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ハイドン 交響曲第82番ハ長調「熊」

2019 FEB 1 23:23:59 pm by 東 賢太郎

13才のベートーベン

1786年12月に16才のベートーベンがウィーンにやってきた。故郷のボンで神童の誉れ高く、神童の先輩モーツァルトに弟子入りしたいという理由があった。いっぽうそのモーツァルトはフィガロを初演した余勢をかってロンドンに足をのばそうと画策していた。スザンナを創唱した英国人のナンシー・ストーラスに「わたしは来年2月にロンドンに帰るよ、いっしょにおいでよ」とそそのかされていたこともある。

その気になったモーツァルト夫妻は10月に生まれた息子を父レオポルドに預けようと嘆願する。しかし父子関係はもはや疎遠になっていて断られてしまい、渡英計画は頓挫するのである。ロンドンの満座を唸らせようとセットで書いていた交響曲ニ長調とピアノ協奏曲ハ長調は宙に浮いてしまうことになった。そこにプラハから「フィガロを振ってくれ」とお呼びがかかる。フィガロの前座に使い回された交響曲ニ長調はまだメヌエットを書いてなかったが、そのまま「プラハ」という名前で歴史に刻まれてしまう。

もうひとつのピアノ協奏曲ハ長調はどうなったか。田舎からウィーンに出てきた高校生のベートーベン君が、弟子入りをプロポーズしようという憧れの先輩のトレードマークは「ピアノ協奏曲」だ。彼がその最新作に興味をいだかなかったと想定するのはとても困難だろう。翌年の5月に母の病気の知らせでボンに帰省するまでにそれはどこかで若人の耳と目に焼きついていたと考えるのが自然ではないか。運命テーマのオンパレードを第1楽章にもつ25番ハ長調 k.503 がそれだ。

k503、mov1(第1主題終結部の運命テーマ)

 

さて、その1年ほど前の1786年の1月のこと、ヨーゼフ・ハイドンは前年にコンセール・ド・ラ・オランピックを率いるサン=ジョルジュ(右)の依頼により作曲された6曲からなる交響曲集をパリで初演していた。この曲集はマリー・アントワネットも熱心な聴衆だったほどの大人気で、「パリ・セット」として歴史に名を刻まれることになる。パリ・セットはその勢いのまま1787年にはウィーンでも出版されるから、その年の5月までウィーンにいた高校生のベートーベン君が、後に弟子入りすることになるハイドンの最新交響曲集に興味をいだかなかったと想定するのは、こちらもとても困難だろうと思われるのである。

交響曲第82番ハ長調は6曲の最後に作られた作品で、僕が最も好きなハイドンの円熟の逸品のひとつである。シンプルで無駄がなく、素材は素朴ながら響きはシンフォニック。ユーモアと人間味と活気にあふれ聴くたびに愉快にしてくれるが、ベートーベンに通じるものを秘めている点でも注目に値する大傑作だ。

第3楽章のこの部分、青枠内(おどけたファゴット)はまるで運命テーマのパロディだが、ベートーベン5番のほうがこれのパロディなのかもしれず、

Haydn Sym82 Mov3

この楽章は冒頭のVnのテーマからして運命リズムである。

Haydn Sym82 Mov3 1st Theme

第1楽章冒頭のスタッカートによる鋭いエッジの立ったリズムのユニゾンでの強打もベートーベンの5番を先取りする。このリズムは16分音符2つを8分音符1つに置き換えれば運命リズムの反復そのものである。

Haydn Sym82 Mov1 1st theme

次のページに至って運命リズムが木管、金管にくっきりと姿を現す。

Haydn Sym82 Mov1

間の抜けたファゴットのドローンを従えた第2主題が一瞬の息抜きとユーモアで和ませるがここから先はリズムの饗宴となり、強拍感が浮遊し(ベートーベンの先駆である!)、疾風の如き勢いで全く驚くべき和声の嵐をつきぬけ、想像だにせぬ悲鳴のようなA♭on gの不協和音という不意打ちを食らう。ここを目まいなしに聴くことなど僕には困難である。

一瞬静まって元の平安が回帰する部分のホッとした安堵感に笑みを見る感じ(これぞハイドン!!)が僕は大好きだ。展開部の凄さは筆舌に尽くしがたく、運命リズムが骨組みとなりコンパクトな中に主題がリズムをずらしながら複合して壮絶な変化をくり広げるさまは3拍子のこともありエロイカの第1楽章を想起させる。そしてちゃんと悲鳴をリフレーンしてあたかも予定調和だったかのように再現部に移る。うまい!コーダの嵐の前の静けさが短調領域に行ってしまうのもまさに驚くべきだが、ベートーベンに直系遺伝したハイドンの専売特許である。

第2楽章のほのぼの感も素敵だ。素朴だが暖かくエレガントで高貴だ。こういう主題を書けたから王妃まで虜にしたのだ。僕は主題の締めくくりの繰り返しでヴィオラがそっと添えるさりげない対旋律が大好きで、こんな単純なものなのに、あっハイドンだとまぎれもなく刻まれた個性にいつも驚嘆する。緩徐楽章にしては珍しく終盤が歓喜の気分に満ちてきてにぎやかになり、モーツァルトのk.525(アイネクライネ・ナハト・ムジーク)のMov2がはっきりと聞こえてくる(これも1787年作曲だ)。

Franz Joseph Haydn

終楽章は冒頭の全打音付き低音のドローンが「熊」という名のもとになったことで知られる。音楽にあわせて熊が踊る大道芸はロシアやジプシーに見られ、それであって不思議はないが、ハイドンが命名したわけではないから真偽は不明。私見では楽譜屋が宣伝用につけたものと思料する。この楽章も運命リズムが活躍し、どことなくマジャールっぽい104番「ロンドン」の終楽章との相似を感じさせる。展開部は主題音型を素材として高度な対位法で有機的に組み合わせ、F、Gm、E♭・・・と転調の嵐が吹きすさび、再現部に至って「ドローンはこのためにあったか」というぱあっと地平が開けたような大団円がやってきたと思わせるがそれは疑似終結で騙される。静かになって和声は再度変転し、ついに本物の終結が訪れるという凝った造りだ。なんという名曲だろう!ハイドンの天才と知性と職人芸が絶妙なバランスで集結したこの交響曲第82番を僕は彼の最高傑作のひとつと讃える。

そして、再び思うのだ。こんな卓越した技をプロ中のプロであるモーツァルトやベートーベンが平然と看過できたはずがないだろうと。モーツァルトは82番ハ長調、83番ト短調、84番変ホ長調を研究して1788年に同じ調性による3大交響曲に結実させたろうし、高校生のベートーベンは1786~87年の短いウィーン滞在で、後に頭の中で第5交響曲という大樹に育っていく種子をもらって帰ったのではないかと。

 

コリン・ディヴィス / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

何の変哲もないが、何も足さずなにも引かずの現代オケ解釈を抜群の音楽性とホール・アコースティックでとらえた珠玉の録音。とんがった古楽器解釈に慣れると物足りないだろうが際物でない本物の良さをじっくりと味わえる。こういうものがアプリシエートされずに廃盤となる世の中だ、クラシック音楽の聴き手の地平は日没に近く欧州のローカル趣味に回帰していくのかという危惧を覚えざるを得ない。僕の録音をyoutubeにupしたのでぜひお聴きいただきたい(upして5分しないうちにThanks a lot for your sharing! Good Taste of Music なるコメントをいただいた。音楽の趣味の良さ。分かる人は分かっているのがうれしい)。

Francois Leleux, conductor
Norwegian Chamber Orchestra

このライブ演奏は実に素晴らしい!指揮のルルーはオーボエ奏者だがセンスの塊だ。抜群の技量のノルウェー室内管の奏者たちの自発性を喚起し、全員が曲のすばらしさを共感しながら楽興の時を刻んでいるのが手に取るようにわかる。音楽が会話に聞こえる!お見事な指揮でありこれぞ合奏の喜びで、聴く者の心にまっすぐに飛び込んでくる。このコンビのハイドンは極上だ、ぜひライブで聴いてみたい。

 

(ご参考です)

「さよならモーツァルト君」のプログラム・ノート

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

Categories:______ハイドン, ______ベートーベン, ______モーツァルト

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