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クラシックの「メロディー派」と「メカ派」

2019 SEP 10 21:21:00 pm by 東 賢太郎

ミステリー好きのクラシック好きはけっこう多いらしい。横溝正史のような作家もいる。何か理由があるのかもしれないが、根っこはただの洋物好きかもしれないとも思う。というのは、我々の爺さんあたりの世代はデカンショ節を高吟して哲学を気取り、ミステリーは洋書でクラシックは輸入SPレコードでなじみ、それが文化人でハイカラだという気風があったからだ。

東京の神保町に古本屋街、洋書屋、洋物文房具屋、画材屋があり、隣の秋葉原に電器部材屋が密集しオーディオ屋、輸入レコード屋ができたが、洋物とセカンダリーマーケット(中古卸し・小売り)という共通項が底流にあったように感じる。自分は中学生から大学卒業までこの界隈を日々徘徊し、そこにムンムンするほど充満してた雑多だけど西洋への憧れを刺激するB級アカデミズムの空気を吸って育ったからこうなった気がする。

非文学的だから洋書に関心はない。クラシックはバリバリの洋物で、ミステリーも洋物なのだが、それが共通項ではなく「メカニック好き」だからはまった。クイーンの謎解きはゾクゾクするほど僕にはメカであり、バッハやベートーベンのスコアもストラスブール大聖堂の精巧な天文時計みたいにメカニックだ。メカニックという共通項で僕はミステリー好きのクラシック好きなのである。両者の「代表作」を20代までに知ってしまったのは、たぶん遺伝子的に、「メカ派」の嗜好が強かったからだ。

洋物ミステリーの名作は子供だったからもう犯人も忘れている。どこか孤島で片っ端から読み返したい。とにかく初読のパンチの強烈さは比類がなかった。それに比べて日本人作家は印象が薄い。メカが弱くて、旅情ロマン小説か逆にメカ・オタク過ぎてマニア向けのエロ本の風情になってる。後者は本格モノというらしいが英語は素直に “puzzler” で、その他は本格にもとる風の偉そうなニュアンスはない。驚愕の結末やらなにやらその快感に焦点を絞っていてもうSMの世界だ。

日本人の書いたクラシックはもっと影が薄い。申しわけないが人生を変えるほど凄いと思ったものがない。僕が最初にノックアウトを食らったのはストラヴィンスキーだが、春の祭典の、まさにこのブーレーズのレコードの19分40秒から20分21秒までである。

これを聴いて、得体の知れぬ奇っ怪な黄泉の花がぽっかりと宙に浮かんで次々と咲く妖しい幻覚を見た。そして、それこそがこのジャケットの絵だと思った(なんとも素晴らしい絵だ)。こういう桁違いの音楽を日本人が書いていけないことはない。でも、ない。

この部分のスコアはこういうことになっている。

12音のうちラ以外の11音を使った複調である。しかしそういう理屈としての技芸が事の核心ではない。ロシア人の脳みそからは時にこういう破壊的なものが出てくるとしか書きようがないが、3大Bの系列にない、クラシックでは田舎圏であるロシアからこれが出てどうして日本から出ないんだろう。

文化人類学的な興味はあまりない。なぜこんな黄泉の国みたいな妖しい音がするんだろう?というのがメカ派のプライマリー・クェスチョンだ。ピッコロ・クラリネットのC7の駆け上がるアルぺジオが高音域のフルート3本が作るCとコントラバスのフラジオレットの不思議な和声(d-g#-c#)を導く(ように聞こえる)。妖精が魔法の杖を振り上げると金の花粉が天空に舞い散る。そこに第2VnとVcの3連符のB♭7の和音が薬味のように混ざる。しかしこれをピアノで鳴らしてもそれほど目覚ましい音はしない。これは管弦楽の魔法なのだ。

こういう型破りは日本人は不得手なのだろう。どうも世間常識や慎ましさや手堅さや師匠へのソンタクみたいなリミッターがかかってしまう気がする。車がそうだ、トヨタから自動運転やファルコン・ウィングのテスラみたいな発想は出ない。技術に非の打ちどころはないがとんがりきれない。それじゃいかん、なんてとんがると今度は無用にそれが目的化してオタク専科になってしまう。そうじゃない、芸術は爆発でなく計算である。春の祭典は天のギフトをもらった者が緻密に計算して数学の答案みたいに書いたスコアで成り立っている、ストラスブール大聖堂の天文時計なのだ。これを爆発と勘違いして意味なく「ぶっ飛んだ」ナンチャッテが世界各地で作られた。

こういうアートが、エラリー・クイーンの「オランダ靴の謎」のような数学美をたたえたミステリーを彷彿とさせるといって、いったいどれほどの方にご賛同いただけるのだろう。「音楽は美しいメロディーです」という主張を退ける自信はないが、ベートーベンの後期のカルテットにそんなものは出てこない。メロディーはたくさん出てくるがメカがお粗末な一部のオペラがその対極であり、それを無視する僕はオーディオマニアでないのと同じぐらいクラシックファンではないし、メロディー派の洗礼儀式である音楽の授業が大嫌いだった理由がいまになってわかる。音楽は理科の授業で習えば楽しんだと思う。

音楽の通信簿は2だったから授業は不要だったわけで、要は、興味のないものは無視で人生何も困らないという結論に至る。美しいメロディー皆無の春の祭典が僕を震撼させるのはJ.S.バッハのフーガの技法やベートーベンの後期のカルテットと同じことであり、オランダ靴に「衝撃の幕開け」や「驚愕の最後の一行」はないのと僕の中では同義である。宗教が違う。そして残念ながら、その関係の連鎖に日本人制作のクラシックもミステリーも出てこない。別に欧米礼賛ではない、是々非々で、出てこないものはどうしようもないのである。

それがどうしてブラームス礼賛なのか。たしかに彼は美しいメロディーを書いたけれども、メカ派なのだ。そんなことはない、彼はロマンティストだという反対意見はあろうが、それとメカ派は矛盾しない。ベートーベンも彼も、さらにはもっと異論が出そうだがモーツァルトもメカ派である。それを度外視して、さあ美しいメロディーをと「日本流クラシック」を強要するのは僕には拷問であり、かつての同盟国だからドイツ人とは気が合うぞと信じるぐらいお門違いである。

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Categories:______音楽と自分

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