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チューク島にて(その1) 

2014 SEP 11 21:21:56 pm by 東 賢太郎

4泊でミクロネシアへ行って来ました。去年はポンペイ島でしたが今回はチューク島です。下の地図でCHUUKとあるのがそれで、二重丸のWENOとあるのが今回上陸した島です。ご覧のようにミクロネシアにチューク島という島はありません。大雪山という山がないのと同じで、珊瑚礁に囲まれた大小百の島々をまとめてそう呼ぶのです。左上にグアム(GUAM)、サイパン(SAIPAN)がありますからだいたいの位置はお分かりいただけるでしょう。日本からはグアム経由となり、成田-グアムが約3時間、グアム-チュークが約2時間です。

micronesia

チューク島はトラック島ともいい、戦時中、呉の日本海軍の基地をそのまま前線に移転したのがここです。ですからあの連合艦隊が停泊し、山本五十六連合艦隊司令長官の邸宅があり、帝国海軍総司令本部が置かれた南洋の最重要拠点でした。環礁内ですから湖のように波がなく、大型艦が侵入できる充分な水深があり、面積は神奈川県ほどと広大です。海軍スタンダードの1200m滑走路ができる平地と兵隊の駐屯スペースが確保でき、山には猛獣、害虫がおらず疫病のリスクが低く、ヤシ、マンゴー、パンの実が自生し、雨水で毎日潤い、マグロ、カツオが捕れるので最低限の食糧は調達できそうです。司令本部を置く地勢として格好の場所であることは、行けば体感できます。

最大五万人の日本兵、承認等が居留し、中心である夏島(TOUNAS島)は小都市のように賑わったそうです。なぜ夏島というかというと、環礁内に長期居住可能な四つの大島があり、軍はそれらを貼る島、夏島、昭島、冬島と名づけたからです。その他、日月火水木・・・、子丑寅卯辰巳・・・などと命名されます。本部は中央の夏島に置かれ、山本五十六長官の邸宅は同島の丘の中腹にありました。

Map_Chuuk_Islands1(Japanese)

チューク州政府や飛行場は春島にあるので夏島へはボートで渡るしかありません。今は現地の人が数千人のんびりと暮らす何でもない緑の離島で、大日本帝国の国運を握る大連合艦隊と総司令長官、幕僚と幾万の軍人がそこにいたなど想像もつかぬ景色です。ボートが確保できなかったので仕方なく僕らは春島のでこぼこ道を登ったザビエル高等学校の高台から夏島を眺めることになりました。これがその写真です。

tonowas

この海に戦艦大和と武蔵が停泊していたのです。大和と武蔵が並んだ写真は一枚しか現存しないそうで、それが撮られたのがここです。日本軍が撤退する時、軍艦を錨に係留する浮きを爆破しましたが、その浮きだけは今も夏島との中間にある小島の脇に漂っていました。山本五十六の邸宅は朽ち果てているようで、次回来たら行ってみたいがと聞いてみたところ、「ジャングルの山道を登らないと行けません、お年寄だとちょっと厳しいですね」とのことでした。

戦争に勝っていれば邸宅は戦勝記念館となり司令長官の銅像は遠くアメリカの方向を悠揚と見やっていただろう。きっと高校生の修学旅行コースにでもなっていて、日本人の地球儀の眺め方を根底から別なものにしていたに違いない。僕のお客様で、東映の映画山本五十六の制作に関わった方が、今の高校生はひどいもんですよ、やまもとごじゅうろくって誰?なんて聞くんだよと嘆いておられました。そんな子でもマッカーサーぐらいは聞いたことがある。何なんだこの国はと。

 

(続きはこちら)

チューク島にて(その2)  

織田信長の謎(5)-京都とミクロネシアをつなぐ線-

 

 

 

 

 

 

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