世界のうまいもの(19)「鴻元食坊」のレバニラ炒め
2026 JUL 11 0:00:28 am by 東 賢太郎
レバーという食材が大の苦手でした。あのぐにゃっとした内臓の舌触りと生臭さがたまらずに泣いて嫌がったのですが、それでも食べなさいと母がめげずに何度も出してくる。半ばトラウマになってしまい、これだけは一生食べなくても悔いがないと目をつぶってむりやり水で胃に流し込んだものです。男子厨房に入らずの家で問答無用。出されたものを粛々といただく。母のルールに背向く選択肢はありませんでした。しかし無理もなかったのです。女の子と腕相撲やって負けるぐらいガリガリで虚弱な子だったのですから。
解放されたのは大学3年になって本郷西片に下宿をさせてもらってからです。台所なし。昼は生協か森川町食堂。夜も外食。最高でした。すぐ近くにあった大鵬という超庶民的なカウンターの町中華に通い詰め、ナベ振ってる職人肌のお兄ちゃんと仲良くなります。毎日好きなものを食える!フランス革命が勝ち取った自由というものの価値を知りました。そしてある日、ふと気づいたのです。選んでるつもりが実は同じものばっかり食べてることに。成長期にそのアンバランスがまずいからお袋はああしたのか。そのぐらいの物心はつく年齢でした。そうこうして半年ぐらい経ったでしょうか、今になっても覚えてるあの日が来ます。大事件だったのです。
中華料理といえば香港の 2年半で否応なくどっぷり浸かっており、もはや外国の料理とは思えない体になってます。立場上、仕事ではひと皿何万円なんで品が並びます。高級品は基本的には珍品です。だからといって毎日食べて喜ばしいかというとそういうものでもないわけです。僕は近場の町中華のてんや物であるラーメン、餃子、チャーハンで育ちました。だからB級C級の方が好きなんです。香港でも公務でない時に九龍あたりでカエルから蛇から屋台のC級メシまで何でも食べました。しかしどういうわけか肝心のレバニラは記憶にない。もう食べられるようにはなっていたので忌避したわけではありません。ひょっとしてあれはオリジナルは中国でも日本流の町中華アレンジなのだろうかという疑問は今になっても残っています。
家の近くの大岡山駅前に東京科学大学があります。東工大がこの名前になった時はちょっと気の毒かなという気がしましたが杞憂でした。今の世の中、工業大学ではなく科学大学です。日本を代表するサイエンスの学校ですから。そんなことを考えながら夕刻に一人でぶらぶらして、校門を出入りする学生さんたちを見ていると、だんだん年齢感覚がワープして勉強したいという気持ちに駆られます。ここで宇宙物理なんかやったら楽しいだろうなあ、下宿でもして2、3年どっぷりつかってなんて突拍子もない考えが浮かんで来るのです。このトシで何でと思われましょうが、シリウスやべテルギウスでなにが起きているんだろうという好奇心に10歳も70歳もない。それだけのことです。
勉強はずっと嫌いでしたが、実はそうではなく、興味ないことばかりやってきたというのが真相でした。興味のスイートスポットが何ミクロンぐらい極小の人間がそれ以外のものを専攻しても非常につらいわけです。ど真ん中にある音楽だって関心はエンジニアリング的な和声や対位法に行ってしまい、そこに「特質」がないと退屈な音楽ということになります。ところが極めてまれですが、「それがないのに面白い音楽」というものが存在し、「なぜ面白いのかエンジニアリングできない事実」に夢中にされられてしまうそれはワンダーランドかパラダイス、寝食を忘れちまう。僕にとってモーツァルトがまさにそれであります。学問にもしそれがあるとすれば宇宙物理だったかな・・・わかりにくいかもしれませんがそういう感じであります。
ある日、そんなことをつらつら考えながら大岡山駅から北に向かう商店街を歩いていたら、そうかこの辺にもアレあるかなと探す気になりました。ずっと行ってみるとえらいケバい「鴻元食坊」というのを見つけました。 60席ぐらいの大型店で町中華のイメージとはちょっと違うがまあいいか。
席について迷うことなく頼んだら、片言の日本語で「タッチパネルお願いします」と愛想なし。水もセルフ。最近はコンビニまでレジが無人になってきて、自信ないので有人の店にしか入らない僕として不如意ではありましたが、あれこれやって無事「注文する」にタッチしました。客は学生らしいグループが何組かワイワイやっており、親子連れがひと組、少し後からスーツを着た中年の男性がひとり。夕食時なのにそんなに流行ってるという感じでもありません。奥に目をやると厨房に中国人らしい料理人がふたり鍋を振ってます。日本人の街中華ではないな、こりゃダメかなとぜんぜん期待しませんでした、なにせ香港で食べられなかったという経験がありましたからね。しかも普通の店だと定食で千円はするのにここは880円です。商売柄、何でも数字で判断する癖がついてもいたのです。ところがどっこい、ひと口食べて、これは熱々のうちに全部平らげねばとうならされました。レバーという食材がこんなに旨かったとは。今さらながら母に申し訳なかったと懺悔の気持ちさえ発してきて、こんな料理を作れる人がいるのか、大事にしなきゃいけないと痛感しましたね。
昨今は政府レベルで中国とだんだん距離ができてしまったようです。そこにあれこれ口をはさむ気はありません、政治はあくまで政治であります。一方で、我々庶民には庶民の生活というものがあります。神山先生のような人は別格としても一般の方は住みにくくなってきてるんじゃないか。僕は香港に2年半いて日本人として嫌な思いをしたことは一度もないし、欧米の大衆のほうがよっぽど不愉快なことが多かったという経験があります。ですから愛国者ではありますが一概に外国人は出て行けみたいな運動には反対です。しかもこうして市井で我々の生活に深く溶け込んで貢献してくれてる人たちもたくさんいる。思いおこせばドイツではすでに90年代前半にクルド人移民問題は大きなニュースになっており、それが今の悲惨な事態に至ってます。ひとつボタンを掛け違えると根深い問題になってしまうのです。もともと外国人が多く英語さえ話せば寛容だったあのロンドンだって、生まれた男子の名前で1番多いのがモハメッドになったと、ここまでくると放置した政府に責任転化されるのかもしれません。でも繰り返しますが、あくまで政治は政治なんです。
食べ物の好き嫌いがなくなって僕は健康になりました。体も強くなりました。何が多くても足りなくてもいけません。過ぎたるは及ばざるがごとし。何事もいちばん大事なものはバランスです。
シャルル・ルルー『陸軍分列行進曲』
2026 JUL 7 11:11:00 am by 東 賢太郎
M不動産の方が来社され、ブラジル戦残念でしたとこれを頂きました。ゴルフボールです。今の腕前だとワンラウンドで全部なくなる。使うのやめとこう。Tグループ長さん、初対面だったのですが、「もしかしてやっておられます?」と聞くと図星である。「僕はサッカーの人は結構当たるんです。ちなみに業種でもね、銀行と証券、外れなしです」。スポーツ人類学、職業人類学です。
「僕なんかほかの業種はあり得ません。証券マン以外の何者でもありませんよ。パワハラなにそれ?っていう全盛期の野村証券で毎日もまれてこうなりましたから努力しましたなんて綺麗ごとじゃないんです、強烈に仕事のできる先輩に数字でつめまくられて、そこから逃れようともがいてたらこうなったんです。野球界ではPL学園、亜大、駒大がすごかったと聞きますがサラリーマンでそのレベルときたら当時の野村しかないです。もちろん他の会社は知りませんよ、でもあれ以上やったら死人が出ますから業種不問で断言できます。ライバル会社に負けるわけねえだろって、心の底からですね」。
そうはいったものの、プラモデルはもっぱら軍艦と戦闘機だったし、今になってみるとひょっとして自衛隊に入る道もあったかなと思えているのです。文官でなく武官としてです。軍服姿の祖父の乗馬写真に憧れて育ったし、問題なかった気がします。東郷平八郎、乃木希典将軍は軍神と思ってますし米国海軍兵学校のメダルも宝物でして、ナポレオンも曹操も好き。あっぱれな大将は国籍問わず男の本能で好きなんです。ちなみに野球も戦場と思ってやってまして、ぶつけちまったり危険球でやばいこともありました。
米国海兵隊といえば楽団の第17代リーダーだったのがジョン・フィリップ・スーザでした。「星条旗よ永遠なれ」は1896年作曲。日本は日清戦争を終えた翌年でしたね。
各国に行進曲は数多ありますが、明治政府がフランスから呼んだシャルル・ルルー作曲の『陸軍分列行進曲』(1886年)こそ僕は世界最高峰と思っております。軍歌『抜刀隊』と『扶桑歌』を元に編曲したもので、前者は西南戦争で西郷軍と戦う官軍を鼓舞したもの。初演は鹿鳴館というから「君が代」と並んで日本における西洋音楽のルーツの1つです。異なる曲を接合する無理があるのですが、あえて転調しておいて絶妙な和声で縫合し、何度も聴くと慣れてしまうパリ音楽院卒のプロの技を見ます。現在では、防衛省陸上自衛隊が行進曲の一つとして使用しているほか、警察庁でも警視庁機動隊をはじめ、戦後に創設された警視庁音楽隊および各都道府県警察音楽隊により演奏されている。誠に誇らしいことです。
人生の鉄則「信頼は信頼にしか返ってこない」
2026 JUL 3 7:07:44 am by 東 賢太郎
アメリカから5人が来日。まる一日かけて大企業トップへの紹介外交。かつてはこんなのはお安いルーティーンだったが、朝8時半からずっと英語はさすがに疲れ、ランチはサラダしか喉を通らなかった。
彼らの日本での企業訪問を依頼されたのはアメリカのパートナーからだ。パートナーとは契約関係だ。案件は協力して仕上げて利益の取り分も半分ずつみたいな取り決めが書いてある。厳密に対等にやるにはジョイントベンチャーを作って株式を50%ずつ持つが、パートナーは出資不要で業務委託と違って対等な関係であり、お互いに異なった強みがあるから1+ 1が2以上になってウィンウィン関係になるという両者の認識が大前提である。難しいのは協力といっても努力目標だから、相手に2倍働かされるようなことが続けば簡単に打ち切れる。つまり信頼関係なしではうまくワークしないのだ。
相手として僕は英国人と米国人しか経験がないが、商取引の法体系が整備されている先進国ならまず問題はなく、あるとすれば法律とは関係のない信頼関係の部分だけだ。例えば今回の5人のテイクケアだ。僕は商売の当事者でないからアポ入れして同行して通訳程度のサービスをすれば最低限オーケーなのだが、それなら事務作業ができる人で充分だ。僕を使えば依頼者は儲けの半分をふんだくられるわけだからめちゃくちゃ高い。したがって、利益総額が大きいからそれでもいいよという場合に限って来るのであり、当方も総額が小さい場合は遠慮する。これは億単位が当たり前の金融取引だから成り立つビジネスモデルである。
ソナーが長年かけて国内のお客様と多様な取引実績を積んでいるという信頼で外国からパートナー依頼があり、彼らは商品やサービスを日本に持ってくる。それを日本の大企業に持ち込んだり、日本のお客様が投資したりすると、今度はそれが新たな国内取引実績という信頼となり、さらに海外パートナーの呼び水になるというプラスの循環になる。といっても金融は黒子であって地道な1つ1つの案件の積み重ねである。大元はファウンダーの僕が米英独スイス香港にいた経験から発したものではあるが、創業から16年の信頼はもう僕のものではなくソナー・アドバイザーズという法人のものである。
ビジネスのエッセンスは信頼関係だ。それを築くには時間がかかるが失うのは一瞬だ。信頼はメンテナンスが必要だということも意外に知られていないが、お世辞や贈り物は役に立たない。信頼は信頼にしか返ってこないからである。信じてくれた人には信頼でお返しする。これは自分が信頼するに足るまともな人間であるという雄弁な証明であり、信じてくれた人を裏切るような人間は世界中で誰も信用しない、これはイエスキリストを裏切ったユダに代表される地球上例外のない人間界の公理である。
例えば、
①先日高市総理を裏切ってポストをやめた女性がいたが、信頼して投票してくれた国民までをも裏切っている。理由は何であれこういう人間に対して信頼を返すことはあり得ない。よって、国会議員はありえず政治生命は終わりである。
②自衛隊は貧しい家の子が行くと国会で堂々たる差別発言をした者がいた。隊員は国民の信頼を背負って国を守る仕事についてくれている。災害の時、ミサイルが飛んできた時、信頼に差別を返しているこの女性を隊員が守りきれない事態が発生しても誰も批判しないだろう。
③少数野党。意見が通らないからといって国会に出てこず審議をボイコット。わけわからん理由で総理が悪いとごねる。悪いのは選挙でボロ負けした自分たちでしょ。テストが赤点でむくれて不登校になった「困ったちゃん」だね。君たちはこのまま有権者の信頼を裏切って終業式まで家で寝てたらいいよ。全員退学処分でも学校は困らないから。
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今の子は憧れは憧れで終わり『推し活』する
2026 JUL 2 1:01:25 am by 東 賢太郎
どういうわけか先週あたりに書いたブログが消えてます。仕方ないので記憶に頼って再現します。
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「今の子は憧れは憧れで終わり、そこからは『推し活』するんです。これって新興宗教みたいなものです」
思いつきのビジネスプランをふた回り以上も年下の後輩が軽々とぶち壊してくれました。生半可でやると大失敗するリスクがあるんです。こういうことについては彼は僕よりもずっと知見があります。ありがたいことです。
「アイドルを神格化しちゃうってこと?」
「いえ神様みたいにあがめるんじゃありません。ファンではあるんだけどただのファンじゃないんです。願望や夢をアイドルやスポーツ選手に託して実現すると自分は正しい、意味があるって思えますよね、それが自己の存在確認になるんです。実は自分のためなんです。おひとり様化が進む社会の中で、心から信じられる何ものか、大事な自分というものを投影できる何ものかに所属していたいんですね、けっしてそうではない組織とか会社じゃなく」。
「新しいアイデンティティの出現かな。ファンの法人化というか」
「経済的利益を求めないからNPOですね。でも達成感という心の利益は求めてますから思いの実現には積極的で多大なエネルギーも投入します。だから似た者たちが自然に結びつくんです。誰かが布教してるわけではなく自発的なものだから、宗教には近いんですが既存のどれでもない。だから新興宗教ってわけです」
「なるほど、合点がいきました、ありがとう。俺もビートルズファンだしカープファンだけど、それで知らない人と結びつくってことはなかったな。 SNSの影響は大きそうだね」
「ありますね。それと結びついた新しい現象ですね」
「でもそれがあるから憧れは憧れで終わっちゃうってのは人生ちょっと寂しくないか?俺だって団地っ子だったし両親は普通の人だ。家に金もなかったしコネや引きもなんにもなかったけど」
「わかってます。でも、こう言っては何ですが、東さんの頃は時代がそれを許したってのはあるんです。だって一億総中流だったじゃないですか。いまは生まれつきディバイドの世の中です。たくさんの子が夢や憧れを実現しようと頑張ってますが、アッパーじゃないと100m競争でスタートラインの10m後ろから走るみたいなもんなんです」
「確かに俺の頃はスタートラインは一緒だった気はするね」
「でも推し活じゃ社会的な影響力はないですよね」
「あるよ。高市推し活がいい例じゃないか。自民党が330議席取ってぶっちぎり勝利した異例のエネルギーは背後でそれが後押ししたからかもしれないよ。若者は選挙カーで名前を連呼しても動かないよな。インフルエンサーがSNSで発信するとたちまち10人が読む。それをまた10人が読んであっという間に100だ。都会だけの現象じゃない、全国津々浦々でそれが起きたんだろうね」
「SNSの威力ですね」
「まあそうだけど、その言い方は軽い。ネット上の波動と呼んだ方が正しいね。 SNSなら何でも広がるわけじゃない。最初の発信者が波を起こすんだ。倍々ゲームで伝わるけど末端ではだんだん減衰もするから、最初の波が大したことないと掛け算した値は小さい。だから最初の波が高い時だけ、君の言うSNSの威力が出現するんだ。高市推し活の最初の発信者は高いエネルギーを持っていたから波動がでかく減衰もしにくい。だからバズーカ砲ぶっ放したみたいなど迫力の威力があったんだと思うよ」
「そこを政治家はわかってませんね」
「見事なほど全然わかってない。ただSNSに載せればいいって盲信してる。それってね、田舎の田んぼにコンサートホール作ってウィーン・フィルに来てもらえば文化都市だって思ってる箱もの行政みたいなもんでね、もうそれだけで文化の香りのかけらすらない」
「高市秘書が誹謗中傷メールを送ってとんでもない!って国会で騒いでる連中もそうですね。中身はともかく効果があるんだと盲信してるからその手を使ったわけでしょ?」
「効果を信じてないと『とんでもない!』って結論にならんからな。しかもそれが週刊誌の記事ごときであって、おまけにおおウソでしたというんだ。これから逆バズーカ砲炸裂になるぞ。実は頭もバカでしたと永遠に語り継がれるお笑い事件になっちゃうという意味で歴史的なスキャンダルだね」
「なるほど、悪いレッテル貼って敵を貶めるのは伝統的な共産党の手法として世界的に有名ですが、推し活やってもらってる人にそれをやるのは危険なんですね」
「うん、推し活なんてものは歴史的になかったから効果もリスクも検証されてないという意味で危険だな。リスクっていうものがわかってない人たちが国会議員で国のかじ取りをしてるっていうのは国民のリスクだってことを有権者が気づいたろう」
「もっと危ないのは、そのわかってない連中が自分がそうやって痛い目にあったからといってSNSは危険だと規制することですね」
「そういうことだね。推し活にレッテル貼るもう1つのリスクはね、推し活してる人たちは信者だから敵に回すと怖いってことだ。日本人は喉元過ぎれば熱さを忘れる国民性だけど信者は違う。末代まで呪われるよ。次の選挙で落選運動ぐらい平気でやられる」
「それ何となく体感あります、だって偽メールでいじめられたら支持率上がってますからね高市さん(笑)」
「そうだろ。新しい総理大臣ってな、国会であーだこーだやられて会期が終わる頃には支持率が下がってるもんなんだ。高市さんはその前例に逆行してるってこと。ということは前例のないものが支えてるってことだよ、論理的に」
「やっぱりSNSの乗数効果じゃないですか」
「そうね、10×10×10ってべき乗で増えるからな」
「でも偽情報も混ざりますよね」
「関係ないよ。発信者も受信者もノーコストだからね、総数は膨大になるでしょ。だから受信者の目はすぐ肥えてきて真贋を見抜く。受信者には賢い人、インテリジェンスのある人がたくさんいる。すると自然に選別が進んで質の悪い発信者ははじかれ良質のインフルエンサーだけが残る。今のインフルエンサーはね、それで飯を食おうっていう不純な輩や業者まがいも多いんだ。そんなのはオールドメディアの化身に過ぎないからいずれ金で政治に取り込まれて汚れてきたりする。利害関係ぬきで無料奉仕で真実を発信しようという人が増えてくると価値がなくなる」
「それは必然でしょうね、なんたってノーコストはでかいですよ。総数が増えるってことは読者数や視聴率が増えるってことです。すると広告主もそっちに流れます、これ経済原理ですから止めようがありません。プラットフォーマーはノーリスクで儲かるから永遠に発信者、受信者フレンドリーでノーコストにします。したがってこの流れは止まりません。止める法律も作れません。オールドメディアはどうあがいても運営に巨大なコストがかかります。だから広告主が逃げるのが致命傷になってゲームオーバーの日が来ます」
「明快なロジックだね。その通り。いずれ経営破綻で身売りするか不動産屋に鞍替えするよ」
「政治家もそうですよね」
「そういうことだね、有権者に対する不断の発信が求められるね、選挙期間中だけじゃなく。くだらない飲み会やってる暇があるならそれをやれと言うこと。SNSで眼力が鍛えられた国民は当然にそれを求めるよ、3000万円も給料払ってるんだからね。したがって政局だけで食ってる奴はカンブリア紀の原始生物みたいに選挙で全滅するよ。化石が出てきてね、おお昔はこういう変な生物がいたのかみたいに歴史に刻まれるさ。生き残るモデルケースが高市早苗だよ、徹底的に勉強して官僚より政策通で自分で法律まで書けて秀逸な外交力がある。フランシス・ベーコンの『知は力なり』さ。女性総理がどうのこうのなんて誰も言わなくなったでしょ、国内でも海外でも。あたりまえだよ総理大臣に能力以外の何が要るの?」
「東さんのその主張が一貫していることはよく存じております。 20年前から変わりませんね」
「変わろうたって変わりようがないんだよね、だって俺はそれが真実だと思ってるからさ。ひと晩寝たらオリオン座の形が丸くなってましたなんてことないだろ」
「はい、自分も信ずるものはあります」
「まあ灘高で2番だった君の前でおこがましいけどさ、ご存知の通り俺は帰納法で考えるように生まれつき頭ができてるみたいだからさ、正確に云うと反証が見つかるまでは変わりようがないんだよね」
ご参考までに、こういう問答の末に、この極めて優秀な後輩は思いつきのわがビジネスプランを粉々にぶち壊してくれたのです。僕にとってのビジネスは共産主義の方と違って資本家が労働者から搾取して利潤を生み出すものではなく、いとも簡易な方程式なのです。それは常に正しい(というか、それが正しくないようなものはそもそもビジネスと呼ばない)から問題点はそこではない。式にくっついている係数が間違ってますよという指摘、それが本稿のタイトルである「今の子は憧れは憧れで終わり『推し活』する」だったのです。
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意識フィールド宇宙論
2026 JUN 19 16:16:02 pm by 東 賢太郎
目まぐるしく動いた5月。仕事の経緯を整理しようと日記を読み返していると5月8日の欄にこんな殴り書きがありました。
「コリント人のようにやかましいだけで・・・」という言葉が心に浮かんで目が覚める。
コリント人?ねぼけてたのか急いでたのか、どんな夢を見ていたのか、なぜこんなのを書いたか不明です。試しにそのまんまChatGPTに打ち込むと、新約聖書の「コリント人への手紙第一13章」の一節が出てきました。
たとえ私が人の異言や御使いの異言で話しても、愛がなければ、騒がしいどらや、やかましいシンバルと同じです
パウロがコリント人に書いた手紙。不思議ですね。なぜなら僕は読んだことがなく、知見もなく、今もってコリント人が何者かよく知りません。
じゃあいったい何だったんだろう?? ミステリーです。
大学時代にヘッドホンで音楽をループで流しながら布団に入って朝までぐっすりだったことが数えきれないほどありました。ベートーベンの交響曲や春の祭典などが耳元でガンガン鳴ってる。目覚めてみてそれに気づき、はじめのうちはあまりのことに耳を心配して少々焦りました。しかし大丈夫どころか熟睡感があって頭がカーンと冴えているのです。そんなものだから今でもyoutubeをつけっぱなしでよく寝ており、家族に心配されてます。延々と言葉が流れてますがお構いなしで熟睡し、頭には何も残ってませんがやっぱり良く寝た感があります。特技かもしれません。
検索すると「睡眠中ずっと音楽を流していると様々なリスクや悪影響が生じる可能性があります」とあり、夜間に脳内で「イヤーワーム(頭の中で音楽が繰り返し流れる現象)」が発生しやすく、入眠に時間がかかったり夜中に何度も覚醒する傾向がある、なんてのが出てきます。しかし僕においては入眠の苦労も睡眠中の覚醒も無縁で、音楽は昼間でも常に頭の中で鳴ってるのでイヤーワームは自然体です(ブログを書いたからでしょう、現在は間断なくカーペンターズのメドレーが流れてます)。
モーツァルトもこうだったと想像するし、鼓膜で聞こえる必要ないのでベートーベンは音楽が書けたのでしょう。彼らとの決定的な違いは、僕のは誰かの音楽のリフレーンにすぎませんが彼らのはオリジナルだということです。散歩しながらベートーベンがそれを「拾う」ために手帳を常備していたことは有名です。僕にそんな天啓はありませんが、「コリント人」だけは読んだり聞いたりした誰かのリフレーンの可能性はゼロなので天から降ってきたとしか考えられません。
夢は意識の産物とする理論はカール・グスタフ・ユングとジークムント・フロイトが提唱しました(無意識の反映とも)。しかし意識というものが脳のどこにあるかはいまだ解明されておらず、 それは脳内にあるのでなく宇宙空間に広がっていて、脳は「受信機」としてそれと交信しているという説も紹介されてきました。そこに昨年、物理学専門誌『AIP Advances』に「意識フィールド宇宙論」という革新的な論文が掲載され話題になったそうです。これで知ったのでお借りします。
https://www.yuki-clinic.jp/diary/diary-2237/
意識とは、「人間は考える葦である」(パスカル)、「我思う故に我あり」(デカルト)を挙げるまでもなく人間の存在そのものであります。「ある」「あり」という命題そのものも紀元前500年の「パルメ二デスの有」にさかのぼります。その起源がビッグバン以前に “存在” した意識フィールドだったと仮定すると(意識が先、宇宙は後という驚天動地の逆転)、物質世界を探求する物理学に先立つ意識場という未解明の世界でフィールドは海、意識は波の関係である。これは場の量子論において、電子や光子など粒子が宇宙に満ちる場の「励起状態」として記述されるのと全く同じ考え方で数理モデル化できる。この展開は実にスリリングで魅力的です。
波は海そのものだから、ベートーベンは田園交響曲のテーマを海から受け取って何ら不思議ではありません。天から降ってきたのではなく、波である彼の脳にある量子の励起状態が海のそれと同期した時にそれが起きたことが数学で証明できれば、同じことが他の作曲家で起きなかった証明は不可能でしょう。海との同期の比率が高ければ聴衆(ほかの波)への同期性も高いわけですから世間で名曲と称えられると思われます。モーツァルトの魔笛、シューベルトの即興曲集、ベルリオーズの幻想、シューマンの詩人の恋、ワーグナーのトリスタンとイゾルデ、ブルックナーの8番、シベリウスの4番、ビゼーのカルメン、ドビッシーの牧神、プッチーニのラ・ボエーム、ブリテンのピーター・グライムズ、メシアンのキリストの昇天のような曲の “ある部分” に僕が感じる「霊感」とでも呼ぶしかないものの正体はそれではないかと思うのです。その部分の楽譜をお示しすることはできますが、音符のどこにそれがあるのかわからないことは、意識が脳のどの部位にあるのかわからないことと相似形です。
去年の7月に「アガスティアの葉」を体験し、これは「アカシックレコード」にちがいないと信じるようになったことは書きました。ブラックホールに星が吸い込まれると、星という物の3次元情報は球面の膜に2次元情報として記録されることがスティーブン・ホーキング博士の研究によって数学的に証明されています。
その2つは等価、つまりある空間領域の情報量は領域の体積ではなく表面積によって決まっています。これが「ホログラフィック原理」です。敷衍して、宇宙の出来事はすべて「アカシックレコード」に2次元情報として書かれており、それをインドの僧侶がアカシアの葉っぱに書き取っており、我々は脳が同じものを受信して3次元に変換して認識したものを「人生」と思って生きているという思考実験は不可能ではないでしょう。僧侶のお告げが当たっているのにびっくりしたのですが、元が同じなら必然です。
球面を内側から見ると直線は曲がっています。 2次元である正方形の辺がブラックホールの重力で同じ率で同方向に曲がっていれば3次元の球になることをイメージするのは容易です。我々が見たり触ったりして立体と思っているものはすべてオリジナルの平面に書いてある情報をもとに脳が作った3次元イルージョン(幻影)であるとイメージすることは容易でありませんが、ここまで数学の証明でつながってきているので否定するすべはありません。さらに、 アインシュタインが踏み込めなかった量子力学は、我々が「観測」しなければ何物も存在が確定しないことを「シュレディンガーの猫」の思考実験と、観測が現実に結果を左右した「二重スリット実験」で示しています。
そういえば子供のとき、天城山の夜空にくっきりと浮かんだオリオン座を見て、あの綺麗な形はなんとなく作り物っぽいな、あれって本当にあるんだろうか?と疑ったことがありました。ひょっとして夜空の星全部が、太陽も月も、実は地球人に見せるためのプラネタリウムなんじゃないか?そう思ったのです。今になって、最新の学説を聞きかじることでますますそう思っています。オリオン座はあります。でもそれは我々が見て観測した場合だけで、すべての人において観測すればどの人にもあのように見える「何物か」としてアカシックレコードに情報として記載されている。我々は地球上で2次元情報を3次元と解釈してきてますから天空に輝く星も3次元だと思っています。望遠鏡で観測し距離を測定するとバラバラである。だから3次元だ。しかし観測されればそういうデータを与えるよう情報が書き込まれているだけで、全部が同じ球面に張り付いている可能性はゼロでしょうか。我々のお隣の恒星、ケンタウルス座プロキシマまでスペースXの最新高速ロケット「スターシップ」で飛ぶと4万年かかります。現在の科学の進化度合いにとどまる限り人類は太陽系を脱出できません。金魚鉢で生まれ育った金魚のようにそれに気づいてもいません。どんなインチキの仕掛けでも、人類がそこに近づいてばれる心配はありません。星空は別室で誰かが操作しているプラネタリウムかもしれないのです。
頭に入ってない「コリント人」が夢に出てくる。海から波に励起が伝わったというわけですが、もしかするとこれが前世の記憶なるものではないでしょうか。僕の魂(波)が前世ではそれを良く知っており、意識フィールド(海)と5月8日に量子の励起状態が同期し、夢に現れたのではないか。なぜそう思うかというと、僕は2才のときに「自分ではない意識」が作動したとしか思えない記憶を持っているからです。このエピソードは以前のブログに書きましたが、それは我が最古の記憶になります。2才まで住んでいた家の縁側で、父親のSPレコードを縁石の上に落として割ってしまったことです。ずっしりと重たいレコードがパリンと割れる経過をスローモーションみたいにくっきりと覚えているのです。小さい破片を拾って表面の真っ黒なコーティングをはがすと、驚いたことに中央部から紙が出てきました。それを見て「新聞紙だ」と即座に思ったのです。以上です。母が近くにいましたが何を言ったのか、当時32歳だった父が帰ってきて叱られたのかどうか、全く覚えてません。しかしよく考えるとおかしいんですね、2才の赤子は新聞を読みません。なぜ新聞紙と思ったと記憶されているんだろう?どうにも説明がつきません。
「前世の記憶」は調査事例はありますが、転生を前提とするため数学の出番はなく、根拠は見つかっていません。しかし、繰り返しになりますが、「意識が脳のどの部位にあるのか」という問いにも数学の出番はなかったのです。説明がつかないことに、説明しようと努力もせずスピリチュアルだオカルトだとレッテルを貼るのは愚かなことです。数学で説明がつかないという事実に次の地平への扉が開かれていると思考することこそ科学的な態度だと僕は考えています。アインシュタインは「量子もつれ」を「不気味な遠隔作用」と呼び、いわばオカルト扱いしましたが、その存在を実験的に検証することに成功したアスペ、クラウザー、ツァイリンガーの3人に2022年のノーベル物理学賞が授与されています。
最古の記憶の次に覚えているのは次の家での3才の七五三で1年後です。「新聞紙」と確認できる意識がありながら、それから1年間なにひとつ覚えていないなんてことがありえるのでしょうか。どうしてもここからは不本意ながらスピリチュアル、オカルトな話にしかなりえませんが、僕には「前の人物」がいて、レコードに関心があり、だから乳児の体を使って破片を微細に観察したと考えると納得がいくのです。その関心は物心ついた僕に残って、何年か経つと、音楽よりもレコードに対する物としての執着のほうが強く、どうして細い溝から音が出てくるんだろう?きっと溝の中に小さな演奏者が入ってるに違いないとまじめに信じていた時期がありました。溝を顕微鏡で観察してそれはないことが発覚してからは、溝のぐにゃぐにゃに理由があるに違いない。ではレコードに自分で溝をつけてみようと内周部の真っさらで光っているところに針でそれらしいのを掘り、実験で針を走らせたらバリバリとすごい音がして観念しました。愚かです。
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2025/10/21/%e6%9d%b1%e3%81%95%e3%82%93%e3%81%af%e3%81%8d%e3%81%a3%e3%81%a8%e5%ae%87%e5%ae%99%e4%ba%ba%e3%81%aa%e3%82%93%e3%81%a7%e5%a4%a7%e4%b8%88%e5%a4%ab/
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高市の法則
2026 MAY 6 15:15:59 pm by 東 賢太郎
「70%をキープしてきた高市総理の支持率がまた上がったぞ」
「ほんとだ、74.2%だ」
「見たことないなこんなの。普通は就任して半年もすれば半分ぐらいになってても不思議じゃない」
「そうだな。たしかに落ちてないだけでも異常なんだけどね、もっと特異な現象があるんだぜ」
「時間の問題じゃないってこと?」
「そうだ。敵が足を引っ張れば引っ張るほど支持率が上がるってのが前代未聞なわけよ」
「なるほどそういう感じはするね」
「確かに、オールドメディアは徒党を組んでネガキャンやっても支持率落ちない、文春砲に閣僚を狙い撃たせてもダメ。こんなの前代未聞だ」
「超短命だったイギリスの女性総理トラスの二の舞と印象操作したり、理屈も分かってないトリプル安だとかアホが透けて見える安っちいネガキャンやってたよな」
「それが安っちいって気づいてねえんだ。それだけでバカなのに、全然支持率落ちないから恥の上塗りだ。やればやるほどお里が知れて誰も読まなくなるけどな」
「あまりにびくともしないんで恥も外聞もなく嘘まで垂れ流しだした。自虐行為だ」
「嘘も100回言えば真実って左翼が得意なやつのつもりだろうけど、なにやらジハードみたいに危ない域に入ってきたぞ」
「そうそう。公正中立のメディアのはずが、追い詰められて野党の機関紙みたいになってきたぜ。そんな新聞に金払って誰が読むの?」
「そこまでして下がるどころか74%にアップ。国民の4人に3人が支持してるって凄すぎねえか。こりゃあメディア死刑宣告だな」
「でもなぜなんだ、あのトランプだって支持率激下がりなのになぜ高市だけこんなに強いんだ?」
「分からないか?」
「??」
「逆風を受けると上がる物があるだろ?」
「??」
「凧は逆風で上がる」
「なるほど。ということは野党とオールドメディアは渾身のネガキャンで逆風吹かして高市の応援団やってるようなもんだ」
「その通り」
「でもそんな政治家っていたかな?」
「いなかったよ。そうなっちまうほど異常な事件があったから異常なことになったんだ。あの汚い首を切ってやる事件さ」
「うんあれな、ありゃあ岡田がカマかけて高市に言わせた発言で言わざるを得なかったんだろ、領事も立場として」
「サラリーマンの悲哀みたいなもんかい」
「そうかもしれんとは思ってるよ、でも国民はそう甘くない。言っちまったものは消えねえし日本人は表だって騒がんけどみんな腹わた煮えくり返ってるぜ。うちのカミさんでさえ激怒だ、日本人を怒らせたら怖いんだぜ」
「そりゃどこの国だって普通さ。自分たちが侮辱されたと思う」
「それが平和憲法と敵国条項でOKと思ってる。おめでたいわ」
「国民感情を捨てろって言われてるに等しいからな」
「だな、日の丸燃やして無罪ってのも同類と思ってるぜみんな」
「そうか、だから高市なんだ。言われた本人が一番そう思ってる。それを7割の国民がテレパシーみたいに共感して応援してる。それならしっくりくる気がするよ」
「ああなるほど、もう『推し活』みたいなもんか。でも大事なことは、その感情と公約した政策に全く矛盾がないことだね。だから高市は命をかけても公約を実現してくれる。それは国と自分の為になる。彼女は私利私欲でなく信念としてそれをやってる。自民党は大嫌いだけど彼女は信じて応援したい。 7割の国民がそう思ってる。いささかもおかしな部分が無い」
「だろ。だから高市の足を引っ張る奴は国民感情を捨てる人間というレッテルが自動的に貼られる。これからますますそうなる。はっきり言えば国民を敵に回す。日の丸より表現の自由が大事でしょ、だから燃やしていいでしょってのはLGBT押し付けたのと同様に無理くりの理屈だろってね」
「なるほど。ならば高市支持は軍国主義でも何でもねえよ、どこの国民だって当たり前の正義ってもんだろ。ということは日本国民の3/4が高市は『正義の味方』だと思ってるわけだな」
「そうだ」
「じゃあ残りの1/4は『悪魔の手先』だな」
「知ってますわい、♪ 手~をにぎれ 正義の味方 ♪ たた~きつぶせ 悪魔の手先 ♪ 」
「なるほど、高市支持は若者かと思ってたけど・・」
「いやいや実は鉄人世代にも絶大な人気らしいぞ」
「そうか、高市官邸は鉄人みたいに暴れろってことか」
「そりゃそうさ、悪魔の手先がいっぱいいる自民党にそんなことできるわけねえからな。だって政権支持率は7割なのに自民党の支持率は3割なんだよ」
「俺も自民党は今でもフタを開けると腐臭がすると思ってるぜ」
「だよな、安倍暗殺から急に腐った」
「俺はLGBTで岸田に怒って参政党に入れたクチだよ」
「高市が潰れたら自民党はまた3割の政党に戻る」
「当然だろ。有史以来最高峰の不人気だった石破の置き土産で苦労したのが過半数なしの参議院の予算折衝だった。あーなると自民の腐敗勢力と野党がつるんで抵抗勢力になる」
「党内で足を引っ張ってる奴ら、バカだね、自民党ごと凋落して自分も落選だ。これほど自分が見えてないって信じ難いね」
「てめえらが獅子心中の虫ってことが分かってねえわな」
「そんなきれいなもんじゃねえ、ダニだよダニ」
「だよな、でもこいつらは自分が獅子で高市がダニと思ってるんだ。バカもここまで来ると救いようがねえわ」
「全部まとめて国会から駆除してほしいな」
「いくらなんでもそりゃ官邸にはできねえ。でも間違いなく国民が次の参院選で切るけどな」
「当たり前だ。金曜日は反対だけど月曜日なら賛成なんてわけのわからんこという奴は問答無用で落とすんだ」
「あったあった、ありゃイジメだった、野党とつるんでな。忘れちゃいかんぞ」
「こいつら政策より党利党略が優先するんだろ?国民の事なんか何も考えてねえ証拠だ。これがダニでなくて何だ?」
「いいか、例えばな、会社が金稼げるかどうかは経営者で決まる。その経営者は人間で決まるんだ。人柄でも家柄でも学歴でもねえ、人間だ」
「人間と人柄はどう違うんだ?」
「人柄は作れる。人間は作れねえ。体育会でゴルフのスコアごまかすような奴は他人の見てない裏で何するか分からんてことだろ、だって現にそれやったんだから。味方を後ろから撃つなんてわかってることだ、人間は死ぬまで変わらんから」
「確かにいい人ぶってりゃ人柄いいって言われるもんな。そんなんでまともな人間とは言われねえもんな」
「例えばな、株買うって命の次に大事な金預けるってことだからな、経営者の人間を真剣勝負で見抜くってことなんだ。政治家も同じだ」
「だよな、日本はもう平時じゃないよアメリカの核の傘なんて嘘っぱちだしな。こんな時に口先だけのへっぽこ野郎が総理大臣なんて国ごと自殺行為だ」
「高市は軍国主義者だ、危ない、怖い、なんて青筋立てて騒いでる野党のおばさん、あんたらの顔の方が俺はよっぽど怖いぜ」
「まあ連中はあれが売りの芸人だから大目に見たらどうだ」
「そうだ、俺なんか次の出し物は何かなあなんて楽しみだけど」
「まあお前らは株式投資はやらんことだな」
「だけどさ、いじめればいじめるほど高市は支持率上がるって凄くないか?ありえないことが起きてマジック見てるみたいだ」
「だよな、野党はどうせ芸人だから食ってけるけど事業体であるオールドメディアはそうはいかない。もう袋小路だ。どこかで降参して高市を持ち上げざるを得なくなるんじゃないか?」
「いい質問だね、 NHKやTBSや朝日や毎日がそれやったらどうなるかってな」
「絶対それは無い。だってレゾンデトルなくなるだろ公正中立の真のメディアを捨てたんだから。もはや高市不支持の3割という小さいパイの奪い合いで生きてくしかない、それに見放されたら潰れるしかねえ」
「そうかな、心入れ替えましたってダメかな」
「人間っていうのは変わらないんだよ、そう言っただろ。メディアを捨てた奴はもう戻れねえし戻ってもすでに国民に見透かされてるから二度と信用されない。社説をご都合で変える報道機関など生きる道はない。つまりもう大手飛車取りなんだよ」
「そうかじゃあ野党もオールドメディアもこのまま高市おろし軍団として、支持率上げる貢献をするしかないんだな」
「そのとおり。ということは実は高市政権のエサ、栄養分になるということなんだ。映画『マトリックス』覚えてるか?」
「ああ、進化したAIが人間をカプセルの中に閉じ込めて仮想現実を脳内で見せて飼っておき、エネルギー源として利用するってやつな」
「そうだね。野党もオールドメディアもそういう役割で定着するだろうな。まあそうは言ってもこいつらは政権にとってたいした害はない、あるのは自民党のダニだ」
「よく理解したよ」
「俺もだ。ということは高市さん、早くダニスプレー撒いて駆除せんといかんね」
「でも参議院選挙までまだ時間があるな」
「それは国民の審判という意味だ。でも総理総裁には人事権というものがあるよ、公認しないって脅しも使えるね。国民が支持するからそんなもん躊躇する必要なんか全くない、委細構わずこの剣を抜くんだね、長年ぬるま湯で勘違いしまくったジジイどもを動かすにはそれしかない」
「できるかな」
「できるさ。くだらないジジイの飲み会なんか行かない人だ、何のしがらみも私情もないだろ。文句あるなら消えてくれで終わりだよ。法律を自分で書けるということは役人以上の知識がある上に強い頭と根気の持ち主だ。しかも、外交場面を見てみれば、その手の人間にはとても出来ない「人たらし」がめちゃくちゃうまい。天性のものがある。ビジネスマンとして俺が断言する、ビジネスをやっても超一流だ。政治家にそんな人間はいない。ということはこんな事が出来る総理大臣はいなかったし、今後も出ないから国民としてはやるべきことは全て彼女にやってしまっていただくしかないのだ。身は綺麗でハニトラ、マネトラの隙も一切ない。盤石だ。公約実現という唯一の目的を達成するため人事という冷徹なツールは思いっきり使えばいい。マーガレット・サッチャーは頭脳が理系で鋼のような強い意志を持った人だった。高市総理は匹敵すると確信する。
それもこれも、いじめられればいじめられるほど人気が出てパワーアップする現象が根っこにあるからできる。契機が国民感情を毀損する侮辱行為だから、日本人のプライドの根底に関わっており、何があろうと人気は絶対に消えない。 4人に3人の日本国民はファンであり、自分が推している彼女をいじめたりおとしめたりする相手は即座に敵と認識する。従って戦っても勝ち目は全くなく、やればやるほど疲弊して自分の身を滅ぼすだけである。他のいかなる人間にもこの武器はなく、すなわち彼女に固有の現象であるから競争相手はいない。俺はこれを『高市の法則』と呼んでる」
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話題のテラドローン株投資のタネあかし
2026 MAY 1 8:08:23 am by 東 賢太郎
これを書いたのは3月17日だ。その日のテラドローンの株価は3,125円だった。
きのう(4月30日)テラドローンは何度目かのストップ高で9,270円で引けた。僕の長い投資歴でも1ヶ月半で3倍になったのは初めてだ。3月17日にブログを読み、徳重社長を信じて株を買った人は宝くじに当たったようなものだろう。
そこに書いたように、僕は上場前の2020年に社長を見込んで投資して第5位の大株主になった。当時会社側は資金需要があり魚心に水心であった。しかしスタートアップ投資という業務は僕が証券会社時代に本業としてきた仕事ではない。当時は上場企業の業績・財務データを解析して評価をするのが本業で、データがないに等しい新興企業投資にその手法はまったく通用しないのである。そこで自分で事例を研究し、何度か実際の投資にチャレンジしたが見事に失敗した。しかしその程度で撤退するにはこの業務は魅力がありすぎた。なぜなら、突き詰めて考えると、失敗の最大の要因は経営者を見る基準が甘かったことにあったのであり、人物を見ることに関しては年の功で業界の誰よりも自信が持てることに気がついたからだ。
「経営者を見ろ!」なんてご託はそこら中のビジネス雑誌がネタ切れの時にタイトルに使う便利な呪文みたいなものだ。意味があるのは、経営者を見て企業の業績を予測することを人の能力を見抜いてマネタイズする行為と無機的に捉えることであり、それ以外の何物でもないと知ることである。要は人の値踏みであり、こう書いてしまうとあまり良い気持ちのしない読者が多いかとは思うがビジネスに成功するのは良い人であったり他人の気持ちを斟酌したりすることによってではない。「経営者のマネタイズ」という視点に気づいてすらいない人が何千人経営者に会って統計を取ろうが経験を積もうが、そもそも他人の経営能力を数値化する方程式を知らないのだから評価などできるはずがない。普通の人が何千人のプロ野球選手にインタビューしようが野球がうまくなるわけでないのと同じなのである。レポーターやマスコミの仕事はそれはそれで大切であり、そこに一定数のファンがいてビジネスとして成り立っていることを否定するものではないが、ここで議論の俎上に載せている「ビジネス」とは投資であり、数字のみが意味を持つお金を扱う仕事においての話であり、結果を出さなければ一文の価値もないのである。
そもそも論だが、僕は口だけ達者でもっともらしい言葉を吐くが自分でやらない人はどんなに好人物で家柄や学歴があっても無価値と思っている。人としての是非をいう気はないが、その手の人がなれるのは評論家だ。事業家として経営を行うことは無理である。だから僕がお付き合いすることはないし、まして投資することはありえない。シベリウスが言っているように評論家の銅像が建つことはないのである。もういちど書く。「人物、家柄、学歴」を否定したのだから経営にそれはいらないと僕は言っている。あっても結構だがそれで経営力を評価すると失敗するから否定した方がリスクが少ない。否定して問題ないのは、血液型や星占いや犬派猫派で判断する人はいないのと同じほど経営実績、つまり株価に影響がないからだ。もしあるならすべての上場企業の経営者は自他ともに認める人格者で、華麗な閨閥を持ち、その国のトップスクールの卒業生ばかりになっているはずだ。日本だけを見ても、例えばトヨタにしてもソニーにしても、閨閥だけで経営して成功した企業はほとんどなく、そんな実態には全くなっていないのである。株というのは美人投票だから仮に99%の人が「経営者が犬派だから」という理由でペット保険会社の株を買えば市場に大きな歪みが生じる。投資収益を最もリスクのない方法で得るには「歪みはいずれ解消する」という数学で言うなら公式に賭けることだから、その判断が誤りだったと99%が気づけば巻き戻しで株は下がり、ショートした投資家は予定調和的に利益を得ることができる。
上場している株はデータが出そろっているから歪みが生じる可能性は少ない。この状態をビジネススクールでは「市場は効率的(efficient)である」と教える。トヨタの来年の収益が確定的に投資家に知れ渡ってしまえばトヨタ株はある株価に収束し、そこに投資して得られる利益(キャピタルゲイン)の期待値はゼロになる。つまり、その逆を考えれば良く、データを分析してなるべく大きな非効率(inefficiency)を発見することがアナリストの仕事であり、与えられた資金をそれを持つ複数の銘柄に振り分け、株価の動きが無用に同期してポートフォリオ全体の収益の増減の振れ幅を大きくしないことがポートフォリオマネージャーの仕事なのであり、投資家は彼らに手数料を払っている。誰だって自分で勉強すれば出来るが、その負荷を背負うためには相応の時間と労力が必要で、その試みが何も生まなくても生活に問題ないほどの資産が必要だ。しかし資産がある人はそこまでしなくても人生に困らないのである。したがって、ほとんどの人は手数料を払ってその作業を専門家に委託しており、我々ソナー・アドバイザーズもその手数料をいただいてアドバイザリー業務を行っている。一方、株価もデータもないスタートアップ企業に効率的(efficient)なものは何もなく、いわば非効率の固まりであり、99%の人が「経営者が犬派だから」程の誤りだったと後で気がつくありえない理由で評価あるいは無視さえしてしまうことが大いにあり得る。非効率が大きいほど投資で得られるリターンは大きい。数学の公式だ。テラドローンの場合、ドローンは子供のおもちゃである、中国企業が独占して参入余地がない、などの”犬派理論” が市場を席巻しており、それが誤りだったという巻き戻しのインパクトは強大だった。だから株価は1ヶ月半で3倍になったのである。
では経営者の資質として評価すべきものはなにか。これを解説するには1冊の書籍のスペースが必要だろう。仮に僕が『株式投資で儲ける方法』というタイトルの本を書いたとしよう。「その本が売れるかどうか」、「売れるなら1冊いくらで売るべきか」は、僕の「人物、家柄、学歴」ではなく、その本が株で儲けたい人にとって実益があるかどうかで決まるはずだ。とすれば、買おうかなと思う人は僕の実力、すなわち、僕が過去に投資した株のパフォーマンス(戦績)を調べるだろう。それが良ければ売れる。たいしたことなければ売れない。そうして本の値段が決まり、著者は印税を手にする。僕は株で儲けることよりもっとうまいことがあると自分では思っているが、それは本の値段の足しにはならない。「経営者(人)のマネタイズ」とはそういうことを言っている。いっぽう僕の側からすると、本を書いて得られるかもしれない印税のベストシナリオより投資の仕事の方が確実に利益率が高い。よって経済原理に従って本は書かない。印税の方が高いか、本業だけでは満足な収益が得られない方は書く道理があるが、そういうことだから、僕が彼らの本を読もうと思うことはない。例えばマーケティングはアメリカでは学問ということになっているが、「商品がたくさん売れる理論」を伝授する教授がなぜGMやIBMのそのポストに就かず、たいしたことのない給料を学校からもらう生活をしているかはウォートンスクールの学生の間で格好の皮肉ネタになっていた。僕がブログを書くのは、こう言ってはMBAという学位をお持ちの方に失礼にはなるが、ビジネスに理論などはなくやってみないと分からないからだ。だからそんなもので人様からお金を取るべきでなく、理知的な人には参考になると信じるブログをこうして無料でお目にかけ、何かを学んで事業で成功してくれる若者が出れば嬉しい。それだけの理由である。
3月17日のブログでお示ししたように「科学技術は戦争で進化する」は帰納法的に一般化可能なテーゼであり、数学でいうなら公式である。では現代の戦争で進化する科学技術は何か?これは議論を前へ進める思考だ。僕の回答は無人兵器(ドローン)であった。ではその技術は世界のどこにあり、どこに投資資金があり、世界のどこにそれをマネタイズする有能な経営者がいるか?これが、もう一歩議論を前へ進めることによって解くべき設問であり、抽象論を現実のアクションに落とし込む最終プロセスである。そしてその回答こそが「今すぐ行うべき投資というインテリジェンス」なのである。その結果、僕は2020年にテラドローン社への投資を決め、徳重社長が必要な事業資金の一部は僕がファイナンスすることで「公式通りのパフォーマンスが実現」し、ソナー・アドバイザーズおよび僕を信じてついてきてくださるお客様たちが大きな投資収益を獲得する確率を自力で高めた。これがテラドローン株投資のタネあかしである。投資の常として、自力でできたのはそこまでだ。MBAという学位をお持ちの方の名誉のために最後に書いておくと、以上のことはビジネススクールで学んだ人にとっては自明のことだ。そこで習った7つ道具を使えば、ここまでは誰でも来れる。少なくとも、習ってない人よりはずっと速くゴールに辿り着くことができる。では僕の母校ウォートンスクールやハーバードビジネススクールを卒業するのにいくらかかるか?現在だと2年で5000万円ぐらいだろう。ということは、MBAの価値はその投資を何年で回収できるかにかかっている。その名の通り「ビジネス」で回収を目論む人には大いに推奨したい。しかしサラリーマンや評論家や印税収入で回収するのは仮にできるとしても時間を要し、下手すると一生それで終わってしまうのであまりお勧めできない。
金融商品である株式への投資は世界経済や金利の動向や決断のタイミングという外的要因の吉凶で結果の良し悪しが決まる部分は常にある。今回はそれもたまたま吉と出たという僥倖に恵まれ、40年この業界にいていまだかつてない成果をあげられたということである。
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マイケル・ティルソン・トーマスの訃報(1)
2026 APR 27 9:09:07 am by 東 賢太郎
いよいよマイケル・ティルソン・トーマス(MTT)も鬼籍に入ってしまった。どういう訳か、 11歳しか違わない同世代人だったのに僕は彼のライブに縁がなかった。だから本稿は「僕がなぜか聴かなかった名演奏家たち」というタイトルが本来ふさわしいのである。同時代というだけならそこまでは思わないが、先ほどウィキペディアを調べると、彼は1971年から1979年までバッファロー・フィルハーモニック管弦楽団の音楽監督を務めているからそういう思いが頭をもたげた。なぜなら、奇しくも僕は1978年8月の1ヶ月間、ニューヨーク州立大学バッファロー校語学研修プログラムに参加していたからだ(以下、バッファロー大学)。
大学4年のことである。就職準備すべき最中になぜ遊びに等しいそんなことを考えていたのか。その前年にまったくの無計画で1ヶ月アメリカ西海岸を放浪し、あまりの語学力の無さ(通じない)に危機感を覚えたのが大きい。人生にかかわりのある問題ではなかったが、子供の頃から父に「これからは英語ができないとダメだ。そういう時代になるぞ」と吹き込まれて育ったからそのままではいけないと思ったのだ。父は徴兵されながら鬼畜米英報道の嘘を見抜いていたわけで、それがなかったらこれもなかった。そこで、最初の渡米でロスで訪問させて頂いた父の同僚の支店長から「アメリカは西と東は別の国だ、東海岸に行かんと駄目だ」と教わり、東への強い関心が芽生えていた。法律は逆さに読もうがどうしようがドメスティックな話で、学科で興味を持ったのは世界の法律の礎となったローマ法だけと、その他は全く興味を持てず、何のため文Ⅰに入ったのか自己崩壊に近づいていたこともある。といって最終学年になって麻雀に明け暮れては先がない。アメリカに留学すべきだというあてどもない気持ちが湧き起こり、女の子にまざって水道橋のアテネフランセに通った。我が家は裕福な家庭ではない。廉価の方法はないかと探すうちどこかで米国留学渡航費無料という話を聞いて電話したら、それは虚偽ではなかったが宗教だった。世の中こんなものかと悟る。そこでさらに探してバッファロー大学語学研修なるものに行き当たったというのが顛末だった。初回は友人2人を誘って3人で渡米したが今回はそのつもりは全くなかった。遊びでなく修練のつもりだったからだ。
あの宗教は1回だけ説明を聞きに行ってみたが紛れもなくキリスト教の布教であり、東大生の1本釣りを狙っていたようで担当の女性がものすごく熱心だった。もし分かりましたと素直に渡米していたらどういう人生になっていたのだろう。クラシック音楽とキリスト教は切っても切れないから改宗してアメリカ本部の幹部にでもなってひょっとして面白い人生があったかもしれない。しかし我が家は浄土真宗でそっちはあまりに縁遠く、父は就職に関しては本道を外すなどもってのほかという保守的な銀行員だった。タダにつられて参加したら両親は即倒するだろうと心配したわけである。すべて話したら父はぽんとバッファローの100万を出してくれ、4年後に野村證券が本物の留学をさせてくれたあかつきに会社の持ち株で返済した。お金の価値は相対的なもの。必要な時は1円でも値千金の価値がある。この研修への参加で僕はひと皮もふた皮もむけ、後々に精神的にとてつもないインパクトを及ぼすことになる。
バッファローはニューヨークから北西に1時間ほどのフライトでナイアガラの滝に近い。行きすがら立ち寄ったマンハッタン。エンパイアステートビル、自由の女神、ロックフェラーセンター、誰もが初めて訪れて抱く驚愕!後に何回も行ってそんなものは日常になるのだが、この時に受けたお登りさんの洗礼は一生忘れないだろう。
ビデオで見慣れた今時の若者はへーで終わる事もあろうが、当時はそれなりの緊迫感と希少感があったものだ。なにやら、ここが世界のへそなんだ、ここで世界が動いているんだという感動が足元からじわじわと湧き起こり、そこに立っていることの不思議に足が震え、天空を見上げては圧倒され、「西と東は別の国」の教えを噛み締めた。ウォールストリートはここにある。深層心理の中で証券界でグローバルに活躍することを志そうと思い立つ動機のひとつになったのかもしれない。さらに脳裏に浮かんだのは「山本五十六はエンパイアステートビルもワシントンブリッジも見ていた。君はこれを見てこの国と戦争しようと思うか?」という小説だか映画だったかのくだりだ。軍も総理官邸も閣僚も、いやおそらく天皇陛下だってお分かりになっていたのではないだろうか。にもかかわらず日本特有の「空気」なるものが許さなかった。反対すれば2・26みたいに暗殺。やったところで軍事裁判で死刑。軍人は東京裁判という名のアメリカのリベンジで、本当に気の毒だったが現にそうなったのである。政治家や官僚はなるもんじゃないなと思ったが、幸いもとより向いてない。先祖ができたことをやれば俺もできるだろうと、母方の商人の血筋に従う気持ちが固まったのはこの時である。
MTTの「カルミナブラーナ」(写真)と「春の祭典」は東大時代に衝撃を受けた2大レコードで、我が人生におけるメルクマール的存在といって過言ではない。購入日を調べるとカルミナが1977年4月29日、春の祭典が1978年5月31日であり、バッファロー大学滞在時には当然ながら彼の名前も焼き付いていたのである。したがってここから以下のような推論を展開することになる。もしかしてこのプログラムを選んだ理由のひとつとしてMTTを聴けるかもしれないという期待があったのではないかという仮説だ。そのつもりで行ってみたが叶わなかったのではないか。オーケストラは夏季休暇があるという慣行を当時は知らなかったからだ。やむなく、「キツネの酸っぱいブドウ」で脳が記憶を消去した。したがって、先ほど発見したもろもろの顛末も、あたかも今起きたニュースのように感受できたのかもしれない。さらに事実がある。図書館で見つけたシューマン交響曲第1番、ストラヴィンスキー火の鳥1911年オリジナルバージョンのピアノ二手リダクションスコア、および、春の祭典の2台ピアノスコアを多大な情熱と時間とコストを投入してフォトコピーし、ニューヨークではストコフスキーがヒューストン交響楽団を指揮したカルミナブラーナのLPを買って帰っていることだ。MTTを聴けなかった認知的不協和が残っており、コピーと買い物によって溜飲を下げたとすれば内容からして辻褄が合う。そうだとすると、我が人生を大きく変えたこの語学研修参加への決断にはマイケル・ティルソン・トーマスとその2枚のレコードの存在が関わっていたことになる。
バッファローでの1ヶ月は今となっては夢のような青春のページェントだ。参加者は男女合わせて10数名だったろうか、大学生が多かったが大学の先生もおられ、どこから来られた人であろうと少々年齢の上下はあろうと、ここでは同じ穴のムジナで皆さんすぐに仲良くなり、ナイアガラやトロントへ小旅行したりソフトボールをやったり楽しい日々を送った。皆さんその後はお元気でご活躍だろうか。その小さなコミュニティの中でも、いかに自分が狭い環境で生きてきたかを知り、目が覚めることが多く、すべてが目新しいアメリカの生活の中で日本人の団結こそ大事だということを学んだ。何より、正規の学生ではないが雰囲気だけは存分に味わえたバッファロー大学というノーベル賞学者や宇宙飛行士を輩出している素晴らしい環境だ。好きなことをいくら目指してもよく、その気になればいくらでもサポートが得られ、大学にそれを実現する素晴らしい環境があり、前を向き上を目指す人たちばかりと暮らすことができる。突拍子もないアイデアを持ちかけても真剣に取り合ってくれ、「いや~そうは言っても」なんてくだらない常識論のご託を並べる者などいない。もちろんお金が必要だが、前を向き上を目指せばそれも入ってくるだろう。これが自由主義か!教科書で習った干らびた概念ではない、日々歩き回ってそこら中で吸い込む空気が自由の香りに満ちている、そういうアトモスフィアを総称してそう呼ぶということなのである。なんて素晴らしい国だろう。いや、これこそがヨーロッパ人が血を流して勝ち取った自由というものの真の姿なのだ。すべての人間が享受すべきものだ。これを知っただけで受験勉強の何百倍ものことを体得し、いよいよ本当のアメリカ留学をしてみたいと考えるようになった。その後に想いは叶い、コロラド大学に1ヶ月、ペンシルベニア大学に2年籍を置いた。3つの大学にお世話になったわけだが、大学は警察もある自治の場だ。バッファロー大学で根源的、直感的に得た「自由」への感慨は形こそ個性をまとってはいるがどの大学にも共通して存在し、今に至るまで微塵も変わらずその指し示す通りの道筋をたどって現在地にやってきたというソリッドな実感がある。
留学ために野村證券を選んだわけではないし、行きたいなどとわがままを言える甘い会社でもなかったし、「思う一念岩をも通す」だったのだろうと格言でも持ち出さないと説明がつかない結末となった。まさかクラスで目立ちもしなかった凡庸な自分にこんな人生が用意されていたと誰が想像しただろう。答えはクリアだ。これこそが父の投資の成果だったのである。父はお堅い銀行員のくせに株式投資が好きだったが、 一番成功した投資は僕のあそこの100万円だったねと言っても異論はないと思う。投資は惜しんではいけない。惜しむ人は日本という自由主義国家に生まれた特権のオプションを行使せず、真の自分を知らずに人生を終えることになるかもしれない。ということは不幸にも絶対主義国家に生まれてしまった人と変わらない。あまりにもったいないのではないだろうか。
MTTは後にサンフランシスコ交響楽団の音楽監督になるが、このオーケストラは前年の西海岸旅行の野犬騒動で死にかける事になった楽団だ。もちろん楽団のせいではないが、指揮したウィリアム・スタインバーグの方が翌年亡くなった。スタインバーグはグスタフ・マーラーの弟子だったオットー・クレンペラーの弟子であり、あの日の演目がマーラーの1番で、ティンパニ奏者の横で体験したこの震撼すべき素晴らしい演奏を僕は一生忘れることはない。マーラーもクレンペラーもスタインバーグもユダヤ系であり、やはりそうであるMTTも生涯最も力を入れた作曲家はマーラーだった。彼は1988年からロンドン交響楽団の首席指揮者になっており、僕は1990年までいたから2年重なっていたはずだが聴いていないのはプログラムに当時あんまり馴染んでなかったマーラーが多かったためかもしれない。
カール・オルフ「カルミナ・ブラーナ」
マイケル・ティルソン・トーマス指揮クリーブランド管弦楽団
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8千メートル級14座に登頂の渡邊直子さん
2026 APR 15 1:01:55 am by 東 賢太郎
前回に丹沢大山のことを書いたのでその先です。実はなんにもありません。歩いて登って1番きつかったのは屋久島の縄文杉の1300mです。富士山は未踏。軽いタッチで両方登った次女が縄文杉のがキツイよと言ってたのでまあいいかになってます。チリのサンチャゴからアンデスを3000mぐらい、ハワイ島ではすばる望遠鏡のある天文台の4200m。歩いたと言いたい所だが残念ながらどっちも車です。ということで山について語る資格は全くございません。
日本人女性として初めて8000メートル峰14座全てに登頂された渡邊直子さん、名前は知ってましたがユーチューブは知りませんでした。4200mで目の前にチカチカと星が出ましたからね、エベレストはその2倍。想像を絶します。渡邊さん、火星に行って帰ってきたみたいなもんです。そんな方のお話を聞けるなんていい時代になりましたね。
僕はどなたであれ、どんなジャンルであれ、自分ができないことをできる方は例外なく尊敬します。渡邊さんの場合、やったことも破格だけど自然体で語る姿も破格です。高校のバトミントン部で全国大会は立派です。一生もんの思い出です。ところがそうじゃない。彼女の言葉の重みで分かります。そのレベルでは出ない重みを感じるんです。それが「居酒屋に行く感じ」。これ、謙遜でも奇をてらったのでもなく、本当の自分を取り戻したり新たに発見したりできる大事な場だから、個人的に本当にそうだからどうしてもわかってもらいたい、だからそのぐらい嚙み砕かないと伝わらないというギリギリの表現でしょう。もし自分を取り戻したり発見したりできるなら火星だって居酒屋になる方でしょう。実は僕も似たところがあります。人としてとても魅かれるものがあります。
重いだけでなく衝撃なのは、「登頂を目的としてないのであと150mで下山しても平気なんです。それで命を落とさず来られたんでしょう」とあっさりおっしゃること。このくだりは僕の人生観に大転換を迫るメッセージであります。
なぜなら僕は「何事もやり遂げてナンボ」が憲法第1条の人間だからです。伊賀の影丸、ジェームズボンド、ゴルゴ13で育ったスナイパー派。敵前で「すいません、取り逃がしました」なんて頭かいて帰ってくる奴は豆腐の角に頭ぶつけて死ねで終わりです。人生初の「やり遂げ体験」だった丹沢大山登頂に発してますから根深いです。長じて映画は任侠物で高倉健、鶴田浩二。洋物はゴッドファーザーのマーロン・ブランド。小説はハードボイルドのサム・スペード、フィリップ・マーロウあたりがカッコいい男のモデルになりました。野球も喧嘩だったし、同期の8割が脱落した野村証券のノルマなんか屁のカッパだったんです。僕の大学にこういう人間はレアでしょう。
渡邊さんが語られているのは死と隣り合わせの世界です。僕のような人間は最後まで登ってきっとどこかで命を落とすんでしょう。エベレストは誰でも登れますよとおっしゃってるのでアラブの富豪チームにでも加わってシェルパ百人も雇って至れり尽くせり状態ならいけるかなと思わないでもありません。まだいたって足腰元気だしそこまで行っちゃえば高所恐怖症も忘れてもう死んでもいいと思えるかもしれない。でもダメですね、あと150mで引き返す勇気がありません。「すいません、取り逃がしました」を認めちゃう方ではきっとないと思います、だったらそもそも8000mなんか登れませんからね。でも執着はしてない。ある意味の緩さもある。見たことない人です。剣道や合気道の達人の域に思います。
感想。何事も巨大な事を成し遂げた方は偉大です。男も女もありません。そして看護師をされている。優しいのです。自分より強くて優しい、もう仏様のような方と申し上げるしかありません。高校の後輩たちに語っている言葉、これがまた心に響きます。聞いてる生徒達の目の輝きを見てください。これですよ、渡邊さんのような方の存在が日本の若者の未来を思いっきり明るくすると僕は確信しました。この目を持った若者がたくさんいれば日本国は間違いなく繁栄します。優しくて強い日本に世界は敬意を表すると思います。経済も成長するし世界の大国と難なく伍していけます。ぜひ多くの若者に見て欲しいと願います。
「努力は人を裏切らない」という先生の言葉をタオルにしてもらい、 2年生の時パキスタンの登山の企画があってどうしても行きたいと思った。これがスタートですね。いくら強調してもしたりないのですが、この『どうしても』ってのがいいんです。だって自分の心の声でしょ、若者の皆さん、それが聞こえたら絶対に従った方がいいです。どうしてもやりたいもの以上に自分がうまくできるものはありません。他人のアドバイスなんかいりません。そんなものに従ったって自分の声じゃないんだからいずれこんなはずじゃないってなります。そして、そうこう迷っているうちに年取ってくる。すると誰しも世の中のしがらみにがんじがらめにされていきます。生活の為に自由はなくなります。そうやって多くの人は「しがらみ人生」で一生を終えるんです。僕は親にわがまま言って浪人させてもらい2回アメリカ行って合計2か月も遊び回ったり、「どうしても」っていう本能あるがままにティーンエイジャー時代を送らせてもらいました。同じ年頃でそれが出来なかった両親のおかげでです。
その結末が今です。人として大事にするしかないじゃないですか。ここに至るすべての物事、袖振り合ったすべての皆様に感謝の気持ちあるのみです。もしこれをお読みになっておられたら是非ソナーのホームページの番号に連絡ください。大歓迎です。後悔、不愉快、失敗、絶望、たくさんありましたが、それもなかったら今はないんです。渡邊さん、益々のご活躍を楽しみにしております。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
丹沢大山で父に仕込まれた向上心と闘争本能
2026 APR 13 9:09:43 am by 東 賢太郎
小学生のころ、父に連れられて丹沢の大山に登りました。ピクニックではありません、生まれて初めての山登りです。それも子供連れがいるような安全な道ではなく、頂上まで至る斜面は今思えば岩がゴロゴロする本格的な登山道でした。大山は標高1252メートルあって、ケーブルカーで着く神社は725m地点にあるのでさらに527mも登ることになります。かすかな記憶ですが、父に「てっぺんまで登ってみるかい?」と尋ねられ、高い所は苦手だし怖気づいていたのですが、強がって「うん」と答えたような気がします。
失敗でした。どなたかの写真ですが、こんな感じだった。

なんとかてっぺんまで登りつくと視界が開けて下界を一望します。ひと仕事終えたご褒美のような美しい景色は何となく覚えてはいますが、とにかく険しい道中は恐ろしく、体力の限界で足が震えていたのではないか。そして、めったに褒められたことのない父がよくがんばったねと言ってくれた。これが嬉しかったんです。この初登山はそれだけの思い出として心にひっそりとしまってありました。いや、というよりも、怖い記憶は脳が消去していた可能性もあります。
はてそれはいつのことだったのかなと思い立って調べると、大山ケーブルカーは1944年に軍が戦時物資に窮して線路撤去のため休止され、復活開業は1965年(昭和40年)7月11日とあります。父はこの手のことを詳しく調べている人で納得です。従軍した父にとって思いのあるニュースだったろうし、夏休みでもある。ひ弱だった息子を鍛えようと連れ出した。しかし、電車マニアだった僕は駅名をぜんぶ空んじていた小田急線の、それも小田原寄りの佳境に入る伊勢原、鶴巻温泉、大秦野、渋沢、新松田あたりにえも言えぬ「秘境感」を抱いており、初めてそのあたりに降り立てるということでわくわくしていた、それだけでした。おそらく伊勢原で下車し、ケーブルに乗ったと思われますが、僕の基準では線路がしょぼく興味の対象外だからでしょう、そのあたりのことはまったく覚えてません。その終点の阿夫利神社から山頂はChatGPTによると約 90〜120分(本格的な登山道)とあり、ここを踏破して頂上に登ったと思われます。
wikipediaにこうあります。
阿夫利神社は江戸時代に当社に参詣する「大山講」が関東各地に組織され、多くの庶民が参詣した。大山詣は6月27日から7月17日に行われる女人禁制の参詣で、特に鳶や職人の間で人気があった。(中略)。大山祇大神は、富士山に鎮まるとされる木花咲耶姫の父であるため、大山と富士山の「両詣り」も盛んとなり、「富士に登らば大山に登るべし、大山に登らば富士に登るべし」といわれた。なお、一部の地域には、大山に登ると一人前として認められるという伝承があり、大山の神霊が立身出世の神とされていたことがうかがえる。
これで合点がいきます。信心深い父は息子を連れて立身出世の祈願に行ったのです。とすれば、父の性格からして「大山詣は6月27日から7月17日に行われる女人禁制の参詣」という情報は重要だったに違いない。復活開業は1965年(昭和40年)7月11日です。サラリーマンだから土日でなくてはならない。以上の条件を満たすのは7月11日(日)か7月17日(土)しかありません。開業セレモニーの記憶はなく、10歳の息子を連れて片道2時間の本格的な登山道の踏破を慎重な父が日曜日に試みるとは思えません。よって、あれは、1965年7月17日土曜日のことだったという結論に至ります。小学校4年生の10歳。日本人として男児の育て方に古風であった父は元服まで意識していたし、年齢が2桁になったし、ひ弱で体が小さく何事も自信の無い息子がこのままではいけないと思いたったとして不思議はありません。
阿夫利神社のことは、それが目的なのだったらお参りをしてないはずがなく覚えていそうなものですがまったく記憶がありません。あるのはこんな感じの景色だけです。てっぺんまで登ったという達成感が残っているので山頂まで来たことはたしかでそれ以外のことはつい先ほどまでほとんど忘れていたのです。
お参りで終わらなかったことを父に感謝します。阿夫利神社までも長い階段を昇りますし、普通はそれで願掛けしてお昼でも食べて帰るところです。でも普通の親ではなかった。もう1つ目的があったんです。息子に人生初めてのきつい山登りをさせ、大山の頂上に立たせることです。父がどんどん先に登り、必死について行く。虚弱の身には過酷で神社の記憶など吹っ飛んでしまった、さもなくば、さっきネットで調べて神社があったことを知った説明がつきません。
何事も自信がありませんでした。万事に渡って適当に父の目をごまかし、その場その場をやり過ごして生きてました。生活態度や勉強に情け容赦ない父の風圧にさらせばもっと自信をなくしてしまう。そう懸念した母が風よけになり、僕は守られてぬくぬくと育ちました。それを父は見抜いていた。男はそれじゃダメなんだよ。どうしてお前はそんな所で満足するんだ。目を見開いて前を見ろ。まだまだ山には高い所があるだろう。そこを目指せ。途中で弱音をはくな。頂上に行けばいい景色が見えるぞと父の声が聞こえます。山で息子の向上心と闘争本能に火をつけたかったに相違ない。 10歳の子供です。叱っても、口酸っぱく諭しても逆効果ですから何か一生忘れないぐらいのイベントでもって「体感」させなくてはいけない。それが1965年7月17日土曜日だったと思います。余談ですが、サウンド・オブ・ミュージックのクライム・エヴリ・マウンテン、僕はあの歌の歌詞も音楽も大好きです。
徐々に息子は父の思い描いた通りに成長し、戦争で思うようにならなかった人生の仇討ちをしてやろうというもう1つのモチベーションまで加わった。向上心と闘争本能。大事なものだと問答無用で思っています。平和平和と呪文を唱える方々はお好きでないかもしれないが、向上心が無い人生というのは日々餌が出ればいいという動物と変わらず、万民がそうなればその国はいずれ征服され奴隷にされる。それが人類という動物の歴史です。平和にはコストがかかるのであり、国家財政だけではなく、国民が向上心を持ち元気であることもそのうちです。しかし向上心だけあっても人生はあまりうまく行かないということにもご同意いただかなくてはならないでしょう。
向上は自己満足ではありません。「わたしはわたし、自分なりに毎日向上してるから他人はどうでもいいの」というわけにはいきません。近頃そういう人が出てきてますね。大学を除名処分になっていても自分が卒業したと信じていれば卒業証書が出てきてしまう。ありえません、厳罰に処すべきです。向上してゆく場所は社会です。社会で認めてもらうことでグレードアップした自分が客観的に確認でき、自信を得ることでさらにステップアップできる。そのプロセスの繰り返しこそが「向上」です。山登りと同じです。頑張ったつもりになっても標高という客観的な数字が増えなければ登山にはなりません。社会で認めてもらうにはそれを示す何らかのポジションを得る必要があり、そのためには闘争をくぐり抜けなくてはなりません。仲良しサークルで傷をなめ合ってもだめなのであって、そのツケを政府に回して政治を批判しても何も起きません。
闘争本能とは決してフィジカルに戦うことではなく、負けたくないという本能を心の中で磨くことです。好戦的になることでも危険な企みをすることでもありません、犬でも猫でもどんな動物でも、この本能を持っていない生き物はないのです。登山なら訓練に耐えて足腰を鍛えるということで、進歩の成果は他人と比べないと分かりませんからあえて闘争と呼びます。ルール、社会性のある競争ではありません。動物は競争しません。もっと本質的に生存に根ざした原始的な本能で、生きるために本来、誰でも持っていなくてはいけないものです。受験や出世は競争であり人間の闘争の一部です。生きていける山はたくさんあります。何もエベレストに登る必要はない、幸福は人によって違うのです。自分が幸福な人生を送れると感じる山に他人よりも高く登れば楽しく生きていける、それだけのシンプルなことです。
日本が高福祉社会か否かは議論もありますが、平均年収が減ってくれば相対的にそういうことになっていきます。それでも、もっとひどい国はいくらもあり国際水準からすれば日本は天国ですから移民が押しかけ日本人が失業する。おかしな話ですが嫌なら生活水準を移民並みに下げなさいということになってしまう。そしてもっと過酷な現実は、24時間文句を言わずに低コスト高パフォーマンスで働くAIと競争して勝ち抜かないと失業することです。現にアメリカではAIの導入を理由とした解雇が加速し、アマゾンは全世界で1万6000人の削減を発表しました。日本でもみずほ銀行がAIによる代替で今後10年で全国に約1万5000人いる事務職の業務を最大5000人分減らすと発表してます。みずほFGでそれが起きるということは学歴エリートの価値が崩壊しつつある証拠で、これまで相応の年収を保証してきた士業などの「定型的な知的作業」は確実にAIに奪われていきます。
怖かった父の祈願と指南の甲斐あって僕は移民にもAIにも奪われない仕事の腕を磨くことができました。これからは僕が次世代、次々世代にそれを伝授していく役目になるでしょう。だから思い出す必要があるのです。守ってくれてた母への感謝があると同時に、やがて長じて男としての自覚が出てくると、殻は破らないかんという厳しい現実に気がついてきた。高校生あたりのことです。そこからの僕を導いたのは親ではなく、学業でも学歴でもなく、「向上心と闘争本能」。それだけです。でもそれを作ってくれたのは親だったのです。
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