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英語義務教育不要論

2019 MAY 24 10:10:43 am by 東 賢太郎

先日お会いした先輩はドイツ語で入られたそうだが今も東京大学の入試は英語・ドイツ語・フランス語・中国語の選択が可能だ。どうして人口の多いスペイン語がないのか、アジアの時代と言いながらどうして欧米偏重なのか、ミクロな疑問はあるが、それ以前にマクロな疑問がある。英米人は外国語が達者でないと大学に行けないなんてことはない。逆にウォートン・スクールにドイツ語で入ることもできない。どうして日本に生まれると外国語の点数で人生が左右されてしまうのだろうかということだ。

英国がスペインを抑えて7つの海を支配し、植民地のアメリカが世界の覇権国になったからだと言ってしまえば簡単だ。そのアメリカとうまくやり、うまく生きるためには数ある外国語の中でも英語ができたほうがいい。それもその通りである。だから我々はそれが世界の常識であるかのように学校でThis is a penをやったのだ。では仮に、英語の授業がなくて時間割で空いた時間と労力を他に費やしたらどうだっただろうと考えていただきたい。英語を履修した今のあなたと比べて、幸福か不幸かということをだ。

外国語の習得はそれ自体は別に学問でも何でもない。単に外国の何かを学んだりコミュニケーションを取ったりの手段であり、そういうものにさっぱり興味のわかない僕の場合はできれば御免こうむりたかった。大事な10代に膨大な時間を英語の点数を取るのに費やすより宇宙や作曲の勉強をした方が人生豊かだったように思うし、何よりそれは日本語で学べたのだから、何のことない、英語は入試のためだけに必要だったというむなしい結論になるのである。別な道では英語はわからず留学もなかったわけだが、2013年の調査だと日本人の72%は英語が話せないがべつにそれで誰も困ってないのだから僕だけが特に困ったとも思えない。

しかも、これから強い味方が現れる。スマホのSiriが進化した「マルチ言語対応自動音声翻訳機」だ。英語は勿論、主要な外国語はこれで会話ぐらいは苦も無くOKになる。まだ進化は序の口だが需要があるものは世界の天才がシリコンバレーに集結して作ってしまう。需要がどこにあるかというと、覇権主義で外国語ができないアメリカと中国にこそあるのだから必ず進む。このありさまはEVの進化とまったくおなじなのだ。10年前、電気自動車はドラえもんの世界だったが近未来にガソリン車は消える。それどころか「自動運転車」になる。

近未来を知るのが商売だから社用車をテスラにしたらいろんなことがわかった。一言でいえばゴルフ場のカートをパソコン制御するみたいな車だ。シリコンバレーで新機能ができるとプログラムが書き換えられて車が日々勝手に進化する。だから買い換えなくてもいいしそのうち寝て出勤したり空港まで行って無人で自宅に戻したりできる。すでにクルマの側は問題なくそれができる。あとは道路インフラが追いつけばいいだけだが、公共投資は景気にも雇用にもプラスだし世界で起きることだから日本でも必ず起きる。すると公共交通、商業交通の大革命がつづくのだ。

AIはかように生活を一変させる。「なくなる職業」とネガティブばかりが喧伝されるが日本人の悪いくせだ、どうしてポジティブに目を向けないのだろう。英語は道具に過ぎないのだからひとえに利便性で要不要が決まるのである。日本でふつうの生活をしてふつうに生きるなら、英語ができなくて不幸になる人はいない。できるということだけで幸福になる人もいない。つまり、ひと言でいえば、どうでもいいのである。それが、絶対にそうではない日本語の読み書きや算数の四則計算に肩を並べてどうして英・数・国と同格扱いになったりするのか不思議に思われないだろうか?

黒船が来て植民地にされるか不平等条約に甘んじるかの「負けの二択」になったのが幕末、明治である。敵状をスパイし知得して凌駕するのが詰んだ将棋盤をひっくりかえす唯一の方策だったのだから暗号解読としての外国語習得は国策であった。当然だ。だから官僚養成学校の東大の入試にあるのであり、今でも「英文解釈」なのだ。解釈はできるがリスニングはできませんという英語教育はそうやって鹿鳴館といっしょに出来あがり、へ長調の平行調は答えられてもクラシックは聞きませんという国民を作る音楽教育ときれいな平行調を奏でながら150年もの時を経て寸分違わぬまま生き延びているのである。

英・数・国に33%づつはやめて数・国に50%づつにしたほうがいいと言うととんでもないと思われるだろうが、スマホ翻訳機は鹿鳴館時代にはなかったのだ。環境適応しない人間も生物も滅びる。英語が必要だと親が思えば小学校から選択して学ばせる道を作ればいいし、シェークスピアを原語で読みたい人は今の第二外国語のように教養として学べばいいのである。しかし勘違いしてはいけない、これはいらないものを切って身軽になろう、楽をしようというゆとり教育の提案ではない。平成負け続けの日本にそんな余裕なんかかけらもない。

英語は英米人には国語だ。僕らは日本語(国語)と英語と2科目を履修する必要がある。日本人がグローバルビジネスで勝てないのはこのハンディのせいもあると僕は留学して確信した。数・国を削って英語を詰め込んで、それでも、ビジネススクールに来ている高学歴で帰国子女を含む人たちですら米国人と喧々諤々の議論やディベートが闊達にできる者は少数だった。悔しいが僕もできなかった。できるようになったのはロンドンでビジネスをしたからだが、その6年でカラオケのレパートリーがなくなった。英語を得るためには必ず犠牲があるのである。

まして数学ができずロジックに弱い、日本語のきちんとした文章すらまともに書けない。そんなのがちゃらい英語をしゃべってグローバルビジネスなんて馬鹿も休み休みにしてほしい。高学歴者がこれだけ一生懸命やって成果がないものは無駄だ。日本のテクノロジー企業は日本人にフレンドリーな自動翻訳機を徹底的に開発・進化させて教育現場がその時間を数学、IT、国語とその他科目に回せば英米人とハンディはゼロになる。近未来に科学分野で間違いなく手強い競争相手となる中国人に対してもなくなる。2番じゃダメなのだ。国は開発予算を補助ぐらいしていい。

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Categories:政治に思うこと, 若者に教えたいこと

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