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シマノフスキ ヴァイオリン協奏曲第1番作品35

2018 NOV 26 1:01:06 am by 東 賢太郎

カロル・マチエイ・シマノフスキ

カロル・マチエイ・シマノフスキ(1882 – 1937)は母国ポーランドのみならず、音楽史上のすべての作曲家の内でも最上位に属する天才である。ポーランドにはシュラフタ(Szlachta)という、ローマ帝国におけるローマ市民に相当する貴族階級があった。その階級にあった、現在はウクライナに属するティモシュフカの大地主であった父の家に彼は生まれた。

大作曲家の出自をみるとプロレタリアートが多い。貴族の末裔はグリンカ、ムソルグスキー、ストラヴィンスキーなどロシア、東欧圏に多いが中でもシマノフスキとボロディン(皇室の非嫡出子)は経済的、芸術的に恵まれた環境で育った。演奏家にはユダヤ系が多いが、18世紀までの音楽家の地位を考えると頷けるものがあろう。シマノフスキ家は両親が音楽を愛し、家は芸術家が集まるサロンになっており、カロルは父にピアノを習ったが脚に大怪我を負ったため学校へは行かず家庭で教育を受けた。

その後ワルシャワ国立音楽院に入ったが故国の音楽機会は限られており、ベルリン、ウィーン、パリなど欧州主要都市ばかりか北アフリカ、中東、米国まで楽旅をしてイスラム文化、ギリシャ古典劇や哲学にも熱中した。富裕でなくてはできないことで、今流にいえば欧米各地に留学して自由に国境も超え、当代の最先端の音楽はもちろんあらゆる文化的素養と教養を若くして身に着けた人だった。

だからポーランドの作曲家と言ってフランス人移民兵の子であったショパンと並べて称賛することはあまり腑に落ちない。カロルはコスモポリタンであり、晩年になって祖国に戻ってタトラ山地の民謡を ”発見” しているわけだ。私生活も、ピアニストのアルトゥーロ・ルービンシュタインによれば、リッチな友人たちに招かれて2度シシリー島に遊んでホモになってパリに帰って来たとされている。

余談だが、僕はロンドン時代にウィグモア・ホール(Wigmore Hall)によく行ったが、あの19世紀の貴族のサロンに招かれたような雰囲気に包まれるのは格別の喜びだった。シマノフスキはヴァイオリニストのパウル・コハンスキと1921年に出演しており、さぞかし素敵だったろうとその演奏が偲ばれる。彼の室内楽、「神話」やヴァイオリン・ソナタ、ピアノ曲はこのホールで聴いてみたいと強く思わせるコハンスキは2曲のヴァイオリン協奏曲を献呈されカデンツァも書いたが、1番の初演はロシア革命の混乱等でできず、ニューヨークでストコフスキー指揮の米国初演での独奏者となった)

シマノフスキに駄作はない。作風は年を追って変転したが、それは彼が各地で吸収したものの豊饒な多様さの恵みであって、音楽語法を彼独自のものに発酵、凝縮していく過程であった。それを一言で表すならmystique(神秘感)であって、ワーグナーの和声語法に発してスクリャービンの神秘和音の発想にまで近接している。どの作品も淡いグレーの凛と張った空気に満ち、ワーグナーのごとき俗界とは隔たりを有する気高い世界であることはシベリウスにも通じるものがある。

ヴァイオリン協奏曲第1番は1916年の傑作であり、その時点で交響曲4曲のうち3番を書き終えていたことから管弦楽法も熟達を感じる。ドビッシーの全音音階、R・シュトラウス「ばらの騎士」の管弦楽法などが聞こえるが語法はすでにオリジナルであり、旋律は旧来の旋法であっても和声的にはどの三和音にも依拠しないという意味で無調的であるが12音音楽のように完全なatonalではない。冒頭の和声的リフレインはペトルーシュカ、春の祭典を想起させ、ヴァイオリンは神秘的かつ肉感的であり、他に類似のないシマノフスキ・ワールドを形成している。20世紀初頭にこれだけの個性を確立した人が何人いただろうか。

ロシア、東欧圏の音楽というと強靭なブラスを伴った風圧と泥臭さというイメージがぬぐえないが(そこが魅力でもあるが)、先述の神秘感のみならずシマノフスキV協1番の感覚的な洗練、透明感、民族色の希薄さ、比重の軽さはフランス音楽に近いと思えるほど異例であって、質感としては僕はどのポーランドの作曲家よりプーランクのそれを思い浮かべる。その彼も化学会社ローヌ・プーラン創業家のボンボンであって若くして自由に国境を越えて多様な文化に親しみストラヴィンスキーやプロコフィエフとも親交を結んだコスモポリタンであった。

地続きの欧州大陸の中でアーティストとして生きるならば、戦時を除けば何国人であるかよりもどの文化圏でアッパーの人たちとどういう交友関係を結んだか、すなわち帰着するのは「育ち」(クラス)の影響が非常に大きい(今でもそうだ)。わが国ではそのような視点が忌避される傾向があるが好き嫌いでは現実は見えてこないし、それを才能で打ち破るのがどれだけ困難であったかを知ることなしにモーツァルト、シューベルトの音楽を語ることもできないだろう。

音楽文化の頂点が王室(つまり富)のあるパリとウィーンにあったことは勿論だが、そこにバレエ・ルスをはじめロシアという異質な文化の波が押し寄せて新たな渦となり20世紀を迎えた。シマノフスキはそこで決定的な影響を与えたわけではないが民族色で勝負しなかった唯一の地方出身者であり、ユニバーサルな語法を確立して全作品を高いレベルで書きとおした。「音楽史上のすべての作曲家の内でも最上位に属する天才」と評した所以である。

 

イリヤ・カーラー(Vn) / アントニ・ヴィット / ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団

ロシア人のカーラー(Ilya Kaler、1963年 – )はパガニーニ国際コンクール(1981年)、シベリウス国際ヴァイオリン・コンクール(1985年)、チャイコフスキー国際コンクール(1986年)という世界的に重要な3つのコンクールにおいて第1位を受賞した稀有のヴァイオリニストながらあまり知られていない。理由は不明だが全く不可思議な事態だ。この演奏をお聞きいただきたいが、同曲のベストと言って過言でない。ポーランドの指揮者ヴィットが同曲を初演したオーケストラで自家薬籠中の演奏を展開しており録音も良いということで文句のつけようもない。2番も収録した(こっちも素晴らしい)このNAXOS盤はAmazonで見当たらずこれまた不可思議だ。見つけたら購入されることを強くお勧めしたい。

 

ワンダ・ウィルコミルスカ(Vn) ヴィトルド・ロヴィツキ / ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団

Wanda Wiłkomirska(1929年1月11日 – 2018年5月1日)はヴァンダ・ヴィウコミルスカと発音するようだが僕の世代はウィルコミルスカで記憶しているのでそう書く。何を弾いても歌に満ちた素晴らしいヴァイオリニストでシマノフスキ1番はヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールで弾いた十八番だ(準優勝だった)。1734年製のグァルネリの美音は生々しく、オーケストラの色彩感は傑出している。1961年の録音だがCONNOISSEUR SOCIETYの音は下手なデジタルなどより解像度も音楽性も上だ。

 

 

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