クラシック徒然草―ジュピター第2楽章―
2016 NOV 27 0:00:29 am by 東 賢太郎
何が嫌かといって自分で理解もコントロールもできないものに振り回されることだ。普段は気にもしないがビジネスの場でそうはいかない。相手に理があるなら我慢もするが3分でクビにするような人に差配などされたら心の奥底から耐えがたいのは誰も同じだろう。
こういうストレスが続くと癌みたいな硬い病巣が心にできてしまい、時間が経っても根治し難く、さしものクラシック音楽といえども効能は期待できない。帰りの機内でいろいろ聴いてみたが、やはり入ってこなかった。ところがさっき偶然にジュピターの第二楽章をネットで耳にして我に返った。これが耳に突き刺さってきたのである。写真は僕のピアノ譜の「その」部分だ。ここに抜き差しならない絶対普遍の音が書いてある!
何度も述べた部分だ。2段目最初の音(a)!そして3拍目のビックリマークを書いた血の出るような音(b)!この二つは音程関係が似ているが違う。(a)を長3度下げると(b)のラは半音下がるが、弾いてみるとそれじゃだめだ。(a)のドを半音上げてもだめ。彼はどうやってこんな音を選びとったのだろう?彼はいったい何者だったんだろう??
バスはA・D・G・C・F・B♭と完全4度上昇の神のバランスだが、その上に軋みと悲しみを内包した、何と豊穣でエロティックで人間くさいドラマを矛盾もなくのせていることか。しかも何の苦も無く。これを何度も心で反芻しているうちに、真の天才の凄みに射すくめられたのだろう、僕のストレスの病巣ごときは粉みじんに砕け散った。つまらん人間界の澱が人類史上最高の知性にふれて浄化された気がする。
ハイドンが98番にここを引用したと僕は固く信じている。彼も天才だが、真に畏敬すべきものは神だということを知っていた。この霊的な箇所に反応しなかったはずがないのではないか?モーツァルトが神である証拠は彼の626曲の楽譜に幾つもあるが、僕が気づいているものは全部書き残して死にたい。
さっき聴いたというのは故・山田一雄のものだ。棒はほとんど振らない。顔の表情と大きな所作で体ごと欲しい音をN響からえぐり出している。それが出ているということが見ていてわかる。こじんまり綺麗に整ったモーツァルトなどくそくらえだ。
指揮とはこういうものであり、巨魁な精神作用なのであり、奏者をインスパイアし鼓舞するオーラの賜物であると心より納得する。天才の音魂と最晩年の山田の霊感が共振しただごとでない感動的な名演になっている。誰がN響からこんなモーツァルトを聴かせただろう。
第二楽章である。
このサントリーホールのライブ(youtube)はぜひ全曲聴いていただきたい。
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