Sonar Members Club No.1

since September 2012

クラシック徒然草《クーベリックの弦チェレ》

2017 FEB 16 1:01:57 am by 東 賢太郎

音楽に右、左はありませんが、あえていうなら僕は超保守の原理主義者でしょうか。それは前回のクセナキスの稿でご理解いただけると思います。何が原理か?「楽譜」では必ずしもなくて、作曲家に降りてきた「何か」である。それが何かは自分の感性で曲の音と譜面から探り出さなくてはいけませんが。

作曲家が森羅万象のメッセージを受け取る媒体なら、演奏家は作曲家が紙に書きつけた記号からそれを受け取る媒体です。良い演奏家かどうかは、作曲家を震わせた大元の「何か」に共振できているかどうかで決まります。万事に良い演奏家はおらず、曲ごとに共振できる人がランダムにいるというイメージです。

だから、何でも振れますという指揮者には懐疑的で「振り屋」と思う。何でも聞きますという人も「聞き屋」ですね。半世紀も聴いてきて好きでない曲はどんなに名曲とわれようと共振しようがなく、作曲家に何が降りてきたか知りようもない。だから良い演奏で聴けば感動できるという道理もないという結論に至ります。これが原理主義です。

古楽器演奏だから原典に近い、これがモーツァルトの楽器でやったピアノソナタで彼の音です、というのはどうも嘘くさい。楽器はそうであってもどう弾いたかは別な話です。楽器、楽譜どちらだけでもなくトータルなものから感性で感知したものが正しい。それは主観ですが、この曲かくあるべしは主観でいいのです。それに合致するものが自分にとって名演奏であり、しないものが古楽器だからといって修正を迫られるものではないでしょう。

好きでない名曲はけっこうあります。自分に正直に一切聞きません。好きな曲は自分の感性で「何か」を探って、それを描いてくれた演奏に出会うまで聴きまくります。出会えばおしまい。だからLP、CDを何十枚も持っている曲は出会いが遅かった、あるいはまだないという曲です(ない方が多い)。たまるのは不幸な遍歴の結果であって僕は収集家ではありません。部屋もオーディオも古い録音をうまく再生するためのものです、なぜなら古い録音に価値あるものが多いからにほかなりません。

kubelik2ラファエル・クーベリックのバルトーク「弦チェレ」はそのひとつ。第1楽章、緊張感をもってひっそりと始まり、シンバルの頂点へ向けて緩⇒急がつき音楽がふくらみ、そこから再度テンポを落としたまま妙な演出なくチェレスタを迎える神秘感の出し方。この呼吸、強弱の感覚、いいですねえ、理想的だ。オケはシカゴ響であり有名なライナー盤より前の1951年モノラル録音です。これがあってあれができた、そうであって全く不思議でない名演です。

第2楽章。ピアノのバランス、音色、そこに重なる木琴の音色、これは最高だ。ピッチカートがややばらつきますがアンサンブルも緊密。テンポも見事で後半のヴァイオリンの表情づけも良し。

クーベリックはチェコ物というのは都市伝説にすぎません。第3楽章、彼はバルトークの聞いた森羅万象の音に共振していると感じます。この楽章はライナーの方が一枚上手ですが、まだこれが大衆名曲になるずっと前に楽譜からこれを読み取った眼力は空恐ろしいものがあります。

第4楽章だけはどうも、バルトーク先生に大変恐縮なのですが、あんまり曲の出来がいいと思ってません。すみません。誰が振ってもso-soであります。

 
Yahoo、Googleからお入りの皆様

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

 

Categories:______バルトーク, ______音楽と自分

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

松上一平
中川龍太郎
福井利佐