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カテゴリー: 食べ物

漢方とシルクロードに見る東洋の奥深さ

2023 MAY 27 12:12:05 pm by 東 賢太郎

いま神山先生の薬を3つ飲んでいる。薬ではないが滋養強壮・未病の長白山人参も煎じて朝晩飲んでるから正確には4つだ。安神はパニック障害、鼻炎と増記憶はその名の通りである。

今年に入ってパニックは一度もなく心療内科の薬ワイパックスはお世話になってない。鼻炎は慢性の鼻づまりで寝る前にスプレーが必要だったが不要になってしまった。増記憶は母が認知症になったので娘が先生に頼んで今月から飲まされているが、いまのところ効果は不明。

漢方が良いのは薬草でありケミカル(先生は「石」という)でないこと、4千年も前から治験(言葉は悪いが人体実験)がなされているから安心して飲めることである。この3つ、レシピは6代前から医師である彼の家に伝わっていて中国で売ると各々3,4億円する知的財産だ。これが丸薬になったものだけで写真のように54種類ある。中国では伝統医療の医師が毛沢東時代に下放されて廃業しもうほとんどいないが、先生が日本に帰化されその貴重な文化財が我が国の財産になっているわけである。意外だが漢方は動物にも効く。ワンちゃん猫ちゃんも人とおんなじ薬で病気が治ることは先生の患者である静岡の動物病院の院長先生が長年の臨床研究で実証されている。漢方の可能性はまだまだある。

知れば知るほど東洋の奥深さに嘆息するばかりだ。人生の4分の1を西洋で過ごしたことを割り引いても、僕の価値観は欧米に大きく偏っているという気持ちになってきた。東洋というからには日本も中国もない。良いものは良いというだけで、西洋にも帰依すべきものはたくさんあるし、同じほど中国文明にもあるということだ。僕は万事において是々非々な人間である。

その視点で世界史を見るならこうだ。とてもアバウトに書くが、

西洋文明のルーツはギリシャ・ローマだが欧州人は中世には忘れ去っておりイスラム圏が保存していた文書を強奪集団の十字軍が持ち帰って再発見した(ルネサンス)。つまりたかだか5百年の文明であり、まして米国など2百年ちょいである。それが東洋の4千年の蓄積をうんぬんするなど千年早い、控えおれでおしまいだ(聖書が禁じてるから西洋で問題と化しただけであるLGBTの理解増進法案などキリストさんは関係ない我々には余計なお世話だ)。科学技術=軍事力を盾とした「科学文明の進歩=正義」の価値観に東洋は屈し、真っ先に対抗した日本はロシアを倒して西洋人の「タタールのくびき」のトラウマを呼び覚まし徹底的に叩かれた。それに学んだ中国、北朝鮮が核武装して今がある。

少なくとも西洋をビビらせている中国は大したものであり、世が世なら我が国の道であったと明治の歴史観でアジアを下に見たがる日本人は面白くないから嫌中になったり自虐したりする。それでは「酸っぱいブドウ」のキツネなみである。チャーチルは「英国の歴史はカエサルが上陸した時に始まった」と言ったが、僕は「日本の歴史は唐(郭務悰)が上陸した時に始まった」と言いたい。唐はシルクロードとつながり、モンゴルの遊牧民・鮮卑が建国し、トルコ系遊牧民・突厥、中央アジアでイラン系・ソグド人、ペルシア人も朝鮮人も漢人もいた多民族国家であり漢民族王朝ではない。嫌中派も自虐派も、唐の上陸から倭国は瞬く間に律令国家となり、何よりそこで国号を「日本」としているのだから英国よりずっと国体の変革があったことは認めるだろう。それを占領されたと自虐なんかするのでなく(だって自ら遣唐使だして学びに行ってたんだから)、英国流にスマートに逆手に取るのである。

そもそも現在の中国と唐は同一の人種構成の国でない。だからこれは日中同祖論ではない。チャーチルは英国が古代ローマ文化圏にあり、末裔の一部でもあり、その歴史と叡智を継承する国であると言っているだけで、だからといってイタリア人と同じ遺伝子だというのでもなく、まして子分でも属国でもないわけだ。日本が中国にそれを主張し、さらに我々には唐の血だけでなく1万5千年も栄えた縄文人の血も入ってるということだって可能だ。僕のチャーチル評価は良くも悪くもあるが、政治家としてスケールはでかくノーベル文学賞をとったのも文筆力は折り紙つきだったということ。日本の現総理はというと大企業の庶務課長代理みたいで見るも不快であるが、そのぐらい習近平にぶちかませる大物が現れないだろうか。

個人的には中央アジアに惹かれるし(行ったことないが)直感的本能的に他人事と思えない。だからシルクロード、多民族国家の唐と聞くとたまらないのである。きのうは池袋の火焔山に行ってしまった。ファストフード風の店だが回族などイスラム系住民の食べ物である蘭州牛肉麺の名店である。パクチー、青梗菜、もやしをどっさり乗せ、あっさり系のスープに辣油の辛味が三角麺に絡む。ちなみに漢方がはいってるらしい。旨い。蘭州は西安(唐の長安)の西方でシルクロード上に位置する一都市だ。一度行かなくてはいけない。

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世界のうまいもの(その14)《エシェゾー》

2021 OCT 25 21:21:26 pm by 東 賢太郎

フランスのブルゴーニュ地方、ヴォーヌ=ロマネ村周辺に著名な畑がいくつかあるがそのひとつが誰もがご存じのロマネ・コンティだ。その他ラ・ターシュ、ロマネ・サン・ヴィヴァン、エシェゾーも全部がピノ・ノアール種だが値段は10倍ぐらい違う。ちなみに僕はワイン通でも何でもない。酒は飲めないし味もわからない。以上のことはネットにあるソムリエさんなどの記事の受け売りである。

ただ接待で半端でない数の高級ワインを消費はしている。「君ね、彼女の前でいい格好したかったらワインは『一番高い白をもってこい』とソムリエにいいなさい。するとコルトン・シャルルマーニュが出てきて5万円ぐらいですむからね。間違っても赤はだめだよ」なんて下世話なアドバイスはできる。ロマネ・コンティはいまは200万円もしているらしく、赤もってこいといってこれ出されたらアウトだ。

ソムリエさんも「さすがに飲んでない」と正直に書いておられるそれを何度も飲んでいて恐縮だが、日記に書いてもいないところをみると仕事の流れ作業でさしたる感動もなかったと思われる。悲しいものだ。値段はというと、当時は数十万ぐらいだったはずだ。さすがに200万なら野村とはいえ出さないから間違いないだろう。記憶しているのは「自分で買って家で飲んでたエシェゾーとそう変わらんと思ったことだ、だから書き留めなかったのだ。

バリュー投資家である僕にとって当然のこととして、高いからうまいと思ってる奴は馬鹿だという主義であり、上記アドバイスは彼女も君もそうであればという前提に立っている。逆に200万円とあまり変わらん(少なくとも自分は判別できない)なら3万円ぐらいのエシェゾーは安いよねという結論に至るのである。僕はボルドー派なのでどうでもいいのだが、「ロマネのなんちゃって」で3万円払う気なら年によってはおすすめだよぐらいはいえる。

ここでテロワールの話になる。くりかえすが、エシェゾーはヴォーヌ=ロマネ村周辺のピノ・ノアールであるわけだ。ワインのテーストは基本的にブドウの品種によって決まるが、同じ品種でも畑の地理、地勢、気候、栽培法によって別物になり、そっちのほうをテロワールと呼ぶ。品種によってその影響度合いは違い、ピノ・ノアールやリースリンクは敏感で大きく、カベルネ・ソーヴィニヨン、メルローは少ないそうだ。

ということは僕の舌はブドウの品種以上の領域は判別できていないことになる。これはいい塩梅の素人ではないかと思う。3万円でロマネ・コンティと思いこめたら197万円も得する上に学ぶ金も時間もセーブでき一挙両得であるからだ。ロマネをブラインドで当てられない人が200万円払うよりはずっと賢いお金の使い方と思うのだ。どうもテロワールという概念は株式投資におけるPERに近い気がしてならない。確かに存在はするのだが定義はできない、ワインマーチャントのスプレッドの源泉ではないかと思うのである。

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印度カリー子さんと神保町の深い関係

2021 MAR 29 1:01:55 am by 東 賢太郎

ユーチューバーである印度カリー子さんの番組はとても人気らしく、娘がそれを見て作ったチキンカレーはなかなかだ。市販のルーではこういう味は出ないし、それをカレーと思って生きてきた世代からするといろいろ感慨深いことがある。

(1)キッチン南海

インド料理店というと今はそこかしこにあって不自由しないが、昭和40年辺りに家庭にない味のカレーとなると新宿の中村屋と神保町のキッチン南海の2つだった。南海は洋食屋だがカツカレーの元祖であり、においにつられていつもそれになってしまうから他のメニューは食ったことがない。神保町のすずらん通りは一橋中学の目と鼻の先でいつも好奇心で横目に眺めていたのが懐かしい。なにせ校則が厳しいので有名な学校で、制服で学校の目を盗んで入る勇気はなかったからあのなみなみと盛られた黒っぽい名品にはまって通ったのは後の駿台時代のことである。どうしても解けない数学の問題を考えながら、このスパイスはなにやら頭が冴えるなあ試験直前に食いたいものだと思った。コロナのせいかどうか、昨年に閉店と聞き驚いたが再開の報にほっとしている。

(2)新宿中村屋

新宿中村屋のほうはと調べると1901年創業の老舗で高野フルーツパーラーのとなりだ。どっちで食べたのか、子供心にチョコレートパフェやフルーツポンチの方が大事でありカレーはというと南海の病みつきになるインパクトに比べるならあんまり際立った印象はなかったように思う。ただ、ここでは「カリー」というのか、なんか変だなとは思った記憶がある。その疑問が解けたのは河出文庫の「インドカレー伝」を紐解いてのことだ。著者リジー・コリンガムによるとこの食べ物は18世紀あたりの東インド会社の現地駐在員だった英国人たちが香辛料のきいたベンガル料理の美味を忘れられず、インド人コックを連れ帰って作らせたことでロンドンで広まったものだ。だからインドにカレーという料理はなく、実はれっきとした「英国メシ」である。語源はポルトガル人が香辛料を呼んだカリル(Karil)であり、それが英語化してCurryになった(同書183ページ参照)。英国の発音はカァリィである。したがって、日本語のカタカナという極めてアバウトな表記法においては「カリー」が最も近似的だと結論されてしかるべきである(カリー子さんは正しくコリンガムの本の標題は失格ということになるが、日本ではカレーなのだから方便だ。ビートホーフェンじゃ誰もわからないからベートーベンになるのとおんなじ。ベンかヴェンかは目くそ鼻くそ。本稿もそれでいく)。中村屋は銀のソースポットで麗々しく供するのが当時はいかにもそれっぽくステキで、英国メシのルーツを正しく体現していたと評することができるがその割にライスは白米である。英国人はソーホーでこんな食い方はしない。印度式を和の食文化に同化させたはしりと言うのが正しい評価だろう。ほかにも、ハンバーグ、グラタン、ナポリターノなどの洋食メニューがあって、南海が洋食屋である源流のようなものでもあるかもしれない。クリームパン、中華まんじゅう、月餅までがメインストリームの売れ筋であって、そこまでくると戦前の輸入食材のごった煮の観がなきにしもあらずであり、親はファンだったが僕としてはカリーの本格感にやや不満があった。

(3)アジャンタ

こんなものだったらしい、覚えてないが

そこでいよいよ本場物となると、老舗中の老舗アジャンタの登場だ。創業は昭和29年。今は麹町にあるが以前は九段下にあって母校のすぐ近くだった。外観は高校生には敷居が高く、なにやら異国感があって謎めいた存在だった。いまだインドに行ったことはないが、九段にはインド大使館があったしここに連れていかれて恐る恐る味わったのが初のホンモノだったのだろう。その料理とお味だけは鮮烈に覚えているが、相手が誰だったかは申しわけないが忘れてしまった。「チキンカレー」と注文して何が来るかと思ったら骨付きが真ん中にごろんとあって、カレーは黄色くてやけにスープっぽい。なんだこれはと思ったが、口に含むと味も辛さも衝撃のうまさだった。たしか千円ぐらいで高くて二度と行けなかったが、それから半世紀たって九段から移転した麹町本店へ行ってみた。まだこんなに覚えているんだからと期待値が高すぎたんだろう、あの衝撃はもう訪れなかったが充分に一級品のお味ではあった。

(4)神田神保町

僕が大学の頃の神保町

外食のカレー文化はちょっと取りすました九段からすぐお隣のごちゃごちゃした神保町へ伝播していく。すると一気に庶民派の日本食になってしまうのだから実に面白い。神保町については以前も書いたが僕の庭であり心の故郷でもある。この地に満ちている内外文化のぎりぎり下品に陥らない「ちゃんぽんな感じ」は他所に類がない。それはあそこが200件近い古書店の街だからであり、それも古本屋でなく古書店であるという凛としたたたずまいがそうさせていると思われる。東洋系、西洋系、理系、文系の多様なジャンルに各店ごとの個性があって、学者が店主というわけでもなさそうなのに大変にアカデミックだ。後に諸国の大都市はほとんどめぐったが、ああいう街は世界のどこにもない。明治以来の外国の文物への渇望が渦巻くようで、それが役人や学者だけでなく庶民レベルでのことだから商売が成り立って古書店街が形成されたわけである。日本ってすごい国でしょ。外人を案内すると必ずここに連れてきたものだが、みんな納得してくれた。

神保町交差点からすぐの、今は新世界菜館が建っているあたりに洋書店があって、そこで春の祭典と火の鳥の指揮者サイズの管弦楽スコアを買った。ホンモノを手にした感動の瞬間である。高校生にとってなんて知的刺激に満ちた街だったんだろう。中・高とここのちゃんぽん文化にどっぷりつかって育ったので、野球に明け暮れて勉強はお留守だったが精神だけは乗り遅れないですんだ。そればかりか西洋は遠い所という感じがなくなっていたと思われ、それが後に海外勤務になる無意識の端緒だったのだろうかと思わないでもない。そう考えるようになったのはつい先日のことで、「行きたかったわけではないよ」と子供にいうと家内に「ちがうでしょ。だって留学したいから野村に行くって言ってたわよ」と直撃を食らったからだ。なに?そんなの記憶にございませんよ(株が好きだったからと思ってる)。言った言わないは家内に負ける。欧米に強烈に憧れちまったのは確かだ、そういうのもあったかもしれない。そうだとすると入社の動機はやや修正が迫られるから一大事だ。人生航路まで決めていたとなると神保町の影響力は破格で、「くびき」とでも呼ぶしかない。

(5)石丸電気

神保町のくびき。実に根深く強い。三つ子の魂なんてもんではない。今でもあのあたりを歩くと古書店が知の殿堂に見えてくる。僕には東大やペンシルベニア大の図書館よりそう見えるのである。そして三省堂から神田方面に10分も歩くと秋葉原で、そこには今はなきクラシック音楽の殿堂、石丸電気が鎮座していた。2号館の隣りのビルはいつも正露丸の匂いがぷ~んとたちこめており、もとより終戦後のバッタ屋街だったアキバなる場所柄からしてクラシック音楽にふさわしいとはお世辞にも思えないのであるが、でも、そうなのだ。それって、まるで神保町がカレー激戦区になったみたいなもんではないか。古書店街は輸入洋書のメッカでもある。火の鳥のスコアも洋書だ。ということは、プラットホームの神保町とコンテンツであるストラヴィンスキーのイメージがかけ離れていても問題ないのだ。アキバの電気屋がスピーカーやアンプを扱うのは自然で、ハード売り場にソフトがくっつくのもこれまた自然であり、しかもそこには膨大な数の輸入盤が並んでいた。石丸で買ったのはほとんどがそっちだったが、値段や音のこともあったがその辺の深層心理が働いたのかもしれない。国内盤の帯に「カラヤン入魂の第九」やら「フランスのエスプリ、クリュイタンス」なんてくさい言葉が躍るのがいかにもチープで、俺は中村屋でも南海でもない、アジャンタ派だぜというもんでせっせと輸入レコード、CD、レーザーディスクを買い集め、家に石丸の売り場みたいな部屋がひとつできてしまった。それも深淵を辿ると神保町の古書店の書架のたたずまいに似ていないでもない。やはりくびきに発していたのかと恐るべしの心境である。

(6)印度カリー子さん

印度カリー子さん

その威力はいまやカレー渉猟にまで達していて、普通のでは満足しない。漢方薬みたいな正露丸の薬味が混じっていてもいいとさえ思う。印度カリー子さんはスパイス料理研究家で東大院生でもあるらしく、肥満症とスパイスの関係についての研究もしていますとネットに紹介されている。youtubeの動画を拝見すると料理は実に手際よく無駄のない合理主義者のようであり、何事もこういうタイプの人に習うのが近道である。ヒマになったら弟子になってスパイス研究してみたいなと思わせるものがある。

(7)エチオピア・ビーフカリー

最近気にいってるのはエチオピア・カリーだ。エチオピアにカレーはたぶんないだろうが、たしか元はエチオピア・コーヒーのお店だったのが、出してみたら好評でそうなったときく。珈琲店がカレーに転身するのはアジャンタもそうで正統派ともいえよう。店では0辛から70辛まで選べるが、辛さが売りというよりスパイスの調合が独特で味がユニークでクセになることを評価したい。写真のビーフはまさに激辛だから苦手な人はマイルドな方をすすめる。場所は明大から三省堂へ下る途中の右側ですぐわかる。カリー子さんのご評価を伺ってみたいものだ。

 

学生街回想-いもやと鶴八の閉店-

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世界のうまいもの(その13)《ラーメンと町中華》

2020 NOV 15 19:19:45 pm by 東 賢太郎

野球の帰りに自由が丘あたりにさしかかって、無性にラーメンが食べたくなり車を停めた。東京ドームで焼肉弁当を平らげたばかりだが、半年食べてなくて飢えていた。それと、最近SMCに入られた歯科医の松下さんが好きなものに「ラーメン屋散策」をあげておられて刺激になったのもある。

そこで駅近の「無邪気」に入り味玉ラーメンを注文した。めったに出歩けないというのもあってつい大盛にした。すると麺が山盛りであふれてるのが登場し、おやじは僕をちらっと見てどうせ食えねえだろという顔でカウンター越しに差し出したものだ。うまい。別腹とは恐ろしいもので一気に完食してしまった。

ラーメンは大学時代の日常食だった。西片に下宿して志村坂上の病院長の息子さんの家庭教師をしていた。行くと夕食をごちそうになったが、それ以外の日は農学部の前に「大鵬」、正門の前に「一番」という町中華があって(今も健在)ずいぶんお世話になった。それが僕のラーメンの原点でもある。

だから今もって外で夕食時になると恋しく、たとえば渋谷へ行くと名店である「兆楽」に寄ることになる。香港から帰国した20年前からだから古い。タワーレコードでCDを買うとここでソース焼きそばにギョーザというのがルーティーンになっていた。当時はセンター街の2階にあったが今は道元坂下にある。

兆楽は我が国の食文化にいったん融合されて日本食と化した町中華と路線が違い、中華料理直系の味と食感を残すその廉価版というべきユニークな存在だ。ラーメンという日本食はその融合の過程で生まれたと思っているが、ここへ行くと実感できる。くせになるほどうまい、只者ならぬ店である。

さてその場所だが、酔っぱらいがふらつく井の頭線のガード下あたりである。ここは大学から歩け、麻雀をやらない日は仲間と焼き鳥屋なんかにたむろして夜中まで飲んでいた庭だ。そこでカウンターに一人座り、あの日に帰ってレバニラ炒め定食にビール。周りは誰も知らない。なんてゴージャスな時間だろう。

学生時代の金欠状態は会社に入ってもしばし変わらなかった。3年たってアメリカに留学したらさらにカネがなかった。フィラデルフィアで世話になったのはやっぱり米国版の町中華だ。英国人あるところゴルフ場ありだが、中国人あるところ中華街ありだ。その後も同様に海外でどれだけ救われたかわからない。

香港には2年半いて、ここは島全体が当たり前だが中華街である。町中華は手抜きバージョンで、それにカネをかけるとここまで行くかと感動したがその解釈は間違いだった。同じもののA級、C級ではなく本家、分家なのだ。インド料理とカレーライスの関係ほどに「似て非なるものだ」ということがわかった。

つまり中国にラーメンという食べものはない。米国の町中華にもない。老麺、拉麺だというもっともらしい説もあるがモノをみれば別物とわかる。その証拠に香港での名称は「日式拉麺」で日式は日本式という意味だ。この命名をそのまま裏返すと我々はラーメンを「支那そば」とでも呼んでやるのが正しいのである。

この本家・分家の関係は音楽においても当てはまることを賢明な読者は見抜かれるだろう。中国料理をクラシック音楽とするなら町中華は演歌・歌謡曲であって、町中華の醤油ラーメンが味噌や塩や魚介へと進化した創作ラーメンがJ-ポップなのだ。その3つは血がつながった親類ではあるが、似て非なるものだ。

そのどれが好きかといえばどれもとなるが、あえてひとつなら考える。大学、社会人まで外で世話になっていたのはC級メシなのだ。まともな料理を自腹で好きに口にできるようになったのは30才を超えてであり、A級となるともっとあとに接待で覚えた。僕は庶民の子であり、それは食に投影されている。

家計を助けようと革細工教室をやっていた母は帰りが夕方で、手軽だったんだろう洋食系の夕餉が多かった。だから僕は今でもソース派だ。ソースの出番がない懐石やフレンチを家で食べたいとはぜんぜん思わないし、接待していただくなら豪勢な中華料理よりも野菜炒めにソースOKな町中華がうれしい。

このことは音楽でもそうだ。クラシックが趣味というと金持ちのボンという色眼鏡で見られる。とんでもない。クラシックは僕にとって10万円の維新號や聘珍楼のふかひれコースみたいな「A級メシ」である。そんなリッチなものを食べて育ったわけでもないし、今も家で食べたいわけでもない。

ブログでそういうイメージになってるとするとフェークニュースの部類だ。子孫に残すために書いており、文字にするとなると津軽海峡冬景色やブルーライト・ヨコハマよりどうしてもクラシックになる。人類に永遠に「語られる」音楽だからだ。語られないけれど肌身にしっくりくる曲が大事でないわけがない。

たとえば美川憲一の「柳ケ瀬ブルース」、ロス・インディオスの「コモエスタ赤坂」、内山田洋とクール・ファイブの「長崎は今日も雨だった」、鶴岡雅義と東京ロマンチカの「小樽の人よ」、黒沢明とロス・プリモスの「ラブユー東京」など、永遠に心に残る名曲だ。たぶん語ることはないだろうが。

なぜかというと、あまりにシンプルでプライベートで、語る意味がない。たとえば猫というと僕はペルシャやシャムはだめで和猫専門だ。なぜか?かわいい。それとおんなじで、語っても「好き」のひとことで終わりなのである。町中華とラーメンと歌謡曲は実に和猫の地位にある。理由はないが、僕の中では最強だ。

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金持ちの「三種の神器」

2019 AUG 20 18:18:01 pm by 東 賢太郎

ピンときたらすぐ自分のカネで札入れします。そうしないといい物件は絶対に取れません。

不動産はそういうものかと知ったのは最近のことだ。大阪のオフィスにH氏を訪ね、物件を見せてもらった。

最上階のオンリーワンです。3億5千万で仕入れましたが今なら4億つきます。

H氏の目利き力が尋常じゃないのは初めてお会いした日から感じていた。僕はこういう物件の値段はピンとこないが、人の能力にはくるようだ。

昨晩、氏のご相伴にあずかった北新地は東京なら銀座である。新人時代には通り抜けるのも敷居が高かった。こんな所のビルは誰が持ってるのかと思っていたが、3本は氏のものだった。僕より一回り以上お若いが見上げたもので、数台所有される高級車は1台5千万円だ。

こう書くと眉をひそめる方がおられようし、僕もそういうことで氏に関心があるのではない。不動産業は目利き力がすべてだからである。そういう商売であり、だから優良なお客さんがつく。世の中の原理原則として誰だって能力はまず自分のために使う権利がある。経営者本人が貧しいのにいい物件ありますなんてどこの誰が信じようか。功なり名を上げた経営者は自分が富豪になっているが、自叙伝に「他利が大事」と書く傾向がある。ウソとはいわないが、その黄金の権利を放棄しても競争を勝ち抜けるずば抜けた能力とインセンティブがあるなら読者ははじめからそんな自叙伝を読む必要がない。

野村スイスの社長をしていたころ、仕事上多くのプライベートバンクの経営者とプライベートにおつきあいをした。ご自身が富豪でない方は一人もいない。自宅に呼ばれるとそれがリゾートホテルであったり、庭の敷地に18ホールのゴルフ場があったりする。そういう世界の人にはそういう世界の人が寄ってきてサロンを形成し、その中で共有される話題や情報がある(ちなみにモーツァルトやショパンはこういう所でピアノを弾いていたのだ)。

プライベートバンクというスイス起源の業態はグローバル市場での合法性において現在では優位性がなくなっているが、サロンは有形無形に存在するし、そこでの人、金、インテリジェンスという富裕層の「三種の神器」の集積分布図のあり方というものは古今東西何も変わっていない。なぜなら、それが「三種の神器」の固有の性質であり、いわば「物理特性」であって、放っておいてもそうなってしまうからだ。その力学を見抜くのが商売というものの本質に他ならない。シリコンバレーの起業家仲間も米国西海岸流のサロンである。日本企業が社員を現地に何人駐在させようと自分の金がない者が入れるはずもない。

日本人はサロンというものをぜんぜんわかっていない。「三種の神器」は守秘性が命なのだ。日本の大企業の社員であることに価値、信用などかけらもない。サラリーマンは上司に報告義務があるからいい話ほどあっという間に社で共有されてしまう。つまりそんな人間に話せばネットで情報公開するに等しいわけだ。日本でブランド外資のフランチャイズとして掲げたプライベートバンクという看板がことごとく失敗に終わった。コンプライアンス問題を起こしたせいが大きいが、まず何より日本人経営者が何もわかっていないからだ。満員電車で通う普通のサラリーマンがサロンのメンバーでありバンカーであるなどそもそもお門違いの定義矛盾でしかない。この世界、マックやコカ・コーラとは違うのである。

日本には日本流のサロンがあるが、物件や証券は債券化、上場をすればサロン性は完全に消える。ローンや未公開株式である段階にしかそれは存在しない。有価証券は倒産リスクから100%自由ということはないが、不動産物件は価値がゼロになることはない上にサロンディールがあり得るという点で興味深い。だから大坂に行ったのである。サロンがどこにどういう形であるかということは三種の神器の守秘性からブログに書くわけにはいかないが、当社はH氏の会社とパートナーとなるから宅建業者にはならないが同じショパンのピアノ演奏を聴くメンバーにはなるだろう。ソナー探知機の能力がさらに増すということだ。

大坂は面白い。本質追求型だ。帰りの新幹線の駅弁にしてもそうだ。僕はこれが好みだが、本来あまり食べない煮物が実にうまい。それも醤油味でなくほんのりした出汁味で具ごとに微妙なバラエティがある。いたずらな高級感ではなく、なんというか、細部まで気が利いている上質感だ。最初はこの薄味でご飯が余るかなと思うが、高野豆腐、昆布巻きは絶品だしちょっとした漬物、豆類にしても「遊び球」が一切なく、全部が全力投球であり、そんなことはない。

 

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世界のうまいもの(その12)-トマト鍋-

2019 JAN 14 22:22:22 pm by 東 賢太郎

三食トマトでオッケーよ

 

うちのノイ様の一番の好物はトマトである。来た時から肉、魚はささ身と削り節ぐらいで、スイカ、メロン、バナナ、梨が主食のベジタリアンだ。猫とのおつきあいは50年にもなるが、こういう猫は初めてである。

 

 

母猫に育てられていないから、この食の好みは遺伝だろうと結論。ではどこがルーツかなと思い、原産地を調べてみた。

トマト 南アメリカのアンデス山脈高原地帯

スイカ 熱帯アフリカサバンナ地帯や砂漠地帯

メロン エジプトで作られ地中海を超えてヨーロッパに渡った

バナナ 熱帯アジア、マレーシアなど

梨   中国

う~ん、共通な場所はないようで、少なくとも日本ではないぐらいしかわからないな。

リビアの位置

 

 

イエネコのルーツはリビアヤマネコだそうだ。リビアといえばアフリカ大陸の地中海側で、国土の大半はサハラ砂漠(の一部)という国である。

 

 

 

 

砂漠気候だから乾燥しているだろう。そうか、スイカ、メロン、バナナ、梨はすべて水分をたくさん含んでいて、喉が渇くとおいしいではないか。

ノイ様の雰囲気がないでもないリビアヤマネコ

 

ということで、猫の中でも群を抜いて気位の高いノイ様は古代の地中海を支配したフェニキアかカルタゴかローマ帝国の姫様の子孫であったという推論に至ったわけである。

 

 

 

 

トマト好きというなら同居人の僕もノイに負けない。トマト料理で嫌いなものはないし、ケチャップをかけて食べるものも全部好物だ。

先日、娘が食事しようというので場所は任せたら、自由が丘のダイニング「SORA(素楽)」を予約してきた。社名が中村修二先生のSORAAに似てるからかと思ったら、「ちがうよ、トマト鍋が有名なんだよ」ということだった。

 

そこで注文してみたら、たしかにおいしい。平田牧場三元豚と野菜(ケール、ターサイ、キヌガサタケ、しいたけetc)で至ってシンプルだが、スープがいい。8分の1に切ったトマトがほかほかになったぐらいをふーふーいってあっという間に平らげ、おかわりまでしてしまった。

家でできないかということになり、やってもらった。そっちもそれなりだ、十分においしい。ノイの気持ちがよく分かった。

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紀尾井町ランチ事情

2018 OCT 14 9:09:26 am by 東 賢太郎

東京で働いたうち大手町では10年を過ごしている。日本橋も2年いたが、どちらかというと総合的には大手町が良かった。ただ困ったのは手軽にいける圏内のランチのクオリティが大変低かったことで、あんなのは食えたもんじゃない。「たいめいけん」や「紙やき」なんてのがある日本橋には数段劣るのである。いけると思ったのはみずほに移籍してよく使った旧興銀本店の鯛茶漬けと大手町ビルB2にある鰻屋の「ての字」ぐらいだ。ガード下のおばちゃんがやってる焼き魚定食屋も気に入っていたがもうなくなっていた。先日行ったら興銀本店ビルも消えていたし、隔世の感ありだ。

かたやそろそろ紀尾井町で8年になろうとするが、この界隈の食は昼夜ともレベルもコスパも高く大手町の比ではない。ランチがどうのというだけではない。それが象徴するわけだがここは永田町お歴々(自民党)御用達の高級お座敷街だ、グレード第一の界隈であってサービスを供する側のコスパはあんまり思慮されてない観がある(もちろんそれは別のところで大きく帳尻があっているのだが)。万事商人がそろばん勘定で地代を決めて住人がしっかり徴収される大手町、丸の内とちがって、紀尾井町では我々居住民までセンセイがたのご相伴にあずかってごっつぁん感があるのが8年の偽らざる実感だ。まあ遠回りの減税かな。

そういう事情もあるとはいえ、なんでかんで大手町、丸の内というのはちょっとみっともない。東京育ちでないお金持ちがやたらと田園調布や成城に住みたがるのとどこか似ていているのであって、僕など紀尾井町の次はそっちなどという気はさらさらないし、この仕事で銀座や築地や品川というのはもっとない。というか、あり得ないのだ。これは東京の人でもわかりにくいし、お袋に仕込まれた感覚のようなものなのだろうと思うがうまく言葉で説明するのは難しいことだ。

日本画家の千住博さんによると、土地、風景というのは行きたい所、遊びたい所、住みたい所、死んでもいい所の4つあるそうだ。僕にとって大手町はそれ以前のカネを稼ぐ所、紀尾井町は住みたい所であるぐらいかけ離れている。そもそも低地が嫌いで、皇居の高地である半蔵門側(FM東京あたり)より元は江戸前の海で低地だった大手町、丸の内が格上だなどという意味がまったくわからない。いま棲みついて10年目になる国分寺崖線ももちろん高地だ。昨日も多摩川の花火を遠目に眺めながら思ったが、死んでもいい所がここかどうかまではまだ知らないが、それが低地になることは金輪際ない。

先週ニューオータニの担当の方に「何かご不満はございませんか」ときかれたが、あいにく全然ないものだから、「とても心地良く過ごさせてもらっています」と答えた。なにせこのホテルは井伊家の屋敷跡で敷地が巨大であり、庭園はもとより建物を散歩しても飽きることがない。おまけに食事の質も不満がない。例えばガーデンコート6階にある「KATO’S DINING & BAR」は奥の料亭「千羽鶴」とキッチンを共有しているから当然うまい。ここのカツ丼は東京で一番である。自民党総裁選で安倍陣営がふるまった「食い逃げ事件」のカツカレー、あれはメインにある「SATSUKI」の3500円のに違いないが、それだけ払うならこっちのカツ丼だと僕は思う。

遅いランチとなると最近はザ・メイン アーケードまで遠出して「ペシャワール」か「トムCAT」にお世話になっている。アーケードという区画はオークラも帝国もそうなのだが今どきはなんともいえぬ異界の風情なのであって、昭和の濃厚な残り香がたまらなくて時々ぶらっと歩きたくなってしまう。そうなると、そこで期待する食もレトロにならざるを得ない。うまくできたもので、そこにそういう軽食がある。ペシャワールのカレーはインド風でもなく店名由来のパキスタン風でもなく、見た目はいたって日本のカレーライスなのだが、香辛料なのだろうか黒みがかった色調の異国的な味がする不思議な食べ物だ。

トムCATは一見ありきたりの洋食屋だが、ここのスパゲッティ・ナポリタンはあなどれない。必須レシピの玉葱、ピーマンにシーフードが適度に加わって風味を添えており、麺の茹で具合も抜き差しならぬ絶妙さでケチャップ味もバランスがとれている。供される熱々具合も文句なしだ。先日は初めてナポリタン以外のカキフライを頼んだが、大ぶりのが4つとライス。あとはポテトサラダとキャベツだけでソースとマヨネーズが同量入った小皿が来る。実に簡素だが、いちいちが心憎い。「これが食たいんだろ?だったらこれだけ食いねえ」と挑まれてる感じがする。中の牡蠣の熱さが見事ですべて計算されている。ただ者でない。白人のきれいなお姉さんが流暢な日本語でサーブしてくれるのも一興。いつもこの人何かなとわけがわからないが、話しかけてみようかなと思うと英語は無粋だなやめとこうという気になるこの空間はやっぱり異界なのである。

たかが昼飯でこれだけ喜ばせてくれる。住んでもいい所なのはまちがいない。

 

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クラシック音楽と広東料理

2018 OCT 8 3:03:13 am by 東 賢太郎

あらゆる芸術において、万人に等しく感動を与える作品というのは存在しないでしょう。あるという誤解は、学校において美術や音楽の授業でそう思い込まされるから拡散しているだけであって、セザンヌやロートレックを観て何の感興も覚えない人はいるだろうし、僕自身がヴェルディやマーラーをもう一生聴けないがいいかと問われてもそうためらいもなくYesといえそうなこともあります。芸術作品は作者と鑑賞者の相性において存在価値が相対的に決まっているものだと思われ、教科書に載っていて幾百万人が名作とほめたたえていようと、自分が最大公約数の一部になる必要など何らない、そういう自由な感性の持ち主のためだけに実は存在していると言っていいほどだと考えます。

料理というものも、他人に食べさせようと誰かが食材を加工して作った場合はすべてがそうですが、一膳の茶漬けであっても調理する人の作品であります。だからそれをいただく側にとって、芸術においてと同じぐらい作者と感性が合うことが大切になるというのが私見であります。万人にとって美味しい料理というのは、極度の空腹状態で食欲を満たすことのみに目的がある場面を除けば存在せず、料理する側の舌の本能やセンスや美意識に共感し、塩っぱい、酸っぱいのような非常にベーシックな部分のいちいちが納得のいかない場合は美味しいと感じることは難しく、作者の美味の定義に賛同できるか否かを自問することがそれをいただくということの実体です。

僕は香港に2年半住んで、仕事がら中国主要都市をくまなく訪問しいろいろな中華料理を食してみました。この経験から僕の「食」に対する考え方は根底から覆えり、医食同源に加えて民食同源(食は土地の人柄をあらわす)という確信に至ることとなりました。例えば我々日本人は四季おりおりの食材に非常に恵まれた国に住むため「旬」にこだわれば美味は足りるという食の世界に古来より住んでおります。この感覚は世界的には少数派であり、精神構造にこの旬感覚が深く根差しているという日本人の感性は欧米人とも中国人とも異なるものです。

和食というと美味の源泉である「うまみ」の塩梅に料理人の繊細な舌が深く関与はするのですが、旬という自然の恵みは人為の及ばぬ生食でこそ生きるという審美性が共有されているため、和食ほどに生ものや生鮮食品が宮廷の膳にまでなる料理は文明国では珍しいと言えます。どこの誰だか知らぬ人が素手で握った生魚を素手でつまんで食うという、それだけ聞けば野蛮でしかない風習を持った民族がネクタイを締め、白人国ロシアを戦争で倒し、世界有数の高度経済成長国となってしまう不可思議の様を僕は白人国から十余年も俯瞰してきたわけですが、和食とは常時ある豊富な山海の幸、上等な水、清潔さを旨とする精神的風土の産物であって、そのものが文化というべきです。

ということは、我々以外の人類の食べる食事は加工(火が通り)され、洗練度が増すほどソース(調味料)に技巧が凝らされるという共通原理に則って進化してきたと考えて大きくは間違っていないというのが16年にわたる海外生活での発見であります。日本にも醤油という立派なソースがあるではないかと思われましょうが、料亭で繊細に味付けされた料理にそれをかけることはありません。多種多様な調味料が料理の多様性を生むという文化におけるソースと、むしろ多種多様な食材をモノクロに染める醤油とはベクトルが逆なのです。

加工法とソースの発展の行く末に君臨するのがフランス料理と中華料理であることはほぼ衆目の一致するところですが、先日のトゥール・ダルジャンのフル・コースの洗練は100%アプリエートしながらも、私見では中華料理に僅差での軍配をあげるのです。もちろん上述のごとく料理人(シェフ)との相性次第であることは論を待ちませんが。我が家にほど近かった上野毛の吉華が閉店してしまい、ここは親父さんと相性が良かったので残念なのです。フレンチが「誰にとっても美味」な絶対性、ユニバーサルなものを目指す料理であるなら、中華はマンツーマンの美味なる相対性が入り込むユルさがあるのが魅力です。

フレンチと我々が認識しているものはレストランなるパリ起源の特殊環境で味わう食味であって、ああいう著しく手の込んだものを一般家庭のフランス人が日々食べているわけではないのは我々にとっての料亭の懐石料理と同じです。だからC級のフレンチ食堂みたいなものは存在しない。フレンチはフランス革命によって料理ギルドが解体され市民階級に模倣され流布した宮廷料理が起源だからB、C級というものは定義矛盾なのです。その点は貴族の専有物だったがやはり市民革命によって民間の娯楽になっていった音楽が、パブやキャバレーのBGMにはならずクラシック音楽と呼ばれるジャンルになったのと似ています。

しかし中華はそうではなく、宮廷料理から農民食のB、C級まであったものが長い年月をかけて混合し選別、洗練されていったものです。地方ごとに言語、文化が異なるように食も各様でありますが、やはりそこには都鄙があって、私見では本流は「食在広州(食は広州にあり)」の広東料理(南菜)です。広州の街中の市場ではまさに四つ足は椅子以外は何でも食材で売られており猫までいたのはショックでした。だからC級の食堂では何を食っているのか知れぬ不気味さに満ち、宮廷のある北京でなく帝都に程遠かった地で食欲を満たすにとどまらず際限ない美味の探求が行われたという民衆のエネルギーの凄まじさが底流にある。その頂点にある広東料理なるものの奥深さは探求に足ると知れてくるのです。

僕にとってホンモノの広東料理を東京で味わうのは諦めに似たところがあります。食べたければ香港に行くしかなく、飲茶でもそのクラスの腸粉、襦米鶏、鼓汁蒸排骨がない、海鮮定番の白灼蝦(ゆでエビ)がないなどの渇望は仕方ありませんが、値段を気にしなければ「横浜聘珍樓」、都心ならウエスティン恵比寿の「龍天門」というところが気に入ってます。昨日は家族で龍天門でしたが「きぬがさ茸 干し貝柱 えのき茸入りスープ 」が絶品、「スジアラの強火蒸し 特製醬油」(香港でガルーパ)も本家のクオリティでした。

素晴らしかったのは「皮付き豚皮付きバラ煮込み」です。肉の美味と食感がまず絶妙であるのは良しとして、甘いソースのわきにひっそりとマッシュト・ポテト(と思われる)が添えてある(写真は違う)。これが口に広がる、それ自体はどうというものでもない風味のコンビネーションが予想外であって、うまい言葉が見つかりませんが、豚肉・ソースとは全く異質異次元の素材が完璧に一体化したアンサンブルとでも書くしかありません。

これを口にした瞬間に脳裏に浮かんだのがドビッシーのオーケストレーションです(即座にそう妻子に言ったが誰もわかってない)。「ペレアスとメリザンド」にも「管弦楽のための《映像》」にもある、真に独創的でマジカルな音色というもの、楽器の合成でいうなら例えば、交響詩「海」の第1楽章のコーダに入る直前の旋律を奏でるチェロ独奏とイングリッシュホルンのユニゾン(!)という恐るべき着想。あれですねこれは。このシェフはいいと感じる瞬間なのです。こういうことは中華と呼ばれるジャンルにおいては広東料理のみで起こると言って過言ではない。だから「奥深さは探求に足る」と書くものであります。

ただ、だからといって広東料理が中華を代表するわけでもなくそこは好き好きで、僕は四川も貴州も上海も大好きなのだからややこしい。唯一比肩するのがフランス(宮廷)料理になる点においてその他中華とは別物となるのが広東だということです。広東と音楽はそういう次元で明確に通じているように思いますし、ではどうして広東がそうなったのかというとそこは料理家にうかがってみたいことでよくわかりません。

そんな面倒なことを考えて飯を食ってるなんて変な奴だと思われてしまいそうですが、一膳の茶漬けのほうが美味と思うこともあるし広東、フレンチを無性に欲することもある。すべては好奇心です。中華、フレンチはもちろんカレー、コーヒー、塩、砂糖、香辛料の歴史本を読み、知るとまた食べたくなって、どうしてこんなに美味しいのかとまた歴史を読む。項羽、劉邦、ナポレオンがこれを食っていたかもしれないと思うとまた食べたくなる。際限なく入ってしまい、そういえばクラシック音楽もそうやって深みにはまったのだと思い出すのです。

 

クラシック徒然草ー 憧れの男はロッシーニであるー

 

 

 

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フォーレ「マスクとベルガマスク」作品112

2018 FEB 3 13:13:01 pm by 東 賢太郎

僕は料理と音楽は本来がローカルなものと思っている。ブイヤベースはマルセイユで、チョリソはマドリッドで、ボッタルガはサルジニア島で、麻婆豆腐は重慶で、天九翅・腸粉は廣州で、ビャンビャン麵は陝西省で、カルボナーラはローマで、グラーシュはブダペストで、鮒鮨は湖東で、真正に美味なものをいただいてしまうともういけない。腸粉とはワンタンの春巻きみたいな飲茶の一品で下世話な食だから東京の広東料理店で出てこないが非常にうまい。

チャイニーズは地球上最上級の美味の一部と確信するが、中華料理などというものはない。地球儀の目線で大まかに括ればユーラシア大陸の北東部の料理という程度のもので、同じ目線でヨーロッパ料理と括っても何の意味も持たない。少し狭めて北京料理はどうかというと、内陸だから良好な食材はない。ダックは南京からサソリは砂漠からくる。貴族がいるから美味が集まった宮廷料理であって、我が国の京料理と称されるものの類似品だ。

中華といわれるのは八大菜系(八大中華料理)の総称で、八大をたぐっていけば各地のローカル料理に行きつく。それを一次加工品とするなら京料理や北京料理は二次加工品であって、大雑把に言うならヨーロッパ料理のなかでルイ王朝の宮廷料理として確立したフランス料理はイタリア料理を一次加工品とする二次加工品だ。少なくとも僕の知るイタリア人はそう思っているし歴史的にはそれが真相だが、パリジャンは麺をフォークに巻いて食うなど未開人と思っている。畢竟、始祖と文明とどっちが偉いかという不毛の戦いになるが、イタリア料理と僕らが呼ぶものが実は中華料理と同様のものだとなった時点でその議論も枝葉末節だねの一声をあげた人に軍配が上がってしまうのだ。

インドカレー伝(リジー・コリンガム著、河出文庫)を読むと、インドにカレーなどという料理はなく、それは英国(正確にはロンドン)のインド風(起源)料理(二次加工品)の総称であり「400年にわたる異文化の衝突が生んだ(同書)」ものとわかる。食文化というものはローカルな味の集大成であって、その進化は富と権力の集まる都市でおこるとは言えるのだろう。しかし、世界有数の都市である東京に洗練された食文化はきっとあるのだろうがそこで育った僕が山形の酒田で漁師料理を食ってみて、長年にわたって刺身だと思ってきたあれはなんだったんだと軽い衝撃を覚えるわけだ。

海外で16年暮らしていろんなものを食べ歩き、食を通じて経験的に思うことは、文化というものはなんであれローカルな根っこがあってそこまで因数分解して微視的に見たほうが面白いということだ。美しいとまでいうべきかどうかは自信がないが、素数が美しい、つまり同じ数字だけど「100,000」より「3」が好きだと感じる人はそれもわかってくださるかもしれない。素数が 1 と自分自身でしか割れないように、刺身は割れない。一次加工されていても大きな素数、23、109、587の感じがする鰹昆布ダシ、魚醤のようなものがある。割れないものは犯しがたい美と威厳を感じる。

咸臨丸で来たちょんまげに刀の侍一行の隊列を初めて目にした当時のサンフランシスコの新聞がparade with dignityと賞賛しているのはそれ、割れない美と威厳だったろう。いつの間にかそれがカメラと眼鏡がトレードマークのあの姿に貶められてしまうのは相手のせいばかりではない、敗戦を経て我々日本人が信託統治の屈辱の中、割れてしまった。アメリカに尻尾を振ってちゃらちゃらした米語を振り回して仲間に入れてもらって格上の日本人になったと思っている、そういうのは米国人でなくても猿の一種としか見ないのであって、dignityなる語感とは最遠に位置するものでしかない。

音文化である音楽というものにもそれがある。ガムランにドビッシーが見たものは「割れない美と威厳」だと僕は思っている。ワーグナーがトリスタンでしたことは「富と権力の集まる都市でのローカルな味の集大成と進化」であって、ドビッシーはそこで起きた和声の化学変化に強く反応し、やがて否定した。彼は素数でない領域で肥大した巨大数を汚いと感じたに違いない。だからガムランに影響されたのだ。音彩を真似たのではない、本質的影響を受けた。ワーグナーやブラームスやシェーンベルクにあり得ないことで、この議論は食文化の話と深く通じている。

先週行ったサンフランシスコのサウサリート ( Sausalito、写真 )がどこかコート・ダ・ジュールを思わせた。モナコ、カンヌ、ニースの都会の華やぎはなくずっと素朴で質素なものだけれど、なにせ暫くああいう洒落た海辺の街にご無沙汰している。

どこからかこの音楽がおりてきた。ガブリエル・フォーレの『マスクとベルガマスク』(Masques et Bergamasques)作品11274才と晩年のフォーレは旧作を大部分に用いたが、後に作品番号を持つ旧作を除いた「序曲」「メヌエット」「ガヴォット」および「パストラール」の4曲を抜き出して管弦楽組曲に編曲している。

第3曲「ガヴォット」および第4曲「パストラール」はその昔、学生時分に、何だったかは忘れたがFM放送番組のオープニングかエンディングに使われていて、僕の世代ならああ聞いたことあると懐かしい方も多いのでは。当時、憧れていたのはどういうわけかローマであり地中海だった。クラシック音楽を西欧の窓口として聴いていたのだから、そういう回路で番組テーマ曲が思慕するコート・ダ・ジュールに結びついて、記憶の番地がそこになってしまったのだと思うが、しかし、ずっとあとで知ったことだが、この作品はモナコ大公アルベール1世の依頼で1919年に作曲され、モンテカルロで初演された生粋のコート・ダ・ジュール産なのだ。

地中海、コート・ダ・ジュールにはマルセイユ、ニース、モンテカルロにオーケストラがあるが、カンヌのクロード・ドビッシー劇場を本拠地とするL’Orchestre régional de Cannes-Provence-Alpes-Côte d’Azur(レジョン・ド・カンヌ・プロヴァンス・アルプ・コートダジュール管弦楽団 )のCD(右)をロンドンで見つけた時、僕の脳内では音文化は食文化と合体してガチャンという音を発してごしゃごしゃになり、微視的かつマニアックな喜びに満ちあふれた。

ここに聴くフィリップ・ベンダーという指揮者は2013年に引退したそうだがカンヌのコート・ダ・ジュール管弦楽団(なんてローカルだ!)を率いていい味を出している腕の良い職人ではないか。田舎のオケだと馬鹿にするなかれ、僕はこのCDに勝るこの曲の演奏を聴いたことがない。第4曲「パストラール」は74才のフォーレが書いた最高級の傑作でこの曲集で唯一のオリジナル曲だ。パステル画のように淡い色彩、うつろう和声はどきりとするほど遠くに行くが、ふらふらする心のひだに寄り添いながら古雅の域をはみださない。クラシックが精神の漢方薬とするならこれは鎮静剤の最右翼だ。この節度がフォーレの素数美なのであって、ここに踏みとどまることを許されない時代に生まれたドビッシーとラヴェルは違う方向に旅立っていったのである。

こう言っては身もふたもないが、こういう曲をシカゴ響やN響がやって何の意味があろう。ロックは英語じゃなきゃサマにならないがクラシック音楽まで英語世界のリベラリズムで席巻するのは勘弁してほしい。食文化でそれが起きないのは英米の食い物がまずいからだと思っていたが、音楽だって英米産はマイナーなのだから不思議なことだ。これは差別ではないし帝国主義でも卑屈な西洋礼賛とも程遠い、逆に民族主義愛好論であって、文在寅政権が危ないと思っているからといってソウルの土俗村のサムゲタンが嫌いになるわけでもない。なんでもできると過信した薩摩藩主・島津斉彬が昆布の養殖だけはできなかったぐらい自然に根差したことだと僕は思っている。

じゃあN響はどうすればいいんだといわれようが、それは聴衆の嗜好が決めること。僕のそれが変わるとは思えないが多数の人がそれでいいと思うならフランスから名人指揮者を呼んできて振ってもらえばいい。相撲はガチンコでなくていい、場所数が多いのだからそれでは力士の体がもたないだろう。だから少々八百長があっても喜んで観ようじゃないかというファンが多ければ日本相撲協会は現状のままで生きていけるが、オーケストラも相撲と同じ興業なんだとなれば僕は退散するしかない。音楽は民衆のものだが、お高く留まる気はないがクラシックと呼ばれるに至っているもののお味を民衆が楽しめるかどうかとなると否定的だ。相撲が大衆芸能であるなら一線が画されてしまう。「割れない美と威厳」を感じるのは無理だからだ。

余談だがシャルル・デュトワがMee tooでやられてしまったときいて少なからずショックを受けている。訴えが事実なら現代の社会正義上同情の余地はないが、日本で聴いた空前絶後のペレアスを振った人という事実がそれで消えることもない。日本のオケでああいうことのできる現存人類の中で数人もいない人だ、日馬富士が消えるのとマグニチュードが違うといいたいがそう思う人は少数なんだろう。エンガチョ切ったの呼び屋のMee tooが始まればクラシック界を撃沈するムーヴメントになるだろう。いいシェフといい楽士は貴族が囲っていた、やっぱり歴史には一理あるのかもしれない。

上掲のフィリップ・ベンダー指揮レジョン・ド・カンヌ・プロヴァンス・アルプ・コートダジュール管弦楽団のCDからフォーレ「マスクとベルガマスク」作品112を、ご当地カンヌの写真といっしょにお楽しみください。

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世界のうまいもの(その11)-スパゲッティ・ナポリタン-

2017 AUG 14 13:13:11 pm by 東 賢太郎

スパゲッティ・ナポリタンという料理がナポリにないのはよく知られている。ナポリどころか、イタリア料理にはそもそも砂糖入りのスパゲッティは存在しないそうだ。アメちゃんの甘ったるいケチャップをオラが誇りのパスタにかけるなんてハンバーガーと混ぜこぜだぜ、許しがたい暴挙だよとイタリア人がテレビでけっこうマジメ顔でいっているのをききながら、僕はむかし香港で見かけた「ウナギ・ラーメン」を連想していた。もっとも注文する勇気はなかったが。

80年代にマンハッタンの寿司バーで初挑戦したカリフォルニア・ロールなるものに複雑な顔をしていたんだろう、「お若いの、ここはニューヨークなんでね、でもロスのは絶品なんだよ、行ったら食いねえ食いねえ、なんたって本場だからね」と隣の席でマグロのニギリをナイフ・フォークで食ってたカリフォルニアンとおぼしきおっちゃんが教えてくれた。食文化というのは面白い。面白いけど他人のセックスといっしょでジェントルマンは笑っちゃいけない、みんなそれなりにマジメにやってるんだ、奥深いと書いておこう。

スパゲッティ・ナポリタンなる料理は終戦後に米国から横浜に入ったときくが、詳しいことは知らない。アメリカン・パウダーがメリケン粉になった流れだろうか。英語の分際で素直に「ナポリタン・スパゲッティ」でいいのに何を気取ったのかちょっとハイソ感だしたかったのか、形容詞を後にするラテン語風の語順だ。そこまでオスマシしながら日本で思いっきりB級フードに定着していったなんて素晴らしい、ビートたけしがコマネチをお笑いネタにしたようなもので江戸庶民を源流とする我が国のサブカルチャー精神のしたたかさを感じるが、米国東海岸でもスパゲッティなんてのは貧しくて英・独・仏移民にいじめられてたイタリア移民の食い物であって、その昔スペインが支配してたナポリにトマトが上陸した、その流れの末裔と思われるから、遠い東洋の異国でお里に帰ったと思えないでもない。

ご存知かどうか、隣国に「ブテチゲ」(部隊鍋)なるC級フードがあって、朝鮮戦争で米軍と韓国軍の兵士が共同生活の中で手持ちのレシピを一つの鍋にぶちこんだものといわれる。唐辛子スープに肉、野菜、豆腐がはいり、米軍のウィンナーソーセージそして韓国軍のインスタントラーメンが合体するが、それはないだろみたいな無粋なことは誰もいわない。おいしいからだ。いまやB級ぐらいにはランクアップしていて、かく言う僕だってソウルへ行くと必ず一度は食べ、ラーメンは替え玉する。そうか、ナポリタンは伊国、米国のレシピぶっこみの合作みたいなもんだ、そう思えばいい。

そうやって何だかんだいいながら、僕はナポリタンの根強い愛好家である。いや、この下町風情のサブカルフードを愛することに誇りすら覚える。子供のころ「お子様ランチ」が出てくると国旗の立ったライスの横にそれが小さく盛り付けられていて、そのケチャップがライスになじんだ部分が好きだった。家は必ず朝にパンと紅茶で一日が始まる洋食系で、魚が苦手だったせいかナポリタンはお袋の定番のひとつだった。のちに和食を覚えたが、だからといって忘れるはずがない。今日はおごるよ、九兵衛の寿司とどっちでもいいよとなって、迷うことなく駅地下食堂のナポリタンを選択する可能性が三度に一度ぐらいはありそうなハイレベルな所に位置している。

そこまで惚れこむには根強い刷り込みのルーツというものもあって、学生の頃、衝撃を受けたこれ(右)だ。宙に浮くスプーン!持ち上がったアツアツの麺から湯気が立ちのぼっているようで、味はもちろんケチャップの甘い芳香、ハフハフいいながら口に放り込んだ食感までがよみがえって、そそり方が半端でない。このリアリティーへのこだわりたるや、英国の名器で原音再生への高忠実度を売りとするB&Wのダイヤモンド・ツィーター付きスピーカーの精神を彷彿とさせるものである。大阪では喫茶店にまでこれがドドーンとあって、朝から外交に出ても昼が待てずにモーニングセットに釣られてふらふらと足が向いてしまう罪な奴であった。

さて、きのうは従妹がビジネスの相談にのってよと旦那様と家にやって来て、ワインとつまみだけで中途半端な時間に帰ったものだから夕食はどうしようかとなってしまった。そこで天啓のようにひらめいた(というより急に食べたくなっただけだが)のがナポリタンであり、どうせなら自分で作ってみようという意欲がむくむくとわいた。きっとそれがどうしたのというほどのものなのだろうが、恥ずかしながら僕はインスタントラーメン以外は自作したことがない、いまどきレアな男である。

娘の指導で玉ねぎ1/2個、ウインナーソーセージ2本、ピーマン1個を切り、フライパンでオリーブ油で炒めた。これが感動ものだった。この炒(チャオ)という強い火力で水分を中に残しつつささっといためる行為は中華料理の基本ときいたことがあって、そこに秘儀の如き奥深いものさえ感じており、人生で初めてやった手ごたえはひとしおである。ハムは使わない。ウインナーのブテチゲを思わせるB級感が望ましいからだ。あとはスパゲッティ130gを5分ゆでて水を切ってそこに入れ、ケチャップをかけてまぶして10分ほどでおしまい。


結論として、我ながら満足な出来であり(左)、これなら駅地下で出てきても文句は言わんと最大級の自画自賛を娘に送りつつ、10分で皿は空になったのである。ナポリタンは偉大だ。米国に敬意を表しつつこれからはスパゲッティ・アメリカーナと呼ぼう。

 

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