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カテゴリー: ______イベール

N響定期ネーメ・ヤルヴィのフランク、サン・サーンス

2019 MAY 22 22:22:20 pm by 東 賢太郎

イベール/モーツァルトへのオマージュ

フランク/交響曲 ニ短調

サン・サーンス/交響曲 第3番 ハ短調 作品78

 

イベールは初耳。軽妙。フランクはかつて知るうちで最速である。パレーより速い。いまこのテンポで振る度胸のある指揮者がいるだろうか。甚だ疑問だ。有無を言わせぬ奔流であり、転調の明滅に目が眩む風にフランクは書いているのであり、遅いとムード音楽に堕落する。指揮はミクロで振っている。チェロは指揮台の下(!)に棒が行く。大家然で細部はおまかせ、ではまったくない。棒の動きは大きくはなくキューが速く明確。キューがいらぬ部分は体で指揮。見ているだけで出てくる音の質がわかる。この大御所にして眼力によるマイクロマネージメントができる。日本の大企業経営者は見習った方がいい。

サン=サーンス。こういうものを聴くと曲を見直すしかない。餓鬼の酒と馬鹿にしていたら、きゅっと冷えた辛口大吟醸ではないか。いや、参りました。こっちも大きなうねりだがスローな部分でオルガン(鈴木優人)をいい具合に混ぜる。重低音がホールの空気を揺るがし、オーケストラを従者とし、楽器の王として君臨する。コーダは世界を制覇したナポレオンの如し。このオッさん凄いな、押しても引いても微動だにせんなと感じ入ったのは、シベリウス2番の時もおんなじものが残ったからだ。ムラヴィンスキー直伝。ヨーロッパの伝統筋金入りだ。つくづく思う、我が国は伝統を大切にしなきゃ。

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N響定期、アシュケナージのドビッシーを聴く

2018 JUN 10 0:00:50 am by 東 賢太郎

指揮:ウラディーミル・アシュケナージ
ピアノ:ジャン・エフラム・バヴゼ

イベール/祝典序曲
ドビッシー/ピアノと管弦楽のための幻想曲
ドビッシー/牧神の午後への前奏曲
ドビッシー/交響詩「海」

イベールは西村さんがブログに書かれた昭和15年に委嘱された曲。一聴して面白い曲でもないが聴けたのはありがたい。ジャン・エフラム・バヴゼのピアノは高音域のきらめきがとてもきれいで、めったに実演を聴けない幻想曲は楽しめた。アンコールの「花火」はすばらしい、見事なタッチと音彩の使い手でありこれなら前奏曲第2巻全曲を所望したい。後半はいつでも何処でも聴きたい曲目。特に「海」は最も好きなクラシックのひとつで、スコアにあるすべての音が絶対の価値を持って聞こえる。

最近疲れで居眠りすることが多いが、牧神と海だけはアドレナリンが出て開始前から興奮している。どちらもオーケストレーションが!!!何度観ても唖然とする独創。僕は僕なりの色を見ている。海の第1楽章の最後、チェロのソロとイングリッシュホルンのユニゾン!ここはW・ピストン著「管弦楽法」に取り上げられている箇所だがまるで一つの別な楽器のように完璧に調和するのは驚くばかり。シンセで第1楽章を録音したが、この部分からコーダの陽光に煌めく波しぶきまで、作りながら恍惚状態だった。第2楽章は色彩の嵐、第3楽章は再度その恍惚の和声で締めくくられる。一音符たりとも無駄がなく、今日はコルネットを復活した版だったがどちらであれ終結の充足感はゆるぎない。

海のオケを観ながら、これがなければペトルーシュカも春の祭典もなかったなと、弦楽器の書法、シンバル・銅鑼の用法、ティンパニとバスドラの使い分け(打楽器の音色美まで追求!)に感じ入る。とにかくオーケストレーションが図抜けていて凄すぎる。演奏?とてもよかった。アシュケナージは楽器をバランスよく鳴らし、ブレンドさせるのが大変に上手だ。眠くなるどころか、アドレナリンがさらに脳内をめぐっていつになく覚醒して終了。すばらしい「海」をありがとう!

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イベール 交響組曲「寄港地」

2015 JUL 12 23:23:37 pm by 東 賢太郎

前回は地中海クルーズについて書きましたが、そうなるとどうしてもこの名曲にふれることになります。その名のとおり、「地中海めぐり編」に含めましょう。

______地中海めぐり編 (14)

220px-Jacques_Ibertフランスの作曲家ジャック・イベール(1890-1962)は生粋のパリジャンです。彼のお母さんはピアノをアントワーヌ・フランソワ・ マルモンテルという先生に習ったピアニストでした。マルモンテルの弟子にはビゼー、ドビッシー、マルグリット・ロンなどがいます。エマニュエル・デ・ファリャは彼女のいとことききましたが確認はできませんでした。

ローマ賞を受賞した折に「寄港地」を第1次大戦での海軍士官としての航海経験をもとにローマで書きました。1922年、32才の初期作品です。これがイベールの最高傑作とは思いませんが最高に著名な作であることは間違いないでしょう。フランス人が描いたイタリア、地中海、アフリカで、洗練された和声とオーケストレーションが光りますが、音画という性格はグローフェの「グランドキャニオン組曲」を連想しないでもありません。

  グローフェ グランド・キャニオン組曲

 

20世紀初頭のヨーロッパ人が渡ったシシリー島、アフリカ大陸(チュニジア)というアラブ、イスラム圏の空気と情景をドビッシーの和声と印象派の管弦楽法で描いたのがこの「寄港地」だといっていいと思います。ご当地のイタリア人がこういう曲を書かないのが不思議ですがイタリアは歌ですからね、和声で絵をかくという発想は希薄です。それができた人はレスピーギですが彼は古代ローマ賛美のほうにいってしまった。一方この曲のカバー地域はローマを出港すると寄港地は全部が旧敵のカルタゴです。交響組曲「カルタゴ」にしてぴったりなぐらいです。

イベールがそれを描くのに使った旋法はアルメニア人のハチャトリアンが使ったアラブ、イスラム風旋法に似てイラク、シリアあたり(メソポタミア)の黒っぽい雰囲気をもっており、和声はというと洗練の極致のドビッシー風です。このミスマッチが個性になるというのがインヴェンションであるという例は、ストラヴィンスキーが土俗的なロシア民話の世界にやはりドビッシーをもちこんだ「火の鳥」という前例があります。ただどちらも本家の模糊とした使い方ではなく色彩は明確ですが。

例えば第1曲「ローマ-パレルモ」でヴァイオリンが上昇音型で入ってくるところ(11小節目)は火の鳥の「子守唄」の弦の上昇音型の入りそっくりです。これはどちらも2度出てきますが、寄港地の2度目の和声変化はB♭6(b♭,d,f,g)⇒ B6/c#(g#c#d#f#b/c#)でありとてもドビッシー的といいますか、ドビッシーを消化吸収したストラヴィンスキー的であります。

難しく考える音楽ではなく、ひたすら音の絵葉書としてお聴きになればいい。僕はこれを大学時代にシャルル・ミュンシュのレコードで知って、エキゾティックな響きで描かれているパレルモやチュニスに行ってみたいと強く思うようになりました。あのクルーズに魅かれたのもそのせいです。パレルモ⇒チュニス⇒バルセロナと、以下のようなこの曲の航海行程と同じルートだったから一発で決定でした。

第1曲 「ローマ - パレルモ」

第2曲 「チュニス - ネフタ」

第3曲 「バレンシア」

そして実際にその地に立ってみて、この曲は良く書けてるなあと改めて惚れなおしたのです。第1曲、冒頭のフルートがひそやかに夏の夜のなま暖かさを暗示します。これはまぎれもなく夜ですね。オーボエがが入ってきてからむとアラブの妖しさを秘めた空気の香りまで漂ってきます。

第2曲のオーボエの歌はもう典型的なアラブ風イスラム風音階でコブラ使いの笛を思わせます。バックのリズムがなんとも妖しくいかがわしい。ネフタはチュニジア南方のイスラムの聖地でサハラ砂漠に近く、音楽はそのむんむんした空気をたたえています。こういう題材が銭湯のペンキ絵にならないのがフランス風の洗練されたやや辛口で甘くならない和声と精妙な管弦楽法によるものでしょう。第3曲はスペイン風のリズムがはじけ、シャブリエの狂詩曲「スペイン」、ファリャの「三角帽子」のような感じになり幕を閉じます。

おすすめの録音は3つあります。

 

ポール・パレー/ デトロイト交響楽団

zaP2_A4010622Wパレーはこの曲の初演者です。曲想のつかみかた、変幻自在の和声の感じかた、楽器の音色の活かしかた、木管の妖しいニュアンス、リズムの活気、合奏の見事さとからっとした地中海そのものの見通しの良さ等々、自身作曲家でもあるパレーがイベールの意図を感じ切って見事なオーケストラ・コントロールで聴かせてくれます。一家に一枚ものの決定盤といってさしつかえないでしょう。録音も一世を風靡したマーキュリーのリビング・プレゼンス(35mmマグネティックテープによる)による高解像度と生々しさを誇り、年代を感じさせません。

 

 レオポルド・ストコフスキー / フランス国立放送管弦楽団

MI0002865985パレー盤にせまる魅力があるのがこれです。上品で品格を失わないパレーに対して原色的なお楽しみムードに満ち満ちていることではこっちが上でしょう。パレルモのむんむんした夜の大気のにおいは温度まで感じます。チュニスの伴奏の妖しくてあぶない感じ!これで僕は太鼓を買いたくなってしまったのです。舞っている中東風の容貌の女たちが見えてきます。イベールは管楽器を好み、その扱いに非常なセンスを見せた作曲家ですが、ストコフスキーも管の色彩を見事に出せる名指揮者でした。彼のこういう曲はどうしてもイロモノというイメージがあり第1曲の弦のポルタメントもそうかと思っていましたが、イベールの自演盤もそうしており直伝のようです。

 

ジャン・マルティノン / フランス国立放送管弦楽団

TOCE-16232上記と同じオケですが録音が新しく、徹底してフランス音楽流儀でやったものとして名演です。乾いた空気を感じる見通しの良いアンサンブル、立体感のある音場は彼のドビッシー、ラヴェルの演奏そのままの雰囲気です。ストコフスキーのようなロマンや物語性はありませんが非常にクールでプロフェッショナルな読みであり、寄港地にはこういう側面の魅力があることを教えてくれます。マルティノンもパレーと同様に自身が作曲家であり、交響曲等を残しています。

(こちらもどうぞ)

 最高の夏だった地中海クルーズ(今月のテーマ 夏休み)

 

 

 

 

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最高の夏だった地中海クルーズ(今月のテーマ 夏休み)

2015 JUL 12 0:00:03 am by 東 賢太郎

夏休みは何回あったんだろう。物心ついた幼稚園からとすればかれこれ55回ぐらいか、そんなにあったのか!

全部がそれなりに楽しかったのでしょうが全部を覚えてるわけでもない。よほど印象に残ることをしていないと60になれば悲しいかな忘れるもんです。

なかでも、スイス駐在時代の最後の夏に家族で行った地中海クルーズは最高の思い出かもしれません。よく覚えている。クルーズはいまどきは行かれた方がけっこう多いかと思いますが、86年ロンドン時代にもギリシャの島めぐりクルーズをしましたが東洋人はひとりもおらず、この2回目でも子供連れが珍しがられたような時代でした。こういうのにスッと入れたのも海外勤務あってのことでした。いまだったらちょっと面倒くさいかもしれない。

1997年7月27日にチューリヒからスイス航空でイタリアのジェノヴァに飛びました。まだ長女は9才、次女は7才、長男は3才とかわいい盛りでした。ヴァウチャーを見てみると空港に昼前についたようです。きっちりしたスイス人の世界からええ加減でスリの多いイタリア人世界に入ったぞと頭のスイッチを切り換えます。

ジェノヴァ(ここはここでいい街だった)

子供3人というのは夫婦の4本の手に余るのでこれまた危険です。出迎えのバスを何とか探し、両手いっぱいの荷物といっしょに子供も運び込んだという感じで無事に乗船すると、うれしいよりもほっとしてが気が抜けました。

一連の乗船手続きを済ませるといよいよ出航です。やっと家族だけのプライベートで静かな空間になる。汽笛が鳴っていよいよ出航。緊張の瞬間です。向かう先はどこまでも真っ青な地中海。そこから8日間の船旅でした。だんだん遠ざかるジェノヴァの街並みと丘陵が霞みのかなたに消え、夕闇が波ひとつない大海原をすっぽりとおおうと夕食です。黄金のような時間でした。

レストランはテーブルが8日間同じです。イタリアンがメインでこれが一番美味ですがメニューは毎日趣向がかわり飽きることはなし。ホールでは音楽、ショー、マジック、ダンスなど夜遅くまでアトラクションがありカジノがあり、デッキでカクテルを飲みながら寝そべっても快適で、ホテルごと移動して朝めざめると翌日の停泊地に着いているのだから贅沢です。

そして上陸すると英、仏、独語のガイドがいるバスにそれぞれ乗って当地をあちこち観光する。 寄港したのは2日目カプリ島、3日目シチリア島(パレルモ)、4日目チュニジア(チュニス)、5日目マジョルカ島(パルマ)、6日目イビサ島、7日目バルセロナです。船の名前はメロディ(Melody)でした。

カプリ島の昼飯のパスタは最高で、今でも覚えてる。快晴でした。丘の上のかなり高台の館風レストランで垂直に近い下に深いブルーの海。人生かつて見た最も美しい景色の一つです。ローマ皇帝のティベリウスがここに別荘を建てて治世の後半を過ごしたのも納得です。そしてクルーザーで沖に出て、小舟に乗り換えて「青の洞窟」です。天候によってダメな日もありラッキーでした。この島は行く価値があります、ぜひお勧めしたいと思います。

3日目のシチリア島はどうしてもマフィアのイメージがありパレルモの街をバスで行っても街は殺伐として見えました。丘の上の寺院のようなところから海を見たことぐらいの記憶ですが、ここの絶景もすごいものでした。飲んだワインのセッコがカラッとした空気にしっくりしていた、これ以来シチリアの白というとここを思い出します。街の雰囲気ですがローマとアラブが混じった独特のもので、ジャック・イベールの交響組曲『寄港地』(第1曲がローマ~パレルモ)が見事に描いてます

シチリア島のパレルモ

そして4日目はアフリカに渡ってチュニスです。シチリアは観光に子供たちを連れて行ったのですが、なんとなく防御本能が働き、この街では船に3人置いていきました(そういう親のため子供用プレイルームが完備している)。どうしてそうしたのかもう忘れてましたが、3月にあった博物館の襲撃事件に続き先月26日にはビーチリゾートでISによる発砲で観光客38人が死亡する近代チュニジア史で最悪の襲撃事件が起きており、やはり危ない場所だった。英国政府が自国民に退避勧告したようで、もう観光どころではない場所になってしまいました。

カルタゴ遺跡にて(当時41才)

ここのハイライトはカルタゴ遺跡です。これが見たかったからこのクルーズを選んだようなものでした。船はチュニスに停泊します。カルタゴはチュニス市ではありません。街を離れてバスでけっこう走った小高い丘の上「ビュルサの丘」にありました。カルタゴはここから地中海貿易を支配し、シチリア島をめぐってローマと対立して第1次ポエニ戦争でその領有を失いました。そこでイベリア半島の開発に注力し、名将ハンニバルが象を伴って進軍してローマをあわや陥落まで追い詰めたが戦線は膠着。大スキピオに攻められたカルタゴがハンニバルを呼び戻してローマ軍と戦ったがザマの戦いで敗れました(イベリア半島経営がわが国の満州にかぶります)。

カルタゴ勢力範囲(紀元前264年頃、青色部分)

この第2次ポエニ戦争の講和条件が厳しく、ローマへの船の引き渡しと多額の賠償金支払いと共に「アフリカの近隣国と勝手に戦争したらいかん」というのがあった。ローマの許可がいるのであってこれは憲法第9条と日米安保体制と見事にかぶるわけです。ところがカルタゴの西隣にはヌミディアという凶暴な国があった。第2次ポエニでローマと同盟を組んでいるいわば連合国です。こいつがそれをいいことにカルタゴ領を頻繁に侵略してきた(これも中国のあいつぐ領海侵犯とかぶります)。

ついに堪えきれなくなったカルタゴはヌミディアを攻撃。ローマに使者を送って開戦の許可を求めるが、元老院のカルタゴ撲滅論者らがそれを認めず勝手な攻撃は条約違反であるとしてカルタゴの武装解除、市民の立ち退きを決めた(ここも真珠湾の発端とかぶる)。そしてそれに激怒したカルタゴは籠城を決め3年も抵抗を試みたが、もうハンニバルはいなかった。将軍職を退いて首相に当たる職にありましたが国政の改革を断行したため一部貴族に追い出されてシリアに亡命、ローマの追っ手の前に毒をあおいで自殺してました。

BC146年、この第3次ポエニ戦争でカルタゴはローマの小スキピオという男に徹底的に殲滅されたのです。カルタゴが建設されたのは紀元前816年で、それから668年間続いた国家が消えた。籠城した市民がここで15万人殺され5万人が捕虜となり、市街は更地になるまで17日間燃やされぺんぺん草も生えないように塩までまかれた。これは軍人同士の殺し合いという戦争の概念にはとうてい当てはまらないおぞましい限りの大虐殺、民族抹殺であり、戦争はそこまで正当化できるものでもないし、そこにいかなる正義があったと主張しようにも白々しいだけの衝撃的な数字です。

カルタゴ遺跡

実際にその土地に立ってみてそう感じましたが、思えば我が東京の地だってそういうことがあった。1945年になって民間人10万人が一夜にして殺された米空軍司令官ルメイによる東京大空襲です。カルタゴは2160年前のことだが東京が焼夷弾で焼き尽くされたのは僕が生まれるほんの10年前のことでした。近代世界史で最悪の民間人襲撃事件でしょう。ルメイは民間人襲撃について、日本人は家で武器を作っている、武器工場を攻撃したのだと述べています。

そしてさらに推定14万人が殺されたという広島、そして長崎の原爆投下、これは一体なんだったのかと思う。ましてそのルメイが勲一等旭日章の叙勲者という力学は一体なんなのか、日本国の叙勲というもの、ひいては日本国というものはなんなのか。第2次ポエニ戦争でのカルタゴと同じく、敗戦国なのです。だから現代のわれわれはこの疑問を引きずったまま未解決の国に住んでいるのです。1945年を終戦というのはおかしい。カルタゴの運命を日本国民は記憶しておくべきでしょう。そしてカルタゴが殲滅された経緯が既述のようにいちいち敗戦後の日本(すなわち今)と嫌らしくかぶってくるのだということも。

だいぶ話がそれました。カルタゴ遺跡を後にチュニスの街へ戻ると、雑踏はもうアラブ系アフリカのムードです。どんな映画のシーンより迫力ありました。きょろきょろしながら雑踏をかきわけ、道行く人々の顔をしげしげと眺めながら、カエサルが進軍しクレオパトラと出会った古代エジプトもこんなものだったんだろうか、パルミラ王国のゼノビアもあんな女だったんだろうかなど歴史ロマンにひたりました。

ここまでが強烈過ぎたのか、マジョルカ、イビサはあんまり覚えてない。海岸で子供と遊んだぐらいでまあ普通のヨーロッパの島でした。昔からいかにショパンに興味ないかお分かりいただけると思います。そしてバルセロナなんてのは1度すでに行ってたし普通のヨーロッパの街であり、特に僕はガウディの妙ちくりんなあれが大嫌いなもんでさっぱりでした。

ジェノヴァに戻ってきてフライトまで少しあったのでタクシーを借り切って観光しました。子供に水族館を見せたりコロンブスの家を見たり。ランチをしたレストランZeffirinoはイタメシに食傷気味だったにもかかわらずかつて食したイタメシのベスト3に入る最高のものでした。ぜひ一度行かれるといいです。youtubeで見つけたのでご覧ください。

運ちゃんがいい奴であちこちで家族写真を撮ってくれ、アルバムの最後にジェノヴァがかなりの分量があるのもスマホのないこの時代ですね。ええ加減だけどにくめないイタリア。僕の地中海好きはこのとき決定的となりました。

すばらしい思い出を運んでくれた船、ミス・メロディ(Melody)はこれです。

 

さっきWikipediaを見てみると1982年に建造され大西洋クルーズに使われていましたが、我が家がお世話になった1997年にこのMSCという船会社が買って地中海クルーズに就航させたからデビューのころだったことがわかりました。こういうことがすぐわかるのも便利な時代になった、あのころネットがあったらもっと情報があって楽しめた。今の若い人は幸せです。

その後、メロディは南アフリカ航路になって2009年にはソマリアの海賊の攻撃を受けて大きなニュースになったようですが知りませんでした。そして12年に日本の船会社に売られたので会う機会はあった、残念です。翌年は韓国に売られさらにヨーロッパへ戻り、13年の11月に引退が発表されました。現在はインドのコングロマリットが購入し、Qingとういう船名に変わってインドの西海岸のゴア市で海上ホテルとして余生を送っているそうです.

もう一度会ってみたい。強くそう思います。

 

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  イベール 交響組曲「寄港地」

 

 

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