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LPレコード回帰計画2(オーディオはエロスである)

2021 FEB 28 10:10:25 am by 東 賢太郎

オーディオショップのSさんには教わることが多い。先日のLINN Klimax LP12だけの設定にあった点を補正しようとLINNのフォノイコライザーをはずしてBurmester 100 Phono EQに、カートリッジはEMT JSD VMに替える実験を行った。素人なので個々の機材の特性はまったく知らない。

僕の趣味は「教会の音」であり、石を感じる音響である。シュヴェツィンゲン音楽祭の教会でロッシーニのスターバト・マーテルをきいてこれだと思った。音響もさることながら、俗世間から隔絶されてちょっと厳粛で背筋がピンとする異空間。そこに入ったぞという気分の変容は「精神のスパイス」とでもいうべきもので、それをふりかけると音楽をリッチなものにしてくれる感じがしたのだ。それを再現したい。

とすると、日本家屋の木の壁がオルガンに共振するイメージは懐きがたい。リスニングルームの壁面、床は石材にした。部屋に仄かな残響がありスピーカーから7mの距離で聴く。残響は音源に入っているからHiFiに取り出せばいいというのがオーディオの本流なら僕はぜんぜん別人種だ。残響が前方からしか来ないなんて非現実に忠実なHiFiなど存在意味不明である。そこで5chが出現するのだろうが、サラウンドを人工的に作ったところでまだ音源依存だ。部屋の残響に包まれたほうが自然なのは、そこでピアノを弾いてみれば誰でもわかる。

ただし、それをするには2つのリスクを覚悟する必要があることを経験的に理解した。低音がブーミーになり、中音が混濁することだ。従って、それを可能な限り減殺してくれ、低音と倍音の振動を耳元と身体で感じれば仮想現実としては満点の機材だという思想に行きつくのである。オーディオ好きには邪道なのだろうが、僕は音源に完全依存して残りの音楽人生を委ねるほどレコード会社のプロデューサーやミキサーの耳を信用していない。だから部屋も鳴らして全部の音源を好みの音世界に引き込みたい我田引水リスナーなのである。結論から言うと、この実験で2つのリスクはかなり減った。良い装置ということと思う。

オーディオは面白いとだんだん思うようになった。ZOOMとこの装置でリモート飲み会をやったらけっこうリアル感出るだろうなあ、いや、満員の居酒屋のガヤガヤにまじって「大将、あと熱燗3本追加ね」「へ~い、シシャモはどうします?」なんて聞こえてくるCDはどうか。『日本めぐり一人酒』新橋編、歌舞伎町編、北新地編、道頓堀編、栄編、中洲編、すすきの編、流川編なんてあって、銀座編は「あ~らあ~さん、いやだわおひさしぶりで」から入る。買ってもいいかなあ。

前にSさんに「オーディオはエロスだ」と言ったことがある。教会からいきなり飛んで面食らったろうが、非常に少数派だがブーレーズの春の祭典はエロティックだという人はいる。第2部の序奏でバスドラのどろどろのところ、その後で弦のハーモニクスにフルートの和音が乗っかるところなど物凄く妖しく色っぽく、高校時代から参っていた。これはエロスの本質が何かという大命題にふれるからここでは書かないが、あのレコードに何を聴きたいかということではあり、それがうまく出るのが良い装置だという意味において、僕にとって、まぎれもなくオーディオはエロスなのである。

もっというならミュージックの語源ミューズ(ムーサ)は女神だ。これをなんとしよう。ショパン弾きは美女がよくてむさくるしいおっさんはいかんとかいう芸能話ではない、良い音楽というものには隠し味としてエロスが潜んでいて、だから常習性があるんですかねっていう類のことだ。リスニングルームに教会トーンを持ち込んだ僕としては、カトリック教会が女性司祭を認めないことに厳粛に思いをいたしているし、だから少年合唱団やカストラートがいたのだと知ってもいるが、18世紀に教会を出るやいなや音楽がむくむくとミューズの本性を露わにし、エロスのパワーで男も女も席巻した驚異に圧倒されてもいる。

だから演奏家に求めるのはそれを解き放つ司祭の役なのだ。四角四面に譜面を読んで、コンプライアンスは万全ですみたいな演奏があまりに多い。そんなもの色気などあろうはずもないし、そもそも司祭に役人や評論家みたいな毒にも薬にもならない人種は向いてない。イエスが意図的に男のみを弟子に選んだことに対しローマ法王フランシスコは「完全に不適切」ではなく「司祭に女は永遠にだめだ」と言った。森さんは改宗すればいい法王になるだろう。クラシック音楽の司祭はそのぐらいのアクの人の方がふさわしい。ブーレーズの祭典はコンプラだと思う人がいてもいいし、バーンスタインやカラヤンの方が盛り上がっていいという人がいても結構だが、僕は話が合うことは永遠にないだろう。定型などない、合うか合わないかだけのエロスが潜んだ話だからだ。

そしてオーディオに求めるのは司祭のパッションを伝えることだ。熱いかクールかは別として、それのない司祭は用がない。パッションがアトモスフィア(atmosphere)となったものが東洋でいう「気」であり、会場を包み込んで聴衆の「気」を導き出してこの世のものとも思えぬ感情の奔流を生む。これを僕はベルリンのカルロス・クライバーで体験し、NYのプロコ3番で恐山の巫女が失業しかねない昇天ぶりであったアルゲリッチ、フィラデルフィアのシベリウスで涎を垂らしそうなほどピアニッシモに恍惚となったクレーメルで味わった。そういうものはもはや楽器の音だけが生むのではないし、ビデオで視覚情報を付加すれば伝わるものでもない。会場で目を閉じていても伝わる「気」というものを我々は空気振動という物理現象で耳だけでなく身体ぜんぶを使って感知していると思われる。

良い装置と教会的密閉空間で「精神のスパイス」として効いてくる鑑賞体験が可能かもしれない。まだそこまで経験していないがそのうち出てくるかもしれないという期待はしたい。

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Categories:______ストラヴィンスキー, ______ロッシーニ, ______音楽と自分

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