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カテゴリー: ______バルトーク

間違いなく大物(読響第665回 ギエドレ・シュレキーテを聴く)

2023 SEP 27 11:11:12 am by 東 賢太郎

指揮=ギエドレ・シュレキーテ
フルート=エマニュエル・パユ

チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」
サン=サーンス:オデレット 作品162
サン=サーンス:ロマンス 変ニ長調 作品37
シャミナード:フルートと管弦楽のためのコンチェルティーノ ニ長調 作品107
バルトーク:管弦楽のための協奏曲

(9月22日、サントリーホール)

公演曲目が何かを見ずに雨の中をサントリーホールへ向かった。興味がないと面倒で行かなくなってしまうので毎度そうしている。指揮者も初めてきく。ギエドレ・シュレキーテ、何人だ?なんと1989年生まれ。我が子の世代。いよいよそんな時代になった。リトアニア人か。数学者と歯科医の娘だ。同国の音楽家は寡聞にして知らないが、調べるとピアニストのヴラド・ペルルミュテールがカウナスの出身だ。六千人のユダヤ人の命を救った杉原千畝氏が「命のビザ」を書いたリトアニア領事館はカウナスにあったから日本とは意外なつながりがあった。

 

 

ロメオとジュリエットは交響曲第1,2番の間に書かれたとは思えぬ大名曲だ。幕開きの和声は真の天才の創造で後の作品にはもうない。シュレキーテがそういう所に意を用いた選曲だったかどうかはわからなかったが小品でないスターターは悪くない。パユは93年にBPO首席だからベルリンで聴いたブーレーズのダフニスは彼のフルートだったはずだ。あれは本当に素晴らしかった。ただ僕は基本的にフルートソロはあまり得意でないので書けるほどのことはなくあしからず。

バルトークは指揮を見ていた。若鮎のようにきびきびし、バレエのように流麗と思えば鞭を打つように俊敏なアタックが決まりキューもよく見ていないと気づかないほど細かく正確無比。肘を伸ばして大きく腕を使ったうえに手首で棒の先の寸分の動きまで細かくコントロールして得たい音楽をくっきりと造形で隈どりするからオケも弾きやすいだろうし何度振っても同じ音楽が出てくるイメージだ。とにかく僕は往年の巨匠、ということはよれよれのお爺ちゃんの指揮をたくさん見てきて、どうしてあれで合うのか不思議というのが多かったがシュレキーテの精緻な動きは対極だ。ただ情報量の多いイメージほど緻密、神経質な音楽にはならず、顔の表情も豊かで生命力がありエネルギッシュなのは大変な個性である。時間も支配するが聴衆も支配する。2時間もお預けするのだからそのぐらいでないと困る。

何百回聴いたかというオケコン、もはや少々のことではなんとも思わないが各所に彼女なりの個性の刻印を見た。Mov3の神秘感を高めるppのつくり方も堂にいっている。確固としたやりたいものがある。それがない指揮者はただの芸人でもう聴く必要はないと思わせる。終楽章コーダは速めに入っていったんリタルダンドしてタメを作って巧みに素早く戻し(これはうまかった)、シンバルの後に減速なくア・テンポでそのまま走って決然と終わったのはユニークだが僕は高評価だ。大方の指揮者が野暮丸出しの大見えを切る最終ページのテンポの虚飾なし。バルトークはそんなもの求めてない。オーマンディのそれが正しい。実は体調がいまひとつで彼女がもし減速したらすぐ席を立って帰ろうと思っていたが、渾身の拍手を最後まで送ることとなった。

クラシック音楽にあまりなじみのない読者もおられようが、この人のような世界でもtoptopの才能に触れられる場として認識されたらどうだろう。

前稿で女性の社会進出への私見を明確に書いたが、偶然とはいえその直後にこれだ。実力ある者に男も女もないことをこれほど如実に味わった経験もそうはない。youtubeに幾つかあるインタビューを聴くに彼女は心底音楽を愛して楽しんで、持ち前の性格の明るさ(いい笑顔だ)で団員とハートでコミュニケーションが取れていることがわかる。音楽は理性だけでするものではないから、他人に音を出してもらう指揮者にとってそれは必須のことだ。僕の中でこわもてのおっさんの時代は完全に終わった。youtubeを全部見たが母国語はドイツ語のようでフランス語は聞けているが話すのはパスし、英語はうまい。彼女の欧州での活動の中心はオペラハウスだ。チューリヒでシュレーカーの「烙印を押された人々」、フランクフルトでプーランクの「カルメル会修道女の対話」と僕としては聞き捨てならぬものを振ってる。明らかに速球勝負の本格派である。期待したい。やはり読響でメシアン「アッシジの聖フランチェスコ」を振ったシルヴァン・カンブルランの切れ味ある棒も感服ものだったが、彼女も能力において少なくとも「見劣り」はせず、知性と熱と運動のバランスが取れてくれば大化けするだろう。

さきほど彼女のファースト・アルバムと思われるリトアニアの作曲家ジブオクレ・マルティナイティテ作「サウダージ」(左)のプローションビデオを見つけた。ちなみにシャミナードはフランスの女性作曲家だ。やがて “女性” を書く必要はない時代が来るが、現在は情報のひとつとしてマルティナイティテもそうであり、シュレキーテが意識している可能性はあることを特記する。(https://www.zibuokle.com/

このビデオでマルティナイティテ氏が僕が昨日に上述したこととまったく同じ感想をシュレキーテの指揮について語っている。

もうひとつ、グラーツの地方オケとフンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」の重唱を練習してるビデオを見つけた。音楽って手造りのこういうもんだ。いいなあ。また日本きてください。

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検索能力は一文のお金も生みません

2020 JAN 16 1:01:07 am by 東 賢太郎

東さま

ベートーヴェンは気がつきませんでした。
その東さんの音楽の検索能力は一生かかっても追いつけないような気がします。。

バルトークの記事面白く拝読しました。
動画、最高ですね。あのFolk感が素敵です。
ジュリアード生は絶対にマネできないでしょうね。

以上、すみれさんから。

ありがとうございます。ぜんぜん大丈夫です、保証できます、検索能力は一文のお金も生みません。でもジュリアードの首席にホメていただけるなんてウチの親は想定してなかったでしょう、音楽、通信簿2だったんでね。

「バルトークの記事」とは去年書いたこちらのこと。

バルトーク「ルーマニア民俗舞曲」Sz.56

僕はこの曲がなぜか血が騒いで好きなので、Folk感わかってもらえるなんてうれしいですね。動画で黒帽黒装束のおっさんが吹く妖しすぎる縦笛なんか最高だね。この辺に1か月ぐらい住みついて友達になりたいものです。

 

クララ・シューマン ピアノ三重奏曲ト短調 Op.17

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クラシック徒然草『アンナ・ヴィニツカヤは大器である』

2019 MAR 24 2:02:27 am by 東 賢太郎

アンナ・ヴィニツカヤは黒海沿岸の都市ノヴォロシースク出身のロシアの女流ピアニストです。N響でラフマニノフを聴いて感心したのがこちらです。

N響 フェドセーエフ指揮アンナ・ヴィニツカヤの名演!

以来気になっていましたが、その後聴いたわけではありません。今回バルトークの稿を書いていてこの記事に出会ったのが驚きだったのです。

なんとバルトークの協奏曲3曲を一晩の演奏会で弾いたとあります。ただ事でなし。フランクフルトでブラームスのP協2曲を一晩でという演奏会を聴いたけどエッシェンバッハとツィモン・バルトが指揮とピアノを交代したのでした。いやブラームス2曲を一人で弾いたって充分な一大事だが、バルトーク3曲よりはまだましじゃないでしょうか。

彼女はアーティスティックな動機で敢行したのでしょうが、このレベルの企ては同時に抜き差しならない実力テストにもなっていて、「やりました」と証明されるともうどうしようもないという性質のもの、例えるならヒマラヤ登頂や100メートル9秒台のようなものです。仮に意図の10%であれ、彼女がそれを実力のデモンストレーションとしてやったと仮定したとしても、僕は黙るしかない。これはもっと感覚的に卑近な例があって、外でわかりにくいことなのですがまったく正直に吐露しますと、我々法学部生というものはハーバード、オックスフォードでもあっそうと思っているところがあって在学中の三つ子の魂なので消えない。それはThis is Japan.という暗黙知であって他学部の人も”Japan”に入学しているわけだから言えば唇寒し、そういうものだよねということで誰も何も言わない。東大はまったく一枚岩ではないのです。そして我々が世界で唯一そういうものだよねと仰ぎ見ているのが理Ⅲだと、これは理屈でないので言語になりませんが、そういうものです。

思考停止と批判されて仕方ないが僕はアンナ・ヴィニツカヤの記事を読んで仰ぎ見てしまった。良い演奏だったのか、ミスタッチはなかったのかなどの情報はありませんが、その事実を前にしてそんなものが何の意味がある。彼女の衣装が何色だったのか以上にまったく些末なことです。

「バルトーク?3つ弾けますわよ、それも一晩で、オホホ」

とやられた瞬間に絶句し神に見えてしまう強烈さであって、というのも、そもそも1,2番だって弾ける女性はあまり見ないのです。あのアルゲリッチさん、2番がとても似合うと思うが、でも3番だけ。ユジャ・ワンさんは弾いていて、ということは3番は軽い訳であって彼女は表敬すべきレベルにある、アートでも我が国は中国に置いていかれると思いますが、それでも3つ一晩でというのはトライアスロンのような別種のハードルがもう一つ聳えます。もし対抗馬がいるとすると2番の稿でご紹介したイディル・ビレットさんぐらいかな。いやいやまことに、男の達成者だって知らない偉業であって、ピアニスト事業の最高難易度と言って反論はどこからも出ないでしょう。

腕もすごいがそれだけならそこまで驚きません。それを指摘するにはまず「日本人ピアニストでバルトークの1番や2番をレパートリーにしようという人が何人いるか?」ということからおさらいしないといけないと思います。それです、日本のクラシック事業が構造不況業種まっしぐらな理由は。労多くして受けず。「3つ一晩!」を打って出ても会場は埋まらないかもしれないし、ショパンやラフマニノフの方が主催者もリスクがありません。やるなら留学して現地の聴衆のまえでやるしかない。

なぜかというと、こういうことが起きているのです。

クラシック徒然草-ハヤシライス現象の日本-

明治時代、鹿鳴館のまんま。だから日本人好みのクラシック・レパートリーは「ハヤシライス」という洋風を装った和食に独自進化をとげ、どこへ行ってもそれが出てくる。それだけでクラシックはOKという聴衆が、供給側がそこそこ食える程度に中途半端に存在する。バルトークの1番がそれになることはたぶん百年たってもなく、だから演奏家はチャレンジしない。そうやって業界ごと「ゆでがえる」になって衰退するのです。

ハヤシライスの総代は新世界で、今年を見てもビシュコフがチェコ・フィルと来ますが見事にまいど!の新世界だ。ビシュコフは僕は高く評価している。ならもっと安い指揮者で良かったよ、どうせわかんない人しか行かないから。馬鹿じゃないのと思うしかないがワルシャワ国立フィル、ドレスデン・フィルまで新世界というゆでがえるぶりに至っては手の施しようもない。オケ団員は楽勝の観光気分で日本などなめ切ってるだろう。そんなものに何万円も払う人たちはいったい何なのだろう。

東京のコンサート・プログラムの8~9割がハヤシライスであることは音楽教育、つまり「音楽は学校で習って教育されるものである」という誤った受容の結末であって、日本人の文化レベルの問題では必ずしもありません。外タレの呼び屋という稼業が採算(コスパ)を求める、これはビジネスだから結構ですが、新世界の人気に依存する薄氷を踏むビジネスであってとても投資なんかできない。

しかし芸術家までがコスパを考えだしたら終わりなのです。安定的に需要はあるが矮小な市場で覇を競っても、定食屋が牛丼屋に格上げになる程度でレストランは無理。それでショパン・コンクールで優勝など到底あり得ないでしょう。純粋にクオリティを追求し、内在するエネルギーで進化していくアートというものとはかけ離れた存在。1.5流の(英語でmediocre、ミディオゥカというのです)のショパンを聞くのは鑑賞ではなく消費なのです。

指揮者もそうですが、野心的なレパートリー開拓がない人はもうそれだけで聞く気もしない。論文を書かない大学教授とまったく同じ。ミディオゥカは芸術の敵です。対して読響のカンブルランは凄かった。彼は70才ですよ。メシアンやシェーンベルクであれだけの手の込んだフルコースの料理を供するにはどんな専門家でも膨大な研究と努力がいるはずである。聴衆で新世界よりグレの歌に詳しい人はあまりいないと思うけど、サントリーホールは満員になるのです。これぞ真のアーティスト、芸術家であって、その他大勢の指揮者はエンターテイナーと呼ぶべきです。

アンナ・ヴィニツカヤは芸術家の序列に加わろうという人だと思っております。彼女の素晴らしさはテクニックではありません、それだけなら同格の人はいます。そうではなく、いい曲だなあと思わせてくれるハートですね。まったくメカニックなものでなくもっと柔らかなもの。なんだ、そんなの普通だろうと思われるでしょうが、彼女のテクニックと知的エネルギーがなければできないことというものがあります。音楽は心だ、情熱だ、技術優先はいかがなものか。そんな事を言うのは日本人だけであってアート(Art)は技術という意味である。ハートがあれば感動してくれるなんて甘いものじゃ全然ない、まずそこで非常に高いレベルにないと鑑賞になど値しないのです。他の人がやりたくでもできないもの。それはこういうクオリティのものです、シューマンの「子供の情景」。

これとバルトークが何の関係?わかる人はわかるわけですが、そういう演奏家が増えればわかる聴衆も増える。わからない人は音楽をやる以前にやることがあるのであって、それぬきに練習しても悲しいものがあります。100キロで走ってもベンツはベンツ。

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バルトーク「ルーマニア民俗舞曲」Sz.56

2019 MAR 20 17:17:29 pm by 東 賢太郎

バルトークの家系と出自に関心を持ったのは理由があります。彼の音楽の多面性、つかみどころのなさは彼の血のせいではないか?と思ったのです。同じことはラヴェルにもあって、彼の母親はバスク人ですが、スペイン情緒への傾斜(ボレロ、スペイン狂詩曲など)がその影響であろうことは定説になっています。母親の出自に関心と愛情をいだくのは人間として自然でしょう。

僕自身、出身は?と問われれば東京と答えますが、祖父母の出身地は母方が長野県、長崎県、父方が石川県、東京都とばらつきがあります。さらにその先祖は京都、山梨県です。場所だけでなく身分も農民、漁民、戦国武将、公家と雑多です。自分はそのどれかではないがどれでもある。アイデンティティというものを意識すると不安定です。60になって、自分の社会的人格は捨てよう、我に忠実に生きようと努力してますが、では我はどこにいるのかとなる。知らなければよかったと思うこともあります。原住民以外は全員が移民であるアメリカという国家はルーツを話題にしない不文律がある。姓で見当はつくので口にしてしまうと会話は止まります。止まらなかったのはピルグリム・ファーザーズの子孫という女の子だけでした。

バルトークの精神の深層におそらくあったアイデンティティの複雑さの投影が気になってしまう理由はそこにあります。父方はハンガリー下級貴族ですがその母(彼の祖母)はセルビア地区の南スラヴ少数民族です。お母さんはドイツ系ですがスロヴァキア出身。そして彼が生まれ落ちたのは当時ハンガリー王国の一部ですが現在はルーマ二アの土地だった。国民国家である日本で育つと理解しづらいですが、国家と民族はちがいます。歴史的にはそれが普通であり、バルトークを単純にハンガリーの作曲家と見るのはほとんど適切でないでしょう。

出身県DNAや血液型占いは信じてませんが、僕はイメージとして仕事は九州人の気宇壮大さを大事に、学習は細かく根気よく北陸人的、趣味はどっちでもなく京都人ということで生きてきた気がします。何々人と言っても多様で、詰まるところその先祖の個性という味気ない結論になりそうですが、例えば証券業という仕事を選んでみると、そこでうまく生存するには自分の中に九州っぽい部分があって、それが自然に優位に働いた。そういうことだと思います。

バルトークも作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出し、地域を征服・支配したオスマン・トルコが混ざっていておかしくない、だから数学者だったり残忍、野蛮だったりするのだろうと考えるのです。子どもの頃に聞きなじんだ音楽の記憶は消えません。僕にとっては赤子の頃に四六時中、耳元で鳴っていた親父のSPレコードがそれで、チゴイネルワイゼンは3才で諳んじてました。バルトークが幼少にそういう風に諳んじてしまった音楽がどういうものか、起源をたどるのも一興です。

曲は「ルーマニア民俗舞曲」Sz.56です。この曲に僕は並々ならぬ愛着を持っています。まず、バルトーク自身のピアノでお聴き下さい。

次にハンガリー出身のリリー・クラウス女史で。

https://youtu.be/UxseZKegE5U

次にフランス出身のエレーヌ・グリモー女史で。

https://youtu.be/OoaKYJrXoVw

いかがでしょう?バルトーク、クラウスはフレーズが伸縮し音価どおりではないです(後者の方が振幅が大きい)。グリモーは楽譜から読んだという感じがする(非常に洗練されて魅力的ですが)。バルトークは古老たちの歌を耳で聞いてそれを音符に置き換えたわけですが、当然、記号化には限界があります。例えば日本民謡や演歌のこぶしを五線譜に書けるか?ということです。

この6つの小品の元ネタの故郷が「ルーマニア」だと作曲者が断じているかのような命名ですが、そうではなく、ヴァイオリンと羊飼いのフルートによるトランシルバニア地方の民謡です。発表時のタイトルは Romanian Folk Dances from Hungary という妙なものでした。1914年に隣国でサラエボ事件が勃発しこの曲は動乱のさなか1915年に書かれたからですが、それを契機に始まった第1次世界大戦でハンガリーとルーマニアは敵国同士になったのです。ハンガリー平原がオーストリア、オスマン両帝国のぶつかりあう最前線であった歴史が事情を複雑にしています

トランシルヴァニアは11世紀にハンガリー王国の一部となり、王位継承により1310年以降アンジュー家、後にハプスブルク家領となりました。ところが1526年にオスマン帝国の属国となり、トランシルヴァニア公国として現代ハンガリーの国民的英雄であるラーコーツィ・フェレンツ2世が君主を務めた。だからハンガリーには大事なところなのです。ついに大トルコ戦争でオスマンを追い出し、18世紀には再びハプスブルク家のハンガリー王国領となったのに、第1次世界大戦で今度はルーマニア領になってしまった(1918年)。そこで from Hungary が削られたのです。

バルトークの生地は広域のトランシルヴァニアに含まれますので、彼にとっても重要な地、心の故郷でした。支配者オスマン・トルコがこの地へ残したものとバルトークは関りがあったのか?大いにありました。彼はトルコで多くの民謡を録音、採譜しています。これがそのひとつです。

「ルーマニア民俗舞曲」の第3、4曲のメロディーにあるアラブ音楽の影は明白です。これはロシア人のリムスキー・コルサコフやフランス人のラヴェルが異国(東洋)情緒を出す目的で入れたようなものではなく、バルトークにおいては「おふくろの味」であった、それは想像の域を出ませんが、僕はそう信じております。

バルトークが聴いた「ルーマニア民俗舞曲」はこんなものだったかもしれません。フィドル2丁とコントラバス、濃いですねえ。縦笛の妖しい調べ・・・何とも言えません。それをオーケストラに落とすとなんて近代的な音になることか。終曲のノリはまるでロック・コンサート、聴衆も体をゆすって目はエクスタシーだ、弦チェレやオケコンの終曲のルーツを感じませんか?

それだけじゃない、僕はこの曲にいつもリムスキー・コルサコフ「シェラザード」を思い出すのです。西洋人がイメージしたオリエンタルはこういうものか。特に第4曲(Bucsumí tánc)の和声がそうですね(ボロディン風でもある)、この曲はそのままシェラザードに入れて違和感はありません。そして終曲の強烈なアッチェレランド、これ、そのものです。

次はシナゴーグ(ユダヤ教会)でのジプシー楽団(ライコ・オーケストラ)による民族色たっぷり、むんむんの演奏です。ジプシーの子供のオーケストラで16才までにチゴイネルワイゼン級のヴィルティオーゾの技を身につけた子だけが残れるそうです。お立ち台の子はまるでヨハン・シュトラウスと思いませんか。彼の一家はユダヤ系ハンガリー人の血を引いているといわれますが、なるほどと思わせられる写真です。

このオーケストラでは楽譜を使わず、先生が指を見せて覚えせさせるそうです。そうすればもちろん暗譜になって、音楽が目と頭ではなく体にしみこむという考えのメソッドです。そのメソッド、僕は音楽の正道と思います。

次に、このヴァージョンを是非ご覧ください。クラシック音楽って何なんだっけ???皆さんの頭に革命が起きます。

渡米後のバルトークは「ハンガリーの納屋のワラ一本」に彼は「一つのよい薫り――それは音に成ろうとしているのだ」と語っています。

最後に、バルトークがフィールド・スタディでエジソン・シリンダーに録音にしたもの(Musicology of the Research Centre for the Humanities of the Hungarian Academy of Science)。

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バルトーク ピアノ協奏曲第2番 Sz. 95

2019 MAR 16 17:17:13 pm by 東 賢太郎

unnamed (23)この曲は浪人時代に聴きこんでいた「バルトークのすべて」(左の写真)に一部が収録されていて、この作曲家の音楽のうち最初に知ったもののひとつです。受験の最中でした。なぜバルトークに興味を持ったかというと、色弱で文系を受けることになったのですが文系科目は伸びしろがないと思い、数学で満点をとる作戦を決行中だったからです。どこかに「バルトークの曲は数学的だ」とあって、彼の学者然とした風貌ともども関心をもったのだったと思います。

ピアノ協奏曲第2番でまず度肝を抜かれたのは第2楽章の冒頭の弱音器付きの弦合奏の神秘的なたたずまいでした。お聴きください。

なんだこれは?とびっくりして、すぐスコアを調べます。ピアノ譜にするとこんな風になってます。

驚きでした。完全5度が積み重なって平行移動。5+5は9度を作るので常に不協和な響きを含みますが、にもかかわらず美しい!この楽章は僕の中で美のディメンションを広げてくれましたが、同時に思ったのは、しかしそれをピアノのキイから紡ぎだして選び取ったのはあくまでバルトークの耳だろうということです。

この楽譜にはあたかもメカニックな数的な摂理があるように見えますが旋律としては見当たらず、5度の平行移動はドビッシーが元祖であって誰も彼を数学的だとは言いません。何が言いたいかというと、バルトークはフィボナッチ数列や黄金分割比を意識して使用してますが、それもここの5度とおんなじだろうということです。彼は十二音技法ほど厳格かつ思想的、原理的な音選びのメカニズム(条件付け)は適用せず、葉書の縦横比が黄金比だから調和して見えるというようなエステティックな意味でこだわった人です。バルトークは数学的だというのは「モーツァルトの走る悲しみ」同様の文学的レトリックにすぎませんね。

「クラシックの作曲家は理系である」と各所に書いてきました。理系という概念は日本的で、あえてわかりやすいようにそうしてますが、数字や記号による抽象思考、論理思考に弱い人は楽譜は読めても書けないだろうという意味です。ロジカルな文章も同様です。演奏は読む側だから書く側とは違います。フィボナッチ数列の名を聞いたことがない人でもバルトークは演奏できます。コード進行という概念ができて初めて、読む側の人でも曲のようなものが書けるようになったのです。

理系が全員数字にこだわることはないでしょうが、数字に弱かったり興味がなかったりということはないでしょう。バッハ、モーツァルト、ショパン、ブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチ、シェーンベルクの数字へのこだわりは有名ですが、楽譜を書いて思考するという記号論理学的操作を業としている人が大なり小なり数字に関心を持ったり執着したりするのは自然です。しかし、それは単に「呪われている」「幸運を呼ぶ」など呪術的な主観であったりもするのです。数学者が必ずしも占星術師ではないように、バルトークがフィボナッチ数列を使ったと言って「数学的だ」と言ってしまうのは乱暴と思います。

僕はバルトークは「ロマンチスト」だと思ってます。後期ロマン派の分派に分類したい。そんな馬鹿なと思われるでしょうが、彼はハンガリー料理を ”おふくろの味” にしながら独仏露料理も取り入れ最後は(不本意ではあったが)ニューヨークに出ていってインターナショナル創作料理店の親父になった人です。数的素材、バーバリズム、無調、神秘主義、ピアノの打楽器的用法などはハンガリー料理のローカル臭をろ過、無機化し、インターナショナル風にする当時国際的に流行っていた食材やスパイスでありました。僕は彼の童心に帰った ”おふくろの味” である「子供のために」を弾いてそう確信したのです。初心者のころに丸呑みして「気持ちいいな」と思えた要素もそれだと思います。

チューリヒにいたころ、ブタペスト在住の K氏がメンバーとなっているゴルフリゾートがペーチュという街の郊外にありました。どこかというとこの地図の一番下の方、ブタペストからドナウ川沿いを車で200キロほど南下したあたりで泊まってゴルフ三昧しました。車をぶっ飛ばして片道4時間もかかる長い行程でしたが、ホテルは新しくてK氏の顔が利き、クオリティの高いコースなのにすいていてやり放題なのに魅せられて4回も訪問しました。

ハンガリーを縦断してクロアチア、セルビア近くまで下るのはなかなかの経験です。途中で食べたアイスクリームやパプリカの効いたグラーシュは美味だったし、人の当たりも柔らかく、農村の田園風景もドイツやスイスとはまた違った趣のあるものでした。ペーチは古代ローマ帝国に起源のある立派な都市ですが、リゾートのある郊外はというと畑と林と農道しかありません。ハーリ・ヤーノシュの稿に書きましたが一度大変な目にあって、夜にペーチュまで遊びに行った帰りにクルマが農道でエンストして動かなくなってしまったのです。参りました。人っ子ひとりない所で寒く、1時間待っても車は1台も通りません。男4人でしたが下手すると凍死かまで頭をよぎりました。

あのとき、ふるえながら道に立って、完全な静寂の中、真っ暗な神秘の空を見上げました。深呼吸して、かすかに田舎の香水も混じったような人懐っこさもあるハンガリーの大地の香りを嗅いで、ふとP協2番の第2楽章、上の楽譜のところが脳裏に聞こえてきたのです。バルトークの聴覚は鋭敏で、いなくなった飼い猫の誰も聞こえない声を聞いて探し当てた。ああそうか、あの音楽はこの空気から彼が聞き取ったものなのかと妙に安心してきて、心の中の音をじっくり聞いて時をやり過ごしたのを覚えています。やがてやっと通りかかった車がガス・スタンドまで2人を運び、彼らの説明でトレーラーが救援に来てくれて難を逃れました。ホテル着は午前4時でした。ハンガリーの強烈な思い出となっていますが、あの香りは一生忘れないでしょう。

バルトークの生地はこの地図の右下のほうにあるNagyszentmiklos(ナジセントミクローシュ)です。ペーチュより東側で、ご覧の通り現在はルーマニアです。

wikipediaによると、バルトークの血筋はこうです:

父・ハンガリー東北部(スロヴァキア国境に近い)の下級貴族の家系。

祖母・ブニェヴァツ人(南スラヴの少数民族集団)でハンガリーでは多くがバーチ・キシュクン県バヤ(ペーチュの隣町)に居住。

母・ドイツ系だがマジャールとスラブの血を引く。スロヴァキア生まれ。

バルトークは父が早くに病没しピアノ教師の母と現在のウクライナ、そして彼女の母国であるにスロヴァキア移住しています。

生地のナジセントミクローシュから出土した23の金工品は遺宝としてウィーン美術史美術館に展示されていますが誰が造ったのか、どこから来たのか、その由来についてはいまだに論争があるそうです。1799年にブルガリアの農民が土中から発見したというからわが国の志賀島の金印を思い起こします。この写真がそれです。

この地域のローマ、トルコ、スラブ、マジャール(フン)、中央アジア(スキタイ)、インド、タイ、中国の文化の混交を想像させる、キリスト教文化とは異(い)なるものを感じさせないでしょうか。キリスト教でありながら十字軍に略奪され、イスラム多民族国家のオスマン帝国に服属し、カルロヴィッツ条約でハプスブルグのものとなったというヨーロッパの火薬庫バルカン半島の根本です。オスマン帝国はアチェ王国のあったインドネシアまでのあった艦隊を派遣しており、バルトークの血筋の複雑さへの想像はそう荒唐無稽でもないと思うのです。

 

僕はハンガリー人であるはずのバルトークがなぜ「ルーマニア民俗舞曲」を書いたり9才の作品に「ワラキア風の小品」があるのか不思議に思っていました。ワラキア公国とは15世紀に敵や貴族を串刺しにして大量に惨殺したヴラド3世(吸血鬼・ドラキュラ伯爵のモデル)が統治したルーマニア南部にあった国です。

「彼は民俗音楽の研究家だったのだ」という能天気な教科書的説明で納得されていますが、本当にそうでしょうか?仮に日本人の作曲家だったとして、韓国や中国の民謡まで採譜してそれで交響曲を書いて世に出ようと思うでしょうか。全否定はできません。しかし、まず異教徒のモンゴル人に、次いでイスラム教徒のオスマン帝国に、そしてキリスト教徒のハプスブルグ王国に「支配」された地域の民族感情は我々の想像を絶するものが在ると考えるのが実相に近いでしょう。

ナジセントミクローシュの東側にあるトランシルヴァニア地方の呼び名はルーマニア、ハンガリー、ドイツ、トルコ、スロヴァキア、ポーランド語で58種類もあって征服、被征服の血なまぐさい歴史をうかがわせます。彼は「トランシルヴァニア舞曲」を書いてます。「コントラスツ」を献呈されたヴァイオリニスト、ヨゼフ・シゲティもハンガリー人(ユダヤ系)ですが、この曲はトランシルヴァニア民謡が使われており、シゲティの出身はルーマニアの旧トランシルヴァニア公国領です。

左様にバルトークの ”おふくろの味” は一筋縄ではないと僕は考えるのです。アイデンティティは捨て去ることはできないし、彼も捨てようとはしなかったでしょう。

僕は最近、彼が後天的にdevelopしたものよりも持って生まれたもの、”おふくろの味” のほうに耳が行きます。彼は田舎料理の素朴な素材をベースにライバルのストラヴィンスキーやシェーンベルクの「新奇さ」に対抗するとんがったスパイスを頭脳で開発していきました。下のビデオでピエール・ブーレーズが「管弦楽のための協奏曲」の終楽章の弦のプレストは欧州のオーケストラでは弾けなかったろう、高性能のボストン交響楽団だから書けたのだろうと言ってますが、そうやってスパイス部分が増幅されていき、米国の管弦楽団のショーピース効果が広く称賛され、だんだんとそちらに比重がかかった解釈を良しとする風潮が世界的に醸成されたと感じます。

2番は第1楽章に弦が出てこないという稀有の曲でもあります。冒頭を飾るトランペットのファンファーレ主題は華麗ですがブラスバンドとピアノだけで作るこの楽章の世界は彼のアレグロ・バルバロのごとくに無機的で凶暴であり、ファンファーレは幻想交響曲のギロチンの首切り場面のそれに聞こえてきます(この主題は第3楽章に再現します)。

突如現れるピアノの打楽器のような強烈かつ鮮烈なリズムの連打は暴君のように無慈悲でまことに野蛮ですが、このリズム(タンタタ・タタタタ)は冒頭ファンファーレ主題に由来し、この楽譜をご覧になれば明確ですが、和声が5度+5度である、つまり例の第2楽章冒頭の静謐で神秘的な弦楽合奏の和音なのです(しかもリズムまでタンタタだ!)

これに呼応するオーケストラもティンパニ小太鼓が春の祭典並みの切れ味鋭いリズムアンサンブルを叩きつけ(後に「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」の原型となる)、ピッコロ、フルートが幻想交響曲の妖怪の半狂乱の声をあげ(練習番号115)不気味極まりなし。バルトークのこういう一面には数学者など影も形もなく、「中国の不思議なマンダリン」の役人の惨殺につながる残虐、凶暴な串刺し公(ドラキュラのモデル、ヴラド3世)もかくやというところがあるのです。トランシルヴァニアの人種のごった煮を前提としないと彼の多面性は理解できないことがお分かりいただけるでしょうか。

だからこそ第2楽章で初登場する弦合奏の夜のしじまが五感に訴えるのです。中間部で再度ピアノがパーカッシブなパッセージを強奏しますが、ティンパニのロールに乗って最後の審判の鉄槌を打つピアノがまた強烈です。ここではブラスの金色がないため暗色が支配し、楽章間でコントラストが明確につけられます。指では弾けず手のひらで抑えないと弾けない楽譜が頻出。金管が省かれるこの楽章は5年後に書かれることになる弦チェレの音がすでにしています。この楽章がであり緩ー急ー緩でシンメトリーであり、前後の楽章に挟まって急ー緩ー急ー緩ー急となる。彼ならではの形式論理です。

終楽章は5オクターヴ駆け上がるピアノで激烈に開始。続くティンパニの悪辣な短3度(ドーミ♭)の連打は明らかに春の祭典を意識しています(彼は祭典の初演直後にそのスコアを研究)。第1楽章ファンファーレが響き弦チェレの第2楽章が響き、どす黒い生地に黄金の光彩をまぶして曲は管弦楽の協奏曲の改定されたエンディングで終わります(この楽章は冒頭と終結がそれで閉じています)。僕の主観ですが、その黄金のきらめきは上掲写真のナジセントミクローシュから出土した23の金工品を強く連想させます。

ピアノ協奏曲というジャンルはバルトークにとってモーツァルトと同じ意味を持つ、つまり、自身が生きているうちは自分で弾くためのシグナチャー・ピースであると思われます。左様にフランクフルトでの1、2番の初演者はバルトーク自身であり、3番は愛する妻に弾かせる意図で書きました。だから彼はそこに彼自身の消し去れない一面を、すなわち「非キリスト教的なるもの」、もっと言うなら金の出土品のレリーフのような「オスマン帝国的なるもの」を書き込んだのではないかと思います。

この曲のピアノパートは難易度で頂点にあることで有名です。聴くだけでも想像はつきますが、実際に、していますwikipediaによるとアンドラシュ・シフが「弾き終わるとピアノが血だらけになる」と、スティーブン・ビショップ・コヴァセヴィッチが「弾いた曲の内で一番技術的に困難で練習すると手が痺れてしまう」というコメントしているそうです。それを弾けたという事実が

 

ゾルターン・コティッシュ / ジョルジュ・レヘル / ブタペスト交響楽団

ピアニストは19才。彼は後に再録音していますが、何故必要があったのか解せない飛ぶ鳥落とす名演であります。このLPはフンガロトン原盤で日本ではキングから79年に出ました。コティッシュが2番、ラーンキが3番と、共産時代のハンガリー国家が売り出し中の若手2人をお国の英雄バルトークでフィーチャーしたもので、演奏もしかるべく気合が入っています。買ったのは就職した年だからあまり聴けず、じっくり味わったのは留学後のロンドンでした。もう一つ、この演奏の決定的魅力は伴奏のレヘル指揮のオーケストラがローカル色満載であることで、無用にとんがったところがなくまさにバルトークの ”おふくろの味” 路線にぴったりなこと。第2楽章の神秘もひなびた味を伴っていて、これぞ僕がペーチュで嗅いだあの大気の香りです。録音も丸みがあり米国流の名技主義とデジタル解像度を競う路線とは無縁の昔懐かしさがあります。youtubeにこのLPの音をアップしましたのでぜひお試しください。

 

 

デジェ・ラーンキ(pf) / ゾルタン・コティッシュ / ハンガリー国立管弦楽団

この曲を血管の中にもっている二人による快演。ラーンキの2番は正規録音がなくこのライブは貴重。生気ほとばしるテンポの第1楽章は最高でこれ以上のものは求め難いでしょう。終楽章のエネルギーもバルトークの意図の体現です。指揮に回った時のコティッシュの傾向で第2楽章の神秘感や翳りがいまひとつなのはマイナスですが、補って余りある美点を評価。ご一聴をお勧めします。

ゲザ・アンダ / フェレンツ・フリッチャイ / ベルリン放送交響楽団

ピアニスト、指揮者ともブダペスト生まれ。オーケストラの深みある色彩がまことにふさわしく、曲のエッセンスをフリッチャイが完璧に伝えきって確信に満ちた演奏をしています。彼はバルトークに師事した指揮者でこの音が正調に近いかどうかはともかくも比類ない説得力があることは誰も否定できないでしょう。アンダのピアノは骨太で重量感があり、ポリーニの指の回りよりこの曲では重要なものは何を教えてくれます。技の切れ、無傷、スマートさではないのです。

 

マウリツィオ・ポリーニ / クラウディオ・アバド / シカゴ交響楽団

ピアノは技巧的に高度で速いパッセージまで微細に引き分けられますが、タッチの軽さは野蛮、凶暴さに欠けショパンのように清明。オケもスマートだが第2楽章の弦も透明で神秘のにごりがまるでなく蒸留水を飲むようであります。バルバロな部分はインテリがヤンキーを気取ったみたいで不道徳のかけらもなく、これほどバルトークの ”おふくろの味” が希薄な演奏もなし。イメージは全然ふくらまず、何を聴いたかさっぱりわからず。

 

レイフ・オヴェ・アンスネス / ピエール・ブーレーズ / ベルリン・フィル

ブーレーズの伴奏が聞きもの。リズムのメカニックな正確さで最高度にあり、それがここまで極まれば快感に転じるという彼の「春の祭典」の水準にある驚くべき演奏です。ローカル色は希薄ですが、この演奏にそれを求めても仕方なしでしょう。アンスネスのピアノも指揮に完全に同期して間然するところなく作品のイデアのようなものを築き上げています。おふくろの味を欠くバルトークもこの路線と完成度ならありというというもうひとつの多面性をもうひとつの教わります。

 

イディル・ビレット / チャールズ・マッケラス / シドニー交響楽団

最高難易度の2番を女性が弾くのがどれほどのものか。ユジャ・ワンが譜面を見ながら弾いているビデオがあって、弾けるだけでも称賛はしますが、イディル・ビレットのそれは衝撃です。NAXOSレーベルで知られるようになったので廉価盤アーティストの印象になっていますがとんでもない、この人は現代のギーゼキングで何でも弾ける。そこまでいくと技術だけではなく超絶的な聴覚と記憶力の問題であって普通の人の及びのつきようもない能力の持ち主でなくてはあり得ません。ビレットはトルコ人(アンカラ生まれ)人です。音楽って面白いですね。

 

(こちらへどうぞ)

マーラーの墓碑銘

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N響定期を聴く(ショスタコーヴィチ 交響曲 第7番 ハ長調 作品60「レニングラード」)

2017 SEP 18 13:13:52 pm by 東 賢太郎

パーヴォ・ヤルヴィ / N響のこれが土曜日の18時にあって、14時試合開始の広島カープが優勝しそうなものだからそのままTVにかじりつくか迷った。結局ショスタコーヴィチに操を尽くして出かけたら楽勝と思ったカープは最下位ヤクルトに逆転負けを喫していて、逆の選択をしていたら痛恨になるところだった。

7番レニングラードはベートーベンにおける7番の位置づけだと思う。彼はマーラーに習って番号を意識していて、死にたくないので9番は軽めに書いて15番まで生き延びた。ベートーベン7番はどうも苦手でライブで心から良いと思ったのはヨッフムとサヴァリッシュと山田一雄ぐらいだが、レニングラードも同様路線の音楽で生まれ故郷の市民を鼓舞しようと書いた。このブログに書いた部分は繰り返さない。

読響定期を聴く(モーツァルトとショスタコーヴィチ)

ショスタコーヴィチはスターリン政権に反抗したり忖度(ソンタク)したり面従腹背したりの複雑な人で、レニングラード市民戦では従軍志願までしているから親祖国(亡命しない)、反ナチ(もちろん)、反スターリン(言えない)の3つの座標軸上でいつも最適解を模索した(余儀なくされた)作曲家だった。プロとして目指す道は4番が示唆していて、しかしスコアが散逸してしまったことが象徴するほどその路線は約束されていないものだったのだ。気の毒でならない。

4番の発表を断念して書いた5番は1-3楽章が面従腹背、終楽章がソンタクという分裂症気味な作品になってしまったが、全曲のコンセプトごと見事にソンタクというまとまりのある作品が7番である。軍人の低脳ぶりを馬鹿にしまくった「戦争の主題」、それをナチに向けたと偽装してスターリンにも向けていたという解釈が出てきているがそれは不明だ。もしそうだったなら上出来だ、なんといってもスターリン賞1席を受賞してしまうのだから。彼は作曲中にその候補に挙がっていることを意識もしていた。

バルトークはプリミティブにわざと書いたその主題にいったんは驚きライバルでもあったから皮肉って自作に引用したが、だんだん高潮して弦合奏になるとルール違反の並行和音の伴奏が付いてくる。戦争にルールはないわけで、こういう含意がプリミティブな頭脳から出るはずがないこれは偽装だと確信しんだろう。息子ペーテルは同じ戦争の被害者として反ナチについて共感もあったと著書に記しているが反スターリンだったかもしれない。ショスタコーヴィチがメリー・ウィドウを引用した可能性は否定できないが、バルトークがそうしたとする説は誤りと彼は書いている。

この日のN響はヤルヴィが連れてきたミュンヘン・フィルのコンマス、ヘルシュコヴィチが非常にうまく、合奏でも彼の音が際立って聴こえたほどで(これはおかしなこと、他がそろってないか楽器なのか音量なのか)、とにかくもう格が違う。なぜヤルヴィがわざわざ呼んできたかわかる。それでも第1ヴァイオリン群としては普段よりもずっと良い音を奏でたのであって、弱音のユニゾンの美しさは絶品であった。ヤルヴィの意図は遂げられたと納得すると同時に、コンマスがいかに影響力が絶大かを確信した。

ということで聴かせどころは弦が多い、というより、弦が弱いとブラバンの曲のようになってしまう7番を存分に賞味させていただいた。

マーラーの墓碑銘

ショスタコーヴィチ 交響曲第4番 ハ短調 作品43(読響・カスプシクの名演を聴く)

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マーラーの墓碑銘

2017 SEP 10 12:12:03 pm by 東 賢太郎

「私の墓を訪ねてくれる人なら私が何者だったか知っているし、そうでない人に知ってもらう必要はない」と語ったグスタフ・マーラーの墓石(右)には名前しか刻まれていない。作品が語っているし、わからない者は必要ないということだ。去る者追わずの姿勢でも「やがて私の時代が来る」と宣言した堂々たる自信は畏敬に値する。

冒頭の言葉の墓をブログに置き換えて死にたいものだと思う。昨今、一日にのべ 2,000人ものご訪問をいただくようになってきてしまい、普通はなにか気の利いたサービス精神でも働かせるのだろうが僕にエンターテイナーの才能はない。何者か知っている方々だけが楽しんでくださればそれ以上は不要だ。

マーラーがスコアに「足音をたてるな」と書いたぐらい、僕は部下への指示が細かくてしつこかったと思う。理由は信用してないからだから言わない。しないと何をすべきかわからない人にはなぜかを説明するが、そういう人は得てしてそうしてもわからない。より平易にと親切心で比喩を使うと、主題転換の方に気を取られてますますわからなくなる。よって面倒なので、自分でやることになる。

マーラーを聴くと、そこまで僕を信用しませんか?それって、そこまでするほど重要なことでしたっけとなる。そして部下も僕をそう嫌ってるんだろうなと自省の念すら押し付けられて辟易し、音楽会が楽しくもなんともなくなってしまうのだ。ボヘミアンを自称したコンプレックスを断ち切ってウィーンの楽長まで昇りつめたエネルギーの放射と自信はすさまじいが、灰汁(あく)を伴う。

ショスタコーヴィチはマーラーの灰汁を彼自身のシニシズムと混ぜ合わせてスターリン将軍様に見せる仮面に仕立ててしまった賢人である。革命後の1920年代より一貫して第一線に立ち続けることができた芸術家は彼以外にほとんどいない。招かれざる個性だったがその陰に隠れた怒りのくどさも格段で、仮面がだんだん主題にすらなる。交響曲第13番は「バビヤールには墓碑銘がない」と始まるが、「私の交響曲は墓碑銘である」と語ったショスタコーヴィチの墓には「DSCH音型」(自分の名の音名)の墓碑銘がある。

僕は自分の音楽史の起源にある下のブログを書いていて、ネルソン・リドルのスコアに偶然かどうかDSCH音型があるのに気づいた(hが半音低いが)。

アンタッチャブルのテーマ(1959)The Untouchables Theme 1959

こういう、人生になんら影響のないことに気が行って、気になって眠れなくなるのをこだわり性格という。こだわりには人それぞれの勘所があって万事にこだわる人はまずない。芸術家はすべからくそれであって、そうでない人の作品にこだわりの人を吸引する力などあるはずがない。

例えば僕は猫好きだが子猫はつまらないし毛長の洋ものは犬ほど嫌いだから猫好きクラブなど論外である。生来の鉄道好きだが、勘所は線路と車輪のみでそれ以外なんら関心がないから今流の鉄オタとは遠い。原鉄道模型博物館に感動してこのブログを書いたのはわけがある。

原鉄道模型博物館(Splendid Hara Railway Museum in Yokohama)

車輪のフランジへのこだわりは書いた通りだが、書いてないのは「音」だ。線路と車輪は普通は安価で錆びず持ちがいいステンレスで済ますが継ぎ目を車輪が通過するカタンカタンの音が軽い。原信太郎氏は原音にこだわって鉄を使っているのである。そんなことは普通の客は気にしないし気づきもしないだろうが、僕のような客は気にするのだ。

バルトークの息子ペーテルが書いた「父・バルトーク」(右)に「なぜレールの継ぎ目で音がするの?」とカタンカタンのわけを質問したくだりがあって、父は線路と車輪を横から見た絵を描いて(これが実に精密だ!)、音の鳴る原理を克明に息子に説明しているのである。原信太郎氏はこれを見たかどうか、もし見たなら同胞の絆と膝を打ったに違いない。僕はバルトーク氏も原氏も直接存じ上げないが、心の奥底のこだわりの共振によってそれを確信できる。上掲ブログはあえてそう書かなかったが、それが2014年、3年半前の僕だ。いま書くとしたらぜんぜん違うものができていただろう。

原氏のこだわりの類のものを見ると、大方の日本人はこれぞ匠の技だ、我が国のモノづくりの原点だとなりがちだ。そうは思わない。ヨーロッパに11年半住んでいて、精巧な建築物、構造物、彫刻、絵画、天文時計などジャンルに数限りないこだわりの物凄さをたくさん見たからだ。クラシックと呼ばれる音楽もその最たるもののひとつだ。僕は洋物好きではない、精巧好きであって、それは地球上で実にヨーロッパに遍在しているにすぎないのである。

さて、マーラーの墓から始まって僕のブログはレールの継ぎ目の話にまで飛んでしまう。計画はなく、書きながらその時の思いつきを打ち込んでいるだけだ。アンタッチャブルは出るわ猫は出るわで常人の作文とも思われないが、こういう部分、つまり主題の脈絡なさ唐突さ、遠くに旅立つ転調のようなものがマーラーにはある。そして僕は、それが嫌だからショスタコーヴィチは好きでもマーラーは嫌いなのである。

 

ショスタコーヴィチ 交響曲第4番 ハ短調 作品43(読響・カスプシクの名演を聴く)

マーラー 交響曲第8番 変ホ長調

 

 

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バルトーク ピアノ協奏曲第1番 Sz.83

2017 AUG 2 12:12:50 pm by 東 賢太郎

バルトークの音楽はきれいなメロディーが出てこない。だから「難しい」ということになりがちだ。しかし雅楽にだってそれはない。信長や秀吉が自ら舞っていた能楽を難解と思っていただろうか?みなさん歌舞伎座へ行って、ずらっと居並ぶ笛、三味線、太鼓の「地方(じかた)さん」からきれいなメロディーを期待するだろうか?それがなかったといって難しかったと思って帰るだろうか?

クラシックの演奏会に行くと何か楽しみを与えてくれる。そう期待するのはもちろんだ。それがきれいなメロディーであることはとても多い。それを持った曲がクラシックのレパートリーの中心になっているからだが、演奏する方もお客に楽しみを提供したいから演目はそれ中心になってしまう。しかし、では、それ以外の曲はつまらないか、喜びをくれないかと言えば、それは全くのお門違いだ。

きれいなメロディーというのは、クラシックであれ歌謡曲であれ三和音をベースにした音楽だ。100%。しかし三和音音楽は作曲側には規制が多く、車の運転なら一方通行の30キロしか出せない道のようなもの。ところが車であるピアノやオーケストラは300キロだって出せるポルシェだ。アウトバーンを飛ばしたい、作曲、演奏側はそうなる。そして、ここが大事だが、ポルシェで300キロは、助手席に乗ってる聞く側にだって、経験すれば病みつきになる快感なのだ。

話を戻そう。きれいなメロディーのない、三和音音楽でないのが速度制限なしのアウトバーンだ。標識を取っ払ったのはドビッシーだから、それ以降、つまり20世紀のいわゆる「近現代音楽」がそれということになる。そしてそれを聞いてはみたが理解できなかった、退屈だったという人は多いと思う。ではそこに快感を覚えるにはどうすればよいのだろうか?

人には経験値というものがある。それが一定のところに達すると考え方や理解度や好みまで変わる。そこに達するまでは、自分でもその先は分からないのだ。例えば子供のころには食べられなかったトマトやマグロのトロがいまは好物だという人がいる。人間生きていればものを食べるから食の経験値は嫌が応にも上がるが音楽はそうはいかない。無理してでも聞こうという気持ちだけは必要だが、そこから先は同じことが起きるから、得られる人生の喜びは計り知れない。

前に数学は暗記科目だと書いたが、受験数学のできる人というのは別に才能があるわけじゃなくて単に練習問題をたくさん解いて解き方をたくさん暗記してる普通の人にすぎない。練習しないと解けるわけないのでたくさん解く気があったかどうか、それだけだ。実は近現代曲にもまったく同じことが言えるのである。僕の独断といわれればそれまでだが、数学偏差値42から80になった経験に免じてぜひやってみていただきたいし、その価値があると確信もしている。

秘訣は、たくさん聞いて、聞くそばから曲を暗記してしまうこと。それに限る。きれいなメロディーがないから難しいかというとそんなことはない。パターン認識で構わない。まるごとイメージとして食ってしまえばいいのであって、みなさんピカソやシャガールの絵を見てピカソだシャガールだとわかるのは知らずにそうしているのだ。メロディーというのは絵なら人物であって、モナリザみたいな美人かピカソみたいな妙ちくりんかは絵の本質とは何ら関係がない。

本題に入ろう。バルトークのピアノ協奏曲第1番はきっと難解に聞こえるが、「弦チェレ」や「2台のpfと打楽器のソナタ」を覚えてる人はイディオムごと丸食いしやすい要素はいくつもある。ピカソをパターン認識するにはピカソをたくさん鑑賞するしか手はないように、バルトークもたくさん聞けば一発でバルトークとわかるようになる。各曲の部分部分の記憶が符合して記憶はますます強くなる(パターン認識が記憶に高まる)から、たくさん聞いて、聞くそばから曲を暗記してしまうことは「王道」なのである(数学もそうだったから「まったく同じことが言える」と書かせていただいている)。

第1楽章冒頭にピアノの低音とティンパニでゴジラが登場するみたいなリズム動機が出るがこれが全曲に展開する同音反復テーマの萌芽だ。だからpfが打楽器的に扱われるのは勿論で、pf、打楽器、管楽器のグルーピングと対立の構図も特徴だ。第2楽章Andanteまでリズム動機(3音反復)が支配するのであって、支配原理を知ってしまえばますます覚えやすい。簡単になる。たくさん聞いてまる食いすればみなさんなりに攻略法も思いついてくるしそれは何でもいい。

僕は94年これをフランクフルトのアルテ・オーパーでポリーニ / ブーレーズ / ロンドン響で聴き強烈なインパクトを受けた。1番は俗化した2番、平明路線の3番より格段に面白いと思った。とんがったバルトーク全開。ピアノソナタ、戸外にての26年の作品で、翌27年に弦楽四重奏曲第3番、28年に同4番が書かれる全盛期の入り口の傑作だ。マンダリン、舞踏組曲、弦チェレ、ミクロコスモスが聞こえてくるし管弦楽のための協奏曲のこだまもある(エンディングなど)。

なお、初演は27年にフランクフルトでバルトーク自身のピアノで行われたが、指揮者はフルトヴェングラーだった。このオーケストラパートは難しく彼の手には余ったのかもしれない、オケに稽古を付けたのはヤッシャ・ホーレンシュタインだそうだ。

まずはレファレンスとしてこれを3回は聴いてほしい。ゼルキンとセル。ピアノの技巧で上回る人がいるが、楽想の把握と詩情まで感じさせる解釈は完璧に近い、オケはこれを凌ぐのは至難というまったくもって素晴らしい演奏である。

こちらがポリーニとブーレーズのコンビだ(パリ、シャトレ座)。94年のブーレーズの指揮姿が懐かしい。ポリーニのキレ味はこれ(2001年)の数段うえだった。

フランス人、ジャン=エフラム・バヴゼのピアノ。これは彼の乾いた情感がぴったりでなかなか良く、ユロフスキのオケ(LPO)のリズム感が見事だ。

さてバルトークのコンチェルトというと、1,2番は手が大きくないと弾けないそうで女性は3番というのが定番化している(3番は渡米後にピアニストであった妻ディッタのレパートリーとすべく書いたとされている)。男勝りのアルゲリッチもアニー・フィッシャーもバルトークは3番オンリーだ。2番はたまにいないことはないが、1番だけは女性が弾いた記憶は皆無。やはりそういわれてきたブラームスの2番はいまや女性進出が進んだが、バルトークの1番は最後に残された男の牙城だったのだ。

そこに彗星のように現れた女性がユジャ・ワンである。僕はこのビデオで彼女を評価するようになった。前回のプロコフィエフ3番もそうだが、運動神経の良さが抜群でリズムの発音と指回りは高レベル。打鍵の強さだけはもうひとつだが充分合格の熱演である(ドレスも普通で安心。暗譜はしてほしかったが)。彼女は2番も弾いていてそれも評価するが、なんといっても1番をやろうというチャレンジングな精神は心より称賛したい。バルトークに心底から理解と関心がないとこれは到底弾けないだろう、コンクールに出ている日本人はどうなのか。こういうものを楽しく味わうためにも、楽曲のまるごと暗記は強力な味方になる。

 

プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 作品26

 

 

 

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カンブルラン/読響の「青ひげ公の城」

2017 APR 16 0:00:24 am by 東 賢太郎

指揮=シルヴァン・カンブルラン
ユディット=イリス・フェルミリオン(メゾ・ソプラノ)
青ひげ公=バリント・ザボ(バス)

メシアン:忘れられた捧げもの
ドビュッシー:「聖セバスティアンの殉教」交響的断章
バルトーク:歌劇「青ひげ公の城」作品11

最高のプログラムでした。これが東京で聴けるというのは有難い。東京芸術劇場は改修前に通ったことがあり、どうなったか気になってました。好き好きですが前の方だとやや音が残響とかぶるかなという感じ。ただ倍音が乗って音圧は結構来ますから東京のホールとしては上の部類です。

バルトークがよかった。おどろおどろしいオペラですが、それを前面にに出さずオーケストラの多彩な色彩感と透明なテクスチュアで7つの部屋の情景の裏にある恐ろしさ、不気味さをうっすらと醸し出すというアプローチ。宝石の部屋と涙の湖の部屋でそれが効いておりました。歌手も好演。ハンガリー人のザボによる青髭は安定感があり、フェルミリオンはモーツァルト歌いのようですがいい味を出してました。欧州の一流どころの歌手でこの曲を聴けるのは至福です。

ドビッシーのこれはオペラ仕立てでは聞けないのだろうからこの編曲しかチャンスがないのでしょう。しかし全盛期のインスピレーションはいまひとつ感じません。メシアンは三位一体教会のオルガニストになったころ彼の和声語法は基本的な好みとしては変わらなかったことがわかります。シルヴァン・カンブルランは現代のメシアン演奏第一人者ですね。11月の歌劇「アッシジの聖フランチェスコ」は今から楽しみしています。

 

 

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バルトーク 「子供のために」(sz.42)

2017 MAR 1 12:12:28 pm by 東 賢太郎

クラシックというのは大家のレコードを聞いて耳から覚えるというのが相場ですが、「子供のために」は自分で弾いて譜面から覚えた多分唯一の曲です。

ドイツで小学校1年の長女が習ったピアノの先生がこれを教材にして、発表会でも弾かせていました。その譜面を見てみるとシンプルながら一筋縄ではなく、実に面白いのです。第1巻を片っ端から弾いてみましたが、たとえばこのたった16小節のやさしい曲についているリッチな和声をご覧ください。

5小節目でサブドミナントになって当たり前のごとくFのコードがつきますが、次にCmaj7の長7度が入って曖昧になります。くり返しのその部分は予想外のE⇒C7が来ますが、その直前にFを置くのを避けG7にしているなどにくい。

「#も♭もない右手の民謡」+「変化記号・2度7度のある左手」

一見して緊張感を孕んだ譜面づらです。強弱やスラーを指示通りに繊細なタッチでgraziosoに演奏するのはたいへん難しい。ピアニスティックに指がしんどいというナンバーもありますが、技術の問題よりメロディーの土臭さと高度に洗練された和声のアンバランスをバランスさせてちゃんと音楽にするのがきびしい。

つまり弾き手の知性がばれてしまう。

子供に知育を強いますね。テクニックの裏には意味があるという教育。和声の不思議を感じる教育。バルトークは教育者でもありましたが、何を教えようとしていたか想像がつく気がします。それは彼が重要と考えたものだから作曲の語法にもなっています。晩年にこの路線が「ミクロコスモス」(1926年-1939年) Sz.107となって昇華する、その原型が27-8才の作品「子供のために」でした。

当時僕はこれをバルトーク版のバイエルみたいなものと思っていたので、大家のレコードやコンサートピースになるとは思いもしませんでした。ラーンキが弾いたCDを見つけてへえっと思って買いましたが、84曲収録したこれは資料的価値が高い。自分が読んでいたのとずいぶんテンポやタッチが異なっていて娘だけでなく親父の読譜の練習問題の解答にもなりました。

こちらは抜粋ですがコティシュの演奏です。彼は完全にコンサートピースとして弾いています。いちばんやさしい第1曲にドとシの短2度が出てきて、こういうのを聴いてぎょっとする子供にしないといけないよとバルトークは言っている気がします。音楽に対する感受性の最も大事なところで、もう出だしからこの曲集は只者ではありません。

「子供のために」作曲のころのバルトーク

最後に名曲解説風に。僕がこの曲集がこういうものだったと知ったのはずっと後のことです。こっちから入っていたらイメージは違っていたし、バルトークの広大な音楽世界の理解度はどうだったかなと思います。

バルトークが精力的に民謡の採譜を試みた時代の産物で85の小品から成ります。それが原典版で42曲の第1,2巻(ハンガリー民謡による)および43曲の第3,4巻(スロヴァキア民謡による)でした。ところが1945年に、採譜した民謡が不正確であったり元来は民謡ではなかったもの6曲を除去して第1巻(40曲)、第2巻(39曲)の79曲とし、残した曲にも和声の改変を施して再出版しています。これは米国亡命後の兵糧かせぎだったストラヴィンスキー火の鳥の1919年版に類する側面もあるかもしれませんが、そうであったとしてもバルトークはずっと学究的ですね。

「一見して緊張感を孕んだ譜面づら」なのは、主題の根拠は民族の古典に置いてプライドとアイデンティティーを打ち出しながらそれにバッハのように抗いがたい明確な輪郭と彫琢を与え(右手)、それにシューマンのようにポエジーをもった和声づけがなされている(左手)からでしょう。俳句の世界に近い。特にハンガリー民謡の第1巻はどこか鄙びて哀調があって、第2曲のSunriseは僕にはSunsetにきこえる。日本人のハートには訴えるものがあると思います。

シューマンの子供の情景に劣らぬ全曲鑑賞に値する作品集ですが、できればやさしいものをお弾きになってみるとこれらはやはりあのバルトークの作品なのだと実感できるのではないでしょうか。

 

バルトーク好き

 

 

 

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