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カテゴリー: ______日々のこと

ある祝賀パーティーで考えたこと

2026 MAY 27 14:14:43 pm by 東 賢太郎

一昨日オークラであるパーティーがありました。高円宮承子女王、菅総理はじめ政財界お歴々に混ってお招きいただき、ほんとうに楽しい時間を過ごさせていただきました。たまたま同じテーブルだった自民党の塩崎彰久衆議院議員が大学、学部、MBAとぜんぶ後輩ということがわかりました。まあそうでなくても僕は遠慮も忖度もないから「俺は高市さんの大ファンだからね」とぶっちゃけ、後で調べたら彼も総裁選の決戦投票は高市さんらしいからまあよかった。「彼女、大活躍で疲れてるだろうね」「いえそれが意外に元気なんですよ」なんて言う塩崎議員も元気だ。油がのりきった49歳。僕から見れば若者であり、素晴らしいナイスガイであります。今度ウォートンの会合に呼んでもらうことになりました。

やがて宴もたけなわになり、司会者のご指名で林芳正総務大臣がピアノ弾き語りでレット・イット・ビーと南こうせつをご披露。とても楽しませてもらいました。思えばピアノが弾ける政治家というと安倍晋三氏もだし、志位和夫氏のショパンのワルツ変イ長調 作品69‑1も立派なもの。海外だと英国のヒース首相はモーツァルトの3台のピアノのための協奏曲をバレンボイム、アシュケナージと第三奏者で商業録音したし、米国のニクソン、フランスのマクロン、ロシアのプーチンもたしなみ、米国のコンドリーザ・ライス国務長官はブラームスのピアノ協奏曲第2番をステージで弾いたようです。もちろんそういう家に生まれ教育も受けてるのですが、国務長官の激務にありながらそれをやってしまうのは想像を絶する超人ですね。政界も財界も官界も世の中にはすごい人がいるものです。

政治家の方々と話して思うのは、ある意味人気商売である、大変な職業だなということです。そこでこう思うのです。ピアノで選挙に当選するわけではない。単なる余技です。にもかかわらず訓練に時間をかけてピアノを弾く。好きでないとできませんね。すなわち、世渡りだけの人ではないという証明なのです。これは人物を知るのに重要な情報と思っています。ピアノでなくてはというわけでもない。高市さんのドラムというのは仕事姿からは想像できない面をお持ちということで、歌いながら叩くドラムは天才的なセンスがあり、歌は僕にとって人類史上最高の女性歌手であったカレン・カーペンターを思い出します。こういう方は政局だけの飲み会なんか出ない。僕に言わせれば当たり前以外の何物でもない。本業に影響ないわけではないですよ。余技で著名な人というと中日の山本昌投手のラジコン好きは有名ですが、僕は投球のことが少しはわかるので、なるほどそれで40台でノーノーやったあのピッチングかと思うので、やっぱり人物を表しているといえるのです。それ一本の仕事師もそれはそれで素敵ですが、僕は多面的な輝きを持つ人に大いに惹かれます。

ただ、芸能人もそうでしょうがいつも人に見られ好感度を保つという人生は楽しい面もあるでしょうがストレスフルでしょう。このパーティーの後、耳にとどいたのは巨人の阿部監督の件です。彼は昭和スタイルで批判されてましたが、昭和であれ令和であれ一流になれるならそんなことは関係ないでしょう。やって実証した男なんだからそうなりたい人はついてけばいいし、そうでない人は自己責任でそれなりの人生を好きに歩めばいいじゃないですか。彼が息子とキャッチボールしてニコリともしないとこれまた批判している人がいますが、だったらお母さんとやって草野球でもしてろ、世の中そんな甘くねえんだってことです。僕も息子とのキャッチボールは笑顔も手抜きもなしでした。うまくしてやりたいと思うからそれが親父の愛情なんで、昭和だなんだなんて馬鹿らしいもほどがある。

普通の人ならニュースにならないかもしれないことが事件になってしまう。阪神に3連敗して明日から交流戦というストレスは我々には計り知れないものがあったでしょうが娘さんにも娘さんの世界があったわけでどうにもならない。プライバシーの領域ですから他人があれこれ言う話ではなく、静かにしてさし上げるのが一番ではないでしょうか。SNSだチャッピーだという時代で有名税がにわかに高くなってきてます。これはもう元に戻ることはありません。政治家の皆様も他人事ではないかも知れず本当にご苦労様です。職業という言葉を感じさせない高市さんが総理をやってるのは、そうした意味でも時宜にかなった登板だったかもしれません。

パーティーの主人公が誰かは調べれば分かることですのであえて書きません。若かりし頃の激動期に長らく苦楽を共にした方であり、今回の栄誉は感無量であります。

我がふるさと神保町風物詩

2026 MAY 14 14:14:04 pm by 東 賢太郎

5月9日、土曜日の事。久しぶりに古本屋街を歩きたくなった。半蔵門線を降りて、神保町交差点に出ると、GW明けにしては心なしか日差しが強い。そういえば去年の事、やっぱりふらっとここへ来て、さあ帰ろうと地下鉄の入り口に向かっていると、階段でも何でもない平らな歩道で急につまずいて転び、ぶざまにひっくり返った。とっさについた右手の親指が逆向きに、爪の半分のところで折れ曲がってしまい、今でも自在に曲がりにくくなってしまった。あれ何月何日だったかなと日記をめくると、なんと本日、5月13日だった。

足が向いた理由は、久しぶりにレコード屋を覗きたくなったことと、駿台予備校時代にずいぶん通った洋食屋とかカレー屋が懐かしくなったからだ。靖国通りにあったディスクユニオンは消えていた。じゃあ御茶ノ水店に行こうとそこから裏路地に入り錦華公園にさしかかったとき、ふと気がかわって猿楽町方面に足が向いた。そこに東家の聖地があるからだ。明治17年に我が曾祖父・東由松(1952~1917)が能登の寒村から上京し現在の猿楽町2丁目に銭湯を作った。ボイラーの機械釜を初めて風呂釜に利用し「キカイ湯」と呼ばれ、絵師に壁に描かせた富士山の絵は、その後全国の銭湯のスタンダードになった。いまはビルなっている。

キカイ湯の目と鼻の先に、東京音楽大学発祥の地の石碑が建っている。わが国最古の私立音大で明治40年の創立だから曾祖父は存命中だ。錦華公園の隣にあったのが夏目漱石が通った錦華小学校で、「吾輩は猫である」の冒頭を刻んだ石碑がある。だからといってそれで僕がクラシック音楽好きになったり漱石ファンになったりしたわけではなく最近になって知った。ただ、こうしたものは神のみぞ知る人生の符牒と解釈している僕は運命論者なのだろう。

毎朝ぎゅーづめの総武線を水道橋駅で降り、東京ドームの反対側になる東京歯科大の前から白山通りを歩いて千代田区立一橋中学校に通っていた。当時、クラスに容姿の気になる女の子がおり、密かなマドンナとなっていた。彼女は地元の子であり、毎朝道の反対側の日大経済学部のちょっと先あたりから白山通りに現れた。ということは猿楽町あたりに家があったのであり、昭和46年まで営業していたキカイ湯を知らないはずがない。まだ猿楽町が自分の祖地とは知らず、女子に声をかける勇気も持ち合わせない子供であったから、お近づきにすらなれず誠に情けない思い出であるが、この方のお名前に曾祖父と同じ文字があるのだからこれも何かの符牒だったのかもしれない。

千代田区立神田一橋中学校 - 皆様の「時」の課外クラブ・は ...

ハイティーンで陸軍新兵として徴兵され散々な目にあった父だが、男子の徳育には軍隊調も辞さずの厳しさだった。かたや母はそれを嫌い、欧米調のリベラルな気風である成城学園が好みで小学校まではその気風で染まっていた。一転して一橋中に入れられた事は完全に父親路線に鞍替えさせられたことを意味した。キカイ湯は由松の長男が継ぎ、次男の我が祖父・憲次郎は人力車を企業化した秋葉大輔2代目と事業を起こしたが自動車の台頭と関東大震災で途絶えた。震災の翌年に本郷4丁目で生まれたのが父・由之助である(「由」は由松に由来)。父は男3女1の4人兄弟の次男で、服部精工舎に勤めた長男をのぞく一家は板橋の清水町に住んでいた。母屋と離れがあり、庭には池があるそこそこの木造家屋で、僕は昭和30年にその離れで生まれたのだ(賢太郎は祖父に由来)。写真のプレートを掲げた長男系の東堯氏と子息の実氏はそれぞれ東芝の副社長、常務取締役で日本色彩学会会長および東京理科大教授であり、次男系の父の兄弟もみな理系だ。だから僕も本来は東大なら理科一類に行くのが筋で文系にはおよそ縁遠く、色弱という理由でそっちになってしまった悔いは今でも残る。

ディスクユニオンに来たのは転んだ時以来だ。その折は何も買っていない。さすがに10,000枚も持っているともう隙間がなくなっているし、持っているものだって聴く時間があるかどうかわからないのだ。今回はしかし目当てがあった。フランスのピアニスト、マルセル・メイエの全集が欲しく、娘に買ってくれと頼んだのだがまだ買ってない。だから入店すると真っ先にピアニストのCDコーナーに行ったものだ。これがまた奇跡としか思えない。なんと17枚組のそれが棚に鎮座しているではないか!

それがこれだ。彼女の全スタジオ録音アルバムで、シャブリエ、ドビュッシー、ラヴェルはもちろん、クープラン、JSバッハ、スカルラッティ、モーツァルトがクラヴサンの如き軽妙なタッチで弾かれた絶品の嵐である。これほど欲しかったものがドンピシャで中古で手に入った経験は無い。しかし、去年もそうだったが、今回もそれしか触手が伸びるものはなく、唯一興味を引いたフランツ・クサヴァー・リヒターのレクイエム変ホ長調も購入した。彼の作品はもう1枚あったが、他を見ているうちに消えていた。この店の客層はなかなかだ。

駿河台へ下るとやたら外人が多い。中国人でなく白人である。聞くところによると、ガイドブックだかYouTubeだかで神保町が話題になってる。海外にも古書店はあるが、ここ靖国通りみたいにずらっと軒を連ねてとなると見たためしがない。早速、新装なった三省堂に入ってみた。この本屋は創業が明治11年でキカイ湯より3年早い。1階を通り抜けただけの印象に過ぎないことをお断りするが、今風、若向けにこだわったのかどこかダダっ広いだけの印象で味気ない。本屋の魅惑であるあの智の凝集感がなく、前のほうがまだよかった。

腹がへったので、反対側の天ぷら屋に入った。ここの天丼は昔から贔屓だ。この通りは「神田すずらん通り」といい何百回歩いたか知れない。一橋中学はこの通りを九段方面に突き抜けた交番の左手奥、集英社ビルの向こう側にある。スパルタ教育で名が通っていて校則がやたらときつかった。もちろん制服は詰め襟で、布製の肩掛けカバンは往路と復路で右左が決まっていた。所定の通学路以外を歩くことは厳禁で、復路での立寄りや買食いなど論外。見つかると生徒手帳を没収され体罰を喰らう。校則は無きに等しく自由放任主義の成城学園から来た僕は目が点であり、あらゆるお店がキラキラして見えたすずらん通りの魅惑には勝てず、教師の目を盗んで毎日のように立ち寄っていたのだ。勉強がゆるい学校からきつい学校に転校したのだからひとかどの向学心は出ていたが、それは教科書よりも文房具に向かっていた。万年筆が欲しかったのだが、アメリカ帰りの友達のお父さんにパーカーをいただいており、買ってもらえなかった。だから、三省堂の前にあるひときわ古風な出立ちの画材店「文房堂」にはぞっこんで、目がクラクラするほど眩い万年筆のショーケースの前にたたずんで、早く大人になりたいと願ったものだ。この店、外観は当時のままだ。創業明治20年。キカイ湯ができて3年後である。開国してまもなくに西洋画の立派な画材屋ができ音楽大学ができ文豪が学んだ。日本人の進取の気性と好奇心は凄まじい。神保町はそのスピリットの横溢した、わくわくする街だったことがよくわかる。今、百花繚乱の様相を呈する洋食屋、カレー屋はその文化の末裔であり、輸入書籍店やレコード屋もまた然りである。中学生の僕はその空気を毎日吸って感化され、やがて関心は西洋画ではなく西洋音楽に芽生えていったと思われる。

東京堂書店にぶらっと入った。三省堂と書店グランデとこれが御三家だった。東京堂はキカイ湯より6年遅く明治23年の創業である。僕はここが好きでずいぶん買っている。大きすぎず、小さすぎずでコンセプトがくっきりした感じがするからである。入店すると、すぐのところに大きめの台があり、新刊本が平積みになる。重厚感のある知的な書籍が多く、チャラいものは一切置いてない。このこだわりこそ書店というものである。店内が明るすぎないのも落ち着きがあって良い。売れ筋ばかり平積みにして、軽薄な音楽で売り上げを促進しようなんて姿勢の書店は潰れて当たり前である。書店はデパートではない。そのコンセプトでロングテールを武器とするネットに勝てるはずがない。概ね思想は左がかっているが、それは大学と表裏一体だ。僕は読書において左右なんて事は気にしない。旗幟不鮮明、無思想、商業主義なんてものよりよほどマシだからである。

古書店が生き残ってるのは各店のカラーがとても濃いからに相違ない。そこで「当たり」に出会えれば値段が少々張っても構わない人が多いということだ。ちなみに、マルセル・メイエのCDに出会った僕はそれと同じ感覚であり、まして、それが2000円位で買えたなんてお得感は格別のものがある。そういう商売は、どんなに生成AIが人間の職業を侵食しようと必ず生き残る。いや、その議論の対象は、商売のみならず、人間がそうなのだ。どんな職業が淘汰されるかという考え方も一理あるが、僕はそれ以前に、淘汰される人間とされない人間があると思っている。されるタイプの人間がこぞって選択する職業から消えていくという順番なのである。要するに、旗幟不鮮明、無思想、商業主義の人間は真っ先に淘汰されるのである。元より、僕自身、中学の頃まではそっちになる運命の人間だったと思う。おそらくは、田園風景に囲まれた世田谷の学校へ行っていたら、そのままだった。往復3時間もかかる通学はとても大変だったが、毎日、延々と書店街を練り歩き、古書店の紙の匂いに馴染み、智の殿堂の空気を吸っていなければ今のようにはなっていなかった。

去年の今日、どうしてここへ来て、けっつまずいて転んだのだろう?思えば、あれから半年というもの、見事なほどに良いことがなかったから明らかな凶兆だったのだ。それが11月になって、僕の大事な「猫」であったフクが天国に旅立ち、仕事は超常現象としか説明がつかないほど一気に形成逆転の威勢を宿してきたのである。そうして怪我から1年経ち、すべての状況は天地がひっくり返った位に好転した。本当に世の中というものはわからない。一寸先は闇だ。

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WBCで日本を席巻したネトフリという黒船

2026 MAR 10 13:13:32 pm by 東 賢太郎

野球の面白い所というか、怖いところでもあるが、WBCの日本対オーストラリア戦のことだ。吉田が7回裏に2ランホームランを打ってひっくり返して勝ったが、 天覧試合で1-0で負けるんじゃないかとはらはらしていた。やっている方はプレッシャーがあっただろう。

1~7番に大谷、鈴木、近藤、吉田、岡本、村上、牧とメジャー5人が並ぶ打線。オーストラリア先発投手のマクドナルドは2m近い長身だが、30歳で3年前に投手転向した地元球団の人で、投球練習を見てもスピードもコントロールもたいしたことないように見えた。すぐ5点取れると思った。ところが蓋を開けると3回1安打、しかも9アウト中6つがフライと詰まらされたのだ。

発端は1回裏、先頭の大谷翔平が2、3回バットを振ったが前へ飛ばず、最後はインコースやや高めを詰まったセカンドゴロだったことだ。あれ、意外にタマ来てるのかなと思った。鈴木は歩くが、近藤が低めのスプリットを空振り三振。ふだん三振しない人だ。これもあれっとなる。吉田は歩くが、岡本が中飛でチェンジ。おかしいな、なんとなく大谷のアレが伝染しちゃったかなという感じがした。

よく言われることだが、知らないピッチャーとの出会い頭で味方の強打者があっけなく三振とかすると空気が「伝染」する。すると次の人も力が入って打てない。それだったのかどうか、結局いやな予感があたってしまい、 2、3回は村上、牧、大谷、鈴木、近藤の5人がフライアウトでヒットは若月の1本だけということになった。おそらく「差し込まれる」というやつで、振ったら球が「来ちゃってた」感じの凡打だろう。フライということは、遅く見えるが振りだしたら手元にピュッと伸びてきて遅れ目に押され気味にボールの下を叩いてるという理屈だ。日本戦に先発させるだけあって実はいいピッチャーだったんだ、おみそれしました。

吉田が打ったケネディというピッチャーは 2mぐらいとでかいのに左のサイドでテークバックがほぼなし。少なくとも僕はこんな投げ方は見た試しがない。だからインローのストレートを振り抜いたホームランは、そんなのが出てきてもびっくりしないほど条件反射化された技術の賜物としか考えられない。オールスターのホームラン競争で、スイングしたら全部ライトスタンドに打ち込んでた、あれの再現を見たようだった。才能のある若者は問題なくワールドクラスで通用する。これが日本の宝物であり、のびのびと力を発揮させてあげることこそ日本が持続的に成長していく道筋であると僕は確信している。

それにしても大谷さんが出るWBCは日本人なら誰でも見たい。つい先日までたくさんの興奮と感動をお茶の間にとどけてくれたミラノ・コルティナ五輪が脳裏に浮かぶ。ところがだ。こっちは東京ドームでやってるのに日本のテレビでやってない!NHKは公共放送なんだろ?公共の福祉になってないじゃないか。民放テレビ局は何をやってるんだ!しかも天皇陛下御一家が観戦に来られている。それを日本人が見られないなんて陛下を国民と分断してるじゃないか!国辱ものじゃないかこれは、どうなってるんだ!

そんな感じで全国の高齢者家庭はてんやわんやだろう。長嶋茂雄は天覧試合のホームランで歴史に名を残したが、「全日本人がアメリカのストリーミングサービス会社を通してしか天覧試合が観られない」この非常事態も空前の出来事として歴史に残るだろう。誇り高いテレビも新聞も、放映できない赤恥など認めたくない。みっともない汚点だから事実の背景は絶対に報道しない。みなさんじっくりと観察していてごらんなさい、彼らは試合のハイライトを報道番組やワイドショーネタっぽく仕立ててお茶を濁し、なかったことにする作戦をとるだろう。そこでもうひとこと言っておこう。そんなことをやってるから日本のメディアは「予定調和的に」これから没落していくのである。今や僕のように海外経験の長い国民はいくらでもいる。いくら隠してもその馬鹿さ加減は舞台裏まで見えてしまい、真相はこうやってネット情報としてばらまかれる。もう何を逆立ちして頑張ってもこの潮流は止まらないのである。そんな茶番には関わりなく、水面下では静かに冷徹に事は次のステージに向けて進行している。大谷さんが見たい多くの高齢者が、聞いたこともないネットフリックス(ネトフリ)という ”チャンネル” なら自宅のテレビ受像機で見られることを知ってしまい、料金なんか二の次で子供や孫に頼んでアカウントを作ったに違いないのである。

勘違いしてはいけない。これは誰かが売国行為で日本の資産をアメリカに売ったわけではない。アメリカにあるメジャーリーグという舞台に日本の有能な若手選手が憧れ、ワールドクラスの才能はこぞって流出してしまい、これはどこかの悪い組織がやってることではなく、憲法が個人に保障している職業選択の自由という権利行使であるから、いかなる組織も日本という国家といえども止めようがない。当然ながらそこで手にできるかもしれない1,000億円という夢のようなお金がひとつの誘因になっていることを否定したところで何の意味もない。世の中お金ばかりではないだろう?そうかもしれないが、才能のある若者が才能に見合った生活がしたい、そういう人生を送りたいと望むことを否定する権利は誰にもない。それが自由主義国家というものであり、アメリカは徹頭徹尾それを守る国家であることは、アメリカに住んだことのある者は誰もが知っている。だから「イーロンマスクの報酬が最大で150兆円」というニュースは、一応は人々を驚かせはするだろうが、誰も否定はできない。羨ましければあなたもやったらどうですか?アメリカという国家は誰が大統領になろうと不平等だと言ってそれを剥奪したりはしませんよ、という国であり、それがアメリカをアメリカたらしめているのだ。

NPBイベントは、これまでは巨人軍を持つ読売新聞が仕切っていたが、今回はニューヨークにある大会主催団体のWBCIが読売をすっとばして米国-米国で(すなわちオフショア・ディールで)直接ネトフリと契約してしまったのだ。いくら日本が文句を言おうが、「なら5倍の150億円払え」で1秒でおしまいだ。なら日本の選手は出さないぞという脅しもきかない。大谷さんはもうアメリカの選手だし、鎖国をすれば有能な高校生が大学からアメリカに逃げる仕組みができるだけだ。ワーナーブラザースを11兆円で買収しようとしたネトフリにとって円安下での150億円などピーナッツ(はしたがね)であり、「これからドル箱になる日本市場でネトフリのアカウント数を激増させる投資として、『大谷翔平主演の映画』のつもりでWBCの興行権を買う。プライスは大谷個人の年間広告収入(やはり150億円だ)と同じ額でメークセンスだ。数年で回収してみせる」とでも株主総会でCEOがぶちあげれば全然オッケーだろう。

収入が激減しつつある日本のメディア業界は150億も払ったらテレビ広告でペイなどしない。なぜなら広告主がそんな効果をテレビにもう認めない。なぜなら年々伸びてきている「ネット広告料収入」がついに総広告料の50%を超えたからである。この潮流の中では、民放テレビ局の株主総会の収支計画は財務省お得意の「単年度プライマリーバランス主義」で見せないと株主の納得は得られない。そこで『大谷翔平主演の映画』に投資するぞ!と大見栄を切れるサラリーマン社長などいるはずがない。皆さん、高市総理の掲げる「投資」という概念が企業にも国にも成長にとっていかに大事かということが、このケーススタディで如実にわかるだろう。資本主義の憲法第1条に当たるコモンセンスがアッパークラスに欠落している国は実は国民を豊かにしてあげる事もできないのである。「そうでしょう?だから共産主義的国家にしましょうよ」という更に大きく間違った声が上がり、ここぞとばかりに左翼が元気になるのが悲しい日本なのである。国ごとそれに毒された発想になって、ダイエットし過ぎで骨粗しょう症になってしまい、「骨を折らないことこそが国家的な一大事でござる」みたいにトンチンカンな政治をしてきたのが高市前の日本だったのだ。だから、そんなことを続けていればオールドメディアと同様に、つまりはそこを牛耳ってる無能な老人たちと一緒に「予定調和的に」国力は低下していき、ワールドクラスの才能は大谷さんのように最高の人生を送らせてくれる外国へ出て行ってしまうのである。あまりに当たり前の事だろう。

「イーロンマスクの報酬が最大で150兆円」というニュースは、そういう縮み思考の空気を30年も吸って脳がその色に染まってしまっている日本人には火星の話にしか聞こえない。報酬が高いといってもせいぜい何億円程度の日本のサラリーマン経営者にも実感など湧かない。江戸時代のかわら版感覚でやってる日本のメディアはせいぜい「いかがなものか」と騒ぐだけだ。それを使ってる政治家もほとんどがわかってない。学者や先生はのっけから理解しようとしないから大学で教えてくれるはずもない。かろうじて一部の歴史学者が「歴史の真相はフォロー・ザ・マネーでわかる」と説いており、それは実に正しいのだが、現代の真相の方が国民の生活には大事でしょ、じゃあそれも読み解いて国民にわかりやすく教えてよと言いたい。とても卑近な言い方にはなるが、そのことはマネーをフォローして株で儲けるという作業にとても近い。というかほぼ同じと言ってもいい。もちろん儲けたくなければ儲ける必要はないが、そういうことに興味はないという人は現代の真相を読み解くことにも興味を持たないのである。

ドジャースとチェルシーを持ってる連中、ディズニーとネトフリに近い連中である我々の相方だって黒船の有力候補だ。安政の時代には国ごと黒船だったアメリカ合衆国の唯一の同盟国として生きて行く運命にある日本国が、しかし、ではこの点において、どうすれば国民が幸せになれるのか。これは奴らと深く付き合ってる僕にもわからない。たぶん全員は船に乗れないし、共産主義でないから全員が平等ということは政治も追求しない。だからその問いに実は解はない。だったらお年寄りはともかく、若い人は徹底的にインテリジェンスを磨いて、まずは、いち船員でもいいから黒船に乗っけてもらうしかない。それにはどういう勉強をすればいいか?それは2700本ある僕のブログのあちこちに散りばめて書いてはあるが、そういう気持ちで読まない人には何を言ってるかはわからないだろう。投票所に行く政治参加は大事だが、参加しても自民党がやってる限りあなたが食べられるような政治にはならないかもしれないし、政治家はその責任は取らない。やっぱり答えは自助努力しかない。

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思うこと多き運転免許の高齢者講習

2026 FEB 3 13:13:08 pm by 東 賢太郎

面倒くせえな、高齢者って誰のことだよと思っていた。仕方ない、そう呼ばれるのも順次やってくる七五三や成人式の延長戦と思うことにしよう。何年か前の正月のこと、神社の厄年表をみると「レンジ外」になっていたことに気がついた。少々寂しさはあったものの、よし、もう疫病神との縁は切れたと気楽にもなったものだ。こういうふうに僕は物事のサニーサイドを見て生きるようにできている。単に持って生まれた性格なのだが、そのおかげで歳をとらないと信じてること自体が紛れもない楽天家であって、それが体にあんまり良くない完全主義をうまいこと中和してくれているのは事実である。その絶妙なバランスのおかげでボケてない気がする。先日も海外のストリートピアノを弾きまくって外人を虜にしてる「ハラミちゃん」の動画にたまたま出会い、惚れ込んだ。この子いいなあ、明るくてピアノが大好きで、そのオーラで外人と一発で仲良しだ。僕も仲良しになりたいなあと本気で思うから気は若いのである。

試験は嫌だな。 50年無事故という輝かしい記録を樹立した僕として実技はまったく問題ない。だがしかしと、大学の帰り道に成城学園前駅で降りてバスで通ったニ子玉川の小山ドライビングスクールのことを思い出したのである。学科試験でこういう問題があった。「夏は暑いので下駄(げた)で運転してよい」。直感的な常識としてそりゃだめだろで終わりだ。ところが「夏は暑いので」がじんわり効いてきた。猛暑で意識が朦朧として事故を起こすリスクの大きさを考えれば足からも気化熱を発散することは安全上有益ではないのか、下駄ぐらいは許されていいのではないかと、常識を揺るがすあらぬ考えがよぎったのである。いやいやしかし、下駄はいかんな、だって形状からして歯の間にペダルが挟まればやっぱり事故だもんなということで✖にして事なきを得たわけだが、後で調べて道路交通法に根拠があることを知った。サンダルだったら危なかったと思うのである。

この日の目的地、芦花公園に近い「せたがや自動車学校」を地図で調べると、まず環八に出る。これは旧来からのナンバリングでは東京都道311号である。それが第3京浜から国道466号になり、瀬田で東京都道427号と交差する。ここであっとひらめいた。ピアノソナタニ長調 K. 311、ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K. 466、ハ短調ミサ曲K. 427 、なんてこった、これはモーツァルト好きの役人がつけたに違いない、なんて思いつつ、このところとんとご無沙汰している運転は家内におまかせする。助手席で何気なくFM放送をつけ、叫んでしまった。わあ!なんということだ、シューマンのラインの第1楽章が展開部の辺りから鳴りだしたのである。もういけない、運転手じゃなくてよかった。道すがらずっと歌いながら指揮してたら丁度おしまいのところで到着した。とても爽快な気分になって入り口をくぐる。この日の受講者は僕を入れて7人のようだ。たしかに皆さん紛れもなく高齢者である。なるほど、自分もそうなんだ。

実技の講習。教官が隣に乗って右へ行け左へ行けと、そうそう、こういう感じだったなと結構楽しんでしまった。次は目の検査だ。視力は1. 2だから楽勝と思いきやそれはなく、視野と動体視力である。やったことがない。すると後者がいけなかった。なんと0. 2ではないか。落ちてるだろうなとは思ったがここまでかとショックである。しかし教官の方もそれは含んでいて、そういうもんだと思って注意して運転して下さいねで終わりだ。試験ではないのだった。ああ日本っていいな、優しいな、ご一緒したお2人もとてもいい方だ。普段なかなかこういう感じでお話しする場もないし、僕も自然といつにない穏やかな口調で話していることに気がついた。何でもないことが宝物になってるのである、これぞ日本だ。未来永劫に守っていってほしいな。

帰りは1人でバスに乗ってみた。さっそく金の払い方がわからない。そうかスイカが使えるのか。カバンに手を突っ込んであちこち探るが出てこない。あれおかしいな。あのじいちゃん早くしてくんねえかなという乗客達の目線を感じる。そういやあよくそう思って見てたよな。終点の千歳船橋から小田急で成城学園でおりる。ここに来ると寄り道しないわけにはいかない。駅を背に学校側に歩くと右側に数件の民家があった。その1つが庭でしょぼい犬を飼っていて、こいつがなぜか僕にだけ通るたびにけたたましく吠えつくのである。だんだんこの野郎となってきて、小屋に2B(爆竹)を投げ込んでびっくりしてキャイーンだ。その場所は今は立派なマンションになっていて面影もない。感無量である。そこに悪童だった当時の自分が紺色の制服に半ズボンでむこうを向いて立っている気がした。本当にした。いや本当にいるのだ。シミュレーション仮説によればこの世の出来事は全部映画である。開演時間が違えば同じ場所に昔の自分がいるわけだ。

もう暗くなってきた。そろそろ帰るかと駅の南口に回り、二子玉川行きのバス乗り場を探した。これまた分からない。仕方ないなと交番の前まで行くと、 なにやら1人の客人に警官2人がかかりきりでらちがあかなそうだ。右往左往した末にスクランブル交差点の先にやっと見つけて、発車寸前のに飛び乗った。はあはあ息を切らせながら窓からバス停を見ると、 二子玉川行きと狛江行きがある。そうか、父が我が家に来るのに電話してきて、出迎え場所の指定が二子だったり狛江だったりしたのはこれだったのかと謎が解けた。バスは坂をゆったり下って世田谷通りの方にいく。左側に東宝スタジオってのが見えてくる。大好きな「七人の侍」を初め黒澤明監督のほとんどの作品や、あの「ゴジラ」「モスラ」もここで撮影されたんだ。そういやあ監督のお嬢さん同窓生だった、今はどうされてるのか。そうそう、そういやあ、自分もこのバスに乗って小山ドライビングスクールに通ってたっけ。

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死んだと思った東名高速の事故

2025 DEC 21 0:00:43 am by 東 賢太郎

3Iアトラス太陽に最接近 10月29日

フク亡くなる 11月7日

パソコン壊れる 11月14日

関係企業に事故 12月10日

東名高速で事故未遂 12月13日

3Iアトラス地球に最接近 12月19日

 

どうも太陽系外の妙な物体が接近してきてからろくなことがない。

12月13日は危なかった。追い越し車線を快調に飛ばしていたら、わりこんできたミニバンと前の車が接触し、そいつが中央分離帯にぶつかって大破して、すぐ後ろの僕の車も危なかった。すんでの所で急ブレーキ効かせてガラスが粉々になった前の車に突っ込まないように止まった。奇跡的だった。

止まった、よかったと安堵したら、東名の追い越し車線の最後尾に止まっていることに気がついた。後ろからトラックにつっこまれて即死・・・が頭をよぎった。

フクが見ていたな、命を助けてもらったな。

 

 

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世俗世界の勝ち組が人生の勝ち組ではない

2025 DEC 2 21:21:37 pm by 東 賢太郎

僕は書いたものは基本的に読み返さない。過去と未来はなく世の中には現在しかないというアインシュタインの言葉を信じており、その刹那はいいと思って書いたからそれでいいが、その文章はもう過去であり、読み返して反省しても未来は変えられないから意味ないと考えているからだ。例えば映画を見ている時、脳が認識しているのは ”今” 見ている画像である。過去はx秒前、未来はy秒後とするとx+ y が今の長さだ。人によって x、yの値が異なるとするとAさんの今がBさんには過去となったりして ”今” の定義ができない。だからx+ y は誰にとっても無限に0に近い値、すなわち「瞬間」である。アニメの「紙パラ」(めくり絵)が無限大に近い速度で行われて完全に連続的な動画に見えるように我々は現実世界を認識して生きているということになる。今の瞬間に見えている1枚の絵だけが存在していて、1つ前と1つ後の絵は存在しない。だから過去と未来は変えることができない。何とかできるのは今だけだから、仮に人生訓的に解釈するならそのことに注力せよということだろう。今がすべてだ、今を精一杯生きろ、なんて言われればもっともらしい。

しかし考えてみればそれもおかしい。無限大に近い速度で過ぎ去る今の1枚をどうこうすることは不可能である。つまり物理学が正しいとすれば今も変えることができず「人生は自分ではどうにもならないので今を楽しんで生きなさい」と、生きる意味を否定するぐらい絶望的な結論になるのである。しかしもっとよく考えてみれば、人間以外の動物はまさにそうやって生きている(と思われる)。人間も動物だから本来はそうなはずだが、大脳皮質が発達して賢くなり、x+ y は無限に0に近くはない、つまり過去は変えられないがプラスに解釈したり、まだ起きていない未来は少しは変えられるんじゃないかという自分に都合の良い妄想の余地を見出してしまった。それは物理学的には賢くないかもしれないが、人間に夢という大事なものを与えた。夢は実現しないから夢と呼ぶように大きな富を手にするのはほんのひと握りの人かもしれないが、多くの人がよりよい未来の実現を信じて努力をする集合的な力の相乗効果で国も国民も豊かになる。それが資本主義というものである。夢は幻想だと否定し、相乗効果も否定し、人生は自分ではどうにもならないので選良が叡智によって計画し未来を保証する国家に任せなさいとするのが共産主義であると言っておおむね間違いではないだろう。任せて国民が幸せになった国家は歴史上今のところ現れていない。

アインシュタインが「今を楽しんで生きなさい、それしかできないから」と述べたかどうかは知らない。彼は共産主義者ではないが、資本主義の富の偏在を除去した社会主義を理想として主張したことは事実だ。既述の合理的な帰結と整合的で筋が通っている。従って、人間様が今を楽しんで生きるためには何をしたらいいんだろうと自問してみる価値はあるだろう。そこで「楽しむこと」の定義があいまいでは論考できないからそれを数値化してみよう。楽しむことイコール幸せとは限らないが、苦しみや痛みを幸せと感じる人は極めてマイノリティだとしてしまえばそれは正しい。人生とは数限りなくある今(瞬間)の集合体であるわけだから、つまり、幸せな人生を送るためにはどんな瞬間をも楽しく生きるようにすればいいわけである。その方法を定義することはできない。何が楽しいかは千差万別だからだ。では「人生の幸せ度合い」は計測できないのだろうか。楽しい時に脳内には快感物質エンドルフィンが分泌される。人生の単位で考えるなら、生まれてから死ぬまでに分泌されたエンドルフィンの総量を測り、それが最大の人が最も幸せだったということになろう。

もちろん実際に測る必要はない。それが必ずしも経歴や地位や財産で決まるものではないことを実感できればそれでいい。世俗世界の勝ち組になることが人生の唯一の目標ではないという哲学がおのずと導かれてくるからである。とすると、総量を最大値にするにはどうしたらいいかという話になる。簡単だ。好きなことをして長生きすればいいのである。経歴や地位や財産を得ることが好きな人はそれをすればいい。大自然に囲まれて自給自足の農業をやるのが好きな人はそれをすればいい。おそらくエンドルフィン分泌量に差はつかないだろう。したがって、両者の差がつくのは、どっちが長生きできるかということにかかるというあっけない結論が導かれる。日本のように国民皆保険で医療が地方まで行き届いた国では、ギズギスした都会で勝ち抜くゲームに明け暮れるよりも、大自然の中で悠々自適で気楽に生きた方が長生きできそうな気がする。というと、おまえは【小原庄助さん 何で身上潰した 朝寝朝酒朝湯が大好きで それで身上潰した ハァモットモダーモットモダ】という歌を知らんのか、怠け者を礼讃するのかという声が聞こえてきそうだ。

30年以上証券界で働き抜いてきた僕が怠け者を奨励するはずがない。都会派であれ大自然派であれ、朝寝朝酒朝湯が大好きはいけない。なぜか?日本人の道徳観ゆえではない。いけないのはそれに淫してしまい、同じことを毎日繰り返していると限界効用価値が減り、だんだんエンドルフィンが出なくなるという科学的理由からだ。 まして自然もない都会のジャングルでワーカホリックになってエンドルフィンを喪失するなど想像を絶する愚行であり、むしろ寿命を縮めるにちがいない。そう思ったから16年前に僕は東京の一番南の国分寺崖線に家を建てた。都心まで少々時間はかかるが半分は自然に浸っていたいからだ。大自然派の人ほど頭を使い知恵を絞り、創造的な仕事をしなくてはいけないが、そうすることでこれまでの日本人の労働観にはない新しい幸せな人生が開かれるであろう。つまり地方の子供が猫も杓子も東京や大阪の大学に行こう就職しようという風潮が本当に幸せに結びつくのかということだ。大自然派は経歴も地位も資産もそんなにはいらない。都会派がそれを得るのに必要な膨大な時間を自分への投資や余暇に使える。逆に田舎に出て幸福な人生を感じられる都会派は多くないのは競争上の大きなアドバンテージでもある。したがって大自然の中でエンドルフィンがたくさん出る脳を持ってる人は都会派ほど苦労せず幸せな人生を手に入れる確率が高いのである。

そこで高市総理の「働いて働いて・・・」が流行語大賞になった事に付言したい。誠に結構なことだ。この人ほど身を粉にして働く政治家はいまだかつて見たことがない。そのうえに勉強家で頭脳明晰ときている。トップがこうであれば永田町の空気は一変し霞が関も働く。小原庄助さんを戒めてきた国民は本来が働き者だ。体を張って強い日本の再生を掲げるリーダーに喝采を送るのは日本人としてあまりに当たり前で、70%という空前の政権支持率の大きな要因となっていることは不思議でもなんでもない。 103万円を超えると税金が増えるから働きませんと苦渋の決断をさせるなど勤勉が美徳の日本国民に自傷行為の苦痛を強いるに等しい。精神の根本から腐った異常なことで、そんな状態を放置する政治家はいったいどこの何者だと疑念を抱かざるを得なかった事は国民にとって大変なストレスであった。 高市早苗、片山さつきの大英断である21兆円の総合経済対策効果がそれに加わりGDPは増大するだろう。税収が増えれば財政は悪化しないし国債のクレジットも下がらない、そんなことは世界の常識である。戦争に端を発した不可避的な輸入インフレを意図的にごっちゃに述べて国民を煙にまき、すでにインフレだから国債発行による経済対策は所得を増やすがインフレも増幅して危険だと水をさす学者や自称専門家が多数いる。その心配よりもデフレマインドを 根治する方が重要であるし、危険があるなら政策金利を上げて円安を止めれば物価は下がる。輸入インフレはデフレを治癒しない。救うのは総需要の増加をトリガーとする順回転の経済成長に着火するしかない。マインドに火がつかなければ日本経済のデフレによる衰退は永遠にこのままだ。経験もビジネスマインドも無い役所に実効性のある総需要対策計画はできない。だから官邸主導の21兆円の総合経済対策なのだ。大賛成である。少々の荒療治であろうがリーダーシップをとって国民を奮い立たせる度量、コミットメントには敬服しかない。そんなものはかけらもなかった前総理、前々総理には逆立ちしてもできなかったろう。たったひとこと。役者が違う。

最後のおまけで僕個人の投資スタンスを書くなら、とても平易で誰でもできる日本株と米ドルのロングである。だいぶ前に117円ぐらいで株以外のほぼ全財産をドルにしており、1ドルも売りもヘッジもしてないし当面のところする理由もない。こうした人生の一大事の判断をするときに日本のオールドメディアの情報は全く不要であり、むしろあまりにレベルが低い上に意味不明の偏向が入っているのでプロである僕にとって百害あって一利ない。 ネットで充分足りる。高市政権になって国民の政治リテラシーが急激に上がったのは自民党が3連続大敗を喫した選挙でネットの視聴率が大幅に上がったからだ。嘘ばかり垂れ流すオールドメディアは時間の無駄だと学習した視聴者が加速度的に増えたのに、何の学習もせず淡々と嘘ばかり垂れ流すのだから自ら墓穴を掘って衰退を加速しているだけであり、恐るべきことにそれにすら気づいていないという学習能力の無さはもはや手の施しようのない領域に踏み込みつつある。ちなみにこれは世界の法則だが、スポンサーに金をもらっている報道機関は信用できない。彼らを援護するなら、決して悪い人たちというわけではなく、それが資本主義であり経済原理に基づいたビジネスであるから止めようがないのだ。

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成功する奴はやると決めたらすぐやる

2025 OCT 28 1:01:24 am by 東 賢太郎

久しぶりに後輩から会いたいと連絡があった。2時間くれというのでニューオータニのガーデンラウンジで話を聞いた。すると、ふたりの別々な知人に会ってくれというわけである。いいよとなって、こう言った。俺も話がある、他人の会社の株を買うんじゃなくて、俺がやる話だ。

時計を見ると2時間になっていた。なにやら話っぷりに迫力があったらしい。東さん、まえ会った時と全然違います、どうしてそんなに元気なんですか?おんなじことを米国のHにも言われた。元気なんかねーよもう70だからさ、でも、これってめちゃくちゃ面白いと思わないか?思います、詳しく聞きたいです。

詳しく話した。3時間になっていた。

いいだろ?これ金儲けじゃないんだ、地球を救い人類を救う。物理・化学だ、神様の作った原理だ、心が洗われないか?面白いものは魅力あるだろ?そういうものを見ると元気になるんだよ。

参画が決まった。僕は、こういう若者が無性に好きだ。お前は金儲けは上手いけどな、それだけじゃ人間は下賤になっちゃう。ちょっとは芸術を嗜め。はい、いまジャズきいてますがクラシック覚えたいです。本気か?本気です。わかった、じゃあ50曲ぐらい教えるからひたすらそれ聞いて全部覚えろ。クラシックは暗記科目だからな、基本英文700選みたいなもんよ。気がついたら一生の財産ができてる。そっから先は自分の趣味で勝手に増えるから心配ない。仕事なんかより大事になって退屈という言葉は辞書から消えちゃうよ。

彼はやると決めたらすぐやる。慎重に検討しますなんてうじうじ考えて結局やらない人間が満を持しても何もいいことはない。失敗してもいい、何も考えなくていいから思い立ったらすぐにやってしまいなさい、そっから意外な活路が開けたりするから。10代、20代、30代、40代、それぞれにその年代でなくてはできないことがあるんだよ、だから実はそれは人生の切実な問題なんだ。期を逃して次の代になっちまったらもう手遅れだからね。70代でなくてはできないこと?そんなもんあるわけねえだろ。

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英語ディベート6時間の雑感

2025 OCT 2 8:08:03 am by 東 賢太郎

米国の友人Hが来た。4時から1時間の予定が議論が白熱し、ニューオータニkato’sで夕食になって気がついたら10時である。こうやっていつも閉店までなのを店も心得てくれてる。ウルトラ元気な男で鉄砲玉みたいな英語がとぎれることなしだ。話題はもちろんビジネスにつきる。

半年ぶりぐらいだが「顔が変わった。肌のツヤも全然違う」としげしげ小生を眺める。「スキンケア?そんなもん俺がするわけないだろ、体重も変わってないよ」「アンチエージングしたか」「ああNMN注射な。でもだいぶ前だ」「ステムセル(幹細胞)がいいよ。トランプもバイデンも打ってる。自分は55歳だがバイオ年齢は36歳だ」とスマホの血液データ分析を見せる。僕は確かに元気は元気だ。月2回お世話になっているセラピストのYさんも「筋肉が柔らかくなってます、プロとして断言できます」という。そういや先週も終了後に「ありがと、3イニングぐらい投げられそうな気がするね」と高校時代に戻ってたし。

というわけで誰も古希は信じない。自分も忘れてて時々書類の年齢欄に60歳と書きそうになる。仕事が立て込んで徹夜に近い日もあったがなんのことはない全然翌日もOK。大学時代、徹マンの翌日もこの程度の感じだった。親に感謝するしかないが、視力も裸眼で1.2あるし、何年か前のコロナ入院と、崖から落ちたのと、神保町で転んで右手の親指を怪我したの以外、体は何らの異変もない。これは20年間飲み続けている神山先生の漢方薬のおかげ以外に理由は考えつかない。

問題は頭だ。身の回りの物忘れや人の名前が出てこないみたいのはたくさんある。でも鉄砲玉の英語ディベートを6時間やっても回転は大丈夫だ、こいつはまぎれもないウォートン・スクールで2年鍛えてもらった成果だ。野球で毎日皇居一周してたので今でも難なく5キロぐらいは走れるが、それと同じで、アメリカMBA留学ってのはアスリートに近い頭の筋トレだったと思う。10代、20代の皆さんは頭も体も死ぬほど自分を追い込んで鍛えまくっておくことです。その年代しかできません。一生の財産になるし必ず仕事でも人生でもメンタルにもあなたを助けてくれる強みになると思いますよ。

Hはものすごいガッツの塊ですべてに前向きで頭も回る奴で、こっちもアドレナリンがどんどん出てくる。頑固だが知らないことを教えると謙虚に学ぶ、その姿勢がとてもいい。こっちもアメリカの最新事情は教わることばかりで、ディベートの中からビジネスチャンスがのぞいてくる。僕はこういう奴が好きだし奴もそうなんだろう、話が途切れることなくこのままだと10時間でも何時間でも行きそうだ。大学時代に気の合う連中と夜中まで、あるいは朝まで語り合ってたあれを思い出したりする。つくづく思うが、日本人にこういう奴はほとんどいない。少なくとも僕は知らない。そんなにたくさんは会ってないアメリカや中国にはゴロゴロいる。だから時価総額百兆円もの新興企業が出てくるんだ。

日本は財務省の緊縮財政で30年間を失ったとみんなが口を揃えて言うが、そればかりじゃないよ、やっぱりビジネスをゼロから起こしてでかくするという情熱とかアンビションとか、そういうのがさっぱりなくなっちゃってる気がする。だから、これから世界を変える生成AIの波に完全に乗り遅れちゃった、これは致命的だ。ロスジェネとか言って傷をなめあってる場合じゃない、雨はあなただけじゃなく全員に降るからチャンスはどんな世の中でも資本主義国なら常にある。そこで勝ち抜いても生成AIに職業を奪われるのが確実な未来だ。ほんとうに傷をなめあってる場合じゃない。政府が金をばら撒いたらGDPが増える、そんな紋切り型の経済学で経済成長なんか持続できるわけないでしょ、成長は資本の成長からくるんです、政治や行政なんか関係ありません、それができる人材こそが国を引っ張るエリートである。そういう人材が昭和はまだそこそこはいたから日本は経済大国になったんです。続々と出てこないとそれこそ日本はダメになるよ。

僕に年齢はない。たぶん体が朽ち果てるまで寝ても覚めてもそういうことばっかり考えてる。ワーカホリックと言う勿れ、モーツァルトだってベートーベンだって毎日音楽の事ばっかり考えていたでしょ。人に使われると労働者になっちゃう。それじゃ人生つまんない。自分で起業してビジネスを創造する、これはクリエイターの喜びである。MBAは何の専門家でもない。経済学も会計学も経営学も数学も統計学も法律も証券分析もマーケティングもプレゼンスキルも、ぜーんぶがビジネスの道具にすぎない。心理学、人類学、骨相学、量子力学なんてものもその一部になったりする。それらを駆使して戦った成果は数字、つまりお金というもので評価される。運てものもあるから勝ったり負けたりはするがわかりやすいでしょ。僕にとっては麻雀や野球をやってるのとあんまり変わらないが、遊びでないので負けるわけにはいかない。この緊張感、最高のアンチエージングだ。

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気ぜわしくない土曜日の昼下がり

2025 SEP 9 10:10:13 am by 東 賢太郎

写真家のS氏と久々に飯でも食うかとなり、代沢の「韓てら」に行った。赤坂で金曜日のディナーのはずだったが大雨だったので明日にしようとなった。これが良かった。気ぜわしくない土曜日の昼下がりだ。9年ほど住んだこのあたりはなつかしい。よく息子とキャッチボールをした北沢川緑道に沿って歩くとそこに着く。当時小学生だった子供たちが歩き回ってる気がするほどに店内はすべてがそのまんまだ。あのころ、ニューヨークから帰国した翌週に9-11がおきてぞっとしたっけ。まだサラリーマンで部下120人の人事評価を書かされ疲労困憊の日々だった。会社を移ったのがそのころで、移籍先はメガバンク系だしもうそれはないだろうと思ったらまた120人だった。

評価書ってのはその人の給料、賞与はもちろん人事部のファイルにコメントが残って、人生まで左右するかもしれない。そんな文書を作るのは責任が重い。しかしそれをどうにでも書けるというのは権力を持った証でもある。うれしい人も多いだろうが僕は性に合わなかった。公平を期すため金融屋として優秀かどうかだけと割り切る。生い立ち、学歴、性格、性別、雄弁、酒豪、英語、達筆、美声、おべっか・・顔を思い浮かべればいろいろある。それを割り切って無視しないと私情が入ってしまう。38才からそんなことをしている俺は自己評価だってそうしないと人生まちがうと思ってここまで生きてきたが、そっちが正しかったかどうかは甚だあやしい。

女性の部下はあんまりいなかったから困った記憶はない。僕はフェミニストではないが実務家として女性総理、女性指揮者の賛成派だ。女性ファーストは度が過ぎると元禄のお犬様になってかえって良くない。そんなことせんでも女性は立派に経営をできる。男はそこそこの学歴で身なりが良くて弁舌さわやかであればあっさり丸をつけちまう。感性で判断する女性はそれがなく、往々にしてそれが正しい。「彼はだめね」「ちょっとあぶないわよ」。男にない嗅覚でばっさりいく。良い例が自民党両院議員総会を仕切り、実質的に首相を退陣に追い込んだ最大の功労者、有村治子だろう。立派なもんだ。東郷平八郎海軍大将、井伊大老の首級を挙げた有村次左衛門を先祖に持つだけある。腹の座り方が半端じゃない。頭脳も明晰だ。言葉がいちいち心に刺さるのには感服で将来の首相候補まちがいなしだ。なに言ってるかわけわかんねえポンコツ役者が総理?ジョークやめてけれ。反対に嗅覚も腹も頭もない可哀想な女もいる。恩人の安倍を裏切ってLGBT推進した、前にもボロカスに書いたあれだ。「それは本当の保守じゃないと思います」なんてな、おめえの保守なんてどーでもいいんだよ日本人は。弁護士かなんか知らんが真正の馬鹿だ。

ちなみに馬鹿を馬鹿というのはお耳障りが悪かろうが、文化部系の人には下品でも体育会でそんなのはなんでもない。過ちを正してくれて有難い場合すらある。基本がガリ勉の高学歴社会である金融に体育会は少なく、そんな罵声を浴びせる文化はないが、僕は体育会的社風の最右翼だった野村証券においてさえ最右翼であり、銀行系の役員になっても机ぶっ叩いて怒鳴りまくった。Sには何度も説明してるがそう見えないのか東大出の思いこみが抜けないのか、「このまえ赤門に撮影いきました」とくる。そもそも論に発展し「なっ、俺、あの門はぜんぜん愛着ねえんだ、くぐったの何回かな程度なの、法学部だから」なんて言っちまう。

ちなみに自民党税調の宮澤洋一氏が上品にだが同じ趣旨を公言し評判悪い。しかし法学部卒はほとんどがそう思ってる。というのは、明治時代から学校自体が暗にそう教育し刷り込んでる。あのキツい法学部の勉強を我慢してやって優を並べた奴が権力持つのは認めよう、俺は遊んじゃったしねで学部内はフェアなのである。それがない他学部はまったく眼中にない。ホリエモンが東大がどうとかいっても文Ⅲの話だろで俺達には関係ない。そういう所なのだ。財務省解体デモになるのは、要は、役人になめられて使われちまう政治家が馬鹿だということに尽きる。そりゃ偏差値35の大臣の話なんか俺たちが真面目に聞くわけねえだろ。

最近の政治家は小物というか、侍がいなくなって役人の劣化版みたいなのばかりだ。慶応OBの話によると石破前総理は高校のゴルフ部員だったが、スコアをごまかしたのがバレて除名になったらしい。たかがゴルフと思う方は体育会を知らない。スコアを改竄する奴ってのは人間としてクズ中のクズで、これは私見じゃない。プロは大会失格。英国の名門クラブは除名。これが世界の常識である。英国で逆切れした会員が訴訟したケースもあるほど「名誉」に関わる。「たかがゴルフ」で体育会に入ったなら元から世の中なめてるアホだったということで、つまり、学歴詐称のおばさんとおんなじ種族ということであって、誰だよこんなの総理にしたのって責任論になるレベルだ。人間の性癖ってのは治らない。放っておくとまたやる。要は、子供の遊びであろうと、前科者はまともなポストにつけちゃいけないという日本人の良識が彼のお陰で確立されるだろう。

さて、Sはというと、写真の被写体は女性が9割ぐらいだ。つまり女性の美というものを追求するうらやましい仕事である。よく知らないが広末涼子とかきっと有名なんだろうと思われる人の写真集など多々あり、間違いなくわがままであろうそういう方々やバックにいる有象無象の業界の面々と40年も仕事してきた人間観は独自の深みあるものだ。こっちも有象無象、多国籍の人々と銭金のつきあいをしてきた。だからとんでもない人間模様を見てきた共通点があって、飲むと楽しいのだ。あの女優に会いたいとか僕はそんな趣味はまるでない。波長が合う人と飲む、何より貴重な時間だ。

韓てらは東京の焼肉No1だ。たらふく食ってどっかでコーヒー飲むかとなり、Sが某喫茶店を検索し、下北沢に向かって行ってタクシーを降りるとあたりの風景に何となく勘が働いた。まてよ、ひょっとして・・・道の反対の暗い路地に入った。あった。当時に住んでた2軒目の家だった。最初のは狭かったがこれはでっかく、車庫にジャガーをとめていた。引き寄せの法則ってあるなと笑いながらよく通った寿司屋を見つけ、ここの小肌は東京No1だと教えて通りに戻ると喫茶がみつからない。しょうがない、あれ良さそうなんで行きましょうというが早いか反対側の小さい洒落た店にSが入っていった。おばさんがひとりでひっそりやってるカフェ。気に入った。「ここいいね、でも俺、ひとりで入れないんだよな」「どうしてですか」Sが怪訝な顔をする。「なんかガラでないんでね」。寂しい話だ。スタンドに女性がひとり静かにコーヒーで読書してる。ああ、いいなあ。こういうのがサラッとできる。Sはかっこいいなあと、いつもうらやましい。

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楽しかった久しぶりの東大クラス会

2025 JUL 19 7:07:13 am by 東 賢太郎

今年のクラス会、九段高校の方は日にちが合わず失礼してしまったが、我が硬式野球部は東東京大会で大健闘しており、ノーシードから勝ち上がって4回戦進出(ベスト16)だ。僕が入部した年が東西分離前でベスト32(第6シード校)だったから並んだ。準々決勝なら過去最高じゃないか、ここまで来れば甲子園行ってくれ。二松学舎、修徳、関東一、日大一、岩倉、堀越、日体荏原という我が世代の強豪校もノーシードであり、成立学園、日大一、日体荏原、明大中野、東京実、共栄学園、小山台は3回戦までに敗退した。九段より日大一高が先に負けるなど想像もできないが、いかに後輩たちが素晴らしいゲームをしているか!

先日あった東大のS50年LⅠⅡ9Bクラス会は出席できた。といってもぎりぎり直前に「出ます」と通知し、ちょっと遅れて会場である半蔵門のイタメシ屋に着いた。「久しぶり、10年以上来てないよなあ」と挨拶したら皆がそんなことないぞという。なにせみんなほぼ古希だ、どっちが正しいかわからん。「そうか?うーん、ごめん、覚えてない」で済んじまう。「あれからもう50年だぞ」「おお、そうか」と計算もできてない。

LⅠⅡってのは文Ⅰ、文Ⅱがいっしょ、9Bは第二外国語がドイツ語ってことだ。50名ぐらいで女子はゼロだからまるで男子校だ。50年まえ、駒場の教室のオリエンテーリングで初めて会ったあの日の面々。「ワクワクしたな、楽しかったな、いろいろあったな」で一気に盛り上がる。スピーチはひとり3分厳守と幹事から告知が為されたがものともせず倍ぐらいになった。「みんな、株持ってるか?持ってる人は手を挙げて」というと5,6人だ。「あのね、それじゃだめだよ、エヌビディア知ってるだろ、時価総額いくら?4兆ドル、600兆円だぜ、一企業で日本国のGDPとおんなじだよ、そういうのに乗っかってないと時代についてけないよ、ボケるよ!」。

まあ皆さん僕以外は日本国を代表するエリートである。総務省事務次官、石破内閣官房副長官兼内閣人事局長兼内閣感染症危機管理監の佐藤文俊くんをはじめ官界、法曹界・実業界のお歴々だ。でもみんな人間だから酔っぱらう。「8組は女子いたのにずるいよなあ」「ドイツ語わかんねえし」「俺、D、Dで危なかったよ」「そう、Mの授業つまんなかったよなあ」「Tの法学概論もな、起きてるのやっとでさ」「Oの英語のシェークスピアぐらいか、おもしろかったの」、まああとはあそこが悪いここが痛い、何の病気で手術しただの家族がどうしただの、この辺までは話題もそれなりである。

だんだん酔いが回る。「赤門前のパブリカンってスナック覚えてるか」「あったあった、俺、初カラオケだ」「そうだよ、東、お前そこで初めて歌った曲、覚えてるか?」「”柳が瀬ブルース” だろ」「違うよそれはあいつだ、お前は加山雄三の “君といつまでも” 」「凄いな、そんなの覚えてんのか」「ああ、新潟のスキーはどうだ。嫌な思い出だからお前たぶん忘れてるな」「新潟?」「そう、お前2日目にビビッて滑れなくなって大ショックでさ」「忘れてる、だって俺うまいと思ってるもん」「そうじゃないの、そういう時あったの」「そういやあ麻雀貢いだよな」「でもお前が勝つオカルト麻雀のあいつだけは俺の天敵なんだ」(爆笑)「雀荘は葵だが下宿でもやったな」「俺の下宿のトイレの洗面台でさ、『東さん、あの頭洗ってるかたどなたですか?』って大家に怒られるわけよ」「すまんすまん風呂入ってなくってさ」(爆笑)「そういやあ同人誌作ろうって女子誘ったよな」「うん1年の時ガリ版でね」「東、お前のペンネームは柚木健だ」「なんと!思い出した、その通りだ!」「お前と稲毛(高岡高校エース、188センチ)のキャッチボール凄かった、軽く投げてるお前のが速かった」「自分のタマは自分で見れん」「初ゴルフの大磯ロングビーチは?」「覚えてる。楽勝と思ったら一発もまっすぐ行かなかった」「お前がみずほの時も御殿場で回ったな」「そうだね、あれはみんなに悪かった。日曜日のラウンド中に出社命令が来て途中で帰るってなって」「あれがリーマンショックだったのか」。こういう記憶力の人たちと麻雀することはおすすめしない。

二次会はニューオータニ。11時半まで話は尽きず、めちゃくちゃ楽しかった。クラス会は半世紀前の自分の姿を映す鏡だ。幹事の佐藤くん、福岡くん、お疲れ様です、ありがとうございます。

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