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自分という他人( ロベルト・シューマンの場合)

2020 FEB 14 18:18:25 pm by 東 賢太郎

シューマンはクララ・ヴィークと結婚してから歌曲、交響曲、室内楽の年を迎えるが、独身時代の作品群はというとピアノ曲一色である。これを僕は奇異に思っていた。なぜなら、彼は機械による特訓があだとなって指を故障してしまい、右手が使えなくなっていたからだ。ピアニストで身を立てようとしていたシューマンは簡単に気持ちの整理がつかなかったのだろう、チェロや神学の道まで模索し、「ツヴィッカウ交響曲」を試作もしている。であるのに、クライスレリアーナや幻想曲ハ長調みたいな技巧を要する曲をどうして書いたんだろう。しかもピアノ曲ばかり」続々とまるで熱病にかかったみたいに・・・?

フリードリヒ・ヴィーク

その疑問は、しかし、恋する若者の気持ちになってシンプルに考えると解けるように思う。彼は父親フリードリヒ・ヴィークに邪魔されてクララに会えないロメオとジュリエットの事態に直面していた。罵詈雑言を浴びせられ、ツバまで吐きかけられ、ついに名誉棄損で訴えてしまうのだから半端ではない。だが、もっと辛いのは間にいるクララだ。熱いラブレターで恋情をアピールし、ライバルを蹴落とし、自分に目を向けさせなくてはいけない。手紙は検閲される。ならばピアノだ。クララの主題や思い出のパッセージを暗号のように入れこもう、けっして他人にわからないように。そして彼女がそれを弾く。親父も娘の気持ちを察するだろう。素晴らしい曲だと言わせてやろう。見直させて結婚を許してもらおう。

そんなところではないか?その証拠といってしまえるかどうか、勝訴してクララと結婚するとピアノ曲の創作はぱったりと途絶えてしまうのである。シューマンは突発性の男だ。何かにとりつかれると寝ても覚めてもそればかりで、ある日突然、まったく別なものに夢中になっている。気まぐれというレベルではない。1839年の時点では「声楽曲は器楽曲より程度が低い。声楽曲を偉大な芸術とは認めがたい」と述べていたが翌40年には歌曲ばかり書きまくる。声楽の評価に重大な方針転換でもあったのかと思えばそうでもなく、41年は交響曲、42年は室内楽と猫の目のように関心が変転する。

シューマンのこの性格を見ると、フリードリヒ・ヴィークに同情しないでもない。僕もそんな奴とつきあうのは御免だからだ。その気持ちが生じるのはなぜだろう?自問すると意外なことに気づく。自分も突発性の人間だからだ。小学校時代、悪くてあらゆるいたずらをした(と担任にいわれた)。そういう何をしでかすかわからないAと、0.1ミリの狂いも許さない小姑みたいに冷静でうるさいBが僕の中には棲んでいる。アクセル役のAはつまんない邪魔な奴だとBを煙たがっており、ブレーキ役のBは向こう見ずでいい加減なAを軽蔑している。シューマンをつきあいたくない奴と判断しているのはBなのだ。それでわかる。計算づくで尊大でシニカルなマーラーを嫌っているのはAなのだ。

E.T.A.ホフマン自画像

シューマンの内面のふたり、フロレスタン(F)とオイゼビウス(E)がそんなものだったか敷衍するすべはないが、多分にそうだろうと僕は考えている。古代ギリシャでは人間の気質とはフモール(Humor、体液)の産物で四大元素のブレンド具合で変わると考えた。ルネッサンス由来のそうした知識がフランス7月革命を経た自由主義思想に燃えるドイツロマン派革命文学に持ち込まれ、その泰斗ジャン・パウル、E.T.A.ホフマンからシューマンに伝播したことは否定し難い。彼自身がプラトンの対話法を用いてFとEによる音楽評論を試みたともいわれる。同じ人間が今日明日は別人ということがあり得るという考えを彼らは肯定的に許容したわけである。そして、それを上の方から眺めて許容し、両人がお互い鏡になって指摘し合えばもっといい人になれるとヘーゲル流に正当化した。

シューマンは23才のころ兄と兄嫁が亡くなって「気が狂うという固定観念にとりつかれている」と書き、激しい情動の振幅が現れ、それは動と静、激情と慰撫、衝動と耽溺、喝欲と夢想、などの二律背反する気質として音楽にまばらに出現するようになる。ベルリオーズは阿片で狂ったが、シューマンは病気だった。後にイ音の幻聴が現れ死に至るほど精神を病むのは梅毒第三期の症状といわれ、この時点の躁鬱の頻繁な交差がその前兆かは否かは文献を見ないが、立派な躁鬱病ではあろう。しかし彼の理性はしっかりその背反をFとEの役者に当てはめ弁証法的に解決してしまう。E.T.A.ホフマンの「牡猫ムルの人生観」は学識ある猫の自伝だが、クライスラーの自伝とドッペル状態で進行し、ホフマンがそれをまとめる。シューマン、F、Eの関係はその模倣だが、シューマンという人間そのものでもあった。

我が心中の二人は、A(経験、直観、革命、冒険、新奇、酔狂、気儘、陽気、短気、横暴、帰納、金色、赤色)、B(論理、合理、慎重、頑固、忍耐、集中、緻密、冷徹、陰気、演繹、銀色、黒色)が相当する。例外的にビジネスはA、学業はBが優位におこなったが、それ以外で両者は自立してお互いに対して対等に批判的であり、それは子供時分から不変で今後も変わらないだろう。A・Bの対立でもう一段すぐれた人間になったかというとそういうことはない。ヘーゲルは科学者でなく弁証法は数学的に証明できないから何となく合理性がありそうな後講釈以上のものではない(ということは共産主義しかり)。シューマンにおいてもそれはない。フロレスタン(F)とオイゼビウス(E)がクライスラーと猫ムルの如く交互に主張する独身時代のピアノ音楽にこじつけ以上の形式論理はない。

7月革命のイメージ『民衆を導く自由の女神』ウジェーヌ・ドラクロワ 1830年 ルーヴル美術館所蔵

急進的文学集団である「青年ドイツ(Junges Deutschland)」はヘーゲル的発展を政治と文学に求め、その運動はシューマンの評論活動を通じて音楽に波及したが、弁証法に数学的予見性は何らないからそれは新興若手インテリ集団の熱病にすぎなかったことになる。しかし時代のパラダイムとしてはベートーベンを超える者が現れる “必然” があり、シューマンにとってそれは自分である証明をするモチベーションから交響曲第1番「春」が生まれる。そこにクライスレリアーナの終曲の主題を持ち込んだのは、同曲が結婚へ向けての苦境と呻吟の、しかし勝利を勝ち取るエネルギーを注ぎ込んだ産物であり、そして、作曲の新時代のメシアが自分であり、春を告げる交響曲がその子供として産声をあげたのだというシューマンの心象風景の象徴と思う。にもかかわらずブラームスにベートーベンの第10交響曲の地位を奪われてしまうのだが、そのことがシューマンその人やクライスレリアーナや第1交響曲の価値を些かも下げたとは理解されていない。何故なら二律背反するフロレスタン(F)とオイゼビウス(E)はベートーベンには棲んだかもしれないがブラームスにはないからである。

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