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ショパン 練習曲集 (作品10、25)

2017 AUG 11 2:02:25 am by 東 賢太郎

自分の音楽史を回顧するわけではないが、最近、若いころ聴いた録音を聴きかえす機会が増えている。そこにはおふくろの味のような、遠い記憶にそっとよりそってくる暖かいものがあり、どこか生き返った心持ちを覚えるのだ。

いまの僕がショパンの熱心な聞き手でないことは何度か書いたが、クラシック入門したてのころはもちろんショパンの門をくぐっている。ソナタ3番やスケルツォ2番に熱中もしたし、ほとんどの曲は耳では覚えているかもしれない。


初めて惹きこまれた、というより衝撃を受けたのはDGから出たマウリツィオ・ポリーニのエチュード集(Op.10&25)(72年盤)だ。大学時代か。この演奏を何と形容しよう?フィレンツェのアカデミア美術館でミケランジェロの最も完璧な彫刻と思う「ダヴィデ像」を見て、ポリーニ盤の印象とかぶってしまい、それ以来これ(右)が浮かんできてしまう。彗星のように現れた若手によるピアノ演奏として、これとグールドのゴールドベルク変奏曲55年盤は東西の横綱、人類史に残る文化遺産だろう。

一時期、これとホロヴィッツのスカルラッティ、リヒテルのプロコフィエフなどが僕の「うまいピアノ」のスタンダードを形成していた。といって僕がピアノを弾けるわけではないのだからそれは単なる印象だ。印象というものは時により変化するものであって、決して何かを判断する基準にはなり得ないと思う。だからメカニックな技術に耳を凝らしてみることもずいぶんやった。

今回、ポリーニのエチュードを聴きかえして、やはり「うまい」と思った。作品10の第1番ハ長調でいきなり脳天にシャワーを浴びる。第5番変ト長調(黒鍵)や8番ヘ長調の指回りは唖然とするしかないし、第7番ハ長調のクリアな声部の弾き分け、作品25の第6番嬰ト短調のトリル、第10番の両手オクターブなど、ピアノ演奏の技術を体感できるわけではない者にだって何か尋常でないものを悟らせる。

しかし、ポリーニはもっと若いころの録音(1960年盤)があって、それと聴き比べると思う所があるが皆さんいかがだろうか?

彼は12年前からうまかったのだ。但し「革命」の左手など彼にしてはどうして?というレベルでもあり、72年盤に至ってすべての部分でテクニックはさらに凄味を増してくるのだ。しかし彼の進化のベクトルの方向性はそちらにあり、例えば「別れの曲」や第6番変ホ短調の抒情、哀愁、歌心において特に深みが増したようには思えない。

ちょっとちがう。純水のように磨かれているが無機的、無色透明であって、いまの僕は水に澱(おり)が欲しいなと思う。音楽の養分、有機物とでもいうか、そんなものだ。作品10,25を練習曲という側面から突き詰めるとここに行きつくだろうという意味でそれは長所でこそあれ何ら欠点ではないわけでミケランジェロに浪漫を求めても仕方ない、単にこちらが年齢を重ねてしまったということなのかもしれない。

もう一つ、僕がアメリカにいたころ聴いておなじみになった演奏がある。1976年録音のアビー・サイモン(左、1922-)の演奏だ(VOX)。試しにこれをかけると、やっぱりこれだ。技術のキレ味はポリーニと異なって誰の耳にも容易にアピールする鋭利な感触はまったくなく(しかし同じほどの妙技が秘められている)、さらには心にじんわりと迫る歌と抒情があって、こういうショパンならもっと聞こうかなとなる。アビー・サイモンが日本で知名度がないのは驚くべきことで、批評家は何を聞いていたんだろう。思うに彼が米国人でありVOXも廉価レーベルであり、スターダムに縁がなかったため安物の先入観に染まってしまったのだろうか。ホロヴィッツをあれほど神と崇め讃えた連中が、技術で劣ることなくひょっとしてもっと音楽的に神ってるサイモンを完全無視できた理由を僕はまったく考えつかない。

変ホ短調のグレーな世界を聴いてほしい。彼の演奏には特に遅めの曲に不思議な色調の変化を感じる。別れの曲の絶妙なテンポの揺らぎと心の深層にまで触れてくるタッチや強弱の変化(こんな素晴らしい曲だったのか)、黒鍵や7番ハ長調や10番変イ長調のペダルを控えたタッチの羽毛のような軽さ(こんなにペダルを使わず多彩なコクのある表現ができるなんて奇跡的)、11番の歌の指によるレガート、8番の指回りと高音の粒立ちの両立、革命の左手!

彼の技巧はニューヨークタイムズで辛口で有名な批評家ハロルド・ショーンバーグに「スーパー・ヴィルチュオーゾ」と評され、そういう外面にばかりフォーカスしがちな「外タレ好き」の米国聴衆の眼がロシア系で19歳上のホロヴィッツに向いたのはいたしかたない。カーティス音楽院でヨゼフ・ホフマンの弟子だったサイモンの美質はしかし超絶技巧ではない。詩的情感、音色、想像力にそれはあるのであってテクニックはそれに奉仕するものと感じられる。ちなみにホフマンはショパンの知己でチャイコフスキーの友人、同胞だったアントン・ルービンシュタイン(1829-94、チャイコフスキーの協奏曲初演を拒否したニコライは弟)の弟子だ。

この人が鍵盤上でしていることはおそらくピアニストにとって看過できないことでマルタ・アルゲリッチが師事したし、ニューヨークでリサイタルを開くと同業者がたくさん席を埋めたのは伝説である。僕がそれを目撃した例でいうとロンドンでリヒテルの会場に内田光子がいたしミケランジェリのにはブレンデルがいた。サイモンは優にそのクラスのピアニストなのである。しかしそうしたプロ目線を離れても、技術とコクが高次元で一体化した、いわば心技体のそろったピアニストとしていくら高く評価してもし足りない気持ちが残る。

テンポや間の取り方、バスの打ち込み方には個性があり人によって好き嫌いはあると思うが、ルービンシュタイン、ホフマンから伝わるショパン直伝のピアノであり、19世紀のロシアン・スクールの息吹がクリアな音で細部まで聴けるVOXの彼の録音は宝だ。耳の肥えたピアノファンはぜひ彼の録音に耳を傾けてみていただきたいが、彼の精妙なタッチはオーディオ装置を通してでないとわからない。CD(廉価盤だ)に投資することをおすすめしたい。

クラシック徒然草-悲愴ソナタとショパン-

 

 

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