学生街回想-いもやと鶴八の閉店-
2018 MAR 22 0:00:02 am by 東 賢太郎
神保町界隈というと一橋中学だったから庭である。そこから靖国神社の隣の九段高校、御茶ノ水の駿台といったから、九段下から靖国通りを古書店を眺めながら駿河台下まできてお茶の水へのぼる道は目をつぶっても歩ける感じさえする。駅を通り越して本郷三丁目までは2,30分で歩けるから、結局中学から大学までうろついたこの辺は第2の故郷と思っている。第1が多摩川でそこで自然児として育ったなら、物を学ぶ姿勢、趣味、人生観に至るまで、知の側面ではこの一角の空気を吸って若年をすごした影響は計りしれない。
一橋は校則が厳しく通学路が決まっていたが無視していた。すずらん通りの文房堂という立派な造りの画材専門店に入ると、ガラスケースにずらっと並ぶ高級万年筆が光っていた。それにほれこんでしまい、のちに勉強したのはあれが欲しいという動機もあった。三省堂、東京堂、書泉は寄り道スポットで本屋に何時間もいる癖はそのころついた。古書街は知の宝庫に見え、入るとぷんと黴臭い。何時間も立ち読みしてハタキをかけられたが、古いだけではない、絶版になって当然でしょというマニアック本の膨大な書架でもある。人体や天文や鉱物や鉄道や地図など自分もそうだが世の中にはこんなにマニアな著者もいるんだと安堵する場でもあった。
古本屋の店構えはいま思うとハーバード大学の「Enter To Grow in Wisdom」と書かれた門みたいに見えていた。ことに左の一誠堂だ。お若いの、智の壁は厚いよ、出直しといでと拒まれているようで最初のうちは戸を開けて立ち入るのもひるんだが、街中が図書館のような環境でこういうチャレンジングな風景を日々見慣れてくると、どことなく受験など下の下だなたいしたことないなというマインドセットができてしまっていたかもしれない。
それと同じノリでクラシックに没入した。レコード屋が一誠堂のように見えていた。それまた「Enter To Grow in Wisdom」である。本と違って立ち読みできないから迷う。2千円あって新譜を1枚買うか廉価盤を2枚買うか、行ったり来たりして散々迷う。本屋と同じで何時間もいる癖がついた。満を持して聴いてみてつまらないとカスの福袋を開けたみたいにがっかりだった。それでもいずれ全部聴いてやるさ、覚えてやるさと不敵なマインドセットでいたのは変わらない。僕にとって、書店が人類の知恵へのアクセスポイントだったようにレコード屋は西洋文化へのそれであり、受験勉強とクラシック音楽を覚えることは全く同じプロセスだった。
ただひとつだけ違いがあったのは、曲を聞き覚えるそばから楽譜を買ったことだ。分解癖、すなわち不思議なものはモノであれ何であれバラしてからくりを調べてみたい興味があるせいだ。管弦楽というのはその気にさせる不思議な音に満ち満ちている玉手箱であって放っておけず、あれはどういう和音をどの楽器でやってるのか知りたくなる。どうしてときかれても知りたいのだから仕方ない。初めて聞いた曲でも、その部分だけ鮮明に覚えてる。自分が音楽家をめざすかどうかというような世俗的なこととはまったく別次元の、いわばピュアに科学的な探究心であって、古本屋でオリオン座のリゲルの物理特性につき書いた本がないか探しまくったような関心とよほど近い。
いまの新世界菜館のあたりに洋書店があって、初心者だった高1の時にまずしたことはストラヴィンスキー「火の鳥」1910年全曲版のスコアを買ったことだ。不思議な音の部分を解剖して満足した。それが嵩じて次はウォルター・ピストンの「管弦楽法」を買った。火の鳥は1万5千円ほどでいまなら15万円の感じだ、そのために全部我慢して1年ほど小遣いをためた。こういうことをしながら硬式野球部でもあり高校でもあんまり勉学に励む暇はなかったが、神保町で育たなかったら、あの街ごと図書館の空気がなかったら、そういう風になったかどうか。本屋やレコード屋がアマゾンに淘汰されて、僕のような育ち方はもうないのだろうか考えさせられる。
先日アメリカでは赤貧のころの高級食だったハンバーガーをたらふく食べて留飲を下げた?が、思えば神保町をうろついていたころはさらに金がなかった。すずらん通りのキッチン南海、キッチンジロー、「いもや」などお世話になったのだがマック以上に敷居の高い店でもあった。いもやは閉店だそうであの大盛りの天丼がなくなるなんて寂しい限りだ。御茶ノ水駅前の名曲喫茶はトスカニーニのボレロに衝撃を受けた思い出の店だがなくなって久しい。聖橋口改札横でおやじさんが一人でやってた3畳ぐらいの立ち食いソバ屋など僕は高く評価していたのだが、もはや記憶の中だけだ。
本郷ではなんといっても森川町食堂であり、ここの貧乏学生に優しい定食と文学部地下の生協のカツカレーは困ったらこれという定番だった。法学部生は赤門の方は用がないから覚えてない。農学部前の西片にあった下宿に近いところで喫茶ルオー、中華の「一番」、「大鵬」、雀荘の珊瑚などはまだ健在らしいからうれしい。小遣いをためると秋葉原へ歩いて石丸電気でレコードを買った。ここが前述した古本屋に匹敵する西洋の知の殿堂であったが、時代の波であろう残念なことになくなってしまった。CDも入れると2,3千枚は石丸で買ったろうからそこで費やした時間は長い。史跡にしてほしい。
こんな回想に浸るのも、先日東京ドームに出向いて神保町をぶらついたからだ。水道橋から神保町交差点へは通学路であり、東京ドームはそうでもないが後楽園球場ではいくつか忘れられないシーンがある。しばらくご無沙汰だったすしの鶴八をのぞいたら、なんとこれも閉店でショックを受けてしまった。主人の田島さんはカウンターに座ると黙って小肌だけ出してくれる、言葉はあんまりいらない店だった。何の弾みかクラシックの話になって、シューリヒト好きというので、お持ちでないというベルリン・フィルのエロイカをお貸ししたりした。お元気なのだろうか、まったくつらい。
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