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カテゴリー: 若者に教えたいこと

『黒猫フクの人生観』 (第十八話)

2026 SEP 16 18:18:42 pm by 東 賢太郎

高市さん頑張ってるね。天国で話題だよ。沖縄は自民候補が大勝。組閣もやりたいようにやった。参院幹事長も切った。民意を無視してたことが発覚した福岡県議会。お遊びのパリ旅行でひとり20万円の夕食会。こりゃバブル時代の野村証券もびっくりだ、ましてそれが公費だなんて犯罪以外の何物でもないよ。高市さん怒りまくって来年4月の地方選で福岡は全員公認しない。当然だ。読者の皆さんの自治体だって怪しいかもしれないよ、この際に全部洗いだしてほしいよね。でもね、僕は冷静なんだ。だって高市さんならこのぐらいのことはやってくれるんじゃないかという期待で国民は2月の衆院選で自民党に投票したんだ。だから自民党は330議席で歴史的大勝したんだよ。つまりそれが国民の7割の意思なんだ、当たり前のことが当たり前に起きてるだけさ。だから主人はあの選挙を見て「日本で起きた初めての市民革命」ってブログに書いたんだ。

ところが、それを野党は「高市の独断だって」批判するんだ。真正のバカだよね、だって日本国憲法でね、国民の多数決で議員が決まって、その議員が法律作って内閣を組織して政策を実行する、民主主義の基本は多数決なんだね。それを独断と言い換えるのは印象操作っていう「詐欺師の論法」なんだ。昭和ならそれで国民だませたけどね、いまはSNSが思いっきり「こいつら詐欺師だ」ってバラしちゃうから野党は騒げば騒ぐほど支持率下がる。それを一緒にはやして高市下げに全力投球なのがバレたオールドメディアも、そのしもべの評論家や学者や文化人なんて奴らも、国民にウソがばれて新聞購読者数もテレビ視聴率もつるべ落としで暴落中なんだ。もう数字で確たる証拠が出てるんだよ。でも、こいつら文系で昭和のアタマのまんまだから気がつかない、っていうか、気がついても伝統のお家芸を捨てるわけいかない。だって仕事なくなっちゃうからね、売れなくなった芸人とおんなじなんだ。

足を引っ張るだけで議員バッジつけて年収4千万円でぬくぬくやってる野党を国民の大多数はもう許さない。食料品消費税1%だって、選挙で選ばれてない役人が民意の邪魔すりゃバッサリ首切られて左遷だ。それをやるのも総理の仕事、それが議会制民主主義、議員内閣制。あまりに原理原則であたりまえ。彼女は8年やった安倍総理でもできなかった仕事を半年でしてるんだ。霞が関はパニックだけどそんなもの全然構わない。彼女のしてることは力技じゃないよ、7割の国民が付託、それを忠実に実行、それを7割の国民が承認という地道な作業だからさ。でも「政局」でいい加減な政治してた奴らはそれが怖いんだね、細かい政策のいちいちにまで総理大臣が自分で目を通してその3つのプロセスを地道にキープするからつけ入るスキがない、それが憲法に書いてあることだから凄みがあるんだよ。だから内閣支持率は下がんないの。下がっても国民は信頼してるから戻るの。これを主人は「高市の法則」と呼んでるんだ。彼女の属人的な能力じゃなく方法論だから野党だってやれば支持率上がるんだよ。猿にはできないけどね。

高市さん、主人の東大法学部のクラスメートが高市総務大臣時代の総務省事務次官でさ、見込んだ通りの人みたいだね。そういや「飲み会を断らない女」ってのが総務省にいてNo2にまでのし上がって有名になったけどね、彼女はこう言い放ってた。「断る人は二度と誘われません。幸運にめぐり合う機会も減っていきます。多くのものに出会うチャンスを、愚直に広げていってほしい」。この女性はTBSだったかどこだったか昭和のエレベーターに狙い通りに乗っかってテレビに愚直に天下ったけど幸運、チャンスってのはその程度のもんだったね。「飲み会に行かない女」は二度と誘われないけど総理大臣になったわけだよ。愚直に昭和のしきたりに従う演歌の世界の女は女としては可愛いけどさ、それを無視して昭和のしがらみをぶっ壊す女を時代は求めてたってことさ。主人も圧倒的にぶっ壊し側で3回も上場企業の役員けった男だからね、僕は5年も毎晩いっしょにいたからよくわかるさ、だから高市さん好きなんだね。

高市さん、これも主人が何か月か前に思いっきりブログに書いたことだよ。次は反高市の自民党33人をやれ、こいつらも次の選挙で全員を非公認にして追い出すことだ。癌細胞の切除だね。堂々たる体制反逆者だからね、世界史上そんなのを手下に飼っておいて成功した君主はいない。ウイングの広い自民党なんてそんなもんどうでもいい。絶対に切らないといけないよ。支持率が内閣6割なのに自民党3割なのはこいつらが癌なことを国民が見抜いてるせいなんだよ。見抜いてないのは昭和のしきたりで出世できると勘違いして糞くだらない「政局」やってる二世三世の阿呆な自民党議員なんだ。こいつらが33人につるんで癌がでかくなれば支持率下がるよ。これがリスクだから党支持率が3割食われてるわけ。SNSで情報は完全に有権者に共有される時代だ。沖縄で半分以上が左翼に入れたのは年齢60代70代だけだ。 50代以下は半分以上が古謝に投票だったよ。 5年後はもっとそうなるよ、だって新聞・テレビ・雑誌だけでSNS見ない爺婆はいなくなるからね。

そういえば僕がボロカスに書いた例の超いい加減な「中道」って政党さ、潰れるって聞いて天国はびっくりだよ。潰れることがかって?ちがうちがう、まだあったのかってさ。野田と石破は似た者同士だ、お似合いだよ、そのドンガラ残して新党「やっぱり民主党」さ。これに33人を収容するのも一計だね、 2大政党制を目指そうとか何とか騙してでもね、こういうことに善人になっちゃいけないよ、民意にたてついて予算遅らせた奴らはね、どんな大嘘つこうが何だろうが一切の情なくばっさりやっても国民が許すよ。「減税より野党との協調だ。俺は参院のドンだ」「それがなにか?」で石井をばっさり。聖域なし。袈裟懸けに斬り捨てたね。すばらしい!天国じゃブラボーが飛んでるよ。参院はそもそもいらんと言ってる主人も快哉だ。297対33だ、ゴミみたいなもんで絶対に負けないよ。国民もその方がすっきりと応援しやすいよ。33人ひとり残らずブチ切ればこれから衆参とも自民圧勝で高市長期政権は盤石だ。いよいよサッチャーだよ。

 

3泊4日で韓国行ってたもんで・・・

2026 SEP 12 0:00:10 am by 東 賢太郎

飛行機は7年乗ってない。元から嫌いなうえパニック障害ありで、よくそれで海外部門がつとまりましたねと不思議がられる。思えば証券界でそんな人間は見たことないし、むしろ好きな連中が多い。昔のパスポートを全部引っ張り出してみると、乗ってる乗ってる、全部のページに所狭しとイミグレーションのスタンプが押してあって気が遠くなり、数える気も失せた。最後はオーストラリアのケアンズだ。 10時間ぐらいかかるが、娘が一緒だったのと、ナイトフライトだから酔っ払って寝ちまえばいいと思い切ったのだった。

この度乗ったのは、野村証券のロンドン仲間との韓国旅行だった。ソウル、済州島だからフライト時間は短いものの3度も離着陸があり心やすくはない。仕事は立て込んでいるがこの仲間はことさらの戦友だ、楽しくないはずがない。よし飛行機は我慢して行こうと決意した。こういう場合、僕には問題が2つある。ひとつ目が荷造りだ。たった3泊なのにあれもこれも必要となって収拾がつかず、最後は必ず家内にお任せになるのだが、ロックした後もあれ忘れてないかこれあるかなと心配でならない。綺麗に整ったスーツケースは行った先で開くとめちゃくちゃになり、翌日戻そうとするが、何も増えていないにもかかわらず、入らないのである。

ふたつ目に集合時間というのがある。出発は羽田9:20だが万一の場合にそなえ7:30に来いとラインが来た。過去の習性からこれは僕を念頭に置いてると思われる。現地においても、ホテルの部屋で各自が休憩して昼食は何時、バスの出発は何時なんてのがガイドさんから伝達されるが、覚えてもすぐ忘れる。そこは長年のことだから心得ていて、手元にある適当な紙片に場所と時刻を書き留めるのが習慣化しているのだが、休憩中にいざそろそろとなって部屋でそれを探すと、紙片が見つからないのである。せっかく整えた荷物をまたひっくり返し、やがて思いもよらぬ所で発見して記された時間を見ると、たいがいが今でしょなのだ。

3泊4日のスケジュールで一番心配だったのは体重である。 79キロだったのがダイエットで74キロになってる。現地で出されたものは残すと失礼だし、それ以外のものは口にすまいと肝に銘じたがいきなりチョンボをしてしまった。朝7時半なんて早朝に出てくることは年に何回もなく頭がボーッとしており、ラウンジで「JAL名物です」と勧められたカレーをうっかり食べてしまった。機内に入ると大韓航空のビジネスは2-2-2でセミファーストのスペース感がなかなかよろしい。これで2時間、パニックは大丈夫そうだと安心すると、そういえばKALのビビンバは旨かったなとランチに注文し、完食してしまった。

もう10年近く行ってないインチョン空港にランディングした。何度ここに来たことか。色々あった。目の前に走馬灯とはこのことだ。ソウル市内で調印した契約書の不備を見つけ、作った韓国の弁護士の目の前でビリビリ破り、ビビった彼はここまで見送りに来たっけ。なんて野蛮な人間だったんだ、悪いことしたなぁ元気かなあいつと考えていた。空港のレイアウトはずいぶん変わっていて中国からの便も着いたり大混雑だ。やっとイミグレにたどり着いたと思ったら、「やばい入国カード書いてないぞ!」と前の仲間が騒ぎ出す。僕が書いてるはずない。おい参ったな、いらなくなったのかと思ってたよ、あるのも忘れてたよ、ペンねえか、まあいろいろ声はあったがまるで施設の爺さんの慰安旅行である。

到着口で何人かが出迎えてくれ、ミニバスに乗るとスハドンなるソルロンタンの店に着いた。何とランチだという。まいった。カレーにビビンバときて昼時にして3食目だ。ところが名店の威力はおそろしいもので食べられてしまうのである。蚕室(チャムシル)のロッテワールドタワーまでは半端でない渋滞で1時間半かかった。窓から眺めるソウルの街並み、人の群れ。ああ、一人当たりGDPで抜かれたんだなあと見えてしまう気持ちがうら寂しい。日本語ペラペラのガイドさんに「ロッテワールドタワーは123階建てになっております。ホテルはその中にあるシグニエル ソウルでございます。90階のお部屋をご用意しております」と言われ何も考えずにはいと言ったが、エレベーターに乗ってもなかなか到着しない。そうか池袋のサンシャインのてっぺんから30階も上なんだ。

ロッテワールドタワー

部屋から外を見るとこんな感じで、こいつはその昔、マンハッタンでエンパイアステートビルから見てぞっとふるえあがった景色だ。高所恐怖症なんで。そうでない方にとって、このスケールのパノラマを体験できるホテルとなると、世界広しといえどそうはない。

お子ちゃま連れのファミリーにとっては、すぐ隣にディズニー風の遊園地であるロッテワールドがあるから最高だ。僕らも連れて行かれ、 7月にオープンしたアトラクション「ゴジラ x コング: THE RIDE」をご体験くださいということにあいなった。(帰国して探してみたがオフィシャルトレーラーはこういうもので、撮影厳禁らしく我々が体験したものとは違う)。

こいつはおすすめだ。アメリカで流行のイマーシブというやつで日本語では没入型エンタメなんて呼んでる。大人だって爺いだって「没入」できるが低学年の子にはちょっと怖いかなぐらいのところだ。学生時代にアナハイムで初めてスペースマウンテンに乗った時の怖さに似てる。ロッテワールドは入場料6700円とのこと。これも含めて乗り放題はリーズナブルだろう。

6時頃になって、いよいよこの日の4食目!である。国賓をお連れするという三元ガーデンなる老舗は予約が取れないので有名らしい。高級な韓国料理は小皿の数がすごい。自分で注文しないので何が出たのかよくわからないが、野菜が多いので満腹にならない。僕は韓国料理は食べたことないものはほとんどないが、ここは食材も調理法も味付けも普通じゃない、とにかく何を食べても美味である。アックジョンにある。ソウルに行ってここで食べないのは意味がない。

この旅行に特別の理由も秘密もない。なんで招集がかかったかも知らない。幹事のKから「来れますか」と2か月前にラインが入っただけだ。入社年次の幅が8年ある8人。ロンドン会と名はついてるが利権があったりいやらしいサラリーマンの寄り合いみたいなものは微塵もない。全員がお互いを深く深く知っている。それも昨今がどうのではない、僕が30代の前半だったロンドンの1984年から90年あたり、同じ職場で日々ピリピリしながら早朝から夜中まで毎日100億円のノルマをこなしていた全盛期の野村證券トップの営業軍団だ。ということは証券界のトップであり、この8人こそマーヴェリックだと書いて反論できる者は1人もいない。たとえは古いが、V9巨人軍のレギュラーメンバーだけのOB会みたいなもの。ちなみに5人はその後上場企業役員、 2人は企業グループオーナーになっている。

翌日になった。済州島に移動する。日本はずっと雨の予報でたぶん台風の余波は韓国にも来るだろうからゴルフはだめだなと諦めていた。ところが、ソウルから1時間15分の大韓航空機で到着すると、何のことない快晴だ。プレイは明日の予定だったが天気が読めないから晴れてる今日やっちまおうと予定を変えてもらった。スカイヒルCCは米国のゴルフコーストップ100のうち13のコースを設計したロバート・トレント・ジョーンズ・ジュニア設計の名門コースである。いきなり「今日やらせろ」なんて馬鹿野郎ものだが、それが難なくできてしまう。「世の中って不公平にできてるよな」、辛口ジョークのIさんが笑わせてくれる。それはよかったのだがここで僕は異変を察知する。パットが入らない。グリーンがどうの芝がどうのではない。18ホール中ワンパットはなんと1度きり、あとはほとんどスリーパットの111。こんなの人生初で、ははあ俺はガチャ目なんだと気がついた。右目はなんとなく曇っていて距離がおかしい。眼医者行けといわれるが行ってる。まあショットもめちゃくちゃだったから下手になってるだけかもしれないが、去り際にコースに「申し訳ありません」と頭を下げた。こういう時いつもそうする。高校球児だからグラウンドに入る時と出る時は礼をする。僕にはゴルフの神様と野球の神様がいるのだ。コースは何もしない。悪いのはいつもお前だよって言われる。

クラブハウスでもらったロッカーのナンバーが226だった。神様の啓示かな、気になるな。そう、これを書いてる今日は911だ。あの日、赤坂のチャイナクラブにいて、日本語カタコトの女の子がすっとんできて「飛行機がペンタゴンに落ちました」なんて言う。はっ?お前なに言ってんの?大丈夫か?でも周りの席もザワザワしだしたのですぐタクシー呼んで代沢の家に戻ると家内も大変よだ。226ってのはそんな感じか。そうか、これか、パット入んなかったの。ホールアウトして、ホテルは近いからシャワーはそっちでとなった。ロッカーめがけてつっ走った。なぜかというと、とにかく僕は幼稚園の頃から着替えや荷造りが遅いので有名だったのだ。人の2倍はかかる。手が不器用。どんくさい。ビリでなかったことはない。ロッカーの番号を忘れて騒ぎになるぐらいのことは日常茶飯事だが、それだけは助かった。226のおかげだ。

翌日も済州島はあっけらかんと晴れだった。日本は集中豪雨らしい。まあ俺は晴れ男だからねというと、俺も俺もである。これだけ傲慢な人が集まると雨も逃げるのだろう。「今日もやるか」。長老の超アクティブな提案は多数決で却下された。みんな足腰が疲れて観光の方がよかった。それではと準備してくれ、小学生の遠足みたいにミニバスに乗り込んだ。「済州島はあんまり台風来ないんですよ」とガイドさん。「そうか、じゃあ9月はまた来るべきだね」「カジノで勝てば旅費も出るからね」。証券マンは常にオプティミスティックだ。僕は海岸のテラスでワイン飲みながらぼーっとしてミステリーでも読んでたいな、一週間ぐらいと思ったが口にはしなかった。

バスは島の南側を東へ1時間ぐらい走る。お昼は地元のおばあちゃんがやってるカルチワンというローカルな郷土料理店だ。島の名物である太刀魚料理が売りだ。こいつは房総半島の方で釣ったことがある。「夜明け直前の15分ぐらいしか食いませんから」と言われ多少の釣果はあったが、確かに日の出とともにパッタリあたりが消えた。持って帰ったがさばけないのでもったいなかった。本場の塩焼きとご飯で食うと、ちょっと骨っぽいがうまい。あてのキムチが4種類も出てきて味が違うから飽きが来ない。赤くないやつが酸っぱくて格別においしい。乳酸菌発酵はまちがいなくお腹にもいいだろう。こういうのは都会でなく田舎の知恵であり、そこに来てリアルに味わえるなんて貴重な体験だ。ソウルの洗練に対する素朴。どっちがいいかなあ。

「済州民俗村」は昔の漁村を再現したものだ。そういや小学校のとき修学旅行で明治村ってのに行って、なんにも覚えてないが結構いいなと思った記憶だけある。そんな感じか。海が近いので海女さんがもぐって魚貝を取ってきて、人間のこやしを豚が食ってその豚をまた人間が食った。海のエネルギーを人と豚でリサイクルしたってわけだ。なんのてらいもない素朴さがいいなあと大好きになった。女性が強いんだろうけど、やさしそうだ。泥棒もいないらしい。島だからすぐ捕まるってのもあるが、そんな悪人いないんじゃないか。だって昔にここに生まれて育ったら悪だくみして人の富をかすめとろうなんて思わないよ。

日本もこうだったんだろうなとほのぼのした。韓国語は全然わかんないけど、語感やイントネーションはそっくり。ちらっと聞こえてきて、あれ日本人かな、と思うほかの外国語を僕は韓国語以外にひとつも知らない。写真の女性はお人形さんだろうけど、ぜったいにやさしいな。

島の最大の観光地はこれらしい。城山だ。韓国本土にも火山由来の地形はあるらしいがここは顕著だ。 5000年前に噴火でできて180m。登れるらしい。

ちょっと疲れてる。ガイドさんたちが気を利かしてくれて近くの広々したモダンな喫茶店にしけこんだ。 若者ばっかりで爺いの遠足が入ってくのは気が引けたが、お付きの皆さん、スケジュール外のことも交渉してくれたのか奥まった席にゆったりと陣取れたのである。コーヒーで30分ぐらいリラックスしただろうか、これからホテルの方に戻ってクルージングですという。

といっても大きめの幅でマストのついたヨットみたいので少しだけ沖に出る感じのようだ。風が強いのか、揺れが半端じゃない。波でせわしなく1m以上ギッコンバッタンあがったり下がったり。立っていたほうがマシ。膝を使ってスキーのスラロームでこぶをなめてる感じで揺れを吸収していると酔わない。座ったまんまで船と一緒に揺れてちゃダメです、そうした方がいいですよと声をかけるがみんないうことを聞かない。やがて船酔い組が出てきた。それ見たことか。やがて船は沖に出たんだろう、釣り竿が 5、6本出てきてみんなで糸を垂らす。おんなじようなことをミクロネシアのチューク島でやってオケラだったよな、餌もついてねーしここもそれだろ。

2、30分トライしたものの案の定である。すると我々が飽き飽きしてきた雰囲気を察したのだろう、船員のお兄ちゃんたちがやおら動き出し、まな板に包丁で何やら魚をさばき出した。あれ、彼らが釣ってくれたのかな?「どうぞ食べてください」。船室の中に入ると大皿に白身の刺身と醤油が用意されてるではないか。「これなに?」「ひらめです」長老がちょっと苦々しげに口を開いた。「東、スーパーで買ってきたやつだよ」

ひらめは美味だった。「あいつら手あらってねえからワサビたっぷりつけろよ」。先輩方は引いてしまったもんだから僕が半分ぐらい食った。乗り物酔いはしないし、少々のものを食べても平気。胃が強いんだろうな。

いよいよ最後の晩餐だ。済州島のもうひとつの名物、黒豚のサムギョプサルである。あまりにあれこれ我が儘で予定を変えたものだから、お店の予約はしてなかったらしい。この辺いちの人気店と聞くトンサドン西帰浦店に着いたが満員みたいだ。どうなるんだろう。しばらくして女主人にどうぞと招かれ中へ入ると、 奥まった部分のテーブルががら空きだ。「貸切ってくれたみたいですよ」とYがささやく。さすがにすごい政治力だ。着席するとすぐ、一辺が 20cm以上ある立方体の肉塊が運ばれてきて、これをお料理しますと見せられる。それを網の上に置き、サイコロに切り分けてくれる。同じ網の上にアワビとニンニクをつけたオイルも乗って熱々になり、それにひたして肉を食べる。至福の時とはこのことだ。

今回は贅沢をさせていただいた。時間をかけたのはゴルフだがそれがメインだったというわけでもなく、とにかく朝昼晩8人が揃ってあーだこーだやる。当時のもっと上の上司ネタなど大人気だ。「Xさんとアムス外交に行くとさ、ホテルの前に直行するのよ、でも部屋がひとつしか空いてなくてさ・・・」なんて具合で、えっ?あの泣く子も黙るXさんがですか!!なんて具合で大爆笑で盛り上がる。

みんな気持ちはあの頃だ。とにかく朝早くに課長が決めた100億円をその日の夕方までに全部売り切らないと家に帰れないのだ。皆様には何のことやらさっぱりわからないだろうが、シティーの並みいる機関投資家連中が血眼で巨大な日本株ポートフォリオを組み始めた時代だ、彼らに100億円の株式を売りさばくなど驚くほどのことでない時代だった。「今日はKのおかげで助かったな、早く帰って久しぶりに女房とメシ食おうぜ!」なんて涙ぐましいことになるわけだが、「全部売り切らないと帰れないんだよ」といくら口酸っぱく説明しても、一般の人である奥様方には誰も理解されてなかった。

各人の売り上げは営業場の奥にあるホワイトボードに都度都度に書き出される。今日誰がどの株をいくら売ったか一目瞭然なのだ。出来が悪いと「馬鹿野郎何やってんだ」と上司に万座で罵倒される。シティは狭いから訪問セールスもする。帰社すると「どうだった?」と注目される。電話セールスがうまくいって決まると、自分でホワイトボードに銘柄と株数を書き込みに行く。お昼までに何も出てない日などほっとする。お客さんは英国人だから18時には帰宅する。それまでにオケラだと針のむしろだ。そういう日が続いてしまう人はだいたい次の定期異動でロンドンからさよならだ。ノイローゼになってしまった人もいるし、半年で別の部署になんてこともある。プロ野球の一軍ベンチさながらであった。

ということで、昼間にワンショット100億級の注文を取れば満塁ホームランだ。夜の10時を過ぎてまだ残っていると全員がお客さんの自宅に電話をして買ってもらう。これはスクイズだ。とにかく何でもいいのでやり切れば全員が解放されて帰れる。だから最後の1点をもぎ取ったのが最年少だろうがなんだろうがヒーロー。サンキューベリーマッチで電話を置くやいなや全員がスタンディングオベーションだ。でも明日はまたゼロからやらなくてはいけない。これを毎日毎日、 5、6年も一丸となってやった。常に新しい情報を仕込まないとオックスブリッジ卒のお客さんに相手にされない。常に勉強だ。辛いこと8割、でもホームランを打ったりヒーローになったりで2割は格別に誇らしい快感も味わえる。

野村証券だからといって全社がこんなだと思ったら大間違いだ。国内の連中にこの話をしても誰もわからない。海外に出たことない奴は海外は遊ぶとこだと思ってる。そんな奴らと同じ土俵で評価されるのは不愉快極まりなかったが鍛えてもらったこっちは70になっても職があり奴らは年金生活者だ。元オーストラリア大使の山上信吾氏の著書を読んでいたらまったく同様のことが熱く語られている。外務省に入りながら大使に一度も出ず、本省キャリアだけで政治家に媚を売って事務次官になる奴が続出してる。これを馬鹿野郎と言ってる。わかるわかる。同じ気持ちで僕も飛び出してみずほ証券へ行った。当時の野村から見れば銀行系証券は野球なら独立リーグみたいなもんだ。でも「海外の奴」は国内に戻ってきたら国内の奴など根こそぎ押し倒せることを見せつけてやった。そのみずほ証券はいまや立派なプロ野球球団だ。実に痛快なことである。

以上が事実だから自慢でも何でもないし、ただのファクトだから自分史を書こうと思ったら書かざるをえない。こんな素晴らしい旅行をさせていただけるのも、ご指導ご鞭撻を頂いた大先輩がたのおかげである。いただいてるご恩の方がお返ししたよりずっと多いからもっともっとやらなくちゃいけない。人と人の関係は人の数だけあるが、僕は人との出会いに恵まれてたと思う。なぜならこんな人生を歩める能力なんか自分にはないからだ。ロンドンにいた頃はこれは実力だ、俺は能力あると疑ってもいなかった。あのまま勘違いしてたら人生終わってた。それに気づいたのは失敗して天狗の鼻をへし折られたからだ。失敗はチャレンジしたからあった。そしてチャレンジは自信があったからやったのである。「禍福はあざなえる縄のごとし」とはよくいったものだが、自信と失敗もまさに縄の如しだ。若者は自信過剰ぐらいでちょうどいい。

ではその逆だとどうなるか?なんにも自信のない人はなんにもチャレンジしないから失敗もしない。失敗しないことを是とする文化からは何も生まれない。「失敗したらどうするんですか?」「やってみないとわかんないだろ?」僕はそれで人生を渡ってきた。我が母校にこういう人物は少ない。当然だ、失敗しないほど勉強したから合格してる。そのかわり遊んでない。女も知らない。役人は金もない。そういうのが人生の損失を取り戻しにいくから裏金に手を染めハニトラに引っかかるのである。先日も、警察庁サイバー警察局サイバー捜査課長が捜査費をくすねて詐欺と背任、偽造有印私文書行使の容疑で東京地検に書類送検され懲戒免職になった。女に貢いだらしい。たった170万円で人生めちゃくちゃ。エリートの何が間違ってた?学生時代に思いっきり遊ばなかったことだよ。

楽しい時間は終わり、いよいよ成田にランディングした。雨だ。あれだこれだメールが入ってる。浦島太郎が帰ってきた。成田エクスプレスのチケットを買おうと列に並んだら、何国人だか知らないがヤンキーっぽい若いカップルが何をクレームしてるんだかいっこうに窓口を立ち去らない。おい、こっちは並んでるんだよ、あと10分で44分発が出ちまうんだ、逃すと1時間も待つんだよ。イライラする。窓口の若い女性がこれまたバカ丁寧に笑顔で対応なんかしちゃってる。ガイジンさんオモテナシのマニュアルでもあるのか上司の指導なのか、それ作ってる役人も外人の扱いなんかなんにも分かってねえんだよ、勘弁してくれよ、こんな奴らおとといおいでで蹴散らせよ。

本当にいい国だ。阿保の外人でもやさしく大目に見てくれる。俺に気があるのかぐらい思いっきり勘違いしてテイクアドバンテージするなんて当然だろ。人が食い殺されてるのに熊がかわいそうだって奴らと同じだ。オモテナシはやめろ。日本人は江戸時代から進化してない。カタナ捨ててチョンマゲ切って似合いもしない背広着てネクタイ締めてるだけだ。美しい日本を守ろうなんて頑張らなくても、100年たっても変わんねえから大丈夫だよ日本は。むしろ、こんなに俺たちが無理難題ふっかけて困らせてるのに、なんでブチ切れねえんだあの窓口の女?ってほうがいいかもしれない。不気味だからね。

昨今の野球を取り巻く不思議な現象

2026 SEP 4 2:02:20 am by 東 賢太郎

還暦になろうかという税理士のN氏が、テニスでどっかの県の中学生チャンピオンにシングルで勝ったという。うまいのは聞いていたが、これは大変なことだ。同時に思ったのは、そういうことが起こり得るテニスはいいなということだ。野球はせいぜい40までだ。還暦じいちゃんズが中学のチャンピオンチームに勝つことは、もとプロのオールスターチームだったとしてもまずないだろう。

10年ぐらい前、そのN氏とグアムでゴルフのマッチプレイをやった。ドライバーは20ヤード置いていかれ、白旗状態の9番で5打負け。そのグリーン上で何だったかひとこと言われて火がついて、5mの下りフックラインを気合でねじ込んで俄然優勢になり、後半でひっくり返した。彼はよほど悔しかったとみえ、いまだにその話が出る。それだ。それで彼はいまビジネスで成功しつつあるのだ。

男であれ女であれ、何事かでいっぱしになろうと思ったら、 いちばん大事なのは「負けず嫌い」だ。才能は発射台にすぎない。生まれつきゴルフがシングルの人はいない。同じ「つとめる」でも「務める」「勤める」はパッシブである。努力の努の「努める」はアクティブに「力を尽くしてはげむ」の意味だ。尽くすには燃料が必要で、負けの悔しさほど火力抜群のものはない。

本当を言えばこうやって大人に諭されて出る火力は知れてる。本能的に、悔しい、ちくしょう!と悶絶してこそ最大の火力になる。昨日の阪神ヤクルト戦で、外角きわどい所をストライクコールされて三振した阪神の森下が主審にガンをたれて詰め寄り危うく退場になりかけた。勧められた態度じゃないが、よほど悔しかったんだろう。最近はおとなしくなってこういう選手がいなくなった。

その象徴が、昨今のエンタメ・オールスターだ。江夏の九者連続三振。打者と投手の究極の力勝負は三振で、あれは9人に恥辱を与えて悔しがらせたいサディストのショーだった。仲良し村の今の選手たちにそんな空気はない。紳士になったというか女性化したというか、僕には全く理解できない。サーカスで牙と爪のないライオンのショーを見てる感じ。あれのなにが面白いんだろう。

同じく昨日、信じがたいことだがカープのピッチャーが中日のバッターに4回ぶつけた。さすがに4つ目、中日ベンチがぞろぞろ出てきてカープ側もおうやったろうじゃねーか風情で応じ、乱闘やむなしかと思われた。ところが中日の選手にそんな気配はなく人ごとみたいに整列なんかしちゃってる。すると、井上監督が新井監督に歩みより、肩をポンポンして何やらささやいて終わりであった。

これはちょっと背景がある。鈴木投手の2つは120キロ台で痛くない。ターノックの2つは150キロ超えの危険球だが悪意はないただのノーコン。選手もわかってる。こんな奴マウンドに立たすなよが井上のひと言で、新井もやむなく替えたんじゃなかろうか。井上は入団時はピッチャーだ。中日ファンのためにあえてポーズだけの怒りさえも見せなかったとすれば大人と思う。新人監督だしその道での実力は知らないが、おそらく、企業経営者で偉くなるタイプであろう。

そこで思い出すのが、一昨日の解説者の権藤さんだ。ベンチの井上監督が画面でアップになると「見て下さいよ。勝負してる者の顔じゃないですよ」とボロカスだ。なにせ権藤、権藤、雨、権藤の球界レジェンドだ、言いたい放題である。「ピッチャーもうまく間を取ってますよね」「間じゃないんですよ、テンポが分かんなくなっちゃっただけですよ」とアナウンサーなど眼中にもなし。ピンチになると「あのねえ、水なんか持ってってる場合じゃないんですよ」とやることなすことこの調子だ。

いや権藤さんご立派です。僕もあの水とタオルはやめてほしいな。あれ、駅伝の給水の影響じゃないかな、みんなで支えてるよタスキを繋ごうぜっていうあれは確かにいいシーンだよね、駅伝はそういうものかもしれないが、ピンチのピッチャーがサービスしてもらって立ち直れるって、そんな甘いもんじゃないよどう考えても。持ってく投手コーチは当然わかってるけど、世の中そういうほんわかムードが「いいですね」なんてなっちゃって、これも1つのお仕事だ、こんなんで雇ってもらえるんならと割り切ってやってんじゃないかな。権藤さん、それも気に食わないんだろうね。

ついでだけど甲子園の7イニング制ね、誰が考えたか知らないがジョークは勘弁してほしい。そんなもん野球じゃないよ。暑さ対策ならベスト8決まるぐらいまでは京セラドームでやれよ。高野連に金がない?クラウドファンディングで簡単に集まるよ。株式会社化して資金調達すればもっと集まるよ。可能な道はあるのに、お偉いさんのポストと地位名誉のためにルールを壊す。野球の神様の冒涜だ、やったらバチが当たるよ。

もうひとつ。スポンサー側にうまくまとめるアナウンサーが評価されるんだろう、東京ドームのゲームでの巨人OB解説者とナアナアのビバ・ジャイアンツ節に辟易してテレビから離れた僕にとって、バンテリンドームでダメならダメで中日をボロカス言うなんてこれぞ中立のメディアだと座布団10枚贈りたい。スポンサー側にうまくまとめる姿勢は、よってたかって高市政権の足を引っ張るクズみたいな番組とまったく同じだ。やればやるほどテレビ消す人が増えていくが、テレビ局はそうしないとファンが怒る、スポンサーが逃げる。つまり全てカネである。カネにメディアの操を売っている。死球4つの背景を見定めて乱闘しなかったとすれば、井上は野球人の操を売っておらず立派だ。

すると対極なのが阪神の森下だ。しかし彼はカネのために審判の冒涜をしてない。単に「負けず嫌い」で悔しいと見える。昨今は3割打者が減っているが、投手の球速が増したからが通説だ。しかし腕を強くふるなら制球は甘くなるからノーコンが増えた。速いノーコンは打ちにくく打者は率を落とすということだろう。だから審判にストライクゾーンを厳格にとってもらわないと厳しい。そういうギリギリの心理の中で森下は三冠王を狙っているだろう。サトテルに負けたくない気持ちもあるだろう。それもこれも負けず嫌いのなせるわざ。 26歳として当然といえば当然。カープ戦で打って欲しくないが清々しい若者だ。

 

天は自ら助くる者を助く

2026 SEP 2 2:02:24 am by 東 賢太郎

どうしても食事したいというので付き合った。F君だ。中国の富裕な家の38歳。もう20年ほど東京に住んでおり、 一橋大学院卒で頭脳明晰なインテリであり、日本語も日本文化への理解も万全である。問題なく帰化できた。ただ堅調だった日中関係のビジネスは昨今の情勢で冷え込んでおり、強みを活かせないのがもどかしい。先行きの相談に乗ってほしいとのことだった。

まず言ったのは「君は日本人だろ」である。中国語と英語が堪能な日本人なんて絶大なアドバンテージじゃないか。日本のパスポートで北朝鮮とキューバ以外はどこでも行けるんだ、日中関係がどうのなんて関係ねえだろ。視点を変えなさい。どこの国の株だろうが上がるのがいい株なんだよ。政治なんてものはビジネスにとってはお天気と一緒でね、今日は雨だからって悩まないだろ、雨は全員に降ってるからね、どんなボケが総理になっても株下がんないだろ。

銀座7丁目にある「四季陸氏厨房」の上海料理は一級品である。赤ワインと合わせてくれ益々よかった。舌鼓を打ちながらこうも言った。この中華料理がひとつ、もうひとつは同レベルのフランス料理でね、どっちも作った民族がただ者でないと思わせるものがある。そこに上質の和食を加えてベスト3だと思ってる。文化の深みもね、俺たちは受験勉強で漢文やってるからね、中国の古文だよ、やらないと大学入れないんだ。英語だって古文まではやらないよ。だから中国の歴史と文化は決して他人ごとじゃなく、少なくとも知識人はそれなりの敬意を持っていると思うよ。

でも愛憎は裏腹って言うだろ、人間はね、愛情や敬意が裏目に出ると憎悪になっちゃう困った生き物なんだ。中国は紙や火薬や羅針盤の発明という物質文明で西洋に先行してた本当に偉大な国で東洋の誇りだ、それが料理の発明にも発揮されてるってわけさ。ところがルネサンスで西洋に逆転されて大航海時代から収奪の対象になった。西洋人は血に飢えたハイエナみたいなもんでね、日本はやばいと気がついて瞬く間に自衛したんだ。それが明治維新というものさ。そこでアジア諸国は一丸となって自衛すべきだったと俺は思ってる。無理してキリスト教徒の仲間になるよりも、民族的、宗教的にそれが自然だったと思うからさ。

ところが愚かにも日中(清)が戦争しちまった。その結末の下関条約で台湾は日本へ割譲され、今も残る因縁の種になった。あの時、アジア人として日中が組んで白人国のロシアを蹴散していたらどうなったと思う?絵空事じゃないよ、だって日本単独でそれに成功したんだから日本人はその仮定を語る権利がある。政治は国の命運を左右するよ、両国のトップが小物だったからダメだったと俺は思ってるよ。その因果で満州事変が起き、日中戦争となり第2次大戦で日本は敗戦国となり、毛沢東の共産党が中国の支配者となって今の日中関係の座組になった。そのあげくで君がビジネスで苦労してるってわけさ。

君の親友のお父さんは俺が尊敬してる大人(たいじん)だ。習近平さんに言ってもらってくれよ。日本のインテリは論語、史記、三国志、孫氏ぐらい読んでるよ。読めば偉大さはわかるよ。にもかかわらず、申し訳ないが現状の対日政策は俺たちが是としてる中国の歴史にふさわしい大人の風格に欠ける気がする。みんな心の中でそう思ってる。それに対する日本人の行動は様々だが、潜在意識の中でとても残念に響く部分がある。誰だって孫氏が想定した敵国みたいに扱われれば穏やかな気持ちではいられなくなる。これが変わらないならやがて潜在意識も消えて元に戻らなくなる。すると日本は自衛のための武装を加速させる。それを中国は軍国主義の復活とする。そのせめぎ合いを何百年続けても、隣人関係がお互いの子孫にとって幸福なものになるとは思えないとね。

考えつくままに自論を話した僕に、F君は頭を下げた。なんということだ。気の毒でならない。彼のように一時の金儲けでなく新天地を求めて来日し、日本で勉強し、日本人として日本のためになろうと真剣に働いている中国人の青年が何人もいるのだ。僕自身外国に住み、街を歩いている市井の人の目にはどこやらのアジア移民と変わらなかったわけだが、それで16年不愉快な思いをすることなく過ごすことができた。真面目な仕事を真面目にしていれば市民待遇で扱ってくれる、それが文明国の証なのである。中国に注文をつけるばかりではいけない、入ってくる外国人に対して日本人も文明国の民として関わっていかなくてはいけない。欧州が失敗して大変なことになっているというが、あちらは植民地というものがあったツケが回ってきている部分が大いにある。日本にそれはない。他山の石として学習し、入り口の審査を目的をもって優秀な人材が管理し、日本の国力増強に資する人材を入れることは健全な競争を喚起し、経済の活性化にもなり、ひいては税収を増やして国民生活を豊かにする糧になるだろう。

天は自ら助くる者を助く。F君をサポートすることに決めた。

 

テラドローン案件の論功行賞

2026 AUG 29 3:03:22 am by 東 賢太郎

2020年12月にテラドローン案件をソナーに持ちこんだのは14年のつきあいになっている公認会計士のY君だ。同社は彼のお客さんのひとつであり、たしか、将来の上場を見すえて資金調達の必要があるので社長に会ってほしいというリクエストだったと記憶する。スタートアップ企業が資金不足に陥るのはよくある話で、銀行融資はつかないが見込みがある会社の場合はベンチャーキャピタルが投資する。そうならない企業の場合、何社も頼まれたがごめんなさいで終わる。社名も知らずドローン業界は中国が8割独占ぐらいの知識しかなかった僕は、その程度のもんだろうぐらいの気持ちで渋谷に出向いた。

徳重社長は今や有名人になられたが、当時からそのままの方だった。話はインパクトがあった。世界1、2位の巨大投資家であるサウジアラビアのアラムコが「ドローン企業に投資する」と公表すると世界中から50社が押しかけた。彼も単身乗りこみプレゼンを始めると、途中で審査官に遮られ、「どうせ日本企業は意思決定に半年かかるんだろう」とけんもほろろの対応を受けたそうだ。憤慨し、こういい返したという。「21世紀のトヨタ、松下を作る気概でやっている私をなめてもらっちゃ困る」。相手はびっくりし、真剣に聞き入り、見事1社だけ投資を勝ち取った。日本人をなめんなよ。野村証券の海外部門で最前線を渡ってきた僕もまったくおなじ気概をシェアしているから、このいきさつに感銘を受けた。「わかりました、投資しましょう」。その場でお答えした理由はそれだけだ。これがドラマの始まりだった。

ところがだ。調査してみると業績見通しはおよそ不透明である。ということは投資家向けレポートもお粗末である。Y君に「これじゃ金なんか集まらん」と何度も修正させたがだめだ。そのあげくに、これでいかがでしょうと満を持して出張先に送ってきた “最終版” なるものを見てついに堪忍袋の緒が切れた。なんだこれは。おまえ俺が言ったことなんにもわかってねえじゃねえか。「電話で2時間怒られましたよ」と笑ってふりかえるY君に何かが通じたんだろう、やっと眼鏡にかなう “完成版” ができあがり、OKを出した。それを読んで納得したソナーのお客様方が同社株を対象とする投資事業有限責任組合に出資してくださった。事態は概ね僕の予想通りに進展し、同社は2024年11月29日に東京証券取引所グロース市場に上場を果たし、つい先日、防衛省の防衛装備品のドローン納入業者に1社だけ選ばれるという大金星のニュースが市場を駆けめぐった。3千円ほどで投資した株価は急騰して2万円を超えた。売買代金が2千億円。もはや相場つきが変わった。お客様に喜んでいただいたのがまず何よりだが、Y君にとって人生を変えるほどの成功体験になったのも我が事のようにうれしい。

テラドローン社の株価推移

 

2時間も怒ったかどうか覚えはないが、もしそうなら、僕が野村証券で20年かけて学んだことを彼は2時間で習得したわけである。 公認会計士には未知の証券業、なかでも収益性の高いインベストメントバンキング業務のエッセンスを40歳かそこらの若いみそらで身につけたのだ。しかもケーススタディでなくリアル体験だ。僕が言った通りの金額をお客様から集めることに成功し、我々は第3位のアラムコの次の次、第5位の大株主となってディールをクローズし、徳重さんには感謝され、関係者全員に喜んでいただき「三方よし」。この経験はY君には甚大だ。美酒に酔いしれ、よしまたやろうと努力する絶え間ないサイクルの中で技術を習得できるだろう。

彼を50/50のパートナーとした。「優良投資案件を見つけてくる仕事」(ソーシング)こそ業務の柱だからだ。GAFAM、スペースXだって未公開株段階で投資させてもらえた幸運な者はいた。創業者や取り巻きとのコネ次第であり、その規模の会社はベンチャーキャピタル、大手証券会社とのバトルになる。だから僕は米国のキャンター証券と関係も築いた。投資したい者はいくらもいる。優良案件を手に入れた者が勝者というわかりやすいゲームであり、Y君の成長はストレートにソナーの利益にもなる。ちなみに彼は間髪入れず米国のバッテリー案件もソーシングし大活躍の兆しを見せる。同社は業績もある程度メドがたっており、上場は3年先だが来年が初回の公募だからほぼ創業時点株価で投資する案件である。上昇余地は大きいと判断して出資を即決した。

 

サイヒロコさんとのご縁

2026 AUG 26 8:08:53 am by 東 賢太郎

先日、東京タワーの会合にて環境アーティストのサイヒロコさんを紹介されました。サイというペンネームの由来はScience、Art、Imaginationという自身のアートの3本柱の頭文字SAIだそうです。僕は美術は門外漢ですから、ご経歴を伺い、国連やらEUやら大変なものなんだろうと想像はしましたが理解が及びません。印象的だったのは二十歳ぐらいで志を立てて単身パリを訪れたいきさつです。入国ビザが不備でオルリー空港で足止めをくってしまい、何時間も別室で待たされます。これは仕方ありません。しかしそこでへこたれることなく「私は悪い人間ではありません、アーティストです。フランスのアートを見たいと願ってやって来たのです」と懸命にアピールを続けたところ、とうとう入国審査長がお出ましになって、「わかりました。私もあなたのような方にこそフランスのアートを見ていただきたい。さあどうぞお通りください。存分にご覧になっていってください」と入国書類に署名してくれたそうです。

「いや、すばらしい。ブザンソン・コンクールにスクーターで乗りこんだ若き日の小澤征爾さんみたいです」と申し上げ、こうもつけ加えました。「僕も12年ぐらいヨーロッパにいましたけど、イギリスやドイツの空港では考えられないことです」。当然です。入国要件を満たしてない者を通すという法律違反を役人の彼は犯したわけです。部下に敵がいて密告でもされれば即刻クビでしょう。でもそれが起きない。そうなんです。フランスはアートを国の看板として大事にする。法律にはできないが国是みたいなものであって、末端の人や移民は知りませんが、市民階級である国民は誇りを持って共有している感じが会話の端々でいたします。彼らは母国語に対しても同様で、公言こそしませんが、英語は方言でドイツ語は馬の言葉だとのたまわった人すらいましたから、方言しか話せない僕も田舎者扱いされていたのです。1977年にポンピドゥ大統領が国家の威信をかけて首都パリの4区というど真ん中に創設した「ポンピドゥ・センターは文化のプライドが国威でもある良い例です。

ポンピドゥ・センター

総工費は今の3000億円ぐらいで、年間訪問者300万人以上。立派に国の看板の役割を務めています(現在改装中)。音楽部門はあのピエール・ブーレーズが創設し所長を務めたIRCAM(フランス国立音響音楽研究所)と聞けば、クラシックに詳しい方は気合の入り具合と水準の高さをリアルにご体感いただけるでしょう。文化庁の予算は財務省に削りに削られ、都響は都政に不要と言い出す下賤な都知事が現れる我が国において、複合型アートCOMPLEXの建造に3000億円予算をつけると政治家が主張すれば真っ先に落選でしょう。かようなまでにアートに対して貧困な発想の国で生まれ育っている我々が、サイヒロコさんに与えられたフランス国家の敬意と恩賞にシンパシーを覚えるのは難しいかもしれませんが、このままでは日本が世界の一等国と誇るのは難しいでしょう。

余談になりますが、そうであるからこそ皇室の存在は絶対かつ不可侵の日本固有の本源的価値であり、王室を自ら廃絶し変革を選択したフランスを批判する者はいませんし、自ら伝統を選択しているわが国を他国にどうこう言われる筋合いもありません。どちらが正しいかという設問は存在せず、我々は2000年前からこうしており2000年後もこうしているだろうで5秒で終わりです。この盤石の主張に竿をさせる者は地球上どこにもおりません。つまり皇位継承問題への対応策は原理原則を変えないことに尽きます。なぜ男系男子なのかはなぜイタリア半島にカトリック教会の最高指導者がいるのかと同様2000年前からそうだというだけで論点にすらになりません。これで日本国、日本人の尊厳とプライドと国威は永遠に守れます。日本国籍を持ちながらそれこそが困るのだという人たちが必死に抵抗していますが、皇室はそんな方々のためにあるのではなく、日本人であるなら皇室こそ大切にしていただかなくてはなりません。防衛力の問題は本件とは別ですが、皇室の位置づけが変わり国民が日本人であることに尊厳、プライド、国威の感情を抱けなくなることは防衛装備品の拡充では補えぬ国力の甚大な棄損となります。日本が軍国主義化していると騒ぐ輩もおりますが、戦争のリスクはそうなったときに高まるのであって、論旨矛盾、本末転倒です。

あの日帰宅して、彼女の作品がフランスで驚くほどの評価を受けてきた証拠、すなわち仏芸術院賞(アカデミー・デ・ボザール賞)、国際文化芸術賞などの受賞、および、ご自身もフランス科学芸術創造協会代表、EU文化交流センター議長等に就任されている事実を知りました。もちろん人の実力、真の評価というのは肩書だけでは判断がつきません。コネやカネで買える場合もあるからです。だからこそ、「誰が書面でほめているか」は信頼できるのです。なぜなら認めた方も自分の信用をかけている。ほめるに足らぬ人を公にほめてしまえば自分の信用も公になくなるからです。初入国のエピソードの後、彼女がアーティストとしてどのレベルまで階段を登られたかは、そのポンピドゥ・センター創設者ブレーズ・ゴチエ氏のこの言葉が雄弁に語っています。

この推薦文は強力です。氏は彼女が将来にわたって発揮する能力が社会を変革するだろうと予知している。しかし、それだけです。歴史に5人しかいない1人とはゴチエ氏の社会的地位からすれば勇気ある発言ですが、氏は「人」ではなく「力」を見ており、サイヒロコさんのその点におけるマグニチュードを評価しているのであり、国籍や性別や宗教などの属性、知名度や実績がいかなるものかは一顧だにしておりません。これを見て僕は、何と清々しく正々堂々とした人だろうと感じるのです。世界中を歩いてたくさんの優れた人とお会いしてきましたが、真のインテリとはこういうものです。そして、非常に重要なことは、これだけの人物がそこまで評価しているサイヒロコとは何者だろうとなる。これこそがこの推薦文のパワーの核心なのです。

残念なことに日本でこのような人物はあまり見かけません。 99%の人は、名前きいたことあるか?地元の評判は?学歴は?先生は?交友関係は?受賞歴は?代表作は?役職は?なんてことを丹念に調べあげ、人品骨柄まで調査することを、そのアーティストの作品を虚心坦懐に鑑賞することより10倍も優先し、熟慮に熟慮を重ねた結果として満を持して「推薦します」なんてやる。そしてそのアーティストの作品を好きですか嫌いですかのアンケートを取ると 50%以上の人が「わからない」と回答する。これがおおむね日本のアート界の悲しい姿でしょう。そこに「彼女は歴史上5人しかいない天才のひとりだ」なんて評論家が現れるとにわかに怪しいぞという空気になって、そのステートメントが真実か虚偽か検証しようなどという真っ当な精神も雲散霧消し、安全策として誰も見向きもしなくなる。仮に日本でアートを国策にしようとでも思えばこの風土は甚大な障害なのですが、 50%以上いるであろうアートのわからない人にとってはスーパーの野菜の値引きの方が大事なのです。国民経済の不調が続きそれが仕方ないのであれば、わかる50%の人に対し正しい情報とまっとうな評論を提供するのは日本が文化国家として成熟していく前提条件でしょう。

サイヒロコさんの主要作品はこちらで見ることができます。

http://サイヒロコ 国連環境アーティスト 経歴・作品集

ここにひとつ貼ってみます。

後日談があり、「作品をお見せするので横浜においでください」と連絡をいただき、ビジネスパートナーのN氏と連れだってこの週末に行ってきました。みなとみらいのランドマーク・タワーに描かれている2フロアにまたがる壁画は市民にはおなじみで、彼女の代表作のひとつです。

作品はかように日本人離れしたスケールである。制作にかかると「どこからか音楽が聞こえてきて、500メートルの巨大な壁画も歌いながら3日で完成します」とのこと、この人は発想も創造も実行力も、日本人を根底から変える大きなパワーに恵まれています。実物を見ないとわからないものでしょうが、その作品は規格外のサイズであって絵画というよりアーティスティックな常設の構造物と呼ぶべきものでしょう。

例えばこの作品は国連ユネスコ本部50周年記念作品で、永久保存となった全長なんと500mのメッセージアートです。こんな壮大な作品を作った日本人はまずいないだろうし、そもそも作ろうと思うこと自体が日本人のちまちました思考のフレームワークをぶち壊しています。社会を変革する力を持つとはそういうことです。大志を抱くべき多くの日本の若者たちに、彼女のアートをぜひライブで体感していただきたいものです。

僕は入国ビザも持たずにやってきた彼女の出現は、パリにとって第2のストラヴィスキーだったのではないかと想像しています。ポンピドゥ・センターは構成する数々のビルディング自体がアート作品になっており、まさに彼女同様に、建造物がアーティスティックな常設の構造物と呼ぶべき存在であります。完成当初は「醜悪」と酷評されたが次第にそれが個性として定着して行った姿は、音楽なら、20世紀初頭に突如として出現したストラヴィンスキーの「春の祭典」の初演がシャンゼリゼ劇場でブーイングの大嵐を引き起こしたが、今は学生オケでも達者に演奏できるほどポップ化しているのと似ているではないですか。

ちなみにポンピドゥ・センターのすぐ横に「イゴール・ストラヴィンスキー広場(Place Igor-Stravinsky)」があります。中央にストラヴィンスキー噴水があり、その地下にIRCAMがあるという構造になっている

この背景には、

ストラヴィンスキー=20世紀音楽の革新者
ポンピドゥ・センター=20世紀芸術の革新拠点

という思想的な対応関係が指摘されており、前述のようにピエール・ブーレーズがIRCAM創立者で初代所長(退任後は名誉総裁)であり、1969年にCBSに録音したクリーブランド管弦楽団との「春の祭典」は、こと音楽に限らず、僕の思考体系全体に甚大な影響を刻印したわけです。これぞまさに、「社会と深く結びついてこれを変革する力を持ったものでなければアーティストとは呼ばない」というゴチエ氏の言葉の正統性が僕の中で証明されたと強く感じるのです。

週末に横浜での待ち合わせ場所となった馬車道の BankPark YOKOHAMAは圧巻でした。来年3月から9月にグリーン・エキスポ(横浜花博2027)が開催されますが、この歴史的建造物は主要プラットフォームのひとつとなりサイヒロコさんがアートディレクターとしてオリジナル作品を制作されるそうです。オーナーともお会いでき、エキスポに関する横浜の思い入れなど興味深い話を聞かせていただきました。BankParkはもともと渋沢栄一がつくった国立第一銀行横浜支店であり、内部は今はカフェになっていますが天井は吹き抜けでとても高く、どんなアート空間が展開されるのか楽しみでしかありません。奥の方に目をやると、頂いたパンフレットで見覚えのある巨大な絵画が壁にかかっています。


春の祭典のイメージが浮かんできます。そしてこれはポンピドゥ・センターと関係ある作品です。どこか繋がる。横浜は先祖の地縁が深い場所であり、オーナーさんは「今日は呼ばれましたね」と静かに微笑まれました。

ひとりがいいんです(お一人様万歳のすすめ)

2026 AUG 24 11:11:48 am by 東 賢太郎

夕暮れまで知らない小道を自転車で探訪するとき。小田急線の車輪を観察するとき。星を見る時。推理小説に浸るとき。レコードを聞くとき。猫と遊ぶ時。ふと気がつくと、僕は圧倒的にひとりだったんです。寂しいと思ったことはない、誰かがいると楽しみは手のひらの雪の結晶のように消えてしまうからです。

授業じゃなくお一人様の独習が好きでした。自分の弱点が如実にわかる。それを知ってから学習した方が効率がいいのです。群れるのは、パーティーも飲み会もカラオケも時間がもったいない。それやって得た意義ある教訓は、付和雷同は人格の喪失、群衆心理は人生を誤つ最大の汚染の2つだけです。

野球はみんなといっしょ?いえいえ、ピッチャーはめちゃくちゃ一人なんです。ピンチに内野がマウンドに集まる。励ましの言葉で球速や制球力がアップするなら練習いらない。打たれていいぞ打ってやるからなという激励は嬉しいが、それに和むと打たれます。というわけで他人の介入でうまくいった記憶ありません。

中学の時、カーブが曲がらないので、勉強机のゴムマットの上でピンポン玉を人差し指で押して回転させる練習を何千回もやりました。投球練習よりお一人様の訓練の方がマニアックに高精度にできるのです。 3種類のスピード、曲がりも3種類の強力な武器が完成し、”頼れるのは自分だけ” が鉄則となりました。

仕事も同様です。そもそも相場は自分で考えるもの。アナリストの意見は聞くが、間違って責任取るのは自分です。ほかの職種だったらそうはいかないので向いた仕事を選んだものです。ところがドイツの社長になると、そうはいかなくなりました。部下を見てあげることが仕事という管理職になっていたのです。

管理、監督は自分でプレイすることに比べたら格段につまらないんです。監督やりたくて野球始める少年なんかいませんからね。ところが仕事の世界では監督だけやりたいって奴がウヨウヨいるんです。プレーヤーとして何にもやったことないのに趣味は人事ですってのが。そう公言した総理大臣もいましたっけね。

そんな石潰しが位の上の方に巣食うようになると業種を問わず会社は腐ります。国も同じです。僕が赴任した3現法は僕がプレイヤーみたいなもんでしたから収益は上がりました。すると人事だけが仕事の奴らが、あいつは会話しない、社長室にこもってる、経営は失格だと様々な悪口を言いふらすのです。

社長が会話なんかできるわけないじゃないですか。役員だって僕が考えていることを理解できるのは数人だけです。そうでないのは首にするかもしれない相手なんです。それで経営失格というなら代わってやるからお前がやれよ。馬鹿で経験もないのがぐちゃぐちゃ言うな。何度机をひっくり返そうと思ったことか。

僕が営業場をうろつくと営業マンはビビって仕事できません。人事屋にそんなことわからんし、営業は教えられないから転勤してもらったほうが本人のためですが本人は飛ばされたと思う。そういう部分に民主主義や弱者救済の思想が入ったら事業会社は終わりですが、現法社長では本社のザコも飛ばす力はないんです。

現法の中だけは経営上の全権を持ちます。赴任すると新しい国だから役員、担当部長のレクチャーをみっちりと受けます。しかし、文化は違えどやること一緒なんでルールだけマスターすればあとはマイウェイでした。何国人だろうが何百人いようが僕を好きだろうが嫌いだろうがどうにでもなります。

今の政治を見ていて、新しい省の大臣になるとこういう感じかなと想像ぐらいはつきます。香港は部下500人でした。返還後で既にチャイナでしたし欧州とは別物の経営風土でした。だからこそやりたいことやるために理解する者は使い、しない者は切る。そうしないと万事うまくいきません。政治もそうでしょう。

本社から50億円予算をもらって香港にCLSAの欧米人チーム50人をぶちこみ、川口の移民問題みたいに騒然となりました。ブーイングなど気にしていたら香港は大赤字のままです。 2年でトントンぐらいまでにしかなりませんでしたが、野村証券は僕がみずほに移籍した後、リーマンを買って全社で同じ事をしたのです。

その大手術は初めて来たアジアで孤立無援のお一人様状態でやりましたから、知らず知らず甚大なストレスになっていたようです。それを知ったのは、ある夜、突然にパニック障害に襲われた時です。初めてのことでショックを受け、飛行機に乗るのが恐ろしくなり、数日後の東京出張は船で行こうと本気で調べました。

日が暮れるといつパニックが出るかびくびくする日々が半年ぐらい。秘書にも言えず医者にも行けず会社では無理して明るく気丈に振る舞い、それがまたストレスを溜めました。可もなく不可もなく社長業やってればよかったんです。ああ俺はこういうポストに向いてないと悟りましたが後の祭りでした。

思えば香港ではまだ軽症で、部下と酒場に行って夜中まで思いっきり騒げばなんとか時間をやり過ごせたのです。ところが会社を変わってシンガポール出張から帰るとき、機中でさらにひどいのが始まってしまい、 7時間地獄をさまよいました。飛行機が落ちてくれたらと願ったぐらい重症だったのです。

結局、数年前のコロナ入院と歯医者でいちど危なかったのを除くと、神山先生の特効薬「安神」で悪魔はそれっきり押さえ込まれています。もう出てこないことを祈るのみです。香港の頃と移籍後にプレッシャーを抱えていた頃がストレスのピークであり、良くも悪くも僕の仕事はランディングに近づいたようです。

どうして最悪期にブレークダウンしなかったかというと、「お一人様万歳」の気質があったからです。 ひとりがいいんです。おかげで耐えられました。医者はそれが原因と見るかもしれませんが、みんなとワイワイが楽しかったら間違いなくこういう人になってません。よかったねと納得の今日この頃です。

共和政末期のローマの政治家、弁論家、哲学者であったマルクス=トゥリウス=キケロがいい言葉を残してます。

人と一緒にいる時が、最も孤独な時だ。

 

 

履正社高校の敗戦に見た失敗の本質

2026 AUG 16 17:17:45 pm by 東 賢太郎

甲子園の大阪代表というとPL学園時代が長らくあり、廃部になってからは大阪桐蔭一強だった。履正社が出てきたのは2000年代、プロでT-岡田、山田哲人が活躍したぐらいから二強時代になった。特に大阪を応援しているわけではないが、 2年住んだ街だからひとかどの愛着はある。チーム数は多いが甲子園では今ひとつの東京勢にカツを入れる意味でも、強くあってほしいと思っている。

今年は春に大阪桐蔭が全国制覇した。ところが夏の予選で初めて名を聞く大阪立命館に3対2で負け4回戦で消え、時代は変わったもんだとショックを受けた。大阪立命館は5回戦で箕面学園に2対1で負けた。箕面学園は決勝戦で履正社に16対2で負けた。結局は二強の1つが勝って帳尻を合わせたのだった。

豊中に住んだので箕面(みのお)は隣町だ。箕面学園はカープの床田投手の出身校として知っていた。準々決勝で大商大に 3対2、準決勝で東海大阪暁星に 7対6で勝った。 4回戦から準決勝まで4試合を1点差で勝ち抜いてきたこのチームが甲子園に出ると面白いと思ったが履正社の壁は厚かった。なにせ決勝までの7試合中4試合が10得点以上、失点は準決勝まで0か1で、はじめて2点取られたのが決勝の箕面学園だったのだから。

さて甲子園に出てきたその履正社だ。初戦の享栄には 6対2で勝った。 10得点は行かなかったが2点で押えたのは地区予選の延長戦上だ。ところが、今日の三重に5対2であっさり負けた。これもまたひとかどのショックである。序盤に先制され、打線は2点返すのがやっと。第1戦で投げたエースを温存し11番、20番が出てきたが、守備のほつれから制球が甘くなりいきなり5失点してしまったのが敗因だ。

履正社の守備は、本来は、優勝候補として不足ないほど鍛え上げられている。小飛球になったバントを瞬時の判断で捕手がワンバウンドさせてゲッツーなんてのが当たり前のようにでき百戦錬磨感いっぱいだ。ところが初回にエラー、野選が出て三重にかき回され、14人の打者に6安打され1、2回であっという間の5失点だった。僕の感想としては、履正社にエラー以上の失敗があったというよりは、敵の混乱に乗じて一気呵成に攻め込んだ三重高校こそあっぱれであった。

野球の常識と言ってもいいが、投・攻・守で最も読めるもの、日によって良かったり悪かったりしない安定したものは圧倒的に「守」なのだ。だから新チームができるとまず鍛えるのは守備であり、それに穴があれば何をしてもむなしい。したがって「守備が弱くて強いチームはない」は野球の鉄則ということになるのである。だから強豪である履正社の守備にああいう破綻は想定できなかった。

破綻は初見の相手が想像以上に強かったときに起こりえる。今回の原因があるとするとそれぐらいだ。初回、サイレンが鳴り終わる前にセンター前ヒットが出てイケイケだった履正社に点が入らず、その裏にキャッチャーの悪送球、ファーストの野選が出ていきなり3点取られた。予選の最高失点が2点だから未体験のことが起きた。

桑田・清原のPL学園や松坂の横浜でこういう破綻は想像できない。投手力が図抜けていたわけだが、それもバックの守備力あってのことだ。先発した履正社の11番は予選では安定した二番手投手で、15回無失点の好投手であり、それも守備力に支えられていたはずだ。しかし、常にボロ勝ちしてきたから破綻の経験がない。そこで焦って球が浮き、打たれてしまったと見た。 スイスイと人生を勝ち抜いてきた者がドツボにハマると脱出法を知らないから深みに落ち込むことがある。11番はまだ2年だからそうならないことを祈る。

これは野球に限らないことだが、誰でも失敗はする。大事なのは、そこで何が起きようが平静を失わないことだ。履正社はそれができなかった。かつてより書いてきたように、僕は野球も受験もサラリーマン人生も数々の失敗を重ねてきた人間だ。個々の失敗について語ろうものなら、どれひとつであれ、あれは悪夢だ、なければ良かったと吐き捨てるに決まっている。ところが、それだけ重ねると失敗の練習量は半端でないということにも気づくのだ。そうなりたいと願ったわけではないが、もう少々のことではびくともしなくなった自分がここにいる。

練習と書いたが、実は、失敗は練習できない。成功しようと願ってやって成功しないことが失敗だからであり、暴投しようと思ってする暴投は暴投でないから、わざとそう投げて横っ飛び捕球のシミュレーションをすることはできても、予想外にそれが起きてしまったときの心持ちまでは練習できないのである。しかし実際の試合で暴投をなくすことはできない。だから、起きてしまった時に冷静に対処することこそが最善の策であり、「平静を失わないこと」が最善の対処法なのだ。履正社の選手諸君はこの敗戦を、そういうプラス思考で人生の糧にしていただきたいと切に願う。

ではどうしたらそうできるか?頭の中で妄想したり、先人の教えを受けたりハウツー本みたいなもので耳年増になってもだめだ。万人が回復できるうまい方法なんてないので、上手くいった他人の経験が自分にワークする保証もないのである。自分が実際に窮地に陥って、悩み抜いて、誰にも助けてもらえず、眠れぬ夜を過ごし、もがいていたら、別に殺されるわけではないということぐらいは頷(うなず)けるようになってくるだろう。死刑になる恐れのある罪を犯したのでなければ、世の中の大概の事は実はそんなものだ。誰もそんな思いをしたいと思わないが、それに遭遇することを恐れてはいけない。なぜならその経験の1つや2つは子供の麻疹(はしか)と一緒で、あった方が長い人生にとって保険になるかもしれないからだ。そう思う安楽な心持こそが平静への第一歩だ。

これもかつて書いているが、僕は高2で肩を壊して投球不能になり、だましだまし続けるより退部することに決め学業にシフトした。心の底から世をはかなんだが、別に野球ができなくても殺されはしないし実は何も失わないということを後になって学習した。50歳手前にしてサラリーマンとして思うところがあった時、その経験が心によみがえり、そこからほんの数日で、自分の力がより発揮できる会社に移籍する決断に至った。野球を断念するのはそれよりずっと重かった。「仕方ないことをうじうじ考えても何も産まれない」。以来これは僕の鉄則となり、万事において決めたら委細構わず即決する人間になった。

それがいいか悪いかは別だ。失敗だったこともある。でもそれで人生が楽で軽やかになったことだけは間違いない。会社の移籍は失敗した場合を考えはしたが、やらないで後悔するよりやって後悔する方がましだ。どっちであれ別に殺されはしない実感がたくさんの失敗経験によってガッチリと出来ていた。であればやらない手はない。プロとしての勘から成功する自信があった。「やって得」と思えることはやった方が現実に得であることが確率的に多い確信があった。であれば、チャレンジ数を増やせば増やすほど「大数の法則」によってその高めの勝率はより確かに固定されてゆくのである。

サイコロを振って1が出る確率は1/ 6だ。 6回振っておおよそ1回は出る。出ないかもしれないので「おおよそ」だ。それを不確実性という。 60回振ればおおよそ10回出るが「おおよそ」は減る。60億回振れば10億回出るが「おおよそ」はほぼゼロになる。つまり、振れば振るほど1が出ない不確実性は減る。これが「大数の法則」だ(保険会社の本業収益はこれによって出ている)。ということは、プロとしての勘がある人は、それがプラスと確信できるチャンスがあるなら転職は出来る限りやった方が良いということを示している。それに伴うコストを差し引いても得かどうかは判断しなくてはいけないが、常識とかけ離れていることは何の問題もない。数学は常に正しいからだ。

これに従ってより良い人生を生きるために必要なことが2つある。 1つ目は、どんな職業であれプロにならなくてはいけないこと。 2つ目は、実現可能な選択肢をたくさん持つことである。それにはまず大前提として就社でなく就職していることが大事だ。僕は学卒で野村證券という会社に「就社」したが、 10年ほどでプロの証券マンとなることで初めて「就職」資格を得た。この差は決定的に大きい。就社に留まる人は市場で買い手がつかないサラリーマンであり、給料と退職金をもらって社会人終わりである。ところが就職になると買い手がつく。野村でいくらもらっていたかに関係なく市場の値段がつく。これのプロ野球版が「フリーエージェント」である。大谷選手は日本ハムで数億円はもらえたが、市場の評価としてドジャースから1000億円のビッドが入ったわけだ。

僕はみずほ証券の執行役員を最後に市場でビッドが入らなくなったのでソナー・アドバイザーズ株式会社という雇用主を自分で作り、そこに雇われて16年になる。この行為を別のアングルから「起業」と呼ぶ。これをするためには市場で値段のつく人間になっていることが最低条件であることは以上の論旨から自明であろう。僕の市場価格はソナーなど僕の作った会社から頂く金額であることも理解されるだろう。お金で表せないものはあるが、表せる部分は表した方がいい。自分は何のために生まれてきたのか、社会にとって何の役に立っているかなんてことを悩まないですむからだ。

履正社の選手諸君はこの敗戦で、強い組織にいても世の中一寸先は闇であることを身をもって学んだ。優勝してしまっていたら一生わからなかったかもしれない教訓だ。優勝のトロフィーや記念写真やメダルやたくさんの記事やファンの祝辞を頂いても、どうだ俺達は強いだろで終わり、10年も経てば世間はそんなこともあったねで終わりである。勝利は美酒ではあるが、学ぶことは実はあんまりない。負けは失敗であり、失敗はたくさんの教訓を残してくれ、しかも悔しかったので肌身に染みて忘れない。お偉いさんの訓示や、誰かさんの体験談や本をいくら紐解いても、涙を流すほど悔しい思いをした者にはかなわないのである。

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僕が広島カープファンになった意外な真相

2026 AUG 9 3:03:47 am by 東 賢太郎

8月6日の朝8時、東京タワー近くのカフェで初対面の皆様とミーティングが始まりました。これが建ったのは昭和33年、高さ333メートルは当時の日本一。その年に生まれた妹が物心ついたころに父に連れてられて展望台にいちど昇ったきりで、今回このあたりに来たのもそれ以来という塩梅なのだから東京が広いのか行動範囲が狭いのか。スカイツリーだって近寄ってもおりませんから、高いところが苦手で下から見上げるのもちょっと弱いというのがあるかもしれません。今回はタワーに用事があって来たのですが、たまたまとはいえ8月6日という日付も気になっており、広島に原爆投下された8時15分に心の中で黙祷をいたしました。

原爆をいつどこでどのように知ったかは覚えてません。調べてみると、社会科で習うのは小学校6年のようです。そうではない。なぜなら、小学校2年から広島カープファンになっていたからで、それから4年も経って原爆投下を知ったとするとその脈絡で覚えているはずですから100%それはない。つまり原爆を知ったのはカープファンになるのと同時の8歳か、それ以前であります。自分の中では、「王貞治と大羽進の甲子園予選東京大会決勝戦での対決」で1-0で敗れた大羽を応援しているうちに判官びいきでカープが好きになったというストーリーになっており、ブログにそう書いてもいますが、本当にそうだろうかとふと思い、先ほど調べてみたのです。少々ショックでした。おふたりの対決のとき僕は4歳であり、どう考えても誤りということが発覚したのです。

おそらく、大羽投手が「王キラー」として名を成した10歳のころにふたりの高校時代の因縁が世間で話題になり、僕の中でそのストーリーが後付けでくっつき、今に至るカープ愛が完成したものと思われます。ところがです。そうだとすると、きっかけなしに、自発的に、8歳の東京の子が万年5位、6位だった地縁も何もない広島カープの熱烈なファンになったことになります。広島県がどこにあるかも知らない子がカープファンになった納得できる理由が消えてしまうのです。当時は巨人戦しかテレビ放映がありません。ときおりしか見ない相手チームは情報も少なく東京の子はみな巨人ファンの時代ですから、何か強い理由がないと起こりえないことでしょう。ではそれは何か?ここで「原爆を知ったのはカープファンになるのと同時の8歳か、それ以前であります」という条件が活きてくる。つまり、原爆投下を知ってから(あるいはほぼ同時に)カープファンになったのであれば納得できるのです。すなわち、球団の好き嫌いとは関係なく、誰かがまず広島への原爆投下の悲劇を8歳ごろの僕に教えこみ、感化を受けて湧き起こった同情と義憤から僕はカープという球団を強く意識するようになったのです。

では教えたその人物は誰だったのでしょう?

母は野球、政治に興味はなく、精神的ショックを与えかねない話を他人の子供にするような親戚もおりません。それは父以外にあり得ません。おそらくはテレビでいっしょに巨人・広島戦でも見ながら、少し日本語が理解できるようになった息子に、広島というところはねと原子爆弾の話をしてみたのでしょう。16歳で開戦となり、学徒動員され陸軍の高射砲部隊で片耳の聴力を失い、家は空襲で焼失して大学も断念せざるを得なかった父は戦争と、原爆投下を行ったアメリカ合衆国をという国を心底憎んでおりました。しかし同時に、入隊して体験した理由もない体罰から日本軍への憎悪を語っており、矛盾のようですがGHQにはそれほど批判的ではなかったのです。三井銀行に入行し、三井物産の幹部で資産家だった祖父が末娘の婿に選んだことで体制批判ご無用の立場になったのですが、母方の親族が東京裁判で無罪になったこともGHQと新政府に親和的だった背景かもしれません。そんな父が、母の庇護下でのんびり、のほほんと育っていた息子を見て、戦争について教育しておかなくてはと考えた可能性は大いにあります。そのコンテクストでプロ野球を見れば、帝国主義、軍国主義の犠牲となった広島という都市に強い同情が芽生え、樽募金で資金をまかなって誕生したカープを応援しようと8歳の少年がなっても不思議でなかったと思えるのです。父はあまり野球を知らず月並みな巨人ファンでもあり、その後の言動からしてカープ応援に誘導した形跡はありません。あくまで僕の心の中でおきた化学反応だったのです。

もし父の語ったアンチ原子爆弾、アンチ・アメリカ合衆国がそれほど影響があったなら、ことは野球に限らず、僕の中に何か別の痕跡もないだろうか?あるのです。アメリカ文化への徹底した蔑視です。武力で負けても文化では勝っているという精神的レジスタンスです。それが僕のクラシック音楽の受容に影を落としました。日本の西洋音楽評論界では親・独伊、反・英米の立ち位置がありえました。軍事同盟と文化は本来無縁なのですが、ルーズベルトのオレンジ計画など吹っ飛んで痛快である。僕はそれに染まり、後々に留学先で2年間定期会員にしてもらいオーマンディーやムーティの指揮で何度も深い感動にいざなってもらった名門フィラデルフィア管弦楽団を芸術性においては完全に見下しておりました。父のスタンスの影響から、アメリカの音楽文化について都鄙感覚からくる頑強にネガティブな心理バリアができてしまっていて、刹那は感動しても敬意には至らなかったのです。レナード・バーンスタインという天才を知って中和はされ、彼の方法論の薫陶でこうしてブログを書いているわけですからアメリカの美質は認めてはいます。しかし、その音楽文化が欧州に匹敵するなどとは申し訳ないが今もって微塵も思わず、言葉は汚いが蔑視は消えていないのです。抗いがたいcomplexityであり、ニューヨークに教師として滞在したドヴォルザークが、土地や文化や人々を愛したにもかかわらず米国音楽に抱いていたとされる気持ちに似たものかもしれません。

後述するように父自身はアンチ・アメリカ合衆国のバリアを乗り越えましたが、好きになったわけではなく、敵の強さを素直に認めて良いものは良いとして学んでしまおうというプラグマティックなものでした。敵は無傷で捕獲したゼロ戦を分解して空中戦で負けない手法を編み出しましたが、父もそういうエンジニア的性向のある人で、神風と大和魂だのみの日本軍より実用主義的な米軍を評価したのです。対して、敵を鬼畜と罵るだけで研究せず、無線は傍受され放題で大勢の若者を無為に犠牲にした日本の軍神たちをシンプルに馬鹿だと考えていたと思われます。その証拠に、性向が丸々遺伝した息子がそう確信しているわけです。戦争というものは女性や子供も苦しむのですが、なんといっても亡くなった310万人の8割近くは男だったという厳然たる事実は重い。東家の墓にもガタルカナルで戦死と刻まれた親類が眠っているし、男だ女だという話は忌避される平和な世の中になってはおりますが、数字が示す通り男にとって戦争とは逃げ隠れできないものだったのです。犠牲者である父が息子にした広島原爆投下の話は、当たり前のこととしてそうした “強度” を伴っていたはずであり、だからカープが好きになりましたなどという安易で拙速なものではなかったのだろうと思います。

小学校2年生が理解できたことは、自分もそのめちゃくちゃにされた日本人である、父がかわいそうだ、であればこれから自分が鉄腕アトムみたいにやり返せばいいではないかの程度だったでしょう。そして、それが今も僕の性格の根幹にある「判官びいき」のルーツになった理解は容易です。今もって、何らの理由もなく、「でかくて強いもの」はいつも僕の中では好悪の悪であり敵なのです。でかくて強い。アメリカそのものじゃないですか。そして野球少年になりつつあった当時、あこがれとともに毎日毎日テレビにかじりついて見ていたプロ野球の世界では、9連覇した常勝巨人軍こそが悪の権化みたいなものであり、僕が応援すべき弱者はといえば、故なき原爆被害に遭ったにもかかわらず、それをはね返して強くなりたいという不断の願望をもち、他チームをしのぐ激烈な努力を重ねていた広島の球団だった。ここで王と大羽のストーリーが、これまた判官びいきのフォーマットに綺麗に収まる話として縫合され、王の5打席連続、6試合連続などの本塁打記録を3度も阻止し、通算48勝中19勝が巨人戦という感動的で正義の味方としか表現の言葉もない大羽進投手の快投を聞き知って、カープファンという魂が形成されていった。これが時系列から見ても文脈としても、僕が広島カープファンになった矛盾のない結論、すなわち、真相であります。

王貞治vs大羽進

自我の成り立ちはかように複雑なものです。皆さんどなたも、ご自身なりの物事に対する善悪の感情をお持ちと思います。戦中派を親に持つ世代のそれは大なり小なり終戦と無縁ではないでしょう。自分たちは絶対に戦争はしない。この教訓は合致していましょうが、ではどのような国になれば我々日本人が戦争ぬきで幸せに生存していけるのか。喧嘩はこちらがふっかけなくても逆はあるわけです。それへの対処も放棄してどこかの国の核の傘の下で生きながらえる。これをまじめに信じられる人はよほどの性善説か、何も考えてないか、どこかの国の奴隷でも戦争で死ぬよりましだと考えるか、仮にそうなっても自分の一族は上級奴隷として良いポジションで生きられると積極的に思っている方々です。ちなみに世襲政治家は代々が上級国民であり、奴隷になってもその支配を一任される上級奴隷のはずと考えており、傘を持つ可能性のある米国・中国どちらであれ媚を売る可能性がとても高いわけです。米国・中国もその連中をスパイにしておく絶大なメリットがあり、カネ、女、秘密医療、秘密口座などを総動員して手なずけ、逆らえばそれをネタに脅します。ODAの3割が秘密口座にキックバックされるなど、実弾は日本の税金だから出す方も腹は痛みません。ストレートに書くなら、その連中は表の顔は議員や官僚ですが、実態は堂々たる売国奴であるということを言っております。国策絡みの収賄はシーメンス事件が著名で、日本海軍はロンドンの銀行に英国人名義で秘密口座を持っていました。大東亜戦争が太平洋戦争になる過程でもそうした動きがあったことは多くの方面で指摘されております。その行動を国民がじっくり観察し注視していれば、そういう者どもの本性はおのずとあぶり出されてきますし、日本を愛する国民が高市官邸に大きな期待をよせる一端はそこにもあろうと思料いたします。

我がカープ愛の由来はそのように意外なものでした。判官びいきはそれが弱くて負け続けても愛するし、必死に戦った結果が最下位でもいいのです。だからこそ、今回のゾンビタバコ事件は逆鱗に触れた、なぜなら弱くても愛するのはその者が勝ちたくて死ぬほど努力しているからです。 10連敗したっていいよ、そこから何かを学んでいずれ強くなるさ。そう思えるから応援する。現に弱小のカープが昭和50年に初優勝したときの喜びは、奇しくも大学合格の年でもあったゆえ人生最大の歓喜の年だったといって過言ではありません。判官びいきは、応援する対象自身の強い願望、努力と裏腹の推し活なのです。だから怒りは半端でない。違法かどうかなど僕のコンテクストにおいては些末なことで、コンプラで騒いでる世間とはぜんぜん別次元の怒りなのです。願望、努力とは程遠い薄汚れたおぞましい自堕落はアスリートであるなしにかかわらず人間として終わってる。日夜必死に練習して当たり前の二軍の分際で、田村というガキがネエちゃんとイチャついてる。適当に楽しくやって何年か経てば上がいなくなって一軍に上がれるだろうと甘く見ているとしか思えない。ネエちゃんと遊んでいかんという気はない、それがストレス解消で努力のうちなら大人の判断だが、それで世間に通るのは一軍で3割打ってから。こいつのしてることは、ただのその辺のサラリーマンと同じです。僕はこういう勘違い野郎が問答無用で大嫌いで、顔を見るのも不愉快。こいつが出るなら試合は見ない。

王貞治は荒川コーチの自宅で日本刀を毎日振って集中力を研ぎ澄ました。高校からの宿敵である大羽進は王を三振に打ち取ることに命を懸け技を研ぎ澄ました。なんのため?勝ちたいからです。その一挙手一投足にファンは酔い、少年だった僕は男と男の真剣勝負の潔さと残酷さを学んだ。今どき巨人の星かと思われる方も多いでしょうが、その今どきの世界のトッププレーヤー、イチローやダルビッシュや大谷だって厳しく自分を律して磨き上げて頂点へ登りつめた点で王や大羽と同じです。だから僕は昨今の日本のなあなあでお遊びでしかないオールスターは見ません。こんなくだらないものなら、とんねるずの「リアル野球BAN」のほうがよっぽど面白い。ゾンビ吸ったりネエちゃんとキスしてるところを間抜けにも撮影されてるカープのこいつらは球界全体のユルさが生んだかもしれず、サッカーの方がずっと真剣勝負であるとだんだん思えてきました。青少年に何を教えてくれるんだろうという視点はプロのアスリートには必須です、僕もそれを見て育てていただきました。カープのキミたち、自分は大谷さんとはレベルが違うんでと思ってるなら、そもそもプロ野球選手じゃないんで歌舞伎町のホストにでもなれ。

父がどこでどうしてアメリカを許したのかは聞けませんでしたが、GHQが決して鬼畜米英ではなく、入隊するなりスリッパでビンタを食らわせた畜生のごとき陸軍の上等兵どもに比べればずっと人間としてマシであり、頭から押し付けられた自由主義、民主主義ではあったが、天皇総帝論のもとでの八紘一宇よりまともな治世ではないかとどこかで確信に至ったものと思われます。一転して英語を学ぶようになり、息子には米国留学を奨励し、銀行定年後もインドネシア国立銀行、トーマス・クックの顧問に就任しておりました。 「97歳でも勉強されてたんですよ」と入居していた施設の皆さんからうかがい、まさかとは思いましたが、遺品に漱石の坊っちゃんの英語訳があったのはいささか驚きました。父が所有していたLPレコード、ビリー・ヴォーン楽団の「浪路はるかに」をきくと、あのなつかしい居間の午後の陽だまりが目の前にぱあっと広がります。

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世界のうまいもの(19)「鴻元食坊」のレバニラ炒め

2026 JUL 11 0:00:28 am by 東 賢太郎

レバーという食材が大の苦手でした。あのぐにゃっとした内臓の舌触りと生臭さがたまらずに泣いて嫌がったのですが、それでも食べなさいと母がめげずに何度も出してくる。半ばトラウマになってしまい、これだけは一生食べなくても悔いがないと目をつぶってむりやり水で胃に流し込んだものです。男子厨房に入らずの家で問答無用。出されたものを粛々といただく。母のルールに背向く選択肢はありませんでした。しかし無理もなかったのです。女の子と腕相撲やって負けるぐらいガリガリで虚弱な子だったのですから。

解放されたのは大学3年になって本郷西片に下宿をさせてもらってからです。台所なし。昼は生協か森川町食堂。夜も外食。最高でした。すぐ近くにあった大鵬という超庶民的なカウンターの町中華に通い詰め、ナベ振ってる職人肌のお兄ちゃんと仲良くなります。毎日好きなものを食える!フランス革命が勝ち取った自由というものの価値を知りました。そしてある日、ふと気づいたのです。選んでるつもりが実は同じものばっかり食べてることに。成長期にそのアンバランスがまずいからお袋はああしたのか。そのぐらいの物心はつく年齢でした。そうこうして半年ぐらい経ったでしょうか、今になっても覚えてるあの日が来ます。大事件だったのです。

中華料理といえば香港の 2年半で否応なくどっぷり浸かっており、もはや外国の料理とは思えない体になってます。立場上、仕事ではひと皿何万円なんで品が並びます。高級品は基本的には珍品です。だからといって毎日食べて喜ばしいかというとそういうものでもないわけです。僕は近場の町中華のてんや物であるラーメン、餃子、チャーハンで育ちました。だからB級C級の方が好きなんです。香港でも公務でない時に九龍あたりでカエルから蛇から屋台のC級メシまで何でも食べました。しかしどういうわけか肝心のレバニラは記憶にない。もう食べられるようにはなっていたので忌避したわけではありません。ひょっとしてあれはオリジナルは中国でも日本流の町中華アレンジなのだろうかという疑問は今になっても残っています。

家の近くの大岡山駅前に東京科学大学があります。東工大がこの名前になった時はちょっと気の毒かなという気がしましたが杞憂でした。今の世の中、工業大学ではなく科学大学です。日本を代表するサイエンスの学校ですから。そんなことを考えながら夕刻に一人でぶらぶらして、校門を出入りする学生さんたちを見ていると、だんだん年齢感覚がワープして勉強したいという気持ちに駆られます。ここで宇宙物理なんかやったら楽しいだろうなあ、下宿でもして2、3年どっぷりつかってなんて突拍子もない考えが浮かんで来るのです。このトシで何でと思われましょうが、シリウスやべテルギウスでなにが起きているんだろうという好奇心に10歳も70歳もない。それだけのことです。

勉強はずっと嫌いでしたが、実はそうではなく、興味ないことばかりやってきたというのが真相でした。興味のスイートスポットが何ミクロンぐらい極小の人間がそれ以外のものを専攻しても非常につらいわけです。ど真ん中にある音楽だって関心はエンジニアリング的な和声や対位法に行ってしまい、そこに「特質」がないと退屈な音楽ということになります。ところが極めてまれですが、「それがないのに面白い音楽」というものが存在し、「なぜ面白いのかエンジニアリングできない事実」に夢中にされられてしまうそれはワンダーランドかパラダイス、寝食を忘れちまう。僕にとってモーツァルトがまさにそれであります。学問にもしそれがあるとすれば宇宙物理だったかな・・・わかりにくいかもしれませんがそういう感じであります。

ある日、そんなことをつらつら考えながら大岡山駅から北に向かう商店街を歩いていたら、そうかこの辺にもアレあるかなと探す気になりました。ずっと行ってみるとえらいケバい「鴻元食坊」というのを見つけました。 60席ぐらいの大型店で町中華のイメージとはちょっと違うがまあいいか。

席について迷うことなく頼んだら、片言の日本語で「タッチパネルお願いします」と愛想なし。水もセルフ。最近はコンビニまでレジが無人になってきて、自信ないので有人の店にしか入らない僕として不如意ではありましたが、あれこれやって無事「注文する」にタッチしました。客は学生らしいグループが何組かワイワイやっており、親子連れがひと組、少し後からスーツを着た中年の男性がひとり。夕食時なのにそんなに流行ってるという感じでもありません。奥に目をやると厨房に中国人らしい料理人がふたり鍋を振ってます。日本人の街中華ではないな、こりゃダメかなとぜんぜん期待しませんでした、なにせ香港で食べられなかったという経験がありましたからね。しかも普通の店だと定食で千円はするのにここは880円です。商売柄、何でも数字で判断する癖がついてもいたのです。ところがどっこい、ひと口食べて、これは熱々のうちに全部平らげねばとうならされました。レバーという食材がこんなに旨かったとは。今さらながら母に申し訳なかったと懺悔の気持ちさえ発してきて、こんな料理を作れる人がいるのか、大事にしなきゃいけないと痛感しましたね。

昨今は政府レベルで中国とだんだん距離ができてしまったようです。そこにあれこれ口をはさむ気はありません、政治はあくまで政治であります。一方で、我々庶民には庶民の生活というものがあります。神山先生のような人は別格としても一般の方は住みにくくなってきてるんじゃないか。僕は香港に2年半いて日本人として嫌な思いをしたことは一度もないし、欧米の大衆のほうがよっぽど不愉快なことが多かったという経験があります。ですから愛国者ではありますが一概に外国人は出て行けみたいな運動には反対です。しかもこうして市井で我々の生活に深く溶け込んで貢献してくれてる人たちもたくさんいる。思いおこせばドイツではすでに90年代前半にクルド人移民問題は大きなニュースになっており、それが今の悲惨な事態に至ってます。ひとつボタンを掛け違えると根深い問題になってしまうのです。もともと外国人が多く英語さえ話せば寛容だったあのロンドンだって、生まれた男子の名前で1番多いのがモハメッドになったと、ここまでくると放置した政府に責任転化されるのかもしれません。でも繰り返しますが、あくまで政治は政治なんです。

食べ物の好き嫌いがなくなって僕は健康になりました。体も強くなりました。何が多くても足りなくてもいけません。過ぎたるは及ばざるがごとし。何事もいちばん大事なものはバランスです。

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