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“賢い女性”を持て余す日本(上野千鶴子さんの東大入学式祝辞)

2019 APR 14 10:10:06 am by 東 賢太郎

上野千鶴子さんの東大の入学式スピーチが話題らしい。読んでみると、

知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です

とたしかに良いことをおっしゃっている。知識は知ではない。

東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい

これも、まったくその通りだと膝を打った。海外に出ればそのブランドは無きに等しい。僕は16年外国で苦労してみて、ブランドは自分なのであって、それなしではどこの国でも通用しないことを知った。ということは、実は日本でもそうであって、最後に助けてくれるのは「知」しかない。

東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました

これはどうか。女性が少ないのは別に東大のせいではなく、門は万人に開かれている。学生に言っても仕方ないと思う。

それは世間一般にほぼ普遍的に存在するジェンダーの問題で、どっかの医大が女子と浪人を差別していた動機はそれだったようだが、東大の場合は単に志願者の男女比が1:1でないだけであって今に始まった話でも何でもない。受験しないのだから増えるはずもない。その底流にジェンダー問題が潜むというご趣旨であり、未来のリーダーとして心してかかれというなら、それはそれで同意するが。

しかし、桃太郎はこう始まるのだ、「おじいさんは山へしば刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました」。500年も昔の話である。なぜおばあさんが洗濯なんだ、しば刈りではいけないんだ、男女差別だろうと目くじら立てる人はあまりいないのも事実であって、差別なのではなくそれが古来からの男女の好ましい分業の姿であり、自然にやってきたことだと思うしかない。日本人の主食がなぜ米だといって、自然にそうなったとしか説明できないような性質のものなので、東大生の目くじら程度でそう簡単に変わるとも思えない。

日本という国がいかに変わらない、変われない国かを痛感した経験がある。僕ら1980年代の留学組は「これからはグローバル時代だ」といわれて尖兵の気持ちで米国へ行った。日本企業もやがてそうなった。しかし、あれから35年、日本は「なんちゃってグローバル祭り」の残務整理にさしかかっているのだ。千年たってもあのころ夢想した国にはならないと今は確信を持って言える。だから僕は海外派の道はばっさりと捨て、国内で「ちょい英語うまいオヤジ」になる軌道修正をしたわけだ。流れに逆らうより環境適応。それはシンプルにsustainableな人生を送りたいと思ったからだが、隕石衝突後の恐竜と哺乳類の運命という中学生でも知ってる「知」に従ったと言えないこともない。おかげで生き延びた。

上野さんは東大の男子学生はもてますというが、時代が違うのかそんないい思い出はなくてずっと慶応のほうがもてたし、東大女子とつきあったことはない。そもそも文Ⅰには20人もおらず駒場のクラスはゼロで男子校状態だったし、片山さつきや福島瑞穂みたいな面々に太刀打ちできたとも思えない。しかし、彼女らは優秀なのだ、とてつもなく。なるほどそうか、一つだけ手があったかもしれない。ヒモになることだ。東大女子は学歴を隠す必要なんて毛頭ない、堂々と社会に進出して稼いで、男は養ってやる。格下でも優しくて尽くしてくれて、精神的安寧をくれるようなタイプを探すといいのかもしれない。まあ僕にそのメはなかったが。

ちなみに東大の女子比率はこうだ(2019年)。歴史的にほぼこうであり違和感はない。

理系:文系が57:43で人数は理系のほうが多く、最も多い理Ⅰの8.1%が全体を下げていることを見ると、数学が難しいから女子は敬遠してるのだという巷の推測が的を得ているように思う。僕のころ4問中1問解ければオッケーといわれた文Ⅲだけ3分の1が女子と突出して多いのもそれで納得である。上野さんによると理Ⅲは男女各々の合格率比の値が1.03(男が僅差で上)だそうである。ということは、全国模試一桁クラスの、数学もめちゃくちゃできる優秀な女子志願者が男子志願者の18%ぐらいいたということを意味するが、18%「も」いたと考えるか、18%「しか」いなかったと考えるかは何とも言えない。以下論考する。

ジェンダー(gender)とは単に性差の意味であり、それが「問題」かどうかを問題にされているようなのだが、僕自身は個人的に知っている範囲という限りにおいて、女性に学業で勝てないと思ったことは駿台予備校にいた1人の女性を除いてないし、成績順に並ぶ周囲に女子はひとりもいなかった。その背景には「女だてらに勉強なんて・・・」という日本の社会風土の影響が色濃くあるという現象的には不平等なものが存在していることは理解しているし、むしろ、社会で “賢い女性” を持て余すような男がバカなだけなのだというご趣旨ならば100%賛成である。僕自身、女性の社会進出は徹底推進派だし、それが国益にもなると信じるし、我が社は優秀な女性たちの支えなくして存立しない。

しかし、女性は差別されている、犠牲者だ、だから・・・という論調には組することはできない。その議論は18世紀からあるが、人種差別と同様に万人が納得する解決が得られたという証拠はなく、ジェンダー(gender)とは本来はニュートラルな定義であり、我々は男女が相互に補完する本来的な人間関係のあり方から自由であることはできないと考えるからだ。男は子供を産めない。社会というフレームワークの中では女性の産休が出世のハンディだといえないこともないだろうが、家庭というフレームワークの中ではずっと家にいて授乳や育児をすることのできない男性は子供との1対1の愛情を形成するのにハンディがあると言えないこともない。仕事と家庭とどっちが大事なの?と問い詰められるのは常に亭主だが、その選択肢を持っているのは実は女性だけである。

僕は女性しかできないことにおおらかな敬意を持っているし、同様の青年男子は増えているように感じる。もしそうならば、これからの世の中では、ハンディは男女の「創造的分業」で解消できるのではないかと思っている。「女子は子どものときから『かわいい』ことを期待され、愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手(男性)を絶対におびやかさないという保証が含まれている、だから東大女子は校名を隠すのだ」と上野さんはいわれる。東大女子は入れないのではなく、今は知らないが、正確には特定の他校女子と設立されたサークルがあったことも事実であるし、校名を言うとひかれてしまい女子はそれをハンディと思うのはわかる気がする。

しかし、それを認めつつも疑問が残る。もしご説に従って、①女子の東大志願者が少ない理由が親や社会の性差別による制約であり、②統計的には偏差値の正規分布に男女差はないと仮定するならば、理Ⅲを狙える学力があるのに受験しなかった82%の女子が日本国のどこかに存在するはずであるが、①を特段に差別とは思わず「かわいく生きたほうが得だもんね」という女性の特権的かつ環境適応的に合理的選択をした人を含んでいるという結論に何故ならないのかをどう説明されるのだろうか。それ以前に、そもそも「82%の女子」は本当に存在するのだろうか?顕在化していない学力(能力)を、理由は何であれ、「あります」といっても相手にしないのは差別でなく世の中の常識であり、努力に対する公平性を担保する厳然たるルールでもある。

それだけで愛され、選ばれ、守ってもらえる保証があるなら相手の足の裏を舐めてでも『かわいく』したい男は世の中に掃いて捨てるほどいる。豊臣秀吉でさえ出世の手管とはいえそれをした。しかし、子どものときから『男らしい』ことを期待され、愛し、選び、守れと教育される男にはそんな道はルーティンとして用意されているわけではない。仮に、一部の特殊なアノ道があるではないかというマイノリティー・オピニオンを最大限に尊重してみたとしても、『かわいい』志願の女性の18%もの数の男が夢をかなえるほど需要があろうとは到底思えないのである。そういうあふれた男にとって女性の進出は脅威以外の何物でもない。東大女子であろうがなかろうが「男を絶対におびやかさないという保証」などないのだからパスポートとしての学歴ぐらいは持っていて悪くないし、まして隠す必要などない。

だから女性は、理Ⅲに受かるような人は堂々と正面突破すればいいし、どなたもが女性しかできないことを男との分業としてプライド高くハイレベルのパフォーマンスでやれば男は手も足も出ないのであって、要は、家庭でも職場でも、「創造的分業」のメリットを男に認識させればいいのである。同じことをしているのに女性だと評価されないと嘆くのではなく、評価されるに違いない違うことをするのである。

男子学生には、上野さんの言葉を引用しつつこう伝えたい。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。

まさにそう思うし、さらに加えるが、東大を出たぐらいで未知の世界で一生安泰に暮らせるほど世のなか甘くないよ。男も学校名を言うとひかれるよ(女だけではない)。東大がいない組織に入ると暗黙のいじめにあうよ。それがこわいなら官僚になるしかないがブランドはなくなるよ。女性は弱者のままで尊重されたいというフェミニズムも理解しないといけないし、男はつらいよ。やさしいだけのエリートなんか世界史上ひとりもいない。世界のエリートと伍して生きるには絶対的になにかで強いことが必要条件だから、本当に大変だよ。徹底的に突っ走ってください。

最後に提唱したい。男も女も会社も国もwin-winになる「創造的分業」について。何が創造的かは千差万別だが、例えば僕の会社は秘書を2人採用し、各々の能力と個性で男ができない部分をバックアップするフォーメーションが1年かけて自然にできている。それは実務的なものだけでなく安心感という精神的なものもある。そのおかげで会社のパフォーマンスは上がっており万事うまくいっているのだから「後方支援」「お手伝い」という階級的視点はない。1+1が3になって全員がハッピーになるから創造的な分業であり、男女なく同等な評価をさせていただいている。国中の男がこう考えるようになれば日本国だって1+1が3になって何も悪いことはない。

 

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Categories:______気づき, 若者に教えたいこと

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