わかる奴が大事
2015 NOV 14 8:08:46 am by 東 賢太郎
今年もあっという間にたってしまいあと1か月半。仕事は本年のラストランに入ってます。もう出世とか蓄財とかは興味なしですから仕事はやめてもいいんですが、どうもそういう性格には生まれついておりません。じゃあ何をやりたいのか?
それは、自分は何をやるために生まれてきたのかを確認する旅に出たということです。人間、社会や組織に組み込まれると受動態の人生になります。その時点では気がつきません。独立しますと一切のしがらみがなく、自由で孤独な日々となります。
僕が戦国時代の武将譚に魅かれているのは、彼らも一人の人として自由であり、それゆえに孤独であったはずだからです。誰を攻めようが守りに入ろうがよし。彼らはその結果として何かを行い、それが歴史の記す所となりました。他律でなく自律という人間の生き様が面白い。
きのう五代目 坂東玉三郎のビデオを見ていて、評判は気にしない、ほめ言葉はきかない、日々役に懸命なのでそういうことは目に入らない、という言葉がありました。人間国宝にしてこの言葉在りですが、人間国宝であることも、集中しているときには彼は頭にないのではと思います。
自分も仕事が好きだから断ち切れません。それはゼロから何かを創りだすということです。それをしていると万事が頭から消えてしまいます。だから食うための仕事ではなく、それにオタクとして没頭することが生きていることそのものです。
ところが、趣味ではないですからうまくいかないことばかりとなり、ストレスに満ちた道でもあります。好きなんだから気楽だろうとはいきません。何か重たい物を押すときに静止摩擦力が大きいように、無から有を生もうとする精神的な負荷は大きいものです。
無の中に有があると言うと、おおかた殿ご乱心扱いです。人は経験から学ぶし、経験していないことを理解するのは難しい。信長は桶狭間の2千騎での進軍を老中にはからず軍議にもかけませんでした。反対されるのをわかっていたからです。
でもそこで意をくんで決死で突っ込んでくれる2千人の若武者がいた。老中のいうことをきいたら織田家は滅んでいただろう。ことほどさように、一緒に歩んでくれる人は大事です。命令に従うのではなく、意を汲む、理解して行動する、これです。
想像ですが、信長は秀吉を、秀吉は光成を「わかる奴」と思ったのではないか。部下の能力が自らの生死を分ける時代、草履暖めや三杯のお茶程度のよいしょで選ぶはずもない。後世の物語です。最近とみにそう思うようになりました。
わかる奴が必要だから城持ちにする、それ以外は単なる従者。信長も秀吉も、自らわかってもらおうということなどしなかったでしょうし、それは権力者だからしないというより、日々懸命なのでそういうことはできなかったと思います。
思考回路を共有する者、そういってもいい。強大な物体を押し動かそうとするのは静止摩擦力との闘いであり、特に日本社会はそれが大きいのです。
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