猫のケンカと野球の深い関係
2021 MAR 8 0:00:30 am by 東 賢太郎
猫を見ていると、知らない相手にいきなりケンカを売ったり尻尾を巻いて逃げたりはしない。じっと距離をとって目線を合わさないように相手の気配をうかがい、「おぬしできるな」となると無用な争いはせず、離れていく。ここまでけっこう時間がかかるがとても面白い。
野球をやっていて、それだなと感じたのは試合開始前の整列だ。日本のアマ野球にしかない儀式である。両軍がホームベース前に整列し、審判が「それでは九段高校対**高校の・・試合を始めます」なんて宣言する。
これ、チームのみんなはどう思ってたか知らないが、ピッチャーは相手の全員と一対一の対決をするから、ずらっと並ぶ相手の顔と図体を眺めてデカいなとかチョロそうだなとか、ケンカ前の値踏みをしていたのを思い出す。
そのときの心境はというと、こういう感じだ。
これを何度もやってるから、ぱっと見で相手を計る力はとてもついたように思う。負けるケンカはしないに限るから良いことだ。しかし、猫はヤバいと思えば去ればいいが、野球はそうはいかない。怖いと思う時もあった。
後攻めだと列からそのままマウンドに登る。そこでゆっくりと足場をならして5,6球のウォームアップをする。うん、行ってるぞ。いい球を投げてるという自信と幸福感に包まれた自分がいる。これでOK。アドレナリンが出てしまうともう自分の世界だ、いつの間にか怖さは消えている。不思議なことだった。
なぜなら怖いのは相手だけではない、投手と打者は18メートルちょっとの距離だ。ヘルメットも防具もつけずそんな近くから硬球を思いっきりノックされたら殺されかねない。ところがアドレナリンが出てしまうと、俺の球が打たれるわけないさと根拠のない買いかぶりで平気になってしまうのだ。
もともと小心者なのに、やってるうちにそうなった。ただ試合が始まるといろいろある。マウンドでは誰も助けてくれないからすごく孤独だ。ピンチになると野手が集まってきて「守ってやるからな、打たしてけよ」なんて励ましてくれる。あのね、打たれてるからこうなってるわけよ・・・と孤独感は倍になる。
投手は練習も野手とは別メニューである。捕手と皇居一周してダッシュして柔軟して黙々と投げ込みだ。帰りがけに同期で飯田橋の甘味屋であんみつを食べる。野手どもは「Yさん(先輩)よぉ、走りながらぷっぷって屁こくんだぜ」でガハハと盛り上がる。僕はカーブの落ちが悪いなぁ、なぜかなあと一人考えてる。
こうして毎日の「おひとり様」生活を2年もしてると性格もそうなってくる。チームを背負ってる責任感はなかった。そんなので勝てるほど野球は甘くない。そのかわりカーブの握りは研究した。今でいうナックル・カーブという奴だったようだがあんまり打たれず、アメリカではこれのおかげでトロフィーをもらった。
その性格が私生活でプラスにもマイナスにもなったことはないが、ゴルフでは活きた。ゴルフがうまいと思ったことは一度もないが、ベット(賭け)の強さは自他ともに認める。スコアは負けてもそっちは勝つのがモットーである。野村ではあいつと握るのはカネをどぶに捨てるようなもんだといわれた。
理由は簡単だ。ゴルフも「おひとり様競技」だからピッチャーとよく似てる。マウンドと同じ境地なら負けるはずない、ここぞの寄せやパットが決まってベットは勝つという道理だ。プロはそれで食っているんだろう、だからナイッショーなんて言わないし、ラウンド中は笑顔もなければまったく口もきかない。
マウンドでおしゃべりする奴はいないから僕においてもラウンド中の無言は当然だった。すると変な奴だと噂される。もとより本性は飲み会を絶対断る男であり、そっちは妥協したがゴルフではしなかっただけだ。ベットをするモチベーションがなくなってゴルフはやめた。麻雀の代わりにやってたということだ。
思えば猫もすぐれておひとり様の動物だ。子供の時からずっと猫が家にいて一緒に遊んで育ってる。祖父が手相を見て一匹狼だといったからポテンシャルはあり、猫に同化したのだろうと思われる。それにしても猫のケンカは深い。
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