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メシアン トゥーランガリラ交響曲

2015 JUL 6 13:13:53 pm by 東 賢太郎

行った場所で好きなところはどこかと問われれば、バンコックのワット・プラケーオ(エメラルド寺院)は筆頭格だ。初回は95年ごろで、スイス時代にアジア株式業務の会議でタイに行ったおりに寄ったが、その時の衝撃はあまりに強烈で忘れるということがない。

タイというのは不思議な国で、時間がゆっくり流れている。どうしてそう感じるのかなといつも思うが、理解が及ばない。ワット・プラケーオはその権化のようなことろで、あそこは磁場のせいで時空が曲がっていて時計が遅く進むんだよなどと説かれれば信じてしまいそうだ。

確実に覚えているだけでも5回は訪れているが、たぶんもっとだ。なにしろ強烈な陽ざしでいつも頭は虚ろだから覚えてない。黄金に輝く巨大な仏塔、無数の極彩色のガラス片が陽光を反射してきらめく寺院の壁面、奇怪なガルダの像など視界に入るものすべてが「異界」で、意識が飛んでしまう。

Kinnon_Wat_Phra_Kaew_02西洋の(キリスト教の)教会だって、巨大な空間、光と闇、ステンドグラスの色、香のにおい、オルガンの音響など五感に訴える充分な異界ではあるのだが、それでもまだ現世とアナログ的につながる延長にある。一方で、ワット・プラケーオの異界ぶりは凄まじい。幽界や異星の光景のような超常的なものではなく、人や鳥や火のモチーフやら我々がなんでもなく地上で目にするものをパーツとしていながら、突出して霊妙で野趣に満ちたミステリアスな空間を形成している。それらが醸し出す一種のオーラがあたりの空気をつつみ、まったりしたゆるい時間のながれに溶けこんで、黄色に熱く眩しい太陽と完璧な調和をみせている。

450px-Rama9insigwpk0609金、青、赤、黄、朱しか僕にはわからないが、それでも痛烈に眼につきささるどぎつい原色の嵐。それを台風一過みたいに建物という建物の内と外にぶちまけたような広大な寺の敷地内の光景は、しかし、トータルに見るならいっこうにけばけばしさを感じない。実に不思議だ。この寺の歴史については読んだと思うが詳しくは忘れてしまった。色と形のオーラに脳が麻痺して思考停止になっていて、残るのは漠然とした輪郭の信仰心のようなものだけだ。日本の倍は強かろうという陽光のせいだろうか、そういえば京都の寺社仏閣も創建当初は朱色だったと聞いたことがある。この色彩が伝播したのかもしれない。ここの方がずっとインドに近いのだから。

Emerald_buddha右が本堂のエメラルド仏(プラ・ケーオ)である。この仏体の奪い合いで戦争になった。正面の祭壇の高い位置に鎮座し、仏を見上げる暗い床には何十人もの人が香をたいて座り、平伏し、寝そべり、祈りながら静かな時を過ごす。僕はこの特別の空間に満ちた密度の濃い粘着質の時間にひたるのが快感で一人で行って1時間もいたことがある(いや、時計は見てないから2時間だったのかもしれない)。ああいう麻薬的、蠱惑的状態を瞑想というのだろうか、一期一会の体験だった。こころが空白な分だけ感覚は冴える。そこで耳に響いていた音楽、まずシャワーのごとく降ってきて僕を驚かせたのはオリヴィエ・メシアンの「アーメンの幻視」であり、そして、そこからわんわん鳴り響いたのがトゥーランガリラ交響曲である。

この部分だ。第6楽章 愛のまどろみの庭 Jardin du Sommeil d’Amourである。理屈はいらないので、写真を見ながら(光景を想像して)ゆったりと、自分の体重を感じないぐらいリラックスした気持ちで聞いてみていただきたい。

この地が東洋のタイ国であること、この曲がカトリックと深く結びついたものであることは、僕が感じ取ったものの前では本質的なことではない。Turangalîlaはサンスクリット語を合成した言葉であり、「愛の歌」や「喜びの聖歌」、「時間」、「運動」、「リズム」、「生命」、「死」などの意味があるとされる(トゥーランガリラ交響曲 – Wikipedia)。

メシアンの作曲概念で重要とされる「移調の限られた旋法」と「非可逆リズム」について僕は充分に理解していないが、メシアンは、これを聴く者は移調が限られている不可能性の魅力に囚われ、その調的遍在性がカトリック思想における「神の遍在性」と結びついて、「神学的な虹をもたらす」としているから、けだしこの曲はカトリックの教義や神性そのものを描出したものではないだろう。

東洋哲学的な概念の「森羅万象」とその部分を成す人間の根源的本性である「愛」というものを表層に二軸として置き、宇宙の存在、人間の存在を聴く者の感性に浮かび上がらせることをもって唯一無二の造物主(キリスト)の存在を感知せしめるという構想から成った音楽と思う。従って確固たる西洋音楽ではある。ビートルズのアルバムでジョージ・ハリソンがシタールを使ったナンバーが、そう聞こえるかどうかはともかく東洋になりきろうとしているのとはまったく違う。

しかしながら、旋法・リズムという構成パーツの内在的な作用が神の遍在性を感知させるという「構造面」だけでは語りきれない非西洋的な要素をこの交響曲が色濃く持っているのも事実であり、メシアンがどういう発端でそれを着想したかは知らないが、R・コルサコフやラヴェルがオリエンタリズムの香りとしてシェラザードを持ち出してきたのとは次元の異なる、もうすこし思想的要素に踏みこんだものであり、マーラーが大地の歌で試みた文学的要素の関わるアプローチよりも身体的だ。西洋人が嗅いだ東洋の香りでなく、西洋人が合体を図った東洋であり、だがその彼のいる天空にはキリストがいる。

構成パーツがインド音楽のリズムパターンであったりする。ピアノは鳥の声を模す。無調でありながら調性(嬰へ長調)が混在する。旋律と伴奏和音というホモフォニックな作りである。個々は明確な三和音であるF#,B,Bm,F#,C,F#,Bという和声連鎖が音列として通奏低音の如く頻出する。これらの特徴は上記の「人や鳥や火のモチーフやら我々がなんでもなく地上で目にするものをパーツとしていながら、突出して霊妙で野趣に満ちたミステリアスな空間を形成している」というワット・プラケーオの個性と見事に共鳴している。

この曲は20世紀に書かれた管弦楽曲として、破壊的な革命効果を音楽史に及ぼしたという点において春の祭典と天下を二分する重要な作品だろう。ストラヴィンスキーのこの革命的作品に触発されて書かれたと思われる諸作品、バルトークの「中国の不思議な役人」、プロコフィエフの「スキタイ組曲」等は、上記の表現を借りれば「充分な異界ではあるのだが、それでもまだ現世とアナログ的につながる延長にある」と思う。

トゥーランガリラ交響曲を初めてライブで聴いたのは85年ロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールでエサ・ペッカ・サロネンがフィルハーモニアを振ったものだ。僕はオンド・マルトノ恐怖症で楽しめてなかった。しかし頭の中にかつてない鮮烈な色彩がはねるのを感じたので興味を持ち、サロネンのCDは買った。これは今もって僕の持つ同曲の最高の演奏かつ最高の録音のひとつである。

覚えやすさが突出して霊妙で野趣に満ちてミステリアスなことによるのが春の祭典と双璧だ。これは最も有名で一度聴いてもう忘れるのは無理という第5楽章 星たちの血の喜悦 Joie du Sang des Étoiles。耳に残ることこの上なしだ。

打楽器が12種類も出てくるが(奏者は8人)、春の祭典で主役級のティンパニを欠く。そこに両曲の性格の根本的相違を見る。祭典のオケは弦に至るまで打楽器的であるのに対し、こちらはオケ全体が旋律的であり、その性質をオンド・マルトノが補強している。弦は徹底して愛を歌いピアノは鳥の声で森羅万象を象徴する。上掲の第6楽章がその典型だが複調ではいるピアノが楽園の蓮の花にやってくる小鳥のようだ。

全曲をチョン・ミュン・フン指揮フランス放送管弦楽団で。チョンはメシアンに可愛がられた。トゥーランガリラ交響曲の改訂版をメシアン立会いのもとで録音したのは彼である。最後の嬰へ長調の無限につづくとも思われる長さなどオンリーワンの確信で振っている見事な演奏だ。

こちらは愛聴しているモーリス・ラ・ルー指揮フランス国立放送管弦楽団の演奏。イヴォンヌ・ロリオのピアノ、ジョアンヌ・ロリオのオンド・マルトノで、これも名演である。

5年前にパリに行ったおり、サントリニテ教会(Église de la SainteTrinité de Paris)にお参りした。オペラ座の正面を右に入ると左の角にカフェがあるが、その上の部屋に住んでいたのがロッシーニである。その角を左折して、遠くに真正面に見えるのがそれだ。ロッシーニの葬式はそこでやった。

これがその内部だ。メシアンは1933年から亡くなる1992年までこの教会のオルガニストだった。ここに彼の有名な即興演奏が流れた。異界からトゥーランガ・リラに迫ってみたが、この傑作への僕の愛情の印しであるとご容赦いただきたい。最後にここに戻しておくのが礼儀というものだろう。

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サントリニテ教会におけるメシアン自演の「キリストの昇天」

 

(こちらへどうぞ)

メシアン 「世の終わりのための四重奏曲」

クラシック徒然草 ―ドビッシーとインドネシア―

 

ブーレーズ作品私論(読響定期 グザヴィエ・ロト を聴いて)

 

 

 

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