を話す音楽学者のバイアスがかかったドイツ中心の眼鏡でクラシック音楽を見ている(そう教育されている)のであって、根底からリセットされたほうがいい(それを僕はドイツ語圏に5年半住んで気がついたのです)。モーツァルトも一見似た境遇にあった(と同様に思いこまされてきた)のですが、彼にハンディキャップはなく愛妻がおり女性にもててもいました。しかしながらベートーベンは妻もなく、究極の孤独状態(というより病気。私見では最低でもパニック障害)から産み落とした大伽藍の如き作品群のクオリティと、聴覚障害者であることのミスマッチに対する驚嘆と憐憫がバランスして “比類のない尊敬” をドイツ語話者圏で勝ち取りはしましたが、それに対する現世的な対価(金銭、女性、享楽など)の低さをイタリア語圏で生まれ育った同業者であるロッシーニは「不当」と嘆いたわけです(真実であったそれはドイツ語話者圏の不名誉ゆえ後世のドイツ人学者には無視された)。

ロッシーニの大人の目線に対しベートーべンが返したと伝わる言葉は大人度合いにおいて劣る印象を抱くのは僕だけではないでしょうが、それが不当である事実をドイツ語話者圏内しか知らないベートーべン自身がどこまで理解したか、理解はしたがそれに甘んじる以外に人生は短かすぎ、その拘束衣(ストレートジャケット)を着た自分を美化するしかないことを悟り、むしろドイツ語圏文化への誇りと愛情からそれが世界であると肯定し一般化したのかどうか、闇の中であります。ドイツ語話者圏の音楽学者たちが(自分たち、及びモーツァルト、ベートーベンの名誉を守るために)拘束衣のベートーベンが採ったスタンスを積極的に援用し、書物とし、通説を作り上げ、それが1977年のシンドラー剽窃の発覚によって根底から揺らいだわけです。

どういうことかというと、「私はベートーヴェンの最も身近な理解者だった」と信用されたからシンドラーの発言は後世が伝記を形成するにあたって重視されたわけです。なぜ信用されたかというと 「私は1815年ごろからベートーヴェンの親しい友人だった」と会話帳を使って経歴を捏造することに成功したからです。ところが、1977年に会話帳そのものの物理的・文献学的検証によって「シンドラーの剽窃(改竄)」が決定的となり、最初の真正な記入は1822年11月4日で、それ以前の1815年頃からの親密な関係を示す記入は後から追加されたものと判明したのです。発端はウィーン出身のピアニストでアントン・ウェーベルンの《ピアノのための変奏曲》を初演し、亡命した晩年はロンドンの Daily Telegraph の音楽評論家を務めたPeter Stadlenの指摘で、東ベルリンの国際ベートーべン・コングレスで別の研究者たちが大規模な問題として提示し、東ベルリンのドイツ国立図書館(Deutsche Staatsbibliothek)の会話帳校訂チームが校訂作業の中で大量の偽造を実証したのです(Beethoven-Hausも「シンドラーが自分との友情が1815年頃から始まったように見せるために記入を加えた」と説明)。

シンドラーによる記入が1822年11月4日から始まったことは重要です。ガリツィンの手紙がベートーベンに届いたのが1822年11月9日だからです。シンドラーの真意は何だったのか?彼のモチベーションは後世の学者に真実を伝えることもあったかもしれないが、それに紛れて自分の書くことが真実だと後世に信じ込ませることでもあったわけですから、その日からウソの記述が始まったということなのです。この近接した日付が何かを意味するという手紙などは見つかっていないようですが、ガリツィン書簡が後期四重奏曲の作曲動機だったことはシンドラーの介在のない一次資料で100%の信憑性がある。この信憑性は動かせないということが重要なのです。

Op,127を論じる本稿において最も重要なメッセージは、ロッシーニという大スターがウィーンに現れたのは、例えるなら1966年6月29日~7月3日に日本中が大騒ぎになったビートルズの初来日のようなものだったということです。それが起きた1822年という同じ年にベートーベンがガリツィンの手紙を受け取った。そして訪問してきたロッシーニに対し(この訪問自体は会話帳BKh 2, p 322によって確認されており、意思疎通はかなり困難だったが)、後にロッシーニ自身が語った「君は才能がある。”セビリアの理髪師”のような路線を行きなさい」という言葉には「私は私の道を行けば負けない」という含意があり、その道こそが後期四重奏曲だったと比定して矛盾はありません。さらに1824年の第九初演翌年1月中旬の会話帳BKh 7, p. 78に「そして、このロッシーニという小物は、真の芸術の大家なら誰一人として認めないものだ」と会話相手(不明)が記載していることから、前年に完成している弦楽四重奏曲第12番Op.127にそう言い切るだけの自信があったことがわかるのです。

アマチュアとはいえ真摯でシリアスな音楽家であるガリツィンの「あなたが必要だ」というリクエストは彼を燃え立たせるに十分であったと僕は確信します。だから強い情熱を持って本稿を書くに至っております。自分でも信じられないエネルギーが湧いたみずほ証券からの「君ならできる」という言葉は僕の人生を変えましたが、最晩年になってロッシーニに出会い、その才能を認めざるをえず、ウィーン中が彼に沸き立ってしまう日々に直面したベートーべンが何を感じ何を考えたか、そこに一石を投じる誘いの手紙が舞い込み、いくら天才であろうが一個の人間として心の動揺を隠しきることは困難だったのではないかと思うのです。秘書として傍らにいる立場を始めたばかりのシンドラーがベートーベン本人と、あるいは訪問者がベートーヴェンと会話をしたその会話記録に何かの改竄を加えざるを得ない、あるいはそれが彼がそこから会話帳の筆記者として数々繰り広げることになるベートーベン発言の記述が真実だと後世に信じ込ませるクレジットになると思われる何らかの状況が発生していたと僕は推理するのです。

後期四重奏曲5曲を入れても、現実としてベートーベンの死により作品番号は138で終わっているわけですから、ガリツィン書簡の触発がなければ我々はその傑作群を聴くことができなかった可能性は否定できないでしょう。それほど重要であった作曲の注文から、まず産声を上げたのがこのメロディーです。なぜだか、僕はこれが無性に好きであり、体の内側から明るくし元気を与えてくれます。クラシックの世界は広としいえ、こんなものが他にあるかというと、裸のメロディーとしては思い当たりません。

16年の海外生活から東京に戻り心身ともに疲れ果てていた時、Op.127第1楽章の最初の主題であるこのメロディが妙に脳裏に焼きついていたことを覚えています。当時はなぜかとも考えませんでした。いま聞き返して、これはガリツィンの発注に鼓舞されたベートーべンの溢れ出る希望と期待が乗り移ったものと感じいっているところです。簡素でありながら神々しいばかりの高貴な品格。さすがのハイドン、モーツァルトもこういうものは書いていない。盛った器である第1楽章は一見古典的な装いをまとっており、重厚な変ホ長調の合奏で扉を開く序奏はモーツァルトの交響曲第39番を想起させます。しかし、問題のメロディには無双の個性的なチャームがあり、彼自身がそう感じていたのでしょう、執拗に執着し、出るたびにその光輝がまばゆく、第二主題の影は薄いため古典的なソナタ形式の対比が感じられず、コーダもなく(これも39番の最後と同じ)、初めて聞いたときは単一主題の幻想曲のように感じられたものです。

このメロディは序奏がA♭で終わるためサブドミナントの完全4度上昇(c-f)で開始する点がいきなりユニークです。ベートーべンが意図したかどうかはともかく、このコードが変ホ長調のサブドミナントである上に完全4度上昇(T→SD)というダブル構造にあり、強烈に希望と期待の気分を喚起する効果があります。これは13年前に書いた「Fの希望効果」(希望を暗示するサブドミナント)以外の何物でもありません。

クラシック徒然草-田園交響曲とサブドミナント-

 

神様が封じ込めたその効果を彼が本能的に採用したか、知った上でそれで始まるように序奏のカデンツをデザインしたとも見えます(十中八九後者でしょう)。ドビッシーは《映像 第1集》の《水の反映》に関する手紙で「和声の化学」(la chimie harmonique)なる言葉を記していますが、ナトリウムと塩素を混ぜると元の元素にはなかった性質の塩ができるように、和声は音の混合で予期せぬ性質を発現するのです(クラシック徒然草-僕は和声フェチである-)。

ちなみに、ピアノソナタ第31番変イ長調 Op.110のフーガ主題は三連の完全4度上昇という希望と期待の嵐です。1822年の作品で、ミサ・ソレムニス、第九という大作に挑みかかる高揚した彼の心が伺われるようです。

Op.127第1楽章に戻りますと、第2主題はト短調で現れますが存在感は弱く第1主題の素材が混合し、序奏部がト長調で再現します。すると第1主題はそのサブドミナントですからハ長調となり、そこからCdim、B♭m、Ddimと心胆を寒からしめる経過部の嵐を経て第2の序奏部再開(ハ長調)に至り、やがて変ホ長調の第1主題が回帰します(ソナタ形式として異形)。ここからの息つく暇もない対位法の処理は目覚ましく、第1主題から派生した数々の素材の断片がパズルのように組み合わさり4本の楽器にちりばめられ、スコアは幾何学的なれど聴感は一切の作為もなく天衣無縫のごとし。1小節の不意の休符をはさんで変イ長調の影が差しこみ、VnⅠは高音になって天空への飛翔をはじめ、チェロは地底のC線に下がって音域の幅が大きく開き、旋律はVnⅡに受け継がれます。やがて第1主題がオクターヴ高くそれを引き取ってppで音楽は虚空の彼方に消える。何やら天使の舞いを見ていたようであり、何度聴いても我に返って唖然とするばかりです。

第2楽章の冒頭、宇宙の神秘の扉がゆっくり開く。ブラームスのドイツ・レクイエム冒頭がこれそっくりです(彼はバッハとベートーベンをよく引用している)。変イ長調で始まり6つの変奏で15分ほどかかるこの微光を放つ楽章は前の楽章の幾何学文様のアダージョでないと描ききれない細密なタペストリーであり、第3楽章に変奏曲を置き全曲の要としたピアノソナタ第30番が予言していたスタイルの結実です。ガリツィンはチェリストで、随所でハイポジションの旋律を担って腕前が発揮できるよう配慮されており、チェロにそれなりの個性が求められます。

第3楽章はスケルツォで交響曲にも見られるようにリズムの遊びが尽くされています。中間部は変ホ短調のプレストになり、4分の2拍子の楽句が会話のようにはさまる部分は無調的。ベートーベンの耳は遥か未来の音まで聴き取っています。第4楽章は無窮動風な急速楽章でやはり小さな素材から幾何学的に組み立てられたポリフォニーの傑作であり、リタルダンドしてからアレグロ・コン・モートになってppの軽い弓で絹づれのようにさらさら流れる終結部は極めてユニーク。息をひそめてから一気にクレッシェンドして終わるが、 e♭- a の増四度が耳に残って掛け値なしの大団円とはならない(シベリウスに遺伝)。一筋縄ではいかない曲なのです。

1825年3月6日のシュパンツィヒ四重奏団による初演は練習不足だったようで失敗でした。しかし、現代のカルテットでもこの曲は安易に取り組めるものではなかろうし、仮に当時に腕の立つ人たちが演奏したとしても初めて聞いた聴衆がこの曲想と斬新な筆致を理解したとは思えません。ベートーベンはガリツィンに1曲あたり50ドゥカート(約50万円)の約束で3曲(Op.130と132も)書き与えましたが、生前にはOp.127に対してしか支払われなかったのはそうした理由もあったかもしれません(相続人たちによって解決)。僕にとっても謎めいた深みがあり霊峰のようにそそり立つ驚嘆すべき作品であり、もう何十回も味わってますがいつまでたってもそうあり続けるでしょう。ベートーベンが彼たりえるのはこうした作品によってであると大書しておきます。

 

バリリ四重奏団

これに関心を持ち、ウェストミンスター盤の全集をLPで買ったのは理由がある。ウィーン生まれのイグナーツ・シュパンツィヒ(1776– 1830)が率いた四重奏団の演奏がどんなものだったか気になったからだ。シュパンツィヒはベートーベンの友人でVnの教師でもあり、1795年にリヒノフスキー侯爵のために非公式の弦楽四重奏団を立ち上げた。ベートーベンのカルテットに名を刻んだアンドレイ・ラズモフスキーは優れたアマチュアヴァイオリニストでもあり、本業はウィーンのハプスブルク家宮廷でのロシア外交官で、ウィーン会議の首席交渉官である。1808年にシュパンツィヒ四重奏団を創設しベートーベンの作品献呈で名を残し、同楽団は後期カルテットの多くを初演した。ワルター・バリリは第2次大戦終結の頃のウィーン・フィルの第1コンサートマスターでシュパンツィヒ四重奏団と血脈があるわけではないが、ウィーン・フィルとはウィーン国立歌劇場管弦楽団であり同劇場の先駆はケルントナートーア劇場である。ベートーベンの第九、ミサ・ソレムニスはケルントナートーア劇場で初演されていることからも、シュパンツィヒの当時の奏法の集大成がそれを通じてウィーン・フィルに、そしてバリリ四重奏団に繋がっていると考えるのは根拠なきことではない。冒頭楽章、Vn1のトリル風の合図からふわりと柔らかく抜け出る第1主題が素敵だ。第2主題最後のト短調のにわか雨がそれだから活きる。提示部が終わったと古典的な安心がある。後半も作曲の秘儀である主題分割や対位法の理がたたずに歌に溶け込みまさにウィーンの香りに満ちる。アダージョも歌、歌だ。人生の喜びも悲しみも内声の味わい深い意味合いとカンタービレで自然に肌に伝わってくる。この楽章が長いと感じる人は現代の時間感覚に毒されている。ぜひ聴いてほしい。第3楽章ヴィヴァーチェは底抜けに明るくはないが、エッジが立たず牧歌的で人懐っこい。休符で間があく部分の空白の意味!和声の妙味!跳ねるリズム!顔を見合わせて吹き出すほど遊びとユーモアがあり、これぞスケルツォというものである。ブタペストSQの流儀では現代的、挑戦的に聞こえる終楽章イントロもどこか田園風情だ。主部のVaⅡ、Vaの音程、ニュアンスが素晴らしく目まぐるしい転調にコクがあり、決めるところはシンフォニックに決める。アレグロ・コン・モート以降のppも疾走にならず落ち着いたエンディングである。総じてVnⅠの音程が甘いなど指摘される部分はあるが、それも含めて文化であると感じさせるこんな演奏ができる団体はもう存在しない。

 

ブダペスト弦楽四重奏団

一点一画ゆるがせにせぬ厳格なアンサンブル。人類のうち最極北でシリアスな部類に属する性質の人たちでなくして、いかなる峻厳な技術的鍛錬をもってしても紡ぎ出せない種の深遠なアダージョ。こうでなくしてこの音楽はあるべき姿を結実しないと思わせる主張がある。これが本来の作曲家の意図かと言われれば疑問だが、同様のことはトスカニーニのベートーベンも言え、それで交響曲全曲を理解した自分が間違っていたとは思わない。20世紀に生まれた者が意図して排除しても混入するロマン性フリーでベートーベンに対峙できるカルテットがブダペストであったと書いていいと考えている。ジョゼフ・ロイスマン(VnⅠ)、アレクサンダー・シュナイダー(VnⅡ)、ボリス・クロイト(Va)、ミッシャ・シュナイダー(Vc)、全員ロシア人の布陣による三度目のステレオ。僕はこのSQをモーツァルトのLPで知り長らく誤解したままだったが、ベートーベン全集に真価を見た。ジュリアードSQが後継とされ技術的にはより現代的な精緻さを獲得したがこの最後期のブダペストはそこを目指していない。滑々したレガートでなく音楽の生来のごつごつした質感がのぞく原石の味は一個の世界であり、この演奏でスコアをさらうことでベートーベンの意図を悟った部分が随所にある。ひと世代前のメンバーによるモノラル盤(1952)も一聴に値するが僕はこちらを聴いている。

 

ベルチャ・クァルテット

現代の団体からひとつ。訪日ライブは聴かなかったがyoutubeのこれを知ると悔いが残るばかり。第2楽章アダージョがいいのだ。この考え抜かれた哲学の深さ、徹底した掘り下げは他を圧して最高と言える。かつて意識しなかった細部のアンサンブルの細やかな表情に没入してしまう。この沈静したテンポ、音楽は止まりそうになるが、それで空虚にならない。それどころか、その微視的な時間感覚で読まないと掬いきれないものがベートーベンの脳裏に響いた幽玄な音にはあるのだと発見するうちに、この楽章として長めの16分53秒があっという間に終わってしまうのである(終了後にもういちどこの楽章を聴くという異例のこととなった)。速い楽章、たとえば第3楽章など、快速でエッジのきいたリズムと切れ味が20世紀の楽団は想定しないほどモダンであり、このテンポだときこえないものもあるにはあるのだが、これも個性、主張ということであろう。あのアダージョに吸い寄せられた耳は物凄くミクロに分析的に聴いてしまうのだが、全曲を通して音程など技術的問題は探そうにもほぼなく、速度と彫琢は負の関係にあるが、曲想に応じてその塩梅をコントロールする “デジタル時代の感性” はバリリやブダペストの時代には(もちろん数学的にはあったが)演奏行為の積極的な技法(解釈)とまでの認識は恐らくなく、それが非常に高度かつ克明に施されたと感じるこれは21世紀の名演奏といえよう。終楽章は特に速くはなく、音型から生じる体を揺らす律動の反復よりも強弱のメリハリに力点があり、表情づけが濃く、それには弓の重さが必要ゆえにこのテンポになったと思料。コーダに至る羽毛のタッチはあまり強調はない。最後になってしまったが第1楽章のあのテーマの仄かな出し方は良い。もとより個性が強くベートーベンが偏愛、執着して使うので薄味でちょうどいいのである。提示部終結の激した短調部分伴奏のザクザクした質感も好みだ。それがアレグロ部分の伴奏にも効いて、疾走がそれほど速くないのにスピード感を引き立てているために旋律のほうに細かい強弱とフレージングのグラデーションを施すことに成功している。そしてコーダに向けて緊張を落とさずに音量を減じ、虚空の彼方に消えていき、アダージョの神秘の扉に向かう。聴けば聴くほどインテリジェンスと技術が相まった非常に優秀なカルテットである。素晴らしいものを聴かせていただいた。

読響のマーラー6番にぎりぎり間に合った日

2026 SEP 16 1:01:25 am by 東 賢太郎

第661回定期演奏会

2026 9. 8〈火〉 19:00  サントリーホール

指揮=ユライ・ヴァルチュハ

マーラー:交響曲第6番 イ短調「悲劇的」

 

韓国から帰ってきた次の日のことだ。 4日も不在だったツケが回ってきて午後に重たいオンライン・ミーティングが2つ入り、ついで神山先生の予約も入っていたものだから急いで鍼を打ってもらってサントリーホールに向かった。時間がきわどい。途中で地下鉄を断念したのは、六本木1丁目という南北線の駅がメトロでは孤島のようなものであり、どう行っても大回りになるからタクシーを拾ったからだ。残念ながら救いにならず、インターコンチの入り口に着くとちょうど開演の7時になっていた。ついてないな、諦めよう。思えば昨日も成田エクスプレスは発車ベル寸前に飛び乗ったのであり、悪いことは続くものだとうらめしかった。せっかく着いたのでいちおうホールのゲートまで階段を登ってみると7時2分である。すると、やや遠くから僕を見とめた係員の男性が「オーケストラが入場中です、大丈夫です」と傘をスタンドに収めて手際よく鍵をくれ、小走りに先導してくれすんでのところで着席することができた。

プログラムを開くとマーラー6番だ。この曲、意図してチケットを買ったことはたぶん初回の一度しかないが、何度かは実演を聞いておりこのオケは2度目だ。今の席は音響が良く第1楽章は文句無しに楽しめた。オケは気合が入っており名の知らない指揮者もなかなかのようである。しかしこの曲において毎度のことなのだが、だんだん何を聞いているのかわからなくなってくる。右脳に切り替わらず左脳で聞いてしまうらしい。音楽であれアートであれこうした文章であれ、何かを生み出すという作業はそこに伝えたい思いがある。マーラーの場合、交響曲第1番という作品は 20代の青年のそれが痛いほどわかっていつも胸打たれる真の愛好曲だ。ちなみにリヒャルト・シュトラウスは僕にとってそれがわかりにくい最右翼のひとりで、ゴージャスな音響と見事に計算された起承転結に説きふせられ、薔薇騎士など何度聞いても世にも素晴らしいものに接したという感動は残るのだが、しかし何が彼のメッセージだったかはいつも迷う。

ツァラトストラは例外的に思想を描いたものだからましだが、アルプス交響曲を比較的好きなのは僕がスイスに2年半住み、しこたまアルプスの山々を歩いたからであり、おそらく彼はそうしたヨーロッパ人だけが聞く前提で書いたのであって、そうでない今時の世になって観光旅行以上の何を意味するのだろう。彼は英雄の生き様だろうが家庭争議だろうが、もしもしその気になればカブトムシの喧嘩や明日の天気予報だって音楽でリアルに描くことができたろうという天才だ。だから彼なくして映画音楽やディズニー・ミュージックは違うものになっていたと確信するし、ブラームスのドイツレクイエムが終わったときのような心の有りようが訪れてくる事は千回体験してもないことも確信できる。ディズニーはどんなに巧妙精緻なオーケストレーションで書かれてもディズニーなのだ。

マーラーの伝記など読めるものは読んでいるからどんな人物だったかということについて一応の想像はついている(ただしすべての伝記というものは少なからずその人物のひとかどのファンが書いているので、最小限のディスカウントファクターを置かなくてはいけないことは心得るべきだろう)。マーラーが描こうとしているものはRシュトラウスと違い、常に自分自身だ。シュトラウスは対象物に自己を投入して見せたり没入してしまったりすることはない真のエンジニアであり、ドイツの職業的親方を意味するマイスターだ。彼らは修理を依頼されたポルシェのエンジンの性能に自己を投入して感動したりはしない。かたやマーラーの対象物はその時々の局面において変容していく愛しい自分自身だ。投入、没入どころかどろどろにそれそのものである。彼は究極のナルシストであり、それも人間、生活者としての自分ではなく、故郷がない人間として生まれながら野心をもって音楽界で地位も富も女性も望むなりに得てウィーン国立歌劇場の音楽監督まで出世を遂げ、作曲技法においても天賦の才の命ずるがままに熟達していく自分を第三者目線で描いたという絵に描いたようなドッペルゲンガー的人物である。したがって「マーラーを聴く」ということは彼が比定して見せた第三者なるものに大真面目に自らを化体してなりきることにほかならず、残念ながら僕にはその能力が乏しく、サントリーホールにはそれのある人が溢れかえっているのを目にして畏敬しかない。

マーラーにおける自身の描写は微に入り細を穿ち、和声、対位法のみならずイマジネーションを喚起する打楽器の使用や原色的なオーケストレーションも駆使される。それは解像度を上げるためというよりも、その刹那にそれを選択した彼をも解像度高く描きだそうという重層的な試みなのである。 6番においてカウベルはもとより、専門用語で何と呼ぶのかうんうんうんコントラバスがバルトークピッチカードではなく弓で指板をひっぱたいたり、バスドラの皮面を摩ったりと特異な音響が聞こえ、ハンマーをドカンと振り下ろすという類のない指示がなされているのは周知の通り。それらが作曲当時の彼の心象風景を描写するに必須だったことに何の異論もないが、僕にとって問題はその描く対象の方なのだ。チャイコフスキーは悲愴交響曲を書いて自死してしまったのだから遺書としての重みは無限大だ。スコアを冷静にひも解くとそうとしか思えない符帳が散りばめられており(それは初期のブログに書いてある)、自殺説を採る故にそう見えるのではなく、仮に死ぬ気はなく結果としてそうなってしまったにせよ(その可能性はある)、どうだわかるか、だから俺はこれを書いたのだと気づかせたい、死を迫られた同性愛者の倒錯した心の傷跡は見られるのであり、彼が元は葬式の楽器だったトロンボーンを弱音で吹かせ、最後にそっと鳴らす不吉な銅鑼をさすがにあざといと感じながらも、あのすさまじいG線のヴァイオリンが一斉にすすり泣きを始めると、もう心を鷲づかみにされてしまう。申し訳ないがトーブラッハでハイキングを楽しみながら書いたマーラー6番は、職業作曲家としての産みの苦しみと、与えられてしまった才能が突き上げる旺盛な創作意欲との葛藤を近くで目撃していた奥方アルマがなんと回想しようがそんな深みはない。アンダンテとスケルツォの順や、当初は5発だったハンマーが2発か3発かはまったく些末なことで、初演ないしはリハーサルを聴いたリヒャルト・シュトラウスが「初めがいちばん強く、終わりがいちばん弱い。逆にした方が効果的なのに、なぜでしょうな」とアルマに語ったと伝わるが、これはエンジニアとしての素朴な疑問であったか、僕はこっちの可能性の方が高いと思うが、僕同様にハンマーは阿保らしいと思った皮肉のコーテシーを込めた表現であったと思う。

ちなみにハンマーは何を叩いているのか知らないがアイデアほど大した音はしないので銅鑼をグワーン!でよかったのではないかと思わないでもないが、悲愴交響曲のようにピアニシモで叩いて死を暗示するならともかく全力でいってしまうとチャイナを連想させるので忌避したのだろうか。この日のハンマーはいつになくスリムであり、かつて見た巨大なものでも聴衆に衝撃を与えるほどは聞こえないのだから、マーラーという自己評価の高い男に運命の一撃(2回だが)を与えるにしては打撃音は甚だ頼りない。しかしマーラーにとって、音はどうあれ運命を打ち砕く物体はハンマーでなくてはならず、この日の演奏は作曲家の意図をアイコン化し、奏者が立ち上がって聴衆に見えるように振り上げて身構え、さあ皆さんいきますよと物体の姿かたちを背景にくっきりと浮かび上がらせ、しばし静止までして印象づけるという工夫をしていたように見えた。

それやこれやで終楽章は没入できぬ和声の金管合奏を経て(これも悲愴と一緒)取ってつけたようなイ短調のコードで終わるが、以上を書いたことすべてを踏まえながら、どう努力しても彼が大真面目に意図したであろう悲しみに共感するに至る能力が僕には与えられていないことを痛感するしかない。読響定期が再度これをやらない限り二度と聞くことはないだろう。マーラーはニューヨークフィルで1909年に悲愴交響曲を指揮している。6番を書いた1904年には、1893年に初演され作曲家の死と共に楽界の話題をさらったそれを研究していたと考えるのが証明する文献はないものの大人の常識だろう。チャイコフスキーが自作をニューヨークで演奏するための楽旅の途中に着想した(いったんはピアノ協奏曲第3番になってしまうが)言い伝えが、同じく大西洋を渡ることになった自らの身の上にダブルフォーカスされ、ニューヨークでの演目に加えたに違いないと僕は思っている。しかし彼がその域に接近することに成功したのは6番ではなく、まさに悲愴を指揮したその1909年、「9番目の交響曲」のアナロジーに怯えつつ書き、結局自分で演奏することなくあの世へ旅だった交響曲第9番ニ長調だった。

今年は我が母校でもある成城管弦楽団のトランペット奏者だったK君と終演後に食事しながら音楽談議に花を咲かせている。オケ団員の話は勉強になる。マーラーは大嫌いだったが、昨今は年をとり見方が変わってきた気がするなんて他愛ない話をするわけだがやっぱり今もって好きというには至らない。マーラーの能力と知性には敬意しかないが、どうしても6番はだめだということがわかったのがこの日だった。 7時2分に入場させてくださった係の方に心より御礼を申し上げたい。

 

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(15)

2026 AUG 31 7:07:31 am by 東 賢太郎

アダム・フィッシャー / デンマーク室内管弦楽団

たまたまyoutubeで見つけたこのコンビのモーツァルト39番が面白かった。全部がオーセンティック楽器でもなさそうで、何の根拠があるのか知らないがテンポもダイナミックスもやりたい放題だ。モーツァルトの一部の曲はそれを許し、39番はその1つと思っているので楽しめたのだが、Mov4の最後のフレーズでほんの少し速くなるのは意味不明だった。こういうことをやるのは気質の合わない指揮者かなと不安になる。検索してみると同じコンビでブラームスがあるので2番を聴いてみたが、これも室内管弦楽団サイズのオケと思われる。古楽器ブームの頃続々とそういう妙なのが出てきたが、それでブラームスをやって何の意味があるのだろう?Mov2に薫る後期ロマン派のしびれる芳香は皆無。弦が痩せているのは致命的でMov1、Mov4の第2主題などグラマラスな美女がまるで栄養失調だ。アレグロは速めできびきび進むのは結構だが、そうでなくてはいけない主張というより、そうでないと音楽が持たないときこえる。そこに新味として乾いたティンパニが打ち込まれ所々で聞きなれぬ一抹の面白みはあるのだが、そんなものをブラームスが望んでいたとは到底思えない。Mov4コーダはインテンポで行くかと思いきや、最後の最後だけアップテンポで絶句した。この人は39番と同じ趣味があるのだ。全くもってわけがわからない。これを客席で聞いたら僕はブーを飛ばして席を立つ。そういうリスクがあるから2番のライブは二度と聴かない。

 

小澤征爾 / サイトウ・キネン・オーケストラ

これぞ日本の誇りである。アメリカにいたころだから1983、4年になるが、小澤さんは手兵ボストン響とブラームスのシンフォニーをよくやっていた。FM放送をカセット録音もしたが、正直のところどれも今ひとつであり、ブラームスは難しい、やはり彼のおはこはフランス物なのかなと思っていたものだ。そこからこの2009年の斎藤記念の熟成した演奏まで道のりは長かった。Mov1のコーダの弦の静謐な高揚など胸が熱くなる。これぞ恋にシャイだったブラームスだ。Mov2のFlから第2主題にさりげなく移り、薄味ではあるが絶妙な強弱で聴く者の心を揺さぶり、ドイツ系指揮者によくあるくどさを感じない。お茶漬けだと言う人もいたがこの楽章はこれがブラームスにふさわしいと僕は思う。Mov3は幾分速めでさらにそれを感じるがAllegrettoだからそれでよい。Mov4のテンポはまさにこれという盤石のもの。出だしから快速で軽くて元気の良い演奏が散見されるが、小澤は遅めで腰が重く、第1主題に至っても無用の品を作らず音楽に訥々と語らせ、徐々に音楽が暖まるのをじっと待つのである。再現部前までこんなに沈静してエネルギーを溜めた演奏はそうない。主題の繰り返しは単なる反復でなく音楽の底から加熱しつつあって、いよいよコーダに至りトランペット信号の部分からぐんぐん追い立てる。何度も書くが、この感動的なプロセスの中では全く無用であり、スコアに書いてもいないテンポの加速という軽薄な演技など存在しないのである。申し訳ないが前者とは役者が違うとしか書きようがない。

 

カルロス・クライバー/ ウィーン・フィルハーモニー

この人はブラームスに向いた指揮者だった。記号論理的に主題が変転進化していくベートーベンよりも、同じ硬派の作曲技法を指向しながらもその隙間に心の襞、エモーションがひっそりと忍び込むブラームスは、殊にこの2番は、まさしく彼しか表現できない音楽になっている。Mov1コーダ前のホルンソロを導くエロティックな手の動き、こんなことをする指揮者がどこに存在しただろうか。映像がこんなに見ごたえある指揮者も珍しい。自身が音楽の権化になりきって、時にダンスにすら見えるすべての所作、感情のこもった思わせ気な目線、魔法のような微笑みまで、あらゆるシグナルが奏者の心の奥まで届いている。各人がそのオーラを感じ、皆がそうだろうと感じるものだから伝播してゆき、クライバーの意図するがままにアンサンブルがフレージングが抑揚がまとまってしまう。すると団員個々からもオーラが出て、それがおのずと同期して燃え上がり、一期一会の劇的な演奏になってしまう。うまく言葉にならないが、そういう感じである。暗譜で振る人は少ないが、スコアをめくりながらビートを刻む指揮者とは遺伝子から種族が異なるのである。知る人ぞ知る出自も彼の魔力には影響があったのかもしれないが(カラヤンはそれをやっかんでいた節がある)、やはり彼が発しているオーラ、電磁波のようなものだと思う。指揮者に限らずそういう人はいる。曲全体がひとつの有機体としてあっという間に流れ、ブラ2を聴いたというより、我々も彼のオーラにあたった稀有の体験だったという気分が残る。ちなみに、Mov4コーダはとても練習したと見える。それだけに弦合奏の切り上げがズレてはっとする。ちなみに加速はトランペット信号までにほんの少々を済ませ、以後はない。音楽の熱で微小にかかりそうになるのをむしろ抑えこむエネルギーが最後の爆発になる。

 

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(1)

サイヒロコさんとのご縁

2026 AUG 26 8:08:53 am by 東 賢太郎

先日、東京タワーの会合にて環境アーティストのサイヒロコさんを紹介されました。サイというペンネームの由来はScience、Art、Imaginationという自身のアートの3本柱の頭文字SAIだそうです。僕は美術は門外漢ですから、ご経歴を伺い、国連やらEUやら大変なものなんだろうと想像はしましたが理解が及びません。印象的だったのは二十歳ぐらいで志を立てて単身パリを訪れたいきさつです。入国ビザが不備でオルリー空港で足止めをくってしまい、何時間も別室で待たされます。これは仕方ありません。しかしそこでへこたれることなく「私は悪い人間ではありません、アーティストです。フランスのアートを見たいと願ってやって来たのです」と懸命にアピールを続けたところ、とうとう入国審査長がお出ましになって、「わかりました。私もあなたのような方にこそフランスのアートを見ていただきたい。さあどうぞお通りください。存分にご覧になっていってください」と入国書類に署名してくれたそうです。

「いや、すばらしい。ブザンソン・コンクールにスクーターで乗りこんだ若き日の小澤征爾さんみたいです」と申し上げ、こうもつけ加えました。「僕も12年ぐらいヨーロッパにいましたけど、イギリスやドイツの空港では考えられないことです」。当然です。入国要件を満たしてない者を通すという法律違反を役人の彼は犯したわけです。部下に敵がいて密告でもされれば即刻クビでしょう。でもそれが起きない。そうなんです。フランスはアートを国の看板として大事にする。法律にはできないが国是みたいなものであって、末端の人や移民は知りませんが、市民階級である国民は誇りを持って共有している感じが会話の端々でいたします。彼らは母国語に対しても同様で、公言こそしませんが、英語は方言でドイツ語は馬の言葉だとのたまわった人すらいましたから、方言しか話せない僕も田舎者扱いされていたのです。1977年にポンピドゥ大統領が国家の威信をかけて首都パリの4区というど真ん中に創設した「ポンピドゥ・センター」は文化のプライドが国威でもある良い例です。

ポンピドゥ・センター

総工費は今の3000億円ぐらいで、年間訪問者300万人以上。立派に国の看板の役割を務めています(現在改装中)。音楽部門はあのピエール・ブーレーズが創設し所長を務めたIRCAM(フランス国立音響音楽研究所)と聞けば、クラシックに詳しい方は気合の入り具合と水準の高さをリアルにご体感いただけるでしょう。文化庁の予算は財務省に削りに削られ、都響は都政に不要と言い出す下賤な都知事が現れる我が国において、複合型アートCOMPLEXの建造に3000億円予算をつけると政治家が主張すれば真っ先に落選でしょう。かようなまでにアートに対して貧困な発想の国で生まれ育っている我々が、サイヒロコさんに与えられたフランス国家の敬意と恩賞にシンパシーを覚えるのは難しいかもしれませんが、このままでは日本が世界の一等国と誇るのは難しいでしょう。

余談になりますが、そうであるからこそ皇室の存在は絶対かつ不可侵の日本固有の本源的価値であり、王室を自ら廃絶し変革を選択したフランスを批判する者はいませんし、自ら伝統を選択しているわが国を他国にどうこう言われる筋合いもありません。どちらが正しいかという設問は存在せず、我々は2000年前からこうしており2000年後もこうしているだろうで5秒で終わりです。この盤石の主張に竿をさせる者は地球上どこにもおりません。つまり皇位継承問題への対応策は原理原則を変えないことに尽きます。なぜ男系男子なのかはなぜイタリア半島にカトリック教会の最高指導者がいるのかと同様2000年前からそうだというだけで論点にすらになりません。これで日本国、日本人の尊厳とプライドと国威は永遠に守れます。日本国籍を持ちながらそれこそが困るのだという人たちが必死に抵抗していますが、皇室はそんな方々のためにあるのではなく、日本人であるなら皇室こそ大切にしていただかなくてはなりません。防衛力の問題は本件とは別ですが、皇室の位置づけが変わり国民が日本人であることに尊厳、プライド、国威の感情を抱けなくなることは防衛装備品の拡充では補えぬ国力の甚大な棄損となります。日本が軍国主義化していると騒ぐ輩もおりますが、戦争のリスクはそうなったときに高まるのであって、論旨矛盾、本末転倒です。

あの日帰宅して、彼女の作品がフランスで驚くほどの評価を受けてきた証拠、すなわち仏芸術院賞(アカデミー・デ・ボザール賞)、国際文化芸術賞などの受賞、および、ご自身もフランス科学芸術創造協会代表、EU文化交流センター議長等に就任されている事実を知りました。もちろん人の実力、真の評価というのは肩書だけでは判断がつきません。コネやカネで買える場合もあるからです。だからこそ、「誰が書面でほめているか」は信頼できるのです。なぜなら認めた方も自分の信用をかけている。ほめるに足らぬ人を公にほめてしまえば自分の信用も公になくなるからです。初入国のエピソードの後、彼女がアーティストとしてどのレベルまで階段を登られたかは、そのポンピドゥ・センター創設者ブレーズ・ゴチエ氏のこの言葉が雄弁に語っています。

この推薦文は強力です。氏は彼女が将来にわたって発揮する能力が社会を変革するだろうと予知している。しかし、それだけです。歴史に5人しかいない1人とはゴチエ氏の社会的地位からすれば勇気ある発言ですが、氏は「人」ではなく「力」を見ており、サイヒロコさんのその点におけるマグニチュードを評価しているのであり、国籍や性別や宗教などの属性、知名度や実績がいかなるものかは一顧だにしておりません。これを見て僕は、何と清々しく正々堂々とした人だろうと感じるのです。世界中を歩いてたくさんの優れた人とお会いしてきましたが、真のインテリとはこういうものです。そして、非常に重要なことは、これだけの人物がそこまで評価しているサイヒロコとは何者だろうとなる。これこそがこの推薦文のパワーの核心なのです。

残念なことに日本でこのような人物はあまり見かけません。 99%の人は、名前きいたことあるか?地元の評判は?学歴は?先生は?交友関係は?受賞歴は?代表作は?役職は?なんてことを丹念に調べあげ、人品骨柄まで調査することを、そのアーティストの作品を虚心坦懐に鑑賞することより10倍も優先し、熟慮に熟慮を重ねた結果として満を持して「推薦します」なんてやる。そしてそのアーティストの作品を好きですか嫌いですかのアンケートを取ると 50%以上の人が「わからない」と回答する。これがおおむね日本のアート界の悲しい姿でしょう。そこに「彼女は歴史上5人しかいない天才のひとりだ」なんて評論家が現れるとにわかに怪しいぞという空気になって、そのステートメントが真実か虚偽か検証しようなどという真っ当な精神も雲散霧消し、安全策として誰も見向きもしなくなる。仮に日本でアートを国策にしようとでも思えばこの風土は甚大な障害なのですが、 50%以上いるであろうアートのわからない人にとってはスーパーの野菜の値引きの方が大事なのです。国民経済の不調が続きそれが仕方ないのであれば、わかる50%の人に対し正しい情報とまっとうな評論を提供するのは日本が文化国家として成熟していく前提条件でしょう。

サイヒロコさんの主要作品はこちらで見ることができます。

http://サイヒロコ 国連環境アーティスト 経歴・作品集

ここにひとつ貼ってみます。

後日談があり、「作品をお見せするので横浜においでください」と連絡をいただき、ビジネスパートナーのN氏と連れだってこの週末に行ってきました。みなとみらいのランドマーク・タワーに描かれている2フロアにまたがる壁画は市民にはおなじみで、彼女の代表作のひとつです。

作品はかように日本人離れしたスケールである。制作にかかると「どこからか音楽が聞こえてきて、500メートルの巨大な壁画も歌いながら3日で完成します」とのこと、この人は発想も創造も実行力も、日本人を根底から変える大きなパワーに恵まれています。実物を見ないとわからないものでしょうが、その作品は規格外のサイズであって絵画というよりアーティスティックな常設の構造物と呼ぶべきものでしょう。

例えばこの作品は国連ユネスコ本部50周年記念作品で、永久保存となった全長なんと500mのメッセージアートです。こんな壮大な作品を作った日本人はまずいないだろうし、そもそも作ろうと思うこと自体が日本人のちまちました思考のフレームワークをぶち壊しています。社会を変革する力を持つとはそういうことです。大志を抱くべき多くの日本の若者たちに、彼女のアートをぜひライブで体感していただきたいものです。

僕は入国ビザも持たずにやってきた彼女の出現は、パリにとって第2のストラヴィスキーだったのではないかと想像しています。ポンピドゥ・センターは構成する数々のビルディング自体がアート作品になっており、まさに彼女同様に、建造物がアーティスティックな常設の構造物と呼ぶべき存在であります。完成当初は「醜悪」と酷評されたが次第にそれが個性として定着して行った姿は、音楽なら、20世紀初頭に突如として出現したストラヴィンスキーの「春の祭典」の初演がシャンゼリゼ劇場でブーイングの大嵐を引き起こしたが、今は学生オケでも達者に演奏できるほどポップ化しているのと似ているではないですか。

ちなみにポンピドゥ・センターのすぐ横に「イゴール・ストラヴィンスキー広場(Place Igor-Stravinsky)」があります。中央にストラヴィンスキー噴水があり、その地下にIRCAMがあるという構造になっている。

この背景には、

ストラヴィンスキー=20世紀音楽の革新者
ポンピドゥ・センター=20世紀芸術の革新拠点

という思想的な対応関係が指摘されており、前述のようにピエール・ブーレーズがIRCAM創立者で初代所長(退任後は名誉総裁)であり、1969年にCBSに録音したクリーブランド管弦楽団との「春の祭典」は、こと音楽に限らず、僕の思考体系全体に甚大な影響を刻印したわけです。これぞまさに、「社会と深く結びついてこれを変革する力を持ったものでなければアーティストとは呼ばない」というゴチエ氏の言葉の正統性が僕の中で証明されたと強く感じるのです。

週末に横浜での待ち合わせ場所となった馬車道の BankPark YOKOHAMAは圧巻でした。来年3月から9月にグリーン・エキスポ(横浜花博2027)が開催されますが、この歴史的建造物は主要プラットフォームのひとつとなりサイヒロコさんがアートディレクターとしてオリジナル作品を制作されるそうです。オーナーともお会いでき、エキスポに関する横浜の思い入れなど興味深い話を聞かせていただきました。BankParkはもともと渋沢栄一がつくった国立第一銀行横浜支店であり、内部は今はカフェになっていますが天井は吹き抜けでとても高く、どんなアート空間が展開されるのか楽しみでしかありません。奥の方に目をやると、頂いたパンフレットで見覚えのある巨大な絵画が壁にかかっています。


春の祭典のイメージが浮かんできます。そしてこれはポンピドゥ・センターと関係ある作品です。どこか繋がる。横浜は先祖の地縁が深い場所であり、オーナーさんは「今日は呼ばれましたね」と静かに微笑まれました。

ドヴォルザーク 弦楽セレナード ホ長調 Op.22

2026 AUG 19 6:06:30 am by 東 賢太郎

専門性を持った人が同時代の同業をどう評価するかはなかなか難しい。モーツァルトはほとんど褒めない。ベンダやプレイエルを持ち上げているが、それを後世の耳は共有していないのだから音楽の技量だけでない評価もあったかもしれない。注目すべきは不遇のパリ旅行からの帰路で寄ったストラスブール大聖堂の楽長、フランツ・クサヴァー・リヒターの宗教曲を「悪くない」とした父への手紙だ。僕は同意できるが皆様はいかがだろうか。

ブラームスはというと、是々非々の人だ。ワーグナー、ブルックナーと対立したことになっているがそれは取り巻きの政治が混在した話であって、彼自身はマイスタージンガーを高評価しており、Sym7、8、テ・デウムのスコアを持っていたし、ヨハン・シュトラウス2世も買っていた。中でもドヴォルザークは格別で、遺産の相続人にしようと考えたほどの推し活ぶりであった。その背景はここに詳しいが、ブラームス 「ドイツ・レクイエム」作品45 (その5)、「民族、宗教の厚い障壁を越え、両人が根源的共感に至ったことと切り離して考えられないことは、ヨハネスと芸術観を共有する中産階級出身のクララ・シューマン、ヨーゼフ・ヨアヒムが、ヨハネスの激賞にさっぱり反応しなかったことに見て取れる」という点に彼の是々非々ぶりを見る。

Antonín Leopold Dvořák

2人の馴れ初めは「1874年、ウィーンに出てきてオーストリア政府の国家奨学金に応募した33歳のスラブ人を、ウイーン楽友協会の音楽監督で審査員だったブラームスは楽界に紹介し激賞する」ことで始まったが、今回注目したいのは申請作品の一つ「弦楽セレナード ホ長調 Op.22(B.52)」の扱いだ。ドヴォルザーク本人も自信満々なうえ、審査員ブラームスはドヴォルザーク推しであり、作品としても客観的に優れている証拠に現代でこれを知らないクラシック好きはいない。ところが不思議なことに、ブラームスはOp.22につき一言もコメントを発しても残してもいない。同じく応募作の「モラヴィア二重唱曲B.60・B.62」を激賞してジムロック社に出版を推薦する手紙が残っている事実から、審査員としての立場上控えたわけではない。謎としか言いようがない。

謎は解きたくなる習性がある。そこで長年、暇を見ては英語の文献を読みあさってみたがコメントはない。チェコ語はあるのかと思っていたが、昨今はAIがそれも解決してくれる。やはりない。「言わなかった」という不作為に故意はなく偶然だという謎解きが「悪魔の証明」という理屈で正当化され得る。誰もそれは崩せないので論文にはならない。モーツァルトのジュピターとハイドン98番の問題を論じた時も、ハイドンはそれにつき何も語っていないので「偶然の相似だろう」という反論を論破できない。だから僕はプレトークの舞台で、「素人だからできるんで」と聴衆の皆様に申しあげた。素人だから論考が浅いとは思わないが、状況証拠で容疑者を有罪にすることもできないのだ。

Op.22の謎を解きたい動機は、僕はこの曲が大好きだからだ。はち切れるような春の喜びと希望に満ち、生きる力を与えてくれる曲である。大管弦楽の爆発やファンファーレで鼓舞するのではなく、ストリングスだけでふんわりと柔らかく、内側から徐々に温めてくれるので幸せの持ちがいい。どうしてOp.22がそういうオーラをまとったかというと、作曲家自身がそういう心持ちにあったからだろう。1873年に結婚し、1875年に第1回奨学金400グルデン(200万円ぐらい)を受けた直後の作品である。貧しかった彼に天恵だったことは5月3~14日のわずか12日間で Op.22を完成したことで分かる。結局彼は5年連続で総額2,300グルデン(1,200万円ほど)を得て人生が変わったが、その転機になった曲なのだから格別の気に満ちていても不思議ではないだろう。

一方のブラームスは1876年に難産だった交響曲第1番をついに完成、初演する。ウィーンには10年住みすでに地位を確立していた。ドヴォルザークを発見したことで自分の楽界デビューにおけるシューマンの役を演じたのではないか。シューマンにはクララという理解者はいたが、作曲家としての真の後継者の出現に歓喜し激賞した。同じ思いを抱ける若者がついに現れた喜びはいかばかりだったろう。ジムロック社に出版推薦をした作品は「モラヴィア二重唱曲B.60・B.62」である(1877年12月12日)。出版譜(写真が表紙)は好評であり、同社は後に更なる成功作「スラヴ舞曲」Op.46も出版しており、新進作曲家のオリジナリティーを生かすチェコ路線であること、家庭で演奏もでき実用性があること、という商業性を重んじたブラームスの推薦は筋の通ったもので、これがOp.22でなかったことに不合理はない。

《モラヴィア二重唱曲B.60・B.62》

では弦楽セレナードはどう扱われたのか。 1875年(第1回目)の受給後に作曲されたのだから楽譜が提出されたのは第2~4回であり、第2回は証拠資料がなく、第3に含まれていないことは確証があり、以下の行政記録から第4回であったことがわかる。

① ドヴォルザーク本人の申請(1877年7月26日)
→ ② 添付作品にOp. 22
→ ③ ウィーンの音楽部門による審査(1877年11月30日)
→ ④ 600グルデン支給決定

ここで重要な事実がある。ドヴォルザークは1875年の時点でOp. 22をウィーン楽友協会へ提出していることだ。奨学金申請ではなく友人のヴィオラ奏者アロイス・ブフタを介して楽譜を送り、ハンス・リヒターも好意的に評価したがウィーン初演は実現しなかったという経緯があったのだ。シューベルトもハ長調交響曲(ザ・グレート)を楽友協会に献呈・受理されており、自身の中ではそれに匹敵する、コンクールを回避するほどの自信作であったゆえの行動だ。そこで、「ドヴォルザークはこのセレナードを非常に高く評価していた(筆者注・が楽友協会に受理されなかったので)1877年、4回目の国家奨学金申請にそれを “添付” した」(Anton Dvorak National Musium)という顛末になったのである。つまり、Op. 22は1877年の奨学金のために作曲されたものではない。ブラームスがコメントを残していない事情はここにあるという主張は一理あるだろう。

パーヴォ・ヤルヴィ/ チューリヒ・トーンハレ管弦楽団

なぜ提出時期にこだわるかというと、ブラームスがOp. 22を見たことと、自身の交響曲第2番ニ長調Op.73の作曲とに関連があるのではないかと考えているからだ。Op.73は1877年6月から10月ごろまでの約4か月間で成立したと考えられている。個人的な感想を述べさせて頂けば、Op. 22はブラームスを驚嘆させてしかるべき作品である。以下、そう考える理由を、楽譜に基づき実証的に述べてみたい。すぐれて是々非々の人であるブラームスの思考と判断を推察するにはそれが最も説得力を持つと考えるからである。

Op. 22を作曲した1975年時点でドヴォルザークは交響曲4番まで書いていた。そのどれもがブラームス作品と比較するに及ばないことは衆目の一致するところだろう。そこで彼は賢明な判断としてセレナードを選ぶ。ブラームス自身の管弦楽での出世作がそれであったことも意識にあったかもしれないが、頑強なソナタ形式による楽章のロジカルな構築、主題の彫琢と展開というブラームスのお家芸は避け、溢れ出る魅力的な楽想をおおよそA-B-Aのシンプルな形式で5つの楽章として提示し、トータルな充足感において弦5部だけでシンフォニーに勝るとも劣らぬ傑作を産み出したのである。 19世紀からドヴォルザークの作品に対しては深みに欠ける、哲学的論理的思考が欠如するとの批判が繰り返しなされてきた。僕もどちらかといえばそちら側の人間であった時間が長い。しかし何度鑑賞しても飽きることのないOp. 22を知るにつけ、余人を寄せつけぬ楽想の泉はベートーベンもブラームスも、これができぬゆえにあの道を行くしかなかったと思わされる異能であることに気づいた。いみじくもブラームスはアイロニーを込めて語った、あいつが屑籠に捨てた楽譜から交響曲が書ける。

第1楽章 ホ長調

ドレミファの4音だけで心が和むVn2とVaの主題(もうここから天才だ)。僕はこれからシューベルト弦楽五重奏Mov1第2主題(変ホ長調)を思い出す。Vn1がオクターブ高く乗ると(下の譜面の2小節目)やおら和声の迷宮に入り込む。

迷宮をコードで記述するとこうなる。

E-C#m-B-G#m-Em-Gdim-G#m-C#7-F#m-B7-E7-A7-F#-E-Em-F#-F#7-|B7-G#dim-B7-G#dim-|A/b-G#m-A/b-G#m-|B7—–

この驚くべきプログレッションをブラームスが無感情で見逃したなどという意見があればそれこそ屑籠に捨てるべきだ。耳が慣れぬ人にとっては一瞬の陽の翳りからまた陽光が戻る感じがするかもしれない。迷宮が最後B7に落ち着いてから2小節がEに回帰するブリッジになるところ、もうため息が出るほど美しい。ドレミファだけでできているジュピター主題。そして異形であるのはドン、ドンと大砲2弾に発する主役の主題があれよあれよとしぼんで暗雲たちこめるエロイカだ。序奏ならいざ知らず、明快に確保されたアレグロ・コン・ブリオの長調主題が直ちに減和音に陥る例は古典派には極めて異例で、音の表面づらは全く違うがドヴォルザークも第1楽章第1主題で同じことをしている。すなわちモーツァルトもベートーベンもここにいる。ラファエル・クーベリックだけがB7-E7-A7のバスをmfで弾かせるのは奥義を心得ている。途中でエグモントov.が聞こえるのもベートーベンを印象づける。

第2楽章 嬰ハ短調

自身のSym8 Mov3を予見する楽章だ。中間部は変ニ長調(嬰ハ長調の異名同音音階)。主題が長調で10度でハモって進行するところはブラームス風である。ふっとホ長調の木漏れ日がさす転調も魔法のような強烈な個性。

第3楽章 ヘ長調

冒頭のタンタラタンタンはハイドンSym104 Mov1から(それはジュピターMov4結尾から)。Bar5のミーレドーシラーソファーミはブラームスSym1 Mov3(注)。Bar120からはJ.Sバッハ3声のインヴェンションNo.5変ホ長調(わかる方は上級者。ブラームスは当然わかった)。

(注)ブラームスSym1初演はカールスルーエで1876年に行われドヴォルザークがそれを聴いていない事は確実だ。従って4回目申請の1877年7月26日までにSym1のスコアを閲覧し、1975年原典版にはなかったBar5を付加した可能性を指摘したい。

第4楽章 イ長調

モーツァルトのクラリネット五重奏Mov1の和声を思わせる(Ⅵで体言止め)。ラフマニノフPC3番Mov2の開始部が酷似。中間部BからAに回帰するブリッジはMov1冒頭のそれ(B7)である。

第5楽章 嬰ヘ短調

弱起の開始はトリッチ・トラッチ・ポルカなど。そのタターが導くBar87からは明らかに「ウィーンの森の物語」(1868年初演)の第1ワルツ(タターはMov3のA部分の背景に印象的に登場している)。全楽章に対位法によるコントラスト、リズム分割が駆使され技法的にエロイカMov1を意識か。この曲をウィーン楽友協会へ提出し、気に入ってもらうべく意趣が凝らされている。終盤で第4楽章が回想され、さらに第1楽章冒頭が回想され、幸福感が円環形に保持される。ソナタ形式でない形式論理のインテリジェントな試行である(ブラームスのクラリネット五重奏での採用のモデルか)。

結論

以上の第1~5楽章での指摘事項は、チェコ人ドヴォルザークの「ドイツ音楽への造詣、敬意、そして伝統の継承者としての資格の顕示」である(バッハまで引いた意味がある)。それを破壊しかねなかった巨人ワーグナーへ傾斜していた自分を反駁者として古典路線に戻すメッセージであり、必然的に審査員ブラームスの琴線にも触れる。しかし歌劇場を運営するウィーン行政府は必ずしも反ワーグナーではなく、両派閥のバランスを取るためウィーン讃美の終楽章を置いたとするのが政治的観点からの私見である。ドヴォルザークの楽譜は、その程度の知性は優にある人物像を物語る。それを見抜いたブラームスは擁護に回った。

ところが作品が秀逸すぎた。特に第1楽章の迷宮はブラームスを驚嘆させた。同時にOp. 22のウィーン楽友協会への抜け駆け的な献呈はオーストリア政府の国家奨学金制度の権威と意義を損ないかねず、体制側の重鎮であるブラームスにとって心外であった。田舎出の貧しい青年に体制側のコンプライアンス意識はなく、自信と経済的焦燥感ゆえの勇み足であった。自身も同様の出自であるブラームスは、そのことをもって青年のエントリーを却下することはできず、むしろ譜面を調べることによりその才能に惹かれることになり、詭弁として「Op. 22は献呈を目的としたもので申請作品とは認めない」スタンスを取った。エントリーされていない添付作品だから、コメントは必然としてないのである。

ただ、仮にそうした事情がないとしても、彼がコメントを避けた(Op. 22を無視して見せた)可能性を僕は否定しない。というより、むしろこちらの可能性の方が高いかもしれないと思っている。彼はシューマンのようにストレートに良いものを良いと言わない性格の人だ(ある意味、ひねくれ者)。好きな女性を父親と裁判で戦って奪い取るような勇気、根性はなく、むしろ本当に好きな女性に言い寄って拒絶されて傷つくのを恐れるため、あえて冷たい態度をとって突き放してみせるような人だ(だからアガーテにばっさりとふられたのである)。はっきり言ってしまうと彼女に女々しい男と思われたのである。その性格であるから、調べれば調べるほど気になってしまったOp. 22にあえて冷たい態度をとって興味がないように装ったのではないかという仮説には一定の信憑性を感じてしまう。あくまで直感であり、Op. 22のスコアを調べた実証的アプローチの結論ではある。

彼はドヴォルザークの才能に惚れたに違いない。なぜならドイツにおいて彼の後継者たりうる才能の持ち主には出会わなかったからだ。ドヴォルザークは元来はワーグナー信奉者だった。それがブラームスに感化されたことによりシンフォニストの道を目指すようになった。ただ彼はブラームスと違いオペラも書ける人だ。旋律の才があるからどんな音楽でも書ける。ブラームスのドイツ保守本流の流儀で、おそらく彼の書いた交響曲の中でベストである7番を書くと、彼はスラブ魂を失わぬまま、自分流儀でインターナショナルなセンスの音楽を作るようになった。やっぱりブラームスは孤独だった。

最後にOp. 22の推薦盤だ。ハンス・シュミット・イッセルシュテット / NDR交響楽団の演奏。室内オケでなく常設で気心知れた管弦楽団の弦セクション。ドイツ色丸出しだが作曲時点のドヴォルザークの望むところだ。指揮が緩急強弱の勘所をとらえていて懐が深い。

万人にお勧めできるのがこれ。ネヴィル・マリナー / アカデミー室内管弦楽団にとってこれは十八番であり間然する所無し。素晴らしくうまいことはユーチューブに数多あるほかの演奏と聞き比べれば誰もが納得だろう。指揮は余計なことをせずスコアのあるべき姿を過不足なく淡々と描き出す。英国の良心。それだけで幸せになれるこの説得力。いかに良く書けているかとスコアを拝みたくなる。最高の演奏とは曲が何であれそういうものだ。

なんと大作曲家ペンデレツキ先生も同好の士だったとは!熱い演奏です。伝わってきますね、いかにこの曲を愛してるか。なにやらブラームスが指揮してるみたいに見えてきました。

僕が聴いた名演奏家たち(クシシュトフ・ペンデレツキ)

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入試の現代国語と音楽評論の関係

2026 JUL 29 19:19:39 pm by 東 賢太郎

ダイナミックオーディオのSさんは立派なクラシック愛好家です。話のなりゆきで「ブログ読んでますよ」となり、それはそれはということで「ご感想は」と尋ねると、「他の人のと決定的に違うのはですね」と前置きの上で、「知らない曲なのに読み終わると知った気になってるんです。そこでCDを買って聴くと不思議と曲を覚えてしまいます。それは、東さんのは文章がぜんぜん違うからだと思います」「文章?」「はい、文章です」とおっしゃった。

これは大変なことでした。かつて作文をほめられたことがないからです。「こんなの問題作った奴しかわかんねえ」と答案用紙やぶって捨てたのが現国。漢文にいたっては猿が鳴いてどうのとかいう授業で「猿は鳴かねえだろ」と集中力がきれて以来記憶なし。つまり国語で絶対の自信があったのは「1000回模試受けても偏差値は55だ」という法則性だったのです。Sさんがぜんぜん違うとされるのは文章がうまいでなく妙だ、変わってるだろうと解釈するのが穏当なところです。

ちなみに一度だけ法則が破れ70が出た。次からまた戻った。それがこれです。

国語、数学の論述式について

母校の受験において、中高一貫校の秀才たちに比べれば野球で遊んでた都立高の僕などドンキホーテみたいなもん。そこで「檸檬」の教訓から国語の全軍撤退を決意し、ひよどり越えで勝利した冷や冷やの戦争でした。法則が破れたことを重視した。これは思いつきでなく科学的態度です。そして本稿はまた法則を破って下さったSさんの言葉に発しています。

僕の音楽ブログの “思想的モデル” はレナード・バーンスタイルのヤングピープルズ・コンサートです。

中身も英語もご覧のように子供向けで平易。学生さんは夏休みに全部見ることを強くおすすめします。わからなければ繰り返し聴いてください。わかるようになれば英語は楽勝。クラシックは優に中級者。宝物のビデオなんです。客席はほぼ全員が白人の富裕な家の子ですね。小学生からこんな話が聞けるなら大差つきますよね、で、この子たちもまた金持ちになる。教育の差はいかんともし難いですが、そのむかし小遣い何万円もはたいて買った52枚がユーチューブでタダ!やる気になれば克服できる時代にもなってることに皆さん気づきましょう。

会ったことがある人で尊敬する人物は、ダントツぶっちぎりの1位でレナード・バーンスタインです。頭の冴え冴えした良さと歩く音楽みたいな稀有のコンビネーション、泉のように湧き出て先が予想もつかぬインスピレーション、老若男女のハートにインフルエンスする強烈なパワー。真の天才です。ビデオ1のチャイコフスキーはここに引用させてもらってます。

チャイコフスキー 交響曲第4番ヘ短調 作品36

この部分だけは何しても先生のピアノにかなわない。それ以外は誠に僭越ながらわたくし流儀で楽譜と文字でやらせていただいてます。

日本の多くのクラシック好きはこのやり方はあんまり好きじゃないと思う。マグロとハマチのおいしさを寿司屋の親父が食品成分表で比較して語るみたいなもんですからね、うざってえな、寿司はうまきゃいいんだ早いとこ握ってくれってなもんでしょう。そもそも日本人は神を感じるものの裏側をのぞくみたいなことはしないんです。神社の神殿にはお姿も経典もありませんしね。

でも西洋の源流であるギリシャ、ローマは全部丸裸にして法則を見つけて、サイエンスと呼ぶその原理で巨大なものを構築する。それを言葉でやって哲学にする。その世界でうざってえは通用しないんです。僕は子供の時から分解ぐせがあって何でもバラしてました。西洋音楽のスコアがバラしがいのある美味しそうな対象だったことがのめり込む原因の1つになったことは間違いありません。

バラしてから組み立て直して設計の原理を探ることをリバースエンジニアリングといいます。高校時代に春の祭典のスコアでそれをやった。ヤングピープルズ見てなかったら発想なかったです。謎の音の正体が次々と明らかになる。まるで推理小説の謎解きみたいな快感。このゾクゾクで僕はクラシック音楽の世界に入ったんです。食品成分表の寿司屋みたいに変でしょ。つまり人間がそっち系だから理屈っぽい。これが数学に向いてたんですけどね。

受験生に重要なヒントを差しあげます。数学の文章題が解ける解けないの差は何だかわかりますか?計算力ではなく文章力です。手を動かす前にゴールへの道筋を言葉で正確に言えるなら確実に解けます。だめなら確実に解けません。その言葉がコマンドで計算はエグゼキューションです。計算はしもべなのでソロバンの名人になっても数学の偏差値はあがりません。

つまり僕のブログの文章はきっと数学の文章題を解くコマンドみたいなものなんです。音楽評論家の先生方は音楽の通信簿は当然みんな5でしょ。僕は2なんです。教科書の恐ろしくダサい歌や教室中が半音の1/ 4ぐらいずれたおぞましい音響に満ちる拷問のような笛は鳥肌が立つばかりで文科省指導要領に則った授業に絶対に収まらない。そういうスタンスの先生は尊敬できないから向こうもそんな生徒は嫌いますよね。

ただ九段高校の坂本先生は3年の最後の最後で作曲の自由課題で提出した僕の曲をピアノで弾いてコンクールに出したいぐらいだとほめてくださり授業で合唱指揮もさせてくれた。これは嬉しかったですね、通信簿がどうなったかは忘れましたが。Sさんがふだん読まれている評論は通信簿5の人のです。文芸的なセンスに優れた方のものです。リバースエンジニアリングが面白くて書いてる僕は人間が異性人ぐらい違うので文章がぜんぜん違う。ロジックは終点まで持っていきますから読み終わるとわかった気になってる、ということじゃないでしょうか。

特にそう思うのを3つあげます。これです。

モーツァルト「アヴェ・ヴェルム・コルプス」(K.618)

ブラームス4番とマタイ受難曲

「エロイカを全曲弾く」

教育者でもあるバーンスタインの選曲は子供に論旨をわからせるのが目的です。僕のは教育はおそれ多いので単に面白いと自分が夢中になれる曲です。このヴィオラの音、あそこの突然の三度上の転調、すごいですね、ユルめのバスドラ、裏打ちリズムの切れ上がり、いいですよねえ、ここはあの曲から引っ張ってますね云々なんてのがいちいち気になってちょっと聞き方も変なのかもしれません。

それが僕の面白いなんです。それでいいと思ってます。教科書の名曲解説みたいな毒にも薬にもならないのブログにしたって面白くもなんともないでしょ。面白いという感情はポジティブです。言葉しらない幼児の頃から人間は遊びます。やがて友達ができ、面白そうだねとみんなが寄ってくる。書いてる僕は幼児と一緒で全身で面白いと思っていますから多分それが皆様に伝わるんだと思います。

バーンスタインさんピアノでシンフォニーからジャズからポップスまでスイスイって弾けてますよね、あれはリサイタル用に練習したんじゃなくて普段着で好きで面白いんでやってると思いますよ。そういう感じの人でしたよ。音楽はポジティブな感情からしか出てこないです、悲しい曲だってそうです。悲しくて自殺しようって人は曲なんか書きませんからね。

僕は仕事はアップダウンがあっていろいろ落ち込むこともあるから音楽してる時だけは面白いなとポジティブでありたいんです。そこから出てくる気をブログに封じ込めて、読んで下さる方もポジティブになっていただきたい。僕がそうするんじゃなくて書いている曲が面白いからそうなれるんです。Sさんのようにそれがひとつ増えましたと言って下さると心の底からうれしいです。

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歓喜のリンデマン再臨

2026 JUL 24 15:15:32 pm by 東 賢太郎

ダイナミック・オーディオのSさんからメールがありました。「お預かりしてるリンデマン820ですが、SACDは残念なから部品がありませんがCDのみの再生は可能です」。リンデマンはドイツのCDプレーヤーです。もう20年も前のこと、自宅であれこれ聴き比べさせてもらい、一目惚れで決めた愛着ある品です。半年ぐらい前に電源が入らなくなってしまい、「メーカーがもう倒産してしまっていてどこへ頼んでも断られました」と言う返事をもらった時はお先真っ暗。仕方なしに買い替えようと、とりあえず代用品でまかなっていたのですが音質の差は歴然だったのです。もう弔いの気持ちになっていたのが復活!

Sさんが届けてくれ、まずはレファレンスとしてKenny Barronのアルバム「Night & The City」を。いや、良かった、戻ってる・・・劇的な差です。ライブ録音のピアノがたまりません。楽器の “物体感” がスピーカーから現れ、触れればほんの少しざらっとした触感がわかりそうな音像が骨太で大きくなり、絹ごし豆腐のようにアナログ的なのに芯がある。単体でもそういう傾向なんでしょうが、僕は世界最高のプリと評価してるブルメスターを通しているのでそれが倍加された印象です。いや、ドイツのメカのこだわりはすごい。次いでかけたクルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管のエロイカ。いやいやこれぞドイツの音ですよ。本物のベートーベンにちょっと疲れてた僕も生き返りました。

このメーカーが倒産。まずSACDにコストかけて勝負に出たのが失敗。ストリーミングが隆盛になって同じフォーマット内の進化は霞んで価格倒れになった。オーディオ業界は腕の良い技術者もAIに流れてると聞くし、かつてのLPとCDの関係にあるのかもしれません。マクロ的にはリアルとオンラインの戦いで、オールドメディアと同様にリアルは分が悪い。でも僕はモノを所有しないのはだめですね。テレビがオンディマンドになるのは結構、元から番組は所有してませんからね。でもオーディオの音源がそれってのはいけません、所有してるって満足感は重い。だからそれに深い愛着がわくという因果関係も重大です。引っ越すと飼えなくなるからペットもそうなるかもと聞いてますが、レンタル猫なんてそんなのはありえません。まあいずれ彼氏も彼女も旦那も奥さんもそうなるのかもしれないがもうその時はいないでしょう。

そういえば、これも溺愛品のパワーアンプStratosのメーカー、米国のホヴランドも倒産。なんでだ?不条理としか思えません。発売時にオーディオ評論家の菅野氏が手放しで誉めながらも「でもこれは日本であまり売れないのかな」とステレオ誌の記事で半ばあきらめのタッチで独白してたっけ。この発言だけでも、心から氏はプロだと思います。そう。日本のオーディオマニアには「HiFiっぽい音」こそ大事で、こういうナチュラル本格派は500万も払ったのに普通の音じゃないかとなっちまうらしいのです。これは野球に例えるなら、回転のいい伸びるストレートなんです。150キロ出るとか出ないとか数字じゃなく、130代でもゾーンで空振りが取れる。自分もそれにこだわってたし、フォークだシンカーだナックルだってにぎやかなのね、ああいうピッチャーは好みじゃないんでいくら防御率良くても全然興味なし。そっちが日本のオーディオマニアの世界です。これ、美学なんで理由も理屈もないです。

これも書きましたが、日本で最初の客だったのですぐにホヴランドのCEOからお礼の手紙が届きました。でも問題は中身でね、どうして僕が “オーディオマニア” じゃないと分かったのかは知らないし、感想を伝えたわけでもないんですが、買ってくれてありがとうだけじゃない、わかってほしいところをわかってくれてありがとう、どうしても伝えたいの趣旨だったんです。同好の士と認め合ったということでね、こういうのが一番うれしいんです。子供の時、みんなおもちゃは飛行機、船、車で電車は少なく、いても安っぽいプラレールみたいなどうでもいいやつで、鉄製の電車一本槍ってのは自分しかおらず寂しい思いをしたのを思い出しました。CEOは一度お会いしてみたいものです。

まだ2日だからあまりきいてませんが、とりあえずマルク・スーストロ指揮ボン・ベートーヴェン・ホール管弦楽団のドビッシー/ラヴェル、シノーポリ指揮ドレスデン・シュターツカペレのシューマン3番、アラウのベートーベン月光・田園ソナタ、モーツァルト生家のピアノフォルテによるアンドラーシュ・シフのモーツァルト集を。シノーポリのライン、あんまり印象なかったけど見直しました、これいいですよ。週末は時間があるのでオペラをいきます。本来はサバリッシュかレヴァインでリングが魅力ありますが、ワーグナーはいま気分的にちょっと重い。モーツァルトもいいけど、ここはヤナーチェクかな。

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音楽家と完全主義

2026 JUL 22 0:00:50 am by 東 賢太郎

初めて聴いた演奏家に夢中になることは稀ですが、もうだいぶ前のそのひとり、ヴァイオリニストのユリア・フィッシャーは終焉後に楽屋までおしかけてツーショットしてもらったぐらい気に入ったものです。前稿のチェリスト、ダニエル・ミュラー=ショット(以下ダニエル)も感銘はそのクラスだったと思います。

チェリストといえば、昨年10月21日の読響定期でハチャトリアンを弾いた北村陽(左)も良かった。ブログで「圧巻!リサイタルを聴いてみたいと思った初のチェリスト、いや、いつまでも聴いていたいと思った稀有の人と書くべきだ」と最大級の賛辞を送っています。ではダニエルと比べてどうだったか?感銘という点で甲乙付けがたいですね。同じ曲ではなかったし音楽を聴く側の印象というものは振幅がありますし、そもそも22歳の北村を円熟期50歳のダニエルと比較してもフェアでないのですが、同じチェリストとしてそう思わせたということは書いておく意味が大いにあった。期待あるのみです。

ダニエルについて特筆すべきは、演奏のありようもさることながら、曲は違うのにロストロポーヴィチの40年も前の記憶を呼び覚ましたことです。もっと正確に記すなら、演奏中に「あれ?これどこかで知ってるぞ」とひらめき、しばし考えてその結論が浮かんだのです。ロストロで覚えていて言葉にできるのは、チェロをとても寝かせる構え、それだからできるのだろうヴァイオリンのように緻密なハイポジション、会場の奥まで届くピアニッシモ、シューマンの歌の朗々たる艶やかな伸び、フォルテの凄まじい集中力でしょう。しかしそのどれかが似ていたのか総体的なものかははっきりしません。

音楽は “生もの” です。なま音はマイクに入りきらないといいますが、もっと入らないものがあります。聴衆です。劇場には聴衆の「気」が満ちています。いや、もっと科学的に記述しましょう、満ちていると仮定するのです。空気からは計測できませんが、人体からはできる。なぜなら、音楽の起伏につれて聴衆の心は動いています。興奮すればアドレナリンが出ます。フィナーレで高潮すると心拍数、体温、血圧が上がり、消えるように終わる音楽なら平静になるでしょう。興奮や沈静は脳波という電磁波になり、それが同期し伝播して巨大になると何物か劇場に満ちている感じになる。それが「気」と呼ぶものの正体であり、どなたか数値を計測していただければ仮定は証明されたことになるでしょう。

気は人間に影響を及ぼしており、それを言語で表現する需要が多いから日本語に「気」のつく単語が山ほどあるのです。劇場とは、大勢の観客の前で何かを演じ、「気」をひとつにした相乗効果で爆発的な効果を生むことを目的とした装置です。ルネッサンス期にフィレンツェでギリシャ悲劇を再演しました。やるうちにセリフを歌とし、楽器で伴奏することで相乗効果の爆発が増幅されることに気づきました。これがオペラの起源です。リブレットは同じですから、観客の「気」を増幅するものは音楽であることが発見され、やがて音楽だけが独立しコンサートとなったのです。すなわち、劇場の成果とはどれだけ観客の気を高めたかということであり、演奏家の評価もチケットの売上もそれにつれます。

気は画像にも録音にも入りません。2千人の劇場なら、歌手、オーケストラが百人として気の95%は聴衆が発していますから、CDやストリーミングで再生して耳に入ってくる情報は5%でしかないのです。これは「光や電波で観測している物質は宇宙の4%しかない」というダークマターの存在に似ています。神は無駄なものを造らない(イザヤ書 45章18節)なら96%も無駄でしたという結論はないのです。劇場の場合、我々はリアルな現実として録音の何倍もの感動を味わえることを体感しています。気合といいますが、気は合一してパワーになる。嵐ファンの娘はライブのため北海道まで行きましたが、その歓びの 95%は気かもしれないよということです。もちろん5%が優れていないと感動は生まれませんから、観客の「気」はレバレッジ(てこ)にほかなりません。僕もロストロをはじめパバロッティやクライバーの凄まじいスタンディングオベーションはそうだったと思わないでもないのです。

であるとすれば、音楽を愛する我々は天から重要な示唆を受け取ったことになります。音楽は聴衆が作っているということです。第九のベーレンライター版は好奇心を満たしますしサイモン・ラトルのウィーンフィル盤は見事な演奏なのですが、最後の最後、ゴッタフンケン(Götterfunken)に至ってとうとう僕はズッコける。これがベートーベンの意図なら、死後のどこかで誰かのミスで我々の慣れ親しんだテンポになって誰も異議を唱えなかった。だから150年も誤りが続いてそれが記憶されてきたことになります。なぜなら、聴衆が支持したからです。フルトヴェングラーの凄まじいアップテンポも多分ベートーべンの意図ではないでしょうが 20世紀の聴衆に圧倒的に支持されて定番になってしまいました。同様に、北村陽の弾いたハチャトリアンやダニエルのショスタコ1番も、演奏が説得力に富んでいたため解釈上の定番を作っていくかもしれません。僕は古楽器演奏を好みませんが、同じ理由で原典版もケースバイケースだなと思います。理由は明白です。僕もそうした聴衆のひとりだからです。

ということで本稿ではダニエル・ミュラー=ショットのグリーグとラヴェルを取り上げます。グリーグではヴァイオリン・ソナタを弾く試みも聞け、それがまるで元からチェロ・ソナタであるかのような見事な演奏になっています。彼はドイツ人ですから母国語でない音楽を自分の世界に引き込んで新たなワールドを作っている。グリーグがこれを喜んだかどうかはともかく、保守的なクラシック界においては斬新な試みといえます。だってショパンはショパンの流儀があって、代々伝わる創業家の秘伝みたいな方法を先生に習ってコンクールに出る。ポゴレリッチのように自己流が入ると不合格で審査員のアルゲリッチ先生は怒って退場してしまいました。ショパンコンクールも少しは変わってきたとされますが、クラシックというのは基本的に古典芸能だからそういう世界です。動画の再生回数やファン投票で決まるなんてことは絶対にありませんからダニエルの試みは革命的と言えます。そして僕はそれを支持します。

古楽器は否定するのになぜか?演奏家の真実の声が聞こえるからです。古楽器だってそういう演奏家はいるでしょうが、古楽器だから意味があるでしょという演奏家もいます。バッハの時代はこういう音だったんだねふうんというだけなら博物館の展示品のお披露目会みたいなところでやればいいのです。僕らはバッハの時代の聴衆ではありませんからそれを聴いて良いと思う自然な道理はありません。歴史学的に正しいからと無理矢理感動するいわれなどまるでありません。思いおこせば、僕が中学まで学校で受けた音楽教育はまさにそういう姿勢のもので、死ぬほど退屈であり通信簿はいつも2でした。演奏家はまず作曲家が作品に封じ込めたパッションを共有し、それが強いから演奏したい、それをぜひ聴いてほしいと熱望し、そういうものこそ聞きたいと熱望する聴衆が集まる。すると劇場で両者の気が合体し、大きなパワーとなり、聴衆に一生忘れぬ思い出を刻印するのです。長く生きてきたおかげで僕はそういう場に何度も立ち会いました。たくさんあるので何年たっても熱が冷めやらず、文章ではありますがそれを共有していただいて、皆さんなりにこれからの感動のよすがにしていただきたいと願って14年前にブログを始めることになったのです。

しかし忘れてはならないのは、以上のすべては作品が良いからいえることです。そうでない作品にいくら有能な演奏家が気合を込めても無から有は生まれません。だから演奏する側も聞く側も、感動したということはまず第一にそれが作品の中に存在していたという証左ですから、作曲してくれた人への深い感謝があるべきなのです。それを一律に形で表すために印税を払うという義務があるのですが、 法律の効力は50年も経つと切れてしまいます。それを無料で使って1億枚もレコードを売ってカラヤンは富豪になりましたが、彼は自分の力で曲の魅力を大衆に折伏(しゃくぶく)した有能な伝道師だったということです。これは彼の才能と努力の成果です。問題は、ではベートーベンは何を得たのかという甚だバランスの悪い気持ちを押さえられないことなのです。天国に行った人だから墓前に何かそなえるしかなく、記念館に寄付という手段は多くの人がやっています。自分なりのやり方。それはブログで感動の証を書き残し、ひとりでも多くの方にその作品で感動していただくこと。楽器のできない僕にはそれしかありません。

きのう時間ができたので彼のユーチューブを検索していたら、これを見つけました。ダニエルがアンコールでユリア・フィッシャーとデュオを弾いてる。この組み合わせというとブラームスのドッペルをやったのではないでしょうか。

お話した印象ですが、彼女は知性とプライドとリーダーシップのある妥協のない人とお見受けしました。プロとして当然ではありますがなかなか彼女のレベルの方はいないのではないでしょうか。たとえばピッチです。他人に教わるまでもなく自分の中で当たり前のようにコンプリートされている感じがします。アンサンブルでも完璧を目指す人のように思います。それを完全主義と言ってしまっていいのかどうか迷いますが、一定のジャンルにおいて僕はまさにそれでありますし、こと音楽に限って言えば彼女はそれに近いのではないかと思います。

この曲、ハルヴォルセンの『ヘンデルの主題によるパッサカリアとサラバンド』はヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲であり、ダニエルはそれをチェロで弾いています。いわばアルト歌手がソプラノのレパートリーを歌うようなもので、高い技術がなければできることではないでしょう。この試みも、先生に習ったからやりましたというものではなく、彼の中にある欲求がつくり上げたものでしょう。ルーティーンで妥協しない。自ら高いところを目指す。それはまさしく完全主義です。ですからフィッシャーとは馬が合い、お互いに認め合って、高いレベルで理解しあえるものがあったのではないでしょうか。だとすれば、それは大変なことなのです。

フィッシャーの知性とは勉強ができる程度の意味ではありません。父は数学者、母はピアニストであり、ドイツ最年少の 23歳でフランクフルト音楽大学の教授に就任したレベルの話です。曲を書いたり演奏したりは疑う余地もなく高度にインテリジェントな作業なわけです。それを持ちあわせない人が歴史に残る作品を書くなど微分積分を解く猿が現れる以上に有り得ませんから大作曲家と呼ばれる人たちは例外なくそういう人なのであり、必ずしもそうではない学者や伝記作家が自分の目線で彼らの性格や日常生活をどう描写しようが、彼らは音楽においては例外なく完全主義者なのです。演奏家は譜面を通じてそうした超人である作曲家と対峙する作業から入るわけですが、それが音符を音にするメカニックな作業と同次元のことであるはずがありません。演奏以前の膨大な形而上学的部分、すなわち、音楽をつむぎ出した作曲家の知性という言葉でしか表わせない「土台」を理解せずに演奏するという行為はその演奏家ご自身の評価のためにもミスリーディングです。超絶技巧でベートーベンの熱情ソナタをバリバリ弾いて大向こうをうならせる。そういうものが好きな聴衆もいるでしょうし、クラシックが敬遠され衰退するよりはマシという考え方もあるのでしょうが、僕にとっては大道芸です。

指揮者で圧倒的に知性が高いと感じた人がピエール・ブーレーズ、セルジュ・チェリビダッケです。彼らはオペラハウスたたき上げの親方キャリアでなく大学で数学、哲学も学んだ人です。音楽は理屈じゃない。感性だよハートだよという方も多いだろうし否定する気はないのですが、感性も十人十色です。ひとくくりにそれが音楽のエッセンスだと言うには広すぎるというだけでもそれがエッセンスでないことはお分かりいただけると思います。ちなみにおふたりはレパートリーからして別々の感性の人たちです。でも、ひとつだけ共通点があるのです。知性の高さが音に現れていることです。おふたりは音楽に投入した知性の総量でも、音でそれを具象化する技術においても優れたパフォーマーでした。

それは料理に例えられるかもしれません。料理は化学でもあるから感性だけでするのでなく確立したメソッドがあります。それを生み出したインテリジェンスは知性以外の何ものでもありません。ブーレーズもチェリビダッケも知性によるメソッドを音にする “名シェフ” でしたが、それではカラヤンはどうでしょう。僕の世代には保守的な評論家たちをはじめアンチが沢山おられ、彼を否定することが上級者の証しみたいな空気すらありました。大衆迎合の故の人気だというのです。だとすれば僕にとっても大道芸のたぐいです。当初はそう思っていましたが、誤りと気づいたのは1983年にザルツブルグ音楽祭で聴いた「ばらの騎士」でのことです。総合芸術としてリッチでゴージャスに楽しませるための知性のオンパレードは大衆迎合などとはほど遠く、ああこれを否定することはリヒャルト・シュトラウスでもできないだろうと感服したのです。カラヤンがブーレーズと違う唯一の点は、知性をマーケティングにも使ったことです。

話を戻せば、ダニエルの演奏は豊かな感性の賜物ではありますが、そのベースにはフィッシャーと対等な知性の裏打ちがあるわけです。それが技術と高い次元で結びついていると感じました。前稿の通り彼の楽器はハーヴィー・シャピロから譲り受けたフランチェスコ・ゴフリラー「サフィール」(1727)という名器で、サントリーホールで類い稀なる音色を楽しませてくれたのですが、演奏は体全体から発散するオーラに満ちている。それはサフィールが与えたものかもしれないし、楽器はオーラを受けてますます良い音でこたえるという幸福な関係にあったのかもしれません。2006年、最晩年のシャピロがラジオで若き日のダニエルの演奏を聴き、サフィールの引き継ぎを持ち掛けたことは重要でしょう。長年ジュリアード音楽院のチェロ教授をつとめロストロポーヴィチが「世界で最も偉大なチェロ教師」と敬意を表し、アルトゥーロ・トスカニーニがNBC交響楽団の主席に据えた人の耳だけの判断だからです。

ダニエルのユーチューブをひと通り聴きましたが、とても印象に残ったのはグリーグのソナタです。ヴァイオリン・ソナタに比べて知名度が低いのは自身の兄を想定して書かれており、演奏者に恵まれてなかったのだろうと感じます。

このピアニスト、ヘルベルト・シュフは初めてですが、やはりユリア・フィッシャーとツアーをした仲間のようです。 つまり3人とも同じ次元で知性、感性がぴったり合ってる。それが触発しあって相乗効果で良い演奏が生まれる。とてもわかりやすいですね。さらに言えば、聴衆である僕もそれを心地よく感じるタイプの人間だからこうして皆様にご紹介することになる。真剣に読んで下さってる方が日本だけでなくたくさんおられることを存じ上げていますから、生半可な好き嫌いだけで書いてはいけないと常に戒めてますが、この3人については手放しでほめても問題ないように思います。

余談ですがレストランのミシュランやワインのパーカーもこうやって星や点数をつけていると思われ、判断の最後に感性の混入は避けられませんから結局は評者それぞれなわけで、万人に絶対的に旨い食事やワインが存在するわけではありません。商業的な底流として、旨いと思わない人は一流の大人でないというアンコンシャス・バイアス(unconscious bias、無意識の思い込み)がちらつき、なんで寿司屋の良しあしをフランスの本に決められなきゃいけないのという感じがします。西洋の音楽についてああだこうだ書いてる日本人の僕にも同じことが言えるわけですが、僕は自分の趣味が正しいという思いこみは意識的に消しています。煮物が苦手な僕が日本人だからと言ってその良し悪しを論じてもナンセンスであることも自覚しています。良識あられる読者の皆さんはそういう読み方をしていただいていると信じております。唯一真理があるとすれば、僕と同じ系統の好みの方にとっては結構いい線いってるかもしれないということです。

最後に、フィッシャーもダニエルもドイツ人ですが、古き良きのタイプではなくインターナショナルでフレキシブルでレパートリーが広い。彼らのラヴェルをぜひお聴きください。パリ音楽院流儀ではないかもしれませんが、ラヴェルの書き記した音の抽象的な部分を咀嚼してお見事なフレンチ・ディッシュに仕上がっていますす。 30年ぐらい前からドイツのオケのフランス物は進化していて、ベルリン・フィル、シュトゥットガルト放送交響楽団が素晴らしかった。 1994年にベルリンのフィルハーモニーでブーレーズが前者を振った神々しいばかりの「ダフニスとクロエ」はこれまで人生で聴いたライブの筆頭格ですし、後者がジェルメッティとやったCapriccioのラヴェル集はユーチューブにアップしましたが、永遠の愛聴盤の1つです。その昔、レコード芸術誌はフランス物といえばクリュタンス、ミュンシュのパリ音楽院管、パリ管でなくてはというまさしくアンコンシャス・バイアスに満ちており、馬鹿正直にそれを珍重して聴きこんでましたが、ブーレーズやチェリビダッケの洗礼を受けてしまうとどう考えてもオーケストラがうまくないんです。いやいやそのアバウトな所がフランスなんだよ、あの頼りないホルンじゃないと感じが出ないんだよなんて識者のもっともらしいご説が飛びかい、確かに色気はある木管の音色にそんなもんかと思ってましたが、それは「おフランス」に憧れ高級と信じこんだジャパンワールドの片想いの幻想であって、エッフェル塔で恥ずかしいポーズで悦にいる女性議員がいまだにいる国の顛末だったなあと思うのです。

ヨーロッパに住んでみるとフランスの位置づけは全然そんなことはないわけです。隣国のドイツで、極東の日本人が崇拝した如くクリュタンス、ミュンシュのフランス物が神格化されるれるなどありえない。なぜならライン川を挟んで2千年も隣にいても、ドイツ人は日常的にフランス料理を食べさえしないのです。EMIのマーケティング戦略を見ればわかります。ミュンシュは血統は両国が混合したアルザス系ドイツ人ですし、クリュタンスはというと独仏文化が交叉するベルギー人であった彼をEMIはベルリン・フィルに押し込んで交響曲全曲録音をさせました。ドイツグラモフォンの牙城であるドイツマーケット進出を目論んだのです。なぜならオペラ作品が数えるほどしかないフランス音楽が、中規模都市にもオペラハウスがあるドイツのローカルな音楽文化に自然な形で浸潤するはずもないのはフランス料理と同じなのです。だからカラヤンのオーケストラであるBPOのシェフに、レコード録音だけとはいえフランス語話者の指揮者を送り込んだ。そこにはナチスにパリを占領され強姦略奪でめちゃくちゃにされた遺恨もあったかもしれないし敗戦で経済力が弱ったドイツを征服したい意欲すらあったかもしれません。

その策略は完全に失敗に終わりました。クリュタンスの起用はパリ音学院管弦楽団とのフランス物が日本でアイコン化したことで元は取れたでしょうが、彼もミュンシュも血統は辺境で「おフランスな人」などでないわけであって、こちらの成功は仏EMIと日本のレコード業界、評論家の見事なマーケティング戦略だったと感嘆するのみです。ラヴェルはジュネーヴのスイス人とマドリッド育ちのバスク系スペイン人の混血で、生後3ヶ月してパリに移住した移民の子です。そんなことはトリビアになってしまうぐらい彼はフランス音楽の代表格になっていますが、伝統を守るパリ音楽院の教授連は彼にローマ賞を与えていません。代表格になったのは一にも二にも彼が世界に認められたからで、同じ現象はサッカーWCフランス代表チームの血統豊かなメンバー選考にも見てとれ、フランスという国家のお家芸ともいえましょう。音楽の優位性が彼ほど「完全主義」に起因した人はいないでしょう。ダフニスやボレロのオーケストラスコアをご覧になったことのある方は、それ自体が精巧な美術工芸品であるという僕の主張も肯定してくださるでしょう。しかしそれがフランス文化に起因したと考えるのは大きな誤りで、何度フランスへ行ったか数えきれませんが、趣味においても精密度においても何を見聞きしてもラヴェル的なものはみつからず、とてもがっかりした自分がいたのです。納得したのは、その後にスイスに2年半いて、工芸品として精巧きわまりないスイス時計を見て回った時です。ラヴェル的なものは、工学を学び土木技師で発明家で、紙袋を縫う機械、機関銃のモデル、アセチレン動力の2ストロークエンジン、ガソリン車用の蒸気発生器を発明し自動車産業の先駆者とされるエンジニアであった父親ピエール・ジョセフ・ラヴェル由来だったのです。アバウトな演奏など作曲家本人のコンセプトからしてのっけから論外であり、緻密に精密に演奏すればするほど香気が漂うふうに書かれています。けだし、若い俊英のドイツ人演奏家たちにとってラヴェルはそういうもので、リアリズムの観点からしてそれは正しいことを確信させてくれる卓越した演奏です。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

読響定期 ダニエル・ミュラー=ショット讃

2026 JUL 17 16:16:53 pm by 東 賢太郎

指揮=セバスティアン・ヴァイグレ
チェロ=ダニエル・ミュラー=ショット

ジークフリート・マトゥス:怒り狂う女(Furien-Furioso)(日本初演)
ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第1番 変ホ長調 作品107
ルディ・シュテファン:交響的楽章(1910年)(日本初演)
R.シュトラウス:交響詩「死と変容」 作品24

毎度何の先入観もなく聴いている読響定期。この日も直前に入場しプログラムは一瞥だけ。時間の制約ということもあるが、あえてこのスタイルで楽しんでいるのは、30分前までの喧騒から音楽の世界に切り替わるのが非日常、心の滋養になるからだ。クラシック音楽はどれも作曲家、演奏家の強烈なパトスが封じ込められており、俗世間を瞬時に断ち切れ、別世界に遊べる。それは同時に誰も立ち入れない自分だけの空間である。そして入ってしまえば30分も1時間も出てこれない。パトスを浴びた後、自分がどうなっているかは予想もつかないのだ。

日本初演が2つもありまさに一期一会。このシリーズの贅沢な点である。 60年も聴いているわけで、何を今更という曲よりありがたい。「怒り狂う女」(1999)は、「外見上の愛想の良さや親切心の陰に潜む不誠実で狡猾な存在を音楽の魔力でお祓いしよう」という含意の作品だ。ラチェット、フォレクサトーンいう打楽器は通常は隠し味で使うものだが後者は曲の終結で主役級の扱いだ。Vn群の音がとても良かった。コンマスのソロを含め最高レベルの音だ。マトゥスは東独の国宝的存在の作曲家で基本的にオペラの人のようだ。静寂の後、金管の咆哮から全管弦打楽器が錯綜する部分は呪術的で春の祭典のイメージになる。

シュテファンは処女オペラがフランクフルト歌劇場で初演された俊英だったが、第1次大戦で28歳で戦死した。出身地のヴォルムスはマインツの南、マンハイムの近くでありバーデンバーデンの行程で通った馴染みの地だ。ヴァイグレは元フランクフルト歌劇場指揮者であるから思い入れがあるのは自然だろう。彼はプフィッツナーのカンタータ「ドイツ精神について」 作品28の日本初演(2026年1月20日)も行ったが、この作曲家もフランクフルト出身であり、僕にとっても思い入れがある。交響的楽章はオルガン付きの大管弦楽の音楽で後期ロマン派のタッチをとどめつつシェーンベルクに向かっていく和声音楽という点でシュレーカーの先駆を思わせる。 23歳でこれを書いた人が生きていればと誰をも嘆かせる内容の濃い音楽だった。

最後の「死と変容」。R・シュトラウス25歳の作品であるこれを交響的楽章の後に置く。23歳のルディ・シュテファンの後に。もし彼が生きていれば!無言のメッセージはすべての聴衆の心の奥底に届いたのではないか。前半2曲を共産主義政権下の作品でまとめ後半はそれだ。なんという周到なプログラムだろう。「死と変容」はクレンペラー、ケンペ、チェリビダッケなどが耳にあるのでなかなか評価は難しい。「私が作曲したことは全て正確だったと、今こそ言うことができる。私は今しがたそれを文字通り体験してきたのだよ」という作曲者の死の間際の言葉があるのでもっと幽玄な音を求めてしまうところが好みの問題だ。

あえてショスタコーヴィチを最後に書くのは、ダニエル・ミュラー=ショットのチェロがあまりに素晴らしかったからだ。僕は1984年にロンドンでロストロポーヴィチを聴いたが(シューマンとボッケリーニ2番)、もうあんな豊潤でエネルギーのある音には二度と出会えないと思っていた。それ以来あまたのチェリストを聴いてきたが、確かにそうだった。ところがこの日、これこれ、これがロストロの音だった!というのに出会ったのだ。

僕が聴いた名演奏家たち(ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ)

調べてみたところ、ミュラー=ショットの楽器はNBC交響楽団の出席チェリストだったハーヴィー・シャピロから譲り受けたフランチェスコ・ゴフリラー「サフィール」(1727)だ(ちなみにお値段は200万ドル、今のレートで3億円)。GPTによるとロストロが1984年にロンドン公演で演奏していたチェロはストラディの「Davidov」だったと出てくるがGPTはあんまり当てにならない(それ以前に並行して使った楽器にゴフリラーもある)。ロストロはシャピロを「世界で最も偉大なチェロ教師」と呼び、ミュラー=ショットはロストロを「恩師」と呼んでいるので同じ流派と考えていいのかもしれない。このへんは西村さんのご意見を伺いたいところだ。

ドイツ本流の巨匠への階段を駆け上がるチェロ奏者、ダ …

この日のショスタコーヴィチ。音の美感と動感のバランスがとれ、Sym5番の第3楽章を思わせる緩徐楽章のハーモニクスの神秘感も良かった。ロストロの特徴でもあったエネルギーポテンシャルの高いハイポジションの音が今も耳に残る。終了後に、大学オケでトランペットだった友人と「ヴィオラコンチェルトを聴いた感じだったね」とうなずきあった。暖色系で太目でまろやか、それでいて雄弁な音質はホルンと融和する。モーツァルトは好きなヴァイオリンの音色を「バターのよう」と形容したがミュラー=ショットの音にも当てはまるだろう。C弦の低音もハイポジと連続性ある柔らかみがあり隆々と伸びる。アンコールのJ.S.バッハ無伴奏第3番ジーグも全曲を所望したい魅力があった。美音の嵐でお腹はいっぱい。至福の夕べだった。

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