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ヴォーン・ウイリアムズ 交響曲第5番ニ長調

2021 OCT 15 13:13:24 pm by 東 賢太郎

英国の陶器メーカー「ウェッジウッド」の創業者の孫は「進化論」のダーウィンである。そしてダーウィンのお姉さんの孫が作曲家ヴォーン・ウイリアムズである。3人は配偶者側の係累ではなく、血がつながっている。人は天から降ったのではないから必ず先祖に源がある。自分の長所短所がどこから来たか系図でたぐるのは楽しいが、しかしあまり実利はないだろう。環境変化への耐性を高めるため有性生殖によって偶然性を加えるのが遺伝子の生存戦略だという学説に立てば、自分のDNAの「素材」は系図でわかっても、その「ブレンド」は偶然の産物だからリバースエンジニアリング(分解して組成を逆に辿ること)をしても有意な結論を導かない(アインシュタインが解けなかった量子力学のジレンマと同じだ)。血中のFe(鉄)がどの超新星爆発でできたか知っても何も良いことは起きないように、先祖に偉人がいても出世に有利な能力が約束されているわけではない。親子の金メダリストやノーベル賞受賞者はおろかプロ野球選手すらあまりいないことでもそれはわかる。

とはいえ、それでは味気ない、先祖を敬う気持も薄れてしまうではないかと僕は思う。世襲ができず、個人の才能のみに出世が依存するジャンルにおいては同世代の「歴史的人物」が出る確率は「世界人口分の1」と考えていいだろう。当時の世界人口を30億人として、4世代で3人輩出したウェッジウッド家では凡そ “30億分の1の3乗” ぐらいの確率の現象が起きたことになる。もちろん、限りなくゼロに近い確率であっても偶然の範疇だと考えることはできるが、特別な遺伝的形質によってそうなったとする仮説だって主張できるだろう。それを証明するのは困難だが、否定する証明も困難だからだ。遺伝を主張する人にとって音楽におけるバッハ家は有力な事例ではあるが、環境や教育というバッハ家由来の外的な共通因子があったのだという反論はあり得る。しかし陶芸家、生物学者、作曲家という関連のない3ジャンルでとなるとそれは想定し難い。どちらの証明もあきらめるしかないだろう。

レイフ・ヴォーン・ウイリアムズ(1872 – 1958、以下VWと略す)に陶芸家、生物学者の才能が遺伝していなかったとしても、彼が作曲家として英国のみならず音楽史に特別の位置を占める存在であったことは誰も否定できない。現在でもコンサート・レパートリーに入る9曲の交響曲を残したシンフォニストであり、管弦楽、協奏曲、宗教曲もしかりであるからだ。中でも、最近になって僕は交響曲第5番二長調に深い愛情を感じるようになっている。理由はわからないが、きけばきくほど、日々の生活でささくれだった精神を癒してくれるこれほどの音楽はないと思うようになった。コロナでどこか隙間ができてしまった心が求める究極のスピリチュアル・ワールドのような音楽だからだろうか。

以下、全曲を俯瞰してみたい。

第1楽章(Preludio)

幕開けだ。チェロとコントラバスの低音(ハ)にニ長調のホルン信号が乗る。不安定な7thコードでの交響曲の開始は極めてユニークで耳に残る。

 { \new PianoStaff << \new Staff \relative c' { \clef treble \numericTimeSignature \time 4/4 \key g \major \tempo "Moderato" 4 = 80 r2 <fis d>4.\p( <e a,>8 | <fis d>4. <e a,>8 <fis d>2) } \new Staff \relative c { \clef bass \key g \major \numericTimeSignature \time 4/4 <c c,>1~ | <c c,>2. s4 } >> }

僕には暮れかかる荘厳な夕陽がうかんでくる。

ご覧のとおり、これはラヴェル「ダフニスとクロエ」冒頭のホルンパートの引用である(VWはラヴェルに学んだ)。

この印象的な幕開けシーンは楽章を通して影のようにつきまとい、そして全曲のコーダで回想される。

ヴァイオリンがイ短調の主題をひっそりと奏でる。

これは素朴な第1主題を導く萌芽だが、コダーイ「ハーリ・ヤーノシュ」の第3曲「歌」のしめくくりでクラリネットが吹く旋律そっくりだ。

民謡風の旋律は五音音階的でどこか東洋的でもあり日本人に親しみを感じさせるが、そこに4度と7度が多用されることで調性感覚が揺らぐという不思議感が全曲を覆っている。主題はあまり展開せず延々と川のように流れていき、ハ短調を経て不意にホ長調に転調する。どきっとするほどマジカルな瞬間である。やがて弦の無窮動風なパッセージに乗って木管、金管が交唱する部分のスコアリングはシベリウス的だ。それが終息すると冒頭の景色が静かに戻ってくるが音楽は変ロ長調に転じて再度高潮し、コーダではホルン信号が回帰して弦のヘ短調との複調になり(調性は曖昧である)、二長調とオーボエのファ♮音の不安な交差が第4楽章のD⇒Dmの転調を予言する。夕陽は仄かに滲む陰影の中に消えていく。絵画のようでありながら深く聴く者の心のひだに入りこみ、光の細密なグラデーションを伴いながら情動に寄り添ってくる。感知できる耳だけのために書かれた、まさしく最高級の音楽である。

第2楽章(Scherzo)

軽妙な筆致で、ホルスト「惑星」のスケルツォである「水星」を強く想起させる。民謡風の主題が現れるがこれもホルストに共通する趣味に思える。ちなみに両人はロンドン王立音楽大学の学友で(VWが2才年長)生涯にわたる親友であった。お互いの作品を語り批評し合う関係であり、教師より生徒のお互いから学ぶものがあったと述べている(VWはその後ケンブリッジ大学に進む)。

第3楽章(Romanza)

エルガー、ウォルトンのそれと共に英国で書かれた最高の緩徐楽章のひとつだ。5番は両大戦の狭間である1938~43年に書かれた。第1次大戦で友人、知人を多く失い、自身も戦場の銃声で耳が遠くなり晩年は聴覚に支障も出たVWは3番「田園交響曲」から一転して戦争を投影した破壊的な4番を書いた。その彼が英国の第2次大戦参戦の年に5番に着手し、バニヤンの『天路歴程』(プロテスタント世界で最も多く読まれた宗教書で「天の都」にたどり着くまでの旅の寓話)を音化しようとしたのにはそうした深い個人的な背景がある。人々に平和と安寧の心を届けようとした交響曲のこの楽章は全曲の核心となるもので、聞く者に深いスピリチュアルな瞑想と沈潜をもたらすのである。

弱音器つきの弦5部による静かな序奏(C-A-Gm)に続きイングリッシュ・ホルンの旋律が現れる。チャイコフスキー5番、ラフマニノフPC2、3番の緩徐楽章のスタイルである。

するとヴィオラに新しい主題が現れ、弦5部による素晴らしい対位法的展開をとげる。

この主題は第1楽章のイ短調主題を素材としていることがオーボエ、ホルンに受け継がれるにつれて次第に明らかになり、イングリッシュ・ホルンの主題とC-A-Gmの和声とが交叉し一体となりながら最後はイ長調で深々とした余韻を残して消える。

第4楽章(Passacaglia)

パッサカリア主題が冒頭のチェロに現れ、前楽章の気分を引き継いで次々と展開する。徐々に気分は高揚し、ここまでの音楽と様相の異なる金管によるファンファーレで熱を帯び祝典的になる。ここまでは主調のニ長調、3拍子が支配するが、それが突然にニ短調、4拍子に一変する場面は大変印象的だ。ここの木管の素晴らしい交叉には聞きほれるしかないが、そのパッサカリア主題が徐々に第1楽章に由来する形になってくる。この曲の1,3,4楽章が緊密な素材の連関で成り立っているという巨大な建築物の全容が荘厳に立ち現れてくる相貌はシベリウスの5番を思わせる。やがて全金管によるホルン信号の強奏でニ長調に回帰しモルダウ(スメタナ)を思わせる音型をくり返しながら再度ニ短調に落ち着く。やがて第1楽章幕開けの雰囲気となり、ハーリ・ヤーノシュ主題が静かに明確に出て荘厳な夕陽の光景がまた立ち昇ってくる。するとイ長調、ニ長調の曖昧でマジカルな転調をしながら祈りのような主題が重なりあい、ラヴェルのマ・メール・ロワの妖精の園(Le jardin féerique)の淡い光があたりを支配し始める。そして、全パートを2部に分けた透明な弦楽合奏の天使のような響きに導かれ、聞き手の心は静かに瞑想しながら天国に昇るのである。あらゆるクラシック音楽のうちでも最もメタフィジカルな領域に連れて行かれ、真に優れた音楽を聴いたという感動だけが残り恍惚とさせられる奇跡的なエンディングだと僕は思う。

Ralph Vaughan Williams

 

あまりに素晴らしい音楽ゆえ微細に描写してしまったが、ここまで好きな曲がそうたくさんあるわけでもないからご容赦いただきたい。VWはこの曲をシベリウスに献呈したが、わかる気がする。事前の了解はなかったが快く受け入れたられたという。僕はこれをシベリウスの6番と並ぶ名品と讃えたい。

 

録音は良いものがたくさんある。以下の2種をレファレンスとして聴きこんだ上で好きなものをみつけるのも人生の楽しみと思う。

 

エドリアン・ボールト / ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

写真の値札は10マルクで、フランクフルトに着任してすぐの9月に買ったCD。ロンドンにいた6年はモーツァルト、ベートーベン、ブラームスを自分なりに「発見」した時期で、英国音楽を熱心に聴いてはいなかった。ところがドイツに行ってから徐々にそっちにも思いが向かった。耳が肥えてきたということか。ボールトはLPOと2種録音した(53、69年)がこれは古い方である。VWが初演してから10年後の演奏でコンセプトは自演に近く輪郭が明瞭で、他の演奏ではピンと来なかった5番の良さを一発でわからせてくれた僕にとっては記念碑的演奏だ。録音はモノラルだが細部のニュアンスまで拾っており鑑賞に全く問題はない。69年盤はステレオ録音という新メディアに価値があったのだろうが解釈に大きな違いはなく、ボールト64才での旧盤が秘める熱量と一筆書きのように自在な筆致は魅力的だ。

 

ジョン・バルビローリ/ フィルハーモニア管弦楽団

ボールト盤とは好き好きだが一点だけ指摘しておくと、第3楽章は曲想に添って抑揚とめりはりが大きく、弦のポルタメントに感情移入もあってロマン的なアプローチである。エルガーならこれで良いがこの楽章の標題は「ロマンス」ではあってもテーマであるバニヤンの信仰心と恋愛は関係なく、僕は違和感がある。難しいことをいわず純音楽的に楽しみたい人には、オケの技量が高くサウンドが骨太であるバルビローリはお薦めだ。

 

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バックス 交響曲第4番

2021 OCT 5 20:20:20 pm by 東 賢太郎

アイルランド

音楽をきいて昔の情景を思い出す事はあるが、その逆もある。ロンドンの家について書いていて、いま、そういうことが僕の中でおきている。英国の正式名称はUnited Kingdom of Great Britain and Northern Irelandでイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドから成るのは周知だが、この4つのカントリーは風土も文化も気質もアクセントも違う。ことにアイルランドは人種もケルト人であり、歴史も言語もアングロサクソン人ときわめて違う。ストレートに言うなら後者によって征服された地であり、車で走ると道路標識には英語とケルト語で地名が併記されているが両者はまったく似ていない。米国の「マンハッタン」や「ミシシッピ」はインディアン語だし、「札幌」や「長万部」はアイヌ語で音韻は保持されている。それに気づいた車中で、同地の複雑な歴史とルサンチマンを垣間見た思いが走った。

日本人に有名なアイルランド系に人だけを列挙しても綺羅星のようだ。J.F.ケネディ、ロナルド・レーガン、ビル・クリントン、ジョー・バイデン、バラク・オバマ(母方)の米国大統領5人、ウォルト・ディズニー、コナン・ドイル、レイモンド・チャンドラー、クリント・イーストウッド、トム・クルーズ、グレース・ケリー、マーロン・ブランド、グレゴリー・ペック、バーナード・ショー、オスカー・ワイルド、ジェームズ・ゴールウェイ、 ジョン・マッケンロー、チェ・ゲバラ、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)あたりはご存じだろう。

ダブリンの街並み

この地に立ったのは数回。出張はたしか1、2度で、あとは遊び(もちろんゴルフ)である。ロイヤル・ダブリン、ポート・マーノック、キラニー、バリーブニオンなどの素晴らしくタフなコースが忘れ難い。ゴルフは国技のようなもので皆が愛しており、パスポート・コントロールで来た目的を聞かれたら「ゴルフ」と答えれば笑顔で一発で通してくれる。キラニーのホテルにパスポートを忘れてタクシーに乗ってしまい、1時間走ったあたりでそれに気がついたことがある。機転を利かしてタクシーを呼んでコーク空港まで届けてくれたホテルのお姉さんのおかげでフライトにぎりぎり飛び乗った。美人で賢くて本当にやさしい女性だった。ダブリンのギネス(パブのドラフト)は他国で飲むものとは別物で、これを樽ごと持って帰れないかなと思案したほどうまい。せめて近いものというなら缶は避けてビンにしたほうがいい。ウイスキーは3回醸造で独特のまったり感がある。僕はブッシュミルズ専門で「ブラックブッシュ」はお薦めだ(日本でも2500円ぐらいでお値打ち)。食事というと、コークの南方の海沿いにある町キンセールのフレンチの安さとクオリティは驚きだった。南部はフランスの影響が強いのである。そして下のブログのエピソードは長らくゴルフをやってきていちばん破格。大好きで心に残る。この時に偶然に内田光子がダブリンにやってきていて、素晴らしいシューベルトを堪能させてくれた。アイルランドには良い思い出しかない。

世にはゴルフという魔物が棲む(3)

Sir Arnold Bax(1883 – 1953)

アーノルド・バックスは生まれも育ちもロンドンで、王立音楽院(Royal Academy of Music)卒の英国の作曲家とされるが血筋はケルト系であり、結婚後にダブリン近郊に移住している。彼自身それを自覚して独自のイディオムによる作品を書いており、アイルランドの巨匠、とりわけ7曲の交響曲を書いたシンフォニストという評価が適当と思われる(彼が没した地は上掲地図の最南端、僕がパスポート事件を起こしたコークだ)。物心ついたらピアノが弾けていたという神童で難解な現代曲のスコアを読み解く能力が群を抜いていたが、恋多き男でミューズが複数おり、詩心もあり、小説、戯曲などものしてもいる。資産家に生まれ、若いころはロシア、ドイツに出かけ、英国の批評家によるとワーグナー、R.シュトラウス、ドビッシーの影響を受けたとされるが僕には痕跡は明白ではない。

ロンドンで買った交響曲全集

彼は生活のために作曲をする必要がなかった数少ない音楽家の一人である。その交響曲、交響詩、室内楽などは他人の眼を気にせず彼の内部から湧きおこった心の声であり、誰にも似ない真にオンリーワンの作品になっている。英国の交響曲というとエルガーでありV・ウィリアムズ、ウォルトンでありというのが我が国における相場で、バックスを挙げる(知る)人は極めて少数派であろう。しかし彼の作品をほとんど聴いている僕においては、”アイルランド” を取り去ってもこの7曲は秀逸な絶対音楽として味聴に足る素晴らしい作品であり、写真の全集(ブライデン・トンプソン指揮ロンドン・フィルハーモニック及びアルスター管弦楽団)は宝物になっている。

旋律は過度にクロマティックでなく民謡風のものもあり、しかも1921~1939年に書かれたにもかかわらず調性音楽なのだが、一聴して耳に心地よく響くものはない。これをブラックコーヒー、濃い目のストレートのアールグレー・ティーと書けばご理解いただけるかもしれない。ブルー・スティルトンをあえるか、アフタヌーンティーでスコーンと一緒か、当時僕はパイプも葉巻もやっていたが、ハイティーのスコッチの前にでもよかろうというイメージだ。バックスのほろ苦さは慣れるとだんだんそういう大人の楽しみに進化していく性質のものだ。シベリウスとも似てはいないが、愛好家には馴染んでいただけそうな気もする。

全7曲をお薦めしたいが、まずどれかひとつというなら最も外向的で順当な所ということで4番を標題曲にした。オーケストレーションも熟達した巨匠の技であり、北アイルランドのアルスター管弦楽団の演奏は録音も良好だからそれなりの装置で再生すれば非常に音楽的なサウンドが得られる。それに浸るだけでも僕には尽きぬ喜びだ。入念にスコアリングされた音楽の細部まで血肉とし、弦や木管の経過句のアジリティまで心から納得のゆく音化を実現した演奏という意味で、ウィーン・フィルのベートーベン、ドレスデンSKのR・シュトラウスに匹敵すると考える。

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ウォルトン 「チェロ協奏曲」(1957)

2021 SEP 30 11:11:06 am by 東 賢太郎

はっきり覚えている。「これ買っていいかな?」ときいた。CDをふくめ1万枚以上のコレクションのうちで、妻の許可を求めた唯一のレコードだ。幸いOKが出たのは新しい職場で必死に戦っているお駄賃の意味があったのだろうか、同時にモーツァルトのソプラノ・コンサートアリア全集も買わせてもらった。時はロンドン着任直後の1984~85年、場所は初めて行ったコヴェント・ガーデン歌劇場のレコードショップである。残念ながらオペラを聴いたわけではない。留学を終えても当初は一番下っ端でそんな高いチケットを買う余裕はなく、レコードがせいぜいだがそれも思い切ってというぐらい貧乏だった。この日は恐らくそれから至近距離のソーホーにあるチェン・チェン・ク(よく行った中華料理屋)あたりでエコノミーな夕食を済ませたと思われる。

チェリストのヨーヨーマは、どこだったか古澤巌とブラームスのドッペルを都響でやって親しみがあり、当時売出し中だった彼の演奏で愛好していたエルガーのコンチェルトを聴いてみたくなったのだ。デュプレ盤はやや音が古い。新しい録音を買ったばかりのタンノイのスピーカーで鳴らしたいという誘惑に負けたのもあった。とにかく家の棚にあるLP、CDのほとんどは、こうやって買った場面のストーリーを覚えているから中古屋に売るなんて僕にはできないのだ。

Sir William Walton(1902 – 1983)

ヨーヨーマのエルガーも悪くないが、感心したのはウォルトンのチェロ協奏曲だ。同曲はカセットで持っていたが、ちゃんと聴いたのはこのLPだ。ウォルトンは弦楽器のための協奏曲としてはすでにヴィオラ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲を作曲していたがこれは最後の作品だ。1956年の完成で、もう僕が生まれているからクラシック音楽としては新しい部類だ。チェロ協奏曲というフォーマットの曲は数多あるが演奏頻度が高いのはハイドン、シューマン、ドヴォルザーク、ラロ、サンサーンス、ショスタコーヴィチあたりで、モーツァルトやドイツ三大Bというメインストリームが書いていないのでヴァイオリンに比べてやや影が薄いのは否定できないだろう。

ところが英国となるとエルガー、デリアス、ブリス、スタンフォード、サリヴァン、ブリテン、ブリッジ、バックス、モーラン、ロイド、アーノルド、シンプソンとやけに豊穣である。シンフォニストがあまりおらず、ソナタ形式の作品に強みがあるわけでないのにこの現象は目を引く。英国人の感性に低音域のこの楽器が合ったのかもしれないが、独仏伊露のカバレッジの穴で英国の作曲家が存在感を出せるマーケティング的事情もあったかもしれないと思っている。各々それなりに面白い作品だがエルガーが英国製であることを問わずドヴォルザークに匹敵する傑作であることは誰も否定しないだろう。では英国作品の次点を挙げるとなると、僕はウォルトンに白羽の矢を立てることになる。

ウォルトンはヴァイオリン協奏曲をハイフェッツに献呈しており、ヴィオラ協奏曲の献呈は別人だが初演の独奏は作曲家パウル・ヒンデミットがしている。チェロ協奏曲を委嘱し献呈されたのは名チェリストのピアティゴルスキーだ。彼は当時として破格の3000ドルのコミッションを払ったから重鎮で売れっ子作曲家だったことがわかるが、ウォルトンは「私はプロの作曲家だから頼まれれば誰にどんな曲でも書く、だがもし米ドルで支払ってくれたらずっといい作品に仕上がるけどね」と語っている(wikipediaより)。サーの称号を戴く貴族にしてこのユーモアだ、英国のジェントルマンは懐が深い。

初演はピアティゴルスキーの独奏で1957年1月25日にシャルル・ミュンシュの指揮BSOでボストン・シンフォニーホールで行われ、英国初演も同年2月13日にマルコム・サージェント指揮BBC SOでロイヤル・フェスティバルホールで行っている。このビデオはその日または直後の録画と思われる。

あれこれ理屈はいらない、まず虚心坦懐に音に耳を傾けていただきたい。これがコヴェントガーデンで買ったLPからの転写だ。

この曲を作曲したころ、功成り名をあげたウォルトンは悠々自適の幸せな生活だった。というのも、かようなストーリーがあるからだ。

ウォルトンのイスキア島の家からの眺め

46才の頃、22才年上だった妻に先立たれ憔悴したウォルトンは出版社の気遣いで気晴らしの会合に出席するためアルゼンチンのブエノスアイレスに出向く。そこで知り合った24才年下の女性を見初めて再婚し、イタリアのナポリ湾の西部に浮かぶイスキア島で半年を過ごす。そして、ついには54才でロンドンの家を売り払って妻とその島に永住してしまうのである。そこで書いた作品は多くないがそのひとつがチェロ協奏曲だったのは幸福なことだ。チェレスタ、ヴィブラフォーン、シロフォン、ハープの醸し出す神秘的なサウンドは非常に魅力的だが初演を聴いた評論家には時代遅れと評されもした。しかしそれから65年たった今、当時の耳に古く聴こえたかどうかなど何の関係もない、良い曲がどうかだけが問題でありこれは後世にそのひとつとして伝わるクオリティの作品である。

サー・ウイリアム・ウォルトンは1983年にイスキア島に妻レディ・スザンナ・ウォルトンが造った著名なガーデンで亡くなり島に埋葬されたが、英国はその功績を讃えウエストミンスター寺院にエルガー、ヴォーンウィリアムズ、ブリテンと共に記念碑を設けている。享年80才だった。個人的には、イスキア島のような場所を見つけられたのがとてもうらやましい。

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