ショパン 14のワルツ集
2014 JUL 6 15:15:40 pm by 東 賢太郎
僕はショパンは好きではないが、よく知っている。簡単なものは弾ける。いくつかの曲は高く評価してもいる。それなのになぜ好きでないかというと、女の子の嫁入り道具みたいに扱う風潮があって、そういう空気に触れるのが嫌いなのだ。
僕はアンチ巨人だが、選手の能力は評価している。それと似ている。嫌いなのはオロナミンCのCMみたいなノリの空気だ。野球界は俺のものみたいな傍若無人ぶり、それが時としてジャイアンツ愛とか、とにかく気色が悪い。できれば負けて欲しい。
ショパンを味わえたと思ったのはアルフレッド・コルトーが弾いたワルツ集(1934年盤)のLPを買ってきて聴いたときだ(写真はそのCDであるが)。音は悪いし、こんなにミスタッチだらけのレコードも古今東西そうあるものではない。初めはなんだこれはと思った。
それまで、ソナタ3番、24の前奏曲、2つの協奏曲、マズルカをよく聴いていてワルツは軽く見ていた。子犬の・・なんていうお子様向け風のタイトルが出てくると当時の僕はもうだめだった。向かいの家人がよくノクターンを弾いていて、これがまたへたなものだからショパンはかんべんしてくれ状態が進行した。
そこで聴いたコルトーのワルツは誰のとも違った。崩しまくりだ。楽譜の原型をほぼ留めないフレーズもある。私の曲だ、文句あるか、そうきこえる。何だこれは?ところが、これをきいてうーんと思った。9番(作品69の1、変イ長調)だ。
いきなり伸縮自在のわがままフレージングでくるが、色で囲った部分、中音がきいたアルペジオで和音が崩れ変二音が伸びるとエアポケットで宙に浮いて静止。これが何とも、艶っぽい。といっても、女のものではない。いや女だったら気持ちがわるい。これは男の色気だ、それもいかにもしゃれ者のフランス男の。ショパンは男の音楽なのだと思わせてくれる。彼が貴族の女性にもてたのは多分こういうものが随所に潜んでいるからで、しかし楽譜はそんな風には書いていない。書けもしない。コルトーは直感で、しかし、それを引きずり出してデフォルメしている感じがするのだ。だから恣意にきこえず、納得してしまう。いろんな人のを16種類持っているが、この異形のショパンにノックアウトを食っているのでなかなか抜けきれず困っている。
ヴィトルド・マルクジンスキーはポーランド語のショパンだ。今流のスマートできらびやかな演奏に比べると装飾音の弾き方やルバートの仕方が田舎くさい。しかしパリ仕込みのタッチはキレがありペダルを控えてべたべたしない。当世お嬢さん風とは対極の保守本流と思う。好き好きだが僕はこういうのに耳を澄ます。
やはりポーランド人のシュテファン・アスケナーゼはモーツァルトの息子の孫弟子で、フランツ・リストの孫弟子でもある。一聴するとまったく地味でミスタッチもあり、このCDをほめる人は変わり者だろう。しかしちょっとしたリズムの変化や和音の造り方など19世紀風老舗の味で彼ほどワルツらしく弾く人もあまりいない(9番の左手!)。録音がモノなのはいいがタッチがうまく入っていないのがつくづく惜しい。
一般に人気が高いのはアルトゥール・ルービンシュタインだろう。確かにうまい。この華やかさは彼天性のもので、現代のショパン演奏のイメージは彼が作ったかもしれない。芸術より「芸」を感じる。僕は彼のベートーベン協奏曲集やブラームスの第1協奏曲を高く買う人間だがショパンは大向こう受けを感じてしまう。芸というならコルトーもそうだが2人はショパンの中に見ているものが違う。彼が見たものを好きかといわれれば、それこそが僕をショパンから遠ざけるものだ。
芸というならジョルジュ・シフラもいる。煌めくような音でとにかく、うまい!リストが弾いたらと空想するならこれだ。細かいテンポのギアチェンジの振幅はあらゆる演奏で最大級だろう。1小節だけ急にアップテンポで半音階を登るが、このぐらい指が回らないとショパンじゃないというほど見事だ。それでいてピアノ全体がバランス良く鳴っているというのはどのピアニストからでも聴けるという代物ではない。エンターテイナーではあるがコルトーと違った側面からショパンの実像をえぐった至芸として僕は大好きであり、ぜひ一聴をお薦めしたい。
新しい所でロール・ファヴル=カーン(右)はもぎたてのレモンみたいにみずみずしくデリケートだ。ロマンティックだがなよなよべたべたしないのがいい。ショパンをショパンらしくかき鳴らす技術はとても高水準でありこれは時々聴いてもいいなと思う。録音は明るくクリアな軽めの音でワルツ集向きだ。i-tuneで1,300円はお買い得だ。難しいこといわず素晴らしいピアノの音で名曲アルバム風にショパンを聴きたい人には大いに価値があろう。
もう一度コルトーの9番にもどろう。これは技術的にはやさしい。僕が弾ける少数のひとつでいつもあそこをコルトーっぽくやってみるが、悔しいが我ながらぜんぜんサマにならない。そうだよな、どうせ色気なんか無縁だもんな。この嫉妬でショパンが嫌いになっている?割とそうかもしれない。
(補遺、3月21日)
長らく聴きたいと思っていて手に入らなかったこれ、youtubeで見つけた。
べラ・ダヴィドヴィッチ(pf)
素晴らしい。彼女は基本テンポを守る。右手はルバートしても左はするなというショパンの言葉通り。変イ長調作品 34 No. 1などそっけないほどだが、そのテンポで一切崩れなく言うべきことを言いきるのが凄い。ぴんと一筋通っているのは侵しがたい気品だ。ショパンというのは弾く者の「人品」が問われるのだ。「私より彼女のほうがショパンは上手い」と語ったのはリストの再来と騒がれたラザール・ベルマンであって、それが技術の話でないことは明白である。今どきのショパンコンクールを受ける人はこれを聴いてどう思っているのだろうか。聴いてもいないのだろうか。アレグロの羽気のような軽さとフォルテの鋼鉄のような比重の対比も、どういう弾き方をしたらこういう音が出るのだろうと素人ながらに不思議に思う。べラは1949年第4回ショパンコンクール優勝者だ。
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