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カテゴリー: ______スメタナ

プラハ交響楽団の「我が祖国」に感動

2024 JAN 17 12:12:29 pm by 東 賢太郎

プラハ交響楽団というと、ヤン・パネンカとヴァーツラフ・スメターチェクによるベートーベンのピアノ協奏曲全集がある。比較的好きな全集で時折取り出すが3番、4番のカデンツァが耳慣れぬスメタナ版であり5番のコーダのティンパニがトニックのままなど、やや通向きかもしれない。

ベートーベン ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58

CD棚にもう一枚あった。「スメタナ交響詩集」でノイマンがチェコ・フィルで4曲、ヤン・ヴァレックとビエロフラーベックがプラハ交響楽団で4曲を振っている。1995年発売とあるからスイスで買ったらしい。プラハはまだ共産国時代の1989年に仕事で、それから1996年に旅行で訪問したが、2度目は(記憶違いでなければ)小林研一郎先生と仲間でゴルフをしたんじゃなかったかな。先生は運動神経抜群で強い。アムステルダムでもお手合わせ願ってこてんこてんにやられた。スコアカードはたぶん捨ててないから探してみよう。

プラハ交響楽団はきいてみたかった。買ったのは11日(小林研一郎の「我が祖国」)と14日(岡本侑也、トマーシュ・ブラウネルのドヴォルザークVc協、新世界)だ。「我が祖国」全曲はきいたことがない。チェコのオケでないとまずやらないしチェコ・フィルは何度かきいたが当たらなかった。先生の十八番であり期待があったがはじめの2曲はいまひとつエンジンがかかっていない。3曲目からだ、温まってきたのは。休憩をはさんだ後半はぐいぐいオケに熱が入り、アレグロの一糸乱れぬアンサンブルは久々にきいた重戦車が疾走する質感である。これぞヨーロッパの音!ホルンはさすがの響きであり、喜々として叩くティンパニ奏者の感興が楽員のみならず聴衆まで巻き込んでしまう。こういう音楽は外国人にはしたくてもできないという意味で「我が祖国」はその名の通りチェコの人の宝であることが深く心に響いた。

感服したのは小林先生のオケと曲へのリスペクトだ。ともすればルーティーンになる来日オケの名曲演奏だが、一期一会の素晴らしい生きた音楽を紡ぎ出したのはそれだと感じたので記しておく。終演後の拍手を止め、なんとマイクでお言葉があった。「この曲はチェコの人にとって賛美歌みたいな大事なものなんです。それを今日はこれだけの熱演できかせてくれました。ここで普通はアンコールをするのですが、これだけやった後ですのでどうかご勘弁ください」と会場をなごませ、オケ全員を立たせて四方の客席に向けて日本式にお辞儀をさせた。目を疑うことだったが客席はいっそうの大拍手でおおいに沸き上がり、極上の音楽に暖かい交歓ととても良い気分でサントリーホールを後にした。このお辞儀は読響でもされていたことだが、チェコのオケで同曲を指揮するだけでも破格なのに、プライドの高い欧州のオケでこんなことまでできる日本人は先生だけに相違ない。これが肩書でなく実力で築いた信用というもの。お人となりを存じ上げるだけに心からのリスペクトを新たにするとともに、この方も日本の宝と思った。

思い出したことがある。昨年のWBCで来日し、侍ジャパン相手にみごとな善戦を見せたチェコ代表チームである。消防士、高校教師、大工さんらアマチュアのパフォーマンスに我々はほんとうに驚いたものだが、チェコチームはというと、佐々木朗希投手の162キロの剛速球をぶつけられて倒れこんだ選手が元気に起き上がって1塁に立った時の大拍手に驚いたらしい。なんでもない日本人の美徳なのだが、初々しく反応してくれたチェコの選手たちの清々しさがこれまた国中を感動させた。多くの方がチェコを大好きになった。こういうことが政治や外交や金のばらまきではできない、真に心をつかむ国際親善だ。スポーツや音楽はそれができる。指揮者は棒を振るだけが仕事でない。勉強させていただいた。

モルダウのメロディーがイスラエル国歌に似ているのは有名で、これについては諸説あって真偽の見当がつかない。それより、いま仕事でイスラエルと接近している時にこれを聞いた奇遇の方に興味がある。

作曲時、スメタナはすでに聴覚を失っていた。これも前稿でたまたま書いていたベートーベンと同様だがいささかの痕跡も残していない。ただ内面には葛藤があったであろう、それがモルダウの哀調になったかもしれない。僕はこれをユダヤ人のカレル・アンチェルのレコードで高校時代に覚えた。さきほど聞き返したが、まさにそれ、歌い回しや強弱、そしてテンポはもう百万分の一秒単位で記憶にぴったりはまる。

14日はチェロの岡本侑也が良かった。日本を代表する人になるだろう。この曲はピエール・フルニエがセルとやった録音が定盤ということになっているが依存なしだ。見ていて初めてわかるハイポジションの名技が駆使される協奏曲だ。それが難し気に聞こえるどころか、上品な歌に昇華して音楽に浸らせてくれる神業をフルニエは展開しているが岡本はやがてその域に行くかもしれない。Mov1の2番目の主題を朗々と鳴らすホルン。これがホルンでなくて何だという節が、やっぱりこれでなくてはと聞こえる唯一の楽器が独奏チェロであることを発見し、ドヴォルザークはチェロ協奏曲を書けると思ったのではないか。ホルンから受け取ったクラリネットがちょっと弱い、フルートも少々音量が等々と、あえて難点を指摘するならこのオケは木管だ。新世界は2014年にN響でデュトワのを聞いていたとカードに記録がある。家できくことはないので10年ぶりだ。この日はちゃんとアンコールがあり、まあチェコのオケの定番だがスラブ舞曲(5番イ長調)であり最高に良かった。

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スメタナ 交響詩「我が祖国」よりモルダウ

2014 APR 2 13:13:38 pm by 東 賢太郎

前回、フランクのソナタでフランコ・ベルギー派のヴァイオリンについて書きました。作曲者がベルギー人だからという先入観なく聴いても、この奏法はそぐわしいと思うのです。クラシック音楽にローカリティ(お国ものの味)を求めるのは本筋ではないとよくいわれます。確かにドビッシーはフランス人しか弾けないのであれば音楽の間口は随分狭いものになってしまうし、日本人は何も演奏できなくなってしまいます。

しかし、ペレアスとメリザンドの稿に書きましたが、このドビッシーのオペラやヤナーチェックの作品のようにその国の言語と不可分に感じる特別な音楽もあってこの議論は一筋縄ではありません。今回はそのアングルからスメタナの交響詩「モルダウ」を聴いてみます。この曲は6曲からなる「我が祖国」の第2曲であり、最も有名なもの。クラシックを聴かれるなら確実にマスト・アイテムです。

チェコは2度しか行ったことがありません。一度はベルリンの壁以前に仕事、二度目はゴルフをしたりで遊びです。それでもカレル橋から見たプラハとヴルタヴァ川(モルダウはこれのドイツ名)の光景は目に焼きついて離れません。ヨーロッパを知らない人に「ヨーロッパらしい景色」をお見せするなら迷わずあれを選びます。余談ですがスメタナというのはクリームという意味だそうで、たしかにレストランのメニューにもスメタナとあって妙な気分がしたものです。

「モルダウ」はその川の流れを描いた音楽です。冒頭からフルート、クラリネットが暗示する二つの源流が岩に当たって水しぶきとなる様がピッチカートで描かれ、それが合流すると、哀愁を含みながらも民族の誇りを湛えて堂々と流れるヴァイオリンの旋律が提示されます。それがハ長調の急流を思わせる景色を経てだんだんと静まり、農夫たちの結婚式の様子が見えてきます。音楽は喜びに満ちあふれたダンスとなります。

やがてあたりは夜を迎えて静まります。月明りの中に妖精が舞い、かなたには荘厳な岩に潰され廃墟となった古城と宮殿が見えてきます。ホルンとトロンボーンが厳かにそのいにしえの栄光を湛えると、メインテーマのヴァイオリンの旋律がかえってきます。やがて川は再び勢いを増し険しい景色となります。聖ヤン(ヨハネ)の急流で川は渦を巻き、音楽はピッコロを打楽器が加わって荒れ狂います。

そこを抜けると、川幅が広がりながらヴィシェフラドの傍を流れてプラハへと流れる。そして長い流れを経て、最後はラベ川(ドイツ語名エルベ川)へと消えていく、というのが作曲者スメタナの書いたストーリーです。曲の最後に第1曲「ヴィシェフラド」の主題も組み込まれて愛国心を刻印するようにライトモティーフ的な手法も入っています。川を描いた音楽としてはシューマンのライン交響曲を想起させますが、こちらのほうは交響詩という名のとおり、ずっと描写的であり、「ライン」の心象風景の描写とは一線を画したものでしょう。

この曲は僕が最も早い時期に覚えたクラシックの一つで、カレル・アンチェル/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団のスプラフォン盤LPで新世界のフィルアップに入っていたのを夢中になって何度も聴きました。だから僕にとってモルダウとは一重にこれであり、これ以外はまがい物に聞こえる(今でも)ほどこの演奏が刷り込まれています。

あまりにこの曲が好きなので10年ぐらい前にシンセサイザーでMIDI録音した時のことです。農民のダンスの部分で、大きな問題に直面しました。スコアをご覧ください。

1モルダウ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

囲った小節が問題の個所です。アンチェル盤をよ~く聴いてください。この小節の後半のテンポがほんの微妙に速くなるのにお気づきでしょうか?しかもほんの微妙にクレッシェンドしてほんの微妙にスタッカートをつけて、次の小節の2番目の音からすっと急にp(ピアノ)に音量が落ちる。ふわっとハンカチが宙に浮いた様な絶妙な味であり、これを鍵盤でうまく弾くのが実に難しいのです。

しかしほとんどの指揮者はこの小節を同じテンポで素通りです。何と味気ないことだろう。アンチェルのここがあまりに素晴らしいので僕もどうしてもそう演奏したい。クラシックって、こういう男のこだわりの集大成みたいなところがあってそこが面白いんです。通常僕はMIDI録音時はメトロノームでテンポを取っていますが、それでは加速するこの小節だけ合いません。後からテンポだけアジャストもできるのですが、どう逆立ちしてもわざとらしくなって不合格になってしまうのです。だから、結局ここだけのために全曲をメトロノームなしで弾いて録音する羽目になりました。全楽器を耳だけで合わせるのにどれだけ苦労したかわかりません(それも楽しいんですが)。

この小節、民族衣装の女の子たちが足並みそろえて、スタッカートは僕の想像ですが爪先立ってささっと動きを速め、全員がふっと動きを止めてまたダンスの振出しに戻るという情景が目に浮かびます。この部分を含め、アンチェルの解釈は同じくチェコ・フィルの常任指揮者だった先輩ターリッヒによく似ているわけで、この奏法はこのオーケストラの伝統かもしれません。細かいことなのですが、こういうことが気になりだすとクラシックは格段に面白くなってきます。

こういう微妙な隠し味はローカリティなのか指揮者の個性なのか難しい所です。というのはやはりチェコ人のクーベリックはダンス自体がずいぶん速く、この小節もことさらに意を配っていません。彼は最初に弦で出る主題のフレージングもやや個性的で、一般にはチェコを代表する解釈とされますがそうでもないでしょう。全曲の感銘は大いに認めるものではありますがモルダウに関するかぎりは僕はあまり共感しません。格調も詩情も迫力もアンチェル盤の方が上だと思います。

アンチェル盤の素晴らしさをもう少し書くと、冒頭のフルートとクラリネットのかけあいにヴィオラが入る見事な管弦楽法や月の光に古城がうかぶ情景の幻想的な雰囲気、その部分でCmからA♭mへのロマン派的転調(これが中学時代ショックでした)のやりかた等枚挙にいとまがなく、続く急流の部分のffの圧倒的迫力、牛皮ティンパニの見事な音響等は感涙ものです。コーダの和音連結はいつ聴いてもほんとうに素晴らしくて胸が熱くなります。

ということでアンチェル以外はあまり聴かないし興味も薄いのですが、ひとつだけ、米国人ジェームズ・レヴァイン/ ウィーン・フィルによる我が祖国全曲のDG盤は音が良くて好きです。

(こちらへどうぞ)

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