特異点さがしこそ僕の本質
2016 MAY 19 1:01:20 am by 東 賢太郎
ここ数日ですが、ブログの訪問者数が一日あたり2548人、ページビューが3226なんてことになっています。入場者2~3000人ときくと条件反射で川崎球場のパリーグ戦を思い出すのですが、すいませんわかんないでしょうね。
お読みいただいているネタが音楽であるならクラシックも捨てたもんじゃないと思いますが、せっかくなのに水を差すわけではありませんが、僕はいわゆるクラシックファンとはまったく話が合わないと思います。本当の音楽好きではなく特異点、特異物体、特異人間を探すのが好きなだけだからです。
これは理化学研究所が原子番号113の元素を発見(合成)したりNASAが地球のいとこと呼ぶほどよく似た惑星「ケプラー452b」を発見したりという、そういう世界の関心と情熱に似ているかもしれません。
良い音楽は何でもききますが、聞くそばから頭でピアノ化します。するとポップスという音楽に特異点はまったくなく、だから楽譜まで見て分解したいということは一度もなく、それがあるクラシックになっているだけです(クラシックもない曲がありますが)。
その癖は子供の時から電車の車輪・レールと恒星の観察になり、誰もわからないと思いますが野球もそうであり、そして長じてそれが株になった。株というのは特異点を探すゲームです。途中で人体という年頃があったのですが、色がわかればお医者さんだったかもしれません。
クラシックはそういうもののいちジャンルにすぎず、だから特異点さがしのワンダーランドであってやっていることはふつうの意味の音楽鑑賞ではないように思います。たぶん200曲ぐらいは暗記していてその記憶プール内での特異点の相関がまた特異だったりするとさらにハマります。
こういうのは何の生産性も社会貢献もございません。ただ自分のオタクの本性の開陳として残しときたい。変な奴だと思われて日本社会的には明らかに良くないのでしょうが、僕はモーツァルトの楽譜を見るようにマクロ経済の統計を眺めているのだから仕方ない。それで商売できているしそれで離れていく人に気に入ってもらう必要はぜんぜんないのです。
本音で生きるって、言うのは簡単ですが、そういうことだと思います。私はドケチですとかほら吹きですとかオカマですとか、カミングアウトするといいますか、それは勇気はいりますがそうしないと本当の友達なんかできないし仕事の戦友もできません。本気の人助けもできないと思います。変な奴でもいいと思ってくれる人とは切れないのです。
だから僕にとっては人だって特異点のある人がいい。また、そういう人オンリーでやらないといいビジネスなんかできません。同質な人ばかりだと、公約数で括っていくと誰も残りません。日本は世界の中でそういう組織の掃きだめにみたいになりつつあって、それでも特異点は排除するんだから21世紀はつらいでしょう。
3000人の中からメールをくださったりという方がおられ、全部をひとつひとつありがたく拝見してますが、そういう風に行動を起こされている方々ですから何か通じるものを感じます。
(追記)
「特異点」とは特別な点、他と違った点という意味に書いていますが、数学で関数関係の成り立たなくなる「点」のことです。可微分性のない点です。
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